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ブルマへの想いを綴るぺージ14Line183.jpg (1844 バイト)

 昔はいたブルマの感触が忘れられない。   
今も穿くのがこんなにも好きで興奮してしまう。
ブルマにこんな性への思いがある。
 ブルマへの性にまつわる貴女の想いを綴る告白ページです。

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尚美さん(41)より 5/15

大学の時の彼氏に卒アルを見られて高校の時にブルマを履いていたと知られてブルマを履いてほしいと言われました。
その時、流石に高校のブルマを履くのは恥ずかしかったので中学の時のブルマを履きました。
身長とかはほとんど変わらなかったですけど、胸が大きくなっていたので大き目の体操着でしたが
少しパツパツになって胸が強調されていて恥ずかしかったです。
案の定、流れでそのままエッチをしました。
高校の時もブルマでエッチしたことありましたけど、その時と違って興奮してよかったです。

管理人様、そうですね。今はかなりいい値段しますね。
中学と高校のブルマ履かずに新品のものが実家に残っていました。
体操着と履いていたブルマと一緒に今も大切にブルマを保管しています。

ブルマ好きな彼との自然な流れでしたね。
普段と違う恰好で盛り上がったことでしょう。
当時の新品のブルマが今も残っているとは貴重ですね。
思い出のつまったブルマを大切にしてくださいね。


尚美さん(41)より 5/15

ブルマ廃止の流れで周りはハーフパンツに切り替わっていましたが、高校まで体操着はブルマでした。
小学校は濃紺(ファッショナー)、中学がエンジ(ジュレンクU716)、高校が青色でした。
小学生の時の体操服はブルマでしたが、そこまでブルマを意識はしませんでした。中学生になっても体操服はブルマ
のままでした。中学生になるとブルマを恥ずかしく思うようになったので、私を含めて他の女子もジャージを履いても
良い時はジャージを履いていました。ブルマ姿になる時でもできるだけ体操服の裾でブルマを隠したり、ハミパンして
いる時は女子同士で教えあっていました。

高校のブルマはハイレグ(ジュレンクU718)でした。中学のブルマより角度がきつく恥ずかしかったです。高校3年生
に上がる時に新入生からハーフパンツに切り替わりましたが、卒業までブルマでした。

高校3年生の5月上旬くらいに行われるスポーツテストの日、体操服で登校して各種のテストに参加することになって
いました。テストの際にはジャージの着用は認められませんでしたが、そのとき以外はジャージの着用が認められてい
ました。50mのテストの時なのですが、私のブルマからハミパンしていました。

後ろで見ている人はざわついていたので、男子も気が付いていたと思います。スタート時クラウチングスタートでお尻
を高く上げていたのでますますハミパンの幅が大きくなり、ブルマの下に履いているパンツが水玉のパンツであると周
りにわかり、後ろから水玉とか5センチとかいう声が聞こえ、ハミパンを直していました。ただ、完全にはハミパンは
直っておらず、動くたびにハミパンしていました。恥ずかしかった思い出です。

ブルマの型番を良く覚えておられましたね。今でも大切に保管されているのでしょうか。
どんなブルマか検索して見ましたが結構いい値がついていますね。
ハイレグタイプのブルマだとハミパンし易く目立って恥ずかしかったことでしょうね。


ゆうこさん(51)より 5/6

 私が中学生の時のことです。夏になり、プールの授業が始まってからのことです。女子だけとはいえ学校で水着に着替
えるのも嫌ですし、授業そのものは男子と一緒で、男子に水着姿を見られるのも嫌なので、できるだけプールの授業は見
学していました。見学者は体操服で見学することになっていたので、女子は半袖体操服、ブルマ姿で見学していました。

 プール前の更衣は、男子は教室で、女子はプール横の更衣室ですることになっていましたので、私たちはプール横の更
衣室に向かいました。私はこの日もプールの授業を見学するので、半袖体操服だけをもって更衣室に向かいました。

 上は半袖の制服から半袖体操服に着替える必要はありますが、下は制服のスカートを脱ぐだけでいいので、私の着替え
は楽でした。ただ、プールの授業を受ける子は、更衣室で水着に着替えることになります。女子だけだとはいえ、恥ずか
しいので、できるだけ隠して着替えているので、着替えも大変でした。時間に余裕があるので、他の女子の着替えとかを
見たりしていました。基本、みんなうまく着替えていましたが、たまに胸を露出してしまう子もいました。他の子がだい
たい着替え終えた後、私も半袖体操服に着替え、制服のスカートを脱いでブルマ姿になりました。

 着替え終えた後、いつも通りプールサイドに行きました。プールサイドには、既に着替え終えた男子も集まっていまし
た。私がプールサイドに行くと、スクール水着姿のMちゃんが大きな声で、「ゆうこ、めっちゃハミパンしてる。」と叫
んでいました。私は慌ててブルマのお尻の裾を触りましたが、確かにハミパンしていました。油断してて、スカートを脱
いだ後に、ブルマからハミパンしていないのかのチェックを怠っていました。それ以降、ブルマ姿になる際には、ハミパ
ンチェックをきっちりするようになりました。

ハミパンを気にする良いきっかけにはなったようですが、
みんなの前で大きな声で指摘されると恥ずかしいですね。
多くの男子にも見られたことでしょうね。


りささん(34)より 5/5

前回は上京したときのことを書きましたので,今回はその前のことを書きます。
3年生も夏を過ぎるとそれまでのようにセックスをする時間はなくなりました。
Aくんはともかく,私は相当勉強しないとAくんについていけませんでしたから。
そこであれだけ好きだったセックスを封印することにしたのです。

その代わりに彼のち〇ぽをフェラさせてもらう頻度は増えました。
その意味は前回書いた通りです。彼に精液は私にとって栄養剤でした。
また,頭のいい彼の精液を飲ませてもらうことで自分の頭も少しはよくなる気がしていました(笑)
最初は彼にとって負担がないかと思いましたが,「スッキリして勉強に集中できる」とのことでした。
でも,当然「性欲の塊」「セックス狂い」だった私が欲望を抑えられるはずがありません。
その解消?というか抑制の方法も考えました。

フェラをさせてもらう前に,いつもブルマーに穿き変えました。
その上で,お尻を出して,「勉強のための気合い入れ」のために生のお尻を鞭打ってもらいました。
5回以上は力一杯打ってもらいました。
その上で,「気合い入れありがとう。次はち〇ぽを咥えさせてください」とブルマーを戻しながらお願いしました。

彼のち〇ぽはすでに硬くなっていて,「りさのお尻鞭打って興奮してくれて嬉しい」と思いました。
あるとき彼に「私のお尻を鞭打つときって興奮する?」と聞いてみました。
そうすると彼は「何だかりさが俺だけのものになっている気がする」と言いました。
私の望んでいたことと同じ答えだったので嬉しかったですね。
縛られたり,鞭打たれたりすることで身も心も彼のものになっていくことが喜びだったので。
もう彼を射精に導くのに時間はかかりませんでした。

そして一度は射精された精液をビンに移しました。そして,おかわりのフェラで口の中に出してもらいました。
それはその場でごっくんと飲みました。「精液ありがとう。これでしばらく頑張れる」とお礼をいい,別れました。
週に5回くらい?彼にお尻への気合い入れとフェラのための時間をもらいました。
ブルマーに穿き替える時間を入れても15分くらいだったと思います。
私のわがままで彼に時間を奪ってはいけないと思いました。

ビンにつめた精液は,前回書いた「極寒の中での栄養剤」のように,自分の家に持ち帰り,
勉強の最中に少しずつ飲むためのものでした。
本当はブルマーに射精したものを少しずつ指で掬いながら飲みたかったのですが,それだと乾いてしまいますので(笑)。
射精を重ねたブルマーは勉強中いつも横に置いていました。
そのいい匂いを嗅ぎながら,ビンから精液を口に運んで気合いを入れました。

そうして少しずつ成績は上がってきました。そうすると,「自分へのご褒美」としてオナニーをしました。
この時期に指をおま〇こと同時にお尻の穴に入れることを覚えました(笑)。
一方でオナニーをし過ぎることで「彼のち〇ぽに合う形」に馴染んでいた「私のおまん〇の形」が
変わってしまうような心配もしていましたが,性欲には勝てませんでした(笑)。
もちろん彼のち〇ぽをほしいと思うことはありました。オナニーをしてしまった後は彼に申告して,
鞭でおま〇こに気合いを入れてもらいました。

それに,彼と私の状況の違いがまた別の私の欲求を満たしてくれることもありました。
自分はフェラで彼の性欲を満たす一方で,自分はお預け…この状況が「彼が上位で私が下位」と思わせ,
身も心も彼のものになっている気がしたのです。
それに彼は私に勉強を教えてくれたりしましたが,私は当然彼に対してそんなことはできませんでした。
一方的に彼の性欲処理の道具になることがせめてものお返しでもありました。

そして彼の性欲は正当なもので,私の性欲はわがままで我慢が足りないものだと自覚し,
彼から支配される欲を満たしてくれました。
実際に彼に「我慢できずにすぐにちん〇を求めるりさのだらしないおまん〇をお仕置きして」と
お願いして気合いを入れてもらいました。

それなのに,気合いを入れてもらった瞬間,痛みではなく快感を感じてそれだけでイッて
しまうこともありました(笑)どんだけだらしない淫乱なおまん〇だったのでしょう(笑)
もうその時期には部活はありませんでしたから,学校でブルマーを穿く機会も減っていました。

上に書いたように,フェラの頻度は増えましたから,結果的にブルマー自体を穿く回数は
変わってなかったのかしれませんが(笑)。
性欲に押しつぶされそうになったとき,ブルマーを穿いて走ってから帰ることもありました。
私の性欲を高めたブルマーを,私の性欲を抑え込むために使うなんて矛盾だな,と思いました(笑)。

受験勉強のために大好きなSEXを封印するとはかなりの決意ですね。
その代わりにお口で奉仕し、そして支配される歓びにつながっていくとは・・・。
二人だけの秘密の世界は広がっていくものですね。


彩音さん(27)より 3/27

初めて投稿します。
私のブルマとの出会いは、高校でした。
私が高校に入学した当時は世間の多くの学校で既にブルマは廃止されていて、私自身も小学校では短パン、
中学校ではハーフパンツで体育を受け、ブルマとは無縁の生活でした。
その後高校に進学した際にその後の私の性癖を決定づけるブルマと出会ったんです。

合格発表の後、そのまま制服や体操着などの採寸がありました。
制服はオーソドックスなセーラー服で、とても可愛いなという印象でした。次に体操着の採寸です。
制服屋さんのおばちゃんが、「ジャージ、体操着、ズボン、あとはブルマね」と当たり前のように準備を
進めていくので、私を含めほとんどの女子は唖然とした表情でした。

高校選びの際に制服が可愛くて選んだのですが、体操着までは調べていなかったのを後悔しました。
もうほとんどの女子生徒にとってブルマなど履いたことのないものだったので、みんな口々に「えー、
ブルマなんて履いたことないよ〜」「短パンもあるし体育ではブルマなんて着ないでしょ」など言い合っています。
私自身もブルマは一応購入するだけで普段の体育では短パンで受けると思いました。

採寸は順調に進んでいき、ついに私の番です。
体操着は白地に襟が学年カラーの赤色で袖も赤色のゴムになっていて可愛らしいデザインでとても気に入りました。
短パンも紺色の生地でサイドに赤と白の切り返しがついたデザインで今どきだなあと思い、すごく気に入りました。

問題はブルマです。
ブルマも短パンと同じような生地で肌触りはとてもいいんですが、クシュっと縮んだ形がパンツみたいで、
これは履けないなぁと思いました。
さらに問題なのはブルマの色でした。短パンと同じ紺色ならまだしも、学年カラーの赤色だったんです。
これだとすごく目立つし、下着の形が透けて見えそうで、本当にこんなの履きたくないと思ったのですが、
採寸のために履かなければいけません。

おばちゃんが、「はい、それじゃあ片足ずつあげてね」と言いながら私の足にブルマを通していきます。
両足をブルマに通し終えると、おばちゃんがスーッとブルマを引き上げてきます。その最中も私は本当にブルマが嫌で、
心の中では「嫌だぁ、こんなの履きたくないよぉ」と思い続けていましたが、非情にもブルマはそのまま引き上げられ、
ぴっちりと私の下半身を覆います。

「サイズきちんと確認したいから体操着はブルマに入れてね〜」とおばちゃんに言われ、渋々体操着をインすると、
鏡の前に連れて行かれます。
その時初めて自分のブルマ姿を目にしたのですが、体操着はゆったりと上半身にフィットしている一方で、
ブルマはピタッと下半身に張り付いています。更には腰と裾のゴムがギューっと食い込んでくるので苦しいです。
「え、ブルマってこんななの...」とぼーっと自分の姿を見ていました。

おばちゃんは「うん、これで良さそうね。似合ってるじゃない」などと言いますが、気持ちは最悪です。
おばちゃんから申し込み用紙を渡されるやいなや私はすぐにブルマと体操着を脱いで、着てきていた中学の制服に
着替えると、集合場所の教室に向かいました。
その途中も、「なんでこんな学校選んだんだろう」「本当に体育でブルマ履くのかな」など頭の中で考えてしまっていました。
ブルマのせいで、合格して早々学校のことが嫌いになってしまいそうでした。
今回は一旦これで終わりにします。
続きはまた今度お話しします。

これまでブルマからハーフパンツに変わった学校生活をしていたのに、まさかのブルマを着用する高校だったのですね。
初めてのブルマ着用は良い印象では無かったようですが、その後どのように性癖に関係していくのでしょうね。


りささん(34)より 3/21

そうですね。お金と知識があればもっとマシなこともできたんでしょうけど(笑)。
当時の好奇心と欲求と,お金と知識の欠如の産物ですね(笑)。
脚立使うなんてよく思いついたと思います(笑)。

ブルマーがあったからこそ,彼氏もできたし,処女を卒業したし,性的な好奇心が際限なく広がったと思います。
自分を卑下する訳ではないですが,当時の私は側からみたら「ショートカット真面目メガネのブルマー処女」ですからね(笑)。
白の綿パンツを晒してブルマーに穿き替え,年中「尻丸出しのブルマー姿」を晒している私に誰も関心を持たなかったはずです。
かわいい子のブルマー姿は男子が「〇〇のブルマー姿見られて最高」みたいに言っていたそうですが,
私のブルマー見ても「真面目メガネのブルマー姿を見ても萎える」くらいにしか思われていなかったでしょう(笑)。
彼だけが私を性的な目で見てくれるだけで幸せでした。

以前,私たちはセックスばかりしていた訳ではなく,勉強もしっかりしていました,と書いたと思います。
実際彼の成績は学年トップでしたし,私も彼の影響を受けて勉強しました。
その結果,彼と同じというわけにはいきませんでしたが,大学にも合格して一緒に上京しました。
そのために(彼氏についていきたい)勉強していたと言ってもいいと思います。
お互い一人暮らしになりましたが,セックスの頻度は減りましたね。

やはりスリル感や,不自由な状況だったからこそ性欲が高まったというのもあると思いました。
もちろんセックスそのものは私の方が好きでしたが,なんだか少し落ち着いたのでしょうか(笑)。
それはそれで彼との時間を違った形で楽しめるようになりました。

あと,大学生になって当然ブルマーを体育で穿くこともなくなりましたし,仮に穿いたとしても違う大学の
彼氏にブルマー姿を見てもらうこともできませんし(笑)。彼に見てもらってこそのブルマー姿でした。
それもコスプレみたいな感じだけでなく,リアルな状況の中でブルマー姿を見てもらいたかったのです。
それもあって,2年生になって周囲がハーフパンツに乗り換えても私は3年間ブルマーを穿き続けました。

今思い出してもゾクゾクするのが,真冬のブルマー姿ですね。周囲は(普段ブルマーを選んで穿いていた人も含めて)
みんなジャージを着ているのに,ほぼ私だけが寒さに震えながらブルマー姿を守り続けました。
ジャージ姿の彼氏に見られるのが興奮しましたね。普段でもハーフパンツ姿の彼とブルマー姿の自分の
ギャップに興奮したのですが,全身ジャージの彼と「透けブラ半袖体操着姿」と「透けパン(透けるというよりは
正確にはパンツのラインがくっきりブルマーに浮き出ているということですが)ブルマー姿」の自分とのギャップと
いったら興奮しないではいられませんでした。

雪の中「部活の自主練」みたいな理由をつけて,あえてブルマー姿を彼に見てもらいました。
彼は傘をさしてコートを着た制服姿,私は上記の隠しているところよりも隠していない部分の方が多いブルマー姿でしたから。
彼に見てもらいたくて,丸出しのお尻や太ももに雪を受けながら,筋トレや自主ランニングみたいなことをしてました。
極寒に耐えて頑張るための応援として,もちろん彼にブルマーに射精をお願いしました。
生温かい精液もすぐに冷えてしまうくらいの寒さですが,私は寒さに耐えながらも,彼が射精をしてくれたブルマーを,
最低限のところしか隠すことができないブルマーを,温かいとさえ思いました(笑)。

本当にあのときだけの感覚ですね。外に出ると,予想以上の寒さでした。太ももやお尻に尖った氷がつき刺さるような
寒さというより鋭い痛みを感じました。その痛みに射精時に舐め取らせてもらった精液を口に含み味わいながら寒さに耐えました。
それを飲み込むと,ブルマーにべっとりとついた冷たい精液を周囲にバレないように少しずつ指ですくっては口に運びました。
挫けそうになる度にそれを繰り返しました。精神安定剤と栄養剤のような感覚ですね(笑)。

それで本当に元気と力が出たのだから,当時の私の変態的な感覚は恐ろしいですね(笑)。
「全て舐め切るまで頑張れる」「彼が見守ってくれるからなんでもできる」みたいに考えていました。
暗くなっても続け,自主練を終えて更衣室に入ると,脱いだブルマーにしゃぶりつきました。頑張ったご褒美みたいでしたね。
待っていてくれた彼と一緒に帰るとき「りさ,すごく頑張ったね」といってくれたときは幸せの絶頂でしたね。
彼から命じられた訳ではなく,むしろ私の変態行為に突き合わせたも同然でしたから「ずっと見ててくれてあ
りがとう」と言いました。こんな感覚もそのとき(上京まで)のものだったのだと思います。

彼が居たからこそブルマーを介してどんどん貴女の性の欲求が深くなっていった感じですね。
上京により環境が変わりそんな彼との付き合い方にも変化が出てきたのでしょうか。
地元で二人だけの秘密としてブルマーを楽しめていた時が一番貴女が変態?として輝いていた時なのでしょうか。


みさちゃん(35)より 3/16

 高校の部活での話をしますが、まずは小さい頃の話からします。

 小学校に入学したときは、体操服はブルマでした。正確には覚えていませんが、5年生に上がる頃に、ハーフパンツ
が体操服に導入されました。買い替える必要はないので、私は小学校を卒業するまでブルマをはき続けました。最後は
学校で数人だけがブルマだったので恥ずかしかったです。特にブルマからハミパンしてると、からかわれて恥ずかしか
ったです。

 中学校に入学すると、体操服はハーフパンツでした。特にブルマを見ることもなく、中学校を卒業しました。
 高校は県の公立の進学校に進学しました。中学校でもバレー部に入っていたので、高校でもバレー部に入りました。
部活に力を入れている学校ではないので、緩い感じで部活です。部活は体操服でするのですが、他行との試合の時だ
け、学校の部活のユニフォームを着ることになっていました。ユニフォームはブルマでした。ユニフォームがブルマの
ままなのは、ユニフォームがブルマの方が本格的に部活しているように思われるからということでした。結局、高校を
卒業するまで部活のユニフォームはブルマで、卒業してすぐにハーフパンツに変わりました。

 試合の時は直前までは体操服のハーフパンツでウォーミングアップしてましたが、試合直前になり、ハーフパンツを
脱いでブルマ姿になります。その頃になると、部活でも体操服でもブルマの学校はほとんどなかったと思いますので、
相手の学校はかなり驚いてはいました。ただ、私たちの学校の部活は弱いので、いつもあっけなく負けていました。試
合では、なんかブルマ姿を披露しているだけ、たまにハミパンまで披露しているだけって感じに思えました。

 1回戦で負けることもあり、試合もあまりしないので、ブルマの恥ずかしさは限定的で、勉強の息抜きに高校の部活
は役立ちました。

まずはブルマとどんな関りがあったかの内容なのですね。
その時々でブルマにまつわるエピソードが有るのでしょうね。


敦子さん(32)より 3/14


 O君は今で言ういわゆるイケメン系で格好いいし、勉強も出来て、運動神経抜群と3拍子揃ってるんですよね。
まぁ、ちょっとどころではないスケベでHな所が玉に瑕なんですけどね。

 中学生の時も体操服はブルマーだったんですが、学年ごとに色が違っていて、1年生の時は緑色。2年生は赤。3年生
は紺という風になっていました。
 体育の授業も小学校時代と異なり、同じ時間であっても男子は男子、女子は女子と分かれて授業になっていました。
女子同士でブルマーからのはみパンを指摘しあう事は多かったですね。
 中学校もO君と一緒の中学で、登下校する時のスカートの中のブルマー重ね履きは必須でした。スカート捲りが流行
っていたから尚更でしたね。
 O君「もぅ〜、スカートの中ブルマー重ね履きなんて反則反則〜」
 私「残念でした〜、ちゃんとブルマー重ねて穿いてま〜す」
 O君「ブーブー」
 と、O君の残念そうな表情が印象的でした。

 ある時の事なんですが、プール清掃で夏体操服でブルマー姿で掃除してたんですが、O君のイヤらしい視線が……。
クラスも一緒だったので、O君が近づいてきて耳元で
 O君「敦子、下下。」
 私「どうしたの?」
 O君「出てるよ。」
 私「何が?」
 O君「ブルマーからパンツがハミ出てるよ。」
 私「えっ?」
 恐る恐る見るとブルマーの両サイドからガッツリこの日の薄いピンクのパンツがハミ出ていました。
 私「キャッ」慌ててブルマーの中にパンツを入れて隠す。
 O君「敦子って今日は薄いピンクのパンツだったんだね〜」
 私「ア〜ん、もぅ〜、O君のスケベスケベスケベ〜」
 という思い出がありました。

男子からハミパンを指摘されるのは珍しいかもしれませんね。
それだけO君は貴女の事が気になる存在だったのかな。


りささん(34)より 3/4

そうですね。何か興味や欲望の赴くままにやっていたことが,後になって「ああ,こういうことだったんだ」と
分かり恥ずかしくなったこともありますね。
アイデアは色々出てくるもので,彼氏が脚立で三角木馬のようなものを作ってくれたこともありました。

彼氏とのことばかり書いていますが,もちろん同じ女性の友だちもいました。
「りさはずっとブルマーなんだ」みたいなことを言われたこともありますが,見た目の真面目さから
「原則を守ってずっとブルマーを穿いている」以上のことは思われなかったと思います。

彼氏がいなかったら私もみんなと同じようにハーフパンツに乗り換えていました。
そもそも彼氏がいなかったら,私のブルマー姿を性的な対象で見てくれる人はいなかったでしょうから,
それこそ思い上がりですね(笑)。
勝手に「ブルマー姿を見られて恥ずかしい」と思っていただけで「お前のブルマー姿なんて興味ない」と
言われておしまいでしたね。彼氏ができるまではそんなことも考えませんでした。

「りさ,パンツの線が出ているから気をつけたほうがいいよ」「お尻豪快に出てるけど大丈夫?」と
友達から指摘されることもありました。あとは「こんなに寒いのにブルマー?」とか「(清掃とか持久走などで)
校外に出るときくらいハーフパンツかジャージを穿いた方がいいよ」とかも言われました。
私は「ブルマー動きやすいし」とか「ブルマー何枚も買ったからもったいないし」とか「ジャージを持ってきてない」とか
「ハーフパンツそもそも買ってない(これは事実でした)」とか答えていました。

それでも周囲の友達との関係で「困った」ことがあって,それは彼氏とのSMっぽいことを楽しんだ翌日でした。
鞭の痕が太ももにくっきり残ってしまったのです。「周囲に聞かれたらどうやって誤魔化そう?」と思いましたが,
「引っ掻いたとか,どこかに引っ掛けたとか言えばいいのかな」と考え直しました。
それより彼氏が自分に愛情を持って鞭打ってくれたことの方が嬉しかったです。
SMっぽいことをした後の方が,彼氏のち〇ぽの大きさや硬さが違う気がしました。
だから鞭を受けながら「この後挿入してもらえるんだ」「いつも以上に気持ちいいセックスができるんだ」と
いうどきどきが高まりました。前日のそんなことを思い出しながら一人でおまん〇を濡らしていました。

そうこうしているうちに,体育の時間になり,たまたま彼氏に会いました。
太ももの痕を見て「ああ,残っちゃったね。ごめん。」と言われました。
「ううん。Aくんが私にくれた愛情だと思うと嬉しいよ」「Aくんの愛情の証をみんなに見てもらえるのが嬉しい」と答えました。
そういうと彼は「そう思ってくれるんだ。あー,りさのブルマーに出したくなってきた」みたいに言われました。
もう私は頭がおかしくなるくらい嬉しかったのです。

それは,それまでは私からブルマーへの射精をお願いすることはあったとしても,Aくんには負担をかけていると思っていたからです。
そのときは時間がありませんでしたので「部活もブルマーで出るからその前にかけて」とお願いしました。
でもそういうときに限ってコンドームを持っていなかったのです。仕方なくフェラで射精してもらうことにしました。
「おいしいち〇ぽ咥えられて幸せ」と思いました。
おいしい精液を飲めないのは残念だけど,射精前に彼のちん〇から出る液体もいつも以上においしい気がしました。
いつもは儀式なのに,咥えているだけで自分が気持ちよくなってしまいました。

そして一度いい思いをすると調子に乗ってしまうのが私の悪いところでした(笑)。
「次の機会こそおま〇こを使ってもらいたい」と狙ってしました。
前日に「この前みたいに太ももに痕をつけて」とお願いしました。

そして次の日、忘れずコンドームを持っていき,「今度はりさのおま〇こを使ってブルマーに射精して」とお願いしました。
「今の自分は射精のための道具」と言い聞かせてもその日は感じてしまいました。
彼氏のズボンとパンツを脱がせてち〇ぽを咥えて挿入に必要な硬さにしてコンドームをつけると,
私はお尻をついて脚を大きく開きました。自分でブルマーとパンツの股をずらして左手でおま〇こを拡げながら,
右手でAくんのち〇ぽを握っておま〇こに導きました。

私は「射精をお願いしている立場」なので,彼の手を煩わせず挿入から射精に至ってもらうのが私なりのこ
だわりになっていました。もちろん自ら腰を動かしました(笑)。
「Aくんがつけてくれた鞭の痕を見ながらりさのおま〇こを使ってブルマーに射精して」と正常位での挿入をお願いしました。
そのうち「鞭の痕にも射精して」と太ももへも精子をつけてもらうようにお願いしました。
射精に至る寸前にち〇ぽを抜き,コンドームを外しました。まずブルマーにドバッと射精してもらい,
その後鞭の痕に動かしました。気のせいか,思いを遂げたあとは,Aくんの精液が薬みたい(笑)になって,
鞭の痛みが引いていく気がしました。

もちろんコンドームの処理も「私の仕事」なので,いつものようにそのままパンツの股の中に隠しました(笑)。
もちろん彼のち〇ぽに残ったわずかな精液を「拭くなんてもったいない」とおいしく味合わせてもらいました(笑)。
その後ブルマーとパンツの股の部分を元に戻しましたが,陰毛がはみ出てしまっていました。

Hの好きな大人のカップルなら十分ありえる話でしょうが、
この内容が学生の時と改めて思えばすごいことしてましたね。
三角木馬まで作ったとは。お互い性の嗜好や相性が良かったのでしょうね。


あいさん(32)より 2/18

小学生4年生までブルマでした。
4年生からクォーターパンツが導入されて、ブルマから切り替える子が増えてきました。

私は母が、新しいブルマを買ってきたので、クォーターパンツに変わったと言えず、
体育はブルマで授業に受けていました。

友達から、まだブルマなの、クォーターパンツに変えないのと聞いてきたので、ブルマが
小さくなったら変えると言っていました。
私自身、ブルマは動きやすいしスカート下に履いていたので、嫌ではなかったです。

秋の運動会のときに、クラスではブルマを履いているのは私を含めて2人でした。
母が運動会の光景にビックリして、運動会の後、ハーフパンツになりました。

母から、何で早く言わないのと言われました。
逆に私は、新品のブルマを買ってもらったし、ブルマが嫌ではなかったです。

もう一人ブルマだった子は、母子家庭だったのですぐに替えることができなかったと思います。
紺色のブルマだったけど、色褪せていました。
私がクォーターパンツになってから、その子もクォーターパンツに変りました。

お母さんはびっくりしたことでしょうね。
周りにブルマ姿が居なくなる中、ブルマ好きだったとはいえ
家庭の事情も考え良くブルマ姿を続けましたね。


りささん(32)より 2/17

前回書いた挿入→射精のときは「奉仕している」感覚は全くなかったです。
むしろ私の欲求のために彼氏が奉仕してくれている(危険な状況で挿入し,
私のブルマーに精子をかけてくれる)という気持ちでしたね。

射精という目的のためだけに彼が自分のおまん〇に挿入しているという状況は
普段のセックスとは違うものがありました。射精だけなら手でも口でも,それこそ
彼自身のオナニーでもいいのですが,ブルマーに射精するための「単なる道具」として
自分のおまん〇を使ってもらっている,という感覚で,彼に見下されているというか,
征服されている感覚が私のMっぽい部分を刺激しました。
縛られて鞭で打たれているときに感じたのと似たような感覚ですね(笑)

また,これがハーフパンツだったらそんなことはお願いしなかっただろうな、と思います。
彼氏とブルマー,この組み合わせだったから芽生えた欲求だったのだと思います。
ちなみにそのときに使ったコンドームは私が処理することにしました。
ハーフパンツと違ってブルマーですからポケットはありません。パンツの中に隠しました(笑)。
動くたびにコンドームが擦れておまん〇が刺激され,かけてもらいたての「新鮮な」精液のいいに
おいとともに性欲が高まってしまい,もう頭がおかしくなりそうでした。

周囲にバレなかった(と私は思っています)のは,意外に精子の臭いを知っている人がいなかった
からでは,とも思います。私だって彼氏とのセックス以前は当然知りませんでしたら。
私がこんな話ばかりしているので周りがみんな経験済みみたいに思われるかもしれませんが,
基本的には真面目な学校ですから(笑),
そんなにがつがつした性欲の人はいませんでした(と思います)。
ただ,更衣室での会話はなかなかのものがありました。そこで聞こえてくる話に刺激されて性
欲が抑えられないこともありましたから。

ところで,前回は私が奉仕してもらったことを書きましたが,彼氏からお願い,
というか提案されたこともありました。それは以前少し書いた私の股間を刺激する道具です。
昔のことなので,今調べてもどれだったかあまり思い出せません(笑)。
それはその道具を挿入して体育に出て耐えられるか,というものでした。
最初に挿れてもらったときの衝撃(気持ちよさ)から「絶対無理!」と思いましたが,
もう当時はドキドキすることは試してみないと気が済みません。

ただ,いきなりは無理なので「練習」から始めました。セックスの際に挿れてみて,耐える練習をしたのです。
体操着に着替えたあと,パンツとブルマーを脱ぎ,彼氏の前で「道具(何と呼んでいたか覚えていません)を
りさのおまん〇に挿れて」とお願いして脚を開きました。まずはスイッチを入れずに道具だけを挿れました。
彼氏におまん〇を触られたこともあり,それだけで声を出してしまいました。
その後立ってパンツとブルマーを穿くように言われました。

でもその時点で「もうだめ」でした。立っているだけならまだ耐えられるのですが,動くと当然その道具も中で動きます。
刺激に耐えられず崩れ落ちました。

でもここからが本番です。振動をした状態で耐える練習です。何度も崩れ落ちながら練習しました。
こんなの一日で慣れるはずがありません。繰り返し何度も練習しました。
「声が出ちゃうのを我慢できないから」と「Aくん,声を出さないようにせめてちん〇咥えさせて」とお願いしました。
それでも何度も口を離して声を上げてしまいました。「失敗したらお仕置きして」とお願いしてゲーム感覚で練習しました。

お尻を出して鞭打ってもらったりしましたが,「失敗しても鞭で打ってもらって気持ちよくなれるから成功しても
失敗しても得」みたいな感覚でした。「次失敗したら手加減しないで力いっぱいお尻を鞭打って」とお願いしたりしました。
なかなか先が長かったですが,やはり興味から「最終的には外でやってみたい」という気持ちがどんどん強くなっていきました。

体育倉庫でAくんに挿れてもらい,校庭に出ていく自分の姿を想像しました。それだけもう欲情していました。
「もっと練習してがんばれるようになるね」と言いました。挿入→ブルマーに射精→おまん〇に道具を挿入→周囲に
バレないように必死で耐える姿を彼に見てもらう,が実現する日を夢見ていました。
最初は彼のいたずらっぽい提案というか冗談話だったのに,気づいたら私の方が乗り気になっていました(笑)。
スカートの下やハーフパンツだったらこんなに必死になりませんでしたね。
やはり窮屈なブルマーの中で動いていることが大事でした。

なるほどですね。彼に逆にご奉仕してもらっていた感覚だったのですね。
ブルマーにまつわる性への探求心がかなりのものですね。
リモコンバイブやローターみたいなモノを挿入され、鞭打ちなども学生の時に経験しているなんて凄いですね。
自然な流れでやってきた行為がSMの世界だったと後で気付く感じですね。


敦子さん(32)より 2/17

 極力パンツは見られたくないっていうのは、年頃の女の子なら誰しも持ってると思いますね。
 この時は案の定、帰り道の途中で(O君と帰る方向一緒なので……)O君に

 O君「あっちゃん(私=敦子のことです、)さっき着替えてた時、短パンとパンツ一緒に脱げちゃったんでしょ〜(笑)。」
 私「O君、何見てんのよ〜」
 O君「そんな、反則技の着替えしてるから、バチ当たったんでしょ〜(笑)。」
 私「どうでもいいでしょ、あんた(O君)が女子の着替えジロジロ見てるからでしょ〜」
 O君「汚いパンツ穿いてるからなんでしょ〜(笑)。」
 私「失礼ね、ちゃんと綺麗なパンツ穿いてます〜」
 O君「あっちゃん、今日は水色のカラフル水玉模様のパンツだったでしょ〜(笑)。」
 私「……スケベ」
 するとO君、しゃがみ込んで、私のショーパンの中をを覗き込で 
 O君「あっちゃんの可愛いパンツ見〜ちゃった〜(笑)。イェーイ」
 私「もぅ〜、O君のH〜、バカ〜」
 恥ずかしかったので、家に急いで逃げ帰りました。

 体操服がブルマーから短パンに代わってから、体操服から私服に着替える際に短パンとパンツが一緒に脱げちゃった
ハプニングは女子の中でも結構ありました。秋から冬になるにつれて、キュロット・ショーパンよりもズボンで登校す
る事が多くなり、冬になると、防寒用のジャンパーを腰に巻いてスカート状にして着替えていましたが、『ん、チョコ
っとパンツ脱げた』『ア〜ん、今短パンとパンツちょっと一緒に脱げちゃった〜』なんかの会話が女子同士でたまにあ
りました。

O君は貴女の事が気になっていたのかな。
女の子のパンツを見たくて好奇心旺盛な時でもあったのかな。
それにしてもパンツそのものが脱げてしまうようでは女子同士でも恥ずかしいですね。


敦子さん(32)より 2/15

 丁度、その頃はO君がとなりの席だったので椅子に座って着替えていても、背もたれのない部分からは完全にパンツ
が見える状態だったんですよね。

 その担任の先生はバックが結構権力者だったので、誰も何も言えない環境でした。ほかのクラスの先生がこの理不尽
を教育委員会に訴えたんですが、その先生がある日急に遠くの学校に転勤。PTAも教育委員会に訴えたのですが、あ
る日一家揃ってその地区からいなくなっていたとかで、理不尽ながら生活してました。

 そんなこんなで、女子同士でいかにパンツを見られない着替えをするか?を相談してたんですが、ある日友人のAち
ゃんがキュロットで登校して、体操着に着替える時、上を着替えてからキュロットを穿いたまま、左足から短パンを穿
いてキュロットの中に入れて右足から短パンを出して右足の短パンを穿くやり方をしてたので、Aちゃんにそのやり方
を教えてもらってその着替えをすると、これならパンツを見られないという事で、クラスの女子の中でその着替え方が
広まりました。

 私服に着替える時も、体操着の短パンを穿いた状態で、キュロット・ショーパンをその上に穿いて左足から半分中の
紺色の短パンを脱いで、脱いだ分をキュロット・ショーパンの中に入れてそして、右足の紺色の短パンを脱ぐ方法で、
見られないで済むと暫くは安心してました。

 ……が、ある日の放課後の事です。その日は放課後の委員会活動がある日で、委員会活動が終わった子から私服に着
替えて下校って流れになってるんですが、丁度その頃O君や仲の良い女子3人と同じ委員会だったので、委員会活動が
終わって私服に着替えはじめました。上を着替えて、紺色の短パンの上にこの日は白系のピッタリしたショーパンを重
ねて穿いていつもの着替え方を、まずは、左足から中の短パンを半分脱いで、右足の方へ脱いだ部分を通して右足の方
の短パンを脱ごうと思ったら、脱いだ左足の方のショーパンの中がスースーと違和感が。『やばっ、パンツまで脱げち
ゃった』と焦り、このままではヤバいと思って、丁度その日スカートを穿いてた仲の良いAちゃんに「Aちゃん、ごめ
んちょっとスカート貸して?」と言うと、
 Aちゃん「あっちゃん(私=敦子)、どうしたの?」
 私「ゴメン……」と今の状況をAちゃんの耳元でヒソヒソと説明。
 Aちゃん「あららら〜、あっちゃんパンツまで一緒に脱げちゃったー」

 今の状況、脱いだ左足の短パンから一緒に脱げたこの日の水色のパンツがチラリ状態。O君この時には着替え終わっ
て私の方をガン見。『うわぁ〜O君にパンツ見られちゃった〜』という恥ずかしさもあり、慌てて椅子に座ってしまっ
た。『よりによって買ってもらったばっかりの水色のカラフル水玉模様のパンツをO君に見られちゃった〜』と思って
いたら、Aちゃんが慌ててスカートの中に体操着の短パンを穿いて、スカートを脱いで貸してくれて、急いで穿いて、
恥ずかしかったのと、最終下校時間が迫っていたのでとにかく、ショーパン・短パン・パンツと3枚一緒にズリ下して
脱いで、体操服の紺色短パンと水色のパンツを慌てて重ねて穿こうとすると慌ててたからか、穿く時に短パンがズレて
水色のパンツが丸見えに、恥ずかしかったけどO君がこの着替えをガン見しているので、とりあえず短パンとパンツを
重ねて同時に穿いて、短パンを脱いで私服のショーパンを穿いて、スカートを脱いでAちゃんに返してって感じでした。

色々とパンツが見られない履き替え方を思いつくものですね。
せっかくの履き替え方だったのにパンツまで脱げてしまったとは。
O君にしっかり見られてしまいましたね。


りささん(34)より 2/8

そう言っていただけると…

結局私が精液に対する執着が強くなったのも,ブルマーがあってこそだと思います。
もちろんフェラや精液を飲むこと自体も狂ったように好きでしたが,彼と付き合い,
セックスをするまではブルマーに対してはネガティブな印象でしたから。
私の好きな彼(とその精子)と彼の好きな私のブルマー姿が合わさって,私については
ブルマーを穿くことだけでは我慢できず,精子をかけてもらうことで特別なものになったからです。
普通は精液をかけてもらったブルマーを穿くなんて思いつきませんよね(笑)
異常なほどの性欲によって出来上がったものでした。

一度味を占めてしまうと次を求めるのも私の悪い性癖でした。
精液をかけてもらったブルマーを穿くだけは満足できなくなり,穿いているブルマーに精液をかけ
てもらいたくなったのです。そのためにはまた大きなハードルがありました。
体育の直前か部活の直前に射精をしてもらわなければならないのです。彼を変態な世界に引き摺り込むことになります。
それでも彼は応じてくれました。いつものように着替えを済ませ,彼と会いました。
彼も私が望んでいることを知っていました。そんな場所でフェラをするのも初めてでした。
でも,体育倉庫のような場所で私は彼の制服のズボンとパンツを脱がせ,咥えました。
もう夢中で(見つかったら全て終わりです)口を前後させました。短時間で済ませなければなりません。

そして,射精直前,私は脚を開き彼のちん〇を私のブルマーの前に引き寄せました。
あとはもう穿いているブルマーで彼の精子を受け取るだけです。もう幸せの絶頂でした。
そのあと精子付きのブルマーがバレるとかバレないとかはもう頭になく,幸せな気持ちで体育に出ました。
バレないのか,それとも周りが気づかないふりをしているのかは分かりませんでした。

そうすると,「これが最後」とばかりに今度はフェラではなく挿入からの射精を求めました。
ブルマーとパンツをずらした着衣の状態でおまん〇に挿入してもらい,射精寸前にち〇ぽを抜いて,
ブルマーの前面から股にかけてたっぷりと射精してもらいました。
そういうときでもお礼のフェラは忘れず,彼には精液の臭いを残さないように綺麗に吸い取りました。
そして彼は教室へ,私は校庭に出て行きました。

フェラのときも,挿入のときも,セックスを楽しむとか,(セックスで)気持ちよくなりたいとか
そういう感覚はありませんでした。
もう儀式のようなもので「短時間で手早く」済ませることだけを考えました。だから「挿入」でした。
私自身の気持ちよさは後回しで,彼にいかに早く射精に到達するまで気持ちよくなってもらうことで必死でした。
自分のおまん〇を射精のための「道具」のように使ってもらっている感覚でした。
そもそも自分が気持ちよくなってしまっては喘ぎ声を出してしまい周囲に聞かれる可能性も高くなります。

「りさのおまん〇を使って気持ちよくなって早くりさの今穿いているブルマーにいっぱい射精して」と言いました。
もう本当に変態な彼女ですよね(笑)彼にとっても満足のいく(気持ちいい)射精ではなかったと思います。
私の欲望のためだけに射精させてしまいました。

あんな動物みたいな本能丸出しの行為に彼を巻き込んでしまって申し訳ないという気持ちと,
私の変態寸前の気持ちに応えてくれたことに感謝する気持ちがありました。
「ばれたら最後。周囲と顔を合わせられない」と頭では分かっていながら性欲とブルマーに支配された私は
何度か繰り返してしまいました。
でも,私の見た目の地味さがばれないで済んだ理由だとも思います。
「ショートカット,メガネで化粧っ気のない真面目な処女」と思い込まれていたので,周りが私を疑う
ことがなかったのかもしれません。

一見まじめそうな子が退学にもなりかねない大胆な事をしていたのを誰も気づかないとは。
精液でなんだか生臭いとか噂になったりもしなかったようですね。
自分の気持ち良さを後回しとは彼に性的ご奉仕をしていたような感じですね。
欲求はエスカレートしていく傾向があり貴女が新たな事を望んだ気持ちもわかるような気がします。


りささん(34)より 2/4

性やセックスに関する知識がほとんどないまま初体験をしたことは前回までも書きました。
本当に今みたいに手軽に情報が入る時代はいいのか悪いのか分かりませんね。
「正しい」のか「正しくない」のか確認しようもないまま欲求に従ってやったことをあとで思い返すと,
大体「正しかった」wつまり多くの人もそうしていたということが多かったですね。
避妊に関する知識のほか,セックスについてはフェラ(口で咥えることがある)や精液は飲み干すと
いうことくらいですかねw
それもみんなではなくて,そういうことをする人もいる,くらいの知識でした。前戯もよく知りませんでした。

さて,そんな中でどうしても同じようなことをしている人を見つけられないのが「ブルマーへの射精」です。
もちろん男性側が征服欲からブルマーに射精するのはよく見ます。
ただ,私のように女性側から求めて,しかもそれを穿きたいというのはやはり異常なのでしょうか?
大体フェラで彼を射精寸前までにして,最後をブルマーで受ける,「Aくん,精液ありがとう。口でいただきます」
みたいなことを言い(そうですね,こういう「言葉プレー」?「淫語プレー」?みたいなのも本能のまま,
知識なく始めたことですw),舌でブルマーについた精液を舐めて飲みました。

それでもシミや臭いは残りましたから、興奮しながらそのブルマーに脚を通し,バレないように人前で体育や
部活をするというものでした。そんなことを繰り返し,新品のブルマーも彼の精液で「清めて」もらってからおろし,
穿き古しのブルマーも,タレの継ぎ足しではないですが,重ねて射精してもらったりました。彼の精液の温もりを感じ,
彼と一緒にいるように感じ,ブルマーを穿いているとその精液が膣の中を上がってくるような妄想をしました。

そしてあるとき,それだけでは飽き足らず大胆な行動に出ました。
いつものように「Aくん,りさのブルマーに射精して。精液をください」とお願いしてフェラを始めました。
そして射精してもらったのですが,いつもより大量に出ました。「精液ありがとう」とお礼を言い,
私は「今日は舐めずにこのまま穿きたい」と思いました。私にとってこの決断が大きかったのは,まず,
「彼の精液を一滴も無駄にしたくない」という気持ちを抑えなければならないことでした。

口の中に出されたときはもちろん,コンドームの中に射精された精液も飲み干すくらい彼の精液が好きでした。
ゴムの味は嫌いでしたが,彼の精液の味がかき消してくれました。
そして,次に,「いつもより周りにバレる可能性が何倍も高い」リスクに耐えられるか,でした。
しかし私はまずその射精したてのブルマーを密閉しバッグに入れました。そしていよいよ穿く段階になりました。
袋の中でもう精液でブルマーがぐちゃぐちゃでした。ブルマーの外側に射精してもらったのに,内側にもついていました。
乾いていないどろっとした精液がついていました。いつもは舐め取るので乾燥した白いしみが残っていることが多かったです。

密閉していたので臭いはほとんど漏れていませんでしたが,更衣室で開けると絶対にバレると思いました。
そこでトイレで開封しました。やはり私の好きな強烈な匂いがしました。そこからはもう精液とブルマーという
「夢のコラボ」wにコントロールされました。そのままためらいなくパンツの上にブルマーを穿きました。外で
の体育だったのが幸いでした。また,持久走だったので誰かに近づくこともありませんでした。
幸運が重なり,おそらくバレずに穿き通しました。流石にどろっとした塊のままだと気づかれそうだったので,
半分くらい時間が過ぎたところでブルマーを直すふりをして伸ばすというか,なすりつけました。

快感とともに優越感(見て,彼が私を愛してくれている証拠よwみたいな)を感じました。
バレたくないのに見てほしい,矛盾した欲求がありました。
調子に乗った私はその日の部活も同じブルマーを穿いたのはいうまでもありません。
帰りに彼に「ありがとう。今日もAくんの愛情付きのブルマーを穿けて本当に嬉しかった」とお礼を言いました。
セックスをしたかったですが,する場所がなかったので,お礼の気持ちからフェラをして彼に気持ちよくなってもらいました。
本心はお礼よりも「朝飲み損なった精液を飲みたい」でした。「いつも以上に精液おいしかった。ありがとう」と。
こんな「変態彼女」とよく呆れずに付き合ってくれたものです。

変態ではなく貴女の心が満たされる性の嗜好って感じですね。
貴女と同じように精液が愛おしく、美味しく感じる方も居られます。
人には言えない秘密を持つことで優越感も感じていたのかもしれませんね。


敦子さん(32)より 1/25

 ブルマーの思い出については小学校の体育の授業の時というより、私達の頃はパンツが見えないように重ねて穿くモ
ノと意識してましたからね。でも、プール授業の時はパンツが見えないように重ねて脱いだり穿いたりしてましたが、
小学生の女の子のちょっと大きめのパンツでは、完全には隠しきれてはいなかったみたいです。

 小学校の6年生になると、体操着がブルマーからジャージの長ズボンと同じ色の短パンに変わりましたので、ブルマ
ーの時と違ってブルマーからのはみパンはしなくなって女の子同士安心してました。それによって夏のプールの授業の
着替えも短パンとパンツを重ねて脱いだり穿いたり出来て、パンツを見られないと安心してました。私達の同級生にO
君というスケベな男子がいて、私達の着替えを良くジロジロ見たりしてたんですが、O君が女子のパンツが見えなくな
ってガッカリしてたのはここだけの話です。

 ただ、この6年生の時の担任の先生が変わった先生で、ブルマーの時は私服のスカートやズボン・ショーパン・キュ
ロットの中に穿いていても何も言われなかったんですが、短パンに代わってからボトムスの中に短パンを穿くのを禁止
する命令が出たんです。私達女子で文句を言ったのですが、聞き入れてもらえませんでした。蒸れたりして衛生面でよ
ろしくないとか何とかで決定されてしまいました。じゃあ、5年生の時に穿いてたブルマーを引き続き穿いてればいい
じゃんって思われますが、6年生になると、身体の成長・発育が急なので5年生の時のブルマーではきつくなっちゃうん
ですよね。

 体操着に着替えるのも、朝登校してからになって、帰りの学級会の前(下校前ですね)に私服に着替える方式になっ
て、毎日体操着に着替えなくてはなりました。最初のうちは、女子の殆どがスカートで登校して、スカートの中に短パ
ンを穿く感じで着替えたり、ズボンやキュロット・ショーパンの子は他のスカートの子にスカートを借りて着替えてい
たのですが、女子の着替えに時間がかかり過ぎるとかで、着替えの際のスカートの貸し借りも禁止されてしまいまし
た。

 とりあえず、女子同士でO君対策でスカートでなるべく登校しようと話していたんですが、困ったことにちょうどこ
のころって男子による女子のスカートを捲るのが流行ってしまい、捲られないように警戒していても、下校途中に長い
棒や釣り竿を使って捲られたりとスカートでの登下校も不安になってきました。今と違って、重ね履き用の紺パン・黒
パン・スパッツの認知度が低い頃に加えて私達の小学校・中学校ってかなりの田舎でしたので、保護者も都会に比べて
そういった性犯罪に対する意識があんまりなかった感じですね。まして6年生にもなると子供パンツから大人のパンテ
ィに近いパンツを穿いてる子もいるようになったので(私そのタイプで姉が高校3年生だったんで、姉の大人系パンツに
憧れて背伸びしてそういったパンツを買ってもらったりしてたんですよね)、とりあえずは、自衛策として、ズボンや
キュロット・ショーパンを穿いて登下校する事に。

 やっぱり着替えの際はパンツを見せないように自分の椅子に座ったり、シャツの裾を引っ張って隠したりしていたん
ですが、O君のイヤらしい視線にはかなわず、パンツを見られていました。

確かに短パンだとハミパンの心配は無くなり安心ですね。
ブルマはOKで短パンだと中に履いてはいけないとは理不尽な決まりだったようですね、
O君は貴女がガードしているのにどうやって見たのでしょうね。

※投稿は2重に届いていますのでメアドは書かなくても大丈夫ですよ。


敦子さん(32)より 1/25

 はじめまして、ブルマーっていうと私は小学校の5年生までと、中学校の3年間と高校の1.2年生まで、体操服はブルマ
ーでしたね。登下校の時は夏の暑い時以外は大体スカートの中にブルマーを重ね穿きしてました。ちなみに小学校の時は
ズボンやキュロット・ショーパンの時も中にブルマーを重ねて穿いてました。周りの女子も大体ブルマーを重ねて穿いて
いましたね。

 体育の授業着替えるときは男子も女子も一緒の教室で着替えるので、体操服に着替えるときに男子にパンツを見られな
くて済むんですよね。

 でも、水泳授業の時はやっぱり水着に着替える時はブルマーを重ねて穿いていても、パンツを脱いだり穿いたりするの
は、恥ずかしかったです。5年生になると、恥ずかしいからか、女子同士で一斉の〜せでパンツを脱いだりしてたんです
が、やっぱり男子にパンツを見られるのはいやだったのは覚えています。その内、1学年上の6年生の女子で、パンツにブ
ルマを重ねて同時に脱いだり穿いたりする丸秘テクを教えてもらってなるべくパンツを見せない着替えが広まりました。
その年の夏休み明けにはクラスの女子の殆どがこの着替え方してたんじゃないかなと思っています。

パンツを見せず隠すためのブルマ―だったようですね。
女子が一斉にパンツを脱いで着替えていたのですね。
ブルマーに関する思い出が色々とありそうですね。


りささん(34)より 1/25

今日はいつもと少し違った角度から話をします。

私には兄と弟がいます。2人とも勉強,運動とも優秀でした。そして兄は私の面倒をよく見てくれました。
私は兄には勉強でも運動でも遠く及びませんでしたが,コンプレックスのようなものはなく,優秀で優しく,
ときに厳しく,妹である私の面倒を見てくれる兄に憧れというか尊敬というかそんな気持ちを持っていました。
勉強を教えてくれたりアドバイスをしてくれたり,私が勉強や生活態度でいい加減なことをすると叱って
くれることもありました。叱るといっても別に怒鳴ったりするわけではなく,諭すようにじっくり話をしてくれました。
「叱られて嫌だな」という気持ちではなく「お兄ちゃんはそんなにまで私のことを心配してくれるんだ」という気持ちでした。
私が兄に話していないことでも兄は私の様子から察して声をかけてくれました。「お兄ちゃんはそんなことまで知ってい
たんだ(気づいていたんだ)」とびっくりすることも多かったです。

さて,ここからが本題になるのですが,私が高校に入る前に兄は進学のために家を出ることになりました。
そのときの私は「お兄ちゃんから自立しないと」という気持ちと「もっとお兄ちゃんに頼りたい」という気持ちがありました。
実際にはテストの成績が出るたびに兄に報告をしていました。兄の面倒見のおかげで私はなんとか兄と同じ高校に
進学できることになりました。そうです,ここからいつもの話に戻りますw

高校でブルマーというものを初めて見たとき,私にはとても衝撃的でした。
最初はブルマーにネガティブなイメージを抱いていたので「こんなパンツみたいなの穿いて体育なんて嫌だ」と思っていました。
その後のことは何度も書いてきたので省略しますが,あるとき兄が家に残していったアルバムを見る機会がありました。
小学校,中学校の体操着はほぼ同じでした。そして高校の体操着です。兄のときにはすでに男子はハーフパンツだったのです。
一方で女子はやはりブルマー,それも私たちのときのものとは違う一つ前?のデザインでした。

写真なのではっきりわかりませんが,そのときのデザインに比べ,私たちのときのブルマーは脚の付け根の部分が
高くなっているようでした。それが当時の流行のデザインだったのか,動きやすさ重視で変更になったのか,事情は分かりません。
兄は,高校時代も,私が進学するときもブルマーについては何も言っていませんでした。
兄は私と違ってブルマーに関心がなかったのかもしれません。最初は「こんなの妹が穿くことになるのを知ってるんだったら,
お兄ちゃん先に教えてよw」と思いました(言ってませんw)。帰省で家に戻ってきたときも,私の成績や生活態度の話はしても,
ブルマーには何も触れませんでした。
自分だけがドキドキしていて,兄は妹がブルマーを穿いているという意識はなかったのかもしれません。

そして…私のいろいろなことを見抜いていた兄ですが,私の性的な部分については見抜けなかったのか,
気づいていて何も言わないのか,兄に会うたびにドキドキしていました。
兄妹でも気軽に踏み込むことができる領域ではないですからね。
でもこんなにブルマーやセックスにはまってしまっていることを兄に叱られたら私はどんな気持ちになるんだろう,と考えました。
いや,(そんなことはしませんが)私の実態を知ったら「お兄ちゃんはどんな言葉や態度で叱ってくれるんだろう」と
望む気持ちもありました。別に悪いことをしていたわけではありませんがw

兄を追うように何とか入った高校でも,兄が遠くから面倒を見てくれた(結局高校から3年間も私が兄に成績を送り続けたため,
兄は電話で叱ってくれたり,助言をしてくれたりしました。)おかげで(性欲が強くなりながらも)きちんとした勉強や生活を
送ることができました。その結果進学も兄ほどではないにしてもそれなりにできました。

一方で,兄に面倒を見てもらっているのに性欲やブルマーへの思いをコントロールする部分だけは「できそこないの妹」のままでした。
それとも性欲に支配されながらも,そこに溺れ切ってしまうことなく何とか勉強や生活を疎かにしないで済んだのは
やはり兄の教育のおかげだったのでしょうか。
彼氏,初セックスとともに,勉強でのそれなりの成果,と兄が知るもの以上のものを密かに手に入れていた妹を兄は
どう思ってくれるんだろうと思いながら,もちろん今でも話すことはできず(いや,いつになっても話しませんがw)にいます。

あの当時の私のブルマーやセックスに対する止められない欲望は,「もともと私の中になかったものが彼によって作り出されたもの」
なのか,「(私が気づいていなかっただけで)もともと私の中にあったものが,彼の真面目さや(私の状況を知らないまでも,
私の中に潜在的にあった兄の存在)によって『あの程度(といっても相当ですがw)』までに抑えられていた
(他の人が相手だったり,兄の存在がなかったらもっとコントロールが効かないものになっていた)のか」を考えると,
今でもますますわからなくなりますw

相変わらずよくわからない文章ですみません。

お兄さんはブルマーに関心がなく妹のブルマー姿に対する意識が無かったのかもしれませんね。
勉強と性欲にけじめをつけられたのは兄さんに対して背徳感が関係しているような気もします。
その人の欲望は何かや誰かがきっかけで目覚めるものかもしれませんね。


りんごとみかん(51)さんより  1/22

 2人目の人の話をします。大学3年生の時の同級生のBという子の話になります。

 ゼミの夏合宿があり、私もBも参加しました。初日はそれぞれ旅館に行って、合宿のゼミを終えました。
その後、少し山の散策をした後、お風呂に入ることになりました。

 男女別に旅館の大風呂に入りますが、Bはパジャマとして半袖のTシャツと紺色のブルマを持ってきていたので、
お風呂から出た後に、半袖のTシャツとブルマに着替えていました。
しかも、半袖のTシャツの裾をブルマの中に入れていました。
Bから聞いた話によると、ブルマが楽なので、暑い時期とかはブルマをはいているということでした。

 お風呂に入り終え、部屋にいったん戻った後、夕食を食べるために食堂に行きました。よく見ると、
Bのブルマの裾からピンクの綿パンがハミパンしていました。誰も言わないし、Bも気が付いていないので、
Bは夜の間、ハミパンしたままでした。

大学生でブルマ姿とは珍しいですね。普段着として楽なので愛用されていたのですね。
「半袖のTシャツの裾をブルマの中に入れる」のはこれまでの学校での決まりが影響している感じですね。


りささん(34)より 1/19

本当に当時は複雑な気持ちでした。ブルマーを穿いて彼のことを思い出しているのに,
その姿は彼だけじゃなく多くの人,特に男子に見られていることを。
でも「私にとって大事なのは彼だけだし,他の男子にとって私は『真面目なブルマー処女』だから,
見ても『変な女子がブルマー穿いてる』だけで性的な対象にはなり得ない」と思っていました。
「私のブルマー姿を性的な目で見てくれるのは彼だけだ」と。

ブルマーに対して積極的な意味を見出してから色々なことを考えました。
なぜブルマーが恥ずかしいのかと。周りの人と話すと大体こんな答えだったと思います。

@パンツと同じ形だからパンツで体育やってるのと同じ。
A隠したいところは「おま〇こ」だけではなく,太ももやお尻などもなのに,それを隠す部分がないから。
B体型がわかってしまうから。線だけでなく「おま〇こ」の形も浮き出てしまう気がする。
Cパンツが出てしまうから。パンツの形が透けてしまうから。パンツを守る手立てがない。

よく考えたのは,「パンツ同然だから恥ずかしい」ということです。確かに私もパンツそのものを見られるのは嫌でした。
でも,パンツは「ボックス型?」「トランクス型?」等もあって,これを穿いている人も何人かいたことは随分と前に書きました。
それなら同じような形の体育パンツである「短パン型」の体操着は恥ずかしいかというと,そういう訳ではないのです。

「ショーツ型」の体育パンツであるブルマーだけが恥ずかしさの対象になるのです。
でも,その形が恥ずかしいならなぜ「ショーツ型」の(下着の)パンツを穿くのだろうということです。
私もそうでしたし,もちろん調査したわけではありませんが,「ボックス型?」や「トランクス型?」の方が圧倒的少数でした。

彼のパンツはブリーフだったということは書きました。当時の男子でどれくらいの人がどんなパンツを穿いていたのかは
わかりませんでしたが,彼の話では「ほとんどがトランクスだった。ブリーフは俺くらいかも」でした。
男子がブリーフを穿かない理由は今となっては「形が恥ずかしいから」だとわかります。
だから私の中ではなぜ女子はパンツだけは「形が恥ずかしい」ものを穿くのか結構真剣に考えました。
答えはないですが,そんなことを思い出しました。

そうして私は「どうせブルマーも下着のパンツと同じ型なら,ブルマーを隠していない以上,(流石に異性には無理ですが)
下着のパンツも隠す必要はない」と思っていました。
着替えも体操着の上を着る→スカートを脱ぐ→パンツになってブルマーを穿く,ブルマーを脱ぐ→スカートを穿く→体操着の上を
着替えるでしたから,他の大多数の人がしていたような「あらかじめスカートの下にブルマーを穿いておく」や
「スカートの下はパンツだが,スカートを脱ぐ前にスカートの下から挿し入れて穿く」ようなことはしませんでした。

ブルマーの話なのかパンツの話なのかよくわからない話ですみません。

パンツとブルマについて自分が納得する気持ちの整理をされていたのですね。
そんな一貫した気持ちがあれば周りに影響されたり動じることもなく、
彼のためにブルマ姿を楽しむことができますね。


ちかさん(50)より 1/18

 たぶん小4の時の話です。毎月だったと思いますが、身体測定がありました。
小4の時までは身体測定の際には、教室で男女ともパンツ1枚になるのですが、
女子だけブルマをはくことが許されていました。もちろん、わざわざパンツを見
せびらかす人はいませんので、女子はブルマをはいて身体測定を受けていました。
そもそも普段からパンチラ防止のためにスカートやズボンの下にブルマをはいていました。

 4年生の時に、少し大人っぽくボーイッシュなななちゃんって子がいました。
夏の時期ですが、ななちゃんは、デニムの短い短パンと半袖のシャツを着て登校していました。
デニムの短パンも半袖のシャツもピタッとしているので、ななちゃんのスタイルの良さが強調されてました。

 身体測定の時のことです。いつものように教室で女子はブルマ1枚、男子はパンツ1枚になるのですが、
その日は、ななちゃんがデニムの短パンを脱ぐと下はブルマではなくパンツでした。
男子もチラチラ見ているし、ななちゃんは恥ずかしいと思うのですが、結構平気そうにしていました。
正確には覚えていませんが、ななちゃんは子供っぽいパンツをはいていたので、ななちゃんも大人っぽく
見えるけれど少し安心したとか思った記憶があります。

 ななちゃんはやっぱり恥ずかしかったのか、次の身体測定からはきちんとデニムの短パンの下に
ブルマをはいてきていました。

みんながブルマ姿の中一人だけパンツ姿では目立って恥ずかしかったことでしょう。
忘れていたのでしょうか。なぜその日はブルマを履いてきてなかったのでしょうね。


りささん(34)より 1/18

当時は確かに性欲の塊で彼氏以上にセックスに依存というかはまっていましたが,
やはりそれもブルマーが原因なのでページはそのままでお願いします。

彼とMっぽいことを始めてからのことです。

前にも書きましたが,2年生のときから新1年生は「原則ハーフパンツ,行事のときだけブルマー」,
新2・3年は「原則ブルマー」という決まりになりました。
それでも2・3年生のほとんどはハーフパンツに乗り換えてしまったことも前に書きました。
私は周囲がハーフパンツの中でブルマーを穿き続けたわけですが,1年生のときに比べ,
自分のブルマー姿が強調され,視線が突き刺さるのでそれだけでも感じてしまっていました。

平均より背が高く,黒髪のショートカットでメガネの私は「りさは真面目ちゃんだから原則を
守ってブルマーを穿いている」と周囲から認識されていました。

その一方,スカートを脱いでブルマーに穿き替えると,引き上げたブルマーの股の部分がお〇んこに
当たっただけで感じてしまうようになりました。ハーフパンツの中で一人パンツ同然の格好をしている
ことに興奮してしまったのだと思います。もちろん頭の中は彼とのセックスを思い出し,ブルマーを
穿いただけで次のセックスを求めてしまっていました。穿いているブルマーだって彼の精液付きで、
それをバレないように振る舞うことがさらなる妄想を生みました。避妊はきちんとしていましたが,
ブルマーを穿いているだけで「精液がりさのおま〇こを上がってきている」という妄想です。

行事のときはみんなブルマー姿になりましたが,初めてブルマーに脚を通す1年生,久しぶりに太ももを
全開する2・3年生の恥ずかしそうな姿がまた私の興奮を高めました。穿き慣れていない1年生なんて何人も
パンツやお尻がはみ出ていました。ハーフパンツで陰毛の処理を油断していた人もいました。

改めてブルマーは「おま〇こを隠すことだけが許されたパンツ同然の体操着」だと思いました。
そうして次の日から私はまた一人でお〇んこ以外の足の付け根,太もも,お尻を丸出しのブルマー姿を
晒し続けました。こんな恥ずかしい姿を晒して彼氏に申し訳ないという自責の念にも耐えながら。

自分のブルマ姿に視線が集まる事でも感じるようになっていたのですね。
まじめそうな外見を隠れ蓑に本当は淫らな気持ちで一杯だったようですね。


りんごとみかんさん(51)より 1/18

 ブルマといえば思い出す人が2人います。
1人目ですが、中1の時の同級生のAという子です。Aは真面目な学級委員タイプの子でした。中学校では夏服の期間だ
け体育の授業でのジャージの着用は認められていませんでしたが、それ以外の期間はジャージの着用が認められていま
した。ただ、ジャージの着用が認められている時でも、授業の内容によってはジャージを脱がないといけないことがあ
りました。

 冬の期間の体育の授業でのことです。ジャージの着用が認められている期間ですので、女子はジャージのズボン(人
によってはジャージの上着も)を着て運動場に出ていました。準備体操が終わりましたが、その日は走り高跳びをする
ので、ジャージを脱ぐことを要求されました。仕方がないので、女子は運動場の端でジャージを脱いで、ジャージを運
動場の端に置いて、ブルマ姿になりました。

 Aはジャージのズボンをはいていましたが、ジャージのズボンを脱いでジャージを運動場の端に置きました。その
後、半袖体操服の裾をブルマの中に入れたと思うと、ブルマを思いっきり引っ張り上げていました。ブルマの裾のあら
ゆるところから思いっきり白のパンツがハミパンしてしまっていました。もちろん、すぐに、はハミパンをなおしてい
ました。男子が近くにはいないといはいえ、Aは大胆なことするなと思いました。その後、2,3回走り高跳びの授業
だったので、同じようにジャージを脱ぐことになりますが、Aはいつも同じようなことをしていました。

 少し日が経過して、マラソン大会の日のことです。冬ですので、体操服のジャージを着て、登校しました。ただ、マ
ラソン大会ではジャージの着用が認められないので、教室で男女ともジャージを脱いで、運動場に出ることになりま
す。この日も、Aはジャージの上着、ズボンを脱いだ後、半袖体操服の裾をブルマの中に入れて、ブルマを思いっきり
上に引っ張っていましたので、白のパンツが思いっきりハミパンしていました。もちろん、Aはすぐにハミパンはなお
しますが、近くに男子がいても、同じようなことをしていました。

 癖なんだとは思いますが、Aが周りに男子がいても、わざわざハミパンさせるのに驚きました。

ブルマを引き上げるのは何か理由があって癖とか習慣になっていたのでしょうね。
今となってはハミパンするのに何故そんなことをされていたか聞くことも出来ずモヤモヤが少し残りますね。


さやかさん(44)より 1/11

夏休み、お菓子を持ち込んだことで怒られたときから、恥ずかしいという感情だけど、少しずつブルマに興味をもつ
ようになっいたのかもしれません。また、当時、私は遅刻や忘れ物の常習犯で、制服も着くずしたりと、先生からは
目をつけられていました。なので指導を受けることも多く、ブルマで指導をうけることもありました。
そういったことがあり、後に怒られたい、罰を受けたいと思う気持ちも芽生えていったのかもしれません。

私の通ってた中学校は地域の中でも厳しい方でした。遅刻をすると、1限が始まるまでの時間は校門のところで正座、
放課後は遅刻した分数と同じ周数校庭を走り、その学期に遅刻した回数分ケツ竹刀されました。 

夏休みの一件があったにも関わらず、しばらくすると、また遅刻や校則違反をしてました。(2学期に入ってから、ま
た懲りずにお菓子を持ってきたりもしてました。)

中2の11月下旬くらいだったと思います。朝、寝坊してしまい、慌てて家をでたのですが、登校中に絶対に間に合わな
いことに気がつきました。
本当なら1限前まで校門前で正座するのですが、着くのは1限がはじまるギリギリなので、「正座はしなくてすむしい
っか」「でも今日は放課後結構走らなきゃいけないだろうな」「ケツ竹刀恥ずかしいな」などと、少し呑気に、でも
放課後の指導はめんどくさいなと思いつつ登校しました。

学校に着くと「何時だと思ってるんだ」と先生にいわれました。遅刻した罰として、先生から往復ビンタをされました。

またそのとき、「スカーフはどうした?」ときかれ、自分が慌てて出てきたためリボンを忘れたことに気がつきまし
た。先生はガムテープに「スカーフ忘れ」と書き、わたしの制服にはりました。

その日は2学期になって10回目の遅刻だったこと、またスカーフ忘れもあったことからその場で遅刻指導になりまし
た。普段から忘れ物や校則違反が多いことも原因だったと思います。

校門からグラウンドの方まで移動させられ、そこで先生からケツ竹刀30回だといわれました。私は思わず「10回じゃ
ないんですか」と聞き返してしまいました。すると、バッチーンとビンタが飛んできました。10回目以降は遅刻回数
×2、それにスカーフ忘れでプラス10回だといわれました。30回も叩かれるのは初めてだったので、絶望的な気分でした。

スカートをぬぐようにいわれ、当時はスカートの下にブルマをはいていたので、ブルマのお尻をつきだしました。
ケツ竹刀は、大声で数を数えないといけなかったのですが、20回目くらいになると足もガタガタ震えてしまい、痛
くて声も出なくなり、何回かやり直しになってしまいました。

グラウンドでは違うクラスでしたが、同級生の男子が体育の準備をしていて、ケツ竹刀を見られてしまい、恥ずかし
さが増しました。夏休みにダンス部の友達や後輩の前でケツ竹刀されたときより、異性に見られるということや、他
に罰を受けているのが自分しかいないことも恥ずかしい理由だったかもしれません。

ケツ竹刀が終わると、そのまま昇降口に連れていかれ、頭の後ろに手を組んで、壁を向いて立たされました。自分の
目の前にある壁をただ見つめ、泣きながら立っていました。お尻がだんだん熱くなっていくような感覚がしました。

1限がおわると、体育が終わった同級生の男子が昇降口を通ります。立たされている後ろから「反省してくださーい」
などといわれからかわれました。男子たちと丁度入れ替わるようなかたちで、次の時間体育だった、1年生の女の子も
昇降口を通り、「先輩立たされてる」「何したんだろ」「お尻下らへん赤くなってる、ケツ竹刀されたんだ」など
ヒソヒソ話しているのが聞こえ、早く通りすぎてほしいと思いました。

結局、3限が始まる直前まで立たされていました。色々と怒られたあと、一旦は解放されたのですが、結局3限の授業に
遅れてしまいました。厳しい先生で「自分が遅刻したのが原因だ」と怒られ、その時間は教室前の廊下に正座でした。

4時間目からは普通に授業を受けましたが、遅刻でとんだ災難にあいました。

放課後も、通常通り遅刻指導として20周くらい罰ランをしました。さすがにケツ竹刀は免除されましたが、代わりに
スクワットをさせられました。ブルマ姿でスクワットするのも、お尻をつきだしているような感じが恥ずかしさを感
じました。

このときも、また、ブルマは恥ずかしいし、罰をうけるのも嫌でした。でもこの日の夜、叩かれたお尻を見て、また
自分がブルマ姿で立たされたり、スクワットさせられていたのを思い出して、なぜか少し興奮したような、矛盾した
感情を持つようになりました。

厳しい罰を受けてもなかなか凝りずに遅刻を繰り返したようですね。
痛いだけでなく恥ずかしい思いもして辛かったでしょうが、
罰に興奮した自分に気付き始めたようですね。


さやかさん(44)より 1/8

中学2年生になると、私は中だるみからか、忘れ物や遅刻が増えて指導をうける回数が増えていました。

忘れ物をすると立たされたり、正座させられたりするわけですが、段々なれてしまうと、立ってればよいかと思ってました。

遅刻すると放課後に罰ランとブルマでケツ竹刀されるので気をつけてはいたのですが、それでも遅刻指導も数回受けていました。

中学生のころ、私はダンス部でした。
夏休みは週3〜4回練習があって、部活に来ていたのですが、その際に、2年生メンバーでお菓子を持ち込んで、練習
の前後に、教室や更衣室で友達と食べていました。お菓子の持ち込みは校則で禁止されていて、先生からも休みの間
であっても絶対に持ってこないように言われていました。
8月になった頃だったと思います。練習前にお菓子を食べていたのを、たまたま通った先生に見つかってしまいました。
そのときは、何も言われず、私たちは練習場所に行って、顧問が来る前に練習をはじめていました。

20分後くらいに、顧問と生活指導の先生が入ってきました。
私は「ばれちゃったのかな〜」「また反省文かな」などと軽い気持ちでいました。
全員集合させられ、部員全員がその場に正座させられました。
ダンス部は私たち2年生が8人、1年生が確か12〜13人くらいいたと思います。

「お菓子を持ってきたやつ、前にこい」といわれ、お菓子を持ち込んだ私と、友達2人が正座している皆と向き合うよ
うに、前に立たされました。

「お菓子食べたやつも同罪だ、正直に立て」みたいなことをいわれ、2年生4人と、1年生の3人くらいがその場に立た
されました。そのまま生活指導の先生に順番にげんこつされていました。
前に立たされている私たち3人に「お前らのせいだぞ、目をそらすな」と怒鳴りました。友達や後輩がげんこつされて
いるのをみて、私は涙を必死でこらえてました。

その後、お菓子を持ち込んだ私たち3人は、「手を後ろに組んで足を肩幅に、顔をあげろ」といわれ、
ビンタされることがわかりました。
私はこわくて下を向いてました。「反省してるなら顔をあげろ」と怒鳴られ、何回か往復ビンタされました。その
後、2人の友達も怒鳴られながらビンタをされました。
自分の番がおわった安心感と、友達2人がビンタされているのをみて泣いてしまいました。

それでも終わらず、「正面を向いて足首をもて、尻を出せ」とケツ竹刀の姿勢をとるよう指示されました。今思う
と友達にブルマで、ケツ竹刀されるのをみられるのは恥ずかしかったけど、当時はそんなことを考えていなかった
し、考える余裕もなかったので言われた通りにしました。
私は泣いていて、足もガクガク震えていて「泣くなら校則違反するな」と言われてしまいました。「すみませんでし
た、反省してます」と叫ばされながら、1人10回以上はケツ竹刀されました。

あとで友達から「さやか叩かれるまえお尻にちから入ってキュってなってて私が叩きたくなった」といわれたときは
今でも覚えてるくらい恥ずかしかったです。

結局、その日は部活動はなしになりました。
お菓子の件に関わっていない者は、その日は練習場所の雑巾がけをさせられました。

お菓子を食べた他の7人は、廊下で、教室の壁に背を向けるようなかたちで正座させられてました。持ち込んだ私たち3
人も、当然廊下に出され、手を頭の上に組んで、正座させられている子とは反対側の壁に向き合うように並んで立たされました。
なので正座している7人は、ちょうど私たちの立たされている後ろ姿をみるような感じになります。
私は叩かれて痛いお尻を、見られているようでなんだか恥ずかしく落ち着かない気分でした。このことがきっかけで、
ブルマが恥ずかしいと自分の中で自覚するようになりました。

他の部活の生徒も通りすぎるわけで、同級生からはちょっとからかわれたりもしました。

2時間くらいすると、正座したいた7人は解放されたのですが、私たちはさらに1時間くらい立たされたままでした。
私語もせず、半べそ状態で反省していたと思います。

お菓子を持ち込んだ私たち3人は、部活前後にトイレ掃除、練習時間中は校庭の罰ランを1週間ほどさせられることになりました。

このときは、まだブルマが恥ずかしいと思っていただけでした。そんなブルマが好きだということ、怒られて反省し
たいこと、ブルマで罰を受けることに少し興奮している自分になるなんて思ってもいませんでした。

決められたルールを疎かにして守らなくなってくる人が増えないよう厳しい体罰を当時は行っていたのでしょうね。
ルールを守らせるための指導は必要なのでしょうが。
怒られたい欲求や罰を受けることの歓び?を感じるようになった要因が何か心の中にあったのでしょうか。


ゆりこさん(30)より 1/4

小学生4年生までブルマでした。
4年生からハーフパンツが導入されて、一気に切り替わりが始まりました。
クラスでも日が経つにつれて、ブルマからハーフパンツに変わる子が増えてきました。

私は母が、新しいブルマが買ってきたので、ハーフパンツになったよと言えず、
体育はブルマで授業に受けていました。

友達から、まだブルマなの、ハーフパンツに変えないのと聞いてきたので、ブルマが
小さくなったら変えると言っていました。
私自身、ブルマは動きやすいしスカート下に履いていたので、苦ではなかったです。

秋の運動会のときに、クラスでブルマは私を含めて2人でした。
母が運動会の光景にビックリして、運動会の後、ハーフパンツになりました。

母から、何で早く言わないのと言われました。
逆に私は、新品のブルマを買ってもらったし、ブルマが嫌ではなかったと言ったら
変な人もいるから気をつけてねと心配されました。

今でもスカート下にブルマを履くと安心するし、部屋着で体操服に紺色ブルマ姿です。

両親は呆れていましたが、高校生になってから、可愛く見えるけど変な人だけには
目をつけられないでねと言われます。

昨年結婚し夫は、コスプレ好きの私を受け入れています。
体操服ブルマの他に、学生時代のセーラー服、スクール水着で愛してくれます。

娘が生まれたら、良さを伝えていきたいです。

ブルマも廃れていく中で愛用されている方も少ないでしょうし、
ブルマを履いた事のない人も増えていることでしょう。
外でブルマ姿になることは無くても普段着としての良さを後の世代に伝えられるのは素晴らしいですね。


まなみさん(35)より 2024/1/4

中学3年生のときです。

ブルマがあまり好きではないのに紺色ブルマで、シャツインしていました。
体育祭片付けを幼馴染のMくんと一緒に行って手を洗っていた時、Mくんが誤って蛇口を私の
方に向けてしまい、放出した水が私のブルマに直撃してしまいました。

キャーッとビックリしてしまい、ブルマもパンツも前側半分以上がびしょびしょになりました。
Mくんが謝りながら、ハンカチで濡れたブルマを拭いていた時、性器に当たり感じてしまい、Mくんが勃起しました。
意地悪に、女の子のブルマに触って変態なことを考えていると、からかったら泣きそうな顔になっていました。

泣かせると可哀想と思ったのでごめんと言ったら、私のことが好きと告白されました。
特に体操服ブルマ姿がカッコイイ、インしているからブルマが強調されて可愛く見えると言われました。
エッチな雰囲気になりお互いセックスしたかったけど、彼が妊娠させたら大変と言ったので、
お互いの性器に触れて相互オナニしました。

高校は別でしたが、セックスは成人式の後に体験しました。
体操服ブルマで、彼も体操服で着たままエッチして、とても気持ち良かったです。
中学のセーラー服を着たままのときは、とても優しかったです。
彼と結婚した今でも、プレイは変わりません。

ブルマに水をかけられてびしょびしょになったことは、二人でも良い思い出です。
プレイでわざとブルマに水掛けて、ハンカチで拭いてからエッチしたりもします。

ブルマが縁で付き合いが始まり結婚まで進むこともあるのですね。
いつのまにかブルマも好きどころか、二人にとって大切なモノになったようですね。


りささん(34)より 12/30

ブルマーの話からズレてきてしまったので少し話を戻します。

あるとき,体操着(上)を忘れてしまったことがありました。
朝ブルマーと一緒にバッグに入れたはずなのにないのです。仕方なく友達から借りることにしました。
借りられるような親しい友達は「今日体育がないから持ってきてない」という人か,私よりも後の時間に
体育がある人ばかりでした。
さすがに自分が着たものを返すわけにはいきませんので。

そうすると,体格の違う友達が「持っている」と言ってくれました。
私は背が高い方でしたが,その友達は小柄でした。「ありがとう」と言って借りることにしました。
しかし,着てみると,とてもきつく,胸の周りはピッタリどころか無理に押し込む感じ,
伸びてしまうんじゃないかというくらいでした。ブラジャー全体の形がくっきり出ていました。

それは仕方ないとして,困ったのは丈でした。ブルマーの中に裾をしまおうにも長さが足りません。
おへそが出てしまいました。さすがに恥ずかしかったですが,自分が忘れたのだから仕方ありません。
必死に裾を引っ張りながら体育に出ました。
そして,そういう時に限って彼氏に見られてしまうのです。

透けブラ,ビキニ水着かというくらいのへそ出しの無様なブルマー姿を。私服なら別として,水着でもな
いのに体育や部活のときに人前でおへそを出すことなんて普通ありませんよね。
「あーあ」と思いながら帰りに彼氏に謝ると,「お前は俺の彼女だから気づいた
けど,周りはそれほど気にしてないんじゃないの?」と言ってくれました。

そして「あんな姿を見たの初めてだからめちゃくちゃ興奮した。可愛かった。」と言ってくれました。
ちなみに,胸周りがきついと感じたのも贅沢な話でした。それも,彼氏と付き合い始める前は本当に胸が
なくて「まだブラジャーつける必要がないんじゃない」と思ったくらいです。
彼氏の前で初めて裸になるときも「こんなに胸がないのを見たら引かれるんじゃないか」と思いました。

でもその後どんどん胸が成長したのです。
たまたまそういう時期だったのか,処女を卒業してセックスを繰り返すことで身体に変化が起こったのかは
分かりませんでしたが(笑)
自分の意思ではどうにもならないのに,おま〇こも彼のち〇ぽに合うように形が変わっていくんじゃないかと
思うくらい(気のせいでしょうが)に性に没頭していましたね。
ブルマーに話を戻すはずだったのにまたセックスの話に流れてしまいました。

ケガの功名?彼に恥ずかしいブルマ姿を気に入られて良かったですね。
セックスでホルモンの分泌が良くなったからでしょうか、彼も大きく育っていく胸を喜んだことでしょう。
身体を重ねるごとに馴染んで行くのは彼と相性が良かったのでしょうね。
セックス好きな方ならではの思い出の投稿内容で大丈夫ですが、
掲載するコーナーを興奮したあの時の告白ページ」などに替えましょうか。


りささん(34)より 12/29

前回の続きです。

フェラを覚えたころから,手を背中の後ろで縛ってもらって口だけで咥えたり,ということは
してたので私のMっぽさと彼のSぽっさはなんとなくお互い分かっていました。
自分から喉の奥に彼のち〇ぽを受け入れてゲッとなったりするのに彼は反応してくれました。
苦しいけれど彼が気持ちよくなってくれるのが嬉しかったです。
射精された性液が鼻に入ってしまったこともありました(笑)。

そうして…さすがに傷が残るようなのは(私はもうどうでも良かったですが)ということで,
お尻を鞭(彼がどこから入手したのかは分かりません)で打つところから始めました。
縛ってもらい,お尻を打ってもらうと息が荒くなりました。
そしてお互い分かったのはその後のセックスが格段によくなることでした。

「A君のち〇ぽいつもより固くて大きくてすごく気持ちいい」と言うと,
「りさのおま〇こもいつもより締まっている」と本当にいやらしい感想を言い合いました。
そして,「ただ意味もなく鞭でお尻を打つ」ではつまらないのと,「セックスに溺れて勉強を
おろそかにしない」という二人の真面目なルールもあったので,「〇〇のテストで私が勝ったら鞭打ちなし」
「私が負けたら点数に応じて鞭打ち」みたいなことを決めました。

彼は全国レベルの頭の良さだったので,いつも私が負けて鞭で打たれることになりましたが(笑)。
それでも私も真面目に勉強はしていました。負けたときは素直にパンツを下ろして彼にお尻を鞭打ってもらいました。
痛いのにおま〇こがびしょびしょでした,負けて罰を受けているのに気持ちよくしてもらうなんて変ですよね(笑)。

そして…彼がどこからそういうものを手に入れてくるのかわかりませんでしたが,私の淫部に振動で刺激を
与える小さな道具(バイブ?ローター?今は名前も分かりますが,当時はそういう道具があることさえ知りませんでした。)を
入れてもらいました。実は,そんな道具を使う前はいわゆる昔のガラケーのバイブ機能を応用していました。

本当に性欲のためにはアイディアが出るものですね(笑)。我ながら感心します。
彼の前で一人で喘いでいる恥ずかしさこの上ない姿を晒してしまいました。
彼のち〇ぽ以外にこんなに反応したのは初めてでした。
ち〇ぽ>その道具>オナニーの順でした。その姿を見て彼のち〇ぽも固くなりました。ブリーフが破れそうでした(笑)。
股間の刺激に耐えながらむしゃぶりつきましたが,刺激と快楽に負けて何度も口を離してしましました(笑)。
彼の快感を優先しないといけないと頭では分かりながら,身体が言うことを聞きませんでした(笑)。

そのうち,ブルマーとパンツの下にその道具を入れられるようになりました。セックスの前にひと儀式のようなものです。
ルールは「何も入れられていないように振る舞うこと」でした。最初は無理でした。
スイッチを入れられた瞬間,ブルマーの股間を押さえて崩れ落ちてしまいました。「耐える」訓練をされました
が,これもMっぽくて嬉しかったですね。「〇分耐えられなかったらお仕置き」みたいなのもゾクゾクしました。

続きはまたにします。

学生の頃に好きな彼とSMプライをしてM性を開花させていったとは凄いですね。
二人でルールを作り貴女のM性を刺激して楽しむのもオリジナルで良いですね。
性の探求心が強く色々なアイデアが湧いてきますね。


みいさん(50)より 12/13

 高校生の時の文化祭でのことです。高校生の時には、私はバレー部に入っていました。
文化祭では部活紹介みたいなことをするので、私は部室でバレーのユニフォームに着替えて、
ある教室で部活紹介に参加していました。
1時間くらいの部活紹介が終わった後、よく理由は覚えていないですが、おそらく部室に戻るのが
面倒なので、私はバレーのユニフォームの長袖のシャツとブルマで文化祭を見て回りました。

 しばらく女子の友人2人と文化祭を見て回っていたのですが、そのうち1人が私に向かって、
「みい、ハミパンしてる。みっともないから、早くなおし」と言いました。
 それを聞くと、私は慌ててハミパンをなおしました。

 古い時代なので、ブルマ姿で歩き回るのは恥ずかしくなかったですが、一般の人が来てる中で
ハミパンして、しかも友人に大きな声でハミパンを指摘されたので、さすがに恥ずかしかったです。
部活紹介の時からハミパンしてはいなかったことを祈っているだけです。

今どきはハミパンするような状況は無いでしょうから懐かしい思い出ですね。
ブルマを履いているから平気な気もしますがショーツがはみ出ると目立っているのでしょうね。


美優さん(21)より 11/18

私が中学生時代の話です。私はバドミントン部の選抜合宿に行った時の思い出のお話をします。
1日目の練習は軽いランニングや基礎練習をしていました。服装も普通のハーフパンツでした。
1日目の練習が終わり、シャワーを浴びようと部屋に着替えを取りに行くと顧問の先生が「着替えならこっちで用意して
いるから」と言われたので浴衣があるのかなと思ってシャワーを浴びにいきました。シャワーを終えると各自のロッカー
に体操服の薄生地のシャツとハイレグブルマがありました。そこにあった一枚の手紙を見ると19時にその服を着て、必ず
上のシャツはブルマにしまうようにとだけ書いてありました。訳が分からず無我夢中でミーティング室に行くと、顧問の
先生が一体感を高めるために導入したとの事でした。確かに各学校の体操服は違うからそういう意味なのかと思いました
長文なので一旦失礼します。

一体感を高めるためなのはわかる気もしますが、ハイレグブルマにしたのは先生の趣味が影響している感じもしますね。
その後どんな展開になったのでしょうね?


