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ブルマへの想いを綴るぺージ13Line183.jpg (1844 バイト)

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佳恵さん(40)より 10/21

 先日の投稿の補足と私の性的興奮について書かせていただきます。
体操服・ブルマ好きの方の多くがそうではないかと思いますが私は一言でいうと『M』の要素ががかなり強いですね。
投稿でも書かせていただいたように連合音楽会のステージで体操服・ブルマ・裸足で和太鼓演奏を披露して盛大な拍手を
頂いたことで体操服・ブルマが私にとって性的興奮を味わうために不可欠な服装となりました。

 あの盛大な拍手は最高の思い出として子供心に大きく刻まれ、また体操服・ブルマすがたで盛大な拍手を
頂けるようになりたいと思うようになりました。
そのために体操服・ブルマを着用できる機会を増やすために体操服・ブルマで運動することに目覚めました。

 普通のジャージなどとは違って体操服・ブルマで運動ぢているととても目立ちますが「私だけ特別にしごかれている」
「さぼっていたらお仕置きされる」などのMな私が好きなことを思い浮かべることでさらに運動にも力が入り、
いつしか運動が性的欲求を満たしてくれる手段となっていきました。
 私はいまでも体操服・ブルマを着て和太鼓演奏のこと・運動している時のことを思い出したりしごかれたり
お尻を叩かれている自分を空想することを性的興奮を味わうためのネタにしており、体操服とブルマを着用して1人で気持ちよさに酔いしれています。

 やはり運命とは分からないものですね。
私も他の学校のように連合音楽会で普通にコーラスだったら今日のように体操服・ブルマに興奮する私はいなかったでしょう。
今でも体操服・ブルマ・裸足で市民会館のステージに立つというとても貴重な経験をさせていただいた当時の先生方にはとても感謝しております。私はとても幸せ者です。
 
 事実、私は連合音楽会の前日まで体操服・ブルマに興奮を覚えず、「他の学校はコーラスだからおしゃれな服を着られていいなあ」と思っていました。
前日学校から帰宅すると母が「はい、明日これを着て頑張ってね」と私に母が手書きしてくれた新品のゼッケンを縫い付けた新品の体操服とブルマを手渡してくれました。

 私は母の優しい心遣いがうれしく、明日の連合音楽会がとても楽しみになり、全力を尽くそうと誓いました。
翌朝母の思いの詰まった新品の体操服に袖を通して新品のブルマを穿くととても興奮して胸が熱くなったのを覚えています。
(今思えばこれが私が初めて体操服・ブルマに興奮するようになった記念すべき瞬間だったのかも)

 Mの要素のどんな部分がお強いのでしょうか。
ブルマ姿に興奮を覚えた頃から、少しずつ目覚めていったのでしょうか。
じきにオナニーを知るようになったのでしょうか。


佳恵さん(40)より 10/17

はじめまして

私が体操服・ブルマを好きになり興奮を覚えるきっかけとなったのは小学5年のときの連合音楽会でした。
私が小学生のころは毎年秋に市内の小学5年生が市民会館に集まって演目を披露する連合音楽会が開かれていました。
連合音楽会の演目と言えば普通はコーラスですが私たちの演目は和太鼓演奏と先生から聞かされて驚きました。
さらに和太鼓演奏にふさわしく服装は全員半袖体操服、短パン・ブルマ、裸足!と聞かされてさらに驚きました。
実際にやってみると和太鼓演奏は結構楽しく、連合音楽会本番まで練習を続けました。

そして連合音楽会当日になりました。
当日市民会館に集まるとほかの学校の子がおしゃれな服装なのに私たちだけ体操服姿というのは正直違和感がありました。
ついに私たちの出番がやってきました。
先生の合図で私たちがホールの客席通路を駆け降りてステージへ駆け上がっていくと客席から盛大な拍手を頂きました。
このとき私の胸に熱いものがこみ上げて今までに感じたことのない興奮と気持ちよさを同時に感じる不思議な状態でした。
この興奮と気持ちよさは和太鼓演奏をしているうちにさらに増していき、演奏終了後にこの日最大とも思える盛大な拍手を
頂いてステージを駆け降りると最高潮に達しました。

すぐに連合音楽会のステージで体操服・ブルマ・裸足で和太鼓演奏ができたからこそこの興奮と気持ちよさを感じることができたのだと気づきました。
そして、「私たちだけ体操服でステージに上がることができたので幸せだな(特別だな)」という思いを抱くとさらに興奮度合いが増し、
今まではけっして嫌いではなかったが特別な感情を抱くことがなかった体操服・ブルマという服装が大好きになりました。
そしてもっと体操服・ブルマ姿になってこの興奮と気持ちいさを味わうことのできる機会がほしいと思うようになりました。

連合音楽会で体操服・ブルマという服装が大好きになった私は体操服・ブルマ姿になる機会を求めていました。

ちょうど連合音楽会のあとに市の運動系の行事が2つあったので参加してみることにしました。
1つ目は「武道館フェステバル」といって市の武道館で様々な武道を体験できるイベントです。
当日体操服・ブルマ姿で武道館へ行くと市内の様々な学校の子が体操服・裸足の服装で参加しており、みんなで道場に
正座したり武道を体験したりして楽しい1日を過ごしました。

もう1つは「市民マラソン大会」です。私は本番はもちろんのこと練習の時から体操服とブルマを着用して走っていました。
マラソン大会本番は市内だけではなく近隣の市からも参加者がおり、様々な学校の体操服姿の子たちと一緒に楽しく走りました。

もちろん日常生活においても体操服を着てのランニング・縄跳びなどの運動をして興奮と気持ちよさを味わう機会を設けていました。
小学5年の秋から冬にかけて次第に体操服・ブルマがやみつきになり、普通の服に対する愛着が薄れていきました。

続きは改めて書かせていただきます。

ブルマが好きになったきっかけは、ちょっとしたことだったのですね。
一度、この喜びを知ってしまうと、どんどん好きになって行かれたのでしょうね。
ブルマ姿になって運動して高揚感は、いつか性的な喜びに変わっていくのでしょうか。


ななこさん(37)より 10/5

わたしのジム通いはそれからも毎週続きました。ジムはいつも、わたしひとりだけでした。体育館までは臙脂色の
ジャージで行き、少しウォーミング・アップをした後、鏡の前に立ちます。そこでジャージを脱いで、半袖ブルマーに
なる瞬間がたまらなく、わくわくするのでした。そして、ブルマーになると、一週間の間たまっていた気持ちが一気に
噴き出すかのように、ハードなトレーニングに向かうのでした。広いジムを独占できるというのも喜びでした。高校ま
でも体育時はブルマーになることもありました。しかし、そこでは、わたし以上にスポーツが得意な子もいて、気が引
けていたのかと思います。しかし、今、わたしは、ブルマーになって運動をすることの快感に目覚めたのでした。
 トレーニングの時は半袖ブルマーになりますが、行き来はジャージ上下を着ていました。

さすがに外では恥ずかしかったということもありますが、自分はジャージを着ているけれど、その下に半袖体操服とブ
ルマーを着ているのだ、という優越感も快感の一つでした。トレーニングをする前や、終えた後など、ジャージを着た
状態で、腰回りや腕回りをさすっては、その下のブルマーや半袖体操服の袖のラインや肌触りも、わたしを興奮させる
のでした。

 ブルマは貴女を性的な興奮へと導いてくれたのかな。
ジムに行った日は自宅に戻ってからも、身体が火照り疼くことになりましたか。


ななこさん(37)より 10/2

続きです。
トレーニングをしてから、気分よく勉強に励むことができるようになった気がしました。最初のトレーニングから1週
間後、わたしは、再びジムに向かうため、ジャージを出しました。しかし、以前、ジャージだと途中から暑くなったこ
とを思い出しました。そこで今度は、あつくなったらジャージを脱ぐことができるように、ジャージの下に、半袖の体
操服と紺色のブルマーを履いて行くことにしました。

 ジムに着くと、この日は、誰もいませんでした。わたしはトレーニングルームを独り占めすることができたのです。
前と同じように最初は、ランニングマシンで十分くらい走りました。そして暖かくなったところで、壁にかけてある大
きな鏡の前に立ちました。

鏡の前には、紺色のジャージを着た自分の姿が写っています。こうして、自分の全体像を大きな鏡で見たことは、なか
なかないものでした。これから自分は、着ているジャージを脱いで、白い半袖体操服にブルマー姿になるのだ、と思う
と、急にドキドキしてきました。

わたしは鏡を見つつ、まずはジャージの上着のファスナーを下までおろして、脱ぎました。それから、ジャージのズボ
ンに手をかけると、思い切って下におろしました。鏡の前には、もう、ジャージではなく、半袖の体操服に濃紺のブル
マー姿の自分の姿がありました。最後にブルマーになったのは、高校3年生の9月末でしたから、約半年以上ぶりにな
ります。高校時代は、夏場、ブルマーになることを強制され、みじめにまで思っていました。でも、今は、無理にはブ
ルマーを履く必要はないのです。その余裕からなのか、久しぶりの自分のブルマー姿は、凛々しくて、何だか、じぶん
がすごくスポーツができそうになきがしてきました。

ジャージはベンチに畳み、まずはランニングマシンに立ちました。先ほどよりもスピードを上げ、設定時間も長くして
臨みました。だんだんと苦しくなってきました。ぜーぜー息がきれます。前だったら、途中であっさりとやめていたと
思います。しかし、ブルマーになると、頑張らなければならない、頑張るんだという気持ちが出てきて、ますますス
ピードを上げていきました。

 走り終えるとしばらくは息切れがして、ぐったりしてしまいました。高校のマラソン大会でも、こんなに一生懸命に
は走っていませんでした。自分がこんなに走れるのだ、と意外なくらいでした。
落ち着くと、今度は、マシンの筋力トレーニングに臨みました。こちらも、前は1セットずつぐらいだったのですが、
今度は、2セット、3セットとしたくなりました。自分一人ということもあり、「いーち、にー!」と数えたり、バー
ベルを上げるときなんか、「う〜ん」と思いっきり声を出したりしました。学校の体育で、クラスメイトがいれば、恥
ずかしくって出さないような声でした。壁の鏡で、ブルマーでトレーニングをしている自分を眺めていると、本当に体
を鍛えているのだ、という気がしてきて、ますます、頑張ってしまいました。

気が付いたら2時間以上、ブルマー姿でトレーニングをしていました。そろそろ終える時かな、と思い、最後に再び、
鏡の前に立ちました。こんなに体を動かしたのは、今までなかったくらいでした。わたしはタオルで汗を拭くと、畳ん
でいたジャージを再び、着ました。最初にジムに入った時と同じジャージ姿に戻ったのですが、最初に鏡の前に立った
時と自分が違う気がしました。

 外に出て、帰る時も、今はジャージだけど、さっきまでブルマーで思いっきり筋トレをしていたんだとか、他の人は
そのことは知らないのだと思うと、なんだか、得意な気分になりました。そして、また、今度も、同じように行こうと
思ったのでした。

 ブルマ姿は貴女の中の変身願望を叶えてくれるものだったのでしょうか。
鏡の中に写っている自身の姿は、いつもと異なり素敵だったのでしょうね。


ひろみさん(40)より 10/2

ひろみです。半袖ブルマでコンビニまで行くことになった私は恥ずかしさ以上に快感を覚えてしまった私ですが、生まれて初めてブ
ルマー姿での買い物です、緊張しないわけがありません。自らブルマーのウエストを上に引っ張り上げ、お尻のお肉を露出させはし
ましたが、少しやりすぎかなと思ったせいか変な緊張感がわいてきました。「あんまりお尻を出しちゃうと返って不自然だよ
ね・・・」。そう思っていたら仲間の一人が、

「ひろみさん、今日は大サービスなの?」

と言ってきました。私は一瞬、意味がわかりませんでしたが、すぐに

「ほんとだ。なんかいつもより大胆!」
「いつもより多めにお尻だしておりますー!」
「あははー!」

お笑い演芸の人の真似までして私をからかいます。私もそこで気がついて、

「ち、違うよー!お尻が勝手に出ちゃうの!」
と、さすがに本気で恥ずかしくなってお尻を直そうとすると、また

「だめ!だめって言ったじゃない!ひろみさんはお尻直しちゃだめなの!」
と無理やり手を払いのけられました。そのとき、彼女の手が私のお尻に触れたらしく、

「キャー!ひろみさんのお尻に触っちゃた!」
「わ!いいなー!」
「ねーねー、どんな感じだったの!?」
「ふわふわのぷくぷく!」

みんなもう言いたい放題と言うか、きゃっきゃっとはしゃいでいました。

「ひろみさん、シャツをもっと下に引っ張って!」

私がシャツでブルマを隠す仕草をすると、

「きゃー!何もはいてないみたい!」
「ひろみさん!パンツ!パンツはかないと!
「ひろみさん!お尻!お尻丸見え!」

21歳の私は完全にみんなのおもちゃにされてしまいました。それからずっとこんな感じのやりとりが続いたようにおもいます。な
ぜならコンビニでどんなふうに過ごしたのかほとんど覚えていないのです。なんとなく、他のお客さんの視線は感じましたが、それ
以上にみんながはしゃぐ声が大きくて、私はひたすら「もう、やめてよー!」とだけ言っていたような気がします。気がついたら、
と言えば少しおおげさですが、いつのまにかコンビニを後にして、みんなでわいわいとアイスを食べながら歩いていました。ブルマ
ー姿の私で遊ぶこともなく、みんな高校生の女の子らしくアイスクリームに夢中といったところでしょうか。そんな私もチョコミン
トのアイスクリームが美味しく、また年下の友達との何気ないおしゃべりが楽しくて仕方がありませんでした。途中、ブルマのお尻
があまりにも出ちゃってる気がしたのでこっそり直そうとすると、

「だめ!だめったらだめ!ブルマからお尻が出てないとひろみさんじゃない!」

「もう!なによ、それ!」

「あ、また小ちゃな子がこっち見てるよ」

「あのね、このお姉ちゃんが着てるのはね、ブルマって言って、スポーツするときに着るお洋服なんだよ」

「だから、もう、いいって!」

私はもっと半袖ブルマでいたいと思うようになりました。

 みんなに茶化されても、ブルマ姿をさらけ出す喜びの方が勝ってきたのかな。
周りのノリに貴女ものって、自らも楽しめるようになった感じですね。


エリカさん(34)より 9/27

お久しぶりです。
ほぼ一年ぶりになりますが、
ひろみさんの告白に自分の大学時代の体験を重ね合わせて、毎回、興奮しています。
私は部活の限られた人数の中で、ただひとりブルマ姿でシゴキを受けましたが、ひろみさんは全校生徒の中でただひとりですよね。
すごいと思います。今後の投稿を期待しております。

それにしても、21歳で、大学三年生の年齢で、大勢の高校生の前でブルマ姿ですか。。。
私もロードワークをすると、女子高生に笑われたり、男子高校生の注目を浴びたりしましたし、
系列の高校との合同合宿、合同練習で、高校生の前でブルマ姿を晒しましたし、シゴキも受けましたが、ひろみさんには遠く及ばないですね。
感動です。

 同じような経験された方同士、何か相通じるものがおありなのでしょうね。


ななこさん(37)より 9/27

はじめて投稿します。

 高校卒業後、大学に入るため1年浪人していたころのことです。4月から予備校に通うようになり、最初のうちは、
毎日、規則正しく通っていましたが、GWを過ぎた頃から、勉強ばかりの毎日にも飽きてきました。高校の時も運動部
ではなく、もともとスポーツはそれほど好きでもなかったのですが、体を動かしたくなってきました。
 自分の住んでいる町の体育館にトレーニングジムがあるのを思い出し、ちょうど、水曜日の午後は授業がないので、
その日に行ってみることにしました。

 ジムに行くといっても、運動部でなかったわたしが持っているスポーツができる服と言えば、高校の時に着ていた学
校ジャージぐらいでした。臙脂色で、上着のファスナーが下までついたものです。家から着て、トレーニングジムに行きました。

 体育館は古い建物で、独特の汗臭いにおいが充満していました。平日の昼過ぎだからか、ジムには50歳くらいの男の
人が一人いるだけでした。肩にも腕にも筋肉がついたがっちりとした人で、白いタンクトップにだぶだぶのズボンを履
いていました。男の人は、わたしのほうをちらっと見ましたが、そのあとは、そのままトレーニングをしていました。
そんな人と一緒に、わたしのような、今までほとんどトレーニングをしたことがない女子がするのは、少し申し訳がな
い気もしましたが、それでも始めました。

 ランニングマシンから始めましたが、走ってみるとだんだん楽しくなってきました。15分くらい走ると、次の運動が
やってみたくなって、ベンチプレスや腹筋などを十回ずつしていきました。横では、時々、男の人の、ウーンと力を入
れる声や、フッというため息が聞こえてきます。

 ところが困ったことが起きてきました。トレーニングをするのは楽しいのですが、夢中になってやっていくうちに、
ジャージだと次第に暑くなってきました。少しファスナーを下ろして扇いだりしましたが、あまり効果はありません。
ジャージを脱げばいいのですが、その下は下着なので、そういうわけにはいけません。わたしは、もっとトレーニング
をしたいと思いつつも、思う存分はできませんでした。

「おねえちゃん、高校生?」
運動をしていた男性が急に声をかけてきました。浪人生というのも面倒くさいのでわたしは、
「あ、そうです」と答えました。
「これからは女の子も体を鍛えんといかんからなあ。毎日、すこしずつでもしないといかんからなあ」
「は、はあ。ありがとうございます」
急に声を掛けられて、わたしはドギマギしましたが、嬉しかったです。
 予備校通いの毎日勉強づけのわたしにとっては、この日のトレーニングを終えた後は爽快でした。
そして、また機会があれば通おうと思ったのでした。

 気分転換に身体を動かすことも必要ですよね。
ジムでのジャージ姿では暑かったのが、その後ブルマ姿に関係してくるのでしょうか。


ひろみさん(40)より 9/23

ひろみです。みんなの前で「私はブルマーが好き」「体育は一年中半袖ブルマーで過ごす」という約束をしてからは、私はすっかり
気分がラクになりました。私自身、ブルマーが好きで人前でブルマー姿になることが気持ちよかったし、いろんな人にブルマー姿を
見てもらえることの快感めいたものをはっきりと自覚していましたので、今でいうところのカミングアウトでしょうか、自分の性癖
みたいなものを公然と表すことで心身ともに開放的になれたのです。前にも言いましたが、新しい高校では体操服については季節を
問わず、生徒の好きなようにされていました。夏だからといってブルマーを強制されることもなく、またその逆もありませんでした。

それにブルマーは私が思うにとても普通の高校の体育の授業で着るような、いわゆるスクールブルマーなどといえるものではな
く、今の陸上のブルマーに近いくらいにかなり露出度が高く、また生地が薄くてお尻のカタチや線が丸わかりになるようなものでし
たので、夏でもブルマーをはく生徒は極端に少ないものでした。ゆえに私が体育でブルマー姿になると回を追うごとに学校内で有名
になっていきました。

体育がなくても休み時間になると教室に知らない子がやって来ては「あ、あの人だよ、21歳の人」だとか「あの人いつもブルマで体
育やってるんだよ」「ブルマが好きなんだって。ちょっとエッチなのかな」などと聞こえるように言ってきました。

私はとくに応えるようなことはしませんでしたが、内心は嬉しく思っていました。クラスメートの子も「ひろみさん、す
っかり有名人だね」「たしかにひろみさんのブルマー姿って可愛いもんね」とからかってるのか誉めているのかわからないようなこ
とを言っていたように思います。「可愛いだなんて、なんか恥ずかしいな」。私は「私=ブルマー」みたいに見られることに更に満
足するようになりました。

五月の球技大会のときのことです。その日は一日中朝からずっと体操服姿でいる日でした。まだ五月ということもあって私が知る限
り学校中の生徒みんなジャージ姿でした。私はもちろん半袖ブルマーです。相変わらず私のもとに知らない子が「あ、21歳の
人!」だの「ブルマーの人!」だのわざわざ言いにきては去っていくといったことがありました。もちろん、私は嫌な気持ちはあり
ませんでしたけど。そしてお昼休みになり、みんなでお弁当を食べていたときのことです。学校の中ではまだ私は珍しい対象みたい
な見方をされてはいましたが、同じクラスの子はすっかり慣れてたみたいで、私のブルマー姿をとやかく言われることも少なくなっ
ていました。だけど、そのとき誰かが

「ねぇ、アイスクリーム食べたくない?」

と言いました。するとみんな口々に「良いね、アイスクリーム」「私も食べたい」と言い出しました。私も食べたかったので「私も
ほしい、アイスクリーム!」と言いました。しかし、よく考えてみたら私の学校には購買部はありましたが、簡単なパンやジュース
があるくらいでアイスクリームは売ってなかったのです。ということは、アイスクリームを食べるには学校の外にあるコンビニまで
買いに行かなければなりません。私はすぐに思いました。

「も、もしかして、このカッコでコンビニまで買いに行くの?」

とたんに私はへんな気持ちになりました。もし、私が買いに行かされる、なんて場面になったら、私、ブルマー姿でコンビニまで・・・。

そう思っていたら、まるで私の気持ちを見透かされていたみたいに仲間の子が言いました。

「なんかひろみさん、買いに行きたそうな顔してない?」

私は「そ、そんなことないよ!いくらなんでもブルマーで買い物なんて行けないよ!」
と言いましたが、すかさず、
「あれ?なにもブルマのまんまで買いに行くなんて言ってないよ。スカートはいて行けばいいのに・・・。」

私は「しまった!」と思いましたが、ときすでに遅しで、

「わー!やっぱりひろみさんに決定!」
「ひろみさん、ブルマでアイス買ってきてくれるんだって!」
「やったー!ブルマでコンビニ!見たい見たい!」

さすがにブルマー姿でコンビニは恥ずかしいと思いました。コンビニまで歩いてざっと3分ほどはかかりますし、しかも、こんなエ
ッチなブルマーでコンビニの中で買い物なんて、いくらなんでも強烈すぎると思いました。私は、

「い、行ってもいいけど、スカートはいてもいいよね・・・。」と言いましたが、

「だめ!今日は球技大会だからずっと体育の時間なの!だからひろみさんは今日はずっと半袖ブルマ!」

私は「そ、そうだけどさ、でもひとりブルマーでコンビニは、ちょっと・・・。」

「ひろみさん、ブルマー好きって言ったじゃない!ブルマー姿を見てもらえるのが好きって言ったじゃない!」
「そうだよー!ひろみさんのブルマー姿、最高だよ!」

私はなにがどう最高なのかわかりませんでしたが、結局ブルマーのままコンビニまで買いに行くことになりました。みんなめいめい
食べたいアイスを紙に書いて私に渡しました。だけどみんな私がブルマー姿でコンビニに行くところを見たいとのことで、結局みん
なで一瞬に行くことになりました。紙に書いた意味なかったということです。

校門を出るといきなりバス通りです。平日の昼間でそんなに人通りはありませんでしたが、それでも肌に突き刺さる視線は感じました。

「やだ、私、ほんとにブルマーで外を歩いてる・・・。」

みんなは私の後ろを歩いています。

「お尻、プルプル震えてるよ」「21歳のブルマー姿って、なんかいやらしいビデオみたいだね」「えへ、お尻が顔を出してきました!」

みんな言いたい放題です。私はお尻が気になって指で直そうとすると、

「だめ!ひろみさん、お尻なおしたらだめ!」

「だ、だって、お尻出てるって言ったじゃない・・・。」

「ひろみさんはブルマーからお尻が出てるのが一番かわいいの!」

「そ、そんな・・・。」

そんなやりとりの中でも、私は身体がジンジンと熱くなるのを感じていました。バス通りを少し歩くと信号があり、そこを右に曲が
ってしばらく歩くとコンビニがあります。近くの幼稚園の子供達が集団で歩いていました。年下の同級生だけでなく、明らかに年下
の子供達の中をいやらしいブルマー姿で歩いている私。幼稚園の子供達が物珍らしそうな顔で私を見ていました。仲間の子が、

「このお姉ちゃん、スカート穿いてないんじゃないからね。これはブルマって言って体操するときに着るお洋服なんだからね」

と、余計なことを言いました。私は内心「へんなこと言わないで」と思いましたが、幼稚園くらいの子供は思ったことをはっきり言うもので、

「パンツみたい!」
「へんなの!」

と口々に言いました。私も

「や、やっぱりパンツだよね、そう見えるよね、私、そんなパンツで歩いてるんだよね・・。」

私は自分の太ももを触ってみました。「こんな街中で太ももを丸出しにして歩いてるなんて」

私はこっそりブルマーのウエストをキュキュっと上にあげました。ブルマーのゴムがお尻の線に食い込んでいくのをしっかり感じました。

  十代の年下の子の中で、21歳の貴女のブルマ姿は大人ぽくセクシーで大胆に見えていたことでしょうね。
中には同じようなブルマを着てみたいと、貴女に憧れていた子もいたかもしれませんね。
カミングアウトでこんなにも気持ちが楽になれて、本当に良かったですね。そして密かに見られる喜びも味わっていたようだしね。


ひろみさん(40)より 9/23

ひろみです。初めての体育の時間のことです。家で新しい高校の体操服を試着してみただけですっかりブルマーのいやらしさに酔っ
てしまった私は、編入したばかりの4月だというのに敢えてジャージを持って行かず、半袖ブルマーで授業を受ける決心をしまし
た。まだ肌寒さの残る1時間目の体育の時間です。私は家から制服の下にブルマーをはいていきました。その段階でブルマーという
感覚はなく、下着を2枚はいているような感触でした。朝のホームルームで体育の授業での更衣場所についての説明がありました。

体育館の更衣室は狭いので、基本的に教室で着替えてから体育館や運動場へ移動するようにと言われました。私はその言葉を聞いた
だけで身体中がムズムズしました。「やっぱりブルマー姿で廊下や階段を歩くんだな・・・。」心臓はもうドキドキです。そしてチ
ャイムが鳴り、いよいよ体操服に着替えるときがきました。私はまずブラウスを脱いで半袖シャツを着ました。ふと周りの子を見る
と、みんな長袖のジャージを着ています。そして下はもちろんジャージです。私は編入学なので新しい体操服に慣れていませんでし
たが、みんなは2年目ということもあってか、体操服(ジャージ)の着こなし(?)も手慣れたものでした。

そして、胸のドキドキと顔が熱くなるのを感じながらついにスカートを脱ぎました。太ももがすごくスースーしたのを憶えています。
私はすでにブルマーがお尻に食い込むことに快楽を憶えてはいましたが、やはり部屋の中と学校とでは違います。私は無意識のうち
に指でブルマーのお尻を直したと思います。「うう、やっぱり恥ずかしいな・・・。」私はブルマーを隠すようにシャツを強めに下
に引っ張りました。

何回もお尻を直したりするうちに「やっぱりこのブルマー、パンツとおんなじだよ・・・。」前の学校のブルマーとは全く異質の、
伸縮性に富んだ薄い生地に、脚の付け根のカットが大きなカタチは、今の陸上選手が着るブルマーとまではいかなくとも、学校の体
育で着る衣服にしてはかなり露出度の違い、体操服と言うよりはやはりユニフォームと表現した方が近いと言うようなものでした。
「やっぱりこのカッコで外に出るのは勇気いるな・・。」と思いながらその場で髪をくくっていると近くにいた子が叫びました。

「わぉ!ひろみさんブルマー!」

するとみんなが一斉に私を見ました。

「わ!本当だ!」「ひろみさん、セクシー!」「ひろみさん、なんかやらしい!」

みんなゾロゾロと近くにやってきます。中には「触ってもいいですか?」といって本当にお尻や太もも、それになぜか胸まで触る子
もいました。私は「これだ、こんなふうにされたかったんだ・・・。」という気持ちを隠しながら「ち、ちょっと、みんなエロくな
い?」と笑いながら言ってごまかしました。「やっぱりうちのブルマーって、めちゃエロいよね!」「ひろみさんがはくと余計にエ
ロくない?」「そりゃ、みんなブルマーはかないよね」。するとある子が「ひろみさん、ジャージは?ジャージは着ないの?」と言
いました。予想していた質問です。思えばあのとき、中途半端にその場しのぎのような態度をしたために思いもしなかったことをさ
れ、また思いもしなかった結果になったのです。あのときと違って私はもう21歳。みんなよりも明らかに大人の女性です。自分の気
持ちや感情ををはっきりと知らせる方が後々きらくだと考えたのです。「ひろみさん、ジャージ忘れたの?」。私はしっかり言いま
した。

「ううん、私、ブルマー好きだもん!」

「ええ!本当に?!マジで?!」

びっくりしているみんなを前にさらに続けました。

「うん、本当だよ!だってブルマーってカッコいいでしょ?バレーボールの選手だってみんなハイレグでカッコいいし。それにブル
マーって今しかはけないしさ!」

もう怖いものはありませんでした。みんなは「えー、そうかなぁ?」というような顔をしていましたが、気にしませんでした。そし
て私はその後の高校生活において決定的なことを言いました。

「みんなの前でブルマー姿になるとね、気持ちいいの。太もも全開でお尻のカタチだってわかっちゃうけど、それが、なんか、気持
ちいいの。」

周りの反応はさまざまでした。びっくりした子。ぽかーんとした子。少し引いていた子。だけどどれも想像していた通りの反応でし
た。私はさらに言いました。

「私、ここのブルマー大好き!冬になってもジャージはかないよ!一年中半袖ブルマーでいるつもり!」

私はみんなの前で堂々と一年中ブルマーでいることを宣言しました。このときのみんなの顔はもう、よく覚えていません。だけどな
ぜか拍手がおこったことは憶えています。みんなの前で夏も冬も半袖ブルマーでいることをはっきりと伝えたことで、自分の心の中
でずっとモヤモヤしていたものが晴れたような気がしました。たとえみんなに変態だとか露出狂だとか思われても、自分のやりたい
ことを心おきなくできることの嬉しさをしっかりと感じました。その日、ひとりだけ半袖ブルマー姿で廊下を歩き、そして自分でも
ブルマーからお尻がはみ出ていることを感じ、またそれを見られる喜びを味わいながら自分だけ半袖ブルマー姿でいることを存分に
楽しみました。

「こんな気持ちのいいこと、絶対にやめられない!」

私はブルマー宣言をしたことにこれっぽっちも後悔はしませんでした。

なんだか、一気にブルマ宣言されたことで、今までのことが吹っ切れた感じですね。
少し時間はかかりましたが、新たな一歩を踏み出せたようで、素敵な貴女になれたのかもしれませんね。


みいなんさん(34)より 9/2

特定の彼氏もなく過ごしている時間が長く、性の楽しみは私ひとりで慰める事でしか味わえない日が続いてきました。
エッチな気分になってしまったとき、そうでもなければそんな気持ちを感じたいときにブルマーになってしまう。
それは中学生だった頃から隠れて続けてきた事です。
今はもう当時のオリジナルの体育着でいることはできなくても、その後に買ったものでも愛着を持って着ていれば同じ気持
ちを感じられると思っています。

もう今から20年近く前のことです。
ブルセラの言葉がまだ聞こえた当時、中学生だった私に降ってわいたような出会いが訪れました。
でもそれは、後で思えば至る所に年の離れた相手の本音が見え隠れしていたような危ういものでした。
それまで異性との交際どころか長い時間話した事もなかった私にはそんな事をしている自分がどこか嬉しくもあって、もち
ろん性への興味がなかったといえばウソになる中で、戸惑いながらも相手に求められるままに次々と性の経験をしてしまう
のが嬉しかったのです。
そして、いつから、どんなキッカケでそうなったのかは覚えていませんが、その人のマンションでいつもブルマー姿でいる
のが当たり前になっていたのが中2の冬頃のことです。

そしてこの頃、残酷なくらい強く印象に残る出来事がありました。
「一度こうしてみたかった」
そんな事を言われ立ったまま後ろから着衣挿入をされた状態で、太腿に光る何本かのいやらしい光の筋を見てしまいました。
それは体が震えてしまったほど興奮してしまっているのに、なぜか声も出せず、そしてその方法が私には苦しいほどの気持
ち良さを、相手にもそれまでと違う興奮を与えられることを知ったときでした。

私が「過去」の出来事に向かって歩き始めたのもこの頃です。
中3の始め、公園に咲いていた八重桜の下で抱き合いました。
確かにいつもに近い感覚はあって、もうその頃には出されるタイミングも分かっていましたのでいつも通り受け止めました。
けれども、いつもと違ったのは生理とも違うお腹の痛さがあったことでした。
そしてそれは、その人とはもちろん、10代最後のSEXとなりました。

そのお腹の痛みは少し前から感じてはいました。
それでも耐えられないというほどでもなく、登校も続けていました。
それから1週間くらいした頃、かなりひどい痛みに襲われると同時に生理が来ました。
喪失してから生理は不安定でしたので、やっと来たと安心もしましたが痛みがひどく、何となくでも生理とは違うのでは?
という思いも感じていました。
さすがにその日は学校を休み、少し落ち着いてから登校すると授業中に声も出せないほどの痛みに襲われて保健室へ行った
のが終わりの始まりでした。
その後に連れて行かれた病院で、それが稽留流産だということを初めて知らされました。

その反省もあって、その後はあえて異性に触れてしまう場には自分から近づかないようにしてしまったのは確かですが、そ
んな事が板についてしまうとは思ってもいませんでした。
それが特定の彼氏がいない大きな理由の一つだと思います。

もちろん反省はしていますがそれと違うことをあえて書きます。
学校の残り期間は祖母を頼って違う地域の学校へ転校することで何とか受験に響かせずに卒業できました。
母親にはすべて処分したとウソをついて祖母の家へ持ち出してきたのが前の学校のブルマーでした。
そして、時々着替えては相手の家やあの木の下でいやらしく交わったそのときのことを思い出していました。

今はまた違う事情があり、転職もして両親と同居に戻っているため一人暮らしだった時のようには行きません。
確かに中学生の頃に部屋で隠れてオナニーをしてしまっていた事はありましたが、やはり一度出てしまうと家族が気になっ
て深くまでは入り込めないのです。
ですが、今日は思い切り入り込んでしまっても構わない所にいます。
短いながらも夏休みをいただいて、旅先のホテルの中です。
この旅行中にこちらへ告白をしてしまうことも楽しみの一つとしてここまで来ました。
すべて尽くせてはいないかもしれませんが、本当の思いを残したいと思います。

長々とお付き合いくださったことに感謝します。
ありがとうございました。

そして…
これからベッドへ入ります。
赤のブルマーのままいやらしく交わり、あふれてしまうほどに満たされて朝を迎えたいと思います。

今頃は旅先から戻られ、モヤモヤとされているのではないでしょうか。
10代の頃にいろんな経験を急ぎ過ぎたかもしれませんね。
時が経ち、異性との付き合いも無いようであれば、よけいに昔の快楽の思い出が蘇ってくるのかもしれませんね。


