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ブルマへの想いを綴るぺージ12Line183.jpg (1844 バイト)

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えりこさん(33)より 12/14

高等部の貫通式は拒否することは絶対できず、穴ブルマを穿いて専用の台に四つん這いの格好で体を縛られて固定されます。

初めての時は痛くて血が出ることも珍しくないのですが、構わずガンガンやれ続けます。
挿入→ピストン→中出しの繰り返しで、男子は一回イっても何度でも勃起します。
中出しされるので妊娠する女子もいますが、妊娠がわかるとすぐに中絶させられます。

高等部では、妊娠するような女子は気合が足りないとされていて、妊娠者が出た学年はより過酷な体育訓練を課せられます。

男子にも過酷な訓練があって、○ンポの亀頭の付け根に針金を巻かれて鉄アレイを吊るして腕立て伏せをさせられていました。

この訓練で○ンポに針金を巻いて鉄アレイを吊るすのは女子の仕事で、きつく締めると男子がうめき声のような声を出していました。

他にも○ンポを竹刀で何十発も叩いたりさせられました。
もちろん力一杯叩かないと罰があるので、女子も容赦なく叩き続けないといけません。
このような○ンポ強化訓練を受けて男子の○ンポは強くなるようです。

 こんなひどいことが平然と行われていたのですか?
決して許されない行為を、それまでのしきたりや、慣例として続けていたのでしょうね。


カナミさん(39)より 12/8

 私のブルマの思い出は、小学生時代の話です。
私の通っていた学校は田舎で制服がなく体操服登下校が普通でした。
夏は、盆地だったので薄い体操服だったのでよかったですが真冬は、雪が降ったりしたので
寒かったです。どんなに寒くても学校の規則で、半袖体操服に女子は、ハミパン対策で、直履き
が多かったです。学校に着けば裸足でした。シャツ入れも徹底されていました。

 この学校は、体育教育が盛んでした。朝は、学校の周りを30分走ります。
それが終わると乾布摩擦をします。一年生から体育の授業は、田舎なのでクラスが少ない部分多
かったです。先生も担任と体育専門の先生がいました。だから体育の得意な子供と苦手な子供を
体育館だったらカーテンでしきったりして指導していました。出来なくて挑戦しない子が挑戦出
来るようにしてたみたいです。でも人数が少ないので授業中は、ずっと動いてて忙しかったで
す。今、みたいにできなかったら笑うとかそんな時間も無いぐらいでした。
また、投稿します。

 ブルマにまつわる性的な思い出などもあれば、投稿してくださいね。


美湖さん(22)より 12/8

 現役生だったときから学校の制服や体操服に興味があって、卒業後も中学や高校の頃のものを家にいるようなとき着て
います。
現役生だったときから持っていたのが他校の制服や体操服を着てみたい願望でした。
実現せず卒業してしまいましたが、社会人となって地元と学校を離れ、ネットの通販サイトで夢がかないました。
ブルマーに出会ったのもそのサイトで、始めは学校で経験がなかったせいかただ眺めて通り過ぎていたと思います。
それがあるとき、中学のジャージに合いそうな色のブルマーを見つけてから少しずつ着てみたい願望が生まれてお財布
と相談して注文してみたのが始まりです。

脚が出るという意味では短パンのようでもフィット感が違うし、そういうフィット感で言ったらスパッツが似ているよ
うでも、ブルマーは太腿のところがないだけ楽な感じがするのが違うので、短パンとスパッツを足して2で割ったもの
でもなさそうです。
でも、実際着てみて感じたのが強くも弱くもなく本当にちょうどいいフィット感でした。
あと、つるつるした触り心地。
どちらも本当に気に入っていて、今は上が中学のジャージで下はブルマーでいるのが好きです。
でも、その着心地とか触り心地を楽しんでいて行き着いてしまうのは、エッチな事。
昔の中学生みたいに学校へ着て行かないといけないということになったら、たぶん落ち着かなくて勉強なんてできない
と思います。
今の私がそんな事になることは絶対なくても、ちょっと経験してみたいかもしれません。

ブルマーになると、ちょっと後ろめたいというか陰があるというか、そんな気持ちがすごく似合うような気がします。
最初に着たとき、学校の先生に仕方なく続けさせられている生徒になったみたいで、あんなに感情移入したのも初めて
で本当にしてしまったみたいでした。
このままだと私も14才の母になるかもです。

 ネットで欲しいものが手に入るようになった時代だからこそ、手軽に昔のブルマ願望も叶うのでしょうね。
そんなに気にいったなら、こっそりブルマ姿で外出してみるなど、後ろめたいような気持ちをもっと味わってみるのもいいかもしれないね。


美里さん(28)より 12/3

私の思い出は、中学生時代のバレーボール部の話です。私は、部活に入る予定が無かったのです
が、入学してからすぐにあった入学スポーツテストで、バレー部の顧問に「うちの部には、ボー
イッシュな女子しかいないから君みたいな美女に入ってほしいな」と言われて今まで引っ込み思
案で美女と言われたことがなくて嬉しくて入部しました。

その部は、バレー部の強豪だったので人数もあまりいませんでした。でも、規則が厳しかったです。
部活の時も体育の時もジャージは、禁止でした。半袖に直履きブルマでした。シャツは中にしまうことも規則でした。
練習は、まず柔軟体操からします。股を限界まで広げて背中に先輩が乗ります。
激痛をこらえて体力作りとして校外を1時間30分走ります。最初の内は、股関節がいたくて走るのが辛かったです。
また投稿します。

 スポーツクラブへの勧誘もそんな言葉をかけられることもあるのですね。
入ったら最後、外見など関係なく厳しく鍛えられたようですね。


あゆみさん(30)より 12/3

はじめまして。
私は子供のころから体操服とブルマが大好きで自分に刺激を与えて鍛えることにこの上ない興奮と喜びを感じてしまいます。
その一つとして子供のころから毎日欠かさず行っているのがゼッケン付体操服・ブルマ・裸足で近所の公園で運動することです。
暑い日も寒い日も雨の日も雪の日もその日のグランド状態を足の裏で感じて刺激を受けながらランニング10周や縄跳びなどを
していますがとても気持ち良くて病み付きになっています。

習慣とは凄いですね。最初の頃は辛かったかもしれないことも、興奮するほどになってしまうものなのですね。


和江さん(46)より 12/3

前回の告白で彼の精液まみれの短パンにとても感じてしまったことを
話しましたが、どうもS君にはバレていたようでした

次の日、彼に言われました
『和江、オレの短パンに感じただろ?』
当たってはいましたが、恥ずかしくて否定してしまいました
顔が真っ赤になっていたので、彼には分かっていたんだろうと思います

そして、『もっと感じさせてやるから、土曜日に泊まりにこいよ』って誘われました

なんでも彼の両親が旅行で家を空けるみたいでした
自分の親には友人の家で中学の友達が集まるからと嘘をついて彼の家に行きました

S君のリクエストで中学の時のエンジの体操服にブルマを身につけてみました
ずっとタンスに入っていたので、前より黄ばんでいるような感じだし、
久しぶりに着てみると、やはりピチピチだし、少し生地の薄くなっていて
やらしい気分になります

彼の部屋に入って、上に着ていた服を脱ぎ、ブルマに体操服姿になりました
S君も中学の体操服と短パンで待っていてくれました

彼の短パンはこの前と同じでいっぱい精液の染みだらけです
それだけで私はブルマがびしょりと濡らしてしまいました

彼は『和江は変態だね!』ってワザと言うから、余計に興奮してしまいます
いわゆる69の態勢でお互いの短パンとブルマの匂いを確かめ合いました
そして正上位になり、ブルマのまま彼の短パンに敏感なところをこすりつけました

挿入もしていないのに、お互いにいってしまいました
その後は抱き合って朝までいました
その時に勇気をだして告白してみました
『ずっと、S君のブルマ奴隷でいたい』
彼も喜んでくれ、一緒に同じ方面の大学を目指そうねと言ってもらえました
とても幸せな気分で、彼のためなら一生ブルマでいてもいいって思いました

こすりつけるだけで、イッたとは凄く興奮していたのだろうね。
親に内緒だと、よけいにドキドキしたのかもしれないね。


怜子さん(35)より 11/6

万年補欠の怜子です。
前回の妄想プレーの続きです。

>自分の想像の中の役柄と、現実の自分が重なってくるとは凄いですね。いつかは、どちらが本当の自分なのか、ど
ちらなのかもわからなくなる時が来るのかな。

うーん、妄想プレーの途中ではいつのまにか、ということはありますが、最終的には、どちらが本当の自分なのか、
わからなくなるということは、まずありえないですね。
妄想プレーの私(隷子)は、知らず知らずのうちに現実の私よりも屈辱的な扱いになっているので、例えば、妄想プ
レーの隷子は、いつのまにか部内ではただひとりブルマを穿いて練習することを義務づけられています。
現実の私の学生時代は、全国的に中学・高校の体育の授業ではかなり廃止されていましたが、部活では陸上部以外の
部でもかなりブルマを練習着として使用していました。私の大学でも、陸上部の場合、レギュラーでも練習の時に
は、陸上用ではない普通のブルマを使っているひとがいました。補欠の場合、義務づけられているわけではありませ
んが、高校時代の学販ブルマを使うひともいました。ブルマ着用と種類まで義務づけられているのは私だけでした
が、陸上用ブルマ以外のブルマを穿いているのは私以外にもいました。他の部でもレギュラー、補欠を問わず似たよ
うなものだったと思います。
ただ、補欠であることや罰としてブルマを穿かされていることは、何となく雰囲気で外部のひとにもわかってしまう
もので、学内や校外をロードワークしていると注目されてしまいましたが……。

一方、妄想プレーでは、部内ではもちろん大学内でも学販ブルマはおろか普通のブルマを穿いているのでさえ、私以
外にはいません。実際、私の大学では、今、陸上部はもちろんどこの部でもブルマを使っていないようなので、もし
私が入学したのが今だったら、私ひとりブルマ姿を晒すことになるでしょうね。
というのも、確かめたわけではありませんが、補欠以下の補欠(三軍)の制度は今も生きているようなのです。私の
後、三軍扱いになったひとがいないので、確かめようがないのです。
陸上部での練習で、試合用の陸上ブルマかそれに準じたハイレグのブルマあるいはランパン、ボックスパンツに変わ
ったのは、普通のブルマや学販ブルマが手に入らなくなったこと、高校の授業でブルマを穿かなくなったので、大学
での部活のためにわざわざ購入する必要もないだろうということになったからです。実際、高等部の場合、私が卒業
した翌年、四つ下の学年が一年生の時から廃止になりました。
私が大学三年生以上になっても学販ブルマを穿かなければならなかった時、高等部時代に一度も穿いたことのない下
級生の前で、その姿を晒すのは屈辱的でした。

おそらく今、二浪した私が入部すれば、三年生と同じ年齢ということで、三軍の制度は生きているらしいので、最初
から三軍扱いをされ、中等部、高等部の子も穿いていないような学販ブルマで練習させられることになるのでしょう
ね。妄想プレーでは、いつのまにか、過去の現実の私が受けた仕打ちではなく、今だったら現実に私が受けただろう
扱いになっています。つまり仁美さん状態やユウカさん状態ということになります。おふたりの書き込みを読んだ
時、妄想プレーの私と同じひとが現実にもいるのだ、まんざら妄想だけでもないのだなあと、ぞくぞくしました。
ただ、おふたりの場合、成績以外に、遅刻などのルール違反もあっての四軍や三軍ですが、私の場合、純粋に成績が
理由という点が大きく違います。だからこそ恥ずかしい面もありますし、レギュラーに這い上がったこういう悪しき
慣習は廃止してもらいたいという気持ちもありました。

もうひとつ妄想プレーの方が恥ずかしいパターンは、旦那の発案なのですが、以前少し話しかけたレギュラーから一
気に三軍に転落するというパターン(栄子≠フパターン)です。これは、万年補欠の現実の私が味わったのより
も、もっと屈辱的な感じがしました。万年補欠の私の再現よりも、花形のレギュラー選手から一気に三軍に降格する
方が屈辱感ははるかに大きいからです。
最初はあまりにも現実離れしているような気がしたのですが、実際にプレーをして栄子さん≠フ心情になってみる
と、この方が何倍も屈辱的で、その屈辱が爽快感に変わるような気がしました。
旦那のストーリー設定が面白いせいもあると思いますが、どうも旦那は「(高い地位から最低の地位へと)転落する
屈辱」みたいなものを考えだすのが上手なようです。

栄子≠ヘ、ある大学の女子陸上競技部の三年生です。中等部、高等部時代から陸上部のエースとして活躍し、系列
の大学へ進学すると、一年生からレギュラーとして活躍していました。二年生の時は補欠部員の教育係として面倒見
もよく、才色兼備の栄子≠ヘ下級生からも慕われ憧れの的でした。
選手としての実力の点でも、人望の点でも、次期キャプテンは間違いないと言われ、実際、二年生の秋に四年生が引
退すると、栄子≠ヘ教育係から副キャプテンのひとりに選ばれました。副キャプテンはふたりいて、ひとりは四年
生、もうひとりは三年生から選ばれるのが慣習でした。
女子陸上部のこれまでの慣習として、三年生で副キャプテンになった者は、怪我などでリタイアせざるを得なくなっ
た者を除いてほとんどが翌年キャプテンに選ばれていました。

しかし好事魔多し、ゴールデンウィーク明け頃から、何故か栄子≠フ記録が伸びなくなった。それどころか成績は
低下する一方で、その後の大会は惨敗続きの結果となった。個人のレースだけならまだしも、100mX4のリレー
などの団体競技でも、栄子≠ェ足を引っ張り、チームは惨敗してしまったのです。
夏休みの少し前のミーティングで、
「栄子は、夏休みの練習から、三軍に降格。今から心の準備などもしておくように」
と言い渡されます。ついに来るべき時がきたのです。
「それから副キャプテンの仕事は、もうひとり副キャプテンを新たに任命して、ほとんどの仕事はそのひとにやって
もらうけど、副キャプテンの座にはとどまってもらう。副キャプテンとして、三軍から這い上がってレギュラーに復
活するところを、部員全員に見せてもらう。自分で自分をしごくメニュー、三軍に転落するようなたるんだ自分に喝
を入れるペナルティも自分で考えてもらう」

「ということたから、怜子、自分で自分を貶めるメニュー、自分で自分に屈辱を与えるペナルティを考えてみろよ。
自分で自分の墓を掘るようなものだ。まさに墓穴を掘る、だな」
と旦那からからかわれました。
「うーん。まず、三軍に降格させられても部活を続けるか、退部するか、ミーティングでみんなの前で打診される。
もちろん事前の意思確認で私(栄子)は、部活を続ける意思を表明している」
「だろうな。一年生からずっとレギュラーで、一時的なスランプに陥ったとしても、これからだもんな」
「うん。でも、栄子はA先輩と同じく卒業するまでレギュラーに復帰できないまま、終わるのでしょう」
「それどころか大学院まで進んでも三軍のままでもいいぞ」
「そうね。体育学部や教育学部ならあり得るかも知れない。大学院進学の実質的な条件として現役選手である必要が
あるかも知れない。私も現役で入学していたら、大学院五年生の年齢(当時)だし」
「逆に、四年生の夏以降にレギュラーの目がなくなっても部活を続けることを認める代わりに、大学院の五年間も三
軍であっても部活を最後まで続けることを条件とされる」
「酷い、私でさえ、万年補欠四年間だったのに、栄子は七年間も」
「それどころか、大学院卒業後、体育の教師として、母校の教壇に立つ。先輩たち、それも年下の先輩たちが手ぐす
ね引いて待っている」
「ああ、そうか。五つ年下の子たちと同じ新任教師になるわけか」
「特に、二年目の先輩教師は、大学四年生で教育実習をした時に高校三年生だから、教え子になるわけだろう。陸上
競技だけでなく、学業の面でも立場が逆転するわけだ」
「それはいっそう屈辱的ね。でも、体育の教師だから、教育実習でもふだん体操服と学販ブルマ姿にさせられるわけ
でしょう。保健の授業でも、教壇で学販ブルマ姿。もちろん屈辱的なゼッケン付。先輩の教師たちに冷やかされる。
栄子先生は大学院へ進んでも三軍で頑張るそうだから、みんなも大学でレギュラーになれば、栄子先生をしごけるわ
よ、と」
という具合にどんどん栄子を貶めてゆくシナリオが決められてゆきます。でも、栄子を演じるのは他ならぬ私なので
す。自分でもおかしいと思いますが、隷子の時と違って、旦那と一緒に栄子を貶めてゆくシナリオを考えていると、
なぜか第三者的になれるのです。責める側の喜びと責められる栄子の屈辱感と両方が味わえるので不思議です。
妄想プレーで栄子を演じていても、隷子の時と違って、隷子以上に屈辱感を味わえる反面、屈辱を味わう栄子の惨め
な姿を見つめているもうひとりの私がいます。簡単に言うと、隷子の時はM100%だけですが、栄子の時は隷子の
時以上のMとSの両方の感覚があります。

栄子にとって最初の屈辱は、三軍への降格式です。私のような万年補欠でも高等部時代はレギュラーとして活躍した
栄光とプライドがあるので、それなりに屈辱があります。自分ではこれ以上ない屈辱だと思っていました。レギュラ
ーから三軍へ、しかも副キャプテンが三軍となれば屈辱的な大降格です。部員全員の前で、三軍降格の挨拶と誓いを
させられるのは耐えがたい屈辱でしょう。
さて、栄子の降格式です。栄子は一週間ほど前に三軍への降格の事前通告をされ、今日は夏休み最後の日、レギュラ
ー最後の日です。今日は練習前に夏休みのスケジュールなど長めのミーティングが行われます。全員試合用の陸上用
のハイレグブルマ姿です。補欠の子にも支給されています。現在、母校でもそうらしく、補欠でも練習の時には練習
用の陸上用ブルマを使用しているらしいです。
栄子も今日まではまだレギュラーなので、試合用の陸上用ハイレグブルマを着用しています。ここがミソです。幹部
である四年生から三軍降格について再度意思を確認されますが、栄子は三軍で頑張ると答えます。もちろん事前に意
思表示は済ませています。

「じゃあ、三軍降格になった挨拶と決意の挨拶をしてもらおうか。まず、三軍になった挨拶をするのに、その格好は
相応しくないな。規則通り三軍の練習着に着替えてもらおうか」
そう幹部から言われ、真新しい体操服と学販ブルマが手渡されます。栄子はみんなの前でレギュラーの象徴である試
合用の陸上用ハイレグブルマから学販ブルマに着替えなければならないのです。これは旦那の発案です。最初から学
販ブルマを穿いているより屈辱的だろうというわけです。確かにそうですね。
わざわざ旦那が陸上用のハイレグブルマまで買ってくれて、それをいったん穿いた後、今度はやはり真新しい体操服
と学販ブルマに着替えます。見ているのは旦那ひとりなのですが、私にとっては部員全員に見られているような想像
がしてきて、予想以上に恥ずかしいです。学販ブルマに足を通す時は、自分の体験も蘇ってきてものすごく屈辱的で
した。
しかも学販ブルマの色は真っ赤なのです。私が高等部時代の学年のカラーが赤だったためです。私の大学はスクール
カラーが青なので、運動部はユニフォームの色を紺かブルーにするところが多く、陸上部もその時代によって多少違
いますが、だいたいコバルトブルーを使うことが多いのです。だから赤だと部内でも学内でも完全に浮いてしまいま
す。事情を知らない外部のひとでも補欠、それも何だかいわくありげな補欠であることが丸わかりです。

今や高等部の生徒も穿かなくなった学販ブルマに着替えさせられ、栄子は三軍としての挨拶をさせられます。
「わ、私、○○栄子は、このたび三軍に降格することになりました。
まずは、これまで私の成績不振により部のみなさまに多大なご迷惑をおかけしたことを、深くお詫びしたいと思いま
す。
原因は、技術的なものもありますが、精神的なものがもっと大きいと思います。レギュラーとしての心構えに欠けて
いたというか、レギュラーとしての甘え、油断、自惚れが成績不振を招いたと深く反省しております。
三軍に落ちて、補欠以下の身分に降格し、一年生の補欠以下の補欠の扱い、高校生扱いを受けることは、私の弛んで
いた心を一から鍛え直し、精神面の修練をするのにちょうどいいと思います。高校生扱いを受け、高校時代に戻っ
て、原点からやり直したいと思います。
どうか、今後は私の教育指導のほどよろしくお願いいたします……」

「これまで私は副キャプテン、レギュラーという高い地位におりましたが、これからは部内で最低の身分となりま
す。
私、○○栄子は、今後、自分以外のすべての部員のみなさんを「先輩」と呼び、礼をつくしたいと思います。みなさ
んも今までのことは忘れていただいて、下級生の方でも遠慮なく私を高校生扱いし、「栄子」と呼び捨てていただき
たいと思います。
私、○○栄子は、三軍らしく、高校生らしく、練習には学販ブルマと体操服を着用します。
私、○○栄子は、練習時間以外も、24時間、三軍らしく、学販ブルマと体操服を着用します。
私、○○栄子、教育係をはじめ、みなさんの指示にすべて従います。自分ひとりでは一切の判断をいたしません。
私、○○栄子は、自分にミスや至らぬ点があれば、体罰も喜んで受けます。
私、○○栄子は、その他、三軍に決められたルールにすべて従います。
私、○○栄子は、レギュラーだったプライド、副キャプテンだったブライトはもちろんのこと、上級生としてのプラ
イド、大学生としてのプライドも捨てて頑張りますので、
どうか、みなさん、最低の部員となった栄子を、これからよろしくご指導ください」

わざとらしいセリフばかりですが、演じている私には実体験以上に屈辱感がこみ上げてきます。セリフを言っている
うちに、栄子さんの屈辱感が伝わってきます。やはりレギュラーからの大降格は私以上に屈辱的です。

長くなったので続きはまた。

 一人とは違って、妄想のアイデアを一緒に考える人が側にいるといいものですね。
どんどん世界が広がっていくようですが、やはり少しずつマンネリ気味になり、新たな刺激を望むようになるのでしょうか。

 


えりこさん(33)より 11/6

高等部では普通のブルマ以外に、股間の部分に穴が開いているブルマがありました。
このブルマを穿くとお○んこが丸見えになってしまいます。

何に使うブルマかと思っていたら、高等部の入学初日の夜に女子全員が穴ブルマを穿いて上半身裸で、とある部屋に集
められました。
この部屋は結構広くて床がコンクリートで出来ていて窓もなくジメジメしていました。

女子全員が直立不動で立たされ、そのあとに競パンの男子全員が部屋に入り女子と一対一になりました。
それから教官の指示で男子は一斉に競パンを脱いで全裸になり、女子は穴ブルマのまま自分でク○トリスを弄って濡ら
し四つん這いになりました。
軽く濡れたところで、ペアになった男子にバックで挿入されました。

新入生は3年生の先輩とやるのが慣例になっていました。
男子の先輩はガンガンにピストン運動して突いてきて最後は中出しされましたが、処女ばかりの1年生女子は失神して
しまうことも珍しくないそうです。

無理やり太くて長い○ンポを挿入されるので痛いのと妙な快感でイってしまいました。
3年男子は1回だけではまだまだ余裕で、そのあと何回か挿入され中出しされました。
このセックスは女子は処女喪失の貫通式、男子は童貞卒業式と言われて高等部の恒例行事になっていました。

その後も性行為は禁欲期間以外は毎日のようにありましたが、女子は全裸になることは許されず、必ず穴ブルマを穿く
ことが義務付けられていました。

 にわかには信じがたい空想の世界かと思ってしまいますが、本当のこのような事が行われていたら大変なことですね。
中出しで妊娠してしまう子も出てくると思われますが、どうしたのでしょうね。


和江さん(46)より 10/14

和江です
この前告白したセクハラコーチですが、その後は特に何もありませんでした
ただ、練習のときはブルマで参加しなさいと言われました
それからはずっといやらしい表情でずっと見られているような気がしました
本当は嫌悪感を感じなけばならない筈なのに、視線に反応してブルマまで汚す自分がいたのです
練習の途中でトイレに行ったことがありました
勿論、S君の為にブルマに汗を染み込ませるために下着を付けずに履いていました
トイレでブルマを脱いでみると、濡れているどころか、糸を引いていました
さすがに変態女だと思い知らされました
汗と愛液の匂い、汗臭い体操服、ほんとに変態女でした

実は、その同好会に参加したのは別の理由がありました
S君が学習塾に通い始め、練習の曜日と重なっていたのです
毎日、学校で顔は合わせてはいましたが、二人だけで少しでも多くの時間を
過ごしたっかたのです練習が終わると、汗まみれの体操服の上にジャージを着て
待ち合わせの公園に向かいました
田舎町の公園でしたから夜はほとんど人通りもなく二人だけの時間が持てました
二人でベンチに座り、学校での事とか話していると、彼は突然、「ジャージ脱いで!」と言いました
「汚れているし、汗臭いから恥ずかしい」って心にもない返事をしましたが、
本当はS君に見て欲しいし、彼のためにいっぱい汚したのです
彼は、「それが好きなん知ってるくせに!」と笑顔で返されました
ジャージを脱ぐと、彼はいきなりブルマに顔をうずめてきました
「和江、バレー始めてから、いちだんとブルマ臭いよ」

あのセクハラコーチのお陰かもしれません
S君が夢中になってくれるなら、本当になんでもしたい気持ちでいっぱいでした

実は、彼も私服の下に体操服と短パンできてくれていました
「和江の事を思ってオナニーした短パンだよ」
私のブルマに負けないくらいの匂いです
その匂いに感じてしまい、ブルマはぐっしょりでした

公園なので、お互いを触りあうだけでしたが、それでも幸せでした
別れて家に帰ってからも、S君の短パンの匂いが忘れられず、またオナニーにふっけてしまいました

その頃、早く高校を卒業して、親元を離れて進学して、S君と一緒に暮らしたい
そんなことばかり妄想していました
早く、毎日彼のブルマ奴隷になりたかったのです

 貴女のブルマ奴隷へのあこがれは、その後叶うのかな。
お互いの性癖を知り尽くした相手と一緒にいつも居たいと、純粋な気持ちだったのでしょうね。


唯七さん(38)より 10/14

私の思い出は、小学校時代の話です。過疎が進んでいて田舎でした。
この学校は、人数が少ないなりに公立小学校では、あまりない運動推進学校でした。
朝着くと、皆上半身裸で乾布摩擦とランニングでした。
男子は、学校に着けば、上着を没収する先生もいました。男子は、一日中、裸に裸足でした。
女子は、半袖体操服、ブルマ直履きが一般的でした。シャツ入れも規則でした。
朝は、30分走ります。教室に戻る時は、廊下には、いつもマットがありました。
前転や後転、開脚前転や開脚後転ブリッジ、逆立ち、手押し車などして教室に入ります。
また投稿します。

貴女の通った学校も、健康作りのための運動が推進されていたのですね。


玲奈さん(38)より 10/14

 私は中学2年の時に真奈美という子と初めて同じクラスになりました。真奈美は学校になじんでいなくて、休み時間を
含めて、誰とも話したりしていませんでした。

 体育の時間のことです。5月末まではジャージをきて授業を受けていいことになっていました。なので、女子は寒い日
は上下ともジャージで、暖かい日は下だけジャージで授業を受けていました。しかし、真奈美は寒い日には上はジャージ
を着ているのですが、下はいつもブルマーで授業を受けていました。1年の時に同じクラスだった子に聞いてみると、1
年生の時も同じだったみたいでした。ただ、誰も真奈美に関心はないので、なぜ真奈美がブルマーで授業を受けていたの
かはわかりませんでした。

 体育の授業が始まる前に運動場に集まっていた時のことです。その日もいつも通り真奈美だけブルマー姿だったのです
が、大きくハミパンしていました。誰も真奈美にハミパンを指摘するどころか話しかけもせず、真奈美もハミパンに気が
つかなかったので、授業の間中、ハミパンしていました。
 体育祭の時は体操服登校なのですが、ジャージをはいてくることもなく、ブルマーで登校して、1日中ブルマーのまま
でした。

 結局、真奈美がなぜブルマーで授業を受け続けたのかはわからないまま卒業しました。
 
 何か、家庭の事情などあったのでしょうね。しかし、誰とも話もせず、周りも関心もたず、
そんな中、一人孤立して過ごす真奈美さんは毎日辛かったのではないでしょうか。


和江さん(46)より 9/22

和江です
高校生になり数ヶ月が経ち、夏休みが明けた頃だったと思います
S君との関係も変わらず順調で、それなりに幸せな日々でした
そんなある日、母が近所の小学校(つまり母校です)で、週に2回くらい
バレー同好会みたいな活動をしているから、あなたも行ってみたら?と勧められ
参加することにしました

なんでもコーチが昔からの母の知人だそうで、すごくいい人だからって聞き、
また高校の部活ではハードな練習についていけなかったものの、バレー自体は
続けたい気持ちもあり、参加してみることにしました
ほとんどが主婦の集まりで、私くらいの年齢の子はいませんでしたが、
それなりにアットホームな雰囲気で楽しく身体を動かすことができました
ところが、母から聞いていたいい人のはずのコーチがとんでもないセクハラなおじさんでした

その活動には、例のぴちぴちのサイズの体操服とオナニーでブルマの上に学校の
ジャージの上下を着て参加していました
もちろん、S君のためにたっぷりと体操服やブルマに汗をしみこませ、彼に喜んでもらうためでした
3回目に参加したときだったと思います
活動も終わり、後片付けをしていると、ほかのママさんのいない体育用具室で
「和江ちゃんは、立派なお尻をしてるね」とかいいいながら、ジャージの上から触ってきました
ただ太ってるだけですよ!とその場は明るく返事してその日は帰ったのですが...

その次の練習の時でした
ほかのママさんたちの前で、「和江ちゃん、暑いんだからジャージ脱ぎなさい!」って大きな声で言われました
周りのママさんも、若いんだから、そうしなさいよ!ってコーチに同意したような口ぶりでした
躊躇しながらも、結局、その日は半袖の体操服にブルマで練習しました
普通の体操服ならば躊躇する必要もなかったのでしょうが、ジャージきているからわからないだろうと
思って着ている例の体操服にブルマです
醜い体型を晒すようなピチピチで黄ばんだ体操服に、半分お尻がはみ出してるブルマです
ママさんたちは何も触れませんでしたが、コーチにはずっとヤラシ目つきで見られているように感じました

練習が終わり、新人で一番年下でもある私が後片付けをしていると、またセクハラコーチが近づいてきました
そしてお尻のはみだしたブルマを触りながら、「和江ちゃんはいつもブルマでいやらしいことしてるんじゃないの?」
って聞かれました
「...」無言でうつむいていると、「ブルマのあそこのところにシミがあるよ」っていやらしそうにコーチはいいます
自分でも意識はしてませんでしたが、濃紺ではなく、青と紺の中間くらいの色のブルマだったので
オナニーの痕跡が残っていたのかもしれませんでした

「お母さんに報告してあげようか?」って脅してきます
ごめんなさい以外の言葉はでませんでした
私はコーチにされるがままに、ブルマのはみ出したお尻に硬くなったアレを押し付けられ、胸を触られました
「体操服、いい匂いだね」とか言われたりすると、嫌な筈なのに身体は反応し、ブルマが濡れていくのがわかりました
そしてコーチの鼻がブルマに近づいてきました
「すごく臭いよ、いっぱいブルマでオナニーしてるんだね?」
「うん...」

その日は触られただけで終わりましたが、弱みを握られてるようで、誰にも話せませんでした
もちろん母にもS君にも
ただ、S君以外の男性に身体が反応してしまったことに対し、S君に申し訳ない気持ちと
S君との時以上にブルマが濡れていた自分に複雑な気持ちでした

 とんでもないコーチに弱みを握られてしまったようですね。
同じような性癖を持つ相手には、何かピンと来るものがあるのでしょうね。
一度許すきっかけが出来ると、相手の要求もどんどんエスカレートしたのでしょうね。


怜子さん(35)より 9/9

万年補欠の怜子です。

>妄想も楽しんでいたとは、屈辱的な仕打ちも次第に貴女を興奮させるネタに変わっていったのかな。その頃は自覚
はしていなかったのでしょうが、Mの資質おありだったようですね。今でもその頃のイメージプレイがご主人と楽し
まれているようですね。

>いろいろなパターンを作り上げて、プレイを楽しまれたようですね。一人だと妄想の広がりに限度があっても、二
人だと幅広く展開していき、より楽しめるようですね。


うーん、そうですね。
その答えは難しいですね。
実際の練習の時は、屈辱的以外の何物でもなかったですからね。
自分ひとりの妄想プレーの時も、その時の悔しさを思い出しながら、レギュラー目指して頑張る自分に叱咤という感
じ、自分で自分に鞭打つ感覚ですね。
現役を引退しても、体を動かして、一定の筋力、体力を維持しておきたいと思って、部屋でエクササイズをしようと
すると、自然に屈辱的な学販ブルマと体操服に手が伸びるという感じですね。
ただ、わざわざ学生時代の時と同じように、体操服、学販ブルマに屈辱的なゼッケン、という三軍の格好で、エクサ
サイズをするところは、やはり私はM女なのかも知れません。

もうひとつは、たまらない屈辱感の反面、何だか体の奥底からジーンと何とも言えない感覚が湧き上がってくること
です。これがたぶんMの快感なのでしょうね。特に、練習をしている時よりも、練習と練習の合間とか、練習の前後
とか、ミーティングの時とかに、言葉で責められるのが堪えます。別に罵倒されなくとも、年下の先輩や後輩から指
図されるのは屈辱的で、その屈辱とは裏腹に下半身がジーンとなって、アンダーショーツがびっしょりになってしま
うのです。
一番屈辱的なのは、ミーティングで部員全員の前で三軍として挨拶させられたり、教育係の元後輩に挨拶させられた
れり、新入生の前で晒し者になって挨拶させられたり、することです。でも、時には自分の意思に反して体の奥の方
が反応して、やはり下半身がジーンとしびれるようになってしまいます。アンダーショーツまでびっしょりになって
しまうと、最初のうちみんなに気づかれないかとひやひやしたりしました。

「じゃあ、怜子の降格式をやろう。怜子にはが降格式がお似合いだ」と旦那に言われました。
実際の怜子(私)は、入部時から二年生の秋までにかけて少しずつ三軍としての扱いを増やされていったのですが、
やはり一年生の夏休みの後半が大きな区切りでした。
七月末の合宿の最後の日に、八月からは同じ一年生(二年年下の元後輩)が私の教育係に加わると発表されました。
どっちみち秋になると同じ一年生が教育係に加わるのですが、一年年下とはいえ二年生の先輩と同輩では屈辱感が違
います。また、一年年下だと高等部時代は同じレギュラーで頑張った時期の方が長いですが、二年年下だとレギュラ
ーと補欠という関係の時期が長かったので、立場が逆転して余計に屈辱的です。

「おそらく入部してからの三ヵ月と夏休みの本格的な練習一ヵ月の状況を見て、二年間のブランクを解消するにはも
っと時間がかかるだろうと先輩たちは判断したのだろう」
と旦那は言いました。
「うん。体力的にはついてゆけるようだけど、記録を向上するには最低でも来年の夏場を終えるまでかかりそうだと
いうのが、先輩たちの意見だった。自分もそう思った。先輩たちからは退部の意思を確認されたが、例え補欠のまま
でもあと二年は部活を続けたい。最低でも三年生の夏が終わるまでは辞めたくないと答えた」
「ふーん、それで先輩たちは何と?」
「気持ちはわかるが、二年生の秋以降は完全に三軍の扱いになるし、今年の秋以降でも同じ一年生が教育係になる。
怜子にとっては二年後輩にしごかれることになるが、その屈辱に耐えられるかと聞かれた。実際は、普通の補欠には
二年生は三年生以上が教育係になっていて、私だけ準三軍的な扱いなのだろうと思った。私は、今でも一年年下の二
年生、元後輩から指導を受けているので、かまわないと答えた」
「それで、前倒しで夏休みから一年生の教育係をあてがわれたのか」
「建前は二年生のレギュラーは秋の大会に向けて自分の練習に忙しいこともあるからという理由があったけど。やは
り四年生が後々のことを考えてのことだと思う」
「じゃあ、妄想プレーの隷子≠ヘ、怜子よりももっと徹底的な三軍扱いにしよう」

現実の私と違って、隷子≠ヘ最初の三ヶ月は他の普通の補欠と同じ扱いです。ただし教育係は年下の二年生です。
七月に入り、夏休み前のランク入れ替えで、隷子≠ヘ補欠以下の補欠(三軍)に降格します。現実の私と同様、二
年浪人して入部したため、年齢的に三年生の補欠と同じ扱いを正式に受けることになったのです。
事前に先輩たちからは退部を仄めかされますが、隷子≠ヘ万年補欠でも部活を続けたい、三軍の扱いは覚悟してい
ると答えます。
「でも、最初から完全な三軍扱いだと、私だったら途中で辞めていたと思うわ」
「いや、三軍にならなくても、入部していた時点で元後輩の先輩部員がいたわけだろう。当然、高等部時代と立場が
逆転してしまうことは覚悟の上だろう。普通の補欠(二軍)でも上下関係はきっちりあるだろうし。それに一度でも
いいからレギュラーになって終わりたいという気持ちは強いだろう」
「確かに」

不謹慎ですが、旦那とふたりで隷子≠フシナリオを考えていると、自分でも隷子≠しごく側、苛める側の気分
を味わえる感覚がしてくるので不思議です。隷子≠フ役を演じるのは自分なのに、ほとんどは自分の体験だという
のに不思議です。いわば、自分で自分を苛めるシナリオを考えているのに、責める側の感覚を味わえるのは不思議で
す。
元々しごかれ苛め抜かれて屈辱感で一杯の隷子=iかつての私と同じ)と、しごかれながらもなぜか快感を得てし
まう隷子=i私)と、どこかてしごかれることを期待しているような隷子=i私)とがいます。
妄想プレーで隷子≠フ役を演じていると、さらに、その惨めな隷子=i私)をしごきながら嘲笑うように見てい
るもうひとりの私がいます。明日はどんなふうにしごいてやろうか、どんなふうにしごけば隷子=i私)が屈辱的
かと手ぐすね引いている私がいます。

結局、隷子≠ヘ、事前の三軍降格通告と退部勧告を受けたのですが、、部活継続を申し出て三軍降格を受け入れま
す。すでに数日前のミーティングで隷子≠フ三軍降格は部員全員に発表されていますが、夏休み最後のミーティン
グで、正式に隷子≠フ三軍降格式が行われます。
白々しいですが、念のため、でもう一度、部活継続意志を確認されます。もちろん隷子≠ヘ三軍になっても部活を
続けたいと熱望します。では、三軍のユニフォームに着替えて、みんなの前で三軍としての誓いと挨拶をするよう
に、四年生の幹部から指示されます。もちろん事前の打ち合わせで四年生から言われたとおりです。
今日はミーティングだけの日なので、みんな私服です。私も私服だったのですが、みんなの見守る前で裸になって着
替えなければなりません。まさに衆人環視の屈辱です。これは私のアイデアです。最初から着替えているよりも屈辱
的だからです。

四年生から手渡された新品の学販ブルマと体操服は、昔、高等部の体育の授業で使っていたものです。隷子
(私)の時代にはすでに廃止になっていたものです。高等部の生徒も穿かなくなったブルマを三軍の隷子≠ヘ穿か
なければならないのです。
着替えが終わった隷子≠フ惨めな姿に四年生と三年生はニヤニヤしています。事前に知らされていることもありま
すが、二年前にも三軍の栄子≠ウん(A先輩がモデル)の教育係を務めたことがあるからです。三軍の人間を見た
ことのない二年生と一年生、特に同じ高等部出身の子は、元先輩の隷子≠フ無残な姿に目を背ける子もいます。

前にも言ったように、A先輩(妄想プレーでは栄子≠ウん)は、私とは三学年違うし、中学は別の学校だったの
で、高等部時代はすれ違いで面識はありません。また、私が高等部に入学する二三年前に、高等部のキャンパスは大
学の隣接地から、少し離れた現在のところに移ったので、大学の陸上部との交流はありませんでした。私は二浪した
ので大学でもA先輩とはすれ違いです。
高等部は移転してキャンパスも広くなり、運動部の施設も充実し、陸上競技部も有望な人材を集めてレベルが強化さ
れました。私が大学で万年補欠だったのも二浪のブランクもありますが、中等部・高等部のレベルがあがり、その結
果、大学のレベル全体があがった影響もあります。
それと屈辱的なことに、私が二浪している間に、レベルアップとともにA先輩の時代にはなかった大学と高等部の交
流が行われるようになったことです。高等部が移転した後の敷地を利用して色々な使節が完成し、全体として陸上部
が使える施設なども広く充実しました。高等部との合同合宿なども行えるようになったのです。つまり合同合宿で、
現実の私も妄想の隷子≠熏mZ生の前で、屈辱的な三軍の姿を晒さなければならないのです。そして、その高校生
たちは翌年、翌々年に入部してきて、私や隷子≠フ教育係になるのです。

何年も前に廃止された高等部の学販ブルマに、着脱式のゼッケンがついた体操服に着替え終わった隷子≠フ惨めな
姿。ゼッケンには「陸上部三軍、一年生、○○隷子」と書かれています。
屈辱に必死に耐えながら、隷子≠ヘみんなに挨拶と三軍の誓いをします。実際、二年生の秋にこの姿になった時は
屈辱的でしたし、妄想プレーでも何度やっても恥ずかしです、同時に何度も同じプレーをしたくなります。
「○○大学、陸上競技部、一年生、○○隷子。
本日より三軍に降格になりました。
入部以来、ご指導いただいたみなさんには大変申し訳なく思います。
二年間のブランクを取り戻すには、やはり自分の考えが甘かったと深く反省しております。
三軍に降格になっても陸上競技は続けていきたいと思います。
是非、私が部活を続けてゆくことを認めていただきたいと思います。
三軍ではこれまで以上に努力いたしますので、是非、これまで以上に厳しいご指導のほどよろしくお願いいたしま
す」
妄想プレーとはいえ、口に出してセリフを言っていると、顔が火照ってきて恥ずかしさが倍増します。旦那に見られ
ているとなおさらです。だんだん役柄の隷子≠ニ現実の私が一体になってきます。

長くなったので、続きはまた。

 自分の想像の中の役柄と、現実の自分が重なってくるとは凄いですね。
いつかは、どちらが本当の自分なのか、どちらなのかもわからなくなる時が来るのかな。


和江さん(46)より 9/9

和江です
高校に入学して、中学と同じようにバレー部に入ったことは
前回告白しましたが、実は練習についていけず、しばらくして
退部してしまったのです
勿論、部活で汗と土で体操服やブルマが汚れるのがS君が期待しているのは
わかっていましたから、彼には凄く言いにくかったのでした
でも、言わない訳にもいかず、一緒に下校できた時に打ち明けました
正直に言ったことで、S君も理解してくれました
結局、文化系のブラスバンド部に後に入部したんですが、バレー部を
辞める代わりにS君から条件を出されたのでした
それは中学の時から変わらないことでしたが、例の彼に言われて購入した
小さめの体操服とブルマは毎日制服の下に着用すること
また、彼がいいと言うまで洗濯しないのが条件でした
ただし体育のある日だけは、洗濯した普通のサイズの体操服を着てもいいって
言われましたが...