みさとこさん(63)より 11/6

 私が住んでいた地域の学校は、比較的遅くまでいわゆるちょうちんブルマが採用されていました。中学2年生に上がる
時だったと思いますが、体操服が変更され、ちょうちんブルマではなく、紺色のブルマになりました。在校生は新しいブ
ルマを購入してもいいけれど、ちょうちんブルマをはき続けてもいいことになっていました。家に余裕があるわけではな
いので、私はちょうちんブルマをはき続けることにしました。

 中学2年生に上がってからの体育の授業では、最初の頃はブルマで授業を受けている女子は少なかったですが、徐々に
増えていく感じでした。私は、スタイルがいい女子からブルマを買っていたように思えたことと、ちょうちんブルマだと
どうしてもスタイルが悪く見えるので、何となくブルマがいいように思いました。また、ブルマだとたまにハミパンして
しまうこともありますが、そういう攻めたブルマをはいているのカッコいいように感じていました。もちろん、わざとハ
ミパンさせたり、ハミパンしているのを放置する女子はいなかったと思います。

 私は中学を卒業するまでちょうちんブルマをはき通しました。3年生の時に同じクラスだったA子も最後までちょうち
んブルマをはき通していました。私はA子にブルマを買わないのか聞いたのですが、A子はブルマは露出が多くてなんか恥
ずかしいというようなことを言っていました。

 高校の体操服はブルマでしたので、高校の3年間はブルマで体育の授業を受けることができました。私はちょうちんブ
ルマよりはいいと思いました。

ブルマからハーフパンツに移行する頃の話題は良くありますが、
ちょうちんブルマからブルマに移行する当時の投稿は珍しいですね。
今では知らない人も多いかもしれませんね。


りささん(34)より 11/5

また間が空いてしまいました。

少し話が戻ります。Aくんと付き合い始め,初めて結ばれて以降,本当に自分でも自分を抑えきれない時期がありました。
今考えてもあのときの感覚は忘れられません。

私にとっての初体験のとき(Aくんがどうだったのかは聞けなかったし,聞こうとも思いませんでした),
自分から誘ったことは前にも書きました。周りの様子を聞くと「彼氏から迫られて」というケースばかりでした。
その理由は「早く童貞を捨てたい」のか「彼女のことが好きでどうしても最初の男になりたい」のか,そんなところでした。

私の場合は…「Aくんは誘ってくれないのかな」と思いながら悶々としていました。そんなとき,「嫌いだった」ブルマー姿で
事故のようにAくんの前に出てしまうことになったのです。「こんなお尻と太もも丸出しの姿で嫌われたかも」と思ったのですが,
意外にも彼との距離が縮まり,結ばれたことも前に書きました。
それ以来,私の性欲が高まったときはブルマー姿で彼に「今日したい」というメッセージを送りました。もちろんセックスの最中も
大事な衣装?になりました。

初体験を済ませると,ますます私の性欲は強くなっていきました。
あるとき,いつもにようにブルマーで体育に授業を受けていました。バレーボールが偶然股間に当たってしまったのです。
私は倒れこんでしまいました。周りはお腹に当たったのだと思い,心配してくれましたが,実際にはずっと我慢していた
性欲が限界になってしまっていたのです。
トイレに行きましたが,もうパンツどころかブルマーまでびしょびしょになっていました。
自分を止められず,場所もわきまえず気づいたらオナニーをしていました。

それからというもの,私の身体はブルマーを穿いただけで反応するようになってしまいました。
敏感なところを刺激されていないのに,ブルマーを穿いたときから自分の身体が熱くなり,パンツはもちろん,
ブルマーまでびしょびしょになるくらい身体が反応してしまうようになりました。
当たり前ですがその時すぐに性欲が満たせるわけありません。苦しさに耐えながら体育や部活をやっていました。

学校が終わり,ようやく彼にブルマー姿でメッセージを送っても,いつもどちらかの家が空いているわけでもないし
(むしろ空いていない時の方が多かったです),コンドーム代だって安くありません。
だからすぐにセックスできるわけではありませんでした。

自分を抑えきれないで,ひとりでブルマー姿でオナニーしましたが,全く満足できませんでした。とても苦しかったです。
おかしくなりそうなくらい性欲が溜まってしまい,ようやく彼とセックスができる喜びは増しました。
彼のおちん○を咥えようとしたとき,彼はまだ勃起していないのに私はもうびしょ濡れでした。
自分の性欲に呆れるというか,落ち込んでしまいました。
それなのに何度してもまたもう一度と際限がありませんでした。
普通だったらこんな淫乱な彼女は見限られてしまいますよね(笑)。でも彼はとても優しく応じてくれました。

そして,セックスすればするほど,彼だけの自分になりたい気持ちが強くなりました。
本来恥ずかしいブルマー姿で通せたのも,それを穿くことで彼だけの私になったからでした。
そして,以前書いたSM雑誌のことが頭をよぎりました。縛られてみたい,鞭で叩かれてみたいという願望が出てきたのです。
でもそんなこと言えるわけはありません。そこで,私は少しずつ雰囲気を作っていったのです。
この行動力は今考えても呆れるほどです。「口だけで射精させたいから手を後ろで縛って」とか
「喉の奥まで挿れて(当然そんなプレイは当時の私は知りませんでした。欲求のままに行動しただけです)」とか言いました。

そして冗談で彼のお尻を軽く叩いてみました。そうすると彼も乗ってきたのです。
挿入されている最中に「お尻叩いて」と言ってみました。そうすると私の身体が反応した(締まった)のは彼も分かったみたいです。
それがきっかけで私の気持ちが通じました。そうやって,セックスを経験して1年もしない間に結構進んでしまいました。

随分と長くなったので続きはまた今度にします。

当時は自分でも持て余すほどのかなりの性欲だったのですね。
ブルマ姿ですぐに欲情しオナニーだけでは満足出来ない・・・。
本能で自然とSMプレイを求め経験していったのは凄いですね。
今後どんなM女として開花していきどんな経験をしてきたのか気になりますね。


さとみさん(??)より 10/12
 
 来年の大河ドラマは紫式部ですね。
わたしの同級生に「式部」というあだ名の子がいました。今すら30年以上前のお話です。

 式部は、@髪の毛が長いことA中学の時「〇〇子賞」(わたしの地元の作文/詩のコンクールの女子優勝者に贈られる賞。
地元出身の女流作家にちなんだもの、男子は別に「△△男」賞)を受賞し、国語の成績が良かったこと。Bかるた部に所
属していたこと。以上の理由で髪の毛が長く文学の才能がある女子ということで、紫式部にちなんで「式部」というあだ
名でした。

 その式部にはもう一つ特徴がありました。それは冬でもジャージのズボンをはかずずっとブルマだったということで
す。かるた部の練習もブルマ姿でした。本番は着物なのでまさに紫式部そのものでした。

 女子校なので男子に見せびらかすわけでもないと思うのですが、白い肌・白いシャツと黒い髪・黒いブルマはとても素
敵でした。式部と同じ小中の友達に聞いたら小中もずっとブルマだったそうです。

 どうしていつもブルマ姿なのか聞くことができないままあっという間に高校三年間は終わってしまいました。

素敵でブルマ姿も目立つ女性だったようですね。
なぜいつもブルマ姿だったのか今でも気になりますね。


ブルマーみさ子さん(36)より 10/11

パンパカパーン、なんとルカちゃん以外のルートから、ブルマーをゲットする事に成功したので、
mds様にご報告させて頂きます。

私の家には20年近く使っているT社製の洗濯機があるのですが、
ついに寿命をまっとうしまして、新しい他社製のに買い替えることになりました。

家電屋さんが来る当日の朝に、父と私で古い洗濯機を撤去すると、
なんと洗濯機の隙間から、父がブルマーを1枚発見しました。

父『おいみさ子。中学の時のブルマー出て来たぞ』
私『えっ!10年前の浮浪者事件の時に、お母さんに捨てられて現存してない筈やけど』
父『これはみさ子が同級生から貰ったブルマーと違うか?』

そうです。これは中学の同級生のレズビアンのカリナちゃんを、
A子軍団のリンチから守ってあげたお礼に貰った、
カリナちゃんの小学校時代の青いブルマーでした。

なんという偶然でしょう!
タイムカプセルからニュッと突然現れた青いブルマーに感動しました。

しかしすぐに家電屋さんが来たので、一旦青いブルマーを私の部屋のクローゼットにしまいました。

洗濯機の設置と回収が終わった昼頃に、履いてみようと思いましたが、
埃で汚れていた為手洗いして私の部屋で干してました。

乾くまで待っている間に、ゴムの状態を調べてみましたが伸びきっていて、
とても履ける状態ではなく、交換が必要とわかりました。

メーカーと型番をネットで調べてみると、
マツウラというメーカーの、600番という品種であるという事が分かりました。

私は近所の制服屋さんに、ブルマーのゴムの交換方法を聞きに行きました。
しかしどの店も、『今時ブルマーなんて扱ってない』と言われました。
仕方なくネットで調べて、手芸屋さんでゴムだけ購入しました。

そして乾くのを待たずに交換作業を行い、ついに履ける状態まで持っていきました。
しかしいざ履いてみると、足ぐりのゴムがキツくて入りません。
ゴムを緩めるとなんとか履けました。

ブルマーを履いて父に見せました。
父『今日一日、その格好で居てくれ』
と言われました。

こうして今年、五枚のブルマーをゲットしました。

洗濯機の隙間から昔のブルマーを発見したとは凄いですね。
貴女に履かれる時をブルマーはずっと待っていたような気がしますね。
貴女のブルマ姿を見たがるお父さんもなかなかですね。


ブルマーみさ子さん(36)より 10/11

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

今回は最近の新人ちゃんとのお話です。

新人ちゃんにヘンタイ扱いされて嫌われてから数日たったある日、
電車で帰宅中にトイレに行きたくなったので途中駅で降りました。

駅のトイレで偶然、新人ちゃんと会いました。

新人『ちょっと、何で私の最寄り駅まで付いてくるんですか?』
私『いやたまたまトイレ行きたくなって、この駅で降りただけよ』
新人『そんな事言って、私に付きまとわないで下さい。会社でも机の境界線より、私側に来ないで下さい』
私『スカートがストッキングの中に巻き込まれて、パンツが丸見えよ』
新人『どこ見てるんですか!やっぱり貴女ヘンタイですね。』
と言って新人ちゃんことルカちゃんは改札の外へ逃げて行きました。

しかし3分後に、悲鳴を上げながら改札内に戻ってきて、
ホームで次の電車を待っている私に泣きついてきました。
ルカ『先輩助けて下さい。酔った変な男にストッキング破られました』
どうやら駅の改札外の自由通路で痴漢にあったようです。
しかもその痴漢はルカちゃんを追って来て、すぐそこまで来てるようでした。

すぐにスカートを脱いで、下半身陸上ブルマー姿になり、戦闘態勢を整えました。
ルカちゃんは私を盾にするように、私の体の後ろに隠れてます。
しかしすぐに痴漢に見つかりました。
痴漢がルカちゃんの腕を掴もうとしますが、ブルマーキックを顎に当てると、すぐに改札の方へ逃げて行きました。

ルカ『先輩ありがとうございます。恐いんで家まで付いてきて下さい。後でブルマー三枚あげますから』
泣きながら懇願されたので、家まで送る事にしました。
定期券で途中出場して、途中のコンビニで破れたストッキングを履き替え、ルカちゃん宅まで10分ほど歩きました。
そして駅まで来た道を戻りました。

次の日からルカちゃんは、私の従順なしもべになりました。
そして後日、本当にNISHIの陸上ブルマーを三枚、会社に持ってきました。
ルカ『色々陸上ブルマー探したんですけど、楽天でこの前マリンブルーの色違いを見つけて注文しました。
痴漢から守って下さったお礼に受け取って下さい。』
こうしてレッド、ネイビー、ブラックの陸上ブルマー3枚を、新たにゲットする事に成功しました。

そんな痴漢が居るんですね。
ブルマ着用がここで役に立つと思ってもいなかったですね。
動きやすいとはいえ人前でブルマ姿になった貴女の勇気も凄いですね。
ひょんなことから新人の信頼も得てブルマーも手に入り良かったですね。


由美子さん(??)より 10/9

私の中学時代、女子の体操服は明るい紺色(花紺)のブルマで、男子は鉄紺のナイロン短パンでした。
でも私たち女子バスケ部は、男子と同じ短パンを穿いていました。
練習用の短パンが男子指定の体育用短パンと同じだったからです。

当時のバスケ部は、バスケが好きというよりは、どちらかというと少しませていて、反抗的なグループが集まるところ
でした。小学生の頃は男女共通のニット短パンでしたので、「どうして中学に入ると青いパンツ履かなくてはならない
のか」とか「制服着たくない」とか、そういう子が多く集まる部活動でした。髪の毛もベリーショートで中性的、ある
いはボーイッシュな子が多かったですが、私は背が低く、セミロングでした。しかし私は足が速く、特設陸上部も兼任
(私たちの市では、よほどの大規模校でない限り常設の陸上部が無く、他の部活で運動力の優れた子が大会前に特設陸
上部を組織していました。水泳部も同じです) 特設陸上部のユニフォームはえんじ色のブルマでした。

話がそれましたが、ナイロンの短パンは伸縮性がなく、太った男子はゆく股のところやサイドの切込みのところから裂
けてしまい、笑われたりしました。また、ブリーフは丸見えでした。そのため、男子と同じパンツをはいている私に気
を使って、あんなパンツ履いたら下着丸見えよ」と指摘する友達もいました。ブルマからのハミパンよりモロにはみ出
すので、短パンを穿くならブルマの方がましだという子さえいるほど裾が広かったです。小学校の短パンは柔らかい生
地(ブルマと同じ生地)でしたので、よほど痩せた子でない限りは男女ともハミパンすることはありませんでした。

 私は女子でしたのでウエストが細く、もともとの短パンのゴムだけでは落ちてしまうのでひもを通して履いていまし
た。そんなある日事件が起きました。私のお尻がいつの間にか大きくなり、走り幅跳びで着地した時、股間の縫い目の
ところから一気に破れて下着が丸出しになってしまったのです。私は生涯で一番恥ずかしい思いをしました。

 それからは私はブルマを穿くようになり、部活でも短パンの下にはブルマを穿くようになりました。
そして、私の事件がきっかけで、男子用のナイロン短パンは廃止され、材質が綿ポリ(色は同じ)に変更になり、女子バ
スケ部のパンツも丈の長いものに変更になりましたが、女子の体育用のブルマは変更されませんでした。別に私はブル
マが嫌いだったわけでなく、バスケ部に入ったため周囲に合わせていただけだったので、特にブルマが恥ずかしいとは
思いませんでしたが、トラウマから雨合羽などのナイロン製のものは避けるようになってしまいました。

当時の短パンは運動に使う割には生地が強度不足だったようですね。
まさか自分の短パンが人前で破れるとは思っていなかったでしょうから災難でしたね。


あずささん(50)より 10/02

私が中3に上がってすぐくらいのことです。中学校では夏の期間だけは体育の授業でのジャージの着用が認められませ
んでしたが、普段の授業では男女別ですので、授業ではいうほどブルマをみられてはいません。

ただ、掃除の時には、制服のスカートを脱いで下はブルマ姿になる必要がありました。男子に近い所でブルマ姿を見ら
れ、しかも、体操服みたいに制服の上着の裾は長くないので、裾でブルマを隠すこともできません。そのため、掃除の
時間がかなり恥ずかしかったです。

私たちの班が掃除当番でした。すべての授業が終わり、その後のホームルームが終わって、各自、机を後ろに運んだと
ころです。掃除当番以外の人は部活に行ったり、帰宅して、掃除当番だけが教室に残っているような状態になりました。

女子はこのタイミングで制服のスカートを脱いでブルマ姿になります。同じ班にMという女子がいました。Mはスカート
を脱いでブルマ姿になりましたが、ブルマのお尻の一方のパンツが大きくはみ出していました。Mはハミパンに気が付
いていないようで、そのまま掃除を始めていました。他の掃除当番の女子はハミパンチェックをしていたのと、男子も
チラッとMの方を見ていたので、掃除当番の人たちはMのハミパンに気が付いていたと思います。ただ、Mには親しい友
人がいないのと、ここでハミパンを指摘するのが恥ずかしいので、誰もMのハミパンを指摘しないでいました。

掃き掃除とかが進んだ頃に、Mは黒板の掃除を始めました。黒板の掃除をすると、掃除当番の他の子にお尻を向けるこ
とになるので、更にハミパンが目立ちます。この状態を放置できないと思ったのか、生徒会長をしていたKという男子
がMの方に行って、「Mさん、見えちゃってるよ」みたいなことを言ったので、Mが慌ててはみ出していたパンツをブル
マに押し込んでいました。それ以降、なんか話をしにくい感じだったので、男女ともに静かに掃除しました。さすが
に、ハミパンが雰囲気を悪くしたのを認識していたので、Mはハミパンチェックを頻繁にしていました。

掃除の時間は体育の授業みたいに激しく動かないから途中でハミパンする可能性は低いのですが、男子がすぐ近くにい
るので、制服のスカートを脱ぐ前にはきちんとハミパンチェックしてからでないといけないということを痛感した日で
した。男子にハミパンを指摘されたら、恥ずかしすぎて、しばらくその子とは顔を合わせられないと思います。

女子が誰もハミパンを指摘してあげない中、K君は声を掛ける勇気もあり優しい人でしたね。
このような事がきっかけで、ハミパンに注意をするようにもなるのでしょうね。


さやかさん(44)より 10/01

学年主任で国語や習字の先生だったO先生がとても厳しく、
O先生の授業だけは忘れ物に気をつけていたのですが...

中学1年生の冬休み明け、O先生の習字の授業で習字道具を
忘れてしまいました。
先生が「習字道具忘れたやつは出ろ」みたいなことを言っ
て、3人男の子が出ていきました。私は怒られるのがこわく
て出ていけませんでした。
先生は「道具忘れたら授業にならんやろ」と怒鳴りつけ、
ゲンコツしました。3人はそのまま廊下で正座させられまし
た。

その様子をみて、さらに怖くなってしまい余計に忘れたと
言えません。授業が始まり、当然習字道具を持ってきてい
ないことがばれてしまいます。「スカート脱いで前に来
い」と怒鳴られました。女子はスカートの下にブルマをは
くことになっていたので、スカートを脱ぐと上はセーラー
服、下はブルマになります。

前にいくと、「黒板に手をつけ」と言われ、ケツ竹刀を何
発かくらいました。クラス中にブルマのお尻を叩かれてい
る姿をさらし、恥ずかしい思いをしました。

廊下に正座するようにいわれたので、スカートをはこうと
すると、「何やってるんだ、スカートの中で足くずす気だ
ろ」と言いがかりをつけられました。ビンタされそのまま
廊下に引きずり出されました。男子3人の隣で手上げ正座す
るよう指示されました。

好きだった広瀬くんも習字道具を忘れて正座させられてい
ました。「手あげたままの正座辛くない?誰もみてないと
きは楽しなよ」と泣いている私を励ましてくれました。

2時間連続の授業だったので休み時間になっても正座させら
れたままで、ブルマで手上げ正座をしている姿を多くの人
に晒してしまいました。
男子3人が普通に正座している中、私だけがセーラー服にブ
ルマ、しかも手上げ正座させられ目立ってしまいます。
「女子なのに1人だけ手上げ正座させられてやんの」などと
いわれ、何人か男子からからかわれました。
休み時間も終わり、次の時間の終わりまで正座させられた
ままでした。

後で友達から「お尻叩かれるとき足震えてたよ」「お尻が
ピクッてなってて何か凄く痛そうだった」と言われまし
た。
広瀬くんにケツ竹刀されているのを見られなくてよかった
という気持ちと、もし見られていたらとも考えてしまい、
その日の夜、少しドキドキしていました。

恥ずかしい姿を気になる男子に見られなくて良かったですね。
気をつけていても道具を忘れてしまうこともあったのですね。


さやかさん(44)より 9/28

中学1年生の秋、2学期の中間考査が終わったあとのことで
す。国語の先生は私たちの学年主任のO先生で、学校でもと
ても厳しい先生でした。
点数が悪かった者には漢字の書き取りや、補習課題が課さ
れました。しかし、私はやらなくても、いつも通りせいぜ
い授業中に正座させられたり、立たされるくらいだと思っ
ていました。

さすがに前日になると怒られるのを想像してしまい、宿題
をやろうかとも思いましたが、「もう間に合わない」と言
い聞かせ、その日はすぐに寝ました。
翌日、朝礼で提出だったのですが、やってもいないので当
然提出できません。その日は少しビクビクしていました
が、結局何も言われることはありませんでした。怒られな
くてよかったとホッとしました。

が、次の日の終礼で「(課題を出さなかった人の名前)は
掃除の後、すぐO先生のところに行くように」と言われました。
掃除の時間は、上は制服(セーラー服)ですが、下は体育着
を着なければいけないためブルマでした。掃除が終わり着
替えずにO先生のところに行きました。集まっていたのは他
クラスも含めて8人で、男子6人、女子2人でした。

職員室前の廊下に正座させられ「何で宿題をやってこなか
った」などと1人ずつ怒鳴られました。そして、手を後ろに
組まされ、太ももをピシッと叩かれました。1発しか叩かれ
ませんでしたが、すんごく痛かったです。

その後、課題を出さなかった罰として職員室前の廊下に立
たされることになりました。一列に並ばされ、女子は両脇
で、セーラー服にブルマ姿で立たされました。両腕を前に
伸ばし、膝を曲げて空気椅子のような姿勢で立ちました。
恥ずかしいポーズで立たされている上に、ブルマと叩かれ
て赤くなった太ももは丸出しで、恥ずかしさと屈辱感で変
な気持ちになりました。隠すこともできず,恥ずかしい姿
を晒し続けました。視線が突き刺さりました。

通りすがりの男子からは「女子なのに恥ずかしいな」「太
もも赤っ、叩かれてやんの」などと言われ、ちゃんと宿題
をやればよかったと反省しました。

姿勢を崩すと、「○○(私の名字)〜、動くな、反省してな
いのか」と怒鳴られ余計に注目を集めてしまいました。

中々許されず、最終下校時刻すぎまで2時間半ほど立たされ
ました。

私は忘れ物や授業中にお喋りすることも多く、教室や廊下
に立たされたり、正座させられることはたまにありまし
た。しかし、遅刻指導以外でブルマで怒られたことはな
く、ブルマが恥ずかしいと思うようになりました。

今では許されない体罰でしょうが、するべき宿題をしなかったので良い罰にはなったかもしれませんね。
反省が促されたようで貴女にとっては良かったようですね。


さやかさん(44)より 9/27

私は小中高とブルマでした。
高校生になると、途中からはジャージの着用が認められた
ので、真夏以外はみんなジャージをはいてたと思います。
私はブルマを「どうしてもはきたい!」って思って、何だ
かんだ理由をつけてブルマをはいてました。
私も色んな意味でブルマには思い出があり、好きなのです
が、みなさんの告白を読んでいても、ブルマに想い入れが
ある人が多くビックリしました。

私は遅刻や忘れ物、校則違反などをよくしていて、ブルマ
で怒られることが多かったのです。高校での話の前に、中
学校での思い出を綴っていきたいと思います。

私の通っていた中学校は生活指導が厳しく、遅刻などには
ペナルティが科されました。
1限目が始まる前に朝読書や朝礼が行われるのですが、遅刻
すると生徒手帳に遅刻した時間を書かれ、校門を入ったと
ころで1限が始まるまで正座させられます。
放課後、体操服に着替え遅刻の分数ぶん校庭を走らされま
す。走り追えると、遅刻回数に応じてケツ竹刀をされます。

初めて遅刻したのは中1の6月頃だったと思います。放課後
になり体操服に着替え、校庭を走り終えました。ケツ竹刀
を受けるときに「すみませんでした、もう遅刻はしませ
ん」と叫ばなければいけなかったのですが、ブルマのお尻
を叩かれた痛みと、部活動をしている他の友達にみられる
恥ずかしさから中々大きな声を出せませんでした。何度か
やり直しになってしまいました。

一度遅刻の罰をうけて気が緩んだのか、遅刻回数も増え、
夏休み前には1年生の中では常習犯のようになっていまし
た。この時にはブルマのお尻を10回は叩かれていたと思い
ます。
放課後グラウンドではサッカー部が練習していたのです
が、同じクラスでサッカー部の当時好きだった広瀬くん(仮
名)という子がいました。その子がいると中々、大声で「す
みませんでした」と言えず、何回も何回もやり直しになっ
てしまいました。最後は泣きながら叫んでいました。

遅刻指導のあと泣きながら校舎に戻っていくとき、広瀬く
んが「あれ痛いよな、ケツやばそう、泣き叫んでたし」と
声をかけてきました。私は恥ずかしいけど、なぜか嬉しく
もなりました。

貴女のいた学校ではケツ竹刀の体罰が行われていたのですね。
気になる男子から癒される言葉を掛けられて嬉しかったことでしょうね。


ブルマーみさ子さん(36)より 9/27

今回は前回の続き、20歳の新人ちゃんがブルマーを持って来た時の話です。

新人ちゃんにブルマーを要求した次の日、残業を終えて帰る直前に、
Nishiのマリンブルーの陸上ブルマーを受け取りました。
試着したくなりましたが、ちょっと新人ちゃんをからかってみました。
パンツスーツを脱ぎ、わざと下着姿になり履こうとしていると。

新人『ちょっと先輩なにしてるんですか?』
私『下着の上から試着するのよ。』
新人『何でオフィスでパンツスーツ脱ぐんですか。誰か来たらどうするんですか?』
私『あら。今この会社には、私と貴女と警備員さんしかいないはずよ。』
そう話している間に、下着の上に陸上ブルマーを履きました。

私『サイズもちょうどだし、履き心地もいいわね。いい物をありがとうね。』
新人『下着がはみ出てますよ』
しかしそのまま、陸上ブルマーの上にパンツスーツを履いて、なかば強引に貰って帰りました。
新人ちゃんは唖然としています。

自宅に帰って、パンツスーツと中の陸上ブルマーをいったん脱ぎました。、
その後お風呂からあがると、その陸上ブルマーをノーパンで履いて、その上にパジャマを着て寝ました。

翌日はそのノーパンで履いた陸上ブルマーの下にパンストを。上にスカートを履いて出勤しました。
朝礼前に新人ちゃんとトイレで二人きりになったのですが、私を見て怪訝な顔をしています。


去ろうとする新人ちゃんの行く手をはばみ、自分でスカートを捲って、下に履いている陸上ブルマー
を見せました。
新人『何で会社に履いてきてるんですか?!しかも何でパンストを下に履いてるんですか?!』
私『この陸上ブルマーって、ノーパンで履けるように作られてるのね。』
新人『そうですよ。軽量化の為そうなってます。』
私『だから今日は下着履いてないの。スカートの中陸上ブルマーとパンストだけなの。直穿きパンストと陸上ブ
ルマーが私の下着替わりなのよ』
新人『先輩はヘンタイですか?!いやーもう私に近寄らないで下さい。』
新人ちゃんは走って逃げて行きました。どうやら嫌われてしまったみたいです(涙)

そうですか。ブルマー愛?の気持ちが新人の子には理解されなかったようですね。
なかば強引に貰ったブルマ―はなかなか履き心地が良さそうですね。


ブルマーみさ子さん(36)より 9/27

第四投目です。

浮浪者の事件で保有しているブルマーを全て失ったのですが、
ひょんなことから、一枚だけ新たに入手する事になりました。

私の会社に20歳の後輩が入ってきたのですが、
その子がかつて陸上をやっていたそうです。
昼休みにその話を聞きました。

私『陸上の練習と試合の時は、どんなユニフォームだったの?』
新人『あっ両方とも陸上ブルマー履いてました。』
それを聞いた瞬間、思わず興奮してしました。

私『なあ、その陸上ブルマー頂戴よ』
新人『いや、さすがにそれはちょっと』と嫌そうな顔をして席を立ちました。
しかしその子が後日、電車内で痴漢にあっているのを空手技で助けてあげました。

私『なあアンタの陸上ブルマーまだあるの?ノーパンで履いてた?』
新人『まだ家にありますよ。ノーパンで履いた事はありません。必ずベージュのパンツ履いてました。』
私『じゃあ一回持ってきて見せて。』
新人『えー、でもー』
私『この前痴漢にあった時、空手技で助けてあげたでしょ。今度から助けてあげないわよ!』
新人『わかりました持ってきますけど、何に使うのですか?
私『空手の道着の下に履くの』

オナニーに使うとは流石に言えず、とっさに思いついた理由ですが、
新人ちゃんの質問にうまく切り返す事が出来ました。

後日持って来た陸上ブルマーを見て、驚愕しました。
私が現役時代履いていたブルマーより生地が薄く、しかもノーパンで履ける様に水着と同様の裏地が付いています。
そしてそのブルマーには『NISHI』とロゴが入っています。(ニシと読むそうです)

私『えらく生地薄いわね。』
新人『軽量化と空気抵抗低減の為ですよ』
私『この水着の裏布みたいなのは何?』
新人『ノーパンで着用する人もいるからです。』

そして私はそのブルマーを履いて、何回かオナニーしました。
それについては、「おなにーの告白」に載せます。

ここでも空手技が生きましたね。
最近のブルマ―は進化しているようですね。
ブルマーでの楽しみが戻ってきましたね。


ブルマーみさ子さん(36)より 9/27

さて第三投目は現在の事です。

私も現在はブルマーを一枚しか保有していません。
10年くらい前まで、小中高のブルマーを大事に保有していたのですが、
母に捨てられそうになった為、祖母の旧宅の押し入れに移して保管していました。

しかし祖母の旧宅に浮浪者が入り込んでいるのを、近所の人が父に教えてくれました。
そして浮浪者の行動を見張り、浮浪者が昼頃になると外出する事を突き止めました。
浮浪者が出かけた隙に、父が手配した土建屋さんが来て祖母宅を解体する事になりました。
しかし祖母宅にある私のブルマーを非難させる為、少しの間土建屋さんに作業開始を待って貰い、
ブルマーの搬出に成功しました。

しかし保有しているブルマーのうち、グリンズ、ファッショナー、スクールユニの各濃紺ブルマーのうち、
数枚がありません。
探したのですが土建屋さんが、作業を始めないと浮浪者戻ってくると言い出したので、仕方なくあきらめました。

解体し始めて2時間後に浮浪者が戻ってきたのですが、解体されている祖母宅を見てどこかに消えていきました。
私のブルマーは解体後、何故か風呂跡から土建屋さんに発見されました。

私の想像ですが浮浪者が下着替わりに履いていたのだと思います。
それを知った母は、『アンタの他のブルマーも、浮浪者が履いたに違いない。』として、
捨てられてしまいました。

空き家だとわかると勝手に人の家に上がり込む人物も居るのですね。
せっかく大切にしてきたブルマーなのに処分されることになり残念でしたね。


ブルマーみさ子さん(36)より 9/27

第二投目です。

女子空手部に入部した千賀子から、リンチされた理由を聞くと、
『もうこんな事やめようと』言い出したところリンチされたそうです。
どうやら千賀子は他の三人と違い、まだ頭が真っ当なようです。

さて千賀子は休み時間になると、隣のクラスから私の居るクラスに避難してきます。
もちろん理由はA子軍団の報復を恐れてです。
千賀子の訪問を私は全力で歓迎します。

何故なら私と同じ下半身ブルマー一丁だからです。
そして放課後女子空手部室に移動して、空手の練習をするのですが元A子軍団だけあって、
パンチのキレが結構いいです。
千賀子も女子空手部の部活の時は、上半身は道着で下半身はブルマーです。

練習が終わって、私と千賀子は道着を脱ぎ、セーラー服の上だけ着て下半身ブルマーのまま帰ろうとした時、
千賀子の派手な下着が気になるカリナちゃんが、千賀子のブルマーを脱がしました。
すると千賀子のケツと陰毛が見えました。
一瞬ノーパンでブルマーを履いているのかと、流石に私たち三人もビックリし唖然としました。

千賀子『あ、ちょっと待って。あたしちゃんとパンツ履いてるよ。ブルマーに縫い付けてあるのよ』と言って、
自分の履いていたブルマーを指さしました。
すると確かにブルマーの足ぐりと、派手なパンツの足ぐりをブルマーと同じ色の糸で縫い付けている様でした。
元A子軍団の不良だと思っていた千賀子ですが、意外と裁縫の才能があった事に驚きました。

ブルマに下着を縫い付けてあるパターンは初めて聞きました。
千賀子はなかなかのアイデアを持っていますね。
元は敵対していたかもしれませんが、いい人が空手部のメンバーになりましたね。


ブルマーみさ子さん(36)より 9/27

おはようございます。ブルマーみさ子です。
今日も連続投稿に挑戦したいと思います。長くなりますが最後までお読み下さい。

まず第一投目は中学の時のA子軍団との抗争の話です。

ある日の昼休み、下半身ブルマー姿で毎度の校舎裏パトロールに行くと、
A子軍団がまた誰かをリンチしています。
よく見ると、リンチされているのはC子でした。

私『お前ら仲間でもリンチするんか?』
A子『うるさいブルマ女、お前に関係ないやろ。』
B子『C子の後はみさ子をリンチしたろか』

しかしC子こと千賀子は私とA子達が話している一瞬の隙に、
A子達の包囲を抜け出し、泣きながら私の腰に抱き付いてきました。
千賀子『お願い、た、助けて』

よく見ると制服には蹴られた跡が付いていて、口と鼻から出血し足には痣が沢山出来ています。
千賀子がブルマーの上から腰に抱き付いて、私のブルマーの股間に顔をうずめ、顎が私のクリリンに当たって、さらに
ブルマーの上からお尻を掴んできます。

その瞬間、何故か下半身が熱くなってきました。

私『わかった。助けてあげるから、お姉さんの腰から手を放してね』
A子達を撃退したら、もう一回腰に抱き付きて貰おうと考えると急に戦う気が湧いてきました。
しかし誰かを守りながら戦うのは不利になるので、千賀子に空手部室に避難するよう言いました。
千賀子は走って逃げて行きますが、A子達が追いかけます。

しかしA子達の前に私が立ちふさがると、A子達は襲い掛かってきました。
しかし一人いないのでいくら腕力を鍛えているA子達でも、数発殴られはしましたが空手技であっさり撃退しました。
空手部室に行ってみると、入り口で千賀子とカリナちゃん、RSちゃんが揉めています。
どうやら今まで敵であった千賀子が急に来たので、追い返そうとしているようです。
私が来て事情を話すと、ようやく千賀子を部室に入れてくれました。

千賀子『もうあいつらの元には戻れないし、報復恐いから女子空手部に入れて欲しい』
カリナ『別にいいよ。その代わり、パンツ見せてな』と言いながら、千賀子のスカートを捲りました。
千賀子『きゃー、ちょっと何すんの!』
千賀子はスカートの下にブルマーを履いておらず、派手なパンツが見えましてドキッとしました。

RSちゃんはちょっと難色を示してます。
RS『そうやね。私達に敵意が無いということを証明したら、入部認めるよ』
千賀子『分かった。みさ子ちゃん私のカバンからブルマー持ってきて』と言いました。
私が千賀子のカバンからブルマーを取り出し持っていくと、
千賀子はスカートを脱いでブルマーを履き、私と同じ下半身ブルマーだけのスタイルになりました。

千賀子『これならみさ子ちゃんと一緒でしょ』
RSちゃんは千賀子の入部を認めました。
こうして部員が一人増えました。

その日の放課後の女子空手部の練習前に、千賀子と二人だけになる時間が出来ましたので、
私の腰に抱き付くように頼みました。

千賀子は全力で私のブルマーの上から腰に抱き付き、ブルマーの上からお尻を掴み、
ブルマーの股布の上から股間に顔をうずめてきました。

10分くらいその体制のままでいると、下半身がアツくなってきて、ブルマーの中のパンツが濡れてきました。

まさかの腰に抱き付かれて気持ち良くなり、そのことで戦う気になるとは。
なかなかグループ間のいざこざが絶えませんね。
仲間が一人増えたのは良いけれど、その子も守ってあげないといけないだろうから大変になりましたね。


ありささん(38)より 9/22

体育科なので早朝から夜まで体育漬けの一日でした。
陸上関係はもちろん、水泳・武道から性教育までありました。
授業は男女混合で1クラス20人の少人数で、武道は男女ペアを組んで行います。
水泳・柔道・剣道など年中毎日あって、夏の柔道や剣道の授業は地獄です。
夏の柔道場や剣道場は窓を締め切って、サウナみたいな環境です。

柔道着や剣道着の下は、大切なところが見えないよう男女とも水着を着用するのが規則でした。
男女ペアですが、体力差があるので女子はキツいです。
勿論、女子だから甘やかされず厳しい体罰が待っています。
指導員による平手打ちや竹刀で叩かれたり何でもありました。

そんな厳しい環境で鍛えるからこそ、試合などの時は実力が発揮できるのかもしれませんね。
だけど今の時代からは考えられない指導方法でしたね。


えりんぎさん(50)より 9/12

 私が中1、妹が小4の時の夏休みでのことです。理由は忘れましたが、その年は、家族で普段行かない親戚の家に行き
ました。その親戚の家の比較的近くに海があるので、海に行きました。水着は持って行っていませんでしたが、私と妹
は服を脱いで海に少し入ることにしました。

 私と妹はおそろいのワンピースを着ていました。私はワンピースを着たまま、下にはいているブルマを脱いで、ワンピ
ースを脱いでパンツ1枚になりました。昭和ということもあるし、発育が遅く胸が成長していなかったので、知らない人
に胸を見られることには抵抗がありませんでした。一方、妹ですが、ワンピースを脱いで、ブルマ姿になっていました。
その時、私はブルマまで脱ぐ必要なかったなと思いましたが、しばらく海に浸かるか浸からないかというくらいの所で妹
と遊んでいました。

 田舎ということもありあまり人は多くなかったですが、それでも同じくらいの年齢の男子や女子もいました。小学低学
年だと思われる女子でパンツ1枚で遊んでいる子はいたのですが、高学年くらいでパンツ1枚で遊んでいる女子がいなか
ったのもあり、10分くらいするとパンツ1枚で遊んでいるのが恥ずかしいと思うようになりました。それで、私は、ブ
ルマをはいてから遊びました。10分くらいとはいえ、恥ずかしい思いをしました。

今となっては懐かしい思い出ですね。
子供の頃だからこそ経験出来た事は、恥ずかしい事でも大切な経験ですよね。


ブルマーみさ子さん(36)より 8/23

連投すいません、みさ子です。

私がブルマーに目覚めた理由を、一部しか投稿していなかったので投稿致します。
最後までお読みください。

実は私が生まれた時、父はあまり喜んでいなかったそうです。
何故ならバブル時代に投資で大損こいて、家計が苦しい時に私が生まれたからです。
また両親の家族計画にも私は入っていなかったのです。

祖母が臨終の間際にこっそり教えてくれたのですが、
たまたま父が酔っ払って帰ってきて、母と一発ヤッタら出来た子らしいです。

ですから幼少期、父は私に冷たかったのですが、小学校に入ってブルマーを履くと父は態度が変わりました。
それまで私だけ、兄に比べると貰えるお菓子の量が少なかったのですが、
ブルマーを履いている時だけは同じ量貰えました。
それから毎日ブルマーを着用する様になりました。

学校の休みの土日祝、春休み、夏休み、冬休み、GW、お盆、お正月も履いてました。
体育の有る時はもちろん、無い日も学校に履いて行ってました。
登校するときも、スカートを通学路途中で脱いで、下半身ブルマー姿で登校してました。

お小遣いの交渉の時、ブルマーを履いて交渉に臨むと大体いい結果を得る事が出来ました。
兄に『お前、それ履いてる時だけオヤジ優しくなるよな。うらやましい』と言われ、
兄に勝った気がしました。

まさかのお父さんがブルマー好きだから、貴女がブルマ―に目覚めたとは。
少しでも親に可愛がられたいですからね。


ブルマーみさ子さん(36)より 8/23

ご無沙汰しております。
今回もまた中学時代の話になります。最後までお付き合いください。

中2のある日、クラスで席替えがあって、私の席は廊下の真横になりました。
廊下と教室の間には壁と柱があるのですが、柱にそって謎のステンレス製パイプが通っているのです。
このパイプに股間を擦り付けたら、気持ちよくなると思いましたので、
数日後の体育の授業の前に実行してみました。

その日はまずノーパンでブルマーを履いていきました。

体育の授業は2クラス合同で行うのですが、うちのクラスの教室で女子が着替え、
男子は隣のクラスの教室で着替えました。

全ての女子が着替え、教室を出て行った後、こっそりと教室に戻り、
パイプに股間を擦り付けました。

案の定メッチャ気持ちいいのです。

しかしもう少しでイキそうな時に、ガラッと誰かが教室に入ってきました。
そして目が合いました。
なんとその子は、バレー部のKMちゃんでした。

マズイ、えらいところを見られたと慌てても後の祭り、
KMちゃんは唖然として、こちらを見ています。

KM『なあみさ子ちゃん、今オナニーしてなかった?ブルマーの股間部染み出来てるよ。』
私『きゃあー、そんなトコ見ないでよ。』
KM『みさ子ちゃんもオナニーするんだね、でもこんなにビチャビチャになるとパンツもビチャビチャなのかな?』
私『そんな事聞かないで』
KM『答えないと、クラス全員にバラしちゃおうかな』
私『わかった。言うから黙っといて。ノーパンでブルマー履いてます』
KM『えー!ノーパンでブルマ履いてるの?凄いな。ちょっと見せてね』

と言いながら、私のブルマーの中に手を入れて来たのです。

KM『わー。ホントにノーパンだ!でもこのまま体育の授業に出ると、
オナニーしてたのバレるから、体操服もブルマーも水で濡らしてゴマかそう。』
と言われ、教室の隅にあった花瓶の水を体操服とブルマーに掛けて、
花瓶を倒してしまったという事にして、なんとかゴマかしました。

KMちゃんは幸いにも、卒業までこの事を黙っててくれましたが、
もしA子軍団に目撃されてたらと思うと、ゾッとします。

まさかの角オナニー姿を目撃されるとは、気持ち良くて油断してしまいましたね。
だけど目撃されたのが秘密を守ってくれる子で良かったですね。


きょうこさん(39)より 8/23

高校に入学してすぐに宿泊研修がありました。少し山奥に
ある少年自然の家という大きな施設で1泊2日の日程です。

その日は制服で行き、ジャージの体操服に着替えてオリエ
ンテーリングや焼き板製作などの一日の行程を終え、夕方
には各部屋で休息を取ってました。

その施設では17時になると夕礼と言って当日の団体宿泊者
が掲揚台広場に一同に集まって各団体の紹介と施設長から
の訓示、最後に体操を行います。その後、17時前になった
ので掲揚台広場に行ったのですが、教師から「夕礼は半袖
体操服と短パン・ブルマで参加ってしおりに書いてあった
だろう、ダメだ脱ぎなさい」と言われ。。。

その日の団体は短パンの小学生と工業系の専門学生がジャ
ージ姿で集まってたのですが、彼らを横目に一斉にジャー
ジを脱いで赤のブルマ姿になりました。まだ入学直後です
し、数回行った普段の体育はジャージでしたからウチの学
校の男子もまだ女子のブルマは見たことが無い時期でした。

「赤のブルマは初めて見た」と言われ、工業系の専門学生
からは「すごいね、目の保養になる」とかの声が漏れてき
ていて、かなり恥ずかしかったです。。。小学生でも短パ
ン穿いてるのに高校生の私達がなぜブルマ?という思いも
感じました。少し恥ずかしい珍しい場所での高校ブルマデ
ビューの思い出です。

他校の生徒と一緒の研修の中で、貴女の学校だけの決まり事だったようですね。
1校だけブルマ姿、しかも珍しい赤色とは目立ち過ぎですね。


きのこさん(50)より 8/23

前回の続きです。
普段の体育の授業とかで優子のハミパンを見つけたら、優子にハミパンを指摘していました。
もちろん、指摘された優子はハミパンをなおしていました。

 この日、わたしが優子にハミパンを指摘しなかったのは、2人で歩いている時に、優子がハミパンしていたら、
優子により注目が集まって、わたしへの視線はいい感じに減るかなとか考えていたからです。

 今考えてみると、この日、優子がハミパンに気が付かないままだったのは謎です。
2人しかブルマ姿の女子はいなかったので何となく気になるわけですし、そうなればハミパンしているか
いないかなんて気になって当たり前だとは思います。
もしかしたら、わたしより目立ちたかったのかもしれません。

微妙な女性同士の気持ちだったのかな。
貴女はさほど目立たなくても良いと思っていても、彼女は注目されて少し優位になりたかったのでしょうか。


きのこさん(50)より 8/17

 中学2年の臨海学校でのことです。臨海学校の少し前に、1年の時に同じクラスでそれ以降、親しい友人になってい
た優子からある話を持ち掛けられました。その話は、臨海学校にブルマと半袖体操服で行こうということでした。臨海
学校は体操服で参加することになっていましたが、夏とはいえ、当然、下にはジャージのズボンをはくはずでした。学
校外でまでブルマで歩くことになるので、わたしは嫌ということで抵抗したのですが、優子の押しに負けてしまいました。

 優子がなぜブルマにこだわったかですが、優子はスタイルに自信があったというのがあります。わたしも顔には自信
はありませんでしたが、スタイルには自信があったので、全員でブルマ姿という時は少しうれしかったです。

 臨海学校当日のことです。自宅を出る時にジャージのズボンをはかないと親に怪しまれるので、自宅を出る時にはブ
ルマの上にはジャージのズボンをはいていました。自宅を出て少し人が少ない所で、ジャージのズボンを脱いでブルマ
姿になりました。ハミパンしてたら恥ずかしいので、自宅でブルマをはく際にできるだけパンツを食い込ませていまし
たが、ジャージのズボンを脱いだ際にもハミパンしていないのかきちんとチェックしました。学校まで行く途中で前に
ブルマ姿の女子が歩いているのを目撃しました。優子以外の女子がブルマ姿でいるはずがないので、当然、優子でした。
最初は、優子のうしろ姿を見ることになりますが、優子が歩くたびに、ブルマのお尻の一方の裾から白いパンツが
見えたり隠れたりという状態になっていました。

 その後、優子に話しかけ、2人で一緒に学校に向かいました。途中で、優子の運動靴の紐が緩んだので、優子は道の
端に座って靴紐を結び直していました。座っている時には、思いっきりハミパンしていましたが、優子はそれには気が
付いていませんでした。靴ひもを結び終えて優子は立ち上がりますが、それ以降は、優子はハミパンしっぱなしでし
た。臨海学校で見かけた際にも、優子はハミパンしていました。2人だけブルマ姿で罰ゲームみたいな状態なので、ハ
ミパンはしないように細心の注意を払いました。

 ただ、スタイルがいいのを暗に自慢できますし、ブルマだったので、夏の海に気楽に足をつけることができたのが良
かったです。他の女子は海に足をつける時も、ジャージのズボンの裾を折るだけでした。さすがに海に入る時くらいジ
ャージのズボンを脱いだらいいともうのですが、やっぱり外でブルマ姿になるのは抵抗あるみたいですね。

勇気を出してブルマ姿で海に行って良かったですね。
ハミパンは教えてあげなかったのでしょうか。
教えてもいちいち気にしない子だったのでしょうか。


ももちゃさん(49)より 7/22

中3の体育祭でのことです。私たちが自分たちの出番を待つために、入場門で並んで座っていた時のことです。同じク
ラスに少し大人びた美人のSさんという子がいて、Sさんが私の付近で座っていました。ふと、Sさんの方に視線を向けた
のですが、Sさんのブルマから濃い黄色のパンツがはみ出していました。白やら薄いピンクのパンツをはいている子が多
かったので、Sさんてやっぱり見た目通り大人っぽいと思いました。Sさんのハミパンに気が付いた際に、自分もハミパン
していたら恥ずかしいので、自分もハミパンしていないことはチェックしました。並んで座っている中には男子もいるの
で、Sさんにハミパンを教えることは恥ずかしくてできませんでした。

 同じクラスにTさんという不良女子も近くに座っていました。競技に出る時はジャージ着用が認められていませんでし
たが、Tさんはジャージをはいて並んで座っていました。TさんもSさんがハミパンしているのに気が付いたのだと思いま
すが、男子もいる中で大きな声で、「S、きいぱんや。S、きいぱんや」と言っていました。それを聞いた、周りにいた男
子はSさんの方を見たような気がします。Sさんは何も言わずに恥ずかしそうにハミパンをなおしていました。

 Sさんは美人で大人っぽく少し妬みもありましたので、Tさんナイスとも思ったりもしましたが、近くに男子がいる中、
パンツの色まで指摘されたら、恥ずかしくてしばらく男子と顔を合わせられなくなりそうだと思いました。

自分の代わりにTさんが妬む心を晴らしてくれた感じですね。
男子に好かれそうな美人の子への対応はどこの学校でも似たようなものだったのでしょうね。


ありささん(38)より 7/22

初めて告白します。
私は勉強も出来なくて唯一体力だけはあったので
高校は県内でも最低レベルの学校の体育科に入学しました。
寮生活で朝から夜まで体育漬けでした。
女子の体操着はマリンブルーのハイレグブルマで
指定のTバックのアンダーショーツを下に穿く決まりでした。
アンダーショーツもマリンブルーで、ホント紐みたいな感じです。
ちなみにブルマの色は海の真ん前に学校があるからマリンブルーです。
学校生活についてはまた告白します。

学校の立地でブルマの色が決まる事ってあるのですね。
ブルマにまつわる寮生活や学校生活で色々な思い出が詰まっているのでしょうね。
性に関連する告白お待ちしますね。


朋香さん(34)より 5/24

>後輩達がその当時どんなに思っていたかは卒業後のOB会などで聞けたのでしょうか。

三軍降格後二週間ほどして前期の夏合宿があったのですが、フリータイムの時に後輩たちが本音を漏らしました。

確かに最初は私の指導員になることはかなり抵抗があったようです。
しかし降格後一週間ほどして、海の日の三連休に地区の大会があり、一軍の試合の応援でブルマ姿を晒すことになりま
した。試合の応援も練習時間と見做されるので、三軍部員の私は練習着のブルマ着用となりました。
試合に出る一軍部員のように会場で着替えを認められず、自宅から集合場所、集合場所から会場へと、往復の電車やバ
スの中でも不特定多数のひとたちにブルマ姿を晒すことになりました。
会場では対戦相手やその他の出場チームのメンバーにもブルマ姿を晒して驚かれました。
中には中学、高校の先輩、同級生、後輩もいて恥を晒すことになりました。
そうでなくても、中学、高校時代からの顔見知りの選手も多く、大会の三日間は体中から血が噴き出るような恥ずかし
さで一杯でした。

それでも部活を続ける私に、後輩たちも自然に遠慮がなくなっていったようです。
一軍復帰を目指してあらゆる屈辱や恥辱に必死に歯を食いしばって耐えて頑張ろうとする私の姿をマゾっ気たっぷりに
感じたそうです。

「万年二軍の先輩が三軍に落ちたのなら気の毒に思うけど、昨日まで一軍で活躍していた先輩を後輩扱いしてしごくの
は遠慮がいらないし」
「知らず知らずのうちにサディスティックな感情をそそられるわよね」
「青山先輩美人だし」
「美人の青山先輩が必死に屈辱に耐える表情、物凄くそそられるわ」

後輩達もやはり最初は貴女の扱いに躊躇していたのですね。
見た目からも降格させられたことがすぐにわかるのも辛く、一軍と三軍とのギャップは大き過ぎますね。
後輩達の気持ちがその後Sぽい感情に変わっていくのも頷けますね。


朋香さん(34)より 5/20

 とりあえず、練習開始前の挨拶から。
「指導員の『先輩』の皆様、おはようございます。
 三軍、三年生、青山さつき(仮名)です。
 今日から三軍で一から出直すことになりました。
 どうか厳しいご指導、教育、しつけ、そして容赦ないシゴキをお願いいたします。
 昨日まで一軍部員であったプライド、先輩、上級生のプライド、
 それどころか大学生のプライドすら捨てて頑張りますので、よろしくお願いいたします。
 皆様も私のことを遠慮なく三軍部員として扱っていただき、
 後輩、下級生扱い、それどころか高校生以下の扱いをしていただき、
 元一軍部員のプライド、先輩、上級生のプライド、大学生としてのプライドすらズタズタになって地に落ちるまで、
 遠慮なくしごいていただきたいと思います」

 四年生の幹部から指示を受け、予め内容は決められているとはいえ、屈辱的な挨拶です。
 三軍の練習は一二軍よりも一時間早いのですが、初日ということもあって、一二年生の一軍部員全員、つまり指導員
 全員に加えて、四年生、三年生も二三名ずつ監視に訪れていました。

 私の挨拶に対して、指導員の総責任者のA先輩からは、
「三軍に降格しても退部せずに三軍で頑張るのですね。
 では、青山さんの言葉通り、遠慮なく後輩扱い、下級生扱い、高校生以下の扱いをしますからね。
 プライドというプライドが全部なくなってしまうようなシゴキを、と四年生の先輩たちから厳命されているので、
 覚悟をしておいてくださいね。
 今後は、部員全員を『先輩』と呼び、敬語を使うことを忘れないように。
 逆に、今後は青山さんのことを、『青山』、『さつき』、『ブルマ』などと呼び捨てにしますからね」
と言われました。
 ちなみに、A先輩はもちろん一年生の後輩で、しかも同じ高校の二年後輩です。
 わざわざ総責任者にしたのも、同じ高校の後輩だからです。
 もっともA先輩とは高校時代に一年しか接触がないのに対して、
 むしろ高等部から内部進学した後輩たちの方が去年、一昨年と合同練習や合同合宿での接触があり、
 顔見知りになっていたので、もっと屈辱的でしたが。。。

「本当にプライド捨てて頑張れるのかなあ」
「後輩にしごかれるのはかなり屈辱的だと思うけど」
と四年生の先輩たち。
「じゃあ、プライドを捨てて頑張る証として、練習後に先輩のアンダーショーツを是非洗わせてください、
 とAにお願いしなよ」
「Aだけじゃなく、指導してくれた『先輩』全員のアンダーの洗濯だね」
「それも心を込めて手洗いだね」
などと好き勝手を言われ、絶句する私。

三軍を経験された方ならではのリアルな内容ですね。
これまでのプライドなど全て捨て去るように挨拶をさせられるのですね。
こんな挨拶やしごきで少しずつ、その立場が当たり前になるように洗脳されていくのでしょうか。
こんな仕打ちを受けて本当に実力が付いて以前の立場に戻れることもあるのでしょうか?


朋香さん(34)より 5/9

羞恥と屈辱の根源は、三軍降格と三軍制度にあるのですが、実態的にはやはり練習着のスクールブルマが決定的ですね。
夏場でも太腿丸出しでスースーする感覚があって、同じスクールブルマでも、部活用だったのか、かなりハイカットで
露出感が半端ではなかったです。

何よりも小学生でさえブルマを穿かなくなった時代に大学三年生にもなってブルマを穿かされているという屈辱感は
半端ではなかったです。
否が応でも三軍に落ちた自分の今の身分を自覚させられ、後輩たちと大逆転した今の自分立場を自覚させられ、
後輩たちを『先輩』と呼び、「厳しいご指導、教育、しつけ、そして容赦ないシゴキをお願いいたします」
と屈辱的な挨拶が口からスラスラ出るような自覚を叩き込まれたような気がしました。

後輩たちの方でも、つい最近まで一軍部員であり指導、教育を受けていた私が、逆に指導、教育、シゴキを受ける後輩の
立場となり、本来なら大いに躊躇するところを、小学生も穿かないスクールブルマ姿を晒して私に挨拶されると、
ビジュアル的にも自分たちが『先輩』で、私が『後輩』となった立場の逆転を自覚できたそうです。

後輩たちに言わせると、決定的、致命的なのは体操服の前後につけられたゼッケンで、
「○○大学 ○○部 三軍 三年生 青山さつき(仮名)」と書かれていて、
「私は大学三年生にもなって二軍より下の三軍部員です。
練習着も小学生でさえ穿かないような元高等部のスクールブルマです」と告白しているようなものです。
「一年生の二軍部員以下の身分、高校生以下の身分を部の内外にはっきり示すため、練習着はブルマを穿いています」
ということも部外の事情を知らないひとにも容易に想像がついてしまいます。

これだけ屈辱的な扱いを受けるとわかっていても、退部せずに三軍で頑張ろうとする私、
羞恥と屈辱に必死に耐えて、屈辱的な練習前の挨拶をする私、
後輩たちから下級生、後輩扱いされて、シゴキを受け、歯を食いしばって必死に練習メニューをこなそうとする私。

後輩たちは、私に対して、憐み、蔑み、侮り、あらゆる見下した感情と共に優越感を感じてしまったそうです。

昔の身分制度のような三軍制度ですね。
自分達より下の身分があることで、士気を上げようとしていたのでしょうね。
後輩達がその当時どんなに思っていたかは卒業後のOB会などで聞けたのでしょうか。


朋香さん(34)より 5/6

三軍に降格すると、二軍とは違い、上級生下級生の上下関係、先輩後輩の上下関係は否定される、ということは申し上
げたかと思います。例え四年生でも三軍に落ちると、一年生の二軍部員よりも下の身分、さらに一年生の二軍部員より
も下級生扱い、後輩扱いされます。要するに高校生以下の身分ということですね。

でも、もっと言えば、奴隷扱い、モノ扱いですね。
自分の体を『先輩』『上級生』に好きに扱われるということですね。

でも、屈辱感、羞恥が快感に変わるとは思いもしませんでした。
もちろん、練習中はメニューをこなすのが精一杯なのと体力的に苦しいので快感を感じる余裕はないです。
でも、練習後は終わってほっとして気が緩んでいるので、体の方が勝手に反応してしまいます。
何よりも後輩、下級生に好き勝手に大事なところを弄られ、ついには感じてしまうという大失態を犯すことが屈辱的と
いうか。。。

降格式で失態を演じた翌日、三軍としての第一日目の練習が始まりました。
練習前に大事なところが綺麗になっているかチェックです。
この仕事は二軍の一年生の仕事です。
これで私の気合はそがれ、否応なく三軍のどん底に突き落とされます。

チェックは時間的にはほんの5〜6分のことですが、
私の気持ちのうえではようやく練習が始まるという感覚です。

そして、スクールブルマに体操服という姿で後輩たちの前に立つと、
それだけで顔から火が出るほど恥ずかしく屈辱的です。
さらに、屈辱的な三軍の挨拶をしなければなりません。
「指導員の先輩のみなさま、おはようございます」
と一年生の後輩を『先輩』と呼ばなければなりません。
これも顔から火が出るほど恥ずかしいです。

カレのリクエストで、当時を再現して見せると、顔が火照るだけではなく、体全体が熱くなり、下半身の奥の方から熱
くなってきます。
今は完全にM性に目覚めていますね(笑)。

練習に関連するならまだしも、性的なことでモノ扱いされていたのは屈辱ですね。
そのおかげで?M性に目覚めることもあるのですね。
彼と昔を思い出してプレイを楽しまれているのですね。


朋香さん(34)より 4/17

正直、退部を申し出るタイミングを逸したというほうがあたっていますね。
三軍降格後半月位の短期間に屈辱的な出来事が次々とあって、まだ三軍の身分に慣れていない時期だったので、呆然と
受け入れてしまったというのが実態ですね。
いくらなんでも夏休みの練習期間の途中で半月や一か月で辞める気など起こりもしなかったですし。

夏休み最後の日の練習後のミーティングで、正式に三軍降格を言い渡され、屈辱的な降格式が行われました。
部員全員の前で全裸になって三軍の練習着に着替え、部員全員と指導員となった後輩の『先輩』部員ひとりひとりに挨
拶をするのです。
最後に、頭を丸める代わりに、大事な箇所の毛を剃られるのです。
もちろんみんなが見ているなかで、二軍の一年生に剃られました。
二軍の一年生よりも下の身分ということを示すためです。
綺麗に剃れているかチェックするという理由で、二軍の一年生だけではなく部員全員に大事なところを触られ、という
よりは散々撫され、同性同士なので急所を知り尽くしているので、とうとう失態を犯してしまいました。
というよりは失態を犯すまでチェックを続けられたのですが……。

「あっ、濡れてきた。朋香、感じちゃってる」
「変態ね、恥ずかしいことされて感じるなんて」
「ドМね。恥ずかしいことされて快感だなんて」
「じゃあ、明日からの練習も恥ずかしいこといっぱいしてあげまようよ」
「そうね。三軍に落ちた姿を部外のひとにも見てもらおうよ」
「練習は屋外で、一日何度もロードワーク」

これが最初の屈辱でした。

三軍に降格すると陰毛まで剃るとは・・・そんなことまで行われていたのですね。
それだけでなくあえて身体が反応するまで触られ続けるとは。
そんな屈辱的な行為を心の奥では心地良く感じていたなら本当にM性ですね。


朋香さん(34)より 4/13

もともとふだんの練習でもロードワークをすると、部内だけではなく、部外、学外のひとたちにもブルマ姿を晒すことになります。
体操服には、大学名、三軍、学年、名前が書かれているので、すぐに名前と顔を覚えられてしまいます。
一日何回か、だいたい決まった時間帯に走りますし、出会うひともだいたい同じなので。

男子高校生や男子学生のなかには待ち構えているひともいましたし、部活で同じようにロードワークしているひとたち
の場合だと、わざと時間帯を合わせてすれ違うようにしているようでした。

でも、同性からの反応が一番堪えますね。
女子高生の集団に遠くから目ざとく見つけられて大笑いされ、すれ違いざまにさらに大笑いされたり、大声で揶揄する
ような言葉を投げかけられたり、罵倒されたり、散々でした。

信号待ちをしている時が最悪で、取り囲まれて、大声でゼッケンを読まれて、
「○○大学の○○朋香だって」
「大学生にもなってブルマ穿いているんだ。信じられない」
「三軍って書いてあるよ。二軍以下の補欠だからブルマ穿かされているんじゃない」
「しかも三年生にもなって三軍だよ。三年生にもなって二軍以下の補欠だよ」
「一二年生の一二軍部員の前で恥ずかしくないのかな」
「私だったら部活辞めちゃう」

でも、一軍の試合の応援で会場への行き帰りの段階からブルマ姿を晒すのは、ふだんの練習の比ではないですね。
小学生にまで笑われましたからね(笑)。
そして行き帰りの電車の中で女子高生の集団に見つかり取り囲まれ、大声で揶揄されたり、聞こえよがしの会話をされ
るのが最悪でしたね。

部外者からもそれだけ心無い言葉をかけられるのはとても辛かったことでしょう。
耐えられなくて辞める人も多いのでしょうが、それに耐え抜く貴女の強い意思はなかなかのものですね。


朋香さん(34)より 4/6

うーん、一軍にいても、厳しい練習に耐えてこそ、試合での勝利があると思えるので、
アスリートは大なり小なりちょっとMっぽい感覚があるのかも知れませんね。

三軍に落ちて色々と屈辱的な出来事があるのですが、後輩たちと決定的な立場大逆転の
きっかけとなったのは、一軍の試合の応援でしょうね。

三軍降格後、一週間ほど経った海の日の三連休に地区の大会があって、三日間一軍の応援に行きました。
応援も練習時間とみなされるので、三軍の私はスクールブルマ体操服姿です。
もちろん大会会場で着替えを認められるはずもなく、自宅から集合場所、集合場所から会場と、
電車やバスの中で、ブルマ姿を晒すことになりました。
体操服には、大学名、部名、三軍、学年、名前が入ったゼッケンを前後につけているので、
顔も名前も憶えられてしまい、晒し者状態でした。

会場では対戦相手の大学のひとたちから驚かれました。
何度か一軍時代に対戦しているので、私の名前も顔も知っているひとたちなので、中には同じ中学、高校から
その大学に進学した先輩、同輩、後輩もいて、三軍降格の身分とスクールブルマ姿を晒すのは屈辱的でした。

一日中晒し者になって、帰りも会場から、集合場所、自宅へとまたブルマ姿を晒しました。

これだけ恥を晒しても部活を続ける私に、後輩たちも愛想が尽きたらしく、私を三軍部員扱い、後輩、
下級生扱いすることに躊躇がなくなり、月末の前期の夏合宿の頃には、地獄がまっていました。

一軍と三軍で立場の差はあろうともそれぞれの厳しさは付き物のようですね。
そこにはMぽい感覚もあるようですね。
昔を知っている人達から蔑まれるのはかなりきついことでしょうね。


朋香さん(34)より 4/2

 すっかり春爛漫になりましたね。
 
 今頃は、新入部員の一年生を迎え、春合宿の真っ最中の時期ですね。
 新四年生の私は、最高学年にもかかわらず、部内で唯一最下位の三軍部員の身分と
ブルマ姿を新入生の前でも晒して、さらには一年生を「先輩」と呼び、シゴキを受けるのです。

 しかも一歩進んで自分の方から一人一人の一年生に挨拶し、シゴキをお願いするのです。
「新入生の『先輩』のみなさま、ご入学、ご入部おめでとうございます。
 三軍、四年生、○○朋香です。
 今日からみなさまの『後輩』としてお仕えいたします。
 厳しいご指導、教育、しつけ、そして容赦ないシゴキをお願いいたします」
 私の挨拶に戸惑っていた一年生たちも、一か月ほど経ったゴールデンウィークのミニ合宿の頃には、
遠慮なくシゴキに参加するようになりました。

自ら望んだとはいえ辛い新学期の始まりですね。
だけどそんな厳しい対応にも順応していくものなのですね。


みやびささん(39)より 3/31

 私が小2の時だったと思います。体育の授業前の更衣は男女とも同じ教室で行いましたが、女子はいつでもスカートや
ズボンの下にブルマをはいていたので、あまり問題はありませんでした。

 初夏の頃だったと思います。体育での着替えです。いつものように先に半袖体操服に着替えた後、この頃によく着てい
たデニムの短パンを脱ぎ、下はブルマ姿になりました。ブルマ姿になった後、体操服の裾をブルマの中に入れようとしま
すが、何かいつもと違うなと思いました。とりあえず、体操服の裾をブルマの中に入れましたが、周りは大爆笑していま
した。実はデニムの下にはブルマをはいてきてなくて、パンツ丸出し状態になっていました。小2とはいえ、男子にもパ
ンツを見られて恥ずかしかったです。

 次の授業では、短パンを脱ぐ前に今日はブルマはいてきてるとか聞かれるので、それ以降も恥ずかしかったです。
ただ、脱ぐ前にブルマをはき忘れていないのかはチェックするようになりました。

しばらく友達にからかわれるネタになりましたね。
恥ずかしかった出来事や失敗などがあるからこそ、その後注意するようになれますよね。


ブルマーみさこさん(36)より 3/31

中二の冬休み明けのある日、校舎裏パトロールに向かっていると、
途中の廊下でA子軍団が待ち構えていました。

『コラみさ子。今日こそ決着つけよか』『今から校舎裏で勝負じゃ』
『今までの恨み晴らしたるわ』『散々やってくれたよな』

今までと違い、えらく強気なA子軍団に違和感を感じましたが、
私は決闘を受ける事にしました。

『私らが勝ったら、お前体育と掃除以外ブルマ姿で居るのやめろよ』
『それでもブルマで居たら、ボコボコにしてやるからな』
『今からお前を叩きのめしてやる』
『覚悟せいよ』

またいつも通り返り討ちにする予定でした。
しかしいざ戦ってみると、いつもと違います。
A子のパンチを一発喰らっただけなのに、口の中が出血しています。
いつもより遥かに痛いです。

私「あれ?おかしいな。いつもと違う。こいつら攻撃力が、冬休み前より高くなってる?」

戸惑っているとB子とC子の蹴りを2発同時に喰らいましたが、
それもいつもより痛かったです。
蹴られたところがジンジン痛みます。

私『お前ら冬休みの間に、体鍛えたやろ?』
D子『そんなん、お前に話す必要ない!』
と言いながら、A子のボディーブローが私の腹に突き刺さりました。

私『うげえぇ』
めっちゃ痛いです。履きそうです。
マズイです。このまま戦うと不利です。
私は自分がブルマー姿なので走りやすいと思い、
一旦地形的に有利な場所まで逃げる事にしました。

『あ、コラみさ子逃げるな』『追えー』
『あいつブルマ履いてるから逃げるの早いな』『あいつの足攻撃しとくべきやったわ』

奴らはすぐに追いかけてきましたが、私は有利な地形に誘い込む事に成功しました。
その場所は校舎と校舎の間にあって、かつてダストシュートがあった場所で、
両側が壁になっており人が一人通れる位の狭いスペースでした。
ここなら前方からしか攻撃されないので反撃も防御もしやすいのです。

奴らは攻撃力が上がっても、動きは前と変わらず単調で鈍く、
この地形を使った作戦もあってなんとか撃退する事に成功しました。

しかしこのままでは、いつかやられてしまいます。
そこで私は対抗策として、カリナちゃんとRSちゃんに空手を教え、
女子空手部を創設し、戦力を増強する作戦を思いつきました。
早速二人に話すと、すぐに乗ってきてくれました。

また私自身も空手教室を辞め、女子空手部の部室で筋トレを始めました。
女子空手部の設立手続きの際、校長が『武道系の部活はちょっとねえ』と難色を示しましたが、
私は『A子軍団に対抗する為です。あいつらに苦しめられている女子達を救う為です』と訴えると、
しぶしぶ許可してくれました。部室は空き教室を分けて貰いました。