ゆきさん(25)より 8/23

ゆきと言います。まだ結婚したばかりの私ですが、このサイトを定期的に見ていました。
ちょうど中学の水泳の話をしている人がいたので、私も水泳の授業の経験を話してみます。

中学から私立の共学の学校の進学した私ですが、びっくりしたのはそんなにスポーツの
盛んな学校ではなく、むしろ真面目なお坊ちゃま、お嬢様が通う学校で、
しかも学校にプールがないのに、水泳だけは力を入れていて、中学一年生の時に
25メートル泳げるかどうかを調査して、泳げた人は夏休みに臨海教室で海で遠泳をし、
泳げない人は夏休み、臨海教室には行けず、学校の関連施設のプールでみっちり指導がありました。
そこで25メートル泳げるようになった人は、次の年は臨海教室に行くことができるのです。
25メートル泳げなかった人は、中学二年生もプール指導で、同じことを高校一年生まで続けるのです。
臨海教室は中学だけが強制だったので、高校一年生は、もう25メートル泳げなくても、
ある程度泳げればよしとされます。

私は小学生の時に、スイミングにも通っていなかったので、地元の小学校で毎年少しずつ
水泳指導を受ける程度で、当然25メートルはおろか、ビート番を使って泳げるという程度でした。

中学一年生の時は、同級生もかなりいたのですが、私は25メートル泳げるようにはなれず、
次の年も同級生十数人とプール指導決定でした。
でも、二年生の時に当時まだ硬式テニスが中学の部活では少なかったこともあって、
部活の大会でかなり勝ち進み、プール指導は受けることができませんでした。
私は内心うれしかったのですが、三年生の時は部活の大会とプール指導がうまくずれてしまい、
結局免除されることなくプール指導を受けることになってしまいました。

同じように前年に硬式テニスで勝ち抜いたA君も同じ境遇で、それ以外には二年生の時にも
25メートル泳げなかった女子が数人残っていただけでした。

当日プール指導に行くと、当たり前ですが一年生が一番多く、二年生が数十人、三年生は
私を含めた女子数人とA君だけでした。高校一年生も男女数人いました。

臨海教室の時の見分けのため、スクール水着は学校の購買部で一年生の時に買ったものを着ました。
女子のは、三年間使える伸びる素材ということでしたが、二年前の水着で、私は少し小さくなってて、
でも伸びるからなのか問題なく着られました。
ただ、乳首と股間のところは、伸びた分、薄くなり少し目立ってしまいます。
パッドを入れて乳首は少し目立たなくなりましたが、少し気になりました。

問題はA君でした。男子も伸びる素材ということで、縫い目のあるピチピチした市販のスクール水着ではなく、
昔の体操服のブルマみたいな形の、身体の線に沿って伸び縮みするスクール水着でした。
当時はもうブルマの体操服なんかなくて、中学生が下履きで履いている程度で、私も自分が履く下履きの
紺パンみたい、と思いました。

一年生だと、男子のアソコも小さいので大して気になりませんでしたが、三年生のA君のは輪郭が
はっきり出てしまいます。
不評だったのか分かりませんが、その年の一年生からは別のメーカーの学用品(スクール水着を含めてです)
を使っていたので、そのスクール水着は二年生と三年生だけで、男子はA君だけです。

プール指導では、学校の先生ではない、専門の指導員の人から教わり、わたしたちもバディを組んで、
いろんな練習をするのですが、四年目でもう25メートル泳ぐのはなかなか難しい高校一年生は別枠で、
中学生はレベルごと分けて、男女別々にバディを組むのですが、前年指導を受けていない私とA君は、
中の下のレベルのクラスに一緒に入り、ほかに三年生の女子がいたものの、三年生の数が少ないということで、
A君も男子一人でかわいそうだったのか、私とA君だけ男女別々ではないもののバディを組むよう指示されました。

運動が苦手そうな他の三年生の女子と違い、私とA君は硬式テニスで勝ち抜くくらいの運動神経は
あったのですが、小学生の習い事でスイミングをやっていなかったという事情で、水泳だけは
惨めな感じだったのですが、個人的に部活で親しいこともあり、少しA君のことが気になっていたことも
あり、二人なら頑張れるかも、と内心喜びました。

でも、バディを組んで、すぐにA君の股間の輪郭に気づいていしまいました。
三年生になると少し大きくなるのか、一年生のと比べても大きいし、スクール水着の違いもあるので、
袋や棒の部分がくっきり分かりました。
しかも、それが私だけ自然に見えてしまう状況にドキドキしてしまいました。

後でA君が教えてくれましたが、A君自身もすごく恥ずかしくて、一、二年生の男子に見られたり、
三年生のほかの女子に見られるくらいなら、まだ部活の同級生の私がバディでよかった、とのことです。

少し長くなってしまいましたので、この後の話、A君が勃起しちゃったり、私も変なことするように
なったり、高校一年生までの話だったり、いろいろありますが、また告白します。
ちなみにA君はいまのダンナ様です。(ごめんなさい、内輪の話で)

 同じような境遇の者同士で、必然的に仲良くなっていくのですね。
異性の身体に興味津々な時期のようで、その後どんな変なことをされるようになったのでしょうか。


ともみさん(41)より 8/23

高校に入学して最初の体育の授業がありました。ブルマがハイレグなので、私ははみパンしないようにショーツ
も合わせましたが、他にもそういう子は結構いました。でも、家で試着してなかった子は、はみパンを必死に直
していました。

最初の授業は、男女合同で、号令のかけ方や集団行動の練習みたいなことをしました。まず最初に先生は明らか
に不機嫌な顔で、体操服をブルマに入れるように言いました。男子はシャツを出している子はいませんが、女子
はほとんどの子が出していました。先生は怖そうな男の先生なので、みんな従いました。シャツを入れてブルマ
が丸見えになると、男子の視線が気になりました。男子もはじめてみるハイレグブルマなので明らかにざわつい
ていました。その日はずっと男子の視線やはみパンを気にしながら合同体育が終わりました。

幸いブルマのゴムもしっかりしているので、はみパンする子はいませんでしたが、精神的につかれました。
授業が終わったら1人の女の子が体育指導室に呼ばれていました。理由は指定のブルマをはいていなかったからです。
その子はハイレグが嫌で、中学の時のブルマを履いてきたのですが、間違えて持ってきたと嘘をついたそうです。

でも、先生は指定のブルマが恥ずかしいからだろうと言いました。機能性を考えて体操服やブルマを指定しているから、
次は許さんぞといってお尻を叩かれたそうです。でも、男子は寸胴の体操服とハーフパンツなのに、女子は腰回りが
くびれた体操服とハイレグブルマなので、先生は機能性とか言いながら実際は先生の趣味としか思えませんでした。
大勢いるなかから、指定のブルマをはいてない子を見つけるんですから、じっくりブルマを見ていたんだと思います。
怖くてそんな事は確認出来ませんでしたがw。

更衣室に戻って着替えていると、みんな男子がジロジロ見てきて最悪!って文句を言っていました。教室に戻っ
てから同じ中学だったA君がニヤニヤしながら「目の保養になったよ。明日からも楽しみにしてるよ」と言って
きました。私は「変態!」といってA君を蹴ってやりました。男子はやっぱりそういう目で見ているんだと思い
ながらも、A君にそう見られていることに、ドキドキもしました。不思議ですね。

 生徒の方は初めてでも、長年見ていれすぐにわかり、指摘を受けることになるのでしょうね。
特に趣味でブルマ好きな教師ならば、なおさらかもしれませんね。
 A君がわざわざ声をかけてきたのは、貴女に興味があったのかな。


ともみさん(41)より 8/5

入学式の日に、説明会の時に注文した体操服が、教室に入ってから渡されました。
担任の先生が、枚数と名前が合っているか確認しろと言われたので、さすがに男子の
前でブルマを出すのは恥ずかしいので、袋のまま確認しました。確かに左上に小さく校章と白で名前の刺繍があ
りました。今までのブルマはメーカーの大きい白いタグが付いているだけだったので、刺繍は結構いいじゃんっ
て思いました。生徒手帳も渡され読むように言われたので読んでいると、心配していた頭髪やバイトに関しても
特に厳しくないので、安心しました。高校はやっぱり中学時代よりも自由な所は多かったです。 そのまま読み
進めていくと、体操服のところで「えっ」と目を疑いました。「男子」指定半袖シャツ、指定短パン「女子」指
定半袖シャツ、指定ブルマーとだけ書いてありました。

よく見ると、※指定ジャージの着用は体育教師の指示がある場合に可とする。と書いてありました。採寸の女性
がジャージは急ぐ必要はないと言った意味が分かりました。中学の時は恥ずかしいという理由で、ほとんどブル
マをはかなかったのに、高校で毎日ブルマを義務づけられたのは、かなりの衝撃でした。
家に帰って体操服とブルマを袋から出して見ました。体操服は中学時代のただの白いシャツと違って、校章や襟
や袖の部分にデザインもあって、かわいいって思いました。ブルマも紺色は一緒ですが、校章や名前の刺繍以外
にも手触りもごわついていなくて滑らかでした。見ているだけなら結構いいなって思いましたが、着てみるとび
っくりしました。

体操服は腰のあたりが少しくびれた感じになっていて、ブルマは足の付け根くらいまでのハイレグでした。もち
ろん昔なので、今の子たちのようにおしゃれなショーツじゃないので、かなりはみパンしました。ゴムもしっか
りしていて、無理矢理押し込んだら、はみパンはしないのですが、体に密着しているのでショーツのラインがは
っきり浮き出ていました。これはまずいということで、ハイレグの下着を買いに行きました。はみパン対策が、
おしゃれな下着デビューのきっかけになりました。後でわかったのですが、他の子も入学式の後に買いに行った
そうです。

改めて体操服を着てみると、かなりきわどい体操服です。妹はブルマへの抵抗がないようなので、かわいくて
いいなぁと言っていました。私はこの格好で体育って思うだけでため息が出ました。

ブルマ着用が基本だったようですね。
見た目の恥ずかしさよりも、着用してみれば着心地や身軽な感じが気に入るようなことはなかったのでしょうか。


ともみさん(41)より 8/5

はじめまして。いろいろな投稿を読んでいて、私も聞いてもらいたくなって投稿します。

私も小中高とブルマでした。女子はブルマが当たり前の世代です。小学校の頃はそもそもジャージがなかったの
で、年中ブルマで特に恥ずかしいと感じたこともありませんでした。中学生になったらジャージがありました。
中2くらいになるとさすがに思春期なので、男子の視線を気にするようになりますよね。何でこんな下着みたい
な格好で体育しなきゃいけないのって思うようになり、ブルマが義務づけられていた体育祭以外はジャージで体
育をするようになりました。先生たちもそこまで厳しくなかったので、特に言われることは無かったので、中学
の頃はブルマとはあまり縁の無い生活をしました。

中学を卒業し、高校の入学説明会が終わると制服の採寸がありました。採寸をしてくれた女性が「あなたは、背
は高いけど細身だからブルマはSにしときなさい」と言われました私は「えっ!ブルマは中学の時のがあるんで
すけど?」と聞きました。中学の時ほとんどブルマをはかなかったので、新品同様でしたから、母もそのつもり
にしていました。「うちの高校はブルマも指定だからね。校章と名前の刺繍を入れるから、今じゃないと、入
学式に間に合わないのよ」と言いました。中学までは、ブルマは紺色、体操服は白いシャツであれはよく、指定
は無かったので少し驚きました。その女性にジャージは?と聞いたら、「ジャージは必要だったら、後で買い
なさい。急ぐ必要は無いから。」と言いました。不思議に思いながら、入学してから理由が分かりました。

続きはまた今度話します。

 高校生になってからもブルマ姿になるのは、恥ずかしく抵抗感もあったことでしょうね。
不思議な言葉を掛けられて。気になりますね。


ゆうかさん(38)より 7/26

 同じような経験をする機会がすぐにありました。
 7月中頃の水泳記録大会でのことです。水泳記録大会では、同学年の男女がクラス対抗で水泳をするのですが、女子だけ
とはいえ更衣室で着替えるのは恥ずかしいですし、水着姿を男子に見られるのも恥ずかしいので、わたしは見学することに
しました。同じように見学している女子は、3割くらいはいました。

 見学者は体操服で見学することになっていました。女子の見学者の半分くらいはジャージで見学していましたが、わたし
はジャージを持ってきていないので、ブルマで見学していました。見学者はプールサイドで見学しますが、水泳記録大会で
は参加者が多く出番が少ないので、見学者ではない人も待っているときは、プールサイドにいるという状態でした。また、
プールサイドでは、男女別に座ってみるということでなく、クラス別になっているだけですので、男子も近くにいました。

 私のちょうど前くらいで、隣のクラスのAさんという子はジャージで見学していました。水泳記録大会が始まって30分く
らいして、ちょうどある種目が終わった時に、自席で立ち上がってジャージを脱いでブルマ姿になりました。脱いだジャー
ジは、自席に敷くようにしていました。Aさんは、ジャージの時には体操服の裾を出していましたが、ブルマ姿になると、
ブルマを上にあげて、体操服の裾をブルマの中に入れました。Aさんは勢いよくブルマを引っ張り上げたので、その際に、
Aさんのブルマのお尻の両側からハミパンしました。わたしはAさんの後ろにいたので、Aさんのハミパンに気が付きました。

 Aさんはそのまま脱いだジャージの上に座りましたので、更にハミパンしてしまいました。座った後に、Aさんは、ブル
マのお尻の部分を触って、ハミパンを少し直したのですが、まだハミパンしたままでした。どう考えても、Aさんはハミパ
ンに気が付いているので、見せようとしていたのだと思います。実際に、何人かの男子がAさんの方をみていたと思いま
す。それから1時間くらいが経って、ある種目かが終わったところで、Aさんは自席で立ち上がって、ジャージをはいてし
まい、それ以後は、ジャージをはいて見学をしていました。Aさんは、恥ずかしがっているのか、見せたいのかよくわかり
ませんでした。
 わたしはハミパンに注意して、見学をしていました。

   もしかしたら、見られることの興奮を味わっていたのかもしれませんね。
その後も、確信犯的にハミパンされていたのかな。


ひろみさん(40)より 7/24

ひろみです。小さいときから「いじめ」などというものを全く経験していなかったからなのでしょう、今から思えばちょっとエッチ
ないたずら程度の、とくにどうってことのないものだったのにもかかわらず、私はひとりショックを受け塞ぎこんでしまいました。
実際にあのときAさんの「ごめん」という言葉も聞こえていたのですから。だけど私は怖くなったのです。何がと言うとAさんをは
じめクラスメイトの視線がです。きっと私のことを「見られたがりの変態」と思っていると本気で考えていました。私がいない間に
他のクラスや学校全部にまでそれが拡まっているに違いない、私のことを「スケベ」とか「ブルマ嫌いとか言ってるくせに実はブル
マ大好きの露出狂」と笑っているに違いない、そう考えてとにかく怖くなったのです。家で引きこもっている間もAさんや他のクラ
スメイトが家に来ましたが私は一切誰とも会いませんでした。担任の先生も来ましたがやはり会いませんでした。だって私は「変
態」のレッテルを貼られたいやらしい女なんですから。もちろん被害妄想だったのでしょうけど(たぶんですけどね)、そんなこと
を真剣に考えていては今更学校になんて行けません。みんなに指を指して笑われ、陰でもひそひそと悪口を言われ、そんな場面を想
像するととても学校になんか行けたものではありません。その年私は留年し、結局私は学校を辞めました。親はとても悲しがってい
ました。親は私が不登校になった本当の理由は知りません。私はただ「みんなからいじめられている、無視されている」としか言い
ませんでしたから。ブルマーのことなんて言いませんでした。

学校を辞めてもしばらくは引きこもりの生活を続けていました。就職はもちろんアルバイトをすることもなく、専門学校にも通いま
せんでした。かといって部屋から出ない完全な「ひき籠り」というわけでもありません。お昼間は近所をお散歩したり、親に買い物
を頼まれたら渋々ながらも出かけてはいました。私があんな形で高校を辞めたこともあってだろうでしょうが、周りはみんな優しく
接してくれていました。私もそんな空気を感じてはいましたし、時間が経つにつれてあの日のことも段々と引きずらなくなってきま
した。時折ふとAさんのことを思い出すことはありました。Aさんの八重歯やいたずらっぽい笑顔なんかが急に頭の中に現れるので
す。ですが、胸が苦しくなったり辛くなったりすることはほとんどありませんでした。それどころか少しずつ懐かしさをおぼえてく
るようになったくらいです。ついには「なんで学校、辞めちゃったんだろ」とまで思うようになりました。だっていじめと言っても
世間をさ騒がせるようなものではありません。新聞に載ったりするようなものでもありません。たった一度、みんなに集団でエッチ
な仕打ちを受けただけですもの。確かにあれ以降、「私は変態」というレッテルを貼られたと思いました。みんなに会うのは怖くな
りました。今になって思うのですが、もし私がもう少し精神的に強かったら不登校にまでならなかったかもしれません。

あんなに被害妄想が強くなければ、逆にみんなに笑って「ブルマってなんかやらしい気持ちになったりするよね?」とか言えたかも
しれません。(って、さすがにこれは無理かな?)とにかく、私は不登校になったことを後悔する気持ちにさえなっていました。
それほど精神的にもたちなおって来たのです。日に日に自分で自分を見つめ直す余裕も出てきた私は、将来のこともぼんやりではあ
りましたが考えるようにもなり、やっぱり高校卒業の資格はあった方がいいのかなと思うようになったり。そしてある日、親にもう
一度学校へ行きたいと打ち明けました。親はとても喜んでくれました。と同時に心配もしてくれました。何度も「大丈夫?大丈夫?」
と言ってきました。私は「不安もあるけど、いつまでも甘えてはいられない」と答えました。その時、わたしは20歳。あの日から3年
が過ぎていました。そして翌年、地元の商業高校の二年生として編入学し、春から2回目の「高校生」になりました。親は定時制高
校を勧めましたし、私もその方がいいかなとは考えましたが、私自身、一般的な高校で女子高生をやりたい、制服を着て青春したい
という想いがあったのでこの道を選びました。

21歳での高校生活の再スタートはそれはもういろいろなことがありました(ここはブルマーについての投稿のページなので勉強の
ことは割愛しますね)。新学年の始業式から私はちょっとした有名人でした。何年か前にドラマで「35歳の女子高生」なんてのが
ありましたが、さすがにそれには及びませんか、21歳の女子高生は周りの普通の高校生にはインパクトがあったのだと思います。
公立の平凡な高校でしたので制服はブレザータイプの地味なものだったし、私はわりと童顔なのでさほど違和感はありませんでした
(たぶんです)が、なにせ21歳です。みんなからは当然奇異の目で見られていました。私のことは同級生はみんな「さん付け」で
呼びますし、三年生にまで「○○さん、ですよね?21歳なんですよね?」などと敬語で話しかけられました。編入学前からある程
度予想はしていましたが、やはり正直うんざりした気分にはなりました。だけど仮にもしいきなりみんなから呼び捨てにされたりタ
メ口で話されたらそれはそれでツラい気分にはなっていたでしょうから、私にとっては良かったのでしょうけれどね。

さて、初めての体育の授業のことです。その学校の体操服は基本的に上は長袖半袖のトレシャツ、下はジャージとブルマーがありま
したが季節によって強制されることはなく、一年中ジャージ着用でもOKでした。そのため、ほとんどの生徒は上は半袖長袖を使い
分けていましたが、運動部で体育が得意な子や自意識過剰(?)なスタイルのいい、ほんの一部の生徒を除いてほとんどは夏でもジ
ャージを穿いているような、そんな学校でした。体操服は学年によって色分けされたもので、私の学年は長袖ジャージは上下エンジ
色、半袖シャツは白地に首周りと袖周りにエンジのラインがあり、そしてブルマーは紺色といったものでした(ちなみにひとつ上は
緑色、ひとつ下はなぜかオレンジ色、ブルマーは三学年とも紺色)。編入学の手続きの日、制服や体操服の購入を終えた私は部屋で
さっそく試着してみました。ビニール袋から真新しい紺色のブルマーを取り出し、手にとってみます。私はハッとしました。同じブ
ルマーでも前の学校のものとは少し違いました。明らかに生地が薄く、太ももの付け根の角度が急なのです。前の学校のブルマーは
生地がゴワゴワで、キレ角もそんなにあるものではありませんでしたが、いま手にとっているブルマーはひとことで言えば本当に
「下着」そのもの、実際に私が普段使用していた本当の下着よりひとまわり大きいくらいで、前の学校のブルマーとは比較にならな
いものでした。「え!うそ!これ、ホントにブルマー?」私は目を疑いましたが、たしかに購買で買った体操服セットのひとつ、正
真正銘のブルマーです。私にとある記憶が鮮明に蘇りました。あの日のことです。みんなに身体を押しつけられ、丸出しにされたお
尻を触られたことやAさんの顔。「うわっ、最低」。だけど私はこの時21歳。あの日から3年以上経った私は不思議と冷静でした。

「そ、そういえば、あの時も私、もともとはブルマー姿に酔っていたよね・・・」。私は少し変な気持ちになりながら、ブルマーに
片足を通していきました。左足、右足とゆっくり足を通し、そして腰までそっと引っ張り上げます。あの時のブルマーは形は下着み
たいなもので太ももは全部露出されましたが、穿いた感触自体は「下着の上からカバーするもの」といったもので、実際のショーツ
とは異なる、あくまでも「体操服」の一種というものでしたが、新しいブルマーははっきり言って体操服とは名ばかりの下着そのも
の、ショーツを二枚重ねばきしたようなもので、とてもこれで人前に出るようなものではありませんでした。「こ、これは恥ずかし
い!」私は腰の最適な場所でそのブルマーとやらを固定しました。恐る恐る鏡の前に立ちました。半袖シャツを普通にダラリとして
みます。「わ、わ、エロい!」完全に紺色のショーツです。普通にスカートだけを脱いだようなものでした。「こ、これじゃ、お
尻、どうなってるのかな・・・?」鏡の前でくるりと後ろ向きになります。シャツを少し捲ります。お尻に張り付いた紺色のショー
ツ、これが第一印象です。お尻の縦の線が完全に浮き出ていました。「すごい恥ずかしい!」だけど、お尻のお肉は不思議と出てい
ません。しっかり紺色のショーツに包まれています。「さ、さっき無意識でお尻を直したのかな?」事もあろうか私は少し残念な気
持ちを覚えました。自分の知らないうちに精神が大人になっていたのか、それとも自分の知らないうちに本当に「エッチな女の子」
になっていたのでしょうか。私はその場で屈伸してみました。すぐにわかりました。すぐに感じました。お尻に紺色のショーツが食
い込んだことを。「うわ、なにこれ!」。鏡に映った私の後ろ姿。完全にお尻が出ていました。それもあのときは右のお尻だけでし
たが、今度はしっかりと左右のお尻が完全に出ていました。長い引きこもり生活のせいか、お世辞にも引き締まっているとはいえな
い、それどころか同年代の女の子よりも明らかにぷにょっとした白いお尻が半分とまではいかなくとも、簡単に指で摘めるくらいに
はみ出ていました。

「やだ、なにこれ!」私はいったんブルマーを直し、そしてまた一回屈伸してみました。今度もまたお尻にブルマーとやらが食い込
む感触。そして再び鏡に後ろ姿を映してみると・・・。やっぱりぷにょぷにょしたお尻がしっかり顔を出していました。左右のお尻
が同じ角度で同じカーブを描いて腰へ向かって出ています。ブルマーとやらがお尻の縦の線に噛みついて誰かどう見てもすぐにお尻
の形を認識されてしまいます。「うそ、マジで?」。鏡に真横に立ってみます。お尻の丸みのちょうど半分くらい、というか、丸み
のてっぺんあたりにブルマーの(もう、ブルマーと書きますね)ゴムが張り付き、それによってお尻の下半分が何でも弾き飛ばすく
らいの勢いで躍動しているみたい、まるでAさんのお餅みたいなお尻を思い起こすものでした。人差し指でお尻つんとを押してみます。
そしてサッと離してみます。思ったとおり、下半分のお尻のお肉がぷるっと震えたかと思うと、いやらしく波をたてました。そして
また後ろを向きます。依然として剥き出しにされたお尻のお肉。私は何回か屈伸運動をしてみました。2回目3回目からはお尻にブル
マーが食い込む感覚か小さくは、なりました。だけど、鏡に映る後ろ姿はとんでもないことになっていました。お尻丸出しでした。
Tバックほどではないにしろ、明らかにお尻の半分近くまで露出され、それもまた右のお尻の露出度が大きくなっていました。
「や、やっぱり、右が、」。シャツをダラリと下げ、自然な形で鏡の前に立ってみます。シャツの裾から見えるのはお尻だけ。紺色の
ブルマーは見えません。露わにされたお尻のお肉しか見えません。「い、いくらなんでも、こ、これは、やらしすぎる、よね、」。
その思いとは裏腹に私の心臓は鼓動を速めていました。「こ、これで、体育は、ち、ちょっと、無理だよね・・・」私の心臓はさら
に鼓動を強くしました。「で、でも、これで体育、い、いいかも・・・」。顔が熱くなりました。「に、21歳にもなって、ブ、ブル
マーなんて・・・」。私は初めての体育、ジャージを持っていかないと心に決めました。

初めての体育のことはまた次に書きます。

   人よりは少し足踏みされた時があったようですが、立ち直るためには必要な期間だったのでしょうね。
少し心も強くなり、再スタートを切るための一歩を踏み出せて良かったですね。


美樹さん(34)より 7/6

中学生の頃に、ある女子の先輩がいました。
とても物静かな先輩で、いつ見ても一人でした。
そんな先輩のことを、先輩と同学年の人たちは変わり者みたいに見ていたようでした。
私の場合は委員会で一緒になったとき、はじめて話をすることができて、そこから少しずつ親しくしてもらえるようになりました。

そんなあるときのことです。
塾帰りに歩いていると、私の横を車が通り過ぎました。
ふと助手席を見ると、そこに座っていたのはその先輩でした。
しかも、冬なのに半袖の体操服でした。
先輩は委員会がメインで部活をしていないはずなのに、どうしたのかと思いました。
そして、学校でのある噂がよぎりました。

それからしばらく行った公園のところに、先輩は一人で立ってこちらを見て少し恥ずかしそうに小さく手を振ってくれました。
「先輩、こんばんわ」
と挨拶はしたものの、寒い中でブルマー姿です。
「大丈夫ですか?」
私はそういって自分のコートを貸そうとしました。
「ありがとう。大丈夫だから。でもとうとう見られちゃった」
「何をですか?」
「知っているでしょ?私の噂」
「はい…すみません」
先輩が年上の、白い車の男の人と付き合っている噂です。
『本当だったんだ』
そう思いました。

そこから公園に入って話をしました。
「普通だったら学校の子がいたら後ろで降りるけど、見られてもいいって思ったんだ」
「私にですか?」
「そう。もうじき私、学校に行けなくなるから」
「えっ?」
「赤ちゃんができる事してる。たぶん、もういると思う」
ショックでした。

もちろん中学時代にSEXを経験する子が少なからずいることは知っていました。
でも、身近にそんな人がいて、まさか先輩がそうだとは思ってもいませんでした。
そして、先輩から生々しい性の体験談を聞きました。
ぽつぽつとした言葉で聞かされた体験談には強い力があって、興味半分ではなく真剣に考えながら聞くしかありませんでした。

話が終わって立ち上がったとき、そこには学校と同じようにすらりとして、中学生にしては大人っぽい先輩のキレイな姿がありました。
でも、そんな行為をしたのだと思うと、そのブルマー姿がひどくいやらしく見えました。
けれども、例えは悪いかもしれませんが、先輩は夜の公園で白く、そしてエッチに輝いているように見えました。

これが、私に強くブルマーを印象づけることになった最初の想い出でした。

SEXを未経験な子にとって、身近な先輩の性体験は生々しく、信じられないという思いと共に、興味もわいたのでしょうね。
ブルマと性が貴女の中で関連つけられたようですね。
その後、貴女自身はどのような経験をされていったのでしょうか。


ゆうかさん(38)より 7/6

 わたしが中学1年の時のことです。私が通っていた中学校では、5月の終わりまでジャージを着て体育の授業を受けてもい
いことになっていましたが、6月からは半袖体操服とブルマで体育の授業を受けることになっていました。

 6月になってから何回目かの体育の授業が午前中にありました。いつも通り半袖体操服とブルマで体育の授業を受けまし
た。昼休みを挟んで午後から技術の授業が2時間あり、この日から木工細工で椅子を作ることになっていたので、技術の授業
も体操服で受けることになっていました。体育の授業が終わった時に、体操服の上に制服を着ていたので、昼休みが終わるこ
ろにわたしたちは制服を脱いで体操服姿になるのですが、その際、7割くらいの女子が制服のスカートを脱ぐ前にジャージの
ズボンをはいてからスカートを脱いでいました。体育の授業は男女別ですが、技術の授業は男女別ではないことや、ブルマが
少数派なので、わたしは少し恥ずかしく感じましたが、技術室に向かいました。

 最初は少し恥ずかしく感じましたが、みんな授業に熱中しているようだったので、あまり気にならないうちに1時間が経過
して休み時間になりました。休み時間に、わたしは、お手洗いに行きました。帰る際に、もう少しスリルを味わいたいと思っ
て、わざとブルマから少しハミパンさせて、休み時間明けの授業を受け始めました。30分くらいたった時でしたが、後ろの
M美が、わたしのところに近づいて、耳のそばで小さく「ゆうか、ハミパンしてるよ。さっきから、男子が見てる」といいま
した。わたしは授業に集中していたので、ぜんぜん視線に気が付きませんでしたが、M美の話を聞いて、慌ててハミパンを直
しました。

 ブルマ姿だけでなく、ハミパンまで見られて恥ずかしいと思いました。その翌週の技術の授業は体操服で受けることになっ
ていましたが、わたしはジャージで受けました。前回ブルマで受けていた他の子は、翌週もブルマで授業を受けていました。

 はみ出していることに気が付きながら、あえて見られる刺激を味わっている確信犯の子もいたかもしれませんね。
貴女はその後は羞恥心を楽しむことはしなかったのでしょうか。


ひろみさん(40)より 6/27

ひろみです。あれ以来、わたしはAさんのことが頭から離れなくなりました。学校でも無意識のうちにAさんを探し、また学校以外
でもずっとAさんのことを考えてしまう、そんなふうになってしまいました。つまり恋をしてしまったのです。Aさんの笑顔とブル
マーのお尻がずっと私の心にあって、毎日Aさんのことばかり。Aさんをみるたびに胸がドキドキしてどうしようもありませんでし
た。冬休み中なんかとにかくAさんに会いたくて会いたくて、冬休みなんか大嫌いとまで感じていました。そしてようやく始まった
三学期、Aさんに久しぶりに会ったと言うのになんだか恥ずかしくてまともに顔を見ることができなかったのを覚えています。

三学期最初の体育の授業のことです。私の学校は三学期は長袖シャツとジャージの着用はいちおう認められていましたが、持久走は
校外を走るにもかかわらず半袖ブルマーを義務付けられていました。だから実際は三学期はほとんど毎回持久走なのでジャージ姿で
体育の授業を受けるのは授業が始まるまでのほんの数分と、持久走から帰ってきた後のだいたい15分程度結局しかなく、結局は年
中夏も冬も女子は半袖ブルマー姿にならなくてはならなかったのです。だからほとんどの女子生徒は文句ぶーぶー言ってました。男
子生徒も寒いから嫌だ(男子は半袖短パンです)とは言っていましたが、中には女子のブルマー姿を見られるからと歓迎していた子
もいました。私は1年の時はやっぱり寒いしブルマーで校外を走るのが恥ずかしかったので嫌でしたが、あの日の出来事を挟んだ2
年の冬は、年中半袖ブルマーになるのが嬉しく思うようになっていました。そんな2年生の三学期初めての体育の授業のことです。
私はいつものようにジャージを持たずに登校しました。そして教室で体操服に着替えました。どうせ授業中はブルマーになるのだか
らと、二学期までは私と同じように教室からブルマー姿でグラウンドへ行く子もいましたが、真冬にもなるとやはり寒いのか、それ
とも持久走の後のほんの10分15分でもジャージを穿けるからか、女子はみんな長袖ジャージ姿になっていました。Aさんもです。

Aさんもしっかり長袖シャツにジャージ姿だったので、私は少しがっかりしながらも「やっぱり寒いもんね、仕方ないよね」と自分に
言い聞かせたりしていました。だからなおさら私の半袖ブルマー姿が目立ちまくっていたせいで、みんなから、
「わお!ひろみ、いきなりブルマー!」
「ブルマー嫌いのひろみが、たったひとりでブルマー!」
「ひろみ、かっこいい!ブルマー、可愛い!」
など、みんなで私を指差してはからかってきました。私は「あんまり大きな声で言わないで」と恥ずかしい気持ちもあるにはありま
したが、本音はなんだか快感というか、みんなからブルマー姿を注目されることで身体が全体がぷるぷると震えていました。「みん
なジャージを着てるのに私だけ半袖ブルマーなんて・・・。」と考えては、少し興奮めいた気持ちになっていました。「やっぱりお
尻、出てるかな?」とさりげなく右のお尻を触ってみましたが、その時はよくわかりませんでした。「その時はわかりませんでし
た」と言うのは、そのあとで思いもしなかったことが起きたからです。私は快感と緊張と寒さで少し震えながら教室のドアを開けよ
うとしたときです。あの時と同じようにお尻になにかが触れたと感じたのと同時に、
「ひろみ!お尻丸出し!」
という声が聞こえ、お尻の左右下から思いきりブルマーを引き上げられたのです。私は一瞬何がなんだかわからなく、「え?な
に?」と思って後ろを振り返ると、Aさんのいたずらっぽい笑顔がすぐ目の前にありました。私は「え?え?」と戸惑うもなにも、
気持ちが全然整理されないまま、さらにAさんの“攻撃”は続きました。Aさんは私を完全にTバックにすると「みんな、手伝って!」
と周りの子にまでいたずらを要請したのです。みんな「オッケー!」と言っては私を羽交い締めにしたかと思うと、そのまま黒板に
うつ伏せになるように私をハリツケにしたのです。両手は左右に開いたまま肩から押し付けられ、両足は膝のあたりを誰かが固定し
て同じように力を入れて押さえられました。十字架に前後反対にハリツケにされた感じです。そしてお尻はまだAさんがブルマーを
掴んだまま引っ張りあげています。右のお尻どころか左右のお尻全開にされ、ハリツケにされた私。私はなんとか脱出しようととに
かく抵抗しましたが、何人もに押さえられてはどうしようもありません。