中学のころは、セーラー服の下に体操服を着てる子も結構いましたが、
高校では体操服を下に着ている子はほとんどいませんでした
ましてや、文化部の子で毎日、毎日セーラー服の襟元から緑の縁取りの
体操服がみえていたら、やっぱり浮いてしまいます
それになかなか洗濯してもいいよ!の言葉もなかったので
新しい体操服なのに一年生の夏ぐらいには、中学3年間着用した
体操服と同じ位に汗で黄ばんでしまいました
ブルマも直ばきしか許されていなかったし、彼のことを考えオナニーしてして
いる日々ばかりで、いつもいやらしい臭いが漂っています

ですから、クラスのなかで和江は汚いとか陰口を言われていました
中学の時と変わりません
それでも、S君が喜んでくれるので全然平気でした
それに、毎週土曜日には彼と午後はずっと彼の部屋で一緒に過ごす
ことができ幸せな日々でした
彼も私のことを想いオナニーしてくれていたようで、いつも彼の部屋で二人で体操服
姿で抱き合いました
彼の精液まみれの短パンをみているだけで私は凄く濡れてしまいます
そして、毎回行為のラストは体操服やブルマに精液をかけてもらいました
それがとても嬉しくてしかたなく、ますます変態ブルマ女になっていきました

 好きな彼の性癖にもかなり影響されたようですね。
体育系の部活を止めても、貴女の身体からは汗の臭気が漂っていたのですね。


和江さん(46)より 9/1

和江です
前回告白した泥まみれの体操服とブルマの体育祭から半年が過ぎ、
高校受験がやってきました
もちろん、S君と一緒の高校に進めることが夢でしたが、願いも叶い
同じ高校に入ることができました
入学前に制服や体操服などの販売会みたいなのがあり、本当はS君と
一緒に行きたかったのですが、母と行きました

実は、事前にS君から言われてた事があり、「体操服とブルマは一つ小さいサイズ
にしなさい」と命じられていました
中学の時は男子が紺、女子はエンジでしたが、入学した高校では学年ごとに
カラーが決まっていたみたいで、私達の学年は深緑色のジャージに
同じ色で縁取りされた白の半袖体操服でした
ブルマは中学のときと同じメーカーだったように思います

会場で母にお願いして、ブルマと体操服は2枚づつ買って貰いました
もちろん、体操服とブルマの1着はわざと少し小さいサイズにしました
本当は、私のようなデブな子はわざわざ醜い体型を強調するかのような
ぴちぴちの体操服なんて恥ずかしくて嫌だったんですが、彼が喜んでくれるなら
と考えたら、迷いは消えてしまいました

そして入学式も終わり、部活は一応、中学からやっていたバレー部に入りました
新入部員の一年は最初はコート外にでたボール拾いやら、体育館の床のモップ掛けやら
の雑用がメインでした
練習の終わりには外に出て、グラウンドをランニングしたあとで汗びっしょりなのに
土のグラウンドで腹筋や背筋のトレーニングがあり、まっさらの体操服も
すぐに泥まみれになってしまいました

身体の成長は止まっていたのかな。
一回り小さいサイズを選ぶのも躊躇無かったようで、好きな人が喜ぶならという思いは強いものですね。


唯奈さん(39)より 9/1

私の思い出は、小学校から高校生まで体育は、ブルマでした。
小学生の頃は、制服の代わりに体操服とブルマでした。学校に着くと裸足になります。
全校朝礼の時にこの学校は、裸教育をしていて、生徒は乾布摩擦をします。
その後にそのままの格好でグランドを20分間走ります。終わったら服装チェックをして入ります。

今では問題になると思いますが、持ち物検査等もあります。
この学校は、体育教育に力を入れており晴れの日は、必ず外で遊ぶことがルールでした。
雨の日は、廊下で柔軟体操や逆立ちやブリッジをします。
体育の時間の前には、少し早く終わって授業がだいたい50分になっていました。

放課後も、放課後体育教室というのがあって参加自由なのに全員参加してました。
宿題も教えてくれたので保護者からは、すごく評判でした。
家に帰るとヘトヘトだったのを覚えています。また投稿します。

  昔はブルマ姿は当たり前で毎日を過ごされたのですね。
体力もつき勉強も出来て、良かったですね。


美穂の親友さん(34)より 8/25

私が小学6年生の時のことです。
 同じクラスに美穂という親友がいました。美穂は少し大人びていて、美人でしたので、人気がありました。
 学校に制服はなかったので私服で登校するのですが、美穂は夏にはかなり短いミニスカートで登校していました。ミニ
スカートといっても、パンチラ防止のために、いつも体育のブルマをはいていましたので、さすがにパンツ丸見えという
ことはありませんでした。

 ある夏のことです。プールの授業が1時間目にあったので、美穂は家から水着を着て、その上に私服を着て登校してい
ました。プールの授業が終わった後に、更衣室で着替えている時に、美穂はブルマを忘れてきたことに気がつきました。
パンツは持ってきていたみたいです。美穂はブルマを忘れてきたことに気がつくと、私にブルマを今日1日だけ貸してほ
しいと頼んできました。

 美穂ほど短いスカートではないですが、私もミニスカートをはいていましたし、パンチラが恥ずかしいのは同じですの
で、最初は渋っていたのですが、仕方なく、美穂にブルマを貸すことにしました。
 普段はブルマをはいているのでスカートのめくれとか気になりませんでしたが、この日はスカートのめくれが非常に気
になりましたし、何かいけない露出をしているような気さえしていました。
 多分、ブルマをはいていないことはばれなかったと思いますが、2時間目から帰宅まで非常に長い1日だったのは覚え
ています。

 仕方なく友達にブルマを貸してあげたことで、初めての感覚を経験したのかな。
その後も時々、ミニスカートにパンツだけの格好を、こっそりしてたのかな。


和江さん(46)より 8/14

和江です
先日、告白した体育祭の続きです

昼休みに体育館の裏でS君と会った後、午後からの競技の前に
トイレに行ったときです
先に私がトイレに入っていると、クラスのちょっとだけ不良っぽい子のグループの声が
聞こえてきました
もちろん、私が先に入っているので、彼女達には私の存在は気づかれてはいません
こちらからも外の様子は見えませんが、声からするといつもの3人組だと思いました
あんまり彼女達のグループとは仲良くなかったこともあり、出づらくてトイレで
彼女達が出て行くのを待ってました

すると、一人の子が私のことを持ち出し始めました
「和江って汚いよね!」とか「デブなんだから、せめて体操服ぐらい洗濯しろよ!」とか
言われています
この状況で出で行く勇気はありませんでした
そのうち、別の子が「もっと汚してやろうか?」という声も聞こえてきます
今風にいえば、「いじめ」っていうのかもしれません
本来ならば、落ち込んだり、悲しくなる状況だったのかもしれませんが、
実際、今日の体育祭で全校生徒のなかで一番汚れた体操服を着ているのは
私でしたし、S君の精液が胸の校章のところにはしみ込んでいます
心のどこかでは、もっと汚したいと思っていたのかも知れません

3人組みが出ていったので、私も競技に向かいました

いくつかの競技のあと、組体操が始まった時のことでした
先ほどの3人組とは同じチームです
最初にピラミッドを作る競技でしたが、例の3人組は足をわざと濡らしてドロドロにして
やってきました
太っている私はもちろん土台となる一番下です
彼女たちは私の体操服やブルマで汚れを拭くようにして全員がわざわざ私の背中から
上にのぼっていきます
きっと体操服の背中は茶色になっているはずです
そんな状況なのに、悲しさはあまりなく、S君が喜んでくれるかも?なんてばかり考えてる
自分がいます
そして、そんなことばかり考えていたら、ブルマを濡らしていきました
変態ブルマ女ですね!?

そして閉会式の時間になりました
校庭に全校生徒が整列しています
後ろのほうで、あの3人組がなにか笑っていました
きっと、汚い私のことを笑っていたんだと思います

私はこの汚い姿を全校生徒に晒していると思うと、恥ずかしさのあまり
余計にブルマが濡れていきました

夕方、約束どおり、いつもの公園でS君と待ち合わせしました
S君は「今日の和江のブルマを写真に取りたい」といい出したんです
さすがに田舎町とはいえ、公共の公園ではたまに人も来るし、
ここでブルマは恥ずかしいから・・って言うと、
じゃあ、山にある神社に行こうって彼が提案したので
一緒にいきました

境内の裏ならば、誰にも見られるころはありませんでした
まあ、セーラー服の下は体操服とブルマでしたから、着替えるわけではありません
彼は、体育祭だったのでカメラを持ってきていたみたいで、私がブルマ姿になると
いろんなポーズを注文してきます
ひと通り撮り終えると、彼も体操服に短パンになりました
ジャージみたいな生地の短パンだったので、彼のものが大きくなっているのが
まるわかりです
彼は私を後ろから抱きしめて、あれをブルマの上から大きなお尻に押し付けてきます
「汗臭くでごめんね!」ていうと、S君はそれがたまらないよって言ってくれました
彼の手がブルマの敏感な部分に触れたときには、もうすでにぐっしょり濡れていました
そして、先日、精液まみれのブルマをはいたら、いつも以上に感じてしまったことも
話しました
じゃあ、「今日もブルマにかけていい?」って訊かれたので「うん」って頷きました
そのあとはS君も私も夢中で正確には覚えていませんが、最後にS君が射精し、私のブルマのお尻に
かけられました

彼と別れて、家に帰ってからも、思い出すと身体が熱くなりました
母には、こんなに汚れた体操服を見つかると、叱られ、洗濯されてしまうので、
ベットに隠して着替え、夜、みんなが寝てからまた体操服とブルマでベットに入りました
今度はもっとS君に苛めて欲しいと思いながら、またブルマでオナニーしてしまいました

S君の事を思い、自分の性癖を楽しんでしまう事で、周りにどんなに屈辱的な対応をされても
逆効果だったようですね。


えりこさん(33)より 8/14

冬の水泳訓練は屋外プールでの寒さの中で極限まで追い込まれます。
準備運動もそこそこにして、順番に極寒のプールに飛び込み休憩なしで泳ぎ続けます。
プールは深くて足は付かなくて、途中で泳ぎを止めることはできません。

冬でも屋外プールとは寒くて辛かったことでしょうね。


怜子さん(35)より 7/28

お久しぶりです。
万年補欠の怜子です。

以前お話ししたように、大学卒業後にも万年補欠の自分を再現して、ひとりで妄想プレーをしているところを、結婚
前の旦那に見つかってしまいました。
その頃はもう結婚の約束はしていたので、旦那は妄想プレーには理解を示してくれましたが、旦那の目の前でも旦那
好みの妄想プレーをしなければならなくなりました。もちろん旦那の好みといっても最終的には私も納得して従った
のですが……。

妄想プレーで恐縮ですが、現実に私が受けたシゴキや屈辱的な扱いも反映しているので、対比しながら書いてゆきますね。

ひと言で言うと、旦那が求める妄想プレーは、現実よりもさらに精神面で徹底的に私を貶めて屈辱を与えるしごきの
再現です。私自身もちょっと賛成している部分があります。現実の部活では、屈辱的なしごきの消化不良みたいにな
っている面がけっこうあるからです。
例えば、二浪して入学した私に年下の先輩や同輩、後輩の教育係は、最初のうちはかなり遠慮がありましたし、「補
欠以下の補欠」(以下、わかりやすくユウカさんのように「三軍」とします)としての扱いも最初は限定されていま
した。でも、妄想プレーでは、私ひとりでやっていた時も、最初から「三軍」の扱いを遠慮なく受けるものでした。

以前にもお話したように、私の大学では、三年生以上の補欠は、三軍の扱いを受けることになっていました。補欠の
教育係を二年生が務めることになっていたので、年上の補欠との上下関係をはっきりさせるためです。
二浪して入学した私は年齢的には三年生と同い年ですし、入部の際の組分けテストの成績では、補欠組の真ん中ぐら
いだったので、ブランクを割り引いても三年生以上の補欠が受ける三軍の扱いをされても仕方がありませんでした。
補欠組でも後半の成績の子は一年生の秋頃には、同じ一年生のレギュラーが教育係になるので、プライドから大半の
子が辞めてしまうからです。しかし二年間のブランクを考慮して、他の補欠よりは厳しい扱いを受けましたが、三軍
の扱いは一部だけに限定されました。

入部にあたって、四年生の幹部のひとたちから、補欠組であること、今の成績ではブランクを取り戻してレギュラー
昇格するのは少し時間がかかること、教育係は二年生で、高等部時代に私よりも一学年後輩だったひとから指導を受
けることなどの忠告を受けました。また、本来、三年生と同い年なので、三軍の扱いを受けても仕方がないこと、私
の場合は、その一部を適用することも忠告されました。

こういう扱いを受けても正式に入部して補欠として部活を続ける気があるのかと四年生に念を押された時には、二年
間のブランクもあるので今の成績はやむを得ないし、今の成績では三軍の扱いを受けるのも当然だろうと思う、ブラ
ンクを取り戻してレギュラー昇格を目指して頑張りたい、その結果、三年生、四年生になっても補欠であってもかま
わない、三軍の扱いを受けることも覚悟ができていると答えました。
では、二年生の教育係と引き合わせるが、元後輩でもきちんと「先輩」と呼んで礼をつくすこと、敬語を使うことな
どの注意を受けました。

「元後輩の二年生の教育係と顔を合わせた時が、怜子の最初の屈辱だったわけか」
と旦那から聞かれました。
旦那は高校が違うので、同じ高等部出身の部員間の微妙な心理がわかりません。それに男子部は女子のように高等部
出身の部員の比率が高くありません。
「うん。覚悟はしていても、やっばりね。いざ、元後輩たちの前に立って、挨拶をさせられた時は、屈辱的だった。
教育係は、みんなハイレグの格好良い陸上競技用ブルマや短パンを穿いているのに、私は部指定の昔のバレーボール
用のブルマ(学販ブルマは三年生からです)と体操服だったから、はっきりと目に見える形で自他ともに身分の差が
わかって恥ずかしかった」
「元後輩たちの反応は?」
「むしろ彼女たちの方が戸惑っていた。
私が、大きな声で、
『補欠組、一年生、○○怜子です。先輩のみなさま、これからご指導よろしくお願いいたします』
と深々と頭を下げると、息を呑んでいるのがわかった」
「ふーん」
「逆の立場になれば、私でも同じ心境だと思う」
「しかし妄想プレーでは、遠慮なく三軍扱いしてもらいたいのだろう」
「うん。遠慮されると、こっちはやりにくくて……」
「ブルマも最初から学販ブルマだな」

現実のやりとりはこうです。
「補欠組、一年生、○○怜子です。先輩のみなさま、これからご指導よろしくお願いいたします」
「怜子さん、本当にいいの? 私たち、怜子さんの元後輩だよ」
「そう。怜子さん、これから元後輩の私たちを先輩と呼んで、しごかれるんだよ」
「現実に、私は一年生で、みなさんは二年生ですから、私は後輩で、みなさんは先輩です。高等部時代のことは関係
ありません。昔のことは忘れていただいて、遠慮なくしごいていただきたいと思います。覚悟はできております」
「うーん……。じゃあ、一日も早くレギュラー昇格できるように頑張ってくださいね。私たちもちょっと心を鬼にし
て指導するかも知れないけど」
教育係の二年生たちの躊躇には他にも理由があります。
私が短期間にブランクを取り戻してレギュラー昇格するかもしれないからです。二浪している間もトレーニングは欠
かさなかったので、記録はたいしたことはなかったものの、見た目にはさほどブランクを感じさせなかったからで
す。ひと夏超えれば、秋口にはレギュラーに昇格できるのではと、教育係も思っていたようです。
ただ、より鍛える、より技術アップを図るということまではできなかったので、同じ一年生と比べてもその後の記録
向上の差は歴然としていました。一年生の夏休みの半ばには、昇格に時間がかかりそうだということは、自他ともに
はっきりわかるようになりました。万年補欠の道を歩みはじめるとともに、私に対する扱いにもだんだんと周りは慣
れていくようになりました。

一方、妄想プレーでのやりとりはこうです。
「三軍、一年生、○○怜子です。先輩のみなさま、これからご指導よろしくお願いいたします。高等部時代は、私が
先輩でレギュラーでしたが、今はみなさまが先輩でレギュラー、私は後輩でしかも補欠以下の三軍です。昔のプライ
ドは捨てて、三軍として一生懸命がんばりますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
教育係の間から嘲りと失笑が漏れます。
「怜子、本気で言っているの」
「元後輩を先輩と呼ばされたうえに、これから毎日しごかれるんだよ」
「惨めなブルマと体操服姿、ゼッケンまで着けさせられて」
そうなのです。現実は、三年生になってからだったのですが、妄想では、入部した時から、学販ブルマ、体操服にゼ
ッケン(補欠組、一年生。○○怜子と書かれたもの)をつけるのです。
しかもブルマの色は赤です。大学での指定のブルマはバレーボール用の紺もしくはブルーなのですが、学販ブルマは
高校生扱いということで、高等部のブルマを着用させられます。その年の一年生は高等部時代エンジだったので、私
も赤を着用させられるというわけです。
当時は、陸上部に限らず、練習着としてはブルマが普通だったと思うのですが、中学・高校の授業では私の卒業の翌
年からブルマが全廃されていたので、大学になっても高等部のブルマを穿くのはかなり屈辱的です。
しかし私は屈辱に耐えながら、必死に答えます。
「いえ、今の私は三軍です。私は一年生で、みなさんは二年生です。私は後輩で、みなさんは先輩です。高等部時代
のことは関係ありません。昔のことは忘れていただいて、遠慮なくしごいていただきたいと思います。覚悟はできて
おります。ブルマと体操服は三軍に相応しい服装だと思います」
「気丈に振る舞っても、いつまで続くかしらね」
「まあいいわ。他の補欠や一年生の前でもその気丈さが持つかしらね」

そうなのです。現実でも、他の一年生のレギュラーの前で、ブルマ姿を晒すのはすごく恥ずかしかったです。高等部
時代の二年も後輩たちは、試合用の陸上用ブルマやフリーな練習着です。補欠の子でも春先の寒い時期は、ブルマ着
用は義務づけられていません。一部三軍扱いの私とは、見た目にも身分の違いは明らかでした。
ましてや、妄想では、私ひとりだけ赤の学販ブルマです。スクールカラーが青の私の大学では、部内だけではなく、
目立ってしまいます。

「もっと恥ずかしいパターンでしごいてあげるからね」
と旦那はいいます。妄想プレーには大きく分けてふたつのパターンがあります。
ひとつは現実の私に近い万年補欠の隷子≠フパターンです。これは現実の私をさらに屈辱的な状況にしたパターン
です。これは今までお話ししたようなものです。

もうひとつは、前回ちょっとお話ししかけたような三年生のレギュラーから一気に三軍に大降格するストーリーで
す。これは旦那の好みがかなり入っています。以前名前が出てきたA先輩をモデルにして、A先輩よりさらに屈辱的
なパターンです。A先輩の場合、二年生の夏休み前に補欠に降格して、部のルールで秋から三軍に転落し、以降、レ
ギュラーに昇格できないまま、卒業しました。
しかし妄想のプレーの中での栄子=iA先輩の名をもじって、栄子≠ニ呼びます)は、三年生の夏に降格するの
でいきなり三軍です。確かに万年補欠の私よりも、A先輩よりも、さらに屈辱的だろうなと思います。万年補欠の私
も高校時代は一年生の時からレギュラーだったので、大学では悔しい思いをしましたが、大学の途中までレギュラー
で三軍に転落するのは屈辱的だろうし、そのまま卒業というのはもっと屈辱的だろうと思います。

話が長くなったので、栄子≠フパターンは、次回に書きますね。

 いろいろなパターンを作り上げて、プレイを楽しまれたようですね。
一人だと妄想の広がりに限度があっても、二人だと幅広く展開していき、
より楽しめるようですね。


えりこさん(33)より 7/27

高等部のシゴキは厳しくて、朝は5時から10キロ走があって全力で走らないといけませんでした。
たるんでいると判断されると10キロ単位で罰走がるので地獄でした。
冬の間は朝の10キロ走は無いのですが、代わりに水泳訓練があって寒さとの戦いでした。

マラソンは朝だけでなくて昼間も行われて、10キロが基本で最高40キロ走ることもありました。
直履きのブルマと半袖体操着が基本でしたが、暑さに強い身体を作る為に真夏のマラソンの時には
ジャージ上下を5枚重ね着して炎天下を走らされることも珍しくありませんでした。
もちろんマラソンする前から汗だくで、走り終わったら暑さのあまりフラフラでジャージやブルマには
大量の汗でビショビショになりました。

冬に水泳訓練とは変わっていますね。より厳しい状況で訓練することで鍛える手法だったのかな。


唯夢さん(38)より 7/21

私の思い出は、中高時代の全寮制でした。その学校は体育に力が入っており寮生は運動部に入る
ことが条件でした。朝も5時起きで、10キロランニングでした。しかも服装は半袖体操服に直履
きブルマでした。そこから腕立て伏せでした。4秒で下げて4秒停止4秒上げるこれがルールでし
た。20回×5セット腹筋;背筋;スクワット;ジャンプスクワットを先生の前でします。

少しでもサボったらやり直しでした。ホウキでお尻を叩かれることもありました。やっている最
中には、人差し棒でオッパイをつついたり不定期で土嚢を背中においたりされることもありまし
た。朝練が終わる前にストレッチをします。高3男子に足を限界まで広げられて太ももをさすら
れたり揉まれたり痛さを和らげることをしながら前に倒したり嫌らしいこともただありました。
また投稿します。

 厳しい練習だけでなく、途中でHな事もされたのですね。
男子には刺激が強く、性的な興味が勝ってしまうこともあったのでしょうね。


和江さん(46)より 7/7

和江です
今日は旦那が出掛けて一人なんで
先日購入したエンジの体操服に紺のブルマに着替えて
告白にきました
そう、あの日と同じ格好になって...

体育祭の前日です
いくら毎日、汚れた体操服を着ているとはいえ、
さすがに精液まみれのブルマで体育祭には出れません
やっぱり洗濯することに決めました
でも、少し寂しい気分にもなり、洗濯まえに
精液まみれのブルマでベットに入りました
もちろん、S君に犯されているのを想像してです
いままでで一番濡らしたかもしれないくらいに
オナニーに耽ってしまいました
しばらく余韻にひたりながら、未練はありましたが
お風呂でブルマを洗いました
そのかわり、校章のところに精液をつけられた
体操服は洗濯しませんでした
ブルマみたいに簡単に乾くかどうかわからなかったし、
もともと黄ばんでさらに土で汚れていたため、
多分、バレないかな?って思い、S君の精液に包まれていたい
とか変態的な事もあったんだと思います

朝になり、体育祭の日がやってきました
最初の開会式でグラウンドに全校生徒が整列します
わかっていたことですが、私の体操服だけよごれ
一番目立ちます
最近、また少し太ったので、体操服はピチピチで
ブルマからはお尻がはみでています
そして、見苦しい太い足です
恥ずかしさでいっぱいでした
午前中の競技で組み体操があり、ピラミッドのとき
太ってる私はもちろん下段です
みんなの土台になりさらに体操服は汚れていきます

そんな時、S君とすれ違い、昼休みに体育館の裏にきて!
っていわれました
きっと彼の言いつけを守らずにブルマを洗濯してしまった
ので怒ってるのかな?とか急に不安になりながらも
お昼休みに彼と体育館の裏でこっそり逢いました

「ごめんなさい」開口一番、私は謝りました
ところが、S君は何のこと?ぐらいにしか思って
なかった様子でした
「じゃあ、どうしたの?」って訊くと
S君は「和江を見てたら興奮してしまって..」

なんだか凄く嬉しくなりました
みんなに汚いとか嫌われても、この人にだけ気に入って
もらえたらそれでいいって改めて思いました
そして、夕方一緒に帰る約束をして
二人とも午後からの競技にいきました

 周りに思われようと、好きな人に気に入られるのは嬉しかったことでしょうね。
二人の性癖の相性は合っていたのですね。


喜美さん(34)より 7/7

2回目です。
ちなみにこの学校は、朝の会で宿題をします。
授業の余った時間にやっていってました。
勉強は、少ない時間で集中してやっていました。
給食も残していたらホウキでお尻を叩かれました。
放課後まで残されることもありました。
その後に掃除をします。先生が監視していてサボっていたら
生尻を叩かれました。終わりの会が終わると速攻で運動場にいってとにかく走り込みます。
小1の間は体操と水泳の基礎を叩き込まれます。
毎日運動をしていたら自分でも驚くほど体力がつきました。

 厳しいけれど、体力をつけるには効果的だったようですね。


和江さん(46)より 7/1

和江です
週末にS君に貸した体操服とブルマを返してもらうために
月曜日の放課後、彼と待ち合わせして一緒に帰りました
誰もいない公園のベンチで彼はカバンからシューズ袋を取り出すと
「和江、着てくれる?」って言いながら渡してくれました
私は黙ってうなずき、トイレに行きました
中を見てみると、ある意味、期待通り?でした
洗濯して返してくれるなんて思ってなかったですが、
ここまで精液まみれになってるなんて...
汚いって思うまえに、変ですが喜びの方が大きかったです
ブルマは糊でも付けたように白くカピカピになっていました
体操服は付けられてないなって思って着てみると
左胸の校章や名前の刺繍のあたりが生地がパリパリに
なってました

上からセーラー服を着て、S君のところに戻りました
「いっぱいしたんだね」って聞くと、
「和江の体操服、めちゃ臭ってたから」っていわれ
恥ずかしくも嬉しくもありました
その日の夜、精液まみれの体操服にブルマで
ベットに入るととても幸せな気分となんだかいつもより
いやらしい気分でブルマが濡れていきます
S君には今週の体育祭まで洗濯しては駄目だよって
言われています
汗で黄ばんだ体操服に精液まみれのブルマで全校生徒の前で
汚い姿を晒されるデブな自分の姿を想像したら、
より一層身体が熱くなり、ブルマに愛液が溢れだして
その夜はなかなか眠れませんでした

本当に汚い変態ブルマ女です
大好きなS君の精液のついたブルマを身につけていると
ずっと彼に犯されているような錯覚さえ生まれて、
さらに汚れ、布団になかがいやらしい匂いにつつまれます
体育祭の前日までそんな夜が続きました

やはり、彼も貴女の匂いに興奮し、オナニーをしたようですね。
彼のオナニーの痕跡でまた貴女も興奮したのですね。


唯美さん(36)より 6/23

私の思い出は、中学生時代の部活の話です。ちなみに寮生活です。
私は、バレーボール部に入りました。この部活は、すごく強豪でした。
なぜかというと鬼顧問がいると噂で新入部員もあまり入らず、
私と同じクラスの友美ちゃんの二人でした。

そして新入生歓迎会が終わると午後から練習が始まりました。
最初に体育館前でバレー部の顧問がいたので、
私「今日からバレー部の体験をしたい者です。唯美です」
友美「同じく友美です。」
二人「よろしくお願い申し上げます。」
顧問「よし、二人とも着替えて準備室で待機」
二人「はい」

練習が始まると服装検査がマネージャーがします。
マネージャー「新入生パンツ着用」
顧問「二人ともブルマは原則直接履いてシャツは原則入れる」
私達は急いでその場で着替えました。
また投稿します。

やはり、服装のチェックから始まるのですね。
これから厳しい練習と躾を経験されていくのかな。


喜美さん(34)より 6/23

私の思い出は、小学生時代の話です。私は、島育ちで性格はおっとり系でした。
島なので大概先生も入学前からしっていて親も信頼していたので厳しく教えられました。
この学校は体育教育には力を入れており学校に行けば必ず体育をします。

制服はなく体操服とブルマでした。下着は授業中に汗で引っ付き気にする生徒が多かったため
直接履いていました。朝の会は8時30分なのになぜか7時20分から早朝運動がありました。
10分間体操と学校集会をします。最初1年生は朝礼台で、自己紹介を大きい声でいった後、
20分間走があります。各学生一位5pt二位3pt三位1ptと競争します。

その後に馬跳びやうさぎジャンプや手押し車やv字をします。クラスにいくまでは、一番遠い廊下から
反復横とびしながら進みダッシュ&バックをやってケンケンパーやフラフープや編みくぐり
はしごくぐりをした後、自分の机を教室に入れて終わります。授業が終わる1分前に廊下にでて
壁倒立5分ブリッチ5分します。残りの一分で、教室移動なのに使います。歩いていると遅れるの
で走ります。また投稿します。

 体力作りに力を入れている学校だったようですね。
自然の多い島で、朝から元気に過ごすのは良いことかもしれませんね。


和江さん(46)より 6/23

和江です
前回の告白で辱められることに喜びを感じるように
なりはじめた風なことを書きましたが、今日の告白も
ちょうどそんな時期だったと思います

中学最後の体育祭の前だったので、3年の10月くらいだと思います
土曜日の放課後、S君と一緒に下校して別れ際に、
彼は突然、「和江のブルマと体操服を貸して!」と言い出しました
一週間分の汗やオナニーで汚れたブルマを大好きな彼に見られると
思うと、「恥ずかしくて無理だよ」と断ったんですが、
何度も言われたんで、ふたりで公園に行き、彼にはベンチで待っててもらい
トイレでブルマを脱ぎ、セーラー服の下の黄ばんだ体操服を脱ぎました

自分でいうのも変ですが、本当に臭いがいっぱい染み付いてたと思います
トイレから出て、ブルマと体操服をS君に渡すと、とても恥ずかしくなり、すぐに帰りました
家に帰ってからも、次の日曜日も一日中落ち着きませんでした
続きは、次回に告白します

 なんだか、変態かっぷるぽくなってきましたね。
彼には汗の臭いなど臭いフェチの傾向があるのですね。


那津子さん(40)より 6/23

ブルマは、復活すべきです。
私は、幼稚園から高校生まで体育の時間系は、ブルマをはいていました。
最近の女の子は文句ばっかりろくに勉強もしない挨拶もしない宿題を忘れても謝らない
教師にはむかういつからこんな時代になったのか。

昔は、ブルマは学校の体育の授業の象徴そして運動会とかは、成長した証を地域の人や親に見せ
るところです。ブルマを履いただけで活発で元気な子になります。
今の少女はいい思いしすぎ男子は女子の顔を見て行動する女子が男子を叩いてもあまり言われな
い。その反対は、大事になる。

学校というのは、勉強し運動もしそして、何より嫌なことでも必死に何かをする姿勢恥ずかし
かっても必死でがんばる子どもの方が生意気なオシャレしている子どもより断然可愛い!
時には、先生にお尻叩かれ走らされ身を持って体験するべきです。

私が通っていた学校は特別かもしれませんが昔は教師が生徒に対して嫌がることをやって生徒が
団結して先生を黙らすぐらいのことでした。
学生には、勉強と運動が一杯できる唯一の時期などで、それ以外は、させないことが大事です。

ブルマへの思いは人それぞれですが、那津子さんのような見方をされる方もいらっしゃるということですね。


花さん(30)より 6/23

私の思い出は、田舎の小学校で、来た一人の転校生の話しです。
最初、自己紹介の時に照れながら話ていました。
その子は、目がクリクリで足が細くて髪が長くてすごく可愛い子でした。
その子は、転勤族で短パンとブルマを両方持っていました。私らの学校は、校則が厳しく
登下校の時も体操服とブルマでした。上のシャツは中にしまっておかないと怒られました。

この町は、地域で、管理していて至るところに私の小学校のポスターがあって
シャツは、外にださない
寄り道しない
見つけた地域の人は、学校に電話して下さい。といったのがたくさんありました。
話しに戻りますがその子に先生が「短パンとブルマどっちにするの?」といって
その子は、意外にも「私もブルマ履きます。短パンより動きやすいし、みんなとも馴染みやすい
から!」といって一旦外に出て着替えてきました。
また投稿します。

 新しい環境に早く慣れるためにも、みんなと同じ格好を選択したのですね。
その子とその後友達になったのかな。


愛美さん(36)より 6/23
 
 私の思い出は、小1の頃はブルマやスクール水着が嫌いでした。恥ずかしがりで人前とか無理でした。
学校で、良くあるのは、本読みも嫌いで恥ずかしいことを一杯させられるため一時期学校にいくのを嫌
で、泣いていました。私は学校では周りの人に姉と比べられて出来の悪い私をよく嫌みを言われていま
した。でも、私を変える出来事がありました。

 それは、姉の運動会のリレーでした。姉も6年で、最後に400bリレーで、女子のアンカーでした。
姉のクラスの最初の子がこけて結構差がついてしまったのですがなんとか姉にバトンが渡って10b位進
んだ所で姉も焦っていたのでしょう学校から出る時の横にある少し深い溝にはまってつまずいて全身血
にまみれていました。顔も泥と血で染まっていて手も血にまみれ足は、太ももからずりむけて血が流
れていました。周りの人は、騒然して救急車に電話していた先生もいたぐらいでした。普通は、諦める
のにすぐ立ち上がって走り続けました。

 男子のアンカーに渡る時には、差がついていない位まで差をつめて最終的には、1位になりました。
姉は、救急車で、運ばれて周りの人に「いけるか!」とか言われていて後からわかったのですが骨も少し
見えてたみたいです。それでも姉はなかず必死に耐えていました。本当に感動しました。
長くなるので一旦切ります。

 お姉さんと比較されて落ちこんでいたのが、お姉さんの本当に頑張る姿を見て、
貴女の心の中に何かの変化の兆しが芽生えたようですね。


七奈美さん(39)より 6/23

私の思い出は、小学生時代の管理教育のことです。
朝学校に着くと制服から半袖体操服とブルマに着替えさせられました。

下着の着用は、禁止で上のシャツは、中にしまってなかったらお尻を20発叩かれていました。
違反者が出ないように担任の前で着替えさせられました。

着替え終わると「私は、将来の為に 勉強と運動を一生懸命します。先生に指導されたら敬意を込めてご指導ありがとうございま
す。と言います。約束を守れなかったらどんな指導も受けます」と大きい声で誓わされました。
言い終わると、運動場を20周走った後にスクワットジャンプや馬跳びや手押し車やブリッジを徹底的にやらされました。
少しでもサボると木刀でお尻を叩かれました。
思い出がたくさんあるのでまたにします。

管理教育として、どこでも同様なことが行われてきたようですね。
貴女ならではの思い出お待ちしてますね。


ユウカさん(27)より 6/23

前と後ろの毛を処理した一番の目的は反抗心をなくすためだと思います。何人もの年下の前で笑われながら処理され
る惨めさは泣きそうになります。あとは身分の低い私が先輩方と同じように下の毛を生やすのはおかしいと先輩から
は言われました。

次に毎日の練習についても話したいと思います。

・朝練は、朝5時から朝7時ぐらいまででメニューは校外ランニング10キロ、筋トレは腕立て、腹筋、背筋、スクワッ
トを10回と空気椅子30秒を1セットで最低10セット行います。

・平日の午後練は、校外ランニング15キロ、筋トレは各10回と空気椅子30秒を最低20セットです。その他にグランド
30周と足首を縛られて腕の力だけでグランド10周が午後からはあります。

休日は朝8時〜夜7時まで練習で休憩は40分程度しかなく練習メニューは平日の倍以上になります。もちろん朝練も行
います。平日も休日もすべてのメニューが終わるまで練習を終える事が出来ないし、終わっても罰走や罰トレがあり
ます。休日は立てなくなるまで徹底的に指導をしていただきました。その後、ハミパンとハミケツ、体操服がブルマ
から出た回数分お尻叩きを受けます。

練習メニューに足首を縛られて腕の力だけでグランド10周がありますが、2年生までは手押し車でした。私が3年生の
時の指導員と練習をいつも監視してくれるマネージャーは私の脚を毎日持ち上げるのは、疲れるという理由ですぐに
変更になりました。この練習ではブルマと白のショーツはすぐ脱げるし体操服はブルマから出てしまいお尻叩きの対
象になりました。そもそも指導員が決めた練習では下半身は地面に着いた状態で進むのでブルマやショーツが脱げる
のは当たり前なのですが…なぜか罰の対象になる理不尽な事が起きていました。指導員は細かい事はいいでしょ?と
最初は言っていましたが、数日たつとかわいそうだからいい方法考えると言ってくださいました。私が3年の時の指導
員はかなり自分の世界観を持つ天然で、今までの指導員とは全然違いました。簡単に言えばアメとムチを使い分け、
今までの指導員よりある意味怖い人でした。

話を戻しますが、この練習で一番困ったのは白のショーツは土で汚れてしまい洗っても落ちず、汚れが落ちないと服
装検査で不合格になるし、ショーツを何回も買い替えなければなりません。今の練習では毎回服装検査で不合格にな
ってキツイお尻叩きや罰を受けてしまうので、指導員はいい方法を考え決定したのが、ブルマとショーツを脱ぎ下半
身は何も身につけない事でした。その日の夕方から私は、他の部の人が練習をしている中で下半身裸と足首を縛られ
た姿でグランド10周を行い皆さんの注目の的となり晒し者になりました。救いだったのは、真っ赤でミミズ腫れした
汚いお尻だけしか皆さんには見えない事でした。私には下半身裸でも時間通りに終わらなかった時の罰が怖いので気
にせず必死に行っていました。それが他の人から見たら面白かったみたいですけど…私には、指導員の恐怖でいっぱ
いでした。