女子空手部は出来たばかりの部なので、予算も少なく道着も上しかなく、下は無いのでブルマーでした。
カリナちゃんはRSちゃんの大きなお尻に注目しています。

カリナ『なあRSちゃんってお尻大きいなあ。ブルマの上から触っていい?』
RS『何言ってるのカリナちゃん。恥ずかしいわ。』
カリナ『女同士だから、触っても罪にならないの。エイ。』
RS『きゃあー。お尻触られた。揉まないで』
私『カリナちゃん何やってるの。真面目に練習しようよ。』
カリナ『だってRSちゃんのブルマー、パッツンパッツンで見てると興奮してくるもん』
私『確かにその気持ちは分かる。私もRSちゃんのブルマーのお尻を、見る度興奮してたから』
RS『みさ子ちゃんまで何言ってんの!』
私『言うの忘れてたけど、カリナちゃんはレズビアンなの。』
RS『えーっ!レズなの?!私どうなんの?怖い!』
カリナ『RSちゃん大丈夫、痛くないから。みさ子ちゃん私RSちゃんを押し倒すから手伝って。』
私『わかった。任しときなさい。取り押さえておく』

RSちゃんは私とカリナちゃんに、押し倒されていました。
カリナちゃんはRSちゃんのブルマーの中に手を突っ込んで、同じ色のパンティーを脱がしました。
パンティーの両側をブルマーの外に引っ張ってきて、パンティーの右側を膝まで伸ばし、
膝を折り曲げるとパンティーの右側だけ右足から抜けました。
その状態から右足から抜けたパンティーの右側を、ブルマーの股布の中をいったん通して、
ブルマーの左側に移動させ、そのまま左足の下に移動させると、パンティーが脱げました。

RSちゃんはブルマーを脱ぐことなく、パンティーを脚から抜き取られて、
ノーパンブルマーになりました。

カリナちゃんはRSちゃんのブルマーの上から、
肛門に向かって熱い息をゆっくりと吹きかけました。
その瞬間RSちゃんが『ひゃーっ!』と悲鳴を上げました。

カリナちゃんの攻撃はさらに続きます。
カリナちゃんはRSちゃんのブルマーの上から、浣腸しています。
RS『ひゃあーっ!』
さらにブルマーの上から肛門を撫で、そのまま蟻の通り道と膣を撫でました。
RS『ひゃあーっ!ひゃあーっ!ひゃあーっ!』
RSちゃんのブルマーの股間部に、怪しいシミが出来ていました。

A子さん達との争いから女子空手部が出来たのですね。
その思い付きと創部までしてしまう行動力が凄いですね。
まさかのカリナちゃんに襲われた?RSちゃんも戸惑いながらも身体が反応したようですね。


ブルマーみさ子さん(36)より 3/26

中2の秋のある日、私は下半身ブルマー姿で校舎裏をパトロールしてました。
私と対立する不良のA子、B子、C子、D子の4人が悪さしてないか、
担任の先生にパトロールする様に命令されたからです。
奴らは校舎裏で、カツアゲしたり気に入らない女子をリンチし、
よく問題を起こしていたからです。
案の定奴らが居ました。
4人で女の子1人をリンチしていますが、よく見ると親友のRSちゃんでした。

RSちゃんはその時、たたでさえ怪我しているのに、守らなきゃイケナイ。
私はすぐに助けに入りましたが、奴らは私のブルマー姿を見るとすぐに逃げて行きました。

RSちゃんを見ると、スカートの中のブルマーが半分脱がされています。

RSちゃんに何をされたか聞いても何も答えてくれず、お礼だけ言われて去って行きました。

その数日後、学校からの帰り道にスカートを脱いで、下半身ブルマー姿になる為の竹やぶがあるのですけど、
その竹やぶでA子軍団の4人に襲撃されました。

奴らは竹やぶに落ちている竹で殴ってくるのですが、私は喰らいながらも避けたり反撃したりしてました。

しかし予期しない方向から、竹でブルマーのお尻を殴られました。よく見ると殴ってきたのはRSちゃんでした。

私「何で私を攻撃するの?何で奴らの味方をするの?」
RS「ごめんみさ子ちゃん。私この子らに協力しないとイケナイの」
私が唖然としていると、5人から竹で攻撃されました。

親友の裏切りに戦意を失い、あまりの痛みに疼くまっていると、
RSちゃんとA子軍団のスカートの中が見えました。
RSちゃんはブルマーを履いていますが、A子軍団はブルマーを履いておらず下着だけでした。
しかも中2とは思えない様な派手なパンツでした。

その時ヒラメキました。疼くまりながらも聞きました。

私「RSちゃん、この前コイツらにブルマー脱がされてたけど、
それって何か関係あるの?もしかしてコイツらに弱み握られてるの?」

するとRSちゃんが泣きながら、持っていた竹の棒を手放しました。

RSちゃんのスカートの中に手を入れ、ブルマーを脱がそうとするとB子に手を蹴られました。
ブルマーの中に秘密の答えがあると確信したので、
B子の腹に全力でブルマーキックを喰らわせその隙に脱がしました。

するとRSちゃんはブルマーの中がノーパンでした。

RS「ノーパンでブルマー履いてるの、学校中にバラされたくなかったら協力しろって、コイツらに脅された。」
とあっさり自供しました。

やっと理由がわかったので、私は戦意を取り戻し奴らに反撃しました。
奴らの顔面にブルマーキックを喰らわせると、鼻血を出しながら逃げて行きました。

私「RSちゃん何でノーパンでブルマー履いてるの?」
RS「私お尻大きいから、ハミパンする確率高いからよ」
私「奴らにノーパンブルマーってバラされても、
わざとハミパンさせて下半身ブルマー姿で3日位校内歩くと、
ノーパンブルマーって誰も信じなくなるよ。
でも何で奴らにノーパンブルマーってバレたのかな?」
RS「私がこの前体育を怪我で見学した時に、奴らがブルマー忘れたから借してって言われた。
拒否したら校舎裏に連れてかれてリンチされて、強引に脱がされてバレた。
みさ子ちゃん来たから、ブルマー奪われなかった。」

さらに後日、奴らは本当に「RSはノーパンでブルマー履いてる」と校内に広めましたが、
上記の対策を行ってすぐに噂は鎮静化しました。

RSちゃんにはブルマーの中に、同じ色のパンツを履くように私が指導しました。

結構陰湿だったり物騒な過去の出来事でしたね。
それにしてもうまい対策を思いついたのはさすがですね。
RSちゃんにはとても感謝されたことでしょうね。


みおさん(46)より 3/26

中学のときに大学生の彼氏と付き合っていたのですが・・・
その彼氏がブルマーとか制服なんかが好きだったらしくて、絶対汚さない約束で着てしていました。
最初は仕方なくっていう感じだったけど、私も私でどこか悪い事をしているような妙なドキドキ感を
好きになってしまっていました。

彼には部活のユニフォームでしたい!って以前から言われていたけれど、そういう事のために着るのは
申し訳ないような気がしてできませんでした。
部活引退の頃にもまた言われて
「引退したら一度くらいはいいかも。待たせてしまったし」
そんなふうに思ってOKしました。
いいのかなあと思いながらも、何か嬉しかったです。
彼も喜んでくれて私も嬉しかった。

でも、思わぬ所に落とし穴がありました。
体育祭での部活対抗リレーのとき、ユニフォームで走るというやつです。
「うわ!これがまだあったんだー!」と思っても後の祭りです。
絶対絶対いやだったけど、私ひとりだけ出ないわけにも行きません。
出たくない理由なんて死んでも言えません。
もう最後は恥ずかしすぎて自棄になって走りました。

どうしようもないお話ですが、ある意味では当時らしい事なのではないかなとも思い告白させてもらいます。

何の部活のユニフォームなのかわかりませんが、人前では恥ずかいと思ってしまうユニフォームだったのでしょうね。
そんなユニフォームだけに彼も興味津々だったのかもしれませんね。
中学生で経験とは早い方ですね。


西瓜さん(32)より 3/22

 小学生の時の体操服はブルマでしたが、そこまでブルマを意識はしませんでした。中学生になっても体操服はブルマ
のままでした。中学生になるとブルマを恥ずかしく思うようになったので、私を含めて他の女子もジャージをはいても
いい時はジャージをはいていました。ブルマ姿になる時でもできるだけ体操服の裾でブルマを隠したり、ハミパンして
る時は女子同士で教えあっていました。

 中学3年生に上がる時ですが、女子の体操服にハーフパンツが加わりました。在校生は買い替えが必須ではなく、あ
くまでブルマでもハーフパンツでもいいということになりました。新しく中学2年生になる女子は全員ハーフパンツを
購入していましたが、新しく中学3年生になる子のうち真面目な女子を中心に3割くらいの女子がハーフパンツを購入
していませんでした。私はブルマが恥ずかしいと思っていたので、ハーフパンツを購入していました。

 中学3年生になってからの変化ですが、ハーフパンツだと恥ずかしくないので、ジャージをはいてもいい季節でも暖
かい日にはハーフパンツで授業を受ける女子がいました。それに影響されたのか、ジャージをはいてもいい季節でもブ
ルマで授業を受ける女子も出てきました。また、中学3年生になると、わざわざブルマを選んでいる女子がハミパンし
ても、誰も指摘しなくなりました。

 中学3年生の5月上旬くらいに行われるスポーツテストの日のことです。体操服で登校して各種のテストに参加する
ことになっていました。テストの際にはジャージの着用は認められませんでしたが、そのとき以外はジャージの着用が
認められていました。ハーフパンツの女子がジャージなしで登校しているのにつられたのか、同じクラスの桜はブルマ
姿で登校していました。桜は顔も可愛くスタイルもいのですが、生徒会長をしている真面目な子で抜け目がないような
子であまり友人はいなかったと思います。立位体前屈のテストの時なのですが、3人ずつ同時に測定することになって
いました。桜と女子2人が同時に測定するので、前に行って準備していました。

 その時から桜のブルマからハミパンしていたので、わたくし含め後ろで見ている人はざわついていたので、男子も気
が付いていたと思います。桜が立位体前屈をすると、ますますハミパンの幅が大きくなり、ブルマの下にはいているの
が水玉のパンツであるのがわかりました。後ろから水玉とか5センチとかいう声が聞こえたからか、桜は測定を終えた
後、察したのかハミパンを直していました。ただ、完全にはハミパンは直ってませんでした。また、この日何回か桜を
見ましたが、その時もハミパンしていました。抜け目がないように見える桜もそうではないことを知り、少し可愛いと
思いました。

自分では見えにくい後ろ側にハミパンは、普段から意識していないと気付きにくいのでしょうね。
しっかりしてそうな子のハミパン姿とのギャップが面白いですね。


朋香さん(34)より 3/11

 そうですね。
 万年二軍のひとが三軍降格を内示されたら、たいていは退部を選択しますね。
 上級生になるほど、名誉を重んじて辞めることを選びますね。

 私の場合、実力的には二軍で、大会の最中にしかも成績不振だというのに男性とデートをしていたということで、
罪が重くなり、さらに三軍降格となってしまいました。
 確かにその男性と付き合っていたのは事実ですが、その時は男子部のOBでもあり、不振を抜け出すきっかけ
みたいなアドバイスが欲しかっただけなのですが。

 三軍降格を内示された時、即座に受け入れることにしました。
 まだシーズンの最中でしたし、四年生の引退まで例え三軍のままでも部活を続けたいという気持ちが強かった
からです。もちろんもう一度一軍に復帰したいという気持ちもありました。

 三軍に降格すればどういう扱いを受けるかは覚悟のうえでした。

 指導員の後輩たちも、
「三軍に落ちればどんな目に遭うかわかっていながら辞めずに部活を続けるなんて勇気あるよね」
「厳しいご指導、シゴキをお願いいたします、だって。恥ずかしげもなくよく言えるよね」
「元一軍、元先輩、元上級生、大学生のプライドも捨てて頑張ります、だって。本気で言ってるの?」
「後輩、下級生、高校生以下に扱っていただきたい、だって」
「朋香さんって、マゾだったのね」
「美人はマゾが多いからね」
「今まで中学時代から一軍でずっと活躍してきたひとって、逆に三軍のどん底を味わってみたいという
潜在願望があったりするものね」
などと言っても私をマゾ女扱いでした。

屈辱的な言葉の数々を下級生から投げかけられたようですね。
部を強くしていくために人を再び育てる言動とはかけ離れた仕打ちが当時はあったのですね。
一度始めた事を最後まで投げ出さずに続けたいという貴女の強い意思はさすがですね。


りささん(33)より 3/1

そうですね。当時は情報量が少なくて,今とは違いました。今ならスマホで個人で調べられますが,
当時はいわゆるガラケーでしたから。今思えばこれも笑ってしまうような話なんですが,当時情報量の
少ない中で,あるきっかけで性的な雑誌を見ることがありました。それはいわゆるSMもので,セックスに
興味はあっても性知識のない私は「これがセックスなんだ」と思いこんでしまいました(笑)
「痛そうだけど,これが気持ちいいの?」という疑問はありましたが,確認する手段がありません(笑)
しかもその雑誌には「苦しいけれどその先に気持ちよさがある」ようなことが書かれていました。
結構強烈に覚えています(笑)全裸の女性が両手を吊られて鞭で叩かれている写真(身体中に赤いあざ)とか,
やはり全裸で後ろ両手を縛られて尖った板の上(当時は三角木馬なんて言葉も知りませんでした)に跨らせ
られている写真などに興味を持ってしまいました(笑)
「私もこんなセックスをしたらどんな気持ちになるんだろう?」とどきどきしてしまいました。
本当に何も知らなかったんですね。

さて,次の1年生からブルマーからハーフパンツに変わるという話の続きです。
そのとき話題になったのが,「バレーボール部は(その)10年前まではユニフォームがブルマーだった」ということです。
他の運動部はブルマーではなかったらしいので,「なぜバレーボールだけ?」と思いました。

そして2年生になりました。冬の間はジャージを穿いてもいいということになっていましたが,4月からは穿けなくなります。
その時点で「ブルマー」か「ハーフパンツ」かの選択になります。やはり1年生だけでなく,同級生もほとんどの人が
ハーフパンツに変わっていました。自分で決めたこととはいえ,その中でブルマーで出ることは勇気が入りました(笑)
3月までだって周囲がジャージの中ブルマーで寒さに耐えていたんですから何も変わっていないはずなんですけど。

前回書いた「考える過程」の中で,そのとき,セックスとブルマーの関係について改めて振り返っていました。
そもそも彼にブルマー姿を見せたのは事故でした。それまで部活でブルマーを穿いたことはなかったのに,
たまたまその日は練習用のスパッツを忘れてしまったんです。仕方なく嫌々ブルマーで練習した後で,彼に会ってしまったのです。
Tシャツにブルマーで「しまった」と思いました。彼に「こんな格好でごめんなさい」と謝ったあと意外にも「かわいいよ」と
言われたのです。

そこからブルマーに対する考え方が変わりました。
セックスに興味が出始めると,ブルマー姿で挑発するように自分の方から彼を誘いました。今考えると大胆というか恥知らずですね(笑)
周囲の話では「彼氏からそういう雰囲気を作られて」という話ばかりでしたから。その後セックスに欠かせないものになりました(笑)

さて,話を戻します。私の不安通り,2年生でブルマーを選んだ人はほとんどいませんでした。でもゼロではありませんでした。
自分を含め「地味で真面目な処女(だと思われる)人」や「一人でいることを好む大人しい人」ばかりでした。でも一人では
なかったので安心しました。「恥ずかしいから」というより「自分がブルマーを穿く言い訳ができる」というのが正直なところでした。

1年生は「原則ハーフパンツ」ですが,「宿泊行事」「スポーツ行事」等は3学年とも「ブルマー」という決まりだったため,
全くブルマーがなくなってしまったわけではありません。2・3年生は「原則ブルマー」ですが,前回書いたような例外があったので,
ほとんどがハーフパンツに流れてしまいました。

ところが,意外なケースもありました。ある人(この後も話が続くので仮名で「なお」とします)同じクラスになりました。
なおはおそらく髪も染めていて,眉毛も整えるような人でした。もちろん校則違反ですが,派手でかわいいというイメージでした。
そのなおがなんとブルマーで体育に出たのです。びっくりしました。こんなに自分の見た目にこだわっている人がブルマーであることに。
しかも穿き続けて少し生地が薄くなった感じのするブルマーでした。「穿けなくなるまで穿くのかな?」と思っていたら,
次の時間は新品のブルマーを販売用の外袋から出して穿いていたので「わざわざブルマーを選んで穿いていた」のでした。
しかも驚いたことになおは白のブラジャーとパンツだったのです。体操着で白のブラが透けてしまっており,着替えのときに
スカートの下に穿いていたブルマーからはみ出たパンツを直していましたから。

「地味で真面目な処女」がブルマーを選択するだろうという私の思い込みが崩れました。それは色々な想像をしました(笑)
「私のようにセックスのときにブルマーを使っているのだろうか?」とか「彼氏に強制されたのだろうか?」とか。
「まさか処女ではないだろう」と思いながらも「彼氏募集のためにあえて露出しているんだろうか?」とか。
しばらくしてその謎が解けるのですが,長くなったのでこの話はまた次にします。

性の情報がいきなりSM誌だったとは、性の知識に疎い子が読むには刺激が強すぎたかもしれませんね。
好きな相手にブルマー姿を誉められたことと性への好奇心が重なりあったようですね。
貴女達と違うタイプの子が少数派のブルマー姿を選択するのは何故なんだろうと気になりますよね。


朋香さん(34)より 2/23

 そうですね。
 今思い出しても、物凄い屈辱ですね。
 ブルマを穿かされる屈辱以前に後輩たちとの逆転した上下関係。

 昨日まで一軍で後輩の一二年生を指導、教育、しつけ、そして時にはシゴキをしてきた私が、
 今日からは立場逆転して、私が後輩となり、「先輩」の一二年生の指導員から指導、教育、しつけ、そして容赦ない
シゴキを受けることになったのです。

 三軍初日の練習前。
 三軍の練習開始は一二軍よりも一時間も早いのですが、上級生の指示でしょう、一軍も二軍も一二年生の全員が集ま
っていました。逆に三四年生は、わざとでしょう、私以外に誰もいませんでした。
 唯一の上級生、ただひとりのブルマ姿の私を取り囲むようにして、三軍の最初の挨拶を待ち構えています。

「指導員の先輩のみなさま、そして見学の先輩のみなさま、おはようございます。
 三軍、三年生、○○朋香です。
 今日から三軍で鍛え直し一から出直すことになりました。
 どうぞ厳しいご指導、教育、しつけ、そしてシゴキをお願いいたします。
 元一軍、元先輩、元上級生、いえ、大学生のプライドも捨てて頑張りますので、
 私のことを遠慮なく三軍部員、後輩、下級生、高校生以下に扱っていただきたいと思います」

 挨拶は予め上級生からの指示で決められていて、とても屈辱的な内容でした。

三軍と決まったらどうなるかは目に見えているので辞める人も多かったのでしょうが。
こんな下級生の中での屈辱も乗り越えて退部しなかったのは、何か思いがあったのでしょうね。


朋香さん(34)より 2/20

 肝心なことを申し忘れていました。

 大學三年生にもなってブルマを穿かされることになった理由は、極度の成績不振と恋愛禁止の規則違反が原因とな
り、夏休みの練習から、それまでの一軍から一気に三軍に降格させられたためです。

 三軍に落ちると、二軍とは違い、練習着は元高等部のスクールブルマと体操服になるのです。
 単に二軍より下の身分というだけでなく、三軍は高校生以下の扱い、ということですね。
 正確には、高等部との合同練習や合同合宿では高等部の部員よりも下に扱われたので、中学生以下の扱いということ
でしょうか。
 高等部の生徒はすでにブルマなんかを穿かなくなっていたので、中学生以下の扱いになっても当然ですね。

 つまり、三軍は二軍とは違い、上級生下級生の上下関係はなくなります。
 簡単に言えば、一年生の二軍の『先輩』>四年生の三軍の『後輩』というような上下関係になります。
 そして、高校生以下の扱いという身分を象徴するアイテムが、練習着の元高等部のスクールブルマ体操服というわけ
なのです。
 小学生ですらブルマを穿かなくなった時代に、大学三年生がスクールブルマを穿いて練習させられるのです。

 しかも三軍は常時部員がいるわけではなく、当時は私ひとりでした。
 昨日まで一軍だった私は、部内で唯一の三軍部員となったのです。部内で唯一最下位の身分に落とされたのです。

 高校生以下の身分、部内で唯一の三軍部員、部内で唯一最下位の身分を象徴するかのように、三軍の私の指導員は、
一年生の一軍部員たちでした。実際は、一二軍の一二年生が交代であたりますが、責任者が一年生の一軍部員であるこ
とは変わりありません。
 そして、総責任者は同じ高校出身の後輩でした。

 昨日まで一軍で一年生を指導してきた私は、逆に入部してほんの三か月ほどの一年生に指導を仰ぐ立場へと転落した
のです。

 ブルマを穿かされる屈辱以前に、三軍降格の屈辱、一二年生の後輩たちと立場大逆転となる屈辱の方が大きかったで
すね。

 ブルマ姿でサークルの中での順位付けが明確になるのですね。
屈辱的な格好で最下位の身分にされないために、規律を守ったり強くなるよう練習も頑張るという構図ですね。
そこまで下位にされると辞める人も多いでしょうから、強い者だけが残ることにもなるのでしょうね。
以前も同様な経験をされた方が居られましたが、似たような大学も多かったのでしょうね。


朋香さん(34)より 2/19

 大学時代の部活で、私ひとりだけ元高等部のスク―ブルマを穿かされて練習させられました。

「元高等部のスク―ブルマ」ということは、すでに高等部の生徒たちもブルマを穿かなくなっていたということです。
私の年齢からわかるかと思いますが、ブルマ移行世代で、小学校時代しかブルマを穿いたことがありませんでした。
大学時代は完全にブルマ全廃の時代になっていました。
高等部でもブルマを使わなくなって10年以上は経っていたと思います。

 しかも一年生の入部時の期間であればいざ知らず、三年生にもなって、一年生も穿いていないのに、私ひとりだけ高等
部のスクールブルマと体操服で練習させられました。
ブルマを穿くのは、小学校以来八年ぶりのことになりました。

 なぜ貴女だけブルマだったのでしょうか?
周りの人がブルマで無いのに1人だけとは屈辱的だったことでしょう。
どんないきさつでそうなったのでしょうね。


りささん(33)より 1/23

本当にAくんと付き合い始めた頃,セックスに興味はあっても,知識(どんな行為があるのか,どんな手順で
するのかなど)については全く無知でした。
携帯電話はあっても,今のスマホみたいに簡単に検索できるような時代はなかったです。
ネットを見ようと思った家族で共用のパソコンを使うくらいしかなかったですね。
履歴が残るのも困るので調べるにも限界がありました。

だからなんとなくやっている行為が本当に「合っている(変な言い方ですが)」のか,間違ったり下手だったり
して彼氏に引かれないかは不安でした。又聞きのようなことでフェラのことはなんとなく知っていましたが,
どんなふうにするのか,どこで終わりにするのかもよく知りませんでした。半ば自分から誘うようなやり方で,
彼氏とセックスをすることができました。そのセックスのとき,彼の「ち○ぽ」を咥えました。彼に教わりながら。

彼の方が知識はあったのだと思いました。性欲は私の方が強かったですが(笑)どうすれば気持ちいいのかも
わかりませんでした。射精の瞬間,その勢いにびっくりして口から離してしまい,顔やメガネに飛んでしまいました。
後から考えれば「最初の精液をきちんと飲みたかったな」と後悔しました。
その後すぐにまた彼の「ち○ぽ」が勃起して,「男の人はこんなにすぐに元に戻るんだ」とびっくりしました。
その後結ばれることができました。

話が逸れてしまったのでブルマーに戻しますね(笑)
前回の2人の話にあったように,私が入学した年は「男子はハーフパンツ,女子はブルマー」という決まりでした。
それが私が2年生になるときに「新入生(次の年の1年生)からはブルマーではなくハーフパンツも可」と言う噂が流れました。

実際にはその噂は本当で,「2・3年生女子はブルマー,1年生女子はハーフパンツ(も可)」ということになりました。
但し例外というか但し書きがあって「1年生も,体育祭やスポーツ行事,宿泊行事等2・3年生と同時に活動するときは
ブルマーを着用すること」になっていました。
つまり,1年生でハーフパンツを穿きたい人はブルマーも同時に用意する必要がありました。
ブルマー単体で購入するか,ブルマー+ハーフパンツという訳です。

ところが,2・3年生も「原則ブルマーだが,ハーフパンツを買って着用してもいい(体育祭等の部分は同じです)」と
なっていて,結局よく考えれば全学年が体育祭等のときを除いてはハーフパンツを穿いてもいいということになりました。
こうなれば多くの女子がハーフパンツに流れるのは見えています。喜ぶ友だちを見ながら「自分以外にブルマーを穿く人が
どれくらいいるのだろう」と不安になりました。「ブルマーのままの方がよかったのに…なんで今なんだろう…」と
違うことを考えていました。

彼氏が「似合う」と言ってくれたブルマーです。彼ができる前は「こんなパンツみたいな体操着嫌だ」と思っていましたし,
彼ができてからも「ほぼパンツ同然」の頼りなさというか,スースーする感じや恥ずかしさもありました。
でも,その露出によって彼が自分を性の対象として見てくれる嬉しさの方が強かったです。

普段はハーフパンツを穿いてセックスのときだけブルマーを穿けばいいと思われるかもしれません。
でも,それだとコスプレや変態プレイみたいになってしまうという思いもありました。日常の中にブルマーがあって,
それをセックスのときにも使うことが大事だと思いました。今思えば変なこだわりですね(笑)一方で,ブルマーを
穿く恥ずかしさを克服できても,「一人で穿き続ける」ことで周囲から「あの子変態じゃない?」という視線に耐え
なければいけないことも考えました。

「どうせ地味で真面目な白パンツの処女と思われるれているんだからいいか」と思いました(笑)
それを逆手に取って「真面目だから『規則(原則)』通りブルマーを穿いている」という姿勢でいけばいいのではないかと。
そうやって色々と悩んだ末に,自分の中で「たとえ少数派になってもブルマーを穿こう」と決めていました。

彼氏に相談すれば間違いなく「お前が一人でブルマー穿くのが辛いならハーフパンツにすればいいじゃん」と言って
くれるのは見えていました。でも付き合い始めて「そろそろ結ばれたいな」と私が思い始めたときにそのきっかけに
なったブルマーを,自分のブルマー姿を捨ててしまうのは悲しかったです。

その後やっぱりAくんから「りさ,来年からハーフパンツにするんだよね?」と聞かれました。
迷っている姿を見せたらそうなっていたかもしれません。
そのときの私は心の準備ができていたので,「私はブルマーを穿き続けたい。Aくんが『自分の彼女がブルマー姿を
晒すのが嫌だ』というのでなければ穿かせてほしい」と言いました。「無理してない?」と聞かれました。
「ううん。私のブルマー姿をAくんに見てほしい」「セックスのときだけ穿くんじゃなくて,普段から穿いている姿を
見て,それでりさとセックスしたいな,と思ってくれたら嬉しい」と言いました。

Aくんは「わかった。嬉しい」と言ってくれました。
その日のセックスは格別で「やっぱりブルマーを選ぶ決断をしてよかった」と思いました。
長くなったので続きはまた書きます。

そうですね今のようにネットで何でも簡単に情報が得られる時代と違い、昔は週刊誌などが性の情報源だったこともありますね。
ブルマーからハーフパンツへの移行期ならではの葛藤ですね。
貴女がブルマ―を履き続けることを決めた思い入れはなかなかのものですね。


ゆうちゃんさん(46)より 2023/1/7

 わたしはA小学校に通っていました。A小学校の体操服は男女とも短パンでした。
短パンといっても、今みたいに丈が長くないので、座ったらパンツが丸見えになりました。

 わたしは高学年になると何となく気になるので、座る時にはパンツが見えないように少し注意していました。
ただ、高学年になっても、あまりに気にせずに座っている子もいました。

 わたしはA小学校を卒業して、C中学校に入学しました。
C中学校には、A小学校卒業生だけでなく、B小学校を卒業した人も入学していました。
B小学校の女子の体操服はブルマでした。

 C中学校の女子の体操服はブルマでした。
わたしは中学校に入学して初めてブルマをはくことになりましたが、丈の短い短パンが気になっていたので、
ブルマに変わって少しうれしく思っていました。

 中学に入学して何回目かの体育の授業でのことです。A小学校出身のももちゃんがブルマからハミパンしてました。
それを見たクラスの女子が、「ももちゃん、ももちゃん、ハミパンしてる」とか言い出しました。
ももちゃんは最初ハミパンの意味が分からず戸惑っていましたが、他の子が「ももちゃん、ブルマの裾から
パンツがはみ出してるよ」というと、ももちゃんは意味が分かったようで、はみ出したパンツをなおしました。

 授業が終わった後に更衣室で、ももちゃんは同じクラスの子と話しているのが聞こえました。
ももちゃんは、ブルマをはく時は少し小さめのパンツをはかないといけない、大きいパンツをはいてきてしまった時は
少し食い込ませておかないといけないとか、言われていました。

 わたしはその話を聞いてブルマってそういう風にはくんだと思って、それ以降、ブルマをはく時は注意するように
しました。短パンも小学高学年になると気になりましたが、ブルマをはくのは面倒だなと思いました。

 ブルマを履く時の身だしなみ?みたいなのがあるのですね。
ももちゃんが注意されているのを聞けてある意味良かったですね。
短パンより良いと思ったブルマを面倒に感じるようにもなったのですね。


りささん(33)より 12/25

前回の「経験のある人たちの優越感?」の続きです。

何かのスポーツ大会のようなものだったか,体育祭の練習だったか忘れましたが,そのときのことです。
もちろん全て仮名です。衝撃を受けたので話の流れは覚
えていますが,随分前のことですので,ところどころは適当に再現しています。

かなえ「まい,お尻出てるよ!」
まい「ありがとう。本当に最悪。」
かなえ「彼氏以外の男子にお尻晒すなんて本当に最悪だよね。ブルマー大嫌い」
まい「だいたい何で男子がハーフパンツで女子がブルマーなの?」
かなえ「まいの彼氏のパンツは何?」
まい「普通のトランクスだけど。」
かなえ「やっぱり。短パンだとトランクスが裾からはみ出るから,らしいよ」
まい「えー,男子はパンツはみ出ちゃいけないのに,女子がお尻やパンツがはみ出ていいいってこと?」
かなえ「本当に変だよねー女子だけ尻出し,太もも全開」
こんな話をしていました。

かなえ「はみ出てなくてもブルマーを穿いている姿自体男子に見られたくないよね。」
まい「本当にそれ。紺のパンツで歩いているのと同じだよね。ブルマー穿いてるとこを彼氏に見られたら
死んじゃうからこういうときは絶対に会わないように警戒してる。」
かなえ「はみ出し対策に紺とか黒のパンツ穿かないとね」
まい「彼氏が好きな色のパンツだとはみ出たときに目立つんだよね。」
かなえ「わかるー。私も対策してるけど,彼とする前はトイレでパンツを穿き替えてる。ブルマーも見ら
れたくないから一緒に脱いでパンツ一枚でスカート穿く」

なぜ覚えているかというと,「彼のパンツ」「黒色のパンツをブルマーの下に穿く」「普段はスカートの
下にパンツとブルマーを穿いている(と思われるような会話)のに,セックスの前だけブルマーを脱ぐ」
などが「自分とは全部逆だなー」と思ったからです。

あとはセックスそのものに関する会話が聞こえることもありました。「彼氏に言われてOKしたけど,そん
なに気持ちいいとは思えない」とか「口でするなんて絶対無理」などでした。

本当にセックスのときにブルマー穿いてからするなんて自分だけなのかな,と思いました。元々そんなに
他人に聞かれるようなところで性の話をするのは好きではなかったのですが,「自分は他の人と趣味が違
うのかも」と思うと「変態扱されるから絶対他の人には話せない」と思いました。

冬になってジャージが穿けるようになると「ジャージ最高」「これでブルマともしばらくお別れ」
「ジャージ忘れから借りないと」など話が出始めました。私はその中でブルマーを穿き続けたのですが。

次回はブルマーに関する私にとって大きな試練が来たときの話を書きたいと思います。

回りの性に関する感覚と貴女が実際にしていることにギャップがあったようですね。
本当の事などさすがに友人の前では話せないですよね。
何が正しいかなんてわからないから、周りと少しズレてることで心配な時もあったのでしょうか。


ちょうちょさん(49)より 12/13

 中学3年生の体育祭でのことです。
クラス対抗で、4人1組になって、そのうち1人がタイヤに座り、残りの3人がタイヤにつながっている紐を
引っ張ってタイヤに座っている人を運んでいって、タイヤを襷みたいにしてリレーするという競争がありました。

 私はタイヤに乗って運ばれる役でした。体育祭で競技に出る時はジャージをはくことは認められていませんで
したが、この競技でタイヤに乗る人だけはジャージをはいてもいいことになっていました。
ここだけジャージをはく意味はないと思い、わたしはブルマでこの競技に参加しましたが、これが失敗でした。

 私たちの番がきて、私がタイヤに座って運ばれた後に、タイヤから降りて次の人たちにタイヤを渡そうとした時の
ことです。タイヤに座って引っ張られた際にブルマが食い込んでいたからだと思いますが、ハミパンしていました。

 タイヤから降りた際に、同じクラスの女子に「ちょうちょ、ブルマがめっちゃ食い込んでる。
しかも、ハミパンしてるよ。縞パン、縞パン」とか大きな声で言われました。それを聞いた周りの女子も大爆笑していました。
男子も近くにいたので、恥ずかしかったです。

 ジャージはいていい時は、それなりの理由があるので、やっぱりジャージをはくべきだったと後悔しました。
ブルマは動きやすくて好きでした。正直、端から少しくらいハミパンしてるのを見られても恥ずかしくはなかったですが、
柄がわかるほど大きくハミパンして、それを笑われたりすると、やっぱり恥ずかしいですね。

失敗してみて初めて分かる事ってありますよね。
一部の人にハミパンを見られただけならまだしも、大きな声でからかわれみんなに知られてしまったのは、
とても恥ずかしかったことでしょうね。


りささん(33)より 11/23

しばらく間が空いてしまいました。
なぜ私が「エッチだと思われたのか」ははっきりわかりませんが,さすがにブルマーに精液がついていることは
バレていなかったと思います。ただ,真冬でもブルマー姿だったのは不思議に思われたようです。

一方で,私がエッチだというよりも,地味・くそ真面目なイメージの方で見られることの方が多かったと思います。
彼氏の好みに合わせるようにきっちりした服装で頭から足の先まで規則通り,しかもこれも彼氏の好みでパンツも
白でしたから(笑)。さらにメガネをかけていたので(コンタクトにしようと思ったのですが,Aくんが「似合って
るよ」と言ってくれたので)より地味で真面目に見えたと思います。

女友達とは話をする中で「絶対私は処女と思われてるな」と感じることが多かったです。セックスの経験どころか,
彼氏もいない(いたことがない)と思われていたようです。友達には性のことを明け透けに話す人がいましたが,
私は聞くだけで自分のことは話さなかったのも原因かもしれません。聞く中で「自分もそういう経験をしてみたい」と
いうことはありましたが,顔に出さないように我慢していました。

こう書くと友だちのほとんどがセックス経験があるみたいに見えますが,実際にはほとんどの人が未経験だったようです。
経験のある人が優越感から(?)明け透けに話すことが多かったのだと思います。
ほぼ「彼から求められて,何度目かにOKした」という人ばかりで,私のように「彼女の方から求めた」例は聞きませんでした(笑)。

また,彼氏がいるからセックス経験があるというわけでもなく,「早く処女を卒業したかった(したい)」という人がいる一方で,
「1年生でそこまではまだ早いからまだOKしてない」「彼氏もまだ早いと感じていてまだそういう話ならない」という人も多かったです。
合宿や行事のときの入浴時になんとなく雰囲気はわかりました。パンツの色もさることながら,大きかったのは陰毛の処理ですね。
まあ彼氏がいなくても,ブルマーを穿く以上,毛がはみ出ないようにするために全員が気をつけなければなりませんでしたが。

ただ,誰の話を聞いても「ブルマーをセックスのときに使っている」人は他にはいなかったようです。私以外の人にとって
「ブルマー姿は彼氏にこそ見せたくないほど恥ずかしいもの」だったようです。「りさはなんでいつもブルマー穿いてるの?」と
聞かれたこともあります。冬でみんなジャージでも,ひとりブルマーで寒さに耐えて頑張っていましたから。
彼氏がいることも公言してませんでしたから,「荷物が増えるのが嫌だから」とか「中学まであまりジャージを穿く習慣がなかったから」
とか「部活で動くとすぐ暑くなるから」「パンツみたいっていうけど,動きやすさの方が大事だし」というように答えていました。
まさか彼氏に「今日セックスしたい」という気持ちを伝えるためなんて言えませんから(笑)。

本当は経験もしていてエッチな子だったのに、周りには悟られないよう上手く猫を被っていたようですね。
当時の女の子同士の性の話がどんな内容だったか興味深いですね。


田中さん(49)より 11/22

 中3の時のことですが、佐藤さん(仮名)という女の子と同じクラスになりました。その子は成績は優秀で、運動神経
もいい子でした。クールビューティー系の美人で真面目で清楚ですので、先生のウケはよかったです。ただ、真面目過ぎ
ることもあり、男子生徒からの人気はありませんでした。また、女子生徒からは妬みもあって、好かれてはいませんでした。

 中学生になるとブルマ姿は恥ずかしいので、体操服のシャツでできるだけ隠したりしていましたが、佐藤さんは完全に
体操服のシャツをブルマの中に入れていました。また、ジャージのズボン着用が認められている際にはジャージのズボン
をはいていましたが、佐藤さんはジャージを積極的に脱ぐことも多かったです。

 1学期が終わって大掃除の日のことです。この日は体操服で登校することになっていましたので、佐藤さんを含め、下
はジャージのズボンをはいて、上は半袖体操服を着て登校しました。朝のホームルームが終わった後、班ごとに分かれて
掃除をすることになりますが、私も佐藤さんも教室掃除を担当することになりました。掃除を始める前に佐藤さんは、ジ
ャージを脱いでブルマ姿になりました。いつも通り体操服のシャツは完全にブルマの中に入れていました。もちろん、男
子もジャージをわざわざ脱ぎませんので、ジャージを脱いだのは佐藤さんだけでした。

 教室掃除では、ほうきで教室のごみを1か所に集めました。集め終えた後、佐藤さんがちりとりを持って屈んで、わたし
がほうきでごみをちりとりの中に入れることになりました。佐藤さんが屈んだ際に、ブルマから白のパンツがはみ出して
いました。仲がいい子ならハミパンを指摘したりはしますが、佐藤さんと仲がいい子はいませんので、誰も指摘しません
でした。おそらく男子も気が付いていたと思います。

人気が出そうな美人でもちょっとした事で、周りからは好かれないとは皮肉ですね。
妬まれるほどの子だけにハミパンしていても教えず、男子の好奇の目に晒されればいい位の感情だったのでしょうね。


ブルマーみさこさん(36)より 11/10

普段はブルマーへの想いを綴るページの住人、
ブルマーみさ子です。
今回は中学時代、レズビアンに惚れられた事を思い出したので、
こちらに投稿させて頂きます。

中二の秋のある日、
うちのクラスに他県からの転校生の、カリナちゃんがやってきました。

カリナちゃんは前の学校の制服を着ていますが、
私は彼女がスカートの下に履いているブルマーが、
何処のメーカーのブルマーかすっごく気になりました。

幸いカリナちゃんの席は、私の後の席になりました。
私はすぐにカリナちゃんに話しかけました。

私『私みさ子。宜しくね。』
カリナ『カリナです。よ、宜しくお願い致します。』
私『○○県の何処から転向した来たの?』
カリナ『○○市です。』
私『ブルマーちゃんと履いてるよね?何処のメーカーのブルマー履いてるの?』
カリナ『履いてますけど、何処のメーカーか知らないです。』
私『そっか、また体育の授業中に見せてな。』
カリナ『どうして貴女スカート履いてないのですか?掃除中じゃないのに、何でブルマー一丁なんですか?』
私『いつも履いてないけど。一応担任の許可は得てるよ。』
カリナちゃんは私が下半身ブルマーだけなので、ビックリしていました。

そして体育の授業の際に、ブルマーのメーカーを確認しましたがタグがありませんので、
何処のメーカーかわかりませんでした。

放課後、情報屋の○○君から恐ろしい情報を手に入れました。

なんと私が常にブルマー姿で居る事に反感を持ち、私と対立する他のクラスの女子四人A子、B子,C子、D子が、
カリナちゃんを校舎の裏に連れて行ったそうです。
私はすぐに校舎裏に向かいました。
するとカリナちゃんが四人にリンチされていました。

『お前みさ子と仲良くしてるやろ?』『こいつ変な制服着てるぞ』
『この前みさ子に殴られた腹いせお前で晴らしたろか』『みさ子の代わりにこいつやっちまえ』

すぐに止めに入りました。
私『コラー、A子、B子,C子、D子。お前ら何やってんのよー』
『ゲッ、みさ子来たぞ』『ヤバイ逃げろ』『みさ子に殴られる』『何でここでリンチしてるの知ってんの?』
奴らは私のブルマー姿を見ただけで、逃げて行きました。

カリナちゃんは体中あちこち、蹴られた跡が付いていて痛々しかったです。
カリナ『みさ子ちゃん来てくれたの。恐かったよー痛かったよー。』
泣きながら私に抱き付いてきました。

私『もう大丈夫よ。カリナちゃんに取ったら、とんだとばっちりやったね。私のせいでゴメンね。』
カリナ『みさ子ちゃん、優しい。』
それ以来カリナちゃんは、私にべったり寄り添って来る様になりました。

カリナ『みさ子ちゃんにこの前助けて貰ったお礼をしたい』
私『じゃあブルマー頂戴。』
するとカリナちゃんは、今スカートの下に履いているブルマーを脱いで、私に差し出しました。

カリナ『どうぞ親分』
私『今履いているのじゃなくていいよ。小学校時代のとか、前の学校でいいよ。』
流石に私もビックリでした。
後日小学校時代のブルマーを持ってきて、私はそれを貰いましたが、何処のメーカーだったか忘れました。

そしてブルマーの上からお尻を触ってくるのです、
『みさ子の親分。おはようございます』と言いながら。

私『カリナちゃん、私は同級生よ。親分じゃないよ。』
カリナ『じゃあ師匠』
私『弟子は取らないの。』

そのうちお尻だけでなく、二人きりになると、ブルマーの上から股間やビキニラインを触ってくるのです。
さらに胸やフトモモの内側まで触られました。

女の子なので空手技で反撃することも出来ませんし、何より気持ち良かったので、
そのままにしていると、今度は唇を奪われ、下を入れてきました。

ちなみに私のファーストキスは、カリナちゃんでした。

複数人で転校してきたばかりの子をリンチするなんて物騒な学校でしたね。
助けてあげたカリナちゃんに好かれるのはわかりますが、まさか愛撫やキスまで進むとは。
相手は男の子では無かったけれど貴女も興奮してしまったようですね。


ブルマーみさ子さん(36)より 10/24

いつもご拝読頂き、ありがとうございます。ブルマみさ子です。

体育祭が終わり秋が深まると、
女子の大半はジャージを着始めます。
最初はジャージの上着だけを着て下半身はブルマのままでも、
段々と気温が下がっていくとジャージのズボンを履く子が殆どです。

しかしながら私は中学の頃から、年中下半身ブルマーのままで体育の授業を受けてました。
寒さに耐えれるその秘密はブルマーの下にベージュのパンストを履いていたからです。
本来は体育の授業でパンストやタイツを履くのは、我が中学では禁止でしたが、
ブルマー推進派の女性体育教師に気に入られていた為、黙認されていました。
だからジャージなんて買ってません。

林間学校や修学旅行、校外学習でもブルマー姿でした。
空手の練習ですら、上だけ道着で下はブルマーでした。
その方が蹴りを繰り出しやすいし、なにより師範が喜ぶのです。

そして私は今も、たまに履いて外出します。もちろん人気の無い夜中ですけどね。

寒くても工夫してブルマを履き続けていたとは、本当にブルマ好きだったのですね。
道着の下にブルマ姿は動きやすいでしょうが、かなり目立っている感じですね。


るりさん(50)より 10/22

前回の続きで、高3の時のことです。ユリさんという子と同じクラスになりました。
高3の1学期が始まって少し経ってからのことですが、ユリさんは体育の授業中に
黒がベースのパンツを大きくハミパンしていました。

もちろん、それを指摘する子はいたのですが、ユリさんはもう体育のためにはくパンツを
制限されたくない、好きなパンツをはくと言っていました。
ハミパンを指摘されたユリさんは、ハミパンを直そうともしていませんでした。

わたしの感覚では、近くに女子しかいなくてもハミパンはなんかみっともない感じがするので、
ハミパンを見せることはできないと思いました。

それ以降ですが、体育の授業の日によっては、ユリさんはハミパンしてない日もありました。
ブルマから見えるラインから、おそらく違うパンツをはいていました。
体育祭の日にはハミパンするパンツをはいてはきませんでした。
ただ、ユリさんはハミパンさせたまま男子の近くを歩いたりもしていたので、
ローテーションでたまたまそうなっただけかもしれません。

いちいちハミパンを気になんかしていられないという考えもあったのでしょうね。
とはいえ友達に指摘されてハミパンしにくいよう気をつけたのかもしれませんね。


るりさん(50)より 10/18

前回の話の続きで、高2の体育祭でのことです。体育祭の日は、普段の体育の授業とは違って1日中ブルマ姿でいないと
いけないですし、男子も近くにいます。そのため、わたしは、パンツを少し食い込ませて、ハミパンだけはしないように
ブルマをはきました。他の子もおそらく普段よりはハミパンに気を付けていたとは思います。

各クラスの代表による1500メートル走の時のことです。1500メートル走は男女別で行われ、女子の1500メートル走でのこ
とです。運動場は200メートルなので、1500メートル走では運動場を7周半します。2周を走り終えたくらいに高1の子の
理恵ちゃんという子がダントツでトップだったのですが、理恵ちゃんは大きくハミパンしていました。その時、トラック
内側に座って審判をしている女子が理恵ちゃんにハミパンを教えたからだと思いますが、理恵ちゃんは走りながらハミパ
ンを直し始めました。

ただ、走りながらだとうまく直せないので、理恵ちゃんは走りながらちょこちょこハミパンを直していました。そうこう
しているうちに、2位の子との差が小さくなってきました。その頃に理恵ちゃんは決心がついたのか、それ以降はブルマの
食い込みを直さずにゴールまで走りました。理恵ちゃんは1着でゴールしましたが、その頃にはそれなりにハミパンしていました。

閉会式で理恵ちゃんは表彰のために前に呼ばれましたが、その時にはハミパンしていませんでした。作る側はもう少しハ
イレグにしたら動きやすいかなとか思うのかもしれませんが、着る側からはハミパンしたら恥ずかしいので、普通のブル
マで十分ですね。

最後はハミパンの事を振り切って勝負した理恵ちゃんは凄いですね。
当時はブルマの事を考えた下着とか、逆に下着を隠すブルマを作るような発想が無かったのでしょうね。


兎ささん(49)より 10/18

 中3の体育祭の閉会式で先生たちの話を聞いている時のことです。各クラス男子一列、女子一列に並んで体育座りして
話を聞いていました。私の前に同じクラスの玲子が座っていました。玲子の隣には、名前も知らない隣のクラスの男子が
座っていました。隣のクラスの男子は、チラチラ玲子の方を見ていました。最初はその男子が玲子のことが好きなのかと
も思いましたが、その男子の視線の先は玲子のブルマからのはみパンでした。

 体育祭で疲れたからかもしれませんが、玲子は大きく白のパンツがはみ出しているのに気が付いていませんでした。
この状態を放置することはできないので、私がはみパンしていないことを確認した後で、私は玲子の肩をトントンと
叩くと、玲子が後ろを振り向きました。私は玲子に「玲子、はみパン、はみパン。男子が見ている」と玲子に言いました。
それを聞くと、玲子は慌ててはみパンをなおしました。

 その夜、上のシーンを思い出し、はみパンしていたのが私でなく玲子だったので、本当によかったと思いました。体操
服としてブルマは好きでしたが、やっぱりはみパンは気になりました。はみパンしている時に男子に少し見られるくらい
なら仕方ないということで諦めますが、男子によっては見すぎる人がいるので、やっぱりはみパンは恥ずかしいとその日
に痛感しました。

濃い色のブルマの下からはみ出す下着は目立ちますよね。
思春期の男の子にとってはとても刺激的な光景だったかもしれませんね。


ブルマみさこさん(36)より 10/9

9月10日投稿文の補足です。

KMちゃんにバレー部のグリーンブルマーを貰ったのですが、
KMちゃんが持っているのは一枚だけなので、
それでは高校で足りないと思い、KMちゃんに複数枚欲しいと申し出ました。

するとKMちゃんは、『他のバレー部員からもらって来るから、みさこちゃんも一緒に行こ』と言いました。
Sちゃん、TTさん、MMちゃんに二人で頼み込み、さらに三枚ゲットする事に成功しました。

まあ結局高校は、体育の授業では使わなかったのですがね。
でも陸上部の練習や試合では履いてました。

また我が高校では、一年の秋からハーパンへの切り替えが始まり、
グリンズのブルマーも履く機会が消滅しそうになりました。

それについては、また今後投稿するかもです。

友達の輪ってこんな時助かりますね。
各自の思い出のブルマでしょうが、みんな快くくれましたね。


ブルマみさこさん(36)より 10/9

みさ子改めブルマみさこです。
今回は私がブルマーを好きになった出来事についてです。

小学校1年の入学式の日に、教室で必要な物が支給されました。
お道具箱、朝顔の植木鉢、体操シャツ、ブルマー等々。

しかし私の体操服袋には、なんとブルマーが入って無かったのです。
どうやら業者さんのミスなのですが、一か月してもブルマーが支給されなかったのです。
当時阪神大震災があって、その影響で神戸方面の物流が混乱していていた為、支給が遅れに遅れました。

その間、ずっと体育の授業だけは見学でした。
昼休みに鉄棒やジャングルジムで遊ぶ事も出来ませんでした。
困った私は自力でブルマーをゲットする事にしました。

おばあちゃんに頼んで親戚中の卒業生や、
サイズが小さくなって余っている近所の人を探しました。
そうしてなんとか4月中頃にブルマーをゲットしました。

そのブルマーのタグには、知らない上級生の名前が書かれていました。

小1のGWに家でブルマー姿でいると、
私と兄を差別している父が、差別するのをやめてくれました

ただブルマー姿の時だけです。
ブルマー姿じゃない時は、あからさまに兄と差別されました。

私にとってブルマーは、差別から解放される為の最強にして唯一の手段なのです。

それ以来、ブルマーに異様な愛着を覚えるようになりました。

またまた凄い行動力ですね。
手に入らないブルマを嘆くのではなく、人の使ったお古でも良いと、おばあちゃんに頼んで探したのは凄いですね。


ブルマみさこさん(36)より 10/9

毎度お騒がせします。みさ子改め、ブルマみさ子です。
今日はブルマーと同じ色の下着を履いていた為、起こった事件についてです。

中学2年のある日掃除当番だったので、下半身ブルマーだけで雑巾を絞っていると、
何者かの視線を感じました。
振り向いてみると、見知らぬ上級生の男子でした。

『君がみさこちゃんか。ブルマーの中ノーパンって本当?』と聞いてきました。
即座に否定しましたが、奴は私に抱き付いてきました。
どうやらブルマーの中身を、確認しようとしてるみたいです。

すぐに空手の技で反撃すると、鼻血出しながら逃げていきました。
真っ青な顔で教室に戻って、掃除をしていると廊下でクスクス笑っている4人の女子たちがいました。
私が下半身ブルマー姿で居る事に、いつも反感をもっている他のクラスの女子たちでした。

その後後輩に色々調べさせてこいつらが校内中に、
『2年〇組のみさこは、ノーパンブルマ』と噂を流したとわかりました。
そこで私は次の日から、わざと白いパンティを履いてハミパンさせて、昼休みに校内を歩き回りました。

みんな私のハミパンに注目しています。中にはザワついている生徒たちもいます。
『おいあいつ、2年〇組のみさこじゃないか。あれ?ハミパンしてるぞあいつ。』
『ノーパンでブルマー履いてるんじゃなかったんか。』
これを2,3日繰り返すと噂は自然消滅しました。

その後のある日、4人の女子たちに放課後校舎の裏に呼び出されました。
きっと決闘になると思ったので、動きやすくする為下半身ブルマーで行きました。

4人の女子たちは全員、ホウキ、モップ、傘、金属バットなどで武装してました。
本来は喧嘩で空手の技を使ってはいけませんが、この状況では反撃しないと重傷を負いかねません。

4人の女子たちは、
『お前なんでいつも下半身ブルマなんだよ』『今もブルマ履きやがって。足長いの自慢してんじゃねえよ』
『スタイルいいの自慢してんのか』『だからムカツクんだよ。やっちまえ』
と言いながら襲ってきました。

大乱闘になりましたが、空手技で全員返り討ちにしてやりました。
全員鼻血を出して泣きながら、武器を捨て逃げていきましたが、
私も背中脇腹お尻を数発殴られました。
ただ私が受けたダメージよりも、相手に与えたダメージの方が遥かに大きく、
それ以降4人の女子達は、私を見ると逃げるようになりました。

大乱闘後に空手の師範に報告すると、『それは止むを得んな』と納得して貰えました。
下半身ブルマーで戦って良かったです。
4人の女子たちが持っていた武器は、幸いにも所属先が書いてあったので返しておきました。

ノーパンを確かめに来る男子もどうかなと思いますが、有らぬ噂を流したり複数で武器を持って一人を襲うなんて陰湿ですね。
それを自らの行動で跳ねのけたのはさすがですね。


みさこさん(36)より 10/6

連投すいません、ブルマみさ子です。
今回はブルマーと同じ色の下着を履いていて、
人助けになった事をお話しします。最後までお付き合い下さい。

高校の時もブルマーと同じ色の下着を履いていました。

高1の時陸上部の試合で、会場のB高校の近くの市民プールに集合となりました。

駅のコインロッカーに制服を預け、ブルマー姿になるとそのまま、
ウォーミングアップを兼ねて、集合場所の市民プールまで走りました。

到着するともう部員みんなブルマーに着替えていました。

主将『みさ子君おはよう。君その格好で駅から来たのか?』
私『ハイ、ウォーミングアップがてら、駅から走ってきました。私の出る種目は開会直後なんです。
早めにウォーミングアップしとかないと勝てません。制服は駅のコインロッカーに預けてきました。』
主将『君は気合が入っていて、中々よろしい。今日も活躍してくれ。頼んだぞ。』

主将に褒められ嬉しくなり、結構いい順位を叩き出せました。

自分の種目が早く終わったので、B高校を探検していると、
その高校のチアリーダー部が陸上部を応援していました。

しかし一人だけチアリーダー部の中に一人だけ、
ユニフォームを着ているのに参加していない女の子がいました。
しかもその子は、小学校時代の同級生のFさんでした。

私『Fさん久しぶりだね。演目に参加してないけどどうしたの?怪我?』
Fさん『みさ子ちゃん久しぶり。あのね、ブルマ忘れたの。』
私『じゃあ私の貸したげる。私陸上部なんだけど、もう自分の出る種目終わったの』
Fさん『ありがとう。けどみさ子ちゃんブルマー脱いだら、スカートかジャージのズボンでも履くの?』
私『いや、パンツ一丁で過ごす。』
Fさん『エッ!』
私『大丈夫。ブルマーと同じ色のパンツやから、パンツと思われないから。人気の無い場所この辺にある?』
 
私はFさんに人気の無い校舎裏の草むらに連れて行って貰い、
そこでブルマーを脱いでFさんに渡して、下半身パンツ一丁になりました。

Fさん『そのパンツやと、ブルマっぽいな。多分気付かれないわ。本当にありがとう。』

紺色のパンツ一丁でB校内にいましたが、誰にもバレませんでした。
また同じ高校の他の陸上部員の応援の際もバレませんでした。

全種目が終わって、帰るときにグリンズのブルマーを返して貰いました。
そして最後に女同士でキスをして、ブルマー姿のまま駅へ戻りました。
その日の夜、Fさんからお礼の電話を貰いました。

まさかのパンツなのに気付かれなかったとは驚きですね。
それ以上にパンツ姿で過ごした貴女の行動にビックリです。
同じ色だと周りはブルマだと先入観があり気付かれないものなんですね。


みさこさん(36)より 10/6

こんにちはブルマみさ子です。
今回は私のハミパン対策について投稿します。

中学に上がると流石にハミパンが気になりだしました。
しかしながら、ブルマーが好きなので体育の授業以外でも、
スカートを脱いで上は制服、下はブルマーで居ました。

そんなブルマ好きな私にとって、ハミパンをいかに撲滅するかを色々考えました。

@パンティをブルマーに縫い付ける。
これは体操や新体操の選手が、レオタードに下着を縫い付ける方法からヒントを得ました。
しかしながら裁縫下手な私にはムリなうえ、仮に縫い付けても伸縮性や耐久性の違いで、
下着が破れた場合交換に手間取るため、ボツにしました。

Aノーパンでブルマーを履く。
衛生的に問題があるうえ、万が一ノーパンで履いている事がバレると、
クラス中どころか学校中から、ヘンタイの烙印を押されるのでムリでした。
さらにノーパンか確認する為に、男子にブルマーを強引に脱がされるかも知れません。
一応空手をやっているので、喧嘩の強くない男子には勝てますが、それでもリスク高くてムリでした。

Bブルマーと同じ色の下着を履く。
これが一番合理的でした。我が校のブルマーはギャレックスのピース紺色でしたが、
これと似たような色の下着が幸い近所の量販店にありました。

その為私はBを選びました。

ハミパンを気にしなくて良くなったので、
登下校時も学校から離れるとブルマー姿になりました。
生理の時はタンポンを使って、生理パッドがブルマーの表面に浮き出ないようにしました。

こんなハミパン対策があったのですね。
パンティをブルマーに縫い付けるや、ブルマーと同じ色の下着を履くなどはこれまでの投稿には無かったかと思います。
良く思いついたものですね。


みさこさん(36)より 10/6

こんにちわ、ブルマ大好き女のみさこです。
今回は私がブルマーでのオナニーに目覚めたキッカケについて投稿します。

小6の夏のある日、朝からプールの授業があったため、
私は制服の下に水着を着て登校しましたが、
プールの授業が終わって着替えている時に、
パンツを持ってくるのを忘れた事に気付きました。

しかし幸いにもブルマーは水着の上に履いたまま登校してましたので、
ノーパンでブルマーを履いてその日は過ごす事にしました。
幸い同級生達にはノーパンでブルマーを履いている事は気付かれませんでした。

学校が終わって家に帰ると、お兄ちゃんがスイミングスクールの競泳パンツを履いていました。
私『お兄ちゃん競泳パンツ履いてるけど、今日スイミングスクール休みじゃない?』
兄『みさこお帰り。今どれだけハイレグにしたらハミキンするか試してるんだ。』

兄がグラビアアイドル並みに、競泳パンツを引き上げると見事にハミ出しました。

私も真似してブルマーをハイレグにしてみたら、股間に食い込んで気持ちよくなりました。

それから数日後の夜、お風呂に入っていた時の事です。
シャンプーボトルを強く推し過ぎて、シャンプー液が私の膣に入りました。
痛いくらいめちゃくちゃ染みます。
膣内のシャンプー液を洗い流そうと、シャワーを全開にして膣に掛けると気持ちよくなりました。

その出来事以来、私は色んな方法で膣を刺激して研究しました。
直接触ると痛かったので、パンツの上からこすっていましたが、
上記の事を思い出してノーパンでブルマーを履いてオナニーすると、
パンツを汚すことも無くオナニー出来るので、以後はこの方法でするようになりました。

ちょっとしたきっかけで気持ち良いことを知ってしまうようですね。
一度知ってしまうと再びその気持ち良さが欲しくなって色々試したようですね。
そして貴女の好きなオナニー方法が出来ていくのですね。


るりさん(50)より 10/6

高校に入ってから最初の体育の授業での話です。わたしは県立の名門の高校に入学しました。同じ塾に通っていた先輩
に制服と体操服を受け取ったら、授業よりも前に自宅でキチンと体操服の着ておいた方がいいということを言われました。

先輩の言葉を信じて、制服と体操服を受け取った日に、部屋で体操服を着てみました。体操服は半袖シャツと紺のブル
マでした。中学校の体操服もブルマだったのですが、中学校の時と違ってかなりハイレグなブルマでした。ハイレグな
ブルマなので、その時にはいていたパンツが少しはみ出していました。

わたしはハミパンしないようにパンツを買い替えるしかないと思い、母親に高校生になるという理由で、少し小さめな
パンツを買ってもらいました。さすがに、派手なパンツを買ってもらうわけにはいきませんが、ハミパンしないように
小さめなパンツを買ってもらいました。その後、新しく買ってもらったパンツをはいて、ブルマをはいてみました。そ
のパンツなら、ハミパンしないくらいには余裕ありましたので、安心して授業を受けられそうでした。

高校での最初の体育の授業でのことです。4月から9月末まではジャージの着用は認められていませんでした。授業の
最初に準備体操をしましたが、2人組での準備体操もしました。2人組での準備体操は美紀さんという子と準備体操を
しました。美紀さんは清楚な感じがする美人でした。ペアで準備体操をするので、美紀さんの方に近づきました。美紀
さんはブルマが気になるのか、ブルマの食い込みを直していました。よく見ると薄いピンクのパンツがハミパンしてい
ました。2人組になって準備体操をしますが、美紀さんは運動が一つ終わるたびにブルマの食い込みを直していました。

美紀さんはハミパンに気が付いていてハミパンを直そうとしていましたが、完全には直せていませんでした。2人組で
1人が馬になって馬飛びもしました。美紀さんが馬になった時には、大きくハミパンしていました。馬飛びが終わった
後も美紀さんはハミパンを直しますが、その際、美紀さんは「もう、このブルマ嫌。下着が全然隠れない」とぼそっと
つぶやいていました。美紀さんほどではないですが、他にもハミパンしている子は複数人いました。

次の授業からは、美紀さんを含め、ハミパンする子は激減していました。さすがに、ハミパンしないように対策してい
たからだと思います。ただ、やっぱりブルマがハイレグなので、ハミパンする子はどうしてもいました。きちんと対策
して最初の授業で恥ずかしい思いをしないですみました。

貴女は先輩の言葉を信じて小さめのパンツを履いていて正解でしたね。
普通のパンツなら美紀さんのように隠そうとしても無理なハイレグなブルマだったのですね。
やはり備えあれば憂いなしですね。


みさこさん(36)より 9/10

今度はKMちゃんとの思い出を投稿いたします。

私立高校の受験も終わった中3の2月、私はある決意を秘めていました。
KMちゃんにバレー部のユニフォームの、ギャレックスのグリーンのブルマーを譲って貰おうと、
打ち明けるために校門で登校を待ちわびてました。

閉門ギリギリになってKMちゃんが登校してきました。

私『おはよー。あのな大事な話があるのよ。KMちゃんが持ってるバレー部のグリーンのブルマー私に頂戴。』
KMちゃん『えっ、何に使うの?みさこちゃんエッチやからオナニーに使うの?』
私『違うよ。進学する高校がグリーンのブルマーらしいのよ。だから高校で履くの。お金払ってもいいよ。』
KMちゃん『そういう理由ならもう使ってないしあげるよ。みさこちゃんには前にブルマー貰ったしそのお礼やね。』

KMちゃんとの交渉がまとまり、さらにノーパンで履いた事が無いかの確認もして、
私はKMちゃんの家まで行きグリーンのブルマーを受け取りました。

そして入学前に高校で制服体操服の販売会があったのですが、体操服の上だけ買ってブルマーを見ずに帰りました。

入学して初の体育の授業で私は、KMちゃんからもらったブルマーを履いて校庭に出ると、
クラスメイトみんなあたしのブルマーと違うのを履いてます。

よく目を凝らして見ると、濃紺のブルマーに『GREENS』と書いています。
グリーンのブルマーと思っていたのが、『グリーンズ』というメーカーのブルマーでした。

仕方なく間違えて中学の時のを履いてきたという事にし、その日はギャレックスのグリーンブルマーで授業受けました。

ちょっとした勘違いでいきなり目立ってしまいましたね。
KMちゃんには貴女がエッチでオナニーしてることバレバレなのですね。
それは今も続いているようですね。


みさこさん(36)より 9/10

>その後どんなに異様に興味を持ったのでしょうか?

とおっしゃっていたので、こちらについてお答えいたします。

小中とスイミングスクールに通っていたのですが、
A男性コーチがすごく小さい競泳パンツをいつも履いていました。
小さい競泳パンツは何種類かあって、毎回色違いを履いてました。

そして陰茎とキ〇タマは大きいのに、小さい競泳パンツなので、、
モッコリが思いっきり浮き上がっていました。
たまにハミキンしていましたし、ローライズの競パンだから陰茎を横にして履いているので、、
そのコーチの事を『横チンコーチ』とか『ハミキンコーチ』と私や友達はあだ名を付けていました。

横チンコーチですが、B女性コーチが通りかかると、その時だけ横チンが勃起して大きくなるのです。

小5のある日、スイミングスクールに忘れ物をして、夜10時ごろ行ってみると、
普段閉まっている筈の入り口の自動ドアが少しだけ開いてます。

更衣室のロッカーの中の忘れ物を回収して帰ろうとした時、
サウナの方から喘ぎ声が聞こえるのです。
中を覗いてみると、A男性コーチとB女性コーチがサウナの中で水着姿のままセックスしてました。
私は二人に見つからないように、足早にスイミングスクールを後にしました。

その後B女性コーチは妊娠し、A男性コーチとデキ婚しました

そのことを思い出しながら、今もたまにノーパンでブルマーを履いて、オナニーするのです。
ブルマとあんまし関係なくてすいませんが、水着に関する思い出を投稿する所がないので、
水着に近いブルマーのページに投稿しました。

子供には見られてはいけないし、してはいけない場所でSEXしている所を貴女は見てしまったようですね。
初めて男女のSEXを見て興奮したことでしょう。
それだけ衝撃的な経験は今もオナニーのネタになっているのですね。


もも代さん(39)より 9/6

高1の体育祭の時のことです。
前提になりますので、小学の話から始めます。小学の体操服はブルマでしたが、中学の体操服はハーパンでした。
高校の体操服もハーパンでした。そのため、高校での体育の授業はハーパンで受けていました。

話を高1の体育祭に戻します。体育祭も当然ハーパンで参加なのですが、体育祭がある程度進んでからのことでした。
各クラス男女2名ずつ応援団がいましたが、全クラスの応援団の女子がいきなりハーパンを脱いでブルマ姿になりました。

私たちのクラスでは、AさんとBさんが応援団でした。Aさんはクラス委員で真面目でしたので、応援団も一生懸命
していました。Bさんはノリや愛嬌がいい子でしたので、応援団があっているという感じの子でした。この高校では
私たちが入学する前の年までブルマが使われていたので、応援団の子は先輩にこの日だけブルマを借りていました。

同じクラスの男子はブルマを久々に見たので、応援しているふりをしてチラチラとブルマを見ているようでしたが、
AさんBさんともノリノリで応援していて特に気にしていないようでした。ただ、Aさんはブルマからハミパンしていま
した。真面目なAさんにあっているという感じの白のパンツがはみ出していました。私たちの観戦している席の前で応
援団の4人が応援しているので、クラスの他の子もAさんのハミパンに気が付いていると思いますが、誰もハミパンを
指摘せず、Aさんも気が付かないので、Aさんはハミパンしたままでした。

少ししたら、応援団の女子全員がハーパンをはきました。その後、再び、ブルマ姿を披露することはありませんでした。
また、その次の年に応援団がブルマ姿になることもありませんでしたので、ブルマを見たのはこれが最後でした。
もう2度とブルマをはいて前に出ることはないので、私も応援団をすればよかったかもとは思いました。
さすがに、みんなの前でハミパンしているのは恥ずかしいですが。

応援団はなぜブルマ姿になったのでしょうね?
これまでの伝統を引き継ぐためだったのでしょうか。
ハミパンは恥ずかしくてもAさんとBさんはいい思い出になったことでしょうね。


みさこさん(36)より 9/5

今回は私が男性器に異様に興味を持つキッカケになった出来事を投稿します。

小学校低学年のあるクリスマスイブの日でした。
学校から帰った私のテンションは最高潮でした。
次の日から冬休みだし、晩御飯は大好きなチキンだし、クリスマスケーキはあるし、
クリスマスプレゼントもあるのです。

テンション最高潮なので、父とセーラームーンごっこをやっていました。
父が悪役で私がセーラームーンの役です。
最初父にスカートでセーラームーンキックをやっていましたが、
途中でブルマーに履き替えて全力で父に飛び蹴りをしました。

すると父の股間にセーラームーンキックが直撃しました。
父が悲鳴をあげて倒れました。母がすぐに駆け寄ってきて『お父さんしっかりしてー』と叫びました。

私は最初何が起こったのかわからず呆然としてました。
10分くらいすると、フラフラの父が起き上がってきました。
父『お前は親のキ〇タマ蹴るとは何事か。晩御飯のチキンも、ケーキも、プレゼントも没収だあ』
と言われて、ブルマー姿のまま押し入れに閉じ込められました。

私は泣きながら何で父の股間を蹴っただけで、あの強い父が一撃で倒れたか考えました。
そして翌日兄に聞き、冬休み明けに同級生に聞き、やっと謎が解けました。
私はそれから男性は股間を攻撃されると弱いと知りました。

冬休み明けのある日、同級生の女子Tさんが泣いていました。
私『Tさんどうしたの?』
Tさん『F君にブルマー盗られた』
私『じゃあ私が取り返してくるわ』
Tさん『えっでも、あいつ殴ってくるよ』
私『大丈夫。私に任せて』
私はスカートをTさんに預けて、飛び蹴りしやすい様、下半身ブルマーだけになるとF君の元へ向かいました。

私『なあTさんのブルマー返してよ』
F君『うるさい。お前も殴ってやろうか』
そこで私はF君の股間に、父に喰らわした飛び蹴りを食らわせました。

F君は一撃で泣き出しました。
F君『うわーん。俺もキ〇タマがぁー』
私『コラ、Tさんのブルマーは何処にあるの?言わないともう一発喰らわすよ』
F君『○○に隠した』と白状しました。

私はTさんに非常に感謝されただけでなく、男子からは恐れられ、女子からは一目置かれました。

たまたまお父さんの股間を蹴ったことから男性の弱点を知ったのですね。
手加減の無い飛び蹴りでF君も相当痛かったことでしょう。
その後どんなに異様に興味を持ったのでしょうか?


みさこさん(36)より 9/5

今回は緑競泳パンツの男の子こと、RSちゃんの弟君とのことです。

中3のある日の下校途中に、後ろから来たRSちゃんに呼び止められました。
RSちゃんに『みさこちゃん、スカート破れてるよ』と言われて、確認してみるとお尻の部分が破れて、
パンチラ防止の為に履いているブルマーが見えていました。多分フェンスに引っ掛けたのでしょう。

『大丈夫よ、ブルマー履いてるしこのままスカート脱いで、ブルマーだけで帰るよ。家でお母さんに縫って貰う』と
言いましたが、RSちゃんは『あたしの家近くやから、あたしが縫ってあげる。』と言ってくれました。

RSちゃん宅に到着すると、家の中に何処かで見覚えのある男の子がいました。
私も弟君もすぐに気付きました。
そうしているとRSちゃんは、『裁縫の道具離れにあるから、そこで縫って来る、しばらくここで待っといて』
そう言うと私のスカートを持って母屋を出ていきました。
なんと弟君と二人だけになりました。

私『なあ、○○プールで緑の競泳パンツ履いてた男の子だよね?あたしにタマ握られたの覚えてる?』
弟君『僕のチ〇コ、競パンの上からこすってきた変な女の人やあ!』

こんなチャンス滅多にありません。私は上半身セーラー服、下半身ブルマーの姿でいると、
弟君がブルマーの上からお尻を揉んできました。。
弟君は前みたいにビビっていません。むしろ堂々と私のお尻を揉んでいます。
どうやら中一になって成長しているようでした。

私『きゃあ、こしょばい!』
弟君にブルマー越しにお尻触られて、こしょばくなってきました。

弟君『お姉さん、この前のプールの続きしようよ』
私『いいよ、緑の競泳パンツ履いてる?』
弟君『わかった。履いてくるけど、お姉さん逃げたら乳首吸うよ』
私『どうぞ吸ってくれても構わないし逃げないし、アンタの競泳パンツ履くとこ見たいし、陰毛確認したい』
そして弟君は玄関に競泳パンツを持ってきて、履き替える時に陰毛が生えているのを目撃しました。

そして競泳パンツから肉棒を取り出し、お口でご奉仕してあげました。

弟君『お姉さん出そうだから、ブルマーにかけたい』
私『えっ!いいけど精液まみれのブルマーなんて履くこと出来ないから、ナイロン袋にブルマー入れて帰るから頂戴。
あとパンツに染みると嫌だから、パンツ脱いでブルマー履くからその時にかけてね』

弟君からナイロン袋を受け取り、ブルマーとパンツを脱いでもっかいブルマーだけをノーパンで履きました。
そしてお口でフィニッシュを決める直前に変な味がしました。我慢汁が出たらしく口で射精されるのを防ぐため、
陰茎をキュッと指で挟み、尿道を締め付け射精に備えました。

さらに陰茎を舐めているとすぐに陰茎が波打ってきました。
弟君の射精を抑えながら陰茎を私のお尻にあてて指を放しました。
弟君は私のギャレックスのブルマーのお尻の部分に、精液を発射しました。
ブルマーを精液まみれにされました。

私はすぐにブルマーを脱いで、その精液をペロッと舐めてみました。
ペッペッペ、苦いです。mds様、苦いです。
弟君は私が脱いだブルマーで精液を拭いています。お尻の部分だけでは拭き切れず、前の部分でも拭いています。
父のエロビデオを思い出しながらやったのですが成功しました。
そしてナイロン袋に精液まみれのブルマーを入れ。パンティ一丁で弟君の陰茎の精液をティッシュで処理しました。
すると遠くでドアの閉まる音がしました。

弟君『やばい、姉貴帰ってくる』
私『えっ、やだどうしよ。パンティ一丁やん私』
弟君『茶の間のコタツで寝ているフリをするんだ』
私は慌ててコタツにパンティ一丁の下半身を埋め込んで狸寝入りをし、
精液まみれのブルマーの入ったナイロン袋を、
第二カバンにしまいました。
弟君は慌ててズボンをはきました。

RSちゃんが『みさこちゃんスカート縫ったよ』と玄関で言いましたが、私は寝てるフリをしてました。
弟君『姉貴の友達なら、茶の間で昼寝こいてるわ』
RS『じゃあアンタ起こしてきて。離れに忘れ物したから取ってくる。このスカートみさこちゃんに渡しといて』
RSちゃんが母屋を離れた一瞬の隙に、あたしはスカートを履きました。
そして何事も無かったかのように、RSちゃんにスカート縫ってくれたお礼と、
茶の間で昼寝してしまったことを謝り帰りました。

プールで会った子がお友達の弟だったとは奇遇ですね。
ひょんな展開からまさか弟さんをお口で射精させることになると思っていなかったでしょうね。
お友達が戻るかもしれない状況でドキドキでしたね。
何とかバレずに済んだから良いようなものの、その後も弟さんからせがまれることが続きませんでしたか。


フランス人形さん(49)より 8/21

 小3の初めころの昼休みのことだったと思います。男女とも制服を着ていましたが、
クラスの4−5人の男子がスカートめくりをしてきました。
男子に最も人気があったA子ちゃんという可愛い子が一番のターゲットになったのですが、
あまりにもスカートをめくられていてA子ちゃんは泣きかけになっていました。
私もスカートをめくられました。

 その日は午前中に体育の授業があったので、女子たちは体操服のブルマーを制服のスカートの
下にはいて、防御するようにしました。ブルマーをはくと余裕ができて、さっきまで泣きかけ
だったA子ちゃんも、スカートをめくってブルマーを男子に見せながら、「今だったら、スカート
めくりしてもいいよ」とか言っていました。
男子は面白くなくなったのか、スカートめくりをやめてしまいました。

 翌日は体育の授業がなかったのですが、昼休みに、また男子がA子ちゃんのスカートをめくっていました。
ただ、A子ちゃんは下にブルマーをはいていましたので、男子はすぐにスカートめくりをやめてしまいました。
それ以降、女子はスカートの下にいつでもブルマーをはくようになったので、男子がスカートめくりをして
くることはありませんでした。

 A子ちゃんが集中してスカートめくりされていましたが、その他せいぜいクラスの半分くらいの女子が
スカートめくりされているだけでした。
スカートめくりのターゲットになっていない女子もブルマーをはくようになりました。スカートめくり
されてパンツ見られたのは恥ずかしかったですが、スカートめくりのターゲットにされていないというのも
ある意味こたえるかもとか思いました。

みんなブルマを履くようになったのは微妙な乙女心でしょうか。
男子もスカートめくりをしたいだけならブルマでも良いのでしょうが、
やはりパンツが見たかったのでしょうね。


りささん(33)より 7/17


ブルマーを初めて穿いて最初の一年間は,自分でも恥ずかしいくらい性的な興味や性的欲求が強かったときです。
もちろん最初からブルマーが性的な意味を持っていたわけではありませんでしたし,「こんなパンツ同然の体操着
なんて…」と思っていました。でも,1年の途中からAくんと付き合うようになって,ブルマーは私にとって性の
象徴のようになりました。Aくんがブルマーを好きになったことや,初めてのセックスのきっかけになったのが
ブルマーでしたから。

そうして,これまで書いてきたように,ブルマーに射精をしてもらうという,想像もよらない行為にまで発展しました。
欲求のままに行動するとそんなことになってしまうのですね(笑)そこからまた書きたいと思います。
私は,1年の最初の頃はブルマーを2枚程度で回していました。でもそのうちの1枚が射精用になったことと,Aくんの
影響で部活などでもブルマーを穿くようになったので,数枚買い足しました。値段はよく覚えていませんが,Aくん
(男子)のハーフパンツの半分もしなかったくらい安かったと思います(笑)

射精してもらったブルマーを穿くだけでも普通でないのに,私は高まる欲求を抑えられませんでした。
1枚は洗わず,Aくんに何度も射精をお願いしました。いつもそのブルマーを穿いていたわけではありません。
「ここ一番」というときの「勝負ブルマー?」のようなものでした(笑)そのブルマーを穿いて体育や部活
に出るときのドキドキ感がたまりませんでした。周囲にバレないようにするのが余計興奮しました。

そしてあるとき,いつものようにAくんにブルマーに射精してもらいました。「今日は股の内側に射精して」と
いう注文まで出して(笑)今考えても,「Aくんはよくこんな彼女の変態じみた要求に付き合ってくれたな」
と思います。いつもはパンツ越しにブルマーを穿くのですが,その日は「直にAくんの精液の温もりを感じたい」と
いう気持ちが高っていました。着替えのとき,周囲に知られないようにパンツを脱ぎ,精液の臭いのするブルマーを
穿きました。もう頭がおかしくなっていたのかもしれません。

ブルマーの中で幸せが広がっていく気がしました。Aくんの精液以上に制欲の高まった自分の愛液の方がブルマーを
濡らしてしまったかもしれません。その日,私はAくんにそのことを話しました。「私のブルマーは,いろんなものが
染みこんでるね。Aくんの精液,興奮した私の愛液,汗,直に穿いちゃったから拭き残しのおしっこもね」
「Aくんの精液はいい匂いだけど,私の愛液や汗やおしっこは臭いね。せっかくの精液を汚してごめんね」と自虐的に話しました。
こんな下品な会話をしながらも興奮が高まり,いつも以上に激しいセックスをしてしまいました。

自分でいうのも恥ずかしいですが,セックスについてはAくんよりも自分が求めることが多かったです(笑)
私の性的欲求を満たしてもらうためにAくんにしてもらっていたのかもしれません。なぜあのときはあんなに欲求が
強かったのかわかりませんが,「私って動物みたいだな」と思っていました。でも一方で,Aくんのことが大好きだった
ため,彼に支配されたいというか,自分の全部を彼のものにしてほしいと強く思っていました。

でも周囲,特に同性の友達にはできるだけこんなに性欲が強いと思われないようにしていました。
明け透けに性の話をする友達もいましたが,自分はできるだけ乗らないようにしていました。
でもあるときある友達から「りさって客観的にクソ真面目に見えるけど,実は結構エッチだって知ってるよ」と言われました。
Aくんがそう望んだこともあり,派手にせずにできるだけ地味にしていました。それなのになぜそんなふうに思われたのだろう,
と思いました。長くなったのでまた今度にします。

やはり表向きは真面目を装っているけれど、内心はとてもエッチだったのですね。
そのことを友人は何から気付いたのでしょうね。
貴女はわかっていなくても精液の臭いが漂っていたのでしょうか。
自分から求めるほど性欲が強かったとは、今はどうなのでしょうね?