「ブルマー嫌いとか言って本当はブルマーが大好きなんでしょ?」
「そうそう、なんだか視線がアブナイと思ってたんだ!」
「見られるのが好きなんじゃない?」
「だったらもっとお尻出しちゃおう!」
私はどうすることもできないまま、ただお尻を露出されたまま周りの声をひたすら聞くしかありませんでした。
「ひろみをお尻ぺんぺんの刑に処す!」
「ほら、もっと食い込ませちゃえ!」
私のブルマーを掴んでいたのはおそらくAさんのままでしょう。私のお尻にブルマーが容赦なく食い込んできました。痛いほど食い
込んできました。
「うわー、エロい!」
みんなで私の丸出しにされたお尻を叩いていきました。叩かれるたびに「ペシペシ」と乾いたおとが教室に響き、そして歓声が起こ
りました。ふと、顔を黒板に押し付けたままの状態でAさんの顔が見えました。八重歯を覗かせながら笑っていました。あの日と同
じように。
「お尻を鷲掴みにしてみよう!」
「やわらかーい!」
「やだ。なんだか気持ちいいよ!」
みんなやりたい放題でした。私はだんだん悲しくなりました。そしていじめられていることに気がつきました。
「もう、いいんじゃない?」
「そろそろいかないとチャイムなっちゃうよ」
「ブルマの刑、終了!」
「ひろみ、最後ちゃんと鍵を閉めといてよ!」

みんな口々に言うと、そのまま教室を出て行きました。Aさんがいつ出て行ったのかはもちろん、Aさんがいつ私のブルマーから手
を離したのかもわかりませんでした。私はみんなが教室から出て行った頃、1人その場でしゃがみ込んでしまいました。下を向くと
半袖シャツについたチョークの粉が見えました。力ずくで押さえられていた手足がヒリヒリします。ブルマーを食い込ませたお尻も
なんだか痛いままでした。しゃがみ込んだときブルマーを直すこともできなかったのだと思います。両手にもチョークの粉がついて
いました。そのまま私は泣いてしまいました。生まれて初めていじめられたからなのはもちろん、それがAさんの仕打ちだったこと
があまりにもショックでした。私が勝手に好きになって勝手に恋心を抱いただけなので、Aさんはそんな私の気持ちなんか知るはず
もないでしょう。ほんのちょっといたずらしてやろう、といった軽い気持ちだったのでしょう。だけどそれが私には実に耐え難いも
のでした。私は誰もいなくなった教室で嗚咽を漏らし続けました。Aさんの顔が頭に浮かびます。何度も何度も頭に浮かびます。あ
の日、私が勇気を出してAさんのお尻を触ったこと。「これでおあいこ!」と言ったAさんの顔。どれくらい時間が経ったのかわか
りません。しんと静まった教室では、より孤独感を増していきました。私はとうとう大きな声で泣いてしまいました。恥とかそんな
もの関係なしに大声で泣きました。隣のクラスで授業をしていた先生が入ってきました。「ひろみさん、どうしたの!」真冬だとい
うのに身体中をチョークの粉まみれにした半袖ブルマー姿の私を見て、さぞ驚いたことでしょう。「ひろみさん、何があったの!」
先生の質問なんかに答える気なんてありません、というかできませんでした。私は泣いているのですよ。悔しくて悲しくて泣いてい
るのですよ。ひたすら泣きじゃくる私にさすがに尋常でないことに気がついたのでしょう、「とりあえずこれを着なさい」と先生が
着ていたカーディガンみたいなものを私に着せたとき、また誰かが教室に入ってきました。

「ひろみ・・・。」
声でAさんだとわかりました。授業が始まってもグラウンドに降りてこない私に不安になったのか、体育の先生が様子を見に行かせ
たのか。私は下を向いたまま、ただ泣き続けました。
「ひろみ・・・、わたし、そんな・・・。」
私の姿をみて動揺したのでしょうか。動揺してくれたのでしょうか。私はただ、ひとり泣くことしかできませんでした。
「ひろみ・・・、ごめん・・・、私・・・、そんなつもりじゃ・・・」
別の先生が入ってきて、Aさんをどこかへ連れて行きました。Aさんの姿を見たのもAさんの声を聞いたのもそれが最期でした。私は
学校へ行かなくなりました。

暗い話でごめんなさい。続きはまた書きます。

 Aさんのお尻に触れられて有頂天だったのに、2度目の仕返しは貴女にとってとてもショックな出来事だったのですね。
相手は軽いノリでふざけていたのでしょうが、学校にも行けなくなるほどの精神的ダメージを与えてしまうなんて思ってもいなかったのでしょうね。


ひろみさん(40)より 6/18

ひろみです。11月の空気が身体に心地良い緊張感をもたらしました。学校内をブルマー姿で歩くという、いたって普通でもあり、ま
た異常でもある行いをほとんど強制的にさせられる、と、こんな風に考えてみるとさらに私の身体は震えました。私って太ももを全
開にして、お尻までさらけ出してみんなの前を歩かされてるんだ・・・、と考えれば考えるほど恥ずかしさが増していきました。も
ちろんその恥ずかしさは何とも言えない快感だったわけです。制服姿の他の生徒とすれ違うたびに視線を感じました。女子はそうで
もありませんが、男子はみんなチラチラと見ていきます。「やっぱり男子ってブルマーを見てたんだ。たしかにパンツみたいだもん
ね、気になるよね・・・」。私はお尻のことも考えました。「ということは、お尻もしっかり見られてるのかな・・・。」私は急に
お尻がくすぐったくなったというか、なんだかムズムズしてきました。「私だってAさんのお尻ばっかり見てるし、やっぱり見るよ
ね、男子だもん・・・。」私の少し前をAさんが歩いています。相変わらず可愛くて白い両方のお尻が出ていました。むにゅむにゅ
と呼吸をしているようでした。「触ってみたい・・・。」私はいけない願望が出てきました。

授業中、運動場で体育座りをするとどうしてもお尻に砂がつきます。しかもブルマー姿だとブルマーはもちろん、肌にも多少砂がつ
きます。体育座りのあと立ち上がるとみんな手でお尻の砂を払います。普通はそれでほとんど砂は落ちるのですが(ブルマーには砂
の白さが残ります)、中には砂が払いきれないときもあります。その日のAさんがそうでした。私はふとAさんをみるとブルマーか
らぷくりとはみ出したお尻に砂がついてるのを見つけました。Aさんは気がついていません。ブルマーからお尻が出ていることも気
がついてないみたいですから、なおさらでしょう。さっき「触りたい」と思った私の気持ちはさらに大きくなっていきました。「う
わっ、いやらしい・・・。お尻のふくらみに砂って、こんなにやらしいんだ・・・。」だけどいくら女の子同士とはいえ、いきなり
お尻を触るなんてできません。私は彼女のお尻に砂がついたままになってるうちになんとか触ってみようと決めました。私はドキド
キしながらAさんに近づきました。口から心臓が飛び出すような気持ちで、それこそ清水の舞台から飛び降りるくらい勇気を出して
言いました。

「お、お尻、いっぱい砂ついてるよ・・・。」
私はその言葉と同時に右手でAさんのお尻の砂を払いました。Aさんはびっくりしたような顔で、
「ひゃっ!あ、ああ、ありがとう・・・。」
と言い、すぐに自分でもお尻の砂を払い始めました。初めて触ったAさんのお尻は少しひんやりして、そして想像どおりぷにぷにし
ていてとてもやわらかかったです。私は一瞬にして私の中にあったエロチックな感情が暴発してしまいました。私はAさんの手を無
視したまま、彼女のお尻の縦のラインあたりからブルマーをむんずと掴むとそのまま上に引っ張りあげました。「ちょっ・・・。」
彼女の驚きが声にならないうちに私は彼女のお尻をさらに露出させ、ほとんど半分くらいお尻が見えるくらいまでにすると再び手で
彼女のお尻を払いました。ブルマーに覆われていたところに砂なんかついていません。だけど私の暴走は止められませんでした。
「ブ、ブルマーにさ、砂が入っちゃうと気持ち悪いもんね・・・。」お餅みたいなAさんのお尻は弾力が抜群でした。私の右手がA
さんのお尻にタッチするごとに、お尻のお肉がぷるるんと波打ちました。お肉の下の方についていた砂が弾かれるように落ちていき
ました。私の左手は彼女のブルマーを掴んだままです。私の右手がお尻を払い、そして彼女も恥ずかしいのか身体をクネらせるせい
でブルマーがどんどんお尻に噛み付いていきました。だけど私の右手は言うことをききません。砂を払うというよりもまるでお尻を
撫でると言った方が正しいといった感じでした。そして完全にTバック状態になったくらいでさすがにAさんも、
「ちょ、ちょっと、もう、いいから!」
とむりやり私の手を払い除け、急いでブルマーを直しました。私はほとんど呆然としたまま、彼女のお尻をただ、眺めるだけでした。

「ひ、ひろみってめちゃくちゃやらしい!」
Aさんの目は怒っているような、それでいて少し楽しんでいるような、なんかよくわからない感じでした。私はここまでやってしま
って変な方向で開き直れたのか、思っていたことがすんなりと口から出ました。
「Aさんのお尻、可愛いから・・・、なんか・・・、触りたくなって・・・。」
「も、もう!やらしい!ひろみがこんなにやらしいなんておもわなかった!」
Aさんはぷいっとふくれたふうで、そのまま向こうへ行ってしまいましたが、私はAさんのお尻を触れたことで満足でした。「や
っ、可愛かったなー、お尻。」私は自分の右手を見ながら、さっきまで触れていたAさんのお尻の感触を思い出していました。ぷく
ぷくして、さらさらして、すこしヌメっとして・・・。はぁ、っとため息をついたとき、私のお尻に何がが当たったのを感じました。
「お尻、出てるよ!」
「ひゃっ!」
私は驚いて後ろを振り返るや否や、さらに私のブルマーが上に引っ張りあげらました。お尻に鈍い感触が広がりました。お尻の割れ
目にブルマーが食い込んで行く感触。そして誰かがお尻をペシペシと叩く感触。
「えっ!えっ?なに!」
Aさんでした。いたずらっぽく笑った彼女の口から八重歯が覗きます。
「ひろみ!お尻まるだし!やらしい子!」
一瞬の出来事に気持ちがついてこれないのか、私はほぼ、されるがままでした。
「ひろみのお尻、可愛い!」
Aさんが叫ぶとみんなの視線が降りかかりました。
「わー!ハレンチ!」
「すごい!」

やっとその場の状況を理解した私は大慌てでお尻を直そうとしましたが、Aさんはブルマーを離してくれません。さっきのAさん同
様に無意識に腰を捻らせたりするうちにお尻がどんどん露出されていくのを感じました。
「は、恥ずかしい!」
やっとの思いでAさんを振りほどき、急いでブルマーを直しました。本当にお尻丸出しにされました。さっき私がAさんにやったこ
とをそっくりそのままお返しされました。
「これでおあいこ!」
嬉しそうに笑うAさんの顔が強烈でした。仲が良いわけでもないどころか、いままでほとんど話したこともない子です。ただ、ブル
マーに良く似合うというか、お尻が可愛いなという印象しかなかったAさん。「Aさん、こんなに可愛い顔してたんだ・・・。」胸
の中にモヤモヤした気持ちが出てきました。Aさんのお尻に触れた右手と、Aさんに触れられた自分のお尻の感覚がジンジンしてい
ました。「なんか、へんなきもち・・・。」私は立ちすくんだまま、Aさんを探しました。Aさんは他の子となにやら話していまし
た。私の視線に気がついたAさんがまたニヤリとします。してやったり、というような彼女の表情。私は胸の中で何かが目覚めたこ
とを見つけてしまいました。私はAさんの姿を追い続けました。ブルマー姿のAさん、さっき直したはずの彼女のお尻がまた顔を出
していました。

とうとう、自分の衝動を抑えきれずAさんのお尻に触れてしまったのですね。
それどころか、引っ張り上げて食いこませてしまった。彼女のお尻に凄く魅了されてしまったのですね。
同じように仕返しをされたことで、貴女の中で何か新たなスイッチが入り、彼女との関係にも変化が生じたのではないでしょうか。


ひろみさん(40)より 6/7

ひろみです。懐かしい気分で書いています。まさか自分のブルマー姿で妄想してしまうなんて思いもしなかったです。当時、私には
付き合って半年ほどの彼氏がいましたが、いわゆる「男女の関係」というわけでもなく、たまにボーリングに行ったりハンバーガー
を食べたり買い物したりするくらいの、当時で言うところの「清潔な男女交際」くらいなお付き合いでした。私自身も例えばキスを
したいとか、エッチなことをしたいとかの願望も持っていませんでしたし、なんとなくそれで十分だったのです。もちろん、相手は
男の子ですのでそれで満足はしていなかった思いますが、かと言ってとくにガツガツくることもありませんでした。おそらく私とで
は先に進めないと思っていたのかもしれません。だからなのか、それからすぐに別れてしまいました。別れてしまった理由のほとん
どは彼にあまり興味を示さない私にあったからと思いますが、それも無理はありません。だって彼氏とどうこうよりもっと楽しいこ
とを覚えてしまったのですから。

あの日「ひとり遊び」を終えた私は、さっきまで穿いていたまだ温もりが残るブルマーを再び手に取り、ぼんやりと考えました。
「ブルマーって名前だけでもなんだかいやらしいよね・・・。ブルマー・・・、ブルマー・・・、ブルマーだもん・・・、なんかダ
サいというか、恥ずかしいというか、そう言えばあまり大きな声でブルマーとか言わないし、言えないし・・・」。そんな、ブルマ
ーを穿いて、下着姿と変わらないカッコで外に出て、このぷよぷよした太もも出して、お尻まで見られる・・・。なんていやらしい
の・・・。私は身体中がジンジンと痺れていることに戸惑いながら、何度も「ブルマーブルマー」と声に出してみました。もう、ブ
ルマーと言う言葉だけでも胸騒ぎがし、変な気持ちになるのを抑えられなくなっていました。私はもう一度ブルマー姿になり、鏡に
映る自身の姿に酔いしれました。同じように何度もしゃがんだり足踏みをするとやっぱり右のお尻が顔を出します。「明日、こんな
カッコで私、体育やるんだ・・・。なんか、ドキドキする・・・」。

次の日、体育の授業にそなえて教室で着替えるときです。その日、と言うか前の日からドキドキと震えを感じていた私は「ついに来
た・・・」と思いながら袋から体操服を取り出しました。ブレザーを脱いでブラウスを脱いで、まず半袖シャツを着ます。11月の中
頃、少し肌寒さを感じるくらいでした。そしてスカートを穿いたままブルマーを穿きます。女の子がスカートを捲し上げながらガニ
股気味にブルマーを穿く姿は正直ブサイクなものですが、みんなも同じですからさほど気にはしません。ほとんどの女子は教室から
運動場(体育館)へ移動するときはジャージを穿きます。(恥ずかしかったり秋は少し寒いからと言う理由で。ただ2学期はどうせ
授業中はブルマーでやらなくてはダメなので、はじめからジャージを持ってきてない子もけっこういました。私も以前はどうせブル
マーになるんだからと後者側でしたが、ブルマーを大嫌いになってからはもちろんジャージを穿いてました)。

だけど、その日は“待ちに待った”体育の授業です。はじめからジャージなんか用意していません。私はさらに高鳴るドキドキの中、
スカートのファスナーを下げ、そしてスカートを脱ぎました。小さな肌寒さと大きな緊張感とで身体が震え、歯がガチガチ音をたて
ました。「うわー!やっぱり恥ずかしい!」無意識に指がブルマーのお尻を直します。そしてシャツを思いきり下へ引っ張ります。
「部屋でブルマー姿になるのとはやっぱり違うよね・・・」。恥ずかしいと思いながらも、だけど胸のドキドキは収まりません。
近くで着替えていた友達が「あれ?今日はブルマー?」と言ってきました。「う、うん、昨日はたまたま忘れただけだから・・・。」
「なんだ、てっきり反旗を翻したのかと思ったよ」「まさか・・・、わ、私そんな勇気ないもん」「ふぅん、あ、だけどひろみ、
いきなりブルマーになってる!」「あ、ああ、ど、どうせブルマーになるんだもん、ジャージなんか面倒でしょ?」私がブルマーと
言う言葉に反応してしまったのが顔に出たのか、友達はさらに訊いてきました。

「あれ?あれだけブルマー大嫌いとか言ってたひろみがジャージ面倒?ジャージを忘れたんじゃなくて持ってこなかったんだよね?
ふぅん・・・」。友達はまるで私が好き好んでブルマー姿になってるんじゃなうか?とでも思っていたのでしょう。だけど私も
「当たり!よくわかったね!」なんて言えるはずがありません。なんとかごまかしてその場をしのぎました。そしていよいよ教室を
出るときがきました。周りを見ればジャージを穿いている子、ブルマーになった子、半々くらいだったでしょうか。私は恥ずかしさ
と期待とで胸が張り裂けそうになりながら廊下へでました。今まで何度もブルマーで廊下を歩いたことがあるのに、あの時のドキド
キと興奮は経験したことのないものでした。まるでとでも小さな水着を着て外に出るくらい恥ずかしかったです。自分らほとんど裸
なんじゃないかと思うくらい顔が熱くなりました。なぜか私はAさんの姿を探しました。私をこんなふうにさせた(?)Aさんです。

少しキョロキョロさせると、いました。私と同じ半々ブルマー姿のAさん。やっぱりいつものようにお尻がはみ出していました。
私と違って左右の可愛いお尻がぷにっと出ていました。「い、いやらしいな・・・、で、でも、可愛いな・・・」。実に変な気持ち
です。ブルマーからお尻を出してる女の子を可愛いと思うなんて。私はし自分のお尻に指をあてました。右のお尻。どうやら出ては
いない様子でした。以前の私なら「よかった、安心」と思っていたのでしょうが、この日は違います。「なんだ、つまらない・・・」。
私はまたもや今までに感じたことのない気持ちに気がつきました。ブルマーからお尻が出ていないことがつまらないなんて。私は自
分の気持ちをセーブすることが難しくなりつつありました。私の前を歩いているAさんのお尻ばかり見ていました。歩くたびにAさん
の可愛いお尻の出ている割合が大きくなっていくようでした。私は後ろを振り返りました。何人かのクラスメイトが後ろを歩いてい
ましたが、とくに私のことを気にしている様子もありませんでした。

「今ならわざとできるかもしれないな・・・」。そう思った私は歩きながらブルマーを上に少しずつたくし上げていきました。
さらに靴の紐を締め直すフリをしてしゃがんでみたり。だけど、ブルマーを確かめたりしません。なぜならばブルマーを確かめて実
際にお尻が出ていたら直さなければなりませんから。直さないところを見られるとまた「いらぬ疑い」きかけられてしまいますか
ら。胸のドキドキは一向におさまりません。身体もジンジンと熱いままです。「お尻、出たかな?出たよね?やっぱり右だけか
な?」。私はAさんのお尻を見ながら思いました。「い、いいなー、左のお尻も出て・・・」。私は自分のお尻を確認できないま
ま、おかしな期待をしながら運動場へ向かいました。11月の少し冷たい風が気持ちよかったです。ブルマー姿になることがこんなに
快感なんて自分でも信じられませんでした。

   あれだけ嫌悪感もあったブルマだったのに、変わるものですね。
それどころか、心の奥ではあえてお尻がはみ出た姿を想像して、興奮してますね。
羞恥心を煽られることや、さりげなく見られたい願望に目覚めたのでしょうか。


ひろみさん(40)より 6/2

ひろみです。続きを書きます。
あの日以来、私は人前であんな恥ずかしいカッコを強要されるブルマーというものが本当にイヤになり、体育の授業がもう嫌で嫌で
仕方ありませんでした。自分自身はもちろん、周りの子のブルマー姿までもお尻のはみ出しが気になってしまいました。少しでもお
尻が出てしまっている子がいると、「ああ、またお尻が出てる!いやらしい!」と思い、そしてすぐさま自分のお尻が不安になって、
お尻が出ていなくても指でブルマーを直すことを何回も繰り返すようになりました。体育の授業のたびに私はブルマーに対しての嫌
悪感が強くなり、11月になった頃の体育の時間、とうとうブルマーを穿かずに1人だけジャージ姿で授業を受けました。

私の学校は1学期2学期は女子は半袖ブルマーを義務付けられていたので(3学期は基本的にジャージを許されていましたが、持久
走のときは半袖ブルマー姿になることを強制されました)、先生には「今日は忘れ物扱いとして減点、これが続くようなことになる
と進級に影響されるので注意するように」と言われました。私は決して風に逆らって生きるほど気が強くありませんでした。事実、
その日もブルマーが嫌で嫌でたまらなかったのですが、規則を破ってまで1人ジャージを穿くかどうかかなり迷いました。先生に叱
られることも怖かったし、なによりみんながブルマーを穿いているのに私1人だけジャージ姿でいることへの周りの子の反応が怖か
ったのです。後で仲間はずれにされないか、みんなからいじめられたりしないか、いざ1人ジャージ姿で授業に出たものの、そのこ
とがずっと頭から離れませんでした。

その日の授業中、私はジャージだったから私自身のお尻は気にはなりませんでしたが、周りの子はいつもと同じです。やっぱり何人
かはお尻が出ていました。あいかわらずいやらしい姿に思えましたが、それよりも私へのみんなの視線が冷たく感じて気が気じゃな
かったのです。たぶん私の被害妄想が強かっただけなのでしょうが、結局私は重圧に敗れ、勇気を出した反逆行為はあっけなく敗れ
てしまいました。

あの日、家に帰ってからのことです。部屋で体操服袋からブルマーを取り出し、その下着に似た「パンツ」をまじまじと眺めました。
紺色の伸縮のある生地、脚の付け根が強調されるようにカットされたカタチ。ついこの間までは「何の変哲のないブルマー」「体育
の授業で着る体操服」に過ぎなかったものが、いまでは「人前で太ももどころか、お尻まで露出させるパンツ」「学校で裸に近いカ
ッコにさせられるもの」に変わったブルマー。見れば見るほど、考えれば考えるほどいやらしく思えてきました。

「きっと男子たちはブルマー姿の女子を見て喜んでいるのだろうな」。私は風に逆らう勇気のなさを悔やむと同時に、どことなく屈
辱めいた気持ちを感じました。なんとなく「悔しい」とは少し違う気持ち。結局はブルマーを穿かなきゃならない。どんなにあがい
たって結局はこんな恥ずかしいものを穿かなきゃならない。「悔しかったら頑張って反抗すればいいじゃない!」「ふん、どうせそ
んな勇気ないくせに。」私はふとその「パンツ」を穿いてみました。上も体操服に着替え、鏡台の前で半袖ブルマー姿で立ちました。
帰宅部で運動が苦手だった私の身体はお世辞にもスタイルがいいとは言えません。ぷよぷよした太ももを際立たせるかのようなVライ
ン。やっぱりまるで下着。「右向け右」をします。お尻の膨らみが半分くらい近く露出していました。ブルマーがお尻を包みきれて
いない感じでした。「もしかして少しブルマーが小さいい?それとも私が太ったから?」そんなことを考えるながらさらに右向け右。

身体を捻って鏡を見ます。「私、お尻大きい!」。初めて自分で自分のブルマーのお尻を見ました。想像していたよりもダボッとし
たお尻に恥ずかしくなったのを覚えています。「なに、これ!」ブルマーからお尻が出ていたわけではありませんが、なんだか窮屈
さが目立ったお尻でした。私はつい無意識のうちに指でブルマーを直すしぐさをしてしまいました。「やっぱりいやらしいよね・・・」
「いちおう私はお尻、出ないタイプかな」。私は試しにその場所で屈伸運動をしました。屈伸、そしてももをあげて足踏み。
「え、うそ・・・」。お尻のお肉が出ていたのです。それも右だけ!左のお尻はなんとかそのままでしたが、なぜか右のお尻がブル
マーからはみ出してしまいました。「うわー、最悪!」。私はブルマーを直してもう一度、屈伸やら足踏みやら前屈やらしてみました。

鏡に映ったうしろ姿を確かめてみると、やっぱり!左はなんともないのに右のお尻だけがブルマーからはみ出ていたのです。それも
遠くからでもわかるくらいにぷくぷくと。「やらしい!なんてやらしい!」。私は何度も繰り返しました。部屋の中で何度も屈伸し
たり足踏みしたり。だけど何度やっても結果は同じ。右のお尻だけが露わになりました。その状態でしばらく突っ立ってみます。
お尻がムズムズすることもなく、何にも感じません。お尻に神経を集中させてみても、やっぱりとくに違和感はありません。「これ
じゃ、みんなの前でも気づかないよー。っていうより、もしかして今まで私、体育のときもこんな姿になってたの?信じらんない!」
わかるくらいは恥ずかしくなって顔が火照ってきました。私はそのまま鏡に自分の右横を映してみました。ブルマーのゴムがお尻に
弧を描きながら食い込み、お尻の丸みが完全に露わになっていました。ハイレグの水着ほどではないにしろ、それでもお尻のかなり
のお肉が露出されていました。

「うわっ、恥ずかしい・・・」。私は私の胸がドキドキしていたのを知っていました。息をするのも少し苦しさがありました。無防
備に露出された私のお尻、そして太もも。ダボッとしたお尻ゆえに、またいかにも運動不足なぷよぷよした太ももゆえに余計にいや
らしさを醸し出していました。私はあの日、私の前を歩いていたAさんのブルマー姿を思い出しました。やはり私と同じように決して
スタイルが良くはないAさんのブルマーからはみ出たお尻と、今、鏡に映る私のお尻が重なりあいました。「なんてやらしいの!」
「みんなにお尻を見られるなんて、なんて破廉恥な!」「ブルマー最低!」と怒りさえ湧いた気持ちはどこへ行ったのやら、私はた
だ、ブルマーから覗かれたお尻のいやらしさに胸に響き渡るドキドキを抑えきれない自分の真の気持ちに気づいてしまったことの衝
撃に呆然とするしかありませんでした。

私は体操服のシャツをキュッと下に引っ張りました。前だとVライン、後ろははみ出した右のお尻が強調されます。「スカート穿いて
ないみたい・・・」。胸のドキドキはやがて興奮へと変化していました。「本当に私、お尻に何も感じない。なのにお尻を見られてい
た・・・みんなの前でお尻を出していた・・・。なんて恥ずかしい・・・」。私はお尻を露わにしたブルマーを上へと引っ張りあげた。
ただでさえお尻に食い込んでいたブルマーがさらにお尻に噛みつきました。お尻のほとんどが露出されるくらいまでになればさすがに
何も感じないわけはありませんでしたが、それでも自然な感じでお尻がさらに出てしまってもとくに気持ち悪いとかはありませんでした
(面白いことにそれはやはり右だけで、逆に左は少しでも出てしまうと違和感がありました。「あ、お尻出た」と)。

私はすっかり「ひとり遊び」に夢中になり、ベッドに腰掛けて自分の太ももを撫でてみました。剥き出しになった太ももは改めてみる
といやらしさがたっぷりです。「このカッコで教室で英語とかの授業を受けると、どんなかな・・・」,私は教室でただ一人ブルマー姿
で授業を受ける自分の姿を想像しました。そして体操シャツの上から胸にそっと手をあてました。シャツの中からブラを上にずらし、
そして中指の爪で胸の先端をクリクリといたずらします。左手で胸を、右手で太ももとから大事なところへ・・・。「ブルマーなんて
いやらしい、ブルマーなんて恥ずかしい、ブルマーなんてパンツみたい、ブルマーなんて、ブルマーなんて、高校生にもなってブルマー
なんて・・・.いやだ、私、お尻見られてる、みんなにお尻見られてる・・・」。

自分の性癖に気がついてしまった私の、それからの高校生活についての体験はまた書こうと思います。

同級生のお尻がはみ出たブルマ姿から嫌悪感を感じていたのに、自身の姿を見たことで同じいやらしさを感じてしまったのですね。
見られていたことを想像すると、これまでと違う興奮を覚えオナニーしてしまい、羞恥心を煽られる喜びに目覚めはじめたのでしょうか。


ひろみさん(40)より 5/24

私が学生だった頃は今のようなハーフパンツなどはなく、女子生徒の体操服はブルマーが当たり前でした(男子は丈の短い短パンです)。
と言うか、当時のスポーツのユニフォームの多くは男子女子関係なくショートパンツタイプは太ももの露出が大きかったですね。
サッカー、ラグビー、バレーボール、テニス等、男性のショートパンツも今よりずっと丈が短いものでした(もちろんバレーは女子はブルマーです)。
なので、あの頃は多くの女子は体操服がブルマーでも多少の恥ずかしさは感じていましたが普通に穿いていたと思います。
運動するときは男子も女子も脚全体を露出するのは当たり前、みたいに。

ですが、やはり高校生にもなるとだんだんとブルマーに対して恥ずかしさが増してくるものです。中学の頃はさほど気にしなかった
周りのクラスメイトのブルマー姿が、少しずつ自分の姿と被らせてしまうのです。脚の太さやお尻の大きさやカタチが無意識のうちに目に入ってきます。
高校生、とくに2年3年ともなれば身体は大人と変わりません。クラスメイトの中にはブルマーからお尻がはみ出していた子も少なくありませんでした。

今でもはっきり覚えているのは2年生の9月のある日のことです。教室で体操服に着替
え体育館まで移動していたときの、私の前を歩いていたAさんの後ろ姿です。彼女は同性の私から見てとくにスタイルがいいというわけでは
ありませんでしたが、脚が少し太くて、またお尻も大きめな女の子でした。そして何より肌がとても白くて綺麗だったのです。
あの時、私は仲良しの女の子と並んでおしゃべりしながら歩いていたのですが、ふと前を歩いていたAさんのお尻が視界に入ってきました。
窮屈そうな紺色のブルマーから彼女の白いお尻のお肉が可愛くはみ出ています。
そしてお尻の真ん中くらいの所からから下までお尻のラインが浮き出ていました。

彼女が歩くたびにお尻が波を打つように左右に揺れて、同時にはみ出たお肉までも生きているように揺れていたのです。
そして彼女のブルマーから伸びた真っ白な脚。女子からみても触りたくなるくらいすべすべな感でいっぱいの脚が、少し太めなこともあってか、
太ももどうしが擦れ合って耳をすませばその擦れ合う音が聞こえてきそうなほどでした。
私は隣の友達の話なんかまるで耳に入らず、胸の中でへんな感情がしきりに疼いているのを感じていました。
いやらしかったのです。とにかくいやらしかったのです。
曲線を描くように張り付いているブルマーのゴムが、まるで彼女のお尻に噛みついているかのようにお尻を深く締めつけています。
お餅が焼けたときにぷくりと膨らんだような白いお尻のお肉。

私はついつい生唾をごくりと飲み込みながら、もしかしたら私もAさんみたいにお尻が出ちゃってるかもしれない、と思い、
指でブルマーのお尻を確かめました。自分ではよくわかりませんでしたが、なんとなく少し出ていたような、いや出ていなかったような・・・・。
と、そのとき、急にある事を考えてしまいました。「私達って学校の中でなんてカッコしてるんだろう!」と。家や海でもないのに太ももを
丸出しにしたうえ、お尻までも他人に見られてる!そう思うと今まで「少し恥ずかしいな」「ちょっとイヤだな」くらいにしか思っていなかった
ブルマーが突然とてつもなく破廉恥なものに思えてきたのです。

「いやだ!いやだ!こんなの絶対に恥ずかしい!」。私はAさんにそっと「ブルマー、直した方がいいよ。お尻でてるよ」と言いました。
彼女は「え?あ、ほんとだ!ありがとう。」と言ってお尻を直しました。私は「なんなの!ブルマーなんか最低!」という気持ちでいっぱいでした。
仲良しの女の子も「どうしたの?急に」と言ってたような気がしますが、よく覚えていません。
私はもう一度、自分のお尻を確かめながら体育館へ向かいました。
だけどAさんです。彼女も一度はお尻を直しましたが、どうやらブルマーが小さいのか、または彼女のお尻の弾力がそうさせるのか、
再びブルマーのゴムが彼女のお尻にだんだんと噛みついていきました。当然、白いお尻のお肉も顔を出してきます。
なのに彼女は全く気がついていない様子です。ましてやブルマーを隠そうとシャツを下に引っ張っているせいで、ブルマーの半分以上が
隠れてしまっていることで、よけいにお尻が目立ってしまって逆にいやらしさが増してしまっていました。

「なんで、そうなるの!」と、私はひとり機嫌が悪くなってさらに「ブルマーなんか大嫌い」とぷりぷり怒っていたのです。
その日の体育の授業はとにかくお尻が気になって気になって仕方がありませんでした。
周りの子のお尻も、自分のお尻も、とにかく少しでもお肉が出ていたら恥ずかしさと悔しさみたいな気持ちで尋常ではいられなかったのです。
「なんで学校の中でお尻を見られなきゃいけないの!なんで太ももをさらけ出さなきゃならないの!
今まで男子とかに見られっぱなしだったんじゃないのよ!」なんて考えれば考えるほど、腹立たしくなりました。
今すぐにでも着替えたい。制服に着替えたい。ブルマーなんて二度と穿きたくない!」私は涙が出るくらいに悔しさが溢れました。

ここまでブルマーが嫌いと言うか、憎らしくなった私がブルマーについて抱いた別の感情は今度紹介します。

女性の貴女が言うだけに、Aさんのお尻はよほどいやらしく感じるほど露出されていたのでしょうね。
機嫌が悪くなってしまったのはなぜでしょう。せっかく注意してあげたのに、あまり気にせずまたお尻をはみ出させて平気な様子や、
そのいやらしいお尻に嫉妬心などもあったのでしょうか。


ちょりーさん(40)より 3/9

 中2の林間学校でのことです。林間学校は体操服で行くことになっていました。
夏でしたが、女子は全員半袖体操服に下はジャージをはいていました。男子の2割くらいは、ジャージをはいていませんでした。

 山の中を延々と歩くと、ある川がありました。全員が川に到達すると、「その川で、クラスごとに、魚のつかみ取りをすること。
川の中には、全員が1匹は取れるだけの魚を入れているので、1匹取ったら、川から出てその場で焼いて食食べてもいいこと。

 川は結構深いので、ジャージを脱いだ方がいい。」ということが先生から伝えられました。
1組から川に入るのですが、男子は全員ジャージを脱いでいました。女子は半分くらいだけがジャージを脱いで川に入
入ったのですが、川が思ったより深いので、結局、8割くらいの女子はジャージを脱いで川に入っていました。

 1組の人が魚を捕まえて、川から出てき始めたので、私たち2組の人も川に入る準備を始めることになりました。
男子はみんなジャージを脱いでいましたが、私を含め2割くらいの女子は恥ずかしいので、ジャージは脱がず、ジャージ
の裾を太ももくらいまでまくり上げるだけにしていました。準備を終えた後、その場に座って、1組の人が川から完全に
に出るのを待っているのですが、いつもと様子が違うことに気が付きました。

 いつもですと、ブルマーで体育の授業をうけていても、クラスで1人ハミパンしている子がいるかいないかくらいですが、
この日に限ると、クラスで4−5人がハミパンしていました。
 延々と歩いて疲れているのと、ジャージを脱ぐと思っていなかったので、油断していたのはあると思いますが、
男子もいる中で油断しすぎと思いました。

