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仁美のノート

 後輩からの厳しい躾や辱めを受けながらも、
天性のM性で耐え、その仕打ちを喜びとも感じてしまった。
学生時代の思い出が詰まった仁美さんのノートです。
  


仁美さん(28)より
 

10/12

しばらく投稿の間が空いてしまいました。
私が4軍として活動していた時から6年がたったことになります。
そう考えると6年前まではブルマーでしつけを受けていたことになります。
体罰もいろいろと受けました。
一番多かったのがお尻の鞭打ちでした。
次に正座もよくさせられました。
この二つは1週間に何回,というレベルでした。

その他にも罰走,もも打ち,空気いす,その他書ききれないくらいです。
一番辛かったのは乳首や敏感なところにクリップをつけられたことです。
痛いというレベルではありませんでした。
でも体罰よりもつらかったのが晒しの罰でした。
ただブルマー姿で大学の構内に立つだけなのですが,とにかく視線が突き刺さりました。
最初は変な眼で見られるくらいでしたが,そのうち写真を撮られたり,心無い言葉をかけられたりしました。
私のはみパンブルマー姿の写真で性欲処理をしているといわれたことも何度もあります。
その時点で男性経験のない私にとってはきつい言葉でした。

でもそれもこれも自分が4軍に落ちるようなことをしてしまったからだということはわかっていました。
多分6年前のこの時期は根性をつけるための訓練を受けていたと思います。
私以外にも4人の4軍がいました。
他は1年生なので全員ハーフパンツでした。
その中に一人ブルマー姿の私がいました。
5人で厳しい訓練を受けました。

例えば並んで「腕立て」でした。
これは腕立て伏せとは違い,ただ両手と両足を地面についてひたすら耐えるのです。
そして「バケツ持ち」です。
これは水の入ったバケツ手を地面と平行にして持ち続けるものです。
その他にもありますが,これは競争です。
最後まで耐えた者にはご褒美がある一方で早々と脱落した場合には罰があります。
私が最初の脱落者になったケースが多いことは言うまでもないと思います。

 
6年前とは遠い昔でもあり、昨日のように思いだされることも多いのでしょうね。
辛いことも多かったでしょうが、M性を刺激されることも多かったのでしょうね。


2/9

私が4軍に落ちてから,何度かの合宿がありました。
そのうちの一回のことです。
私は合宿前に教育係から指示を受けました。
「仁美,お前には次の合宿で4軍のリーダーになってもらうから」
意外な言葉でした。
いつもミスや違反ばかりしている私にそんな役割が回ってくるとは。

「その前にリーダーらしい訓練を受けてもらうからね」
その訓練とは,部の合宿所で寝泊りし,教育係から24時間指示を受けるものでした。
「もちろんお前の普段のしつけも一緒にするからね。厳しいよ。」
「はい。よろしくお願いします。」
合宿前に合宿所に入りました。
「じゃあ最初に所持品検査ね」
抜き打ちで,合宿所に入ってすぐ,ある部屋でかばんの中を検査されました。
全てのもちもの,練習着や下着も念入りに検査されました。
禁止品の持ち込みはもちろんですが,下着や練習着の種類や枚数なども調べられました。
それに合格すると着ているものを全て脱ぎ,違反物を隠していないことを調べられました。
それにも合格すると着てきた私服を教育係に預けました。
その場で下着を身につけ,練習着に着替えました。
合宿所では基本的に24時間練習着着用です。
もちろん半袖体操着と紺のスクールブルマーです。

「持ち物に違反はないみたいね」
「はい」
この辺りは私も学習していました。
4軍には細かく所持禁止品と練習時の持込(着用)禁止品が決まっていました。
最初はそれを覚えるだけでも大変でした。
例えば所持禁止品は、携帯電話、化粧品など
持ち込み禁止品は、Tシャツ、色物・綿以外の下着,ブラ・パンツ以外(キャミソール・タンクトップなど)の
下着(但し着用は練習外でも禁止)、白・綿・無地のスクールソックス以外の靴下(練習以外でも)
アクセサリー類(練習外でも禁止)などでした。

寮に入るとまず挨拶に回りました。
その後トイレや上位の人の部屋の掃除などを行いました。
一通り終わると,教育係から今回の訓練の心構えを聞きました。
「合宿中は4軍が手を煩わせるようなことをしないこと」
「そのためにお前を訓練していること」
「合宿できちんとした行動が取れるための訓練であるとともにこれまでのしつけの仕上げの意味もあること」
などを言われました。
それまで私は規律に従った行動を取れるようにしつけを受けてきました。
上下関係を守ること。
決められた指示と規則を守ること。
甘さを克服するため欲望を抑えること。
などに関してしつけを受けてきたのです。
この訓練はその仕上げだというのでした。

具体的に受けてきたしつけの一部は,
食事トレーニング…決められた時間内に残さず食べること。
便所トレーニング…許可を受けた上で速やかに用を足すこと。
性欲トレーニング…性欲を抑え,手淫したい気持ちを完全に克服すること。
服装トレーニング…練習着を正しく着用すること。練習時に限らず自主的に練習着を着用できるようになること(制
服のように考えること)。仮に練習着以外を着用する場合でも絶対に華美にならないように。
など生活の隅々にまで渡ります。

その他以前に話した男女交際違反も含め,規律ある生活のためにしつけを受けました。
それらのしつけの仕上げとは,以上のような今まで受けてきたしつけをきちんと身につけ,自然に行えるようにする
ことでした。
つまり「4軍だからいやいややっている,4軍でなくなったら守らなくなってしまう」ではなく,完全に自分のものに
なるようにすることでした。
それには相当な努力が必要でしたが,必死になってやりました。
弱い自分に打ち勝つために。
やらされているのではなく,自分のために身につけるのだと。
その後のことはまた書きます。

   なかなか細かい規律ですね。当たり前になるまで身につけるのは大変だったことでしょうね。
だけど、上の軍の人はみんなこれが出来て当たり前なレベルなのですね。


12/14

なぜブルマーが恥ずかしいんだろう,と考えたことがありました。
まずはその形状です。
ポイントは裾にあると思います。
股の部分が一番深く,太ももの外側にいくに従って徐々に浅くなっていきます。
これが太ももや股下を強調するのですね。
でも同じような形状のものはほかにもあると思います。
フィギュアスケートや新体操のユニフォーム,シンクロナイズドスイミングの水着などです。
あれがブルマーと同じ形状なのは脚の美しさを強調するためなのでしょうか。
そして最近陸上の短距離の人たちが穿いているユニフォームもそうですね。
これは動きやすさを追求している気がします。
これらの人たちは誰かに強制されて穿いているわけではないのだからやはりそれがいいという理由があるのだと思います。

次に恥ずかしいポイントとして身体にぴったりしていることが挙げられます。
でも最近のバレーボールの選手のパンツも裾が浅くてぴったりしているのですが、恥ずかしいとは感じません。
これはやはり裾が水平,というか股の部分も太ももの外側の部分も同じ深さ,しかも適度な長さがあるからでしょうか。
だったらハイレグの方が恥ずかしいと思われるかもしれませんが,その感覚は違うと思います。
私が穿いていたのはそれほど裾の浅くない一般的な(?)ブルマーでした。
上に書いたような競技のユニフォームはかなりハイレグタイプのものが多いですよね。
でも,そのことが脚のラインをきれいに見せると思うのです。
私の穿いていたスクールブルマーは裾が浅い(切り込みが低い)ぶん,裾のゴムが太ももを圧迫してその太さを強調するのです。
つまり,腰に近い部分まで裾の切り込みが高い上記のようなユニフォームとは根本的に違うのです。
だから,同じブルマーでもハイレグタイプのものを穿きたいと思っていました。

一枚ネットで買い,教育係に着用を許可して欲しいとお願いしたこともありました。
「先輩,ブルマー着用は守りますから,こういうのを穿かせてもらえませんか?」
それを見た教育係は,
「何これ?」
そこで上のような話をしました。
でも冷たく「ブルマーなら何でもいいってわけじゃないの。ブルマー着用はお前のしつけの一環,というか一番大切
な部分。だからそれにふさわしいものを選んで指定しているの。」
前にも書いたと思いますが,私の指定ブルマーは中学・高校の体育なんとか連盟みたいなところが推薦しているもの
でした。
つまり,教育を受ける者が穿くのに一番ふさわしいというものでした。

それなのにしつけを受ける立場でありながら,そんな脚を大きく見せるようなブルマーを穿くのはふしだらだ,というようなことを言われました。
「そうだ,自分はしつけを受けているんだ…」
自分の認識が甘かったと思いました。

翌日,新しいブルマー(もちろん指定のもの)を下ろしました。
タグに「中学体育○○推薦」というようなことが書いてありました。
「そうだ,これが今の私に一番ふさわしい練習着。大学生になって自由になったけど,今の私は違う。もう一度厳し
かった中学や高校時代に戻ってやり直そう」という気持ちになりました。
スカートを脱いでブルマーに脚を通したとき,気持ちがいつも以上に引き締まりました。
教育係の前で「○○先輩,今日も厳しいご指導をよろしくお願いします!」と言いました。
いつもと様子が違うことをわかってもらえたのか,「どうかしたの?」と言われました。

私は今まで,大学4年生なのに何で3歳も年下からこんなに厳しくされるの,と思っていました。でもその考えが間違っていました。
私のだらしなさからすれば高校生,いや中学生と同じです。
年齢的に大学生というだけで,実が伴っていなかったことがわかっていませんでした。
だからプライドばかり主張していました。
私よりしっかりしている中学生はいっぱいいます。
本来なら,私は中学3年生からしつけを受けるべきです。
それなのに大学生に混じって練習させていただいています。
それが分からずに反抗したりしてすみませんでした。
これからはどんなに寒くても,どんなに恥ずかしくても半袖体操着とスクールブルマーで頑張ります。
私が違反やミスをしたときは厳しく指導してください。
言ってわからないときは手加減せずに厳しい体罰を与えてください。
体罰を与えてくれるのも私のためだと分かりました。
気持ちを入れ替えて頑張りますのでどうか見放さないで今まで通り厳しいしつけをお願いします。
そんなことを言ったと思います。

このことが分かって素直に受け入れられたときから,不思議と自然に遅刻や違反も減っていきました。
それに伴って体罰を受ける回数も減っていきました。
そして,「気持ちを入れ替えたのにまたこんなミスをしてしまってすごく悔しい」と思うようになりました。
自分から「こんなだらしないやつには厳しい体罰を与えてください」と言えるようになりました。
言われなくても自主的にブルマーとパンツを下ろし,「力いっぱい鞭で尻を打ってください!」とお願いしました。
一発ごとに悔しさがこみ上げてきて,「これが最後になるように」と思いました。
痛さで泣く自分を「自分が悪いくせに何を泣いてるの?」と思いました。
教育係から「もう終わり」と言われても,「手加減しないでください!もっと腫れ上がるまで尻を打って下さい!」と言いました。
それくらい悔しく,自分が許せませんでした。
そして,今まで厳しいと思っていたルールもその意味を考えるようになりました。
そのことはまた今度書きます。

 
自分の中で、何かが変わった瞬間だったようですね。
時間はかかっても、しつけを受けることで自ら目覚めたのは良かったですね。


7/27
ある試合のときのことです。
もちろん私が出場できる訳はありません。
試合の最中に,各大学から数名が雑用のために借り出されるのです。
どの大学も1年生が出ていて,4年生は私一人でした。
前の日に練習に遅刻して尻を鞭で打たれたので覚悟を決めていました。
その日は早く着いて,掃除などをすることに決めたのです。
そして試合開始の何時間も前に着きました。

いつものように半袖体操着とブルマーに着替え,服装に一切の違反がないことを確認した上で,たった一人掃除を始めました。
最初は一人でしたが,徐々に他の大学の人たちが集まってきます。
もちろん私は好奇の目で見られました。
「何あれ,ブルマーじゃないの?」
「○○大学の○○仁美だって。あそこの大学ユニフォームはブルマーだっけ?」
「違うよ。あれって明らかに高校のときとかに着てた体操着だよ」
「え〜!あんたの高校ってブルマーだったの?」
「そんな訳ないじゃん!ブルマーなんて穿いたら恥ずかしくて死んじゃうよ」
「パンツといっしょだもんね」
大体こんな話でした。

恥ずかしくて仕方ありませんでしたが,それも前の日の遅刻の罰だと思って耐えました。
そして上位の軍の人たちがやってきました。
「1年○○先輩!おはようございます!今日の4年4軍○○仁美に厳しいご指導よろしくお願いします!」と言いました。
ところが教育係の反応は意外なものでした。
「仁美。これ貸してあげるから着なさい。」と言われたのです。
その手には上下のジャージが。
「え?先輩,どういうことですか?」
「仁美,お前,朝早くから来て掃除してたんだってね。○○大学の○○さんから○○先輩(うちの大学の4年生)に話
があったよ。」
「そうですけど…私の練習着は体操着とブルマーに決まっています」
「教育係の私がいいって言ってるんだから!お前,昨日のことを反省したんじゃないの?」
「はい…それで少しでも早く来て掃除しようと思いました」
「だからこれはそのご褒美」
「え…ありがとうございます!」

いつも厳しくしつけられている教育係からのびっくりするご褒美でした。
それも,その日は体操着もブルマーも穿かなくていいと言われ,何と下着の上に直接ジャージを着ることを許されたのです。
しかもそのジャージは厳しい教育係が自分のものを貸してくださったのもの…
嬉しくて,嬉しくて,その場で半袖体操着とブルマーを脱ぎ捨てて着替えました。
こんなこともあったのです。

 
やはりきちんとするべき事をして努力すれば、認められることもあったのですね。
こんな感じでいつもいろんな所に気配りしながら、頑張ることが出来れば良かったですね


7/21

目上の人への反抗という最も許されない罪を犯してしまった私は前回も話したように磔の罰を受けました。もう裸で
磔なんてそれほど恥ずかしくもなかったのですが,乳首と敏感な場所に付けられたクリップは言葉では言い表せませ
ん。ただ,痛みにはいろいろなものがあることを思い知りました。正座の痛さ,鞭で打たれた痛さ,そしてクリップの痛さ。 
私はその後,服装と上限関係についてさらに厳しいしつけを受けることになりました。
ブルマーと半袖体操着については刺繍ネーム入りとなりました。
刺繍ネームが入っていないものを着れば違反とみなされます。
その上,もちろん両方ともゼッケンをつけることは変わりません。
そしてシューズは従来通り記名ですが,ソックス,ブラジャー,パンツにも記名することになりました。

反抗の罰として私は一週間の練習禁止を言い渡されましたが,その間も反省と上下関係を学ぶためにまず「人間イ
ス」の訓練を受けました。
これは四つん這いになって背中に座っていただくのです。
重さに耐えながら支え,自分が下位であることを思い知らされるのです。

さらに「便所トレーニング」。
私は上位の人達と同じ「トイレ」を使うことは禁止され,練習場から離れたほとんど使っていないであろう汚いトイ
レを使うことを指示されたのです。
そして「お前が使うのは普通の人のようなトイレでなく汚い“便所”だ」と言われ,「トイレ」と言うことも禁止さ
れました。
練習中にトイレに行きたくなったときは「1年3軍○○先輩!4年4軍○○仁美の便所トレーニングをお願いします!」
というようにお願いするのです。
そのまま先に行って「便所」の前で待つのです。
その中でいろいろしつけを受けるのです。
幼児のトイレの訓練のように。