ぴちゃんさん(31)より 7/6

 私が中学生の時のことです。この日、午前中は普通の授業があり、午後から体育祭の予行演習が行われることになっ
ていました。午後から体育祭の予行演習があるので、男女とも、上は半袖体操服、下はジャージという姿で登校してい
ました。

 午前中、体育の授業がありました。体育の授業が終わった後は数学の授業だったと思いますが、暑いので、短パンや
ブルマで授業を受けている子がかなりいました。数学の授業で3人が指名されて前の黒板で問題を解くことになりまし
た。3人のうち1人は「くみ子」っていう子でした。くみ子は、前を向いているので、私たちに後ろ姿を見せているの
ですが、ブルマのお尻の部分から少しですがハミパンしていました。おそらく、くみ子のハミパンに気が付いたのだと
思いますが、自席でブルマからハミパンしていないかチェックしている子やジャージをはく子がいました。また、明ら
かにくみ子のハミパンを見ていると思われる男子もいました。

 問題を解き終えて、くみ子は自席に戻ろうとしますが、教室がざわついているのとかを見て、自身がハミパンをして
いたのを察したようで、その時にハミパンをなおしていました。くみ子は自席に戻った後、ジャージをはいていまし
た。

 私は、みんなの前でハミパンしているのがくみ子であって、私ではなくてよかったと思ってしまいました。

運動中のハミパンではなく、黒板の前で立ち全員にじっくり見られてしまいましたね。
この時の恥ずかしさで以後彼女は必ずジャージを履くようになりませんでしたか。


かなこさん(40)より 5/30

 私たちのクラスが短パン・ブルマで組体操をすることになったのは、学級会で決めたからです。まじめな子が多く、
他の種目と同じようにジャージを着ないで組体操をすべきという感じに決まりました。

 体育祭が終わると、体育の授業ではジャージの着用が認められるので、ブルマを露出する機会はなくなりました。た
まにブルマってどんなだったかなと思って、部屋でブルマ姿で体育祭の時のハミパンを再現させたりしました。その時
は、こんな恥ずかしくて、みっともない姿をさらしていたんだということを思い出して、胸が熱くなりました。反面、
今はブルマで体育の授業を受けなくていいことに安心していました。

 体育は2クラス合同で行いますが、ある時の授業で隣のクラスの女子がジャージを忘れたのか、ブルマで授業を受け
ていました。他の子がジャージで授業を受けているので、体操服の裾をできるだけ伸ばしてブルマを隠すなど、かなり
恥ずかしそうにしていました。私はそれを見てジャージを忘れたのが私ではなく、その子でよかったと思いつつも、真
似してみたいという気もしました。ただ、一人だけブルマはあまりにも恥ずかしいので、真似はできませんでした。

 冬に入ってからですが、毎年開催されていた校内マラソン大会がありました。学校の外からスタートして、学校まで
マラソンで走ることになります。マラソン大会の日はジャージで学校まで通学しました。マラソン大会ではジャージの
着用は自由でしたので、マラソン大会でジャージを着ない子は、マラソン大会のスタートの場所に向かう前に学校でジ
ャージを脱ぐことになります。クラスのまじめな子を中心にジャージを脱いでいたので、私もジャージを脱いでブルマ
姿になりました。やはりハミパンは恥ずかしいので、自分でもチェックした後、友人にもハミパンしていないかチェッ
クしてもらいましたが、ハミパンしていませんでした。マラソン大会のスタート位置まで歩いていきました。

 先に長い距離を走る男子がスタートしました。その後、少ししてから私たちが出発することになりますが、その間、
高校生になるまでもうハミパンを見せる機会もないかもとか思うと、少しだけくらいならハミパンさせてみたくなり、
私はブルマの片側のお尻の裾の部分から少しだけハミパンさせました。みんなマラソンに一生懸命だったので、誰かに
ハミパンを指摘されたりすることはありませんでしたが、少しだけとはいえハミパンさせたまま公道でマラソンしてい
たので、ドキドキしていました。その日、帰った後も、部屋で再現してみたりはしました。

ハミパンが恥ずかしい反面、逆に自ら公道でハミ出させて羞恥心を刺激しドキドキを楽しんだようですね。
ブルマ姿には相反する魅力があったのでしょうね。


りささん(33)より 5/29

体育際が終わると少しずつ秋っぽくなってきました。徐々に寒くなってきました。
そして,「男女ともジャージ着用可」という時期になりました。私もジャージを着ることにしました。
ところが彼氏のAくんが「りさのブルマー姿が見られなくて残念」というようなことを言いました。
どちらかというと私の方が性には積極的で,Aくんから要望のようなものが出てくることはあまりありませんでした。

私は「Aくんの気持ちを叶えたい」という一方で,「みんながジャージの中,一人でブルマーになるのは勇気が
いるな」と思いました。そこで「次の全国模試で学年5位以内に入ったらね!」と少し上から目線で条件で出しました。
何度も書きましたが,別にAくんとは性的なことばかりで付き合っていたわけでもないし,勉強せずにセックス
ばかりやっていたわけではありませんでした。Aくんの方が私よりもずっと成績はよかったですが,自分も
負けたくないと思って勉強していました。Aくんは「わかった。お前に勝って,かつ学年5位以内に入る」と言いました。
Aくんは「それまではセックスのときだけブルマー姿を見せてくれればいいよ」と言いました。

そして…結果の出た1ヶ月半くらい後,私はジャージを脱ぎ,その冬ずっと半袖体操着,ブルマーで出る覚悟を決めました。
周囲の友達からは「りさどうしたの?」と聞かれましたが,「ジャージ着てると動きにくくて」と言い訳をしました。
Aくんは「俺の見ているときにときどき,だけでいいよ」と言いましたが,「ううん,Aくんとの約束だし,Aくんが
私にそういう気持ちを持ってくれるのも嬉しいし」と答えました。そして「私もAくんに負けないように勉強する」と
いう決意のブルマー姿でもありました。

そういうブルマーをめぐる転機が何度かありました。その第一番目だったのかもしれません。

SEXに流されず、お互いが勉学を励むためにも良い関係が続いていたようですね。
彼も何か目標?ご褒美?があれば頑張れますし、貴女も彼のためにブルマ―姿になるのが嬉しいですよね。


メグさん(58)より 5/28

メグです。高校の懐かしい思い出、もう一つ書かせてください。
                         
Fペットネーム→クラスの男の子たちは、女子にエッチなあだなを付け、楽しんでいました。写真部の子が教えてくれ
たのですが・・・・「大根足みどり」「デカ尻ゆみ」「モリマンひろみ」「スケブラちー」「はみパンけいこ」・・・
そして私は・・・「ハンケツボインメグ」でした。・・・90近いヒップでブルマはいつも激しく食い込んでました。
体育祭ではお尻によくカメラを向けられました。「いやぁ〜ん、お尻撮んないでえ〜」とアイドルぶってかわいらしく
口先だけの抵抗しかしませんでしたので、余計何人もの男子に撮られました。「やん、もぅ、男の子ったら」と困った
顔ですかさず体操服を無理やりひっぱってお尻を隠そうとすると・・・その仕草までねちっこく撮られました・・・女
子がいやがる表情や仕草に、男子は興奮するのですね。・・・                                          
スケスケの体操服の中で、たわわに実る90のバストはいつもゆさゆさ揺れていました。でも体操服は襟もとの切れ込
みが激しいので胸の谷間は隠しきれません。体育祭でダンスを一番前で踊った時、四つん這いのポーズの瞬間「バシャ
バシャ」と集中砲火を浴びました。・・・写真には両手を地面につけた、四つん這いで笑顔の私を、正面から映し出し
ていました。健康的なむちむちの太もも。豊満なヒップ。もうそれだけでネタにされちゃいますよね・・・でもさら
に・・・笑顔の下の、垂れた体操服の襟の中から・・・隠したい大きなコシのある乳房と・・・乳首が・・・ピント
ピッタリに撮られちゃっていました。・・・男子を猛烈に激しく悩ませる私の乳首は・・・ふるいつきたくなるピンク
色でした・・・これでは男子に欲情するなというのがかわいそうです・・・ 
                    
・・・隠したくても隠し切れない、女子の魅力をたっぷり見せて、男子を喜ばせていたんですね。・・・案の定「メグ
の胸もみたい!」「「メグのケツいい!」「メグの乳首にキスしたい!」とかいろいろ言われてたそうです。・・・      
私の写真は男の子みんな喜ん買ってくれたそうです。「メグのエッチな写真集作れるぜ」と言われるくらい、撮られま
くり、愛されてたんですね。「ブルマで縛られ恥ずかしそうにパンを咥えている写真」「ブルマで股にバレーボールを
挟みМ字開脚している写真」「ノーブラでスケスケ体操服で巨乳と乳首を見せつけたピース写真」「ブルマで四つん這
いで胸と乳首を晒しちゃった写真」「ブルマを恥ずかしがって体操服を無理にひっぱってお尻や股間を隠そうとしてい
る写真」などが人気があったみたいです。・・・  
                              
一番人気は、体育祭でのスナップですが、体操服とブルマを正面から撮ったものです・・・体操服の裾を伸ばして股間
を隠そうとしてですが、隠しきれず、狭い紺の三角の股間がまるでビキニのように見えるのです。健康な胸、二の腕、
太もも・・そして笑顔・・・欲情をかきたてるところだらけです・・・「へへ。これはどんな剛の男でもひとたまりも
ないぜ、オレも一番使う」だって・・・・それでも50円・・・でもクラスには、かわいいコや美人コが多いのに、一
番私の写真で、男子のみんなに満足していただいていたこと。ちょっと誇らしかったです。・・・「ハンケツボインメ
グ」・・・あの頃の私の「オナペットネーム」・・・おじさんになってる男の子たち・・・まだどなたか私の写真でオ
ナニーしているかしら・・・大切にしてくださいね。                                    
あの頃の女子は男子の大切なオナペット。

性的な好奇心で男子に見られるのが嫌では無く、豊満な身体で男子を魅了していたのですね。
男子生徒は貴女を見て興奮し大切なオナペットにしていたことでしょう。
当時の男子の間では今でもメグさんの話が出て、中には大切に写真を保管している人も居るかもしれませんね。


裕子さん(40)より 5/28

 前回の続きです。宿に帰ってからお風呂に入る時のことです。普段、女子はパンチラ防止のためにスカートの下にブ
ルマーをはいているので、女子のパンツが見れる数少ない機会でした。私は他の女子に見られても恥ずかしくないよう
なパンツを買ってきていましたが、他の女子はそこまであまり意識していないようでした。例えば、男子にも人気があ
った可愛いSという子がいましたが、Sは後ろにキャラクターがプリントされている白いパンツをはいていました。可愛
いといえば可愛いですが、中学生ぽくないように思いました。

 お風呂から出ると、私は別の新しく買ってもらったパンツをはきました。お風呂に入る前にはいていたのよりももう
少し濃いピンク色のパンツです。着替え終えてからお風呂を出ました。少し時間が経ってから夕食を食べ、その後で、
肝試しで宿の周りを歩くことになっていましたので、私たちは宿の外に出ました。ほとんど街灯がないため、外は暗
く、各自が懐中電灯を持参していました。そういう状況だったので、私はブルマーからめっちゃハミパンさせました。
暗いのでおそらく誰も気が付かないだろうとは思いつつ、もしかして見られているのかもとドキドキしながら、私は暗
い山道を歩きました。宿に戻ってくる頃にハミパンを直しておきました。

 宿に帰ると、班ごとに部屋で就寝することになっていました。8人の班でしたが、その日は暑かったことと、私がブ
ルマー姿だったので、班のメンバーのうちSを含む3人が部屋でジャージを脱ぎました。8人でUNOとかのゲームをし
ていました。女子だけでしかも寝る前で油断していたのだともいますが、Sはブルマーからハミパンしていました。

 1人の子がSにハミパンしていることを指摘すると、Sはハミパンを直そうとしましたが、その子が「女子だけなん
だし、気にしなくていいでしょ」というと、Sは直すのをやめました。そのあと、その子が「そういえば、肝試しの時、
裕子、めっちゃハミパンしてなかった?」というと、Sが「そうだよね。あまりにハミパンしてるので、見せてるのか
なと思った。もうみんなにハミパン見られてるんだから、裕子、ここでもハミパンさせようよ」と言いました。他の子
も同調するので、私は部屋でもハミパンさせることになりました。

ハミパンを隠す話は良く聞きますが、暗いことを良いことにハミパンさせて楽しんだのですね。
だけど周りの女子は良く見ているものですね。
みんなでハミパンを楽しむ展開になるとは思ってなかったことでしょう。


メグさん(58)より 5/27

メグです。懐かしいブルマの思い出です。
                                  
C背中渡り競争→女子だけの種目です。上体をかがめ両手を膝に当てた群れを作り、端の娘から背中の上を歩き、群れ
が移動していく競争です。突き出したお尻をグラウンドの外側に向けるのです。観客席の男子はお尻の品評会でした。
前かがみの女子たちはみんな、お尻に刺さる視線を感じながら、「早く終わって・・」と思っていました。「カシャカ
シャ」とカメラの音がよく聞こえました。・・・男子は「立ちマン競争」と言ってるんです。                       
Dパン食い競争→これも女子だけ。よくある種目ですが、私は何となくいやでした。両手を後手に縛られるんです!
パンが細長いんです!当時は恥ずかしいだけでしたが、熟女の今は、あれはぜったい疑似ノーハンドフェラだったと
確信しています。女子をブルマで縛り、ポールを咥えさせ、写真まで撮るなんて・・・先生の悪趣味!
           
Eスケスケ体操服→いやらしいのはブルマだけでなく、白の半袖体操服もエッチでした。生地が木綿のように薄く、ス
ケスケでしたので、下着は透けるし、肌の色もうっすらとわかっちゃうし。胸の大きな私が体育のない曜日に、油断し
てノーブラで行くと、急に体育に入れ替わりました。しぶしぶノーブラのまま体操服とブルマに着替えました。・・・

その結果、体育の時間は男子の視線を独り占めにしちゃったみたいでした。体育の後すぐ写真部の男子に「メグ、ハ
イ、チーズ」と軽く言われ、ついにっこりピースしてしまいました。

後日、写真を見せられたのですが・・・無防備にブルマで笑顔でピースする私。おへそも出して、ボンレスハムの
太ももはむき出し・・・当時はもうそれだけで充分「クラスの女子の務め」=「クラスの男子のオナペット」写真です。
・・・さらに大きな胸・・・そしてさらに・・・うっすらと・・・でもはっきりと!!!・・・かわいい桜色の2つの
乳首が見えちゃっていました!!・・・
        
「え?ちょっと?え?いやん!え?これまた売るの?え?やめてお願い!50円はゆるして!」               
あの頃の女子は男子のラブドール。                                     
また書きます。

当時は当たり前のように行われていた競争でも、今では見方によると性的な嗜好が含まれていたようですね。
胸の大きい貴女は男子生徒にとって恰好なオナペットになっていたのですね。


メグさん(58)より 5/25

皆さんのブルマのお話、とても懐かしいです。
私もよく盗撮されました。共学の高校で体育はクラスの男女一緒でやりました。
恥ずかしい思い出を紹介します。

@準備体操の整列→必ず女子が前でした。男の先生が「こら、男子、女子のケツに見とれてないでちゃんとやれ」と
言うし、女の先生の時は「ほら、大股開いて。女子のみんな気にしすぎよ。男子はそんなに見てないよ」と言うし・・・
絶体見てるのに・・・

A女子だけバレーボールを股間に挟んでぴょんぴょん跳びながら、体育館を縦に往復させられました。
男子は舞台から女子を品定め鑑賞しています。往きは後ろからお尻を見られ、帰りは大股開きで男子に正面から
近ずいていく恥ずかしい姿をガン見され・・・ゴール直後、目の前の男子に「今夜のオカズはメグで決まり」
ってささやかれました。 
              
B写真部の男の子に、「メグ、サンキュー。体育祭の写真で一番男子に売れるのはお前だぜ。ケツとか股とか1枚50円で
飛ぶように売れるよ。全部買い占めてるヤツもいるぜ。メグが一番使えるんだって。お前すごく男子の役に立ってるよ」・・
私50円?でも本当はちょっぴり嬉しかったです。

まだありますがこれくらいで。
あの頃の女子は男子のオナホ扱いでした。

今では有り得ない事でしょうが、ある意味大らかな時代だったのでしょうね。
微妙な男子受けの仕方ですが、それでも嬉しいと感じられたのですね。


かなこさん(40)より 5/25

 私が中3の時の体育祭でのことです。
3年生は8クラスありましたが、3年生は体育祭でクラスごとに組体操をすることになっていました。
競技に出る時はジャージの着用が認められていませんでしたが、組体操だけは、クラスごとにジャージを
着用するかしないかを選択できるようになっていました。私はブルマで組体操をするのが恥ずかしいので、
ジャージ着用をしたかったのですが、私たちのクラスは男子が短パン、女子はブルマで組体操をすることに
なりました。他のクラスはジャージで組体操をしていました。

 組体操の時間が来ると、まずは3年生が運動場の真ん中の端の辺りに集まってクラスごとに座りました。
クラスごとに順番に組体操をするので、まずは1組が組体操をしていました。私は3組なので、しばらくは
他のクラスが組体操をするのを見ていました。2組の組体操が終わり、2組の子が戻ってきた時に、私たちは
立ち上がり、運動場の真ん中まで移動しました。私は組体操中にハミパンしたら恥ずかしいので、立ち上がっ
た際にブルマの両側のお尻の裾をできる限り下に引っ張っておきました。

 組体操が終わり、私たちは運動場の真ん中の端の辺りまで戻りました。ほぼ戻って座りかけた時に、同じクラ
スのM子が「かなちゃん、かなちゃん、めっちゃハミパンしてるよ。白パン見えてるよ」と大きな声で言いました。
クラスごとに集まっていたので、同じクラスの男子にも聞こえていたと思いますが、クラスの何人かが笑っていました。
それを聞いて、私は慌ててブルマのお尻の裾を直そうとしましたが、確かに、一方のお尻のブルマの裾から大幅にハミ
パンしていました。私はハミパンを直しました。おそらくですが、ハミパンしないようにブルマのお尻の裾を引っ
張った際に、すでにハミパンしていたので、誤ってパンツの方を引っ張ってしまったのではないかと思います。

 その日の体育祭を終えて、私は自宅に帰宅しました。帰宅後、部屋で同じような状況を再現して、鏡に自分の姿を
映してみることにしました。正確にどれくらいハミパンしていたのかわかりませんが、普通に立っていても大幅に
ハミパンするくらいにはなっていたはずなので、その程度にハミパンさせました。その状態でさらに組体操したわけ
ですので、屈んだりしましたが、かなり恥ずかしく、みっともない状態になっていました。

 私は全校生徒の前で恥ずかしくみっともない姿をさらしたと思って、その日はよく眠れませんでした。
よくよく考えれば、私たちのクラスもジャージで組体操すれば悲劇は起きなかったので、少し悔しいです。

せっかくハミパンしないように注意していたのに残念でしたね。
多くの生徒が集まった中でハミパンが目立ってしまうのは恥ずかしかったことでしょうね。
なぜジャージで無くブルマ着用に決まったのでしょうね。


りささん(33)より 5/15

そうですね。少しでもAくんを近くに感じたいと思ってました。口でも、おま○こ(書いてしまいました)
でも、できるだけ奥に受け入れたかったです。そして、側にいないときにも側に感じたいと思いました。
最初は彼のペ〇スからすすった精液をブルマーになすりつけるくらいだったのに、大胆にもブルマーに直
接射精をお願いするようになりました。ブルマーに射精なんて、私たちくらいかも、と話しました。
しかも彼女(私)からお願いして、なんて。

体育祭の当日の朝、私は汗や体液の染み込んだブルマーを持ち、彼の家に行きました。そして「Aくんが
一位になるように、ち〇ぽ(書くのが恥ずかしかったので、ペ〇スと書いていましたか、本当はその頃
ペ〇スなどという上品な言葉は使っていませんでした)咥えてあげようか?」と提案しました。
その日は私が手でズボンとブリーフを脱がしてフェラをしました。どうしても身体の内部に彼を入れた
かったので、喉の奥で射精してもらいました。今思えば、体育祭の朝に別のことで体力使ってどうする?
とつっこみたくなりますね(笑)

そのあと、再度彼の「ペ〇ス」を咥えました。

「りさの汗と体液で汚れたブルマーとパンツを、Aくんの精液で清めて」とお願いしました。
下品に「りさのおまん○使って気持ち良くなって出して!」といいました。そう、これはセックスでは
なくて、ブルマーを清めるための儀式だったのです。その手段として私のおまん○を使ってもらうのです。

気持ちよくなるのはAくんだけでよいのでした。Aくんは私の股のブルマーとパンツをずらし、使ってくれました。
Aくんも興奮して「お前が喜ぶなら出すよ!」と言いました。そして射精の直前、ブルマーとパンツを脱がせてくれました。

大量の精液をブルマーとパンツに出してくれました。すぐに感謝の気持ちで彼のち〇ぽに残った精液をすすりました。
一滴たりともブリーフにつけたくありませんでした。その処理のときにまた勃起しましたが、「またあとでね」といいました。
その後、ブルマーとパンツについた精液を「清めてくれて嬉しい」と言って
舐めましたが、当然白く大きなシミが残りました。それを見てまた私は興奮してしまいました。

パンツだけ穿き、ブルマーはバッグに入れて学校に向かいました。すぐに着替えになりました。
バッグの中は私の汗、体液とAくんの精液の臭いが充満していました。

何事もなかったようにブルマーを穿き、外に出ました。みんないつも体操着の裾を出していましたが、
私はシミがはっきり見えるように裾をブルマーにしまうのがきまりでした。周囲からすると、「なんで
りさはいつも体操着しまってるの??」でした。ハーフパンツ姿のAくんと会いました。ついさっきまで
のAくんの姿を思い出して笑ってしまいました。

パンツの股が、精液と、舐めとった私の唾液、興奮した私の体液が混じり濡れていました。
ブルマーからはやはり精液の臭いがしたと思います。シミを見るたび、Aくんに見せる度に、下品で性欲
丸出しの自分を思い出して、さらにいやらしい気持ちになりました。体液がブルマーにまで染み出してきました。
体育祭のときでもなければ、こんなに長い時間ブルマーにAくんの温もりを味わうことはできませんでした。
それが嬉しかったです。あまりのはしたなさにAくんに呆れられないか心配でしたが、性欲がそれを上回っていました。
今考えると若かった、というか幼かったのだと思います。

下品な言葉を使うことでM性が刺激され欲情してたかもしれませんね。
また彼を全て受け入れたい気持ちも強かったのでしょうね。
二人だけの秘密・・・こんなに性のご奉仕してくれる彼女が居たら男性はとても満足ですね。
当時を思い出し告白を書くことで貴女の身体はムズムズしているのでしょうね。


ルシフェルさん(40)より 5/10

 私が中1の夏休みの塾での夏期講習でのことです。夏期講習が始まって少し経っていました。
ある日のことですが、同じクラスのM君がデニムの半ズボンをはいてきました。
中学生になると男子は長ズボンをはくようになっていて、M君もそれまでは長ズボンをはいていました。
M君は背が低く童顔なので、私はM君に半ズボンは似合うと思っていました。

 休み時間に、M君が私たちの前を歩いていました。
半ズボンの丈が短すぎるのか、M君が歩いている際に、お尻の部分からパンツが見えたり隠れたりしていました。
隣にいた友人の女子もそれに気が付いたので、私たちはM君の所に行って、「パンツ、見えているよ」と言いました。
M君は顔を赤らめて恥ずかしそうにしながら、パンツの裾を押し込んでいました。

 M君はその日以降、半ズボンを塾にはいてくることはありませんでした。
M君がなぜその日だけ半ズボンをはいてきたのか不明ですが、男子も歩いている時にパンツが見えたら
恥ずかしいのだと思いました。

 女子の体操服はブルマでしたので、ハミパンすることはありました。
男子がああいう半ズボンをはいてくれるのなら、女子がブルマでもまだ許されるかなとか思いました。

女子からパンツが見えていることを指摘されたのが恥ずかしかったかもしれませんね。
その後半ズボンを履いてくることが無かったとは、相当恥ずかしかったのでしょうね。


りささん(30)より 5/8

そうですね。まだ半年も穿いてないブルマーでしたし,私は何枚か買い足して回していたので,そんなに
生地が薄くなったり古びているようなことはなかったと思います。彼氏へのアピールで部活でも穿くことが
あったのでかなりのヘビーユーザーでしたが(笑)。ただサイズがちょうどぴったりだったのと,私自身の体
型が原因だったのだと思います。

前回の続きです。二人の「事件」を目の当たりにしてしまった私は,「ああなったら恥ずかしい」という
気持ちから「みんなの前では無理だけど,自分がやったらどうなるのか試してみたい」と思い始めました。
帰宅後自分の部屋でブルマーに穿き替え,股布の脇からパンツを引っ張り出してみました。そして,「ゆい」
のように恥ずかしい部分も出るようにブルマーとパンツを引っ張りました。もう興奮してしまいました。

次の日,「今日したい気分」と彼に伝えました。その日も体育祭の練習がありました。汗臭いブルマーのまま,
彼氏の家に向かいました。いつものようにセックス前に体操着とブルマーに着替えました。
いつもならそのまま彼氏に脱がされていくのですが,その日はブルマーを穿いたままセックスをすることを
提案しました。その前に見たことも話しながら。

私は体操着とブルマーのまま手を後ろで縛ってもらい,彼の〇ニスを咥えました。一回射精して飲み干した
ところでもう一度咥え,十分な大きさにしました。
「大きくしてりさのブルマーとパンツをずらして○○○(口では言えるのに,文字では書けません笑)に挿れて」と
恥ずかしげもなく言いました。そのくせ「汗臭くて恥ずかしいからクンニはしないで」とお願いしました。

体操着も着たまま,手の自由のない私は脚を思い切り広げました。彼は私の願い通りにしてくれました。
二人ともいつも以上に興奮してしまいました。最後は「Aくん,りさの汗と液で臭いブルマーの上に出して」とお願いしました。
そうして彼は射精しました。

「ありがとう」と言い,ブルマーを脱がせてもらうと,お礼の意味でまず彼の〇ニスをきれいにして飲み干しました。
そしてブルマーに口を近づけ,きれいに舐めました。
これはいつもやっていたことですが,その日はもう頭がおかしくなるくらい興奮してしまっていました。

手の拘束を解いてもらい,その後は抱き合いました。「土ぼこりと私の汗や体液で臭いブルマーだけど,
Aくんの精液できれいにしてもらったから明日も穿くね」と言ってその日は別れました。

自宅であえてハミパンをして欲情したようだね。
手を縛られてSMプレイ的なSEXをしてM性がどんどん目覚めましたか?
この当時からペ〇スを咥え淫らな行為を普通にし、彼に喜ばれるのも嬉しかったのでしょうね。


ポポンデッタさん(39)より 5/2

 中学生の時の放課後の掃除のことです。
学校ではもちろん制服姿でしたが、女子は、掃除の前に、制服のスカートを脱いで下はブルマ姿で掃除することになっていました。

 私たちは掃除当番でしたので、いつものように掃除の前に制服のスカートを脱いでブルマ姿になっていました。掃除当
番に由美というおとなしい子もいましたが、彼女ももちろんブルマ姿になっていました。彼女は油断していたのか、ブル
マのお尻の部分からかなりハミパンしていました。掃除当番には男子もいて指摘しづらいので、私は指摘しませんでした。
私もハミパンしていたら恥ずかしいので、ハミパンチェックだけはしておきました。幸運なことに、ハミパンしていませんでした。

 掃除が少し進んだ頃に、同じクラスの真紀という子が「由美、ハミパンしているよ。男子が由美の白パン気になって掃
除がはかどらないみたいだから、ハミパンなおしーや」のようなことを大きな声で言いました。それを聞いて、由美は恥
ずかしそうに慌ててハミパンをなおしました。男子も恥ずかしいのか、それを聞いて、由美の方を見ていないかのように
掃除を熱心にしているふりをしました。

 体育は男女別に授業をするのでハミパンしていても男子に間近でハミパンを見られることはないですが、掃除の時間に
ハミパンしていると男子に間近で見られるので、それ以降、掃除の時間はハミパンチェックを入念にするようにしました。
由美は油断しているのか、これ以降も数回、掃除の時間にハミパンを指摘されていることがありました。

男子に聞こえるような大きな声で注意されたら、視線も集まり恥ずかしかったことでしょうね。
しかし何度も指摘されるとは・・
ブルマが小さいのかショーツが大きいのか、直しても直してもはみ出す感じだったのでしょうか。


りささん(33)より 4/30

ブルマーは「最低限隠さなければならないところのみしか隠せない」運動用パンツだったわけですが,
その役割さえ果たさないことがありました。

前回書いたように,私もよく失敗してパンツのお尻の部分や,お尻の肉さえはみ出させてしまったことがありました。
これはある意味全てのブルマー着用者に起こることなので,「事故」で済ませて閉まっていましたが(笑)

さらに私だけに起こったこととして,私のブルマーのサイズが合わないのか,あるいは私の体型のせいなのか,
彼氏にも指摘されるくらい「(下着の)パンツの線」がくっきり浮き上がっていました。
さらに,お尻や恥丘の形まで丸わかりでした。股布からは陰部そのものの形も浮き上がってしまうこともありました。
恥ずかしかったですが,気にしないようにしていました。
ブルマーを穿く以上仕方ないことなのだと受け入れていました。それも「事故」の範囲だと。

さて,私の友人の「事故」では済まされない件です。
二人いるのですが,それぞれ仮名で「なな」と「ゆい」としたいと思います。
二人とも成績優秀で,学年トップクラスでしたが,性格は全く違っていました。
「なな」はある意味性に奔放なタイプで,中学のときから彼氏がいたそうです。
一方,「ゆい」はスタイルもよく,美人ですが,地味で彼氏を作るような積極性がなかったようです。
実際にはかなりもてたはずですが,自虐的に「彼氏いない歴=年齢」と言ってました。

その二人に「事件」が起こったのは体育祭の練習のときです。
この「事件」はもしかしたら私しか気づいていなかったかもしれません。
練習の途中で休憩や待機時間があるわけですが,そのときのことです。
ふと「なな」のブルマーに目をやると,なんと前からパンツがはみ出ているのです。
お尻のパンツはみ出しは私もしょっちゅうでしたが,前のパンツはみ出しは見ることがありませんでした。
しかも,なんと陰毛らしきものも少し出ているのです。
「なな」は彼氏がいたので,陰毛の処理はしっかりしていたはずですが,彼氏と別れて怠っていたのかもしれません。
それからずっと気になって仕方ありませんでした。

そして,別の時間に「ゆい」がお尻を地面について座っていました。私も同様に並んで座っていました。
クセなのか,「ゆい」はブルマー着用時に大きく脚を開いて座ることが多かったです。
先にも書いたようにブルマーは最低限の部分しか隠せませんので,股を隠しているとは言っても,
股布の細さはなんとも頼りないものです。それなのに「ゆい」は大胆に脚を開いて座るのです。
ところが,その股に目をやると,とんでもない状況だったのです。
股の横から左側はパンツがかなりはみ出ていました。「なな」と同じ?と思いましたが,
さらに大きな「事件」が起こっていたのです。
股の右側から陰毛(そのはみ出し量は「なな」の比ではありません)が,そして「もしかして陰部の一部?」と思われる
ものがはみ出ていたのです。「ゆい」は彼氏がいたことがないので,陰毛の処理はしてなかったのかもしれません。
でもさすがに大胆なはみ出しぶりに驚きました。
(下着の)パンツの股部分が相当左に寄ってしまっていたことで起こった「事件」だったのだと思います。
女子同士とはいえ,その状況を指摘することはできませんでした。

体育祭の練習は男女合同なので,ハーフパンツ姿の男子の前で一日中ブルマー姿を晒すことになります。
男子が「○○の尻がはみ出てる」とか「○○のパンツがはみ出てる」「○○のブラジャー派手」とひそひそと
話しているのが耳に入ってきます。「今晩は決まり」とか言っていたので,それでオナニーするのだと思いました。
自意識過剰ですが,私の(下着の)パンツのラインもその対象にされていたかもしれません。
彼氏に申しわけないと少し落ち込みました。

しかし,「なな」と「ゆい」の大胆なはみ出しぶりはその落ち込みを吹き飛ばしてしまいました。
男子に気づかれたら格好のネタにされてしまうはずでした。長くなってきたので続きはまたにします。

ブルマーはお尻側はハミパンがあっても前はしっかりガードされているものかと思っていました。
長年着古して延びたり緩んでいたのでしょうか?
陰部の形まで浮き上がってしまったとは生地の厚みも関係するのでしょうか。
その日はきっと多くの男子の目を楽しませてしまったでしょうね。


りささん(33)より 4/23

1週間セックスお預けで毎日フェラで彼を気持ちよくする生活が続きました。
喉奥まで彼の棒を咥え込んで,精液を受けて飲むことにも徐々に慣れていきました。
喉奥に射精してもらうときには勝手に膣の奥に射精されていることを想像しました。

もちろん実行はしませんでしたが,膣で彼の精液を受け止めたい気持ちが
相当強かったのだと思います。
口だけで射精してもらうために手を後ろで縛ってもらったりしたこともあり,
自分の中にMっぽいものがあることに気づきました。

正直いうと,彼の大きい〇ニスを口いっぱいに頬張って,喉に棒が刺さって
おえっとなりそうになっても〇ニスを離せず,美味しいとはいえない(本来口に
出すべきものではない)精液を口に出されて,(本来飲むべきものではない)精液を
飲む自分の姿を後から想像すると,ゾクゾクしてしまいました。

「おしっこが出る場所を口いっぱいに咥えて,精液を飲むときにはおしっこも
多少一緒に飲んでいるんだろうな」と。その後の話はまた別の機会にしますね。
そして,私自身はその間はオナニーで凌ぎました(笑)
その後最初のセックスはかなり気持ちよくて,はしたない姿を彼に見せてしまいました。

セックスの話ばかりになってしまったので,話をブルマーに戻しますね。
前に少し書いた「白パンツルール」についてもう少し書きたいと思います。
もちろんこれは校則ではあり得ませんし,なんとなく先輩たちから雰囲気的に引き継がれて
きたものなので,別に守らなかったからと言って何かの罰があるわけではありません。
そのため,スカートの下や着替えはさまざまなパターンがありました。

まずスカートの下です。
@パンツ(ショーツ型)のみ
Aパンツ(ボックス型・トランクス型)のみ
Bパンツの上にブルマー
Cパンツの上に短パンなど

その上で着替えは
@スカートを脱いでパンツ一枚になってブルマーを穿く
Aスカートの下からブルマーを差し入れて穿いた上でスカートを脱ぐ
Bスカートの下に穿いていた短パンとブルマーを穿き替えてスカートを脱ぐ
Cブルマーを既に穿いているのでスカートだけ脱ぐ
のパターンでした。

スカートの下はBの人が圧倒的に多く,その結果着替えはCになります。
スカートの下が@やCの人も,着替えはほぼAやBです。

ちなみに私はスカートの下は@,着替えも@でした。スカートの下が@,つまりパンツ一枚の人は
ごく少数派だったと思います。
さらに着替えも@となると,他にはいなかったかもしれません。
私は締め付け感や暑さが嫌であえてパンツ一枚でした。
着替えのときもいちいち隠すのが面倒だったので(笑)
スカートを脱いでパンツ一枚になって着替えました。
上もブラウスの下から体操着を入れるのではなく,ブラジャー一枚になって着替えました。
別に男子に見られるわけではないですから。

ここで,スカートの下がA,つまりパンツ(ボックス型・トランクス型)を穿いている人が問題になりました。
そのままブルマーを穿いたのでは当然ブルマーからパンツがはみ出してしまいます。
私の中の良い友達にもこの形のパンツを穿いている人がいて,「普通の(ショーツ型)パンツはいかにも
パンツという形で恥ずかしい」という理由でした。

着替えのときに見ていると,この型のパンツを穿いている人の対策は,ブルマーを穿くときだけ
ショーツ型のパンツに穿き替えるという人がほとんどでした。

その中,ボックス型のパンツを脱いでブルマーを履く人がいました。
どうしてもショーツ型のパンツは穿きたくないようでした。さすがに全くのノーパンという
ことではなく,サポーター?のようなものをつけていたようですが,大胆さにびっくりしました。

でも,結局ブルマーを穿くということはショーツ型のパンツ同然の姿になるわけです。
多分その彼女の中でも矛盾というか葛藤があったんだと思います。パンツに明確な規則はないけど,
ブルマーは校則で決まっているわけですから。ショーツ型のパンツが嫌いなのに,強制的にショーツ型の
パンツ同然のブルマーを穿かされるのです。
ブルマーを穿く恥ずかしさや屈辱感は私たちショーツ型パンツ派の何倍も強かったのでは,と勝手に想像しています。

ちなみに私のようにショーツ型のパンツを穿いていてもブルマーからパンツがはみ出してしまうことがありました。
パンツだけでなくお尻も覆いきれていませんでした。恥ずかしい,というか,彼氏ができてからは,彼氏以外の男子に
パンツやお尻を見せることになるのが申し訳なかったです。
そんなことを気にしていたのは私だけだったかもしれません(笑)
それこそパンツを見せたくないのであれば上に書いた人のようにパンツを脱いでブルマーを穿けばよかったのかもしれま
せんね。

高校生の時に彼を悦ばせたいとフェラも上手になっていったようですね。
自身のM性にも目覚め今も被虐的な行為で興奮しSEXがお好きなのでしょうね。
スカートの下や着替え方を分類された投稿は初めて見ました。わかり易いですね。
私もB⇒Cが一般的だったかと思いましたが、貴女は少数派の@で着替えも大胆な@だったのですね。


めぐみさん(45)より 4/15

めぐみです。
前回の投稿でお話しした貴子さん(仮名)についてお話します。

(本当は別の名称ですが)私たちの通っていた中学をA市立三中としますが、隣の仮称一中に、
山岡貴子さん(仮名)という人がいました。
バレー部のエースでキャプテンでスタイル抜群の美人で、私たちの世代の市内の人間で
知らない者がいないぐらいの美人でした。

ある時私たちの中学の体育館で、一中vs三中のバレーの練習試合がありました。
その時、一般生徒も体育館で応援することになりました。
ユニフォームは一中は鮮やかな赤のブルマ、三中はえんじ色のブルマで同じ赤系統でした。
乗り込んできた一中の先頭を歩く貴子さんにみんなの視線がくぎ付けでした。

まず制服からして三中は地味なジャンパースカートでしたが一中は憧れのセーラー服。
それだけでも差があると言うのに、向こうには貴子さんがいます。
貴子さんは当時身長170cm前後、肩まで伸びた長めのボブカット(当時の私と同じです)、
刺すような鋭い視線、きりりとした口元、細身で筋肉質ながらも出るところは出ている
モデルのような体型で、他を圧倒していました。

 髪型は一中も三中も貴子さん(と私)以外は男の子のようなショートヘアでしたので、その
意味でも靡く髪を持つ貴子さんは女の私から見ても素敵でした。父が見たらきっと気に入ったと思います。
 部活のユニフォームは代々受け継がれているためか、大柄な貴子さんにとってはきつく、
シャツには鋭くとがった貴子さんの乳房がくっきりと浮かび、ブルマはハイレグ状態で
長い脚がさらに長く見えました。

 普段威張っているバレー部の子たちも貴子さんには圧倒されてしまいました。
また三中の男子生徒もなぜか一中を応援したせいもあり、試合は一中の圧勝でした。
 バレー部のキャプテンの八重子(仮称)は男子が敵の応援をしたせいで負けたと当たり散ら
していましたが、体格の面からしても、誰一人貴子さんにはかなうはずがありませんでした。

 貴子さんのハイレグブルマを見て以来、私も含め他の子はなんとローレグなブルマを
穿いているのだろう、もっとハイレグでもいいなと思いましたが、ハイレグ化加工する
勇気はありませんでした。

別項にも書きましたが私は父の言いなりになっている(素直な?)子で自分から目立つような
ことはできない子でした。しかし一人だけ髪の毛が長かったことから皮肉にも目立っていました。
実際には長めのボブでも他の子がみんなショートだったので「ロングヘアのメグ」と呼ばれてました。
それは小学生の時超ロングだったのでそのころからのものですが。

 私は父に溺愛されており、成績が悪くとも女らしくさえしていてくれればよいと言われていたので
あまり勉強はせず、かといって成績が悪いわけでもなかったので市内で一番優秀な女子高には行けず
(当時普通科は全て男女別でした)、二番目の高校に進みました。多分父は共学の高校は嫌がったと思います。

 高校に入ると、なんと貴子さんも同じ高校でした。そして2年後半からは彼女は生徒会長、
私は副会長になり、仲良くなることが出来ました。私も貴子さんも、背中まで髪の毛を伸ばしました。
でも女なのに貴子さんのハイレグブルマに見とれていたとはついに話すことができませんでした。
ただ中学の校則で髪の毛を短くされたのが嫌だったということで意気投合したのは覚えています。
それぞれの中学で一番髪が長かったのは、貴子さんと私でした。

 ショートヘアにすることなど、私と貴子さんにとっては絶対に許せないことでした。
 高校のブルマは緑色でださかったのですが、さすがに貴子さんが穿くと他を圧倒するカッコよさで、
女子高ということもあり、まるでオスカルのようでした。
 貴子さんは大学卒業後かなり年上の男性と結婚して市外に行ってしまいましたが、一昨年刊行された
創立100周年記念誌に卒業生代表として寄稿しており、また部活紹介でも貴子さんのブルマ姿が載っていました。
高校のバレー部のブルマは水色でしたが、どの色でも貴子さんが穿けばかっこよかったです。

 生徒会長でバレー部のキャプテンという憧れの貴子さんを副会長として補佐できた高校時代は
私にとって最高の3年間でした。

相手の印象で最初からメンタル面で負け試合だったようですね。
そんなに周りから注目される貴子さんの存在は大きかったようですね。
対抗意識や見比べられるのが嫌だったのかと思いましたが最高の3年間だったのですね。
たまたま同じ高校になり長い髪つながりや生徒会を通じて仲良くなれてよかったですね。


りささん(33)より 4/12

こんな話ばかり書いていますので,その頃セックスのことばかりで頭がいっぱいだったように
思われそうですが,そういうわけではありません。そもそもAくんが勉強にも運動にも優れて
いるところも私がひかれた理由の大きな一つですし,それと性的な話は別でした。
二人とも結構真面目に学校生活を送っていたと思います。デートしたり,セックスしたりする
ことで勉強をおろそかにすることはありませんでした。何より,私と付き合ったせいで成績が
下がったなんて思われるのは嫌でしたし,私自身にとっても勉強は大事な部分でした。

家で勉強しながらAくんのことを思い出すことはありました。ときどきは電話やメール(まだ
そういう時代でした)で連絡を取ることはありましたが,その辺はずるずるとならないように
気をつけていました。どうしても我慢できずにパンツの中に手を入れてしまうことはありましたが(笑)

話を前回に戻します。その日の帰り,彼に「朝はごめん」と謝りました。彼は「なんでりさが
謝るの?」と笑っていました。「口で全部受け止めなければいけなかったんだよね?」と聞きました。
「そんなことにしなくていいよ。無理だったら合図をするからティッシュで受け止めてくれれ
ばいいよ」と言われました。お互い牽制し合うような会話の中で,私は「こういうときは精液を
口で受け止めて飲むのが愛情なんだ」ということがわかりました。今度はきちんと彼の精液を飲
んであげたいと思いました。

その日はいろいろ調べてみました。そして次の日の朝,彼の家でブルマーに穿き替えました。
「私のブルマー姿見て」というと,彼の〇ニスはそれだけでどんどん大きくなりました。手を使わずに
口だけで咥え込んでみました。そうすると今までに経験したいことがない大きさになっていきました。
そして私の喉の奥を塞ぎました。その苦しさに,なぜか私が興奮してしまいました。彼がどんどん
自分の中に入ってくる気がしたのかもしれません。最初のセックスで彼を受け入れたときとはまた
違った興奮がありました。喉の狭いところに彼の〇ニスの先が入ると,「気持ちいい」と言ってくれました。

私は口いっぱいに彼の〇ニスを頬張っているので声は出せませんでしたが、嬉しかったです。
自分から喉の奥に誘導しました。「もっと私の中に入ってきて」という気持ちが強かったです。
苦しくてゲっとなりそうでしたが,それも気持ちよかったです。「このまま彼に私の口の中に射精して
もらいたい」と思いました。手を使わず,自分の口だけで気持ちよくなってもらえれば,膣の中に
射精してもらえない気持ちが少し満たされるような気もしました。

そしてとうとう彼は私の口の中に射精しました。その前に優しく「ティッシュに出してもいいからね」と
確認してくれました。私は当然声を出せませんでしたが(笑)そうして彼の精液を口で受け止める
ことができました。味は美味しいとは言えないものでしたが(笑),全て飲み干し,〇ニスの先に
残った精液もすすりました。それを口から出して,私のブルマーになすりつけました。
「こうしているとAくんと一緒にいられるから」と言いました。「今日もこのブルマー穿いて体育受け
るね」と言いました。そうしてブルマーを脱いでバッグにしまいました。
パンツがびしょびしょに濡れてしまっていました。

好きな男性が悦ぶことをしてあげたい気持ちで一杯だったようですね。
その気持ちのおかげで口で気持ち良くする方法にも慣れて上手になっていったことでしょう。
相手を満足させる喜びを知り貴女自身も興奮し反応してしまったようですね。


めぐみさん(45)より 4/2

中学の時、私たちは花紺のブルマでした。男子は鉄紺の短パンでした。
ところがそうでないのを穿いていた人がいました。
それは男女のバレー部と女子バスケ部の人たちでした。

昔から男子バレー部は強豪で、スクールカーストの最上位で、スポーツ万能でかっこよく、
成績も良い人が多い、まさに学校の花形でした。
彼らは「ロングパンツ」という、短パンより長く、ハーフパンツよりは短く、ハーフパンツとは
違い短パンと同じく伸縮性のない素材のものでした。

本当は違反なのですが、エリート集団の上色は同じ、また体型補正で背が高い分丈が多少
長くても目立たないので誰も文句を言いませんでした。
女子はたいして強くないのですが同じバレー部ということで、一緒になってエリート気分でした。
彼女たちは、ユニフォームから番号を外したえんじ色のブルマを穿いていました。

しかし、色は違うけれども一応ブルマなので、特に先生に叱られませんでした。また、私たちと違う小学校から来た子
の、少し色の濃い小学校の時のブルマも特に咎められませんでした。さすがに二年以上ではいませんでしたが。
本人たちはいい気分でしたが、隣の中学のバレー部のキャプテンの貴子さん(仮名)が市内で美人として有名なため、
さほど校内では人気がなかったです。貴子さんについては後で別に書きたいと思います。

そしてもう1組の違反体操服は女子バスケ部で、やはり練習用の短パンを穿いていました。
男子指定の短パンと似ていますがすその広がりが少ないもので、中には男子用の短パンを穿いている子もいました。
女子バスケ部は少し不良っぽい生意気な子が多く、ブルマを穿くように良く指導されていました。
またレギュラー以外の1年生はブルマで、短パンの着用が部内での序列を示しているようでした。

また、短パンによるパンチラについても、下にブルマを穿いているから平気だと言っていました。
下に私たちと同じくちゃんとブルマ穿いているのにどうして短パンを重ねるのか私には理解できませんでした。
先生に注意されると下にブルマを穿いているのでその場で脱いでいました。

男子だとサッカー部がそういう不良っぽい子のあつまりでしたが、体操服は指定のものを穿いていました。
体育祭の時は、バレー部もバスケ部も指定のブルマを全員穿いていました。

同じ学校の中でも黙認されていた部もあればしっかりルールを守る部もあったのですね。
やはり強豪だと周りが大目に見る風潮があったようですね。


めぐみさん(45)より 4/2

私は小学生の時は短パンでしたが、中学からはブルマでした。花紺という青に近い明るい紺色でした。
私に限らず当時の中学生はスカートの中は常にブルマでしたが、ある時強風が吹きA子のスカートがめくれました。

中にえんじ色で2本線の入った小学生の時の短パンでした。
A子は恥ずかしそうに真っ赤になりました。体育や掃除当番のない日だったので、パンチラ防止のブルマの代わりに履い
てきてしまったようです。私は妹がいたのでお下がりさせていたので、中学になってからは小学生の時のは一度も履いて
いません。 前日の体育の時汚れてしまって替えがなかったのかもしれません。

むしろ、小学生の時は男女共通だったのが女子専用になり、一人前の女と認められたようで嬉しかった部分もあります。
ですから小学生の時の短パンなど履いていたら一人前の女ではない、子供だと思っていました。ですからA子が気の毒でした。
でも、小学校でもブルマだった別の小学校から来た子はスカートの中に小学生の時のブルマを穿いていた子はほかにもい
ました。しかし少しだけ濃い紺だったので、あまり違いが目立ちませんでした。

下着を隠している短パンが見えてもそんなに恥ずかしかったのは、
みんな短パンとブルマで子供か大人かみたいな区分けの気持ちがあったからなのかな。
その当時の女の子ならではの感覚かもしれませんね。


りささん(33)より 3/31

そうですね。直接結ばれたい気持ちは強かったですが,さすがにそこは自制しました。

最初は私の方が押し気味だったと思います,部活にあえてブルマー姿で出るのは彼に対する
「今日は結ばれたい」という気持ちのアピールでした。それに彼も応えてくれました。
彼の家の事情でお預けになってしまったこともありましたが(笑)
そういうときは我慢できずに一人でオナニーをしていました。
もちろんブルマーを穿いて,彼の〇ニスを受け入れていることを想像しながら。

そしてブルマーを介した彼との関係にさらに変化が起こりました。
ちょっと細かい経緯は書けないのですが,あるときに彼と「一週間,私はセックスお預け,
彼のみフェラチオで気持ちよくする」という約束をすることになりました。

何度も彼とセックスしたのに,なかなか私はフェラチオに慣れませんでした。
(それがこの約束の理由というわけではありません)
約束一日目の朝,いつものように彼の家に行きました。私はスカートを脱ぎ,ブルマーを穿きました。
そして彼の制服ズボンとパンツを脱がせました。そして私は彼の〇ニスを咥えました。
彼に教わりながらどうすれば気持ちいいのかを学んでいきました。
手と口を使って,彼の手伝いもあって,彼は射精できました。

ところが,射精の瞬間私はどうすればいいのかを全く考えていませんでした。
あまりの勢いにびっくりして,思わず口から彼の〇ニスを離してしまいました。
私の顔・メガネと髪に勢いよく精液がかかり,ブルマーの上に大量の精液がぼとぼとこぼれました。
顔と髪はきれいにいてもらい、ブルマーも拭きましたが,白いシミと臭いが残りました。
もう家に替えのブルマーを取りに帰る時間はありませんでした。
しかもその日は球技大会(?)でほぼ一日ブルマーでいなければならない日でした。

仕方なくそのまま彼と学校に向かいました。
さらに運が悪いことに,私以外の女子はジャージの下を持ってきていたのです。
行事だからブルマーでなくてもよかったようです。私はよく把握していませんでした。
彼の精液に塗れたブルマーだけで競技に出たり応援したりすることになりました。
最初は「シミと臭いで周りにバレないかな?」とドキドキしましたが,そのうち,彼が直ぐ近くに
いる気持ちで満たされていきました。本当に変ですよね。

ブルマーのシミをみるたびに興奮してしまいました。結局誰からも指摘されることはありませんでした。
調子に乗った(?)私はそのまま放課後の部活も精液付きのブルマーで出ました。
最初は事故で、着替えることもできなかったとはいえ,後から考えると「よくあんなことできたな」と思いました。
長くなったので,2日目以降のことはまた書きます。

好きな彼に気持ちいいやり方を習いながら練習していたら上手になっていくことでしょう。
さっと洗ってドライヤーなどで乾かす時間も無かったのかな?
思わぬハプニングで新たな喜びを知ることが出来て良かったのかも。


めぐみさん(45)より 3/31
 
はじめて投稿します。
私が小学生の時は、男女共通のブルマと同じ生地の短パンでしたので、ブルマデビューは中学からでした。
小学生の時は私服で、体操服も男女同じでしたが、中学になると制服から体操服から何から何まで別になりました。

 でもそれを不思議だとは思わず、むしろ当然のことだと思っていました。
男子の短パンはナイロン製で大きく裾が広がっていて中のブリーフ、人によっては大切なところまで大きくはみ出してい
て、私たちは絶対に履きたくないと思っていました。

小学生の時の短パンでも男女とも極端に痩せた子はハミパンしていましたが、標準以上の体型なら誰もはみ出しませんで
したが、中学の男子用短パンはほとんどの人が、モロにはみ出していたのです。また、太っている人だと伸縮性がないた
めマット運動の途中で破れてしまった人がいて、女子の場合痩せていてもお尻だけ大きい場合もあるので、これはダメだ
と思いました。

 ですから、私たちの中でブルマがぴったりしすぎて恥ずかしいと思う気持ちがあっても、「男子の短パンを穿いてパンツ
が丸見えになったり、破れてしまうよりはまし」という気持ちの方が大きかったのです。

 娘が中学生になり、ハーフパンツを穿いているのをみるにつけ、私たちの時代にもこれがあれば、これを選んだに違い
ないと思いました。ハミパンする可能性は限りなく0ですし、体の線も出ることはなく、また伸縮性もあるので、ブルマ
と短パンの欠点が両方とも改善されていたからです。なお小学校の短パンはいまだにモデルチェンジされていません。

時代の流れと共に体操服も改善されていくのに、小学校の短パンは昔のままなのですね。
ということは今も恥ずかしい思いをしている子がたくさん居るのでしょうね。
何か変えない理由があるのでしょうね。


りささん(33)より 3/27

前回の続きです。

このようなことが何度か続きました。それはもちろん幸せなことでしたが,やはりもっとAくんに知ってほしい,
Aくんのことを知りたいという気持ちが高まってきました。
周囲が白パンツを卒業していくのもありましたが,そんなことは小さく思えました。

あるとき,Aくんにその気持ちを伝えようと思いました。その日は私は練習はなかったので,Aくんの練習が終わる
のを待っていました。しかもブルマー姿で。
練習もないのにたったひとりブルマー姿でいるなんて周囲から見たら変な女だったと思います。

「あれ?今日は練習なかったんじゃないの?」と聞かれました。「うん,でもAくんをブルマー姿で待っていたくて」と
答えました。それでいつもの流れになりました。

そうして,Aくんの家に着くと,私は「Aくんのこと好きだよ。もっともっとAくんのことを知りたい。私のことも
知ってほしい」と言いました。「ブルマーだけじゃなくて,私の全部を見て」と言いました。引かれること,
嫌われることも覚悟していました。でも気持ちが抑えられなかったのです。
Aくんは「俺もだよ。りさのことを大事に思うあまりに時間をかけようと思ってた。でも,寂しい思いをさせてごめん。
りさから言わせてごめん」と言ってくれました。本当に嬉しくて泣いてしまいました。

いつものように私はブルマー姿になりました。時間をかけて抱き合った後,私は「ブルマー脱がせて」と言いました。
下に穿いていたのはいつもの色気のない白いパンツでしたが,緊張してそれどころではありませんでした。
Aくんも白のブリーフになりました。お互い下着姿でキスをしました。Aくんにリードされるまま,身を任せました。
私のパンツにAくんが手をかけました。恥ずかしさもありましたが,それ以上に嬉しかったんです。
「Aくんにパンツ脱がせてもらえるなんて幸せ」と言いました。そしてゆっくりパンツを脱がされました。
そして私のデリケートなところを口で優しくしてくれました。

正直言って私はそのときには性的な知識や興味はあっても,セックス自体の知識はありませんでした。
そういう順番でやるもんなんだと思い,Aくんに任せました。彼もパンツを脱ぎました。「俺のもできる?」と聞かれました。
そういう行為があることはなんとなく知っていましたが,そんなに一般的なものではないと思っていたので,少し驚きました。
Aくんは「最初だから抵抗があったら無理しなくていいよ」と言いましたが,「ううん。それをするとAくんも気持ちよく
なるんだよね?」と聞きました。「うん」と答えを聞いて,下手なりに少しだけ咥えました。
「少しずつ上手できるようになるね」と言いました。そうして彼の〇ニスはみるみる大きくなっていきました。

「こんなに大きいものが入るのかな?」と不安もありました。そこからはAくんが時間をかけて丁寧にしてくれました。
そうして彼を受け入れました。まだ気持ちいいという感覚はありませんでした。でもAくんが射精までできたので本当に
嬉しかったのです。最初のセックスは挿入したまま射精できないこともあると聞いていたので。
終わった後,嬉しくて泣いてしまいました。「Aくんありがとう。ずっとAくんが身体の中にいるみたい」と言いました。

全てが終わった後,「りさの身体綺麗だよ」といってくれました。そして,その日の出来事について話しました。
でも一つだけオチがあります。それは,Aくんに「色気のないブラとパンツでごめんね。Aくんは何色が好き?」と聞いた
ところ,「え?白がいいんじゃない?別に色気がないと思わなかったよ」と言いました。
結局彼に好みに合わせる形で,私の白パンツ卒業はお預けになりました(笑)
その後もブルマーは私たちのお付き合いに重要なものとなっていきました。

性への興味もあり今回の貴女は積極的でしたね。
これが貴女の初体験の大切な思い出なのですね。
避妊の事は気になりましたがうまく好きな彼と経験が出来て良かったですね。


りささん(33)より 3/19

前回に続きです。
ひとしきりブルマーについて話したあと,真面目な話になりました。
彼氏に「さっきはありがとう。一人だけブルマーですごく心細かった。Aくんが来てくれなかったら
動けなかったかもしれないよ」Aくんは「そんな大袈裟な。でもりさを救えたんだったらよかった。」
そして「りさのかわいいブルマー姿も見られたしね」と言ってくれました。「私のブルマー姿見たかった?」
「うん,りさは(下着の)パンツみたいで嫌だって言ったけど,彼女のいろいろな姿見たいって思うじゃん?」

そう話すうちにさっきの感情が湧き上がってきました。
「また私のブルマー見たい?」と思い切って聞いてみました。「え?」「ごめん。そんなこと言われても
びっくりするよね」「ううん。見たいよ。よく見せて」そうして,私たちはAくんの家に向かいました。
「今日は家族が遅いから」と言いました。

彼の部屋に入りました。「じゃあブルマーに着替えるね。上はどれがいい?」と聞きました。
「じゃあ体操着で。俺,着替えの間外に出てるね」そうして私はいつものように着替え,上下体操着姿になりました。
戻ってきたAくんは「こうして近くで見るといっそうかわいい」と言ってくれました。
Aくんも明らかに興奮しているのがわかりました。「Aくんだけにブルマー姿を見てもらえるなんて嬉しい」
「Aくんだけのためにブルマー姿になったんだよ」と言いました。Aくんは「ありがとう。
俺だけのりさのブルマー姿だね」と言いました。

私は一か八かで「ねえ。見てるだけじゃなくて…」と言いました。Aくんは「手を握ってもいい?」と聞きました。
私は「うん。手もブルマーを触ってもいいよ」と言いました。
引かれたら終わりでしたが,それくらい気持ちが高揚していました。

Aくんはブルマーの腰を触ってきました。遠慮があったのだと思います。「お尻も触っていいよ」というと,
お尻を触ってきました。「すごくピッタリしてるね」「パンツの線が出てる」と言いました。
私は「え?今までパンツの線を見せながら運動してたの?」と当惑しました。全然気づいていませんでしから。

ブルマーから,少しずつ手をずらし,(ブルマーからはみ出た)生のお尻に手が触れました。
揉むというか,強く撫でられました。ドキドキしました。そして,私はゆっくり脚を開き,股の部分を見せました。
「股はこんなに頼りないんだよ」「Aくんにしかブルマーのこんな恥ずかしいところ見せられない」と言いました。

Aくんは「りさだけにブルマー姿でいさせてごめん。俺も体操着に着替えてみる」と,その場で制服を脱ぎ始めました。
私の着替えのときに部屋の外に出た遠慮はもう無くなっていました。
制服のズボンを脱ぎ,白のブリーフ(といっても伸び伸びのダサいものではなく,ピッタリしたものでした。
正直ちょっとびっくりしました)の上にハーフパンツを,上半身は裸になって体操着を着ました。
私たちは,ハーフパンツ姿,ブルマー姿で抱き合いました。そうなるとお互いにもう遠慮はありませんでした。
お互いの全身を撫で合いました。幸せな気持ちでいっぱいでした。

お互いの心の壁が取り除かれて自然な成り行きとなっていくようですね。
誰も居ない部屋で周りを気にすることもなく欲求のままに触れあいが始まったのですね。
異性との初めての?抱擁に喜びを感じ興奮したことでしょう。


りささん(33)より 3/17

そうですね。ブルマーは身体にフィットする上に,形状がまさに下着のパンツでしたね。
ウエストと裾が平行になっていればいいのに,なぜわざわざ股下から太ももの外側まで切り込んで
あるのかわかりませんでしたね。
裾のごく短いショートパンツなら,身体にフィットしても全然恥ずかしくなかったはずです。
でも,ブルマーのパンツの形状のせいで前は太ももの付け根まで丸出しの上に,後ろはお尻の形が
わかるどころかお尻を隠し切れない形状でした。股だけを隠すなんて,(下着の)パンツならその上に
スカートやズボンを穿くので問題ないのかもしれませんけど。

Aくんと付き合うようになってから,お互いに運動部だったのであまり時間は合いませんでしたが,
登下校を一緒にしたり,休みの日に出かけたりしました。そういう付き合いが幸せでした。

そんなある日,私は部活に出るために着替えようとし,練習着のショートパンツを忘れたことに気付きました。
仕方なく,その日はブルマーで出ました。慣れてきたとは言っても,体育の時とは違い,他にブルマーを穿い
ている人はいませんでした。そのため,視線を感じ,勝手に「あの子ブルマー姿を見せたいんだ」と思われて
いるように感じてしまいました。

ちなみに私はブルマーをシャツで隠さない派でした。ほとんどの人が体育のときに上の体操着の裾でブルマーを
できるだけ隠していましたが,ブルマーがほんの少しだけ見えるのがまさにパンツそのもので嫌でした。
特に遠くから(シャツを出した上でのブルマー姿は)ハーフパンツを忘れて仕方なく(下着の)パンツで運動して
いるように見えました。

練習が終わり,着替えに戻るときに,本当に偶然に,同じく練習を終えた彼氏と会いました。
心細かった私は思わず彼氏の前で涙を流してしまったのです。「練習着忘れてきちゃってこんな格好で。彼女が
こんな格好じゃやだよね?」と言いました。彼氏は事情を察してくれました。そして「なんで?りさのブルマー姿か
わいいじゃん」と言ってくれました。それで不思議と一気に不安は吹き飛んでしまいました。

上は(体操着ではなく)Tシャツなのに,下は制定ブルマーというアンバランスな状態でした。誰に強制されたわけでも
なく,自分自身で選んだ格好なのに,気持ちが不安定になる私が変なのですが,彼氏が窮地を救ってくれた気がしたのです。

着替えに戻るとき,安心と彼氏に対する思いが最高潮に達していました。たったこれだけのことなのに,です。
ブルマーを脱ぎ放ってパンツになると,なんとも言えない解放感と,彼氏に対する全く別の強い感情で,私はまた
混乱してしまいました。

こんな書き方をしましたが,正直にいうと,強い興奮でした。ブルマー姿で視線に耐え続けた時間と,彼氏が「かわいい」と
言ってくれたことで,抑えられない興奮をしてしまったのです。偶然のブルマー姿が自分自身がよく気づいていな
かった感情(いや,これも正直に書けば欲求です)を解放してしまったのだと思います。
ブルマーをバッグにしまって彼氏と合流しました。

帰り道,なぜかお互いの距離が一気に縮まった気がしました。そしてなぜかAくんがブルマーの話を振ってくるのです。
「いつもブルマーで部活しているわけではないんだ?」「たまたま今日練習着を忘れたから仕方なく,だよ」
「ブルマーはいつも(スカートの下に)穿いているの?」「ううん。スカートの下はパンツだけだよ」
「今日はブルマーだけ持ってたんだ?」「うん。体育なかったのにたまたまだね。
ブルマーなかったら本当にパンツ一丁だよ(というような冗談を言えるくらいにまでリラックスしていました)」
「ブルマーは恥ずかしいの?」「だって,こんなの遠くから見たら紺のパンツじゃん。Aくんはパンツで運動したい?」と。
そんな感じでした。

そして,私が着替えのときに感じた気持ちをAくんも感じていたのだということが徐々にわかってきました。
長くなりそうなので,続きは次回にします。

ちょっとした一言で気持ちがすっと楽になることもありますよね。
貴女のブルマ姿を受け入れてくれた一言、それが好きな彼からだと尚更ですね。
抑えられないほどの興奮や欲求ってどんな感じだったのでしょうね。


裕子さん(40)より  3/15

 中1の夏に行われた林間学校でのことです。制服を着て学校まで行って、バスで旅館まで行き、旅館で体操服に着替
えることになっていました。体操服を持参する必要がありますが、夏だったので、夏の体操服のことしか頭にありませ
んでした。そのため、いつものように制服のスカートの下にブルマーをはいて、半袖体操服だけをかばんに入れて、学
校に行きました。

 バスで旅館に行き、旅館の部屋で体操服に着替えました。私は制服の上着を脱いで半袖体操服を着た後、制服のスカ
ートを脱いで下はブルマー姿になるのですが、同じ部屋に割り当てられていた同じクラスの女子は当然のようにジャー
ジのズボンを持ってきていたので、下にはジャージをはいていました。山道を歩くことになるので、私は虫よけスプレ
ーは持参していましたが、ジャージのことは完全に頭から抜けていました。虫に刺されると嫌なので、私は脚に虫よけ
スプレーをかけてから、旅館の外に出ました。

 旅館の外に出ると、他のクラスの女子も含め100人以上はいる女子の中でジャージをはいていないのは私だけであ
ることが判明しました。男子の方も今と違って短い短パンで恥ずかしいからか、虫に刺されるのが嫌なのか、100人
以上はいる中で10人程度を除いてジャージをはいていました。1人だけブルマー姿ですので、罰ゲームみたいな状況
になっていました。男子は凝視してくることはなく、女子は躊躇なく凝視してくるので、女子の視線の方がきつかった
です。また、同じクラスの女子に「裕子、ハミパンしてる」と言われたので、慌ててハミパンを直そうとしたところ、
その女子は「嘘だよ」というので、その女子も周りの女子も笑っていました。

 その後、クラスごとに並んで点呼を取った後、クラスごとに順番に山の散策を行いました。散策中に、靴の紐を結び
直すためにしゃがみました。靴の紐を結び直した後に、ふとブルマーの裾を触ったのですが、少しハミパンしていまし
た。それに気が付いてハミパンを直しましたが、その時に、お風呂の際に見られても恥ずかしくないように、新しく買
ってもらった淡いピンク色のパンツをはいていることを思い出しました。これだったら見られても恥ずかしくないと思
い、立ち上がる際に、わざと少しハミパンさせました。そのまま歩きましたが、誰にも特に何も言われませんでした。

 途中、広めの河原があり、そこで各自が持参したお弁当を食べることになっていました。私は同じクラスの女子4人
と一緒に、輪になって座ってお弁当を食べることにしました。座ってお弁当を食べ始めた後に、そのうちの1人が私に
「裕子、ハミパンしているよ」と言いました。それを聞くと、もう1人の女子が「裕子、気いつけた方がいいよ。歩い
てる時もハミパンしてたで」と言いました。私はハミパンを見られて恥ずかしいような、少しうれしいような感じにな
りました。その頃にはだいぶ暑くなっていたので、男子は半分近くがジャージを脱いでいましたが、女子はジャージの
裾を折るだけでジャージを脱ぐ子はいませんでした。

山道を歩くのにジャージの下を持ってくるのを忘れたのですね。
一人だけブルマ姿だと必然的に注目を浴びてしまいますね。
そのことが貴女を少し大胆にさせわざとハミパンをして、見られる喜びを知ったのでしょうか。


りささん(33)より 3/15

そうですね。確かに皆さんの投稿を見ていると順序が逆ですね。
でも,学校の途中で変わったわけではなく,新しく入った学校で変わったので受け入れられた部分もあったのかもしれません。
ただ,別の学校に行った友だちの話を聞く限りでは,ブルマーが採用されていのは私の学校だけでした。色々調べてみると,
ちょうど移行期の最後に当たっていたのかもしれません。勉強もする真面目な人たちがほとんどの学校だったので,割と素直に
ブルマーを受け入れていきました。

それでもブルマーの「パンツ感」はなかなか拭い切れませんでした(笑)。それで,「これはパンツではなく体操着だ」という
スイッチを入れる自分なりの決め事をしていました。他の友だちはスカートの下にブルマーを穿いてきたり,着替えのときに
スカートの下からブルマーを差し入れてスカートを脱ぐ,という人がほとんどでした。私はあえてスカートを脱いで(下着の)
パンツになり,そこでブルマーを穿きました。「(下着の)パンツの上に(体操着として)ブルマーを穿いた」気持ちになるのです。

最初は嫌でしたが,そのうち部活でも(練習着を忘れた時など)代わりにブルマーを穿くこともありました。
そのきっかけはまた別の機会に書きます。

話は変わるのですが,入学したての頃は白のブラジャーとパンツを着けていきました。ローカルルール(?)みたいなのがあって,
「彼氏ができると白のパンツを卒業」みたいな雰囲気がありました。それをどれだけの人が守っていたのかは知りませんが,
最初が白だったため,彼氏もできないのに突然白のパンツを卒業することは(恥ずかしくて)できませんでした。

そうして,友だちにも彼氏ができはじめました。パンツの色は抜きにしても,「私も彼氏がほしいな」と思うようになってきました。
Aくんという頭も良く成績もトップ,運動もできる人を好きになりました。なかなか私なんて相手にしてくれないないかな,と思い
ましたが,とあるきっかけで私から告白して付き合うことになりました。このAくんとのお付き合いでブルマーが重要な意味を占める
ようになったのです。長くなったので,続きはまた次にします。

色は違うけれど身体にフィットするブルマはパンツ感は払いきれないかもしれませんね。
パンツの色に意味があるお話も初めて聞きました。
ブルマーが重要な意味・・・どんな展開が待っているのでしょうね。


りささん(33)より 3/8

学校の時は,男女とも短めのハーフパンツでした。中学になると,女子はハーフパンツになる一方で,
男子は丈の短いショートパンツでした。脚がかなり出るので恥ずかしそうにしている男子も多く,
仲の良い男子をからかったりしていました。「パンツ(トランクス)見えてるよ!」と言ったりしました。

ところが,高校に入ると立場が一転しました。男子がハーフパンツである一方で,女子はブルマーだったのです。
それまでブルマーというものの存在をよく知りませんでした。入学前に体操着等は買いましたが,ジャージも一緒
だったので,それが普段の体操着だと思いました。
ブルマーは「スカートの下に穿くのかな?」くらいで気にしていませんでした。私自身はずっとスカートの下に
短パン等を穿く習慣がなかったので,「いらないや」と思ってそのままにしていました。

ところが,入学式の次の日だったか,2・3年生は授業を受けていました。
そこで,体育をうけている先輩を見て驚いたのです。「え?なんで黒(紺)のパンツ
一枚で体育やってるの?」と思ったのです。それでようやく事情がわかったのです。

家に帰って手にとって改めて確認しました。
まさに自分が誤解したように,パンツ(のような体操着)一枚で受けなければならないのです。

最初の体育の日,すでにスカートの下に穿いてきている人がほとんどでした。
私は(下着の)パンツの上に(ブルマーという)パンツを重ねるように穿きました。
これが初めてのブルマーでした。

「これ,ただパンツを2枚穿いてるだけだよね」「少し地の厚いパンツだよね」みたいなことを仲良くなり
はじめた友達と言いながら,みんな恥ずかしさを抑えながら校庭グランドに出ました。
驚いた(ハーフパンツ姿の)男子の視線が私たちのブルマーに突き刺さったのはいうまでもありません。
太ももも,お尻の形も,全てさらけ出しているのです。多分最初に私が思ったように,「なんで女子は体操着を
穿かないでパンツ一枚になってるの?」と思ったはずです。

こうやって始まったのですが,2週間もすれば慣れましたし,その後の3年間の生活にある意味で重要なもの
(好きではありませんが)となりました。長くなったので続きは次にします。

ブルマからハーパンの話はよくありますが、逆はこれまでにあまりないパターンですね。
いきなりブルマになる方が恥ずかしいと思いましたが、意外と慣れるのが早かったようですね。


檸檬さん(31)より 3/8

 私が小学生の時のことです。小6に上がる時に体操服がブルマからハーパンに変更されました。在校生はそのままブ
ルマをはき続けてもいいことになっていました。ハーパンを購入したかったのですが、あと1年ということで母親に購
入してもらえませんでした。

 新学年になってからの体育に授業でのことです。あと1年で卒業ということですが、やっぱりブルマが気になるの
か、クラスの女子の3分の2くらいの子がハーパンを買っていました。もちろん、ブルマが少数派なので、ブルマで授
業を受けるのは恥ずかしかったです。ただ、それ以上に、ブルマをはき続けている子がまだ男子をあまり意識していな
い子って感じの子たちだったので、私もその中に入れられるのが恥ずかしい気がしました。ざっくりといえば、ブルマ
はいてる子はダサいって思われるのではないかを恐れていました。

 その例になると思いますが、私はブルマからハミパンしないようにもともと気にしていましたが、ブルマをはく子が
少なくなった小6になってからは更にハミパンしないように注意していました。ただ、他のブルマをはき続けている子
はあまり意識していないのか、授業中によくブルマからハミパンしていました。私の感覚だと、ハーパンをはいている
女子にハミパン指摘されると恥ずかしくて悔しいのですが、ハミパン指摘されてもただハミパンを直すだけで、次の授
業でもハミパンしてたりしていました。同じような子に思われたくないので、ハミパンしないように細心の注意を払い
ました。

 ある日のことですが、隣のクラスが次が体育の授業のようで、体操服を着て教室から出てきていました。美穂ちゃん
もいたのですが、美穂ちゃんはブルマをはいていました。同じクラスになったことはありますが、彼女は可愛くてスタ
イルもよく男子にも人気がある子でした。彼女が私の横を通り過ぎたので、振り返りましたが、彼女のブルマから水玉
のパンツがハミパンしていました。それを見た時に、6年生ではダサい女子だけがブルマをはき続けているわけではな
いと確信できましたので、気が楽になりました。

家庭の事情もあるでしょうし、好きで履いてる人もいるだろうし、
その年代だとブルマ姿に対する感覚も人それぞれだったのですね。
周りがどんなに思うかより自分が自信を持っていればいいのでしょうね。


ちょびさん(48)より 2/25

 中学は共学の学校に通っていましたが、高校では女子校に通いました。
中学の時は校内に男子がいるので、ブルマは非常に気になっていました。
ジャージを着ていい時は、私を含め他の女子もできるだけジャージをはいていました。

 高校になると、女子だけなので、私を含めて女子はブルマをあまり気にいていませんでした。
ハミパンしていても、だらしがないということで指摘されたりはしますが、その場で直せば
いいだけですので、そんなには気にしていなかったように思います。

 高2の時だったと思いますが、体育祭で蛇の皮剥きという競技を高2の各クラス対抗で行いました。
競技に出る時はジャージ禁止でブルマでということは特に決まっていませんでしたが、みんなきちんと
ブルマで競技に出ていました。
 
 ただ、蛇の皮剥きは他の子の顔の上をまたぐことになるので、さすがに恥ずかしいということで、
私を含めた9割くらいの女子はジャージで参加していました。
いくら女子校だとはいえ、ブルマで参加した子はすごいなと思いました。

蛇の皮剥きって初めて聞きました。どんな競技なのでしょうね?
ショーツと違い平気なのかなと思いましたが、ブルマ姿で人の顔の上をまたぐのは恥ずかしいものなのですね。


みさこさん(36)より 2/1

前回からかなり間隔があいてしまいました。
今後は不定期に投稿していく予定ですが、
また急に投稿出来なくなるかも知れません。

では今日の本題は、私が過去に履いていたブルマとの一覧です。

@河合産業 スクールユニ 460 
小学校の時に履いていたブルマー。ローマ字で【UNI】と書かれたオレンジのタグが特徴的。
濃紺となっていますが、実際は黒色に見えます。

A鶴岡 ファッショナー 4387
同じく小学校の時に履いていたブルマー。「fashoner」と書かれた白色のタグが特徴的。
こちらも濃紺となっていますが、黒っぽく見えます。

Bギャレックス G1523
中学校の時に履いていたブルマー。「GALAX」と書かれた黒のタグが特徴的。
我が校は3学年とも、ブルーに近いピース紺色であった。
友人のバレー部のKMちゃんのユニフォームは、同型の緑色であった。
お尻の大きいRSちゃんのブルマーは、色は同じピース紺ながら、大きめのG180という型番であった。

Cグリンズ G50
高校の時に履いていたブルマー。GREENS」と書かれたシルバーのロゴが特徴的。
『ブルマー専用に開発された素材』を使っていて、他のブルマーと違い一枚取りの生地で、股下に縫い目が無い。