 同じクラスの仲がいいA子もハミパンしていたので、ハミパンを指摘すると、A子はハミパンを直しました。
 全クラスが魚を取って焼いて食べた後に、川から宿に戻ることになっていました。結局、川から宿に戻る際には、3
割くらいの女子はジャージをはきませんでした。ジャージをはかない子は、ジャージを腰に巻いて、お尻を隠すように
している子が多かったです。A子も川から宿まではジャージをはかず、ジャージを腰に巻いていました。私とA子は、
川から宿まで一緒に話ながら歩いていました。

 途中で3組のある女子に抜かれました。その子はジャージをはいておらず、折りたたんで右手でジャージを持ってい
ましたが、ブルマーからかなりハミパンしてました。それを見たA子は私に、「あの子、すごいハミパンしてる。きっ
つー」と私に言いました。
 林間学校から自宅に帰った夜のことですが、林間学校では、みんな油断しまくりだったので、ジャージ脱いでブル
マーになるくらいならよかったかもと思いました。さすがに、ハミパンを見せる勇気はありませんでしたが。

 みんな、魚取りに夢中で、ハミパンを気にする余裕が無かったのかもしれませんね。
今から思うと、かなり恥ずかしい状況だったようですね。


葵さん(30)より 2/10

私がまだ小学生だったころの話です。
どこの小学校にも学年に1人ぐらいエッチな男子がいると思うのですが、私の小学校にも1人いて、よく男子の大事な所
を揉んだり、女子のスカートをめくったりしているのを見ていました。

小学校5〜6年の頃同じクラスになったのですが、体育時間の前後に必ずといっていいほど女子の大事なところも揉んで
いた気がします。おそらく、女子は普段スカートを履いているのですが、体育のときはブルマなので男子と同じように
揉めるからだと思います。スカートめくりは見られるだけですが、触られるのは何倍も恥ずかしかった記憶がありま
す。あの頃はまだ小学生だったので分からなかったのですが、今思うと大変なことをされてたんだなと思います。クラ
スの女子もほぼ全員スカートめくりやあそこ揉みをされ、その男子を本気で殴る子や、くすぐったがって笑い転げる
子、力が抜けてしゃがみ込む子などがいました。私はくすぐったくて笑い転げ、あとで恥ずかしくなってました。

当時はくすぐったいくすぐったいーって感じだったのですが、今思い返せばブルマであそこを揉まれてたなんて恥ずか
しすぎます(笑)

その男の子も性に目覚める年頃には、恥ずかしいことをしていたなと反省したかもしれないですね。
悪ふざけとしても、異性のあそこまで揉むのはかなり大胆ですよね。
大人になったその人がどんなになってるか、知りたくなりますね。


ひろさん(34)より 1/21

前回の告白は、エッチのことなのです。
何度かは経験はしていたのですが、部活のユニフォームだけはまだなくて、彼がとても見たがっていました。
でもまだ部活があった時で、引退するまではそういう事には着たくなかったのですが、しつこさに折れてしまいました。
まあ、でも私も興味があったというのが本音かな。

その後、部活最後の公式行事だった体育祭の部活対抗リレーのときユニフォームになったのですが、
そんな思い出があったせいか違う意味でとても恥ずかしかったです。

その彼とは高1のとき、彼が転勤で街を離れてしまい別れました。
その後は普通の高校生に戻って表向きいましたが、ブルマーでその時の事を思い出していたのが本当の私でした。
社会人になって何年目かぐらいまで、たまにそんな事をしていたと思いますが、
さすがにブルマーがもたなくなり、それ以後はありません。

着られるものなら着てみたいですね。

ブルマを着てエッチをしたことの思い出だったのですね。
今でもネット通販で手に入りますよ。
ブルマは古くて新しく、新鮮な気持ちが味わえるかもしれませんね。


みきさん(28)より 1/21

中学生のころ所属していたバレー部では、1年生は先輩に電気アンマをされるのが伝統でした。
1年生がマットの上に横になり、2、3年生に股間を足でグリグリされるのです。
罰などではなく毎週練習の最後にやられ、1年生はみんな悶えてました。
私もやられる側とやる側を経験しているのですが、やられるときは恥ずかしさとくすぐったさで大変でした。

ブルマ姿だったのでブルマと聞くとそのことを思い出します。

何のための伝統だったのでしょうね。
中には感じてしまう子もいたかもしれませんね。


敦子さん(26)より 1/17

 私は双子の妹です。姉と似ているので、姉とよく間違えられました。
小学校では1学年が3クラスで、姉と同じクラスにはなりませんでしたが、それでもよく姉と間違えられました。

 4年生に上がる時に、体操服がブルマからハーフパンツに変更されました。変更といっても、ハーフパンツ強制では
なく、ブルマを使い続けてもいいということになっていました。姉がハーフパンツに買い替えるので、私はブルマのま
まにすることにしました。何となく、姉と同じは嫌だったからです。姉がハーフパンツに買い替える際に、私もブルマ
を買い替えてもらいました。

 4年生の時は、ブルマのまま体育の授業を受けている子は多かったのですが、5年生の中頃になると、ブルマで体育
の授業を受けているのは私1人になりました。その頃に、ブルマが小さくなってきたので、買い替えることになりまし
た。ハーフパンツにするのか悩みましたが、姉と同じが嫌なので、サイズの大きいブルマに買い替えるだけにしまし
た。

結局、小学校卒業まで1人でブルマをはき続けましたが、6年生になると、ハミパンを指摘されるようになり、ブル
マを恥ずかしく思うようになりました。

お姉さんと違うブルマ姿の時は間違われなくなったのでしょうが、その分高学年になると恥じらいも出てきたようですね。
それも今となれば懐かしい思い出でしょうか。


ひろさん(34)より 1/11

懐かしい裏で、申し訳ないような気持ちを思い出しました。
でも、それも込みにしても懐かしいかな。

中2のとき、部活のユニフォームでしたのです。嬉しかったな。すごく。
でも、親とか学校にすごく申し訳なかったです。

水色に白いラインのブルマーに思い出を残せたこと、素直に自慢できたら良かったのにね。

私は好きでしたよ。

ユニフォームを着てオナニーされた思い出なのでしょうか。
今も同じようにされることもあるのでしょうか。


めぐみさん(35)より 12/20

はじめまして。
私は小学校から大学までブルマでした。

その中でも大学は体育会の推薦入試で入ったので想像を絶するものでした。
大学の体育会は体育の推薦入試で合格した者しか入ることができず、男女それぞれ30人ちょうどでした。
体育会に入るにあたって誓約書を書かなくてはいけないのですが、先輩・指導員などの命令には絶対服従や
体育会規則の厳守、いかなる体罰を受けても異議を唱えない、訓練中に怪我や死亡しても自己責任、
規則を破ったらいかなる罰でも受けるなど、非日常的なことを誓わなくてはなりませんでした。
また、女子訓練生は避妊手術を受けることが義務付けられていました。

推薦入試は早い時期に行われるので、高3の12月初めに女子の避妊手術が大学病院で行われます。
大学病院に指定された日時に行って手術を受けさせられるのですが、同じ高3女子が何人か来ていました。
避妊手術が終わると一旦解散になり、12月21日に仮入学として新入生全員召集されました。
この日から卒業まで一切外出は認められません。

また一旦全員下着を含めた衣服や私物は全て没収の上、男女とも白いブルマだけ渡されてその場で穿かされました。
更に体育会の規則で頭髪は男女とも丸刈り、陰毛も全剃りされて、体育会の仮訓練生となり入寮しました。
仮訓練生は白ブルマのみ着用で上半身裸で下着類は一切なし靴もありませんでした。
仮訓練生は男女5人ずつ10人のグループに分けられ、自己紹介と校歌の訓練を受けます。
自己紹介といっても普通ではなく、訓練生番号・身長・体重・スリーサイズ以外に処女(または童貞)かどうか、
経験人数・経験体位・オナニーの頻度など恥ずかしいことも言わされました。
普通の声でやるのではなく、叫ぶような大声でやらなければならなくて、指導員に鞭や竹刀などで何十発と叩かれ、
処女かどうかや経験人数は嘘を言っていないか何度も罵声を浴びせられ叩かれて叩かれまくりました。
やめたくても推薦入試で入っているのでやめれません。

12月中は声が枯れるくらいのシゴキを受けました。
1月になっても正月なんて全く関係なく、耐寒訓練が待ち受けていました。
まさに名前の通りで、真冬の屋外プールで午前4時間午後4時間の泳ぎ込みです。
もちろん、それ以外に筋トレやマラソンもありましたが水泳中心で仮訓練生は毎日朝から晩まで
徹底的にしごかれて、そんな生活が3月まで続きました。
4月の正式入学後の話はまた次回に書かせて頂きます。

人権を無視した「避妊手術の強要」は、にわかには信じられないことですが、事実なのでしょうか。
そんな大変なことが平然を行われていたとなれば、大問題ですね。


エリカさん(33)より 12/3

お久しぶりです。
三軍エリカです。
寒くなりましたね。
半袖体操服とブルマで練習しなければならない三軍部員のエリカにとっては辛い季節です。

特にロードワークに出ると、丸出しの太腿に寒風が当たって、寒さだけではなく晒し者になっているという実感がさら
に高まります。肌を晒してロードワークをするひと自体が少ないので、ブルマ姿で走れば、嫌でもひと目につきます。
特に同年代の女性、女子中高校生、小学生などに出会うと、真夏以上に大きな驚きの声を上げられたり、聞こえよがし
に大きな声で悪口を言われたり、ゲラゲラ笑われたり、罵倒されたりとか、何よりも軽蔑、蔑み、憐みの視線を痛いほ
ど受けました。

それと、この時期は四年生が引退して、三年生が新しく幹部になって、部全体が心機一転がんばろうという季節です。
また、推薦入学の内定もあり、高等部からの新入部員たちとの合同練習も行なわれます。
一方、エリカは三軍のまま、同じ三年生の同輩たちは部の幹部なのに、私は一年生の二軍以下、いえ、高等部の二軍部
員以下、という惨めな立場。
高等部の部員たちも私の姿を見慣れてしまって、
「一日も早く一軍復帰できるよう頑張ってくださいね。私たちも応援しています」
と口先では言うものの、視線は完全に見下した様子で、
「まだ、三軍でうろうろしているの。ダメな先輩ね」
「よく恥ずかしげもなく大学三年生になってもブルマなんか穿けるよね」
と言わんばかりです。

もっと恥ずかしいのは、この時期は三月の新人戦まで大きな大会がないので、友好関係にある近隣の大学、交流のある
ライバル大学との対抗試合の予定が数多く組まれています。
三軍の私はもちろん試合に出させてもらえず、二軍戦さえ試合の準備、応援、雑用に終われます。
当然、試合相手の部員にみっともないブルマ姿を晒すことになります。大会と違って、試合開始前から終了後、場合に
よってはその後の懇親会にもばっちり惨めな姿を晒さなければなりません。
初めてみるひとからは、
「エリカさん、一体その格好はどうしたの?」
「一年生の補欠のひとかと思ったら、エリカさんだったのでびっくりした」
などと驚かれます。
指導員に促されて、
「○○大学、○○部、三年生、○○エリカです。
成績不振と規則違反で、夏休み前に一軍から三軍に降格いたしました。
今では、二軍の一年生よりも下の身分です。
三軍は私ひとりなので、部では最下位の身分です。
私以外の部員全員を例え下級生でも「先輩」と呼び、指示に従います。
私の指導員は下級生の一軍二軍全員です。
一軍で下級生をしごく立場から、下級生全員からしごかれる立場になりました。
私は一年生以下、高校生扱いなので、練習着も昔の高等部の体育時間に使っていたブルマと体操服です」
という風にあらかじめ決められていた挨拶をします。

もう何度もやった挨拶ですが、初めてのひとの前で大きな声を出して挨拶するのはやはり恥ずかしいです。いや、知っ
ているひとの前でも、あらためて挨拶するのは恥ずかしいです。
だって、相手はライバル、対戦相手として戦ってきたひとたちです。そのひとたちの前で三軍に降格した惨めな姿を晒
さなければならないのです。
さぞかし相手のひとたちは、「いい気味」と思ったことでしょうね。私でも一軍から三軍に降格したうえに懲罰でブル
マを穿かされている元ライバルを見れば、気の毒にと思う反面、心の中ではいい気味と思ってしまいますものね。

>昔の自分を知っている人に出会う事が、一番屈辱的かもしれないですね。

そうでしょうね。
大学の途中で、両親が故郷に引っ込んでしまったので、私もそちらで就職しました。
仕事も運動にも〇〇競技にも関係ないので、関係者と出会うこともなく過ごしています。

でも、教職についていたら、どうなったでしょうね。
母校の教壇に立って、放課後は○○部の顧問の先生のお手伝いで、
自ら一部員としてブルマ体操服で補欠以下の部員としてシゴキを受ける。
一番恥ずかしいのは、母校よりも大学の系列の高等部の教壇に立って、部活をすることでしょうね。
三年生、二年生の部員は、大学四年生の私をしごいたこともあるわけですから。
一年、二年と経ち、次々と後輩の新任教師が就任し、さらに私をしごくひとが増え、ついには高校生だった後輩まで新
任教師として就任することに……。
「エリカ、まだ三軍のままなの」
「エリカにはブルマがお似合いね」
「まあいいわ。放課後はたっぷりしごいてあげる」
などと言われ……。
でも、その前に、夏休みなどの大学との合同合宿や合同練習で、大学の後輩と高等部の教え子の双方から嫌というほど
しごかれるのが先でしょうけど。

時々そういう妄想したりしますけど、それも部活を離れて、しごく側から見た私の惨めな姿、どんな風にしごいたりペ
ナルティを与えると私がより辱めを感じ、見ている側としても面白いかがわかってきたからで、現役時代はとてもそん
な余裕はありませんでしたけど。

 第三者の視点で自分を見て、二重に羞恥心を味わうことも出来るのですね。
今とは違う人生を歩んでいたら・・・、また異なる楽しみがあったかもしれないようですね。
だけど、しごかれるシチュエーションには変わりないようですね。


みおさん(35)より 11/2

はじめまして。

「体操服」「ブルマ」「体育」といった言葉に興奮してしまう私が小学生時代から今日まで
毎日欠かさず続けている日課について書かせていただきます。

1 体操服・ブルマを着用してランニング、・縄跳びなど

私はどちらかというと体育が苦手な方で、小学1年生のころから体育の苦手克服のために休日になると両親による
「家庭での体育の授業」があり、公園のグランドなどでランニング・縄跳び・鉄棒などをしていました。
私が小学生のころは現在のように女子向けのジャージなどの運動用の服装がほとんど普及していないころでした。
私が「服装はどうすればいいの」と聞くと、「学校の体操服とブルマでいいだろう。その方が体育の授業らしいし。」
と親から言われ、自然な流れで「服装は体操服・ブルマ・紅白帽子」となりました。

当初私は学校以外でも運動することが嫌でした。まして自分だけ体操服とブルマを着て紅白帽子をかぶって運動していると
目立つし恥ずかしいなあというのが正直な気持ちでした。
そして初めての家庭での体育の授業の日になりました。
自室で体操服とブルマに着替えて紅白帽子をかぶると今までに味わったことのない興奮を覚えました。
そしてグランドへ着くととてもやる気が湧いてきました。

当初はみんなが楽しく遊んでいる休日の公園で自分だけ体育の授業を受けているのは恥ずかしかったですが
いつしかその恥ずかしさも興奮や喜びへと変わっていきました。
そして休日だけでは物足りなさを感じるようになり、小学生の途中からは平日の学校から帰宅後にも1人で自主的に体育の授業を実施していました。

小学5年になって組体操の練習が始まってからは裸足で運動する気持ちよさのも目覚め、私の提案で体育の時間の服装は
「体操服・ブルマ・裸足」になりました。さらに運動会の組体操のためにメニューに補助倒立とブリッジを追加してもらいました。
(1人の時はブリッジのみ)
大人になった現在はあまり目立たない夜間などに体育の授業を実施し、楽しく運動することで体を鍛えると同時に性的欲求を満たしています。

2 パンイチでの倒立
私の小学校では5・6年生の運動会の学年演技が組体操でした。
私は倒立などの器械体操が大の苦手ですが決して運動会で恥ずかしい思いをしたくなかったので
家で練習することに決め両親に補助などのサポートをしてもらいました。
両親から「倒立の練習は滑らないように裸足。それと身軽な格好でやった方が良い。別に家の中だからパンイチでもいいぞ。」
と半分冗談でアドバイスされました。

私は「女の子にパンイチはないだろう」と思い、最初は体操服・ブルマ・裸足で練習をしていましたがうまくできませんでした。
数日後に両親の言うとおり上半身裸・パンツ1枚・裸足になるととても胸が熱くなり、当初のパンイチの恥ずかしさが
どこかへ消えてパンイチで倒立をすることの楽しさ・やりやすさ(とくにおもいっきり足を振り上げる気持ちよさ)を
理解しながら倒立練習に励みました。
パンイチで練習を始めて数日後に苦手だった壁倒立・補助倒立をマスターすることができました。
私は倒立の楽しさにも目覚め、以後今日まで1日1回は必ず倒立をすることが私に日課になっています。

 以前も貴女と同じようにご両親に運動を課せられ、運動しているというような投稿がありましたが、
同じような方もいらっしゃるのですね。
 運動されていて、どんな感じで性的欲求が満たされるのでしょうか。


エリコさん(39)より 11/2

色々な体験談を読んでいて、私も高校時代の事を思い出したので投稿します。
私の高校は私が2年生になるときに女子高から共学になりました。
終業式の日に、式が終わると1年生(新2年生)だけ体育館に残されて、
体育のY田先生(男)から説明がありました。

内容は共学を機に体操服をモデルチェンジするとのことでした。
新3年生はあと1年だから買い換えはもったいないのでそのままだそうですが、
私たちは買い換えるように言われました。

今までは3学年共通でしたが、学年カラーを取り入れる事にもなりました。
体操服はエンブレムも入ったりして可愛くなったのですが、ブルマは紺色から水色になりました。
新入生は赤だそうです。

先生がサンプルを見せてくれましたが、みんなは「えーっ」とか「水色なんてあり得ない」とかいって騒ぎだしました。
先生は「綺麗な色だからいいだろ」とか訳のわからないことを言ってなだめていましたが、騒ぎがなかなか収まらず。
少し考えてから、「おい、エリコ。これ試着してくれ!」と言いました。
私は「えーっ、何で私!?」と言うと、先生は「お前が一番ブルマが似合うから頼む!」と言いました。
今なら間違いなくセクハラ発言ですよね。みんなはドッと笑い「エリココール」が起きました。

私は満更でもなくなってきて、更衣室で着替えて来て、みんなの前でモデルのようなポーズをとりました。
みんなは拍手で盛り上がりました。
何か学校の体操服というより、グラビアアイドルが着る体操服みたいでした。
先生は「ほら、似合うじゃないか」「教室に戻ったら注文書まわすからちゃんと買うんだぞ」と言って話は終わりました。
みんなが水色ブルマを気に入ったとも思いませんが、私自身紺色のほうが良かったし。
残り二年間は水色ブルマで体育をすることになりました。

それでも私の活躍?もあり後でY田先生に「エリコ助かったよ、ありがとう」と絵顔で言われて悪い気はしませんでした。
今だったら教育委員会とかも出て来て大問題になりそうですが、当時は笑い話で済む事でした。
昔は結構自由だったんだなと改めて思いました。ちなみにY田先生の名誉のために、とても面白くて人気のある先生でしたよ(笑)

先生は水色が好きだったのでしょうか。
貴女がブルマ姿が似合うと、いざという時のために目をつけていたのかな。
結果的には貴女のおかげで、話がまとまったようですね。


美咲姫さん(37)より 10/28

久しぶりの投稿です。

高校時代の話です。当時はまだブルマが当たり前だったので、私の高校もブルマでした。入学時ブルマを注文するとき
にブカブカでは格好悪いので、私が細身だったということもあり、身長に対してワンサイズ小さいブルマを購入しまし
た。スポーツ科もあるくらい体育に力を入れている学校で、体育はほぼ毎日あり、ブルマの左上に校章と名前の刺繍が
入り、注文しても時間がかかるということだったので3着注文しました。

届いたあと家で試着してみると、中学のものとは違い、きつめでかなりのハイレグブルマでした。小さいサイズを購入
したので、ピチピチで余計にハイレグが目立つ感じでした。翌日から体育があるので、買い替えるわけにもいかず我慢しました。
細身の子は小さめを買う子が多くみんなそんな感じでした。少し動くとすぐにハミパンするので、下着は黒や紺のハイ
レグタイプのものにしました。母は足が長く見えて似合ってると言っていましたが、実際に着る身としては、恥ずかし
さの方が強かったです。

体育に力を入れているので、機能性の良いブルマにしているそうです。当然運動の妨げになるからと体操服はブルマの
中にしまっていないと怒られます。校章や名前がしっかり見えるように、体操服を弛ませることも禁止されていまし
た。確かにすごく動きやすかったのですが、その格好で公道を300メートルほど通って運動場へ行くので体のラインが
目立つハイレグブルマは、すれ違う人もジロジロ見てくるので、それだけは慣れませんでした。

以前の投稿で、合宿や体育祭の話をしましたので、その続きです。
体育祭が終わってもうすぐ11月になります。校則で体操着は11月から冬服だったので、早速ジャージを持っていきました。

寒い地域で11月には初雪が降り、もう寒くなっていたので、ジャージを着て運動場に行きました。先生が運動場に来
ると明らかに不機嫌そうでした。先生は「なぜジャージを着ているの、すぐに脱ぎなさい!」と言いました。
私たちの高校は、私たちの入学した年から、女子の体育は女の先生が受け持つことになりました。以前は男の先生ばか
りだったそうで、男子には厳しかったそうですが、女子には遠慮もあり体操服をブルマに入れてなくても、体育祭に
ジャージを着ていても黙認していたそうですが、後援会やPTAなどから女子がだらしないとの苦情があり、女の先生を
増やしたそうです。

その先生は厳しいのですが、授業は楽しく、教え方も上手かったので好きだったのですが、さすがにみんなは校則の事
を言って反論しました。先生は更に怒り、「授業の規則を見ていないの」と言いました。たしかに入学した時にもらい
ました。後で読み返しましたが、体育委員は授業の前に場所、授業の内容および服装について体育教諭に確認するこ
と。と書いてありました。

私たちはジャージを脱いでから、改めて寒いのでジャージで受けさせてほしいとお願いしました。先生は「だめです。
2月にあるマラソン大会にはみんな半袖、ブルマで出てもらいます。今から何いってるの、そんなことでは大会で走れ
ないわよ!」ときっぱり言いました。また「ジャージは甘えが出てだらけるので、今後もジャージの着用を認めるつも
りはありません。半袖、ブルマで授業に出ること。いいわね。さあ授業始めるわよ。」と言いました。私たちはそれ以
上反論も出来ず渋々従うことになりました。おそらく前年の体育祭が、あまりに評判が悪かったので、先生も学校から
厳しくしつけるように言われていたのだと思います。おかげでその年の体育祭は評判が良かったようなので、その後も
女子の体育の方針は先生にお任せだったんじゃないかな。

これからもっと寒くなるので、くい込みや通行人に見られるのが恥ずかしいなんて言ってられなくなりました。男子は
というと、マラソン大会と同じ日に柔道大会があるので11月からは道場で柔道の練習になりました。女子は寒い中半
袖、ブルマで外で練習しているのに、この差は何?この後のことはまた今度聞いてください。

今ならブルマにこだわって、寒いのにジャージを禁止するような指導受けることもないのでしょうが、
当時は厳しかったのでしょうね。こんな指導を受けたことで精神面を鍛えられることにはなったのでしょうか。


みゆきさん(35)より 10/28

初めての投稿です。
私は小学校から高校までブルマでした。まだブルマが当たり前だった頃なので、
履きたくないと思ったことは無いのですが、中学校の頃は少し抵抗がありました。

小学校のころは全員が紺色のブルマでしたが、中学校では学年色で指定されていました。私たちの学年は赤でした。
えんじ色よりも朱色に近い鮮やかなものでした。後は紺色の学年と黒の学年がありました。男子は同色のハーフパンツでした。

今思えば、なぜ女子だけこんな短いのと思いますが、当時は当たり前でした。
最初は可愛くて、きれいな色だったので喜んでいたのですが、最初の体育の時間に
パンティーラインがくっきりと浮かんでいることを友達に指摘されました。

その友達も浮かんでいましたが。黒や紺ではあまり目立たないのですが、朱色では、すごくはっきり目立ちました。
朱色で喜んでいたのもつかの間、このブルマで3年間過ごすことが心配になりました。

それでも近くで見なければ、そんなには分からないだろうと思って、慣れると気にならなくなっていたのですが、
2年生の体育祭の時に男女合同の体操があったのですが、手足を地面につけてお尻を突き出すポーズがあるんです。
私は後ろの男子に見られているんじゃないかと恥ずかしく思っていました。

実際にその通りで後ろにいた男子が、みゆきのブルマにくっきりパンティーライン浮かんでて、襲いたくなったと
いう話をしているのが聞こえきて、真っ赤になりました。他にもそんな目で見られてた子がいるんじゃないかな。

その後は親に薄い下着を買ってもらい、体育の時間はラインが目立たないように下着には気をつけました。
高校に入ったらまた紺色のブルマに戻ったので、一緒に進学した友達と喜んでいました。
高校のブルマは、ハイレグタイプだったので他の中学校からきた子たちは、恥ずかしいといってる子もいましたが
中学校時代に鍛えられた(?)私は紺色のブルマだった事が嬉しかったので、あまり気になりませんでした。
やっぱりブルマは紺色が一番ですね(笑)。
今の子たちにとっては、どっちもどっちでしょうけど。

 ブルマを着用したことの無い世代にはわからないことでしょうね。
ハイレグの方が露出度が高くて恥ずかしそうだけど、ブルマ姿に慣れている貴女は平気だったのですね。


エリカさん(33)より 9/23

お久しぶりです。
三軍、エリカです。
良い気候になりましたね。
スポーツには絶好の季節です。
もし現役時代だったら、このシルバーウィークは、何かの大会があって、一軍は試合で忙しかったでしょうね。

三軍のエリカは、一軍に帯同して一週間前位から短期合宿や練習のお手伝い、
そしてもちろん試合の応援にはブルマ姿で駆り出されていたことでしょうね。
元高等部の体育の時間用の色も鮮やかなコバルトブルー、レッド、エメラルドグリーンのブルマ。それも新品ではありません。
試合の応援とか、高等部との合同合宿の初日とか、四軍最初の日とか、
節目の時には、必ず部に保管されていた代々の三軍部員の屈辱と汗が染みついたお古を穿かされるのです。

体操服はところどころ黄色い染みが出来ていたり、ブルマもところどころ擦り切れていたりします。
新品を穿かせてもらえるのは、高等部よりももっと屈辱的なものが手に入った時でしょうね。
昔の小学生を思わせる黒のブルマとか、下着を連想させる白のブルマとか。

大会で一軍が勝ち進むにつれて、高校時代の先輩・同輩・後輩で他大学に進学したひとはもちろん、
ライバル校でお互い顔見知りのひとに出逢っても、
「○○さん、どうなさったの、その格好は?」と驚かれ、やむなく事情を話すと、気の毒そうに、
「でも、エリカさんが出場しないんじゃ、わが大学としては、少し安心ね」と変な慰めを言われたりします。

今でも時々夢に見ます。
一軍の下級生の指導員たち、高等部の一軍選手たち、
同じ高校出身の他大学の先輩・同輩・後輩
ライバルの他大学のひとたちに囲まれて、
ただひとり三軍の私はブルマ姿でよってたかってしごかれるのです。
スポーツに適した地方の合宿地で、合同合宿みたいに何校もあつまって練習しているようなシチュエーションで、ブル
マ姿を揶揄され、馬鹿にされながら、シゴキを受けるという正夢のような悪夢です。

 昔の自分を知っている人に出会う事が、一番屈辱的かもしれないですね。
事情を話しても、そこまで自分を追いこんでも在籍しなくても良いのではと思った人も多かったことでしょうね。


里奈さん(35)より 9/23

私の中学生時代の話です。私の家庭は両親ともども教育熱心な家庭に生まれました。
小6の時に塾にもいかずに中学受験をして合格しました。
その学校は、学業もクラブも力をいれており体育行事さかんでした。

受かって喜びましたが、大変厳しい学校でした。
特に体育に関しては、週3あり月は、体育館競技 水は、年中水泳 金は、運動場でした。
学校に登校すると、すぐに制服から体操服に着替えます。

半袖のシャツは、体によくフィットして体のラインがわかるものでした。下は、ハイレグブルマでした。
真冬でもその恰好でした。半袖のシャツは、ブルマに入れなかったら生活点減点でした。
しかも、下着の色も白と決まっており、1週間に一回検査がありました。
普段から裸足で、体育の時も裸足でした。
また、投稿します。

ハイレグブルマだと露出度も高く、より視線を集めて恥ずかしかったのでしょうか。
貴女の性に関係した思い出があるのかな。投稿お待ちしていますね。


MIYABIさん(37)より 9/12

私が中学3年生の体育祭でのことです。

 騎馬戦をしました。本来は4人1組で騎馬を作りますが、当日、欠席の人がいたりして、人数調整のため私たちだけ5人
で騎馬を作ることになりました。私以外の4人で普通に騎馬を作り、私は後ろから支えることになりました。入場の時が近
づいてきたので、私たちも5人で騎馬を作りました。後ろで支えるときには、他に持つところがないので、ブルマーの腰の
ところを持ちましたが、ブルマーを上に引っ張り上げるような形になりました。そのため、騎馬の上にいるM美は、ブルマ
ーから少しハミパンしてしまっていました。

 騎馬戦が始まると、いたずら心もあって、しっかり支えているふりをして、M美のブルマーの腰の部分をやや強めに引っ
張り上げました。そのため、M美のブルマーから白いパンツがだらしなくはみ出してしまっていました。騎馬戦は団体戦で
したが、私たちの騎馬は途中で崩されました。騎馬が崩された後、M美は慌ててハミパンを直していました。結局、私たち
の組は騎馬戦に負けてしまいました。私は騎馬の上で恥ずかしいハミパン姿をさらさなくてよかったと思う一方、あんな恥
ずかしいハミパン姿をさらす人がいるなら、少しくらいハミパンを見せてみたいと思いました。

 そこで、騎馬戦が終わって退場するとすぐに、トイレに行って、ブルマーから少しピンクのパンツをハミパンさせて自席
に戻りました。自席ではジャージの着用が認められているので、半分くらいの女の子はジャージをはいて観戦していました
が、私はブルマーのまま椅子に座って観戦しました。ブルマーを確認すると、予定通り少しピンクのパンツがハミパンして
いました。M美の方を見ると、M美はジャージをはいて自席で観戦していました。観戦している時に、他の女の子にハミパ
ンを指摘されました。

 ちなみに、男女共学の学校の話です。

   何人かの男子生徒からジロジロ見られたのかな。その視線が嬉しく、なんだかドキドキしたのではないでしょうか。
恥ずかしいと思う心とは裏腹に見られたい欲求も強かったのかな。


エリカさん(33)より 9/6

お久しぶりです。
三軍、エリカです。
初めての方にもわかるように、大学時代の部活について、これまでのいきさつも並行してお話ししますね。

かなりの覚悟を決めて三軍への大降格を受け入れたつもりですが、やはり三軍生活は過酷でした。肉体的なことよりも
精神的な面でとても堪えました。

私、部活では中学、高校時代もほとんど補欠だったことがなく、大学に入ってからもクラス分けになるまでのひと月し
か二軍だったことはありません。
その私が、二軍どころか、三年生の夏休みの直前、三軍降格を命じられたのです。
ゴールデンウィークの頃から調子を落とした私は極度のスランプに陥り、二軍降格は時間の問題でした。自分でも覚悟
はしていたのですが、四年生の幹部から言い渡されたのは、意外にも三軍降格でした。

三軍は文字どおり二軍以下の身分で、実力が大学生レベルに達していない者が落とされます。大学生レベルに達してい
ないので、上級生でも下級生の二軍以上の部員から「高校生扱い」されます。
一軍と二軍の間には上級生と下級生という上下関係しかなく、軍の上下の関係はありません。しかし三軍には上級生下
級生の上下関係より、一軍二軍と三軍との軍の上下関係の方が優先されます。上級生といえども大学生レベルに達して
いない者は部のお荷物でしかないからです。
当然、同じ三軍でも上級生になればなるほど扱いが厳しくなります。まあ、だんだん四軍に近くなると言って良いでしょう。

私は実力的には降格しても二軍の中の上位の実力はありました。にもかかわらず三軍まで降格させられたのは、恋愛禁
止の規則に違反してしまったからです。もちろんこの規則を守っている者はほとんどなく、先輩たちも同輩・後輩も
ちゃんと彼氏がいて、試合の時などは応援に来たりしていました。
しかし私の場合あまりにもタイミングが悪かったのです。二軍降格の危機にあるというに夜遅くデートをしているとこ
ろをOGのひとや四年生の先輩に見られてしまったのです。
本当は遠距離恋愛の彼が夜遅く実家に帰ってきて、翌日は朝早くから試合だったので、やむなく深夜にデートしたので
すが、それもスランプの悩みの相談に乗ってもらいたかったからです。しかし彼が女子部員の多くが憧れた先輩男性
だったために、余計に反感を買ったのです。

理由の如何に関係なく、二軍降格の背戸際にいる者が恋愛禁止の規則を破るとは、精神的に弛んでいる、二軍といわず
三軍に落とせ、精神面では高校生並みだというわけです。
努力しても三軍の実力しかない者よりも始末が悪い、しかも三年生ということで、三軍でも最低の扱いをせよ、という
空気になってしまったようです。
下級生たちも、実力がなくて三軍降格した先輩には同情しても、実力があるのに規則違反で精神的に弛んでいて三軍降
格した者に対しては、だんだん遠慮しなくなり、ひと月も経つと、平気で「エリカ」と呼び捨てたり、「ブルマ」とか
「ブルカ」とか「ブルエリ」とか呼ぶようになりました。

そうなのです。三軍は高校生扱いなので、練習着はブルマと体操服なのです。それも上級生ほど扱いは厳しく、三年生
の私の場合、昔の高等部の生徒が体育の時間に使用していたスクールブルマと体操服を着用しなければなりませんでした。
しかも体操服はブルマの中に入れる。「三軍、三年生、○○エリカ」「○○大学、三年生、○○エリカ」と書かれた
ゼッケンを体操服につけるなど、一二年生の三軍部員との間でも様々な差がつけられていました。

この格好でロードワークをすれば、男性からは好奇の目で見られ、女性からは侮蔑の目で見られたることはだいたい想
像がつくと思います。
何度やっても初めてのひとに見られるのは恥ずかしかったですし、顔見知りになったひとでもやはり部外のひとに見ら
れるのは恥ずかしかったです。
むしろ一週間位経って、少し余裕ができて周りの様子がよくわかるようになってからの方が、ひとびとの反応がわかっ
て余計に恥ずかしかったです。

一番屈辱的だったのは、一軍の試合の応援で大会の会場に行くと、スポーツの世界は狭いので、他の大学に行った中高
校時代の先輩、同輩、後輩などと顔を合わせることになり、
「エリカ、いったいその格好どうしたのよ」と聞かれたことです。
そうです。試合の応援も立派な部活で練習時間に入るので、家を出る時から家に帰るまでブルマ着用です。
長くなったので、また今度続きを書きますね。

 スランプがきっかけで、とことん落ち込み立ち上がれなくなることもあるのですね。
実力はあるだけに、気持ちは焦ったでしょうが、降格の理由はみんなが納得出来るものであり、部活を続けるには屈辱に耐えるしかなかったのですね。


レイさん(21)より 8/2

初めて告白します。皆さんの告白を読んでいると、私と同じような経験をしている
人もいるんだなと驚きましたし、うちの旦那が特別変ってわけでも無さそうなので
安心しました(笑)。

私は21歳なので、小学校からずっとハーフパンツでブルマは知りませんでした。
旦那は36歳なので、ブルマ世代です。先日旦那の高校の卒業アルバムを見せても
らって、ブルマの女の子たちが至るところに写っていたので、私はこんなのはいて
よくできるねかわいそーと言ったら、旦那は昔はブルマが当たり前だったんだよ。

今がおかしいと言っていました。それからは数日後の夜お風呂から上がったら、準
備してあったパジャマが体操服とブルマに変わっていました。エッとは思いました
が、旦那に乗ってやろうかと下着を着てから体操着とブルマを着ました。ブルマは
履くとき思ったより窮屈な感じでしたが、意外と伸びて履いたらピッタリでした。
着た後に鏡でみると、少しいやらしい感じもしましたが、妙にドキドキしました。
昔の女の子はどんな気持ちだったのかな?慣れているから気にもしないのかな?