1年生のある人にトレーニングをお願いした時にはなかなか「便所」まで来てくれないことがありました。
さらに到着後もしばらく「便所」に入る許可をくれませんでした。
「1年2軍○○先輩!4年4軍○○仁美に小便の許可をお願いします!」と何度もお願いしてようやく許可を頂きまし
た。
さらに性欲を抑えるためのトレーニング,そしてその後の合宿では食事トレーニング,入浴トレーニングを受けました。
この話はまた今度書きます。
日常生活全てで厳しいしつけを受け,規律ある生活が送れるようになりました。
「叱られるから守らないといけない」という意識が「自分のだらしなさを直すために守らなければいけない」という
気持ちになりました。
でも体罰やしつけは耐えられても,「透けブラ体操着」と「はみパンはみ尻ブルマー」は辛かったです。

 
一つの事をきっかけに、どんどん訓練が厳しく増えていったようですね。
便所でも焦らされたのは、貴女が耐えきれずに漏らしてしまうような事も狙っていたのかもしれませんね。
調教のプレイに通じるところもあるなって感じですね。


6/23

それから私はお尻を鞭打たれました。
教育係の言うとおり,その痛さは強烈でした。
最初あまりの痛さに飛び上がってしまい,「とても耐えられない」と思いました。
でも許される訳はありません。
痛みを紛らわすため,反省することに集中しました。
「規則を破ってブルマーを改造した罰なんだ」と。
そうして泣きじゃくりながらも規定の回数を耐え抜きました。
いえ,もう体に力が残っていなかったので,自分の意志で耐えたというよりも「苦しい」と思う力さえなかったのだと思います。
お尻はひどいミミズ腫れで,破れてしまいそうでした。
でも,お尻を叩くというのは罰としては一番効果があると思います。
ほかの体罰だとそのときだけ反省して終わりですが,お尻の痛みは何日間も残りますから,
じっくり自分のした違反行為と向かい合うことができますから。

それから私は体育館に引き出され,十字に両手を固定されました。
「今の尻叩きは違反ブルマーの罰。これからは先輩に反抗した罰。」
もう返事する気力もありませんでした。
「どうにでもして」という状態だったと思います。
そしてクリップを見せられました。
「さあ,これをどうすると思う?」
「わかりません…」
「先輩への反抗は重罪だからね。」
「はい…」
そして次の瞬間,クリップは私の乳首に付けられました。
「あーっっ!!」
激痛が体中に走りました。
そしてもう一つ。
泣くというより「わぁー!!ワァーッ!!やめて!!許して!!」と泣き叫びました。

そして…
「お前の反抗のせいで○○(私が反抗した相手)はとんでもない恥をかかされたんだからね。覚悟しなさい!」
まだ私は泣き叫んでいました。
そして一番敏感なところにクリップが2つ付けられました。
あまりの痛さに意識が飛びそうでした。
いや,飛んでくれたら痛さを感じなくて済んだはずです。

 体罰を与えられることを前向きにとらえることが、貴女の忍耐力を深めることにもつながっているようですね。
SMの疼痛プレイ的な内容にもなり、心ではそう思っても、やはり肉体的な苦痛は和らぐことはなく辛かったことでしょうね。


6/11

そうですね。
でも厳しくしつけてもらったことで生活態度はかなり改善されました。
もちろん今は何か失敗しても体罰を与えてくれる人はいませんが,大学時代に受けたお尻の痛みや正座の辛さを思い
出すと,きちんとした生活が送れています。
もう穿くこともありませんが,ブルマーもとってあります。

ところで前回の続きです。
私が連れて行かれた倉庫はもう使っていないところでしたが,中には古い器具が放置してありました。
見せしめのため,ということで4軍の1年生が正座させられて私の姿を見ていました。

2年生のキャプテンから宣告されました。
「仁美!これからお前に対する罰を与えるよ。なぜだか自分で言いなさい。」
「はい。違反ブルマーを穿いたことと,○○先輩に口答えをしてしまったからです。」
「上下関係はきちんと守りなさいとあれほど言っていたのに。今日の罰はいつものような甘いもんじゃないから
ね。」
「はい。覚悟しています。」
「じゃあそこでまず余計なものを脱いで!」
「はい!」
私はすぐにシューズ,ソックス,半袖体操着,ブルマー,ブラジャー,パンツの順に脱ぎました。
この順番も決まっています。
また,何が「余計」かは自分で判断しなければなりませんでした。
それが指示を出した人が思っているよりも軽いと叱られました。
だから,自分にとって一番厳しい選択をしておけば間違いはありませんでした。
これもしつけで学んだことの1つです。
もうこのころになると裸になるくらいのことは恥ずかしくもなんともなくなっていました。
全裸で気をつけをして指示を待ちました。

「みんながジャージを着ている中でお前だけ何も身につけていない。自分の立場を少しは思い知ったかしら?」
「はい。厳しい体罰をよろしくお願いします」
「まずは鞭打ちね。でもいつもより痛い鞭を使うから覚悟しなさい!」
「はい…よろしくお願いします。」
「この痛〜い鞭でどこ打って欲しい?せっかく裸になったんだから背中か胸か?」と笑われました。
そんなところを打たれたらどんなことになるかわかりません。
思い切って「お願いですから尻にしていただけませんか?」とお願いしました。
「仕方ないね。尻と太もも。それでどう?でもそれじゃいつもと一緒ね!」
「ありがとうございます。その代わりいつもより厳しく打って下さい。」
「この鞭は相当痛いと思うよ。そんなこと言って後悔しないの?」
「はい。○○先輩に口答えをしたのだから当然です。」

私は正座させられている後輩の方に背を向け,鞭を受ける体勢を取りました。
足を開いて両手で足首を掴むので,すべて見られていたと思います。
でも「恥ずかしい」というより,無様な姿を晒すことで「わたしみたいにだらしなくなってはいけない」ということ
をせめて先輩として後輩たちに教えられるのではないかと思いました。

続きは次回にします。

 
 やはり大切なブルマは保管してあるのですね。
当時を懐かしんで、何かミスった時はブルマ姿になって
自ら罰を作ってみるのもいいかもしれませんね。


5/27
以前お話したように,服装の規則は本当に細かく決まっていました。
下着はブラジャーとパンツのみ許されていました。
夏は暑いのでいいのですが,やはりブラジャーが完全に体操着から透けてしまいました。
白の体操着に白のブラジャーという組み合わせは最悪でした。
さらに,パンツはブルマーからはみ出ると紺のブルマーと白のパンツなので目立ってしまい,きちんと収めると今度
は逆にパンツの線がブルマーにくっきり透けるということになってしまいます。
そして半袖体操着はきちんとブルマーに入れる規則になっていて,ウエストゴムの一番上がはっきり見えるようにし
なければなりませんでした。
着替えも決まっていて,下着とソックスは2日穿いて一回,体操着とブルマーは3日に一回変えることが許されまし た。
そして,私には小さな自由さえも全くありませんでした。
ブルマーの前の右上にはタグが付いていました。
何だかそのタグがスクールブルマーであることを強調しているように思えました。
だからあるときそれを取って穿いたのです。
私はそれはそんな重大なことだとは思っていませんでした。
そしてそれがもっと大きな問題になってしまいました。
上位の人(2年生)から
「仁美。そのブルマーどうしたの?」
「え?何かおかしいですか?」
「それ指定のブルマーなの?」
「そうです。」
「じゃあなんでタグがついてないの?」
「外しました。」
「勝手なことするんじゃないよ!それじゃあ制定のブルマーかどうかわからないでしょ!違反ブルマーね。脱ぎなさ い。」
「え?」
「服装違反の罰を与えないとね。お尻を出しなさい!」
私はカッとなってしまい,
「そんなの制定ブルマーに決まってるじゃない!わざわざ自分でほかのブルマーなんか買って穿くわけないでしょ!
何で尻たたかれなきゃいけないの?」と言い返してしまいました。
「は?何?その言葉遣いは?」
「黙って!」
「お前誰に口利いてるの?」
「私は4年生,あんたは2年生じゃない?」
私ははっとして
「すみません。」と謝りました。
しかしもう遅かったのです。
「違反ブルマーを穿いた上に口答え?」
上下関係を重んじる部で,最も罪が重いのは上位の人への反抗でした。
私は「先輩」の立場から部で最低のランクになりましたから,特にこの点は厳しくしつけられました。
その人は学年は2つ下でも,もちろん部では私が下です。
それに制定ブルマーを穿いていたとはいってもタグを許可なく外してしまったのはやはり重大な服装規定違反でし た。
仮にそれが制定ブルマーだったとしても規則で禁止されている「改造」になりました。
私には厳しい懲罰が科されました。
罰の対象は2つ。
違反ブルマーを穿いたことと,上位の人への反抗でした。
私は体育倉庫行きを命じられました。
そこで最初に違反を指摘された時点で素直に尻を鞭で打たれていればよかったと何度も後悔するような本当に厳しい
罰を受けることになってしまったのです。
それでも,本来ならば即退部となるところ,「4軍なので仕方ないだろう。厳しくしつけなおして様子をみる」という
ことにしてもらえたのです。
今考えれば,私は「体操着とブルマーを強制されている」「下着はパンツとブラしか許されていない」と考えていま
したが,「4軍なのに体操着とブルマーを着ることを許してもらっている」「下着もパンツとブラまで許してもらって
いる」と考えるべきでした。
あと,部でのしつけのおかげで今は普通の生活が送れています。
やはり自由の許されない規則と,違反時の容赦ない体罰でしつけてもらったことがそれまでのだらしのない生活を反
省するよい機会になりました。

 
やはり、こんな厳しい躾を受けないと、長年のだらしない生活を変えることは出来ないのでしょうね。
監視の目が無くなる状況になれば、すぐに元の状態に戻ったりはしなかったのかな。


1/13

そうですね。
正直最初は「なんで私だけ」と思っていました。
でもよく考えると,叱られたり体罰を与えられたりするのは自分がルール違反をした時だけでしたから。
同じ4軍でも一年生たちはそれほど厳しくしつけられなかったのは,私のようにだらしない性格ではなかったからです。

最初は私と1年生の4軍合わせて1人の教育係でしたが,わたしがミスや違反を繰り返してしまうと「仁美のしつけは大
変だから」と私だけの一人の教育係(1年生・仮名で大野さんとしておきます。)が付けられました。
それでもだらしない行動が直らないと,さらに一人のサブ教育係が付けられました。
もちろん教育係も1年生でした。
とにかく何から何まで管理されました。
遅刻癖・忘れ物癖など基本的な生活習慣が直らず,しつけを受けるのですから当たり前ですけど…

私のだらしなさは「部始まって以来最も手のかかる4軍」と言われました。
そしてしつけを強化するため(?)にいろいろ私だけの特別ルールが作られました。

@体罰は原則禁止→仁美の場合は原則体罰可。
何度も叱られたのに遅刻を繰り返してしまったとき,「口で言ってもだめね」と言われました。

Aやむを得ず体罰を与えるときは原則正座で違反が重大なときのみ例外的に尻打ち→仁美は正座,尻打ちのほか,他
の体罰も可。
太もも打ち,バケツ持ち,手押し車,空気いす,人間いす,クリップ,
それでも体罰を受けても行動が改まらないので教育係にもあきれられました。
教育係は「どんな体罰が効果的なのか」いろいろ考えていたと思います。
限界までの手押し車,パンツ一丁での空気いす,

B尻打ちは原則太い木製→仁美の場合は竹鞭が原則。後に仁美専用の細い鞭が用意されました。
太い木製のもので叩かれると鈍い痛みしか感じませんが,竹鞭はお尻に太い蚯蚓腫れが何本もできました。
細い鞭は細いから痛くないと思われるかも知れませんが,実際には他のものと比べ物にならないくらいの痛さで,お
尻が切れるような鋭い痛みがありました。
泣かずに受けられたことがありません。

C尻打ちの回数は通常5回以下で違反が重大なときは10回まで→仁美の場合は上限なし。

D正座は1時間まで→仁美の場合は上限なし。

E正座は床の上→仁美は限定なし。
実際にはアスファルト・砂利・雪の上などでした。

F尻打ちはハーフパンツの上からが原則で,違反が重大なときのみパンツにさせることがある→仁美は違反の重大さ
に関係なくパンツを脱がせての鞭打ちも可。

 私にとっては「自分ばかり厳しくなる」と思っていましたが,教育係からすれば「どんなに厳しい罰を与えても全然
反省しない」ということになるのです。
日を追うに従って教育係はとても怖い存在になりました。
怒鳴られ,体罰を与えられ,容赦なくブルマー姿を晒させられ…
でも不思議なことに厳しくしつけを受けるうちに3歳も下の教育係を姉のように感じる気持ちが出てきました。
そして,結局4軍に落ちたことも,厳しいしつけを受けることも,自分のだらしなさが原因であると思いました。
それに嫌なら退部すればいいだけの話でした。

 私が残ることでわざわざしつけの手間までかけてしまっていたのです。
自分がだらしない行動を取らなければ体罰を受けることもありませんでした。
半袖体操着とスクールブルマーが恥ずかしいといっても,そもそもこれらは運動着なので「他人に見られてもいい」
ことを前提にしたものです。
裸やパンツで練習しろと言われているわけではありませんでした。
「お前は思い違いをしている」と何度も言われました。

 
ご自身でもだらしないと自覚されている位だから、規律を重んじるクラブの中ではより厳しい
躾を受けるように必然的になるのですね。
 これだけ躾を受けても改善されないのは、そういう障害をお持ちである可能性もありますが、
その後の生活では、影響がありませんか。この時受けた躾で変化はあったのでしょうか。


12/23

久しぶりの書き込みになります。
私が受けたしつけは部活動だけではなく生活のすべてに及びました。
服装のしつけ,言葉遣いのしつけ,食事のしつけ,トイレのしつけ,勉強のしつけ…
そしてしつけの効果を上げるためには,徹底的に私に上下関係を教え込むことが重視されていました。
そしてそのためには極限までの屈辱感と恐怖感を感じさせることが一番だったようでした。

普通なら耐えられないような屈辱感や恐怖感,教育係を含め上位の部員はそれを私に自由に与えることのできる側,
そして私は一切拒否できず服従しなければならない側,その立場の違いを思い知らされることで私の上位の人に対す
る従順さを身につけさせようとしていたと思います。
私は大学生4年という立場を捨てて,高校生,いえ,小学生に戻って一からしつけを受けなおすのでした。
今のように寒くなってくるとブルマーの辛さを思い出します。
同じ4軍でも後輩たちはハーフパンツ姿でしたし,ポケットにカイロを隠し持っていました。
丈も長くてひざまでは隠れるし,下に暖かいものを穿きこんでも目立ちませんでした。
教育係たちもそれを黙認していました。