当時の記憶を頼りに、ネットで型番を調べました。

よく使っていたブルマを覚えていましたね。
調べてみると懐かしくなってきたことでしょうね。
今でも販売している所はあるのでしょうか。


らいらさん(31)より 1/11

 私が小学生の時のことです。
小1の時の体操服はブルマだったのですが、小2に上がるときにハーパンに変わりました。
すぐに買い替える必要はなかったので、買い替えのタイミングで、各自ハーパンを購入していました。
小3の終わりくらいまでにはブルマをはいている子はいなくなったと思います。

 小6に上がった時のことです。小5から持ち上がりなので、小5の時と同じように、同じクラスに
Yちゃんという子がいました。最初の体育の授業なのですが、Yちゃんはブルマをはいていました。
ハーパンが体操服になっていましたが、完全に変わったわけではなく、ブルマかハーパンか選択
できるようになっているだけでしたので、一応、ブルマをはいてもいいことになっていました。

 Yちゃんは、ブルマの方がいいと思って、買い替える際に、ブルマを買ったとのことでした。
確かに、Yちゃんは脚が細くてきれいなので、ブルマが似合っていました。Yちゃんにブルマが
似合うと思っている女子は多かったと思いますが、実際、自分もはきたいと思った女子は
ほぼいなかったと思います。

 運動会での話です。私の両親が見に来ていました。その日の夕食の時の話ですが、母親は「Yちゃん、
ブルマはいていたね。ブルマ可愛いとかみんなで話していたよ」とか話しました。
私は「ブルマの方が脚が長く見えるので、Yちゃんがはくとカッコよくは見えるとは思う。
ただ、今日もだったけれど、ブルマからパンツがはみ出したりもするので、カッコ悪くなることも多いから、
私はブルマをはきたくない」と言いました。

 足に自信のある子は見せびらかせたい欲求もありブルマ好きな傾向もあるのでしょうか。
ハミパンには気をつけないといけないので面倒かもしれませんね。


えびさん(47)より 2022/1/11

 わたしは中高でバレー部に入っていました。高校のバレー部のユニフォームは、白をベースとした長袖のシャツと、
白をベースとしたブルマでした。最初、白のブルマには少し抵抗がありましたが、ブルマが普通の時代でしたので、
すぐになれました。むしろ、ハミパンが目立ちにくいので、白のブルマの方がいいかもと思いました。

 中学生の時は体育がない時も制服のスカートの下にいつもブルマをはいていましたが、高校生になるといつも
ブルマをはいているのはダサいみたいな感じになっていました。ただ、わたしはブルマなしだとなんかスースーするので、
制服のスカートの下にブルマをはき続けました。部活の白いブルマだとブルマをはいているのがわかりにくいので、部活の
ブルマを制服のスカートの下にはくようにしました。

 高校の時には、白のブルマを制服のスカートの下にはくことで、わたしは安心できるし、他の女子からは制服のスカートの
下にブルマをはいていてダサいと思われないのでよかったです。また、スカートの中が見えたとき、男子にはパンチラしたと
勘違いして喜んでもらえたかもしれないので、部活の白のブルマは重宝しました。

ブルマの色は濃紺のイメージが強いですが白色もあるのですね。
パッと見には下着にしか見えず、暖かくて履き心地も良ければ手放せないことでしょうね。


まりすさん(50)より 12/21

 中2の時だったと思います。夏休み中ですが、私たちの学年は午前だけ学校に登校しなければならない日がありまし
た。午前の早い段階でやるべきことは終了し、友人3人と帰宅しました。

 4人は家が同じ方向で、帰宅途中に川がありました。昼食までまだ時間があるので、4人はその川で少し遊ぶことにし
ました。最初は制服のスカートを少しめくって川に入っていたのですが、だんだん遊びに熱中し、1人の子が制服のスカ
ートを脱いでブルマ姿になりました。それを見て、他の友人の2人のうち1人と私も制服のスカートを脱いでブルマ姿に
なりました。残った1人の友人は桃子というのですが、桃子は少し恥ずかしいけれどまぁいいかという感じのことを言っ
た後、制服のスカートを脱ぎました。桃子は制服のスカートの下にブルマをはいておらず、パンツだけでした。普段は制
服のスカートの下にブルマをはいていますが、この日は午前だけで終わるのと、夏で暑い日だったので、桃子はブルマを
はいていなかったらしいです。

私は中学生になるとブルマ姿になるのも恥ずかしかったですが、ブルマは見られてもいいもの、パンツは見られてはい
けないものと思い込んでいました。そのため、桃子はパンツだけになって恥ずかしくないのかなと、私は思っていました。
しかも、私たちの家は学校からはかなり遠くの方で、川もだいぶ学校からは離れてはいますが、同じ学校の子に見ら
れる可能性があるようなところでした。桃子は特に気にする様子もなかったので、私たちはその後も川で遊び続けました。

 途中、小学高学年と思われる男子5人組も同じ川に遊びにきて、私たちの方を見ていましたが、桃子は特に恥ずかしそ
うにはしていませんでした。

人によってパンツ姿になることに対する感覚の差があったようですね。
一度スカートを脱いで川に入ってしまえば、パンツ姿であることも忘れて友達と楽しく過ごせたのでしょうね。


〇〇さん(40)より 11/28

 中1の時の話です。
昼休みのことですが、教室の中でスカートの中が見えるように座っていたことがありました。
スカートの下にはブルマをはいているので、特に気にしていませんでした。
Hさんが私のスカートの中を見て、Hさんが「〇〇、白パンがハミパンしてるー」と大きな声で言いました。
 それを聞いて、Hさんの隣にいたSさんが「情けねー。〇〇ちゃん、小学生みたい」とか言いました。
私はすぐに立ち上がって、ブルマが見えない程度にスカートをめくって、ブルマを直しました。
体育の授業でブルマだけをはくときはハミパンしないように細心の注意をしますが、
スカートの下にはく時はそんなに注意していませんでした。

 美術の時間に木版画をすることがあり、その日の授業は制服ではなく、体操服で受けることになっていました。
体育の授業がない日で、着替えの時間とかがないので、制服の上着の下に半袖体操服をきて、スカートの
下にはいつも通りブルマをはいていきました。また、夏でしたが、ジャージのズボンを持っていきました。

 美術の授業は午後からでしたので、昼休みが終わるころに、教室で男女とも制服を脱いで体操服姿になりました。
私はスカートの下に先にジャージをはいて、その後でスカートを脱ぎました。
Sさんは私の席の近くだったのですが、スカートを脱いだ際に、ブルマから大きく白のパンツがハミパンしていました。
ブルマ姿になった後、Sさんはブルマからのハミパンを直しました。

 体操服姿になった後で、美術室に向かうことになっていましたので、私たちは美術室の方に歩いていきました。
ジャージをはいているのは私を含めクラスで3、4人でした。ちょうど前をHさんが歩いていたのですが、
歩くたびにブルマから白のパンツが見え隠れしていました。
その後で、美術室で授業を受けました。授業中、Hさんの方をふと見る機会があったのですが、Hさんは大きくハミパンしていました。
その後にもHさんを見る機会がありましたが、ハミパンは直っていましたので、途中で気が付いたのだと思います。

 男子にも見られているかもしれない状態で、SさんもHさんも大きくハミパンしていたことに加え、
2人とも私と同じように白のパンツをはいていたので、少し安心しました。

人のハミパンを指摘する割には自分たちも結構ハミパンになっていたのですね。
同じようなことになっている二人を見て、似た者同士じゃないかと安心されたのでしょうね。


裕子さん(50)より 11/28

高校時代は私立の女子高でした。
体育の時間はブルマーに白シャツを入れて赤い鉢巻をするのが規則でした。
冬の体育の時間は毎時間、その格好で学校の周りを何周も走らされるマラソン授業です。

体育の先生はとても厳しい先生で、門の所で竹棒を持って私達を監視します。
私は身長も高い方で短距離は苦手では無かったのですが、持久力が無くてマラソンは苦手な授業でした。

途中で歩いたりおしゃべりをした場合は勿論、遅いというだけでもその竹ムチでお尻を思い切り叩かれるのです。
女の先生でしたがテニス部の顧問をされている元インカレ選手で、スイングは鋭く一発叩かれただけでも
ブルマからはみ出たお尻や太腿がミミズ腫れに成る程の痛さでした。
ムチで追いたてられて、ブルマ姿で苦しいマラソンをらせられている私達は、近所の主婦から子豚の集団
調教のようだと言われました。

そんなある日マラソンの授業で、私は先生のムチが怖くて、先生の前を走り過ぎる時に無意識に歩道から
下りて車道を走っていたことがありました。

「私の前を避けるなんて授業を受ける気が無いのね!それに車道を走ったら危ないって注意したわよね!」
入学してテニス部に入部したのですが、お試し入部の段階で厳しさに恐れをなして退部した私は、その先
生から目を付けられていたのかも知れません。

その日マラソンが終わった後で体育館裏に呼ばれた私は罰として2ダースのムチをお尻や腿に頂きました。
私のお尻は数日間ミミズ腫れが浮き上がって座るのも辛い程でした。今では考えられない程の管理教育時代の辛い思い出出です。

(以前間違えて他の掲示板に投稿してしまいましたが思い出深い経験でしたので改めて投稿させて頂きます。こんなのも当時ならお仕置きですね)

今では決して許されない体罰になるのでしょうね。
昔は男性教師であろうと女性教師であろうと指導や躾のために体罰は当たり前と
考えていた時代ならではの出来事なのでしょうね。


きいろさん(29)より 9/13

 私が高3の時の体育祭の短距離走でのことです。
 私は短距離走に参加するわけではないので、自席で運動場のトラックを見ていました。
1年生の女子2人が短距離走のゴールテープ係をしていました。
面識はありませんでしたが、体操服に書かれている名前からゴールテープ係をしているのは
Aさん、Bさんということがわかりました。

 このうちのBさんですが、童顔で中学生や小学生といっても信じる人がいるような子でした。
Bさんは、立っているときには大きくははみ出していませんでした。
ただ、私たちの自席からBさんがいる場所が近いこともあって、Bさんがかがんだり座ったりすると、
下にはいているのが綿の水玉パンツであることがわかる程度にBさんはハミパンしていました。

 私がBさんのハミパンに気が付いた頃、同じクラスの女子たちはハミパンチェックをしていたし、
男子の視線もBさんの方にあったので、同じクラスの子もBさんのハミパンに気が付いていたとは思います。
Bさんが一生懸命ゴールテープ係として働いている際に、高校生にもなって男子生徒や観客を含めた方から
ハミパンを見られているのはかわいそうな気がしました。
さすがに、Bさんを不憫に思ったのだと思いますが、同じクラスのCさんという子が競技の邪魔にならない
ようなタイミングでBさんの方に寄っていって、Bさんのハミパンを直してあげていました。

 Bさんはそれ以降、ゴールテープ係をしながらハミパンチェックをしたりもしましたので、
立っているときにはハミパンしていませんでしたし、座った時に少しハミパンするかしないかくらいになりました。
さすがにさっきの状態はかわいそすぎたので、これで一安心しました。

 その後、私はクラス対抗リレーにでるので、集合場所で座っていた。
Bさんもクラス対抗リレーにでるみたいで、Bさんもいた。Bさんも座っているけれど、大きくハミパンしていた。
私は自分がハミパンしていないかハミパンチェックをして、ハミパンしていないので安心しました。
Bさんにハミパンを伝えるのは恥ずかしいですし、今回はさっきと違ってBさんだけが特に目立つわけでもないので、
そのまま放置でいいかということで放置しました。誰もBさんにハミパンを指摘しないですし、
Bさんも気が付かないので、Bさんはハミパンしたままでした。

Cさんは見かねて直してあげるなんて優しい人でしたね。
Bさんも一度教えてもらったのだから、以後時々自分でも確認すれば良かったですね。


みりさん(31)より 8/14

中2まで体操服はブルマでしたが、私が中3に上がる時に体操服がハーフパンツに変更になりました。
ただ、在校生は買い替えを強要されるわけではなく、購入してもいいことになっているだけでした。
ブルマはなんとなく恥ずかしいので、私は急いでハーフパンツを購入しました。

新学年になってからの体育の授業です。
中3の人は後1年だからということもあると思いますが、半分くらいの子がハーフパンツに買い換えているだけでした。
さすがに、新中2の人はほとんどの子がハーフパンツを購入していたと思います。
ブルマで授業を受けている子を見ると、スタイルがよく男子にも人気があるスクールカーストでの上位の子が多い傾向でした。

授業でもカッコよくブルマを履きこなしていて、うらやましく思いました。私もブルマグループに入れるなら入りたい
気もしましたが、カッコよく履きこなせず、恥ずかしい思いをするだけだろうから、ハーフパンツでよかったと思いました。

夏休み前のことです。大掃除をする日がありました。大掃除の日は体操服で登校することになっていました。
私を含めハーフパンツを購入している人はハーフパンツで登校している子がほとんどでしたが、さすがにブルマの子は
ジャージをはいて登校していました。私たちのクラスは一部の人は教室掃除を担当しますが、残りの人はプールの掃除を
担当することになっていました。私もプール掃除を担当することになっていました。

プールには水がそこそこ入っていたので、ジャージをはいたままだと裾が濡れてしまいそうでした。
ブルマの子たちはジャージを脱ぎ、プール掃除を始めました。普段の体育の授業と違って油断していたからだと思いますが、
ミオって子は白と水色のストライプ柄のハミパンをしていました。
私はハミパンをこっそり教えてあげようかと思いましたが、普段かっこよくブルマをはきこなしているのを思い出して止めました。

しばらくすると、ブルマをはいているユリって子が「ミオ、ハミパンしてる。縞パンが見えてる」と大声で言いました。
ミオは「きゃ、やっべ」と言ってハミパンを直して、お尻をユリの方に向けて、「もうハミパンしてない」と聞いたので、
ユリは「大丈夫、もうハミパンしてないよ」と言いました。

周りには男子もいましたが、それを見ていて、一部の男子や一部の女子も大爆笑していました。
こういうノリにもついていけないので、ハーフパンツでよかったと思います。ちなみに、この日はユリも座ると少しハミ
パンしていましたが、立つとハミパンは直っていました。

2学期になると体育祭の練習や体育祭もありましたが、ブルマの子はいつも通りかっこよくブルマをはきこなしていました。

ブルマ姿を続けずハーフパンツにされたのですね。
ブルマをかっこよく着こなす子に対して、あこがれやちょっとした嫉妬の気持ちが
告白の文章に表れているような気がしました。


すいかさん(39)より 8/12

 私が小学3年生の時の健康診断でのことです。月に1回、健康診断がありました。
男女ともパンツ1枚で受けることになっていましたが、女子はブルマーをはくことが認められていました。
わざわざパンツを見せびらかす意味はないので、女子はブルマーで健康診断を受けていました。

 ある日の健康診断でのことです。
普通に授業を受けていると、隣のクラスの子が教室に来て、今から健康診断ですと言いました。
それを聞くと、かなり多くの女子は「ええー」という声を上げていました。
理由は、偶然が重なってブルマーを持ってきていないからでした。この日は、体育の授業がない日でした。
しかも、夏に入りかけていたので、防寒で、スカートやズボンの下にブルマーを履いていない子が多かったです。

 しかも、おそらくですが、急に(?)健康診断の日程が変更されたのか、健康診断のことは知りませんでした。
私はたまたまその日はスカートの下にブルマーをはいてきていましたが、クラスの女子のほとんどがブルマーを
持ってきていませんでした。

 教室でパンツ1枚かブルマ姿になってから保健室に行くことになります。
私はスカートの下にブルマーを履いているので、余裕でスカートを脱げるのですが、ほとんどの女子は恥ずかし
そうにスカートやズボンを脱いでいました。

 クラスでは久美ちゃんって子が可愛くて男子に人気があったのですが、久美ちゃんも恥ずかしそうにスカートを脱いでいました。
久美ちゃんはキャラクターもののパンツをはいていて、最初、男子に注目されて恥ずかしそうにしていました。
途中からは諦めたのか、久美ちゃんはあまり気にしていないようでした。
最後まで恥ずかしそうにしている女子と、途中で諦めたのかあまり気にしていないような感じの女子がいました。

 その日以降、体育の授業がなくても、女子はスカートやズボンの下にいつもブルマーをはくようになりました。

そのつもりでない日が急に健康診断になったら焦りますね。
男女別ならまだしも小学校3年生でも一緒に健康診断だったのですね。
ブルマも暑い季節は履いているのが大変でしょうね。


きょうさん(31)より 7/24

 中3の体育祭では、男女とも組体操をしたのですが、体育の授業でその練習が始まってからのことです。
組体操の練習で女子生徒が頻繁にブルマの食い込みを直していたからだと思いますが、先生が組体操中の
ブルマの食い込み直しをしないように注意しました。
理由は、注意力が散漫になって怪我をする危険があるからということと、見苦しいからということでした。

 普段の授業では1クラス16人くらいの中でハミパンしているのは1人いるかいないかくらいですが、
この日の練習では、私を含め12−13人くらいがハミパンしていました。
男女別で練習していたので、男子が近くにいなかったのがせめてもの救いでしたが、女子にハミパンを
見られるだけでも恥ずかしかったです。普段見れない女子のパンツが見れたのは少しうれしかったです。

 次の体育の授業からは、女子はハミパンしないようにブルマの下のパンツを食い込ませたりしていました。
その甲斐があって次の授業ではクラスでハミパンしている女子は5人だったと思います。
そのうち4人は普段の授業でたまにハミパンしているような子だったのですが、もう1人は美彩という子で
普段の授業ではハミパンしたりしないような子でした。
美彩はパステルカラーのパンツをハミパンさせていました。それ以降の体育の授業でも同じような感じでした。

 体育祭当日の組体操の話です。全校生徒が見ているだけでなく、保護者まで見ているので、特にハミパン
しないように気にしていました。他の女子も同じだったと思います。
組体操ですが、クラスでは結局いつもの5人がハミパンしていて、美彩はパステルカラーのパンツをハミパンしていました。

卒業アルバムに組体操の写真も載っていましたが、美彩のハミパンも写っていました。
他の4人と違って普段の授業ではハミパンしないように気を付けていたので、美彩がなぜここまで
ハミパンを気にしなかったのか謎でした。

気をつけていないと結構ハミパンしやすいものなのですね。
一生残る卒業アルバムにまでハミパン写真があるのは恥ずかしいことでしょうが、
美彩さんはあえて見せたい気持ちがあったのかもしれませんね。


まりあさん(32)より 6/5

 中学1年の時は体操服がブルマでしたが、中学2年に上がる時に体操服がハーフパンツに変わりました。
新入生はもちろんハーフパンツを買うことになりますが、2、3年生も買い換えてもいいことになっていました。

 わたしはブルマの方がスタイルがよく見えるのでブルマがいいと思っていましたが、他の子が買い換えて
1人だけブルマだと変なことして目立つのは嫌だなと思っていました。ただ、あくまで買い換えてもいいだけで、
必ずしもすぐに買い替えなくてもよく、買い換えるタイミングで買い換えることをお勧めするというアナウンスが
あったので、すぐには買い換えない子がそれなりにはいそうでしたので、わたしも買い換えないことにしました。

 中学2年での体育の授業でのことです。5月末まではジャージを着て授業を受けていいことになっていましたので、
去年は5月末までみんなジャージを着て授業を受けていました。この年はハーフパンツを買っている子がいるので、5
月の暑い日にはジャージを脱いでハーフパンツで授業を受ける子も出てきました。ハーフパンツとブルマは同じ位置づ
けでしたので、わたしもブルマで授業を受けるようにしました。最初はわたしだけブルマで不安でしたが、特に何か言
われることはありませんでした。

 6月になり、ジャージでの授業参加は認められなくなりました。新学年になり、ハーフパンツを購入していた子が半
分を超える程度でした。ブルマのままの子は、委員長タイプの真面目な子や、まだ男子の目をあまり気にしていなさそ
うな子が多い印象を受けました。ブルマで授業を受けている子がハミパンしていたことがあり、他の子からハミパンを
指摘されていました。その子は恥ずかしそうに、ハミパンを直していました。

 同学年でブルマをはいていた子はブルマからのハミパンやジャージをはいていい時にブルマで授業を受けるのは恥ず
かしかったみたいです。わたしは1人ブルマで授業を受けるのは平気でしたが、ブルマからのハミパンはやっぱり恥ず
かしかったです。 

ブルマが好きな人には寂しいかもしれませんが、ハーフパンツへの変更期間があるといいですね。
その間に周りの動向を見てから決めることもできますね。


きょんさん(30)より 5/31

 体育祭当日も体操服登校でした。予行演習の時と同じミスはしないように気を付けていましたので、私はブルマの
上にジャージをはいて、上着は半袖体操服で登校しました。

 体育祭当日は、私も、自席ではジャージをはいていましたし、他の女子も自席ではジャージをはいていました。
自席で他の子が参加している競技を見ていると、リレーでハミパンしたまま走っている子や、ハミパンしたままダンス
している子とかいました。それを見て、私は、競技に参加するときに、ハミパンしたりしないように注意しました。

 体育祭もほとんど終わり、後は閉会式のみになりました。閉会式もブルマと半袖体操服で参加する必要があるので、
自席でジャージを脱ぎました。閉会式の終わりに、座って先生の話を聞いていた時のことです。後ろに座っていた同じ
クラスのSがちょんちょんと肩をたたきました。私が振り返ると、Sは「きょん、ハミパンしてる。隣のクラスの男子が
見てる」とこそっと教えてくれました。それを聞いて、私は慌ててハミパンを直しました。

 全校生徒の前でハミパンを披露するほど恥ずかしいことはしませんでしたが、結局、注意力が1日持つことはなく、
最後にハミパンを見せてしまいました。

自分ではわかりにくハミパンを四六時中気にしているわけにもいきませんね。
最初は注意していたのに気が緩んでしまうようですね。


はるさん(40)より 5/22

私の通っていた高校は結構厳しい高校で、制服や体操服だけでなく、靴下、靴や自転車まで校則で決
められていました。
制服の時は紺のハイソックスで、体育の授業は白に履き替えるほどの徹底ぶりで、当時流行っていた
ルーズソックスは結局履くことが出来ませんでした。

ブルマももちろん指定で、エンジ色で校章と名前の刺繍が入っているのものでした。
私の高校はスカートの下に必ずブルマを着用するよう言われていて、理由ははっきり聞いたことはな
いですが、冷やさないほうがいいからとういう事だったみたいです。

かと言って指定ブルマは高く、3枚も4枚も買うことは出来ないので、体育のない日は中学校の時や
市販のブルマを大体の子は履いていました。私も市販の紺ブルマを履いていました。
先生たちも体育のない日は指定じゃなくても特に何も言いませんでした。
体育の授業は基本的にはブルマですが、体育祭が終わった11月からは、マラソン大会以の日以外は
ジャージを着てもいいことになっていました。

1年生のある日、体育のある日に紺ブルマを履いてきてしまったのですが、11月になっていたので、
まあいいかと思い上からジャージを着て体育の授業に参加しました。準備運動が終わったら、先生が
「今日はバレーをするからみんなブルマになって膝サポーターつけて」と言いました。
私はやばいと思いながらも先生が怖いので、ジャージを脱いで紺ブルマになりました。

そしたら半分くらいの子が紺ブルマを履いていました。先生は笑いながら、エンジブルマと紺ブルマで
チームに分かれてと言いました。どうやら毎年1年生は11月の体育の授業の時に紺ブルマを履いてくる
子が多いらしく先生も分かっていてイタズラしているみたいです。
でも怒られることもなく、楽しくバレーができてホッとしました。
それ以来体育のある日は必ず指定のエンジブルマを履いていくようになったのは言うまでもありません(笑)

ブルマの色の指定があったのですね。
先生も毎年のことでよくわかっているようですね。
自然に規則に従うことを意識出来るこんな指導はいいですね。


きょんさん(30)より 5/13

 私が中1の時の体育祭の予行演習の日のことです。
この日は、1日中、体育祭の予行演習が行われることになっていました。
その日は体操服で登校することになっていましたので、男女とも、
下はジャージのズボンで上は半袖体操服という姿で登校していました。
中には、上もジャージを着ている子がいました。

 私は体操服登校を勘違いして、ブルマ、半袖体操服の上に、制服のスカートと
制服の上着を着て登校しました。
途中で他の人に出会った際に、間違ったことに気が付きましたが、
そこから自宅まで戻るのも遠いのでそのまま学校に向かいました。

 学校に着くと、1時間目から予行演習なので、各自教室から椅子を運動場に持ち出しました。
その際に、私は制服を着ていたので、制服の上下を脱いで、教室の机の上に置いていきました。
予行演習が始まりました。出番の時はジャージを脱ぐ必要があるのですが、自席ではジャージを
はいていいことになっていましたので、ほぼすべての女子は自席ではジャージをはいていました。

 自席で見ている時に、ハミパンしていたらしく、友人のMに「きょん、ハミパンしてる。
男子に見られてる」といわれました。私は慌てて、ハミパンを直しました。
この日は1日ブルマですごさないといけないので、その後は、ハミパンしないように細心の注意を払いました。

 1人だけブルマで目立っているのに、更にハミパンまで見せてしまったので、恥ずかしい思いをしました。

 ブルマ姿で目立っているのにハミパンしていると、たくさんの人に見られたことでしょうね。
早く予行演習の時間が過ぎ去って欲しいと、演習にも集中できなかったのではないでしょうか。


ともみさん(46)より 5/4

今回は私の大学時代の話になります。大学生になり私は一人暮らしを始めました。
住み始めたマンションは女子学生専用で男性は彼氏は勿論ですが、家族でも父親や兄、
弟も入ることは出来ないと言う厳しさでした。

配達の人も入口より入れませんでした。例外は引越し業者のスタッフ位でした。
ここで暮らし始めてしばらくは大学との往復だけの生活でしたが、次第に新しい生活に慣れてきた頃でした。
私は一人暮らしを始めたらやってみたいことがありました。それは部屋にいる時はブルマで過ごすことでした。

誰にも見られないと言うことで大学から戻るとスカートを脱いでブルマ姿になりました。
よく人に見せられない格好でいて、チャイムが鳴って出たら配達員と鉢合せになり恥ずかしい思いをしたと
言う話を聞きましたが、ここではその心配はありませんでした。

そのうちに部屋でストレッチをする時はレオタード代りに高校の時の水着を着ていました。
3ヶ月もすると私の部屋着はブルマか水着と言う状態でした。
マンションの住人に同じ大学の子がいてその子が部屋に遊びに来た時、うっかりしてブルマ姿で出てしまったのでした。
その時は掃除中と言って誤魔化したが、そもそもその子が尋ねてくるのは分かっていましたし掃除機が
無かったので直ぐにバレてしまいました。

でもその子も同じように部屋では体操着で過ごしているとのことでした。
その時の格好はポロシャツにハーフパンツでした。お互いに部屋では同じような格好をしているねと笑いました。
このことがきっかけで仲良くなりました。時間があればお互いの部屋に遊びに行って色々な事を話しました。

自宅では何を着ていても自由ですし楽な格好がいいですよね。
油断していたといえブルマ姿を見られたことで仲良くなれて良かったですね。

 


みさこさん(35)より 5/1

私が中学の時のブルマーで印象に残っている子で、
二人目はKMちゃんです。
我が母校は、ギャレックスのピース紺色のブルマーだったのですが、
彼女はいつもボロボロの色褪せたブルマーを履いていました。
実は彼女は四姉妹の末っ子で、お姉さん三人が10年間履いて、
何百回も洗濯しているからだったのです。
さらに彼女のブルマーはゴムが緩んでいるため、
しょっちゅうハミパンしていました。
スカートの中にパンチラ防止の為に、
ブルマーを履いているのですが、
その場合でもハミパンしていて、
ブルマーの意味がありませんでした。

体育委員だったあたしは流石に見兼ねて彼女に言いました。
『なあなあKMちゃん、そのハミパンしまくりのボロボロブルマー履くのやめようや』

「みさこちゃん私もこんなボロ履きたくないけど、うちの家お金無いから新しいの買えないから履かないといけないの」

『じゃあ女子体育の先生に、バレー部のユニフォームのブルマーで体育の授業受けさせてって、一緒に頼みに行こ』

先生と交渉して、あたしが近所の卒業生からブルマーをかき集めてくる数日間だけ、
KMちゃんはバレー部のユニフォームのギャレックスの緑ブルマーで、
体育を受けることが許可されました。

あたしは近所の卒業生の家、数件をハシゴしてようやく
三枚のブルマーをかき集めました。

メーカーもサイズもバラバラで、ファッショナーの黒っぽいブルマー、
アシックスの青ブルマー、ギャレックスの水色ブルマーを各1枚手に入れました。
全て我が校の指定ブルマーではありませんでしたが、
女子体育の先生に見せると全て認めるとの回答を頂きました。

これをKMちゃんの家まで行って、手渡しました。

KMちゃんには泣いて感謝されました。
「みさこちゃん、ありがとう。私あのボロブルマ嫌やったのよ。
男子には馬鹿にされるし、ハミパンするしで恥ずかしかった。」

そして卒業式には彼女から手紙を貰いました。なんか嬉しかったです。

三人目はRSちゃんです。
彼女の特徴はお尻が大きい事でした。
普通ブルマーを買う時は、
お尻が成長することを見越して大きめのサイズは買うのです。
ですから一年生の時はみんな、
大きいブルマを小さいお尻で履くので生地が余ってシワが出来ます。
しかしRSさんのブルマは、シワがありません。
どうやらお尻の成長が早く、
大きめに買ったブルマーに追いついてしまったようです。
そして二年生の時、ついにRSさんのお尻の成長がブルマのサイズを超えてしまいました。
我が校のギャレックスブルマーは、ローライズのタイプだったのですが、
RSさんはハイウエストのタイプのギャレックスブルマーを、
何処からか手に入れ、それを履いていました。
彼女のお尻を見る度に、私は興奮していました。
そしてこのRSさんが実は、流水プールの緑競泳パンツの男の子のお姉さんだったのです。
私にとってはかなりの重要人物となるのですが、それはまたお話いたします。

新しいブルマガ買えない家庭の子もいたのですね。
KMちゃんのために良いことをされましたね。
成長の早い子がいると羨ましく思う年代なのでしょうか。
RSちゃんとも何かの縁がありそうですね。


みさこさん(35)より 4/15

私が中学の時のブルマーで印象に残っている子が何人かいます。

一人目はkちゃんです。
kちゃんは大人しそうな顔をしているのですが、
ある日ブルマーからハミパンしていた下着が、
グレーと白のボーダー柄だったのです。
中一でもう下着のオシャレをしていることに、
私は度肝を抜かれました。
ちなみにクラスの他の女子で、
下着のオシャレをしていた子は他にはいませんでした。

そしてkちゃんの事が好きな、情報屋のd君にこのハミパン情報を教えました。
するとd君はあたしに非常に感謝してくれました。
それ以後、d君はあたしにいろいろな情報を教えてくれるようになりました。
明日避難訓練があるとか、
放課後校舎の裏で番長グループに〇〇君と△△君がボコボコにされたとか、
××さんと◇◇さんはレズビアンだとかです。

情報屋の子がいたとは凄いですね。
いろいろなことを知っているようですが、どこから情報を仕入れてくるのでしょうね。


みさこさん(35)より 4/15

今度は小学校の時の話です。ちなみにブルマとあんまし関係ない話なんですが、
どこに投稿するか迷ったのでブルマへの思いを語るページに投稿いたします。

小学校の時にあたしの好きなO君がいました。
地元のスイミングスクールに通っていて、
25m泳げるわ、サッカー上手いわ、勉強できるわでホント凄い子でした。

夏のプールの授業の時、教室からプールまで学校内を水着のまま歩いていくのですが、
行きはO君、スイミングスクールの指定競パンのまま歩いていました。
そして私は彼の競パンのモッコリをジロジロ見ていました。
プールサイドや水中でもゴーグル越しにジロジロ見ていました。
そして教室に帰るとき、彼の競パンモッコリ姿を確認しようと彼の方を振り向くと、
な、な、なんとバスタオルをスカートの様に腰に巻いて、
競パン姿を隠しているではありませんか。

あーん、ツマンナイです。テンションだだ下がりです。

そこでO君に直接、『なんでスカートみたいにしてるの?』って聞いたところ、
『お前がジロジロ、股間ばっかり見てくるからじゃ』って言われました。

それから私は男子の股間を観察するときは、チラ見程度にするようになりました。

彼には貴女が見ていることがわかっていたのですね。
よほどいやらしい目でじっくりと見ていたのでしょうね。


みさこさん(35)より 4/15

約一年ぶりに投稿します、みさこです。
ちょっと私の人生コロナでバタバタになってしまいましたが、
ようやく落ち着いてきたので今月から投稿を再開します。

前回投稿のs君とはその後もしらばく付き合ってましたが、
24歳の時にs君の転勤で別れました。

今回は中学生の時のチン〇ンシコシコ話をします。

中2の夏に屋外型レジャープールに家族と行きました。
家族でお弁当を食べた後、私は『一人で泳いでくる』と言って、両親と兄と離れました。
私はプールサイドをウロウロしては、
競泳ビキニパンツを履いた男性を見つけて、股間の大きさを観察してました。
そんなこんなで数人観察したんですが、
人グリーンの競パンを履いたある男の子を見て、
他の男子と違う事に気づきました。
その男の子は誰かを探しているようでした。

私は『ボクどうしたの?誰かを探しているの?』と話しかけました。
するとその男の子は、『親を探している』と答えました。
私は『一緒に探してあげる』と言って彼に近付きました。

でも私はそんなつもりは毛頭なく、
隙あらば肉棒をこすってやろうと考えてました。

あと学年を聞くと小6と答えてくれました。

一応彼の親の特徴を聞いて一緒に探しましたが、
広いプールなうえ沢山の利用者がいてなかなか見つかりません。

彼の様子を見ると暑い中探し回っていたらしく、
ちょっと疲れている様でした。

私は『ちょっと木陰で休もうか』と言って、
人気の無い茂みに連れ込む事に成功しました。

そしていきなり彼の競パンの上からタマをギューって握りました。
彼は『あー、何?!何をするの?』と驚かれましたが、
私はタマをモミモミして、玉袋の裏から肉棒の先を指先で撫でました。

そうすると彼は私の手を振り払って逃げようとしましたが、
私は彼の肩を捕まえてそのまま押し倒し、
グリーンの競パンの上からさっきより強くタマを握りました。

私は『逃げたらタマ握り潰すよ。』と言い放ちました。
そうすると彼は急に大人しくなりました。

そして父のエロビデオで見たやり方を思い出し、
タマを揉み玉袋の裏から肉棒の先にかけて撫でてあげました。

そうすると彼の肉棒が大きくなってきました。
反り立つアレになってきました。
そして反り立つアレの先を一生懸命こすっていました。

10分くらいずっとこすっていると、
『なんか気持ちいい』と彼が言いました。
そして次の瞬間、あたしの手に彼の精液が付着しました。

初めての射精を経験した彼は『いやー!何か変なの出たー』と言って泣き出しました。
彼のグリーンの競パンの股間部から、白い精液がにじみ出てました。
私はそれを確認すると彼を放って、その場を立ち去りました。

そして家に帰ってからこの事をオカズに、
ノーパンでブルマを股間に喰い込ませて履いてオナニーしました。
そしたらイキました。

しかしその子とはまた再開する事になろうとは思いもしませんでした。
この続きはまた書きます。

お元気そうでなによりです。
中学生の頃にそんな大胆ないたずらをしていたとは驚きですね。
異性の体への興味が尋常ではなかったようですね。


かほさん(26)より 2/18

時間が経ってしまってすいません。久しぶりに告白します。

彼とはその後も、アメフトの応援の日に合わせてデートとホテルでのコスプレを
定期的にするようになりました。
アメフトの試合は、二週間に一回くらいでしたので、生理の日を除くと月に2、3回の
エッチのうち、1回はコスプレで、わたしもその日が密かに楽しみになっていました。
まるで、いつものエッチは、コスプレの助走みたいなイメージでした。
いつもの行為の時は、彼に優しく、そしてゆっくりと触ってもらったり舐めて
もらったりして気持ちよくしてもらい、わたしも彼のおちんちんを皮の上から舐めたり、
皮を剥いて舐めてあげたりしていました。

時には、むき出しにしてあげた亀頭をわたしの口に出し入れしてエッチの練習を
してもらいながら、口の中で射精してもらったり、69で舐めあいながら、お互いの
口の中の亀頭とク〇トリスでイクことを覚えたりと、まだ経験が浅い同士、
初々しいエッチをしていましたが、コスプレの時は、彼が激しくインナーの上から
ク〇トリスを擦りたて、インナーを食い込ませたり、ずらしたりしながら刺激され、
わたしもいつもより淫らに反応してしまうなど、狂おしいエッチをしてしまいました。

一つになるときも、いつもの時は、彼のお〇んちんをわたしがひき上げて、
彼がコンドームを装着する時点で、彼は喘ぎ声をあげてて、挿入する時にも、
わたしが導いてあげて、挿入してからも彼が必死に我慢するのをわたしが下から
腕を回して励ます余裕も出てきたエッチになっていったのですが、コスプレの時には、
インナーをわたしにずらさせ、パンパンになったお〇んちんを荒々しく挿入してきて、
その太さと硬さにわたしが顔をのけ反らして先にイクこともあるくらいでした。

ある日、ホテルの壁鏡の壁の前で、上半身裸でインナーのまま膝立ちのまま
ク〇トリスをインナー越しに指で触れられ、いつの間にかわたしが自分で彼の指に
ク〇トリスを押し付けるようにお尻を振っている姿を一緒に見られる、なんてことも
するようになってしまいました。

彼には、「お嬢様育ちのかほが、こんなはしたなくお尻振ってるなんてホント淫らに
なったね。ブルマ姿だと、ク〇トリスもこんな硬くなって、乳首もこんな黒く勃起しているよ」
などと耳元にで言われて、さらにあそこをグショグショに濡らしてしまう自分が、
とても恥ずかしかったのですが、「かほはブルマでするのが好きになったのかな?」と
ささやかれたら、わたしは正直に頷いてしまいました。

その時の鏡の中の、わたしのいやらしい乳首、あそこが色が変わったインナーに
びっくりし、さらに自分の顔が学生の女子のものではなく、もう淫らな成人女性のものに
変貌していることにもハッとしてしまいました。
その日、わたしは彼に促されるまま、インナーを片足外して、片足の太ももに付けたままの
いやらしい格好で初めて騎乗位で挿入しました。
奥まで彼のお〇んちん、しかもいつもの行為の時よりも太くて硬いのが入ったのが分かった
のと同時に、わたしは激しい断末魔のような喘ぎ声をイッてしまいました。

彼には「初めてかほのイキ顔を見られてよかった。すごくセクシーだったよ」と
言われたのですが、彼に嫌われないか心配になるくらいのわたしの淫らな姿だったと
思ったので、わたしも自己嫌悪になってしまい、その日は帰宅するとしばらく落ち込んで
しまうほどでした。

それなのに、夜布団に入ると、夕方の淫らな自分の姿と、亀頭が皮からはみ出そうになる
くらい太く硬くなった彼のお〇んちんを思い出しながら、オナニーをしてしまいました。

二年生までは真面目で、彼の言う通りお嬢様育ちそのままだったわたしが、
三年生の一年間で、コスプレエッチとオナニーにはまりつつあり、四年生を前に
すでに淫らでいやらしい女になってしまったのでした。

また告白しますので、わたしのつまらない話ですが、今後も聞いてください。

彼と付き合うことで、自分の中の封印が解けたような感じですね。
1年ほどであっという間に淫らな快楽の世界に目覚めていったようですね。
その後どのような性を楽しんでいったのか気になりますね。


麻衣さん(44)より 1/23

中2の冬、校外で部活があったその日に帰りの乗換駅でわざと仲間とはぐれました。
それはその当時に付き合っていた年上と待ち合わせていたためです。

約束の始まりは彼の「ユニフォーム姿を見たい」というものでした。
日が浅いとはいえ私も体験者になっていたため、彼の言葉にエッチな意図は
感じ取っていたはずですが、それほど深く考えもせずオッケーしたと思います。
そして都合よく近くに試合日程があった、それだけのことです。

駅から車に乗って驚かされたのは「今日はホテルに行くから」という彼の一言でした。
私もまだそこに入れない事ぐらいは知っていましたので本当にそんなことをして
大丈夫かどうかを聞いたときの「向こうも商売だからね」
という彼の返事には私の方が驚かされたのを覚えています。

そんな事とは知らず私服を持ってきていなかったため、その日は彼の服も含めその場に
あるものを組み合わせて車を降りました。
下に着ているユニフォームの学校名が透けていないか?そうでなくても中学生と
ばれて学校に通報されてしまわないか?
そんな事ばかり考えていたせいかどうやって部屋にたどり着いたか覚えていません。

部屋に入って少し落ち着きを取り戻したとき、そこには1時間か2時間前に部活を
していたのと同じユニフォーム姿の私がいました。
少し暗い照明の部屋の中、胸に学校名が書かれた水色のタンクトップとブルマーは
場違いそのもの、異様なほど不釣り合いでしかありませんでした。
でも、その異様さに刺激されてしまったのかもしれません。
それまで数回の体験はしていたはずですが、カラダが勝手に反応してしまっているのが
自分でも分かり、それが恥ずかしくてもどうすることもできなかったのを覚えています。
そして部活の引退試合のときにも同じことをしました。

当時の部活の仲間たちには「どこのときはどこではぐれた」
そんなふうに方向音痴みたいに言われて正直イラッとしたときもあったはずですが、
でもその言葉を聞くと誰も本当のことを知らないのが分かって安心できましたし、
どこか優越感めいた気持ちを感じることさえありました。

でも、その優越感めいた気持ちは当時の私が部活に対して抱いていたコンプレックスの
裏返しでもあったのでしょう。
3年間(実質は2年弱ですが)在籍した部活で公式の場に一度も出してもらえなかった
のは私ぐらいなものでしたし、正直なところ一部の後輩にも実力のない先輩として裏で
ばかにされてもいたからですが、それは事実だから私に彼女たちを恨んだりするような
気持ちはありません。

たぶんこんな事は責められることはあっても決して自慢できるような話ではありません
(そんなつもりもありません)ので、書くべきでもないのかと思います。
ただ、そんな形でしか本当の自分を表現することしか出来なかった不器用なヤツがいた、
そう思って見逃していただけたら幸いです。
もっとも、それぐらい不器用だったから方向音痴ということにされたりしていたわけですけどね(笑)

 いけないことと薄々わかっていながらも、彼の言葉に背中を押されたようですね。
 部活のコンプレックスの裏返し・・・人には言えない秘密を持つことで、
優越感めいた気持ちになったのも理解できる気がします。


ひなさん(39)より 12/1

私が中2の体育祭でのことです。

 クラス対抗の男女混合リレーの選手の招集がかかりました。私は男女混合リレーに出ることになっていたので、自席
でジャージを脱いで、招集場所に行きました。招集場所ではクラスごとに走る順番に縦に並んで座っていました。両隣
には、隣のクラスの子たちが座っていました。私の右前には隣のクラスのSクンが座っていました。Sクンは顔を後ろに
向けて座っていたのですが、視線の先はSクンの後ろに座っていたMさんでした。SクンはMさんが気になるのかと最初思
いましたが、そうではなく、SクンはMさんのブルマからのハミパンを見ているようでした。

 それを見て私は、私もハミパンしていないか確認しましたが、ハミパンしていませんでした。私は、「うわー。Mさ
ん、Sクンにハミパン見られている。ハミパンを見られたのが、私じゃなくてよかった」と思いました。Sクンとは接点
はありませんでしたが、Sクンはサッカー部に入っていて、少し気になっていました。ハミパンとはいえ、SクンがMさ
んを見ているのは少し気に入らないので、私はMさんにハミパンしていることを伝えましたところ、Mさんは恥ずかしそ
うにハミパンを直しました。Mさんがハミパンを直すところまで見たところで、Sクンは顔を前に向けて座るようになり
ました。

 と同時に、ハミパンでもいいから、私もSクンに見てもらいたいような気がしました。Sクンに気が付いてもらえない
可能性があるし、他の子に見られる可能性もありますし、いかにも小学生がはくような白パンをはいていたのも気にな
りましたが、見てもらいたいという気持ちが勝ってきました。運動場でしていた競技が終わり、ひとつ前の協議に参加
する人たちが運動場に入っていったので、私たちは前に移動することになりました。

 立ち上がった時に、私は、ブルマの食い込みを直すふりをして、ブルマのお尻の右側のパンツを引っ張ってハミパン
させました。前に進んで座りました。座ってから私はハミパンを確認しましたが、かなり大きくハミパンしていまし
た。また、Sクンは、いったん座った後、顔を後ろに向けて後ろを見ていました。Sクンは私のハミパンに気が付いたの
か、私の方を見るようになりました。私はSクンに見られているのに気が付いていないふりをしました。

 前の競技が終わり、私たちの出番がきました。ハミパンを直すのを忘れたままリレーに参加してしまいました。リレ
ーが終わった後、自席にもどたっ時に、友人にハミパンを指摘されてしまいました。かなりの人にハミパンを見られて
しまいましたが、Sクンにも見てもらえたので、まあいいかという気持ちでした。

S君は気になる男の子だったのでしょうか?
それともMさんへの対抗意識からでしょうか?
異性から見られることの喜びを知ったようですね。


さゆみさん(44)より 10/27

私が体操服とブルマで運動する意義について考えてみましたのでご理解いただけると幸いでございます。

@修行として
当時でも学校以外で自主的に体操服とブルマを着用して外に出るのはとても勇気がいりましたが私が苦手なマラソンな
どの運動と組み合わせることで心と体を鍛える修行という良い機会になると思い、自分ができる範囲で無理をせずに
堂々と取り組むことにしていました。「自分の学校の体操服を愛用することは自分の学校が好きで誇りを持っていると
いうこと。全く変なことではないから自信を持って堂々と取り組もう」と両親が後押ししてくれたのも大きかったです
ね。

私が体操服とブルマでマラソンをしていることを知った子が「さゆみちゃん、体育の修行だね」と言ってくれたことで
「私は体育の修行をしているんだ」と自分に言い聞かせることで興奮度が増しさらに自信をもって取り組むことができ
ました。

「体育の修行」と位置付けている以上服装には気を付けており体操服とブルマになった時にシャツ入れが徹底できてい
るか母親や友人にチェックしてもらうことにしていました。チェックしてOKがもらえることを私の中で「修行の許可
をいただいた」と解釈していました。

A趣味として
私は子供のころからずっとおしゃれやファッションといったものに興味がなくこれといった趣味もありませんので大好
きな体操服とブルマを着用してマラソンや縄跳びなどをするぐらいしか楽しみがない子でした。また私はMの傾向が強
いので@の修行も趣味の一環であると言えます。

B健康法として
体操づくとブルマでマラソンを続けていたおかげかどうかわかりませんが風邪しらずの体であり私はこれまでに風邪な
どの体調不良で学校を休んだことがありません。高校の卒業式では皆勤賞をいただきました。
(体育などの学校で体操服とブルマを着用する機会を絶対に逃したくなかったので学校を休むという選択肢は私にあり
ませんでした)

今も仕事から帰宅して子供時代の体育の修行のことを思い出しながら1人で興奮してムラムラしているのでアソコの健
康にも役立っているとも言えますね(恥)。

C友達作りなどの手段として
私は内気で自分から友達作りをするのが苦手な方ですが私が体操服とブルマでマラソンをしていることに興味を持って
くれたことがきっかけで男女問わず多くの子たちと仲良くなることができました。私のことをバカにする子が誰もおら
ずみんなが応援してくれて助かりました。「体操服とブルマを着用してもっと走りたい」私と「体操服とブルマを着用
してマラソンなどをしているさゆみをもっと見たい」周囲の子たちの双方の思惑が一致した結果であると思います。

また、日曜日にマラソンをした後に体操服とトレーニングウェアの服装で買い物に行くと当時の小学生の女の子には珍
しい服装だったので店員さんに「かっこいい服装だね」と声をかけてもらうこともありました。私が「マラソンして
る」と答えると「マラソンか、頑張ってね」と声をかけてくださいました。中には「これを食べて(飲んで)マラソン
頑張ってね」と試食をサービスしてくださる店員さんもいらっしゃっていいことづくめでした。

性的なこととの関連は無いようですが、修行としてのブルマとの関りなど貴女独特の世界のようですね。
ブルマに対して同じような思いを持っている方もいらっしゃるかもしれませんね。


ららさん(30)より 10/10

中2に上がる春休みに他の中学校に転校しました。
体操服は小学校の途中までは短パン、途中からはハーフパンツで、中学校1年の時もハーフパンツでしたが、
転校先の中学校の体操服はブルマでした。

制服の買い替えは比較的すぐに行いましたが、まだ体操服の買い替えが終わっていない時のことです。
学校で陸上大会がありました。
自席にいる時にはジャージをはくのですが、参加するときにはジャージを脱がないといけませんでした。

同じクラスに、裕子という子がいました。背が低く童顔で小学生と思うような子でした。
それできれいな顔立ちで、髪が短いので、小学生の美少年という感じの子でした。
裕子は、成績は学年トップクラスで、運動神経もよく陸上部に入っていましたが、
あまりクラスにはなじんでいませんでした。裕子は陸上大会では1500m走とリレーに出ました。

裕子が1500m走に出た時のことです。裕子はトップを走っていたのですが、ブルマからハミパンしていました。
私たちのクラスの子がそれに気が付いて、ざわついていました。

裕子はハミパンに気が付くことなく、トップでゴールしました。
1500m走が終わり、裕子は自席に戻ってきましたが、その時もまだハミパンしていました。
同じクラスの美穂が「裕子、いちごが見えてるよ」と大きな声で言ったので、クラスで爆笑が起きました。
裕子はハミパンを直して、ジャージをはきました。

その後くらいに体操服も買い替えたのですが、あの時の裕子のことを思うと、ブルマが恥ずかしくて、
結局、前の体操服で体育の授業を受けていました。

中3に上がる時に、体操服がハーフパンツに変更になりました。
私はこの時に体操服を再度買い替えて、新しい体操服を着ることにしました。
在校生は買い替えても買い替えなくてもよかったのですが、買い換えていないのは各クラ
ス1−2人の女子のみでした。
裕子は3年の時も同じクラスでしたが、買い換えていませんでした。 

転校したり、学校の方針が変わるたびに体操服を替えないといけないのも大変ですね。
裕子さんはブルマ姿を守り通したってことでしょうか?
家庭の事情もあることでしょうし、ブルマが好きだったのでしょうか。


かほさん(26)より 9/4

その後、数か月してチャンスが巡ってきました。
その日、大学のアメフト部の応援に行き、彼もアメフト好きだったので一緒に来てくれて、
帰りにデートすることにしました。

二人で計画を立てて、夜一時間だけホテルを予約して、デートの最後に行きました。
当然、バックの中にはユニフォームやインナーも入っているので、それを着てコスプレを
する流れになりましたが、さすがにインナーは昼に使ったものは汗臭いと嫌なので、
別のものを使いました。その日に使った青系のものではなく、タイトなユニフォームを
着用するときに使う紺色の一番ハイレグなインナーでした。

彼も喜んでくれて、「昔のブルマーみたいだね」と言いながらなめたり、触られたりしました。
パンツは履かずに直穿きでしたので、わたしもすぐに気持ちよくなってしまい、たくさん
濡れてきて食い込み、ク〇トリスがさらに感じてしまいました。
彼は、インナーをめくってク〇トリスを触ってきたり、インナー越しに触ったりを繰り返し、
割れ目に食い込んだインナー越しに、ク〇トリスがコリコリになってしまいました。

途中からは、ユニフォームを脱いで、食い込んだインナーだけの姿で触られて、わたしは、
激しくお尻を動かして、彼の指にク〇トリスを当ててしまっていました。
彼も下着を脱ぐと、お〇んちんははじけそうなくらいパンパンで、反りあがっていました。
わたしはなめてあげようと思いましたが、彼に止められて、彼は、自分でお〇んちんの皮を
剥き上げ、コンドームを装着しました。もう我慢の限界だったようです。

わたしは、仰向けに寝たままインナーをずらし、彼は上から割れ目にお〇んちんを挿入してきましたが、
あまりにも普段と違う太さと硬さで、わたしはびっくりして声を出してしまいました。
そのまま、奥まで一気に挿入され、わたしは膣の中で大きく感じ、初めての感覚で、
顔をのけ反らしてさらに声を出しました。

彼も一気に挿入しながら、いつも以上に声を出しながら、すぐにドクドクと射精してしまいました。
わたしたちはまるで初体験のような快感に、しばらく呆然として浸っていましたが、
すぐにチェックアウトの時間になりましたので、シャワーを浴びてそそくさと後片付けをしました。

でも、コスプレと彼のはじけそうなお〇んちんの体験の歓びに目覚めてしまった淫らな大学生の
わたしは、その日の夜、布団の中で裸になり、紺のインナーを食い込ませながらク〇トリスを
こすり上げてしまいました。

最後の方は布団を取り払って、ク〇トリスと乳首を同時に刺激してしまい、カーテン越しの
薄い月明りで目が慣れてくると、自分の淫らな姿が見えてしまいました。
真面目だった自分が、こんなにいやらしくオナニーをしてしまう淫らな子になってしまったことに
自己嫌悪になりましたが、彼のはじけそうに大きくなったお〇んちんの感覚を思いながら、
指を止めることはできませんでした。

そんなに硬く大きくなったのは貴女のインナー姿がとてもセクシーだったのでしょうね。
そんな彼を受け止めてとても気持ちよくイけて良かったですね。
ク〇トリスをこする刺激が欲しくて、またこすり上げてしまったとは・・・淫らな子ですね。


幸子さん(24)より 9/4

中2までブルマが体操服でしたが、中3に上がる時にハーフパンツに変更になりました。
新中2の人は卒業までの期間が長いので、女の子はみんなハーフパンツを購入していました。

私もブルマが恥ずかしいと思っていたので、ハーフパンツを購入しましたが、新中3の人は
卒業までの期間が短いので各クラスに3〜4人ブルマのままの女の子がいました。

ハーフパンツを購入しない子は、基本的には、まだ男の子の視線をあまり気にしていない
という感じの子がメインでしたが、私のクラスの女の子1人は、可愛くてスタイルもよく
男の子にも人気がある子でした。

その子の名前を仮に優子にします。確実に男の子に注目されるのに、ハーフパンツを購入し
ないので、優子はブルマが合うスタイルを自慢したかったのではないかと思います。

新学年になってからの体育の授業ですが、ブルマからハミパンしている子がいましたが、
周りの女の子はハミパンしている子にハミパンを指摘してあげていました。

ある体育の授業でのことですが、優子がブルマから白のパンツをハミパンしているのを目撃しました。
私はブルマでスタイルを自慢している優子への嫉妬からハミパンを指摘しませんでした。

ブルマ見せるなら、ハミパンも見せるべきという感じに思っていました。
他の女の子も同じように思っていたのか、誰も優子にハミパンを指摘しないので、
この日の授業では、優子はハミパンしたままでした。

もしかしたらハミパン姿の指摘がなければ、男の子受けを密かに狙って注目されたいと、
あえて見せていたかもしれませんね。
そのことで男の子からもっと人気になることを知っていたとしたら、したたかですよね。


ひろさん(44)より 7/1

中学生のときに好きでもなかった人と会っていました。
始まりは強引にされてしまったことでした。
その少し後から私は相手と約束を取るようになりました。
初体験のあと付き合って欲しいと言われ、形だけはそうなっていたためです。

でも実際は付き合っているとは程遠いものでした。
約束の日は必ず制服とブルマー着用で相手の家を訪ねるのがお互いの約束事でした。
行けば必ずセックスになりました。
終われば毎回必ず何かの理由をつけたお金を渡されていました。
セックスしてブルマーのウエストにお札を入れられる。
それがその時の「付き合う」の現実でした。

中学3年の冬のある日、学校から制服と体育着の切り替えが伝えられブルマーが廃止されることを知りました。
そんな裏の生活を終えたのもその少し後でした。
その只中では早く終わって欲しいと思っていたはずなのに、いざ終わってみると嬉しくも悲しくもなかった、それだけ
が意外でした。

 本当はお金のやり取りもなくお互い好きになれば良かったのでしょうが。
愛のない関係は、貴女に何も残さなかったようですね。
ブルマでの経験は、これまで誰にも話せなかったのでしょうか。


MISATOさん(47)より  6/7

2人目は、中1の時に同じクラスになったYちゃんの話です。

小学校では、体操服は紺のブルマーだとは指定されていましたが、それ以上は指定されていませんでした。
そのため、人によっては、異なる種類のブルマーをはいていたと思います。一方、中学校では、特定のお店で
体操服を購入することに決められていたので、特定の種類の紺のブルマーをはくことになりました。

問題は指定されているブルマーが結構ハイレグで、注意をしないとすぐにハミパンしてしまうことでした。
6月から9月までは、ジャージの着用は認められておらず、ブルマーで体育の授業を受けることになっていたので、
6月には各自ハミパン対策をせざるを得なくなりました。

一部の女子は、ブルマーからのハミパン対策ということで、大人っぽいパンツをはくようになっていました。
ただ、中学に入ってすぐにそのようなことができる人はあまりいないので、私を含めほとんどの女子は、
はいているパンツをかなり食い込ませて授業を受けていました。

一方、Yちゃんはというと、ハミパン対策は全く行わず、授業の時にいつもブルマーの両サイドと両方の
お尻の部分からハミパンさせていました。当然、他の女子からハミパンを指摘されていましたが、Yちゃんは、
このブルマーだとハミパンして当然で気にしても仕方ないから気にしないというようなことを言っていました。

体育祭の時とかでも、全く気にしていない様子でした。共学で男子もいましたので、私にはそこまで割り切る
ことはできませんでした。Yちゃんは、中2の途中で他の学校に転校したように思います。

恥じらいを自覚する子が居る一方で奔放な感じな子もいたのですね。
貴女のころにはハイレグタイプのブルマを使うようになってきたのでしょうか。
露出度も高くなり恥ずかしさも増しそうな気がしますが、割り切りようがなかなかですね。


MISATOさん(47)より  6/7

ブルマーで記憶に残っている2人の子の話です。
まずは、Mちゃんの話です。Mちゃんは小4の初めに転校してきて、小5の時に同じクラスになりました。小学校を卒業
するまで男女一緒に教室で普段の体育の着替えをしていましたが、女子はいつでもスカートやズボンの下にブルマーをは
いていたので、男子に着替えでパンツを見られるということはありませんでした。胸に関しては、早い子で小5の初めか
ら遅い子で小5の終わりくらいから隠しながら体育の着替えを行っていたような気がします。

Mちゃんも他の子と同じように、スカートの下にブルマーをはいていましたので、着替えの際は、スカートを脱ぐだけでした。
ただ、Mちゃんは、教室でブルマー姿になった後に、ブルマーの中のパンツが食い込んでいる時などに、ブルマ
ーを膝まで下ろして、パンツの食い込みを直していました。たまにですが、体育の授業中にも同じようなことをしていた
りしました。私は男子もいるところでパンツを見せて、Mちゃんは恥ずかしくないのかしらとか思っていました。

ある時、クラスの女子がMちゃんに指摘したようで、それ以降、Mちゃんは、男子がいるところでは、ブルマーを膝まで下ろし
たりしなくなりました。

 本人は友達から指摘されるまで、ブルマを膝まで下すことを恥ずかしいことと思っていなかったのでしょうね。
指摘を受けてから異性に対する恥じらいなどの気持ちが芽生えてきたのでしょうね。


みさこさん(35)より 5/17

私は高校の時、陸上部に所属していました。
女子はブルマー。男子はスパッツをノーパンで履いていました。
だから男子のスパッツの股間部分はモッコリしていました。
そのモッコリを観察するのが私の趣味でした。

あの人は〇玉がデカイ、あの人は〇ンチン長い。あの人は勃起してる、あの人は〇ンチン横向いてる等々。
学校水泳の時や通っていたスイミングスクールでも、男子の股間を観察するのが好きでした。
凝視すると男子から変な目で見られるので、あくまでもチラ見観察でした。

そんな中私が思いを寄せる男子s君がいました。
s君に告白するチャンスがやってきたのは、夏休み中の部活の時です。
s君と私が部室の掃除当番の日が一日だけありました。
部室は男女別でしたが、当番同士二人きりになれるのです。
屋外の用具箱に掃除用具を片付けている時、私は思い切って告白しましたけど、
s君はあまり乗り気ではありませんでした。

s君はしばらく考え、俺を気持ちよくさせてみろと言い出しました。
そこで私はs君の青いスパッツの股間部をいきなり掴みました。
s君は何をするんだと驚きましたが、私はs君のモッコリをモミモミし、
〇ンチンをしばらくこすっていました。
そうするとs君は、出たと言いました。
よく見るとs君のスパッツの股間部が濡れていました。

s君に振られたくないばかりに、あまりに大胆な事をしてしまいました。
しかしs君は走ってトイレに行きました。
そして今度は部室に戻り、紫のスパッツに着替えていました。
その時はs君から返事を保留されましたが、帰り道で始業式後にプールへ誘われました。
そこでもっかい気持ちよくさせたら、必ず付き合うと約束を貰いました。

当日、s君は競泳ビキニパンツでプールに来ました。
私はビキニで行きました。
s君はこの前の続きしてくれと言いました。
私は競泳ビキニパンツのモッコリをモミモミすると、s君の〇ンチンが大きくなり、
それを競泳ビキニパンツの上から一生懸命こすりました。
するとまた精液が出ました。
今度は白い精液が、競泳ビキニパンツの表面に漏れ出てきました。
s君はわかった付き合うと、宣言してくれました。

 告白してきた女の子にいきなり、気持ちよくさせてと言うのは、彼も勇気がありますね。
性のご奉仕をするような行為から始まり、本当に彼の彼女として付き合えたのでしょうか。


みさみささん(29)より 4/25

 小6の時に陸上部に入っていて、夏休みに県の陸上大会予選に女子リレーの選手として参加しました。
学校の陸上部にユニフォーム等はなかったので、私たちリレーの選手の4人は、学校の体操服で陸上大会に
参加することになっていました。
ユニフォームで参加している学校と、体操服で参加している学校は、半分半分くらいずつでした。

 小学校に入学した時は体操服はブルマーでしたが、途中でハーフパンツが体操服になり、小5の途中にはみんなハー
フパンツで体育の授業を受けるようになっていました。そのため、4人ともハーフパンツで参加することになると思い
ましたが、4人のうち愛だけがブルマーで陸上大会の予選に参加しました。

 更衣室で愛のブルマー姿を目撃し、私たちは、愛に「ブルマーで参加するの?」って聞きました。
愛は「ブルマーの方が動きやすいから、今日はブルマーにした」と返事しました。愛のブルマーのお尻の裾を見ると、
緑のストライプ柄のパンツがハミパンしていましたが、それを指摘するのも恥ずかしいので、指摘できませんでした。

 更衣室から出ると、4人で準備体操をしました。準備体操ではかがんだり座ったりするので、更にハミパンしていま
したが、恥ずかしいので、指摘できませんでした。愛のブルマーを見る機会は多かったですが、愛はずっとハミパン
していたように思います。

 予選が終わったこの日の帰りの話です。愛は両親の車で帰りましたが、私たちは、電車で帰りましたので、帰りは
別々でした。私たちは帰りの電車で、この日のことについて話しました。その時に、愛がブルマーで参加した時のこと
も話しました。ユニフォームで参加している学校は短パンですし、体操服で参加している学校もハーフパンツでしたの
で、ブルマーで参加していたのは愛だけだったと思います。

 そのため、愛を見て、他の学校の子が、「あの学校、まだ体操服体操服がブルマーなんだ。かわいそう」とかぼそっと
言っていたようです。また、他の2人も愛のハミパンに気が付いていたようでした。2人は愛にハミパンを指摘していて、
愛も指摘を受けた時にはハミパンを直そうとはしていたみたいですが、中途半端にしか直さないので、ハミパンした
ままだったみたいです。ハミパンを直す時に、直っているのかはわかるはずです。
そのため、私たちは、愛はブルマーで参加して、わざとハミパンさせていたのでは?と思っています。

 みんなにブルマ姿を注目されたかったのでしょうか。
大勢の中で一人だけってかなり勇気がいると思いますが、見られたい人にはうれしいことなのでしょうね。


さゆみさん(44)より 4/9

土曜日の午後や日曜日などに自分だけ体操服・ブルマでマラソンをしていることを全く恥ずかしいと思ったことはあり
ませんでしたがみんなの反応が少し気になっていました。
(もちろん笑われても絶対に続けることに変わりはありませんでしたが)
また、土曜日の私の服装が学校と帰宅後で全く違うという噂が流れたようで確認してみようという動きがあったとのこ
とでした。

ある土曜日の午後いつものようにマラソンを終えて両親と一緒に車で帰宅すると自宅前にAちゃんとBちゃんが待って
いました。私が車から降りると「どうしてそんな服装なの?」と聞かれました。私が「土曜日の昼からと日曜日にお父
さんとお母さんと一緒にマラソンしているから」と答えると2人は「マラソン!だからこの服装か」と納得してくれま
した。さらに首元を見て(私が中に体操服を着ていることに気づき)「さゆみちゃんファスナーを開けてみて」と言わ
れました。

私が「いいよ、はい!」とトレーニングウェア上のファスナーを開けて中に体操服を着ているのを見せると
2人は驚いて「なんで体操服?」と聞かれました。私が「(さすがに体操服が好きだからとは言えず)マラソン大会の
つもりで本気で走ろうと思っているから。走るときはいつもトレーニングウェア上下を脱いで体操服とブルマで走って
いる」「土曜日はいつも学校から帰ったらすぐにこの服装(=体操服・ブルマの上にトレーニングウェア上下に着替え
て土曜日の午後と日曜日はこの服装で過ごすことに決めている」と説明すると2人は感心して「頑張ってね、応援して
いるよ」と言ってくれました。私は笑われることを覚悟していましたが2人に励ましてもらったことで安心すると同時
にさらにやる気が出ました。それ以来土曜日の下校の時に「今日もマラソン頑張ってね」と言ってくれるようになりま
した。

その後AちゃんとBちゃんから「今度さゆみちゃんが走っているのを見てみたい」と言われました。私は「私は走るの
が遅いから見てもらうほどではないよ。それでもよかったら。」と答えましたが内心とても嬉しかったですね。
当日私が自宅からトレーニングウェア姿で自宅から出てくると2人は拍手で出迎えてくれ、トレーニングウェア上のフ
ァスナーを開けて「今日も体操服だ!」と喜んでくれました。

そして両親と私と合わせて5人で車でマラソンコースへ 行きました。着いて私がいつものように車の横でトレーニング
ウェア上下を脱いで体操服・ブルマ姿になると2人は 「マラソン選手みたいだ!かっこいい!」と言いながら拍手して
くれました。そして2人がスターターをしてくれて応 援を受けながら気持ちよく走ることができました。走り終えると
「さゆみちゃんが走っている姿かっこよかった。」

「体操服・ブルマでマラソンっていいね。」と言ってくれました。私が「一緒にマラソンしない?」と誘いましたが
「マラソンなんて無理無理!さゆみちゃんが走っているのを見せてもらうだけで十分」とのことでした(苦笑)。

私は内気な性格で友達付き合いが苦手な方ですが体操服・ブルマのマラソンをきっかけに仲良くなれた子も結構いて
私 が体操服・ブルマ姿になる機会を増やすことができました。続きはまた改めて書かせていただきます。

   ブルマ姿に対する周りの人達と貴女では捉え方が少し異なるようですね。
貴女にとってブルマ姿になって運動をすることの意義は何だったのでしょうね。


さゆみさん(44)より 4/4

私は小学校入学と同時に体操服とブルマに出会い、独特の着心地・履き心地に魅了されました。
私は運動が苦手な方なのですが上記のとおり体操服とブルマが大好きで体育の授業をいつも心待ちにしていました。
ついでに言うと私は「スポーツ」「運動」「トレーニング」といった言葉には特に何も感じませんが今でも「体操服」
や「体育」という言葉を見聞きしたり思い浮かべたりするだけで興奮を覚えてしまいます。

私は小学1年のころから「もっと体操服を着る機会が欲しいなあ」と思っていました。当時はマラソン大会に出場する
子の服装は体操服が当たり前だったので私は大好きな体操服を着る機会を作るためにマラソンをしようと思いつきまし
た。
私「運動が苦手だから土曜日の午後や日曜日に走ろうと思っているの」
親「それはいいな、一緒に頑張ろう!で、服装はどうするの?」
私「もちろん学校の体操服とブルマ!」
親「えっ、体操服?」
私「体育の授業やマラソン大会だと思って本気で走りたいから」
親「よし分かった」
私の本気度をわかってくれてすんなり決まりました。
そしてマラソンの前後に着る(当時の小学生女子には珍しかった)紺色2本線のトレーニングウェア上下を用意してく
れることになりました。

次のようにルールを決めました。
・体操服を着る以上学校の代表のつもりで全力で取り組む。
・土曜日の午後と日曜日の私の服装は体操服・ブルマとトレーニングウェア上下のみとし、必要に応じて着替え用の体
操服を用意する(=洗濯の協力)。
・感謝の気持ちを忘れずに。

初めてマラソンをした日のことは今もはっきりと覚えています。
土曜日午前中で学校が終わって帰宅すると母が「はい、今日から頑張って走ろうね!」といって私に新品のトレーニン
グウェア上下と新品の体操服(=胸に母の手書きゼッケン付き)・ブルマを手渡してくれました。私はウキウキ気分で
「ありがとう」と受け取り自室へ行きました。そして着ていた私服をすべて脱いで体操服・ブルマとトレーニングウエ
ア上下を着るとさらにやる気が出て胸が熱くなりました。


(この時私の中で服装にメリハリをつけるこだわりが生まれ、以後この着替えが私が心と体を鍛えるために普通の小学
生女子からマラソン少女へ変身する大切な習慣になりました。)
そして両親と一緒にマラソン大会のスタート地点へ行きました。
準備体操の後私がトレーニングウェア上下を脱いで体操服・ブルマ姿になると両親に「よっ、我が家のマラソン選
手!」と冷やかし気味に言われ、さらに興奮度が増しました。
両親と一緒に小学生のマラソン大会のコースを走ると想像以上に気持ちよく、すぐに病みつきになりました。

長くなりましたので続きは改めて書かせていただきます。

性的な興奮ではなく、ブルマを着用すると気持ちが昂揚する感じでしょうか。
それともブルマ姿を人に見られることが恥ずかしい感じなのでしょうか?


みれいさん(37)より 4/4

夏休みが終わり、秋には体育祭がありました。体育祭の当日も、夏休みの部活と同じで、登校の時だけジャージのズボ
ンをはくことになるので、夏休みの部活と同じようにジャージのズボンをはかずに半袖体操服とブルマーで登校すること
にしました。部活の時と同じで、ハミパンしていたら恥ずかしいので、家を出る時に、ハミパンチェックをきちんとしました。

 体育祭では出番がある時は半袖体操服とブルマーで参加しないといけないですが、出番がない時は自席でジャージのズ
ボンをはいてもいいので、ほとんどの女子は自席ではジャージのズボンをはいていました。ブルマーを男子に見られてい
るような気がして、恥ずかしいと思いました。中1の体育祭以来、ジャージのズボンをはいてもいい時には、ジャージの
ズボンをはいていくようにしました。

 幸い、1日中ブルマーでいることを想定して、ハミパンしないように細心の注意をはらっていたので、体育祭ではハミ
パンしませんでした。男子や学生以外の人もいるのに、ハミパンしている子が結構いました。その子たちを見ていると、
1日中ブルマーよりも恥ずかしいだろうなと思いました。

紺色のブルマからはみ出した白いパンツは目立ちますよね。
ハミでていることに気付いていなかったのかな?
なかにはあえてハミパンをみせつける確信犯の子もいたのかも。


慶子さん(49)より 4/4

慶子です。お久しぶりです。毎日コロナが心配ですね。今日は、夫が最近してくれたプレイについて書きます。年上の
の夫は、バリバリお仕事をこなしお金を稼いでくれます。人当たりも良く誠実でハンサムです。愛妻家で4人の子供が
います。でも週末の夜になると・・・性欲旺盛で50代の今でも激しく私に襲い掛かります。勢いは若いころと少しも変
変わりません。本性のSをたくさんぶつけて私を愛してくれます。どМの私は嬉しさを心から感じます。私を生涯幸せ
にしてくれる夫からの激しい愛はすべて喜んで従います。次は何されちゃうの。思い出すだけで・・・・・ごめんなさ
い、濡れちゃいます。


 金曜深夜寝室。全裸の夫は、ジムで鍛えた体を私に見せつけています。胸板も厚く日焼けしています。
私は白の木綿のブラとパンティのブラとパンティ姿。「ブルマになれ。今日は紺だ。」夫からとても嬉しい命令をされました。

「はい。ただいま。」すかさず私は巨尻を揺らしながらクローゼットに取りに行きます。内心ドキドキワクワクしています。
紺の日は特に激しくしく朝まで寝かせてもらえません。ブルマを手にして戻ると。・・・アン、やっぱり・・・夫は安楽椅子に
深く座り腕組みをして足を大きく開いています。

紺の日はビデオカメラで撮られてもいます。赤いランプの点いたビデオが自分に向向けられていると、女子高生の時、
体育祭でエッチなブルマダンスを撮られた恥ずかしさがよみがえります。夫の股間がが大きくそびえています。
(あぁ、早くなめたい・・)心から思います。

彼氏へのおしゃぶりの喜びを覚えた女子大生のの頃を思い出します。見透かした夫は「見とれてないで早くしろ。
お前のせいででかいんだ。痛くてたまらない。」「はい、申し訳ございません。」ふんぞりかえり屹立を見せつける夫の
目の前で、きちんと正座し、三つ指をつきます。ピンと伸ばした指先には、きれいに畳まれた紺のブルマと白の
半袖体操服が置かれています。また次回。

理想的なご主人と、満たされた夜の生活は最高ですね。
うまく昼と夜の顔をお互い使い分けておられるのも凄いですね。


34歳さん(34)より 3/9

高1のプールの授業でのことです。プールでは男女とも競泳水着で行いましたが、授業は男女別で、
男子に水着姿を見られることはありませんでした。また、男子の水着姿を見ることもありませんでした。

最初のプールの授業でのことです。私たちは競泳水着で授業を受けていました。同じクラスに、Mという
清楚系の美人な子がいたので、その子の方を見てしまっていました。胸は少し小さめでしたが、
スタイルがいいので、競泳水着がよく似合っていました。

ただ、よく見ると、ハイレグの競泳水着から毛がはみ出ていました。Mは腕や足やワキのムダ毛はきちん
と処理していましたので、ムダ毛処理を怠ったというよりも、水着が思ったよりもハイレグだったので、
ビキニラインの処理が甘かったのが原因だと思います。私は、Mの清楚な顔と水着からはみ出た濃い毛の
アンバランスさに興奮してしまいました。

Mも毛のことに気が付いていたみたいで、次のプールの授業では、きちんと処理されていました。
気が付いた時には、さぞ恥ずかしかったと思います。

清楚な感じの外見とのギャップが同性同士でも興奮してしまうのですね。
本人は外見とは違い見せたい欲求も少しはあったのかな。


みれいさん(37)より 3/9

 私が中1の時のことです。中学の時は陸上部に入っていました。夏休みの部活でのことです。
夏休み中は体操服で学校に登校して、体操服で部活をして帰宅していました。
最初は、他の子に合わせて、登下校の際には、下はジャージのズボンをはいていました。
ただ、部活は半袖体操服とブルマーでするので、ジャージのズボンは登下校時にのみ使っていました。

 男子の陸上部員の中には短パンで通学している子もいたこともあり、ジャージのズボンで登下校をしな
くてもいいのではとふと思うようになりました。そこで、私は、ジャージのズボンをはかずに登下校をす
ることにしました。他の子に何か言われたら、ジャージのズボンを洗濯していることにするつもりでした
が、特に何か言われることはありませんでした。

 ジャージのズボンをはかないで登校している時のことですが、ブルマーからハミパンをしていたようで、
登校する途中で出会った友人にハミパンを指摘されました。指摘された後に、もちろんハミパンを直し
ました。その次からジャージのズボンで登校することも考えましたが、中1の夏休みの間はジャージの
ズボンははかずに登校し続けることにしました。

 ただ、普通の道路でハミパンしているのは体育の授業とかでハミパンしているよりも恥ずかしいので、
家を出る前にハミパンしていないか、きっちりと確認するようにしました。

ハミパンも友達同士ならお互いさまでしょうが、
学校の外で知らない人に見られるのは恥ずかしかったのでしょうね。


はるさん(41)より 3/9

中学のとき年上と会っていました。
始めは共通の話題で楽しい時間を過ごし、疚しいこともありませんでした。

でも、接点が増えるにつれてエッチな経験も増えて行きました。
わたしにはその流れをどうすることもできませんでした。
その年の冬、ブルマーだった体操服の上に制服の上着を羽織り、送りの車の中で
ひたすら痛みをこらえているわたしがいました。

そしてその後も何度かそういうことがあり、終わったのは夏休み直前の頃です。
ただ、その後の夏期講習から始まった受験の波にのまれるような形で、わたしも
少しずつ本来のわたしに戻って行けたように思います。

ところで、実をいうとわたしは中学の3年間を通してある委員を務めていました。
その委員は人気があったとは言えないものでしたが、それを3年務めたことへの
ご褒美だったのか中学最後の体育祭の開会式と閉会式の生徒代表をさせてもらう
ことができました。それ自体は決して悪い思い出ではないのですが、卒業アルバ
ムに残った写真はわたしにとって少し心の痛いものになってしまいました。

閉会式の表彰台の上で優勝旗を受け取っている男子の隣のわたしは、おなかのあ
たりの変な高さで表彰状を持って立っています。
それはたぶん、ほんの偶然だったのかもしれません。
ただ、わたしにはその姿が無意識のうちブルマーを隠そうとしているように思えて
しまうのは、考えすぎでしょうか?