 指導される恐怖心の方が大きくなったきたのでしょうか。
怖さで頑張る気持ちも生まれるのでしょうが、ご機嫌や顔色を伺ってみたり、
精神的に萎縮してしまっていたことでしょう。


香奈美さん(37)より 6/23

2回目の投稿です。朝着いたら400b×5周から始まります。
その後に、馬跳び50回手押し車やうさぎ飛び(運動場5周)など基礎体力を徹底的に鍛えられまし
た。朝チャイムがなると朝礼が始まり教室の掃除を15分間します。ほとんど雑巾で廊下を拭くこ
とだけでしたが先生が木刀を持っていてせかすようにブルマの上から叩かれました。私は叩かれ
るたび気合いを入れて拭きました。先生の合格がでるまで終われないので皆必死にします。

ホコリ一つあったら皆お尻を叩かれました。1時間が終わると休み時間中は、股割りの練習をし
ます。一人ずつ足を全開にさせて柔軟をします。股は、180度以上無理やり開けられた後、
先生が体を背中に乗ってもう一人が手を伸ばします。「痛い!」というと股関節を揉まれたりさす
られたり乳首を摘ままれたり時には、ブルマと太股の間のスキマから絵の具の筆でくすぐられた
りしました。痛さを和らげているつもりだったみたいです。
2時間目は、20分間休憩は行間体育がありマラソンや器械体操をします。
まだまだあるので次回投稿させて頂きます。

痛さを和らげるにしては、変わったことが行われていたようですね。
そうやって少しずつ身体の柔軟性が出来上がっていくのでしょうね。


香奈美さん(37)より 6/11

私の思い出は、小学校時代の話です。
私がいっていた学校は、田舎でしたが
体育教育が盛んでした。クラスが少ないため毎日1時間は、
体育がありました。制服がなく登下校も体操服にブルマでした。
ハミパンするのが嫌で直履きでした。
原則上の体操服の下は、裸でした。シャツは中に入れないと
放課後に掃除させられるほど徹底していました。

この学校は、勉強と運動で日々競争でした。
後ろの黒板には、名前とシールがあり勉強では100点取ると
シールが貰えたり90点でもやり直しプリントを完成させるとシールを貰えました。
90点だったら算数の場合1
10問プリント10枚でした。
すいません余談またまだあるので次回にします

 ブルマや、貴女の性にまつわる思い出や、今の話などいろいろおありのようですね。
告白お待ちしてますね。


和江さん(46)より 6/11

和江です
中学3年の秋ぐらいだったと思います
部活も引退して、高校受験にむけて勉強しなければいけない時期でした
もう放課後の練習もないので、体育の授業のある日以外は
体操服も必要なかったのですが、S君の言いつけを守り
毎日セーラー服の下には汗で黄ばんだ体操服にブルマで通学していました
本当に不潔な変態ブルマ女でした

廊下でたまたまS君とすれ違うと、彼は小声で
「和江、ブルマ臭い」って言われました
私は顔が真っ赤になりながらも、ブルマが濡れていくのがわかりました
その頃からかもしれません
大人の世界でいう「M」というのが、自分のなかで覚醒したように思います
そんななにげない彼の言葉で身体が熱くなった日は
帰ってからも、受験勉強が手に付きませんでした

いつもより激しくブルマを汚してしまうのでした
最初は、S君の好みに合わせていた自分でしたが、
汗まみれの体操服と愛液の染み付いたブルマの匂いに
なんだか興奮するようになった自分がいました
本当に不潔な変態ブルマ女でした

S君とのつきあいで、M性に目覚めたのですか。
それはブルマだけに特筆したことだったのでしょうか。
他にもMとしての性癖に悦びに感じることがあったのでしょうか。
 


ユウカさん(27)より 6/11

お久しぶりです。以前に投稿したユウカです。

以前に投稿した話を読んだらわかりづらいと思ったので、ちょっとわかりやすくまとめてみました。

私は大学入学後、バスケ部に入部し寮生活をしていました。高校の時からバスケをしており、かなりの強豪校に所属
していました。通っていた大学もかなりの強豪で実力のある生徒が多く入学していました。

バスケ部は、1〜3軍制で練習はどの軍にいてもかなり厳しい練習をします。入部した時、私は2軍に所属していまし
た。(新入生のほとんどの人は2軍に所属します。)私は、高校生の時から、寝坊や遅刻の多い人間で大学生になって
も直りませんでした。その結果、私は入部して半年ぐらいに3軍に落とされました。

3軍に落ちると、部活をやめるか続けるかの選択をする事ができます。選択できる理由は3軍に落ちる人間はバスケ部
にいてもいなくても一緒なので選択をする事が出来ます。ただし部に残ると決めた人は3軍の間は部を辞める事ができ
ません。入部した時、3軍は二人いたのでどんな扱いを受けるかを知っていましたし、私も3軍の二人に躾をしていた
ので悩みましたが、すぐ昇格出来るだろうという安易な考えと同級生と話をして優しくしてくれると言われたので続
ける事を決めました。その後、卒業まで後悔し続けましたが…3軍になる前にどんな扱いを受けるか説明を受けたし、
その後に誓約書を書き3軍の間は部活を辞められないので卒業まで続けるしかありませんでした。

私は、今までの3軍の中でも飛び抜けて成績が悪く(3軍は、決められた成績(点数)まで評価が上がらなければ2軍に
なれません。)3軍の規則もかなり変更になりました。(変更された規則は私のみ適用でしたが…)3軍の主な規則は

・練習の服装は1年中部指定の体操服(ゼッケンを胸と背中の辺りに付ける。)紺ブルマ(前面に名前を付ける。)
白で綿の下着(ワンポイント禁止。)と白のスクールソックス(ワンポイント禁止。)靴は部指定の白の靴を履き体
操服はブルマの中にいれる事でした。

・髪形は短髪、顔の毛剃り禁止(ただし首から下の毛は全て剃る事。)、化粧禁止、アクセサリー類禁止でした。

・服装の乱れ(体操服がブルマから出ている。)ハミパンやハミケツはその場でお尻叩き。

・3軍は1〜2軍の部員を年下でも先輩と呼び、敬語で話す。身分を自覚する為、雑用(洗濯、先輩の部屋の掃除、寮
の掃除、買い出し)先輩に言われた事はすべて行う事。

・寮では3軍部屋で生活をする事。

・3軍の指導と躾は基本的に1年生が行う。

・3軍はすべての練習をグランドで行う事。

これが、3軍の主な規則でした。その他に2年の途中から私にのみ適用された規則は、

・指導員や先輩に指示された事以外の行動は禁止。(トイレもお風呂も許可制)

・練習が休みの日は月に1日のみ。(ただし朝練は実施)

・毎週抜き打ちで服装検査を部員全員の前で受け、違反したらお尻叩きの罰。

・練習の時だけではなく、大学の講義、買い出し、遠征の移動の時も部指定の体操服、紺ブルマ、白で綿の下着と白
のスクールソックスで白の靴を履き体操服はブルマの中にいれる事でした。(私の私服は実家に送り返しました。)

この規則は私が2年生の時に、寝坊をした罰で3年生になる前まで適用されるはずでしたが、指導員の指示で卒業まで
適用され2年半ぐらいこの格好で生活をすることになりました。この格好で講義や買い出しをするのは、惨めで屈辱的
でした。しかも体操服のゼッケンには大学名、学年、名前を書いているので恥ずかしさも並大抵のものではありませ
んでした。そもそも20歳を超えた女がこの格好をして講義や街中を歩いていると他の人は何て思うのですかね?凄く
気になります…先輩や友達、中高大学生からは容赦のない言葉をいただきましたが…

私が寝坊をしてから行われるようになった抜き打ちの服装検査は部室か体育館で行われ、決められた服装と下着を着
用しているかを1枚ずつ脱いでいき先輩方に確認をしてもらいます。服装と下着はなかなか不合格になる事はありませ
んが…問題は首から下の毛を全て剃っているかも確認をされる事でした。主に下半身の前の毛と後ろの毛を確認され
るのですが、少しでも生えていると不合格になります。完全にツルツルではないといけませんでした。前の毛を確認
してもらう時は、ただ立っているだけでいいのですが…後ろの毛を確認してもらう時は、四つん這いになるだけでは
見えにくいので、自分で先輩達に見えるように手で広げ後ろの毛がないか確認をしてもらいました。不合格ならその
場でお尻叩きを受けてその夜、1年生に前の毛は毛抜きで後ろの毛はガムテープで抜かれるという罰もありました。こ
の服装検査は、私にとってブルマ体操服で生活するよりも遥かに惨めなうえ屈辱的で自分と先輩達との違いを明確に
教えていただける指導でした。20歳になって前だけではなく後ろの穴まで同級生や年下からも見られるのですから自
分の立場を自覚するにはちょうどいい規則ですよね。

前から思っていたんですが、仁美さんと話が似ていますよね。本当に申し訳ありません。

 当時は、どこでも似たようなルールがあったのかもしれませんね。
前後の毛の手入れはどのような意味があって作られたのでしょうか。
やはり、屈辱的な罰を与える考えの中でエスカレートしていったのでしょうか。


凛理さん(36)より 5/27

私の思い出は、中高生時代の文武両道での全寮制の時の思い出です。
私は、気が弱く凄くおとなしい性格でしたが、小学生の時に陸上競技をやっていて小6最後の大
会で名門私立校の人にスポーツスカウトされました。この学校は、全国的にも体育と勉強では、
有名でスカウトされたのでお金も掛からず通えたのでよかったです。ここに入ると私はスポーツ
総合コースに自動的に入りました。ほとんど全寮制の子か家が近い子達が多かったので授業が
朝少し早く授業が開始して部活動の時間が多かったです。

入学式が終えると私達は、体育の先生に連れられて柔道場に集められました。
そこで、体操服など受け取ってすぐに着替えました。そこで着こなしを教えられて上の服は、中
にしまうことなど厳しく教えられました。制服は、入学式や卒業式だけで普段の授業は、
半袖体操服にブルマで裸足でした。
思い出が一杯あるのでまた投稿させて下さい。

 どんな思い出がつまっているのでしょうね。
告白をお待ちしています。


麗南さん(30)より 5/27

私の両親は、転勤族で小4の春から引っ越ししました。そこの学校は田舎でした。
前の学校短パンで、少し短めだったけど引っ越してからはブルマになりました。
校則も小学校なのに厳しく1年中半袖体操服にブルマでした。シャツは中に入れるのは基本でし
た。転校生1日目で、自己紹介が終わると即身体測定で、いきなり先生が
「男子短パン女子ブルマ一丁になりなさい!」といと全員が一斉に脱ぎました。私は、恐る恐る脱
いでいると「早く!」という言葉で、脱ぎました。約1時間位検査が終わるとやっと帰宅できるの
かと思うと宿題が配られて皆帰らず静かにしているのを見て私もやっていました。

なぜかというとその先生が担任に当たると皆の宿題の取り組み方で、長期休みの時の宿題や
体育の持久走の量が減ったりするみたいです。皆は、宿題が終わっても先生が作ったオリジナル
プリントで、勉強したりして熱心でした。
勉強が終わると晴れの日は、運動場でサーキットトレーニングでした。平均台や登り棒やタイヤ
飛びうんていや鉄棒などで一生懸命走りました。
まだ思い出があるのでまた投稿させて頂きます。

 これだけ厳しく指導を受けていると、体力もつき健康維持し、
勉強もみんな出来るようになったのでしょうね。


えりこさん(33)より 5/27

中等部から高等部に進学しても、毎日のシゴキは変わりません。
むしろ更に厳しく、体罰もエスカレートしました。
女子の服装は高等部でもブルマだけが基本でしたが、ブルマは中等部よりハイレグのものでした。
色も学年色ごとに青・赤・緑でサイドに白いラインが2本入っていて、私の学年は青色でした。
それ以外には、水泳用に競泳用の水着が支給されましたが、こちらも学年色の青です。
ブルマは中等部では無地の紺だったので気にならなかったのですが、激しいシゴキを受けた時に
青や赤や緑では股間に知らないうちにシミが出来ると結構目立つんです。
それでも恥ずかしいとか言ってる余裕は無く、容赦無いシゴキと体罰に耐え続けました。
余談ですが、高等部では男子のブルマは無く学年色のブルマより小さい競泳パンツでした。

 シゴキを受けてシミが出来ることがあるのですね。
隠すことも出来ず恥ずかしかったでしょうが、
形振りかまっていられない状況だったのですね。


優華さん(24)より 5/27

私は、3歳の頃から体操一筋でした。
学校では、ブルマは、廃止されましたが
私は、体操教室では、履いていました。
最近では、スパルタ教育がなくなっていましたが
私が通っていた教室は、鬼厳しかったです。
ゆとり教育真っ最中でしたが厳しかったです。
練習着は、ランニングシャツにブルマで裸足でした。
ランニングシャツは、中にしまう決まりでブリッジしたら
乳首が透けたり災難でした。
また、投稿させていただきます。

 他にもブルマなどに関係した、辛かった事、恥ずかしかった事など
あれば告白してくださいね。


怜子さん(35)より 5/27

万年補欠の怜子です。

大学を卒業してからも、自分の部屋で体操服とブルマに着替えて、大学時代を思い出して、よくひとりで妄想プレー
をしました。
一番、屈辱的なのは挨拶させられることと言葉で責められることです。
後輩からしごかれることは、頭ではわかっていても、実際に後輩の教育係の前に立って、口に出して挨拶するととて
も屈辱的です。あるいは練習中はそのことで頭が一杯なのでしごかれている屈辱感はさほどないのですが、練習の前
後や、ミーティング、合宿のフリータイムなどに教育係やレギュラーに取り囲まれて、言葉で責められるのが一番堪
えます。それを再現するのです。

夏の暑い日に部屋の冷房を切って、学販ブルマと体操服姿に着替えて、スクワットや腹筋などの基礎錬をしてたっぷ
り汗を流します。何日もこういう基礎錬を密かに重ねているので、体操服もブルマもスポーツ用のアンダーショーツ
やブラにも、たっぷりと汗が染み込んでいます。しまいには、練習着の入っているパックを開けただけで、自分でも
臭いと思うほど臭いが染みつくようになります。屋外ではないので泥は付きませんが、体操服の色は多少変色してい
ます。

体操服の胸には「補欠組、四年生、○○隷子」と書かれたゼッケンをつけ、頭には「脱、補欠組」と書かれた鉢巻を
自分で作ってつけています。ブルマの前後にもブラやショーツにも、「補欠組、四年生、○○隷子」と書かれた細長
い切れをつけています。
現実の体験と違うのは、ブルマの色が紺ではなく赤であることです。体操服の袖口も赤です。また、現実は体操服の
ゼッケンだけで、鉢巻はありません。ブルマやショーツなどに「補欠組、四年生、○○隷子」と書かれた細長い切れ
をつけているところも現実とは違います。
つまり現実の私よりも妄想の隷子≠ヘ、もっと晒し者の要素が増えているのです。

隷子≠ヘ、練習時間だけではなく、24時間ブルマ着用を命じられています。現実の私も合宿などでは、24時間
ブルマ着用を命じられ、ゼッケンはつけなかったもののブルマ姿で外出も命じられました。
でも、隷子≠ヘ、通学も講義への出席もブルマ着用を命じられていますし、自宅に帰ってもブルマ着用です。外出
もブルマ着用です。
すでに隷子≠ヘ、大学の内外で知れ渡っています。私の時代はさほど普及していませんでしたが、写メールなど
で、隷子≠フ姿は転送され、隷子≠ェロードワークをする順路には、時間帯になると男子高校生が大勢待ち構え
ています。きっと隷子≠フ姿は、男子高校生のオナニーのおかずになっているのでしょうね。
「現実の怜子も十分おかずになったよ」と後に旦那から言われました。

屈辱的な文言入りのゼッケンがついた体操服、真っ赤なブルマのうえにジャージの上下を羽織って、ランニングに出
かけます。いくらなんでもそのままでは恥ずかしいので……。でも、ジャージを着ていないような錯覚がして、みん
なに恥ずかしい姿を見られている気がします。ジャージを着るのは、汗をたっぷりかいてブルマと体操服に汗を染み
込ませる目的もあります。
十分、汗をかいたところでウォーミングアップ終了、妄想開始です。

四年生になっても補欠から抜け出せない隷子≠ヘ、今日も一年生の教育係から指導を受けます。
「補欠組、四年生、○○隷子。今日も頑張りますのでよろしくお願いいたします」と挨拶する隷子=B
「本当にいいの。もうレギュラー昇格の目はないんだよ」
そうなのです。現実の私もA先輩も実体験なのですが、うちの大学の場合、八月一日以降、補欠組を言い渡されると
秋口まで補欠のままなのです。大学生活の最後の約三か月間、ただしごかれるためだけの練習なのです。
今日は、夏休み後半の合宿を前にして、お盆休みを返上しての特訓です。
教育係の一年生は、真新しい試合用のハイレグブルマで格好よく決めています。
一方の隷子≠ヘ、何日も洗っていない汗と泥に塗れたドロドロの体操服とブルマを穿いています。アンダーショー
ツやブラも同様です。隷子自身は毎日お風呂に入っているのですが、練習着のおかげで、隷子の体からは異臭が放た
れています。特訓はすでに五日目ですが、特訓の前から隷子≠ヘブルマと体操服を洗うことを許されていないので
す。隷子≠フ惨めな立場を示しています。

「はい。私は陸上競技が大好きなのです。レギュラーであるか、補欠であるかは関係がありません。補欠であって
も、引退まで陸上競技を続けたいと思います。お手間を取らせますが、私の練習におつき合い下さい。今日も遠慮く
なく、存分に補欠の私をしごいてください」
「あーあ、これがあの格好良かった隷子$謾yのなれの果てか。中等部時代にあこがれた隷子$謾yが、大学で
は部で最低の補欠以下の補欠の身分。私のような一年生を先輩と呼び、顎で指図されて、惨めだねえ」
そうなのです。現実でもそうだったのですが、四年生の時には五つも年下の一年生にしごかれたので、その中には私
が高等部時代に中等部にいた子もいたのです。

「仕方がない、つき合ってやるよ。でも、これまでの自己ベストと同じ記録を出せないと、引退もさせないからね」
これは本当です。何とか予定どおり引退はできましたが……。
ところが、結婚前のある日、とうとう旦那に私の秘密がばれてしまいました。
お盆の頃、約束の時間よりもかなり早く旦那が遊びに来たのですが、表の道路工事の音がうるさくて、旦那の訪問が
わかりませんでした。おまけにチェーンロックをするのを忘れていたのです。最初、旦那は私が外出しているものと
思って、合鍵で開けて中に入って私の帰りを待っていたのですが、しばらくして他の部屋から何やら人の気配がし
て、さらに私らしき声が聞こえてきたので、不審に思ってそっと戸をあけて中を覗いてみたそうです。

すると、部屋の中で真っ赤なブルマと体操服姿で汗みどろの私が、
「補欠組、四年生、○○怜子です。本日は、私の練習におつき合いいただいてありがとうございます」
「今はみなさんがレギュラーで、私は補欠です。元先輩、後輩の関係は忘れて、プライドを捨てて頑張りますので、
よろしくご指導ください。元先輩だと遠慮せずに、存分に私をしごいてください」
などと言っているところだったそうです。体操服についているゼッケンなどを見て、旦那は一瞬にして状況を理解で
きたのですが、面白いので黙ってしばらく眺めていたそうです。
後で聞いたら、私がブルマとアンダーショーツを脱ぎ、お尻を突き出して、体罰を受けるシーンまで見られていたそ
うです。

しばらくしてあることを思いついた旦那はそっと家を出て、もう一度外から鍵をかけ直し、コンビニで缶ビールなど
を買った後で、わざと外からブザー鳴らすと、ずかずかと中に上がりこみました。
私は物売りがきたものと思ったのと、チェーンロックを忘れているのに気がつかなかったので、そのままの格好でイ
ンターホンのあるリビングへ行こうとして、旦那と鉢合わせになりました。
旦那は唖然とした顔をしていました。まさか私がまったく気がつかず、ブルマ体操服姿のまま出てくるとは思わなか
ったそうです。旦那の来訪に慌てふためく私の姿を想像し、勢いよく部屋の戸を開けると、ブルマや体操服を慌てて
脱ぎかけている私を想像していたそうです。

私は、その場にへなへなと座り込んでしまいました。しばらく立てませんでした。また、何といっていいかもわかり
ませんでした。
「ご、ごめんなさい。もうしませんから」と正座して謝る私に、
「謝ることはないだろう。いいよ、続けろよ。学生時代に戻って妄想していたんだろ。続けろよ」
「でも、変態だと思われたくない」
考えてみればまったくの愚問ですね。大学時代に万年補欠でさんざんしごかれくせに、同じブルマ体操服姿でしごか
れる妄想をしているのは、立派に変態ですものね。
旦那も少し返答に困ったようですが、
「変態かどうかはともかくとして、怜子なりのストレス発散なのだろう?」
「もうしないというけれど、我慢できるのか」
「とにかく、俺に隠れてやっているより、俺の前でもやってくれないか。良いも悪いも、怜子の妄想につき合ってや
るから」
と言ってくれました。

やむなく、私は自分の妄想を説明しました。
「ああ、そんなことがあったのか。それでお盆の頃の妄想プレーをしていたのか」
と旦那は了解しました。
旦那は同じ大学の男子陸上部にいました。同い年ですが、学年はふたつ上なので、私より先に卒業したので、三年
生、四年生の時の私の惨めな姿は知りません。それに他の高校出身だし、男子の場合、高等部からの進学者のウェイ
トが小さいので、女子陸上部の特殊な雰囲気をわかってもらうのは難しいところがあります。いくらなんでも旦那に
は知られたくないなあと思ったのですが……。

旦那の発案で、私の妄想はかなり変更されました。
どう違うかというと、旦那に言われるまでは、あまり具体的な場面を想定していませんでした。どちらかというと、
私の場合、ばくぜんとしごかれるという感じで、特定の誰かにしごかれるというよりは、大勢の部員に取り囲まれて
しごかれるという感じでした。さらに他の補欠とかも見物しているという感じでしたね。
旦那の言葉で、今日の妄想はこういう場面で○○にしごかれているという想定をするようになって、プレーにアクセ
ントができましたね。
ひとりでやる短い時間の基礎錬だと、従来どおりの学生時代そのままを再現するような妄想をしていますが、旦那の
前でだと旦那の好みが入っています。旦那の前での妄想プレーの隷子≠ヘ、現実の私とかなり違います。むしろA
先輩を一部変更したようなキャラクターです。

隷子≠ヘ、陸上競技部で中等部、高等部とスター選手として活躍し、私と違って、現役で大学に入学すると、大学
でも一年生からレギュラーになり、同級生みたいに一年生の夏の練習からは四年生のA先輩をしごき抜くのです。し
かし三年生になって、二年生や一年生に次々と抜かれ、ついに夏休み前に今度は自分が補欠に転落してしまうので
す。
現実でも妄想でもA先輩は二年生で補欠に降格するので、最初は普通の補欠です。しかし隷子≠ヘ、三年生の途中
で補欠に降格するので、いきなり補欠以下の補欠に転落するのです。

「その方が屈辱的だろう……」というのが旦那の意見です。
「……万年補欠の怜子よりも、レギュラーから補欠に転落したA先輩の方が屈辱的だろうし、A先輩のように二年生
でいったん普通の補欠に降格してから補欠以下の補欠に転落するよりも、三年生でいきなり補欠以下の補欠に転落す
る方が屈辱的だろう」
確かにそうだなあと思いつつも、残酷なことをよく思いつくなあと思いましたが、旦那の隷子の屈辱プラン≠ノ
は、まだまだ続きがありますが、それは長くなったので次回に。

 妄想も楽しんでいたとは、屈辱的な仕打ちも次第に貴女を興奮させるネタに変わっていったのかな。
その頃は自覚はしていなかったのでしょうが、Mの資質おありだったようですね。
今でもその頃のイメージプレイがご主人と楽しまれているようですね。


はつきさん(38)より 5/19

私の思い出は、小学校時代の時の話しです。
その学校は、体育教育には、力を入れていてど田舎だったけど有名でした。
この学校は、体操服にブルマに裸足でした。上半身は、体操服一枚で、下半身は、パンツは、履
いてもよかったのですが直履きが多かったです。正門に着くとロビーに入り担任の先生がいてそ
こで服装をただします。上の服は、中に入れないとすごく怒られました。この時代は、遅刻して
くる人は、全然いなかったから(先生が厳しすぎて)朝の30分間のサーキット走は、きつかったで
す。

10bの平均台;のぼり棒;丸太乗り;うんてい;ブリッジ20b;逆立ち5bなど一年生の一学期
は、大半こんなかんじでした。できなかったら放課後に補習があったぐらいです。
授業が始まると忘れ物した人や宿題忘れた人がいたら全員その日は、正座で、授業をしました。
座っているとしびれて足を崩すと先生の目の前で、授業を受けることでした。
目の前に行くと雑用ばかりです。プリントを配ったり黒板の溝を拭いたり先生の肩を揉んだり
大変でした。

先生の肩を揉むのは、余分な事かと思いますが、当時はそれも当たり前にしていたのでしょうね。


怜子さん(35)より 5/19 

万年補欠の怜子です。

>貴女だけではなく同じ境遇の先輩も居たのですね。

そういう意味では、A先輩の場合も、レギュラーから補欠に降格したので、仁美さんやユウカさんと同じように、さ
ぞかし屈辱的なことだっと思います。私だったら、補欠に落ちた時はともかく、補欠以下の補欠に落ちた時に辞めて
しまったと思います。
特に、もともとA先輩は、補欠に対する扱いについて批判的だったので、普通の補欠から補欠以下の補欠に落ちた
時、ルールを拡大解釈したり、より厳しく改定されたりして、かなり見せしめ的に晒し者的にされたようですから、
よく耐えられたなあと思います。A先輩は、「悪法も法」というような考え方で、ルールにしたがったようです。

>その後、同じような補欠になった方もいるのかな。

私のような四年間、万年補欠という無能な部員はいないようです(笑)。

ただ、私たちの頃よりも選手として活躍する年齢があがっているので、三年生の途中からレギュラーに昇格する部員
も増えているようです。しかしそういうひとの場合、昇格前の待遇は通常の補欠にとどまっていて、私やA先輩のよ
うな扱いは受けていないようです。上級生がレギュラー昇格の見込みありと判断したのでしょうね。
逆に、A先輩の場合は二年生で補欠に降格(三年生で補欠以下の補欠)ですが、三年生で補欠に降格するケースも結
構あるようです。ただ、事情を考慮して普通の補欠で済んでいるようです。

逆に言えば、昇格の見込みがないのに三年生以降も部活を続けたのはおそらく私だけでしょう。やはり私は変態のマ
ゾ女なのでしょうね。
私の場合、四年間、万年補欠で頑張れたのは、一年目からどん底に落とされたからだと思います。
私だけの特殊事情とはいえ、一年目から年下の二年生、それも高等部時代の元後輩の教育係から指導を受けることに
なったのは屈辱的でした。
頭ではわかっていても、元後輩たちの前に、私ひとりだけブルマ体操服姿で、挨拶させられた時は屈辱的でした。や
はり口に出して言うのは、屈辱感が倍加しますね。すぐに行なわれた春合宿では、部屋も教育係と一緒で、二十四時
間監視体制でした。しかも合宿中もずっとブルマ姿なので、補欠の身分をいやというほど味あわされました。

それから練習でお世話になっているお礼に、教育係のブルマやアンダーショーツ、下着などを洗うのですが、みんな
の見ている中で手洗いしなければならないのです。教育係も嵩の高い時間のかかるものはみな自分で洗っていたの
で、見せしめのためであることははっきりしています。だから洗わされるのは、下半身につけるものばかりです。、

それでも夏までは元後輩たちもまだ遠慮がありましたが、夏休み前のクラス分けで補欠のままとなった時、私の実力
はしばらく補欠脱出が難しいとわかったため、完全に見下されるようになりました。
特に八月以降の夏の後半の練習では、一年生のレギュラーも教育係に加えられました。みな同じ高等部出身の二年後
輩です。
この、最初の半年が勝負でしたね。最初の半年で、私は、完全に部内の「しごかれ奴隷」に転落したような気がします。

夏休みが近づくようになっても、補欠のままでレギュラー昇格までかなり時間がかかりそうな私の状態をみて、元後
輩たちは気が楽になったようです。元先輩の私を後輩扱い、ダメな補欠扱いして、しごくことに抵抗が少しずつ無く
なったようです。
私が補欠脱出するには、少なくとも後半年から一年かかるだろう。そうすると、二月には高等部からの推薦入学の新
入部員も練習に参加するようになるので、その子たちにも抜かれることになります。それはあまりにも恥ずかしいの
で、おそらく夏休みの終わりか秋口には私が辞めると思っていたようです。
ところが、夏休みの練習直前のミーティングで、引き続き補欠組であることが言い渡され、それでも部活を継続する
意思があるかどうか聞かれた時に、最低二年間は補欠でも頑張ると私が言い出したので、正直みんなびっくりしたよ
うです。

口先だけではないかと思っていたら、私がすんなり元後輩たちのシゴキをうけて練習するので、意外だったそうで
す。春先の練習は、二年間のブランクを考慮して、ケガを避けるために練習量なども多少セーブしていました。夏休
みの練習は、練習量の制限もなくなりましたし、大学の授業がないのでふだん以上の練習量になります。つまりしご
かれる量も増えるわけです。夏休みの前半の練習で、みんなは私をしごくことに完全に抵抗が無くなったようでした。

私に対する屈辱的な扱いが決定的になったのは、上述のように八月からは一年生のレギュラーも私の教育係に加わる
ことが言い渡されたことです。すでにお話ししたように、私は高等時代の二学年下の元後輩たちからもしごかれるこ
とになったのです。一学年下の二年生だと一緒にレギュラーで頑張った期間の方が長かったのですが、二学年下だと
の私がレギュラー、彼女たちが補欠という期間が長く、私が彼女たちを指導し、しごいた(?)期間もありました。

「完全に立場逆転だね」
七月末の前期の合宿の最後のミーティングで、私の扱いが発表された時、幹部の四年生は言いました。
「こんな屈辱的な扱いでも、部活を続ける気がある?」
「秋の大会の大事な時期に、レギュラーから教育係をつけるのだからね」
四年生としては、とりあえず自分たちが引退する秋口までは私のレギュラー昇格は無理だろうと判断したものの、後
のこともあるので、色々と考えたようです。少なくとも一年生のレギュラーが補欠の教育係となる秋口以降も私の昇
格の目途はないとみて、繰り上げて八月から私にだけ教育係として一年生をつけたのです。
「は、はいっ。前にも言いましたように、補欠でも二年は頑張りたいと思います」
と私は答えました。
何だか途中で投げ出すようで嫌だったからです。

「本当にいいの」
「高校の元後輩にしごかれるんだよ」
「恥ずかしくないの」
「本当に練習に来るとは思わなかった」
最初の練習の日、教育係になった元後輩たちは口々に言いました。口調がぞんざいになっているのは、私の気持ちを
配慮したり、躊躇したりする気が少し失せていることがわかりました。どちらかというと、私の練習に付き合うのが
迷惑という心境だったのでしょう。
「いえ、今はみなさんがレギュラーで、私は補欠です。元先輩、後輩の関係は忘れて、プライドを捨てて頑張ります
ので、よろしくご指導ください。元先輩だと遠慮せずに、存分に私をしごいてください」
私は深々頭を下げてお願いしました。頭を下げると、元後輩たちのブルマから伸びるすらっとした足、力強い足が目
に入ります。ハイレグブルマを穿いていると、それが余計に目立つ気がします。それに引き替え、補欠の私は体操服
に普通のブルマです。身分の差は歴然としていました。今思うと、私のプライドが完全に地に落ちた最初の瞬間でし
たね。

 しごかれ奴隷・・・ですか。屈辱的で辛いことだけに、競技を続けたいだけの理由では
耐えられないような気がしますが、やはりMの部分を刺激されることを本能的に求めていたのかもしれませんね。


夏七美さん(37)より 5/19 

小学生の頃の思い出です。小学校の4年生から運動会でする組体操の練習の話です。
私は、両親が、共働きで家庭訪問の時に強制的に参加させられました。
聞くと変に遊ばれたら困るから
朝は、毎日7時からで土曜日も練習でした。

放課後は、先生とワンツーマン指導でした。掃除が終ると先生のところで、着替えないいけな
かったので、体育館で、するのですが通気性が悪かったのでなぜか薄々の体操服でした。
服装は、半袖体操服と直履きブルマで、裸足でした。上の服中に入れる
最初は、柔軟から始まりその一貫で、電気アンマがありました。先生は、容赦なく女の子の股間
を攻撃します。抵抗できないように手は、棒を握った状態
逆立ちの時も足を無理やり広げられて股間を鷲掴みさせられたり今思うとセクハラです。

ブリッジでは、足を大きく広げることがルールでした。私は、足が細かったので
ブルマの隙間から股間が見えてました。
練習が終わると宿題指導でした。先生の広げた膝の間に私が座ります。太ももなど脇をくすぐっ
たり間違えると半袖の脇隙間から手を中に入れて乳首をさわられたりしました。
今思うとセクハラですが緊張感を高めてくれたのも事実なぜか集中力もつきました。
まだあるので投稿します。

変わった指導をされていたようですね。
先生が個人的な趣味で楽しんでいたとしか思えないような事もされていたのですね。


和江さん(46)より 5/12

和江です
いつものS君との思い出を書く前に
最近の事を告白します

こちらに中学時代の思い出を投稿して以来、心のどこかにもう一度ブルマを履いてみたいという
願望みたなものがあり、ネットオークションで当時の体操服に似たデザインのものをブルマとともに
購入しました
白に首周りと袖がエンジのラインの体操服に紺のブルマです
校章が付いて無いこと、それと新品なのであの頃のように黄ばんでないこと以外は
近いものが買えました
40過ぎた、デブなおばさんがこんなものを買うのは変態なのかもしれませんが...
今もその体操服にブルマを着て、告白を書いています
もちろん旦那には内緒です
これは私とS君との大切な思い出ですから

中学3年の夏前くらいだったと思います
S君に喜んでもらいたいという気持ちと、私自身の彼への想いから
ブルマを直履きして汚れた体操服を着てオナニーする日々が続きました
汗をかく季節でもあり、もともと太ってたためか汗かきだった為、
学校で周りに気づかれていたようでした
もちろん、ブルマでオナニーしているとかはバレるはずはありませんが、
陰口で和江は臭いとか汚いとか、風呂の入っていないとか...
最初は恥ずかしいとかの気持ちもありましたが、それでもみんなに嫌われても
S君だけに喜んでもらいたいという気持ちが勝り、日曜日に母に洗濯してもらう以外は
ずっと身に着けている状態が続きました

そんな汚れた体操服にブルマの私を本当にS君は大切にしてくれ、
そう感じれば、感じるほどブルマが愛液で汚れていきました

昔の思い出はいつまでも鮮明に続いているものですね。
ブルマ姿になれば、貴女の心は少女の頃そのものになってしまうのですね。


奈那美さん(39)より 5/12

田舎出身です。私のいっていた学校は、1学年で、10人位です。この地域は、共働きが多く多く
の子供は、学校裏の方にあるお寺で、共同生活をしていました。規律は、厳しいけど凄くいい人
が多かったです。男子の頭髪は、短パツで、上半身は、裸でした。女子も平等にするために上半
身は、裸でブルマ一丁でした。男子は、ブリーフみたいなもので、最初は、恥ずかしそうでし
た。お寺の中だけなので恥ずかしさは、あまりなかったです。朝は、毎日欠かさず寒風摩擦があ
りました。冬には、大雪でも裸足で、足が痛かったです。朝のランニングは、湖一周でした。
そこから学校に行きます。私の場合は、体操服の上を着てランドセルを着て登校できて楽でし
た。

その頃は厳しく辛かったのかもしれませんが、
今となれば昔懐かしい、故郷の思い出って感じなのでしょうね。


怜子さん(35)より 5/12

万年補欠の怜子です。

前回、A先輩の話をしましたが、私の部活での扱いにも少し関係があります。
私が入部した時、二浪していたために、四年生の幹部の間で、年下の二年生の教育係との上下関係をどうするかとい
うことが、話題になりました。
結局、A先輩の教育係を務めた経験をもとに、怜子は学年が一年生だから、A先輩と同じ扱いをするのは二年生の秋
以降だが、逆に大学での学年の序列を優先して、先輩、後輩の関係をはっきりさせるために、服装や言葉遣いでA先
輩と同じ扱いを一部適用してはどうかということに決まったそうです。

@ 怜子は一年生だから、年下でも二年生の先輩を「先輩」と呼び、礼をつくす(これは当然でしょうね)。
A 教育係は二年生で怜子より年下だが、@のように大学での学年の上下関係を重視して、そのままとする(実
際問題として、四年生や三年生は時間的余裕があまりなく、年上か同年の教育係をつける余裕がないせいもありまし
た)。
B 教育係は怜子と同じ高等部の後輩であるが、やはり@Aのように大学での学年の上下関係を重視して、その
ままとする(高等部出身のレギュラーが半分以上いたし、教育係になるのは高等部出身者が多いので、これは避けら
れないことでした。しかし稀に他の高校出身のひともいたのですが、私の教育係になることはありませんでした。結
局、意図的に高等部の後輩を宛がわれ続けることになりました)。
C 服装は、補欠であることをはっきりさせるため、春先でもブルマと体操服とする。A先輩のように学販ブル
マではないが、他の補欠よりは厳しい扱いとする(実際は、教育係から新品をプレゼントされたり、補欠からレギュ
ラーに昇格した部員のお古をもらったりしたので、学販ブルマを穿くことが多かったです)。
D 合宿では、24時間、ブルマ体操服姿にして、教育係と同室にする(実際は、これが一番堪えました。練習
中はその内容をこなすことに集中しているので、気がまぎれるのですが、フリータイムまで、ブルマ姿を元後輩に見
られるのは、精神的に堪えました)。

これらの条件を了解のうえで入部する意思があるのかと聞かれました。もちろん私は承諾しました。入部テストの記
録では補欠になるのはやむを得なかったからです。高校時代の記録にも及んでいなかったからです。
二年生が補欠の教育係になっている以上、自分よりひとつ年下の先輩にしごかれるのは避けられないことです。同じ
高等部出身者が多い私の大学では、高等部時代の後輩を「先輩」と呼び、立場が逆転してしごかれるのは、屈辱的に
は違いないけれども、部活を続ける以上避けられないことだと思ったからです。

屈辱的なしごきをうけても私が四年間部活を続けられたのは、ひとつにはしごきの内容が、一応、競技のための練習
として合理的な根拠があったからです。
このサイトの他の投稿者の体験談も読ませていただきましたが、三軍や四軍に落とされてしごかれた方々は、たいて
い「しごきのためのしごき」みたいな練習をさせられておられますよね。試合形式の練習どころか、部分的な練習も
させてもらえず、ほとんど基礎錬みたいなことをさせられていますよね。同じ扱いを受けていたら、私は途中で脱落
していたと思います。
私の場合、基礎錬のウェイトは高いですが、一応、試合形式の練習もあって、それに基づいて足りないところをたっ
ぷり基礎錬という感じなので、耐えられたのだと思います。そもそも陸上競技、それもトラック競技は基礎錬とあま
り変わらないので……。