体操服で寝室に行くと、床にマットが敷いてあり、旦那は「遅い!遅刻だぞ!」と
言いました。私はブルマ姿でそう言われると学生に戻った気持ちになり、素直に
「はい。すいませんでした」と言ってしまいました。そのあと、シャツをブルマに
しまうように言われ、素直に従いました。そう言えばアルバムの運動会の写真もそ
ういうスタイルでした。マットの上で柔軟体操をしていると体が硬いと、旦那が太
ももを開いたり、背中を押したりしてきました。もう頭の中が真っ白でした。その
後のことはあまり覚えていないのですが、ブルマ姿で抱かれているといつもにない
くらい何度もイッてしまいました。

ブルマ姿でになると、ハーフパンツでは感じられない自分は生徒なんだという感じ
がします。私が学生時代にもしブルマだったら、草食系と言われてた男子も、もう
ちょっと女子に興味を持ってくれたのかなと思うとハーフパンツは少し残念です。
旦那との先生、生徒役のエッチは癖になりそうです。

 少し昔にタイムスリップして、イメージプレイですね。
ブルマを知らない世代にとっては、新鮮な感じなのでしょうね。
ご主人は昔出来なかった願望を、貴女で楽しんでようですね。


ゆいさん(23)より 7/26

年の離れている彼と付き合っています。
彼は中学のときブルマーを見ていたようです。
彼と知り合う前からコスプレに興味はありました。
でもどうして良いかも分かりませんでした。

彼は私よりも積極的に色々な制服を買ってくれ、ブルマーもその一つです。
これなら絶対に可愛いと言って探してくれ一緒に楽しんでくれるのが嬉しいです。
少しセックスも積極的になれているように思います。
変な告白ですみません。

分からない時は彼に聞くか、彼の思う通りに身を任せてしまえばいいのでしょうね。
いろんな楽しみ方がありますから、少しずつ経験してみてくださいね。


めいこさん(2?)より 7/20

はじめまして、めいこです。

先月結婚したばかりの新婚で、毎晩エッチを楽しんでますが、
彼とは大学生からのお付き合い、お互いに初めての男女交際でしたから、
結婚まで来ても、まだまだエッチの方は初々しい雰囲気です。
彼が実家に行ってて、今夜は不在なので、大学時代の想い出を初めて告白してみます。

大学三年生の初体験の話は、告白するのはちょっと恥ずかしいので、ブルマへの想い、
というテーマに合う話があるので、少し書いてみます。

都内の女子校から共学の都内の私大に進学したわたしは、お嬢様女子校の気分が抜けきらず、
女子が多そうなサークルや体育会を探していましたが、高校までバレエの習い事をしていた
ので、踊ることと柔軟性には自信があったので、一念発起?して体育会系のチアリーディング部
(もちろん女子だけ)に入部しました。

二年生まではチアに忙しくしていましたが、周りにも彼ができた人が徐々に増え、わたしも
少し焦ったものの、やや遅かったのですが、三年生になってから、大学の勉学関係で出会った彼、
いまの旦那さんとお付き合いするようになりました。
男女交際が初めてだったので、初体験までは四年生になる直前の春休みまで一年くらいかかりました。
その後、春の大学野球の応援や就職活動が終わったころ、彼から
「チアのユニフォームでしようよ」と言われ、
「やっぱり」と思いました。チアの同期の友達で、彼から頼まれる人が多いとは聞いていましたが、
やっぱりと思い、最初は気乗りしませんでしたが、大好きな彼が喜ぶならと、
あるチアのイベント帰りに、彼のアルバイト代でホテルに行きました。

お風呂に入って、チアの衣装が二種類あったので、彼に選んでもらいました。
衣装自体は私物ではないので、絶対汚さないことを約束してもらいました。
数少ない私物の一つで、下履きのいわゆるコスチュームパンツは、スパッツ型とブルマ型
とありますが、今はもうスパッツ型だけのようですが、当時はまだ両方あって、
何種類か購入するうちの一つだけがブルマ型でした。
盗撮などの問題もあって、ブルマ型はどこの大学も減ってましたが、わたしは、
かなりの痩せ形で、チアのトップ(一番上)でいろんな動きをするので、
バレエのレオタードや中学時代のブルマの経験などブルマへの慣れもあり、
衣装によってはブルマ型をあえて履くこともありましたが、やはり頻度は少なかったです。
でも、彼はこれを選ぶだろうと思い、その日は使わないブルマ型を持ってきましたが、
やはりそれを選びました。しかも、パンツやストッキングは履かず、直接履いてほしいなんて。

着用しながらのエッチは落ち着かなかったけど、上を脱がされ、スカートとブルマだけに
なると、たくさん濡らしてしまいました。
スカートをたくしあげられると、もう汚れる心配もなくなり、ブルマにどんどん
シミが広がっていきました。
ブルマを脱がされ、あそこを舐められ、ク○トリスをむき出しにされて、また舐められ、
わたしは喘ぎ声を出していましたが、彼は再びブルマをもとに戻してしました。
むき出しにされたク○トリスを直接さわられるのは痛いと話してましたので、
ブルマ越しにさわろうということだったみたいですが、みごとわたしの気持ちいいのツボに
はまってしまいました。
今までに感じたことのない痺れとも震えともいえないような気持ちよさが押し寄せ、
わたしは「ああー、だめえー」とはしたない声を上げて絶頂してしまいました。

その直後、彼は自分のをブルマの脇からねじ込んできました。
彼のもいつもより硬い感じがして、興奮が伝わってきました。実際、コンドームを
付ける余裕はもうなかったみたいで、わたしのフェラもなく、自分で皮をむいて、
後ろから、ブルマの脇に入れてきました。もちろん、コンドームなしなので、
中には入れてきませんでしたが、むき出しのわたしのク○トリスと、むき出しの彼の先が
擦れあい、それをブルマが押さえ込み、さらにわたしが濡らしているので、ヌルヌルした
感覚が気持ちよさを高めてしまい、わたしは彼が出すのを感じて、自分で乳首を触りながら、
もう一度絶頂してしまいました。
「ああー」というわたしのはしたない声と、彼の「あっ、あっ、ああー」という声が
ホテルの部屋に響き渡りました。
気が付いた時には、ブルマはじっとりシミができてて、彼の白いのがしみだしてきてました。

帰宅後、お風呂でブルマを洗いましたが、ドライヤーで家族にわからないようにこっそり
乾かしてから気づいたのですが、青の布地に白いのが付くと、洗ってもビミョーに
シミが残ってしまうんです。
それを見て、わたしは夕方のことを思い出して、またムズムズし、オナニーを始めてしまいました。
ク○トリスをむき出しにしたらブルマを履いて、痛みが感じられない分、いつもよりも
激しく擦ってしまい、あっという間に絶頂してしまいました。

そんなブルマをはいてチアのパフォーマンスをして、誰かに肩車させたりするわけにはいかないので、
彼とのコスプレエッチとオナニー専用になってしまいました。
卒業までイベントも少なかったので、秋の大学野球の応援では、下級生がトップをすることに
なったので、わたしはスパッツ型だけを履くようになりました。
大学卒業するころには、その青のブルマは、あそこがビミョーに色落ちするくらい、
エッチとオナニーに使ってしまいました。
社会人になっても、時々使いましたし、最近もたまに登場します。

今では、ブルマに出さず、中に入れて出してもらってますから、白く汚れることは
なくなりました。代わりに、騎乗位とかわたしが上になった状態で、ブルマの横からねじ込まれて、
しかも中に入れるためには、ブルマの足のゴムをかなり中央に寄せなければならないので、
ちょうどゴムがク○トリスに当たってしまうのです。
大学生になったころは、わたしの控えめだったク○トリスも、今では簡単にむき出しになってしまう
人妻?のいやらしク○トリスになってしまいました。、
彼に舐められたり、ブルマ越しに強く擦られると完全にむき出しになり、どんぐりのように割れ目から
こぼれてしまい、ブルマのゴムをずらされ、ゴムのところがク○トリスに当たった状態で、彼のが
入ってくると、もう何が何だか分からなくなり、あっという間に二人で絶頂してしまいます。
彼は、そんなわたしのはしたない顔と腰の動きがかわいいと言ってくれますが、いまだにブルマエッチの
虜になっているわたしたちです。

そんなブルマも、縫い目の部分が弱ってきてしまい、新しいのを買わなきゃいけないかもしれませんが、
最近はチアの下履きもブルマ型はあまり売ってないし、部を通じて購入したものなので、いまから
ホントに買い替える時はちょっと困るかもしれないので、もう少し使いたいと思います。

 いつしかブルマが貴女にとって、性を楽しむ道具として大切になってきたのですね。
新婚生活で毎晩エッチとは、羨ましいと思う方も多いことでしょうね。
ご主人もブルマ好きで良かったですね。


りいさん(40代)より 7/20

もうかなり前の話になります。
私が小4の時に母が家を出て行き父と2人暮らしになりました。
母が出て行ってからは元々気性の荒い父はますます酒に溺れて私にも辛く当たるようになりました。
しかし私が生活していくためには父と暮らすしかありませんでした。
父は定職につかず露店商と日雇いの仕事を繰り返していました。
私は中1の時には父の仕事を手伝わされていました。
自分の生活費くらい自分で稼ぐくらい働けといわれ学校も休み休みで各地の祭りでいろいろな店番をしました。
着るものもほとんど買ってもらえず学校ブルマーとジャージしか着るものが無かったです。

当然あちこちで警察に「中学生働かさせたらダメだろう」と言われても父は「こいつはオレの娘で18歳だ」と言い張っていまし
た。
確かに私は体格が大柄で恥ずかしかったのですが中1の時には身長が168センチ体重も70キロくらいあり胸もお尻も大きかったで
す。
でもきちんと合うブラジャーを買ってもらえず普段はノーブラでたまに学校へ行くときはスポーツブラみたいなのをしていまし
た。
初めて父からお金をもらい下着を買いに行ったときもサイズの選びかたを知らなかったので激安衣料品店の100円のなるべく大きめ
なブラを買いました。

結局中学校にもろくに通わなかったのに日々の仕事でシミだらけのジャージとブルマーを3年間着ていました。
日焼けで真っ黒だったしいくらシャワーを浴びても毎日脂と煙の匂いがまとわりついて落ちなくて学校にも行きたくなかったのも
本音でした。
中3の時にはもう露天商生活も板についてきたせいか警察から声をかけられることもなくなりました。
夏の暑い日にはブルマー姿でエプロンをつけてチョコバナナを売ったりしていると隣の店のおじさんから「色っぽいなー」と言わ
れたりしました。
実際不規則な生活で体格はますます大きくなってしまいブルマーも食い込み気味だったし体操シャツも胸がパンパンでした。
でも父はほとんどお金をくれないのでジャージとブルマーしか着るものがなかったから仕方なくムチムチ姿を晒していました。

高校には当然行けずそのまま卒業して父はあとはお前の自由にしろと言われました。
その時に父は「ここまですまなかった」とまとまったお金の入った通帳をくれました。
父は父なりに苦労していたんだと初めて気づき涙が出ました。
その後2ー3年は父の仕事をそのまま手伝いました。
髪を金髪にしちゃったり服もいくつか買いましたがやっぱり私にはムチムチのブルマーが合っているような気がしていつも中に履
いていました。
今でこそ私も家庭を持つことができましたが子供たちを連れてお祭りに行くと昔の記憶に胸が疼きます。

 苦労された時代の思い出に、ブルマが深く関わっているのですね。
家庭を持たれ生活も安定すると、その当時のことが懐かしく思い起されるのですね。


エリカさん(32)より 5/10

今日は、エリカです。

屈辱的な三軍降格の日々でしたが、降格式の日の屈辱は、今でもはっきりと覚えています。
無理もありません。毎朝、練習に出かけるためにはスクールブルマ&体操服に着替えなければならないからです。三年
生にもなって三軍の私は、自宅から大学までの行き帰りも練習時間です。

降格式の翌日、本格的に三軍部員としての練習が始まるという朝、着替えをして、最後のブルマに足を通す時、ものす
ごい屈辱でした。前日の屈辱が蘇ってきました。鏡を見ながらブルマの裾を直していると、昨日同じようなシーンで四
年生からかけられた言葉を思い出しました。
「ほらっ、鏡で自分の姿を見てご覧。何てみっともない格好だろうね」
「さっきまで一軍だった部員とは思えないね」
部室にはユニフォームや練習着に着替えた後のチェックのために大きな鏡があって、その方を向かされました。そこに
は惨めな二十歳の女性アスリートの姿がありました。私は童顔ではないし、ブルマが似合う体型、ルックスではないの
ですが、そのアンバランスがかえってみっともなさを強調していました。
しかもおかっぱのようなヘアスタイルに赤いハチマキを締めた顔が、わざと幼く見せているアンバランスを際立たせて
いました。それまでロングヘアだったのをわざと短髪にはせず、肩にかからない程度の長さまで切るように四年生に指
示されていましたが、これはそういう狙いがあったのです。
ちょうど女優の広瀬すずさんのようなヘアスタイルに、わざと前髪を少し垂らし、両サイドで髪を縛り、ツインテール
にしていました。
これで屋外の練習をしたり、学外をロードワークしたりすれば、到底高校生以下には見えないでしょう。大学生が懲罰
でこんな格好をさせられているということはまるわかりです。

「ブルマを穿いてみた感想はどう?」
「正直に言いなさいよ!」
「これから毎日この格好だよ」

「し、正直、物凄く恥ずかしいです」
「生まれて初めてブルマを穿きましたし」
「物凄い屈辱です。元一軍のプライドがズタズタになりました」

「何言ってるのよ、まだ序の口じゃないの。これからもっともっと恥ずかしい思いをするんだよ」
「プライドがズタズタになりましたって、まだ三軍の練習も始まっていないじゃないの」
「生まれて初めてブルマを穿けてよかったじゃないの。小学生でも穿けるチャンスがないんだし」
「まあ、いいわ。着替えも終わったところで、みんなに三軍就任の挨拶をしなさい」

ここから先のことはエアポケットになっていて、ほとんど覚えていません。三軍の挨拶はあらかじめ四年生からメモを
手渡されていたのと、その後も何かの折に何度も繰り返したので、十年以上経った今日でもすらすら言えますが、その
後の練習のことはまるで覚えていません。あまりの屈辱に記憶が飛んでいるようです。
柔軟体操を終えて、すぐにロードワークをしたのですが、周りのひとの反応はまったく思い出せません。むしろ覚えて
いるのは翌日の練習からです。

>2年生まで1軍だった人ならそのまま維持出来そうな感じがしますが、3年になって急に3軍まで落ちることってあ
るのですね

調子が出なくて二軍で調整、調子がよさそうなので一軍で使ってみよう、というようなニュアンスの一軍と二軍の入れ
替えはけっこうあります。二軍で調整というような場合、練習メニューも違いますし、完全な二軍落ちでも上級生の二
軍部員が同級生や下級生の一軍部員から下級生扱いを受ける、人格を否定されるような扱いを受ける、というようなこ
とはありません。そこが二軍と三軍の大きな違いです。
ただ、私の場合、完全な二軍落ちであったことは事実です。極度の不振の理由はわかりませんが、女性のアスリートに
はよくあることです。それに恋愛禁止のルール違反のペナルティが加わって三軍落ちとなったという次第です。
懲罰による三軍落ちは段階的にとりあえず二軍に昇格してということは認められず、脱出するには一気に一軍の実力あ
りと見做される必要があります。そこが厳しいところです。
いずれにしても一軍の壁は厚かったということですね。その年と翌年は、特に下級生で実力のある子が多かったし、調
子の良い時の私よりも凄いという子も何人かいました。

同じことを繰り返すようですが、降格式の翌日、三軍最初の日の朝、自宅でブルマと体操服に着替える時、特にブルマ
に足を通す時、物凄い屈辱感がありました。
前日の悪夢のような屈辱が蘇ってきました。
にもかかわらず、今日も、いや、今日からずっと同じ屈辱を受け続けなければならないのです。
昨日はすべてが初めてのことで、半ば無我夢中で屈辱を感じている余裕もないぐらいの部分もありましたが、今日は昨
日の記憶が鮮明に残っています。頭の中にも胸の中にも体全体の奥の方から屈辱感が溢れ出てくるようでした。
ブルマの裾や体操服を整えるために、鏡をみると、自分の惨めな姿が映っています。昨日、部室で上級生から見せられ
たのと同じ、紺色に二本の白線がサイドに入ったスクールブルマ(無地の時もありますし、色もブルー、グリーン、
赤、エンジなど、白や黒の時さえありましたが)、ブルマと同じ色の縁取りが首や袖にある体育の時間にお馴染の体操
服、そして決定的に屈辱的な文言の入ったゼッケン「三軍、三年生、○○エリカ」、赤いハチマキ(赤、エンジ、白の
ブルマの時は裏返して白いハチマキにしました)、ヘアスタイルは肩にかからない程度に切りそろえた髪を、両側で
縛ってツインテールにして、おでこのところは少し垂らす、いかにも昔の中学の女生徒のようで、女優の広瀬すずさん
とデビュした頃の長澤まさみさんを足したような感じです。

童顔でも幼児体型でもない私にはまったく似合わず、大学生かOLの年齢の女が、ペナルティか変態プレイで、わざと
昔の中・高校生の格好をさせられていることはまるわかりです。
下級生の教育係から指導を受けるうえで、上級生・下級生の上下関係よりも、一軍と三軍の上下関係を服装の段階から
はっきりさせて、下級生の教育係が指導をやりやすくためですが、私にとっては直前まで一軍だった人間から徹底的に
プライドを奪い、心身ともに三軍に貶め辱めるものでしかありません。
鏡に映った自分の惨めな姿に前日の屈辱をひととおり思い出した後、深呼吸して思わずしばらく目をつぶると、意を決
すると自宅を出ました。
大学への行き帰りもブルマ姿を晒さなければならないのは、かなり辛かったです。特に、帰りが精神的にも辛かったで
す。練習が終わって、一度ほっとした後、またブルマを穿くのは物凄い屈辱でした。特に、居残り特訓をさせられて、
シャワーを浴びる時間も与えられず、しかも教育係の虫の居所が悪く、洗ってあるものに着替えることも許されず、練
習の汗と泥でドロドロになった体操服・ブルマに汗臭い体のままで、帰宅しなければならないのは、年頃の女性として
これほど恥ずかしいことがあるでしょうか。もっとひどい時は、わざと電車で帰ろうと強制される時です。情けないや
ら、恥ずかしやら、電車の中で身の置き所がないという感じでした。

大学は自宅から電車で二駅のところにあるのですが、一つ目の駅寄りにあることと、線路が山裾をかなり迂回して走っ
ているため、直線距離を進めば歩いても行けない道のりではありません。
だから練習の時は、ジョギングを兼ねて走って大学までゆきました。初日の道筋の光景はほとんど覚えていません。や
はり初めのことでエアポケットになっているようです。思い出すのは、何日か経って、周囲のことにも気が回るように
なってからのことばかりです。

すみません。肝心の練習の時の話に入らないうちに、長くなってしまいました。続きはまた。

記憶から無くなってしまうこともあるのですね。
あまりに屈辱的で恥ずかしく辛い出来事だったということなのでしょうね。
こんな出来事は最初だけでなく、これからもいろんな場面であるのでしょうね。


エリカさん(32)より 4/19

今日は、エリカです。
また、私の大学時代の部活の屈辱的な思い出をお話いたします。
高校時代もほとんどレギュラーで過ごし、大学でも一年生からずっとレギュラーだった私ですが、三年生になって、
ゴールデンウィークが明けた頃から調子を落とし、それもかなり極端なスランプだったので、夏休みに入る頃には二軍
降格は時間の問題でした。
七月に入って早々、幹部の四年生たちに呼び出され、二軍どころか三軍降格を言い渡されました。二軍とは違い、三軍
降格は懲罰的なものです。あまりにも酷いスランプなので精神的にたるんでいるからだ、一から性根を鍛え直して出直
させる、という意味と、恋愛禁止のルールに違反したペナルティという意味とがありました。

四年生からは、二三日後に全部員に私の降格を発表するが、正式な三軍降格はもう少し後なので、その間に進退を考え
ておくようにと言われました。
というのも、三軍は二軍とは違い、人格を否定され、大学生としてのプライドをズタズタにされるような屈辱的な扱い
が待っているからです。
練習着は、昔の高校生が体育の時間に使っていたような体操服とスクールブルマを着用し、名前や学年、三軍と書かれ
たゼッケンを付けなければなりません。
教育係は下級生の一軍部員がわざとあてがわれますし、二軍の一年生に対してでさえ、「先輩」と呼び、敬語を使わな
ければならないのです。
しかも当時三軍は私ひとりだけです。つまり部内には私より下の地位の部員も私と同じ地位の部員おらず、私はすべて
の部員の後輩、下級生扱い、高校生と同じ扱い(実際は合宿で高校よりも下の扱いを受けましたが)なのです。
こういう扱いを受けるぐらいなら、今回のスランプを選手としての限界と考えて引退しては、というわけです。

しかし私は即座に部活を続けたいと答えましたし、後日のミーティングでみんなの前で降格を言い渡された時も、決意
は変わらないと誓い、是非、遠慮なく高校生扱いをして欲しいとみんなにも言いました。正確にはそういう風に誘導さ
れた面が多々ありますが……。
明日から夏休みという日の午後にミーティングがあり、最後に私のいわば「降格式」みたいなものが行なわれました。
わざと一軍の試合用のユニフォームに身を包んだ私が真ん中に立たせて、みんなが輪になって取り囲みます。そして、
全部員の前で、一軍のユニフォームから三軍の練習着、スクールブルマと体操服に着替えさせられるのです。
自分で脱ぐと言ったのですが、それは認められず、一年生の一軍部員がひとりずつ命じられて、上着、ハーフパンツ、
靴や靴下といった具合に脱がせてゆき、最後は同じ高校出身の一年生に、スポーツブラとアンダーショーツ、インナー
を剥ぎ取られました。まさに剥ぎ取られたという表現がピタリでしょう。この時に私の一軍部員としてのプライドも剥
ぎ取られましたから……。

さすがにインナーを下げられる時には思わず目をつぶってしまいましたし、思わず涙がこぼれそうになるのを必死に堪
えました。私はあまり涙を見せない性質というか、うまく涙を流して周囲の同情を得るということができない性質です
が、それでもその時の私の顔は半泣き状態だったのでしょう。
「おや、エリカ、泣いているの?」
「さすがのエリカも三軍降格はショックみたいね」
「辞めてもいいのよ。今からでも間に合うよ」
などと四年生から揶揄されました。
後々も練習中のシゴキや罵倒よりも、練習前、練習後、あるいはインターバルでのこういう言葉責めの方がよほど答え
ました。練習中のブルマ姿を部外、学外のひとにも見られるのも恥ずかしかったですが、後でその感想などをあれこれ
聞かれて弄られるのはもっと堪えました。

丸裸のままでなかなかブルマと体操服を渡してもらえず、同級生の三年生や下級生からも、
「今辞めても決して恥ずかしいことではないよ」
「限界は誰にでもあるし」
「三軍に落ちるともっと恥ずかしいことがあるし」
「こんなみっともないエリカさんの姿、もう見たくないです」
「憧れのエリカさんが、こんな晒し者になるなんて」
などと言われました。

ようやくパンツ、ブラが手渡され、ゼッケン付きの体操服、そして三軍の象徴、スクールブルマと今度は自分で身につ
けてゆきました。一軍の象徴であるユニフォームは下級生から毟り取られ、三軍の象徴であるブルマ体操服姿には自ら
の意志でなるという意味でしょうか。
さらに、昔の小学生がしていたような紅白のハチマキを締め、最後に体操服をブルマの中に入れ、ブルマの裾を整えな
がら引き上げると、みんなから意味不明の拍手が起きました。
パンツもブラもスポーツ用のものではありません。ブルマも体操服もサイズが小さめなので、おそらく練習でちょっと
大きな動きをすると、簡単にハミパン、ハミ尻になりそうでした。
徹底的に私に屈辱を与えようという魂胆でしょう。

「エリカ、ブルマを穿いてみた感想はどう?」
「三軍の指導員までした人間が、まさか自分が三軍に落ちるとは思ってもみなかっただろう?」
「自分の姿を鏡で見てごらん」
「見られたもんじゃないね。とても大学生とは思えない」
「本当は後悔しているんじゃない?」
「正直に今の気持ちをいいなさいよ!」
「辞めたければ辞めてもいいんだよ、認めてあげるよ」
などと四年生からは散々なことを言われました。

後で聞いた話ですが、口先とは裏腹に四年生たちは、この降格式の時点ではすでに、私が絶対に部活を辞めないと確信
を持っていたそうです。辞めるなら三軍降格を内々に言い渡した時にしているだろう、シーズン途中で諦めたくないと
いう私の意志は固く動かないだろう、と読んでいたのです。いわば確信犯的に、私に屈辱を与えようと降格式を執り
行ったのです。
一方、同級生や下級生は、数日前のミーティングでいったんは三軍で頑張ると全部員の前で公言したものの、この降格
式を初めとして三軍降格後の最初の二週間ほどの間に私が受けた散々な屈辱的な扱いに辞めてしまうものと思っていた
ようです。

いったん三軍に落ちると、途中で自分の方から辞めると言い出すことはできないルールになっていました。ましてや私
の場合、無期限の三軍降格です。三軍の場合、懲罰的な要素があるので、脱出方法として二軍昇格ではだめで、一気に
一軍昇格しなければなりません。二軍の上位クラスの実力であっても、永遠に三軍のままとなってしまいます。
だからこういう風に四年生の方から退部の勧めの声がかからないと辞めるチャンスはないわけです。しかし夏合宿を目
前にしてのミーティングでも意向を確認されましたが、私の意志は変わらず、その代りみんなの前で部活を続けさせて
くださいとお願いさせられ、どうか遠慮なく中学生以下の扱いをしてくださいとお願いさせられました。

というのも夏合宿は系列の高校との合同合宿が恒例となっていて、運悪くその年は日程の関係で二回ある夏合宿の二つ
とも高等部との合同になっていました。高等部に三軍はなく、三軍の私は当然、彼女たちよりも下の扱いを受けること
になるわけです。そのことがわかっていながら部活を続けたいという私を理解しかねた同級生や下級生は、それまでは
私を下級生扱いすることにかなりの躊躇がありましたが、とうとうまったく遠慮がなくなりました。
無理もないですね。私自身はシーズン途中で一軍復帰を諦めたくない、まだ自分は限界だとは思わない、どれだけ辱め
を受けようとも頑張る、と思っていても、はた目から見れば、どんな辱めを受けても堪えない「変態」「マゾ」と映っ
ても仕方がないですね。
それ以上に、高等部の部員たちの前でも惨めな三軍の姿を晒すということは、私ひとりの恥ではなく部全体の恥でもあ
るからです。部の恥さらし、大学の恥さらし、ということですね。
でも、同級生や下級生までもが、シゴキだけではなく、屈辱を与えたり、恥を掻かせたり、晒し者にしたり、というこ
とに遠慮なく加わるようになったことは、まったく計算外でした。ちょっと時期が早過ぎるなと思ったりしました。

降格式の続きやその後のこと、合宿でのことなどは、いずれまた書きますね。

 2年生まで1軍だった人ならそのまま維持出来そうな感じがしますが、3年になって急に3軍まで落ちることってあるのですね。
まさか、自分がそこまで落ちるとは思うことなど全く無かったでしょうから、焦りやショックもあったでしょうね。
これまで他の方の告白にあったような、振り落されて3軍になり、自ら止める選択肢が無かったとはよけいにきつかったことでしょうね。


エリカさん(32)より 4/18

お久しぶりです、エリカです。
私の大学時代の屈辱的な部活の思い出です。
ちょっと間が空いたので、多少重複しますが、初めてのひとにもわかるように最初から整理して書きますね。
私の大学でも部員が一軍から三軍まで分けられていて、三軍に落とされると練習着としてブルマを穿かなければならな
いのです。もちろん陸上競技やバレーボールのように今も昔もブルマを穿いてプレイするスポーツではありません。

三軍の降格は二軍とは違い、懲罰的なもので、必ずしも三軍が二軍よりも実力が下というわけではありません。現に私
が三軍降格を命じられた時、二軍でも上位クラスの実力はありました。しかし半ばでっちあげですが、私が恋愛禁止の
規則に違反したこと降格の理由に含まれていました。半ばでっちあげだというのは、恋愛禁止の規則は、ほとんど守ら
れておらず、みんな適当に恋愛を楽しんでいました。私が懲罰を受ける以前にも何年もこの規則で罰せられた部員はい
ませんでした。
実際も、遠距離恋愛のカレが帰省したものの部活のため会えず、再び勤務地に帰るのを駅で見送っただけなのですが、
タイミングが悪かったのです。当時、私は調子を落としていて二軍転落の危機にありました。のんきに男とデートをし
ているなど、たるんでいるということなのでしょう。しかも運悪く四年生だけではなくOGのひとたちにも見られてい
たのです。

一年生の時からずっとレギュラーだった私ですが、三年生のゴールデンウィーク明けの頃から調子を落とし、これから
レギュラーでバリバリ活躍しなければならないという時に、よりによって三軍に降格させられてしまいました。学校や
レベルの違いはありますが、高校時代にも二軍生活さえほとんど経験したことのない私にとって、ましてや三軍降格と
いうのは屈辱的なことでした。
二軍は一軍とは実力の差だけで、ふだんの待遇は一軍とあまり変わりませんが、三軍は前述のようにブルマを穿いて練
習しなければならないなど、人格を傷つけられるような屈辱的な扱いが待っています。しかも上級生になるほど屈辱的
な扱いの度合いが増すのです。上級生にもなって三軍で低迷している部の恥さらしに思い知らせるという意味です。

もともと下級生ほど将来性を期待されているので、よほど体力的技術的に劣っていない限り、三軍への降格はありませ
ん。降格しても一年生には一種の猶予期間があって、秋に四年生が引退するまでは一軍や二軍と同じ練習着が認められ
ます。
秋になるとブルマ着用を強制されるのは、二軍や三軍の指導は原則として二年生が当たることになっているため、この
時点では同じ一年生からの指導を仰ぐことになるからです。同級生といえども、一軍・二軍と三軍との間にはけじめを
つけるために、練習着もブルマということです。
二年生の夏になると、三軍にはわざと一年生の一軍部員が教育係としてつけられます。私も一年生の時に、出身高校は
違いますが二年生の先輩の三軍部員の指導員になったことがあります。結局、その先輩は質力に限界を感じたのか、秋
になって辞めてしまいました。二年生の時は、上級生はいませんでしたが、やはり三軍部員の指導員になりました。
その私が一年後には一年生から指導受ける三軍部員に転落してしまったのです。

私自身も詳しくは知らなかったのですが、というのも私が入部する二三年前から三年生以上で三軍に落ちたひとがいな
かったためですが、三年生になると、同じ三軍でもさらに屈辱的な扱いが増えるのです。ただし私の降格に合わせて、
元々あったルールにさらに酷い扱いを増やしたようなのですが……(笑)。
まず、二年生までは同じブルマでも昔のバレーボール部が使っていたようなブルマです。昔の大学生でも部活の練習な
どで使われていたデザインのもので、私の大学の部でも入部する十年位前までは一軍・二軍のひとも練習着として使っ
ていたそうです。
ブルマ世代ではない私たちのとっては、それだけでも恥ずかしいのですが、三年生になると、昔の高校や中学の体育の
授業などで使っていたブルマ、いわゆるスクールブルマを穿かなければならないのです。上着は半袖の首回りや袖口に
ブルマと同じ色の縁取りのあるあの体操服です。実際にも系列の高等部で何年か前までは体育の時間に使われていたそ
うです。

決定的な違いは、体操服の前後に、「三軍、三年生。○○エリカ」と書かれたゼッケンを付けなければならないこと、
ブルマの前後にも名札を付けなければならないことです。これはロードワークをした時に、学内はもちろん学外のこと
にも恥を晒すことになります。
要は、一年生の指導員の前で、自分は先輩でも上級生でもありません、どうぞ遠慮なく後輩扱い、下級生扱い、いや、
高校生扱いをしてください、と服装の段階から姿勢として示しているわけです。
また、言葉遣いも、二年生までは下級生や同級生の指導員に対しても「○○さん」と呼び、敬語を使わなければなりま
せんが、三年生になると、相手が下級生であっても「○○先輩」と呼ばなければなりません。逆に指導員からは、二年
生までは「○○さん」と呼ばれますが、三年生になると「○○」とか「エリカ」とか、名字や名前を呼び捨てにされます。

問題はブルマと体操服を着用する時間帯で、「練習時間中は部で指定された練習着を着用すること」というルールに
なっていますが、三年生になると「練習時間」の範囲が広がるのです。どうもこれは元々あったルールだけではなく、
私の降格に合わせて新たにルールが加えられたようなのです。
合宿中は二十四時間練習時間と看做されるので、ブルマと体操服も二十四時間着ていなければなりません。もちろん練
習で汚れたものは着替えを認められますが、フリータイムに買い出しに行く時なども着ていなければならないので、外
部のひとにまで見られる恥ずかしさは並大抵のものではありません。ここまでは二年生まででも同じです。