それに指定のものとはいえ,真冬の間だけはジャージも着用させてもらっていました。
でも私にはジャージが認められることは一切ありませんでした。
半袖体操着とブルマーのままでした。
「冬だからむしろブルマー」
「みんながジャージ着ているときに一人だけブルマーだからいいんでしょ」
「目立っていいね。お前にはジャージは似合わないよ。ブルマーかわいいよ」
と言われました。
ブルマー姿で外に出ると太ももに突き刺さるような痛みが走りました。
夏の間は恥ずかしさだけがブルマーの辛さでしたが,寒くなると凍えてしまうような辛さが加わります。
そして冬のブルマー姿は夏以上の恥ずかしさがあります。
夏ならみんな半袖やハーフパンツなどで練習しているので,薄着は同じです。
でも冬はみんなジャージの中で一人だけ半袖ブルマーなんて余計目立ちます。
それに寒いのにジャージを着ないでブルマーでいるなんてどんなに見せたいんだろう,と思われていたと思います。
恥ずかしさの少ないハーフパンツ姿の後輩たちがわざわざジャージを許され,ブルマー姿の私にだけ許されないのは
屈辱感が増しました。

ブルマーにはポケットはありませんからカイロはもてませんし,見つかれば懲罰だったでしょう。
下に着込もうにも下着はブラジャーとパンツしか許されていませんでした。
タンクトップやキャミソールは禁止でした。
だから半袖体操着の下はいつもブラジャーのみでした。
完全に透けてしまうので最悪でした。
それに下に何か穿こうにもブルマーのようにぴったりしたものではそれは無理でした。
夏には太ももとお尻にずっと周囲の冷たい視線が突き刺さっていましたが,冬にはそれに冷たい空気が針のように突
き刺さりました。
それに冬にこんな格好をしている大学4年生に対しては周囲の視線ももっと冷たいものになりました。
もうその頃には私のことは広まっていたと思います。
なぜなら私の胸の前後には「○○部4年4軍」と書いた下に大きな太い文字で「○○仁美」と名前が書いてありましたから。

遠くから見てもよく見えました。
前に後輩が男子を連れてきた話はしましたが,その人たちにも写真を撮られました。
晒しものになっている時点で知らない学生から何度も撮られているので今さら何と言うことはなかったですが…
全身写真をとっても名前はしっかり分かるくらいに写っていました。
雪が降っても関係ありません。
どんなに寒くても私は半袖体操着にブルマー。
「冬に半袖とブルマーは恥ずかしいです…」
そう言うと,「そう。でもお前はただの半袖ブルマーじゃないよ。“透けブラ体操着”と“ハミパンブルマー”。夏
以上に外の練習を多くするから覚悟しなさい!」と言われました。

 
屈辱感と恐怖感で躾ていくのは、なんだかカルト集団と洗脳とも手法が似てる感じですね。
その頃の厳しい躾は、貴女の人間形成に役立ち、今もいろんな所で成果が出ているのかな。


4/6

そうですね。
でも4軍になった時点で男女交際と少しでも疑われるような行為をしたら即退部と言われていました。
集団でなく男性と話すことは絶対だめだと言われていました。
その注意を破って一緒に帰ってしまった以上叱られるのは当然でした。

これは責められたときには言いませんでしたが,それにその日に相手から「つきあってほしい」ということを言われ
ました。
最悪の退部処分だけは許されて寮内謹慎という懲罰を受けました。
その他「下着着用許可」・「ソックス着用許可」・「携帯電話所持許可」の取り消しも受けました。
重大な違反を犯すような人間には一切権利は与えない,ということでした。
私は寮に入ってはいませんでしたが(というより入ることが許されていませんでした),一定の期間寮の中で上位の
軍の人の監督の下で反省をするのです。
これが辛いものでした。

寮の一部屋に入り,ひたすら自分のしたことを反省するのです。
食事は寮のものが部屋に運ばれて与えられましたが,ずっと一人で一部屋にいるのです。
何でもないことのように思われるかも知れませんが,部屋には本もないし,もちろん話す人もいません。
あるのは自分と時間だけ…
時計もないのでどれだけの時間がたったのかも分かりません。
いつ許されるかも分かりません。
とにかく自分の犯してしまった違反を反省するための時間があるのです。
服装はもちろん半袖体操着とブルマーです。
壁にもたれたり,夜寝るとき以外は横になってはいけませんでした。
できる限り正座をして反省しました。

そして何日もたって許されたときには「よく反省したね」と優しい言葉をかけられました。
そうして「冬合宿に参加させてあげる」と言われました。
もちろんそこでもしつけを受けるのですが,退部覚悟だったのでしつけてもらえることがうれしかったです。
「下着着用許可」と「ソックス着用許可」も再許可してもらえました。
そして必死の反省の上で私の出した結論…
「部を続けていくために相手にきっぱり断る」というものでした。
そのことを教育係に伝えて教育係立会い(といっても離れた場所から監視している)上でもう一度会う許可をもらいました。

約束の場に半袖体操着と紺ブルマー姿でいきました。
汗で黄ばんだ体操着に色あせて擦り切れそうな紺ブルマーをわざわざ選んで…
私の姿を見てびっくりしていました。
そこで自分は今部内でしつけを受けている立場のこと,このまま部を続けていきたいこと,それには気持ちには応じ
られないことを伝えました。
相手は「卒業まで待つから」と言ってくれましたが,「大学4年にもなって高校生用の体操着とスクールブルマーでし
つけを受けるような私を好きにならないほうがいいよ」と言ってきっぱり断りました。
辛かったですけど。
でも,自分には部を続けることの方が大事だったのです。

 
何日も軟禁状態で反省だなんて、信じられないような懲罰を受けたのですね。
規則を破った者をそのままにしていたら、周りへの士気に影響したのでしょうね。
好意を抱いていた人に流れず、部を続ける道を選ぶ貴女の意思は相当強いものだったのですね。


3/25
今日はいつもとは違ったことを書きます。

私が入部したとき部の規則で「男女交際禁止」でした。
4軍に限らず全ての部員が守らなければいけない規則でした。
私も入部から先輩にきつく言われてきました。
あるとき,一通りの練習が終わったあとで,ある上位の軍の人から思わぬことを言われました。
「お前4軍のくせに男と付き合ってるみたいね?」
誤解でした。
でも自分にも思い当たることがありました。
ある男の人と大学の帰りに偶然会って一緒に帰りました。
そして私はその人のことが好きだったのです。
だから一緒に帰れてそれだけでもとてもうれしかったです。
でも男女交際は厳禁だということは分かっていました。
だから付き合っているとかそういうことはありませんでした。
でも部外の男性と二人でいるというのはそれ自体重大な違反でした。
正直うれしい気持ちの中でも「こんな違反をしてしまって部内の人に見られたら大変」という気持ちも最初からあり
ました。

後輩は「4軍で男女交際禁止の規則を破るなんて大胆ね。もう退部だよ」と言いました。
「誤解です。付き合っていません」
でも聞いてもらえませんでした。
「正直に言えば退部だけは許してもらえるように頼んであげるから」と言われました。
それでも認めないでいると,「○○日に男と一緒にいただろ!」と言われました。
私の心当たり通りでした。
でも認めることはできません。
認めたら退部でしたから。
正座をさせられ「よく考えて正直に言いなさい!」と言われました。
それでも言わないでいると「四つんばいになって尻を出せ!」と言われました。
パンツを脱いでいわれたとおりの姿勢をとりました。
何度もお尻を鞭打たれました。
痛さに泣きました。
「どう?正直に言う気になった?」
「いえ…そんな人は知りません…」
涙声で答えました。
「仕方ない。もっと厳しく打て!」と他の人に命令していました。
何回鞭打たれたか分かりません。
もう最後はお尻がしびれて痛みが感じなくなっていたし,ひざもガクガクでした。
でも耐え切りました。
そうなるともっと厳しく責められます。
そのまま手押し車。
両ふとももを抱えあげられて前に押されます。
もうさっきの鞭打ちで手の力が残ってませんでした。
顔から何度も落ちました。

それに押している人に恥ずかしいところを全部見られる屈辱。
「男と付き合ってるくせに私に見られるのがそんなに恥ずかしいの?」と笑われました。
それでも言わないでいると,ここには書けませんが,もっと厳しく責められました。
こんなの拷問だよ…と思いましたが,後輩たちは既に私の「男女交際」の証拠をもっていたのです。
あとで二人で帰っているところの写真を見せられました。
でもこの時点では自分はそんなことは知りませんでしたから,「何とか正直に言わないで済めば…」と甘く考えていました。
証拠がある以上後輩たちは正直に言わない私が絶対に許せなかったのは当然でした。
とうとう痛さに我慢できず,「正直に言います…」
パンツとブルマーを返してもらえました。
そして相手の名前,一緒に帰ったこと,付き合ってはいないことなどを正直に話しました。
4軍ということを考えるとこれだけで退部処分は当然でした。

でも後輩は納得していませんでした。
「ここに座れ」と倉庫のマットの積んである上に座りました。
正座しようとすると「尻をついて座れ」と言われました。
「え?」と驚くと,「脚を大きく開け!」
恥ずかしいですが,言うとおりにしました。
そうすると,後輩の一人が私の敏感なところをブルマーの上から刺激し始めました。
「やめて…」
脚を閉じようとすると「誰が脚を閉じていいと言った?」
歯を食いしばっていると徐々に気持ちがよくなってきました。
こんなに恥ずかしい,ひどいことをされているのに,感じてしまっているなんて…
でもそれを悟られまいと「やめてください…」と言っていました。
心の中では「こんなに気持ちいいの初めて…何なの…?」と思っていました。
そして後輩たちに携帯で私の好きな人の写真を見せられました。
「お前ずっととぼけてたけど最初から証拠があるんだよ!」と言われました。
もう我慢ができなくなりました。

正直いうとその人のことを考えながら自分でしたことが何度もありました。
後輩たちから恥ずかしいことをされているのにこの自分の状態は何なの?
自然に脚を開いていました。
「どう?」
「…」私は何も言えませんでした。
写真を見せられた瞬間に自分を抑えられなくなっていました。
そして必死に耐えていたのに声を出してしまいました。
後輩はそこで手を止めました。
「え?」と思いました。
最初は嫌だったのに止められると「これで終わり?」と思ってしまいました。
もう我慢はできません。
「こんな状態で止めるなんて…」
でもそれが後輩の狙いでした。
「気持ちいいんでしょ?我慢できない?じゃあ正直に言えば?」
もう気持ちを抑えきれなくなっていました。
「はい…認めます…」
「じゃあ反省文!」
私は正座して反省文を書きました。

もう頭の中は好きな人のことと,自分の中から湧き上がってくる欲求でいっぱいでした。
それが満たされればもう…と。
書いている間も早く解放されて自分で続きを…と我慢できませんでした。
書き上げると後輩たちに見せました。
「いいわ。退部にはしないように言ってあげる。」
「ありがとうございます…」
「オナニーしたいんでしょ?」
後輩たちが言ったことのないような優しい声でいいました。
「…はい…」
「ブルマーこんなになって…じゃあしてよし!」
「ありがとうございます…」
私はもう恥ずかしいとかそういう気持ちよりも今すぐ好きな人のことを考えながら気持ちよくなりたいということだ
け考えていました。

我慢ができずブルマー,パンツの中に手を入れました。
その間も意地悪なことを言われました。
「○○さん(私の好きだった人です)のことを考えているんでしょ?」
「もう何回エッチしたの?」
もちろんそんなことはありませんでした。
「最初のエッチはいつ?」
「気持ちよかった?」
私はその時点で全く男性経験がありませんでした。
でも「私はふしだらな女です。4軍のくせに男の人とつきあいました」
と反省文を書いた以上適当に答えるしかありませんでした。
もう頭が変になっていました。
「自分でするよりさっきの方がずっと気持ちよかった…」
そう思った気持ちを見透かされたのか後輩が「いかせてあげようか?」と意地悪に聞きました。
黙っていると,「ちゃんと正直にいったごほうび!」と言われました。
「上位の方のおっしゃることは絶対ですから…」と答えました。
恥ずかしげもなくあっという間にイってしまいました。

「こんなに気持ちいいの初めて…」
でも「お前もしかして処女?」とばれてしまいました。
「処女のくせにうそまでついて。そんなに気持ちよくなりたかったんだ?」
自分たちで言わせたくせに…と思いましたが,もうそんなことはどうでもよくなっていました。
「まあいいよ。」
後輩たちは約束を守ってくれました。
私は男女交際禁止という重大な規則違反を認めましたが,退部処分だけは免れました。
次の日から寮内謹慎という厳しい罰を受けました。

   微妙ですね。たまたま一緒に帰っていただけでも、傍目には交際しているように見えるのですね。
そんなネタを掴んでは、貴女の事を責めあげるのも凄いですね。
そういうことで周りの人は日頃のストレスを発散している部分もあったのでしょうね。


2/27

服装については最初のころは本当に厳しく検査されました。
頭の先から足の先まで,といった感じでした。
髪の毛→染める,脱色はもってのほか。短髪です。運動部だったのでもともとそんなに長くはありませんでしたが,4
軍になったらばっさり切りました。全体の長さとともに部分ごとに長さや形が細かく決まっていました。一点ずつ検
査されました。

化粧→もちろん一切禁止です。日焼け止めも禁止。眉の手入れも厳禁。4軍になる前に手入れしていた部分が生え揃う
まで厳しく検査されました。その後はナチュラルというか,小さな子どもみたいな眉毛のまま過ごしました。

練習着→半袖体操着やブルマーはメーカーから型番まで指定されていましたので,もちろん半袖体操着やブルマーの
違反はありえませんでしたが,体操着の前後のゼッケンの位置,名前の大きさ,ブルマーの前面のゼッケンの位置は
厳しく検査されました。もちろんだらしない格好にならないよう,「シャツ入れ,ゴム出し」をしつけられました。
体操着の裾をきちんとブルマーの中に入れるのはもちろん,ブルマーのウエストゴムの一番上がきちんと出ていなけ
ればなりません。練習の中で体操着の裾がたるんでくると,教育係に申し出てその都度直しました。

下着→私の考えが甘かったのですが,4軍になってすぐのころ下着の規則はあまりまともに考えていませんでした。4
軍はブラジャーとパンツだけ許可を受けて着けることができました。それ以外は一切禁止です。素材も「白一色,綿
100%,フリルやレースの一切ないもの」という規則でした。下着検査は厳しく,4軍で私だけは更衣室での検査どこ
ろか体育館の中でパンツ1枚にさせられました。何度も不合格になりました。パンツの前にちょっと小さなリボンのよ
うなものがついているだけで不合格。全く何の飾り気もない布一枚,といったパンツを買いました。ブラジャーも綿
だとスポーツブラしか選択肢がありませんでした。教育係に見てもらって合格したものを何枚も買いました。

ソックス→中学生(?)用の通学用スクールソックスでした。白一色でワンポイント禁止。長さもかかとから何セン
チ以上何センチ以内と決まっていました。もちろんハイソックスは禁止で無地のクルーソックスだけです。

シューズ→中学生や高校生の体育の授業で使うような体育シューズでした。外のシューズはたまたま中学のときに通
学用に指定されていたシューズと同じものでした。

その他→当然ですが,ジャージやTシャツなどは不必要なものとして練習場に持ち込むことは禁止されていました。
つまり,服装に関しては下着以外全て指定されていたということです。
「しつけは正しい服装から」,「きちんとした服装をすることがお前のだらしなさを直すことになるんだから絶対違
反するな」と言われました。
その言葉通り,服装は他のことよりも厳しく指導されましたし,自分の意識の中でも服装をどうすればいいか常に考
えるようになりました。