それと最初からずっと補欠だったので、一度でいいからレギュラーに昇格したいという気持ちでずと頑張り通したと
いう感じですね。
だから他の投稿者のように、途中から三軍や四軍に落とされるのは恥ずかしいでしょうね。私ならやはり辞めていた
と思います。仁美さんのように、四年生になって四軍に落とされて、しかも三つも年下の一年生にしごかれるのはも
のすごい屈辱だったと思います。
私の場合、年下の教育係といっても、学年はあくまでも一年上の二年生なので、私の方が年上なのは私の特殊事情で
すから。三年生になって、下の学年の教育係の指導を素直に受ける気になったのは、すでに年下の教育係になれてい
たということもありますが。
それにしても、仁美さんやユウカさんの場合、種目が陸上競技ではないようだし、歳も私よりもお若いようなので、
ブルマ全廃の時代に、陸上競技部でも試合用のハイレグのもの以外はほとんど使わない時代に、学販ブルマと体操服
で練習するのは屈辱的だったでしょうね。
体験談を読むうちに、恥ずかしい話、下半身の奥の方がジーンとなってきて、自分も同じようなシゴキを受けたり、
イジメを受けたりしたいなあと思いながら、不謹慎にもオナニーしてしまいました。

>貴女だけではなく同じ境遇の先輩も居たのですね。
そういう意味では、A先輩の場合も、レギュラーから補欠に降格したので、仁美さんやユウカさんと同じように、さ
ぞかし屈辱的なことだっと思います。私だったら、補欠に落ちた時はともかく、補欠以下の補欠に落ちた時に辞めて
しまったと思います。
特に、もともとA先輩は、補欠に対する扱いについて批判的だったので、普通の補欠から補欠以下の補欠に落ちた
時、ルールを拡大解釈したり、より厳しく改定されたりして、かなり見せしめ的に晒し者的にされたようですから、
よく耐えられたなあと思います。A先輩は、「悪法も法」というような考え方で、ルールにしたがったようです。

不謹慎ですが、今でもブルマ体操服姿になると、自分のしごかれた体験を再現してみるのと同時に、A先輩にも成り
切って、一部脚色していますが、妄想プレーみたいなことをしています。
そのことはいずれ書きます。

 入部する時から既にハンディーがあるのは了解のうえだったようですね。
それでも一生懸命練習すればレギュラーになれるかもしれない、目標があったから頑張れたのもあるのですね。


怜子さん(35)より 5/9

万年補欠の怜子です。

A先輩の話の続きです。

A先輩は、二年生の秋口に四年生が引退する時に、四年生と三年生に呼び出されて、引退の意思を聞かれたそうで
す。「退部」ではなく、「引退」というところが、A先輩への配慮でしょう。
しかしA先輩は、陸上競技が好きなので部活をするのであって、補欠であってもかまわないと答えました。レギュラ
ーを目指して四年生まで頑張ると言いました。
四年生と三年生は、昔、決めたルールだが、三年生以上の補欠に対する扱いルール(二年生の秋以降適用)があるこ
とは知っているか、と忠告しました。

しかしA先輩は、自分の方から、大学での上級生と下級生の関係よりも、補欠とレギュラーという関係を重視して欲
しい、自分は教育を受ける立場なのだから、一年生の教育係よりも身分が下なのは当然だと言いました。是非、ルー
ル通り、一年生以下の扱い、高校生扱いして欲しい、一年生の教育係を「先輩」と呼び、練習着も高等部のような体
操服と学販ブルマにして、上下のけじめをつけると言いました。

A先輩は、少しルールを勘違いしていたようです。三年生以上の補欠は、一年生以下の扱い、高校生扱いではなく、
あくまでも一年生扱いまでなのです。確かにルールの適用は二年生の秋からですが、ルールが決まった頃は二十歳を
過ぎて記録が伸びるとは思えない時代だったので、その時点で辞めてしまうひとがほとんどだったのです。ルール
は、三年生になって、一年生からレギュラーに昇格するものが増え、補欠に転落する場合を想定していたのです。ル
ールの適用は、二年生の秋から一年生が入部するまでの期間を想定していなかったのです。

逆に言うと、A先輩の補欠降格で、昔のルールの穴が色々と判明しました。確かに一年生の教育係と一年生扱いの先
輩補欠では同格になってしまいます。A先輩の言うように、一年生以下の扱い、高校生扱いの方が、筋が通っていま
す。
結局、A先輩の時から、新三年生以上の補欠は「一年生以下の扱い、高校生扱い」ということに変更になり、練習着
も高校生のように「体操服と学販ブルマ」になりました。他の補欠は、バレーボールで使うような普通のブルマで、
冬場などは他の服装も認められますが、A先輩は長袖の体操服は認められるものの下は常に学販ブルマです。ウォー
ミングアップのために、ジャージの上下の着用は認められますが、その後は、やはり「体操服と学販ブルマ」です。

学販ブルマにこだわるのは、当時はまだレギュラーでも練習時にはブルマを使うのが当たり前だったからです。うち
の学校は割合、スポーツに関してはやや後発だったせいもあって、新しがり屋のところがあり、高等部の体育の授業
ではで早々とブルマを全廃した一方で、大学の陸上部ではハイレグの陸上用ブルマを導入していました。A先輩は、
ほぼ同年代でいうと、瀬戸朝香さんみたいな美人で、先輩のハイレグブルマ姿は眩しかったそうです。
そのA先輩が、大学生らしいバレーボール用の普通のブルマさえ穿かせてもらえず、高等部の学販ブルマを穿かされ
て、一年下の後輩からしごかれるのはさぞかし屈辱的だったと思います。私の時代もそうですが、高等部では、私の
時代もそうですが、体育の授業では全廃されていましたが、運動部では依然として使われていたので、学販ブルマが
残っていたのです。

ひとつだけA先輩の誤算というか、予想外のことはゼッケンをつけさせられたことです。高等部の体操服は着脱可能
式でゼッケンをつけられるようになっていました。
最初はゼッケンなしで練習していたのですが、ある時、他の高校出身の先輩部員が、ゼッケンをつける留め具を見
て、「これは何?」とみんなの前で聞いたことがきっかけで、ゼッケンも着けさせられることに決まったそうです。
ちょうど新入生を迎える直前だったので、一年生以下の扱い、高校生扱いする強烈なアイテムが欲しかった時なの
で、その場の雰囲気で一気に決まったそうです。
人づてに聞いたことですが、A先輩自身が一番恥ずかしかったのは、補欠として最初の日よりも、「補欠組、三年
生、○○A子」と書かれたゼッケンをつけ、新入生の前で挨拶させられた時だそうです。

私の場合、大学では万年補欠ですが、A先輩の場合、大学でも途中まではレギュラーだったのに、一年生以下の扱い
に転落して、その屈辱の大きさは到底想像がつきません。
ところでA先輩は、私と三学年違うだけで、それほど昔のひとではありません。高等部ではすれ違いになるので面識
はありません。大学も私が二浪したため、A先輩が卒業してから私が入学するまでに一年間のブランクがあります。
もし私が現役ですんなり入部していたら、A先輩と一緒に補欠としてしごかれたのかなあと思うと、ちょっとぞくぞ
くします。
ただ、元同級生によると、A先輩は普通の補欠以下の身分なので、補欠の一年生の自分たちにも敬語を使うよう命ぜ
られていたそうです。さらに、その年は、各学年の人数のバランスが悪く、元同級生は夏休み前にレギュラーに昇格
すると、夏休みの練習からはA先輩の教育係になったそうです。

もうお分かりになったと思いますが、私が入部した時の四年生は、A先輩が二年生の秋に補欠になった時はまだ高校
生ですが、A先輩が三年生の時には新入部員で、その年の秋には一年生ながら先輩の教育係になったひともいたから
です。私が入部した時の三年生、元同級生については、前述のとおりです。
つまり四年生と三年生はA先輩を教育係としてしごいた経験があり、残像が残っていたので、私が入部した時、どう
扱うかを検討する時に、割合すんなりとA先輩への扱いの一部を適用することを決められたのです。

 なるほどですね。A先輩の時に前例が出来ていたんですね。
その時に少しずつ出来ていったルールが、同じ立場になった貴女に適用されたとは、
丁度良い?タイミングでもあったのですね。その後同じような補欠になった方もいるのかな。


奈津美さん(34)より 5/9

私の思い出は、小学生時代の運動会の練習の時の話しです。
この学校は、人数が少ないため小3から練習をし始めます。小3の最後にテストがあり完成度を
見ます。学校の体育の先生(担任とは別の)そこで私は学年で、一人だけ順番をミスしました。
練習の時は、見本にされるぐらいだったけど緊張してダメでした。
私は、くそ真面目だったので言い訳せずに認めました。

そのテストに不合格になったら春休みから毎日練習が始まりました。
当然、半袖体操服で、春休みに行くのが嫌でした。
なぜそこまで体操服が嫌というとブルマは、昔から履いているからなれてました。
上の半袖の服は、私らは、通称「透け服」といっていました。なぜかというとこの服は、普通の体
操服に比べるとすごい薄い服でした。理由は、下着のシャツを着るのは、禁止だったけど着る人
が多かったから私らが入学した年に変えたらしいです。親からも外で着ることは遠足とマラソン
大会と田植えぐらいだったし夏は、盆地で、暑かったから丁度よかったです。
汗を少しかくと肌の色が透けて見えるからです。学校でしか着なかったので外では、恥ずかし
かったです。

 薄い生地の服もあったのですね。
ブルマ姿とは異なる恥ずかしさがあったようですね。


神奈さん(18)より 5/6

私の思い出は、小学校時代のお話です。凄く田舎の学校で、1年生から6年生で、だいたい80人
でした。入学式が終わって2日後に全校集会で、衝撃を受けました。男女皆が上半身裸で、座っ
ていました。なぜかというと毎年の新入生歓迎の行事ごとでした。この学校は、裸になる行事が
結構ありました。健康推進学校でもあり体育には、すごい熱心でした。それとクラスが一つしか
ないので体育の授業は、毎日ありました。だから体操服登校です。

朝着くと体操服の上を脱いでブルマ一丁になります。この学校の伝統の裸体操をした後、一人ず
つ朝礼台に上げられて6年生から順番に挨拶から始まって自己紹介をします。大きい声で、グラ
ンドの奥の先生が丸をするまでやり直しがあります。私は、凄い人見知りするタイプやったけど
すぐに先生や高学年の人に助けてもらい1カ月ぐらいで結構直りました。すごい優しい人がいた
ので・・・、そのことをきっかけに何事にも全力になりました。

毎日体育があって月曜日は、ずっと集団行動.並ぶ練習をきっちりしました。
火曜日は、運動場で、球技やその他にもいろいろ
水曜日は、体育館競技をします。
木曜日は、全校生徒で、体操をします。6時間目にで、8人一組で、月に2回ある体育審査会に
向けて練習します。最初は、柔軟からします。この時もお姉さんやお兄さんが厳しくやります。
柔軟性は、幼い時が一番重要なので一人が足を全開で、開いてもう一人が強く引きます。
この時は、体育館中がわめき声でいっぱいになります

健康のために薄着で運動するのはわかりますが、女の子まで裸とは昔は配慮が不足していたのですね。
貴女にとってはとても恥ずかしい思い出になっているのでしょうか。


怜子さん(35)より 5/6

万年補欠の怜子です。

>告白を何度みても、よくこんな屈辱を受けても続ける意志が強かったなと思います。
>普通ではすぐに辞めてしまう環境ですよね。

そうですね。
そう言われてみれば、確かにそうですね。
自分でも、今になってふと考えてみると、なぜ最初にうちに辞めなかったのかなあ、と思うことがあります。私の練
習内容は、ある面で、特訓というよりはシゴキ、シゴキというよりはイジメに近かったですからね。

世間一般的に、第三者的に見れば、確かに運動部特有の狭い閉鎖的な世界の中での、一種異様なムード、シゴキやイ
ジメをシゴキやイジメとは思わない、しごいている方もしごかれている方もシゴキだと思わない、苛めている方も苛
められている方もイジメだとは思わない、そういう雰囲気はあったと思いますね。
特に、うちの大学の女子陸上部の場合、半分以上が同じ高等部からの入部者なので、そういう土壌があったと思いま
すね。高校時代の先輩と後輩という関係が、大学になって補欠とレギュラーという関係に、立場が逆転してしまうと
いうことは、頻繁にありえるわけです。そのため、補欠のままだったり、補欠に落ちてレギュラーへの昇格の目途が
なかったりすると、二年生の秋を目途に辞めてしまう子が多いのです。

理由は、前にも言いましたように、補欠への指導は、原則として二年生の教育係が行います。秋になって四年生が引
退すると、一年生のレギュラーが教育係になります。二年生の補欠は下級生に指導を受けることになってしまいま
す。しかもうちの高等部出身者の場合、同じ高等部出身の後輩の指導を受けることになるのです。

さらに秋に補欠になるとシーズンオフなので、なかなか昇格のチャンスがありません。翌年の二月になると、高等部
からの推薦入学の新入生と合同練習を行うので、その子たちの前でも醜態を晒さなければなりません。新三年生の補
欠が、新二年生のレギュラーにしごかれているところを、新入生に見られることになります。さらにその新入生が四
月からレギュラーということもありうるわけです。高等部時代の三年生、二年生、一年生の関係が立場逆転してしまうのです。
ただし、怪我とか基礎能力はあるがスランプとかで、レギュラーをはずれるということはあります。しかしこの場合
は補欠とは呼びません。いわば準レギュラーの扱いで、指導員も上級生のレギュラーがつきます。

補欠扱いになるケースは、やはり基礎能力が不足している場合です。基礎体力ではありません、基礎能力です。いず
れにせよ、基礎能力や体力でついていけないひとはだいたい半年位で辞めてしまいます。つまり一年生に多いタイプです。
次に、競技としての能力がもう一歩というケースです。私もこのケースに半分当たりますが、ある程度の基礎能力は
あるが、どの種目にも一歩足りないというケースです。
最後は、同じ競技種目の部員が多すぎてレギュラーになれないケースです。特に、三年生以上の場合、今さら空いて
いる種目に変えるわけにもいかず、といって、下級生に抜かれているということは、引退までその関係がほぼ続くこ
とになります。
だいたい二年生の秋に補欠であるということは、一年生にも抜かれているうえに、来年入部する新入生にも抜かれる
可能性があるので、辞めてしまうケースが多いのです。特に、一度でもレギュラーだったひとほど名を惜しんで辞め
てしまうのです。

そういうわけで、ある時期までは、部としても、三年生以上の補欠というケースをほとんど想定していなかったとい
うのが現状です。一応、昔から二年生の教育係がやりやすいように、三年生の補欠は一年生扱いというルールは作ら
れていましたが、そうされる前に辞めてしまうので、実際にルールを運用した実例がなかったのです。
ところがある先輩(仮に「A先輩」と呼びます)がこのルールの適用を受けました。A先輩は私と同じ高等部出身
で、高校時代はずっとレギュラーで、大学時代も一年生からレギュラーでした。しかし二年生の七月の大会で惨敗
し、部内でも夏休みの後半から補欠に落ちました。ということは秋の大会には選手として出場できないまま、秋口を
迎えることになりました。
簡単に言うと、A先輩や私は、二十歳を過ぎると記録がそれほど伸びないタイプなのですが、高校卒業位からどんど
ん頭角を現して二十歳を過ぎても記録を更新する選手が増えていました。特に、うちの大学の場合、A先輩の頃から
高等部に推薦入学者を集めて養成していたので、部全体がレベルアップしていまいた。そのあおりをA先輩は受けたのです。

貴女の場合はイレギュラーな補欠の立場で、周りの人も対応には当初は戸惑いもあったのでしょうが、
結果的にはイジメのスタイルに落ち着いてしまったということでしょうか。
貴女だけではなく同じ境遇の先輩も居たのですね。


和江さん(46)より 5/6

和江です
先日、S君にブルマをはいたまま毎晩オナニーしていると告白した時、
自分でもどうしてそんなことを言ってしまったのかわかりませんが、
体が熱くなり、ブルマが濡れていくのが感じました
とてもS君の顔など見れなくてうつむいていると、
彼は優しく手を握ってくれ、「和江、嬉しいよ!」と言ってくれ、
しかも彼も私のブルマ姿を考えて同じことをしていると言ってくれました
そして、今すぐ私のブルマが見たいって言われました

当時、中学生の二人には当然、ホテルにいけるようなお金などもっておらず、
彼は学校に戻ろうと言い出しました
幸い、みんな下校した時間だったので部室のまわりには誰もおらず、
バレー部の部室に二人でこっそり入りました
私は彼に言われるがままセーラー服を脱ぎ、体操服姿になりました
彼はブルマに顔を埋めたまま、鼻で私の敏感なところを攻めてきます

頭が真っ白になり、彼も我慢できない様子でしたが、
初めて彼の部屋で結ばれたときに、同じ高校に合格するまではなしね!って約束を
していたのを彼も覚えてくれており、彼もその約束を守ってくれました
そんなS君の態度に私はますます彼に惹かれていきました。

二人だけの部室で・・・学生時代ならではの思い出かもしれませんね。
その頃のことがとても懐かしく大切な思い出なのですね。


南さん(39)より 5/6

私の思い出は、小学校時代の思い出です。私の通っていた学校は、田舎だけど体育教育には、恐
ろしく厳しくて力を入れている学校でした。この学校は、制服がなく登下校を半袖体操服と女子
は、ブルマが基本でした。後、伝統行事も一杯ありました。まず学校に着いたら教室に先生が
立っていて元気よく挨拶をすると服装点検と持ち物点検をされてます。体操服の下には、何も着
られないので、後、ブルマの下に普通は、パンツをはくのが当然だったけど気にする子もいたか
ら大概は、直バキでした。しかも体操服は、inして、裸足でした。そこから20分間走が終わった
ら町中に響くかのような声で、ラジオ体操と校歌を歌わされて教室に帰ったら朝の清掃があっ
て、皆で、教室を隅から隅へと掃除します。ホコリが残っているとそのクラス全員で、放課後の
厳しい居残り特訓があります。この学校は、クラスが少なく毎日体育の授業がありました。
1年生の間から集団行動で、6年生の体育の主任に徹底的に教えられます。
話しが長くなるのでここで終わります。

直バキとは、生地の厚いパンツと同じ状況なのですね。
染みてしまったり恥ずかしいことも多かったのではないでしょうか。


浩子さん(??)より 5/6

私は体育倉庫で遅刻のペナルティという理由で一緒にいた絵里とともに茶巾にされてしまいました。多少(というか相当)茶巾願望がありましたが、
実際にされてみると当然のことながら自分のスカートで周囲は何も見えない状態でした。私は尻餅をついた状態でいましたが茶巾にした子たちが
私を立たせました。そして「確か、浩子って初めて茶巾にされたんだよね」そう聞かれて私はスカートに包まれた上半身を折り曲げてそうだという意
思表示をしたところ、さらに彼女たちは言いました「それじゃみんなに披露しようよ」と恐ろしいことを言い出しました。私は必死にスカートを解こうと
必死にもがきましたが思うようには行きませんでした。そうして倉庫から外(体育館のフロア)に出されてしまいました。そこにいたのは同じクラスの
女子でした(体育館の中は女子の担当で男子は外回りと廊下でした)
 
 フロアに立たされても何とかもがいて解こうとしていましたが、ふと頭に浮かんだのは、茶巾にされているところをここにいる子たちに見られたわけ
ではないし、下にはブルマをはいているから安心していたのですが・・・。体育館にいた子が私に気づき「あ〜誰か茶巾ずしにされてるよ」と大きな声
で言ったものですからみんなの注目を浴びてしまいました。逃げ出したかったのですがこの状態ではそれも出来るはずもなくただその場に立ってい
るだけでした。もしかしたら誰かがスカートを結んでいるリボンを解いてくれて茶巾から解放されるかもしれないと希望を持ったのですが、そううまくい
くわけがありませんでした。

 周囲に集まった女子たちは「誰が茶巾にされているんだろう?」と言っていましたが「ブルマを見れば名前が書いてあるんじゃない」この声を聞いて
私はしまった!と思いました。体育の無い日は学校指定ではなく普通のブルマをはいていたのですが、この日は(体育が)何にも関わらず学校指定
のブルマをはいていたのでした。前にも書きましたが、指定のブルマには名前が刺繍してあったのでそれを見られたら私であるということがバレバレ
になってしまいます。しかしこの状態ではどうすることも出来ずにだたされるがままでいました。ブルマの名前を確認し私であることがわかるとお尻や
腿を触ったりし始めました。更に調子に乗った子達によってブルマを引っ張られたりしました。さすがに私も耐え切れなくなりしゃがみこんでしまいま
した。そこにいた子達は私をいじって飽きたのか離れていきました。私はというとスカートをどうやって解こうと考えていたところ誰かが横に立ってスカ
ートをいじっているようでしたそのうちに上のほうから明るくなり私は茶巾から解放されました。リボンを解いてくれたのは一緒に茶巾にされていた絵里
でした。

茶巾にされた後だと誰だかわからなくても、名前でバレてしまったのですね。
自分ではどうにも逃れられない恥ずかしさがありますね。


美奈さん(38)より 4/21

私が中学生の時の話です。私は、小学生の頃から兄の影響と性格がおとなしくて少しでも積極的
になったらという理由で、やっていました。最初は、公立の中学校に入学する予定でしたがその
当時の空手の先生に「中学生になっても空手するつもりやったらこの私立校の面接受けてみ!」と
言われました。その当時は私は、小柄で女の子だったから負けてばっかりでした。中学生になっ
たら体も大きく成長するかなと思い学校見学会に参加して空手部の体験会で、空手部の先生にス
カウトされて次の日に両親と相談し学校とも相談して寮生活が始まりました。

3月31日に、小学校の体操服で第一検査室で、身体測定をしました。周りをみるとほとんど運動
神経が抜群な感じの男子ばっかりで、女子は、私だけでした。そこで空手の女先生が付き添い
で、案内してくれました。まず、最初に測定服というのに着替えさせられました。男子が水泳
で、着るブリーフみたいなもので、上半身裸で、ほとんど男子のように扱われました。
とりあえず長くなるのでここで終わります。

 思春期の中学生なのに、男子と一緒のように扱われるのはとても恥ずかしかったことでしょうね。
当時は、配慮がなかったのでしょうね。


和江さん(46)より 4/21

和江です
このまえの続きです

正直、ブルマって嫌いでした
私のような太ってて、しかも足の太い子には
とても忌まわしい存在でしかありませんでした

それがS君に「和江のブルマ姿が好きだ」と
告白されて以来、デブでブスな私に素敵な彼氏が出来たのも
ブルマのお陰かなと思えば、なんだか愛着さえ感じるようになりました

そのころからだったと思います
パジャマがわりにブルマを直穿きし、体操服をきて寝るようになりました
布団のなかでS君のことを考えたら、いつもブルマはびっしょりでした
明日も体育や部活で着なければいけないのに毎晩のように汚してしまいました

オナニーしたブルマで体育の授業を受けている姿を想像したら余計に感じてしまうのでした

ある日の学校の帰りにS君にそのことを正直に伝えました
毎晩のようにあなたのことを思いながら、ブルマを汚していること・・

 そんな事を彼に伝えたら、凄く喜んで興奮してしまったのではないですか。
待ちきれなくて、すぐにとせがまれたりしなかったですか。


和江さん(46)より 4/14 

はじめまして
中学生の頃の思い出を書いてみます
当時、私はバレー部に入っていました
そのころは部活も体操服にブルマでしたので、毎日体操服とブルマを
制服の下に着ていました
だから、男子と一緒の体育の時間は汗で黄ばみ、土で汚れた体操服が
とても恥ずかしかったです
おまけに、ブスでデブだったので、いつもお尻から肉がはみ出していたので、
クラスの男子からは嫌われていました

そんな私にある日、S君が告白してきました
S君はどちらかと言えば、モテる感じの男子で信じれませんでしたが、
当時の私にとっては夢のような出来事だったので、OKし毎日部活が終わって一緒に
下校していました
付き合って半年くらいして、S君の部屋に呼ばれました
土曜日、部活が終わりいつものように一緒に下校し、その帰りに彼の部屋に
いきました
制服の下にはいつものように1週間の部活と体育で汚れた体操服にブルマだったので、
正直、気になっていました
彼の部屋に入って、いろいろ話たあとで、「和江のブルマが見たい」といわれ、
大好きだったので断ることができませんでした
制服を脱ぎ、体操服とブルマ姿になった途端、S君は私を抱きしめ、
ブルマに顔をうずめてきました
初めての体験と汚れているから恥ずかしいっていいましたが、
彼はもう止まらない様子でしたので流れにまかせました

行為の後でS君から、実は汗のしみ込んだ体操服とブルマが好きだって告白され
その日以来、ブルマは直穿きさせられ、どれだけ汚れても週末まで体操服もブルマも
洗濯することを禁じられました
S君も一週間汗のしみ込んだ体操服で、土曜日には私を抱いてくれます
変態なカップルだったのかもしれませんが、幸せでした

何が幸いするかわからないものですね。
ブルマ趣味の彼には、貴女がとても魅力的だったのでしょうね。


怜子さん(35)より 4/14 

万年補欠の怜子です。
よくひとから聞かれることは、
「四年間もよく耐えたね」と少し蔑みの入った言葉と、
「四年間で耐えられた理由は?」
「四年間で一番屈辱的だったことは?」
などという質問です。
旦那からも未だに聞かれますし、他ならぬ私をしごきまくった先輩、後輩からも聞かれました。

もちろん入部して、いきなり元後輩の二年生にしごかれたのも屈辱的でしたが、やはり前回お話しした一年生の夏
に、同じ一年生、実際は二つ年下の元後輩にしごかれたことでしょうね。
他の補欠の子は、三年生になるまでは少なくとも年下の部員からしごかれることはありません。また年上のレギュラ
ーが指導員になるよう配慮されます。
しかし二浪の私の場合、もともと年上は四年生しかいないので、その配慮はありません。三年生も試合などのスケジ
ュールの関係があるので、原則通り二年生が指導にあたることになります。
二年間のブランクを取り戻すためには最低でも二年間、三年生の夏まで頑張ろうと覚悟すると、どうしても年下の部
員にしごかれることになるのです。

さらに屈辱的だったのは、翌年の二月、高等部からの新入部員を迎えたときですね。同じ高等部の先輩である私が補
欠の身分で、元後輩のレギュラーにしごかれている姿を晒すのは屈辱的でした。
その前に真冬にただひとりブルマ姿を新入部員の前で晒さなければならないのは、自分でも情けなかったですね。そ
の新入部員にも夏の練習からはしごかれることになりましたが……。

さて、夏休みの後半の練習、八月からの練習は同じ一年生のレギュラーが指導員になり、しごかれることになりまし
た。高等部時代の二年後輩からしごかれるのです。
屈辱的なのは、時期的に八月の前半は少しシーズンオフ的になるので、三年生や四年生も見物に来たりしごきに加わ
ったりすることです。
もっと恥ずかしいのは男子部員も見物に来ることです。私のことは男子にもすでに知れ渡っており、年下の上級生や
同級生に苛められているということになっていたようです。
「ほらほら、男子も見に来たよ」
「美人はいいね。しごかれていても絵になるから」
「まるで私たちが怜子のこと苛めているみたいじゃない」

私の大学の場合、シーズン中は恋愛禁止ということになっていますが、夏休みの後半の八月は少し息抜きみたいにな
っています。八月前半は完全に一時的なシーズンオフみたいになり、後半は合宿がありますが秋の大会へ向けての総
決起の意味もあって、学外でキャンプをします。男子も同じ宿舎であることが多く、部内の恋愛のチャンスでもあり
ます。
冬場のシーズンオフに彼氏を見つけた先輩は、たいていこの時期にさらに仲を深めようとするので、練習に連れてき
たりします。あるいは彼女をみつけるために練習を見に来る男子部員もいます。そういう好奇の視線に晒されること
になります。
自分たちの練習もあるので、男子が練習を見に来るのはたいてい午前、午後の最後の頃です。ということは、私の場
合、練習の終わりぐらいでクタクタになっている時か、居残り特訓でみっともない姿を晒している時ということにな
ります。
泥だらけの体操服姿とブルマ姿を見られる恥ずかしさは口に表せませんでした。練習や特訓が佳境に入り、精魂尽き
果てたという心理の時に、ふと見ると男子部員が見物しているのがわかり、また気合のスイッチ入れ直すということ
になります。
しごく側の元後輩たちも、
「怜子さん、また男子が応援に来ているよ」
「もっと頑張らないと」
「特訓時間、延長しようね」
などといい、しごきは余計に厳しく長くなるのです。
私の方からも、
「もう少し特訓お願いします」
と言わざるを得なくなるのです。

 告白を何度みても、よくこんな屈辱を受けても続ける意志が強かったなと思います。
普通ではすぐに辞めてしまう環境ですよね。


江梨子さん(30)より 4/7

女子中学生からの容赦ない言葉に、工場の人たちは私を気遣い「このコ風邪気味だし働きづめなので勘弁して」と言
ってくれましたが、「このコ、ブルマで新聞配達」「毎日体操服」「○組のAみたい」「貧乏女子?」「それかオタ
ク系のB」「いや超真面目系」「シャツ入れだし」と指摘され、逆らえないと思い自分からジャージの下を脱ぐと、
私の日焼けした生足とシャツ入れブルマ姿に中学生は盛り上がっていました。

全員自己紹介をする事になり、社長以下従業員の紹介の後、私の番になりました。「アルバイトの○○江梨子です」
と元気良く挨拶しましたが、ここでまた中学生の駄目出しが入り「お尻に何て書いてある?ブルマの縫い付け名札」
「自己紹介の後、お尻向けて」と要求されたので、「3年2組28番○○江梨子です。一生懸命頑張ります!」と大
声で挨拶しました。ブルマのお尻を突き出したポーズを取らされる私の前で、続いて中学生が自己紹介をしました
が、彼女たちの体操服には小さな名札に記名してあり、おまけにハーパン姿で明らかに違っていました。

仕事が始まり、中学生は現場で説明を受けに行ったので私は事務机で仕事をしていました。体操服ブルマ、しかも頭
に「○団必勝」と書かれた高校時代の鉢巻を締め机に向かうと言う、信じられない姿が当時の私の境遇でしたが、粗
相の無いように頑張りました。お昼の休憩になり、今回特別にペットボトルのお茶を買って中学生に差し入れる仕事
も、お尻がはみ出そうなブルマ姿で全力疾走して一人一人に配りました。「C先輩お疲れ様です」「D先輩どうぞ」
と言った具合です。中学生がお弁当を食べ始まったので、お弁当も買えない私は貧乏と笑われ、倉庫の隅へ駆け込ん
で悔し泣きをしました。

午後3時に中学生が一度学校へ戻ることになり、リクエストにより私が学校への先導役となりました。いちいち大声
で「先輩方、こちらです」と通りを曲がる度に走って報告する姿は惨めでした。学校に着くと他の研修先から戻って
きた生徒の前でも大声で「先輩方、今日も一日お疲れ様でした」と挨拶すると「新聞配達ブルマで頑張れよ!」と返
され「ご指導有難うございました、失礼します」と走って工場へ戻りました。3日間連続で体操服ブルマで校門での
挨拶をして、同じ格好で新聞配達の途中も笑われました。お陰で学区内の、10歳も年下の女子中学生への挨拶が欠
かせなくなりました。

 その子達は容赦なかったようですね。人を外見で見下してはいけない道徳の心が躾られていないようですね。
悪ふざけの軽い気持ちなのでしょうが、どれだけ人を傷つけているのか、いつかわかる時が来て欲しいものです。


怜子さん(35)より 4/7

一年生の夏休み前に引き続き補欠組を言い渡された私ですが、ミーティングでは幹部の四年生から、それでも部を続
けるかと軽い打診をされました。本来なら三年生である年齢の私が、引き続き年下の二年生にしごかれるのは屈辱的
ではないかというわけです。
普通の一年生でも夏休み前で実力の限界を感じてさっさと辞める子もいます。こういうのは推薦入学の子に多いです。

私は、みんなに大変迷惑をかけるが部活を続けさせて欲しい、二年間のブランクを取り戻すのは同じ二年間かけても
無理かもしれない、しかし高校時代の記録には追いついたので、少なくとも二年間は補欠であっても頑張りたい、三
年生の夏が終わるまで万年補欠でもいいから続けて欲しい、と言いました。
しかしそれでは来年入部する一年生にも指導を受け、しごかれることもありうるがいいのか、とも聞かれましたが、
それも覚悟していると答えました。

これで、私は自分の方から部活を辞めるとは言えなくなってしまいました。来年入部する新入生にもしごかれること
を覚悟しているということは、目の前にいる年下の二年生はもちろん、二年年下の同じ一年生からもしごかれること
は当然のことのように考えていることになります。いわば、私は自分で墓穴を掘るようなことを言ってしまったのです。
年齢的なことも含めて、私は普通の補欠組ではなく、特別な補欠と見られるようになり、みんなも私をしごくことに
抵抗はなくなったようです。

ただ、四年生からは、漫然と補欠組で練習してもらっても困る、自分たちの任期は秋までだから、それまでにレギュ
ラーを目指すように夏休みの練習の最初は頑張って欲しい、その後の様子を見て、目標の時期を繰り下げるととも
に、ペナルティを科すと言われました。
結局、夏休み前半の練習と一回目の合宿の後、やはり秋口以降も補欠組ということになりました。秋口までにレギュ
ラーになり試合に出場するには、それに対応した練習が必要で、基礎的なところからの練習をしていたのでは間に合
わないからです。

また、ペナルティとして八月からは同じ一年生からも指導を受けることになりました。どっちみち秋口からは一年生
から指導を受けること、試合を目指しての練習で二年生も忙しく人手が足りないことが理由です。
二年生や一年生の場合、私の現状を見れば、私がレギュラーになり自分が補欠に転落して立場が逆転する心配が当面
なくなったことは大きかったと思います。安心して私をしごくことができるわけです。

覚悟はしていたとはいえ、やはり元後輩からしごかれるのは屈辱的でした。けじめをつけるため、敬語を使って挨拶
させられたり、言葉でいじられたりするのが一番堪えました。
こういうことは補欠の中でも私だけです。他の補欠の子もいる前で、例えば「補欠組、○○怜子です、今日もよろし
くお願いします」と大きな声で挨拶させられます。
二年生の先輩たちからは、「本当にいいの、悔しくはないの、私たち、元後輩なんだよ」と言われます。
私は、「いえ、昔のことは関係ありません。今は、私が後輩で補欠です。今日もたっぷりしごいてください」とお願
いするしかありません。
同じ練習でも、最初は遠慮がありましたが、八月になって一年生からもしごかれるようになると、二年生からは完全
に馬鹿にされるようになりました。
「恥ずかしくはないの」
「辞めるのなら今のうちだよ」
「高校時代は、怜子が三年生でレギュラー、この子たちは一年生で補欠だったんだろ」

指導員の一年生の中には、
「それどころか、怜子さんは高一からレギュラーで、中等部の私たちからは憧れの的でした」とか、
「怜子さん、易しいからダメなんですね。私たちをあまりしごかなかったもの」
「私たちは、心を鬼にして、怜子さんのこと、しごきますからね。覚悟してくださいね」
などと言う子もいて、周りにいる四年生や三年生の嘲笑を浴びました。

私としては、「高校時代のことは忘れて、今は補欠として、一日でも早くレギュラー昇格を目指します」と言うしか
ありません。
「そうだねえ。元スター選手が、そんなダサいブルマでうろうろ練習していたらみっともないものね」
そうなのです。夏場は、バレーボール用のようなブルマだと、生地も厚く、実用的にもすぐ汗をかいてしまいます。
見た目も暑苦しく、みっともなかったと思います。
陸上用ではない普通のブルマは、万年補欠の象徴でしたね。

 当時の幹部は貴女がこれから置かれるであろう立場を考え、対応されていたようですね。
続けるにしろ、何とかレギュラーに返り咲いて欲しいという願いも最初はあったことでしょう。
その気持ちとは裏腹に、貴女は補欠を続けていくことになってしまうのですね。


怜子さん(35)より 3/30

お久しぶりです。
大学の陸上部で四年間万年補欠だった怜子です。
前回は、一年生の夏合宿までをお話ししたかと思いますが、今回はその続きを書きますね。

私の大学の場合、夏の合宿は、通常二回あります。七月下旬と八月の後半です。七月に入ると実質夏休みなので、本
格的な夏の練習が始まり、その総仕上げが七月下旬の第一回目の合宿です。これは十日間ぐらいです。
それから、また八月の上旬の練習があります。お盆前後の一週間くらいは練習が休みで、お盆明けから九月にかけて
三週間ほどの合宿があります。

前に書きましたように、私は第一志望でどうしても進学したい大学があって、二浪して高校と同じ系列の大学に入り
ました。
浪人による二年間のブランクは、割合早く解消して、五月の下旬頃から高校時代の記録にも並ぶようになりました。
しかし他の一年生(といっても私より二つ年下)はそれ以上の記録を出して次々とレギュラーになってゆきました。
私が追いつくには少しギャップがあり、それを埋めるには少なくとも夏休み一杯くらいはかかりそうでした。結局、
夏休み前の組分けでも私は補欠のままでした。

これにも前に書きましたが、私の大学の部の場合、同じ系列の高等部からの入学者が多く、レギュラーの大半を占め
ています。つまり二浪した私の場合、高校時代の先輩・後輩の関係が逆転してしまうのです。
補欠を指導するのは原則として二年生なので、私は高校時代の一年後輩に指導を受けることになったのです。補欠を
指導するのは必ずしも二年生ばかりではなく、三年生以上のこともありますし、同じ高校以外の二年生もいますが、
私の場合には、その適用はありませんでした。
大学での学年、先輩・後輩関係を重視して、私に自覚を求めること、二浪していなければ三年生なので、三年生にな
っても万年補欠の扱いとすること、三年生で補欠だとどっちみち一年下の二年生のから指導を受けることになるから
などの理由からです。

私の大学の場合、他の高校からの入部者は四月からですが、高等部からの推薦入学者は、二月には合同練習に参加
し、三月下旬からの春合宿に参加します。私も第一志望の不合格がわかって、春合宿から部活に参加しました。もち
ろん同じ他の一年生(といっても高等部時代の二学年下の後輩たち)に比べると、ブランクだけでなく調整不足は否
めませんでした。
まずは体力作りと、ブランクもあることだからケガをしないようにと体の柔軟性に注意しながらの基礎練に励むこと
になり、補欠の中でも私だけ特別メニューで指導を受けることになりました。
私が万年補欠で屈辱的な扱いを受けながらも四年間頑張ったことを、不思議がるひとも多いと思いますが、ひとつの
理由としてはわざわざ特別メニューで先輩たちが時間を割いて指導にあたってくれた感謝の気持ちもかなりあったと
思います。
その代わりとして、元後輩を先輩と呼び、元後輩たちの前で補欠のシンボルであるダサいブルマ姿を晒すのは仕方が
ないと思っていました。補欠といっても、他の子は原則としてブルマ着用というだけで、春合宿の頃はまだ寒いの
で、ハーフパンツやジャージなどの着用が認められていました。暖かくなればランパンなどの着用を認められていま
した。しかし私は先輩・後輩、レギュラー・補欠の上下関係をはっきり示すという理由から、一年中ブルマ着用が命
じられました。

入部の際に、
1.大学での学年を重視した先輩・後輩の上下関係を守ること、
2.つまり高校時代の後輩でも「○○先輩」と呼び、礼をつくすこと、
3.元後輩の上級生は、私のことを「怜子」と呼び捨てにすること、
4.レギュラーに対しては、先輩同様に礼をつくすこと
5.例えば、来年入学した一年生がレギュラーで私が補欠であった場合でも、つまり大学での学年でも後輩のレギュ
ラーに対して、先輩同様に礼をつくすこと
などの条件を守るように言われました。
さらに、春合宿にあたって、
1.二十四時間、ブルマ着用
2.宿舎は二年生のレギュラーと同室
が言い渡されました。

春合宿で、高校時代の後輩である二年生の指導員の前で、補欠の中でただひとりブルマ姿を晒した時は屈辱的でし
た。ちなみにこのブルマは、二十四時間ブルマだと替えがたくさんいるだろう、フリータイムに二年生のレギュラー
の前で汗臭いブルマを穿くわけにいかないだろうと、四年生の差し金で二年生の元後輩たちからプレゼントされたも
のです。四年生の中には高校時代に後輩の私がレギュラーなのに、補欠という屈辱を味わったひともいるからです。
もちろん私がレギュラーだったからといって、補欠の先輩に生意気な態度をとったことはないのですが。