しかし三年生で三軍の私の場合、ふだんの練習の時も、夏休みや休日の場合、行き帰りにもブルマを着用しなければな
らないのです。つまり自宅から大学までブルマ体操服姿で行き帰りしなければならないのです。通常であればロード
ワークを兼ねて走って行き帰りすれば何とか済みますが、帰りにみんなで食事しようという時、練習の区切りみたいな
日の打ち上げとか、誰かの歓迎会とか慰労会とか激励会とかで食事をする時、私だけ練習着のブルマ体操服姿で参加す
ることになります。この時間帯も部活の練習時間に含まれるからです。
さらに一軍の試合の応援とか、二軍の試合に参加する時も練習時間に含まれるので、試合場への行き帰り、試合場で
も、部外のひとに屈辱的な姿を晒さなければなりません。二軍戦では、私だけ試合用ユニフォームを支給されず、ブル
マ姿でプレイしなければなりませんでした。

特に三軍降格後、三日ほどして一軍の試合があり、ブルマ姿で応援に行かなければならなかったことです。まだブルマ
姿に慣れていない時でしたし、直近まで一軍部員だったプライドも捨て切れていない時でしたので、物凄く屈辱的でし
た。もちろん今時小学生も穿かないブルマで練習するのは何日経っても慣れるということはありませんし、元一軍のプ
ライドも簡単に捨て切れるものではありませんが、三軍に落ちて日の浅い時だったので、いきなりドーンとどん底に落
とされた気分でした。
案の定、他の大学のひとたちに注目され、選手だけでなく、応援に来ていた女子学生、男子学生、女子高生などにも注
目されてしまいました。
これだけは避けたかったのですが、他の大学へ進学した高校時代の同級生や先輩・後輩にも見つかり、「エリカ、その
姿、いったいどうしたの?」「エリカさん、まさか、補欠に降格されたのですか?」などと聞かれ、やむなく今の自分
が置かれた境遇を説明しなければなりませんでした。みな、絶句していました。

でも、情けないことに、屈辱的な一日が終わって帰宅し、ブルマを脱いでお風呂に入っていると、なぜか体の奥が熱く
なってくるのです。自然と手が伸びてしまいした。お風呂からあがってからも火照りがおさまらず、しばらく食事も取
らずにベッドでオナニーしてしました。自分の体にいったい何が起きているのか、わけがわかりませんでした。これを
マゾっ気というのでしょうか……。

翌日も試合の応援があったので、ブルマ・体操服に着替えようとすると、前日のように体の奥の方が熱くなってきまし
た。出発の時間になってもおさまらず、やむなく電車に乗って試合場に向かいましたが、電車の中でも、試合会場に着
いても、しばらくはなんだか落ち着きませんでした。

試合が始まる頃にはおさまったので、応援の最中にパンツやブルマを濡らすという失態はさけられませんでしたが、試
合の後も一軍選手の激励会があって居酒屋チェーン店に行ったのですが、その間も気が気ではありませんでした。
帰宅すると、また昨日以上に体が火照ってきて、半ばやけくそになって体が求めるまま思いっきり自分を慰めました。
そのうちにだんだんとわかってきたのは、どうも私は恥ずかしさと快感が裏表みたいなようで、だいたい恥ずかしい思
いをした時よりも、これから辱めを受けるとわかった時に感じる傾向があるということです。

だから朝、ブルマに着替える時、ブルマ姿で大学に着いて指導員の到着を待っている時、などにすごく感じてしまうよ
うです。それから散々屈辱的なシゴキを受けて、練習が終わった後、特に帰宅してブルマを脱いだ時や入浴の時などです。

ちょっと長くなりましたので、続きはまた。

 厳しく鍛えられることで、眠っていた貴女の中のM性が目覚めてきたのでしょうか。
そんなことで濡らしてしまってと、お仕置きを受ければもっと、淫らな心に火がついたかもしれませんね。
その後、そんな貴女の性癖を見抜き、受け入れて屈辱的な仕打ちをしてくれた人との出会いはあったのでしょうか。


麻奈美さん(30)より 3/28

初めて投稿します。
私は小学校5年まで親の仕事の都合で外国に住んでいたので、日本人学校に行っていて、6年の時に帰国し日本の小学校に転校しました。
日本人学校では、体育の授業の服装は動きやすければ何でもよかったので、Tシャツにハーフパンツでしていました。日本の小学校に転校して、
自己紹介をしたあと、先生と保健室に行きました。体操服の採寸をするためです。日本には体操服なんてあるんだと思いました。採寸をしたあ
と、白いシャツと紺色のブルマを渡され着替えるように言われました。私は言われるまま着替えて、ブルマを手に取ってビックリしました。下着
みたいじゃん。私はとりあえず着替えて、シャツでブルマを隠しながら、先生に「ズボンは無いんですか?」と聞きました。

先生は「そっか。日本人学校にはブルマは無かったの?」
「はい。動きやすければ何でもよかったので、ハーフパンツでした。」
「初めてだったら恥ずかしいかも知れないわね。でも日本の学校では女の子はみんな履いてるから、すぐに慣れるわよ。」
カルチャーショックでした。それでも私がモジモジしていると先生が、私のブルマへシャツを入れて、
「シャツはしっかりブルマへ入れること!大丈夫かわいいし、似合ってるわよ。うちの小学校は毎日登校したら、体操服に着替えることになって
るの。明日からは服の下にシャツとブルマを着てくるのよ。」
私は一年中この格好で過ごすのは、創造も付きませんでしたが、先生と教室に戻ると女の子はみんなブルマに着替えていたので、少し安心しまし
た。ちなみに男の子はチョンチョンの短パンでした。隣の席の女の子に一日中ブルマって恥ずかしくない?って聞くと、1年の時からだから恥ず
かしくないよと言っていました。逆に体操服忘れて私服で過ごす方が、みんなと違うから恥ずかしいそうです。そういう物か、私も早く慣れよう
と思いました。

その日の帰宅後、母にブルマを見せて「日本の学校は、こんなの履かないといけないんだよ」と言うと。
母は普通に「そうよ」と言いました。母が子どものころも履いていたそうです。
私はあまりにもあっさり返されたので、少々面食らってその後の言葉を失ったので、ちゃんと毎日洗濯してよ!とだけ言って部屋に戻りました。
これはもう諦めるしかないと思いました。
一年生の頃からブルマの子たちと違って、恥じらいのある高学年デビューの私は最初は抵抗もありましたが、やはり友達の言ったようにみんなと
一緒だとすぐに慣れました。先生や友達も私に気を使ってか、かわいいとか、似合うよと言ってくれたので、抵抗も無くなったのかも知れませ
ん。
今日はこれまでにして、また、思い出を投稿します。

 ブルマって他の国では似たような物は無いのでしょうか。
最初は抵抗感があっても、一度履いて慣れれば快適で良かったのかな。


みさき(美咲姫)さん(36)より 2/28

今回も、高校時代の話です。私の高校のグランドは、300mほどの商店街を抜けた先にありました。グランドに行くときもジャージの着用は禁止。
シャツは弛ませずにブルマに入れて、2列縦隊で駆け足でグランドに向かうという厳しいルールがありました。毎日続けていたら、じきに慣れた
のですが、たまに商店街に用が無さそうな、首からカメラを下げた男の人を見かけました。流石にそういうときは気持ち悪いので、みんなダッシ
ュでグランドに向かいました。私の高校は女子が多く、全校で900人くらいの女子がいたので、そういう人たちにしてみれば、いつ来ても取り放
題だったんでしょうね。他の高校に行った友達に聞いても、ハイレグタイプのブルマやグランドまで公道を通って行く学校は無かったみたいなの
で。

6月からは、7月にある体育祭の練習をしていました。1年生が披露する伝統の学校オリジナル体操や、団ごとに行う女子だけのマスゲームの練
習など(男子は棒倒しなど)覚えることがたくさんあるので、練習には力が入っていました。毎日シャツやブルマが泥だらけになるので、母も洗
濯が大変だから3枚ずつ買っておいて良かったと言っていました。シャツとブルマには名前の刺繍を入れなければならないから、後から注文する
のも大変ということで、多めに買っておいて良かったです。一枚しか買ってなかった子は、後から注文してましたが、届くまで時間がかかるの
で、苦労していたみたいですよ。

体育祭当日は、日曜日で商店街もほとんどが休みなので、多くの人が見学に来ていました。体操もマスゲームもしっかり練習していたので上手く
いきましたが、ハイレグブルマは中学までのブルマと違い、生地も薄くくい込みやすかったので、女子だけの体育の授業では慣れていたので気に
ならなくなっていたのですが、近所のおじさんたちに見られるのは本当に嫌でした。競技中には絶対に直すこと禁止されていたので、激しい体操
の最中はくい込み放題でした(笑)。でも、終わったあとの拍手や大歓声は心地よく、体も熱くなってきて、
マスゲームの時にはそんなことも忘れて楽しめたと思います。気持ちが乗ってくると、恥ずかしさよりも楽しさが勝るものなのですね。

なんだかんだ言って、基本的に体育祭は好きだったのですが、高校時代が一番燃えて思い出に残ってます(笑)
体育祭の当日は、関係者意外カメラの持ち込み禁止となっていたので、盗撮の被害の心配はありませんでした。私たちが心配していたことを先生
たちも分かっていてくれたんですね。先生たちに感謝です。

やはり、町に出れば撮影をしようとする人が居たのですね。
マニアの間では、貴女の学校は有名だったのでしょうね。


優那さん(36)より 2/21

私の思い出は、中学生時代のお話です。
私は、小学生の間は公立で中学から私立校にいきました。
小学生の間は体育の時はハーパンでした。校則も緩い学校でした。
中学は、私が小学生時代に水泳をしていたのでその推薦で入りました。
中学に入学するとまず制服合わせがありました。
制服の採寸がすめば次は身体測定がありました。そのときに体操服もあわせました。
更衣室に呼ばれると女の先生が立っていました。

そこで、体操服を見てびっくりしました。ハイレグブルマと生地の薄い体操服でした。
そこで服を脱いでいくと先生が「ブラも外して」と言われた時には衝撃的でした。
この学校の規則で上の体操服は肌の直に着るのがルールでした。
先生が「小学校の時、ブラつけててよかったの?」
私「はい、透けるから白の肌着も着てよかったです。」
先生「ひょっとして○小の子?」
私「そうですけど...
先生「やったらブルマも初めてってこと。だから恥ずかしそうにw
慣れるのは時間の問題みたいよ。あなたの先輩でもそういう人いたから大丈夫よ。」
私「..そうなんだ大丈夫かな。」
先生「最後にシャツは中にしまうこと。シャツの入れかたも上の体操着を引っ張ってからブルマに入れる。やってみて。」
やってみると
先生「足長いな~似合ってるよ。ルックスもいいんだから自信もっていいよ。次、身体測定は、体育館の2階やから。」
私は体育館にいくとクラブの先輩が大勢いました。右側には男の子左側は女の子でちょっとやんちゃそうな
女の子も私のように真面目に規則を守っててびっくりしました。
また投稿します。

 集団の中だと、それまでの感覚とは変わっていくのでしょうね。
その後、いろいろな恥ずかしい出来事がありましたか?


さりあさん(19)より 2/21

彼に着させてもらってブルマーに興味を持ちました。
これだけピタピタの着心地は他にはあまりないんじゃないですか?
あと手触りがすごく良いので、一人のときに着て楽しんでいたりもします。
彼とパソコンを見ながら一緒にそれを着たときのことを考えるのも楽しいです。
新しく買ったブルマーで最初にエッチするとき、なぜかいつも初エッチみたいになってしまうのが不思議というか楽しいです。
これで外へ行くとかなったらちょっと無理。
昔の高校生とか中学生はしてたと思うとすごいな、どんな気持ちだったのか想像してしまいます。
もう少し早く出会えていたら私も学校へ着て行けたりどんな気持ちか経験できたのにと思うとちょっと残念。

憧れっていうか嫉妬というか、そんな事ですけど。
彼が中学生のとき好きだった子がいたのに告白とかもできなくて、結果その子を大人の人に取られてしまったらしいです。
それでその子が体育祭のときその彼氏さんを学校に呼んだらしくて一緒にいるのを見て、すごく悔しかったけどそのと
きのブルマーが好きだったんだって。
彼はちょっとおじさんの入ってきてしまっている感じの年齢で私なんかが知らない世界も知っている大人だけど、そん
な頃の話をしてくれて嬉しかったけど、悔しいと思ってくれるような子も居なかった私にはちょっとだけその子が羨ましいです。
私はその子の代わりじゃないし代わりだったら悲しいけどそうじゃないのは分かっているので、私も一緒に楽しませて
もらいながら彼のそんな昔のくやしかった思いが少しでも薄まってくれたらいいかなって思っています。

ブルマーを好きになってから、やっぱり髪型とかも合うほうがいいかなと思って去年の秋にショートの前髪ぱっつんにしたりとかしていました。
中学生みたいって、めっちゃ笑われてしまった。
でもそれだけブルマーが似合うっていうことだから本当はちょっと嬉しくて、彼にも「やばい!」ってすごく喜んでもらえました。
今は少し伸びて2つ結びとかがちょうどいい感じです。
たぶん若返ったと思います。

別にこれって決まっているわけではないんですが、ブルマーごとに違う私のイメージというかキャラみたいなのがあっ
て、たとえば青のだったら付き合っている先生と生徒とか赤の2本線だったら同じ先生と生徒でもレイプとか。
そういうふうになると思ってもいなかったので最初はどうなんだろう?って正直思いました。
でもその切り替えが楽しいというか、演じているようなつもりはないんですけど、何かそういうのもいいのかもって今は思っています。

学校でブルマーをはいたこともなく来て、まわりの友達とかもそうなので今まで誰ともこういう話ができず寂しかったです。
だからこういうところがあってすごく嬉しかったです。
ありがとうございました。

  ブルマの現役世代でない方からの投稿ですね。
年が離れた彼なのかな?ブルマに似合う髪型にして、とても喜んでくれて良かったですね。
1人、ブルマファンが増えたようですね。


美咲姫さん(36)より 2/21

お久しぶりです。
高校の頃の話です。私の高校はハイレグブルマで、生地も薄く、くい込みも激しいものでした。入学早々、体育の授業でブルマの履きこ
なしや、くい込みを直すためにブルマに触れることを禁止(シャツを入れるために触れることはよい)徹底的に指導されていたので、数
週間もすれば、みんなくい込みも気にならなくなっていました。

4月は以前も話しましたが、毎日体育館で団体行動や体操(高校のオリジナル)の練習をしていたので、普通の体育の授業は5月が最初
でした。私の高校のグランドは300mほどの商店街の先にありました。5月になって、みんなやっと普通の運動ができると喜んでいまし
た。その日は、天気も良かったので、授業はグランドで行われることになりました。さすがに商店街をブルマで歩いていくのは抵抗があ
ったので、ほとんどの子がブルマの上にジャージを履いて行きました。グランドにつくと、体育の先生がすでに来ておられて、いきなり
大声で叱りつけられました。理由は二つです。ジャージを履いていることと、時間に少し遅れたことです。みんなはブルマで商店街を歩
くのは恥ずかしいからとか、グランドが遠いからと反論しましたが、完全に言い負かされました。

その当時は女性の先生も本当に強いです。体育祭では商店街の人たちも招待するし、マラソン大会ではブルマで外を走ると言われました。
外部の人にくい込みの激しい体操を見られるのはゾッとしましたが、先生の迫力に諦めました。また、休憩は10分なのですが、すぐに
着替えて走れば十分間に合うと言われました。それからは、遅れるわけにはいかないので、みんな二つ前の休み時間に更衣室に行って、
制服の下にシャツとブルマを着こんでおきました。他の先生たちも、体育の前の授業では制服の下にシャツを着ていても許してくれました。

体育の授業の前の休み時間は、制服を脱いで、走って行くだけです。走り方もうるさく、バラバラに行ってはみっともないので、2列縦隊
で駆け足で来るように言われました。商店街でブルマが恥ずかしいのも最初だけで、じきに慣れるものですね(笑)私の高校は体育の多い
高校だったので、3年間毎日続けることをいつまでも恥ずかしいとは言ってられませんからね。そのおかげでみんな精神的に強くなったん
じゃないかな(笑)

  普通のとは違うハイレグブルマでは、足の露出部分も多く恥ずかしかったことでしょうが、慣れるものなのですね。
そんな貴女達の恰好を、いやらしい視線で見ていた男性も多かったのではないでしょうか。


エリカさん(32)より 2/15

私の場合、怪我や規律違反などによるものではないので、降格そのものは、当時の実力から見て当然だと思います。た
だし三軍まで降格されたのは、どう考えても理不尽ですが……。

降格には、一軍の定員との関係による相対的なものもありますが、その場合、二軍の上級者は一軍の試合に帯同するこ
とができます。大会前の練習や強化合宿、遠征先などでの練習では、試合形式のものが多いので、プレイヤー数の定数
倍の人数がいた方が良いからです。なお、私は三軍にもかかわらず、雑用係として、一軍の試合にたびたび同行させら
れました。もちろんブルマ着用です(笑)。

降格時の私の実力は、一軍および一軍に準ずるレベルとは少し水が空いていました。せいぜい二軍の中級の上ぐらいの
実力でした。
一年生や二年生であれば、今後、実力の伸びや上級生の引退による一軍定数の空なども期待できますが、三年生の私が
降格するのは、もちろんそれらの可能性も考慮したうえでのことなので、いったん降格すると、復帰はなかなか難しい
ものです。
三年生の途中で降格すると、秋になって進退を考えるのが普通です。私もせめて二軍への降格であれば、そのまま三年
生の秋で辞めたかも知れません。でも、三軍にまで降格させられては、このままでは終われないという気持ちの方が強
くありました。

ただ、一軍の部員との実力の差を歴然と感じたことがあります。
三軍に降格して、十日ほど経った頃のことです。三軍降格後、たった十日しか経っていない時と言った方が良いかも知
れません。
三軍に降格して三日ほどして、一軍の試合の応援に行ったことは、前に話したかと思います。ブルマ姿を他の大学のひ
との前でも晒し、大恥を掻きました。その地方の大会だったので、土日と試合があり、勝ち進んだので、翌週も応援に
行くことになりました。土曜日の試合で負けたので、日曜日の試合の予定が空き、応援の二軍部員はお休みになりまし
た。

しかし一軍メンバーだけは、試合後の残念会で食事をした時に、明日は大学で軽く汗を流して、この悔しさを夏休みの
練習、秋の大会に向けてのバネにしようと、誰ともなく言い出しました。この気持ちはついこの間まで一軍選手だった
私には痛いほどよくわかります。

すると一軍のメンバーたちが意外なことを言い始めました。
「エリカもおいでよ。稽古をつけてやるよ。毎日、基礎錬ばっかりで、つまらないだろう」
「三軍に落ちたのにもかかわらず、応援頑張ってくれたし」
「ひとりでも一軍の人間が多い方がいいものね」

断るわけにはいかないので、
「はい、みなさんの練習のお手伝いになるのであれば、喜んで参加させていただきます」
と答えるしかありませんでした。
私の返事に一軍メンバーは、ニヤリとしました。
読者のみなさんもだいたいご想像がついたかと思いますが、
練習に名を借りて、ストレス解消のようにしごかれるのは、
十中八九予想がつきました。

でも、一軍メンバーが汗を流す目的には、他にも理由があります。
同じ一軍でもベンチを温めることが多かった部員や
準レギュラーや二軍上位の部員で、ただ一軍に同行するだけで、
雑用をこなすだけの部員に対する慰労の意味もあるのです。
試合形式の練習をすれば、少なくとも2チームに分かれて参加できます。
夏休みの練習は、そういう部員の練習不足を補うことも目的のひとつですが、
その第一歩なのです。

さて、いつもの練習よりも遅く、九時から練習が始まりました。
私も最初からチームのひとつに入れてもらいました。
一見すると、無意味な基礎錬のようなシゴキはないのですが、
私はずっと試合に出ずっぱりで、お昼になった時はもうヘトヘトでした。

でも、ショックだったのは、たった十日ほどしか経っていないのに、
三軍の私と昨日まで大会で戦ってきた一軍部員とでは、
ひとつひとつのプレイの迫力が違うのです。
一方の私は、三軍降格後、無様なブルマ姿を部内、部外、学内、学外へと晒し、
テンションがすっかり下がっている時期でした。
プレイしていても、試合用のユニフォームでビシッと決めている一軍メンバーと
体操服・ブルマ姿の私とでは、まるで別世界の人間同士のように感じられました。

二軍の上位者の下級生と比べても、自分が本当に高校生、
いや中学生ぐらいの年下で、稽古をつけてもらっているかのように感じました。
何だか今の自分の実力ではブルマ姿が相応しいような錯覚がしました。
冷静に考えれば、私ひとりだけ三軍でブルマを穿かなければならないのは、
理不尽な扱い以外の何物ではないのですが、
もし二軍の中位以下の部員は全員ブルマで練習というルールであれば、
その瞬間の私は納得してしまったかも知れません。

昼休みになって上級生からも見抜かれ、口々に言われました。
「エリカ、何だかすっかり元気がなくなってしまったわね」
「三軍に落ちたショックがよっぽど大きかったみたいね」
「技術とか、体力とかいう以前に、気迫が足りないというか、気後れしているみたいね」

精神的に萎縮しているのは当然です。
ほんの三か月前に入部した一年生が試合用のユニフォームで颯爽とプレイしているのに、
こちらは惨めな体操服・ブルマ姿です。
三年前は、同じ高校の三年生でレギュラーだった私は、当時は補欠の一年生だった三人と、
立場が逆転してしまっているのです。

彼女たちは大学進学後ほとんど会っていませんでしたが、
系列高校出身の一年生などは、合同練習や合同合宿で年に何回も顔を合わせているので、
すっかり顔なじみにもなっています。
中には私がしごいた(さほどイジメたつもりはありませんが)子もたくさんいます。
ついこの間までは、妹のような可愛い高校生だった子たちと、
立場がまったく逆転して再会しているのです。

「まあ、いいわ。
午後は、たっぷり特訓をしてあげるわ」
主将から冷たく言い放たれ、私は背筋がちょっとぞっとしました。
長くなったので、続きはまた。

一見、練習参加の誘いは、これまで一緒の一軍のメンバーであった貴女への思いやりの声では無かったのですね。
振り落された弱い者へは、勝負の世界では情け容赦が無いのは当たり前のことなのでしょうね。
貴女を支えているのは、意地だけなのかな。


なおさん(35)より 1/27

はじめまして。

私がブルマに目覚めたのは小学1年生の時です。
私は体育が大の苦手で、体力をつけるために近所で剣道を習いながら日曜日には近所の公園のグランドで両親による
体育の特訓を受けて鍛えられました。
以下に主な内容について書かせていただきます。

服装 半袖体操服(校章・ゼッケンつき)とブルマ 上に2本線ジャージ上下・紅白帽子をかぶる 靴・靴下
メニュー ランニング・ラジオ体操
     縄跳び(連続回数のノルマあり)
     剣道の素振り練習
     他
と、一見普通に思えますが問題はAの縄跳びです。書かせていただいた通り連続回数のノルマが設定されており(1
00回からスタートし次第に多くなる)ひっかかったらペナルティを課されます。
具体的には
1回目でクリアできればOK(そのまま次の剣道の素振りへ)
1回目ひっかかるとジャージ上を脱いで半袖体操服・ジャージ下の服装で2回目を跳ぶ
2回目ひっかかるとジャージ下を脱いで半袖体操服・ブルマの服装で3回目を跳ぶ
で3回目で連続回数のノルマをクリアできなければ剣道の素振りさらにペナルティが待っていました。

3回目でクリアできない場合のペナルティは
グランドを整備しの石やゴミなどを拾う。
靴と靴下をぬいで裸足になる。
(希望すれば体操服・ブルマ裸足で4回目の縄跳びに挑戦してクリアできれば以下のペナルティはなし)
グランドに正座して背筋を伸ばして黙想した後「お願いします」と大声で言う
裸足でグランドを10周程度ランニング(1・2)と大きな声を出しながら)
最後にもグランドに正座して黙想し、「ありがとうございました」と大声で言う。
というものでした。

私は最初はまったくノルマをクリアできず、いつも恥ずかしいと思いながらペナルティをこなしていました。
とくにその公園は知っている子たちも多く遊んでおり、みんなが楽しく遊んでいる中自分だけ体操服・ブルマ・裸足
で正座したりランニングしたりするのはとても恥ずかしかったですが両親は手抜きや服装の乱れには厳しいのでただ
素直に従い、こなしていました。

ところが途中から(小学3年ごろ)この恥ずかしいペナルティを受けることに何とも言えない快感を覚えるようにな
ったのです。そして自分ひとりでペナルティをこなす自主トレの時間を設けていました。とくに快感を覚えるのがグ
ランドでの正座でブルマのゴムの締め付けが気持よくていつもアソコは濡れていました。

Mの目覚めとともに女の子らしいおしゃれにまったく興味を示さなくなり私の普段の服装は(どちらかというと最初は
着るのが嫌だった)体操服とブルマの上に2本線ジャージしか着なくなりました。
さらに自室でも体操服・ブルマや剣道着で正座して黙想しお仕置きを受けている自分を想像しながら興奮するのが日
課になりました。

そんな事からMに目覚めていくことになるんですね。
ご両親も体育の特訓で、貴女がそうなることなど思ってもいなかったのでしょうね。


エリカさん(32)より 1/27

たいていの部員は自分の方から限界を感じて、一軍の選手だと二軍に降格する前に、二軍の部員だと一軍に昇格する見
込みがなくなった時点で、たいていは区切りの良い秋口か春先に退部の意思表示をするのが普通です。
私の場合は、今までお話しした時点では、一軍昇格を諦めたわけではありません。三軍降格はシーズン真っ最中でした
し、急にスランプに陥ったので、事前に限界を感じることもありませんでした。
そもそも直前の成績から見て二軍降格は当然でしょうが、懲罰的な三軍降格は理不尽だと思っていました。

少なくとも私の気持ちの中では、百歩譲って三軍に降格して下級生からシゴキを受けることと、練習着までスクールブ
ルマ姿にされて部外のひとにまで恥を晒さなければならないこととは、まったく別の心理です。
同じ高校出身の一年生が三人も一軍で活躍しているのに、二年先輩の三年生の私が二軍降格であれば、下級生から指導
を受けることになっても仕方がないと思いました。ただし前に説明したように、二軍の部員は基本的に指導員が上級生
です。

でもブルマまで穿かされて練習させられることは別です。三軍に降格させられて、下級生からシゴキを受けていること
は、はた目にはわかりません。しかしブルマ・体操服で練習していれば、ゼッケンをつけていなくても、補欠で見せし
め的な姿にされていることは、部外、学外のひとにもまるわかりです。
今時、試合でブルマを着用するには、陸上競技部の短距離走のひとぐらいでしょう。しかしあれはセクシーな(本当の
目的は機能性でしょうけど)ハイレグのブルマでしょう。私が身につけているのは、昔のバレーボールや陸上競技で
使っていたブルマですらありませんでした。もう高校生や中学生も穿かなくなったスクールブルマ、いや小学生ですら
あまり穿かなくなっていた体育の時間用のブルマでした。

指導員の下級生との身分の違いを私にはっきり自覚させるためでしょうが、実際、この姿で指導員の前に出ると、自分
の方が年下になったような、高校生、いや中学生くらいになったような気がします。何よりももう一軍の下級生に勝て
ないのではないかという気さえしてきます。
その気持ちを振り切るように一日も早く三軍を脱出しようという思いで一杯でした。

これまでお話しした時点では、最初はブルマ姿に抵抗があったのに、試合の応援で他の大学の仲間にまで恥ずかし姿と
屈辱的な立場を見られて、プライドを持ち続ける気力もなくなり、少し投げやりになったというだけです。一回目の夏
合宿が始まる頃はそういう心境でした。だから合宿で系列高校の部員たちの前でも、「大学三年生、三軍、○○エリ
カ、高校生扱い」の屈辱的なブルマ姿を晒したうえ指導まで受けた時は、もうされるがままという心境でした。でも、
部を辞めようとはまったく思っていませんでした。

でも、プライドは捨てようとしても捨てられないものですね。
合宿が終わって、やっと自宅でブルマを脱ぎ、入浴していると、この十日間ほどの屈辱的な日々に溜まったストレスが
どっと体中から噴き出してくるようでした。ふだんの練習は、自宅へ帰れば自由時間がありますし、食事や入浴もその
日のコンディションで時刻をずらしたり、量や時間を自由にとったりできるし、自由時間もありますから十分リラック
スできます。

合宿では三軍の私には自由時間などありませんし、指導員の監視の目が光っています。第一、ブルマを脱いでいいのは
入浴の間だけです。二軍の高等生の部員ですら、フリータイムは私服なのに、私だけブルマ体操服です。合宿中は24
時間すべて練習時間中と見なすためですが、そうするとゼッケンもずっとつけていなくてはなりません。
その格好で、高校生たちと一緒に周辺の店舗に買い出しに行かされるのは、とても屈辱的でした。24時間練習中とい
うことは、24時間恥を晒すということで、そういう意味でも気が休まる気がしませんでした。私はだんだん萎縮して
いきました。

でも、自宅に戻って心身ともにリラックスすると、もう一度明日から頑張ろうという気がわいてきました。プライドを
捨てようとしても捨てられるものではないし、捨てた気になっても屈辱感や恥ずかしさが減るものではありませんでし
た。
毎日の練習前に、プライドを捨てて頑張りますと下級生の指導員に挨拶しますが、本音は、元一軍のプライドにかけて
一日も早く昇格できるように頑張りますという気持ちで一杯でした。
もうダメだと思ったのは、一年経って、四年生の夏休みも三軍で迎えることになった時です。その前に、三年生の秋に
四年生が引退した後も三軍を脱出できなかった時に、ちらっとダメかなと思いましたが。

ただ、恥ずかしいことに、お風呂で疲れをとって、心もリラックスすると、なぜだか体の奥の方が熱くジーンとなって
くるのです。これがM性というものなのでしょうか。今でこそ当時を思い出すと、屈辱的な思い出とともに、懐かしい
ような快感がして、つい恥ずかしいところに手がいってしまいますが、その頃はとてもとても快感などとは程遠い感覚
でした。
もし今みたいな快感を得られたのであれば、もっと前向きにシゴキを受け、ブルマ姿もいとわず練習に励めたと思いま
すし、うまくいけば一軍で再び活躍できたのはないかと思います。

現実では一度でも降格した要因がある人は、よほどな事でもないと元には戻れないのでしょうね。
今になって、その頃を思い出すと欲情してしまうのですね。妄想の中ではもっと厳しくされ、興奮してしまうのですね。


エリカさん(32)より 1/13

明けましておめでとうございます。
新年早々、寒い日が続きますね。
正月四日間の休み中は、早朝、ロードワークをしました。
昔を思い出して、上下ともにジャージの下ですが、ブルマと体操服を着込んで走りました。
周りのひとから見えるはずはないのですが、衆人環視の中、ブルマ姿を晒して走った大学時代の屈辱的な思い出が蘇っ
てきました。ジャージを着ていないような錯覚にとらわれました。

自宅で私服から着替えようとして、ブルマに足を通す時に、大学の三軍時代を思い出して、ものすごく恥ずかしかった
です。
三軍時代、ブルマに足を通す時に一番抵抗がありました。練習が始まってしまうと、しごかれている間はまったく余裕
がないですが、朝、自宅でブルマに着替える時は、昨日までの惨めな出来事が頭を走馬灯のようによぎり、今日もこの
恥ずかしい格好をさせられて、しごかれるのかと思うと、いつも情けない気持ちで一杯になりました。

いくつか節目がありますが、前日にミーティングで三軍降格を言い渡され、みんなの前でブルマに着替えさせられ、短
時間ですがロードワークや基礎錬でしごかれて、散々恥を掻いたのに、翌日、三軍初日の朝、自宅でブルマに着替える
時は、いよいよ今日から本格的にこの恥ずかしい姿を晒して、もっとしごかれるのかと思うと、すごい抵抗がありまし
た。
周りに誰もいないし、誰もみていないのに、ブルマに足を通す時に、目をつぶって、つい大きく息を吸い込んでしまい
ました。それからブルマを腰まで引き上げました。

一軍の試合の応援に行く時も、ブルマに足を通すのはものすごく勇気が入りました。
大会は土日二日間(と翌週)続いたので、日曜日の朝は、前日に散々他校のひとの前で恥を晒したのに、また今日もと
思うと情けなくなりました。
練習日と違って、しごかれる間は気がまぎれるということがなく、ずっと晒し者で、他人の視線を感じ続けなくてはい
けないので……。市中引き回しという感じですね。
他の大学に進学した高校時代の同級生や後輩と顔を合わせ、驚いた顔をされるのも恥ずかしくて仕方がありませんでし
た。
あるいは私の教育係の下級生たちが、他の大学に進学した仲間に、私のことを説明するのを聞かされるのも屈辱的でし
た。

それから、三軍降格後、最初の合宿に出発する朝ですね。
今日から十日間ほど二十四時間ブルマ姿でいなければならないのかと思うと、目の前が真っ暗になりました。
入学以来ずっと一軍だった自分が、三年生になって一気に三軍へと降格した屈辱、
今まで自分が指導してきた下級生があべこべに自分の指導員となって、シゴキを受ける屈辱、
下級生と立場が逆転したことを思い知らせるための屈辱的な練習着、
当時すでに高校生は穿かなくなっていたスクールブルマに体操服を身につけて練習しなければならない屈辱、
その恥ずかしい姿を部外のひと、学外のひとにまで晒さなければならない屈辱。
ほんの半月前までとは大違いの境遇です。

三軍に落ちた私は、昨日まで一軍選手だったプライドはおろか、
上級生としてのプライドも、大学生としてのプライドも捨てて、
高校生以下、中学生以下に成り下がって、下級生に指導を請わなければならないのです。
しかもそういう立場の部員は、部内にたったひとり私だけです。

プライドを捨てて三軍で基礎的な練習から頑張ろうと心の中で誓う一方で、
元一軍のプライドをかけて再昇格に向けて頑張ろうとも思いました。
どっちにしても完全にプライドを捨ててしまっては終わりですね。
やっぱり三軍に落とされて、下級生から指図されて指導を受け、悔しいという気持ちがないと、
ましてや下級生の指導員との身分の差をはっきり示すためのブルマ姿、これに屈辱を感じなくなったら人間としてお仕
舞ですね。

でも、正直なところ、最初の一カ月で私のプライドは完全に地に落ちました。
一時的には好きにしてというような投げやりな気持ちにさえなりました。
いくらプライドを持って頑張ろうとしても、最初のうちは気持ちがどんどん崩れていきました。
プライドがガラガラと音を立てて崩れてゆくようでした。

 最初のうちはまだ、上に這い上がれると信じていても、だんだんと心身共に無理だなと感じ始めるのでしょうね。
そして、プライドも消え去るほどの状況だと、耐えられなくて止めていく方も多いのでしょうね。