神様も案外辛口のジョークがお好きなのかもしれませんね。

年上男性とのエッチな経験は背伸びしすぎていたってことなのでしょうか?
無意識に?ブルマーを隠そうとしていた心理はどんなことだったのでしょう。


かほさん(26)より 1/15

この前の続きを書いてみます。
先月書いた話、わたしが本格的なオナニーを覚えたのは20歳の大学三年生の時で、
心のノートで告白しているみなさんに比べて少し遅いのかもしれませんが、
コスプレの時の彼のお〇んちんの記憶も大きかったですが、覚えたてのオナニーに
つい夢中になってしまい、それからほとんど毎日のようにわたしは、インナーの
直穿きで机の角にこすりつけながら乳首いじりをしてしまいました。
インナーにこだわったのは、もし家族が部屋に入ってきても、チアで欠かせない
柔軟体操をやっていたとごまかせるからです。
(実際に柔軟を週何回かやっているのを家族も知っていました)

そして半月もオナニーをしていると、気持ちいい乳首の触り方や、机の角に
ク〇トリスをピンポイントで擦る感覚が分かってきて、ついには抵抗があった
指でのク〇トリスへの刺激も、インナーの上からですが覚えてしまいました。

生理の時はさすがに控えていましたが、そうこうしているうちに次のデートと
エッチの日が来てしまいました。その日は前回と違って、コスプレはせずに
いつものエッチをしましたが、オナニーを覚えてしまったわたしは、彼の
指や舌にク〇トリスを自分から押し付けるように下半身を反らしてしまったり、
彼と一つになった時にお尻を押し付けるように動かしたり、乳首を吸われて
大きく喘いでしまったりして、いつもは一つになったら、二人で少し喘ぎながらも
できるだけその時間を長くキープできるように抱き合ってキスしたりするだけで、
最後は彼がお〇んちんをわたしの中で動かしながら射精してもらう感じだったのが、
初めて激しいエッチをして、わたしが彼をイカせてしまいました。
(もちろんコンドーム使ってました)

彼は、お〇んちんが包茎だからって我慢できなくてごめんって落ち込んでましたが、
お互いが初めての性体験だったわたしたちは、おとなしめのわたしが彼にリード
してもらう感じだったのが、急に淫らな女になってしまい彼に変に思われなかったか
逆にわたしが落ち込みたいくらいでした。

でも、エッチの途中で彼のお〇んちんを皮の上から舐めてあげたり、皮を剥いて
あげて舐めたりしているときに、前回のような大きさを感じることができず、
コスプレをしたらまた一段と大きくなってさらに激しくエッチができるかも、
と思って、その日の夜からまたさらに激しいオナニーをしてしまったのです。

オナニーを覚えたのが遅かった分一気に、性感に目覚めた感じですね。
貴女の変化に彼は戸惑ったりすることはなかったでしょうか。
普段はおとなしめだけど、夜は乱れる女性の男性はメロメロになることでしょう。


みゆさん(34)より 12/31

 中学の時に学年単位で行われた水泳記録大会でのことです。
3分の1くらいの女子が見学していて、私も見学していました。

 プールの授業の見学は半袖体操服とブルマで見学することになっていたので、
私たちは半袖体操服とブルマで見学していましたが、同じクラスの優子は下に
ジャージをはいていました。それを見て、私は、今日は学年全員がプールに集
まっていて男子も近くにいるので、ジャージをはいてもいいのなら、ジャージを
持ってくればよかったと思いました。

 水泳記録大会が少し進んだ後のことです。先生からジャージを脱ぐように言わ
れたのか、他の子がジャージをはいていないから自発的にジャージを脱ぐことに
したのか不明ですが、優子はプールサイドの自席に座ったままジャージを脱いで、
ブルマ姿になりました。

ブルマ姿になったのはいいのですが、優子はブルマからかなりハミパンしていました。
優子はそれに気が付いておらず、誰も指摘もしないので、優子はしばらくハミパンし
たままでした。水泳記録大会がさらに進んだところで、優子は再びジャージをはいて
見学していました。

 優子がなぜ途中でジャージを脱いだのかは不明ですが、ジャージで完全防御のはずが、
結局、ブルマからのハミパンをさらしてしまっていました。

 誰もハミパンの事を言ってあげなかったのかな。
本人は知ってないから恥ずかしいとも感じていなかったのでしょうね。


ピカさん(34)より 12/18

中学1年の掃除の時の話です。掃除当番が掃除をしますが、女子は、掃除の前に、
制服のスカートを脱いで体操服で掃除をすることになっていました。

制服のスカートの下にはいつもブルマーをはいているので、掃除の前にブルマーを脱ぐ
ということも特に問題なくできていました。5月の終わりまでは体育の時にジャージを
着てもいいことになっていたので、掃除の時もジャージで掃除していました。

6月からは体育の授業ではジャージを着てはいけないことになっていました。私はわざわざ
掃除の時間のためだけにジャージを持っていくのが面倒なので、ブルマーで掃除していました。

同じくブルマーのまま掃除している子と、ジャージを持ってきてジャージで掃除している子の
両方がいました。ある掃除の日の話です。この日もいつものように、ジャージで掃除している
子とブルマーで掃除をしている子がいました。

ブルマーで掃除している葵ちゃんって子がいたのですが、少しハミパンしていました。
葵ちゃんはハミパンに気づくことはなく、誰も指摘もしないので、ハミパンしたまま掃除を終えました。
その様子を見て、ブルマーで掃除するのが恥ずかしいような気がしたので、それ以降は、夏でも掃除の
ためにブルマーを持参しました。中3でも掃除の時にはブルマーって子も、少数派ですがいました。

友達のハミパンを目にして、ブルマ姿での掃除が恥ずかしいと意識し始めたのかな。
少数派はやはり周りから浮いて目立ってしまうからでしょうか。


みなみさん(24)より 12/18

 私が中3の体育祭での出来事です。
最後のクラス対抗リレーが終わり、残りは閉会式だけになりました。私はクラス対抗リレーに出ていないので、自席で
観戦していました。自席ではジャージをはいてもいいのでジャージをはいていました。ただ、閉会式ではジャージをは
いてはいけないので、ジャージを脱いで、運動場の集合場所に行きました。

 閉会式では、最初に運動した後、座って表彰式とか、校長先生の話を聞くことになっていました。男女ごとに一列に
並んで座っているので、一方の隣には同じクラスの男子の列が、反対側には、隣のクラスの男子の列がありました。
 隣のクラスの男子の中に、同じクラスになったことはないけれど、気になっているS君がいました。S君は、私より少
し前の隣の列で座っていました。閉会式の途中、S君は、ちょこちょこ私の側の後ろを振り返っていました。

 その時に、私と目が合ったことがあり、S君は恥ずかしそうに視線をそらしました。S君はひょっとして私に関心があ
るのかと思っていましたが、そのすぐ後に、私の1つ後ろに座っていたMさんが私の肩をとんとんと軽く叩きました。

 私がMさんの方を振り返ると、Mさんは「みなみ、ハミパンしてる」と言いました。私がブルマーの裾を確認すると、
ブルマーの裾からだらしなくハミパンしていたので、ハミパンを直しました。この後、S君の視線を感じることはな
かったので、S君はハミパンを見ていただけかもしれません。

 体育祭の以降の体育の授業ではジャージをはくことができましたし、高校では女子高に行きましたので、男子の前で
は最後のブルマー姿だったのですが、恥ずかしい姿をさらしてしまいました。

気になる男子がたとえハミパンであったかもしれませんが、自分を見ていたのは嬉しかったのかな。
最後のブルマ姿で恥ずかしい思い出かもしれませんが、懐かしい大切な思い出ですね。


かほさん(26)より 12/18

体操服としてのブルマは小学校低学年の薄い記憶しかないのですが、
わたしには大学生の時のチアリーディングの時のインナーパンツの
強烈な経験についてお話します。

チアのインナーも最近はスパッツやレギンスが主流になっていますが、
10年くらい前のわたしたちの頃はまだいわゆるブルマ型でした。
高校生だと今も昔もブルマですが、大学生だとその頃は結構ハイレグの
チア用のインナーでした。

ある日、彼にチアのユニフォームでエッチを頼まれて、気乗りしません
でしたが、ばっちり着込んでエッチをしたところ、わたしの身体を
ユニフォームの上から触られたり、手を中に入れられて触られて、
いつも以上に気持ち良かったのですが、彼のお〇んちんもいつも以上に
固く大きくなっていて、お〇んちんの亀頭が皮からはじけるくらいに
張っていました。皮の上からも亀頭がくっきり分かるのは初めてでした。

皮を剥いてあげようとしたら、亀頭が張りすぎててうまくむけず、
そうこうしているうちに彼も喘ぎ始めてしまったので、そのまま
皮のままで亀頭を舐めてあげると、口の中でもいつもより大きいのが
分かりました。彼はそのまま喘ぎ声を出しながら、あっという間に
口の中で射精しました。その日はそれで終わりで、彼も、ありがとう、
あっという間に出してごめんね、と言ってくれたのですが、わたしは、
あんなに大きく太く張ったお〇んちんの感触にうっとりして、
まるで初体験の時みたいに彼が気持ちよくなってすぐ射精しちゃうなんて
本当にすごいと思いました。

わたしたちは、それまで一年弱くらい月イチくらいのエッチ経験しか
なく、お互い舐めあったりして愛し合うのが好きで、挿入自体には、
それほどこだわりはなく、一つにつながれることと、彼にコンドームで
射精してもらうためという感じでした。
でも、初めてコスプレをして彼のお〇んちんの大きさ太さ硬さを実感し、
今度チアの格好で挿入されたら、いつもより気持ちよくなれるのかな、と
妄想しはじめてしまいました。

その日の夜、彼に触られた感触やお〇んちんを想い出して、わたしは初めて
本格的なオナニーをしてしまいました。
乳首が硬くなって直接指で触れて軽い快感を覚えたり、パンツの上から、
家の勉強机の椅子の角に押し付ける程度のオナニーを、数えるくらいしか
しなかったわたしは、直接激しく触るオナニーの経験はなかったので、
コスプレのことも想い出し、インナーパンツを直接履いてその上から
指でク〇トリスを触りました。パンツが汚れるのも嫌だったのですが、
普段絶対に直穿きしないインナーパンツ越しの刺激は、とてもいやらしい
気分になってしまい、背徳感とは裏腹にとっても気持ちよくなってしまいました。
だんだん激しく触り、ついには勉強机の椅子にク〇トリスをこすりつけながら
両手で乳首を刺激して喘いでしまったんです。

まだイクことはできませんでしたが、初めての本格オナニーを覚えたわたしは、
彼のいつもよりも大きく張ったお〇んちんを挿入する日が待ち遠しくなって
しまい、それまでの真面目な性格で恋にもエッチにもおとなしかったわたしは
一気に淫らな女子大生に変わっていきました。

長くなりましたのでまた書かせてください。

チアのユニフォームがきっかけで、性に一気に目覚めていく感じですね。
気持ち良さを知れば、いろんなことを試してみたくなりますよね。
どんな感じに淫らな女子大生に変わっていったのでしょうか。


ゆかりんさん(48)より 12/1

カラオケスナックでの話しです。いつもお酒飲んで歌ってばかりで不健康?
だからたまには健康的?に運動しないかという話になりました。

以前にもかきましたが校舎は閉鎖されていても運動場や体育館は貸し出しを
しているから予約をして体育館でバスケやバドミントンをやることになったのです。

平日の午前中だったと思いますがこの時間は運動場も含め私達だけしかいませんでした。
受付で何の集まりか聞かれたからこの中学の卒業生だと説明して懐かしいから集まって
体育館を利用する主旨を伝えました。

体育館に入ると懐かしさからかテンションも上がってきました。
よくみると1人が大きなバッグを持っていてなんと中身はブルマと体操服でした。
そうみんなで着替えて遊ぼうということです。

みんなテンションが高いからほとんど子はOkですし私も内心は面白そう、と思っていて
Okでした。でもわざとエーと言いながら嫌嫌のフリをしたのは私だけではなかったはずです。

みんなブルマの食い込みを直したりと気にしてばかりだし体操服の裾をなるべく下に
下げたりと昔とやる事は変わりませんでした。
でもだんだん時間が経つと運動の方に集中してきてブルマの方は気にしなくなりました。

昔を思い出し私も含めみんな楽しみました。夢中になりすぎて汗だくになりこのまま
着替えたくないから思いきってブルマ姿のまま帰る事にしました。

カラオケスナックの子の家に行けばシャワーを使えるからです。
裏道を使えば人には会わずにすむ可能性が高いからみんなでチャレンジしたら
見事成功しました。スリルがあってとても楽しかったのを覚えています。
誰かに会っていたらどうなっていただろう?と思います。

よく、みんなのブルマを持っていたものですね。
大人になった女性のブルマ姿の集団は、傍目にはどんな感じに見えていたのでしょうね。


りこさん(46)より 11/5

 中2の体育祭の前日の話です。体育祭は日曜日に開催されましたが、前日の土曜日は普段通り午前中に授業がありま
した。ただ、土曜日の授業のうち、体育の授業の授業については、翌日の体育祭の準備で、運動場で石拾いと草むしり
をすることになっていました。

 私たちのクラスは、体育の授業がありました。2クラス単位で体育の授業なので、2クラスのうち一方の教室で男子
が、もう一方の教室で女子が着替えることになっていました。この日も普段と同じように着替えを行いました。
 女子は普段から制服のスカートの下にブルマーをはいているので、体育前の着替えの際にはスカートを脱ぐだけなの
で、わたしはいつものようにスカートを脱いでブルマー姿になりました。ただ、3、4人の女子を除いて、下はジャー
ジをはいていました。わたしは完全に忘れていましたが、石拾いと草むしりの際にはジャージをはくことが許されてい
るからでした。恥ずかしいと思いつつ、わたしは運動場に行きました。男子はみんなジャージではなく、短パンをはい
ていました。

 授業が始まり、わたしたちは運動場の割り当てられた場所で、石拾いと草むしりをしました。当然、しゃがんで石拾
いと草むしりをするのですが、その時、ブルマーからはみパンしていたようでした。すぐ近くで石拾いと草むしりをし
ていたA子は、「りこ、ハミパンしてる」と大きな声で言ったので、それを聞いたB子は、わたしの方を見て「ハミパン
なんて、なさけなー」とか言いました。恥ずかしいので、わたしは大急ぎで、ハミパンを直しました。

 その後は、ハミパンしないように注意して石拾いと草むしりを行いました。男子も近くにいる中で3、4人だけブル
マーで目立っている上に、ハミパンまでサービスしたので、恥ずかしかったです。

ハミパンも恥ずかしいでしょうが、草むしりで屈むと
お尻の形やパンツのラインもはっきり見えていたかもしれませんね。
男子に大サービスでしたね。


みさちゃん(48)より 10/14

 私が小学生の時のことです。月に1回、健康診断が行われていました。
 健康診断の際には、小3までは男女とも教室でパンツ1枚になって保健室に行くことになっていました。ただ、女子
はブルマをはいてもいいことになっていました。小1の初め頃はパンツ1枚で健康診断を受けていた子も、ブルマで健
康診断を受けるようになりました。

 小3の時に美穂と初めて同じクラスになりました。美穂はおとなしい感じで親しい友人もあまりいませんでした。3
年になって最初の健康診断の時だったと思います。健康診断前に女子はブルマ姿になるのですが、美穂はパンツ1枚に
なっていました。美穂と小2の時から同じクラスだった子に聞くと、美穂は体育の授業がある時はブルマで健康診断を
受けているけれど、体育の授業がない時はパンツ2枚で健康診断を受けているとのことでした。事実、その次の健康診
断の日には体育の授業があったので、美穂はブルマで健康診断を受けていました。

 小3の夏のことです。体育の授業がない日に健康診断がありました。私も美穂を真似てパンツ1枚で健康診断を受け
てみたくなり、実行することになりました。登校は制服ではなく私服でした。ブルマなしだとスカートだとスースーす
るので、短パンで登校しました。健康診断前になりました。いつも通り、女子はスカートやズボンを脱いでブルマ姿に
なっていますが、わたしは短パンを脱いでパンツ1枚になりました。美穂もパンツ1枚でしたが、わたしの方に注目が
集まりました。男子はチラチラと見てくるくらいですが、女子は、「恥ずかしくないの?」とか聞いてくるので、むし
ろ女子の視線の方が恥ずかしかったです。

 今考えると、ブルマもパンツもあまり変わらない気がしますが、当時はブルマは見られてもいい、パンツは見られた
らいけないということが刷り込まれていたので、恥ずかしかったです。その後は、きちんとブルマをはいて健康診断を
受けました。

 好奇心旺盛だったのかな。友達がしている事を真似てみたくなったようですね。
色の差もあるしパンツの上に二重に履くブルマだから、恥ずかしい感覚は無かったのでしょうか。


ななこさん(37)より 9/1

 半袖の筋肉質の男性たちと交じって、トレーニングをしている間、私は体中が熱くなっていました。
もちろん、体を動かしているということもありますが、外は寒いのに、屋内で、半袖の筋肉質の体格の
いい男の人たちの中で私だけが女性であること、しかも、半袖の白い体操服にブルマーという、
男の人たち以上に露出の多い服装をしていることも、気分を盛り上げてくれました。

 ジャージを着ていたときに溜められていたものが一気に放出されたかのように、私はより一層ハードに、
自分を鍛えようという気持ちになりました。
男の人たちは、私がそんな気持ちであることは、気づいている感じはないようでした。

 あくまで、トレーニングの後輩という感じで、女の子だからブルマーだろう、くらいにしか思っていないようでした。
しかし、自然に扱われるほうが、私にはむしろ、興奮させられるのでした。
 ようやくトレーニングを終えたときには、ぐったりと心地よい疲れが体に残っていました。
その日のことは、帰ってから、何度も思い返していました。
そして、やはり、途中からジャージを脱いでブルマーになろう、と私は思ったのでした。

ジムで体格の良い男性に囲まれてトレーニングをして興奮し、
自宅に帰ってからオナニーしてしまったのでしょうか。
ブルマ姿を見られて性的に興奮する習慣になってきたのでしょうか。


彩音さん(40)より  7/17

私が中学2年の時のことだったと思います。1学期の授業がほぼ終わり、大掃除をするために登校する日がありました。
その日は大掃除だけですので、体操服で登校することになっていました。夏でしたが、男子も女子も下にはジャージをはい
て登校しました。

 私たちのクラスは、3分の1が教室と廊下を掃除するのですが、残りの3分の2にはプールの掃除が割り当てられていま
した。私たちは、プールの掃除をする班でしたので、プールに向かいました。プール掃除をするとジャージの裾が濡れてし
まうということで、男子は全員、女子の3分の2くらいがジャージを脱ぎました。体育の授業の時ですと、ジャージを脱ぐ
前か、脱いだすぐ後にハミパンしていないかチェックするのですが、この日は体育の授業ではないので、気が緩んでいたの
か、3人くらいの女子がブルマーからハミパンしていました。私はジャージを脱ぐのが恥ずかしいので、ジャージを脱ぎま
せんでした。

 掃除を始めようと、水を抜いたプールに降りましたが、掃除をしようとすると、どうしてもジャージが濡れてしまいます
ので、わたしを含めたジャージをはいていた女子もジャージを脱ぐことにしました。さすがに、ハミパンするのは恥ずかし
いので、私はジャージを脱ぐ前にハミパンチェックをして、ハミパンしていないことを確認してからジャージを脱ぎまし
た。後からジャージを脱いだ子の中にも1人ハミパンしている子がいました。

 ハミパンしてる子は、体育の授業ではないので油断していたのと、誰からもハミパンを指摘されないこともあって、プー
ルの掃除が終わるまでハミパンしたままでした。

 その日の夜に、女子だけでプール掃除していたわけではなく、男子もいたので、わざわざジャージを積極的にブルマー姿に
なって、それもハミパンしたまま掃除しているなんて、クラスの女子はサービスしすぎたかもと思いました。一方で、普段
の体育の授業と違って、ハミパンしても許されるような雰囲気だったので、ハミパンさせてみてもよかったかもとも思いま
した。

ブルマ姿にハミパン女子・・・
この日の夜のことは男子も今でも覚えているかもしれませんね。
もっと大胆になってみれば良かったかな。


ななこさん(37)より 5/9

「お嬢ちゃん、そんなに軽くちゃ、鍛えられないよ。もう少し、重くしたらいいよ」
 今度はスキンヘッドのT岡さんが声をかけてきました。
「これくらいでどうかな? 挙げてみて」
 重量を少し上げて、私に尋ねました。先ほどよりは腕を上げるのに、少し力が要ります。
「それで十回やってみて」
 私は言われるとおりに、腕を上げて下ろしてを十回繰り返しました。久しぶりに体を使いました。終わると、腕に疲
れが残りました。体中が暖かくなっています。
「お嬢ちゃん、暑くないの? ジャージは脱いだら」
 横で見ていたN原さんが言いました。
「そうですね。そうします」

 私は、促されて、一旦、マシンから降りると、鏡の前に立ちました。臙脂色のジャージを着た自分が立っています。
ファスナーを一気におろし、ジャージの長袖から片腕ずつ出していきます。上着を脱いで、久しぶりに臙脂の丸首の体
操服姿になりました。それから、ジャージのズボンの腰回りに手をかけると、ヒップを後ろに突き出しつつ、下に下げ
ました。濃紺のブルマーが現れました。脱いだジャージは畳んでベンチに置きました。ついに半袖体操服にブルマー姿
になった私は、マシンに戻りました。

「腕は直角にして、背筋を伸ばして。そう。腕を思いっきり伸ばして、一旦止めて。それからゆっくり下ろしてー」
 T岡さんが一つ一つ指示をしてくれます。言われるとおりに続けると、今までのが、全くトレーニングになっていな
かったことが実感されます。こんなにきつかったの、と思いました。ウーンッと、普段は出さないような唸り声が、思
わず出てきます。十回終えるとくたくたでした。しかし、今はコーチとなったT岡さんはさらに指示が出ます。
「そうやって、十回ずつ、あと三セット、繰り返してみて」
 半袖体操服にブルマーになった私は、何だかもう、逃げられないような気持になりました。そのまま十回ずつ三セッ
ト繰り返しました。終わると、ハァハァと息をするだけでした。でも、少し休んで落ち着くと、また、次のマシーンを
したくなるのです。

私は、先ほどしていた、レッグカールのほうに向かいました。寝転んで、ブルマーだけになった足を、ロールに足首を
掛けます。
「手は後ろに。上半身は動かさずに、ひざだけを動かすようにしてみて。」
今度は、T岡さんがコーチです。私は、言われるように繰り返します。
 鏡で見ると、外は晩秋ですが、ジムの中は、季節から取り残されたようです。先ほどまでは私だけがジャージ上下
だったのですが、今は、この私が、下半身もブルマー姿で、一番、肌の露出の多い服装になっているのです。自分が、
今、ここにいる男性たちと同じ、トレーニングをしている一員にようやくなることができた気がしました。
 1時間ほどトレーニングを繰り返した後、私はN原さんに声を掛けました。
「やっぱり、ジャージを脱いだほうが、トレーニングはしやすいですね
「そうだろ。おじさんたちだって、みんな、冬でもこうやってTシャツだからね。本当は、お嬢ちゃんみたいに、下も
長ズボンじゃないほうがいいんだけどね」
 今日、初めて出会った若い二人も同感なのでしょう、笑顔を浮かべて私のほうを眺めていました。

 普通にトレーニングのアドバイスをしてもらっただけのようですね。
筋肉質の男性の中に居ることで、性的にも興奮されるのでしょうか。


ななこさん(37)より 5/9

T岡さんとN原さんとジムで一緒になることは、三回に一回から二回くらいになってきました。私も、一人でやるより
は、誰かほかにいるほうがいいようになってきて、二人がいそうな時間帯に行くようになってきました。二人がいる
と、どうしても体操服にブルマーになるのに抵抗があり、臙脂色のジャージのままでトレーニングを続けていました。
しかし、かつてのようには、気持ちがあまり入ってはなく、軽い運動をダラダラと続けている状態でした。
 そうしているうちに、季節は晩秋になりました。この時期になると、ジャージでも外に出ると寒いくらいで、体育館
に行く時は、ジャージの上に、さらに濃い赤色のウインドブレーカーを着ていくようになりました。ジムの中では、ウ
インドブレーカーは脱いで、ジャージ上下でトレーニングをしていました。

 十一月の末ごろの雨の日のことでした。いつものように体育館について、ジムの扉を開けると、今日は、いつものT
岡さんとN原さんのほかにも、先客の男性が二人いました。
二人とも三十代前半位というところでしょうか。一人の人は、野球選手が履くようなパンツに半袖のしろいTシャツ姿
です。チェストプレスに乗って、腕を曲げたりのばしたりしています。
もう一人の人は、茶髪で、PUMAの幅の広い紺色の生地にオレンジ色のラインの入ったジャージのパンツに、黄土色の半
袖のTシャツを着て、ショルダープレスに乗っていました。肩を上げると、筋肉のついた、木のように堅そうな腕を
まっすぐになります。そして、いつものT岡さんもN原さんも、寒くても、夏ごろと変わらない半袖のTシャツで頑張っ
ていました。

「こんにちわー」
私はいつものように挨拶をすると、四人の男性の方たちの間をぬうように鏡の前に立ち、ベンチにバッグを置きました。
そして、いつものように、赤いウインドブレーカーを脱いだのですが、いつもよりゆっくりになってしまいました。
私は、男の人たちがトレーニングをするのを眺めながら、最初にランニング・マシーンに乗り、ゆっくりとウォーキン
グを続けました。時々、「ウー…」とか「アーッ…!」という唸り声と、重量が落ちる時の金属の音がします。私のお
気に入りのマシーンは、どれも
使用中です。十五分ほどして、レッグカールマシーンのベンチにうつぶせになっていたN原さんが降りて、水を飲み始
めました。私はランニング・マシーンから降りるとレッグカールマシーンのほうに行き、寝転びました。ロールに足を
かけ動かします。しかし、すぐに切り上げました。そのすぐ後に、N原さんが、先ほどまで寝転んでいたマシーンの上
に再びうつぶせになりました。

 そんなふうに私は、男性のみなさんの合間に様々なマシーンをつまみ食いするように、次々と使っていきました。め
ぼしいものがどれも埋まってしまうと、ベンチに座って、ストレッチをして時間を過ごしていました。どの男性も、見
事な肉付きをして、真剣にトレーニングをされています。見ているだけで、力強く感じられます。その中で女性の私が
まねごとをしているのは、入りづらい気がしたのです。
 私がそのようにして時間をつぶしていると、グループの中で一番年上で、一番、鍛えているN原さんが突然、私に声
をかけてきました。

「お嬢ちゃん、そんなふうに遠慮していたら強くなれないよ。わしはもういいから、これ、使いな」
 N原さんは、ショルダープレスマシンの椅子から降りながら、私に声を掛けました。
「あ、はい…。ありがとうございます」
 私は、立ち上がると、ショルダープレスマシンに腰を掛けました。N原さんはかなりの重量でしていたので、私は、
軽くします。それで十回ほど腕を挙げたり下げたりを繰り返していました。

貴女のことをみかねて声をかけてくれた男性が居たようだね。
貴女のこと気になっていたのでしょうね。このことで仲良くなれたのかな。


ゆかさん(46)より 4/14

 私が中1の夏休みのことです。陸上部に入っていたので、夏休みには朝練がありました。夏休みの朝練の初日のことで
す。授業とかはないので、体操服で登校することになっていたので、上は半袖体操服、下はブルマーの上にジャージをはい
て登校しました。

 登校途中のことですが、前をさゆりちゃんが歩いているのを目撃しました。さゆりちゃんは、半袖体操服とブルマー姿で
登校していました。さゆりちゃんに追いつくように少し足早に歩きましたので、さゆりちゃんに追いつきました。さゆりち
ゃんは、ブルマーのお尻の一方からかなりハミパンしていました。朝早いとはいえ、人通りもある中で、ブルマー姿で歩い
て、しかもハミパンしているのを見て、かわいそうと思いましたが、恥ずかしくて、ハミパンは指摘できませんでした。

 そこで、ブルマーの話をして、ハミパンに気が付いてもらおうとしてみました。わたしがさゆりちゃんに「ジャージ、は
かないの?」と聞いてみましたが、さゆりちゃんは「ママが冬の制服と一緒に冬の体操服のジャージをしまったので、出す
のが面倒」とか言っていました。さゆりちゃんがハミパンに気が付いてくれないので、結局、恥ずかしいけれど、さゆりち
ゃんにハミパンしていることを指摘しました。さゆりちゃんは、恥ずかしそうに慌ててハミパンを直していました。

 学校に着いて朝練が始まりました。朝練は厳しいのと、男女別れて朝練を行うので、私を含めて朝練中にブルマーからハ
ミパンしてしまう子は多かったですが、ブルマーで登校していたのは、さゆりちゃんだけでした。

 翌日からも、さゆりちゃんは中1の夏休みの朝練ではいつもブルマーで登校しましたが、さすがに登校時にはハミパンし
ていませんでした。ただ、朝練時には気が緩むのは結構ハミパンしていました。
 さゆりちゃんがなぜブルマー登校を貫いていたのか、結局、わからないままです。

   いろいろ家庭の事情もあったかもしれませんね。
今なら同窓会などで会う機会があれば、思い出話しの延長で本人に聞いてみることも出来るかもしれませんね。


彩乃さん(40)より 3/24

私が高校時代に真面目に勉強していなかったために現役で大学に合格できませんでした。
当初の親との約束で浪人は認めないことになっていましたが絶対に大学へ行きたいと思っていた私は
なんとか1年間の浪人生活と来年の大学受験を認めてもらうようお願いしました。
その際両親からまじめに勉強することに加えて大学合格まで以下の条件を守るように言われました。
@服装=体操服・ブルマ・裸足(摸試などの時は中学校・高校のジャージ着用可)・下着は白無地のみ
A髪型=丸坊主
B毎晩近所のジョギング
(上記の条件はあくまでもわたしがおしゃれから離れて受験勉強に集中するためとのことでしたが親の趣味かも?)
私は渋々ながらも今年1年間我慢すれば都の思いで受け入れました。

すぐに一緒に家電量販店へ行ってバリカンを購入し帰宅後に運命の瞬間(!?)が訪れました。
私は両親の前で着ていたものを全部脱いで正座し「お願いします」と土下座すると「はい、これに着替えて」と小学校の
の体操服・ブルマ・白無地のパンツを渡されました。私が体操服・ブルマに着替えて再度正座するとケープをまかれま
した。「来年大学に合格するまで髪の毛とお別れしようね」の母の声に私は「はいよろしくお願いします」と答えると
バリカンのスイッチが入っておでこの真ん中からバリカンが入り私の髪の毛はすぐにバリカンの餌食となってしまいま
した。私は髪の毛がなくなってしまう悲しさと頭のすっきり感で複雑な気持ちの中で「絶対大学に合格するぞ」と改め
て決意しました。一通り刈り終わると「女の子が坊主頭にするときは中途半端ではいけない」とのことで頭に石鹸を塗られて
られて剃刀でつるつるに剃られました。剃り終わると「気合入れ」ということで母の膝の上に乗せられてブルマとパン
ツを下ろされておしりをたたかれて終了でした。最後に母が「よくがんばったね」と私を抱きしめてクリクリ頭を思いっきり
いっきり撫でてくれたので私は「ありがとう」と言いながら思いっきり泣いてしまいました。そして母がウイッグをく
れましたが昼間の外出時以外は着用しないことにしていました。

以後1週間に1回剃髪とおしりペンペンを受けることになりました。
この一連の儀式に私は虎徹もない興奮を覚え(特に剃髪が決め手でした)自室に戻ってから何度も思い出してオナニー
していました。その夜生まれて初めてクリクリ頭に小学校の紅白帽子をかぶって外へ出て母と一緒にジョギングしまし
たが想像以上に気持ちよかったのを覚えています。そしておしゃれやファッシなどに全く興味がなくなりこれまでは何とも
とも思わなかった体操服・ブルマが大好きになると同時に女の子なら絶対に嫌であろう坊主頭が大好きになりました。

1年間体操服・ブルマ・裸足・クリクリ頭で事件勉強を頑張ったおかげで翌年無事に大学に合格でき、母と抱き合って喜
喜びました。
母から「今日から服装も髪型も自由にしていいよ」と言われましたが私が「お母さんが良ければクリクリ頭を続けた
い」と言うと母は少し驚きながらも喜んで「じゃあ体操服・ブルマもお尻ペンペンも全部セットよ」と承諾してくれま
したので「はいお願します」と答えました。その後はバリカンで刈ってから剃ってほしいという私のリクエストで1か月
月に1回ぐらいの間隔で剃髪とお尻ペンペンのお仕置を今日まで欠かさず受けています。

子供に受験勉強に集中させたい親の気持ちからの条件だったのでしょうね。
しかし、女の子を坊主にすることを実際に実行されたとは、かなり厳しい方だったようですね。
今の時代では少し変わっているというか、違和感があるかも。


西さん(48)より 3/1

 私が中学1の時のことです。小学校5、6年の時からブルマーは恥ずかしいと思っていましたが、
中学生になると更に恥ずかしく感じるようになっていました。

 最初のころの体育の授業が始まる少し前に、Mがブルマーから白いパンツをハミパンしていました。
それに気が付いた女子たちがMをからかって、「白パン」「可愛いパンツ」とか騒いでいましたので、
Mは恥ずかしそうにしていました。

 その後の体育の授業では、ハミパンしたら恥ずかしい思いをすると思って、みんな注意していたので、
誰もハミパンしていなかったと思います。その次の体育の授業もそうだったと思います。

 Mが恥ずかしそうにしていたのを思い出して、同じようなことをしてみたくなりました。
ただ、本当にパンツを見せてしまうのは恥ずかしい気がしたので、私は体育の授業が始まる少し前に、
ブルマーの中に体操服の裾を入れて、体操服の裾をブルマーの裾から出してみました。

 私がハミパンしていると思った女子たちがMの時みたいに私をからかって、「白パン」とか騒ぎ出しましたので、
私は、「残念でした。体操服の裾だよ」とか言いました。
その後、同じようなことをして、他人をだまして遊んだりする子も出てきました。
 何回か本当にハミパンしている時に、ハミパンを指摘されて恥ずかしい思いもしましたが、
ハミパンしているふりをして、楽しんだりもできました。

 その当時ならではの楽しみですよね。
その頃の時代にさかのぼり、再びしてみたいなと思ったりされるのでしょうか。
今となって出来ないだけに、とても懐かしい思い出でしょうね。


アスカさん(40)より 2/2

 はじめまして。私は中学2年生になる時に転校しました。制服は準備してありましたが、体操服は転校してから注文しました。
すぐに買えると思ったら、名前の刺繍とかを入れるのでしばらくかかると言われました。先生に相談すると、しばらくは前の
学校の体操服を着てもいいと言われたので、最初の体育の授業を前の学校の体操服で出席しました。

先生が来て、準備運動をするように言うと、アスカさんはちょっと来てと言って、体育準備室に連れて行かれました。
先生は不機嫌そうに、何で短パン履いてるの?と言われたので、前の学校が短パンだったと説明しました。
先生は箱から袋を出して、じゃあすぐに着替えてとブルマを渡されました。学校の備品のブルマでした。自分のが届くまで
貸してあげるからと言われました。私は今日からですか?と聞くと、女子はブルマが当たり前だろ?
それに、1人だけ短パンも嫌だろ?と言われました。先生が気を使ってくれたのか、ブルマが好きなのかは分かりませんが
(冬でも長ズボン禁止だったので)たしかに、私もブルマが好きなわけじゃないけど、1人だけ短パンは浮いていたので、内心ホッとしました。

その後自分のが届いたので、クリーニングして返しましたが、不思議なもので前の学校に入学した時は短パンで喜んでいたのに、
転校で自分だけ短パンで恥ずかしい。やっぱり多感な時期は、周りと違うことが一番恥ずかしいと後から改めて思いました。
周りと一緒なら、短パンでもブルマでも良かったので!
今はブルマは無しですが笑

先生により言われることが異なると戸惑いますよね。
やはり、団体の中で一人異なり、目立つのは嫌ですよね。


さえさん(39)より 1/7

私には双子の姉がいます。中学校までは同じ学校でしたが、私が勉強を怠けてしまったためか高校は離れてしまいました。
ふたりとも公立高校に入学しましたが、私の学校の体操服は一年を通してのほとんどがジャージ着用許可で夏の短い間だ
けハーフパンツでした。だけど姉の学校は冬こそジャージ着用でしたが、4月から12月までは半袖ブルマーが義務づけられ
ていました。中学校までは私もブルマーでしたし、当時はそれが普通だったので特別イヤな気持ちはありませんでしたが、
さすがに高校生になってもブルマーは少し可哀想かなと思っていました。

実際、入学する前に姉に
「私の学校はブルマーじゃないよー」
みたいな話をすると、
「えー、いいなー、私のとこなんか12月までだしー」
と言われました。さらに
「えー、夏だけじゃないのー?」
「うん、先輩に聞いたらジャージは3学期だけなんだって!1学期と2学期はずっと半袖ブルマー!」
「うわー、可哀想!中学でも夏だけだったのに、12月なんてむちゃくちゃ寒いじゃん!」
「もー最悪ー!って言うか、あんなそう言いながら内心意地悪に思ってるでしょ!」
「そんなこと、ないない!」
みたいなことを言いあいました。私は姉に、
「ねえねえ、お姉ちゃんのブルマー、見せてー」
と言って真新しいブルマーを見せてもらいました。

「ほら、こんなの!すごいでしょ!」
と私は差し出されたブルマーを見てびっくりしました。それは中学校のときのブルマーと違って生地も薄くて形も
ハイレグの、まさに黒いパンツでした。
「こんなのはくの?これ着て体育やるの?」
「うん、信じられないけど、そうみたい。」
私はますます姉が可哀想に思えてきましたが、
「ちょっと着てみて!半袖ブルマーになってみて!」
と、姉にブルマー姿になってくるようにお願いしました。姉は始めはいやだよー、みたいな感じで拒否してましたが、
私は「どうせもうすぐそれ着て体育やるんだしさー、って言うかもう穿いてみたんでしょ?」というと、
「そりゃ、まあ、いちおうはね…」と言ったので、「じゃあ、お願い!ファッションショーお願い!」と言うと姉は
渋々「わかったわよ、穿けばいいんでしょ、穿けば!」と言って着替えてくれました。
いくら姉妹でも目の前で着替えるのは照れるみたいで、「こっち見ないでよ!向こう向いてて!」と言っていました。

そして、「はい、いいよー」との声が聞こえました。
「うわー!いやらしー!」
私はおもわず感嘆の声をあげました。ぽっちゃりではないですが、もともとややムチムチ気味だった姉
(実は私もです、双子なものですから)の腰にぴったりと張り付いた黒いブルマーからニョキっと伸びた白い太もも。
姉も恥ずかしいのか足をもぞもぞさせているせいか、少し太めの太ももがゆさゆさしています。
少し大きめなシャツがブルマーを半分くらい隠していることもあって、本当に“黒いパンツ”でまるでスカートだけを脱いだようでした。
「すごーい!」
「もー、何がよー!あんた自分は着ないからって!」
私は姉に
「ねー、後ろ向いて!」
と言いました。姉はくるりと身体をまわすとさらに、
「わー!エロい!」

ブルマーの下から姉のお尻のお肉がむにゅっと出ていて、そして指でなぞったかのようにブルマーの薄い生地が
お尻の縦の線に食い込んでいました。姉のお尻のカタチがはっきりとあらわになっていたのです。
「お姉ちゃん、お尻なんともない?」
「なんともない、って?」
「お尻完全に見えちゃってるよ!」
「え?うそ?さっき直したのに?」
そう言って姉は指でお尻をブルマーに仕舞いました。
「お姉ちゃん、ブルマー買うとき大きいのにしなかったの?」
「高校では痩せるつもりだからね」
「無理しなくてもいいのにー。ほら、またお尻が出てきたよー」
と言って私は姉のややはみ出したおしりを指で軽くつまんでやりました。
「きゃっ!何すんのよ!あんた、絶対に楽しんでるでしょ!」
「そんなことないって!本当に可哀想そうだなって!」
「顔が笑ってるの!」
「違う違う!私、お姉ちゃんの体育祭、絶対に見にいくね!」
「いや!来ないで!お願い!」

そんな感じで私たちはキャーキャーはしゃいでいましたが、私の隣に座った姉が太ももをさすりながら、
「でも、マジでこんなかっこで体育やるんだよねー、やっぱりこれでみんなの前に出るのはキツイよね」
とボソリと呟きました。
「たしかにね。私だったら絶対いやだな。私のとこブルマーじゃなくて良かったよ」
「あー、ほんと、いいなー」
私たちの間に一瞬の沈黙が走ったあと、私は
「ねえ、ちょっと私にも着させて、ブルマー。」
と言いました。
「え、なんで?」
「いや、穿いてみるとどんな感じなのかな、ってさ」
「べつにいいけどさ」
姉は体操服から部屋着に着替えると私に「はい」と言って体操服を差し出しました。
さっきまで姉が着ていたシャツもブルマーもまだ姉の温もりが残っていました。
「じゃあ、お姉ちゃんもあっち向いてて」

私は先に半袖シャツに着替え、そしてブルマーを手に取りました。やっぱり黒いパンツです。
中学校のときのブルマーとは生地の薄さもカタチも全然違います。少し左右に引っ張ると簡単に伸びました。
私はジーパンを脱いでブルマーに足を通しました。姉と似たような体型のためか、太ももの所で多少のキツさがありましたが、
それを過ぎるとピタッとお尻を包み込んでくれました。腰のところで少し持ち上げるとお尻に食い込んでくるのがわかります。
だから指でお尻を直してカタチを整えてシャツをだらりとさせました。さっきまで穿いていた長いジーパンから一転、両脚が
付け根まで露出されたおかげで太ももがスースーして寒いくらいでした。「もういい?」との姉の声に、「いいよー」と言うや、
「わー、可愛い!」
姉は目をキラキラさせて言いました。
「何が可愛いのよー!めっちゃ恥ずかしいよー!」
「鏡で全身見てきなよ!可愛いから!」

私は私たちの部屋へ行ってスタンドミラーで全身を映してみました。
「えー、双子なのに、なんで?」
同じような顔で同じような体型なのに、姉のブルマー姿とはまったく違ったのです。ひたすらエロい感じだった姉にに対して、
鏡の中の私はなんか幼いというか、うぶというか、赤ちゃんみたいな印象だったのです。
「うーん、双子なのに、なんでだろう?」
私はくるっと身体を横にして後ろ姿を映してみました。ぼってりとしたお尻は姉のようにお肉がはみ出していることもなく、
ブルマーがお尻全体を満遍なく包んでいました。「あちゃー、なんだ、こりゃ?まるでオムツじゃん」サイドから見ると
お尻のほっぺが半分近くは露わになってはいましたが、それでも姉のようないやらしさはあまり感じられませんでした。
「太もももお姉ちゃんよりは少し太いかも…」私はお腹に手を当てて「やばい、もしかして太った…?」私はそう考えてみましたが、

でもそんなに違いがあるようには思えませんでした。なのになぜか私のブルマー姿はくまさんのぬいぐるみと言えば
言い過ぎかもしれませんが、明らかに姉とは違うものでした。姉だって決してスタイルがいいわけではないし、
それに姉に比べるとやや顔つきが幼いと言われることはありましたが、それでも双子です。そんなに違いがあるわけでは
ないはずなのに…。私は「おかしいな、おかしいな」と自問自答しながら姉のもとに戻りました。
「どう?自分のブルマー姿は?」
「どうもなにも、なんでお姉ちゃんと違うのよ!」
「違うって、何がよ?」
「お姉ちゃんがブルマーはくとめちゃいやらしいのに、私、まるで赤ちゃんみたいじゃない!」
「赤ちゃんってことないけどさ、たしかに可愛いよね。なんでだかわかんないけど」
子供っぽく見られるのが少し複雑に感じる年頃だったせいか、へんに艶っぽく見えた姉が羨ましく、またやっかんでいました。
「でも、こんなの着て体育やる私に比べたら全然いいじゃない!」
と行った姉がわたしのブルマーをキュッと持ち上げました。ブルマーがお尻の線に入り込んだ感触と、
お尻のお肉がぺろんとはみ出した感触が同時に襲ってきました。

「ひゃっ!」
「ほらね、私、ずっとこんな感じで体育やらなくちゃいけないんだよー」
「もう!ドキっとしたじゃないよ!」
「あれ?もしかしてへんな気持ちになっちゃった?だったら、うりゃ!うりゃ!」
少し膨れっ面になっていた私を気遣ってくれたのか、姉は茶目っ気たっぷりに私のブルマーの腰のあたりを
上にぐい、ぐい、と引っ張っては、そのたびに露わになったお尻をペチンペチンと叩いてきました。
「だから、やめてってば!」
私はブルマーがお尻に食い込む感触と、お姉ちゃんの冷たい手がお尻に触れる感触にドキドキしながら、
決してお父さんやお母さんには見られたくない姿で姉とじゃれあっていました。
「ブルマーって、なんか、いいかも…。」
その後、姉が留守にしているときがあれば私はこっそり姉の体操服を拝借しては一人でブルマー姿を
楽しむといった遊びを何度か繰り返していました。鏡の中の、あいかわらずくまさんみたいな自分の姿に
「おかしいな、おかしいな」と思いながらも、薄くぴったりとしたブルマーの感触がたまらなかったのです。

 体形も顔かたちも似ている双子なのに、同じブルマを履いて差が出るとは不思議ですね。
貴女の方が似合っていたのですね。なんだか誇らしい気持ちにもなれたのでしょうか。
今もこの頃の事を思い出すと、ハイレグブルマを履いてみたくなるのでしょうか。


ライムさん(31)より 12/16

 高1の時に、同じクラスに亜美ちゃんという子がいました。亜美ちゃんは、背が低くて童顔で、ショートヘアでした。そ
のような感じでしたので、亜美ちゃんは、小学生の男の子といっても通用したと思います。

 最初の体育の授業のことです。4月はジャージを着て体育の授業を受けていいので、私たち女子は、ジャージで体育館に
集合していました。亜美ちゃんも上下ともジャージを着ていました。ただ、高校入学時に、大きめのサイズを買ったから
か、サイズを間違えて購入したからかわかりませんが、明らかに大きいサイズのジャージを着ていました。ジャージの裾が
長いので、裾を折ったりしていましたが、すぐに元に戻って、また裾を折っていました。

 授業が始まって準備体操を終えたところで、亜美ちゃんは、ジャージでは運動しにくいと思ったからだとは思いますが、
ジャージのズボンを脱いでブルマー姿になりました。ジャージの上着も大きいので、ブルマーはあまり見えないのですが、
わずかに見えるブルマーのお尻の部分から思いっきりハミパンしていました。いかにも小学生のような綿の水玉のパンツで
した。中学生の時は、他の子がハミパンしていたら、こっそりと教えたりはしていましたが、あまりにも小学生ぽいので、
特に気にならず、誰も教えたりはしませんでした。亜美ちゃんもあまりハミパンに気にしていないのか、そのままのことが
多かったです。

 5月半ばくらいになると、体育の授業ではジャージの着用は認められませんでした。私たちもブルマーで体育の授業を受
けるので、たまにハミパンしている子がいたりしましたが、その際には、すぐに指摘していました。ただ、亜美ちゃんだけ
は、あまりにも小学生ぽいので、ほっておいたという感じでした。特にいじめで言わないというわけではありませんでし
た。

 7月に林間学校があり、体操服で校外で活動することがありましたが、さすがにその時は、亜美ちゃんもジャージのズボ
ンをはいていました。一人校外でブルマーで活動するのは恥ずかしかったようです。

ある意味、ブルマ姿が自然で溶け込んでる雰囲気だったのかもしれませんね。
さすがに一人だけだけ目立つことは、恥ずかしかったのでしょうね。


みやこさん(34)より 12/9

 小2くらいまで体操服はブルマでしたが、小3くらいからは短パンに変わりました。中学校に入ってから体操服は
ハーフパンツに変わりましたので、ブルマをはいたのは小学低学年の時のみです。

 中1の時のことですが、ゴールデンウィーク明けにAという転校生が入ってきました。田舎ぽいといえば田舎ぽい子
ですが、可愛い顔立ちでしたので、男子は転校生が来たことに喜んでいました。親の転勤の関係で急に転校になったよ
うで、制服とかをそろえることができておらず、前の学校の制服やカバンで登校していました。

 体育の授業があるので、私たちは更衣室で制服から体操服に着替え、運動場に出ました。4−9月まではジャージの
着用が禁止されていたので、私たちは半袖体操服にハーフパンツ姿でしたが、Aは上は半袖体操服でしたが、下は
ジャージをはいていました。いずれも、前の学校の体操服でした。クラスの女子は、Aに4−9月まではジャージの着
用は認められていないので、下はいているなら脱いだ方がいいということを言うと、Aはジャージを脱いだのですが、
ジャージの下にはブルマをはいていました。Aはブルマが恥ずかしいのか、体操服の裾を伸ばして、できるだけブルマ
を見せないようにしていましたが、授業が始まる前くらいには、体操服の裾をブルマの中に入れていました。

 最初の週の3回目の体育の授業ですが、この日もAはブルマで授業を受けていました。翌週になると、Aはハーフパン
ツを購入していました。最初にハーフパンツを買っていたので、ブルマは恥ずかしかったのだと思います。

 転校したことのある方はわかると思いますが、周りと違う格好で通学するだけでも恥ずかしいかったことでしょう。
また、周りがハーフパンツの中、露出度が高いブルマはとても恥ずかしかったでしょうね。


TOMOさん(38)より 12/1

中学生のとき、イジメ行為を受けていました。

そんな中でも、私に興味を持ってくれ、優しくしてくれた人に出会うことができ、
やがて私も、体験者の一人になりました。中学校2年生のときのことです。

自分に自信がなさすぎて、学校の体育ブルマーなんかでも気に入ってもらえた。
そんなことでも、当時の私には嬉しかったです。

人は、見た目じゃわからないよ。
中学生が何を生意気な、と思われるかもしれません。
でもそれは、当時の同級生に一番言いたかった言葉でした。

あなたたちのすぐそばに、大人とセックスをしている私がいた。

その事実を知ったときの彼らの顔を見てみたかったです。

すみません。性格悪くて。

人には2面性があるからね。
誰も知らない秘密の自分の姿を持つことで、優越感を感じていたかったのかな。
誰かに自分が必要と思われることで、自分の存在感を確かめたかったのでしょうか。


ゆかりんさん(48)より 11/6

30代になり少したった頃ミレニアムなんて言葉が流行りすぐ忘れていきましたが
確かその頃中学時代の同級生から連絡がありました。大学を卒業するまで住んで
いた所は過疎化、少子化、高齢化などで小中学校は合併を繰り返しとうとう自分
達が通った学校は建て壊しが決まったみたいでした。

そんなことから何人か集まり最後に見ておこうということになり昔の通学路を
歩きました。たしかに商店街とかはほとんど閉店していたし学校の購買部でも
あったところも閉店していましたがおばさんは元気で少し話しもしました。

そのうち私達が使っていた制服や体操服類がなんと新品で残っていたんです。
一人だけこのあたりの住んでいた子は道楽でカラオケスナックみたいのをやって
いてこの日はみんなで泊めてもらいました。この子は制服や体操服、ブルマなん
かも買いだしてもちろんタダ同然ですが何をするのかと思ったら罰ゲーム的に使うとの事でした。

この後みんなでカラオケをやり点数が一番低い人が着るという事でかなり盛り上がり
楽しい時間だけでなくストレス解消にもなりました。

自分が通っていた学校の体操服類が残っていたなんて、とても貴重ですね。
お友達のカラオケスナックは、ブルマ世代の方達にとって懐かしさを楽しめる居場所になりそうですね。


かふぇさん(39)より 10/8

 高校入試でのことです。筆記試験だけでなく、体育の実技試験がある高校を受験しました。実技試験は学校の体操服と
指示されていました。

 実技試験の日には集合した後に、更衣室で体操服に着替えることになっていました。受験は冬でしたが、私は動きやす
い服装で受験したいので、半袖体操服とブルマだけを持参し、更衣室で着替え始めました。更衣室で学校のジャージに着
替えている子もいましたが、試験でいい点を取るために動きやすいブルマ(学校によっては短パン)に着替える子の方が
少し多かったと思います。私は普段の授業では体操服の裾をブルマから出していましたが、入試ではきちんとした方がい
いと思い、ブルマを上げて、きちんと体操服の裾をブルマの中に入れました。

 更衣室で着替え終えて、その学校のグランドに出ました。グランドで入試の説明を受けた後、実技試験が始まりまし
た。順調に実技試験を終えた後、更衣室に行きました。筆記試験は先に終わっていて、入試はこれで終わりなので、更衣
室に戻った時にはホッとしていました。更衣室でふとブルマのお尻の部分を触ったのですが、ハミパンしていました。い
つからハミパンしてたんだろうとは思いましたが、制服に着替えて、自宅に戻りました。入試には合格していました。

 高校入学後に、同じクラスのある子から、入試の時に思いっきりハミパンしてたと言われました。緊張してたことも
あって、試験中は全く気にしていませんでしたので、他の子は気づいていたようでした。

 他の子のハミパンを良く見て、覚えているものですね。
後から教えられても、今更どうにもならないでしょうが、恥ずかしい気持ちだけは沸いてきますね。


琴美さん(46)より 10/8

 私が中1の体育祭の開会式でのことです。生徒会の会長副会長の男女1人ずつ計2名が選手宣誓をするために、朝礼台の所
に行きました。生徒会長は中3のMさんという女性の方でしたが、Mさんはブルマーからハミパンしていました。1年は朝礼台
のある運動場の真ん中にいたので、私の周りの人もMさんのハミパンに気が付いていたようで、1年生は少しざわついていまし
た。選手宣誓をする間、Mさんはずっとハミパンしていました。

 Mさんは美人で大人っぽいので、Mさんのハミパンに気が付いた男子生徒はMさんに注目していたのではないかと思います。体
育祭に一生懸命のMさんが注目されて少しかわいそうな気がしましたが、私は自分がハミパンしていないか再度確認しておきました。

 開会式が終わって少し経ったくらいに、Mさんを見かけましたが、Mさんはハミパンしていませんでした。誰かに教えてもら
ったのか、自分で気が付いたのかわかりませんが、後で状況を知ったとしたら、かなり恥ずかしかったのではないかと思います。

普段でも恥ずかしいことでしょうが、全員の視線が集まる選手宣誓の場は特別ですね。
宣誓の途中とかに気がついてたら。うまく言えなかったかもしれませんね。


ななこさん(37)より 10/08

私がジムに行ったとき、時々会うおじさんは、N原さんという人でした。肩幅が広くて、髪の毛は白髪交じりで、髭
を生やしていました。

 その人ともう一人、時々、ジムにいる男性がいました。T岡さんという人で、N原さんと年は同じくらいのようで
す。年来は、N原さんと同じくらいで、スキンヘッドで、背が高い人でした。T岡さんがくるのは、N原さんがいる前
後でした。お二人は、私がこのジムに来るずっと前からジム仲間で、トレーニングの合間にしゃべっていました。二人
の名字が分かったのも、その会話を聞いていてでした。T岡さんはよく、N原さんに、「N原さんみたいな体になりた
いが、なかなかなれないなー」と言っていました。

 T岡さんも決して軟弱な肉体ではなく、むしろ鍛えているほうでしたが、N原さんのほうが、背は低いものの、筋肉
がしっかりついていました。T岡さんは水色のズボンに灰色の半袖のTシャツというのが基本スタイルでしたが、N原
さんはノースリーブのぴっちりとした黒色のタンクトップで、見事に引き締まった腕を見せていました。

二人の男性がトレーニングに励む中で、一人だけ女性の私がトレーニングをするということもありました。ノースリー
ブのN原さん、TシャツにスキンヘッドのT岡さん、臙脂色のジャージの私です。ジャージの下には白色の半袖体操服
とブルマーを着ています。その気になれば、私は二人の男性以上に露出の多いトレーニング・ファッションになれま
す。二人は真剣に体を鍛えることに取り組んでおり、私が女性であるということには特に気にかけている様子はありま
せんでした。ただ、それでも、ノースリーブやTシャツの男性の中に混じって、臙脂色のジャージの女性の私がいると
いうのは、馴染みきっていない感じがするのでした。

彼らがいる時も、浪人時代にトレーニングをしていた時のように、ブルマーになろう、と思いつつも、いつも、そうす
ることはできず、中途半端な形で終わるのでした。
自分は大学生だから、もう、あんな姿にならなくてもいいじゃないか、という気持ちもありました。それでも、必ずブ
ルマーは下に履いていました。トレーニングをするときは、ブルマーの締め付け感が私にとって欠かせないものになっ
ていました。たとえ、男性といっしょで、ジャージであっても、体操服とブルマーの精神は心の底どこかに忘れずに
持っている、という私のささやかな矜持だったかもしれません。

 一人の時は、ジャージを脱いでブルマーになっておりました。やはり、その時は、いつもよりも少しハードにトレー
ニングをするようになっていました。また、男性が来ていて、脱げなかった日は、その分を取り戻すように、家に帰る
と、ジャージを脱いで鏡の前でストレッチをしていました。

 人前ではブルマ姿になるのは恥ずかしく、勇気が出なかったのでしょうか。
やはりジムではブルマ姿は目立ってしまい、周りから浮いた感じになったのでしょうか。


ななこさん(37)より 9/30

次の週、先週のおじさんがいるかどうか期待しつつ、私はジムに行きました。扉を開けてみると、その人はいました。
バーベルを上げたり下げたりしています。前の時と同じく私は挨拶をすると、荷物を置いて、鏡の前で準備運動を始め
ました。足首を回していると、おじさんはトレーニングを終えたところなのか、片付けをしながら私に声をかけてきま
した。

「お嬢ちゃん、高校生?」
「あ、はい。そうです」――つい、つられてそう答えてしまいました。本当は、こんな平日の午後にトレーニングジム
にいる女子もおかしいのですが。でも、男の人はそんなことは気に留めている様子ではありませんでした。
「なにか、スポーツでもしているの?」
「いえ、そうではないんですが、ただ体を鍛えたくて時々、来ているんです。こちらにはよくいらっしゃるんですか?」
「ああ、毎週3回、火曜と木曜と土曜に来ているんだ。あと、時間がある時もね。お嬢ちゃん、鍛えるんなら、しっか
りやることだね。じゃあ」
 おじさんはそう言い残すと、行ってしまいました。ジムには私一人だけになってしまいました。去年の浪人時代の頃
と同じです。もう少しいてくれれば、という気持ちと、このジムを、また前のように自分一人で独占できるという気持
ちが半々でした。

私はあれこれ考えるのはやめて、トレーニングに集中しようと思い、お気に入りのベンチプレスに取り組むことにしま
した。重量をつけ、バーを握り、腕を上げたり下げたりしました。しかし、どうしてもいろいろなことが気になって、
トレーニングに気持ちが入らないのです。
 大学生になったし、と思って、ジャージでやっていましたが、やはりだめなのかと思うと、私は、立ち上がり、鏡の
前に立ちました。上着のファスナーをおろし、袖から片方ずつ腕を出しました。それからズボンの腰回りに手をかける
とそのままおろして、裾から足をはずしていきました。後は、脱ぎおかれた臙脂色のジャージと、白い体操服に濃紺の
ブルマーの少女が立っていました。大学生になったのにという気持ちと、やはり、こうだったという気持ちで私は自分
の姿を眺めました。

 再びベンチプレスに戻ると、重量をワンランクあげ、即、バーに腕をかけ、持ち上げました。先ほどよりもグッと重
さが手から腕を伝って肩まで伝わってきました。でも、これくらい挙げられなくは、と思って、歯を食いしばってピン
と腕を伸ばしました。そして、ゆっくりと重さを感じつつ下げます。それを二十回やりました。終わると、息が上がっ
たまま寝転んでいました。しかし、こんなことはしていられないと立ち上がり、次のトレーニング、レッグプレスに取
り掛かりました。シートに背中をぴったりとくっつけて座り、足をプレートに置き、ひざを片方ずつ曲げたりのばした
りします。濃紺のブルマーの付け根から露わになった膝や大腿部を見ながら、今、自分はここを鍛えているんだ、と思
いつつ、足を動かしました。

 その後もいろいろなマシーンを順繰りにやっていきました。二時間後、私は、久しぶりの激しい運動に体が疲れ果て
ていましたが、やはり自分はこういうのがしたかったんだ、という満足感でいっぱいでした。ずっと脱いでいたジャー
ジ上下を着て、バッグを持ち、ジムを後にしました。
 それ以降、トレーニングは基本的には私が一人でした。おじさんとは三回に一回くらい会うこともありましたが、ど
うも私の行く時間がずれるらしく、会えても、彼はちょうど帰るところでした。おじさんがいる時はジャージで、帰っ
た後は、半袖のシャツにブルマー姿になっていました。もし、彼が私のこういう姿を見たら、どう思うのだろうと思い
つつも、やはり、男の人の前でジャージを脱ぐのはさすがにまだ抵抗がありました。

まだ抵抗・・・とは、その後おじさんと何かあったのでしょうか?
ブルマ姿を見られたいと思うようになってきたのでしょうか。


ななこさん(37)より 9/23

 さすがにブルマーだけになるのは、いくら人が来なくても、自分でもやりすぎかなと思いました。ただ、ジムには
ジャージ上下で行き、ある程度ウォーミング・アップをすると、ジャージを脱いで体操服にブルマー姿になる、という
のが基本的なスタイルでした。

 一度、高校の時の友人に「何か、腕とか逞しくなっていない?」と言われたことはありました。
 ??月になると受験に向けていよいよ追い込みの時期に近づいていき、さすがに私もトレーニング通いをする時
間も取りにくくなってきました。トレーニングユニフォームのジャージやブルマーはしまわれたままになってしまいました。
 そして2月の受験をおえ、春を迎え、私は第一志望の大学に合格することができました。春は今までやりたかったけ
ど我慢していたことをやっていきましたが、トレーニングのほうは、すっかりご無沙汰でした。

 入学式も終え、4月も終わりになり、やっと一息ついた時、私は去年の今頃から体育館のジムに通っていたことを思
い出しました。大学生は、浪人時代よりも時間にゆとりがあります。私は、体育は実技ではなく、講義を取っていまし
た。集団でスポーツをするのが苦手だからです。でも、トレーニングジムなら好きなペースでできます。タンスを開け
ました。浪人の時に愛用していた臙脂色のジャージと体操服・ブルマーはそのままになっていました。私はかつてと同
じように、体操服に腕を通し、濃紺のブルマーを履き、その上にジャージの上下を着ると、自転車で体育館に向かって
いました。

 約半年ぶりの体育館は、あの頃と変わりがありませんでした。大学生になってここに戻るのは少し誇らしい気持ちが
しました。あの頃と同じように、トレーニングルームの扉を押し開きました。
 去年はいつも、誰もいなくて真っ暗なので、最初に電気をつけなければいけないのですが、今日は最初から室内は蛍
光灯の光が注いでいました。先客がいました。50歳くらいのおじさんでした。ベンチプレスに寝転がって、「ウー
ン」とうなりながらバーベルを上げていました。腕が降りると、がシャッと大きな音がしました。だぼだぼの薄緑のズ
ボンに、灰色のノースリーブのシャツを着ていました。肩幅が広く、腕は太くて見るからに筋肉隆々として固そうでした。

「こんにちはー」
私が思わず挨拶をすると、おじさんも私のほうを向いて「やあ」と返事をして、再びバーベルを持ち上げました。
 私はベンチに荷物を置き、以前のように鏡の前に立ちました。臙脂色のジャージの女の子が立っています。後ろで
は、おじさんがバーベルをゆっくり挙げています。私は、久しぶりのトレーニングなので、念入りに準備体操をしまし
た。首回りまで上げたファスナーを軽く触れました。鏡に映っている女の子がこの後どうなるか。ファスナーをおろ
し、臙脂色のジャージを脱いで、春なのに、半袖体操服にブルマー姿になるのです。男の人はバーベルに集中して、周
りを気にしている様子はありません。時々、ア〜、と苦しそうな声や、ガチャンと重量が落ちる音が聞こえます。
久しぶりのトレーニングなのか、ジャージを脱いでブルマー姿になる気に、私はどうしてもなりませんでした。そのま
ま、ジャージで、ベンチプレスに腰掛けました。足を延ばしたり戻したりしましたが、以前のように夢中にはなれませ
ん。

 以前のように一人ならばいいのに、と私は思いながら、トレーニングを続けましたが、少しも気分が盛り上がりませ
ん。おじさんのほうは、そんなことは気にかけていない様子です。まだ、トレーニングを終えそうにもありません。私
はジャージのズボンの上から、下にはいているブルマーのラインを触るのがせいぜいでした。
「お先失礼しまーす」
 結局、私は、その日は最後までジャージで通しました。おじさんは「お疲れさまー」と声をかけてくれました。
 私は何だか不完全燃焼のまま体育館を後にしました。しかし、心の底で、くすぶり続けるものがありました。恥ずか
しがることはないじゃないか、むしろ、誰かいるほうが、みられるほうがいいんじゃないか、と自分の行動を後悔もし
ました。その日は、戻ってからも私服に着替えず、そのまましばらく過ごしていました。そして、また、次に、あのお
じさんと一緒になれれば、と思うのでした。

 ブルマ姿になることで、性的にも興奮したかったのでしょうか。
ジムではそれが出来ず、家に帰ってから物足りなさを補うことをされたのでしょうか。


ななこさん(37)より 9/18

私の体育館のジム通いその後も続きました。私にとってジム通いは、普段の受験生活のストレスを解放してくれるもの
でした。ジャージは受験生活から別の世界へ行く移動のための橋渡しであり、そのジャージを脱いでブルマー姿になる
瞬間は、まさしく自分を解放するときでした。ジム通いはいい気分転換になったのか、成績のほうも順調でした。
体育館はいつも私の独占状態でした。受付でいつも名簿に名前を書くのですが、それを見ると他の日には、人は来てい
るのですが、なぜか私が通う時間帯は、私以外人はいないのでした。

一度、こんなことをしました。その日も白色の体操服にブルマーでトレーニングに励んでいたのですが、調子がよく
て、ランニング・マシーンでいつも以上に長い時間走りました。そうなると汗だくになり、体操服がぐっしょりと汗で
濡れました。いつも誰も来ないし、と思った私は、少し大胆な気持ちになりました。窓のブラインドをおろしました。
鏡の前に立つと、半袖の体操服を脱いで乾かすために、鏡の前にあるポールにかけました。そしてブラジャーも外しま
した。

上半身は何もつけてなく、濃紺のブルマーだけになった私は、恐る恐る胸に当てていた手を下ろして自分の肉体を眺め
ました。恥ずかしいというような気持ちは全くありませんでした。汗でぐっしょりと濡れた私の体は、どこか、高校生
の頃よりも引き締まっているような気がしました。眺めるほど、誇らしくて、もっともっと鍛えたい、という気持ちに
なってきました。

私はそのまま、トレーニングを続けました。鏡に映ったブルマーだけになった自分を眺めていると、ますますしごき
たいという気持ちになってきました。いつもよりも重い重量をつけて、腕や肩を上げたり下げたりすると、大きな唸る
ような声が出てしまいました。
 トレーニングはついつい長くなってし
まいました。さすがにもうこれくらいでいいだろうと思い、引き上げることに
しました。汗で濡れていた体操服も乾いていました。体操服を着て、体育館に来るときに来ていた臙脂色のジャージ上
下を上から着ると、少し前まで、自分が上半身裸で濃紺のブルマーだけになっていたのが信じられないような気がして
きました。しかし、体にはいつも以上に心地よい疲れと満足感が残っていました。
 次の日、筋肉痛になりましたが、昨日の記憶を思い出すと、ほのかに熱くなるのでした。

誰も居ない所で上半身裸になり、自分の身体を眺めてもっと鍛えたいと思われただけでしょうか。
身体が熱くなり、欲情してしまいオナニーをされたのでしょうか。
その時の快楽はどんな感じだったのでしょうね。


ななこさん(37)より 9/17

お久しぶりです。浪人していたころ、毎週、市の体育館のトレーニングジムに通っていたななこです。
ジムに行く日は予備校はお休みで、朝から家で臙脂色のジャージ上下でいました。午後はジムで体を
動かせるのだと思うとワクワクして、その分、今は勉強を頑張ろうという気になるのでした。ジャー
ジで勉強をしていると、何だか学習合宿をしているような気分になりました。

お昼ご飯を食べてから、午後に体育館に向かいました。受付をすますと、トレーニングジムに入ります。
大きな鏡には、臙脂色のジャージの女の子が立っています。他の人から見れば、ダサいジャージ、なの
かもしれませんが、その時の私にとっては、試合前のアスリートのような気分で、むしろ凛々しく見え
るのです。鏡を見ながら入念に準備体操をします。それから上着のファスナーを下までおろし、上着を
脱ぎ、ズボンも下して、白い体操服に濃紺のブルマーになった自分を見ると、他で感じたことのないよ
うな気持ちの高まりが起きるのでした。

マシーンにのって負荷をかけて体を動かしていると、思わずうなり声が出てきます。高校の体育の時には
絶対に出したことのないような声でした。受験生の自分が、午前中はジャージを着て学習合宿をしていた
自分が、今は脱いで、こんな声をあげている。そう思いながら、声をあげたり息を吐き、その音を聞くと、
ますますハードなトレーニングをしよう、自分の肉体を徹底的に鍛えたいという気持ちになるのでした。

私の特にお気に入りは、ライイングレッグカールというマシーンです。ベンチにうつぶせになり、重量の
かかったバールを上げ下げするものです。うつぶせになっているとき、固いベンチに胸元や股のあたりが
ぴったりと当たるのが快感なのでした。

2時間ばかりトレーニングを終えると、ジャージに着替えます。改めてジャージに着替えた自分を鏡で眺め
ていると、先ほどまでこの少女が体操服にブルマー姿であんな声を出していたのか、と思うと、なんとも言
えない爽快な気持ちになるのでした。トレーニングを終えて家に帰ってからも、しばらくはジャージを着た
まま、ベッドで寝転んだりしていました。

貴女は運動する時に、いつもの自分から変身できる感じなのでしょうか。
今も運動マニア?みたいな生活なのでしょうか。


わたがしさん(43)より 9/8

 中2に上がる時のことです。
この時に、白と青のストライプ柄のブラジャーとパンツのセットを買ってもらいました。
中2にあがり、最初の体育の授業です。白の半袖体操服とブルマーに着替えますが、
白の半袖体操服から同学年の子よりも少し大人っぽい白と青のストライプ柄のブラジャーが
透けて見えるのがうれしかったです。

 何回目かの体育ですが、パンツとお揃いのこともアピールしたくなり、ブルマーから
わざと少しハミパンさせました。ストライプ柄がわかる程度にはハミパンさせる必要がありますが、
ハミパンさせすぎると、ただただかっこ悪いので、注意してハミパンさせました。

 女子にハミパンを指摘されたりしますが、その中に、ブラジャーとお揃いのことに気づいてそれを
指摘してくる子もいました。
 もちろん、男子には指摘されないので、男子が気が付いているかはわかりません。

 女の子の方が周りの恰好に敏感ですね。
あえて目立ちたかった時には、気付いて指摘してくれることが嬉しかったのではないでしょうか。


みこさん(30代)より 9/1

私がブルマを穿いたのは小学校の6年間です。
中学高校の体操着は短パンだったのが今となっては悔しいのですが、私立の小学校だったので、
制服で通学し、学校に着くとすぐに白の半袖と紺のブルマに着替え1日中、体操着でいられる
のは今思えばとても恵まれていたと思いますし、あの頃に戻りたいとよく思います。

私がブルマを意識したのは小3の頃からで、1、2年生では幼かったこともあり、ブルマの思い出は
残っていません。でも休み時間は外で思いっきり遊んだり、運動も得意で運動会の紅白対抗リレ
ーに出たり、活発な女子だったみたいです。当時の写真をみても、シャツをブルマに入れ、白い
体操着も土で汚れてるくらい活発だったみたいです。

私が初めてブルマを意識したのは小3の運動会だったと思います。この年もリレーの選手に選ばれ、
連日の練習で体操着は泥んこになっていました。そんな私に、母親が運動会用の新しい体操着を
買ってくれました。運動会当日、真っ白な体操着を着ると胸がドキドキしてすごく嬉しかったのを
今でも覚えています。

他にも新しい体操着を来ていた生徒はいましたが、紅白リレーの選手の証のリボンを胸につけた
私はちょっと目立ち、友達からも「新しい体操着?気合い入ってるね」とか言われました。

開会式からしばらくは新しい体操着が汚れないように大人しくしてましたが、負けず嫌いな私は
競技のたびに必死で戦い、せっかくの真新しい体操着は泥んこになりました。それでも運動会が
終わり体操着を脱ぐときは寂しく、翌週も着ようと思いましたが、さすがに泥んこだっ
たので諦め、家に持ち帰り洗濯してもらいました。この日はいつもの運動会以上に楽しく、私が
ブルマと体操着を意識して好きになった日でした。

ブルマ姿のどんな所が好きになったのでしょうか。
体操着を脱ぐときに寂しい思いは、どんな気持ちからそう思ったのでしょうね。


もっちぃさん(34)より 8/19

小学2年の健康診断でのことです。
小学3年までの健康診断は男女ともパンツ1枚で受けることになっていましたが、
女子はブルマーをはいてもいいことになっていました。

1年の1学期にはパンツ1枚で健康診断を受けていた女子も、2学期からはブルマーで
健康診断を受けるようになりました。2年の時には、M実と同じクラスになりました。

健康診断では、M実はブルマーをはかずに、健康診断を受けました。M実はブルマーを
持ってくるのを忘れただけなのかと思いましたが、特に恥ずかしそうにしていませんでした。

健康診断は毎月あったのですが、次の月の健康診断でも同じように、M実はパンツ1枚で
健康診断を受けていました。私も同じようにパンツ1枚で健康診断を受けて目立とうかとも
思いましたが、恥ずかしくて実行できませんでした。

ブルマを履かずに来ていた、何か事情があったのでしょうね。
その後、昔の話をして聞いてみる機会はなかったのでしょうか。


みかんさん(38)より 8/19

中1の時の家庭科の授業でのことです。
中1の時は、男女とも前半は家庭科、後半は技術科の授業を受けました。
中2からは男子は技術科を、女子は家庭科の授業を受けました。

昼休み明けの家庭科の授業で調理実習がありました。
調理実習では、体操服に着替えて、エプロンをつけて、家庭科室に行くことになっていましたので、
昼休みの終わりに教室で体操服に着替え始めました。

この日は体育の授業はありませんでしたが、スカートの下にはいつもブルマーをはいているし、
こういう日は、女子は制服の下に半袖の体操服を着ているので、制服を脱ぐだけというのがより正確な表現だと思います。

私も制服を脱いで体操服姿になろうとしたのですが、先に着替えている女子はスカートを
はいたままジャージのズボンをはきだしました。
夏でしたので、ジャージを持ってくることを考えてもなかったのですが、クラスのほとんどの
女子のはきちんとジャージのズボンを持ってきていました。

男子は全員短パンでしたが、女子は私を含め4人だけがブルマーでした。私がエプロンもつけて
家庭科室に向かおうとした時に、同じクラスの女子に「みかん、ハミパンしてる」と言われましたので、
私は慌ててハミパンを直しました。

ブルマーだとハミパンが気になるのはもちろんですが、ブルマーの上にエプロンをしているとHに見えるので、
調理実習はなんか落ち着きませんでした。

調理実習では体操服に着替えるのは何か理由があったのでしょうか。
スポーツをする場とは違う、実習室でブルマにハミパン、エプロン姿は場違いな感じで恥ずかしかったのでしょうね。


あやさん(36)より 8/19

中学生の頃に性の目覚めを迎えました。
ただ、初体験が微妙なものだったため、しばらくの間は誰にも言えず落ち込みました。
でもその間にあった何度かやりとりでマイナスの感情は和らぎました。
相手は年上で、そこから2年近く続くことになりました。

オフスクールの私
オフスクールというのは相手の人が言った言葉です。
その人と過ごす時間というような意味に考えて下さい。
だいたい月に1〜2回で、同じ月の二度目はSEXはしない約束でした。

ラブホテの思い出
私もその人も実家暮らしでしたのでホテルを利用しました。
初体験のとき騙されたと思いました。
だけど、そこまで行ってしまってはどうすることもできませんでした。
最初の数回は毎回夏制服を持ち込んでいましたが、あるとき作りのいいTシャツのような母校の
体育用のシャツが、他校のように学校名や校章が目立つものではなかったことに気が付きました。
そのシャツなら制服のスカートを学校では決してやらなかったぐらいに短く折って合わせてしまえば
ホテルへ入るのも大丈夫そうに思え、実際に大丈夫でした。
最初のうちはそんなふうでしたが、その後は車のダッシュボードに入れておいてもらっていた黒の
ミニスカートに代わりました。
私はそうやってブルマーを隠すのを好きになりました。
また、その黒のミニスカートの上に学校の制服ジャケットという変な服装なのに、あまり気にしていませんでした。
平気でお店に入ったりしていました。
それはちょっと笑える思い出です。

ラブホテの思い出(続き)
ホテルの部屋の中でブルマーというのはすごく場違いな感じがしました。
でもその場違いな感じが大きな校則違反をしているようで嬉しくなりました。
塾や学校から行ったときは、ホテルでシャワーを浴びてからブルマーになりました。
直接着けてしまうほうをタイパン、その上に着るのはスクパンと言っていました。
帰りは必ずタイパンをスクパンで隠しました。
それはゾクゾクしてしまうほど気持ちのいいことでした。
夜にお風呂も済ませて家を出るときは、少しでも長くその感覚を感じたくて家からタイパンとスクパンで行きました。
また、部屋の中ではタイパンの上へシャツを出す「シャツ出し」をしていました。
学校では私みたいな子にはできなかった着方でした。
それを上手にできたのは、普段からおしゃれに関心の高く制服の着こなしも違うような子でした。
だからいくら羨ましくても私には無理でした。
ホテルは学校ではなかったので、あこがれをかなえることができました。
それをタイパンでやってしまうことは、どこかおかしいとは思うのだけど、それだけにすごく興奮しました。

今も
たまにブルマーの着心地を感じています。
元々のブルマーは社会人になって間もないくらいの頃にさよならをしました。
入れ替わるようにネット通販を知り、今のブルマーは2年前に購入したものです。
生地の違いで手触りの良いもの、着心地の良いもの、それぞれ個性があるようです。
また、通販のおかげで昔はできなかった他校生になることもできます。
それは今までになかった楽しみです。

学校での私
話を戻すと、オフスクールのことを知っていたのは私とその人だけでした。
誰かに話したところで信じてもらえなかったと思います。
もし本当のことを知った男子がいたら、少しは私を違った目で見てくれたでしょうか?
どんな反応をされたか、見てみたかったです。

学校での私(別の話)
オフスクールの私が学校で完全封印だったかといえば違って、ときどき顔を出していました。
ただし、それは誰もいなくなった教室や委員会室という一人だけの場所でです。
誰もいないのを確かめるとジャージを脱ぎ、シャツ出しをしました。
シャツ出しするだけですぐにSEXした私になれました。
それが学校というのも嬉しく、そんな一人の楽しみがありました。

ブルマーのポケット
ブルマーには内側に小さいポケットが付いていました。
数センチ四方ぐらいのものです。
ハンカチを入れるには小さすぎ、何に使うか分からない不思議なポケットでした。
私はそのブルマーのポケットにコンドームを入れていました。
朝の着替えのとき入れて、帰宅すると机の引き出しにしまっていました。
授業中もジャージのパンツの上からそのあたりをそっと触って、小さな音と袋の感触を確かめるのが好きでした。

避妊について
上に書いたようにコンドームは持っていました。
だけど妊娠に関する知識や関心は、今よりもずっと低かったです。
何事もなかったから良かったとはいえ、積極的な避妊はしていなかったです。
今は身近にいる出産を経験した人の話から、ある程度の知識があります。
当時、そういうことが違う世界のことのよう感じられたのは、今のように身近な経験談に触れることもなく、イメージもで
きなかったからだったのでしょう。
もし私が女の子の母親になれたなら、その反省を活かしたいと思っています。

卒業
中学卒業近くになって良く言われたのが「前と性格少し変わったね」の言葉でした。
それにはオフスクールの影響もなくはなかったと思います。
表の生活と裏の生活があるのは、楽しいと思えることもありました。
でも、同じぐらいのストレスにもなっていました。
特に受験が終わって進学先が決まると、4月からは裏生活のない普通の高校生でいたいという気持ちが強くなりました。
思い切って相談をすると、少し時間はかかりましたが理解してもらえました。

卒業旅行
オフスクールを卒業したのは、高校1年の夏休みでした。
最後の思い出に2人で旅行をしました。
SEXは、求められれば拒否はしないつもりでした。
だけどブルマーは、積極的に着けようとは思っていませんでした。
そういう性癖から抜け出そうとしたのも卒業の理由の一つでした。
ところが水着にTシャツの人を見てその人が思いついたのがシャツ出しでした。
正直、この人はまだブルマーでやりたいんだなと思うと少しいやな気分でした。
だけどせっかくの思い出の旅行、最後の最後にケンカはしたくありませんでした。
2日目は言う通りにするので、初日の夜だけはブルマーもSEXも許してもらいました。
そして2日目は約束通りに朝からその人の言う通りにしました。
ブルマーに脚を通すのも久しぶりでした。
タイパンのブルマー、スクパンのブルマーと着けたとき、涙が出そうになりました。
なぜだかわからないけれど、安心してしまいました。
外へ出るのは最初はめちゃくちゃ恥ずかしかったですが、同じぐらい嬉しかったです。
ずっと明るい太陽の下で中学の体育着を水着っぽく見せて過ごした最初で最後の経験になりました。
また、一日に何回もSEXしたのも初めてでした。
これで終わりになってしまうなんて、信じられなかったです。
裏生活が終われば晴れ晴れとした気持ちになるのかと思っていました。
だけど実際に終わってしまうと心に穴があいたようで、立ち直るまでに予想外の時間がかかりました。

その後のこと
オフスクールも卒業して望んだ毎日を手にしたはずでした。
でも実際に感じたのは、寂しさでした。
その事は残酷なくらい私の中に残っていて、卒業したはずの中学のブルマーになって思い出すことばかりしていました。
性癖から抜け出すどころか思い出すしかなくなってしまったのは本当に寂しく、卒業してしまったことを本気で後悔してし
まいました。
その後いくつかの出会いも経験しましたが、そんな本音を言えるような人に会うこともできませんでした。
たぶんその思いが本当の意味で満たされることは、もうないでしょう。
着心地を感じつつ少しでもその頃の気持ちに近づけたらいい。
今はそんなふうに思っています。

文章が苦手なため箇条書きのようになってしまって申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

中学生にとっては、あまりに大人の世界を知り過ぎた感じですね。
経験することは初めてでとても興味深く、相手に夢中になっていたのでしょうか。
誰にも言えない秘密を持つことが嬉しかったのかもしれませんね。
今となれば懐かしく、甘酸っぱい思い出なのかな。


慶子さん(47)より 8/19

慶子です。毎日暑いですね。久しぶりに高校時代の思い出を書きます。
以前に高校の体育祭でブルマでのダンスを、撮られちゃった話を書きました。

高校卒業後、女子大生になり所用で高校に行った時に聞いた話なのですが。

偶然、授業も教わった家庭科の先生に会いました。先生はまだとても若く、何でも気軽に話す先生で人気がありました。

私も好きな先生でしたので、懐かしくてたくさん話をしました。
思い出話がかなり弾んで来たところ、先生が
「そうだ。慶子さんは在学中、実は男の先生達から、抜群に人気があったの。
私、宴会の二次会で、酔った男の先生達の会話きいちゃったの。あなた、もう大人だから話してもいいかな。」

私は興味があったので聞かせて下さいとお願いしました。すると・・・

「男の先生達ね、酔って何でもしゃべっちゃうんだけど。好みの生徒の話をしてて。全員慶子さんがイイって 言ってたの。

独身のA先生は慶子さんをお嫁さんにして一から仕込みたいって。

愛妻家のB先生は奥さんとエッチする時、慶子の体操着姿思い出すんですって。
慶子さんの顔やブルマを思い出しながらのエッチだと・・・・


ふふ。象さんのミルクが3倍出るんですって。やらし!