年代的には全国的にブルマがほとんど学校で使われなくなった時代なので、体育の時間でも部活でも高校時代はブル
マを穿いたことがありませんでした。中等部と合同練習をすることがあったのですが、中等部はブルマを使用してい
ました。だから元後輩の指導員からは、「怜子先輩、いや、怜子、ただの補欠じゃなくて、中等部に落第したみたい
ね」と笑われました。
「高校時代はレギュラーで格好良かった怜子先輩が、こんなダサいブルマで練習とは気の毒だなあ」
「でも、惨めな怜子先輩の姿を見るのは、ちょっと愉快。美人はどうなっても絵になるものね」
「四年生の先輩で、怜子がレギュラー、自分が補欠だったひとは、いい気味と思っているらしいよ」
「それは三年生も同じだよ」

これが夏休みの練習になると、二年生の指導員はレギュラーのシンボルでもある試合用の格好良いハイレグのブルマ
(レーシングショーツとかレーシングブルマと呼ばれる陸上用の露出度の高いブルマ)を着ているので、補欠、それ
も特別補欠の私とは身分差は明らかでした。

 外見的に差をつけられて、補欠であることが明確にわかるのですね。
以前の後輩からも補欠となった貴女への態度も180度変わってしまい、屈辱的な毎日が続くのですね。


優衣さん(32)より 3/9

私は、3歳から高3まで、体操をやっていました。体操を始めたのは3歳で、あまりにもおとなしかったので、少し
でも自信をつけれたらいいという母の提案で入りました。そこで、教えてもらった先生は、すごい厳しかったけど、
よくほめてくれたり自信がついてきて幼稚園の年長の夏休みに私は、とある高校の先生が直々にスカウトされまし
た。すごく私の才能買ってくれてその当時の体操強豪高校の提携している小学校に入りました。その小学校もさすが
に体育教育に力をいれてました。その当時の私は、スカウトされて、ビックリはしていたけれど自分を試したいとい
思いで、結構離れた田舎の村でしたが単身で、幼稚園卒園と同時に寮生活が始まりました。

寮では、体操担当の先生と同じ部屋で、徹底的に、しごかれました。新入生の心得という本を1ヶ月で、暗記させら
れました。その内容は、とてもハードで、寮生全員の洗濯物を洗うことでした。(14人分)小学校に入学するまで
に雑用を教え込まれました。廊下で先輩が通るときは、端によってお辞儀をして、朝なら「おはようございます」
昼なら「こんにちは」夜は「こんばんは、おやすみなさい」など大声で、言わないと怒られたり、やり直しされたり
ベラでお尻をたたかれたり大変でした。でも徐々に言われたことを着実にこなしていったらすごくかわいがられまし
た。そして4月1日には、第1回新入生(寮生私だけ)の体力テストがあり20分間走・跳び箱・水泳など各10点
で、評価されて、ご褒美にもらったのが、ブルマと半袖体操服2枚でした。そこから私の生活が始まりました。
まだまだ話があるのですが、長くなるので・・・また次回

 家庭ではなかなか厳しく規律を教え込まれることはないのでしょうが、寮生活で体操のためという目標があれば
厳しさにも耐えて、人間的にも成長できたのでしょうね。その後、着実に力がついていったのではないでしょうか。


えりこさん(32)より 1/30

前にも書きましたが中等部の授業は男女ともブルマで行われ、上半身裸でショーツなどをはくことも禁止でした。
男子のブルマと上半身裸は昔からの伝統と言われました。

水泳の授業もありましたが、中等部では水着は無くブルマのままで泳がされました。
水泳の授業は夏は昼間でしたが、春・秋・冬は朝からで冬は5時開始で3時間屋外でひたすら泳がされます。
プールは50mで深くて足が底に付かないようになっていて、途中でのリタイヤなどは許されません。
冬はとにかく寒いんですが、段々感覚が無くなって来ます。

そんな過酷な環境でも容赦無いシゴキが行われ、少しでも気合いが入っていなかったりすると何十発もビンタを中心と
した体罰を受けます。
体罰を受けたら大声で「ありがとうございました!」と言いますが、これも体罰を進んで受けるという伝統として教え
込まれています。

 今では考えられない伝統ですよね。
当時はこのようなことが当たり前と考えられていたのでしょうね。


ミサキさん(22)より 1/30

そうです。家でも寮とまったく同じ扱いで躾や練習を受けました。家では妹を「お姉さま」と呼び私は、9番と呼ばれ
ていました。

お盆とお正月に家に帰る事が出来ましたが、私はブルマ体操服、下着まで決められておりそれ以外の着用は妹が指導
員になってから完全に禁止になっていたので、家に帰る時ですらブルマ体操服でした。この時期は、駅や町には人が
多く特に満員の電車の中では、注目の的になって容赦ない言葉が聞こえてきて泣きそうでした。妹が近くにいるの
で、隠れる事も出来ず目立つ位置に立たされたり、歩かされました。そして、家に帰ると最初は両親もブルマで帰っ
てきた事に驚いていましたが、妹が理由を説明すると両親は私に部の規則ならその通りにしなさい。ミサキは頼りな
いし、物事からすぐ逃げるからしっかり妹に教育をしてもらいなさい。と言われました。両親は元々躾等には厳しく
特に母は厳しかったです。

家に帰っても私は自分の部屋に戻れずお姉さまのお部屋で休みの間過ごし、お姉さまがいない時は近くの公園で指示
されたメニューを行いました。お姉さまは家でも寮と同じように躾や練習をしてくださり、言葉遣いや挨拶、買い出
しお尻叩きの罰も同じように受けましたし、お姉さまのお友達が遊びに来た時も同じ部屋で空気椅子や笑い者にされ
て遊ばれました。

家で一番惨めだったのは、お姉さまの許可なしにトイレに行った罰とお姉さまに反抗した罰で両親の前でお尻叩きの
罰を受けた時です。四つん這いになり両親に自分の性器を見られながら容赦なくお尻叩きを受けました。私は、泣き
ながら許しを乞いましたが無意味でした。私にとってこれを程惨めな事はありませんでした。休みの間も朝4時に起き
同じ練習を行いましたし、お風呂にも入れませんでした。

話は戻りますが、私は部員全員の前で新指導員である妹に御挨拶をさせていただきました。その後、指導員と副指導
員に呼ばれ特別規則を決められました。規則はほとんど妹ではなく先輩が決めてくれました。

指導員と副指導員に決めていただいた規則は、「ブルマ体操服、白のスポブラとショーツ、白のスクールソックス以
外の着用禁止」一年生の時もこの規則はありましたが、大会の応援の時は制服、お盆やお正月に家に帰る時などは私
服を着ていました。中2から完全に禁止となり、制服を着るのは卒業式の時だけで、それ以外は1年中ブルマ体操服で
の生活でした。又、大会や練習試合には下位は行けず寮や部室、他部の部室等を掃除します。

「お風呂は2日に1回でしたが、完全許可制になりました。」指導員の許可が下りれば水道で洗っていただけますが、
ほとんどが水をかけられて終わりでした。

「下位2人は、指導員や先輩に言われた事以外の行動禁止。完全服従の事。」規則を破ると厳しい罰がありました。
厳しい規則は他にもありましたが、大まかにはこんな感じでした。

休日の練習は以前話した通りあまり変化はありませんでしたが、1年生の時と違う点は上位の人の公園での練習は9時
までなのに対して下位は昼まででした。10時ぐらいから公園の人も町の人も増えてきますが、下位の私たち2人は前年
よりも厳しく徹底的に指導を受けました。筋トレが終わりランニングで学校まで戻ると、10分ぐらいの休憩で昼から
の練習が始まります。上位の人は2時間ぐらい休憩がありブルマ体操服も汚れていないのに着替えていますし、ハミパ
ンやハミケツがないように服装も直っています。

短い休憩が終わると上位の人と一緒に練習を始めます。練習も途中まで上位の人と同じメニューで朝練と同じランニ
ング、筋トレ、基礎練を永遠と行います。下位の私たち2人は、朝練の疲れで上位の人についていくことができず、た
まに練習を見にくる指導員や副指導員、常にゴミの練習の監視をするマネージャーに怒られます。練習の途中から下
位の私たちは上位の人と練習が別になり、全身泥だらけでハミパン、ハミケツそして汗でブルマと体操服が皮膚にく
っつきお尻や胸が強調された状態で、校外ランニングを片道10キロ以上走った後、朝練と同じように筋トレを行いま
す。(朝と違う場所で行います。)ランニングも人が多い所や他校の学校の前を声出ししながら走り、同年代や同級
生、大人の視線を集めます。ランニング姿は惨めとしか言いようがないですが、私たちはただ罰を逃れるために耐え
ることしかできませんでした。わざわざ人が多い所や他校の学校の前を走るのは、私達の置かれている立場を自覚さ
せる為だと言われていました。公園でも朝とおなじ練習を行います。

学校に戻ると練習は終りですが、下位の私たちは上位の人の脚を引っ張った事と決められた練習メニューが出来ない
罰として、罰ラン、罰トレ、お尻叩きの罰を受けます。朝からの練習で体力の限界を超えている私達はすぐに倒れて
起き上がる事が出来ずさらに指導員を怒らせる結果となります。それでも指導員に謝罪をして何とか許され寮に帰り
ます。

寮に帰っても自由はなく、すぐに上位の人の体操服ブルマ、下着を手で洗濯をさせていただいた後、食事をします。
下位は1軍、2軍の人の洗濯やマッサージは行いません。理由は、風呂も入れない私達は汚いからです。私達は1,2
軍の人からは、買い出し、ストレス解消と暇つぶしの道具として使って頂きます。同じゴミの上位の人のストレス解
消は、正直1,2軍の人よりつらかったです。上位の人も目上になるので言われた事は絶対です。必要ない時は、私
達は廊下で正座をして待機をします。そして、全員が睡眠をした頃に、私たちはきれいな練習着に着替え、汚れた練
習着を洗濯して睡眠をします。この頃には、12時ぐらいでした。

妹は指導員になった時やりたくないと先輩に言っていましたが、私とマイの前では「これからゴミとして徹底的に躾
けるね。手加減しないから覚悟しとけよ。ミサキは特に覚悟しとけよ。」と言われ私達は「はい。厳しくご指導お願
いします」と言い私は妹との立場が完全に逆転をしました。妹が指導員に慣れてきた頃に私たちは、下の毛を剃られ
先輩方のお部屋を回り先輩方全員に見ていただきました。そして指導員である妹の前で、私だけ先輩にお尻叩きや落
書き、下半身の前と後ろの穴で遊んでいただきました。お部屋回りが終わると今度は外に連れて行かれ、指導員の指
示でマイにお尻叩きや前と後ろの穴で遊んでいただきました。やっと終わったと思いましたが、今度は私達が寝る部
屋に連れて行かれゴミ上位の7人に指導員の指示があるまでお尻叩きや前と後ろの穴で遊ばれました。私は上位の人に
日ごろから迷惑をかけているので、こういう時には容赦なくしごかれます。私はマイの分も受けるので本当につらく
逃げ出したくなりますが、マイに体を押さえられているので逃げる事も出来ず耐え続けるしかありませんでした。

 学校だけでなく四六時中妹に監視されるし、指導という名目のもと、厳しいこともされるようで辛かったことでしょうね。
この間だけの関係ならばまだしも、家族としてずっと一緒に生活していく中で、後々影響が出たのではないでしょうか。


ゆきなさん(33)より 1/18

ゆきなです。1年ぶりぐらいにメールします。この前の続きを書きます。
負けはしたものの白組のリーダーとして、体操服を泥だらけにして、必死に頑張る姉の姿は、私に大きな影響を与えま
した。
そして運動会が終わったその日、私は大きな決意をしました。
そしてその日の夜、まだ落ち込んでいた姉にそれを話しました。
「お姉ちゃん。私も頑張って来年運動会でリーダーになるよ。お姉ちゃんと二人でリーダーになって一緒に優勝しよう。」
姉は、いつも私に対してすごく優しくて、決して怒ったりしない人だったので、私は「一緒に頑張ろうね。」という姉
の言葉を期待していました。

しかし姉の反応は驚くものでした。
姉は、私にいきなり平手打ちをして、こう言ったのです。
「私の気持ちも知らないでふざけたこと言わないでよ。私が今日のためにどれだけ頑張ったと思ってるの。それに比べ
て、今日のあんたの運動会でのやる気ない態度は何なの。あんたみたいなだらしない子には、リーダーは絶対無理。二
度とそんなふざけたこと言わないで。」姉はそういうとまた運動会の悔しさを思い出したのか顔を伏せ泣きだしてしまいました。
しかし、私はあきらめませんでした。私の決意もそれだけ強いものだったのです。姉に平手打ちをされ、怒られ、その
決意は、逆にさらに強くなりました。

そして、その次の月曜日、その日は体育がなかったのですが、私は、手提げ袋に体操服とブルマを入れ、登校しました。
そして放課後になると、急いで、みんなにばれないよう女子トイレに行き、体操服とブルマに着替えます。着替えなが
ら息が荒くなり、すごくドキドキしているのが自分でもわかります。体育教師に目を付けられ、特訓したあの頃のドキ
ドキ感が久しぶりによみがえってきました。
そして、運動会の日、姉が特訓していた校舎裏の第2グラウンドに向かいます。
第2グラウンドは、いつも人がいないことが多く、この日も私が行くと誰もいませんでした。しかし、私は必ず姉がそ
こに来ると思っていました。
私は、息の荒いまま地面に背中や胸を付け、柔軟体操を始めます。汚れも気にせずするので、体操服が少しずつ汚れていきます。
久しぶりの土の感触です。先生に怒られ、嫌々泥んこになって、特訓をした初めての体育の日、そのあと先生を見返し
たくて必死で泥だらけで頑張った日々、しかしいつしかダラダラ体育をすることになり、汚れることを嫌がっていたそ
んな私には懐かしい感触でした。私の体操服はどんどん汚れていき、顔は興奮で紅潮していました。

やがて、姉を含む小1から小6まで男女12人の白組のリーダーがそろってやってきました。みんなもう体操服が泥んこ
になっています。そうですよく見ればみんな運動会の日に着た体操服を洗わずにそのまま着ていました。なかには運動
会のために新しい体操服を着てきた子もいましたが、競技の激しさを物語るように泥んこになっています。
そして小6のリーダーの男子が集合をかけ、小6のあの女子から話がありました。
「あたしは運動会に負けてすごく悔しかった。みんなも同じ気持ちだと思う。その悔しさを忘れないために運動会の時
に着た体操服で着てもらったの。よくもう1回、体操服を見てみて。みんな泥んこだけど、もっと頑張れたはずだよ。
もっと泥んこになって頑張れたはずだよ。その頑張りが足りなかったから負けたんだよ。今日の特訓は本当に厳しくや
るよ。だから運動会で出し切れなかったところを全部出してついてきて。あたしはもう来年の運動会には出られない。
みんなも来年は赤組白組バラバラになるし、リーダーになれない子もいるかもしれない。でもみんなで運動会を盛り上
げていきたいし、あたしが卒業するまではこのメンバーで特訓を続けたいと思う。」小6の女子のリーダーは、特訓前
で口調は穏やかではありましたが、目つきは厳しくそのようなことを言っていました。

そして、その後、私は姉に「私も今日から特訓に参加したい」と言いました。
しかし、姉は厳しい口調で「帰って。昨日も言ったけど、あんたには無理だし、ここに来る資格もないわ」と言うと、
特訓に向かいました。私は姉のその厳しい口調から今日の特訓に参加するのは無理だと思いましたが、隅で見学することにしました。
特訓は運動会のプログラムを再現する形で行われました。
開会式から始まり、徒競争、綱引き、騎馬戦、組体操、棒倒し、リレーなど競技が進んでいきます。男女の白組のリー
ダー12人で競技を行う為、自然と個人にかかる負担も大きくなります。特に小1の女子のリーダーには、小6までとの合
同で競技するのはかなり辛いものがあります。開始後しばらくして小1の女子はあまりの特訓の激しさにその場に倒れ
こんでしまいました。しかし、小1だからといって誰も手加減はしません。小6の女子リーダーの怒号が響きます。
「おい立てよ!お前それでもリーダーか。」小1の女子は、シャツをブルマに入れ直し、腕をまくって気合いを入れ、
立ち上がり再び特訓に参加します。その後も何度か倒れこみましたが、決して涙を見せず、立ち上がります。私は、年
下の小1の子のそんな姿を見て、自分自身の力のなさに情けなくなりました。しかし、それと同時に来年の運動会に
は、絶対リーダーとして参加したいとあらためて闘志がわきました。

小5の姉は、下級生に比べ体力的には楽なはずですが、来年は最高学年のリーダーとして運動会をまとめていかなくて
はならないので、小6の女子も姉には特に厳しく指導します。姉なりに一生懸命にやっているのですが、今日の姉は体
調が悪いのかいまいち動きがよくありません。そして競技も終盤になると何度もグラウンドに倒れこんでしまいます。
そのたびに小6のリーダーから「お前はそれでも来年最高学年のリーダーになる気があるのか」と怒号が飛びます。そ
して、小6のリーダーはまだ倒れてる姉に近づくと「気合を入れ直せ」と言ってバケツ一杯に入れた水を思いっきり姉
にかけます。水をしみ込んだ姉の体操服は、組体操など激しい競技で土に付くたびに泥だらけになります。

そしてラストは、リレーの練習と称し、小6の女子リーダーと姉が競争をします。しかし、疲れ切った姉にもう力はあ
りません。同時にスタートをしたのに、ゴールでは、小6のリーダーに大きく差を離されてしまいました。しかし、姉
も精いっぱい頑張ってその結果なのです。ゴールと同時に倒れこんで起き上がれません。小6のリーダーは「あたしに
勝つまで続けるから早く立てよ!」と怒鳴りこみます。姉は、最後の力を振り絞り、第2戦に臨みますが、今度はコー
スの途中で倒れこんでしまいました。小6のリーダーはさらに激怒し、「この根性無し」と怒鳴りと倒れた姉の横腹あ
たりを蹴ります。姉はうずくまり、わずかに残っていた姉の体操服の白い部分に靴で蹴られた跡がはっきりつきまし
た。私は運動会で見た小6のリーダーの熱い思いも知っていたので、止めることができませんでした。小6のリーダー
は、このメンバーの中でも特にピッチリとしたブルマを穿き、お尻の食い込みや泥んこの体操服を気にすることなく、
来年は運動会に出られないのに必死でみんなと競技に取り組んでいます。彼女は、すごく美人で学力も運動神経も抜群
に優秀な学校でも評判の女子でした。そんな彼女のブルマ姿はすごくかっこよかったのです。

しかし結局、姉は立ち上がることができませんでした。
小6の女子リーダーは、みんなを姉の前に集合させると、姉を指さし「こんな根性無しに来年の最高学年のリーダー
は、まかせられない。みんなもそう思うよね。はい今日の練習は終わり」と言うと、去って行きました。姉はついに小
6のリーダーに見放されてしまったのです。
私は、みんなが消えたグラウンドで、倒れている姉に近づき、そっとマッサージをしました。姉は何も言わず悔しくて
泣いていました。
私は、そのあと一人自主トレを始めました。すると姉もしばらくして自主トレを始めました。姉は100メートルぐらい
の距離を全力ダッシュする練習をひたすら続けました。そうとう辛いのでしょう。顔は涙で真っ赤になり、歯を食いし
ばり、「くそー負けるもんか」と悔しさを全面に出し、何度も倒れながらそれでも練習を続けました。
やがて下校時間のチャイムが流れ、私と姉は女子トイレで、泥だらけの体操服を脱ぎ、着替えて帰りました。
帰り道、ずっと無言だった姉が、家に着く直前に「あたしはまだあんたを認めてないけど、明日も練習するから来たか
ったら来なさい」と小声でそっと言いました。私は嬉しくて泣きそうになりました。
その日の夜、洗濯機の前には、姉の泥んこの体操服とそれに負けないくらい泥んこになった私の体操服がありました。
私は、明日から姉と一緒に体操服を泥んこにして特訓できる嬉しさに胸がドキドキしました。

 リーダーになろうとする子は、小学生にしてこんなにも強い意志で頑張っていたのですね。
自らの意志で厳しい練習を受けているので、どんなに厳しくても続けられるのでしょうね。


ミサキさん(22)より 1/18

お尻叩きが終わると下着、体操服とブルマを穿く事を許されます。次に校外のランニングを行います。この日はGWで
先輩達の練習は昼からなので、昼までゴミは徹底的にしごかれました。10キロぐらい走った後、公園で筋トレを行い
帰ってきます。公園での筋トレは、腕立て、腹筋、背筋、スクワット、空気椅子、手押し車、アヒル歩きを永遠と繰
り返します。先輩の監視の下、休憩など与えられず容赦なくしごかれました。

普通の公園なので一般の人、親子連れが多く視線や笑い者になりながらしごかれ続けます。私は公園で今はほとんど
の学校が穿かないブルマ姿でしごかれる恥ずかしさとハミパンやハミケツの姿を見られる惨めさがありました。(ご
みは練習ブルマを直す事が禁止でした。)

しごきが終わると学校に帰ります。このランニングもわざわざ人が多いところを走り晒しものになります。GWなので
行きはそこまで人は多くないですが、帰りは人が多くなりかなり恥ずかしい思いをしました。

それ以外にも、言葉遣いや気をつけ、椅子の座り方、態度など徹底的にしごかれ連休明けからいよいよブルマ体操服
での学校生活が始まりました。そして1年間徹底的にしごかれ続けました。

中二になった時、私はかなり憂鬱でした。その理由は、妹が入学してきてバスケ部に入部する事がわかっていたから
です。しかも、妹はバスケがかなり上手くペットになる事がわかっていたからです。部長からもゴミ9の指導員は、
特別にお前の妹にやらせるからと言われていました。拒否することなどできない私は妹に教育してもらう事を受け入
れるしかありませんでした。今までのバスケ部の歴史で年上のゴミが年下に教育係として躾や教育を行うことはあり
ませんでしたが、私は根性がなく筋トレやランニング等でも、明らかに他の人たちに迷惑をかけいつも罰を受けてい
ましたし、連帯責任で下位の人たちも罰を受けていました。又、教育係の躾通りにもできない私には年下の妹に躾や
教育をしてもらった方が、少しはやる気になるだろうという配慮でしたが、私にとっては屈辱以外ありませんでし
た。

そして、妹が入部すると私の指導員になりました。その年のゴミは中高合わせて9人でした。ゴミ下位は2人で、私は
またゴミ9の最下位でした。話は戻りますが、ゴミ下位2人の教育係は、指導員は妹で、副指導員に高3と中2の先輩
がなりました。

 他人に指導されるならまだしも、実の妹に指導を受ける立場になるとは屈辱的ですね。
学校の間だけではなく、家に帰ってからもそのような態度で接してくるようにならなかったでしょうか。


美緒さん(32)より 1/13

私のブルマ体験は、全寮生の中高と体育がさかんな学校でした。季節とわず原則半そで・ブルマでした。
下にはハミパンが問題視されていたのではいていませんでした。
私は水泳が小学校4年生からこの中学で、練習していました。この学校は、アスリート発掘をするために小4から、
練習していました。当時は、私は地区大会とかでも上位入賞だったのでスカウトされました。この小学校からは、
公立中学校にいくことはすごく遠かったのでほとんどの子が市立の中学受験でした。スカウトだったので制服代とか
も全額負担で、その当時、貧乏だった家族には、すごくいいことでした。

毎日、小学校から帰宅すると、いつもランドセルを持ったままそのまま車で練習場に直行という日がずっとでした。
友達と、遊んだのはあまり思い出がないです。長期休みなどは、寮にすんでいました。

まず、最初の練習で、ビックリしたのは、体育館に入るとその当時の水泳部の最高主将、<高3>の人に
「今日から練習する小4の○○美緒ちゃん?」といわれて「はい!」といったら優しい口調で、「とりあえず裸にな
ってここに座って」といわれわけもわからずすわると「不安?でも最初みんなも同じことをしているから大丈夫よ」
と優しくいってくれました。そこから身長や体重や座高・視力などを計測し終わり、最後には、全先生と水泳部員の
前で裸で体育館一杯に響き渡る声で自己紹介させられました。そこからいよいよブルマをはいて練習が始まりました。

泳ぐのかと思うとまずは、他の部活の部室に連れて行かれて挨拶まわりでした。なぜ、するかというと一番年下
は水泳部じゃなくても他の部活の雑用もしなくちゃいけなかったからです。
入って4ヶ月は、体育館の雑巾がけや、ちかくの公園の草むしりや犬のふんや空き缶などをずっと拾わされました。
そこからヘトヘトになってプールにいくと、次は、重い砂袋や机・イスをもって階段を上がったたり下がったりをし
て、通りすがりのほかの先輩に腹筋30とかいうと「はい!」といって腹筋をしたりすごい上下関係でした。

その後に、部屋での反省会にいくと、さっきまで怖かった先輩も優しくお疲れ〜っていう感じでした。時には、一緒
にトランプをしたり宿題を教えてもらったり罰ゲームでは、特別専用室<お説教室>で両手と両足を固定してそこか
らくすぐられたりいろいろやりました。まだまだ体験しました。

 今から思うと何も知らないことをいいことに、変な事をいろいろされていたなという感じでしょうか。
雑用係も必要でしょうが、練習のために行ったのに、かけ離れたことをさせられて面食らったようですね。


怜子さん(34)より 1/13

ブルマ姿で一番恥ずかしかったのは、夏合宿でフリータイムに外出する時です。私だけブルマ姿で連れて行かれて、
コンビニとかで買い物をしたり、商店街みたいなところを歩いたりするのは、ものすごく恥ずかしかったです。懲罰
的にブルマ姿にされているかどうかわからないにしても、真夏に暑苦しい体操服とブルマ姿ではどうみても補欠にし
か見えなかったことでしょう。

みんなが一緒で半ば監視役のように付き添い、わざとゆっくり歩きまわされるので、正直、針のむしろでした。コン
ビニなどは同年代のひとでバイトしているひとも多いし、特に、合宿する場所が他の大学の運動部もたくさん合宿し
ているところでは最悪でした。
コンビニのバイトの学生風のひとたちからも、買い物に来た他の大学のひとたちからも、好奇の目で見られました。
特に同性の女性の視線が屈辱的でした。蔑むような目というか、馬鹿にしたような目というか、そういう視線がとて
もつらかったです。

特に、高校生の子は遠慮なく、大きな声で私のことを話題にしていました。
「今時、ブルマで練習?」
「何部だろう?」
「何部でも自由時間までブルマ姿ってありえない」
「きっと罰を受けているのよ」

私が高校生の頃は、すでにかなりの学校でブルマは廃止されていました。大学の頃はさらに進んでいたので、その子
たちの学校では使われていなかったのでしょうね。そこにいかにも大学の運動部員らしい私がブルマ姿で現れれば珍
しかったことでしょう。それに運動部の子なら、なぜ私が自由時間までブルマ姿か、すぐに察しがついたことでしょう。

コンビニに行く時間はだいたい同じなので、他の大学の男子部員や男子高校生の場合、待ち構えているひともいまし
た。あるいは、練習時間でもロードワークをする時間はだいたい決まっているので、待ち構えているひとは大勢いま
した。まあ、これはふだん大学の構内や外をランニングする時もそうですが。
でも、私にとって一番残酷に思えるのは、やはり女子高生で、最初に私を見つけると、次は仲間を連れてきて、さら
に男子生徒まで連れてきてコンビニに近くで待ち構えていたりします。

みんなと一緒なので駆け足で来て駆け足で帰るわけにもいかず、いつも恥ずかしい思いをしました。それがみんなの
狙いでもあるのですが。
ただ、みんなと一緒で助かったと思うこともあります、たまたまいくつか寄るところがあって、私だけ別行動で先に
コンビニに立ち寄ったところ、帰りがけに高校生たちに取り囲まれて詰問されたことがあります。
「お姉さん、大学生なのでしょう」
「どこの大学ですか」
「何部なのですか」
「なぜ、ブルマ姿なのですか」
「こんな時間まで練習していたのですか」

取り囲まれた場所がコンビニのすぐ横の駐車場で明るいところだったし、女の子もいたのでそれほどでもなかったで
すが、あれが男の子ばかりで、町はずれみたいなところだったら、怖かっただろうなと思いました。
幸いにも、質問に対して、
「秘密です」
「先輩からしゃべるなと言われているので」
「許してください」などとこたえているうちに、みんなが追いついてきたので事なきを得ました。
合宿所に帰ってから、四年生からは、
「答えてあげればよかったのに」
「○○大学三年生、○○怜子、三年生なのに未だに補欠です」
「怜子は三年生にもなって補欠なので、罰ゲームで24時間ブルマ姿です」
と答えればよかったのに、と言われました。
「三年生」というのは、もし私が無理して二浪せず普通にわが校に入学していたら、という意味です。外部のひとに
は、「一年生」と言うよりも「三年生にもなっているのに未だに補欠」と言う方が、笑いものにし易いからでしょう。

この後、合宿所からの外出の際、わざと私ひとりを先に歩かせて、みんなは少し離れてついて行くようになりまし
た。私が、他の大学や高校の男子につかまって、あれこれ言われるのを影から見て楽しんでいるわけです。

 ここまで他の人から好奇の目で見られるだけでなく、声までかけられるとは、かなりの屈辱ですね。
逆になぜこんな姿を晒しているのかを相手に話した方が気は楽だったかもしれませんね。


サキさん(22)より 1/13

 ゴミとなった次の日から、ゴミとしての身分をGW中に自覚させるという事で先輩である神様(高校3年生6人)
から特別メニューで徹底的にしごかれました。ゴミは毎朝4時に起床をし、グランドでラジオ体操、軽めのラン
ニングを行います。この時の服装は、ゴミ番号1〜8番はスポブラとショーツ。9〜12番は生まれた姿での朝
練でした。6時ぐらいになると教育係である先輩が現れゴミは整列をして指示を待ちます。

 私は初めてだったので、かなり不安で緊張していましたが、先輩方は容赦なく躾を行います。最初の指示は、
ゴミ1〜8は体操服を着て整列、9〜12は前に出てお尻叩きのポーズと言われ、よくわからない私は教育係に
教えてもらいながらポーズをとりました。躊躇する私は無理やりポーズをとらされ次の指示を待ちました。お尻
叩きのポーズは脚を開き足首を持つ事を言い、性器は完全に丸見えの状態となるので私は躊躇してしまいま
した。同性とはいえ性器を見られるのは恥ずかしかったです。

 ゴミ9〜12は毎朝ゴミ1〜8かお尻叩きを受けるのが決まりでした。これはゴミの中にもランクがある事を自
覚させる為に行われていました。私たちは一人10回のお尻叩きを受け少しでも回数を数える声が小さいと最
初からやり直しとなる躾でした。私は、何回もやり直しになり泣きながら行ったのを覚えています。

 今ならば大問題になりそうな躾ですね。性的な羞恥心を利用したり格付けしたり、その頃はまだまだ当たり
前のようにこんな事が行われていたのですね。今だから話せる経験なのかもしれませんね。


えりこさん(32)より  12/23

中等部のシゴキは季節を関係無く男女とも原則ブルマで行われました。
ブルマは一週間洗濯できなくて泥まみれになっても着替えはできなかったのと、お風呂も週1で夏場は最悪でした。
水泳があっただけ、ある意味マシだったかもしれません。

中等部では体育教育の一環で性教育も行われました。
実際に男女の身体を見たり触ったりすることも多かったです。
性器の名前は男子は○ンポ、女子は○ンコと呼ぶのが伝統でした。
男子は最初は全員包茎でしたが、女子によって○ンポの皮を剥かれるんですが、無理やり剥くので辛そうでした。
男子全員包茎卒業すると、女子は男子の○ンポをシゴいてオナニーを練習します。
顔面に精子が飛んで来たり身体にかかることは普通でしたが、お風呂の日までは精子を浴びたまま過ごすことになりま
す。

男子は女子のオナニーをさせるんですが、やり方などは徹底的に叩きこまれます。
潮吹きさせられるようになったら一人前と言われます。
ただ、男女ともオナニーは性教育の授業でしかやることは禁止されていました。
また、中等部ではオナニーまででセックスもありませんでした。

 異性の相手のオナニーを手助けさせられるなど、にわかには信じられない事が行われていたのでしょうか。
なんだか、性風俗のテクニックの研修みたいな感じですね。


yuiさん(32)より 12/23 

 私の小学生生活の話をしたいと思っています。実にスパルタで厳しかったです。
入学して最初の授業でいわれたことがいまだに心に残っています。「明日からこの服で学校にくるのよ」といわれま
した。この学校は、昔から体操服登校が強制でしたのですごくブルマには、なじみがありました。

この頃は、スパルタは珍しかったんじゃないかと思います。勉強面も「あ〜ん」をならうのも画用紙一杯に文字の大
きさもきめられてひたすら書かされました。毎日、朝の小テストをクリアしないと帰宅させてもらえませんでした。
再テストになると次の宿題+計算問題やあ〜んまでのプリントがあり宿題の量も半端なかったのに再テストになると
計算問題であれば50問もあるプリントを5枚渡されたりしました。宿題を忘れたら「その日1日中正座をして休み
時間になったら両手にバケツを持たされて一定の高さにあげたままで先生の監視がありました。少しでもずれると
木刀で頭やお尻をたたかれたり大変でした。

毎週土曜日は、暗算大会か猛特訓補習などがありました。まず、廊下に一列に並ばされた後正座をして後ろのてすり
で手を縛って指で数えることもできず徹底していました。一人でも3秒以内に答えなかったり間違えたら全員木刀で
頭をたたかれました。全員で3回ミスをするとその場で上の服を脱がされてバケツの水をかけられたりなにかと大変
でした。体育の時も1年中半そで・ブルマが基本でした。

集団行動では、近くに自衛隊関連の施設があり毎年1年生の運動会では、集団行動で、1人がミスをすると全員が罰
をうけるようにしたり1日1回は、みんなビンタされてました。まだ他にも思い出語ろうと思います。

  今では考えられない指導方法ですが、当時は体罰など問題ではなく、
教師が効果があると考えれば普通に行われていたのでしょうね。
それも今となっては懐かしい思い出という感じでしょうか。


怜子さん(34)より 12/16

 頭ではわかっていても、実際に、元後輩の一年年下の先輩からしごかれるのはやはり大変な屈辱的でした。特に、入
部してすぐの春合宿は、24時間監視されるので大変な苦痛でした。練習中はひとつひとつの記録や技術アップに集
中しているのでそうでもないのですが、むしろフリータイムの方が屈辱的でした。

 四年生の指示で、同じ高校出身の二年生と一年生のレギュラーと同じ部屋にされたので、余計に屈辱的でした。フリ
ータイムは自由な格好しているレギュラーに対して、私は24時間ブルマ姿で、補欠でも私だけです。その姿を同じ
の部屋の元後輩にその姿を晒さねばならなかったからです。晒し者になる屈辱ですね。
特に一年生のレギュラーの子たちは、高校時代はレギュラーの三年生と補欠の一年生という関係だった子が多いの
で、完全に立場が逆転してしまいました。私は同じ一年生のレギュラーにも敬語を使うよう四年生から命ぜられました。

 もうお気づきになった方もおられると思いますが、24時間ブルマ姿や同じ学年でもレギュラーには敬語を使うとい
うのは、本来、二年生の秋以降、新三年生以上の補欠に適用されるルールなのですが、私はふたつ年上ということも
あって、このルールの大半が適用されました。ということは、二年生の秋以降になれば、通常の新三年生の補欠のひ
とよりももっと重い罰が科されることになるのです。

 よくこんな屈辱的な扱いを受けて四年間辞めずに頑張りとおしたなあと思われる方も多いと思います。
なぜと聞かれても困りますが、ひとつは勉学の方で二浪したにもかかわらず志望大学に合格できなかったので、部活
でも補欠のままで終わるのと、人生に挫折がふたつもできてしまうからです。実際は挫折がふたつできてしまったの
ですが(笑)……。

 逆に、入部当初から補欠でいる限り元後輩の部員からしごかれる屈辱的な扱いだったので、かえって頑張れたのだろ
うと思います。もし最初からレギュラーだったら、いや一時的でもレギュラーで補欠に落ちたのであれば、たぶん二
年生の秋の段階で辞めていたと思います。
またおいおいお話ししますが、二年生の秋以降も補欠で頑張れたのは、辞めるということが、何だか逃げ出すような
気がしたからです。事実上私だけの最低の補欠の扱いを受け、屈辱に耐えられず辞めるという方が、悔しかったからです。

 春合宿も最初のうちは、二年生たちは遠慮がちだったのですが、四年生が入れ代わり立ち代わり私の練習を見に来て
はシゴキ度をチェックして指図するので、だんだんと慣れてゆき、最後の頃は楽しんでいるようでした。ひとつには
ブランクを考慮して最初はケガをしないように練習量をセーブしながらスタートしたのですが、意外に私が体力的に
はついてゆけることがわかったので、単純な練習は量を増やすように変更したからです。もっと暖かくなってひと汗
かくようになったら体力的には大丈夫で、次の段階はやや高度に体の瞬発力や柔軟性を高める練習を増やすというこ
とになりました。

 そして、夏休みからの練習は質量共に増やされて、たっぷりしごかれることになりました。夏休み前のミーティング
でやはり補欠のままということが決まり、一年生のレギュラーにも指導員になってもらうことになりました。もちろ
ん補欠でも私だけの扱いです。他のひとは上級生が指導していました。私の場合二年生でも年下なので同じだろうと
いうわけです。

 春合宿の前と同じように、ミーティングで、一年生のレギュラーひとりひとりに挨拶させられました。
「○○さん、補欠組の○○怜子です。今後御指導のほどよろしくお願いします。夏合宿では、たっぷりしごいてくだ
さい。頑張ります」
年下の人間から上から目線で指示されたり、相手から罵倒されたりされるのも屈辱的ですが、やはり口に出して自分
の方からしごいてくださいと言わされたり、元後輩を「○○先輩」とか「○○さん」とか呼ばされ敬語を使わされる
のは、屈辱感がましますね。

 それでもこの頃は、大学の学年では先輩、同級生だったからまだいくらかましでしたが、二年生の秋になって、学年
でも下のレギュラーに敬語を使ったり、「○○先輩」と呼んだりするのはものすごい屈辱でした。いずれまた詳しく
書きますが、二年生の秋以降は私に対する扱いさらに厳しくなって、「万年補欠として、下級生でもレギュラーには
「先輩」と呼び、敬語を使い、礼をつくす」という罰が加わったからです。
だから、三年生になる春合宿では、入部したばかりの一年生のレギュラーの子にまで、「先輩」と呼ばされました。

 ブルマの思い出で言いますと、私は春先から部指定のヒットユニオンなどのバレーボール用のブルマと体操服なの
に、先輩となった高校の後輩たちは、春先の寒い時はハーフパンツやボックス型のパンツ、春たけなわになるとハイ
レグの格好良い陸上用ブルマです。これで立場の差は歴然です。他の一年生の補欠でも練習用のハーフパンツやボッ
クス型のパンツは認められるのに、私には着用が認められませんでした。だから他の一年生の補欠と並んでも屈辱的でした。

  陸上部なのでふだんトラックの中で練習していると普通のブルマだろうが、陸上用ブルマだろうが、あまり変わらな
いように見えますが、当事者同士では差は歴然です。春先だと私ひとりダサいブルマと体操服姿なので、補欠である
ことは部外者でもわかってしまいます。
レギュラーでも五月頃は普通のブルマで練習しますが、メーカーやデザインは指定されていないので、自由に自分の
体型にあったものを選ぶために何となく差が出てしまいます。つまり体にピタッと決まっているのです。その差が出
てしまうのです。
特に夏場になると、半袖の体操服と厚手の生地のバレーボール用ブルマを穿いているのは、私だけでかなり目立ちました。