そのため,最初の頃では信じられないような行動を自主的に取ることができるようになりました。
以前ブルマーの汚れを払い落とそうとしてやめた話を書きましたが,よく考えれば服装関係で自分を律することがで
きたことはその他にもありました。
これがしつけの効果なのだと思いました。

例えばしつけを受け初めて1ヶ月くらいのことです。
あるとき,その日は練習がない日でした。
ところが練習場に忘れ物をしていたことを思い出したのです。
取りに行こうとして少し考えました。
「練習場では必ず指定練習着」
これは練習時だけのものだけだったかもしれません。
「誰も見ていないけど,だからといって規則を破るわけにはいかない…」
でも私は一度家に帰り,練習着を取ってきました。
練習場に入る前にいつものように体育館の通路で指定練習着に着替え,練習場で忘れ物を捜しました。
もちろん手抜きは一切せずきちんと体操着をブルマーの中にしまいました。
そしてわずか数分だけのブルマー姿ですぐにもとの私服に着替えて帰りました。

さらに練習にブルマーを忘れてくるという大失敗をしたときのことです。
よほどたるんでいたのだと思います。
そのとき「練習場には練習着以外では入れない」ということを考え,下はジーパンを脱いで自主的にパンツだけの姿
になって準備を始めました。
「自分はしつけをしてもらっている立場」という気持ちが自然に自分の中に身についていたのだと思います。
それでも厳しい罰を受けましたが,そのあとに白のショートパンツを貸してもらいました。
もしジーパンのまま練習場にいたとしたらどんな罰だったか分かりません。
もっとも白のショートパンツは穿き心地が悪く,そもそも男子用のものでした。
4軍になって全てのプライドは捨てましたが,やはり女子であることだけは捨てられないものでした。
白のショートパンツ姿での練習は本当に恥ずかしく,こんな格好をする原因を作った自分にも腹が立ちました。
ブルマーを穿かせてもらっている以上はたとえ中学生レベルだとしても女子としての扱いは受けているわけでした。

 
何度も躾を受けている間に、その教えは身についてくるものですね。
内情を知らない人から見たらおかしく映るかもしれないけれど、
本人達にとっては当たり前の事になっていくのですね。


1/28

思い出の話ばかりですみません。
同級生で仲のよかった人たちは,後輩に「4年にブルマー穿かせるなんてどういうこと?」と言ってくれたりしました。
でも「規則だから仕方ないよ…部を続けたいから嫌だけどブルマー穿くよ」と言っていました。
そんな気持ちを察してか,「仁美脚がきれいだからブルマーでも心配ないよ」とか,「仁美が穿くとかわいく見える
よ」とか言ってくれました。
正直私も4軍になる前は普通の女子大生でした。
普通に化粧もするし,かわいい服も来たいし…
でも4軍になったらそれを全て捨てなくてはいけませんでした。
化粧も禁止,眉も手入れ禁止なのでバサバサの伸び放題…
それに3軍のときは体育館でしか練習しなかったのが,4軍になると外での練習が主になったので真っ黒に日焼けしました。
日焼け止めも使わせてもらえませんでしたので。

ブルマーを穿かされること以上に言葉によってからかわれるのがこたえました。
そんなことを言うのは一部の後輩(私が意地悪をしてしまった後輩)でしたが…
「そのブルマーお前によく似合ってるよ。そんなの大学生は普通穿かないよね。大学1年以下!」
「そのブルマーって何年か前の○○高校用のらしいよ。でもそこもずっと前に廃止したから残ってたんだって!今は
高校生も穿かされないようなものお前は穿かされてるんだよ!」
私が小学校からずっと体操着がブルマーだったことがないと話すと,
「高校生がブルマー穿いてた時代だってブルマー穿いてた大学生はいなかったんだよね。お前は逆に小学生だってブ
ルマー穿かない時代に大学生なのにブルマー穿かせてもらえるんだよ。本当にラッキーね」
とか言われました。

後輩たちからしごかれたときに「お前自分がかわいいと思ってるだろ!」と何度も言われました。
「かわいいと威張ってたくせに今はすっぴんで真っ黒に日焼けしておまけにぶざまなブルマー姿。注目されてうらや
ましいよ。いい気味!」
「お前ブルマー穿きたくて部に残ったんだろ?普通ならやめるよ。むしろブルマー穿かされて都合いいんじゃない
の?部の規則だって言えば嫌なふりして堂々とブルマー穿けるもんね」
「こんなかわいい子がブルマー姿なんて…男子は絶対喜ぶよね」
「周りにかわいいと言われて思いあがってたことをブルマー姿晒しながら反省しなさい」

ただでさえ恥ずかしいブルマー,その中でも私の穿かされたのは典型的な紺のスクールブルマーでした。
一切の飾り気やおしゃれさもない,「教育」「しつけ」のために一切そういうものを禁止されている気がしました。
4軍になることは4年生どころか大学生としてのプライドも全て捨てなければいけないことでした。
「私はもう大学4年生ではありません。どんなしつけも受け入れます」という証拠でした。
半袖体操着の襟周りと袖口も紺でした。
そして「シャツ入れ,ゴム出し」,半袖体操着をきっちりブルマーの中に入れ,ブルマーのウエストゴムの一番上の
部分がはっきり出ていなければいけませんでした。
化粧や眉カットも禁止され,一切のおしゃれは許されない,そして部外の人が私を見れば絶対に「大学4年生」とは思
ってくれないでしょう。
高校生が着ていた,それも「教育用」半袖体操着と「教育用」スクールブルマー,そして白のスクールソックス,パ
ンツの色や素材まで指定されました。

上にも書いたように,それまで「普通の女子大生」だった私にとってはとても辛く苦しいことでした。
自分で言うのも変ですが,同級生が好意で「仁美かわいいから」と言ってくれたことが余計屈辱的でした。
そして後輩たちから「かわいいと思って思い上がっていた」と言われたこと…
そんなふうには思っていませんでしたが,周りの人がそう言ってくれるのはうれしかったし,それを後輩たちはよく
思っていなかったのでしょう。
でもどん底のブルマー姿になった私にはそんな過去のことはもう関係ありませんでした。
一切大学生らしいものは身につけさせてもらえない,この覚悟をしなければ部には残れませんでした。
あるとき1年生の後輩(私が意地悪をしてしまった人たちです)が男友達を連れてきました。
私はその日も外で練習していました。
多分「ブルマー穿いてる女を見られるからおいで」とで言ったのでしょう。

練習中に呼ばれ,彼らの前に立たされました。
「本当だ。ブルマーなんて初めて見た」
「○○仁美って言うんだ」
「すごいかわいい子じゃん!」
と最初はその程度のことを言っていました。
でもそのうち,(全部は書けませんが…)
「かわいい子のブルマー見られるなんて最高!」
「ブスじゃ萎えるもんね」
「パンツと変わらないね」
とかエスカレートし始めました。
回れ右させられ,
「尻でかい!」
「ブルマーからケツ出てるんじゃん!」
「ブラ完全に透けてる!」
とか言われました。
最悪だったのが鞭で打たれたあとを見られたことです。
赤黒く変色した痕が何本かありました。
当然ブルマーの丈ではそれを隠すこともできません。
「お尻どうしたの?」と怪訝そうに聞きました。
後輩から「仁美,お前から答えなさい」と言われました。
私は「遅刻した罰として鞭でお尻を打っていただきました」と答えました。
「え〜?そんな罰まであるの?」
「こんなかわいい子がブルマー姿で尻叩かれてるなんて!」
「私はしつけていただいている立場ですから」と答えました。
完全に見せものでしたが,不思議といつもより恥ずかしさは小さかったです。

正直周囲から冷たい視線や好奇の目で見られることの方がずっと辛かったです。
このときは「そんなに見たいなら見ればいいじゃない」という気持ちでした。
強がりではなく…
「4軍になる,しつけを受ける,ということを簡単に言うな」と言われました。
本当に覚悟があるなら高校生,いや小学生以下になってみなさい,と言われているようでした。
自分が大学生ではなく,ごく基本的なしつけをうける覚悟をみせること,その象徴が紺の「教育用」スクールブルマ
ーを穿くことだったのです。
でもこの屈辱はまだまだ序の口で,これからもっと辛く苦しいことをしつけられ,慣らされていくのでした。
でも3軍に戻りたい気持ちは強かったし,前にも書いたようにしつけを受けようという気持ちが強かったからがんばれ
たと思います。

 
規則通りに指導されるのは仕方ないとしても、本来のしごきとは違う、
貴女を侮蔑するようなことを後輩にされてたのですね。
貴女にやっかみの気持ちもあったようですね。
 いつもながら忍耐強い貴女には感心しています。


12/11

もう一つ規則に従った理由はやっぱり「部をやめたくない」という気持ちが強かったからです。
だからどんなに厳しくされても受け入れられたと思います。
自分では絶対にしないような恥ずかしい姿。
半袖体操着に紺一色のスクールブルマー。
これ以上に大学生にとって屈辱的な姿ってあったでしょうか。
「せめてもっと大学生が穿いても恥ずかしくないブルマーにしてくれたら…」そう思いました。
バレー用(最近は見ませんが…)や陸上用のブルマーだったら恥ずかしさはずっと少なかったと思います。
ブルマーを穿き始めたころ,冷静にブルマーの嫌なところを考えてみました。

まずパンツ同然の形。
運動着を穿いているというよりパンツを重ね穿きしているようなものです。
そして,その形だからこそ太もももお尻の半分も丸出しになります。
隠すべき最低限の部分しか隠せていないのです。
最初のころ「ブルマー恥ずかしいです…」というと,上位の人から「4年で4軍になるようなことをしていたことを恥
ずかしがりなさい!それに比べたらブルマーくらい何?」と言われました。
そしてこれは私だけでしょうが,太ももとお尻がむき出しになっていることがしつけに都合よかったのです。
竹の鞭でいつも太ももやお尻に気合を入れられました。
そしてその蚯蚓腫れになった部分を晒さなければいけませんでした。

そして身体にぴったりしているのでちょっと激しい動きをすればパンツがはみ出ました。
特に紺のブルマーと白のパンツの組み合わせは最悪でした。
こんなにもマイナスの部分があるのになぜブルマーが運動用パンツとして使われているのだろう…そんな疑問がずっ
とありました。
やはり動きやすさでしょうか。
それ以外のよさって思いつきません。

もう一つは下着やソックスの規則。
練習着だけでなく,そんなものまで規則で縛られてしまったのです。
下着の規則は厳しく,「白一色,綿100%」以外は一切認められません。
ブラジャーとパンツのみ許可されて,タンクトップやキャミソールは絶対禁止でした。
特にパンツはフリルやレースのものは厳禁でした。
パンツ一枚にさせられて抜き打ちで下着検査を受けました。
教育係から違反と判断されると没収されました。
ソックスも白一色のすねまでのスクールソックスが決まりでした。
禁止されているワンポイント付のソックスを履いていってしまったとき,ソックスを脱がされ,真夏のアスファルト
の上に裸足でしばらく立たされました。
熱くても身体を動かすことはできません。
歯を食いしばって我慢し,反省しました。

そして4軍になってすぐに夏の合宿がありました。
それは厳しい合宿でした。
朝は4時に起きて自主練習。
3軍以上の人が7時頃起きてきて食事をしている間にその人たちの部屋を掃除しなければいけません。
自分の朝食の時間はほとんど与えられませんでした。
上の人たちが朝食後の休憩をしている間に今度は練習の準備。
そして練習が始まると走り,筋力トレーニングの繰り返しを何セットも繰り返しました。
上の人たちの練習は休憩も何度もあり,夕方には終わりましたが,私はほとんど休憩もさせてもらえず,夜遅くまで
続きました。

その後練習の後片付けと共用部分の掃除でした。
さらに上の人たちの夜食などの買出しに行かなければいけませんでした。
夜11時くらいに全て終わって,30分以内に全て自分のことを済まさなければいけませんでした。
片付けや掃除が遅くなるとお風呂に入る時間や洗濯をする時間もありませんでした。
そして最後の点検のとき,廊下に正座して教育係を待たなければいけませんでした。

そしてこの頃から1年生の4軍と私の間では差がつけられていきました。
例えば,1年生たちは夜寝るときや食事のときは比較的自由な服装が許されていましたし,コインランドリーも使わせ
てもらえましたが,私は合宿の1週間,半袖体操着とブルマー以外は一切許されませんでした。
同じ4軍とはいってもなかなか後輩たちとはなじめませんでした。
それは学年が違うからということが理由ではなかったと思います。
それよりも身につけているものがハーフパンツかスクールブルマーかの違いがあまりにも大きかったのだと思います。
その年に入部した1年の後輩たちから4軍の指定練習着がハーフパンツになるのは自分が4軍になる以前に決まっていました。
だからその点はしかたないと思いました。

2年生から4年生の間に4軍がもう一人いてくれたら…とも思いました。
たとえブルマー姿でも連帯感をもてたと思うし,心細さや恥ずかしさや辛さも共有できたと思います。
そんなことを合宿が終わったあと考えました。
厳しい合宿のあと,太ももにはくっきりとブルマーの形に日焼け後が残りました。
練習着を脱いでもブルマーからは逃れられないような気がしました。
悔しい気持ちもありましたが,この厳しい合宿に耐えられたのだからこの先もがんばれると思いました。
どんなに厳しくされても部を続けたい,そのためにブルマー姿できちんとしつけを受けよう,早く4軍から抜け出るた
めにも一から厳しくしつけてもらいたい,という気持ちになりました。
実際にはその後夏の合宿など全然甘かったと思うくらいにもっともっと辛いことが待っていたのですが,そのときは
そんな気持ちでした。


 
部をやめたくない思いだけでは、普通ならばくじけてしまいそうだけど、 
こんなにも辛そうなのに、意思も強く耐えきれたのですね。
こんなに鍛えられるから精神面での強さも育ってきて、競技でも勝てるようになるのかもしれませんね。


10/30

そうですね。
でもSMというと,なんだか自分が悪くないのに趣味で(?)縛られたり叩かれたりするイメージがあります。

私は教育係の指示に絶対に服従しましたが,「自分が悪いから」という気持ちが根底にありました。
半袖体操着にスクールブルマーという姿は辛かったですが,それを着なければならなくなったのは,上の軍にいたと
きに遅刻や忘れ物などだらしない行動を繰り返してしまったため。

「大学4年でブルマー姿で3歳も年下からしつけられるなんて」と思いましたし,初めてブルマーを脚に通したときの
すごい屈辱感は今でも覚えていますが,それは全て自分が招いたことだから「基本的なことも守れてないのに4年生と
して振舞うことが許されるはずがない」と思いました。

そしてまた半袖ブルマー姿を義務付けられたことで,もちろん屈辱感や悔しさを感じました。でもその気持ちが強く
なればなるほど,逆に自分はそれらをずっと味わうことから逃れられない立場であることを思い知ることになり,そ
れが「教育係の言うことに絶対に従わなければならない」という自覚にもつながっていきました。
それに4軍になってからのしつけの数々。

「遅刻や服装など基本的なことだけをしつけてくれればいいのに」と思ったこともありましたが,自己管理できない
以上,それよりも厳しく細かい指示が出されるのは仕方ないと思っていました。
それに私の犯したミスは本当に子どもレベルのものばかりでした。
実際4軍になってからも特に遅刻癖は直りませんでした。