おとなしいC先生だって慶子さんのこと10年に一度の美人だって。
体育祭ではカメラ係だから慶子さんのこと、いっぱい撮るんだって。やる気まんまんだったわ。

D先生は慶子さんが・・・

ふふ。一番好きなおかずだって!二番がアグネスラムだって! 」
「おかずって?」

「そのうち分かるわ。でも私聞いていて、スゴくうらやましかったの。
あなたは本当に世の殿方から愛されてるのよ。アグネスラムのビキニよりも慶子さんのブルマ姿のほうが上なんだから。
でもブルマってつみつくりよね。本人がまったく知らないところで、男性からの性のターゲットになっちゃうんだから。
私は高校ブルマじゃなかったのでよかったわ。」

悔しさなんてありませんでしたが、とても驚きました。

でも先生方から可愛がられていたのかなと、嬉しかったです。
あれから30年。今でも時々、夫にブルマをはかされます。

夫は深夜、太った裸の私にブルマだけはかせ、四つん這いにさせて
「あれ?ウチにブルマがスゲー似合うコブタちゃんがいるな」とからかいます。

高校時代は先生方から、今は夫から、ブルマ姿で可愛がっていただける私。

ブルマには感謝です。
私はオバサンになってもブルマからは卒業できません。

昔は自分では気が付いてなかったようですが、男性の先生方には凄く人気だったのですね。
その時に知ってたらその後の人生も変わっていたでしょうか。
今の貴女のブルマ姿を喜んでくれるご主人が居られますから、知らないで良かったのかもしれませんね。


ゆかりんさん(48)より 7/28

大学1年の時ですが体育の授業をブルマで受けた時がありました。
運動部に所属している子はそのまま授業が終わると練習に参加するから着替えるのが面倒みたいでした。
付属から行った子もたくさんいたしあまり気にしておらずそのうち私達も夏は暑いから真似をしてブル
マを穿いてました。

特に私は以前書きましたが家でブルマを穿いていましたから。さすがに体操服を着ている子はいません
でしたが、Tシャツにブルマで授業を受けた事を思い出すと懐かしいです。バレー部なんかは高校の時に
使っていたブルマを練習用に使っていました。

ブルマ姿に慣れてくると、着替えたりするのも面倒になってくるのですね。
普段ならブルマ姿にならないのに、授業中はなんだか恥ずかしいだけでなく、浮ついた気持ちにもなったでしょうか。


みやこさん(40)より 7/16

 私が中学生の時のプールの授業での話です。男子は教室で着替え、女子はプール内の更衣室で着替えることになってい
ました。理由はよく覚えていませんが、プール前の授業が終わったら、女子は教室で制服のスカートを脱いでブルマー姿
になって、更衣室まで行って、水着に着替えることになっていました。女子の中には、教室でジャージのズボンをはいて
からスカートを脱いで、ジャージで更衣室まで移動している子もいました。

 あるプールの授業前のことです。いつものように、同じクラスの桃ちゃんという子は、制服のスカートを脱いでブル
マー姿になって、更衣室の方に行こうとしていました。ブルマーで授業を受けるわけではなく、着替えの途中なので、桃
ちゃんは気が緩んでいたのだと思いますが、ブルマーの後ろの両側から大きくハミパンしていましたが、桃ちゃんは気が
付かずに、更衣室の方に行きました。私の隣にいた恵美ちゃんも桃ちゃんのハミパンに気が付いていて、「桃ちゃん、
めっちゃハミパンしてなかった?」って話してきました。

 教室から更衣室まで移動する間だけですが、男子もいるので、気を抜くわけにはいかないと思いました。桃ちゃんは、
それ以降も、プール前にはハミパンしていることがありました。

 彼女はまだ思春期前だったのかな? 
恥ずかしいと思う気持ちがあまりない子を、見ている周りの方が恥ずかしかったかもしれないですね。


ピーチさん(41)より 7/13

小6の時のことです。
体操服は紺のブルマーでしたが、紺だったら特に指定はなかったので、異なるメーカーのブル
マーを着ている子がいたと思います。

ある体育の授業でのことです。この日の授業は体育館で跳び箱をしました。同じクラスのB子は
少し足を広げて座っていたのですが、ブルマーの股の両側からハミパンしていました。
よく見ると、股の布の幅が少し狭いようで、ハミパンするのは仕方ないように思えるブルマーでした。

私はそれを見て、「ハミパンは当然のようにしてしまうし、下手すると、もっと見えたらいけない
ものまで見えてしまいそうだし、あのブルマーをはくのは恥ずかしそう」と思いました。

B子は立ち上がりましたが、ブルマーのサイズが合っていないわけではなく、立っているとハミ
パンしていませんでした。その日、B子と帰りが一緒になったので、私はB子に「B子、今日の
体育の授業の時、ハミパンしてた。男子に見られたら恥ずかしいから注意した方がいいよ」と言いました。

B子はそれを聞いて、「ブルマーが小さくなったから新しく買ってもらったんだけれど、あのブル
マーは股の所からすぐにハミパンしちゃって恥ずかしい」といっていました。

そのブルマーはメーカーが違ったのか、寸法が間違えられていたのかの真相はわかりませんが、
B子はその後も、そのブルマーで授業を受けることがあり、その時は、股の両側からハミパンして
いることが多かったです。

小学生だと親の買ってくれたブルマーをすぐに買い替えて欲しいとも言えなかったことでしょうね。
親も本人がそんなに恥ずかしいと思っていることなど、気が付いていなかったのでしょうね。


みさえさん(44)より 6/27

小4の時の体育の着替えでのことです。体育の着替えは小学校を卒業するまで男女とも教室で着替えていました。
とはいえ、女子はスカートやズボンの下にいつもブルマーをはいていましたので、小4の時は特に恥ずかしいと
いうことはありませんでした。

小4で初めて美穂と同じクラスになり、美穂は私の前の席になりました。美穂はいつもデニムの短パンで通学していました。
体育の授業の着替えなのですが、美穂はまずデニムの短パンを脱ぎました。Tシャツの裾である程度は隠れていますが、
短パンの下にブルマーをはいていませんでしたので、パンツが少し見えました。

美穂はその後、持ってきていたブルマーをはいていました。体育の授業が終わった後も、美穂はまず上をTシャツに着替えた後、
ブルマーを脱いで、デニムの短パンに着替えていました。

結局、美穂は小4の2学期の終わりに転校しましたが、それまでずっと同じように体育の着替えをしていました。
美穂はできるだけ隠そうと着替えていましたが、それなら、ブルマーを下にはいてくればいいのですが、そうはしないので、
恥ずかしいと思っていたのかどうなのか未だに謎です。

親から都度着替えるように躾を受けていたのかもしれませんね。
周りが家からブルマを履いてくるなか、着替えるのは恥ずかしかったことでしょうね。


ぴんくさん(37)より 6/18

小5の体育の着替えでのことです。体育の授業の着替えは卒業まで男女同じ教室でしたが、プールの着替えは、小4から
は女子はプール横の更衣室で、男子は教室で着替えていました。小5の時は体育の授業が1時間目にある日があり、プー
ルの授業も1時間目にありました。そのため、その日は、下に水着を着て学校にくる子もいました。真理ちゃんもそのよ
うな子の1人でした。

プールの授業が始まってからの1時間目に体育の授業がある日のことです。この日は、曇りで今にも雨が降りそうで気温
が低い日でした。プールの授業はないだろうと思って、私は水着を持っていきませんでした。予想通りプールは中止で、
体育館で体育の授業をすることになり、私たちは教室で体操服に着替えることになりました。

私たちはいつものように着替えたのですが、真理ちゃんが少しもじもじしているのに気が付きました。真理ちゃんはもじ
もじしながらも思い切ったように、上着とスカートを脱いだのですが、下に水着を着ていました。真理ちゃんは、さっと
水着の肩ひもをずらした後、体操服の上着を着て、水着を腰の部分まで脱ぎました。その後、バスタオルを巻いて、水着
を脱いで、パンツをはいて、その上からブルマーをはいていました。

真理ちゃんは恥ずかしそうに着替えていましたが、着替えるのが早い上にうまくて、見えたりはしませんでした。男子は
少し残念だったかもしれません。

自宅から水着を着ていて、そのことがみんなにバレるのが恥ずかしかったのかな。
学校で着替える時間が短くて良かったのでしょうね。


佳恵さん(40)より 6/3

皆様ご無沙汰しております。
思い出の続編を書かせていただきます。

私たちが連合音楽会で和太鼓演奏を披露したことが地域内で評判になり、自治会の方が「ぜひ自治会の文化祭のステージで
披露していただきたいのですが」と学校にお願いに来られました。先生方が快諾されたことで再び和太鼓演奏の機会をいただくことができました。
文化祭は日曜日に実施されるので希望者の自由参加ということになりましたが私を含めて半数以上の子が即決で参加することになりました。

文化祭に向けて毎日放課後に再び和太鼓演奏の練習に取り組むことになりいたました。
文化祭本番の服装はもちろん連合音楽会と同様に「体操服、短パン・ブルマ、裸足」とすぐに決まりましたが練習の時の服装は自由でした。
「こんなチャンスはめったにない」と思った私の服装はもちろん体操服・ブルマ・裸足ですべての練習に参加しました。
1回目の練習の時に事前に教室で体操服、ブルマ、裸足に着替えて体育館へ入った私を見て「やる気満々だな」とみんなに感心されました。
それを聞いてうれしくて興奮を抑えるのが必死でした。そして男女含めて何人かの子が私を見習ったのか体操服に着替えて来ました。

連合音楽会の経験と練習の成果をいかんなく発揮して文化祭当日の小学校体育館のステージで最高の和太鼓演奏を披露でき大きな拍手をいただきました。
私は和太鼓演奏と体操服・ブルマ・裸足の両方を地域の方々に認められたような気がして2重の喜びと大きな興奮を味わいました。

私たちが6年生になった翌年の文化祭前に再び自治会の方が「昨年の文化祭では体操服姿の皆さんが元気いっぱいの素晴らしい
和太鼓演奏をしていただいたことが地域の皆様に大好評でした。
内容はお任せしますのでぜひ今年もステージで元気な演技を見せていただけないでしょうか」と出演依頼に来られたそうです。
もちろん先生は「地域の皆様のためなら」と快諾されました。
演技については和太鼓演奏など様々な意見が出ましたが今年は6年生らしい演技ということで組体操に決まりました。
組体操ということで最初は集まりが悪かったですが誘いあって何とか予定の30人が集まりました。
ステージ上での組体操ということで内容は次の通りとなりました。

先生の合図で駆け足で入場

整列・挨拶

【1人技】片手立ちブリッジ
【2人技】補助倒立肩車→サボテン
【3人技】2段タワー山
【5人技】扇
【6人技】ピラミッド

整列・挨拶

ステージを降りて客席中央を全員で馬跳びをしながら退場

組体操希望者ばかりなのでみんな真剣に練習しました。
もちろんステージ上で組体操をするのはみんな初めてなのでお互いに演技を確認しあいました。
体操服・ブルマ・裸足の服装と組体操に何とも言えない興奮を覚えて病みつきになっていた私は学校の練習だけでは物足りず{
毎日家でも欠かさず当日やブリッジなどの練習をしました。(家で練習するときもの服装ももちろん体操服・ブルマ・裸足です)
おかげで納得のいくつま先たちのきれいなブリッジができるようになりました。
文化祭当日は30人全員の心が1つになって組体操はもちろん大成功で大きな拍手をいただきました。
私は「皆様に心と体を鍛えていただいたおかげで体操服・ブルマ・裸足の私の姿を皆様に認めていただいた」と
勝手に想像しながら1人で興奮していました。
(特に皆様に見守られ拍手をいただきながらステージ上で行う補助倒立とブリッジが最高でした)

最後馬跳びをしながら退場していると拍手と同時に「最高の組体操をありがとう」「よかったよ」などの声をかけていただきました。
体育館を出た途端感激のあまり全員で泣いて喜びました。
さらに私の担任の先生(=女性)が「みんなよかったよ」と1人1人抱きしめてくださったので私は我慢できずに先生の胸で大泣きしてしまいました。
(このとき私も1人前のブルマ娘に慣れたような気がしました。

興奮を抑えきれない私は家の中で体操服・ブルマ・裸足になって壁倒立・補助倒立・ブリッジと体操服・ブルマでの近所のジョギング・自宅前での
縄跳びを日課にしてさらにブルマ娘に磨きをかけることに決めました

さらに30人で小学校の思い出づくりをしようということになり、卒業まで毎週数日程度体操服、短パン・ブルマ、裸足で集まって組体操をすることになりました。
真冬の体育館やグランドで組体操をするというとても貴重な経験をさせていただき最高の思い出ができました。
今でも当時の同級生と会うとこれらの和太鼓演奏や組体操の話題で盛り上がるので私以外にも興奮を覚えた子がいたのかもしれません。

最近、各地で運動会が開催されるようになり、再び昔のことが懐かしく思い出されたのでしょうか。
性的な興奮とは少し異なるようですが、昂揚感などの高ぶった気持ちになられたのでしょうね。


碧さん(31)より 5/31

小6の時の夏休みに、私は親戚の家に泊まりに行きました。その家には小5のMちゃんと、小4のSくんがいました。
親戚の家は、海から比較的近いので、叔父さんが、子供3人を車で海に連れて行ってくれました。最初は、私もMちゃん
もスカートの裾を気にしながら海に入っていましたが、Mちゃんが「スカートの下に体操服のズボンとかはいてる?」と
聞きましたので、私は「うん」と答えました。2人ともスカートを脱いでも大丈夫なので、私もMちゃんもスカートを脱
ぐことにしました。Mちゃんの学校の体操服は、紺のクォーターパンツだったみたいで、スカートの下には紺のクォー
ターパンツをはいていました。私の学校の体操服は紺のブルマーでしたので、私はブルマー姿になりました。Mちゃん
は、「碧ちゃんの学校はまだブルマーなんだ。私たちの学校では、2年前からクォーターパンツにかわったよ」と聞いて
きましたので、私は「私たちの学校の体操服はブルマーだよ」と答えました。

 私たちはしばらく海に入ったりしていましたが、その後で、砂浜で座って山を作り始めました。その時、ブルマーから
ハミパンしていたみたいで、Mちゃんに「碧ちゃん、パンツ見えているよ」といって、パンツを指さしました。Sくんが
それに反応して、はみ出たパンツの方に視線を向けました。私は恥ずかしくなって、慌ててハミパンを直しました。

 その頃の貴女にとっては、とても恥ずかしかった思い出なのですね。
昔の友達と久々に会うと、ブルマの話になるのかな。


愛理さん(36)より 5/24

 中2に上がる時に、女子の体操服がブルマからハーフパンツに変更されることになりました。在校生は買い替えても
買い替えなくてもいいことになっていました。3年生はあと1年で卒業なので、買い替えない子がそれなりにいそうだ
けれど、2年生は、クラスで4−5人を除いて買い替えるんだろうなと思っていました。中1の時には、みんなブルマ
だからそんなに恥ずかしいとは思っていませんでしたが、ブルマが少数派になると恥ずかしいかもとは思いましたが、
結局、ハーフパンツは買わないことにしました。

 中2になってから最初の体育の授業の着替えです。5月の終わりまではジャージの着用が認められていました。女子
は更衣室で、制服のスカートを脱いで、ブルマかハーフパンツ姿になってから、ジャージをはいて体育の授業を受けて
いました。ブルマをジャージの下にはいている子も多かったです。

 最初の6月の体育の授業前の更衣室でのことです。いつもと同じように、制服のスカートを脱いで、ハーフパンツで
はなく、ブルマ姿になる子もいたのですが、その子たちも、後で上からハーフパンツをはいていました。2クラスの女
子が一緒に体育の授業を受けるのですが、ブルマで授業を受けるのは私だけでした。後から分かったことですが、学年
でも私だけでした。3年生の方は、あと1年で卒業ということもあり、1クラスに1人か2人はブルマのままの子がい
ました。

 さすがに1人だけブルマなのを想定していなかったので、最初の体育の授業は恥ずかしかったです。1人だけブルマ
ですと、ハミパンしていなくても、ハミパンしてると言われて、焦って直そうとすると、嘘だよと言ってからかわれた
りするので、かなり恥ずかしかったです。ただ、このタイミングで買い替えると損した感じがするので、結局、2年の
時はブルマをはき通しました。

 3年生が卒業するときに、何人かの先輩がハーフパンツをくれたので、私が中3に上がった後は、ハーフパンツで授
業を受けました。

 家庭の事情もあってブルマ姿で過ごさなくてはいけなかった子は辛かったことでしょうね。
ハーフパンツをくれる先輩が居ると助かりますね。


ゆあさん(30)より 3/21

2、3年間からブルマの魅力に取りつかれてしまいこの掲示板を見つけてから
履きたくて履きたくてしょうがなくなりネットで購入しました。

一度もブルマを履く機会がなかったので初めてのブルマはとても刺激的でした。
まるで下着のような体操服。
こんなのを着ながら授業に参加したかった。

先輩にしごかれたかったなど様々な妄想がふつふつを止まらなかったです。
購入してから普段着として着用していたのですがもっと刺激がほしくなり、
白い綿の下着、靴下などアイテムを追加して家でのブルマ生活を楽しんでいました。

最近、刺激がなくいまいちブルマ生活を楽しめていません。
外へも出てみたいのですが、勇気が出せずにいます。

ブルマを着ると心は学生の頃になってしまうのかな。
性的にも刺激になっているのでしょうか。
自分のブルマ姿を見られたいとか思うようになってきましたか。


まおさん(37)より 3/11

小6の時に田植えの実習をしました。田植えの実習は体操服で行いました。
私たちが田植えをしている時のことですが、私がハミパンをしていたようで、親友の智美が「まお、ハミパンしてるよ」と言いました。

普段だったらもちろんハミパンをすぐに直すのですが、田植えで手が泥だらけですので、直すこともできず、ハミパンさせたまま田植えを続けました。

ハミパンしてもすぐに直すことができないので、普段の体育の授業よりもハミパンしている子が多かったと思いますが、
それでも男子もすぐ近くにいるので、ハミパンをしているのを知りながら直せないのは恥ずかしかったです。

直せなくて恥ずかしかったことでしょうが、せめてもの救いは周りにも同じようにハミパンの子も居たことかな。


陽子さん(48)より 2/10

はじめまして。私は結婚を期に退職したのですが、高校の体育教師を7年ほどしていました。
大学卒業後赴任した高校は女子高で、その当時の体操服はブルマは当たり前でしたので、
その高校も例にもれずもちろんブルマでした。女子高とはいえ、高校生にもなるとやはりブルマ
は恥ずかしいという子も中にはいました。私は年齢も近いという事もあり、生徒たちからは
色々な悩みなどの相談を受ける事もありました。「ジャージ履いちゃダメ?」と聞かれる事もありました。
体育の先生は私を含めて4人いて、ベテランの男性と中堅の男性と女性、私でした。
下っぱの私が決められるわけもなく、「校則だから我慢しなさい」と言ってジャージは許可しませんで
したが、ブルマを嫌がっている子もいることはわかりました。

教師になって3年目から共学高校に変わりました。その前年に、共学に合わせて体操服のデザインを
一新するということで、体育教師が集まってカタログなどを見なら話し合いがありました。
体操服やブルマに校章も入れたいということで、在校生も対象になりました(3年の父兄は今さらと
思ったかも知れませんが、当時は学校が強かったので、抗議はありませんでした)。
私は黙っていると、ベテランの先生が「陽子先生の意見も聞きたい」と言われたので、
私は「女子も男子と同じハーフパンツにしたらどうでしょうか?」と提案しました。

ブルマを嫌がっている子もいるし、共学になると男子の視線も気になるでしょうから。
すると「は?」という顔をされて、「女子はブルマに決まっているだろ。いちいち生徒の意見なんて
聞いていたら、示しがつかん!」と言われました。中堅の女の先生も「まあ気持ちが分からないで
もないけど」と前置きしてから「女子はブルマ履かせといたほうがおとなしくなるのよ。
足開いて座れないでしょ」といい、もう一人の男の先生も「女子がハーフパンツなんて履いてたら、
男子がガッカリするだろ」と今だったら差別的な事を笑いながら言っていました。

まさか女性の先生にまで反対されるとは思っておらず、私は完全に押しきられ、「そうですよね、
やっぱり女子はブルマの方がいいですよね」と言ってしまいました。
その後先生たちは、カタログなどを見ながら、楽しそうに「この色いいな」「学年色で変えようか」
「これはローレグだからカッコ悪い」「ハイレグの方が動きやすくてよさそうだ」とか特に男の先生は
趣味の世界に没頭しているようでした。
その後、候補が数点に絞られたので、サンプルを取り寄せ、私と女の先生で生地の伸縮性やゴムの質などを考慮
し決定しました(伸縮性のない生地や伸びやすいゴムだとシャツが出たり、はみパンしたりしてだらしなくなるので)。

結局男子は紺のハーフパンツ、女子は少しハイレグの紺のブルマと無難な色に決めました。男の先生たちは学年
色でカラフルにしたかったようですが、ただでさえブルマが嫌な子もいるので、ここは私も意見を言って無難な
紺にしてもらいました。これには、もう一人の女の先生も賛同してくれました。男の先生たちはしぶしぶ承知
(生徒たちはあんた達のオモチャじゃないぞ)。
生徒たちからは、体操服が可愛くなったということもあり、割りと好印象でした(前は白一色で無地の体操服と
市販の紺色ブルマだったので)。生徒は、体操服が決まるまでの経緯を知らないからという事もあるかもしれま
せんが、当時は女子がハーフというのも考えもしなかったのでしょうね。やっぱり私の考え方が変なのかな?と
思いました。

最初の内は体操服が変わった気持ちよさからか、不満も出ませんでしたが、慣れてくるとシャツを出してブルマ
を隠そうとする子もいました。決まりなので、私はシャツを入れるように注意しましたが、やっぱり嫌な子は嫌
なんだろうなと同情もしました。
私が退職して、数年後に時代の流れには逆らえず、女子も男子と同じ膝丈のハーフパンツに変わりました。あの
2人の先生たちの残念がる姿を想像すると可笑しくなると同時に、私の考えが少し先にいっていたのだと思いま
した。でも不思議なもので、今となっては女子がブルマじゃないのも少し寂しいかな(笑)

教師の立場でのブルマにまつわる投稿をいただいたのは初めてかもしれませんね。
やはりというか、女子のブルマは男性教師の趣味的な嗜好も影響していたようですね。
今では許されない言動に、当時は配慮もなく当たり前のように話されていたようですね。
今だから言えるそんな裏話もっと、聞いてみたいですね。


さち子さん(37)より 2/4

高校1年生の時の話です。小学校卒業までは体操服がブルマーでしたが、中学校では体操服はハーフパンツでした。地
元の県立の進学校に高校に進学したのですが、そこでは体操服はブルマーでした。高校で久しぶりにブルマーをはくこ
とになり、恥ずかしかったですが、普段の体育の授業は男女別ですので、何とか恥ずかしさを我慢していました。
体育祭の時のことです。同じクラスに、優子ちゃんという女の子がいました。優子ちゃんは、小6か中1でも通るくら
い幼い顔立ちをしていましたが、可愛くて、活発でしたので、男の子からも女の子からも人気がありました。優子ちゃ
んは、この日も積極的に体育祭を盛り上げていました。

午後からの話ですが、わたしや優子ちゃんは、クラス対抗のリレーに出るので、入場門の所に集合して、整列して座っ
ていました。その時、ふと優子ちゃんが視線に入ったのですが、優子ちゃんのブルマーのお尻の部分から薄いピンクの
パンツが思いっきりハミパンしていました。よく見ると、反対側も思いっきりハミパンしていました。近くにいた男の子
子も、優子ちゃんのハミパンを見ているようなのに気が付きましたが、優子ちゃんは年齢の割に幼いし、あまり気にし
ていないのかと思って、ハミパンを特に指摘しませんでした。

少しして、隣のクラスの女の子が優子ちゃんにハミパンを指摘しましたが、優子ちゃんは顔を赤くして恥ずかしそうに
ハミパンを直していました。優子ちゃんは、午後からも午前中と同じように積極的に体育祭を盛り上げてくれました
が、午後からは午前中よりもブルマーを触っているような気がしましたので、午前中よりハミパンを気にしているよう
でした。

幼く見えるので、ハミパンなんて気にしないのかなと思いましたが、やっぱり優子ちゃんも高校生なんで気にするんだ
と思いました。わたしを含めたクラスの女の子はハミパンしないようなパンツをはいている子が多かったと思います。
高校2年生に上がる時に体操服がブルマーからハーフパンツに変わりました。買い替えないという選択肢もとれました
が、優子ちゃんを含めわたしたちは全員ハーフパンツに買い替えました。

自分で気が付いてはなかったのでしょうが、人に指摘されて意識し始めて、急に恥ずかしくなったのかもしれませんね。
ブルマ時代ならではの思い出ですね。


美玖さん(36)より 1/9

中1の体育祭で、すべての種目が終わり、閉会式で先生の話を聞くだけになっていた時のことです。私たちは整列して
座って、先生の話が始まるのを待っていました。まだ、話が始まるまで時間があるので、後ろを向いて、Mさんと話を
していました。Mさんは体操服の袖を少しめくって、今日1日でだいぶ日焼けしたかもとか言っていました。それを聞
いて、私も袖を少しめくりましたが、日焼けしにくい体質なので、私は日焼けしていないと思うと言い返しました。
Mさんとの会話はそれくらいで終わりました。

隣には同じクラスの男子の列があるのですが、同じクラスのYくんがMさんの方を見ているのに気が付きました。Yく
んの視線の先を追うと、Mさんのブルマーからはみ出した白のパンツでした。体育祭で疲れてしまったのか、Mさんは
かなりハミパンしていても、全く気が付いていませんでした。私もハミパンしていないか少し気になったので、確認し
ましたが、私はハミパンしていませんでした。そうこうしている際に、Yくんと視線が合ってしまいました。Yくんは
ブルマーを見ているのがばれて恥ずかしがるかと思っていたのですが、私と視線を合わせた後、Mさんのハミパンの方を
を見て、また私と視線を合わせることを2、3回繰り返しました。その時に、Yくんは、彼なりに、私に、Mさんにハ
ミパンしていることを伝えてほしいといっているのだと感じました。

Yくんがそう思っているのは感じ取りましたが、同じクラスでも、ハミパンを教えられるほどMさんとは仲がいいわけ
ではないので、結局、Mさんにはハミパンを伝えることはできませんでした。この後、先生の話を聞いて、閉会式が終
わったのですが、その時にもMさんハミパンしたままでした。体育祭は終わった後、私たちは、自席に戻りましたが、
そこでMさんはジャージをはいたので、その時にやっとハミパンが隠れて、私も安心することができました。
その日の夜、男の子がハミパンを気にしているのを知って、今日、ハミパンしていたのは、Mさんで私ではなくて、つ
くづくよかったと思いました。

白色のパンツがはみ出ていたら、目立つことでしょうから、彼も気になってしょうがなかったのでしょうね。
見てはいけないと思っても、つい見てしまったことでしょうね。


凛さん(35)より 12/29

少し早い休暇をもらい、実家へ帰ってきました。
結婚がどうしたとか、そういう話になってしまうので最近はなかなか帰る気になれなくて…と言うのはどうでも良い話です。

久々に自分の部屋で過ごしています。
両親もどうやら眠ってしまったようで、楽しみにしていた時間がやってきました。
制服と一緒に保管してあった中学校の半袖の体育着とブルマーを、久々に着けたのです。
さすがに中学校のものではもうサイズは合っていません。
胸が成長したのは嬉しいですが、腕もブルマーもパンパンです。
だけど、嬉しいです。

何も変わっていないなあ。
そんなことを思いました。
机の前に座って軽く足を開いてしまうこと。
机に突っ伏して片手で軽く口を押えること。
そしてもう片方の指が、ブルマーをゆっくりと愛撫していること。
それでいて、家族の気配をちゃんと気にしていること。
何もかも、中学校のときのままです。

でもね、やっぱり夜なんだなあと思うことも。
部屋は変わっていないので、今だって靴を持ってくればそのまま外へ出ることができます。
約束のあった日、親や学校へ申し訳ない気持ちに目をつぶりながら、はやる気持ちを抑えきれずにスコートでブルマーを隠
して家を出ていたのも今となっては遠すぎる日の出来事になってしまいました。
そんな約束なんて望むこともできなくても、今日は久々に約束があるような気持ちを味わっていようと思います。

 いつ帰っても昔のままの自分の居場所があるのは良いですね。
大切な思い出がつまったその部屋で一人過ごせば、過去の自分に戻れた感覚になれるようですね。


ゆうかさん(29)より 11/21

 夏休みに父、母、私の3人で、祖父母の家に行っていました。中学1年の時もいつもの年と同じように、祖父母の家に行っ
たのですが、帰りに田舎の旅館で1泊してから自宅に帰ることになりました。その旅館には、夕方に着きました。夕食前にお
風呂に入ることにしました。お風呂は男女別の内湯と混浴の露天風呂がありました。私たち3人は混浴露天風呂の脱衣所に着
ました。母と私は、女性用の脱衣所で脱衣を済ませ、タオルで前を隠して、混浴露天風呂の方に行きました。混浴露天風呂に
は父以外の男性もいて、恥ずかしかったので、私は脱衣所に戻って、服を着て、男女別の内湯に行きました。私は内湯にゆっ
くりと入ってくつろいでいました。ゆっくりしていると、混浴露天風呂に入り終えた母がきました。母はまだまだお風呂に入
っているようでしたので、私は先にお風呂から出ることにしました。

 お風呂から出る時には、夏場は、半袖のTシャツとブルマを着ていましたので、この時も半袖のTシャツとブルマを着て、
廊下に出ました。廊下を少し歩いたところで、20代と思われる仲居さんに会いました。仲居さんは、「温泉、楽しめました
か?」と聞いてきたので、私は「露天風呂は恥ずかしくて入れなかったけれど、内湯はよかったです」と言いました。仲居さ
んは「露天風呂、景色がきれいでいいですよ。朝でしたら、人が少なくて入りやすいですよ」とか言っていました。仲居さん
と別れて少し先に進んだ時ですが、仲居さんが走って寄ってきて、「下着、見えていますよ」といって、ブルマを引っ張っ
て、ハミパンを直してくれました。

 7月に林間学校がありましたが、その時はジャージをはいていましたので、家でもないのに、油断してブルマ姿になってし
まったと思いました。

 思春期の女の子には混浴は恥ずかしすぎたのでしょうね。
お母さんの年代だと、恥ずかしい気持ちより露天風呂を純粋に楽しみたいのでしょうね。 
親切な中居さんで良かったですね。年齢も比較的近くて気が付いて教えてくれたのでしょうね。


みおなさん(33)より 11/19

 中1の球技大会での話です。男子は運動場でサッカー、女子は体育館でバスケットボールをしました。バスケットボールで
は、各クラスとも、クラスから2チームを出すことになっていて、トーナメント方式で優勝を決めることになっていました。

 冬に行われましたので、女子はジャージを着用して、体育館に集まりました。球技大会が始まりました。体育館は2つの試
合を同時にできる広さがありましたので、4チームが最初の試合に出ることになります。私たちのチームもその4チームの1
つでした。同じチームの人がわかりやすくなるように、一方のチームがジャージの上着を脱いで、もう一方のチームはジャー
ジのズボンを脱ぐことになりました。じゃんけんか何かで私たちのチームがジャージのズボンを脱ぐことになりました。バス
ケットの試合が始まって少し経ったくらいに、外野が騒がしいのに気が付きました。騒がしい理由は、同じチームのMがブル
マーから思いっきりハミパンしているからでした。Mはハミパンを直しましたが、試合に熱中していると、またハミパンして
いました。私たちは初戦に勝って、次の試合に進むことができました。

 次は、別の4チームが初戦をすることになるのですが、一方のチームがジャージの上着を脱いで、もう一方のチームがジャ
ージを着たまま試合をすることに変更になりました。よく考えると、これで両チームの区別はつくので、男子はいないけれど
先生はいるところで、私たちは単に意味なくブルマー姿になっただけでした。

 安易にチーム分けの方法を考えていたのでしょうね。
ブルマ姿でハミパンになった子は、今もその時の恥ずかしさを忘れられないでしょうね。
同窓会の時には、みんなの話題にもなるのかな。


みずほさん(35)より 10/26

こんばんわ。

前回の告白にあたたかいお言葉をいただいて、少し泣きそうになってしまいました。
ありがとうございます。
当時、いじめ行為そのものが辛かったというよりも、学校から親にそういう事が伝わって心配をかけてしまう事のほうが怖
かったです。
もちろん何か嫌な事をされれば悲しい気持ちにはなります。
でも、慣れてしまうと「ああ、またなんだな」と、どこか冷めた目で思う事も多かったです。

心の隙間に入ってきた男性。
まさにおっしゃる通りで、その男性はすっと、私の心の中に入ってきてしまいました。
始めの頃は本当に楽しかったです。
ブルマーは嫌いではなかったですし、何より裸になってしまえる自信がなかった私にブルマーを許してくれたことが大きか
ったと思います。

どんな際どいことでも着ている安心感があって、恥ずかしさを乗り越えた所にある気持ち良さを知りました。
ブルマーへの射精は後始末が大変でしたけど嬉しかったです。
さすがに洗濯に出してしまえるような勇気はなくて、お風呂で手洗いし夜干しをしたものを強引に着て登校していました。
ふき取ったはずの精液が水分を含んで復活してしまうのがいつも不思議でした。

生乾きのブルマーは気持ち悪かったのですが、学校ではそんなブルマーで登校しているのを誰も知らずにいると思うと嬉し
くて仕方ありませんでした。
SEXを経験するごとに、見えない何かが私に積み重なって行くような気持ちがしたものです。
その気持ちが自信のようなものになり、学校でのいじめ行為を追い払ってくれたのかもしれません。

周りが落ち着いたとき、ようやく自分を取り戻したのでしょう。
その頃から、相手の男性とのことに疑問を持つようになりました。
疑問といっても、答えは私自身が初めから知っていたこと。
それまで向き合えるだけの余裕もなければその勇気もなかっただけのことで、その環境が変わったとき答えと向き合えたと
いうことになるでしょう。

でもそれは、寂しい日の始まりでもありました。
その寂しさを埋めてくれたのもブルマーでした。
ブルマーを着けてしまうのは、その時だけは時間を飛ばしてそこにいるような感覚になってしまうのを期待してのことでし
た。
たとえば生出しのように、実際には難しかったSEXも妄想の中ならば可能でした。
そのたびにあのとき意地を張らず、もっと楽しんでおけばよかったのにという、本当の後悔とはちょっと意味が違う気持ち
を感じたものです。

いじめ行為、隠れたSEX、そして後悔。
久々に着けて、当時に戻ってみるのも良いかもしれませんね。

 いじめの事を親に言えない貴女は、心配かけたくないとある意味いい子を演じている部分もあったのでしょうか。
誰も知らない自分だけの秘密の大人の世界・・・当時を振り返ってみれば、そんな男性を必要としていた時期だったのでしょうね。
本当の大人になった今では、その頃の性の喜びが懐かしく、もう一度経験したいとさえ思えるのでしょうか。


NAOMIさん(33)より 10/18

 私が中3に上がる時に体操服がブルマーからハーフパンツに変更されました。在校生も買い替えてもいいことになっ
たので、中3になってからは女子全員ハーフパンツで体育の授業を受けるようになりました。私だけでなく、友人たち
も、ハーフパンツで授業を受けることができるようになって喜んでいました。

高1になると、体操服は再びブルマーになりました。中3の時にハーフパンツで授業を受けていたので、ブルマーが余計恥
余計恥ずかしく思いました。ブルマーだとハミパンしていないかが特に気になりました。高2に上がる時に体操服がハーフ
パンツに変更されるということになったので、喜んでいたのですが、在校生はそのままブルマーで授業を受け続けなければ
ならないので、がっかりしました。私はがっかりしていたのですが、他の女子はあまり関心がないのか、あまりがっかりしていませんでした。

高2になってからの体育の授業でのことです。運動場で体育の授業を受ける時には、どうしても1年生に会ったりす
るのですが、私は男子でも女子でも1年生にブルマー姿をさらすのは恥ずかしいと思い、恥ずかしそうに歩いていまし
たが、他の女子はあまり恥ずかしそうにしていませんでした。たまにハミパンしている子がいたりしても、それを指摘する
する子はいますが、指摘された子もさっとハミパンを直していました。

高3になると、私たちだけがブルマーですので、下級生にブルマーを見られていると思うと恥ずかしかったです。特に
に体育祭はメッチャ恥ずかしかったです。ブルマーをそこまで意識していなさそうな同学年の女子をすごいと思いました。

 ブルマとハーフパンツの変更が繰り返された人は珍しいですね。
あまり周りの目を気にしないで済むハーフパンツに慣れたころに、ブルマはちょっときついですよね。


みずほさん(35)より 10/15

10代のとき、いじめのようなものにあっていました。
直接に何か言われたりするようなものではなく、持ち物が隠されるとか、そういうものです。

特に体育などの教室移動のときが多かったです。
隠された制服が焼却炉に火をつける直前に見つけられ、灰だらけで返されたりしました。

そんなあるときのことです。
やはり体育の時間中に、体育館へ入るまで着ていたジャージを授業のために脱いだだけなのに、授業が終わったときにはも
う、どこにもありませんでした。
体育館には女子しかいなかったので、おそらくは女子の誰かも加わっていたのでしょう。

そして教室へ帰ると、制服までもが盗まれていました。
その後のいくつかの授業はブルマーのまま受けるしかなく、放課後に学校を探してみても見つかりませんでしたので、あき
らめて暗くなるのを待って下校しました。
親にどんな言い訳をしたものか考えていたせいか、ブルマーのままでも恥ずかしさを感じる余裕もなかったのだろうと思い
ます。

学校を出るときは少ししか降っていなかった雨が途中で本降りになってしまいました。
今のように携帯電話を持たせてもらう事もなかった当時、親に連絡するには公衆電話を使うぐらいしか手段がなかったた
め、迎えに来てもらうこともできませんでした。
かなり距離はあったものの、道路脇のバス停の屋根の下で雨が弱まるのを待っていました。

情けない気持ちでいる上、夕方になって半袖とブルマーでは寒くなってしまいました。
震えてはいなかったと思いますが、早く雨が止んで欲しいと思っていたとき、車が停まりました。
車の人の顔には見覚えはなくても、私の苗字を言って送ってくれると言ってくれました。
冷静に考えたら、苗字は胸に書いてあります。
その人はそれを読めばよかったのに、私は以前にその人と会ったことがないか、必死で思い出そうとしても心当たりはあり
ませんでした。
でも、その寒さから逃れたい気持ちの方が大きかったのでしょう。
私はその人の厚意に甘えさせてもらうことにしました。

車の中の暖かさは、身体がほぐれて行くようでした。
途中の道路沿いにあった、今で言うコンビニの代わりのようなお店の駐車場で暖かい飲物を買ってもらい、しばらく話をし
ました。
人見知りの私が初対面の人とあんなに話せたのは、その人の話術に知らず知らず巻かれていたからかもしれません。
それでもとても楽しい時間を過ごせたのは本当でした。
そして私も、もう少しこんな暖かい時間を過ごしたいとでも思っていたのかもしれません。
会話の途中でも何度か誘われていたのですが、私ももう少しお話をしていたいです、そう答えました。
車は家の方ではなく、そこから山の方に向かって走り出しました。

すっかり暗くなって車を降りたのは、山の上から下のダムを見下ろす駐車場でした。
家族で何度か来たことはあっても昼間で、夜景とも言えないような真っ暗な景色を見たのは初めてでした。
そこの道路そのものが観光用でしたので、平日のそんな時間に来る人もいません。
たくさん愛されて、可愛がってもらって、私はすべての行為を経験しました。
その日から、印象に残る経験を何度か重ねることになりました。

その後もしばらくは、学校で同じような出来事が続きました。
やっている方は何も変わっていない私だと思っていたでしょう。
私の方はといえば、経緯はどうあれSEXを経験したことで少しだけ強くなれた気がします。
周囲の同級生たちの知らない所で経験している私を、何も知らずにいることに優越感を感じていたからです。
その後、学校でブルマーになるたびにそんなことを意識していました。
そして、そんな真意が伝わったからとは思いませんが、いつの間にか学校でのそんな出来事が少しずつ私から遠のいて行き
ました。

当時、同級生がこれを知ったら、どんな顔をしたでしょうか?
知りたいような、知りたくないような想いを、久々に思い出しました。

 陰湿ないじめ行為を受けておられ当時は大変辛かったことでしょうね。
そんな貴女の心の隙間に入ってきた男性とは、今であれば犯罪となりかねない状況でしたね。
きっかけは色々あるけれど、性を経験したことで少し強くなれたのですね。
今になって、その当時の同級生のことやその男性とのことが思い出されるのでしょうか。


みさみささん(34)より 10/1

 私が中1でブルマを意識するようになった時のことです。

 小学校でも体操服はブルマでしたが、小学校ではジャージもなく、女の子はみんなブルマで体育の授業を受けている
ので、特には意識しませんでした。

 中学校に入ると、6月から9月までは体育でジャージの着用は認められておりませんが、それ以外ではジャージの着
用が認められていました。そのようなルールでしたので、中学に入学してからは体育の授業はジャージで受けていました。
5月になって体育の授業を受けるには少し暑い日もあったのですが、女の子は、上はジャージを脱いでも下は
ジャージをはいていましたので、私も同じようにジャージをはいて授業を受けていました。

 6月になると、半袖体操服とブルマで授業を受けることになりますが、女の子は久しぶりにブルマで授業を受けるの
を恥ずかしがっているようでした。それに影響を受けてですが、私もブルマで授業を受けるのが恥ずかしいように思い
ました。

 10月になると、体育の授業ではもちろん女の子は、上はジャージを着ていなくても、下はジャージをはいて授業を受
けるようになりました。ところが、ある日、ジャージを忘れた女の子がいて、ブルマで体育の授業を受けていて、恥ず
かしそうにしていました。体育は男女別ですが、移動時には男の子に見られますので、最初はかわいそうと思ってい
たのですが、みんなに注目されるので、私も真似をしたく思いました。

 次の授業で真似をしようと思ったのですが、念のためにジャージを持って行っていたので、結局、ジャージをはいて
授業を受けてしまいました。何回か繰り返した後、今度こそと思ってジャージを持って行かずに行きました。体育の授
業までにかなりドキドキしていました。着替えの時点で、私だけブルマ姿になるので、他の女の子に注目されるし、運
動場前の移動では男の子にも見られるので、かなり恥ずかしかったです。もちろん、授業でもかなり恥ずかしかったです。
毎回ジャージを忘れると怪しまれるので、何回かジャージで体育の授業を受けた後、またブルマで体育の授業を受けました。

 何回か経験すると、もう少し刺激が欲しくなり、ブルマからハミパンをさせてみました。ジャージをはいていてハミ
パンを気にしなくていいからか、ハミパンを見ると、女の子達はいつも以上に、大声でハミパンをからかってきました。
一人だけブルマで、しかもハミパンしたまま体育の授業を受けているのを思い出して、その夜は興奮して眠りにくかったです。

 羞恥を楽しみたいと、あえてジャージを持って行かなかったとは、確信犯ですね。
その頃から見られたい欲求が強かったのでしょうか。その頃の興奮が性的な興味に変わっていったのでしょうか。


友香さん(36)より 8/26

 中2までは体操服がブルマーでしたが、中3に上がる時にハーフパンツに変更になりました。中3以降の体育はハー
フパンツで受けることになるので、体育のある日は制服のスカートの下にハーフパンツをはいていき、体育のない日は
スカートの下にはブルマーをはいていっていました。6月の中旬以降は体育で水泳の授業が始まるのですが、水泳の授
業がある日は、スカートの下にハーフパンツではなくブルマーをはいていましたので、6月中旬以降は、ブルマーをは
く機会が増えました。

 7月中旬の終業式前の大掃除の日のことです。私たちのクラスの3分の2は、プールを掃除することになりました。
残りの3分の1は教室を掃除することになっていました。私は、プールの掃除を担当するので、体操服を持っていく必
要がありました。しばらくスカートの下にブルマーをはいている日が続いていたので、体操服がブルマーだと勘違いし
て、スカートの下にブルマーをはいてハーフパンツを持って行かずに登校してしまいました。

 登校後、朝のホームルームを終えると、すぐに大掃除を行うことになります。教室を掃除する人がいるので、プール
の掃除をする人は、プールの更衣室で更衣をして、大掃除をすることになりますので、私たちはプールの更衣室に行き
ました。プールの更衣室で他の人がハーフパンツを着ているのを見て、体操服がハーフパンツに変更されていることを思
思い出しました。とはいっても仕方ないので、私は上を半袖体操服に着替えて、スカートを脱いでブルマー姿になりま
した。周りは女子だけですが、久しぶりにブルマーを見て、大爆笑が起きました。1人の女子が「友香、ハミパンして
る」と言いましたので、私は慌ててハミパンを直そうとしたのですが、その女子は「嘘だよ」と言うと、更に大爆笑が起
起きました。

 更衣を終えて、私たちはプールサイドに向かいました。男子もいるので、更に恥ずかしくなりました。大掃除の際に
は、自意識過剰かもしれませんが、男子の視線を感じました。大掃除をしていた時に、気が緩んでしまい、本当にハミ
パンしてしまい、それに気が付いた女子が「友香、ハミパンしているよ」といって、はみ出たパンツを引っ張りまし
た。近くには男子もいて、おそらくこの様子を見られていたので、最高に恥ずかしくなりました。
 以後は、体育がない日もハーフパンツをスカートの下にはくようになりましたので、これがブルマーをはいた最後の日
日の記憶です。

 ブルマの時代は、それだけハミパンが多かったということなのでしょうね。
女子生徒が履いていたパンツも、布地の面積の大きいものばかりだったのでしょうね。


慶子さん(46)より 8/26

慶子です。今回は高校時代にダンスを撮られちゃった思い出話です。
3年の体育祭で創作ダンスを踊りました。クラスの中心グループの一人だったこともあり、最前列で模範演技をする役回りでした。
本番を迎え、グラウンド後方から、最前列やや右寄りの定位置まで行進しました。緊張を笑顔で払いのけます。
ゆったりした入場曲が終わり、ポップなディスコサウンドが始まろうとする寸前です。
あら?

目の前のテントの椅子に座る、ハンサムなお兄さんに気づきました。お兄さんは三脚を立てたビデオカメラを真正面の私に向けていました。

私は特に気にせず、笑顔でキビキビと踊り出しました。

腿上げ、四肢伸ばし、お尻くねりなど、エッチなポーズが多いです。四つん這いもありました。

お兄さんはビデオカメラをまったく動かさず、時々ファインダーをのぞきこんではニンマリしていました。不思議といやらしさは感じませんでした。
さぞ、むちむちした、なまめかしい娘のぷりんぷりんと踊る姿が画面に映り、記録されていたことでしょう。

一つだけさすがの私も羞恥を感じるポーズがありました。股をしっかり開き両膝を曲げ、お尻を地面近くまで下ろす、ガニ股、今で言うM字開脚をするのです。
しかも断続的に4回しなければなりません。
1回目、ためらいなくあられもなくガバッ!と大股開きをした瞬間です。
バシャッ!バシャッ!
え!?

目の前のお兄さんがでカメラを向けていました。

しばらくして2回目の大股開きをした瞬間も
バシャ!バシャ!

いやん!

お兄さんはビデオですべて記録した上に、ガニ股ポーズは写真まで撮るのです。

3回目!ガニ股パカッ!
バシャ!バシャ!

やん、たまんない!
最後4回目の時は、少し前から私にカメラを向け、早く股を開け!と待ち構えているようでした。

4回目!パッ!少し抑え気味に開脚しました。バシャ!バシャ!

いや、もう許して!
むちむちした乙女が、裸足でブルマで思い切りガニ股開脚し、知らないたくさんの方に見られ放題撮られ放題でした。

このポーズは夫も大好きで、今でもやらされます。お兄さんに思う存分、視姦されちゃいました。

お兄さん、おかげて
私はどMに成長しました。お兄さん、ハンサムは得ですね。

おばさんになった今でも、お兄さんが大切にお役にたてて下さっているなら、とっても嬉しいです。

 今でも刺激的なポーズでご主人を楽しませておられるのですね。学生の頃の大切な思い出ですね。
その時のお兄さんは、きっと、今も大切に写真を保管されていることでしょうね。


綾乃のママさん(51)より 8/15

 娘の小6の運動会の時のことです。運動会の種目に親子2人3脚があり、それに参加することになりました。運動会
前の日曜日には、夫と娘を連れて公園に行き、娘と2人3脚の練習をして、運動会に向けて練習もしていました。

 娘を19で出産しているので母親の中では若い方ですが、若作り&童顔で若く見られていました。ということもあ
り、娘と同じ格好で走ってみることにしようと思い、体操服を購入しようと思い、近所のスーパーの体操服売り場に行きました
きました。最初は、下はジャージをはくので、半袖体操服だけを買う予定だったのですが、ブルマーが売られているの
を見て、ブルマーも買ってしまいました。ついでに赤白帽まで買ってしまいました。

 家に帰って試着してみました。高校卒業以来のブルマーでしたが、問題なくはけましたので、運動会ではブルマーを
はくことにしました。その夜、夫と娘にそのことを話しましたが、2人とも関心がないようで、「ふーん」という感じ
でした。

 運動会当日ですが、私は予定通り、半袖体操服とブルマーの上にジャージをきて、運動会に行きました。2人3脚に参加
参加するメンバーの招集がかかった時に、ジャージを脱いで、半袖体操服とブルマー姿になって、赤白帽をかぶって、
招集場所に行きました。招集場所に娘と会い、脚にひもを結んで2人3脚が始まるまで待機しました。2人3脚は6組で
で走りましたが、トップでした。

 その日の夜ですが、娘に、2人3脚の後に、クラスの子に話題にされて恥ずかしかったと言われました。2人3脚の時
時には、ブルマーからハミパンしていた娘でしたが、そういう年頃になったのかと思いました。
ということもあり、ブルマーで外出することはできなくなりましたので、半袖体操服とブルマーは家の中で夜に着るこ
とにしました。家の中で着る際には、夫受けはよかったです。

 思い付きとはいえ、同じブルマ姿で走るって発想は、結構大胆だったかもしれませんね。
お子さんにとっては、恥ずかしかったのでしょうが、きっと目立っていたことでしょうね。


ゆかりんさん(48)より 8/5

ブルマでまた思い出した事があります。大学に入学し独り暮らしを始めました。
当時は生徒数が多く学部や学年で郊外の方の校舎に行かされたりしました。
自分もそうで独り暮らしを始めるわけですが大学生活にも慣れて夏を迎える頃でした。

衣替えだから家に帰り夏用の服を取りに行きました。
母も手伝いをしてくれていて、その時高校時代の体操服とブルマが出てきました。
その時母が「家のなかでブルマと体操服着たら?」と、言うのです。

確かに2年になれば校舎が都会になるから実家に戻るし、と思いました。
夏が終わったら捨てればいいか、と思い部屋着として持っていく事にしました。

家に戻りブルマと体操服を着たら意外にも使い勝手がよく重宝してました。
ブルマの食い込みなどの感触も懐かしく感じていました。
ある日いつものようにブルマと体操服を着ていたら先輩がいきなり来てしまったんです。
部屋着で誰にも見せるつもりはなかったのにバレてしまい恥ずかしかったです。

人に見せるためでもない普段着としてのブルマは使い勝手が良いのでしょうね。
先輩もブルマ姿を見て、自分も着てみたくなったのではないでしょうか。


茜さん(37)より 8/3

初めて投稿します。私の中学時代の思い出です。
私は3年生のとき転校しました。春休みに新しい学校の説明を聞くために、母と学校に行きました。
学校に行くので前の中学校の制服を着ていきました。
説明は教務主任と学年主任の先生がしてくれました。いろいろ説明してくれたあと、制服の話になりました。
幸いセーラー服で色も同じだったので、前の学校のでもいいということになりました。

その後、体操服の話になり「体操服は指定のものを購入して頂きます。
でも、ブルマーは紺色であれば前の学校のものを使用していただいてもいいですよ」と言われました。
「前の学校は紺色の短パンだったんですけど」と私が言うと、「そうですか。ならブルマーも指定のものがありますの
で購入してください。」と言われました。

「体操服やブルマーは購入しないとダメですか?」と母が聞き直すと、「体操服、ブルマーは必ず購入してください。
一人だけ短パンだと体育祭などで統一感が出なくなってしまうでしょ。でも、ジャージはどちらでもいいですよ。
体育では使いませんので」と、さも当たり前でしょと言わんばかりの顔で言われました。

当時は先生の権力も強かったし、個性をあまり好まない雰囲気もあったので言われたら、従うしかありません。
注文表を記入し、始業式に購買で受けとることになりました。それでも、制服を買い替える必要はなかったので、母はホッとしていました。
転校初日に体操服とブルマーを購買で購入し家で着てみました。小学生以来のブルマーでした。

感想はブルマーってこんなにピッタリしてたっけという感じでした。小学生のときはもっとダボッとした感じだったような…。
多分、体も成長したからだと思いますが、2年間のブランクは大きかったです。
体育の授業で早速ブルマーを履くことになりましたが、さすがに抵抗があって体操服を出して少しでも隠そうとしていると、
体操服入れないと先生に怒られるよと言われました。

「みんな恥ずかしくない?」と聞くと、「一年中履いてるからねぇ。冬でもジャージ禁止だから、みんななれてるよ」と笑いながら言っていました。
私は短パンだったから久しぶりのブルマーは恥ずかしいと言うと、直に慣れるよと言いました。
最初はハミパンも少ししました。友達から「茜、白線!」と言われました。(ハミパンのことを白線と言っていました。)

それ以来、立ち上がるたびにお尻のラインに指を入れてブルマー直しをするように気を付けるようになりました。
言われた通り、毎日履いていると慣れて嫌ではなくなりました。それどころか、ブルマーになることで、身だしなみにも気を使うようになり、
短パンの時にはなかった男子に見られている感覚があり、いい緊張感が生まれて私ってブルマー好きなのかなと思うようになりました。

月日も進んで受験の志望校を決める頃になると、私は自分の学力に合う学校から制服が可愛いところはもちろん候補になりますが、
すっかり男子にブルマー姿を見られることが好きになっていた私は体操服もチェックしました。
候補の3つの高校を見学して、一校はすでにハーフパンツに変わっていました。
残りの二校の内ひとつは見慣れた紺色のブルマーで体操服で隠すように履いていました。
もうひとつはエンジ色でサイドにラインが入ったハイレグっぽいブルマーを履いていました。
そのエンジ色ブルマーの女子高生たちは、先生も厳しいのでしょうが、着こなしも良く、スタイルも大人の体でとてもカッコ良く見えました。

私はその体操服に一目惚れし、このブルマーを履いてみたいと思いました。両親にこの高校に行きたいと早速言いました。
ブルマーが理由とはさすがに言えませんでしたが(笑)。
でも、その高校は他の二校よりレベルが上だったので、母は大丈夫?と心配していましたが、猛勉強して念願の高校に合格しました。
両親や先生は、凄いな!と誉めてくれましたし、わたしも念願のエンジ色ブルマーを履けることでとても入学が待ち遠しくなりました。

郷に入れば郷に従えって感じで、環境の変化って凄いですね、そこまでブルマ好きになるとは。
ブルマで進学先を決めた方は、そんなには居ないかもしれませんね。


MISYA(34)より 7/25

 高1の夏の通学時のことです。高校の通学は最寄り駅まで自転車で行って、そこからは電車で通学していました。

 いつものように駅まで自転車で駅まで行こうとした時のことです。この日は、晴れてはいましたが、道路の一部がまだ濡れ
ていて少し滑りやすい状態だったと思います。交差点を横断したところ、滑って転んでしまいました。結構、派手に転んでし
まったので、制服のスカートが完全にめくれてパンツ丸見えの状態になっていたようでした。

 ちょうど、後ろを歩いていた30歳くらいの男性が、びっくりして私の方に近寄ってきました。男性は私の所にくると、
めくれていたスカートを直してくれて、それから大丈夫ですかといって、体や自転車を起こしてくれました。
私はその人にお礼を言ったと思いますが、あまりの恥ずかしさであまり覚えてはいません。

 小学4年生くらいから中学を卒業し、高校に入学して1か月くらいはスカートの下にブルマーをはいていたので、パンツ丸
見えになることはありませんでしたので、恥ずかしいと思いました。何となくブルマーをはいていないと不安になったので、
その次の日から1年近くはスカートの下にブルマーをはくようになりましたが、高2の夏くらいには制服の下のブルマーをは
かなくても平気になりました。

 そんなハプニングの時は見えたとしても、仕方ないことですね。
その男性はきっと、早くパンツ丸見え状態を隠してあげなくてはと、思ったことでしょうね。


慶子さん(46)より 7/2

慶子です。夫の前で踊った話をします。
子供たちの寝静まった土曜日の深夜、寝室で夫からブルマになれと命令され、そして練習の成果を見せろ。と言われました。

内心嬉しくてたまりませんでした。はい。わかりました。と素直に返答し、夫好みの清潔な半袖体操服と紺のブルマになりました。
おばさんの巨乳巨尻にはキツキツです。
イスに座る夫の前に正座しカーペットに三つ指をつきます。いつもの通り始まりのご挨拶をしようとした時です。
あ。そうだ。待って。と言って夫は立ち上がりました。

あぁ。やっぱり。
目の前にビデオカメラが置かれました。
え?ちょっと、あなた、と戸惑いましたが、すでに撮られはじめています。

ご挨拶の最後に、今夜はお口の前に、セクシーダンスをご披露します。慶子の恥ずかしい姿をお楽しみ下さい。
と三つ指ついて口上させられました。

ヒュー!自分でディスコサウンドを口ずさみながら踊りました。
恥ずかしさを乗り越えて、ひたすら愛する夫を喜ばせるために笑顔で開脚したり。お尻を振ったり。胸を揺らしたり。

慶子が一番かわいいな。慶子デカイいいケツしてる。慶子ケツに食い込んでる。
男子学生気分になった夫は聞こえよがしに言い、私のM心をくすぐります。
そしてやっと終わったと思った瞬間、

やり直し。
えー!いやんっ!
その後も数回やり直しを命令されました。

4回めが終わった後、
ほら。デザートだ。とイスに座りながら、股を広げました。

やっとしゃぶれる!正座して大好きな夫の男らしさに、顔を埋めました。
おばさんになっても夫はますます私をかわいがってくれます。
こんな私でこんなに大きくなってくれるのです。

夫は私の頭をなでながら、慶子のダンス、エロくてかわいかったよ。と褒めて下さいました。
幹に這わせている舌にますます力がこもりました。

もう夜も明けちゃいます。子どもたちの朝ごはんどうしましょ。

母である前に、女ですものね。
昔の貴女を知っているご主人にとっても、とても楽しい時を過ごせたことでしょうね。
時々、こんな楽しみを一緒に出来ていいですね。


慶子さん(45)より 6/17

慶子です。今や4人の子持ちの主婦です。
学生時代は安産型のお尻をしたむちむち娘でした。夫はお前の体もいいけど顔が一番好き。と言ってくれます。
若い頃は河合奈保子さんに似てるとよく言われました。

夫は今でも体操服になれと命令する時があります。おばさんになってもブルマを履かされるのは、スゴく恥ずかしいですが、内心嬉しいです。
ブルマになると学生時代の感覚がよみがえり、乙女チックな気分になります。

Sの夫は私のM性を上手に引き出し、かわいがってくれます。

ママのブルマ姿子供たちに見せたいな。
長女よりも若く見えるよ。

恥ずかしがってごめんなさい。これからは素直にブルマになります。って言わされたりします。

学生時代にダンスを盗撮された話を打ち明けたことがあります。

夫はお前のルックスと体で、ブルマ履いてスケベ踊りしたら、それは撮られるは。とあっけらかんと言われました。

そして、俺も見たいから踊れ。と言ったのです。

どMの私にとって、一番恥ずかしいけれど、一番望んでいたことを命じてくれたのです。
私の心をすぐ見てとった夫は、慶子は俺に見られたいって顔に書いてあるよ。と言われました。

その時は忘れてます。と言って何とか乗り切りました。しかし近いうちに見るから、昼間よく練習しとけ。と命じられました。

五十近いおばさんが、学生時代の体操服姿にされて、ダンスを踊らされるのです。ひょっとしたらあの時のように、ビデオや写真に撮られちゃうかも知れません。

考えると、恥ずかしさと嬉しさで、胸がドキドキします。

照れ隠しに、いつもの通りブルマ姿できちんと正座しました。背筋を伸ばしました。そして夫をうならせるほど、念入りに心をこめて、男らしさをお口で激しく愛しました。

幸せな日々を過ごされていますね。今もおのろけって、素敵ですね。
慶子さんのような関係を求めている方もいることでしょうね。


ひなみさん(34)より 6/10

こんばんわ。

中学の頃、ともすれば埋もれがちだった私でも目に留めてくれた男性との出会いをくれたのが、皮肉にも学校の体育祭でし
た。
放課後に会っていて求められてしまい、どう対応して良いか分からないながらも相手の方は強引に奪うことはせず誠実に対
応してくれました。
その後長い時間を二人で話をした末に私はその男性に手を引かれ、赤のブルマー、同じく赤の縁取りのシャツという別に珍
しくもなかったはずの体育着で男性の家に向かいました。

そのときの記憶はもうほとんど残ってはいませんが、すべてが終わりブルマーを着せてもらったとき、ようやく肩の力が抜
けたようにホッとした、そんなちょっとピントがずれたみたいなことが印象に残っています。

その後に相手の男性から何度か連絡はあったものの受験を理由に会うことはせず、卒業するまでの間を何事もなかったかの
ように過ごしました。
ただ、体育の授業などでブルマーになり、ふと体育祭のことを思い出してしまったようなときには、恥ずかしくもあり誇ら
しいような気持ちになりました。

今では学校も立ち入りが厳しくされているようですので、こんな事はもうないのでしょう。
色々な面で今よりも世の中が緩かったですし、そして何よりもブルマーでそんな時を過ごしたことは、むしろ当時らしい思
い出のように感じられてしまうのは今だからなのでしょうか?
同世代の方の中にも、似たような経験をされた方もいたのかもしれないな、なんて思ってしまいました。

だいぶ昔のことですみません。

そうですね。今ならば中学生とは許されないことですよね。
自分を女性として見てくれたことが嬉しくもあったのでしょうね。
大人の世界への憧れや好奇心もあったでしょうし、今となれば貴女にとっては良い思い出なのですね。


慶子さん(45)より 6/9

はじめてまして慶子です。
もう30年近く前になりますが、高校は女子高で体育は紺のブルマでした。

高3の体育祭の時、最前列で創作ダンスを踊りました。
お尻を振ったり、開脚したり、四つん這いになったり、腿を上げたり、結構エッチなダンスでした。

最前列で真剣に踊る私を、目の前のテントの中から、ずっと私にビデオのレンズを向けていた、
イケメンのお兄さん。嬉しそうに最初から最後まで撮ってましたね。あのムービーは今どうしてますか。

イケメンだったので許しました。大切に役立てて下さい。

自分好みの子のエッチなダンスとなれば、そのビデオは毎晩役にたったことでしょうね。
今も昔を思い出し、たまに懐かしく見てるかもしれませんね。
ご自身でも若かった頃の自分の姿を見てみたいのかな。


ゆうりさん(28)より 5/17

 私が中1の時の体育祭が終わった後の話です。
行事がある時には、業者の人が写真を撮りにきて、写真は後日、廊下に貼り
出されて、各自その中から必要な写真を購入することができることになっていました。

 写真が貼り出されているということなので、私は友人2人と3人で昼休みに写真が
貼られている廊下に行って写真を見ていました。
私が最も大きく写っている写真は、棒引きをしている写真でしたが、ブルマーからハミパンしていました。
その写真を見つけた友人の1人が、私に、この写真、男子に売れそうだよね、と言ってきました。
友人2人はこの写真を注文するようでしたので、私もこの写真を注文しました。

 この写真が本当に売れたのかわかりませんが、その日だけでなく、後日も恥ずかしい思いをする可能性が
あるので、それ以降は、行事の際にはハミパンしないように細心の注意を払うようになりました。

 貴女に好意を持ってた男子なら、きっと欲しくて買ったかもしれませんね。
なかなか手に入らない貴重な写真ですものね。今もその写真をご自身で大切に持たれているのでしょうか。


RIKAさん(30)より 4/15

小6の夏に、各小学校の代表が集まる陸上大会に出ました。トラック内で、私が出ない種目がされているので、
観客席で観戦している時のことです。近くにいた半袖体操服とブルマーで参加していた他の学校の女の子がふ
と目に入りました。その子の傍にいた母親か先生と思われる女性がその子の腰にバスタオルを巻いて、その女
性が、バスタオルの中のブルマーを脱がし、その後でパンツも脱がしました。

女の子は、バスタオルの下には、何もつけていない状態になりました。その後、その女性は女の子にバスタオ
ルを巻いたままパンツをはかせたところで、バスタオルを外しましたので、その女の子のパンツは丸見えにな
りました。その女の子は特に恥ずかしがることはなく、その後、ブルマーをはきました。席が埋まるくらい競
技に出る人や観客がいたので、私以外にも気が付いていた人はいると思います。

そもそもなんで着替える必要があるのかもよくわかりませんが、一歩間違えば、パンツだけでなく、いろいろ
見えてしまう可能性があったわけですので、更衣室やトイレで着替えればいいのに、ここで着替えるなんてす
ごいと思いました。その子は、顔が幼いだけでなく、キャラクターもののパンツをはいているくらいでしたの
で、小6とはいえ、まだあまり他の人の視線を気にしていなかったのかもしれません。

 性的にはまだ幼い女の子だったのかもしれませんね。
お母さんもあまり周りを気にしない方だったのでしょうか。


ひろみさん(40)より 4/8

ひろみです。中学の美術部のモデルをした日の続きです。

結局その日は10通りほどの姿勢でモデルをつとめました。ひとつひとつの時間はそれほど長いものではありませんでしたが、中に
は腕を上げたままの姿勢を保たなければならないものがあり、そのときは正直しんどいものでした。途中どうしても腕がぷるぷると
震えたりしましたが、先生もそのときばかりはキツく注意することもなく、「ひろみさん、がんばって!」とはげましてくれたりし
ました。美術部の子たちもはじめは私のブルマー姿に興味津々な感じでざわざわしていましたが、だんだんと慣れてきたらしく、と
くにこれといった出来事もなく時間が過ぎていったと思います。途中からは部員のみんなの希望するポーズをとりましたが、中学生
の子たちだけあって、大人か考えるようないやらしいものはなく、ごく自然な姿勢でのデッサンに終始しました。そんなこんなで無
事にモデルの役目も終わり、最後にみんなが描いた私の絵を見せてもらうことになりました。中学生といっても美術部員の作品で
す。ふざけて描いたようなものは一切なく、どの子のどの作品もみなとても上手なものでした。自分の姿を絵にしてもらったことは
初めてだったこともあり、なんだか照れくさいような恥ずかしいような、不思議な気持ちになりました。とくに体操服とは言え、身
体にぴったりなものを着たことで身体のラインがハッキリ出た私の姿は、まるで別人のように美しく描かれていました。

『うそ、これ、私なの?』
『私のブルマー姿って、こんなふうに見られてるんだ・・・。』
そう思うと顔がカーッと熱くなるくらいに恥ずかしくなりました。とくにお尻なんかは少し表現がおかしいですが、妙に生々しいも
のがありました。描いた生徒それぞれに違いはありましたが、ブルマーから出たお尻のふくらみや、お尻と太ももとの境の線、ブル
マーのゴムがお尻に描いたカーブに、前から見た太ももの付け根あたりのツヤ、体育座りをした姿勢での作品では、けっして自分で
は見ることができない太ももの裏側の肌感まで細かく丁寧に描かれてあり、全てが感激するくらいに素晴らしいものでした。私は初
めは照れくさかったのですが、だんだんと涙が出るくらいに感動してしまって、自然にみんなに「ありがとう、本当にありがとう
ね。』と、何度もお礼を言っていたと思います。美術部の子たちも口々に「私達の方こそ今日はありがとうございました」と言って
くれて本当にモデルを引き受けて良かったと思いました。その後、しばらくは後片付けなどの様子をぼんやりと眺めていました。き
ゃっきゃとおしゃべりをしている子、黙々と作業を進める子など、ただぼんやりと眺めていました。私はまだ半袖ブルマでしたが、
そのことを忘れるくらいにただただ余韻に浸っていたと思います。『なんか、青春っていいなー』とか考えていたんじゃないかな、
って。

そしてその日の美術部の活動が終わり、先生が
「では今日はこれで終わります。ひろみさん、今日はありがとうね。」
とおっしゃったので、私も、
「私も今日はありがとうございました。正直、初めは恥ずかしかったですが、私の想像していた以上にみなさんが熱心に取り組んで
いましたし、またとても上手に描いてくれたので本当に嬉しく思います。」
と挨拶しました。すると部長らしき子が
「ありがとうございました。もし宜しければまた私達のお願いをきいていただけますか?」
と言いました。私はびっくりしたのと同時に嬉しくなって、
「あ、はい!私でよければ喜んで!」
と言いました。先生も、
「ごめんね、ひろみさん。みんなすっかりひろみさんが気にいったみたいね」
と言ってくれて、私はまた嬉しくなりました。

そしてみんなが美術室から出て行ったあと、私は先生と私に体操服を貸してくれた子と隣の準備室へ入りました。私が着替えようと
したとき、先生が「ちょっと用務員さんに暖かい飲み物入れてもらってくるわね」と言って出ていかれました。『あ、別にそこまで
してもらわなくてもいいんだけどな・・・』なんて考えながらシャツを脱ごうとしたとき、ふとその女の子と目が合ってしまいまし
た。デッサンのときの彼女はすぐに視線を逸らしてしましたが、今度はなぜかじっと私の顔を見ていました。私はなんだか急に恥ず
かしくなって、
「あ、ああ、先生どっかいっちゃったね・・・・。」
とかよくわからないことを言ったように思います。そして、
「あ、今日はシャツを貸してくれて、ありがとうね・・・。」
と言って私はシャツを脱ごうとしました。女の子とは言え、中学生にまじまじと見つめられながら服を脱ぐのはやはり恥ずかしいも
ので、私は、
「あ、あんまり見られると、なんだか恥ずかしいから・・・。」
と言いました。彼女は、「あ・・・」と言って少し下を向いたくらいで、再び私の顔を見てきました。そして、
「あ、あの・・・。」
と、何か言いたげだったので、私は、
「うん?なあに?」
と言うと、彼女は、
「あの、お、お姉さんは、ブルマ、恥ずかしく、ないのですか?」
と言いました。私は思いもしない彼女の言葉に少しおどろきましたが、すぐに、
「うーん、恥ずかしくないといったらウソになっちゃうかもしれないけど、高校の体操服だからね、着なくちゃいけないと言うか、
さ・・・。」と言いました。すると、
「わ、わたし、お姉さんがいつもブルマで体育してるって聞きました。冬は冬服を着てもいいのに、ずっとブルマで体育してるっ
て・・・。」

私はなんて答えたらいいのか迷いました。だって相手は中学生ですから。『ブルマーを穿くと快感』だとか『みんなに見られたい』
とか言えるはずもなく、また言ったところで理解してもらえる気もしなかったです。私は、
「し、正直、今の季節、ブルマーは寒いけど、私ね、ブルマーってかっこいいと思うんだ。私ね、バレーボールが好きなのね。とく
に◯◯選手(実際の有名バレーボール選手で、ひとりだけブルマーをハイレグ仕様にしていた選手です)が好きなの。ほら、◯◯選
手のユニフォーム姿ってかっこいいと思わない?たしかに最初は私もブルマは恥ずかしかったけど、どうせなら◯◯選手みたいにか
っこよく着られたらな、って思って開き直ったらさ、なんだか好きになったって言うか、かっこいいかな、って思えるようになった
でて言うか・・・。」
みたいな感じのことを言いました。彼女は、
「ふーん、そうなんですか。」
とだけ言って突然、
「あ、あの、ブルマー、触っても、い、いいですか?」
と言いました。私は、
「えっ!?」
と、まったく予想していなかった展開に私は驚きを隠せませんでした。私は、
「そ、そんな、私のブルマなんか触ったって、な、何にもとくにもならないよ・・・。」
と言うと、
「そ、そんなこと、ないです!わたし、お姉さんのブルマー姿、すごく可愛いと思います!」
と、またも予想していなかった答えが返ってきました。私は、
「あ、ありがとう・・・。で、でも、でもね・・・。」
「た、ダメですか?わたし、お姉さんのブルマー姿、ずっと可愛いと思ってました!ずっと触ってみたいなって思ってました!」
「い。いや、あ、あの・・・。」

中学生でも女の子は、とくにこういうことに敏感な女の子は心の成長が早いものなのです。私の中学のときもクラスにいました。三
年の夏休み、何人かで遊びに行ったとき、まるで中学生らしからぬ、胸の谷間が露わになったキャミソールに、カラダにぴったりな
ショートパンツ姿だった子がいたのです。みんなで「すごーい!」ってキャーキャー言ってたものでした。その子だけでも「うわ
ー!」なのに、別の子がやたらと彼女の胸やお尻をお触りしていたのです。その姿が中学生の私からもとてもいやらしくら艶かしか
ったのです。私はふとそのことを思い出し、
「ま、まぁ、いいけど、さ・・・。」
と言ってしまいました。
『き、きっと、この子は、カラダは小さいけど、な、中身は、オトナなんだわ・・・。」
と、自分に言い聞かせてうると、彼女の小さな手が私のブルマへと近づいてきました。私は急にドキドキしだしました。やはりなん
だかいけないことをされるような、また、いけないことをさせるような気がして、良心が揺らぎ始めました。
「あ、や、やっぱり・・・。」
と言ったのもつかの間、彼女の手が私のブルマに触れました。
『あっ・・・!』
まるで赤ちゃんのように小さな手が、私のおへそあたりのブルマーをつつつーっとなぞっていきました。
『うひゃっ!』
私は声をだせないまま、小さな手を目で追いかけました。人差し指と中指、そして親指までもが私のブルマーをなぞっていきます。
「わ、わたしのブルマとぜんぜん違う・・・。」
彼女がボソッと呟くように言っては、指をブルマーの上で転がしています。なんだか彼女の息遣いが大きくなっているような気がし
ました。他には何ひとつ音がしませんのでなおさらです。

『ど、どうしよう・・・・。こ、この子、マジかも・・・。』
私が戸惑いを隠せないでいると、彼女は少しずつ私の背後へまわりはじめました。同時に小さな指も前から横へ、そして後ろへと移
動していきます。そしてついに私のブルマーじゃない、露わになっているお尻のほっぺたにまで到達しました。女の子の手の冷たい
感覚がお尻に伝わりました。
『うひゃっ』
一瞬、身体が震えました。しかし小さな手は動きをとめません。彼女は私のブルマーを上へと引っ張り、さらにお尻を剥き出しにさ
せました。
「あ、あのね、あ、あんまりへんなこと、し、しないでね・・・。」
と言って指でブルマーを直すと、彼女は
「や、やっぱり、気に、なります、か?」
と言いました。
「う、うん、そ、そこまで、なると、ね・・・。」
「じゃあ、こ、これくらいだったら・・・?」
と言って今度はさっきより緩めにブルマーを上に引っ張りました。それでもブルマーがお尻に食い込むのがわかりました。私は、
「だ、だから、ね、気持ちわるいから、ね・・・。」
と言ってもう一度ブルマーを直そうとすると、
「やっぱり、可愛い・・・。お姉さんのブルマ、可愛い、です・・・。」