  それから、ミーティングでレギュラーの一年生からも指導を受けることになった時、上級生の指図で、お古のブルマ
をプレゼントされました。レギュラーになったので、もう補欠が穿くようなブルマは必要ないだろうというわけです。
洗ってあるとはいえ、他人のお古のブルマや体操服を、それもアンダーショーツまで穿かされるのは屈辱的でした。
ブルマや体操服には旧持主の名前が入っているで、せっかくいただいたものを着けないわけにはゆきませんし。た
だ、夏合宿では半日で練習着が汗と泥でダメになってしまうので、けっこう重宝しましたが。

 底辺からのスタートだからこそ、上を目指す強い意志だけは持ち続ける事が出来たということもあるのですね。
そのうちには自分が周りよりも年が上であることなど、感覚も鈍りあまり思わなくなっていったのでしょうね。


ミサキさん(22)より 11/28

一度入部すると3年間やめる事が出来ないので、入部したくありませんでしたが、小心者の私は断る事が出来ず入部を
してしまいました。入部したのは、バスケ経験のある13人でした。13人は、その日から寮に入寮させられ荷物を寮に
送ってもらいました。入部当時は全員3軍ですが、3軍とゴミを分ける為にひたすら体力テストやバスケの技術、やる
気や先輩に対する礼儀等をGW前まで先輩達に審査されました。

そしてGW前日の夜に、結果発表がありました。私は下手なりに一生懸命練習をやってきたので3軍になる自信があった
のですが、結果はゴミになりました。前も言いましたが私はゴミ番号9でした。私のほかにもう一人ゴミになり、ゴ
ミ番号7でした。私が中学1年生の時は、ゴミは中高合わせて12人いました。

ゴミは、高校3年が4人、高校2年が1人、高校1年が2人、中学3年が2人中学2年が1人、中学1年が2人の12人だったと
思います。

ゴミの服装は部指定の真っ白の下着とブルマ体操服でした。私は、ゴミとなったその日に、身体測定を先輩から受け
服や下着をもらいました。穿いてびっくりしたのはブルマでした。バスケ部のブルマは特注で、ショーツのような形
状で少しハイレグになっていたのでかなり恥ずかしくショーツと形状が一緒なので座ったりするとショーツが見える
しくいこみやハミケツにすぐなりました。

ゴミとなったその日に、私は3軍部屋から出されゴミ部屋に行かされました。ゴミ部屋は11人が狭い部屋の生活で布団
も4枚ほどしかなく寝るときはみんなくっついて寝るのが決まりでした。お風呂は2日に1回、体操服とブルマを着替え
るのは1日1回なので朝練で泥だらけになっても1日中その格好で生活し夜に着替えます。お風呂は2日に1日と書きま
したが、私は3日に1回教育係に水道で洗われる程度でゴミになってからはお風呂に入れませんでした。

ゴミには一人ずつ教育係がつき、厳しく教育されます。ゴミが守らなければいけない規則は
・部指定のブルマと体操服、部指定の真っ白のスポブラとショーツ、部指定の真っ白のスクールソックスでそれ以外
の着用禁止(私服や1カ月も着ていない制服まで没収されました。)私は3年間のほとんどをこの服装で生活しまし
た。
・学校の日でも、ゴミである事を自覚し先輩や一般の生徒から言われた事もすべて行う事。ゴミは一般の生徒からも
毎日のようにしごかれました。
・ゴミ番号の低いもの(下から4番目まで)は、他のゴミより厳しく躾と教育を行う。私はゴミ番号9だったので、
該当しました。私の他に高校3年生が2人、中学2年生が該当しました。
他にも細かくありますが、大まかにはこんな感じです。

話が重複してますね。すいません。

 一生懸命練習したのに、結果は3軍になれなくて残念でしたね。
階級が一つ下に下がるだけでゴミとされ、不自由な生活を強いられることになったのは辛かったことでしょうね。 


ミサキさん(22)より 11/26

はじめましてミサキと言います。皆さんの投稿を見ていると私も投稿したくなったので投稿します。

私は、中高と大学が一緒になった学校に通っていました。中学校に入学して1週間の体験入部があり、私は小学生の時
にバスケをしていた事もありバスケ部に体験入部しました。バスケ部は、必ず寮に入寮しなければいけないのと、上
下関係が厳しく実力主義でした。

バスケ部にはランクがあり、1軍=神様(高校生)、2軍=人間(高校生)、3軍=ペット(高校生と中学生)、
軍に入れないもの=ゴミ(高校生と中学生)という風にランクがありました。中学生はペットかゴミのどちらかの扱
いしか受けません。

ペットとゴミの違いは、ペットの練習着は部指定の体操服(ゼッケンに名前を書く)と部指定の短パン(名前を書
く)。寮では、6人部屋で服装は学校の体操服とハーフパンツで生活それ以外は自由。学校での服装は制服。
次にゴミの練習着は部指定の体操服(ゼッケンに番号を書く)と部指定の紺色ブルマ(番号を書く)。ゴミは名前で
呼ばれず番号で呼ばれます。ちなみに私はゴミ番号9でした。下着も部指定の真っ白のスポーツブラと真っ白のショー
ツでした(番号を書く)。寮でも部活と同じ部指定の体操服、ブルマで生活をし学校でも制服の着用禁止で部指定の
体操服、ブルマで生活を送る事などはっきり身分を分けられ学校でもゴミは3軍からだけではなく普通の生徒からもし
ごかれます。他にもゴミには厳しい規則があり一切の自由がありませんでした。

それを知った私はバスケが上手くなかったので他の部に入ろうとしましたが小学校の時に一緒にバスケをしていた先
輩から半ば強制的に入部させられました。

 どこの学校の部にも似たような制度?があるようですね。
部の中での身分で差別化することで、統制をはかるのでしょうね。
いろいろ大変な経験もされたことでしょうね。


優子さん(35)より 11/17

お久しぶりです。
ある日友達に、私の性癖(ブルマをはきながら、下剤・浣腸を使用しながらオナニーをする)を
思い切って言ったら、すごくびっくりされてしまいました。
でも、ブルマのことに関しては「私もブルマが好きで、毎日はきながらしてるの」と
告白されHな気分になり、二人で楽しみました
その友達はブルマ姿がすごく似合うのです。
ブルマ、いいですね。

 貴女の性癖は他の人から見ると、奇異に写るのでしょうね。
だけど、ブルマが共通の趣味になった感じで良かったですね。


怜子さん(34)より 11/17

もうひとつ私にとって屈辱的なことがありました。うちの大学の運動部の場合、高等部から大学へ推薦入学する部員
が多く、特に、陸上部の場合、その比率が高いことです。
つまり、二浪した私の場合、一年生の時から一年年下の二年生、それも同じ高校では私がレギュラーとして指導にあ
たった後輩を「先輩」と呼び、逆に指導を仰ぎ、シゴキを受けることになったことです。

どこの大学でも同じだと思いますが、規律上年齢よりも学年が優先されますから、やむを得ないことなのですが、他
にもひとはいるのに、私の場合は、わざと同じ高校出身の後輩が入れ替わり指導に当たりました。上級生と下級生、
レギュラーと補欠との序列をはっきりさせるためです。表向きは、ブランクを取り戻すには同じ高校で練習した人間
のほうが事情もよくわかるだろうという理由からです。

今でも旦那からよく聞かれることですが、後で私をしごいた周りの人たちからよく聞かれたことは、四年間の万年補
欠で一番屈辱的だったことは、いつで、どんなことだったか、ということです。
これは答えるのが難しいです。その時々で、今まで一番恥ずかしい思いをすることは何度でもありました。これ以上
の屈辱はないと思うことがあっても、その後さらにもっとプライドをズタズタにむされるようなことがありました。

ただ、やはり最初の屈辱は、入部してすぐの春合宿でしょうね。
高等部からの推薦入学者は、二月から練習に参加しているのに、私は第一志望の大学の合否を見てからだったので、
入部は三月下旬でした。二年間のブランクとともに、同じ一年生と比べても調整不足はあきらかでした。
春合宿にあたり、四年生から補欠組を言い渡されました。それも、ブランクと調整不足を解消するため、特別メニュ
ーで練習してもらうと言われました。マンツーマンで、同じ高等部出身の二年生(ということは元一年後輩)数人が
交替で指導に当たるというものです。

この辺に同じ高等部出身の微妙な心理があります。四年生(ということは私より高校時代は一学年上)の中には、私が
高校一年生の夏からレギュラーに昇格したのに、長い間補欠だったひともいました。その当てつけみたいなところも
ありました。一学年年下だが高校時代はずっとレギュラーだった私が、二年間のブランクがあったとはいえ、今は元
一学年下の二年生に補欠として指導を受ける立場に転落しているのです。
「まあ、今のところ、怜子は、補欠以下の補欠だね」
「高校時代は花形選手だった怜子が、無様だね」
などとミーティングでみんなの前で言われました。

元後輩の指導員にひとりひとり挨拶させられ、
「○○先輩、補欠組の○○怜子です。今後御指導のほどよろしくお願いします。春合宿では、たっぷりしごいてくだ
さい。頑張ります」
と言わされました。
もちろん、声が小さいとか、頭の下げ方が悪いとか、いちゃもんをつけられ、ひとりに三回ぐらい同じ挨拶をさせら
れました。

さらに、四年生からは、
「どう、今の気分は?」
「悔しい?」
「正直に言いなさいよ」
などと口々に言われました。

「正直、ちょっと悔しいです」
「補欠の身分は、屈辱的です」
などと私は答えさせられ、
「一日も早くレギュラーになれるよう頑張ります」
と誓わされました。

ただ、屈辱的なのは、他の補欠は季節的にまだハーフパンツやジャージの着用が認められていたのですが、私は二年
生からプレゼントされた練習用のブルマを穿かされていました。二年生の秋以降のような学販ブルマでこそありませ
んでしたが、やはり私だけ選択権がないのは屈辱的でした。
それと、合宿中はフリータイムも練習着とブルマの着用を命ぜられました。

 貴女への執拗なしごきに込められた感情の中には、過去の出来事への確執みたいなのもあるようですね。
いくらしごいても辞めずに耐える貴女は、しごき甲斐がさぞかしあったことでしょうね。


えりこさん(32)より 11/12

中等部の男女ブルマだけの格好は、男女とも恥ずかしかったですが誰も逆らうことはできませんでした。
授業は男女一緒に行われ、女子だからという甘えなどは一切許されず、ひたすらシゴキを受けました。
教官は竹刀を持っていて、少しでも弛んでいるとボコボコに叩かれます。

基本的に連帯責任で、教官からの体罰以外に二人組を組んでお互いビンタさせられたりも当たり前でした。
もちろん手加減しているとみなされると、教官から凄まじい体罰を受けました。
また、罰走を課せられ長時間マラソンをさせられ、ひどい時は徹夜で走らされることもありました。

  今では信じられないような厳しい体罰が平然と行われていたようですね。
その分、精神的には鍛えられる部分もあったのでしょうね。


えりこさん(32)より 10/22

中学高校と全寮制で体育教育に力を入れている学校でした。
入学の時に誓約書を書かされるんですが、体罰を進んで受けることや、
教官や先輩の命令には絶対服従やなどといった内容で、違反したらどんな罰でも受けるという内容でした。
すぐに身体検査を受けるんですが、全裸で体育館に集合させられます。

身長、体重、スリーサイズなどの計測と性器の検査などを受け、断髪式が行われ男女関係無く丸刈りにされ、
陰毛が生えている生徒は全部剃られました。
その後、指定の体操着、ブルマ、ジャージ上下が渡されるんですが、中等部は原則一日中ブルマだけ着用と言われ、
男女ともブルマ一丁の姿になります。
ここで初めて中等部の生徒として入学が認められます。

ちなみに下着は一切なくブルマを直穿きするのが決まりでした。
中等部では基礎体力強化に重点が置かれていて、筋トレや陸上トレーニングの他に水泳でしごかれました。
もちろん水泳もブルマ一丁で男女関係ありませんでした。
基本的にブルマ一丁だったんですが、真夏のマラソンの時はジャージ上下5着重ね着して
炎天下を走らされる地獄の特訓がありました。

 最初に誓約書を書かされて自身が了解した形をとるため、必然的に従うようになるのですね。
それが嫌ならば辞めていけばいいことで、精神的にも忍耐強い人が集められていくのかもしれませんね。
競技の世界ではそれが当たり前なのでしょうね。


怜子さん(34)より 10/15

お久しぶりです。
大学時代、陸上部で万年補欠だった怜子です。
前に書いたことと多少重複することはお許しください。

中学、高校、大学と十年間、陸上競技をしました。中学、高校ではレギュラーだったのに、大学では一年生から四年
生までずっと補欠、万年補欠でした。
大学とのレベルの差があるとはいえ、正直、中学、高校とレギュラーだった自分が、四年間を万年補欠で過ごすの
は、ものすごい屈辱でした。今思い出しても屈辱だけの四年間でした。

そして、屈辱の万年補欠の象徴が、ブルマでした。補欠でも一応試合用のブルマ、レーシングショーツとかレーシン
グブルマと呼ばれる陸上競技用の格好良いブルマを支給されるのですが、それを着る機会はほとんどなく、練習用の
ブルマ、昔のバレーボールが使ったようなブルマで練習させられました。二年生の秋に、補欠以下の扱い、一年生以
下の扱いになった時は、いわゆる学販ブルマで練習させられました。

私が在籍していた大学の四年間、あるいはその前後の何年間、四年間ずっと補欠だったというのは、私だけだそうで
す。たいていのひとは二年生の秋になると限界を感じて辞めてしまうのです。
一年生の中から次々とレギュラーに昇格する部員が出て、自分を追い抜いていくと、どうしても限界を感じてしまうのです。
もうひとつは、補欠組の教育指導は原則として二年生が行います。三年生、四年生は試合などで部を離れることが多
いからです。そうすると、二年生の秋に四年生が引退すれば、二年生の補欠は一年生(新二年生)から指導を受ける
ことになります。

序列をはっきりさせるため、
1)補欠は上級生でも、下級生のレギュラーに敬語を使い、礼をつくす。
2)つまり新三年生以上の補欠は一年生(新入生)扱いとする。
3)ブルマ以外の着用を認めない。他の補欠のように真冬でもハーフパンツとかボックス型ブルマとかは認められな
い。ジャージも練習で必要と指導員が認めない限り、着用できない。
4)上は白の体操服。私の大学はスクールカラーが青なので、他の補欠は青系統の練習着を着ているので、補欠の中
でも目立ってしまいますし、他の補欠との格差もはっきりします。
というような屈辱的な扱いが待っています。

理由は、本来、下級生の指導的役割を果たさなければならない立場なのに、逆に指導を仰がなければならない状態
で、部全体の足を引っ張っているからです。いわば、新三年生以上の補欠の練習は、単なるシゴキだけではなく、懲
罰的要素も含まれているのです。
新入生を迎えた時に、レギュラーと補欠組とに分かれて並ばされ、さらにただひとり白の体操服とブルマ姿を晒すの
は、ものすごい屈辱です。特に、新入生の前にして言葉で責められるのはもっと屈辱的でした。

屈辱的な扱いを受けるのはわかっていても、四年間部活を続けたのは理由があります。
私はどうしても他に行きたい大学(というよりその大学の学部)があったため、二浪しました。結局、高校と同じ系
列の大学に入学したのですが、この二年間のブランクを解消するのは一年や二年では無理だろうと思ったからです。
四年間頑張ってダメだったら仕方がないと思っていたからです。

 それだけ固い意志がないと、普通ならば精神的に負けてしまい、続けることなど出来ないのでしょうね。
最初は固い意志があったとしても、初志貫徹されることは、なかなか出来ない状況だったのに、凄いですね。


えみりぃさん(21)より 9/27

 小学6年生の時に陸上部に入っていて、夏休みに県の陸上大会にリレーの選手として参加しました。学校にユニフォ
ームはなかったので、私たちリレーの選手の4人は、学校の体操服で陸上大会に参加することになりました。
 この年の4月から体操服がハーフパンツに代わり、6年生の女の子はみんなハーフパンツで授業を受けるようになっ
ていたので、当然この日も4人ともハーフパンツで陸上大会に参加すると思っていましたが、4人のうち志保だけがブ
ルマーでした。私たちが「何でブルマーなの?」と聞くと、志保は「陸上大会だから、ブルマーで参加した方がいいと
思って」と答えていました。少し早めの時間だったので、私たちは、軽く準備体操を始めることにしました。

 準備体操を始めてしばらくすると、段々と他の学校の参加者も集まってきました。集まってきた子をざっと見た感じ、
ユニフォームがある学校の子は短パンをはいていましたし、体操服の子を着ている学校の子はハーフパンツをはいてい
て、ブルマーをはいている子はいませんでした。それに気がついた志保は、「ブルマーはいている子が好くなくて、何
か恥ずかしい」といって、恥ずかしそうに、体操服の裾を伸ばしてブルマーを隠すような仕草をしました。

競技が始まったので、私たちは、準備運動を一旦終え、競技を見ていました。その時も志保は体操服の裾を伸ばし
て、できるだけブルマーを隠しているようでした。リレーの選手の招集があったので、私たちは招集場所に行きまし
た。招集場所に行き、出番を待っていました。出番までには、志保は体操服の裾をブルマーの中に入れていましたが、
ハミパンしてしまいました。私は志保にハミパンを伝えようと思いましたが、伝えるのが恥ずかしいので、言えません
でした。結局、志保はハミパンしたままトラックを走り、私たちは、初戦で敗退してしまいました。走り終わって、ト
ラックで座っている時に、志保はハミパンに気がついたみたいで、ハミパンを直していました。

なぜブルマーで陸上大会に参加したのか今となっては不明ですが、一応ハーフパンツブルマーを持っていて様子を見
るという方法もあったので、実は、志保はブルマーをはいてみる機会を探っていたのかもしれないと思っています。

 彼女はブルマを履く口実も考えていたのかな。
みんなハーフパンツで来るのがわかっていたでしょうに、それなりの思いがあったのでしょうね。


広美さん(19)より 9/27

学生時代はブルマでした。体育、運動会、マラソン、掃除、部活時や下校時はいつもブルマでしたし買い物や遊ぶ時
や電車、バス移動時もブルマ姿が多かったです。
私はいつもブルマからハミ尻していたせいか毎日ブルマからはみ出たお尻に男子の視線感じていました。
運動会の時ですがブルマが食い込み半ケツ状態になっていたみたいで友達が
「いや〜ん広美ちゃん。お尻が見えてる。」
と言われたからその時なんか恥ずかしくなり
「いいの。エッチ。」
と言ってしまいその後直しにくくなり、そのままの姿で競技をしましたので多分男性は私のお尻に視線が釘付けだっ
たかも知れません。

  普段からはいてる普段着になってたのでしょうが、男子に見られるのが嬉しかったのかな。
ハミだしててもそのままにしてたのは、半分はサービスだったのかな。


ユウカさん(27)より 9/9  

お久しぶりです。ユウカです。

今日は、3軍になって初めての合宿の事を書きます。先輩方に寝坊しないよう体に覚えさせていただいてから1週間
後ぐらいに合宿がありました。バスケ部では、夏休みに二回合宿があり、一回目は大学の施設ではなく一般の施設で
10日間も高校生と合同で合宿を行います。その高校は、県内でもかなり強く県大会でも毎年上位に進むぐらいの強
豪校でした。その高校も練習着が自由な人とブルマ体操服の人がいました。その高校はブルマ体操服の人が1年生〜
3年生合わせて8人ぐらいいたと思います。ちなみに大学のバスケ部は、この高校出身の人が7割ぐらいをしめてい
ました。

話は戻りますが、合宿前に指導員に呼び出され合宿の説明がありました。指導員に説明された事は、
・私は小学生扱いで、高校生より下の扱いになる事。毎年、3軍は高校生と同じ扱いを受けるのですが私は例外で小
学生扱いとなりました。
・持ち物は、ブルマ2枚と体操服2枚、ショーツ2枚、スクールソックス2枚、タオル2枚、洗面用具のみでした。
・高校生はユウカより先輩になるので、言われた事や躾はすべて受ける事。
その他にもたくさんありますが、後で書いていこうと思います。

指導員の説明で驚いたのは下着でした。高校生のブルマ組は、白のショーツと白のスポブラを着用するので、小学生
扱いの私は合宿中もブラ禁止でショーツは白で後ろにキャラクターがプリントされている幼児用を穿くように言われ
ました。私は、二十歳で白のショーツを穿くのにも抵抗があったのにキャラクターがプリントされた幼児用のショー
ツを穿くのは嫌でした。それにサイズがないと思いました。言っても何も変わらないと思いましたが、とりあえず言
ってみようと思い言うと指導員は怒り結局買いに行くことになりました。指導員に逆らったお仕置きまで受けまし
た。次の日、私は下着売り場に行き指導員に言われた通りキャラクターが大きくプリントされた白のショーツを探し
てサイズが一番大きいのを買いました。その夜、私は指導員のお部屋に報告に行きました。買った下着を指導員に見
せると指導員は「ブルマにはお似合いの可愛い下着だね。せっかく買ったんだからここで穿いてみんなに見てもらえ
ば?」と言われ、私はお断りすると「また逆らうの?ブルマさっさと着替えろ」と言われ、私は買ってきた下着を穿
いてお部屋にいた1年生の先輩方に見ていただくと1年生の先輩方は大笑いしました。「ブルマ何歳?普通そんな下
着穿かないで辞めるだろ。よく辞めないでそんな下着穿けるね。そういう趣味?高校生に見られるの楽しみでしょ?
もう変態だよね。友達に見てもらえば?」等と言われ私は思わず泣いてしまいましたが、これで終わるわけもなく、
指導員に逆らった罰として2時間廊下に手を頭の後ろで組み、脚は肩幅に開きパンツ1枚で立つように言われまし
た。私は2〜4年生の先輩方が一番通る場所に連れて行かれ、罰が始まりました。もう分かると思いますが、どんど
ん先輩方が集まってきて、指導員の部屋で言われた事と同じような事を先輩方に言われました。そして棒で色んな所
を触られ罰が終わる頃には私のあそこはシミになっていました。罰が終わると、指導員に体操服とブルマを返して頂
き「汚いから早く着替えろ、ブルマにはシミ作るなよ。合宿これよりキツイから覚悟しとけよ」と言われました。

合宿の詳細は後日書きます。

 上級生と差別化をするために、幼児用のショーツを履かされたのですね。
普段の格好と違う格好をさせることで屈辱感を与え、服従することを身に覚えさせられる感じですね。
反論すればするほど、その事をネタに厳しい罰を受けるようになるのでしょうね。


浩子さん(??)より 9/9

私自身、茶巾にされたいと言う願望が次第に強くなりました。
学校で友達にやってとも言えませんので、家でジャンスカをめくる1人茶巾をしていました。

学校では昼休みとか放課後と言う比較的時間長くて男子に見られない更衣室等で行われていたので、
普通に過ごしている限りでは茶巾を目撃しなかった為、私はてっきり下火になったものと思っていました。
しかしクラスの女子の間ではしっかり浸透していました。

この頃になって気が付いたのですが、掃除の時のスタイルは女子の場合ブラウスにブルマでしたが、
段々ブラウスに下はジャージかジャンスカのままと言う子が増えたのですが、またブラウス+ブルマという子が多くなって来ました。
当然これには理由がありました。スカートで掃除をしていると茶巾のターゲットにされてしまう為でした。
実際に友達の何人かは茶巾の餌食にされてしまったようでした。
まだ私はこの時、こういう事情があったということは知りませんでした。

そして以前の茶巾未遂?から2週間位たった日の掃除の時でした。
その日はトイレに寄った為、私と絵里は掃除場所に行くのが遅くなりました。
普段ならば教室で制服を脱いで行くのですが、この時はいつものスタイルで行くのは抵抗があった為、
掃除場所でブルマになればいいやと思い、そのままで行くことにしました。

この週の場所は体育館の中にある更衣室兼用具室でした。私と絵里は中で掃除をしていた子達に
「遅くなってごめんね!」と声を掛けて制服を脱ごうとした時でした。

「遅いよ」と言われてしまいました。「二人ともペナルティーと言うことで」と言い終わらないうちに中にいた
子達が二手に別れ、私と絵里を取囲みました。「せーの」の掛け声と共にスカートをめくられました。
私は必死に抵抗しましたが4人相手では多勢に無勢でした。更にスカートをめくられた時、しゃがみ込むような
姿勢を取ったため、余計に茶巾にされやすい状態になってしまいました。こうして私は茶巾の餌食になってしまいました。
一方絵里も同じように茶巾にされてしまったようでした。
(この時私は見えなかったのですが、聞こえた様子からそう思いました)

  周りのみんなは茶巾防止策をとっていたとは、知らなかったのですね。
そのお陰で、念願の茶巾をされる事になったようですね。
求めていたといえ、いざ実際にされてしまうと抵抗してしまうものなんですね。


菜穂さん(34)より 9/5

私の思い出は、幼稚園から高校3年生までほとんど毎日ブルマで過ごししごきをうけていたことです。
まずは、幼稚園時代は、裸・裸足教育があって登校したらすぐに上の服を脱ぎ運動場にでたら2キロのランニングと
今、思うとめちゃくちゃ恥ずかしい体操と幼稚園なのに厳しい筋トレなどがありました。私はおとなしい性格を直す
ことを目標にこの学園に入りました。しかも幼稚園なのに希望者は、寮というかお寺での集団生活場がありました。

私は、またば無理やりこのお寺にいれさせられました。年少から入ったのは、私とかわいらしい目がクリットした男
の子が一人でした。おんなじ部屋でした。ここの決まりは、年中男子は、裸で生活をします。女子は、ブルマ1丁と
いうかっこにさせられます。しかも極寒の中でも。朝はみんなで5時起床でした。そこから2キロ走り最下位の人に
は、特別体育訓練指導(特体練)というすごいスパルタ特訓をしました。この指導は、入園の時に3つまで短所の克
服を実行するためのものです。例(敬語がなっていない・根性がない・プールで泳げない・人前では、緊張する
などといったことを克服してくれる指導です。でも、とてつもなくスパルタ。そして幼稚園につくと身体検査があり
全裸で男女とも保健室前に並びます。ここでもブリッヂや倒立をして待ち時間をつぶします。原則男女とも髪の毛は
坊主頭でした。入園と同時に、髪の毛をそられました。なぜかというと男女平等にするために男子もちなみに短い短
パンでした。朝の1時間目は全校生徒およそ35人ですが、軍隊並の行進や礼儀作法などを徹底的に教えられました。

例えば、理事長がくると正座をして挨拶をします。そして人数点呼など集団的なことを教えられました。男女平
等になりすぎて女子児童でもビシバシなぐってました。唯一見分けがつくのはブルマでした。しかも教室の中は、
先生に対しての服従針が紙にはられています。私の学級は、ちょうど10人で男5女5と比率的には、よかったで
す。年少さんは、まず先生は学校の中では神だということを洗脳させられました。一人が風邪で休んだらみんなでそ
の休んだ子のランニングや罰をみんなで手分けしてする。この連体制があったから逆にみんなきていました。
一人でも背筋が曲がるとそく全員ビンタでした。1つの教室に先生が3人いたので油断もできませんでした。

休み時間も自分の嫌いな運動を先生の監視のもと練習させられました。つらかったけどできるとほめてもらい次の全
校集会の時に表彰されるのを楽しみにしてました。この学園は、厳しくつらくさせてできたときに思いっきりほめる
という今の時代に必要だと思います。挨拶の声が大きいとかでも表彰されて子供をよくしかりほめるところでした。
寺に帰ると自分の部屋に毎日違う役割分担があります。かえってきたらまず、宿題をするそしておわればみせにく
る。そして特体練でした。私は泳ぐことができずにこれをとりました。水着とかは、なくブルマ1丁でした。
いきなり深いプールにいれてわざとおぼれさせます。そしていうことを聞かなかったらこういうことになるというこ
とを教えて、練習をしにいきます。

そしてプールの準備体操をしてよいよ練習です。柔軟でかなりいやなのがありました。それは、最初に男にブルマご
しから電気アンマされることでした。当初は服従しないとやばかったけど今思うとなんでかな?
1時間位深いプール当然足つきません。泳ぎ方もわからないまま先生に遠くに投げられることでした。当然水が怖く
てないたらもっと連続で投げられます。無理やりでも頭をだすとすぐに沈められます。怖さを十分教えこんでいく教
育でした。そしてやっと水からあがろうとするときには、ロープが投げられそれにしがみつくまでおぼれる極限状態
までしごかれました。そして練習用の浅いプールで少しずつ教えられました。このときにはロープを自分でたどると
きに自然に体が横を向くと泳げることに気がついていて後は息継ぎの練習をしていきます。先生が私の足をもち逆立
ち状態で顔面をつけて1秒あげてすぐにまた水につけたりします。このときにおおく息を吸うことが大切だというこ
とにきがついていきます。そしてまた深いほうのプールに投げられます。でももう2時間もすれば指示の「潜る」や
息継ぎの指示に従えます。2時間で水の怖さを克服していき上達しました

   このところ、幼い頃から長い期間ブルマ姿で過ごされた方の告白がありましたが、貴女もそうなのですね。
精神的な弱さがハンディーになってる子を、鍛え直してくれる所に行かれたのですね。
その頃は厳しすぎて辛かったことでしょうが、今は貴重な経験が出来て良かったと思われているのでしょうか。


夏菜さん(20)より 9/5

 次にGWであった合宿の話です。私は、合宿とか始めてでした。いきなり3泊4日の長期の合宿でした。
この合宿は、他チームと試合は、せずにひたすら「基礎特訓」でした。各学年にコーチが2人で私は1年生での通称
「鬼軍曹」と呼ばれているコーチに指導してもらうことになりました。まずは、上半身は、裸でブルマ1丁の姿で練
習させられました。主に時間は、朝練4時〜7時30分の3時間半のマラソンでした。コーチがバイクに乗り1周5
`の湖を走らされました。当然1秒でも基準オーバーだったら2週追加でした。私はなんとか尻をたたかれながらも
タイムを切りました。誰とも会わないからあまり恥ずかしくなかったです。食事の朝は、ご飯3杯・野菜2皿・味噌
汁2杯・魚2匹と牛乳2本を食べるまでコーチが見張っていました。ようやく食べ終えるとコーチがバランスボール
を用意してくれました。腰をひねったりいろんな体操をしているうちに30分もあったら便がでてすっきりした気持
ちで練習にいけました。ここで教えてもらったことは、今でも毎日やっているから腹筋割れています。

また9時30分からは、砂浜ダッシュでした。100メートルを10本した後、地獄の筋トレでした。コーチ2人の
凝視でコーチがカウントをとるまでしました。腕立て100回・いろいろな腹筋50回×4・背筋100回・スクワ
ット100回・バービージャンプ100回・休憩中もスクワットをしながら水を飲むというほとんどどこかは、動い
ている状態でした。そして昼食を食べて、もう1度バランスボールをし、そこからは、倒立からのブリッヂ50メー
トルを5往復した後、かに歩きで、2キロ・や開閉ジャンプでした。そこからまた、ランニングで3`先の民宿に戻
り風呂と夕食を食べました。学年ごとにとまっている民宿が違うのでコーチ2人と私のワンツーマン特訓でした。
部屋着も当然ブルマでした。

 そこで練習のミーティングとお話会がありそこで私にこう問いかけてきました。
「夏菜!お前は海大丈夫か!!
私「海は、苦手でまともに顔をつけられません」
コーチ「なら、明日からは水泳特訓やな!」
私「え・・でもバレーの練習じゃなくていいんですか。それに水着持ってきてないです。」
コーチ「水泳も立派な練習や持久力をつけるには手っ取り早いしな。それに水着はいらんブルマで泳いだらいいか
ら」私はおもわず「はい」といってしまった。
そして次の日の朝4時〜7時30ランニングの後、地元の遊泳場を貸しきって朝9時からの猛特訓でした。

  これだけ激しい運動量だと、食事の量も半端ないようですね。
食事量まで監視されているとは、しっかり栄養を摂らないと練習についてこれないからなのでしょうね。


夏菜さん(20)より 9/5

そして、そういうしごきを受けておよそ1ヶ月だいぶ体は、しんどいけど昔に比べてすごく充実していきました。
5月になるとまた練習がきつくなってきました。ブルマを履くのも結構なれてきたし確かに恥ずかしいけれど見られ
るのは、チームメイトだけだったのでよかったです。だいぶコーチにビンタされながらも必死に練習していました。
学校の体育の授業なんてクソみたいでした。しかもハーパン

そしていよいよGWの合宿でした。初めての合宿だったので心配でした。はじめから3泊4日でした。
今回の合宿のテーマは、チームで協力でした。ホテルに泊まらずキャンプですごしました。自分らでごはんをたいて
は、野菜を切ったり練習場までランニングでした。距離は、10キロメートルだったようです。往復20キロメート
ル走ったことになります。

まず朝の4時に起床そこから30分で食事を済まし4時40分から10キロランニング始まりです。だいたい3時間
以内には、ついていました。8時からテント自分らで組んだりします。コーチが来る前に服装を整えて体育館前に正
座して待ちます。一人ずつ大きい声で挨拶したら練習開始です。午前と午後の5時までは、主に基礎体力をつけます。

腕立て・腹筋・背筋・スクワット・バービーやV字型腹筋を各40回馬とび・手押し車を2人1組で50周します。
そこでも合宿のルールでへこたれないダラダラしないしゃがまないを守ります。そして昼食を食べた後、1時から体
育館と運動場でサーキットトレーニングです。まず広場でバックステップ走50m.その後、サイドステップで100
m各鉄棒逆上がり10回・上り棒を10回上る・バランス棒・タイヤ運び腰に巻きつけて・ブリッヂ20m.体育館は、
とび箱4段5段をとんで・前・後・開脚前・後壁倒立をしてもう1周それを繰り返して約5時までみっちり最下位の
人は、片付けと縄跳び200回その後に遅れてコーチと10キロ走コーチと走るペースが下がってきたらブルマの上か
らよく木の棒でたたかれたブルマが食い込んで直そうとすると「直すひまあったら走れ!」っていわれて走りました。

そしてつくと8時弱そこから風呂入る。銭湯水風呂です。そこから夕食ちなみに弁当を食べて夜恒例の5分間のくす
ぐり大会でした。3回挑戦して失敗したらコーチと一緒にキャンプで寝ます。
いつもの連体制のやつで 完結 1日目終了

みっちりしごかれるプログラムが組まれているのですね。それに耐えていくうちに体力もつき、精神力も鍛えられるようですね。
1日の練習が終わった時は、食事とお風呂が唯一の楽しみになってるのかな。


夏菜さん(20)より 8/30

はじめまして私は、夏菜(かな)といいます。私がなぜ投稿しようと思ったきっかけは、実家に帰りリフォームする
ということもあったから部屋を片付けにいきました。そのときに箱に入ってあったのがあのときの懐かしいブルマと
体操服でした。それは、今から約13年ぐらい前のことゆとり世代ばりばりの時に私は、小学生バレーボールチーム
での思い出です。最初に入ったきっかけは、すごく泣き虫で周りの親からも成績のよい姉とくらべられてたから幼稚
園までずっとひどいいじめにあっていてやむおえなく引越しした時の横に住んでいた怜愛という2つ上の人と知り合
いました。

「そこでせっかくだから来年から小学生なんだからなにか挑戦してみない」と母とその怜愛さんに言われました。
母は早速怜愛ちゃんが入っているチームの見学にいったところ刺激をうけたようです。そこで幼稚園の年長の時にす
こし早めに説明面談にいきました。この面談はまずは、コーチと両親・そして私とコーチ・そしてコーチと私と両親
で話ししました。そこでの内容は、ゆとり世代には、強烈な内容でした。その紙もいまだに箱に入っています。遅刻
やさぼりや仮病や言葉遣いがなっていないとコーチの人は、殴ります・ビンタします。走らします。そんな内容でした。

正直私はその当時またここでもいじめられるのかと思っていました。家族でよく話しあってそこのスパルタチームに
入ることになりました。きっかけは、尊敬している姉からの一言でした。「夏菜は、私と比べられるの嫌なんやろ。
そしたらここに入ったら私なんかすぐに抜くと思うで〜私、運動苦手やし、夏菜もさあ見返したいと思うやろ〜?」
という一言で入団しました。私は、親にコーチからいってもらうのではなく自分から挨拶に行きました。そしたらい
つも見学しているときとは裏腹にとても優しい人でした。

そして「夏菜しっかりしごいたるからな!!覚悟しときや!」といわれて入りました。入団したときに一番びっくり
したのが、服装でした。めちゃくちゃ生地が薄い体操服とノースリーブ型の体操服とブルマでした。
体操服の薄さは体育館でするから暑くなるのが早くハーパンだとやけどのこともあるからだったみたいです。
上は、直履きで下は、自由やけどすぐ蒸れるし変な感じするからということで怜愛ちゃんの助言で直履きでいってま
した。後、怜愛「ブルマに上の服しまっときや」ビンタされるから。怜愛「あのコーチ服装のこと厳しいからな!冬
でもジャージきたらあかんやで!そのおかげで風邪ひかんようになったからよかったけど」

私が小学校に入りバレーボールチームに入って練習させてもらえました。
まずは、チームの規則は、守るでした。 女子全員で6人、小4が3人 小3が2人 そして私

ルール表
1コーチや年上の先輩にあったら大きい声で挨拶をし。頭を45度下げる
2服装(ブルマ・配布された2枚のどちらかinする)冬でも半そで・ブルマ・裸足
3てきぱき動く。コーチの指摘があったら素直にきくコーチのいうことは必ず聞く
4コート内では、プライドは、捨てる
5学校のランドセルごともってくる。宿題を終わらせてコーチに見せてから練習する長引いた場合は、延長認める
でした、私は、1ヶ月後のGWの合宿にむけて練習しました。練習日は、月・水・金・土・日(試合のみ特練)
時間は平日4時から8時でした。土曜日は朝7時00から12時主に基礎トレそのまま2時から6時まで実践+基礎
夜は、1週間の反省や明日のミーティングでした。後、恒例の罰ゲームでした。

最初の2週間はひたすら体育館の端から端まで声だしでした。自己紹介と挨拶1時間ずっと
そこから腕立てや腹筋いろいろな種類・背筋・スクワット・バービー・馬とびを各40回
そこから壁倒立や体育館ブリッヂ歩きでした。端から端まで3往復の後リレーの競走でした。負けたら土曜日に罰ゲ
ームそこからかに歩きを体育館30周・手押し車体育館25周・反復横とび5分×4回でした。開閉ジャンプ
最後にみんなで手つないでV字型腹筋10分耐える手をつないでいる上に体育館にあるおもりのボールを一定の高さ
で静止して足にもおもりをつける落としたらその場で連帯責任のやり直しでした。誰か一人でも気を抜くとおちるす
ごいゲームでした。コーチが4分ぐらいたつと一人ずつわき腹に保冷剤をあてたり掃除で使うモワモワしたやつを太
ももや股関節にさすったりと一刺し棒で乳首を回したり笑かしたりしてすごくおもしろいゲームでしたけど集団責任
がみについたのだと思います。そして最後は、全員で体育館の雑巾がけをして終わりというボールを使わないトレー
ニングでした。家に帰るとヘトヘトでお風呂で寝てたり、食事中に寝たりしたこともありました。
小学1年生で2日に1回はこういう風な練習でした。後にまた投稿します。 

  きっかけはいろいろあっても、自らやる気になって入ったクラブは、きつくても続ける意思が強かったのでしょうね。
この時にいろんな事を学び精神的にも鍛えられたのでしょうね。その思い出が詰まったブルマをみつけて
その頃の事が昨日のように思い出されたことでしょう。


唯チャン(30)より 8/30

私は、幼稚園から高校3年生までブルマでした。幼稚園の時は、裸教育とかいって年中裸でブルマ一丁でした。
主に今回は、小学校のころの思い出を語ります。まず、小学校が近くに2つありひとつは、私服で校則がゆるいとこ
でもうひとつは、制服の代わりに体操服登校でした。1年中半そで・ブルマで、先生たちによるスパルタ教育でした。

私は、すごく気が弱く人前では、ぜんぜん無理だったので私の家は、父が事故で他界してたからちゃんとした子
に育てて欲しいということで、スパルタ教育の学校にいくことになりました。まずは、入学説明会の時にもらった規
則がのっているものから紹介します。この表は、いまも飾っています。