口で叱られて反省しても次の日また遅刻してしまう,こんなことを繰り返していました。
お尻を鞭で打たれ,「こんな罰大学4年生の受けるものじゃない!もっと別の罰にして!」という気持ちもありました
が,遅刻を繰り返すなんてそれこそ大学4年生のすることではありませんでした。

それならえらそうに「大学4年生にふさわしい罰を与えて」という資格はなく,「遅刻を繰り返すようなだらしない人
間にふさわしい罰を与えられる」ことを受け入れるしかありませんでした。
だから罰を与えられているときにも教育係を恨んだりすることはありませんでした。
遅刻,忘れ物…

口頭で注意されても遅刻癖が直らないのですから,それなら厳しく体罰を受けるのも当然だったと思います。
大学生用ではないスクールブルマーを穿くことで自分がしつけを受ける立場だと自覚できましたし,教育係の方が目上
であることも受け入れられました。
そしてしつけを受ける以上ブルマーを穿かせてもらってよかった,自由な服装でしつけだけ受けるとしたらそのほう
が惨めでした。

 
貴女の場合は、本当に罰を受けるのが当たり前だという自覚があって、厳しい罰を受けていたのですね。
そういう気持ちがあるから、その時その時は辛くても、厳しくされても仕方ないんだと納得し、受け入れることが出来たのですね。


10/16

私自身は少しずつしつけやしごきを受け入れようという気持ちになっていましたが,
教育係や上位の人たちは気に入らないみたいでした。
「4軍のくせに生意気」
「自分の立場分かってるの?」というようなことを言われました。
前回体操着をブルマーの中に入れさせられたことや,姿勢を崩してブルマーの食い込みを直して叱られたことを書き
ましたが,そうなるとしつけも厳しくなりました。

とにかく逆らうことは許されませんでした。
少しでも不満そうな顔をすると徹底的にしつけられました。
言い訳は厳禁です。
何かを言われて「でも…」と言っただけで走らされたりしました。
「言われたことは必ずやらなければならない」
「言われたこと以外を絶対にやってはいけない」
「自分で勝手に何かをしないで許可を得ないといけない」
私は4軍になってからこのことを何度も言われました。

徹底的に走らされ,その後筋力トレーニング,私の練習はそんなことばかりでした。
4軍の私が体育館での練習などさせてもらえるわけもなく体育館の外,大学の構外などで練習しました。
どこでの練習であろうと私に許されるのはもちろん半袖体操着と紺のスクールブルマーだけです。
「せめてもっと大学生らしいブルマーだったらよかったのに…」と何度も思いました。
でも紺一色の「教育用」スクールブルマーこそが「4年で4軍」,「1年生からしつけを受ける」私には最もふさわしい
ものだったのかもしれません。
走らされ,タイムが遅れると怒鳴られてやり直し。
筋力トレーニングも腕立て伏せ,開脚前屈,腹筋,背筋,ブリッジ,その他…
腕立てはブルマーが食い込んでお尻丸出しの状態で。
腹筋はタイムが決まっていてその間に指定された回数ができないとやり直し。

脚を開かないとうまくできないのですが,最初それがすごく恥ずかしくて脚を開くことができず何度も怒鳴られやり直し。
背筋は両手で足首をもってやるのですが,やはり脚を開く必要があります。
ブリッジも同じようにうまくできません。
「仁美!きちんと脚開いて身体を安定させなさい!」と怒鳴られました。
私が脚を閉じたまま窮屈そうにトレーニングしていてタイムがクリアできないので,何度も「きちんと身体を安定さ
せないとトレーニングにならない!」と言われました。
「ブルマーで脚を開くのは恥ずかしいです…」と言い訳をしてしまいました。
「反抗するの?そこで正座しなさい!」
「え?こんな外で?みんな見てるよ…ブルマー姿で正座なんて恥ずかしすぎる…」
と思いましたが,指示は絶対です。
これ以上言い訳をしたらどんな罰を受けるか分かりませんでした。

「言われたとおりに正座しよう…」
グラウンドで何時間もトレーニングさせられ,紺のブルマーが砂ぼこりで白くなっていました。
座ろうとした瞬間,思わずお尻のほこりを払いそうになりましたが, はっとしてやめました。
「余計な動きは一切禁止」
それは教育係が見ていても見ていなくても同じでした。
唯一体操着やブルマーに触れてもいいのは,練習中に体操着の裾が出てしまったときにそれをきちんとブルマーの中
に入れるときだけでした。
それも教育係に許可を得なければいけませんでした。
ほこりを払うなど絶対に許されないことが自然に身に付いてきていました。
これがしつけの効果でした。

汚れた体操着,ブルマーのまま私は土の上に静かに正座しました。
それが外でさせられた初めての正座でした。
最初は人から見られる恥ずかしさと悔しさでいっぱいでした。
泣きたくなりました。
でも悪いのは自分でした。
「何のために正座させられているの…」
正座させられながら私はいろいろなことを考え,反省しました。
運動をするということは脚を上げたり,脚を開いたり,普段しないような激しい動きをするわけです。
それはスカートでは恥ずかしくてできない…
だから体操着に着替えているのにそれで恥ずかしがっていたのでは着替えていないときと同じ…
それにブルマーは体操着なのだから見られても何の問題もないはず…
スカートで脚を開け,パンツが見えても恥ずかしがるな,と言われているわけじゃない…

それなのに体操着を出して隠したり,指導を聞かないで体勢を崩して食い込みを直したり…
それはまじめさが足りないからと言われても仕方ない…
それに自分は本来退部していないといけないのにこうして残してもらってるんだ…
自分はしつけを受ける立場なのに自覚が足りない…
少し自分に腹立たしくなってきました。
そしてきちんとトレーニングをすることを決めました。

脚をきちんと開き,そうするとタイムも縮まりました。
でも身体が堅いのですぐにはそんなにうまくはいきませんでした。
そこでお尻をついた状態で両膝を立てて脚を大きく広げた状態で上体を倒す練習をしました。
そして…
こんなことで叱られて続けたら本当に退部させられてしまうかもしれない,自分にスクールブルマー姿で練習する覚
悟をさせたいと思う自分もいました。
長くなったのでそのことはまた次に書きます。

 
厳しい躾は団体の中で統制をとるためには必要なのでしょうが、
ある種の洗脳的な部分もありますよね。
  絶対服従を誓い調教を受けるSMプレイとも心理的には似ているかも。
これまでの理性や意思を一度全て壊され、相手の命じる通りに何でもしてしまう自分を受け入れてしまうのでしょうか。


9/23

この前の続きです。
4軍として初日の練習が始まった時のことです。
1年生教育係の前に立ち,「よろしくお願いします」と言いました。
心の中では「3歳も年下からしつけられるんだ…」と思っていましたが,
上下自由な練習着の1年生教育係に比べて半袖体操着・ブルマ
ー・スクールソックス姿の自分との違いは歴然としていました。
恥ずかしがっている私の気持ちを見透かすように教育係は冷たく次々に指示を出しました。

「1週間もあったのにやめなかったのね。じゃあ仕方ない。今日から徹底的にしつけるからね」
「はい。よろしくお願いします」
「指示は絶対に聞くこと。逆らったらやめてもらうからね。」
「はい。」
「4軍としての覚悟はあるの?」
「はい。」
「じゃあその服装は何?」
「え…?」
「体操着の裾はブルマーの中!何のためにブルマーにゼッケン付けてるの」
早速叱られました。
ブルマーを隠すことさえ許されませんでした。
私は「すみません。分かりました」と言ってブルマーのウエストのゴムが出るくらいまで入れました。
「○○部4年4軍○○仁美。これで誰が見てもブルマーで練習してるのがお前だって分かるよ」とからかい気味に言われました。

そして
「じゃあ早速外周10周!」
「え…」
「聞こえなかったの?外周を走ってきなさい!」
「この格好でですか?」
「そう。ほかにどんな格好で走るの?」
「ここに立ってるだけで恥ずかしいのに外を走るなんて…」
「口答えするの?」
「いえ…でも一人でブルマー姿は本当に辛いです…」
「お前にそんなこと言う資格あるの?4軍のくせに上下体操着を着させてもらって文句言うな!」

私は仕方なく外に向かいました。
教育係がついてきました。
走り始める前に「○○部4年4軍○○仁美!これから外周10周します!」
と大きな声で言いました。
そうして走り始めました。
自分が走り始めた瞬間に周りの雰囲気が一変した気がしました。
大学の構内を半袖体操着と紺のスクールブルマー姿の女子が走っているのです。
一気に私は注目されてしまいました。
そしてその惨めなブルマー姿の女子が自分であることもゼッケンから分かります。

「恥ずかしい…逃げ出したい…」
4軍に残ることは自分で選んだことですが視線に耐え切れませんでした。
走ることよりも恥ずかしさとブルマーの食い込みが気になって走れませんでした。
途中で教育係に呼ばれ,「動きがぎこちない!」と怒られました。
その日から10日は練習時間はずっと走らされました。
疲れて走れなくなっても怒鳴られました。
少しも気を抜けませんでした。
徹底的にしごかれました。

あるとき,走り終えて教育係の前に立ち,話を聞いてようやく練習が終わるというときにブルマーの食い込みが気になって直したんです。
教育係の指示を聞いているときは気を付けで絶対に身体を動かしてはいけませんでした。

「仁美!何動いてるの?」
「すみません。ブルマーが食い込んで…」
「そう。まだそんなこと気にする余裕があるのね。じゃあもっと走りなさい!」
「え…でも…」
口答えは許されませんでした。

私はそれから暗くなるまで走らされました。
「何でこんなことくらいで怒られるの…?」と思っていました。
でもそれがしつけでした。
どんな小さなことでもいうことを聞かなければ叱られるのです。
体育館に部で一人残され,練習場の隅で着替えました。
ブルマーを脱いだ時の解放感…
10時間以上も穿かされていたブルマーを脱いでもいい瞬間でした。

別の日,同級生から「仁美,大丈夫?」と声をかけてもらいました。
「○○(私の教育係です)のやり方ひどい!」
「4年生にブルマー穿かせるなんてどういうつもり?」
とか言ってくれましたが 当然私には批判することはできません。
「大丈夫です。4軍なのでブルマーで十分です。」
「ブルマー姿になると気持ちが引き締まります。」
「○○さんには厳しくしつけていただいて感謝しています。」
と答えました。
元同級生に対しても自然と敬語を使うようになっていました。

 
厳しく躾る事で、団体行動では上の者の命令に絶対服従をするなど
規律を身につけさせるのでしょうか。
 頭では4軍になるとこうなる事がわかっていても、実際に厳しくされると辛かった事でしょうね。


7/24
1週間の間にも「今ならまだ間に合うよ。仁美が1年生からしごかれるの見てられ
ないと思うから」と同級生からも言われました。
「ありがとう。どうせなら佳奈(同級生。仮名です)が教育係だったらよかったのに。」
「私たちが入った年に先輩で後輩からしごかれてた人いたよね…私もあんなふう
にしごかれるのかな…」
「仁美なら大丈夫だよ。あんな風にはならないよ」
「ブルマー穿かないといけないのが辛いよ…」
「仁美は脚きれいだから大丈夫だよ。」
でも,当然ですが,その同級生も4軍になった瞬間から「目上」なのです。
1年生が目上なのですから当然ですが…

同級生の中にはそれまでと同じように接してくれようとした人もいますが,そう
いう場面が教育係に見つかると懲罰の対象になります。
自然に敬語で話すようになりました。
もちろん後輩たちに対しても…
逆に4軍になったその日から「お前」「仁美」と呼び捨てされました。
4軍行きが決まった日から,実際に4軍になるまでには1週間の猶予がありました。
その間に4軍としての「準備」をしなければいけません。
そして「準備」をする間に覚悟を決めるのです。

その日のうちに「半袖体操着」と「ブルマー」を注文しました。
髪も相当短くしなければいけません。
下着も綿100%で白一色のものを探しました。
体操着とブルマーは数日ですぐに届きました。
規則どおりの「紺一色のスクールブルマー」でした。
「半袖体操着」はクルーネック・白・袖口と首周りに紺と白のゴムが入ったものでした。
「○○体育○○推薦」と書いてありましたが,大学生用のものではありませんでした。
「私はひとりでこれを穿くんだ…」と思いました。
そして4軍として初めて練習に出た日のことです。
練習のずっと前に行って3軍以上の人たちの練習の準備をしなければいけませんでした。

4軍は更衣室使用禁止のルールがありました。
体育館の隅で1年生の4軍とお互いに下着を晒しあいながら着替えました。
下着の違反がないかお互い監視するためでした。
4軍でたった1つだけ違うルール,それが1年生は指定のハーフパンツ,私(2年生
以上)だけはブルマーだったことです。
バッグからブルマーを出した瞬間…
規則で縫い付けたゼッケン。
「○○部 4年4軍 ○○仁美」
それは間違いなく自分だけのブルマーでした。
「やだ…こんなのパンツと同じだよ…」
泣きそうになりながら気合を入れて脚を通しました。
思った以上の恥ずかしさでした。
そして鏡に映った自分の姿…
男子のような短髪,半袖体操着,紺のスクールブルマー,白のスクールソックス…
1年生のハーフパンツ姿を見ても,「これだったら全然恥ずかしくないのに…」と
思いました。

違いはただ一点だけだったのです。
パンツの上に穿いているのに,パンツと違ってブルマーは見られてもいいはずな
のに,パンツの方がましだと何度も思いました。
でも私に許されるのは紺一色のスクールブルマーだけ…
それが嫌ならやめるしかありませんでした。
自分はもう大学4年生ではないんだと思った瞬間でした。

 
同級生が引き留めるのもわかりますね。
これまで一緒に頑張ってきた仲間が、天と地の差がある4軍の扱いを受けるのは辛い思いもあった事でしょう。
 そして、その4軍の中でも貴女だけが目立つブルマ姿だったのですね。
恥ずかしさ、辛さとは別に、どこか貴女の中のM性をくすぐる部分もあったのでしょうね。


7/19
 
 ちょうど3年前,大学4年生だった私が部で「4軍行き」になったころです。
軍の入れ替えは年間何度かありましたが,夏合宿を控えたこの時期もその入れ替
えのときでした。
軍の決定にはいろいろな要素がありました。
試合での活躍,試合の出場回数,練習時の体力測定,遅刻や忘れ物などの回数,
OGによる評価…
書ききれないくらいありますが,当時2軍だった私は試合にはほとんど出られま
せんでした。それでもそれだけで4軍にはなりません。
遅刻,規律違反,そしてそれに伴うOGの評価が最悪でした。
部長(1軍)から「仁美はどう計算しても4軍になってしまうよ。かわいそうだけ
ど,他の部員の手前もあるから」と言われ,「4年で4軍なんて辛いからこの辺で…」
やめるしかない,ということでした。

でも私はやめる踏ん切りがつきませんでした。
「4軍でもまた次に上がれるかもしれないから続けたい。4軍で終わりたくない」
と言いました。
「覚悟はあるの?」
「うん」
でも私の覚悟は相当甘かったのです。
「後輩たちより下にはなってしまうけど,それなりに扱ってもらえるだろう…」
「練習が少し厳しくなるくらいだろう…」
と思っていたのです。
「4軍行き」が決まった私でしたが,一週間の猶予期間を与えられました。
その間に「4軍としての準備」をしなければいけません。
そして渡された細かい規則。
真っ先に気持ちを切り替えるために,髪の毛を規則どおり短く切りに行きました。
これが自分の覚悟の甘さを思い知った最初の瞬間でした。