と、私のお尻を撫ではじめました。私はカラダをよじって後ろを見ると、いつのまにか彼女は目の前にちょうど私のお尻が来るよう
に床に膝をついた姿勢になっていました。目はトロンとして、なんだか中学生とは思えないような目をしていました。私は少し怖く
なりましたが、常に私より先に彼女の指がまるで生き物のように私のブルマの上を這いずりまわり、それが私の身体の動きを止めて
しまうのです。まるで魂が宿ったような彼女の指が私のブルマーに潜り込み、お尻の露出を拡大していきます。そしてすでに半分ほ
ど剥き出されたお尻のお肉を指先で弄り続けます。左手でブルマーを持ち上げ、右手でお尻のお肉を摘み、またお尻の膨らみをあら
わすカーブに沿って指を這わせました。私はなす術がないまま、小さな手はやがて私の太ももにまで忍び寄っていきました。お尻の
ほっぺたから太ももの付け根へと冷たい指が滑っていきます。
『やだ、私、どうなってるの・・・。』
『私、半袖ブルマで、中学生におもちゃにされてる・・・。』
『や、やっぱり、こんなこと、ダメ!』
私は努めて冷静さを取り戻そうとしたとき、ドアをノックする音が聞こえ、先生が戻ってきました。私はハッとして後ろを、女の子
はまるで何事もなかったように椅子に腰掛けていました。先生が
「あら、ひろみさん、まだ着替えてなかったの?」
と言いました。

私は、「あ、ああ、ちょっと彼女と話してたら、着替えるのもわすれちゃって・・・、ね?」
と女の子を見ると、彼女も、
「はい、お姉さんに高校のこといろいろ聞いてたんです。とくにお姉さんの高校のブルマがすごいなって!」
と、さっき見た、あのトロンとしましたした目は何処へやらといった顔で答えていました。先生は、
「あ、そうなんだ。ひろみさん大人だからやっぱりセクシーでしょ?なぁんて!」
と言うので私は
「や、やだ!やめてくださいよ!」
と言いました。女の子もあははと笑っていましたが、私はこのときなんだか少し怖いような思いでした。。
『彼女のこと、先生は知ってるのかな・・・?』
私が考えていると、
「お姉さん、私の体操服・・・。」
私はハッとして、
「あ、ああ、そうだったね、ごめんね、す、すぐ着替えるね」
と言ってシャツを脱ぎました。そしてきちんとたたんで彼女に渡すと、
「少しキツかったと思いますけど、今日はありがとうございました。」
と言いました。私も、
「うん、私もありがとうね。」
と言いました。そして彼女は「じゃあ、さようなら。先生、さようなら」と言って先に出ていきました。

私はなんだか嵐が過ぎ去ったような気持ちになって、ふぅっとため息をつきました。それを見て先生は、
「どうしたの?ため息なんかついて、まぁ、今日は疲れたかもね。帰るの少し遅くなっちゃうけど、お茶でも飲んでいく?」
と言って紅茶を淹れてくださいました。私は「はい、いただきます」と言って椅子に腰掛けました。
『それにしても女の子って怖い生き物だな・・・。私もエッチだとは思うけど、さすがに中学の時はもう少しおとなしかったよ
ね・・・・。それとも今の中学生がすごいのかも・・・。』
私はさっきあったことを振り返りながら、先生の淹れてくれた紅茶を飲みました。
『ふぅ、あったかい・・・。』
すっかり落ち着きを取り戻したころ、先生が言いました。
「ところでひろみさん、いつまでそのカッコでいるの?」
「えっ・・・?あっ!」

このとき私は上はブラジャーひとつ、下はブルマー1枚のいでたちでした。女の子にシャツを返したあと、制服を着ることもなく、
そのままの姿でいたのです。私は慌てて制服に着替えました。先生は、
「ひろみさん、いくらブルマーが好きだからと言っても、それはあまりにも大胆過ぎじゃない?」
と笑って言いました。私も恥ずかしくなり、
「や、やだ、先生ったら!」
私はそう言いながらも『今日はホント、いろいろあったな・・・。』と思いました。

モデルになったときのことでした。

 貴女と同じようにブルマを知っている先生と、これからブルマの虜になりそうな彼女。
ブルマに憧れている彼女や先生には、貴女の本心が見透かされている感じですね。


あいりさん(34)より 4/1

 私が小学生のクラブ活動でのことです。小学生の時には、バレー部に入っていました。バレー部では普段の練習は体操服で
行いますが、大会とかでは、学校指定の水色の長袖のシャツに水色のブルマーのユニフォームで参加することになっていまし
た。負担にならないように、ユニフォームは卒業生が寄付してくれた物を使うことになっていました。

 レギュラーは6年生だけでしたが、私は5年生の時に、補欠ですが、大会に参加することになり、指定のユニフォームを着
ることになりました。大会会場に行って、ユニフォームに着替えて、私たちは準備運動を始めました。普段の体育の授業で使
うブルマーと比べて、ブルマーの裾のゴムが緩かったり、少しハイレグ気味だったりだからだと思いますが、すぐにハミパン
してしまいました。他の子を見てみると、他の子も黒のパンツをハミパンさせていましたが、よく見ると、体操服のブルマー
でした。ハミパンしたら恥ずかしいから、体操服のブルマーを下にはいていたのだと思います。その日は、私ともう1人の子
だけがハミパンしていて、他の子は下にはいているブルマーが見えているか、何もはみ出していない状態でした。準備運動、
試合含めて、みんな本気モードに入っているからか、特にハミパンを指摘されることはありませんでしたが、気が付いた時に
はハミパンしていたような気がするので、かなりハミパンを見られたのではないかと思います。

 6年の時にも大会に出ることになりました。同じユニフォームを着ることになるので、下に体操服のブルマーをはこうかと
迷いましたが、この時も、下に体操服のブルマーをはかずに大会に出ることにしました。この年は、他の子は下に体操服のブ
ルマーをはいているか、何もはみ出していない状態で、私だけがハミパンしていました。同学年の子ばかりということもあっ
て、準備運動や試合中でも、ハミパンしていると指摘されるので、少し恥ずかしかったです。

 当時は意外と、多くの人がハミパンしていて、それぞれに恥ずかしい思いをされていたのでしょうね。
ブルマ自体がハミパンしやすく、色の差もあって目立ったのでしょうね。


ひろみさん(40)より 4/1

ひろみです。この前の続きです。

私は美術準備室へ通されたあと、さっそく体操服に着替え始めました。隣の美術室と違って準備室はストーブは無く、冬の始まりの
冷たい空気と、中学生達の前でブルマー姿になることの緊張感で私はぷるぷる震えていました。まずブラウスを脱いで半袖シャツに
着替えました。そしてスカートは穿いたままパンストを脱ぎブルマーを穿きました(普段の教室と違って誰もいないので先にスカー
トを脱いだ方が着替えやすいのですが、いつもの習慣が出たのでしょう)。そしてスカートを脱ぎブルマー姿になりました。先にも
言いましたが、初冬の冷たい空気の中で半袖ブルマー姿になると、どうしても身体が震えます。普段からこの季節でも半袖ブルマな
んですが(それもみんなの中で私ひとりだけ半袖ブルマです)、今日は中学生の前でモデルとしてのブルマー姿です。ずっとこの姿
を見られ続けるのです。

『今日は美術のモデルなんだよね・・・、、清掃活動と違ってみんなにじっくり観察されるんだよね・・・』
私を取り囲むように中学生達が座り、そして私の身体を凝視し、ベンを滑らせていく・・・。剥き出しにされた私の太もも、そして
お尻のほっぺたをスケッチブックに描いていく・・・。私は両手でお尻を包むように撫りながら、これから始まる出来事を想像して
しまいました。試しにその場で二、三度しゃがんでは立ちを繰り返すと、やっぱりお尻がさらに顔を覗かせます。
『うー、やっぱりちょっと恥ずかしいかも・・・。』
そんなふうに私がもたもたしていたからでしょうか、「ひろみさん、もういいかしら?」と突然先生がドアを開けて入ってきました。

「あら!ひろみさん、かわいいー!」
私は返事をするひまもなく、ただ驚きましたが、先生のその言葉ははっきりと聞き取れました。
「あ、いや、そんな・・・、でも、ありがとうございます。」
私が言うと、間髪入れず先生は、
「ふーん、なるほどね。これは、クセになるかもねー。」と続けました。
「えっ?」と私がなると、
「いやね、やっぱりこのブルマーは強烈だもの。普通のブルマーだったらただ『やだな、カッコ悪いな、恥ずかしいな』ってだけだ
けど、これは穿くとちょっと変な気持ちというか、ちょっぴりエッチな気持ちになるんだよね。教師が言うセリフじゃないけどね」
先生はまるで自身が経験したみたいに言いました。すると私の周りをぐるっと移動しながら、さらにこう言ったのです。
「久しぶりに間近でみると、やっぱりすごいよね、このブルマー。私もこんなふうだったのかなー。」
私はまた「えっ?」となり、でもすぐに理解しました。

「まさか、先生・・・?」
「うん、そうよ、私、◯◯高校の卒業生。あなたの先輩ってことになるのかな。」
「えー!そうだったんですかー!」
私はびっくりして思わず大声を出してしまいました。すると「シー!みんな『なんだなんだ?』ってなるじゃない!」と言われ、私
は両手で口を押さえました。
「でも、ホントにびっくり!まさか先生が◯高の卒業生だったなんて!」
「えへっ、でもそんなにびっくりするかしらー?ちなみに◯◯先生(私の担任です)は三年の時の担任でいらっしゃったの。進路相
談のときはお世話になったなぁ。」
「へー、そうなんですかー。うん?あれ?」
私が少し疑問に思ったようなしぐさをすると、
「なぁに?どうしたの?」と言われました。

私は、
「さっきこのブルマーを穿くと『エッチな気持ちになるとか、こんなふうに見られてたのかなとか言ってましたよね?それって・・・。」
「あ、あれね。さっきここに来る前に言ったでしょ。私もませた女の子だったのかなー。」
「じゃあ、ホントに先生も、私とおんなじで・・・。」
「うん。わざとね、お尻をね、出してたの。」
「やだー、先生!」
私は先生が本当に自分とまったく同じ嗜好を持っていたことがとても嬉しくてたまりませんでした。先生は「ちょっといいかし
ら?」と言うや否や、私のブルマーを触ってきました。
「うーん、やっぱり生地が薄い!あの頃と変わってないのね。懐かしいな。」
「やだ、先生ったら。」
「いいな、ハタチを過ぎてもブルマ穿けるんだよね。あ、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ・・・。」
先生が申し訳なさそうにしたので、私は、
「そんな。気になさらないでください。私、慣れっこですから。それに私、本当に嬉しいんですよ!」
と言いました。先生は、
「そう?そう言ってくれると助かるわ。私、教師失格ね。」
「やめてください、先生。ホントに平気ですから!」
「ありがとう。ごめんね。」
「だから!先生!」
「ごめんなさい!」
「もう!先輩!」

私たちはお互い笑い合いました。私たちがなかなか出て行かないものだからか、今度は美術部の部長らしき子が、
「先生!まだですかー?」
とドアをノックしてきました。
「ごめんごめん、もういいわよー!」
私は胸を軽くポンと叩いて「よし!」と気合いを入れました。
「さ、行きましょうか。」
「はい!」
私はみんなが待つ美術室へ入りました。
「わあー!」
半袖ブルマー姿の私に中学生の眼差しが痛いくらいに突き刺さります。
「少し恥ずかしいですけど、みなさん、よろしくお願いします。」
「お願いしまーす!」

美術部の生徒たちと軽く挨拶を交わし、いよいよモデルになる時がきました。準備室と違って美術室はストーブが効いていたいまし
たが寒いのか恥ずかしいのかわからない身体の震えは感じていました。美術室の真ん中くらいに丸椅子が置いてあり、その周りに美
術部員が同じような感覚を開けて座っていました。私は「ちょっと通してね」と、二人の部員の間を通りました。「あっ」とちいさ
な声が聞こえました。私のお尻にも彼女たちの制服の感触が伝わりました。
『いったい、どれくらいお尻、出ちゃってるのかな・・・?あんまり出すぎちゃってるとまずいかも・・・』
私は一瞬、不安になりましたが、
『大丈夫、先生がついてくれてるんだもん』
と言い聞かせました。ちらっと先生を見ましたが先生もデッサンするのか、スケッチブックを用意していたようでこの時は目があっ
たりすることはありませんでした。そして、
「はい、じゃあ、ひろみさん、まずは椅子に腰掛けてください。向きはね、うん、そんな感じで」
さっきの準備室での先生とは違って、いかにも“美術の先生”と言った感じで、私はどことなく新鮮な気持ちになりました。
『やっぱり部員の前では先生も真面目なんだよね』
当たり前ですよね。

さて、ひとつ目のポーズはただ椅子に座っているだけでした。
脚を閉じ、手は膝の上。背筋を伸ばして正面をみる。
普段は意識をしませんが、自分の膝を手のひらで触り続けていると、筋肉や関節のカタチなんかに気がつくものです。
『膝と太ももの境界線って案外はっきりしてるのね』
そんなことを考えながら、ただひたすら時間が流れるのを待っていました。静かな中にペンを走らせる音だけが聞こえます。
『はー、けっこう退屈だな、こりゃ。』
私の正面には小柄な女の子がいました。真剣な表情で私を描き続けていました。綺麗な髪に蛍光灯の光が描き出す天使の輪がツヤツ
ヤしていました。彼女が顔を上げたとき、私と目が合いました。彼女はすぐに視線をそらし、すぐさまスケッチブックに目をやりました。

『はー、かわいいな・・・』。
中学生達は私を観察していますが、私も彼女達を観察しています。いわば同じポジションなわけですが、違うことは中学生が制服姿
なのに、22歳の大人の私が半袖ブルマー姿だということでしょうか。
『わたし、もう22歳なんだよね。なのにただひとり半袖ブルマで、なにやってんだろ・・・』
そんなふうに自虐的に考えると、なぜが身体も震えます。
『さっき先生が言ってたな・・・。ハタチを過ぎてもブルマになれてうらやましいって・・・』
先生は私の後ろからデッサンしていたようで、顔を見ることはできません。
『ブルマ、ブルマ、ブルマー、か・・・。なんかブルマーって響きだけでもいやらしいっていうか、恥ずかしい、よね・・・』
少し俯いて私の太ももを見てみました。
『考えれば、こんなカッコで体育やるんだもん、体育どころか、街へ出るんだもん、みんなに見られてさ・・・』
そんなふうに思っていると、
「ひろみさん、モデルは動いちゃダメ!」
「あ、はい!」
クスッと誰かが笑っていました。
『はぁ、怒られちゃった。でも、私って、やっぱり、エッチなのかな・・・』
するとピピピ、ピピピ、と、目覚まし時計のアラームが鳴りました。
「はい、そこまで。」
先生が言いました。どうやら時間内に描き終えるのも課題だったようです。そして、
「うーん、ひろみさん、ちょっとシャツがゆったり気味なのよね。みんなから見て「どうかなー?身体のラインは強調されてる
ー?」
と言いました。

「私からは大丈夫です!」
「私の場所だと上半身もわかりにくいし、ブルマーも隠れてちゃってます」
「僕は完全に背中しか見えないからわかりません。」
「こらこら、背中だけでも女性と男性は違うでしょ!って、まぁ、真後ろだと影響ないけど、それ以外だと身体のラインがわかりづ
らいわよね。女性を描くには少し物足りないかもね。ブルマはいいんだけどね。」
私は『え、なんなの?どうしたらいいの?』といった気分になりました。当時は体操服のシャツは誰しもみんなゆったり目に着るの
は当たり前でした。ラクだからなのもありますが、みんなブルマが恥ずかしいから、少しでもブルマを隠せるようにというのがほと
んどの子の考えでした。もちろん私もそうでした。お尻のほっぺたが出ちゃうのは大丈夫なんですが、ブルマ全部が見えちゃうのは
なんか恥ずかしかったのです。ただ、私の場合はそれが逆にいやらしく見えてしまうようで、クラスの子にも『お尻丸出し』とか
『下着穿いてないみたい』とか言われていましたが。すると、
「先生、私の体操服を着てもらうのはどうですか?」
と、さっき目が合った小柄の女の子が言いました。
「あ、そうね、それ、いいかもね。」
と言って先生は私を見ると、
「ひろみさん、もうわかってると思うけど、そのシャツ、ちょっと大きくてラインがハッキリしないのよ。ほら、今日は女性を描く
のがテーマなの。まぁ、だからひろみさんに体操服姿でモデルをやってもらってるんだけどね。」
先生はそう話しながらさっきの女の子から半袖シャツをもらうと、私の前に来ました。

「ちょっと立ってみて」
私はその場で立ち上がりました。ブルマがお尻に張り付いているのがわかりました。先生は私の前にそのシャツをあてて、
「うん、やっぱりちょうどいい感じ。少し小さいけど、これくらいが一番適しているわ。」
私は指でブルマのお尻を直しました。指でブルマを引っ張り、はみ出たお尻を少し中に仕舞う、女の子がよくやる、あれです。
『あ、私の後ろは男の子だったっけ。』
とくに何にも聞こえませんでしたが、私は少し恥ずかしくなりました。
「じゃあ、ひろみさん、悪いけどこれに着替えてきてくれない?」
「あ、はい。わかりました。」
と、私はシャツを受け取り、再び準備室へ行きました。自分のシャツを脱ぎ、彼女のシャツをひろげます。女の子特有の香りがしました。
『今日、体育で着たのかな?』
なんて考えながら着てみましたが、やっぱり少し小さかったのです。
「うわー、大丈夫かなー、伸びたりしないかなー。」
私は両腕の袖を通し、裾を下に引っ張ってみましたが、明らかにサイズ違いの印象は拭えません。胸は膨らみが丸わかりだし、ブル
マだって完全に丸見えです。丸見えどころか、ブルマをしっかり上まで上げているのにもかかわらず、おなかもチラチラと見えてしまってます。
『うわー、これは恥ずかしいよー!』
私は戸惑いを隠せませんでしたが、先生が言うには“女性の身体のラインが浮き出ないとダメ”だっていうし、かといって水着になる
わけにもいかないし、それに水着なんか持って着ていないし、といった具合で、もはや私には心を決めるしか選択肢はありませんでした。
私は意を決して準備室のドアを開け、美術室へ入りました。

「うわー!」

さっきよりもさらに大きな声が上がりました。さっきはブルマー姿の私とは初めての“御対面”だったせいか、みんなお喋りすること
もなく、ただ私を見ているだけでしたが、今回は一度デッサンし終えたからでしょうか、みんなめいめいに言いました。
「すごい!オトナの女性ですね!」
「なんか!すごいセクシーです!」
「脚が綺麗!」
「うわー!私らのブルマと全然違うんだ!」
「うん!水着みたい!」
私は恥ずかしくなって、でも嬉しくなって、
「あ、やだ、あんまり見ないでねー!」
と言いました。すると先生が、
「だめだめ!みんなにしっかり見てもらわないと!モデルなんだからー!」
みんな一斉に笑いました。たしかに今日の私は美術部のモデルでした。みんなに見られるのが目的です。
「あ・・・、だけど、なんか、ちょっと、恥ずかしくて・・・。」
「大丈夫!ひろみさん、自信を持って!」
「あ・・・、はい・・・。」
私は半袖シャツの裾を下に引っ張りながらみんなの中心へと向かいました。でもあんまり引っ張るとシャツが伸びてしまいます。せ
っかく貸してくれた女の子にも悪いので我慢するしかありませんでした。ふと、その女の子とまた目が合いました。彼女は今度もす
ぐに視線を逸らしましたが、まだデッサンは始まっていません、彼女の視線は私の胸や脚に向けられていました。
『これくらいの年頃の女の子には、私のブルマー姿ってどう映っているのかな・・・。』
彼女はチラチラと私の顔と胸や脚を交互に見ていました。

『なんか、私、変な人に思われてないかな・・・。だって中学生の前でこんなカッコしてさ・・・。』
剥きだしにされた太もも、そしてお尻、また胸にまで中学生達の視線が突き刺さります。
『こんな寒い季節にたったひとり半袖ブルマだよ・・・。それも周りは中学生だらけ・・・。』
私はだんだんと変な気持ちが湧いてくるのを感じていました。
「先生ー!お尻が完全に見えてますけどいいですかー?」
ひとりの女の子が言いました。すると次々に、
「私もそれ思ってたの!」
「それそれー!ほんっとにお尻が出てるのー!」
「オトナがブルマー穿くとみんなこうなるのかなー?」
さっきまで猫をかぶっていたのか、みんな言いたい放題です。私はさすがに恥ずかしくなって少しお尻を直し、椅子に座ってしまいました。
「こらこら!せっかく来ていただいてるのに失礼なこと言わないの!」
先生のひとことで場は収まりましたが、それでもまだクスクスと笑い声が聞こえます。
「ひろみさん、ごめんね。」
「い、いえ、大丈夫です。」
たしかに恥ずかしいことは恥ずかしいのですが、こうしてハッキリと反応してもらえることは決して嫌ではなかったし、むしろ気持
ち良いものがありましたから。
「はい、じゃあ、ひろみさん、今度はその場で立ってもらいます。手はおへその前くらいで合わせてくれるかな?」
私は立ち上がり、言われた通りにポージングしました。やっぱりブルマーがお尻に食い込んでいるのがわかりました。

『やだ、お尻。』
お尻のお肉は出ていたでしょうし、おそらくお尻の縦の線もくっきりと出ていたと思います。太ももは剥きだし、胸も膨らみまでし
っかりわかるくらいに強調されていたことと思います。
『半袖ブルマもここまでくると、完全に見せ物だよね・・・。でも、いいよ。今日はそのつもりで来たんだから。みんな、しっかり
観察してよね。お姉さん、たったひとり半袖ブルマで頑張ってるんだからね。』
再び美術室に静寂が訪れました。みんな熱心に私のブルマー姿を描いていきます。
『ハタチを過ぎてもブルマー穿けていいな、って言った先生の言葉、わかるな・・・。やっぱりホントだよ・・・。なんか、私、すごい、快感!』

サラサラとペンの音だけが聞こえます。
「モデルは動かないでね!」
先生の声が響きました。
「はい、ごめんなさい。」
クスッとどこかで声がしました。
『はぁ、でもやっぱりたいへんな仕事だよー。だけど早く終わって欲しいような、欲しくないような・・・。』
丸首シャツの首が少し窮屈になってはきました。

また今度書きます。

   先生と同じ嗜好であることがわかり、凄く親密な気持ちにもなれたのでしょうね。
同じ嗜好だけに貴女が興奮するツボも心得ていて、そのようなデッサンのモデルをさせたみたいですね。
学生の貴女を見る目や反応も良く、身体の芯は熱くなっていたのではないでしょうか。


ひろみさん(40)より 3/20

ひろみです。久しぶりに告白します。
清掃活動から私はちょっとした有名人になったようで、普段制服を着て通学しているときでも「あの人、ブルマの人じゃない?」と
言われたりしてしまいました。それはそれで特別嫌な気持ちはしませんでしたが、ただ大きな声を出されるとさすがに恥ずかしかっ
たです。

そんなある日、担任の先生に言われたのです。「隣の中学校から美術部のモデルになってほしい、って、話がきてるんだけど、どう
する?」と。私は「なんで私が?」と思いましたが、理由は単純なものでした。女性のデッサンをするのには、なるべく身体のライ
ンが出るモデル、つまり出来るだけ裸に近い格好のモデルが必要なんですが、さすがに美術部の生徒を裸や水着姿にさせるわけにも
いかず、また中学生ではまだ身体が幼くて「女性」とは言えないとのことみたいでした。だからと言って中学校の先生が生徒の前で
裸に近い格好になるなんて教育的に問題とかで、そこでちょっとした有名人だった私に声がかかったのです。私はそれを聞いて「私
だって中学生の前で裸になんかなれないです」と一度は断りましたが、先生は「なにもあなたに裸になれってわけじゃなくて、あち
らの先生が言うには、体操服姿でモデルになってほしい、とのことみたいよ。ほら、あなたいつも夏服の体操服を着てるでしよ?こ
の前の清掃活動でも夏服だったし。それを見た美術部の生徒さん達が『ぜひあなたにモデルになってほしい』ってお願いしてるらし
いの。夏服だったら身体のラインが浮き出るし、中学生の前でも問題ないからって」。

それを聞いて私は「だったら、いいですけど・・・、だけど、ちょっと、恥ずかしいです・・・」と答えました。すると先生は「た
しかに中学生の前で体操服姿でモデルになるのは恥ずかしいかもしれないけど、生徒さん達にお願いされてるんだから自信を持って
引き受けてもいいんじゃない?」といいました。私は『そうだよね、せっかく私を必要としてくれてるんだから!』と自分に言い聞
かせて、「じゃあ、やります」とOKしたのです。「ありがとう。じゃあ、あちらの先生に返事しておくね。美術部の生徒さん達、き
っとよろこぶわね。」と先生はさっそく電話で連絡を入れていました。私は『また中学生の前でブルマになるんだ』と考えると身体
がジンジンと火照ってきましたが、それでもどことなく恥ずかしい気持ちも沸いてきたのです。

12月になるかならないかのある日の放課後、私は隣の中学校に行きました。美術部の先生を訪ねて職員室へ入り、そして美術室へ
案内されました。先生は見た感じ30代半ばといった感じの女性の先生で「今日はありがとうね。おかげで助かるわ。本当は私がモ
デルになっても構わないんだけど、ほら、教育委員会とPTAとかいろいろ問題があるでしょ?で、あなたのことは生徒から聞いたの
の。清掃活動で一緒だった、いつも体操服夏服を着ている高校生の女生徒さんがいるの、って。それも二十歳を過ぎてるよ、って。
それで、あなたのことを◯◯先生(私の担任です)に言ったら『じゃあ、私から言ってみるね』って言ってくださって。」
私は嬉しいような恥ずかしいような気持ちで聞いていたら、「ところで、どうしていつも夏服なの?」と聞かれました。私は一緒ド
キッとしましたが、正直に答えました。

「ブルマー姿になると身が引き締まると言うか、変に気持ちがいいというか、なんか、いましかブルマ穿けないから・・・。できる
だけブルマー姿になりたいな、なんて・・・。」
すると先生は、
「そう、なるほどね。なんかわかるような気がするわ。ブルマーって実際とっても恥ずかしいんだけど、いざブルマー姿で外に出る
となんか開き直れるんだよね。『やだ、わたし、こんなカッコで体育やってるんだ』とか思っちゃうと特にね」。

私は、
「そ、そうなんです!で、どうせブルマー姿になるんだったら可愛く着こなしたいな、なんて思ったりもして!」
「そうだよね!私もそうだったの!男の子の視線も気になるんだけど、どうせ見られるんなら誘惑しちゃえ!なんて考えたりしたな
ぁ。ブルマで廊下とか歩くときにね、わざとお尻が少し出るようにしたりするのよ。すると明らかに周りの空気が変わるの!なん
か、ざわつくというか、男の子たちの落ち着きぐなくなるというか!」
「えー!先生もですかー!」
「先生も、ってことは、じゃあ、あなたも!?」
「あ。やだ、ばれちゃいました?えへ、実はそうなんです!ブルマになるとみんなの視線が気持ちよくって、ついつい調子に乗っち
ゃって!」
「ふふ、いいと思うわよ。ブルマなんか若いときしか穿けないものね!」

私は思わぬことで気が合う人の出現に嬉しくなりすっかり上機嫌になりました。私と同じ気持ちの人がいることで自信がついたとい
うか、なんだか怖いものなんて何もないんだぞ、みたいな気持ちにさえなったのです。ましてやそれが中学校の先生という教育者で
したから。
「あーあ、私も昔に戻りたいなー。なんかもう一度ブルマを穿いてみたくなっちゃった」
と先生の言葉に私はすぐさま、
「先生だってまだまだ大丈夫ですよ!って言うか、先生のブルマー姿、見たいです!」
と言うと、
「そう!?じゃあ、あなたのブルマー貸してくれる?って、なに言ってるのー!」
「先生も案外、その気じゃないですかー!」

私たちはけらけらと笑いあいました。年齢も離れているし、教師と学生という立場の違いがありましたが、同じ趣味嗜好がある人と
盛り上がれたことが最高に楽しかったことをいまでも鮮明におぼえています。

そして美術室へ通され、まず部員に紹介されました。
「今日、モデルを引き受けてくれた△△高校のひろみさんです。今はまだ制服を着てらっしゃいますけど、このあとで体操服に着替
えていただきます。わざわざ時間を作って来ていただいたので、みんなふざけたりしないで真剣にデッサンするようにね。じゃあ、
ひろみさんからもひとことお願いします。」

目の前には好奇心のかたまりのような顔をした生徒たちが私を注目していました。15人ほどの美術部員はほとんどが女の子で男の
子は3人程だったと思います。さっき怖いものなんか何もない、と言いましたが、彼らの眼差しを浴びるとやはり少し緊張感が私を
覆いました。私は武者震いのような、身体がゾクゾクする感触を味わいながら、一歩前に出て言いました。
「△△高校のひろみです。実は『私なんかでいいのかな』なんて気持ちがありますけど、引き受けたからにはみなさんのお役に立ち
たいと思うので、今日はよろしくお願いします。」

先生が「はい、よろしくお願いします。さて、今日はいくつかのポーズのデッサンをしてもらいます。モデルさんには少しキツいか
もしれませんが頑張ってくださいね。」と言いました。そして「じゃあ、ひろみさん、着替えをお願いね。」と言われ隣の美術準備
室へと通されました。

続きはまた書きます。

 先生は同じ嗜好があるだけに貴女の心はお見通しで、モデルになるよう推薦したのかもしれませんね。
モデルという正当な理由が出来たわけで、生徒の前でブルマ姿を堂々とさらけだす楽しみが得られるのですね。
調子に乗ってさりげなく誘うようなことをしたのでしょうか。


奈緒美さん(40)より 3/11

私が体操服・ブルマに興奮を覚えるようになったのは小学3年生のときです。
私が小学3年生のときの運動会の学年演技は裸足ですると先生から言われました。(先生の趣味だったのかも)
私はそれまで裸足で運動したことがなかったので最初は抵抗がありましたがやってみると意外と気持ちよく、体操服・
ブルマ・裸足で運動するのが好きになっていきました。

その後運動会のプログラムが決まり、私たち3年生の学年演技は開会式直後になったので私たち3年生は開会式の入場
行進から裸足ということになりました。
裸足で行進すると目立つので運動会前に私たち3年生だけ特別に行進の猛練習をさせられました。
私は先生が熱心に行進の指導をしていただけるのがうれしくてなぜか胸が熱くなりました。
次第に行進練習に病みつきになった私は学校の練習だけでは物足りなくなり、1人で近所の公園のグランドへ行って体
操服・ブルマ・裸足になって先生の指導を思い出しながら行進練習を何周も行うようになり、行進練習によって喜びと
興奮を味わう習慣が形成されていきました。

猛練習の甲斐があって私たち3年生の入場行進がとてもすばらしかったと先生や保護者の間で評判になり、翌年から私
たちの小学校の運動会は全員裸足で参加ということになりました。

もちろん私は大喜びでそれ以後今日まで体操服・ブルマ・裸足でグランドを行進するのが私の日課になっています。
行進の怠けて先生にお尻をたたかれているシーンなどを想像したときなどは我慢できずに湿らしてしまうこともよくあ
ります。さらに刺激を味わいたいときは体操服・ブルマ・裸足でのトレーニング(ランニング・縄跳びなど)や正座な
どの罰を自分に科してしまうこともあります。

裸足の心地よさがお気に入りなのですね。
今でも昔を思い出しブルマ姿などになって興奮し、オナニーされてるのでしょうか。


佑唯さん(30)より 3/5

通っていた高校の体操服はブルマでしたが、普段の体育の授業ではジャージを着ても特に何も言われませんでしたので、高
1の冬くらいからジャージで体育の授業を受けていました。体育祭の当日だけは、ジャージを着ることが許されませんでした
ので、高2の体育祭はブルマで参加しました。

 その後も、相変わらず、普段の体育の授業ではジャージでしたが、高3の体育祭でもジャージの着用は認められませんでし
たので、ブルマで参加しました。久しぶりにブルマ姿になって、体育祭の最初の入場行進のために整列しているときに、私の
後ろから3人くらいの女子の笑い声が聞こえてきたかと思うと、そのうちの1人のA子に、「佑唯、めっちゃハミパンして
る」といわれましたので、私は慌ててハミパンを直しました。普段使わないので、ブルマが小さくなっていたのと、久しぶり
にブルマをはいて油断していたこともあって、めっちゃハミパンしていたようでした。その後の、A子らの会話を聞いている
と、「あんなハミパン見たの、小学校の時以来」とかで盛り上がっていたようですので、めっちゃハミパンしていたと思いま
す。男子もすぐ隣で整列していたので、男子にも見られたと思います。

 体育祭では、自分の出番ではないときは、ジャージをはいていてもよかったので、出番ではないときはできる限り、ジャー
ジをはきました。また、出番でブルマ姿になる時も、できる限り、ハミパンしていないかチェックして、再度ハミパンしない
ように細心の注意を払いました。その日は、他にハミパンをしている子はいなさそうでしたので、恥ずかしい思いをしました。

ブルマの濃い色と対比でハミパンは目立つのでしょうね。
ある意味、ハミパンを指摘されなければ本人は気付かず、知らぬが仏だったかもしれませんね。


ともみさん(41)より 2/23

管理人さんの言われるとおり、ハイレグなブルマは先生
の趣味もあったかもしれないですね。説明してくれた先
生は若い女の先生だったので、真相は知らないかもで
す。体育主任は古株の男の先生で、その先生が一年中ブ
ルマにこだわっていたみたいなので、やっぱり趣味なの
かなと思います。陸上選手ならまだしも、体育の授業く
らいでハーフパンツはやりにくいにしても、普通のブル
マでも機能性は変わらないでしょうから。

体操服に関してはいろいろな事があった1年生の冬でし
たが、一年中半袖ブルマから冬は長袖を着ても良い(ブ
ルマは一年中ですが)となったので、やってみるものだ
なと思いました。また、会議などで早急に対応してくれ
る学校にも感心しました。

3月になって男子にハーフパンツが配られました。その
日の体育の授業が終わった後、先生が体育委員は明日長
袖も持ってくるようにと言いました。3月になるとまた
半袖に戻っていたので、なんでだろ?と思いました。次
の日の放課後、男子の体育委員と体育教官室に行きまし
た。先生は今から写真撮るから体操服に着替えてくれと
言いました。体操服も変わるし、長袖を着ても良くなっ
たので来年度の生徒手帳への記載も変わるのですが、見
ない生徒が多くて、毎年1年生に何回も説明するのが疲
れるそうです。そこで、体育館通路に写真を掲示して誰
でも分かるようにしたいそうです。私たちが選ばれた理
由は、その先生が担任だったので、頼みやすいからとの
ことでした。

早速体操服に着替えて半袖、長袖両方の写真を撮りまし
た。着用の見本にもなるので、髪が長い子は体育のとき
はゴム止めする決まりなので、写真でも止めるように言
われました。また、体操服はたるまないようにブルマに
入れる。ブルマに名前の刺繍があるのですが、たるむと
見えなくなるのでダメなんです。名前なんて覚えている
から入れてりゃいいじゃんと思いましたが、怒られるの
で素直に従いました。その他シューズやら靴下やらも決
められていたので、その格好で正面、横、後ろ姿を撮り
ました。色んな角度から撮られたので犯罪者みたいだね
と男子体育委員のY君と笑ってました。

撮影が終わってY君と話しているときに、ハーフパンツ
とブルマの丈の長さの違いをすごく感じました。他の学
校より長いハーフパンツとハイレグなブルマ。やっぱり
男子だけ恵まれていてズルいと感じました。でもここは
おさえて、良かったねハーフになって。でもそっちの方
がいいよ今まで短すぎて目のやり場に困ることあったか
らと笑いながら言いました。Y君も前のは犯罪的に短か
ったからねと笑いながら言ってから、少し真面目な顔
で、でも女子は却下されて良かったと言いました。私が
どうして?と聞くと、だってともみのブルマ姿見れなく
なるの寂しいだろ、すごく似合ってるし可愛いよと言い
ました。そして、続けてともみの事が好きなんだ、俺と
付き合ってくれないか?と言いました。Y君はスポーツ
マンで女子からも人気があったので、私も気になってい
たのですが、急なことで私は頭が真っ白になり、すぐに
言葉が出ませんでした。この続きはまた今度したいと思
います。

その写真撮影も今から思うと怪しくないでしょうか。
なんだか自分の趣味のためのブルマ写真のコレクターに思えてきます。
だけど、ちょっとしたことからY君に告られることになって良かったですね。


萌々香さん(32)より 2/22

中3の時のことです。わたしは陸上部に入っていました。体育の授業や普段の部活は、
半袖体操服とブルマーでしたが、陸上の大会に出る時は、水色のタンクトップと短パ
ンの陸上部のユニフォームで出ることになっていました。

わたしは1、2年の時には大会に出ることができませんでしたが、3年の夏の大会に
は出ることができました。大会の何日か前に陸上部のユニフォームを初めて着たので
すが、短パンの裾は短く、脚口が広めでしたので、少し気を抜くと、パンツが見えて
しまいました。

ブルマーですと、ハミパンすることはありますが、基本的にはパンツが見えないよう
になっているので、この短パンはブルマーと比べると不安だという気がしました。
大会当日のことです。更衣室で、わたしたちは、陸上部のユニフォームを着替え、大
会の会場に行きました。
わたしたちの学校の陸上部の子は、短パンの中にブルマーをはいていませんでしたが、
短パンで参加している他の学校の子の中には、恥ずかしいからか、短パンの下にブル
マーをはいている子もいました。

同じ陸上部の子を見ていると、座った時だけでなく、立っている時でも、気を抜くと
パンツが見えていたので、わたしは、できる限り、短パンの裾を気にして、できる限
りパンツが見えないように注意しました。
ただ、何か気になるので、わたしは、結局、更衣室に戻って、会場まで来るときには、
スカートの下にはいていたブルマーを短パンの下にはいて、再度、会場の方に行って、
他の子たちと、準備運動を始めました。パンツが見えるのが気にならなくなったから
か、初めて出た大会でしたが、予想以上に、健闘できました。

陸上に集中しているからかもしれませんが、わたしたちの学校の陸上部の子を含め短
い短パンで、パンツが見えていても気にしていない子はすごいと思いました。さすが
に、陸上に集中しているから気にしていないのではなく、単に忘れているか気が付い
ていないだけだと思いますが、タンクトップのユニフォームなのに、ワキ毛の処理を
忘れている他の学校の子が1人いました。

以上、ブルマーが体操服として安心だと思った時のことです。

自分の姿はよく見えず、気がついていないのかもしれませんね。
また練習や試合の途中でいちいち確かめたりする余裕もないことでしょう。
パンツを隠すものとしてもブルマは便利で、安心できる体操服だったのですね。


ともみさん(41)より 2/21

ともみです。

2年生が男女共同で学校にハーフパンツにしてほしいと要望書を提出した結果、男子のみ
要望が通ったことで1年生の私たちのクラスでも話題になりました。男子だけズルいと言って
いた子もいましたが、大体の意見は当時ブルマは当たり前だったこともあり、まあこんなもん
でしょといった感じでした。それでも、男子だけ要望が通ったということが癪だったので、みん
な男子にズルい!と文句を言っていました。男子は、女子がブルマは当たり前だろ、ハーパ
ンの体操服なんて聞いたことないぞと言っていました。いまでは普通かもしれませんが、当時
はないなと思いました。

冬場の体育は天気の悪い日はバレーでした。体育の先生がバレー部の顧問だったということ
もあり、妙に力が入っていました。ただの授業なのに試合をさせるわけでもなく、レシーブの練
習ばかりさせられました。男の先生のパワーで打ってくるので、みんな腕が真っ赤になりました。
ジャージを着させてほしいとお願いにいきましたが、ジャージは野外活動以外は認められないと
あっさり却下されました。女子ばかり却下されるので、一部の子が不満のたまっていた2年生と
一緒にまたまた要望書を持って行くことになりました。私は体育委員(運動が得意じゃなかったの
ですが、体育の成績が良くなるのでなりました)だったので、強制参加させられました。

数日後、1、2年各クラスの女子体育委員が呼ばれました。会議室には女性の体育教師が座って
いて、会議の結果を伝えられました。ジャージは校則で野外活動の時しか認めていないから、却
下と言われました。私たちがざわざわしていると先生は、静かにして!と言って、ただしジャージは
ダメだけど、長袖の体操服なら許可すると言いました。私の高校は長袖の体操服もあったのですが、
体育の授業は半袖ブルマと決められていたので、持っている人も野外活動の時にジャージの下に
着るくらいでした。

私も含め持っていない人も多いので、持っていない人もジャージはダメですか?と聞きました。
先生はジャージは体育の為にある訳じゃないから、必要なら買いなさい。他に聞きたいことある?と
言いました。また別の人が、なぜ女子はハーフ却下されたんですか?と聞きました。先生は、体育の
授業はバレーや高跳びなどいろいろあるから、ハーフじゃ膝が引っ掛かってやりにくいでしょ。
それに高校卒業したらブルマ履くこともなくなるんだからもうしばらくでしょと言いました。

続けてじゃあ男子はハーフでいいんですか?というと、先生はあれは仕方ないのよ。パンツはみ出し
てるし、変なもの見えるときもあるしと言うと、みんなドッと笑いました。場が一気に和やかになりました。
ついでなので私も、うちの学校のブルマは他の学校よりハイレグじゃないですか?と聞きました。
先生は、そうかな?少しハイレグかも知れないけど、機能性とかいろいろ考えた上で選んでるから、
動きやすいはずよ。といってから、それに足も長く見えるし、みんな下着も大人っぽくなったんじゃない?
はみパンしないようにと言って笑いました。みんなはまたドッと笑いました。

ジャージはダメでしたが、全く無視されたわけではなかったし、後半は女子トークみたいに盛り上がった
事もあり、私たちは満足して会議室を出ました。長袖体操服を許可されたので、持ってない子はみんな
すぐに購入しました。その後は冬場は長袖体操服とブルマというスタイルになりました。

 結果的には、みんなが納得するような感じで物事が治まって良かったですね。
ハイレグ気味のブルマを選んだ先生の趣味が関係していそうな感じがしますね。
「大人ぽい」という言葉に、女の子は魅了されたのかな。


ゆーりさん(28)より 2/18

 小6の暑い季節のことです。いつもよりも少し早めに学校に着いたのですが、それでも、数名は既に教室にいました。
前の席は仲がいいI子でしたが、I子は既に来ていました。わたしが席につくと、I子はいつも通り、椅子に後ろ向
向きに座って話しかけてきました。椅子に後ろ向きに座ると足を広げることになり、背もたれが後ろ全体にはないの
で、いつも通り超ミニスカートをはいていたI子のスカートの中が見えました。スカートの中にはブルマーをはいてい
るので、問題はないのですが、この日に限っては、紺色のブルマーではなく、ピンクの物が見えました。I子はブル
マーをはき忘れているようでした。

 わたしは、I子に「I子、丸見えだよ」と言いました。最初、I子は意味が分かっていなかったようですが、すぐに
ブルマーをはき忘れていたことに気が付きました。この日は体育の授業はありませんでした。I子は、泣きそうな顔で
で、「お願い。ブルマー貸して」と頼んできました。I子のスカートの丈は短く、少しかがんだりすると、見えてしま
いそうでしたので、ブルマーなしだと恥ずかしいと思います。ただ、わたしも膝くらいの丈のスカートで、ブルマーが
ないと恥ずかしいので、「え、恥ずかしいよ。I子のピンクのパンツ、可愛いし、見えても大丈夫だよ」とか言いまし
た。結局、あまりにもI子が恥ずかしそうにするので、2人でトイレに行って、ブルマーを貸しました。その日は、ブ
ルマーなしで過ごすことになりましたので、スカートがめくれないように注意しました。

 ブルマーをはいたI子は、再度、後ろ向きに椅子に座って、私の方を向いてきました。わたしの方が小さく、ブル
マーもI子には小さいので、ハミパンしていましたが、I子は気が付いていませんでした。
 ハミパンするならブルマーなしでもいいのではと思いましたが、その日1日はブルマーを貸しました。わたしの方は
は、スカートがめくれると恥ずかしいと思いつつ、暑いので、ブルマーなしの快適さを感じていました。結局、それ以
降、ブルマーなしの方が暑い季節は楽だと思って、暑い日で体育の授業がない日には、スカートの下にブルマーをはか
ないで、学校に行くようになりました。

 ブルマを履いてる安心感もあって短いスカート姿も平気だったのですね。
小学生といえども高学年になると思春期も始り、自分の恥ずかしさにも気が付くようになってくるのでしょうね。


ともみさん(41)より 2/18

久しぶりに投稿します。ともみです

高校時代の話です。中学のときはジャージでも問題なか
ったのに、高校になってからは体育は半袖ブルマが義務
付けられていたので、最初はそのギャップに戸惑いまし
た。しかも結構ハイレグなブルマだったので、はみパン
しないように気をつけましたが、毎日の事なのでそのう
ちに慣れてきました。ジャージもありましたが、認めら
れるのは野外活動のときだけでした。

12月ごろに2年生の男子と女子の一部から要望書が学校
に提出されました。短パン、ブルマからハーフパンツに
変更してほしいというものでした。男子は当時トランス
が主流だったので、短パンだとはみ出るとか、座ったと
きにアソコが見える(これは女子からも相当不快でした)
といった内容でした。女子はブルマ(しかもハイレグな
ので)は恥ずかしいとか冬は寒いという内容でした。理
由は違っても、男女共同の要望書だったので、学校も無
視するわけにもいかず、すぐに体育教師を中心として会
議になりました。結果は男子は来年度からハーフパン
ツ、女子は却下ブルマ継続でした。女子からは不公平だ
とブーイングがでましたが、理由は男子のはみパン、は
みチ◯は目障りとか、女子生徒に対する公然ワイセツだ
という意見があり、要望書がなくとも変わる計画があっ
たそうです。女子は恥ずかしいとかは理由にならない、
女子のブルマは当たり前ということで却下になりまし
た。確かに女子の理由は男子に比べて弱いのかなと思い
ました。

私としては、その時はブルマが嫌とはそんなに思ってな
かったし、ハーフパンツは足が短く見えるので正直ホッ
としました。母にはハーフパンツに変わるかも知れない
と言っていたのですが、女子は却下されたと伝えたら、
余計なお金がかからなくてすんだと喜んでいました。確
かに指定のブルマなので結構高かったし、体育は毎日あ
るので、2、3枚は買うように言われていたので、1年で
ハーフに買い替えだと親もやってられないでしょう。

今は違和感があるくらいに何でも男女平等ですが、当時
は男らしさ、女らしさとかも結構言われていたので、女
子のブルマは自然なことで、先生たちも男子の服装を女
子が着るというかんじは不自然だったのかも知れないですね。

そんなドタバタがあって来年度(私の2年生時)からは男
子は膝丈のハーフパンツ、女子はハイレグブルマといっ
た体育の授業になりました。
恥ずかしさは慣れますが、寒さはどうにもならず、ブル
マは凄く寒いし、半袖だと寒い上にバレーとか凄く痛
い。ということで、また不満が爆発。この話はまた今度
します。

   男子だけは要望書による意見が通っただけ良かったのでしょうが、女子側の要望却下とは残念でしたね。
その当時はブルマが当たり前だったのでしょうから、なかなか前例を変える勇気が教師にもなかったのでしょうね。


ままこさん(37)より 2/9

 私が中学2年の時の大掃除でのことです。
 私たちのクラスがプールの掃除をすることになりました。プールの掃除は体操服ですることになっていて、
女子はプールの更衣室で制服から体操服に着替えて、プールに集まりました。
 男子は教室で体操服に着替えてから、プールに集まりました。
体育の授業ではないので、私はジャージの裾を折ってジャージをはいていたのですが、夏でしたので、
他の女子はジャージを着ておらず、ブルマー姿でした。
 
 最初プールサイドに集めって説明を聞いた後、掃除を始めました。掃除を始めた後に、気が付いたのですが、
女子のうち5、6人がハミパンしていました。普段の体育の授業ですと、1人がハミパンしているかいないかでしたので、
男子がいるけれど、体育の授業ではないので、油断していたのではないかと思います。
 
 Aはブルマーのお尻の両側からハミパンしていたので、Bにハミパンを指摘されていました。ただ、Bも少しハミパ
ンをしていたのですが、Bはハミパンを指摘されることもなく、また自分でハミパンに気が付くこともなく、ハミパン
したままでした。普段の体育の授業では、少しでもハミパンしていると指摘されるので、この日は、全体的に油断して
いるような日でした。
 このような日でしたので、私も掃除の途中でジャージを脱いで、ブルマーで掃除を始めました。

 ブルマは気をつけていなと、ハミパンし易いのでしょうね。
濃い色のブルマの下に白いショーツなど、少しでもはみ出ていると、目立つのでしょうね。


あみみさん(43)より 1/25

わたしがブルマーを特に意識するようになった中1の出来事です。わたしは陸上部に入っていて、夏休みには朝練があ
りました。朝練は体操服でして、夏休み中ですので、登下校も体操服でしていました。

朝練の初日は、下はジャージをはいていった方がいいのだろうと思って、上は半袖体操服ですが、下はジャージをはい
て登校しました。女の子のうち数名は、ジャージをはかずにブルマーで登校しているのがわかりましたので、翌日から
わたしもブルマーで登校しました。わたし以外にも翌日からブルマーで登校するようになった女の子もいました。

わたしがブルマーで登校するようになって何日目かのことです。自宅を出て少しして、前を陸上部で同学年のブルマー姿
姿の優子が歩いているのを目撃しましたが、ブルマーのお尻の両側から白いパンツがかなりハミパンしていました。わ
たしはそれを見て自分がハミパンしていないか気になって確認しましたが、ハミパンしていませんでした。体育の授業や
や部活でハミパンしてしまうのは仕方ないにしても、外をハミパンさせながら歩くのは、とてもみっともないことのよ
うに思えて、わたしは自宅に戻って、ジャージをはいて登校しました。学校に着くと、優子は既に登校していました
が、ハミパンはしていませんでした。誰かに指摘されて直したのか、自分で気が付いて直したのだと思います。

その日以降、わたしはジャージで登校するようにしましたが、優子を含めた女の子数名はブルマーで登校し続けまし
た。その時はブルマーで登校は恥ずかしく思えましたが、学校を卒業すればブルマーを着る機会はないので、ブルマー
で登校してもよかったかもと思います。

 恥ずかしいと感じるようになったのは、思春期の始りかもしれませんね。
今となってはブルマが懐かしく、残念な気持ちにもなるようですね。
昔を思い出して、こっそりブルマを履いてみると、今でも楽しめるかもしれませんね。


ちょこさん(38)より 1/9

 私の両親は、私が小学校を卒業するときに、離婚しました。母親の不倫が原因でしたので、私は父親に引き取られる
ことになりました。幸い、父方の祖父母が近所に住んでいましたので、普段の家事は祖父母がしてくれました。

 中学1年生の夏休みのことです。普段、父親は仕事で忙しいのですが、7月末の平日に2日連続で休みが取れたの
で、2人で温泉に旅行に行くことになりました。この温泉までは、飛行機と電車などで合計4時間くらいはかかったと思
思います。旅館の部屋につくと、私は、普段、部屋では、ブルマーとTシャツで過ごしていたので、いつものように、
ブルマーとTシャツに着替え、少し休んでいました。

 少し休んだ後、温泉付近の川を見て、温泉街によって、お土産とかを見ることにしていましたので、部屋を出ること
にしました。ブルマーの上に、来るときに履いてきたスカートをはこうとも思いましたが、川に入る時に面倒なので、
ブルマーとTシャツで出かけることにしました。また、川に入るためにサンダルをはいていきました。旅館から2−3
分歩くと、川がありました。きれいな川でしたので、私は川に入りました。水が冷たくて、気持ちよかったです。
平日でしたのででしたので、人はあまりいませんでした。

 川でしばらく遊んだ後、私たちは、温泉街のお土産屋を見て回り、お土産を買いました。また、ソフトクリームを売
売っている店があったので、ソフトクリームを買って食べてから、旅館に戻りました。旅館に戻って、ロビーの仲居さ
んから部屋の鍵を受け取って、部屋に戻ろうとした時に、仲居さんが寄ってきて、耳元で「ブルマーからパンツが見え
ちゃってるよ」と教えてくれました。私は、それを聞くと慌ててハミパンを直しました。普段の体育の授業とかと違っ
て、同級生がいないので、油断していたからですが、結構、ハミパンしていました。

おそらく、旅館を出る時からずっとハミパンしていたので、あまり人はいなかったとはいえ、温泉街をブルマーからハ
ミパンさせたまま歩いていたと思うと、少し恥ずかしく感じました。

今思い出すとお父さんと旅行した時の、懐かしくも少し恥ずかしい思い出ですね。
その温泉の名前を目にする度に思い出されるのでしょうね。


ひろみさん(40)より 10/27

ひろみです。
夏が終わって秋も深まりつつあった10月の終わり頃のときのことです。
私の学校では毎年『奉仕活動』といって学校周辺の道路や川を清掃する日がありました。
私の学校だけでなく、近くの中学校と合同で行われるのです。
その年の二年生が一緒になって道路のゴミ拾いや通りかかるドライバーさんに交通安全のチラシを配ったり、
また川に捨てられた空き缶や枯葉枯草を掃除するといったものです。

編入してきた私は始めは『授業が潰れてラッキー』くらいにしかおもいませんでしたが、そのときの服装が
体操服だと言うのを知ったときはやはり「え?ほんとに?」となりました。
みんなの前で「一年中半袖ブルマーで過ごす」なんて約束をした手前、『やっぱりこれもブルマーでやらなくちゃならないの?』と思ったのです。
普段から3つも4つも年下の子の中でひとりだけブルマー姿になったりしていますが、もちろんそれは私自身が自分の性癖めいたものを
自覚したこともありますし、またいくら年下と言っても『同じ高校のクラスメイト』として意識していましたから、恥ずかしいとか
ほとんど感じていませんでした。

むしろ性癖からくる「快感」を楽しんでいたくらいです。
(ただ、ブルマーでコンビニへ行ったときは恥ずかしさが大きかったですが、みんなにからかわれながらもお喋りしながら歩いているうちに、
街中をブルマー姿でいることを忘れ流くらい楽しくなって、また開き直れてより快感を味わっていました。)。
しかし、今度はさらに年下の中学生の中でブルマー姿になるのです。
そのとき私は誕生日を迎えたばかりの22歳。中学生は二年生だから13歳か14歳と、完全に大人と子供の年齢差です。

いつものように平気なわけではありません。それも、あの生地が薄いくて、切れこみ角の大きな、何もしなくても
お尻がどんどん出てきちゃうようなブルマーです。私は『や、やっぱり、いくらなんでも、これはキツイよね・・・。』と思い、
『こ、こればっかりはジャージ着たほうが、い、いいよね・・・。』と思い、私は当日、こっそりジャージを持っていきました
(普段は体育がある時でもジャージは持っていきませんでした)。

さて、その奉仕活動の日です。その日は午前中は通常の授業があり、午後から活動が行われるのです。
私のクラスは朝に体育がありました。私はそのときはいつものように半袖ブルマー姿になりました。
10月も終わりだったので私以外にブルマーになる子はなかったと思いますが、周りの子はみんな私のブルマー姿にも
慣れたみたいで、初めの頃のように冷やかしたりする子もあまりいなくて
(それでもお尻や太ももをペチペチと叩きにくる子や、そっと触りにくる子はチラホラといました。
私も『めっ!』とか言って楽しんでいましたけどね)、とくに何事もなかったのですが、ある子が、

「ひろみちゃん、今日の奉仕活動もブルマーだよ!」と言ってきました。
ちょうど私は『ジャージを着よう』と思っていたところだったので少しびっくりして、

「え?あ、いや、あのね、実さジャージ着ようかな、って・・・。」と言いました。すると、
「えー!だめ!絶対にだめ!ひろみちゃん、ジャージ着たらダメ!」と言いました。私は、
「だ、だってさ、奉仕活動は体育じゃないし、それに・・・。」といいましたがすぐに、
「それに?それに?って何よ!」
「あ、だ、だから、中学生にブルマ、見られるの、いやだな、なんて」
「えー!なんでー?いいじゃん、ひろみちゃん、中学生にブルマ、見せつけなよ!大人の魅力を見せつければいいじゃん!」
「い、いや、でも、やっぱりさ・・・。」と私がごもっていると、
「まさかひろみちゃん、ジャージ持ってきたの?」と言われたので、
「う、うん。今日ばかりはジャージ着ようかな、って・・・。」と言うやいなや、彼女は、
「みんなー!ひろみちゃんがジャージ持ってきてるよ!奉仕活動でジャージ着るんだって!」と大きな声で叫びました。

するとみんな次から次へとやってきて、
「なんでー!だめだよ!ひろみちゃんはジャージ着たらダメだよ!」
「だって約束したじゃん!ずっとブルマになるって約束したじゃん!」
「そうだよー!ひろみちゃんはジャージ似合わないの!」
「ひろみさん、ジャージ着たら絶交だよ!」

私はそれでも踏ん切りがつかずに、
「で、でもさぁ、中学生の中で、わ、私だけブルマーって、そ、相当キツくない?キツイと言うか、き、教育的にも、あ、アブナイと言うか・・・。」

すると、
「大丈夫だよ!〇〇中は今はまだブルマーだから!」
「そうそう!たしか4月から10月までブルマーだったはずだよ!」
「△△ちゃん、〇〇中だったよね?」
「うん!10月まで半袖ブルマー!男子は半袖短パン!」
「やったー!だったら、やっぱりひろみちゃん、ブルマーだね!」
「ひろみちゃん、ガキんちょにセクシーな大人を見せつけちゃえ!」
「中坊たち、ひろみちゃんのお尻みたらみんな黙っちゃうんじゃない!?」
「男子なんか固まったりして!」
「ねーねー、どこがー!?」
「どこがって、アソコに決まってんじゃん!」
「きゃー!ヤラシー!」

みんなある意味、女子高校生丸出しと言うか、私はまたしてもみんなないいおもちゃにされたみたいでした。
私はそんな中で今さらジャージを着る雰囲気など微塵もない事はわかっていました。
結局、私は持ってきたジャージを着ることもせず、早めに昼休みを終えるといつものように半袖ブルマー姿になって教室を出ました。
商業高校ゆえに数少ない一年生の男の子たちに、

「おー!ブルマだぜ!」
「あの人、21歳なんだろ?めっちゃ大人じゃん!」
「うわー!いいよなー!おいおい!ケツ見えてるぜ!」と口々に言われました。私は思わずシャツを引っ張ってブルマのお尻を隠すと、
「ハハッ!パンツ穿いてないみたいじゃん!」
「たまんねー!」
「触りてー!」と思った通りの反応をされました。私は、
『こ、これから中学生の中に入っていくんだよね・・・。と、どんなこと言われるのかな・・・。」

そんな私の気持ちを見透かされていたかのように、
「大丈夫だよ!中学生みんなブルマだから!」
「ひろみちゃん、可愛いから中学生と言っても気づかれないし!」
「うん!でも実際は21歳のお、と、な・・・。」
「ひゃー!なんか、エロい!」

私は内心、『もう22歳だよ・・・。』と思いましたが、そんなことはどうでもよく、ただただ『どうにでもなれ!』みたいに考えていました。
そんな中でも友達は相変わらず、
「ひろみちゃん!お尻直したらダメだよ!」
「そうそう!とくに今日はね!」
「中坊たちに大人の偉大さを知らしめるんだからね!」

厳しいというか、無邪気といか、それでも大切な友達です、中学生たちにブルマー姿を見られることの憂鬱さと
恥ずかしさの中に小さな幸せを感じながら心臓がドキドキするのをひたすら感じていました。

中学生との合同奉仕活動のことです。昼休み中から私はひとり半袖ブルマー姿で校舎内を歩きました。
友達も一緒にいましたが彼女たちは長袖ジャージ姿、私だけ目立つのは自然な流れです。
それに私はそれが嬉しかったし、その姿を見られて周りからあれこれ言われることに恥ずかしさを感じ、
そしてそれが快感へと変化することを悦びとしていたので、それ自体は何の不満もありませんでした。
事実、その日も肌寒い中で私だけ半袖ブルマーで廊下や階段を歩いていると一年生の男の子からは、
「脚がムチムチじゃん!」
「尻も丸出しだぜ!」
「大人のブルマ、最高!」

とからかわれ、女の子からは、
「21歳の人だよ!」
「今日もブルマなんだ!」
「なんかカッコいいね!」
「目立ってるー!」

と好意的に見る子もいれば、
「よくあんなカッコで歩けるよね?」
「お尻なんか思いっきり出てるのにね」
「もしかしてあれで奉仕活動やるのかな?」
「やだー!あれで外出るのー?」
「ありえない!ありえない!」

と冷たい目で見る子もいました。だけどどの角度から見られても何かしらの反応をされるのは嬉しかったです。
たとえ否定的な視線を浴びてもそれがいい意味で屈辱感になり、『わたしだけブルマー姿にされて、まるで見世物にされてる・・・。』
と思えば思うほど身体の芯から快楽を味わうことができたのです。
私は22歳でありながら肩書きは一人の高校生であり、世間では大人であれば決して味わうことのない、高校生でしか経験することない
ブルマー姿になることの『屈辱感』を22歳で、しかもその年齢によって自分の性癖をある意味オープンにできるという利点を
十分に活用して、存分に楽しむことができたのです。

ですが、まだ22歳という年齢が私の中にあった羞恥心を完全に消すことはできなかったのです。
やはり中学生に自分のブルマー姿を見られることに抵抗を感じずにはいられませんでした。
また、自分のブルマー姿を中学生に見せることの罪悪感もありました。
「相手は中学生だよ・・・。』そう考えると先に書いたような『屈辱感を楽しむ』ような気持ちにはなれなかったのも事実でした。

さて、ついに奉仕活動のときです。中学と高校の位置関係上、私たち高校生組はいったんグラウンドにはに集まり。
それから中学の校庭に移動することになっていました。そこで全員が集まって各区分割りをされ、
それぞれの担当場所で掃除等を行うことになるのです。昼休みが終わるころに高校組が全員揃いました。
私はもちろん半袖ブルマー姿です。そして周りは何人か半袖シャツを着ていましたが、ほとんどは長袖ジャージ姿です。
「今日もひろみちゃん、絶好調だね」
「やっぱりひろみちゃんのブルマってエロいなー」
「でもまだお尻は出てません!」
「そのうち顔をだしますもんねー!」
「にゅるってねー!」
「うーわ!なんかそれだけでエロい!」

友達がこんなふうなら、他のクラスの子は、
「一人だけブルマなんて恥ずかしくないのかな?」
「ってか、今日ちょっと寒いのにね」
「お尻も出ちゃってるし」
「うちの学校のブルマってやっぱり穿けないね」
「ほんと、あんなにエロいんだもんね」

と、いろいろな声が聞こえました。いつもなら、『ああ、私だけブルマなんだ、みんなに見られてるんだ』と
気分が高揚するところですが、このときばかりは緊張感が勝っていました。
『ほ、ほんとに中学生の中に行くんだよね・・・。わたし、こんなカッコで中学生の子の中に入って行くんだよね・・・。』と、
異様な緊張感がわたしを包んでいました。

そしてついに中学校へ移動するときが来ました。
とくにきちんと整列して、というわけではなく、クラスごとにおおよその列を作りながらぞろぞろとダラダラと歩いて行きました。
高校から中学校までは200メートルほどでしたし、ブルマー姿とは言えみんなの中に紛れていたこともあって、
一般の人は私に気がつくこともあまりなく、私はただ緊張で歯をガチガチ鳴らしながら歩いていたような記憶があります。
そしていよいよ中学校に着きました。

『え!うそ!」
中学校の正門を入るとすでに中学生達がグラウンドに整列していました。
お昼休みは終わっていたようで、一年生と三年生はみなそれぞれ授業に入っていたと思いますが、
その並んでいた中学二年生達の姿が考えていたものと違っていたのです。

『な、なんで!」
みんな制服姿でした。男子は詰襟の学生服、女子は紺のブレザーに棒ネクタイ。体操服を着ている子なんてひとりもいませんし、
もちろんブルマー姿の子なんでいるわけがありませんでした。ということは、どういう状況かもうお分かりだと思います。
長袖ジャージ姿の高校生と制服姿の中学生、合わせて400人程の中で半袖ブルマー姿なのは22歳の私一人だけだったのです。

『ち、ちょっと、どういうこと!?』
私は恥ずかしさで顔が熱くなりました。中学生の姿を見て友達も気がついたらしく、

「あれ?中坊たち、制服着てるね?」
「ほんとだ。今年から変わったのかな?」
と、さほど気にもならなかった様子でしたが、ある子が私を見るや、
「ということは!わー!ひろみちゃんだけブルマー!」
と叫んだのです。するとみんなで、
「きゃー!ひろみちゃん!」
「ひろみちゃん!すごい!」
「ひろみちゃん、目立ち過ぎるよ!」
と、私のことなどお構い無しに大騒ぎでした。違うクラスの子からも、

「こ、これは!」
「これって修羅場?!」
「21歳、大ピンチってやつ?!」

などと言われまくりました。私は『な、なんであの子たち、体操服じゃないの?!』と心の中で叫びましたが、どうすることもできません。私たちの隊列が前進するのに合わせて私も半自動的に中学生達の前へと『運ばれて』いきました。中学生達もブルマー姿の私に気がついたみたいで、次第にざわざわとしてきました。

「うわっ!あの人ブルマーだよ!」
「ひとりだけみたいだね!なんか、すごい目立ってる!」
「やっぱり高校生って大人なんだね!」
「ブルマがぴっちりしてるしさ!」

私は『なんでー!なんでこうなるの!」と焦っていたら、友達が私の背中を押しては列の前へと押し出すのです。私は、

「ち、ちょっと、やめてよ!」

と抵抗しましたが、次から次へと押し出してきます。そのうち腕を掴まれて無理やり中学生の前まで引っ張られたりしました。

「ひろみちゃん!だからー!」
「大人の魅力!」
「中坊へセクシーひろみちゃんを見せてあげて!」

もちろん私はそれどころではありません。抵抗したりみんなに揉みくちゃにされたりしているうちにブルマーからお尻もかなり出てしまったみたいで中学生達も、

「わー!ケツ!」
「すごーい!お尻があんなに!」
「高校に行ったらあんなブルマー穿かなきゃいけないの!?」
「やだー!私、あんなブルマー、絶対にやだー!!」

男子からは歓声みたいなものが、そして女子からは悲鳴みたいなものが聞こえました。

「やったねひろみちゃん、人気者だ!」
「みんなひろみちゃんのブルマーに釘付けだよ!」
「いいなー!ひろみちゃん、いいなー!」

友達も大歓声でした。私もはじめはほとんどパニック状態でしたが、次第に背後から感じる中学生達の反応に身体が別の感覚に包まれていくのに気がついていきました。

『やだ・・・、私だけブルマーだよ・・・。』

中学生達はまだ、ざわついています。

「ケツ、思いっきり食い込んでるよ!」
「お尻丸出し!半分くらい出てんじゃね?」
「なんか、オレ、おかしくなりそう!」
「ねーねー、なんかあの人、高校生じゃないんじゃない?」
「私、聞いたことある!なんか、21歳の人がいるんだって!」
「あ、俺も!知ってる!その人って冬でもブルマになるとかなんとかって・・・。」
「じゃあ、やっぱり、あの人?」

どうやら私の噂はこの中学にも伝わっていたみたいで、

「すげー!大人のブルマじゃん!」
「ナマ足だよ!ナマ足!」
「えー!うそー!まじしんじらんない!」
「21歳でブルマって、嘘でしょー!」

黒や紺の制服姿の中学生を前にたったひとり半袖ブルマー姿の22歳の私は、どんなふうだったのでしょう。そんなことを考えながら、うんと年の離れた中学生からやんややんやと言われるうちに、私は私の中にある真の自分に目が醒めていきました。

『なんか、気持ち、いいかも・・・。』
お尻も太ももに強烈な視線を感じました。お尻もどのくらい見えてしまっていたのかわかりませんが、ムズムズした感触はかなりの度合いで出ていたとは思います。

「すげー!まるでTバック!」
そんな言葉が聞こえましたが、私はブルマのお尻を直しませんでした。
中学生達は私のブルマー姿がかなり衝撃だったみたいで、しばらくざわつきが収まりませんでした。ずっと、

「なんで大人なのにブルマなのかな?」
「おまえの姉ちゃんもハタチくらいじゃなかったか?」
「そうだけど、ブルマなんて絶対はかないよ」
「だよなー。なんであの人ブルマなんか穿いてんのかな?」
「しらね。」
「だけど、すげー尻が出てんな」
「オレ、大人の人の尻なんて初めて見たぜ」
など言われ放題でした。私は顔が熱くなり、さっきとは違った緊張からか寒くもないのに歯がガチガチなり始めました。
『あとであの子たちにどんな顔で接したらいいの・・・?』

などと思っていたら中学校の先生の「静かにしなさい!」の声でようやく収まりました。
そしていよいよ清掃です。私たちのクラスは小さな川の掃除を担当することになりました。
中学生たちと協力しあって1つのエリアを、というわけではありませんが、私たちのすぐ横はその中学生のクラスが担当していました。
ですから掃除中は常に男の子たちがざわざわと話していました。

「おい、お前、なんか話してこいよ」
「なにをだよ!」
「なんでブルマ穿いてんの?ってさ。」
「そんなの言えねーよ!」

私はそれらを背中で聞いていました。私は年下の男の子達が私のことを話題にしていることがなんだか嬉しくなって、
『話しかけてきてくれないかな』とさえ思っていました。しかし、やっぱり中学生の男の子だとブルマー姿の大人に
話しかけるほどの勇気はないみたいで、お互いに背中を押し合うばかりで実際に来ることはありませんでした。

さて、しばらくは真面目に(?)掃除をしていましたが、みんなだんだんと飽きてきて、なんとなくダラダラと
時間だけが過ぎていくといった感じで惰性で作業していました。
私も中学生の中でひとりだけブルマーでいることを愉しんでいることより、ただ普通に疲れてしまってこっそりと石段に座りこんでいました。

「ひろみちゃん、お疲れモード?」
「あ、うん。私もうおばさんだから」
「なに言ってんだか!中坊たち、みんな綺麗なお姉さんに夢中だよ!」
「そ、そんなことないって・・。」
私はまんざらでもない気持ちにもなりましたが、でもやっぱり彼らにとって私はかなり年上のおばさんに見えているだろうな、と思っていました。すると、
「じゃあ、ひろみちゃんはあの子たちのとこへ出稼ぎ!」
私は「え?」となりました。するとすぐに、
「ひろみちゃんがあの子たちのとこへ行ってー、お姉さんらしくあの子たちを指導するの!」
私はますます「は?は?」となりました。友達が、
「だからー!ひろみちゃんがあの子たちのリーダーになるの!」
ようやく私に課せられた役目を理解したとき、私はすでに中学生達のいる場所まで連れていかれていました。私は慌てて、
「な、なんでよ!なんで!そんなこと聞いてないよ!」と、ついつい大声を出してしまいました。それに気づいた中学生達の視線が一斉に私に降りかかりました。

「おい、ブルマがこっちくるよ!」
「なんでかな?なんか言いにくるのかな?」
中学生達も困惑気味な顔をしていましたが、友達は、
「このお姉さん、みんなと一緒に掃除したいんだって!だから仲良くしてあげてね!」なんて言いました。私は、
「ち、違うよ!私そんなこと言ってない!」と逃れようとしましたが、友達は離してくれないどころか、

「お姉さん、恥ずかしがってないでさあ!みんなと楽しくお掃除しなきゃ!」
「みんなもブルマー姿のお姉さん好きだよね!」
「ひろみちゃん、あ、このお姉さん、ひろみちゃんって言うんだけどね、ひろみちゃん、大人の魅力を教えてあげるってさ!」

中学生達の困ったような、それでいて冷ややかな視線が少し怖かったのを覚えています。結局私は中学生達の中に置き去りにされ、彼らと一緒に掃除することになりました。掃除と言っても大方終わっていたので、ゴミを集めたりまとめたりする程度でした。遠くから友達が、

「ひろみちゃん!ちゃんとみんなを引っ張ってね!」
「ひろみちゃん、ブルマ可愛い!」
「誘惑しちゃダメだよ!」

と、言いたい放題でした。そばで男の子がキョトンとした顔をしていたので、「な、なんでもないからね。気にしないでね」と、
私はその場をごまかすのに精いっぱいでした。男の子達は私の近くでは恥ずかしがってか何も言ってきませんでした。
やはり年頃の男の子は女の子よりもうぶなんでしょう、心ではエッチなことを考えながらも、
実際には行動には移せないものなんだな、とさえ思っていました。
だけどやはり年頃の男の子だけに、やたらと私と目が合うことがありました。私が作業をしている間は私の方を見ていたのだと思います。
私は彼らがなんとなく可愛く思えてきたのと同時に、少しからかってみたくなりました。
つまり私に『意地悪なお姉さん』が舞い降りてきたのです。私はある男の子に声を掛けました。

「あ、ちょっと手伝ってくれるかな?」

彼は、「あ、はい・・・。」と言って私のもとにやってきました。私は「ちょっと風が強いから、この袋を持っていてほしいの」と言って、彼に大きなビニール袋を開けたさせたままその場にしゃがんでもらいました。私は彼の目の前で枯葉や枯草を次々と袋へ入れていきました。ちょうど彼の顔のあたりに私のお尻や太ももがくるように・・・。

詰襟の学生服姿の中学生と、半袖ブルマー姿の22歳が一緒に掃除している光景って、どんな感じだったのでしょう。今となっては、というより今でなくても異様な景色だったでしょう。私は彼の泳いだ目を見ているとさらに可愛く思えてしまって、

「さっきから私を見てたよね?」と言ってみました。すると彼は、
「い、いや、僕は、べつに・・・。」と、言いました。私は、
「ううん、べつにいいんだよ。やっぱりおかしいもんね、こんなおばさんがブルマなんか穿いてるなんて」
「あ、そ、そんなことないっす。」
「そう?無理してない?ほんとのこと言って言いんだよ?」
「ほ、ほんとっす。せ、先輩、よく似合ってるっす・・・。」
このくらいの男の子って、こちらから離してあげるとけっこう喋ってくれるもので、ほとんど誘導尋問的に彼と話をしました。

「似合ってるって、どこがかな?」
「え?あ、あの、全部が・・・。」
「全部って、そんなの答えになってないよ?」
「あ、あの、その・・・。」
「たとえば、お尻、とか?」
「あ、はい、お、お尻、っす・・・。」
「お尻が、どんなふうに?」
「お、お尻が、お尻が、見えて、見えてる・・・。」
「じゃあ、ずっと私のお尻、見てたんだ?」
「い、いや、見てない、っす、・・・。」
「ほんとー?ほんとに見てない?」

私は彼の目の前にブルマのお尻を近づけてみました。彼は思わずのけぞり、うつむいてしまいました。
「うちの高校のブルマってね、なぜだかすぐにお尻が出ちゃうんだよね。あ、ほら、こんなふうにすぐ!」

私はそう言うとさらに彼の顔にお尻を近づけました。彼は一瞬顔をあげましたが、目の前に私のお尻があるのを見るや否やまた下を向いてしまいました。
「ちょっと待ってね。お尻直すね。」

私はブルマとお尻の間に指を入れてブルマを下に引っ張ってお尻をしまいこみました。
「こうやってね、お尻を直してもね、一度しゃがんだりするとね、またお尻、出ちゃうんだよ。」
と言って二、三回しゃがんでみては再びブルマからお尻をはみ出してしまいました。
「ほら、やっぱり出るでしょ?ほんと、困ったものだよね、ブルマってさ」

彼はチラチラと顔をあげては私のお尻を見ていました。その度に「あ、いや、その、」と何か言いたげでしたがほとんど言葉になりませんでした。
「よし、だいたい終わったかな。」

私はそう言うと彼も「あ、はい、だいたい、終わったっす、ね・・・。」と言ってその場を離れようとしましたが、私は彼の腕を掴んで言いました。
「まだいいじゃない。ちょっと休んじゃおうよ」
私は彼を石段のところに座らせ、その隣に私も座りました。
「今日はちょっと。寒いね」
「あ、はい。寒いっす・・・。」
「うそ、君は制服着てるじゃないよ。私なんかブルマなんだよ」
「あ、はい・・・。」
制服姿の中学生の隣に腰掛けると、私の剥き出しの太ももが一層際立ちます。
「動いてるとそうでもないけどさ、こうして座るとだんだん寒くなってきちゃった」
私はそう言うと、両の手のひらで太ももをさすりました。ピンと伸ばした私の両脚の太ももを見て、彼の芽生え始めたエッチな心に再び火がついたみたいで、

「せ、先輩は、なんで、ブルマなんですか?」と聞いてきました。私は、
「なんで、って言われてもねぇ、うーん、なんでかな。」
さすがに中学生に「ブルマ姿を見られるのが快感なの」なんて言えないのでなんとなくごまかしていると、
「ぼ、ぼく、先輩がブルマが好きだって、聞いたこと、あるっす」と言ってきました。私は、
「ふーん、誰に聞いたの?」と言いました。
彼は「だ、誰に、って言うか・・・。」と口籠っていたので、私は、
「君は?君は女の子のブルマは好き?」
と言いました。すると「あ、いや、その・・・。」とまたおどおどしたので、
「触ってみる?私の太もも、触ってみる?」と言いました。彼はびっくりした顔で、
「い、いや。いいっす!し、失礼します!」
と言うと走り去っていきました。私は少し調子に乗りすぎたかな、とおもいましたが、ブルマー姿で8つも年が離れた子と
こんなに話をしたのが嬉しくて楽しくなってしまいました。
私もすっくと立ち上がると、お尻についた砂や石を払い、さっきまでいた中学生達のところまで駆けていきました。みんなが、

「先輩、もうほとんど終わったっ思います!」
と言って私の周りに集まってきました。制服姿の中学生に囲まれた半袖ブルマー姿の22歳。やはり剥き出しの太ももやお尻が目立ちちます。
「や、やっぱり、このシチュエーションは、たまらないな・・・。」
奉仕活動が始まる前のあの不安だらけの気持ちはどこへいったのやら、私はすっかり酔いしれてしまいました。

中学生の中で22歳の女性が居るだけでも目立つでしょうし、そのうえ一人だけブルマ姿は目立つを通り越して男の子には刺激が強すぎましたね。
そんな注目を浴びることが貴女をより大胆にさせ、身体も欲情してしまったことでしょうね。