エリカさん(32)より 12/27

エリカです。
お久しぶりです。
また、恥ずかしい大学時代のお話をしますね。

よくみなさんから聞かれることですが、三軍生活が長くなって時間が経つと、だんだんと屈辱的な扱いにも慣れてくる
ものなのですね、と。
でも、実体験として、屈辱的な扱いに慣れるということは絶対にありません。
慣れることのないように、少しずつ屈辱的な扱いが増えるからです。
例えば、練習時間はスクールブルマとゼッケン付きの体操服着用のルールが、これは大学との行き帰りにも適用される
と言いましたが、最初ゼッケンはつけなくともかまわないルールでした。
行き帰り、自宅周辺でのランニングなどはエンジのブルマとゼッケンなしの体操服でよく、大学についてから着替えて
いました。
夏休みの途中から懲罰が増え、行き帰りにもゼッケンをつけるようになりました。
他にも色いろりますが、追々お話することにします。

精神的なことを言えば、例えば人前で話をするということは、最初はあがってしまいますが、機会を重ねるごとにだん
だん度胸はついてきますよね。確かにそういう意味では、スクブル姿も「慣れる」という部分は多少あります。
しかし何度やっても人前で話す時に必要以上に緊張したり顔が赤くなったりが抜けないと言うひとは多いと思います。
ちょうどそれに似ていると思います。

スクールブルマ・体操服という惨めな姿でロードワークをすると、最初は、ただ恥ずかしいだけです。周りのひとのこ
となど、ろくに目に入らないです。 視界に入っているけれど、ひとりひとりの様子はよくわからない、見えているの
に見えていない、ただ強い視線だけが感じられて、気になって仕方がない、そういう感じです。

ただ、しばらくすると、そう一週間ぐらいしてからでしょうか。
三軍に落ちて三日ほど経って、土日に一軍の試合の応援に行って、そこでもブルマ姿を晒して大恥を掻いて、さらに三
日位経った頃からだったと思います、自然と周りのひとの表情や反応がわかるようになりました。
そういう意味では慣れましたけど、反応がわかると余計恥ずかしかったです。
だから恥ずかしさに慣れるということはなかったですね。

 そうなんですね。羞恥心を煽られることに慣れはないのですね。
下位のものを辱めることは優越感や征服感を満たしている行為でもあるのでしょうね。


みうさん(34)より 12/27

先日の告白をお送りした後にブルマーが届いたものの、休みまで日数があったため水通しなどして準備しながら楽し
みにしていた週末を迎えました。
遠い以前なら毎日のように着ていたはずなのに、水通しをしておくため手に取っただけで少しドキドキしてしまう感
覚が懐かしくもあり、どこか新鮮にも感じました。
そして足を通すため手にして、期待とドキドキ感の混ざった気持ちを感じたとき、その感覚にどこか身覚えがあった
ような気がしました。

身につけ最初に感じたのが、どう表現して良いか分からない違和感でした。
おそらくは新品のためブルマーがまだ私に馴染んでいないからと思います。
ただ、それだけに本当に昔もこんなだったのだろうかと疑ってしまったくらいの、少し強過ぎるように思ってしまう
ほど強い密着感があったのですが、その心地よさが嬉しくなってしまいました。
中学生の頃に淫らな期待に胸をふくらませてしまったのも、こうして着てみると感覚として理解できるような気がす
るのです。
そして気がつけば、あふれてしまいそうな思いの流れに任せて夢中になってしまっていました。
こんな心の動きも気持ち良さを感じられたのも、もう何年ぶりか分かりません。
ですので、おっしゃるように自分の願望に素直な行動をしてしまっているのかもしれない、いただいたメッセージを
そんな気持ちで読ませていただいた所です。

感覚として戻ってきたように感じられた事がもう一つありました。
今の私の言葉で言えば、倒錯感ということになるのでしょうか。
始めの頃のほとんどの体験が、相手の男性の車の中でした。
狭い空間ですし、他の車が通らない保証もなくては服を脱いでしまうわけにも行かずの状況としては、着衣という流
れになってしまうのも仕方なかったかもしれません。
ただ、私自身がそれを嫌なものとしては受け止めなかったのには、学校の体操服がそんな行為に都合が良いという皮
肉さとでも言ったらよかったのでしょうか?、当時そんな言葉にできたかどうかは分かりませんが、そういったニュ
アンスの何かを感じていたこと、そしてその感覚が好きだったような気もする、そんな事を感じました。

まだそんな経験が浅かった頃、学校の体育の時に思い出してしまうのでは?という不安をかかえて登校していまし
た。
けれども案外と授業が始まってしまえば大丈夫なもので、教室での着替えも体育館へ着いてからジャージを脱ぐ時で
も、それほどは意識していなかったように思います。
例えとして相応しくないかもしれませんが、どうにもスイッチが入らない時でも仕事が始まり波に飲み込まれてしま
えば案外何とかなってしまう、それと似たようなものかもしれません。

それでも、時には意識をしてしまうこともありました。
それは待ち合わせをしていた日でした。
今日の夕方には、そう思うとつい意識をしてしまいがちになり、意識を散らすのが大変でした。
でも、学校で周りにいる誰もが私にそういう体験があるのを知らないでいる、そう思うと嬉しいような誇らしいよう
な、何とも言えない気持ちでいた事を思い出しました。

今日は冷たい雨の夜になっています。
時間的には、私はもう年上の男性に突き立てられてしまった後です。
後始末もせず引き上げてしまった、あるいはそのまま終えてしまってスカートで隠しながら歩いている中、知らない
誰かに好奇の目線を向けられながら俯いて通り過ぎたり、あるいは、その男性と2度目を迎えてしまう、そんな期待
ができそうな夜を過ごしています。

 いろんな情景が、昔の貴女に戻してくれるのでしょうか。
ずいぶん前の出来事なのに、昨日のことのように思えるのでしょう。
そして、身体が素直に反応してしまっているのでしょう。


みうさん(34)より 12/11

最初に目にしたイメージのせいか、年上の男性に関係を強いられたり、本心と違って仕方なく応じさせられたりする、
そんな場面に憧れていたからか、そういう事をされるならその女性のようにブルマーで、そんな思いを持っていまし た。
その男性に関係を強いられていたわけではなかったので、そういう面では思いとは少し違った形になってしまっていた
かもしれませんが、被虐的な思いで満たされる経験はありました。

その男性との待ち合わせは土曜の午後にすることが多く、待ち合わせ場所は電車で10分くらいの隣町の無人駅の駅前
でした。
駅のトイレで脱いだ制服でパンパンになったバッグを肩にかけ、半袖とブルマーで一歩踏み出す時に身体が震えてしま
った理由が寒さだけではなかったのは、電車から降りてくる数人の人の誰かから時々注がれた好奇の目でした。
寒さと恥ずかしさを堪えつつも、そんな視線と、そんな事をしてしまえる私自身が嬉しかったのです。
そしてそれは帰るときも同じでした。
家の近くの公園まで車で送ってもらい、キスをして別れました。
もっとも、そんな行動が前回書いたような結末に結びついてしまったのですが、結果は別としてもその時の本音として
は、学校の誰かに見られてしまいたかった思いも本当はあったのですが、でも、それが妄想だったうちが一番幸せだっ
たのかもしれません。

一つだけ叶った思い、それは初めて見た写真の女性と同じように交わり、体験をしていたことです。
ブルマーを汚されてしまうことが嬉しくて、もっとそうして欲しい、そんな気持ちが前へ踏み出されてくれたように思
います。
もちろん、それは間違った意味で積極的になってしまった、という事なのですが。


そんな事を思い出していたからでしょうか?
当時の着心地を感じたい、そんな気持ちを抑えきれなくなってしまい、今日のお休みをいいことにネット上の通販を利
用して注文をしてしまった私自身にあきれながらも、あの着心地や気持ちをまた感じることができるかもしれない、そ
う思うと楽しみでもあり、無理なことは充分すぎるほど承知していますが、あの頃のように泣きたいほどの恥ずかしさ
や被虐的な気持ちの中で相手の自由にされてしまいたい、そんな思いを感じているのも本当です。

  淫らな願望が現実に叶うことが、その当時は嬉しかったのですね。
もしかしたら、その彼と別れてからは、被虐的な欲求を封印していたのでしょうか。
昔の事を思い出しブルマを着たい願望を自ら叶え、そして誰かに支配されたいと思う、Mの欲求が再び芽生えてきたのではないかな。
未成年の頃とは違い、今は自分の願望に素直に行動したいとさえ思われているのでしょうね。


えりこさん(34)より 12/11

白ブルマは雨の日は濡れて透けてしまいました。
ただ、筋トレをすると泥まみれになってしまうため、すぐに茶色くなってしまいます。

ここでブルマから離れて水泳訓練の話をします。
水泳訓練は指定の競泳水着を着用することが義務付けられていました。
水着の色は学年ごとに赤・青・緑があって、私の学年は青色でした。
水着は裏布といったものは一切なく、代々の先輩が着用した使い古しです。
そのため、乳首や乳輪が透けて丸見えでした。

また、少し小さめのサイズが用意されているため、胸の一部やお尻がはみ出てしまいます。
男子も同じ色で同じように小さめの競パンでした。
プールに入る前に水着に着替えるんですが、その前に身体を綺麗にするために塩素がきつい消毒漕に全裸で入り、
頭までつかりながら肛門とお○んこに指を入れて、排泄物などを身体から取り除きます。
それが済んで初めて水着を着用できます。

水泳訓練は50mプールで主に遠泳をやるんですが、プールは深くて足は底につきません。
一旦泳ぎ始めると1時間はプールから上がることはできず、またペースが遅いと罰泳として更に泳がされ続けます。
やっと終わりプールサイドに上がると体罰が待っています。
体罰は男女ペアになって教官から指示された内容を力一杯行わなければいけません。

男女とも疲れ果てて乳首などの透けていることは気にすることもないんですが、男子は時々勃起してしまうことがありました。
そのようなことが許されるわけがなく、その男女のペアは罰抜きというものがありました。
男子は競パンを脱いで全裸になって、女子は水着のまま四つん這いになってフェラをして口の中に射精しないといけないんです。
女子にとっては過酷な罰で、精子は全部飲み込まなければいけませんでした。

   心身共に強い選手になるためには、厳しい訓練が必要かとは思いますが、
にわかには信じがたい罰があったのですね。
男子にとっては恥ずかしさに耐えれば、気持ち良くて嬉しかったかもしれませんね。


美咲姫さん(36)より 12/11

美咲姫です。先日の続き、合宿最終日の話をします。
朝起きたらジャージからから半袖ブルマに着替え、朝食洗顔を済ませ体育館に集合です。さすがに前日の恐怖から全員5分前には集合
し、服装を正して整列していました。時間になると入ってきたのは先生たちではなく、長ランを着た怖そうな雰囲気のお兄さんたちで、
どうやら応援部と応援部のOBとのことでした。この日は先生たちはいっさい立ち入らず、応援部による校歌と応援歌の歌唱指導がありま
した。最初に全員で歌わされたんですけど途中で止められ、声が小さいと怒鳴り付けられました。そして、足の開きかた、姿勢などを指
導されました。しっかりできていないと、周りを歩き回っている応援部に直接姿勢を正されます。男子は竹刀で内腿やお尻などを叩かれ
てましたが、女子は叩くわけにはいかないからという理由で、太ももやお尻を触られました。私はお尻をわしづかみにされ、引き締める
ように言われ、おもいっきりブルマをくい込まされました。そのあと後ろから太ももに手をまわされ、ズボンの上からでもわかるビンビ
ンの股間をお尻に挟まされるように、しばらくその体制で姿勢を正されました。その当時は男の人のモノなど触ったこともないので、恐
怖とドキドキで頭が真っ白になりました。その行為を数人にされました。でも私はまだいい方で太ももを開くようにみせながら、ブルマ
の淵から指を入れられた子もいたそうです。でも体を直接触られている子は、自分も含めて限られた人数で、回りに応援団が来ない子も
いました。自分で言うのも何なんですが触られているのは、可愛い子やスタイルのいい子だけでしたね。明らかにセクハラ目的もあった
と思います(笑)。私は自転車通学だったので痴漢に会ったことはないけど、よく痴漢にあった電車通学の友達の気持ちが分かりまし
た。
この日は一日中セクハラのようなものを受けながら歌唱指導を受け、最後に先生たちも入ってきて前日からの成果を披露するんですが、
頭がボーッとしていてあまり覚えていません。今までに経験したことがない疲れと気分で、長い2日間は終わりました。

 昔は露骨な行為が公然と横行していたようですね。
立場を利用し性的な興味を満たすことが、集団で行われていたのですね。


エリカさん(32)より 11/30

ひとことで言うと、二年生以上の三軍は実力的なものではなく、ずばり「懲罰」ですね。
一軍レギュラー、準レギュラー、二軍上位クラス、通常の二軍、三軍の一年生までは、クラス分けによる上下関係はあ
りませんが、やはりおっしゃるような実力の差を意識してしまいます。自分の能力の限界を感じて退部を覚悟するの
は、この段階ですね。

三軍は、実力以外に懲罰が加わります。私の場合だと、成績不振で一軍から降格は当然だとしても、二軍中位クラスで
も上の方の実力はありました(上位者とは少し幅はありましたが)。
表向きの理由は、成績不振は単に体力的なものや技術的なものではない、基礎錬などをおろそかにした精神的なたるみ
だ、三軍で一から鍛え直せ、というものです。決定的だったのは、同じ高校から入部した一年生が三人も一軍昇格と
なったことです。これで他の部員も私の三軍降格は行き過ぎとは思いませんでした。

本当の理由は、私が一年生の時、二年生の三軍部員の指導員になった時に、その先輩(仮にKさん)を必要以上にしご
いて苛め抜き、退部に追い込んだというものです。もちろんそんなことはありません。上級生の指示にしたがってやっ
ただけです。
Kさんはうちの大学の系列高校の出身でした。うちの部は、系列の高校からの入部者が多く、レギュラー、準レギュ
ラーの半分位を占める時もあります。つまり系列高校出身の四年生から見ると、高校時代からの同級生を退部に追い
やった私に仕返しをする良いチャンスということになるわけです。

仕返しをするのが目的ですから、Kさんの時のように同じ高校出身の下級生を指導員にすることを避けるというような
温情は私には適用されませんでした。私はスクールブルマ・体操服という姿で、同じ高校出身で入部後三か月ほどの一
年生三人から指導を受けることになったのです。もちろん指導の責任者という名目ですから、他の一軍部員も入れ替わ
り立ち代わり指導に当たりますし、三人が遠慮しないように常に四年生がひとりはついて指示をするのです。

大学三年生の夏、七月に入って早々、四年生の幹部たちにそっと呼び出されました。うすうす二軍降格の通達だろうと
予想していましたが、三軍降格とはちょっとショックでした。降格理由も納得がゆきませんでした。しかしすぐに翌
日、部活を続ける意思があることを四年生に伝えました。
「本当に良いの? よく考えたの? 三軍のルールはわかっているよね。まだ時間があるよ」
と四年生から聞かれました。

というのも三軍に落ちると、昇格の検討は都度(通常は毎月毎、夏休みなどは一週間から半月毎)してもらえますが、
昇格しない限り、自分の方から退部を申し出ることはできないのです。幹部から部活継続の打診をされるまで、一定期
間は三軍で練習し続けなければなりません。要するに「懲罰期間○カ月」ということです。
それに、二年生以上はブルマ・体操服使用に見られるような屈辱的な扱いを受ける、しかも学年があがるにつれ扱いは
屈辱度を増す、というルールがあります。
それらを覚悟のうえか、という確認でした。実際に三軍として練習するのは、夏休みが始まる十日頃からなので、まだ
時間的猶予があるが、進退を考えては、ということなのです。
しかし私は、「覚悟はできている」と答えました。本心では二軍ではなく三軍降格という点は納得できませんでした
が、 二軍の上位クラスと比較してもレベルの違いを感じていたからです。でも、調子を取り戻せば何とかなる、シー
ズン途中で投げ出したくないという気持ちが強く、三軍降格を受け入れることにしたのです。

「一軍、三年生、○○エリカ、十日から三軍に降格」
三日ほど経った練習後のミーティングで、私の三軍降格が発表されました。
うかつなことに、この時まで三軍の三年生の扱いについて細かい点まで知りませんでした。

指導員が同じ高校出身の一年生のレギュラー三人であることやスクールブルマを穿かなければならないことは、その時
初めて知りました。
まず、三軍は、下級生でも二軍以上のひとに対して、敬語を使わなければなりませんが、三年生の私は、さらに「○○
先輩」と呼ぶことが義務づけられましたす。例え相手が二軍の下級生でもです。
練習着は、中学・高校の体育の時間に使用するスクールブルマで、体操服に、「三軍、三年生、○○エリカ」と書いた
ゼッケンをつけることも追加されました。
一番屈辱的なのは、「練習時間中はブルマ着用」の「練習時間」の範囲が、三年生の私はもっと広げられ、夏休みや休
日の授業がない時は、自宅から大学(練習場)までの往復も練習時間に含まれるのです。つまり電車での行き帰りに
も、ブルマとゼッケン付きの体操服姿を晒すことになります。
合宿の時は、開始から終了まで練習時間と見なされるので、アフターファイブもブルマと体操服を着なくてはなりませ
ん。系列の高校との合同合宿をすることが多いので、高校生の前でも、食事時間やフリータイムに惨めな格好を晒さな
ければなりません。
一軍の試合の応援で会場へ向かう時も帰る時も練習時間に含まれるので、他の大学へ行った高校の同級生や他の高校で
顔見知りになったひともいて、そのひとたちの前でもブルマ姿を晒す屈辱を味わいました。
「エリカ、その姿はいったいどうしたの?」と聞かれ、これが一番恥ずかしかったです。

 公然と仕返し的な行為がその後行われていくのでしょうね。
貴女もまた、厳しい状況が控えていることが予想出来ながら、部活を続ける決意をされたのは何か思いがあったのでしょうね。


みうさん(34)より 11/28

私が中学生の頃は体操服は中学までがブルマーで高校からハーフパンツになるという流れで、その中学生の頃に周囲
との温度差というのか感覚の違いのようなものを感じていました。
ブルマーにそれほど嫌悪感がなかった私には、同級生が嫌がるのが少し大げさなように感じていたのですが、他の方
の告白にもこの感覚に近い事が書いてありましたので、ブルマーを好きだった人には共通の思いだったのかもしれな
いと思いました。

どんなきっかけがあったのかも覚えてはいないものの、たぶん中学の2年生くらいの頃には、夏休み中の登校日に一
日ずっとブルマーの体操服でいられるのを楽しみにしていたり、冬に近くなった頃にとても寒かった中で、塾帰りの
公園の陰という家や学校ではない場所で初めてブルマー姿になったこと、そこで何とも言えない気持ちを味わったの
を覚えています。
そして、いつしか誰に教わるともなくオナニーを覚えてしまっていたのも、この頃です。

違った意味での性との出会いがあったのもその頃ですが、これははっきり覚えています。
それというのも通学路の溝に放置された男性雑誌があり、一瞬だけ目に入ったのがバレーボールの選手のようなブル
マー姿の女性が両手を縛られ、男性に背後から性行為を受けていた写真でした。
その時は少しドキリとはしたと思いますが、何事もなく通り過ぎてしまい、帰り道でもまた同じものが目に入りまし
た。

登校時と違い時間もあったため、周囲を気にしながらも少しだけ見ることができました。
ページをめくって次に目にしたのが、その女性が明らかに交わっているような写真でした。
それを目にしたのが私の体験願望の始まりだったのかもしれないと思います。
もちろん縛られも何もしてはいなくても、単にその女性が着ていたブルマーと同じ色のブルマーを穿いている、それ
だけでその女性になったような気持ちになれました。

そんな事を繰り返すうち、妄想にも限界があって、中学生ではまだ異物なども試す勇気もなくて、以前は魅力的だっ
たそんな刺激もいつしか薄らいでしまっていました。
夜中の部屋の中で、まるで本当にSEX体験をしたような気持ちで眠ってしまうことも少なくなり、そのかわりに私
の中で大きくなっていたのがその体験願望でした。
けれども、その当時の私には彼氏はもちろん、好きな男の子も、それ以前に親しく話ができるような男の子さえおら
ず、見た目もよくはないのは分かっていたので、そんな誰かが現れるとも思えず、願望はあってもどうする事もでき
ないまま日々過ぎていった、というのが正直なところだったと思います。

やがて、中学3年生の2学期を迎えて受験の波にも飲まれつつある中、体育祭を迎えました。
体育祭になると家族以外の人が来場して帰り道で声をかけてくる事があって、ただ、それはどちらかといえば今でい
う「きもい」お話になってしまうような事が多かったと思います。
出会いがしらにいきなりブルマーの写真を撮らせて欲しいと言われて逃げた、そんな経験をした子もいたようです。

体育祭の放課後に声かけをされましたが、少なくとも3年生の体育祭は他の誰かが経験したような外れた声かけでは
なく、むしろ偶然に共通の話題に恵まれて近くの公園の駐車場で楽しく話ができました。
車に誘われてからどうしようと思っていたスローな私でしたが、たぶん心のどこかでは許してしまうつもりがあったの
かもしれません。
相手の男性も嫌悪感を感じさせずリードしてくれましたし、私も体験願望を叶えられるかもしれない期待があって、
少しだけ後ろめたさを感じながらも飛び込んでしまったようなダメな初体験だったかもしれないけれど、でもその時
の私にとってそのSEX体験は嬉しかったのです。

それから付き合っているような、そうでないような関係になりました。
自分自身でもこれはどこか少しおかしくないか?そう疑問に思いながらも、新鮮で強い刺激を手放せる勇気も持てず
に体験を重ねてしまっていたあるとき、体験を終え帰宅しようとした所を学校のある先生に補導されました。
その時の事は思い出したくもありません。
学校での噂も本当は耳に届いていたのですが、恥ずかしくて聞こえないふりをして何もしなかったこと、それ以前に
疑問に思いながらも強い意思を持てなかった私が悪かったと思います。

こんな事を書いておいて言っても説得力はないと思いますが、一応はそれまで真面目にしてきたつもりでしたし、最
後は別としても周囲からもそう見てもらえていたと思います。
ですので、親や学校に知られた後もそれまでの事も評価をしていただいて温情をかけていただくことができ、たぶん
進学には影響はしなかったと思います。
知らない所で申し送りされていた可能性はありますが、少なくとも表立って言われたりした事はなかったです。

ただ、親との関係は難しくなってしまいました。
家族でいるときでも、たとえば誰かの恋愛話などでも避けてしまったり、母親とでも性に限らず女性特有の事につい
ても話すのを避けてしまう、いつしかそんな習慣が残るようになってしまった事を思うと申し訳ないとしか言いよう
がありません。

あと、本当は言えた立場ではなかったのかもしれないけれど、同級生(だと思います)の心無い行為、簡単に言って
しまえば嫌がらせが一番心にこたえました。
その後転校ということになり、それを当時の私は学校からの処分のように受け止めていましたが、あの時先生方はき
っとそのまま学校に残ればそれが続くことも知っていて、その上でそうしてくれた事を今は理解できます。


微妙な内容になってしまってすみません。
今更かもしれないけれど、今更だからこそ考えながら久しぶりに自分自身の過去と向き合ってありのままお話できた
ように思っています。
今更語れる過去でもない長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

告白は、以上です。

 性への好奇心が高い時期に、ちょっとしたきっかけでセフレのような関係が続いたことが、
後々家族との関係にも影響が出たのでしょうか。貴女は自然な性の欲求を満たしたかっただけなのでしょうね。
そんな貴女を快く思わない人からの嫌がらせもあったのですね。
だけど、その彼と過ごす時間は、その時の貴女には必要な事だったのでしょうね。
M性を秘めておられるようですが、その後どんな経験をされたのでしょうか。


エリカさん(32)より 11/28

そうですね。三軍に落とされなくとも、二軍が長くなると退部するひとが多くなりますね。早いひとは一年生の秋、だ
いたい二年生の秋が多いですね。同級生にも一年生にも抜かれると、来年の新入生にも抜かれる可能性が大きいので、
そこで限界を感じるからです。
一軍はレギュラーと準レギュラーがあり、レギュラーはスタメンレベルの選手、準レギュラーはベンチ入りレベルの選
手です。一軍は年によって多少違いますが、遠征費用などとの関係で定員があります。そのため、二軍の上位レベルと
準レギュラーの間にあまり実力の差がありません。実際、遠征には何人かの二軍の上位者が随行します。ケガ人が出て
ベンチ入りのメンバーが足りなくなったり、二軍の下級生にチャンスを与えたりすることからです。
つまり二軍には文字通り実力が二軍の部員と一軍予備軍の部員がいます。また、準レギュラーという言い方は、一軍・
二軍という区分けとは別に広く一軍のベンチ入り選手と二軍の上位クラスの両方を指して使われていました。だから二
軍上位者も含めて、一軍の壁は厚いのです。

ただしレギュラーと準レギュラー、一軍と二軍、二軍上位以上と中位以下との間に上下関係や待遇の違いはありませ
ん。上級生と下級生の上下関係だけです。
ところが三軍に落ちると、上級生でも二軍以上の下級生よりも下に扱われます。上級生と下級生の上下関係よりも三軍
と二軍以上の上下関係が優先されます。三軍は一年生以下、高校生扱いという位置づけからです。

一年生の三軍部員がブルマ着用を義務付けられていないのは、入部時には大学レベルに達していないと看做されていた
ひとで、割合短期間に能力向上する者が多いからです。一般的に下級生の方がチャンスを与えよう、将来性に期待しよ
うということから昇格や一軍帯同はさせますが、降格は慎重になります。上級生になるほど残された時間が少ないの
で、よほど頑張らないと一軍の試合には出られないので、きっちり二軍降格とか三軍降格とかになってしまいます。

三軍降格の猶予期間が切れるのは、早いひとなら一年生の夏休み前、一番多いのは夏休みの後、秋の大会に向けてクラ
ス分けをする時ですね。最終的には秋の終わりに四年生が引退して、部が新しい幹部の下でスタートする時です。もう
一年生ではないから、来年入部する新入生に見られて恥ずかしくない大学レベルになっていようということですね。ブ
ルマ着用もこの時からです。
二軍以下の指導員には同じ一年生のレギュラーが任命されることも多いので、同級生同士でも上下関係をはっきりさせ
る必要があるからです。ただし二軍の場合は、同級生や下級生の指導員がつけられることは原則としてありません。三
軍についても秋の終わりまでは上級生が指導員になります。

でも、二年生以上(実際は一年来の秋以降)にはあてつけのように下級生の指導員がつけられます。上級生になるほど
懲罰色が強くなるからです。同時にブルマの着用ルールをはじめ三軍部員としての扱いが厳しくなります。
私も二年生の三軍部員の指導員までしていたくせに、自分が降格するまで同じ三軍でも二年生と三年生ではあんなに違
うとは思いもよりませんでした。
一例をあげると、二年生は普通のブルマ、昔の陸上部やバレーボール部が使っていたものを穿けばいいのですが、三年
生はいわゆるスクールブルマなのです。これだけでも十分恥ずかしいのですが、他にも顔から火が出るような恥ずかし
い扱いがたくさんあります。
ちょっと長くなったので、また次回お話ししますね。

 そんな制度で振り落していき、強い者に絞るのが厳しいようでも、競技の世界では当たり前なのですね。
そのたまに、ブルマなどの恰好や階級で差をつけるのが効果的だったのでしょうね。


美咲姫さん(36)より 11/24

2回目の投稿です。
私は小中高の12年間ブルマでしたが、高校時代はハイレグタイプだったので、ハイレグショーツを履いてハミパンには気を使っていま
した。ここの告白では、ノーパンブルマをしていた方が結構おられますが、思い付きもしませんでした。校則では、4月〜11月まで半
袖ブルマ着用(これだけでも長いですが)体育の先生が厳しく、冬場も半袖ブルマで授業を受けました。ジャージもありましたが、はじめ
ての体育の日の授業前に着ていて、授業が始まるときに脱ぐように指導されるまでの数分間と、合宿の日の夜だけでした。勿体ないの
で、家でパジャマがわりに使っていました。

今日は入学後最初の土日に行われた合宿について話しますね。私の高校では、新入生は入学後最初の金曜日の授業終了後から日曜の夕方
まで学校の体育館に併設されている会館で、合宿が行われます。内容は○○高生としての自覚と教養を身に付けるといったような感じで
す。金曜の授業終了後、会館の畳の部屋(かなり広い)に集合し、主旨の説明や日程のは話を聞きました。その日はそれで終わりました
が、土曜から地獄の二日間が始まります。

土曜の朝7時から朝食で、8時に体操着に着替えて体育館に移動するように言われました。体育館に行って待っていると、7時55分に
整列の合図がかかりました。徐々に集まってきて、8時になったら入り口に男の先生が立ち、遅れてきた数人の男子にいきなりビンタで
す。まず服装チェックから始まります。最初の体育の授業でも言われましたが、ブルマの中に体操着をインするようにと。インの仕方も
たるませてはダメ。ウエストのゴムが見えるように入れないとダメでした。ブルマの左上に名前の刺繍がしてあるので、それが見えない
とダメなんです。中学生の頃はインするように言われるのは、体育祭やマラソン大会くらいでしたからそれだけでも厳しいです。これが
高校かと思いましたが、他の高校に行った友達はそれほどでもなかったそうです。服装を正したら、先生たちが周りを見て歩きます。先
生たちも総出で参加しているので、かなり威圧感がありました。男子のチェックは男の先生がしているので、できていない子はビンタで
す。今なら大問題ですね(笑)。女子には女の先生なので、さすがにビンタはありませんでしたが、かなり厳しく叱られていました。それ
でもうみんな反抗する意欲は薄れたと思います。

服装チェックの次は団体行動です。行進や整列、方向転換などやりました。ずれていたり、足が上がっていなかったりすると太ももを叩
かれたり、横に出されてその場で一人で行進などさせられます。行進していると、ブルマがかなり食い込むんですね。それで直そうもの
なら怒鳴り付けられます。先生の「服装正して!」の声が掛からないとブルマに触れることが出来ないんです。信じられないでしょ。昼
食、休憩の後は午後の部スタートです。

午後からは、学校伝統の○○高体操の練習です。体操は掛け声に合わせてやるんですけど、結構動きが激しいんです。一回するだけで
も、結構疲れるんですが(今なら一回も無理)それを全員の動きがある程度揃うまで、7時頃までやらされました。まず、男子からで女子
は見学するんですが、見学時はもちろん体育座りで、さすがにブルマで胡座はありませんが、少しでも足を崩すと怒られましたね。特に
女子には、足を開いて座ることには厳しかったです。そのおかげで、今でも人前で足を開いて座ることはありません。習慣ですね。今の
若い子たちが足を開いて座っているのを見ると、ガッカリします。オバチャンだからかしら?でも、女の子は女の子らしくあるべきだと
思うし、女の子らしく座るべきじゃないかな?そのためにも女子の体操着はブルマにしてほしい。ブルマじゃ足を開くのは恥ずかしいで
すからね。

本題に戻って、今度は女子の体操の番です。先程も言いましたが、かなり激しいんです。立ったりしゃがんだり、手をついてお尻を突き
出したり、仰向けで足を上げたり開いたりなど。もうブルマはくい込み放題ですよ。高校のブルマはハイレグで薄い生地だったので、中
学校の時よりもくい込みやすいんです。しかも私は一番端の列だったので、男子の目線が明らかに分かりました。でもくい込みを直すこ
とはできないので見られ放題でした。カッコいいなって思ってた子が横に座っていたので、その子にくい込みを見られていたのは恥ずか
しくて、ドキドキしながら体操してました。でもハミパンには気をつけていたので大丈夫でした。うちの高校は下着まではうるさく言わ
なかったので、体育の日は紺や黒のハイレグショーツを履くようにしてました。そのおかげでハイレグブルマでもハミパンしてる子はほ
とんど見たことありませんよ。ちなみに男子は数年前まで短パンだったそうですが、その頃みんなトランクスにしていたので、ハミパン
やハミ○ンが目障りでハーフパンツに変わったそうです(笑)女子はブルマに合わせて下着を選んでるのに、不公平な気が・・・。まあ動き
やすかったので、私は好きだったんですが。

最後は男女一緒にですが、先生たちがある程度満足するまでだったので、7時までかかりました。もうハンパなく疲れて、夕食もあまり
食べれませんでした。それに、もう一日あると思うと、その日は絶望的な感じで寝ました。
長くなったので、翌日のしごきはまた後日。また聞いてください。

 かなり、体操に力を入れていた学校だったのですね。
高校でハイレグのブルマって、露出度も高くかなり恥ずかしかったでしょうが、
先生の指導の前ではそんな事考える余裕無かったかもしれませんね。
そんな厳しい指導を受けた経験も今では良い思い出になっているのかな。


エリカさん(32)より 11/24

私の大学時代のことです。
 当時、ある運動部にいましたが、私の大学でも部員が実力順に一軍から三軍まで区分されていました。
 私は一年生の五月から一軍で、夏には二年生の三軍部員の教育係にまでなったのですが、恥ずかしいことに三年生の
夏になって、一軍から一気に三軍に落ちてしまいました。
 あてつけのようにふだんは一年生の一軍部員が何人か私の教育係に指名され、夏休みの練習では二年生も含め下級生
の一軍部員から徹底的にしごかれました。
 しかも屈辱的なことに、二年生以上の三軍部員はブルマを穿いて練習しなければならないことです。
 
  エリカさんの居た運動部でも、軍の制度があったのですね。
屈辱的な対応をされることで、止めるか再度頑張り直すか、振り分けていかれるのでしょうね。


美咲姫さん(36)より 11/24

はじめて「みさき」といいます。皆さんのブルマに対する思い出を、楽しく興味深く
読ませてもらいました。私も小中高と12年間ブルマをはいていたので、思い出し
ながら告白します。
私は今、小学生の娘がいますが体操着は男女とも同じハーフパンツ。最初は特に何
も感じませんでしたが、娘の運動会を見に行ってものすごく違和感を感じました。
遠目で見ると、特にボーイッシュな子等は男女の区別がつかないんです。何か女の
子らしさというか、可愛らしさが感じられないんですね。その時に私の頃は、女子
の体操着はブルマだったなと改めて思い、懐かしさを感じました。

私の学生時代、1980年代半ばから1990年代半ばはブルマが当たり前でした。12
年間もはいていると、生理の時はさすがに嫌でしたけど、普段はみんな同じなので
あまり気にはなりませんでしたね。恥ずかしいから嫌だって子も少しはいたけど、
大体の子はそんなに気にしてなかったんじゃないかな。