指定練習着を見ておどろいたのです。
「4軍は指定練習着を着用すること。
@上は指定の半袖体操着
A下は指定の運動用パンツ(0000年度入部生は指定のハーフパンツ。それ以前の
入部生は紺一色のブルマー(詳しいことは書けませんが,メーカーや型番も指定でした。)
ここまで読んでびっくりしました。
それというのも私はブルマーが廃止されたと思っていたのです。
それは,廃止されたのではなくこの規則に当てはまる人がいなかっただけなので
す(しばらく4軍がいない時期がありました)。
でもまさか自分がブルマーを穿くなんて思いませんでした。
部長に「ブルマーって,昔の話だよね」と言いました。
「違うよ!2年生以上はブルマーだよ」
「じゃあ私も?」
「そう」
「どこで買うの?ブルマーなんて売ってないよね?」
「大丈夫。○○スポーツにあるから」
部指定のスポーツ用品店で高校生用ブルマーの在庫が少し残っていたようなのです。
それもあまりないので1年生からはハーフパンツにしたそうです。
私はすぐに納得できませんでした。
1年生ならともかく22歳の4年生が紺ブルマーなんて…

それ以外にも服装の規則は
B白のスクールソックス
C下着はブラジャーとパンツのみ許可(綿100パーセントで白一色,装飾の一切
ないもの)
など覚え切れないくらいでした。」
今度は初めて4軍として練習に出た日のことを書きます。
1週間は猶予を与えられた私も,その日から1年生に厳しいしつけを受ける大学4年
生になったのです。

 
4軍がどんな立場になって、どんな事をするのか事前に調べておけばよかったですね。
そういう事もしていない甘さが、貴女が4軍に落ちる要因でもあったのかな。
規則を見るだけでも、この先の貴女の受ける厳しい仕打ちが想像つきますね。


5/26

私が受けなければいけない罰はもう一つありました。
1年生の後輩たちから受けた罰のことを書きます。

その日も私は罰として紺ブルマー姿でさらされていました。
その日は特に時間が長く,二時間以上も立たされていました。
私を立たせると後輩たちはどこかに行ってしまいました。
いつもは私が逃げ出さないよう見えるところから見張っていました。
その日は本当に一人でさらされたのです。
本当に辛い時間でした。

携帯で写真を撮られたり,あからさまにブルマー姿をからかう人がいたり,じっ
と見ている人がいたり…
「太もも丸出し」
「あれってブルマー?初めて見た」
「尻丸出し」
「あの子パンツ白なんだ〜」
「○○仁美!またブルマーで立ってる!」

でもすべては自分が意地悪をしたからでした。
惨めさに耐えて尻丸出し,パンツ丸出しのブルマー姿を徹底的に晒すことで自分
の罪を償わなければいけませんでした。
それにブルマー姿を恥ずかしがれば恥ずかしがるほど後輩たちは満足しました。
その後は大学の裏の出入り口,というか駅に近い通路の出口に移されて正座させられました。
ブルマー姿を晒すのに後輩たちにとっては最高の場所,ということは私にとって
は最悪の場所でした。

小雨が降る中罰としてブルマー姿で正座させられました。
「あの人何やったの?」
「○○部って書いてある」
「部活の何かの罰かな?」
「こんな寒い中ブルマー姿で正座なんてかわいそう」
ブルマー姿を晒されたあと,ようやくその日の練習が始まりました。
徹底的に走らされました。
後輩から指示されたのは外周を15周でした。
自分で数えながら走ったのですが,1周数え間違えてしまいました。

14周で「終わりました」と報告したのですが,
「うそつくな!まだ1周残ってるじゃない!ズルするつもり?」
「え…?」
「しまった」と思ったときは遅すぎました。
「根性叩きなおしてあげる!」
私はズルをした罰としてお尻を鞭で打たれました。
その後1周目からやり直しをさせられました。
叩かれたお尻がズキズキ痛む上に,腫れ上がったお尻の部分がブルマーの裾のゴ
ムの部分でこすれました。
自分のミスを恨みました。
練習が終わった後でまた後輩たちから責められました。
後輩たちに意地悪をしてしまったことを何度も悔やみました。

 
いつまでもされた仕打ちを覚えていて、仕返しされた感じですね。
人数が居ればそうでなくても、一人だと目立つし本当に晒し者だね。
いつもながら、酷い仕打ちに耐え続ける貴女は、真性のMなんだろうね。


3/6

以前冬合宿で遅刻してしまいブルマー姿で一日中アスファルトの上に正座させら
れたことを書きました。

私の所属していた部では4軍へのしつけとして体罰がありましたが,そのもう一
つがお尻や太ももを鞭で打たれることです。
昔は顔にビンタとか普通にやっていたらしいですが,危ない(?)という理由で
安全な(?)お尻への鞭打ちに変わったそうです。

規則違反を繰り返した私は何度も鞭打ちを受けました。
鞭で打たれる途中で体勢を変えると危ないということで,体勢を固定するため,
両脚を開いて前に身体を倒して両手で両足首を握りました。
そして歯を食いしばってひたすら鞭で打たれる痛さに耐え続けて反省するのです。
途中体勢をくずすことは許されません。
私と同じ時期に4軍だった人で,他にこの鞭打ちの罰を受けた人はいませんでした。

何度も同じミスや違反を繰り返してしまったときにだけ行われたからです。
私は遅刻して散々怒られた次の日にまた遅刻をしてしまったり,練習着の違反を
したり,(最初のころ)教育係に口答えしてしまったり…
いくらお尻とはいっても本当に痛かったです…
叩かれる最中みんなが私のお尻に注目しています。
叩かれる前は「こんな惨めなブルマーのお尻お願いだから見ないで…」と恥ずか
しい気持ちでいっぱいでしたが,叩かれ始めるともう恥ずかしがる余裕もありま
せんでした。

恥ずかしい話ですが,何度も泣いてしまいました。
叩かれる最中にパンツがはみ出してしまいましたが,パンツを直すのも嫌になる
くらいお尻に痛さが残っていました。
この罰を受けた時はいつも「もう二度と受けるようなことはしない」と心から反省しました。
正座の辛さは何回かさせられるうちにだんだん慣れてきましたが,お尻を鞭で打
たれる辛さは慣れませんでした。

 
そんなに同じミスを繰り返したのでは、よけいに厳しく体罰を受ける事になったのでしょうね。
罰を与える方もあきれていなかったですか?
恥ずかしい気持ちや厳しくされる事を求めてしまう気持ちが心のどこかにあったのかもしれませんね。


12/15

半袖ブルマー姿で練習に参加することで本当に上下関係を学びました。
最初いやだと思っていた1年生からのしつけですが,自然と自分より目上だと思えるようになりました。
これも半袖ブルマー姿でしつけを受けたおかげでした。
もっというと半袖ブルマー姿になることが一番のしつけだったと思います。
最初の反抗的な気持ちがなくなり,きちんとしつけを受けようという気持ちになりましたから…

自分にとっては辛い格好でしたが,私のように時間を守れなかったり,忘れ物な
ど違反を繰り返してしまっている以上は,自分できちんと自分を管理できない以
上はしつけてもらうしかないのだとも思いました。
自分でいうのも変ですが,半袖ブルマーは私のようにだらしない人間をしつける
ためには必要なものだと思いました。

ブルマーがいやなら自己管理する力を身につけて4軍から抜け出せばよかっただけのことですから…
それができない人間に自由な練習着を許してくださいという資格はないと思いました。
ブルマーを穿かされて嫌だと思ってるのに何度もミスを繰り返してしまったのですから…
ブルマーは嫌だったけれど,自分はそれを義務付けられても仕方ないと思いまし
たし,しつけを受ける以上まず服装からしつけられるのは当然だったと思います。

  
なるほど、そんな受け止め方が出来るようになっていったのですね。
どんなに厳しくても、自らその仕打ちは当たり前と思えると、何でも耐える事が出来たのでしょうね。


12/11

大学4年の最後の冬合宿でのことです。
私はやはり4軍のまま参加しました。
どんなに寒くても私に許された練習着は半袖体操着と紺ブルマーでした。
替えも何枚かもって行きましたが,洗濯をしないといけませんでした。
でも私は洗濯機など使わせてもらえなかったし,外の水道だけ使っていいと言わ
れました。
練習が終わった夜遅くか始まる朝早くに冷たい水で手洗いしました。
寒い思いをしながらブルマーやパンツを洗うのは本当に惨めでした。

そして合宿中のある日,私は大きなミスをしてしまいました。
朝の練習に寝過ごして遅刻してしまったのです。
私は教育係から怒鳴られ,冷たいアスファルトの上で正座させられました。
すぐに許されると思っていましたが,時間がたっても放置されたままでした。
トイレだけは行かせてもらえましたが昼を過ぎてもまだ許されませんでした。
そして暗くなってきました。
気温も下がってきてとても半袖ブルマー姿では耐えられませんでした。
下のアスファルトから冷たさが身体に伝わってきます。
外気も太ももや腕に突き刺さるようでした。

恥ずかしさ,寒さ,冷たさ,痛さ,怖さ…いろいろな苦しさが一気にこみ上げて
きました。わざわざ合宿に来てるのに練習もさせてもらえず一日ブルマー姿で正
座させられている自分はなんて情けないんだろう…このまま許されないのでは…
正座が終わってもこのあとどんな厳しい罰が待っているんだろう…本当に苦しい
時間でした。
そして自分のしたことを真剣に反省しようと思いました。

夜になってようやく教育係が来て許してくれました。
長時間の正座ですぐには立てませんでした。
半袖ブルマー姿でさせられた正座の中で一番辛かったけれど,自分のだらしなさ
を真剣に反省することもできました。これも夏からずっと厳しくしつけてもらっ
たおかげなのかなとも思いました。
やっと立てた時には涙が出てきました。

 
確かに遅刻は規則を守る中では許されない一番に行為かもしれませんね。
その罰としてはかなり厳しかったですね。一人で良く耐える事が出来たのは感心です。
自分自身の至らない部分を鍛え直されて良かったのですね。


10/21
 
私はその後も後輩たちにした意地悪の罰を受け続けました。
特別練習日は必ず一般学生の前で紺ブルマー姿で晒しものになりました。
本当に恥ずかしく,自分のしたことを心から反省しました。
近くを通る学生から注目され,噂話をされ,写真も撮られました。
ある意味大学で一番の注目の的でした。噂を聞いてわざわざ私の紺ブルマー姿を
見に来た人も何人もいたようです。
どんなに恥ずかしい状況でも,逆に言うと恥ずかしいときほどブルマー姿を晒し
続けることが後輩たちを満足させることになりました。
雨の日も例 外なく紺ブルマーで立たされました。

そしてその後正座させられながら後輩たちに質問攻めにされました。
そして「立たされた気分はどう?」
と聞かれました。
私は「本当に恥ずかしいです」と答えました。
「何が恥ずかしいの?」
「ブルマー姿です。」
「何で?」
意地悪に質問が続きました。
「露出が多いからです」
「どんな風に?」
「太ももとお尻の半分は丸出しだし,油断してるとパンツも出てしまいま
す・・・」
「今までブルマー穿いたことは?」
「小学校のときだけです」
「大学生になって穿かされてどんな気分?」
「正直恥ずかしいです。でもしつけを受けてるわけですから…」
「どういうこと?」
「しつけを受けるためにはふさわしい運動パンツだと思います・・・小学生に戻っ
てしつけられている気持ちになります」
「いまどき小学生も穿かないと思うけど」
「・・・」
「どうしたの?」
「やっぱり大学4年にもなってブルマーを穿くのは恥ずかしいです。形もパンツ
と全く同じだし,パンツで運動しているみたいです・・・それに小学生のときと違
ってたった一人でブルマー姿なので辛いです…」
「一人だからいいんでしょ。試合に出られないくせに練習では毎日みんなから注
目されてるじゃない。これからもせいぜいブルマー姿を晒しなさい!」
「ブルマー姿,恥ずかしいです…」
「恥ずかしいからいいんじゃない?だいたいいつもパンツはみ出させているくせ
に。本当は見られたいんじゃないの?」

寒さに震えながら紺ブルマー姿で砂利の上に正座させられている私を上下ジャー
ジ姿の後輩たちは立って上から見下していました。半袖体操着とパンツ同然のブ
ルマー姿で太ももも尻丸出しでみんなから見られている私にとってジャージを着
ている後輩たちとの差は歴然で,逆らおうという気持ちもありませんでした。私
に自由に命令できる後輩たちに比べて自分には辛さや恥ずかしさから逃れる自由
は一切ありませんでした。責められて悔しかったですが,自分には紺ブルマー姿
を晒し続けるしか選択肢はありません。それに悪いことをしてしまったのだから
罰を受けるのも当然…
「一人の方が恥ずかしさが増すよね〜」
「一人で正座してろ」
と後輩たちは私を残して行ってしまいました。

その日はとても寒い日でブルマー姿では凍えてしまいそうでした。ジャージを着
ている後輩たちだって寒かったと思います。その中で太もも丸出しで何時間も正
座させられました。正座の辛さももちろんですが,丸出しの太ももに冷たい風が
当たると身体中に辛さが回るようでした。一刻も早く正座から許されたい気持ち
と,後輩たちに意地悪をしてしまった私にはこのくらいの辛さでは足りない気も
しました。こんな辛さに耐えられたのも精神力が強いというよりも自分のしたこ
とに反省の気持ちがあったからだと思います。ずっと正座させられ,身体は冷え
切ってきました。たった一人でブルマー姿と真っ赤な太ももを晒している恥ずか
しさと正座の痛さと辛さに耐え続けました。

 
弱い者いじめとしか思えない、後輩達の罰はかなりきつかったのでしょうね。
面白半分で、上位の軍である立場を利用して、貴女をさらし者にして楽しんでるのですね。
他からも見に来るほど、有名?になってしまったなんて、さらし者は何回も繰り返された証拠ですね。


10/17

 私が後輩たちから与えられた罰は,まず大学内で晒しものになることでした。
いつも練習している体育館の周囲ではなく(ここは多くの運動部の人たちがいま
す。)そこからずっと離れた講義棟のあるところでした。もちろん運動部でない
学生ばかりがひっきりなしに通ります。

 私は後輩たちに「歩け」と言われ,体育館からその場所まで連れて行かれまし
た。そして「ここで立ちなさい」と通路の真ん中に引き出されたのです。
そこで私は半袖体操着・紺ブルマー姿を罰として晒させられたのです。腕立てと
か何か運動をさせられれば恥ずかしさが紛れます。でも私はただ気を付けをして
立っているよう指示されたのです。
当然私は好奇の目で見られます。指を指されたり,ひそひそ噂話をされたり…
「あれブルマー?」
「尻丸出し」
「なんでこんなところに立ってるんだろ?」
「○○部みたい。練習着がブルマーなんだっけ?」