生徒・保護者向け
1、学校に入るときに問で、大きい声で挨拶と自己紹介をして先生の了解がでるまでする。合格と同時に靴を脱ぎ、
裸足になること。
2、登校したら職員室で、持ち物チェックと宿題チェック、服装チェックをすること、このときも最初に大きい声で
挨拶、自己紹介をする。
3、朝7時に登校し、掃除すること。先生のチェックがでたらラジオ体操し、次にランニングを3`、腕立て・腹
筋・背筋・スクワット・バービージャンプ・v字型腹筋・第1学年30回・第2学年35回・第3学年40回
第4学年50回・第5学年75回・第6学年100回各地必ず教師の監視で行う。さぼりは、やり直しで放課後に2
倍やり直しさせること
4、遅刻者には、罰則として放課後、体育館の雑巾がけ100往復させること。教師の監視付
5、体操服以外はみにつけない。(上の下着は着ない男女・下の下着女子は、自由(ハミパンなど対策)
6、宿題を忘れた場合は、その日一日中廊下で正座してうけさせる。放課後に体育館の雑巾がけ100往復
7、学校に不必要なものは、直ちに没収し、永遠返品
8、授業の発表する際、挙手する場合は、手を耳につけてまっすぐ挙げる。
9、休み時間は、必ず外で遊ぶ。昼休みには全学年でドッヂボールをする。各学年負けた組は、放課後の掃除をす
る。
また長くなりそうなので小学校のパート1は、これでおわります。

  小さい頃のブルマ姿は普通かもしれないけれど、大きくなるにつれ恥ずかしくなってくるのでしょうね。
貴女の行った学校もブルマを教育の道具として使われていたのかな。


浩子さん(??)より 8/30

私は友人達の包囲網から逃げ出そうとしましたが弘美に腕を掴まれてしまいました。
そして「せーの」の掛け声と同時に私のスカートをめくり始めました。
私は必死に抵抗しましたが4人が相手では敵いませんでした。
抵抗も虚しく、私は上半身をスカートに包まれしまいました。
この時は誰かが頭の上でスカートの裾を掴んでいる状態でした。
そのうちに「裾をリボンで縛って」と言う声がしました。

茶巾にされまいと抵抗してきた私ですがこの声を聞いたときは諦めて茶巾にされてしまおうと思いました。
ところが突然目の前が明るくなりました。一瞬何が起こったのか解らなかったのですが、
上半身を包んでいたスカートが下ろされたのでした。

ちょうどこの時、私達しかいなかった教室に男子がやって来たため、一旦中止となりました。
私はぎりぎり茶巾にされずに済んだのですが、当然これで終わった訳ではありませんでした。

男子のお蔭?で茶巾にされずに済みました。この頃はまだ女子の間だけでしか行われていませんでした。
難を逃れたものの私自身は中途半端な感じでした。されたくはないけれど、多少はされてみたいという
矛盾した思いを抱え込むようになりました。

家に帰っても頭の中は茶巾のことしかありませんでした。
いつもの様に制服を脱いでブラウス&ブルマと言う姿になり、机に向かい勉強を始めましたが全然集中出来ませんでした。
そのうちに脱いだジャンスカに目が行き、ふと思い付いて着てみました。
そして鏡の前に立ち、スカートの裾を持ち上げてみました。

当然スカートの裾を頭の上で縛ることは出来ませんでした。
スカートで肩を覆うのが精一杯でしたが、鏡に写るブルマが丸見えの下半身、
スカートに包まれた上半身、自らやったにも関わらず恥ずかしさに体が熱くなって行くのわかりました。

この時感じたのは、ブルマをはいていて茶巾にされても恥ずかしいと言うことでした。
その反面、されてみたいと言う気持ちも強くなって行きました。

そんな風に考えたら茶巾にされかけたのに抵抗したことが悔やまれました。
おそらく私は茶巾のターゲットにされないんだろうなと思いました。

   微妙な気持ですね。茶巾をさる恥ずかしさとは裏腹に、中途半端に終わってしまったがために、
茶巾にされたいという欲求が募ってしまったようですね。
これだけは、一人では出来無いことですからね。そのうちチャンスは巡ってきたのでしょうか。


未来さん(33)より 8/1

私は、幼稚園から高校3年生までブルマでした。2005年の3月でブルマ卒業です。(伝統高校だったので)
まずは、小学生の時の体験談です。この小学校は、公立の小学校でもあまりないスーパー体育進学です。
服装も登下校体操服でした。
小1のころから、男女(柔道・裸教育・プール・剣道・空手・総合受身術とか礼儀や言葉遣いを徹底的に教えられた
ものです。

昔から、いうこと聞かない子には、平気でビンタとかやってました。貧乏だったので柔道着みたいなものがなかった
のでブルマでやっていました。ちなみに上半身は裸でした。小1のころから7時からの早朝ランニングがありました
15分間走を×3本でタイムを切れなかったら連体責任で、休み時間も練習させられたものです。放課後も6時まで
しかも、その1日で切れなかったら次の日からから朝6時30からランニング+筋トレでした。1週間きれなかったら
土・日や祝日も学校にいっては、タイムをきれるようにがんばりました。でもそんな学校でしたけど先生は、すごく
性格とかの部分も配慮してくれました。

気がとても弱かった私を毎朝学校の屋上で自己紹介を小1のころから毎日大きな声でいわされました。そのおかげか
だいぶ人前にもなれました。毎年11月〜3月までに耐寒訓練で裸でプールにいれさせられました。雨の日は、裏の
寺までの階段ダッシュと下るときは手押し車走でした。2月の中旬に学校対抗の裸トライアスロンがありました。

このことは、あまり信じてもらえないことが多いですけど、本当に6年間やってました。今は、なくなったみたいです。
ちなみにコースは、学校の裏の寺を周ってちょっとした山を登り3`池を周りプールに行き学校を回って終了です。
この行事は、私が一番嫌いな学校行事でしたが、6年間参加しました。

小学6年の時に学校で3番になりました。毎年この行事を見にきたお年よりもおおくいました。最初は、恥ずかしか
ったけど、しんどさがかって全然きになりませんでした。結局6年間で休んだ日は、一度もなくて皆勤賞で学校の記
録にもいまだに残っていました。でも結構います。夏休みも宿題教えてもらいに通っていました。結局4日もあれ
ば、自由研究以外終わり、先生に「明日も、きなさい。先生がもっと鍛えてあげる」とかいわれて夏休みの盆の期間
しか休みがもらえなかったです。冬休みも毎日耐寒訓練にむけて宿題を冬休みはいる前におわらせました。

元旦には、山の頂上で裸で今年の抱負を大きい声でいわされたりしました。そのおかげで全く風邪もひかなくインフ
ルにもかかったことがありません。こんなに厳しい学校だったからこそ仲間との絆は、誰よりも固いと思います。
そして、中学生活に後日投稿させてください。長い思い出話になってすみません。でも多くの人にしってもらいたいです。

 貴女のブルマにまつわる大切な思い出をみんなに知って欲しいのですね。
こんな思い出って、なかなか人に話す機会が無いのかもしれませんね。
ここで良ければ、いろいろ告白していってくださいね。


美咲さん(29)より 7/26

私のブルマの思い出は、やはり幼稚園から高校3年まで体育をブルマでうけたことです。

小学生の体験談
私の小学校は、昔から体育理念があり、普段やらない裸教育や朝の7時30から行う早朝ランニングでした。
誰か一人でも遅刻または、時間が切れなかったら次の日から連帯責任朝の6時30から上半身裸で女子というのも
考えず田舎の街を走らされました。そして、毎年11月からは、耐寒訓練で、月〜水はプールで木・金は、学校裏の
お寺までの階段で、裸でダッシュした後、めちゃくちゃ多い階段を手押車でした。

学校体育も真冬でも半そで・ブルマ強制でした。長袖なんかきていたら臆病者といわれていました。
後、掃除のときも冷たい水で雑巾がけでした。マラソン大会も小1年で2キロと過酷でした。
宿題忘れてしまった時は、その週の土・日は、罰則訓練が連帯責任でいかされました。母にしんどいといっても
無理やり生かされたものです。その代わりよかったことは、夏休みと冬休みと春休みは、学校に行き宿題や自由研究
を手伝ってくれました。毎年始まって4日もあれば宿題が終わっていました。

そこからみんなで学校で遊ぼうといっていたけど先生が「あなたたちは、甘い!この休みを思い切ってしごいてやるは!」
といって結局トレーニングさせられたものです。休みは、お盆の4日間と正月の5日間だけでした。

おかげで356日間ブルマで学校にいってたことに私は、すごいと思いました。おとなしい子だった私を小1の時から
声だしといってよくお寺で自己紹介させられたものです。1年間ぐらいずっとやってたので自信をつけさせてもらいました。
人の悪口とか言われたこともあったりいったこともあったけど先生と生徒全員で夜の10時まで話したのもいい思い出でした。
連帯責任という教えもあり一人では、絶対いきていけないということを教えてもらったのは、この厳しい先生のおかげでした。

今は、一杯恥ずかしい体験をさせられましたけど今は、笑い話です。いっぱい怒られて泣いて、笑ってビンタされたりと
これが本当の教育と思います。今はゆとり教育で、ほめられる回数も少なくなったと聞きます。でも当時は、厳しい環境のな
かでもほめられて育ってきました。こんな経験二度とできないと思うと今になりなんでもっとちゃんとしてなかった
んやろ〜と思います。では、次は中学生の体験談にいきます。

 小学生の頃のブルマ姿は、貴女にとってとても大切なことだったようですね。
ブルマ姿をとおして、いろんな事を学ばれたようですね。


ユウカさん(27)より 7/16

3軍は先輩方のストレス解消の役割もありましたし、私は今までの3軍の方々と比べるとかなり厳しく指導や躾を受け
ていました。それに3軍は大学生として扱ってくれないのでかなり見下されます。

今日は、夏休み前に私が、指導員と先輩を本当に怒らせてしまったお話をします。

それは休日の練習の日でした、練習が終わるとキャプテンと部長に罰をしなくていいから2人とも部室の中に入れと
言われ、指導員と私が部室に入ると4年生の先輩達だけがいました。部長からそこに二人とも正座と言われました。
私は何が起こるかわかっていました。その日の朝、私は3回目の寝坊をしてしまい指導員に叩き起こされていたから
です。寝坊の原因は、練習と躾の疲れ、寝不足でした。1回目と2回目の寝坊は罰を受けてなんとか許していただき
ましたが、今回の寝坊で4年生の先輩が大激怒して呼び出されました。休日の練習は15時ぐらいに終わりますが、
練習後から夜中まで2度と寝坊しないように体で覚えさせていただきました。
 
部室に入って正座をすると、部長が「お前、何で呼び出されたかわかる?」

私「はい。寝坊をしたからです。」

部長「何回目?やる気ないなら部活をやめろ。」

私「3回目です。申し訳ございません。」

部長「黙れ。お前は口ばっかりで反省してないし、もう部活やめたら?」

私「部活は続けさせてください。お願いします。」

部長「おい。○○(指導員です。)、お前はちゃんと躾と教育してるの?」

指導員「はい・・・・・」
 
部長「躾をして3回も寝坊するの?お前の躾と教育が甘いからいつまでもユウカに3軍の自覚がないんだよ。」

指導員「申し訳ございません。」こんな感じで説教が続きました。説教中は言葉はもっと悪く怒鳴り声でした。

部長の説教が終わると、キャプテンが二人とも立てと言いました。ユウカは生まれた姿、○○(指導員)は下着姿に
なれと言われました。○○は指導員として指導していない罰としてお尻叩き30回、ユウカは、寝坊した事を後悔す
るぐらいお前の身分を体に叩きこんでやると言われました。この時、私の考えは甘くお尻叩きを受けた後、いつも通
り人前で恥ずかしい姿を晒すぐらいの罰だろうと思っていました。しかし、その日はいつもの罰が優しいと思えるぐ
らい、私にとっては厳しいお仕置きで拷問と思えるぐらいでした。

まず、指導員がお尻叩きを受けました。指導員は、私のせいで下着姿になりお尻叩きを受けているのですから、私に
対する怒りでいっぱいだったと思います。指導員のお尻叩きが終わっても指導員を見る事ができませんでした。

次に私のお仕置きが始まります。私は部室の外に出されお尻叩きを受けました。4年生は16人いましたので、全員
からお尻と太ももを何十回も叩かれました。足首を持ってお尻叩きを受けますが、最後の辺は1回叩かれるごとにバ
ランスを崩し地面に手をついてキャプテンに怒鳴られていました。今までこんな回数のお尻叩きを受けた事がなかっ
たので、あまりの痛さに耐える事ができませんでした。お尻叩きが終わると、残りのお仕置きは寮で行うと言われた
ので寮に帰る事になりました。

指導員はすぐに服を着て、私は下着だけ着る事が許され寮に帰りました。寮に帰ると部員全員が部屋に集められ、指
導員と私は前に立たされキャプテンからお仕置き内容が言い渡されました。最初は指導員と私にもう一度お尻叩きで
した。部員全員からお尻叩き3回ずつでした。お尻叩きが終わると指導員の罰は終わりました。次の罰は各学年から
お仕置きを受ける事でした。学年ごとに4年生〜1年生の順番で各学年から1時間ぐらいお仕置きを受けました。4
年生と3年生はこのお仕置き方法は私で2回目ということで、慣れているのか容赦なくお仕置きを進めていきまし
た。内容は、簡単に言うと後ろの穴を中心に手加減なく行われました。詳細に書ける内容ではないので省略させてい
ただきます。

4年生のお仕置きが終わる頃には立てないぐらいフラフラで、3年生のいる部屋まで四つん這いで指導員に連れてい
かれました。2年生と1年生は初めてという事で4年生のお仕置きのやり方を見学して私に行いました。私は泣き叫
び何百回も許しを乞いましたが、許されるわけもなくようやく4年生〜1年生までお仕置きが終わり最初に全員で集
まった部屋に連れて行かれ、反省が足りないという事で部員全員からもう一度お仕置きを受け、お仕置きは終了しま
した。私は寝坊した事を後悔して涙が止まりませんでしたが、その他にも罰がありました。キャプテンと部長から言
われた事は、

・ユウカは今日から3年になるまで毎日ブルマと体操服で生活する事。(短パン使用不可、パンツのみ許可)又、体
 操服はブルマの中に入れ規則通りの服装で生活する事。
・ユウカの2軍の昇格審査は4年の夏まで行わない。(事実上引退するまで3軍が決定した瞬間でした。)
・明日から1週間大学のお昼休み中、ロビーの雑巾がけをする事。
・講義がない時は、1ヶ月間地域の清掃活動を行う事。(定期的に行っている清掃活動を一人で毎日行う事。)
・反省文を毎日読む事。(場所は指導員が決める。)
・中学生扱いから小学生扱いに変更し、指導員に指示された事以外は絶対にしない事。指示された事は必ず行う事。

以下の罰が守れなかったら退部させると言われたので、私はすべて実行するほかありませんでした。又、部長からお
前は引退するまで私服着る時ないと思うから実家に送り返せと言われ、後日スーツ以外すべて送り返しました。送り
返したため、実家に帰る時でさえブルマと体操服で帰る事になりました。私は部活をやめたくなかったし、自分がす
べて悪いので仕方ないと思いどんな扱いをされても頑張る事に決めました。

ようやく罰が終わり、先輩方が部屋に帰り指導員と二人きりになると、指導員からいきなりビンタをされ、かなり怒
っていました。それはそうですよね…私のせいで下着姿を皆さんに見られ60回ぐらいお尻を叩かれたわけですか
ら。そのまま私はサブグランドに連れて行かれ指導員が受けた回数のお尻叩きを受けた後、さらにお仕置きを受けま
した。この頃には12時を回っていましたが、私は体中の激痛でしばらく動くことも寝る事も出来ませんでした。こ
のお仕置き以来、私はどんなに疲れていてもお仕置きの恐怖で2度と寝坊をすることはありませんでした。キャプテ
ンに言われた通り体で覚えさせられました。

 寝坊してしまうのもわかるような状況であったのに、その時の罰によりその後、
身体が覚えていて寝坊することがなかったなんて、人って鍛え方で成長?するものなのですね。
きっと、今でもその事は続いていることでしょうね。


ユウカさん(27)より 7/8

お久しぶりです。  

その日から、ノーブラで生活です。ノーブラ生活初日は、大学内を歩いていてもそんなに視線は気になりませんでし
た。講義を受ける教室に入ってもそこまで気づかれていませんでした。視線が気にならないと言っても服装が服装な
だけに見られていることにかわりないですが、いつもと変わらない感じでした。しかし、講義中に後ろの席にいた
方々がブラを付けていないことに気付き講義が終わると、「ユウカ、ブラ付けてないの?」と聞かれ、私は、何も答
えず黙っていると「恥ずかしくないの?」など質問が続きました。だんだん人が集まってきて、「ユウカ、胸の黒い
のがうすく見えるよ。何で付けないの?」と言われ、私は覚悟を決め「私は3軍の自覚がないのでブラを禁止されてい
るのでつけていません。」と素直に言うと「せめて手で隠せば?」「手で隠すと罰の対象になりますし、それに隠す
と罰にならないので」と言うと同級生は「そうなんだ。ユウカがいんならいいけど。」と言い、かなり引いていまし
た。この頃には、同級生の友達との身分の違いもはっきりとわかり敬語になっていました。友達はおしゃれな服に自
由な髪形、お化粧もしていて大人の女性という感じでした。一方私は、体操服で短パンという惨めな姿で、もちろん
お化粧等も禁止です。髪も指導員が切ってくださっていました。そんな惨めな私が友達と対等に話せるわけがありま
せんでした。

話を戻しますが、やっぱり白の体操服でサイズが体にピッタリぐらいだと透けて見えてしまいますよね。最初は恥ず
かしく胸を隠したい気持ちでしたが、指導員に絶対に胸を隠さないこと、隠したら素直に報告をして罰を受ける事と
言われていたので、胸を張ったままみなさんに見ていただきました。その日は、同じ講義を受けている10人ぐらい
の人に知られましたが、校内を歩くだけではノーブラだと気付かれない事に気づき安心しました。普通に歩いている
だけでは薄く透けている黒い部分までは見えないですよね。生地が厚い体操服に感謝しました。

 そもそも3軍の自覚がないからといって、ブラを禁止にする意味は私には理解できませんでした。ブラを禁止にし
たからといって3軍の自覚が出てくるとは到底思えないからです。それでも先輩と指導員の命令なので、逆らうとい
う気持ちは一切ありませんでした。毎日の躾としごき、そして指導員の存在が私には本当に怖く逆らう勇気さえあり
ませんでした。だから、いつも指導員の言われたことしか行わず、指導員の見ていないところで規則違反をした時、
隠さず報告をして説教と罰を受けていました。それほど私には指導員が恐ろしい存在でした。

 いろんな事で上位の軍と差別化することで、なぜ自分がこんな仕打ちを受けるのか身体に覚えさせようとされていたのかな。
これまでにも3軍になった人は居たでしょうが、周りの人には3軍としての立場が理解してもらえなかったようですね。


ユウカさん(27)より 6/22

こんにちは。監視役のマネージャーがすべて細かく記録しています。何回ランニングの時間に遅れたか、何回筋トレ
をやり直しになったか、そして私の部活の態度や返事の声の大きさ、気をつけをした時の指が少しでも曲がっている
と罰の対象になりました。自分で罰を選ぶのは中々惨めなんですよ。私には見られたい願望はなかったと思います
が、ブルマと体操服で講義を受けたい気持ちはありました。理由は、3軍になって毎日ブルマ、体操服で生活をしき
て1年ぐらいがたち、かなりブルマに愛着がありました。なので短パンなど穿かず1日中ブルマで生活をしたいと思
っていました。それはすぐに実現をしました。この話は今度したいと思います。

今日は前回の続きと新指導員になってから3カ月ぐらい経った日の寮での話をします。

練習と罰が終わると寮に帰る事が許可されます。指導員の機嫌が良ければ普通に帰る事が出来ますが、怒らせたりす
ると、寮に帰る間も罰を受けなければいけません。寮に帰ると寮の前で着ている体操服とブルマ、下着を脱ぎ生まれ
た姿になります。理由は汚い服装で寮に入ると汚れるからです。指導員の前で脱ぐのですが、指導員に下の毛を剃ら
れていたのと私は身長も152pで顔も童顔だったのでかなり幼く見えていたそうで、指導員にお前本当に中学生みたい
とよく言われていました。その後、新しい体操服と下着を持ってすぐ外に行き体を洗います。私は寮の外にある水道
で体を洗います。先輩方と一緒のお風呂に入れるのは新指導員になってからは月に1、2回あるかないかでした。そ
れに高校生以下で中学生扱いの私が大学生で雲の上の存在の先輩方と一緒に入れないですよね。夏は平気なのですが
冬は寒さに耐えるのに精一杯でした。体もゆっくり洗える時間もなく、洗い終えるとすぐに寮のお風呂前に行き、お
風呂から出てきた先輩方に今日も1日お疲れ様でした。洗濯ものをお願します。と一人一人に言わなければいけません。
 
お風呂が終わると、食事です。食事は一番休憩できる時間です。椅子にも座れますし、誰からも何も言われないので
リラックスできます。食事が終わると3軍にとってつらい時間が始まります。ロビーにテレビを見るために先輩方が集
まってきます。その間、ロビーの近くに直立で立ち指示が出るのを待ちます。しばらくすると先輩から指示がどんど
ん出てきます。内容は以前お話したと思うのでご想像にお任せします。どんな指示でも3軍の私には拒否権がないので
すべて行わないといけません。その日、一番びっくりしたのは先輩Aさん(同級生)の発言で「こいつ3軍としての自
覚ないしブラ禁止だね。少しは自分の立場わからせないとね。」「ブルマは胸小さいし誰もわからないよ」と言われ
ました。私は内心「えっ?体操服とブルマは小さいサイズを着ているのに透けて見えるのは分かっているはずです。
それに胸が小さいと言われても体操服でも胸の膨らみがわかるのに透けないわけがないです。」と思いましたが、言
えるわけもなくブラ禁止を覚悟するしかありませんでした。すると、指導員が今、言われた通り、今日からお前は2カ
月ブラ禁止ね。早く持ってるブラ持ってこいと言われすべて没収されてしまいました。しばらくすると先輩方は、部
屋に帰っていき指導員と二人きりになりました。指導員から服を着てついて来いと言われ指導員の部屋に連れて行か
れました。
 
 寮での部屋割は、4年生、3年生は二人部屋、2年生は4人部屋、1年生は8人部屋となっていました。3軍の部屋はなく
倉庫みたいな部屋で寝ます。その中でも1年生のお部屋に連れて行かれるのは、私にとってつらい時間が延長されたの
と同じでした。その日も、お部屋に入ると指導員が「今日もブルマ連れてきたよ。」と言うと「今日はどうやって躾
ようか?」等と楽しそうな声が聞こえてきます。指導員が「ブルマちゃんブラ禁止の気分は?」私は「胸が透けて見
えそうで恥ずかしいです」と答えると、先輩が笑いながら「恥ずかしい?いつもハミパンとハミケツで練習してるの
に?それに生まれた姿は恥ずかしくないの?」「・・・」「無視?」「申し訳ございません。」「とりあえず脱いだ
ら」「はい。」私はすぐに生まれた姿になり「今日もご指導お願いします」と言い四つん這いになります。躾の内容
は省略します。こんなやり取りが続きやっと解放されると、次は先輩から渡された洗濯物を洗わないといけません。
洗濯している間に、お風呂掃除、トイレ掃除行います。自分の着る体操服やブルマなどは手洗いで洗います。洗濯が
すべて終わるのはいつも早くて0〜1時の間でした。その後すぐに睡眠をとり4時30分には朝練の為に起きなければい
けませんでした。この生活が毎日続き、私は体力的にも精神的にも追い込まれましたが、指導員は容赦なく御指導や
躾を行ってくださいました。

 そんなに睡眠時間が短いと、授業中はつい居眠りしてしまった事でしょうね。
3軍の人は人間性は認めらず、徹底的に差別化された境遇を受け入れるのですね。
3軍をいたぶることで、上位の選手のストレスをはかせ、競技に集中出来るようにしてきたのかな。


ユウカさん(27)より 6/14

お久しぶりです。ユウカです。 

 普段の練習は、3軍ユウカです。今日も厳しく指導お願いします。と指導員に大きな声でご挨拶をした後、準備体操
と柔軟を行い、ランニングで15キロを走ります。ランニングは外周を走るんですが、1周ごとに時間が決められている
ので手を抜けませんでした。時間内に走れないと罰として1キロ追加され練習後にお尻叩きの罰があります。1周のタ
イムも私が手を抜けないように厳しく設定されていたので15キロを時間内に走れたことはありませんでした。外周を
走るので地域の方や大学生、高校生、中学生や小学生にも毎日見られていました。想像つくと思いますが、ハミパン
やハミケツも見られて笑われ、あいつ恥ずかしくないのかな?とよく言われましたし小学生から指もさされました。
男子高生は毎日待ってる人もいたぐらいです・・・
 
ランニングが終わると休憩する暇もなく、筋トレです。この頃にはハミパンもしていますが直せないのでそのまま筋
トレをします。筋トレは腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットを30回、空気椅子10分、手押し車でグランド3周、アヒ
ル歩きでグランド3周を1セットとし、それを5セット行います。この筋トレはものすごく厳しく毎日地獄でしたし
雨の日でも関係なく行われました。腕立て伏せは胸が地面につかないと1回としてカウントされませんでした。腕立
て中も指導員やマネージャーが背中を踏んだりするので何回もやり直しになりました。スクワットは脚を肩幅に開
き、地面と平行になるまで腰を落とさなければいけませんでした。もちろん少しでも腰が高くなると時間が止まり指
導員に怒鳴られました。脚を肩幅に開くので指導員やマネージャーに棒でブルマの上から恥ずかしいとこを突かれた
りブルマとパンツをズラされ遊ばれていました。すべての筋トレが終わるまで練習が終わる事はないので3軍になっ
た時は、10時ぐらいまで練習をしていましたが、3か月ぐらい経つと8時ぐらいに終わるようになっていました。
先輩方も8時まで練習だったので同じぐらいに終わるようになっていました。

 練習が終わると罰が始まります。一回につき10回のお尻叩きやその他の罰を自分で選びます。他の罰を選べる理
由は、罰の回数が100回以上になる事もあったので、お尻叩きを行えないため選ぶことが出来ました。お尻叩きは
一日20回までと決められていました。罰は、
1.下着でお尻叩きを受けると2倍でカウント。
2.全部脱ぐと3倍でカウント。
3.生まれた姿でアヒル歩き3周。
4.1週間ブルマ体操服で大学の講義を受ける。などまだたくさんありました。
グランドで行う罰が多いですがどれもかなり恥ずかしく、毎日何個も罰を行っていたのですが引退するまで慣れる事
はありませんでした。先輩がたに見られるだけではなく他の部の方にも見られ、笑われ色々なことを言われるのでと
ても惨めでした。ブルマで講義も何回か受けたこともあります。引退するまでに全部の罰をうけました。

 先日バスケ部の1年生のお話をしたと思いますが、今日は他の部の1年生のお話をしたいと思います。他の部の1
年生とは直接関わる事はないですが、私の練習着や練習風景をみて最初はかなりびっくりする人と笑う人がいまし
た。20歳の女がブルマと体操服でハミパンやハミケツをしたまま泥だらけで練習をしているから当然ですよね。も
ちろん罰もすべて見ていただき、次の日から私は変態女だと思われるようになりました。あまり関わりがないので何
と思われてもいんですが、内心ショックですよね。

 普段の練習は基本的には指導員が指導をしてくれますが、指導員も練習があるので監視はマネージャーがしてくれ
ていました。

  そんなに罰が多いと、数えて覚えておくだけでも大変そうですね。監視役が記録してるのかな。
受ける罰も種類がいろいろあるのですね。自分で選べるとは・・・あまり羞恥心を感じなかったり
心の奥で見られたい願望がある人には楽しみでもあったかもしれませんね。


怜子さん(33)より 6/9

怜子です。
お久しぶりです。
まわりのひとから見ると、私の姿はどう映るのでしょうね。
年下の人間からしごかれたり、馬鹿にされたりすることがわかっていながら、
わざわざ自分のほうから、年万補欠でも部活を続けさせてくれと懇願し、
自ら上級生であることを放棄して、下級生扱いをされても部活を続ける。
マゾ女100%なのでしょうね、きっと。

当の私はそうでもないのですけど。
今、学生時代のことを思い出に浸って、
屈辱的な日々を頭の中で再現する時は、
間違いなく私はマゾ女100%です。
だって、もっとこういう風にしごかれたかった、
こういう風に罵倒されたかった、
こういう風にネチネチ言葉責めされたかった、
こういう罰ゲームみたいなことをされたかった
と思うことがありますから。

でも、当時は、何度も同じことを言うようですが、
浪人中の二年間のブランクを取り戻すには、最低二年間は頑張る。
そして、これからという二年生の秋に辞める気は毛頭ありませんでした。
それと三年生になっても、当分は補欠から脱出できそうもないから、
新入生にも抜かれるのは半ば覚悟の上でした。
場合によっては、夏合宿あたりで一年生からもしごかれるのも覚悟のうえでした。

とはいえ、やはり自分のほうから下級生扱いをしてくれと宣言するのは屈辱的でした。
二月に高等部からの新入生と万年補欠のダメ先輩として対面したのは、
四年間の部活の中で最高の屈辱でした。
今でこそ、その時のことを思い出すと嫌なことは薄れてしまうので、
屈辱と裏腹な快感みたいなものが生まれますが、
その時は恥ずかしさでいっぱいになり、頭も胸もズーンと重くなるような感覚で、
マゾっぽい快感をというような気持ちの余裕などまったくありませんでした。
部室の中とはいえ、暖房のない二月の気候だというのに、
私は昔の高等部のユニフォーム、試合用のそれも夏用のハイレグのブルマとブラトップで、
水着のような格好で姿を晒しているのです。
大学三年生になる人間が、わざわざ高等部のユニフォームで、
一年生以下の身分であることを、まさに体で表現しているのです。
一方、新入生は新たに支給された大学のジャージの上下を着用しています。

「怜子、この二月ほどの間に頑張らないと、
春合宿では一年生のレギュラーにも指導を受けることになるわよ」
キャプテンからの冷たい言葉が響きました。

新入生たちは、私の無残な姿に言葉がないという感じでした。
無理もありせんね。
自分たちも近い将来そうならないと限らないので。
補欠のままで上級生になったら、
下級生扱いされて、下級生からしごかれる。
陸上競技が好きだから、補欠のままでもいいから部活を続けたいと言っても、
上級生なのに指導的役割を果たせないのは、罰ゲームが科されるというでは、
ちょっと躊躇しますよね。
怜子だけは二年余分だから特別だと説明されても、
最初のうちは納得できないでしょう。

それが春合宿、ゴールデンウィークのミニ合宿を経て、夏休み前になると、
レギュラーに昇格できる子も増え、だんだん不安がなくなるので、
私を見下さないまでも、明日のわが身とは見なくなります。
夏合宿になると、あまり遠慮なく私のシゴキに加わり始めます。
この段々とさらに転落して行く私の屈辱は言葉に表現のしようもありません。

今だと、初対面の時から何人かの新入生に罵倒される自分を妄想しています。
「ああ、怜子さんの噂は聞いています。高等部出身で万年補欠の恥さらしのひとがいるって」
「何度か、お姿を見かけました。昔の小学生が着るようなブルマと体操服で走ってらっしゃいましたよね」
「小学部の子でも知らない子はいませんよ。ブルマのお姉ちゃんで通っていますもの」
もちろん私の学園に小学部はありせんし、中等部や高等部はキャンパスが離れています。
大学も私たちのいるところは本部から離れています。

でも、妄想の中では、広いキャンパスの中に、小学校から大学までがある学園をイメージしています。
郊外へのランニングを命じられた私は、学園の一番奥にある大学のグランドを出て、
大学のキャンパス、高等部、中等部、小学部というふうに敷地内を走って、
下校途中の大学のみんなからはもちろん、
小学生からも「あっ、ブルマのお姉ちゃんだ。今日も走っているよ」と騒がれます。
高等部や中等部の男子学生などは、
「良い体をしているなあ」とか、
「すげえ太股だなあ」とか、
好奇の目で見られ、やっと学園の外に出ます。
そこから近隣の住宅街、商店街を通り、駅前に出て、駅の陸橋を越えて反対側へ。
という具合に、あちこちで恥ずかしい姿を晒すことになるのです。
こういう妄想は大半旦那の創作です。

 ご自身で書かれているように、周りには見えると思いますよ。
性的にMを楽しむこととは違う、被虐的な事に喜びを感じているマゾの部分があったのかもしれませんね。
その頃の経験のお陰で?ご主人との楽しみになっているのでしょうね。


花音さん(38)より 6/9

私が中1の時のことです。小学校の時も体操服はブルマーで、中学校にあがっても体操服はブルマーでした。中学校
でも体操服はブルマーでしたが、小学校の時と違うブルマーでしたので、中学校入学の際にブルマーを買い換えました。

中学生になって体育の授業を受けてみると、小学校の時のブルマーよりも少しハイレグだったり、裾のゴムがしっか
りしていないため等の理由だと思いますが、ハミパンしてしまう子が続出しました。なので、女子は、お互いハミパン
を指摘しあうようになり、授業中にはハミパンしていないかしっかりとチェックするようになりました。
 同じクラスにY美という子がいたのですが、Y美もよくハミパンしていましたので、私を含めた女子がY美にハミパ
ンしていると指摘しましたが、Y美は、ブルマーだから見えるのは仕方ないといって直そうとしませんでした。なの
で、段々と私たちは、Y美がハミパンしていようと、そのことを指摘しようとしないようになりました。他の女子はハ
ミパンを気にしているので、ハミパンしても1−2センチ程度ですが、Y美は5センチくらいハミパンしているときも
ありました。

体育祭の時には1日中ブルマーなのですが、Y美はこの日もハミパンしていました。クラスの男の子3−4人がヒソ
ヒソとY美のパンツが見えているとか言って、Y美の方を見ていました。Y美が話の内容に気がついていたのかはわか
りませんが、少なくとも視線は感じていたとは思います。それでも、Y美はハミパンを直そうとはしませんでした。

 結局、Y美が単にハミパンを気にしていなかっただけなのか、それを超えてわざと見せていたのかはわかりません。
私は、パンツが見えるから恥ずかしいというよりも、身だしなみとしてはみ出させているのはだらしないので、ハミパ
ンは気になりました。

 その頃の事をY美さんと話す機会があるといいですね。
ハミパンを気にしなかった、本当の理由を知りたいですね。


奈津子さん(3○)さんより 5/30

きっかけは、お兄ちゃんに見られた事です。   
 その時のことを思い出して書きますが、何分昔の事ですので違っていたかも知れません。
私は、「一人エッチ」と云う行為その物を自覚してやる様になったのが遅く中学に入ってからでした。
それまでは何かの拍子で乳首やクリちゃんが刺激され体に電気が走った様な感じがして、下着を汚してしまって事は
有っても自分で触ったりするのは怖くて出来ませんでした。

 友人達との会話で、「そういった行為をすると気持ち良い」と言う認識は有ったのですが、話を聞いていても皆、
刺激する場所が違っていて良く解りませんでした。(当時一番仲良くしていた明日香ちゃんはお尻の穴といってまし
たし)明日香ちゃんは私と違って大人な体つきでしたし、性格も男子を従えるような強い子だったので、「毎日お風
呂場で、男子に色々と恥かしい事を命令される事を想像してお尻の穴に指を出し入れして。一人エッチをしている」
という告白を聞いてとてもビックリした事を覚えています。

 話は逸れましたがその時に、初心者の奈津子には電気マッサージ器をあそこに当てる事がオススメ。と言われ翌日
には貸してあげるから頑張ってと押し付けられてしまいました。
 帰宅し部屋に入ると、散々使い方のレクチャーを受けた時には絶対に使わないと決めていたのに、スカートを捲っ
ていました。ドキドキしながら下着の上から電マを当てるとあまりの気持ち良さに虜になってしまいました。
 さすがに直接当てるのは怖かったのでしませんでしたが、ショーツをはじめハーフパンツやジーパンの上からなど
色々試してみました。場所もお布団の中だったりこたつの中だったり・・・色々しました。

 自分に合ったやり方を見つけ夢中になったそんな頃にお兄ちゃんに見られちゃったのです。その日は冬休みで
こたつに入ってコミックを読んでいたらいつもみたいにシタくなったので電マを当てていました。
テレビも付いていたし、こたつの中なのでばれる事は無いと思い横になって大きく足を広げてシテいたのですが、左
手の人差し指を噛み声に気を付け気持ち良くイッた後に気が付くとおにいちゃんが私を見下ろしていました。
 続きはまた書きます 

 弱みを握られてしまったという感じでしょうか。
その後、いろいろ恥ずかしいことさせられたのでしょうね。
しかし、お尻の穴で・・・とは、幼い頃の性の知識って危ういものですね。


奈津子さん(3○)より 5/28

私は中学の頃より、おにいちゃんの命令でパンツの代わりにブルマを穿いて学校に行っていました。
帰宅してからは電マを当てられ、何回もイカされ。
それでも止めてもらえずに頭の中が真っ白になっておしっこを漏らしながらイクとやっとやめてもらえていました。
そんな生活をしているうちにブルマを穿くだけでヌルヌルとしたお汁が出るようになってしまい、学校で一日過ごす
と内側にチーズのような白い粉が付き紺色のブルマなのに染みがはっきりと判るくらいでした。
体育のある時はブルマの上にハーフパンツを履いての参加し、そのまま制服のスカートを穿き帰宅する事になってい
ました。
帰宅すると体操服で立たされハーフパンツの上から電マを充てられるのですが、ハーフパンツのせいで刺激が
弱く感じられ自分から押し付けるようにしていました。

 いけない事をお兄さんにされていたのですね。
どんな事がきっかけで、そんな命令をされ従うようになったのですか。
兄弟にされる事は嫌でなかったのかな。


ニャーさん(18)より 5/20

小5のころでした。 
オナニーが気持ちよくて仕方なくて!
シャーペンでクリのへんをいじってましたよ(笑)

  ピンスポットでクリを刺激出来るのがいいのでしょうね。
他にもどんなも物を使ってますか。


亜香里さん(23)より 5/13

 私が中2の時のプールの授業でのことです。更衣室で水着に着替えるのは面倒だし、男の子に水着姿を見られるのは
恥ずかしいので、プールの授業はできる限り見学していました。見学者は体操服で見学することになっていました。夏
の体育の授業ではジャージをはくことを禁止されていましたが、プールの授業の見学の時はジャージをはいていても特
に何も言われませんでした。そのようなこともあり、最初の頃は、女子もジャージをはかずにブルマーで授業を見学し
ていましたが、徐々に私を含めた女子はジャージで授業を見学するようになっていきました。プールの授業は2クラス
合同で行われ、毎回、女子の見学者は10人はいたのですが、ブルマーで見学しているのは、多くて3人で、日によっ
ては優子だけになっていました。

 いつものように優子がブルマーで授業を見学していましたが、優子はブルマーからハミパンしていました。教えるべ
きか迷っていたときに、他の見学している女子が「優子、ハミパンしてる」と大きな声で言いました。優子はそれを聞
くと慌ててハミパンを直しました。その様子を見ていた他の見学している女子達が「いつもブルマーで見学しているよ
ね。恥ずかしくないの?」「ブルマーで見学しているのは、男子に見てもらいたいからだよね」とか優子に言っていま
した。優子は「見てもらいたいからとかではなく、単にジャージを持って来るのが面倒だから」と答えていました。

 ブルマーをはいているだけでも目だって恥ずかしいのに、更にハミパンを見られたので、優子は恥ずかしかったと思
うのですが、その次の授業も優子はブルマーで授業を見学していました。ジャージを持ってくるのが面倒だというのも
変ですので、優子はブルマーが好きだったんだと思います。私はブルマーで授業を見学する勇気はありませんでした。