まずは一番最近の高校時代っていっても20年近く前ですが、丸首、白で首回りと
袖の端が紺色のシャツに、少しハイレグタイプの紺色ブルマという王道?のもので
した。ブルマの左上には校章と名前の刺繍がしてあるオリジナルのもので買い替え
も面倒なので多目に買った方がいいと言われ、入学前に3枚購入し、卒業まで履い
ていました。3年の頃はヒップも大きくなるのでくい込みが激しかったな(笑)。

入学式の日に渡され、帰宅したらサイズや名前の確認をするように言われました。
刺繍がしてあるので少し小さくても、買い替える暇は無いんですけどね。だって生
徒手帳に4月〜11月半袖シャツ、ブルマって書いてあったんですから。当時は先
生方も威厳があり、いちいち抗議する親もあまりいなかったので、素直に従いまし
た。4月といっても北の方なのでかなり寒いので、4月からブルマはこたえまし
た。

家に帰って試着したらサイズはピッタリだったんですが、ハイレグなのでこれ動い
たらハミパンするじゃんって母と大人っぽい下着を買いにいきました(笑)。他の
子達も一緒でした。ハイレグ気味のショーツをはくと大人になったような気がし
て、嬉しかったです。これもハイレグブルマのおかげか(笑)
最初の体育の前の日に、「明日の体育、ブルマなんだよね?生徒手帳に4月〜って
書いてあるし」特に言われてなかったので、一応ジャージも持ってこようとなっ
て、授業前にブルマの上にジャージを履いて準備しました。でも、体育委員の子が
ジャージを着て先生に授業のことを聞きに言ったら、「生徒手帳を見ていないのか
っ」て叱られたので、みんなブルマになって授業に出ました。先程も言いましたが
4月は寒いです。男子はハーフパンツ(膝上10センチくらい)ずるい…。でも、おか
しいとは、思いませんでしたよ。それが当たり前でしたから。

体育の先生は20代後半の女の先生でした。とても厳しい先生でしたが、引っ張っ
ていってくれるタイプで、とてもカッコいい先生で慕われていましたよ。私たちが
入学する3年前に赴任されて、服装にも厳しくなったそうです。男の先生では、女
子に遠慮があって、ジャージでも叱られなかったそうなので。
授業が始まると、整列しまずは服装から指導されました。シャツはブルマの中にし
っかり入れるように言われました。端の方だけ入れて、ダボッとさせるのもダメ。
シャツはたるませないように入れる。ブルマのゴムの部分まで見せる着こなし方の
指導を受けました。ペアになりお互いのチェックするように言われました。私たち
の間では「ブルマチェック」と呼んでいました。

最初の授業は体操でした。他の高校はわかりませんが、私の高校には学校独自の体
操があるんです。体育祭で、一年生は披露しないといけないので、まずはそれを覚
えます。動きがジャンプしたり、伏せたりと激しいので土は尽くし、くい込みもし
ます。それで直そうものなら先生から授業中はブルマを直すなと叱られました。も
う授業中は食い込み放題です(笑)それなのに、シャツが出るとシャツが出ている
と叱られます。私はシャツを直す振りをしてくい込みを直してました。シャツが出
ると叱られるので、経験を積んでくるとシャツの端をショーツ隅に巻き込むという
裏技?を覚えました(笑)

先生は私の卒業の3年後に結婚を機に退職されたそうです。その2年後には女子も
ハーフパンツに変更になったようなので、先生がブルマの最後の砦だったのかなと
思います。
今の世の中、男女平等が誤った方向に進んでいるんじゃないかな。もちろん男女平
等には賛成ですが、行きすぎてしまい女の子らしさが失われたんじゃないかと思い
ます。男女は体も中身も力も違う分けだから、何でも一緒にすれば言い訳じゃない
と思います。ブルマは運動性がいいことはもちろんですが、しっかりシャツを入れ
て履くことにより男子の前での恥じらいも出ますし、足を開いて座る子も当時はあ
まりいませんでした。それに、女の子の柔さや可愛らしさもブルマじゃないと出な
いです。ブルマを履く、シャツを入れるということは女の子らしさを身に付けるた
めの躾や教育という意味合いもあったのかなと今では思いますね。そう思うと、私
は12年間ブルマを履くことができてよかったです。

女の子らしさが失われている今こそ、女子の体操着をブルマに戻してほしいなと娘
の運動会に行って感じました。
私はブルマでHなどの経験がないので、そういう話は書けませんが、学生時代のブ
ルマの思い出はいろいろありますので、思い出しながら告白していきたいと思いま
す。

 ブルマにまつわる思い出が色々おありのようですね。
直接的にHな経験は無くても、性に関する思い出に関連することもあれば投稿してみてくださいね。


茉美佳さん(19)より 8/24

はじめまして。
こんなコーナーがあって飛びつくように読んでしまいました。

高1の終わりまで中学のとき参加したボランティアで一緒だった男の人と付き合っていました。
その中で経験したのがブルマーでした。
初めて着せられたときは笑ってしまいました。
ありえなさすぎて。
でも、慣れると不思議な感覚になりました。
なぜか本物の学校の体操服よりも、学校の生徒という感覚がしました。
エッチではなくセックスの言葉が似合うと思いました。

彼は次の子とも、きっとそんな事をしているんだろうと思います。
返し損ねて親に内緒で持っているのを捨てようとは思うのに全然できなくて、時々さみしく着てしまうと悔しいという
より、何やっているんだろうと思ってしまいます。
でも、今の私ができるセックスはそれしかないから。

昔は体育祭になるとナンパ目的みたいな男の人がずいぶん集まったらしいですね。
今でも居るにはいると思いますが、私なんかは一度も対象にもならなかったみたいです。

ブルマーだったら声をかけてもらえたのかな?
ブルマーだったら好きな人でなくてもエッチしてしまえそうな自分が少し怖いです。

中学に戻りたいな。
もう今年は体育祭すら関係なくなってしまったのが寂しいです。

ブルマを履くことで、別の自分に変身できるような感じがして、性に対して大胆になれそうなのかな。
昔の刺激的な経験が思い出されてしまうのですね。


愛菜さん(34)より 7/27

私の思い出は、小学校の高学年の話です。
私は小4からは、田舎に転校しました。昔の学校はハーパンが主流でした。
転校した先は、ブルマでした。
始業式の前の日に採寸がありました。
保健室に行くと、転校生の採寸が行われていました。
制服がなく、登下校とも体操服でした。

この学校の規則は、厳しかったです。
体操服の上の服の下には、何も着ない。上の服は、中に入れる。
夏冬ともジャージや長袖は禁止。学校に着いたら、裸足になる。
と書かれていました。そして採寸が始まるとまず、
先生が「体操服に着替えよか」私は、戸惑いながら着替えました。
先生「恥ずかしい?」
私「少し恥ずかしいです。」
先生「すぐ慣れるし、似合ってるよ。」私は、照れながら笑いました。
先生「服の入れ方は、まず、ブルマを下に下げて上の服を引っ張ってそこから中に入れる。
そうするとシワがつきにくいのよ。そして、ゴムをきつく縛る。」
予定表を貰うと、始業式の日第一回スポーツ診断
また、投稿します。

   学校ごとに似たような規則があったのでしょうね。
初めてのブルマだったのかな?どんな思い出があるのでしょうね。


内緒ですさん(39)より 7/21

私はもうすぐ40になろうとする主婦ですが、高校の2年半と短大生だった2年を除いてずっとブルマを使用しています。
というのも、小中と当たり前の様にブルマが主流だった事。高校の途中からハーフパンツ(それも短パンに近い短い
物)になったのですが、当時から好きだった男の子が「○○のブルマ姿が可愛い。」と言っていてくれた事。私自身ブル
マに対して、他の人が言われるように太腿やお尻の形がはっきりして嫌といった嫌悪感が希薄だった事。理由は色々考
えられますが、一番は男の子(今の旦那さまデス)の言葉でしょうか。

 流石に、今では娘達も大きくなって来ましたので、家の中を体操服姿で過ごす事はなくなりましたが、ブルマだけは
重ね履きをしていて、仕事から帰ってきた旦那さまに、スカートに手を入れられ、ブルマに包まれたお尻を触られたり
してます。ショーツもブルマから少しハミ出す位の子供用160サイズの物を購入してあり、夜にシテ欲しい時はソレを
履いてわざとはみパンをさせてお誘いをしています。

 今でもご主人がブルマ姿を喜び、触れてくれるのは嬉しいことですね。
お二人の夜のサインにもなってるのですね。


和江さん(47)より 6/7

和江です
S君からのお仕置きとして、ブルマも体操服も洗濯することを
認めてもらえない日々は夏休みの直前でも続いていました
暑くなってくると、自分でも嫌になるくらいの臭いでした
体操服は今までにまして黄色くなり、脇とかは変色しています

それでも体育の授業は夏休み前まであと1回だと言い聞かせ、堪えました
クラスでは『ケツ江は汚い』とか『ケツ江は臭い』と陰口さえ言われていました
さらに追い討ちをかける出来事が夏休み前の最後の体育の授業で起こったのです

体育の先生に授業中にクラスの全員(女子だけですが)のまえで、
『なんだ、お前の体操服は』
『まるで、おしっこ掛けたみたいに黄色いぞ!』
もちろん、全員爆笑し、ヒソヒソ話していました
反論することもできず、恥ずかしさでうつむいて顔を真っ赤にすることしかできませんでした

このときばかりはさすがに、S君と別れようとも思いました
そのことを彼に伝えると、『和江は頑張ったから、ご褒美あげるよ』と言われ、
こっそりアルバイトして夏休みに高原のペンションへの旅行を計画してくれていたのです

あんなに悩んでいたのに、その事でやっぱりS君がいないと駄目だなと思い、
彼が喜ぶならどんなに恥ずかしくても堪えようと思い直しました
そして彼は、旅行が終わったら洗濯してもいいよ!と言ってくれました

結局、彼の思うツボだのかもしれません
旅行のことはまた今度告白します

彼からの思いがけない誘いに、とても嬉しかったことでしょうね。
彼のことは掛け替えのない大切な人だと、強く思い込んでいったのでしょうね。


彩佳さん(29)より 5/24

ブルマそのものの思い出は、高校時代はともかく、大学生にもなってブルマを穿かなければならなかったことです。し
かもブルマを穿いて競技をする種目ではないことです。
せっかく高校三年生になってやっとレギュラーに昇格したのに、大学一年生になってまた補欠に逆戻りしたことは、身
に沁みて堪えました。

補欠(二軍)の指導・教育は、それぞれ上級生があたる(一年生の補欠なら二年生以上のレギュラー、二年生の補欠な
ら三年生以上のレギュラー)のが、一応原則になっていました。
しかし日曜、祝日などの練習や夏休みの練習などは、時間が長いので、指導員・教育係の数が足らなくなります。
そこで同じ二軍でもレギュラー昇格に時間がかかりそうな部員には、同級生や下級生の指導員・教育係がつけられるこ
とが多くなります。
私のK大学は、その種目ではそこそこの強豪校だったので、系列のK高校(共学)、同じく系列のJ女子高(私の母
校)以外でも、同じ高校から毎年入部者がいました。
そうすると、高校時代はレギュラーと補欠の関係だった同級生同士や上級生と下級生が、大学で立場が逆転してしまう
ことが起こりえます。
女性アスリートの場合、どうしても女性らしい体質・体格になる時期は避けられず、それが原因で極度のスランプに
陥ってしまうことがあります。

部内で立場逆転が一番起こりやすいのは、K高校出身者同士の間です。そして、部の主力であるという自意識も強いせ
いか、立場が逆転したK高校出身のレギュラーの下級生と補欠の上級生との上下関係は他の部員の手前、とても厳しく
なります。
その次に立場逆転が起こりやすいのは、その他の高校出身者同士です。
私の母校J女子高出身者で同士ではあまり起きないのですが、起きると同じ系列ということもあって、K高校出身者の
ように逆転した上下関係が厳しくなります。
私の場合、大学二年生の時に一時期同じ高校出身の一年生から指導を受けることになりましたが、高校時代補欠生活が
長かったので、厳密には立場逆転というわけではありません。それでも十分屈辱的でしたが……。

>ブルマーに関係する性的な思い出などもあれば、告白してみてくださいね。

うーん、そうですね。
私自身は、同級生や下級生からしごかれても、屈辱感ばかりで、とてもとてもM的な快感を感じる余裕などはありませ
んでした。練習そのものに必死だったので……。

でも、特にK高校出身のレギュラーの下級生と補欠の上級生を見ていると、その補欠の上級生になって元後輩からしご
かれてみたいという妄想にかられました。
高校時代からずっとレギュラーを張ってきた上級生が、立場が逆転して高校時代は補欠でしごきまくった下級生から、
今度は逆にしごかれる立場になる……。
私には体験できない屈辱ですね。

大学二年生の夏以降はレギュラーに昇格したので、かつてはレギュラーだった高校時代の元先輩や他の大学出身の上級
生、あるいは同輩、同級生をしごくという立場になりましたが、立場が逆転してしごかれるという妄想ほどの快感は得
られなかったですね。
やはり私はMなのでしょうか……。

前回、最後に少し書きかけましたが、二年生の時に、同じJ女子高出身の三年生の先輩が、それまでずっとレギュラー
だったのに極度のスランプに陥り、夏休みの練習から三軍に落ちるということがありました。ちょうど私のレギュラー
昇格の直後でした。
部の空気として、当然、同じ高校出身の下級生のレギュラーである私たちにわざと先輩(仮称:朝香さんと呼ぶことに
します)への指導、教育を手伝わせました。
でも、朝香先輩をしごくことによる征服感やSの快感よりも、朝香先輩と一体となって、元高校の後輩であり、下級生
の私に指示され、しごかれる屈辱によるMの感覚の方が強かったです。
自宅に帰って、その日の練習を思い出して、自分がしごかれたような感覚で、恥ずかしながらオナニーをするという毎
日が続きました。

長くなったので、続きはまた今度書きますね。

 立場が逆転して下級生からしごかれる妄想で、性的な興奮を感じたようですね。
Mの性癖は眠っているようで、まだ開花していないのですね。
当時の事を思い出すと、身体も熱くなるのでしょうね。


えりこさん(34)より 5/12

白ブルマは汗とかですぐに透けてしまう恥ずかしいブルマでした。
ブリッジの体勢で長時間耐える訓練があるのですが、教官に○んこに竹刀をブルマの上から挿入されたり
ク○トリスをいじられたりして股間の辺りはグチョグチョでした。

そんな状況でも体勢を維持できないと、竹刀で全身滅多打ちやビンタといった厳しい体罰を受けました。
白ブルマは体育訓練だけで使用して寮などでは着用しないで、洗濯は週1で使わないときは寮の外に置き場があって
そこに置いていました。

各自で部屋に置いておけばいいのですが、そのように決められていました。
その理由は、男子訓練生が夜の間に女子の白ブルマに射精するためで、朝に穿こうとすると精子まみれだったり
そんなことは日常でした。

そんなことがあっても白ブルマは穿かなければならないので、じっと我慢して思い切って穿くのです。

 白いと下着と同じ感覚で、普通のブルマ以上に恥ずかしそうですね。
厳しい体罰を受けていても、なんだか興奮してたときがおありではないでしょうか。


和江さん(46)より 5/12

MdS様の言われるように、その後も他人から見れば理不尽なお仕置きもありました
その事は少しずつ明かしていきます

ところで、いよいよS君に命じられた格好で体育の授業を受ける日がやってきました
その日は朝から落ち着かない一日でした
それと共に時間が止まってしまえばいいのにとさえ思っていました

しかし時間は否応なくなく過ぎ、いよいよ体育の時間です
S君とは別のクラスだったので、普通の体操服で授業にでてもばれないかも?
って一瞬頭をよぎりましたが、またバレて彼に嫌われる方が怖かったので、
言われたとおりの汚いパツパツの体操服を無理やり小さいブルマに裾を入れてグランドに出ました
幸い体育の授業は男女別々だったのですが、クラスの女子はなんか私をみて
ひそひそ話しているように感じましたし、遠くから男子にも指をさされをいるのを感じました

体育の時間中ずっと恥ずかしく、顔はずっと真っ赤に火照っていたように思います

それなのに、身体は辱められたことに反応していたようです

体育の終わった後で、S君が近づいてきて、誰も居ない体育館の裏に呼ばれました
彼のお仕置きなのに、いたずらぽっく『和江は、変態な格好が好きなんだな!』って言われました
そしてブルマをチェックされました
意思に反して、びっしょり濡れていました『やっぱり興奮してたんだ』

こうしてS君の羞恥プレーはさらに続くようになりました

ちなみにその頃から、”ケツ江”と陰口言われていました
多分、いつもブルマからお尻のはみ出るブルマを履いていたからだと思います
そしてS君は昼休みに私を呼び出しては、フェラをさせるようになり、彼の精液は
体操服の裾で拭かされました

簡単には体操服を洗うことは許されず、体操服の裾は黄色く変色していきました
だから卒業まで、その汚れを隠すためにもブルマに入れるしかありませんでした

ただ正直にいえば、体操服についたS君の精液の匂いに興奮して、
毎晩ベットでオナニーを繰り返していました

反応が分かり易い身体なんですね。
彼も自分の思った通りの反応で、貴女を辱めることが楽しくて仕方なかったのでしょうね。


和江さん(46)より 5/5

和江です
久しぶりの告白になってしまいました
前回、昼休みにS君にブルマに精液を付けられた話をしましたが、
いつも汚い体操服を着ているとはいえ、さすがに精液のついたブルマで
体育の授業を受ける訳にはいかず、こっそりトイレでシミを洗って授業にでました
体育の時間はなんともありませんでしたが、放課後、S君にブルマをチェックされてしまいました

以前に告白したと思いますが、体操服とブルマを洗濯するには、彼の許可が
必要だったのに勝手に洗ってしまい、怒らせてしまいました
もちろん、その頃の私には彼が喜んでくれたりするなら、何でもしてあげたいと
思っていましたし、彼の色にもっと染まりたいと思っていました
だから、つい「何でも言う事聞くから、許して!」と言ってしまいました
そしてS君からのお仕置きは...

いままで体育のある日には着なくて良かったサイズの小さい体操服を体育のある日も着ること
ブルマも中学の時のやつを体育の時間は必ず履くこと
そして、体操服の裾はブルマの中に入れること

どれも大したことないようなお仕置きに思われるかも知れませんが、
当時の私にはどれも顔が赤くなってしまう位の恥ずかしい罰でした

もともと太っていた私ですが、そのころは以前よりぽっちゃりしていました
だから小さい体操服を着ると、まるでレオタード着ているかのように
ピチピチだし、体育のない日に毎日着ていたので、かなり黄ばんでいます
またブルマも中学の時のは、無理やり履くって感じで、大きなお尻は半分ははみ出してしまいます
体操服の裾をブルマに入れるのも、みんなシャツの裾は出していましたので、
きっとそんな恥ずかしいのは私一人だけです

その日、自分の部屋で彼に言われた通りの格好になってみました
鏡に姿を映してみましたが、本当に恥ずかしいさらし者に見えました
来週の体育のことを考えると、とても不安でした

罰を命じて、貴女がその通りに行動し、周りからさらし者になって恥ずかしがる姿を見て、
彼もさぞ満足したことでしょう。
その後、あえて理不尽な命令を与えられて、罰を受けるような事はありませんでしたか。


彩佳さん(29)より 5/3

この前、書き込みした彩佳です。

>意外とあちこちで同様な事が行われていたようですね。

 そうですね。運動部というのは、上下関係が大事ですからね。
その上下関係も、まず上級生と下級生という上下関係が基本になってはいるものの、ある時点からは実力、レギュラー
と補欠という上下関係の方が優先されるようになるのは、ある意味で仕方がないことなのでしょうね。
 そうすると、下級生のレギュラーと上級生の補欠との上下関係をはっきり示すには、ユニフォーム姿の下級生とス
クールブルマ姿の上級生ということになるのでしょうね。

 ただ、高校の部活でのスクールブルマは、私が二年生の秋にレギュラーになったのと同じ時期に廃止になりました。
引退する三年生が置き土産に廃止を決定したからです。

 しかし大学では、まだスクールブルマの伝統が残っていました。
 というのも、同じ系列の女子高から大学に進学したのですが、私は系列の女子大ではなく、共学の総合大学へ進学し
ました。
 私の高校も女子高としてはかなりスポーツがさかんで、私の部もその地域ではレベルが高かったのですが、共学の総
合大学とその直系の高等部は、それ以上の強豪校でした。
 当然、上下関係も厳しく、特にレギュラーと補欠との上下関係は厳しいものがありました。私の高校での補欠のス
クールブルマも、大学と直系の高等部から持ち込まれたものでした。

 ただし大学の場合、二軍は紺のブルマ一色だけです。だから学年はわかりません。これは他の高校から入学した部員
にも配慮したからでしょう。
 ただし高校と違って補欠には三軍もあり、三軍は学年ごとの三色です。しかも高等部と違って、鮮やかなコバルトブ
ルー・朱色がかった赤、エメラルドグリーンなので、高等部のものよりも目立ってしまいます。聞くところによると、
昔、直系の中等部で使っていたものらしいです。
 つまり三軍は、高校生以下の扱いということなのです。
 二軍も高校生並みの扱うということですが、二軍と三軍とでは大きな違いがあります。
 幸いにも私は三軍に落ちることはありませんでしたが、二年生の六月までは二軍でした。
 だから紺のスクールブルマ姿で、入部したばかりのレギュラーの一年生に二月弱しごかれるという屈辱を味わいました。

 でも、私と同じ高校出身の三年生の先輩が、それまでずっとレギュラーだったのに極度のスランプに陥り、夏休みの
練習から三軍に落ちるということがありました。
 この話は、今度、続きを書きます。

 運動部にとって大切な上下関係を明確するためにも、ブルマー姿が意味を持っていたのですね。
ブルマーに関係する性的な思い出などもあれば、告白してみてくださいね。


彩佳さん(29)より 4/18

はじめまして、彩佳と申します。

 このスレを初めて見るまで、ブルマがほぼ全廃された時代にスクールブルマを練習着にしごかれたのは私ぐらいかな
あと思っていましたが、けっこういらっしゃるのですね。びっくりしました。

 年齢的には小学校の高学年になった頃からブルマの廃止が大きく叫ばれた世代なので、学校の体育の授業では小学校
以外はブルマを穿いたことはありません。

 しかし、高校の部活ではブルマがしっかり残っていました。補欠はユニフォームではなく、ブルマ着用が義務付けら
れていました。

 競技もブルマを穿いてするようなスポーツでは過去現在ともなく、それだけでも恥ずかしかったのですが、学年ごと
にブルマの色が違うのです。

 これは体育の授業で使っていた時代に学年別にブルマの色を変えて学年がすぐわかるようにして、三年間同じ色のブ
ルマを使用することになっていた名残です。

 幸いにも私の学年は紺だったのでまだましでしたが、緑や赤の学年のひとは上級生になっても補欠であることがまる
わかりでもっと恥ずかしかったと思います。

 かくいう私も二年生の秋になって三年生が引退するまで、補欠でブルマを穿き続けました。同級生や一年生のレギュ
ラーから指導を受ける時、相手はユニフォーム、自分はスクールブルマという見た目の格差に屈辱を感じざるを得ませ
んでした……。

 意外とあちこちで同様な事が行われていたようですね。
貴女ならではの、ブルマへの思い出があるのでしょうね。


美湖さん(??)より 4/18

こんばんわ。
まだ初心者なせいかブルマーになってしまうだけでもいっぱいな感じで、他の事まで考えらる余裕はまでないと思いま
す。
もっと慣れてくると脱いでしまいたい思いなんかも生まれてくるものなのでしょうか?
でも外だと周囲も注意しておかないといけないので、単純に着心地とか気分とかを楽しむなら家で着ているぐらいがち
ょうど良いのかもしれないという考えに傾いています。

少し前に新しくブルマーの体操服を揃えました。
今まではお試しのような意味もあって、元々あった体操服の短パンをブルマーにしただけのようなものでした。
今回は初めてシャツも選んで組み合わせ、ずっと着てみたかったグリーンに2本線のブルマーにしました。
初めてサイトを見たときからずっと憧れていたもので、以前から他校の制服や体操服を着てみたかった願望がこういう
形でも叶えられたのも嬉しかったですし、それがブルマーで叶ったのも嬉しかったです。

初めて着たのに、なぜか本当に現役生のときから着ていたような気持ちがしました。
違うものを着れば違う感覚になると想像していただけ、そこがちょっと意外でした。
今日はお天気も良く陽射しが暖かくて、新しい半袖とブルマーの体操服でも全然寒くなく、むしろ何か包まれているよ
うな感覚がしてとても幸せな気持ちになりました。
そして、そんな気持ちのまま、現役生としてエッチをしてしまう夢を見てしまいました。
ないものねだり、そう言ってしまえば簡単かもしれませんが、現役生の頃にブルマーだった人はちょっとずるいな、そ
んな事を思ってしまいました。

学校で着てもいないのに、と思われた方はすみません。
今日は幸せな気持ちを感じられた、そのことをお伝えしたいと思います。

最初のうちは自宅で着用するだけで楽しいのでしょうが、
少しずつ、今自分がしていることを誰かに話してみたくなったり、
見て欲しいとか思うようになる傾向もあるようですね。


明美さん(39)より  4/18

私の思い出は、小学生時代の話です。
この学校は、田舎にあり体育が盛んで厳しいと有名でした。
まず、服装は、制服が半袖体操服にブルマで、シャツ入れは、登下校中も徹底されてました。
学校に着くと、靴下と上の体操シャツを脱いで乾布摩擦をします。そして、シャツを着たら、
全校生徒で学校の外周に少し大きい池の回りを走ります。過疎化が少しずつ進んでいたので
町の活性化ということで、30分走りながらクラスでゴミ掃除をします。地域の人もよく散歩
してました。最後に、長いスロープで、謎の逆立ちとブリッジをします。

全校生徒でブリッジと逆立ちをするかは、謎でしたが今は廃校です。
業間体育では、運動場で、縄跳びや20分走などで体育館は、逆立ちやブリッジや馬跳びと基礎
トレーニングが多かったです。昼休みは、全校生徒で鬼ごっこやリレーなどしました。
放課後は、希望者だけの地域体育推進で、今で言うスポーツ少年団的な活動をしていました。
この取り組みは、共働が多くなってきて子供と地域の関係を築くという理念から生まれました。
学校で、練習して休日に試合等があり、とてもよかったです。
また、投稿します。

今は無くなった学校での思い出なんですね。
ブルマにまつわる、性的な思い出もおありでしょうか。


夏奈美さん(36)より 2/27

私の思い出は、中学生時代の部活の話です。
私は、バドミントン部に入りました。その部は、公立中学校では、強豪でした。
でも、指導の厳しさが有名で最終的には、20人入ってもよく残って5人くらいでした。
まず、バドミントン部は、体育館の都合上、毎日、練習できないので、掛け持ちでした。
まず、入部届けを出しにいったら、顧問が「君達は、バド部希望、そしたら掛け持ちだけど
水泳部人いないから水泳部やな」
私「いいですけど、泳げません。」

顧問「大丈夫や1年もしたら出来るから。」
といって部活の掟という表をもらいました。
一、遅刻、無断欠席をすれば10枚の反省文。
二、本校及び他校の試合に行く場合は、指定体操着を着用する。
(夏、冬とわずに半袖体操服と女子は、ブルマを着用すること。体操服の上のシャツの下には、
何も着ない。服は、必ずズボンにしまう。)
などと、運動部は、規則でした。
また、投稿します。

恥ずかしかったことや、性的に関係した思い出がなどおありでしょうか。投稿してみてくださいね。


美湖さん(22)より 2/7

なかなか来れずにいたのですが前回の告白から1ケ月でブルマーの外出をしました。
最初のとき家の中で着ていたのですが、人通りとかもなくてすごく静かだったのでちょっと窓を開けて外を見たら脚に
冷たい空気が触れ、すごく寒そうでも気持ち良さそうでもっと触れてみたいと思いました。
コートを上に着て行くのが一番簡単かなと思って最初、それで一度外へ出てドアをロックしたときにジャージに触れて
いた肌の冷たい感触が中学のときジャージで自転車に乗って帰ってきていたときの感覚を思い出してパンツの方も着て
同じ感覚を感じたいと思いました。

ジャージのまま行っても良いかなと一瞬思いましたがマンションの誰かと会っても困ると思って上をベンチコートにし
て合わせました。
どこへ行くつもりもなく、とりあえず近くの遊歩道に入りました。
夜9時くらいだと時々バス停から帰ってくる人もいる時間なのに誰もいなくて安心はできたけどなかなかコートを脱げ
そうな場所がなくて寒いし、帰ろうかと思って最後に回り道したのが公園でした。
ライトのあまり当たっていない植え込みに大きな木もあったのでここなら少し隠れられるかもしれないと思いそこへ着
くと、植え込みの大きさとかもちょうど良くてそこに決めました。
コートを脱いでジャージになり、ジッパーを降ろしている音が響いていそうでドキドキしながら頭がいっぱいになって
きてしまい、ジャージのパンツを脱いでしまったとき一瞬真っ白になりかけました。

外でブルマーになるなんて初めてだったのにホント気持ちよくて嬉しくて、ジャージの上まで脱いで半袖になってしま
いました。
実家のあたりの肌を刺すような寒さとは違って、寒いには寒くても気合いが入るというか元気をもらえるというか、そ
んな気持ちで嬉しくて子供みたいになっていたと思います。
でも調子に乗りすぎて雪の下のでこぼこに気づかず滑って植え込みの陰になっていたとき、少し遠くに人の話し声がし
たので慌ててコートやジャージを引いて体育座りしていたらその声も遠くなり、その間も緊張はしてましたがお尻のほ
うからじんわり冷たさが伝わってきて、それも嫌ではなくてすごく嬉しかったです。
そのまま少し目を閉じてその感覚を味わっていましたけど本当に寒くてそれ以上はできなかったせいか、あまり楽しめ
たっていう感じになれなかったのはちょっと残念でした。

今まで何回かやってみました。
やっぱり寒さがすごく気持ちよくて嬉しくて、ちょっと肌に触れる冷たいブルマーの感触があると当時はブルマーでは
なかったけどその感覚あると中学校のとき冬にこんな経験していたときのことを思い出すんです。
そういう気持ちになるのは最初から分かってはいるんだけど、実際そういう気持ちになると嬉しいって言うか当時とは
良い意味で何か違っているなって思います。

うまくまとめられないのがもどかしいですが、この気持ちをお伝えしたくてまた来ました。
良かったらまたお願いします。

 昔のブルマの思い出が蘇って懐かしい気持ちにもなれるようですね。
そして、今はなんだかエッチなドキドキ感も味わっているのかもね。
ブルマも脱いでみたくなる気持ちもあるのかな。
また、来れる時があれば告白してみてくださいね。


えりこさん(33)より 2/7

高等部のブルマは青・赤・緑の学年色で、私の学年は青でした。
1年の終わりまでは体育訓練も青ブルマでしたが、2年の時に全学年共通で体育訓練専用のブルマが新しく決められまし
た。

この体育訓練専用のブルマは、なんと白で校章入りのものでした。
白のブルマなんて穿いたことが無かったので全員驚きましたが、絶対服従の学校ですから全員穿き替えました。

もちろん、以前と同様に下着なしの直穿きです。
以前のブルマだと股間のシミはそれほど目立たなかったんですが、白は結構目立ってしまいました。

もちろん、シゴキは今までと変わらず地獄の日々でした。

  白色って透けてみえたり、恥ずかしさが増したのではないでしょうか。
遠くからは下着だけで居るようにも見えたかな。


和江さん(46)より  2/7

和江です

前回の告白でS君の苗字が刺繍された体操服をプレゼントされたことを
書きましたが、それが嬉しくてたまらなくて体育の授業がある日以外は
毎日セーラー服の下に着て学校に行っていました

彼の名前の刺繍が入っているから、家で母に洗濯してもらう訳にもいかず、
数ヶ月もしたら、S君好みの汗臭い黄ばんだ体操服になってしまいました

ところで、その頃から(高校3年生の初めくらいです)彼の態度が変化してきた様に思います
それまでは、どちらかと言えば、彼は私と付き合っている事を周りに隠そうとしていた様に感じました

少し寂しい気持ちはありましたが、私みたいなデブでブスな子が彼女じゃあ
仕方ないなって諦めていた部分も正直ありました

ところが、学校でも堂々と私のことを彼女として扱ってくれ始めました
頻繁に一緒に下校してくれるようになったり、お昼休みには二人だけで
過ごす時間も次第に増えていきました

そんな幸せな日々が続いたある日のことでした
お昼休みに彼のクラブの部室で二人で密会しました

突然、「和江のブルマ見たい」って言いだし、スカートをめくられました
彼は私を後ろから抱きしめてくれ、硬くなったものをブルマに押し付けてきました
そして、私も少し手伝ってあげて、S君の精液は私のブルマのお尻の部分に撒き散らされました

本当は、凄く嬉しかったのですが、午後の授業は体育でした
彼は、それを知ってたかどうかはわかりませんでしたが、私のブルマに付いた精液を
手で塗り広げていったのでした

みんなの前で公然と付き合い、彼女としてみてくれてよかったですね。
この頃は、とても幸せだったのでしょうね。


和江さん(46)より 1/4

和江です
先日、彼に「ブルマ奴隷になりたい」と打ち明けてから、数ヶ月が経ったときでした
ちょうどS君と付き合いはじめて、3回目の私の誕生日のことです
彼から、渡したい物があるから、帰りに待っててと言われて、
誰も居ない教室で彼の部活が終わるのを待っていました
しばらくすると、紙袋を持って、S君はやってきました
「和江の誕生日プレゼントだよ」と言って持っていた紙袋を渡してくれました

両親以外から誕生日にプレゼントなど貰ったことのない私にとっては凄く嬉しい出来事でした
彼は、開けてみろよ!と催促するので、袋を開けてみると、
中学の時の半袖体操服と同じエンジの縁取りの体操服が2枚入っていました
S君は、着てみてくれる?っていうので、トイレに着替えにいきました

袋から体操服をとりだしてみると、ただのエンジ色の体操服ではなく
本当に私たちの卒業した中学の校章が胸にプリントされたものでした
それよりも驚いたのが、校章の下の名前の刺繍でした
私の苗字ではなく彼の苗字○○に私の名前が刺繍されています
『○○和江』
それを見た瞬間、嬉しくて涙が出てきました

彼にプロポーズされた訳でもないのですが、なんだか今まで以上に彼のものだと強く感じたのでした
ただ、袖を通してみると、やはりというか、そんな気はしていましたが、
この醜い太めの身体を強調するかのようなピチピチのサイズです

でもそんな恥ずかしさより、嬉しい気持ちが強く、スカートも脱ぎブルマで彼の待つ教室に戻りました
S君は、こんなにデブでブスな私のなのに、「和江、かわいいよ!」って言ってくれました
今までの誕生日で、一番の日になり、また本当にS君の好みの女に改めてなりたいと感じた一日でした

 なかなかの素敵なプレゼントでしたね。
彼も一生懸命考えたのでしょうね。
 貴女の心はより強く掴まれたのですね。