 向こうから来る人たちの視線はブルマーや太もも,そのあと私のフルネーム入り
のゼッケンに集まりました。後ろから来る人たちはおそらくブルマーからはみ出
して丸出しになったお尻を見ていたようです。
正直運動部以外の学生ばかりの場所でただ気を付けをして紺ブルマー姿で晒しも
のにされたことは夏の合宿で男子の前で一晩全裸になったよりも恥ずかしかった
です。

 私を立たせると後輩たちは行ってしまいました。でも近くで見ていたようです。
一つは私が逃げ出さないか監視するため,あとは晒しものになった紺ブルマー姿
の私が恥ずかしがったりする姿や周囲の反応を見たりして処罰感情を満足させる
ためでした。

 ようやく許されると今度は場所を移して正座。
砂利の上に座らされました。
足に砂利が食い込む痛さに耐えながら反省。
そして更衣室に移動させられ鞭打ちを言い渡されました。
「ブルマーの上からでいい」と言われましたが,私は反省の気持ちを表すため自
主的にブルマーとパンツを下ろしました。
「汚い尻出すな!」とか
「こいつの尻みみずばれと鞭で打たれた痕ばっかりじゃん!」
とか言われました。
いつ終わるかも分からない鞭打ちを歯を食いしばって耐え続けました。お尻と太
ももは腫れ上がり,罰が終わってパンツを穿くのもこすれて激痛がするくらいで
した。
それからようやく練習が始まり,立つのもやっとになるくらいしごかれました。
そして帰りはまた紺ブルマー姿を晒しながら家まで走りました。


 羞恥心を味わうなどというレベル以上の辱めを受けたようですね。
罰としても行き過ぎとも思えるほどの仕打ちを受けたのに、耐え抜いている貴女は
いつもながら凄いと思いますよ。


10/15

野球拳で全裸になった私でしたが,毎週の体重測定や,罰でパンツを下げてお尻
を鞭打たれるなど,裸になることはしつけられ,十分に慣れていました。
でもやはり男性の前で…というのは緊張しました。
パンツを脱いで全裸になったあとのことは恥ずかしくて今はここでは書けません。

今回は後輩たちにされたことを書きます。
私が4軍になった途端に後輩たちは私を見下し始めました。
これはある意味仕方ありませんでした。
4軍は3軍の1年生より下なのですから。
そして後輩たちからしごきを受けることになったのです。
あるとき練習が終わった後,後輩に呼び出されました。
呼ばれた道具倉庫に行くと5人ほどが待っていました。

「遅い!」
「すみません」
「何その格好は?」
私は練習が終わったので私服に着替えていました。
「これから居残り練習させるから練習着に着替えなさい」
「そんなこと聞いてません」
「口答えするな!早く着替えなさい」
私は仕方なくその場で練習着に着替えました。
「やっぱり4軍にはブルマーが似合うよね。」
私は座るように言われました。
いすに座ろうとすると
「4軍のくせにいすに座るな」と床を指差されました。
私は床に正座しました。
後輩たちは私をからかいました。

「大学4年にもなってブルマーなんてよく穿けるよね」
「ブルマー姿見せたいんでしょ」
私は「ブルマーだってちゃんとした運動着です。恥ずかしくありません。」と答
えました。
それが後輩には面白くなかったようで,
「恥ずかしくないならその姿をみんなに晒してきなさい!」
「次の練習休みの日に特別練習をするから家から大学まで走ってきなさい!」
と言われました。
その日は結局何も居残り練習はさせられませんでしたが,次の練習が休みの日に
特別練習をすると言われました。
その日私は指示通り家で練習着に着替え,走って大学まで行きました。5キロ以
上あるので電車が使えないのは辛かったです。もちろんジャージは着られないの
でシャツ入れ紺ブルマー姿を晒して走りました。

そして大学に着くとすぐにしごきが待っていました。
後輩の一人が竹刀を持ってついてきました。
グラウンドの隅に正座させられ,これからの練習メニューを言われました。
うさぎ跳び,手押し車,腕立て,腹筋,背筋,開脚前屈…練習が終わった頃には
体操着とブルマーはもちろん泥だらけでした。疲れて体勢を崩しても「立て!」
と怒鳴られました。
立てないと竹刀で何度も気合を入れられました。
ようやく練習が終わってまた後輩の前に正座しました。

「大学4年にもなってブルマー姿でしごかれるなんて惨めだと思わない?」
「4軍なのでブルマー姿でしごかれて当然です。」
「私たちにしたことが今自分に返ってきてどう思う?」
そうです。私は他の同級生と一緒に,後輩たちが4軍のときに意地悪をしたので
す。だからこそその罰だと思ってしごきに耐えたのです。
それから練習が休みの日には後輩たちから特別練習を受けました。
もちろん半袖体操着・紺ブルマー姿で往復しました。
帰りは全身泥だらけで紺ブルマー姿を晒しました。

自分のしたことを本当に反省しました。正直自分がされたほどのことを後輩たち
にしたわけではありませんでしたが,そんな言い訳は通用しません。恥ずかし
さ,痛さ,苦しさ,悔しさなどいろいろな気持ちが湧き上がってきました。
後輩たちには「自分はどんな罰でも受けるからもうこんなことは他の人にはやめ
てほしい」とお願いしました。自分が言える立場ではありませんでしたが,後輩
たちは了承してくれました。

私は約束どおりそれからも罰を受け続けました。罰は徐々に厳しくなっていきま
した。でも厳しい罰を受けるほど,自分がしたことへの反省の気持ちが強くなり
ました。どんなに厳しくても自分がしたことを考えたら厳しすぎるとは思いませ
んでした。恥ずかしく惨めな紺ブルマー姿を晒し続けることしか自分にはできま
せんでしたが。


 後輩達に溜まっている不満などのはけ口が全て貴女に向けられた感じですね。
そんなに厳しい躾や恥ずかしめを受けても、一人耐え続けたなんて凄いですね。
その根底にはM性があったのかもしれませんが、精神力がとても強い方ですね。


10/11

女子部の合宿最後の夜に男子部と合同で宴会のようなものをやることになりまし
た。そこでの余興として野球拳をやることになったのです。女子からは4軍の昼
の持久走で負けた者を代表にすると言われました。合宿中徹底的にしごかれた私
は野球拳に興味を持ちました。そしてがんばれば下から2番目になれたのに力を
抜いて持久走でビリになったのです。

「野球拳の代表は仁美」
他の4軍はほっとしていたみたいでした。
そして夜。いよいよ始まりました。
私の相手は男子部の1年生でした。
下着の数が多い分私が有利でしたが,それはハンデとして認められました。
そして1回戦。私が勝ちました。
相手は靴下を脱ぎました。
2回戦,3回戦と連勝し,相手は上のシャツ,下の短パンを脱いでパンツ一枚にな
りました。
「よかった・・・」自分で野球拳の代表になったのに後悔していた私はほっとしました。
「あと1勝・・・」
ところがここから悲劇が始まりました。

4回戦に負けた私はソックスを脱ぎました。
まだ余裕がありました。
続いて5回戦に負け,迷った挙句ブルマーを脱ぎました。
半袖体操着を引っ張ってパンツを隠しました。
6回戦にも負けて3連敗。
男子部から「何脱ぐ?」と言われました。
「パンツ脱いでもいいんだよ〜」とからかわれましたが,
「半袖体操着を脱ぎます」と言って上下下着姿になりました。
でもあと3回のうち2回勝てばいいのです。早く勝って服を着たい気持ちでいっぱいでした。
ところがまたも負けてしまいました。

「ブラを脱ぎます」と言って胸を晒しました。
左手で胸を隠しながら最後の勝負。
胸を晒してしまった私でしたが何とかパンツだけは守りたいと思っていました。
お互い最後の一枚を賭けて3回勝負になりました。
最初に私が勝ちました。
しかしなぜこんなについてないのか,その後2連敗してしまいました。

男子部から歓声が上がり,「何脱ぐの〜?」
と意地悪に聞かれました。
私は答えられませんでした。
また「何脱ぐの〜?」と聞かれ,「もうどうなってもいい!」と自分に気合を入
れて「パンツを脱ぎます!」と言いました。
胸を隠していた左手を離し,両手でパンツを下げました。
脱いですぐに手で胸と下を隠しました。
男性の前で初めて全裸になりました。
「気をつけ!」と教育係から号令をかけられました。
しつけのおかげか,自然と身体が動きました。

 確信犯的な感じで野球拳の代表になろうと思った時から、すでにこうなる事を求めていたのかな。
しかし、全裸直前で終わりになりそうなものだけど、異性の前で隠す事も許されず
全裸を晒すのはちょっと度が過ぎてる感じですが、みんなに見られて興奮してしまったのでしょうね。


9/24

2年前の夏のことです。
私が4軍になってすぐに合宿がありました。
大学の施設で合宿するのですが,4軍にとってはとにかく厳しいものでした。4軍
でも1年生はずっと体育館内での練習,私は練習ほとんどが外での練習でした。1
年生たちとは比べ物にならないくらい厳しく徹底的にしごかれました。私は炎天
下合宿所の外を遠くまで何キロも走らされました。車の通る国道沿いの道をたっ
た一人で走らされました。いつもとは違う道をいつもの半袖体操着・紺ブルマー
姿で走りました。とにかく暑くて仕方なかったです。

戻ってくると休ませてもらえずすぐに筋力トレーニング。腕立て,腹筋,背筋,
ブリッジ,開脚前屈などを徹底的にやらされました。からだの堅い私は特に開脚
前屈が苦手で,両脚を180度に開く練習を何度もやり直しさせられました。他の1
年生二人から両脚を思い切り開く方向に引っ張られ,背中を強く押されました。
痛くて大きな声を上げても許してもらえませんでした。

炎天下のグラウンドでの練習だったので練習着は泥だらけになりました。練習の
仕上げに教育係に両脚を抱えられて手だけで前に進まされました。体力がなくな
っているときに手だけで体重を支えるのは苦しかったのです。何度も体勢を崩し
ましたがそのたびに怒鳴られました。顔も真っ黒に日焼けし,手足も焼けたので,
裸になると太ももにブルマーのあとがくっきり残っていました。顔も髪の毛も体
操着も泥だらけでした。そして何とか一日の練習を終えるとへとへとでした。

4軍の部屋ではクーラーが使えないので窓を開けて寝ました。合宿中は練習はもち
ろん寝るときも,食事のときも練習着で過ごしました。1週間以上の合宿でしたが,
考えてみれば10日近くも半袖ブルマー姿でずっと過ごしたことになります。下着
や練習着は洗って部屋の外に干しましたが,手洗いだったので汗臭ささや汚れは
取れませんでした。

そして合宿は生活の全ての面で徹底的なしつけを受ける場でした。朝起きてから
寝るまで,もっと言うと寝ているときもしつけを受けました。朝は一人で5時に起
き,自主練(といっても強制)で合宿所の外を走りました。もちろん練習のとき
に走るのとは別です。戻ってくると3軍以上の人たちの朝食の間に3軍以上の1年生
の部屋を掃除しました。厳しいチェックがあり,少しでも汚れているとやり直し
させられました。その後3軍の人たちの練習中の飲み物の買出し。離れたコンビニ
まで何回も往復しました。その後自分の練習ができるのですが,上に書いたとおり
外の国道を走るのです。朝の自主練,コンビニの買出し,国道の持久走と何度もブ
ルマー姿を晒しました。

合宿の最初は恥ずかしがる余裕もありましたが,もう体力もなくなり,「こんな
惨めなブルマー姿を見たければ見て…」と思いました。たった一人で晒しものに
させられて,それとも暑さと疲れでおかしくなっていたのかも知れません。私は
国道から道を変えて少し大きい公園の方へ向かいました。そこには人がいっぱい
いました。そこを私は走ったのです。当然視線が突き刺さります。私の半袖体操
着の前後には「○○大学○○部4年4軍○○仁美」というゼッケンが貼ってありま
した。もちろんブルマーにも名前入りのゼッケンが貼ってありました。顔も名前
も晒すことになったのです。そして商店街の方を抜けました。

指を指されたり,振り返って見られたり…私は自分で紺ブルマー姿の自分を晒し
ものにしたのです。かなり長い時間いたので帰るのがずいぶん遅くなってしまい
ました。当然教育係からは叱られ,理由を聞かれます。私は厳しい罰を受けるこ
とになるのを分かりながら「途中でサボっていました」と答えました。おかしく
なった自分に罰を与えたかったのかも知れません。そして望んだか通りどうかは
っきりはいえませんが,私は厳しい罰を受けることになりました。


  極限まで追いつめられてしまうと、正常な判断が出来なくなり、居直った気持ちにもなってしまうのかもしれませんね。
これだけ厳しくしつけられることで、試合の時なども精神面で強くなれるのかもしれませんね。
厳しい罰で貴女の精神力はもっと鍛えられたのでしょうか。


9/20

 もう少しブルマーの思い出を書きたいと思います。
4軍になってすぐの頃,ブルマーを穿き慣れませんでした。
紺ブルマー姿で毎日外を走らされたのですが,他の学生からも注目されてしまいました。
「あれブルマー?」
「ブルマーなんて初めて見た。」
ゼッケンを見られて「○○部の4年の○○仁美だって。何でブルマーなの?」
意地悪なものだと
「あんなの穿けるなんて信じられない。」
「パンツ一丁で走ってるのと変わらないじゃん」
また,友達からも聞かれました。
「仁美,ブルマーで練習してるの?」と。
ブルマー姿を晒すよりも4年生になって1年生からしつけを受けていることは知ら
れたくありませんでした。だから規則で指定されてブルマーを穿いているのは絶
対知られたくなかったのです。

「ブルマー動きやすいよ」
「女子の運動パンツの定番だし・・・」
部の後輩たちからも
「22歳にもなってブルマーだって。私だったら絶対無理!」
「でも4年になって4軍になるようなやつにはブルマーがちょうどいいんじゃん?」
とか意地悪を言われました。

また,穿きなれないうちはパンツが何度も裾からはみ出て,少し激しい運動をす
るとお尻も半分以上ブルマーから出てしまいました。恥ずかしいのはもちろんで
すが,「ブルマーからパンツやお尻を出すのは見苦しい」と叱られ,これも教育
係から厳しくしつけられました。

でもどんなに気をつけていても知らず知らずのうちにお尻やパンツがはみ出てそ
のまま練習をしていることもありました。1日のうち1回目は教育係によばれて注
意されてすみましたが,2回目以降は罰としてお尻のはみ出た部分を竹の鞭で1回
叩かれました。これが本当に痛くて…みみずばれになった部分がちょうどブルマ
ーの裾のゴムの部分と擦れてさらに辛かったです。最初は,はみ出たお尻を晒し
て恥ずかしいのは自分なのにその上鞭で打たれるなんてすごく理不尽に思えまし
た。でも「練習着はきちんと着ること」という規則がある以上はその規則を守れ
ていないということになるんだと納得しました。それくらい厳しくしつけられる
んだと改めて思いました。

外を走っているときに「○○仁美,尻丸出しじゃん!」とか言われてあわてて直
したこともありました。でも正直言うと,お尻を見られるよりもパンツを見られ
るほうが何倍も恥ずかしかったんです。大学4年にもなって綿100パーセントの白
一色のパンツしか許されなかったのですから…パンツを見られる恥ずかしさ以上
に「大学4年にもなって綿の白いパンツを穿いている」ことを知られるのが嫌で
した。それに紺ブルマーからはみ出ると白のパンツって本当に目立ちました。
「目立たない黒や紺のパンツを穿きたい・・・」と何度も思いました。でもこれも
規則。22歳になってもしつけを受けないといけないようなだらしない自分には服
装の自由はないんだと言い聞かせました。

前にも書きましたが,私の他にも数人の4軍がいました。その人たちは全員1年生
でした。その代から運動用パンツの規則が変わり,彼女たちはハーフパンツが指
定練習着になっていました。部で唯一の,また4年生で紺ブルマー姿の私は彼女
たちへの見せしめにもさせられました。1年生たちの教育係は彼女らをしつける
のに「もし規則違反をしたらあなたたちも特別にブルマー穿かせるよ。4年生で
ブルマー穿いてる仁美みたいに惨めになりたいの?ブルマーなんか平気で穿ける
の仁美くらいだよ。」というようなことを言っていました。私は屈辱に耐えなが
ら,「ハーフパンツの方が恥ずかしい。ブルマーは4年の私にしか穿くことが許
されてないんだから…紺ブルマーが上級生の証拠」と自分に言い聞かせていまし
た。

 周りは惨めさの象徴的な姿を見せる事で、他の子を教育しようとしていても、
本人は逆の事を思い上級生としての誇りは持ち続けていたのですね。
自分の心の中では、ブルマー姿になることに居直ってみたようですね。


6/5

自分の意思で部に残ったとはいっても大学4年で半袖体操着に紺ブルマーは少し
辛かったです。4軍に半袖体操着とブルマーを指定している理由は「部の中でも
部の外からも見てすぐ分かるようにはっきり区別すること」です。そしてそれと
同じようなことですが「3軍以上とは違う練習着を義務付けることで4軍として自
覚させること」でした。これは私自身そう思いました。それにいいこともありま
した。自由な練習着を許された上で1年生からしつけを受けるとしたら,かえっ
て辛かったと思います。「自分が上なのに何で1年生からと思ってしまうからです。

実際4軍になっても準備があるので1週間はそれまでの自由な練習着で参加しても
いいことになっていました。私もそれまでの練習着を着ていました。但し,許さ
れるのは練習着だけで,それ以外のルールは4軍としてのものでした。

練習開始前に来て3軍以上の人たちが来る前に練習の準備をしておく,教育係の
言うことを聞く,などです。その頃は1年生の教育係に対して反抗的な気持ちを
持っていました。そんな私は当然厳しく指導されました。そして指定練習着最初
の日ブルマーに脚を通しました。半袖体操着と紺ブルマーになると1年生の
教育係から素直にしつけを受ける気持ちになりました。

そしてもう一つ私にとって大きかったのが鞭打ちの体罰でした。この罰を受ける
ことは本当はほとんどないのですが,私は規則違反や大きなミスを繰り返して何
度も受けました。2日連続で遅刻してしまったとき,初めて鞭打ちを受けまし
た。でも言い渡されたあとすぐに叩かれるわけではありません。壁に向かって正
座してしばらく反省した後で受けるのです。正座は短くて30分くらい,長いとき
は2時間させられました。その間いつ鞭打ちが始まるか分かりません。叩かれる
怖さに耐えながら必死で反省するのです。辛かったです。そして教育係から声を
かけられると罰が始まります。

罰を受けるときの作法は厳しくしつけられています。私は教育係の前に出て気を
付けをしました。「4年4軍○○仁美!遅刻の罰として尻への鞭打ち20回よろしく
お願いします!」
と挨拶をしました。「準備しなさい!」「はい!」
回れ右をして足を肩幅より大きく開いて体を安定させ,両手で足首を握り,規則
どおりの姿勢をとりました。

そして鞭打ちを受けるのです。それも連続で叩かれるのではなく一発ごとに間隔
を空けて時間をかけて打たれるのです。正直連続で叩かれたほうが次の痛さで前
の痛さをカバーできるので短い時間我慢すればよかったです。でも一回叩かれた
あと,お尻に痛さが広がってようやく痛さが収まったころに次の鞭がくるのでま
た一から痛さに耐えなければいけません。これは一発ごとにじっくり痛さを感じ
ながら反省をするためでした。20回受けると最初ということもあり,痛さで涙が
出ていました。

本当に痛かったです。でも本気で反省しました。痛さを我慢しながらこんな辛い
思いをするのも自分がだらしないからだと思いました。教育係から叱られても同
じミスを繰り返すような自分に対して「口で言われてできないんだから体罰を受
けても当然」と思いました。小さな子どもではなく大学4年にもなって罰を与え
られなければ自己管理ができないなんて本当に恥ずかしかったです。大体同じ4
軍の1年生たちは違反やミスをすることも全然なかったのですから部のルールも守
れないのだからきちんと一からしつけを受けなおそうと思うようになりました。
それからは恥ずかしかった半袖体操着と紺ブルマーの指定練習着姿もきちんと規
則を守る気持ちを身に付けるためにも自分のしつけにとって絶対に必要なものだ
と思うようにな
りました。

   軍の取り決めは、元々上級生となる人が下の軍から始まる事を想定していなかったのでしょうね。
学年の序列と、軍の序列が異なった貴女の場合は、色々予想出来ない辛い出来事も
発生したのでしょうね。
しかし、その環境の中に身を置く内に、心も自然に従うようになっていくのですね。


3/15

正直教育係のしつけは厳しかったですが,罰を受けるのは自分が悪かったときだ
けでした。規則違反をしても最初は叱られるくらいでした。でも違反を繰り返し
てしまったのは私でした。練習着を忘れてしまったり,指定練習着の違反,遅刻
をしてしまったりでした。それでも最初は普通の練習の中で走る距離を増やされ
る程度でした。それが1週間に服装忘れと,2回の遅刻をしてしまった時がありま
した。3軍に上がりたい一心で部を続けたのに,自分でそのチャンスをなくして
しまっているようなものでした。それに最初は1年生からしつけを受けるのは嫌
でしたが,こんなに規則違反を繰り返してしまっては説得力がありませんでし
た。無理なルールを押し付けられてそれに違反したのではなくて,忘れ物,服装
違反,遅刻といった基本的な部分でしたから…

練習着を忘れた時は正座させられて反省でしたが,そのすぐ後に遅刻をしてしま
いました。それも2回。1回目に「反省がない」とお尻を鞭で打たれたのにその次
の日にまた遅刻をしてしまったのです。そんなことで3軍へあがれなくなってし
まったら,と思うと自分が許せませんでした。大学4年にもなって自己管理がき
ちんとできないなんて…最初は「大学4年にもなって何で半袖体操着?」とか
「何で1年生からしつけ?」と思っていましたが,自分に対して,「不満を言わ
ないで半袖体操着と紺ブルマーで素直にしつけを受けなさい,基本的なルールも
守れないんだから…」と思うようになりました。

  どうしたんだろうね、そんなに基本的な事を忘れるようになったのは。
4年で降格された事が、どこか精神的にも影響が出ていたのかもしれませんね。


3/7

私は練習で毎日一人で外周を走りました。運動部の中でも指定練習着なんて珍し
かったです。せいぜい一年生が練習着を決められている部があるくらいでした。
他の運動部の友達からは「練習着まで指定なんて厳しい」と言われました。確か
に他の運動部の人たちも外周を走っている人は何人もいますが,紺ブルマーで練
習している人は他の部も合わせて私以外にいなかったと思います。普通の体操着
と紺一色のシンプルなブルマー姿なのにかえって目立ってしまっていました。そ
れに走っている最中にブルマーが食い込んで気づかないままパンツを出したまま
走っていたことも何度もあります。

もともと練習着が指定になったのは15年ほど前だそうです。そのときは部員全員
が部でつくったTシャツと紺ブルマーを着て練習していたそうです。それが私の
入部する2年前に部員を1〜4軍に分ける今の制度が出来,3軍まではレギュラー候
補として練習着は自由になり,4軍はしつけのためにそのまま指定練習着の規則
が残ったそうです。そしてそのときにTシャツが廃止になって半袖体操着に,紺
ブルマーは変更なし,ソックスや化粧などの規則が追加になりました。私が4年
生で4軍になったときには下着についての規則も厳しくなりました。自分でいう
のも変ですが,4軍である以上練習着が指定されるのは当然だと思いました。

それと,4年生になっても4軍ということで1年生の4軍のメンバーよりも厳しくし
つけられました。着替えの順番,トイレに行くにも許可を得ること,半袖体操着
をブルマーから出しているだけで怒られました。見苦しいのでいちいちブルマー
の食い込みを直すなと言われました。教育係は厳しく,規則違反をすると普通に
叱られるほか,正座をさせられたり,鞭でお尻をよく叩かれました。正座をした
り尻を叩かれるときの姿勢や態度まで厳しくしつけられました。

   規律を教え込む以外に、しつけという名目でのいじめ行為としても行われていた感じですね。
上位の軍の者は下位に何をしてもいいような誤った感覚が、閉鎖的な環境の中では当たり前になっていたのかも。


2/14

4軍になると昨日まで普通に話していた同級生たちとも気軽に話せなくなりま
す。「これからも普通にしていいよ」と言ってくれましたが,部のルールでそれ
もできません。そもそも同級生とは言っても3軍以上で自由な練習着で練習して
いる人たちと指定練習着の自分とでは全く違う存在に感じました。
それに「〜しなさい」と指示をしていた後輩たちにも敬語を使うことになったの
です。私が4軍になったとたんに後輩たちは私を見下し始めました。どんなに悔
しくても相手は3軍以上。それに自分が先輩だったときは後輩に意地悪のような
こともしたので自業自得でした。

私の教育係は3歳も年下の1年生でした。でも相手は2軍です。当然私は敬語を
使い,指導には絶対に従わなければなりません。私は「○○さん」と呼び,教育
係からは呼び捨てされます。4軍の1年生たちの教育係は4年生でした。最初は確
かに「私の教育係がせめて4年生だったらよかったのに…」と思いました。でも
自然に「しっかりしつけを受けよう」という気持ちにさせてくれました。指定練
習着,化粧禁止,白以外の下着禁止,スクールソックス着用の規則も余計なこと
に気を使わずきちんと練習に集中をして3軍以上に上がるために決められている
んだと思いました。そう思うと規則は厳しいけれどきちんと守ろうという気にな
りました。1年生の教育係とはいっても実力でいえば自分より上であることは間
違いありません。年下でもきちんと指導に従ってしつけを受けようと思いました。

そして4軍としての初日の練習が始まりました。
練習が始まると教育係の前に出て「よろしくお願いします」とあいさつをしまし
た。教育係から指示がありました。教育係の話を聞いているときは気を付けを保
ち,一切余計な動きは許されません。まずは練習着の検査を受けました。合格し
ましたが,教育係からは「練習着は厳しくしつけるからね。絶対違反しないこ
と。」と言われました。規則違反があると本人だけでなく4軍全体が罰を受ける
ことになります。

終わると「じゃあ今日は最初だからまず外周を20周走ってきなさい!」「は
い!」と返事をするとすぐに1人で外に向かい,外用のシューズに履き替えて走
り始めました。長い距離のランニングだったので息が切れてしまいました。やっ
と走り終えて教育係の前に戻りました。
「終わりました!」
「結構時間がかかったわね。」
「はい…すみません」
「じゃあ次は体力トレーニング10セット!」
「はい!」

腕立て伏せ,背筋,腹筋,開脚前屈,ブリッジなどを続けました。
最初なので教育係がついて細かい指示を受けました。
その日の練習はそれで終わりました。
3軍以上の人たちが帰ったあと,掃除と片付けをしました。
規則に違反すると罰を受けるだけなく,次に3軍以上に上がるための点数が引か
れます。詳しいことは次に書きますが,私はミスで規則違反を繰り返してしまい
ました。それも遅刻や忘れ物といったごく基本的なことで。規則が厳しいといい
ながら結局基本的な部分の違反ばかりしてしまったの
です。

 これまで後輩に色々指導してきたはずなのに、再び時分が逆の立場になってしまうと、
その事を忘れ、ミスを繰り返してしまうものなのでしょうか。
 後輩に、これまで貴女に指導受けて来たのに、貴女は出来ないのかと言われてしまうのでしょうね。


2/2

大学4年だった一年前のことです。
そのとき私はある運動部に所属していました。
前にも書いたように部では部員が1軍から4軍に分けられていました。
私は2年生の冬からずっと3軍で一時2軍になったこともありました。ところが4
年生の夏になって4軍に落ちることになってしまったのです。しかも4年生で4
軍は私だけ。あとは全員1年生でした。4軍は部で一番下,というだけでなくし
つけと教育の対象でした。

悔しかったですが,私は部を辞めるか4軍として続けるか決めなければいけませ
んでした。4年生で4軍は今までほとんどなく,2年ぶりのことでした。でも3
軍以上に上がれる最後のチャンスがまだあったので続けることにしました。

4軍には厳しい規則があります。
3軍以上の人,特に教育係の指示には必ず従うこと。
指定の練習着で練習に参加すること。
練習中の私語は一切禁止。
男女交際禁止。
練習の準備,後片付け,掃除等は4軍の仕事。
規則に違反すると罰があります。
練習着は細かく決まっていました。
髪型は指定の短髪。色染めやパーマ禁止。
化粧禁止。眉そりや眉のカットも禁止。化粧は練習時以外でも禁止。
練習着の上は半袖体操着。指定。前後に指定の大きさのゼッケンを付ける。
練習着の下は運動用パンツ。指定。その年の2年生以上はブルマー。その年の1
年生以降変更でハーフパンツ。
ソックスは白のスクールソックス。ワンポイントやハイソックスは禁止。練習時以外でも同じ。
シューズは室内外ともに指定(1年次に入部したときに買ったもの)。記名すること。
下着はブラジャーとパンツのみ着用可。下着の素材は綿100%で白一色で派手な
装飾のないもの。下着の規則は練習時以外でも守ること。
その他指定以外のものは絶対に身に付けないこと。練習外でも装飾品など禁止。

4軍としての練習は1週間後からでした。その日から準備をしました。次の日に
美容院に行き,規則どおり髪の毛を短く切りました。
私の教育係は1年生でした。でもその人は2軍です。私は3歳も下の1年生から厳し
いしつけを受けることになったのです。
そして1週間が経ちました。その日から4軍です。4軍は練習開始の前に来て着
替えを済ませた上で練習の準備を始めて,3軍以上の人たちが来る前には完全に
終わらせておかなければなりませんでした。

4軍は更衣室も使わせてもらえず,体育館の隅で着替えることになっていまし
た。4軍は私のほかに4人。全員1年生です。その日私はTシャツにジーパンと
いうそれまでと同じ格好で練習に行きました。私が着いたときにはすでに他の1
年生たちは着替えが終わっていました。準備のため私も急いで着替えを始めまし
た。Tシャツを脱ぎ半袖体操着に袖を通しました。そして半袖体操着を引っ張り
ながらジーパンを脱ぎブルマーをはきました。正直大学4年生にもなって練習着
まで指定されたことは悔しかったです。でも自分は4軍…どんなに悔しくてもそ
れが規則です。しつけを受ける以上自由な服装が許されるはずはありませんでし
た。


 後輩に逆に厳しくしつけされるとは、かなり精神的な苦痛でしょうね。
そうなる事がわかっていながら、部に残り頑張る選択をされたのは凄い事ですね。