 どこかブルマ姿を見られたい気持ちがあったり、着心地が良くて好きだったのかもしれませんね。
男の子に見られている時の、彼女の反応はどんな感じだったのでしょうね。


早苗さん(41)より 5/13

5月になると新入生の出入りも落ち着いて、毎日朝から晩まで下級生としての生活が始まります。
練習中は半袖ブルマーでずっと球拾いと声出し。休みの日も一日中球拾いです。
拾ったボールは先輩の立って居る場所まで走って持っていき、お辞儀をして頭の上に捧げて「オネガイシマス」とい
って渡します。

声出しについては毎日のミーティングで必ず全員または誰かが先輩から注意されます。(時々声出しの為の特訓のよ
うなこともされましたがそれはまた別の機会に書きます。)
帰りのミーティングでボールの数がチェックされ、一つでも足りないとボール管理の責任者である下級生達が見つか
るまで藪の中を探さなくてはいけません。テニス部のコートは一応金網で囲まれているのですが、高さは私達の胸位
の高さですから、高いボールは簡単に周囲の雑木林の中に跳んで行ってしまいます。 夏には雑草が膝のあたりまで
生い茂っている中で蚊や虫に刺されながら痒いのを我慢して暗くなりかけた雑木林の中1時間以上も探したこともあ
りました。

それでも見つからない時は、一年生全員罰として見つからないボールの数だけお尻を叩かれます。ケツラケットなど
という話を聞いたことがありますが、私のいた部ではラケットは神聖なものとしてそのようなことに使うことは考え
られませんでした。その代りに雑木林の中から採ってこさせられた青竹や木の枝で叩かれるのです。
普段は入れない部室の中に呼ばれて一人一人先輩にお尻を向けて叩かれるのです。1個なら1回 3個なら3回 回
数は少ないですがテニス部の先輩のスイングは鋭くて手加減なく叩かれるとブルマーの上からでも蚯蚓腫れになりま
す。

若い人にはこんな話をしても嘘だと思うでしょうが実話です。当時はそういう雰囲気でした。
後で考えるとそんなにボールが無くなるのは不自然な気もしましたが、中には先輩の意地悪でこっそりジャージの
ポケットに隠して持って帰り翌日に藪の中に投げ込んで置くなどという場合もあったようです。

 体罰なども当たり前のように行われていた時代なのでしょうね。
言い悪いは別として、そのことで精神的に鍛えられもしたのでしょうね。
しかし、意地悪な人はどこにでも居るものですね。


怜子さん(33)より 5/5

最初からわかっていたことですが、二年生の秋の時点で、自分より年下の部員ばかりになったことで、雰囲気が変わ
りました。高等部から推薦入学の新入生を受け入れた時点では、四年生はほとんど顔を出すことはないか、卒業して
しまっていました。

>同好会や趣味のサークルと違って、記録が伸びないのは致命的で、競技の場合の厳しい一面でもありますね。
>年を追うごとに精神的にはどんどん厳しい状況になっていくようですが、逆に周りの人にとっては当たり前で普通
の事になるのでしょうね。

ええ。新入生への手前もあって、私の扱いが厳しくなるのは当然と言えますね。
でも、恐いのは、新入生は惨めな扱いをされている私しか知らないことです。
四年生、三年生は、補欠とはいえ、二年間のブランクを取り戻してある程度まで記録を伸ばした私の姿を知っていま
す。もしかすると、私に抜かれるのではないか、私がレギュラーにあがり、自分が補欠に転落することも考えた時期
があったと思います。
しかし二年生の場合、一年生の時頃から年下の先輩にしごかれる私の姿を見ていますし、夏の合宿ではすでにシゴキ
に参加しているので、感覚が違います。
ましてや、新入生は、私へのシゴキや見下した態度は当たり前の感覚でしょう。

>メス犬の扱いですか・・・以前のSMチックなページに投稿いただくような内容が行われていたのだろうなと想像
します。
>書かれていたように、そんな性癖は無いのにあたかも求めているように周りから思われるのは辛いですね。


一年生の時は、四年生の二三人から妹か可愛いペットでも扱うような感じだったので、私もあまり抵抗はありません
でした。
競技の技能に優れたひとには憧れがあるので、場合によっても年下のひとでもM役にされてもあまり抵抗はありませ
んでした。
でも、この春合宿の頃からの扱いは、二年生が中心になってよってたかって私を犯すというような感じでした。
特定のひとに愛人ではなく、全員のおもちゃみたいにされました。
交尾するメス犬のように四つん這いにされて、前後からされ放題でした。
これをされて、喘がされると、翌日の練習の時に精神的にそのひとに勝てないという気分になるのです。

最初のうちは驚きというか、戸惑ったような新入生たちも、ゴールデンウィークを過ぎ、夏を迎える頃にはすっかり
私を奴隷扱いするようになりました。
無理もないですね。三年生にもなって高等部のユニフォームを着せられて下級生にしごかれているのですから。

 スポーツに関してしごかれ、奴隷扱いを受けるのは、レギュラーに返り咲くための特訓だと思えますが、
性的に弄ばれるのは、周りの人のはけ口でしかないのですね。
こんなに厳しい仕打ちを受けても辞めない貴女は、性的な刺激が欲しいのだろうと思われても仕方ない状況なのですね。


ユウカさん(27)より 4/27

最初は私も抵抗していたので色々言われたり笑われたりしていましたが、抵抗すると逆に目立ってしまうことに気づ
いてからはあまり抵抗せずひたすら先輩方に言われることに耐えていました。同級生の数人にはあそこが濡れてシミ
が出来ているのはばれていました。なので頭大丈夫?と言われた事もあります。 

新指導員になってから講義の時以外は短パンが禁止となり、いつも紺ブルマと体操服で生活する規則に変わったと言
いましたが、規則が変わってから練習試合や買い物、コンビニ等に行く時もブルマと体操服で行く事になりました。
今までは、短パンとポロシャツだったので、慣れればそこまで恥ずかしくはなかったですが、ブルマと体操服での生
活は慣れる事がありませんでした。講義のない時間は先輩から指示されたものを買いに行かなければならず、電車や
バスで行っていたので本当に恥ずかしく惨めでした。店も指定されるのでごまかすことはできませんでした。

休日のお昼の電車の中は、中学生や高校生、同い年ぐらいの方が多く、若い人たちの前に立つと「ブルマ女がい
る。」「○○大学のユウカだって、大学生になってブルマ?恥ずかしくないのかな?しかも小学生が穿くようなブル
マだし」「見られたいんじゃない?」「あいつ汚い」「あいつ大学でも有名だよ。」「下着みたい」「ブルマってど
んな感じなんだろ?私ぜったい穿けないし」等とよく言われましたが、私は3軍だからしょうがないと心の中で言い
ながら耐えていました。

一人の時はただ耐えればいんですが、練習試合などは先輩方と一緒に移動するので地獄の一日でした。先輩の言う事
は絶対なので、よく電車の中で指導員に時間がもったいないからお前は空気椅子をしとけと言われ、わざわざ他のお
客さんがいる前に移動させられ空気椅子をしていました。(人が少ない時は、スクワットもやらされました)もちろ
んやる前は「3軍ユウカ。空気椅子やります。」と言わなければならず、よく先輩方に「ブルマちゃん可愛いパンツ
とお尻丸見え」「恥ずかしくないの?」等と言われ笑われていました。それだけではなく先輩達から離れて他のお客
さんの前で空気椅子をするのは想像以上に恥ずかしく惨めです。指導員にブルマだけの移動だけにしてくださいと言
っても聞いてもらえず、ブルマちゃんは見られた方がやる気出るし高校生以下のお前にはこれぐらいしないと身分を
自覚できないでしょ。文句ある?と言われ私は、指導の怖さで何も言えず指示に従っていました。もう完全に晒しも
のですよね。

お客さんも一人で買い物に行く時とは反応も言われる事も変わってきます。女子高生が20人ぐらい乗っている車両
で空気椅子をした時は、女子高生が笑いながら「あいつ何、頭大丈夫?キモイ。」「服汗で透けてるし。」「あいつ
尻赤くない」「ブルマで股開いているからあそこ見えそうだし。毛なくない?」「パンツみえてるし、大学生であん
なパンツ穿くんだ」「一人だけブルマで移動とかありえない。」「高校生でもブルマ穿かないし」等々かなり言わ
れ、泣いた事もあります。やっぱり人数が増えれば容赦ない言葉を言われますし、何より声がすごく大きいです。あ
と完全に哀れな目で見ている人もいました。

電車での練習が終わった後は、対戦相手の学校で私だけいつもと同じメニューをやりしごかれていました。他にも厳
しくバスケをしている学校もあったと思いますが激しいスポーツなのでブルマを穿く学校は大学では見た事がありま
せん。高校では補欠の1年生が穿いている学校も一校あったぐらいです。だから、いつも対戦相手から視線も感じま
したし、お昼休みなども私には無かったので先輩方や対戦相手の人に見られながら練習や指示を受けていました。

練習試合が終わると、行きと同じで練習と言われ同じ事を行いながら帰りますが、私は朝5時から練習をしていたの
で帰る頃には、練習の疲れで体力もなく空気椅子も途中で崩れ何回も座ってしまいました。もちろん寮に帰ると罰を
受けないといけません。服装違反と指示した練習を出来なかった罰として正座と1年生全員からお尻叩きの後、1年
生の先輩から何回も恥ずかしいところをいじられました。毎回、いつも寸止めでやめてそれを何十回も繰り返されま
す。終わると休憩もなくすぐコンビニに買い出しや洗濯をしなければなりません。言わなくてもわかると思いますが、
ブルマにはしみができ、濡れたまま行かなくてはいけませんでした。紺ブルマでもシミが出来ると意外に目立つので
恥ずかしかったです。

 徹底的に他の人と差別される対応を受けていたのですね。
そこまでして、どれだけの効果があるのか疑問ですが、
3軍を弄び、周りから嘲笑される姿を見て楽しまれたのでしょうね。


怜子さん(33)より 4/22

 三月の下旬になり春合宿を間近に控えた頃、レギュラーと補欠の組替が行なわれました。もちろん私は補欠のまま
でした。とうとう私は、新三年生も補欠でスタートすることになりました。
 今回は合宿にあたって、退部の意思確認はありませんでした。秋に部活の継続を申し出た時に、私のほうからの退
部の意思は認められないことになっていました。
 少なくとも新入生を迎えるまでの半年間、5月半ばまでは、部活を続けなければならないことになっていました。
高等部からの推薦入学の新入生だけでなく、他の新入生も出揃うまで、万年補欠の姿を晒し続けなければならないと
いうことでした。その前に勝手に辞めることはできないということです。
 高等部からの推薦入学の新入生もレギュラーと補欠に分けられました。そして、新入生のレギュラーは、私をしご
く権利を与えられました。もちろん私以外の他の補欠に対してはこういうことはありません。例の私を尊敬していた
という新入生も首尾よくレギュラーに名を連ねていました。
 補欠の新入生といえども、私は「先輩」と呼ばなければならないのは今までと同様です。ブルマを洗う義務は、こ
のときからレギュラー、補欠を問わず新入生全員のものを洗わされることになりました。

 屈辱的なのは、レギュラーの新入生には、試合用の正式なユニフォームが与えられたのに対して、私には高等部の
ユニフォームが与えられ、合宿中ずっと着用を命じられたことです。合宿後も、練習で着用を義務づけられました。
 というのは、ちょうど私が卒業した年に高等部のユニフォームの改正があり、三年経ってこの時の春合宿の前年に
さらにユニフォームの改正がありました。その以前のものユニフォームが新品のままかなり残っていることを、新二
年生が覚えていたのです。
 割合、短期間でユニフォームを改正したのは、部員や周囲から不評だったからです。前にもちょっと言いましたよ
うに、私の学園のスクールカラーはブルーです。だから、大学、高等部を問わず、運動部はたいていコバルトブルー
かライトブルー、あるいは紺、場合によってはエメラルドグリーンなどの色のユニフォームを使用するのが普通でし
た。

 ところが、その三年間に高等部で使用されたユニフォームは、朱色がかった赤なのです。高等部は予算の関係もあ
るので、機能性に優れていれば安くて手に入れやすいものを選び、色まで考える余裕がなかったようです。たぶん、
ハイレグのブルマが普及し始めた頃なので、たまたまブルー系統のものが手に入らなかったのだろうと思います。
 一応、バリエーションがあって、赤の上下と白の上下があって、赤のトップと白のブルマ、白のトップと赤のブル
マという具合に着るようになっていました。しかし、部員は、白のブルマをいやがり、上下とも赤にするか、白のト
ップと赤のブルマの組み合わせにすることが多かったようです。
 ですから、残っているのは、白のブルマが一番多く、次に赤のトップという具合でした。もうお分かりになったと
思いますが、私は、上下とも白か、赤のトップと白のブルマというパターンを着用させられて、練習する機会が多く
なりました。

 高等部の部員たちがいやがるのも無理はなく、白のブルマはまったくの無地で下着みたいでした。せめてサイドに
赤の線でも入っていたらと思いました。トップには堂々と○○高校の名が入っています。私は名実ともに一年生以下
の扱いを受けることになりました。どう見ても私が高校生に見えることはないでしょう。
 四年生が卒業して、本来私と同い年で同学年であったひとたちがいなくなったせいもあります。気兼ねすることな
く年上の私を本格的にしごくことができるようになったのです。練習メニューだけではなく、合宿の自由時間も高等
部のユニフォームを着用させられるように格好や私生活まで、じわじわと虐められることになりました。

 本音を言うと、この二年生の春休みで、私は自分の人格が完全に壊れていくのを感じました。春合宿も補欠として
しごかれるかと思うと、気が遠くなりました。
 でも、周りの受け止め方は違っていて、
「怜子は投げやりにならないから立派だよ。見た目もSっぽいし、少々のことでは根をあげないから、かえって遠慮
なくしごけるのよね。見るからにMっぽい子だと躊躇してしまうけど」
とキャプテンは言いました。
「怜子の場合、しごくというより征服するという感じなんだよね。勝負で相手として打ち負かすという感じなんだよ
ね」
「高校の時は、こういう先輩に思いっきりしごかれたいと思ったこともあったんだけど、逆になるとは思わなかっ
た」
 前にも言ったかも知れませんが、キャプテンは同じ高等部出身の一年後輩でした。
 そう言われても、私のほうは次々と下級生に抜かれ、そのたびにしごかれる相手が増え、何人にも征服され完全に
打ち負かされた気分でした。
 でも、人間のプライドというものは不思議なもので、新たに別のひとからしごかれたり、頭を下げて挨拶させられ
たり、ブルマやショーツを洗わせられたり、ということがあると、やはりプライドは捨てられないものなのですね
え。屈辱感もいっそう増してくるのです。どこかでこれ以上落ちたくないという気が残っているでしょうね。
 そのために、前の年の秋から必死に練習してきたのに、高等部からの新入生にも負けてしまうなんて、今まで何を
していたのだろうと、自分への腹立たしさがあるからかも知れません。
 周りから投げやりにならないように見えるのも、不甲斐ない自分に叱咤して、自分で自分をしごくようなつもり
で、自らすすんでシゴキを受けようとするからだと思います。

 でも、補欠組の最年長として、補欠全体の罰や誰かのひとりの罰を、私ひとりが代表して罰ゲームを受けるのはち
ょっと堪えます。毎日、ひとつくらいは誰かのミスが必ずあるので、結局、私は毎日その分、居残り特訓や体罰を受
けることになります。こういう自分のミスではない理不尽な罰ゲームなので思ったより精神的に堪えます。
 それからレギュラー全員から入れ替わり立ち代わり、レズっぽい行為、レズSM的な行為を強要されるのもなかな
かつらいものです。もちろん私のほうがM役で、まるでメス犬のように扱われました。どういう意味かはご想像に任
せます。
 一番恥ずかしいのは、やはり新たにしごきに加わるレギュラーに挨拶させられることです。たいていは今までで一
番年下の部員に頭を下げることになるので、恥ずかしさもひとしおです。
 二年生の春休みだと、練習の後、みんな着替え終わっているのに、わたしひとり居残り特訓のため、汗まみれの高
等部のユニフォームのままで、新入生のレギュラーにひとりひとり挨拶させられるのです。
 特に、明日から春合宿という日のミーティングでは、
「○○先輩、春合宿でも公私にわたってご指導のほどよろしくお願いいたします」
と挨拶させられ、本来なら逆の立場でいなければいけない自分に情けなくなりました。

 メス犬の扱いですか・・・以前のSMチックなページに投稿いただくような内容が行われていたのだろうなと想像します。
書かれていたように、そんな性癖は無いのにあたかも求めているように周りから思われるのは辛いですね。
 年を追うごとに精神的にはどんどん厳しい状況になっていくようですが、逆に周りの人にとっては当たり前で普通の事になるのでしょうね。


ユウカさん(27)より 4/22

トイレ禁止に特に意味はないと思います。ただ、私が限界まで我慢したり漏らしたりするのを見て笑ったり怒った
り、色々な事を言ったり漏らした罰を行い先輩方のストレス解消に使われていました。先輩方のストレス解消も3軍の
仕事の一つでした。余興も先輩方のストレス解消の一つでした。

バスケ部の練習は1、2軍でもかなり厳しく毎日夜遅くまで練習を行いました。もちろん3軍の私は先輩方よりさら
に厳しい練習を行いました。練習の後は寮に帰るので先輩方でも自由はあまりなかったと思います。だから、ストレ
スは溜まりやすい環境だったなと卒業してから思うようになりました。その中でも指導員は私の練習の指示を出した
り、罰を行ったり、躾を行いながら自分の練習もこなさなければならないのでとても大変でいつも機嫌が悪かったで
す。指導員の機嫌が悪いのは私が指導員の指示に反抗するのも機嫌を悪くした原因の一つだと思います。私は身分を
自覚していたので反抗するつもりはないのですが、練習の疲れで反応が遅れたり行動に移らなかったりしました。指
導員はそんな事を認めるわけもなく新指導員になってからはやる気がないと毎日罰を受けていました。

練習が終わり寮に帰ってもゆっくりする時間は当然なく3軍は先輩方の服の洗濯もしないといけないのですが、洗濯
機は2台しかなかったので夜中まで掛かる事もありました。先輩方の服や下着を見ていると自由でとても羨ましくな
り、自分が惨めになりました。私が着れる服は練習で汚れた白の下着とブラ、そして汚れた体操服とブルマですから
同じ大学生とは思えませんでした。

講義がない時間は寮で先輩方の部屋の掃除と買い出し、そして講義のない先輩方の暇つぶしで色々な事をやりました
しやらされました。その一つとして恥ずかしい個所で遊ばれる事が多かったです。同性の恥ずかしいとこをいじるの
はとても楽しんでしょうね。もちろん下着と短パンにシミが出来るまでいじられそのまま講義に行かされる事もあり
屈辱と恥ずかしさで逃げ出したい気持ちでしたが、隠していると怪しまれるので何事もないようにあるいていまし
た。さすがに濡れているのはジッと見ないとわからないので他の学生にはバレていない?と思います。

 同性だからこそ、恥ずかしいツボをきっちり抑えていて、ネチネチと責め立てられたのでしょうね。
濡れてシミてるのに平然とした態度で講義を受けている貴女の姿を見るのも面白かったのかな。
そのことでまた後で言葉責めとか受けたのかな。羞恥プレイにも通じる所がありますね。


怜子さん(33)より 4/15

そうなのでしょうね。はたの人の目から見れば。
 私の誓いの言葉通り、私は、「本来なら後輩の指導ができなければならないのに、万年補欠に甘んじているダメな
上級生」なのでしょうね。
 そして、「上級生というプライドを捨てて頑張らなければならない」部員なのでしょうね。
「精神面でも厳しくしごいてもらい、プライドがズタズタにならなければいけない」部員なのでしょうね。

 実際、最低部員に落ちた二年生の秋以降、精神的なものもあるのか、私の記録は降下し始めました。
 やはり今思うと陸上競技が好きだというだけではだめで、レギュラーにならないとダメだというこだわりが足りな
かったのが影響しているのかも知れません。
 どこかに万年補欠の扱いを受けても仕方がない、それでも陸上競技を続けられればいいという気持ちだと、どこか
万年補欠に甘んじてしまうのでしょうね、
 翌年の二月に高等部から推薦入学予定の部員を迎えた頃は、記録的にも最悪でした。
 新入生部員から見た私はどう映ったのでしょうね。

 新三年生がただひとり学販ブルマを穿かされて、しかもその時の私は、黒のブルマに真っ赤なハチマキをつけて昔
の小学生みたいでした。
 さすがにブルマは普通の学販ブルマ色が黒だというだけで、生地は昔の小学生のようなものではありませんでした
が、それでも私を中等部の生徒ぐらいに印象づけるのは十分だったと思います。

 実際、新入生の中に私を覚えている子がいて、
「私が中等部の頃、高等部のレギュラーだった○○怜子さんでしょ。憧れていました」
と言うと、
「馬鹿ね、怜子になんか憧れたら、あんたも万年補欠になってしまうじゃない」
と二年生の教育係が言い、全員爆笑になりました。
 屈辱に唇を噛み締める私に、その子は申し訳なさそうにしていたので、余計に堪えました。

 いろいろ厳しい立場に追い込まれながらも、記録が伸びなかったならば、周りにはよけいに貴女が
本気で競技に取り組んでいないと思えたことでしょうね。
 同好会や趣味のサークルと違って、記録が伸びないのは致命的で、競技の場合の厳しい一面でもありますね。


早苗さん(41)より 4/15

 中学時代のテニス部の練習の話をします。昭和59年頃です。
地元の公立中学に入って、テニス部に入部しました。当時はエースをねらえというスポ根アニメの影響もあってテニ
ス部は女子の一番人気のクラブでした。
新入部員は50人位入るのですが、球拾いと声出し毎日のトレーニングや先輩後輩関係の厳しさで半数以上が夏休み
前までに辞めてしまいます。初めの1ケ月位で辞めるのは割と簡単なのですが、顔を覚えられてから辞めるのは嫌味
を言われたり友達を失くしたり色々と理由が無ければ簡単には辞められなくなっていきます。

5月に入る頃から練習や規律は日に日に厳しくなっていきました、新入生は全員体育の時の真新しいブルマーに半袖
シャツだけで練習です。
練習前に高台にある学校の周囲を何周も走らされます。周囲の坂道は住宅街でその中をブルマーで走りました。
当時は女子の体操着はブルマーが当たり前でしたが、大人数で、外周を走らされることの多いテニス部は目立ったと
思います。
テニス部では2年生は上だけジャージイを着られます。3年生と2年生のレギュラーは更に練習中は白のスコートを
はくことが出来て休憩時間には上下ジャージイで過ごすことも出来ます。服装を見れば学年が一目で分かるシステム
でした。

 おまけに新入部員は半袖の上着に学年・クラス・氏名を書いた名札の布を縫い付けますから走っていても名前まで全
部公表したままです。
古い話なので思い出しながら書いていますが、続きはまた今度書きます。

 名前がわかる名札をつけたまま、ブルマ姿は恥ずかしかったのでしょうか。
レギュラー目指すには、格好のことなど気にしている暇もなく、必死で練習する状況だったのでしょうか。
続きをお待ちしています。


怜子さん(33)より 4/9

 ミーティングの翌日から、私の最低補欠としての練習が開始されました。私は練習が始まる前に自主的にウォーミ
ングアップをしました。秋口なので汗を出し切るようにするため、ジャージを着たままで主にランニングなどをします。
教育係が来るまでの間、もしくは他の補欠と一緒に正式に練習開始となる前は、汗を出し切るという目的もある
ため、ジャージの着用が認められています。

 ジャージの使用もシゴキの一環になる場合があります。真夏に真冬用のジャージでロードワークするのは地獄です。
真冬だと間に何枚も重ね着させられたりして走らされます。真冬でも、何枚も重ね着して走るとお風呂の中にい
るようになって、ふっと倒れそうになることがあります。実際、何度も倒れましたが。その一方で、ジャージを脱い
でブルマと体操服になると、いくら汗をかいていても寒いものは寒いのですが。
 私は太る性質なので、その対策もあって、シゴキではないというのが、年下の先輩たちの意見でしたが。

 ジャージを脱いで汗びっしょりの姿で教育係を迎えます。例によって、私の教育係は一年生のレギュラーです。夏
合宿の時にも経験していたので、予想されましたが、言葉によるシゴキからスタートすることになりました。
「逃げ出さないで、ちゃんとやってきたんだ!」
「そんなにシゴキを受けたいの?」
「よく恥ずかしくないねえ。高校生みたいな格好させられて、年下の一年生にしごかれるんだよ!」
などと口々に言われました。
「でも、あせびっしょりじゃない!」
「ちゃんとウォーミングアップすませておいたんだ、感心、感心!」
と、年下の人間、それも下級生に褒められ、頭をなでられたことのほうが、私としてはもっともっと屈辱的でした。

 もっと屈辱的なのは、自分のほうから口に出して挨拶とか反省の言葉を言わされることです。
「先輩のみなさん、おはようございます(時刻に関係なく練習前にはこう言います)。今日も早い時間(この時間帯
は補欠が練習の準備をしている段階です)から私の練習におつき合いいただいてありがとうございます。最後まで一
生懸命頑張りますので、よろしくお願いいたします」
「一生懸命頑張っているのは認めるけど、記録があがらないのではねえ」
「申し訳ありません。本来なら後輩の指導ができるぐらいでなければならないのに、ダメな上級生で恥ずかしいと思
います。私は万年補欠のダメ上級生です。上級生というプライドを捨てて頑張りますので、よろしくお願いいたします」
「精神面でもたっぷりしごいてやろうね」
「はい、是非精神面でも厳しくしごいてください。プライドがズタズタになるまでお願いします」
「学販ブルマに体操服、格好だけでも十分プライドズタズタだと思うけど」
「はい。ちょっと恥ずかしいです。でも、万年補欠の私には相応しい格好だと思います」
「じゃあ、その格好で校内を一周してきて。グランドだとたいして恥ずかしくないようだから」
 と、まあ、こんな具合に、私が答えるべき返事は予め決められています。
 で、行き着くところは、例えば、学内の他の学生にも目につくように、グランド内ではなく、大学の構内や周辺を
ランニングさせられて晒し者になるのです。

 この会話を読むだけならば納得出来る内容とも思えますね。
決まった言葉の繰り返しに慣れてしまいそうな感じですが、
実際に経験された方でないとわからない、屈辱感があるのでしょうね。


ユウカさん(27)より 4/9

そうですね。最初に比べれば屈辱感や惨めさは少なくなってきますね。でも、新入生が入寮してきたり他の部の方や
男性の前でやらされる時は、泣きたくなるぐらい屈辱で慣れることはありませんでした。バスケ部の先輩方の前では
なれましたね。

その後も毎日先輩方にご指導と躾をしていただきながら毎日過ごしました。1年生の歓迎会から1か月程たった頃、練
習前に1年生が何軍になるのか発表がありました。1年生のほとんどが2軍になり、3軍はいませんでした。1年生で1軍
になったのは、3人でした。発表のあと、私は指導員に呼ばれキャプテンと部長の前に行きました。「今日からゆうか
の指導員2人になって、1ヶ月後に指導員交替させるから新しい指導員はTだからしっかり指導してもらうこと」と言わ
れ私は、「はい」と返事をしました。その後、T先輩の前に行きご挨拶しました。「3軍ゆうかです。これから1年間厳
しくご指導と躾をお願いします。」T先輩は「よろしくゆうか先輩、厳しく指導と躾をするから覚悟してくださいね。
一切の自由もないですから。やめるなら今ですよ。どうしますか?」と言われましたが、私は「一生懸命頑張ります
のでよろしくお願いいたします。」「わかった。楽しみだね。ブルマちゃん。」等とやり取りがありました。ちなみ
にT先輩は、同じ高校の後輩です。

前指導員から今日からTに全部やってもらうからTの指示に従うことと言われ、前指導員はT先輩が慣れるまでの補助と
言っていました。とりあえず1週間ぐらいは今までのメニューをすることになりました。前指導員と決めていた私だけ
の規則もT先輩がもう一度決めることになりました。私は正直T先輩にビビっていてとても不安でした。練習終了後、T
先輩に呼び出され私の規則を決めることになりました。だいたいの規則に変更はありませんでしたが、変更点は
1.赤ブルマの廃止(寮でも紺ブルマで練習中だと自覚すること)
2.ポロシャツの廃止(講義の時も体操服で受講)
3.短パンの着用は講義の時だけ、講義以外はブルマでいる事。
4.お風呂は1週間に2回(寮の外の水道は使用可)
5.洗濯機の使用禁止(寮の外の水道で洗濯する)
6.トイレの使用禁止(許可制)
でした。特にトイレの禁止は前指導員の時もありましたが、毎日トイレ禁止は本当につらく惨めでした。

赤ブルマが廃止になったので、講義の時に穿く白の短パンの下は白のパンツになり前に比べれば目立たなくなりまし
たが、短パン自体のサイズが小さく穿いていても穿いてなくても意味ありませんでした。しかも、ポロシャツも廃止
になったので学年と名前は皆さんに晒されていました。卒業するまで完全に晒し物でした。講義の時以外はブルマで
いなければならなかったので、練習試合の移動や買い物、実家に帰る時でさえ体操服にブルマで晒しものになりまし
た。

 3軍になったら貴女のような仕打ちを受けることを、周りの人が知っていなければ好奇の目で見られたことでしょうね。
トイレ使用禁止とはどのような意味があったのでしょうね。日常生活の当たり前の事を制限することが、
指導の一環として当たり前のように行われたのですね。


ユウカさん(27)より 4/1

お久しぶりです。

数日後、新1年生が寮に入寮してきました。その日の夜に歓迎会が行われ3軍の私は
歓迎会の為に練習してきた余興をやりました。もちろん1年生への見せしめと、私が1年生以下である事を自覚させる
為でした。1年生と先輩方に見られ笑われる恥ずかしさと惨めさで泣いてしまいましたがやめると指導員が怖いので耐
えて頑張りました。1年生は歓迎会の最初は戸惑っていましたが、時間がたつにつれて慣れてきて完全に見下し始めて
いるのがわかりました。その証拠に会が終わると何人かに呼び捨にされ飲み物を買いに行かされました。私は歓迎会
が終わる頃には1年生を先輩と思えるぐらいまで身分を自覚していました。

歓迎会では、最初に私の自己紹介と何でブルマと体操服なのか自分の身分を言いました。それから先輩方から事前に
指示され練習していた恥ずかしいダンスで着ているものを順番に脱いでいきました。ダンスが終わると1年生の前で四
つん這いにされマ○コなどを見られながら先輩に感想などを言わされました。前も言いましたが同じ高校の後輩3人が
入部しました。その3人にも、私は高校時代先輩という立場を利用して罰としてみんなの前で下着姿にさせ部室の外
に立たせたり、野球拳をさせ全部脱がせたりしていました。そのことを先輩方は知っていたので指導員の指示でその
場で3人に謝罪をさせられ許しを乞いましたが、許されるわけがなく、初めて後輩からお尻叩きの罰を受けました。ま
だ叩くのが下手で太ももを叩きとても痛かったのを覚えています。その後は後輩にした事をすべて後輩の指示のもと
行い、その時ヒドイことをしてきたんだと思い泣きながらしっかり反省しました。

歓迎会が終わるとブルマ体操服を着ることを許されましたが、片付けと先輩方から言われた買い出しが終わると指導
員に呼び出されました。指導員と一緒に後輩3人と先輩数人がいました。ちなみに指導員以外は全員私と同じ高校で
す。ブルマお前この3人に下着姿で部室の外に立たせたよね?これからはお前の方が身分下だから「朝まで外に立って
反省しとけ」と言われ外に連れていかれました。お前は全部脱げと言われ先輩方に見られながら脱ぎました。私が脱
ぎ終わると没収されパンツを見て「なんでこんなに濡れてるの?」「そんなに指入れられて気持ちよかった?」等と
言われました。その後、身動きが取れないようにされ、脚も閉じられないようにされました。私は次の日の夕方まで
そのまま立たされ本当に先輩面したことを後悔していました。立たされた場所が道路からあまり見えないということ
がすくいでした。

立たされた後は、先輩方は寮に入り1年生3人だけが残りました。もちろん3人に色々言われ穴もずっと攻められました。

 みんなの前で性的に責められるのは、経験した方しかわからないほどの屈辱なのでしょうね。
ここまで全てをさらけ出すことを強要され続ければ、正常な感覚もおかしくなって、屈辱感も少なくなっていくのでしょうか。


怜子さん(33)より 4/1 

   部員の一割ぐらいが本当の意味での中立を保つひとで、同じ二年生のひとが主体ですね。
 このひとたちは、ミーティングでもあまり何も言いませんでした。司会者から発言を指名されても、
「ほんとにいいんですか?」とか、
「恥ずかしくないんですか?」とかしか言いませんでした。

 二割ぐらいが中立のポーズをとっているけど、しごかれる私を見て楽しんでいるという感じですね。
 これは補欠のひとがほとんどです。自分から私をしごく機会はないので、見て楽しむしかないのです。明日はわが
身ということもあるのですが、ミーティングで私に頭を下げられ、「先輩!」と呼ばれ、「ブルマとアンダーの洗濯
をさせてください」とひとりひとりに挨拶されては、ちょっとサディスティクにもなりますよね。

 決定的だったのは、補欠の誰かが罰ゲームを受ける時は私も一緒に受ける、補欠全体の場合は私が代表して受ける
ことになったことです。それから私に気合を入れる練習前後のスパンキングは、補欠のメンバーの誰かが打ち手にな
ることが決まりました。体罰は原則禁止なので、これも私のほうからの申し出です。

 残りの七割にうち三割くらいは、私のための練習ということで割り切ってしごくという感じのひとで、どの学年に
も平均にいます。ただし、残りの四割のしごきの主体になったひとに同調するので、そのひとたちとあまり違いはあ
りません。
 このひとたちに言わせると、
「だって、怜子って、見た目はSっぽいでしょう。如何にもMっぽい子だとしごいても可愛そうになるんだけど」
だそうです。確かに、私はちょっときつめの顔立ちをしています。

 残りの四割が私のしごきの主体となるひとたちですが、三年生と一年生のレギュラーが中心で、直接私をしごいた
りしごきのメニューや方針を決めたりするひとたちです。
 このひとたちは精神的にもあれこれ私を貶めようという意図がみえみえです。

 それと恥ずかしいのは、このひとたちが主体になって、レズっぽい行為、レズSMっぽい行為を強制されることで
す。私はそういう趣味はないのですが、逆らうわけにはいかないのでおとなしくしていました。
 一番多いのは、練習が終わった後、「一緒にシャワーを浴びよう」と誘われるパターンです。困るのは、私がいく
らしごかれても、いくら辱めをうけても耐えられるのは、このレズ行為を楽しみにしているからだと思われていたこ
とです。

 本意ではない事を、楽しみにしているからと思われても、そのことに反論や言い訳は出来ず、
胸のうちはいつもモヤモヤしていたことでしょうね。
 それも仕方ないことと、気持ちとは裏腹に受けざるを得ないのでしょうね。


怜子さん(33)より 4/1

 ええ、まあ、そういうことですね。第三者のかたから見てもそう思われるなら、仕方がないですね。実際、四面楚
歌のようになりました。
 何というか、女同士はやはり陰湿な部分があちこちに出て、私の最低補欠の扱いも、あくまでも私のほうから申し
出る形になりました。部活を続けさせてもらえる代わりということです。
 私のほうから誓いを立てているものを、私に同情的なひとも反対できないからです。
「悲劇のヒロインに浸っていたのだろう」
などと旦那は冷やかしますが……(笑)。

 まずミーティングで、みんなの前で私のほうから、陸上競技が好きなので万年補欠でもかまわないので部活を続け
させてくださいとお願いさせられました。
 下級生を指導する立場にあるはずの上級生が、逆に下級生の指導を仰ぐような状態で申し訳ないと謝罪させられ、
その罰は甘んじて受けますと誓わせられるのです。
 一年生以下の扱いにしてくださいとか、部員全員を先輩と呼びますとか、学販ブルマと体操服で頑張りますとか、
誓わされました。実際、その日はミーティングだけで練習がない日だったため、みんなは私服でしたが、私は心意気
を示せと、学販ブルマと体操服の姿でした。

 恥ずかしかったのは、ミーティングだけの時は黒板などの器具の使用の都合もあって、部室ではなく大学内の普通
の教室が使われることが多いのです。その時も普通の教室だったので、部室から教室に向かうまでに大勢の学生に見
られました。それに体操服って、胸に所に名前を書くところがありますよね。私の体操服も左胸のところに名前を書
くところがあって、枠いっぱいに苗字を書かれました。みんなじろじろ覗き込むようにして私の名前を知ろうとしま
した。

「みんな、ここまで言っているのだから、部活を認めてやろうと思う」
とキャプテンがいい、
「みんな、聞きたいこと言いたいことがあったら、納得いくまで、怜子を問いただすように」
とさらにいい、みんなからあれこれ言葉責めのような質問をされました。簡単に言えば、延々とつるしあげをされた
のです。
 だいたいこのミーティングで、私に同情的だったひとも中立的になり、中立的だったひとは、本人が納得して望ん
でいるなら、多少屈辱的なシゴキをしてやってもいいじゃないかという雰囲気になりました。

 周りの人も少しずつ、その時の部の雰囲気に感化されていくものなのですね。
そして、貴女をいろんな事で見下し、厳しい言動で接するようになっていくのですね。
ここまでの屈辱にも耐え抜く、貴女の精神力には頭が上がりませんね。


怜子さん(33)より 3/25

>三年生の立場からすると、言っていることはごもっともという感じですね。
>それでも、続けたい元上級生の覚悟を確かめるとともに、貴女が居る以上、懲罰を科すことでしか、
他の部員の志気を高めることが出来ないという思いもあったのかもしれませんね。


これもきつーく私の心に突き刺さるのですが(言うほど気にしていませんが)、第三者の目から見るとそうなので
しょうね。旦那からも同じことを言われました。
「怜子の場合、処刑だ。退部か懲罰的練習か、どちらかだと。退部は死刑で、懲罰的練習は終身刑だ」
でも、終身刑というのは牢屋でおとなしくしていればいいですけど。懲罰的練習は市中引き廻しにされて晒し者にな
るのと、公衆の面前で鞭打ち刑になるのを合わせたようなものですから、ちょっと違いますよね。
「だから、君はマゾ女だというのだ。わざわざ懲罰を受けに行くのだから」
と旦那は言いますが、確かにそうですが、私はマゾではありません。

 ともあれ、最低補欠の私と一年生の補欠との上下関係をはっきりさせるために、色んな違いが設けられていまし
た。
 一番の違いは、ブルマの種類と色です。
 この「ブルマへの想いを綴るページ」では、学販ブルマでしごかれたというかたがけっこういらっしゃるようです
が、陸上以外の競技でブルマ姿を穿くのは屈辱的だと思います。
 陸上競技の場合でも、いわゆるハイレグブルマ、試合用の陸上用ブルマで練習するのは、けっこう恥ずかしいもの
です。試合の時や試合形式の練習の時は機能性のほうを重視して露出度が高いことを忘れていますが、基礎錬の時は
やはり恥ずかしいです。

 水泳部のひとがプールでの練習では競泳水着を着ても、グランドをランニングするのに競泳水着では走らないでし
ょう。それと同じです。
 ユニフォームが痛むことも考えて、レギュラーのひとでも普通のブルマと練習着(部で支給するもので)という補
欠と変わらない格好でいるひともいます。だから、普通の補欠のひとはそれほど格好で屈辱感を味わうことは少ない
し、ブルマ姿そのものはそれほど屈辱感がないのです。ただ、試合用の陸上用ブルマと普通のブルマとではどちらが
屈辱的かというと、やはり部内では普通のブルマです。補欠は着たくても陸上用ブルマを穿けないのですから。

 最低補欠の私は、普通のブルマでは屈辱感が不足なので、学販ブルマの着用が義務づけられました。それと上は白
の体操服です。
 うちの学校はスクールカラーがブルーなので、普通の補欠のひとが穿いているのは、昔のバレーボールの選手など
が穿いているタイプのブルマでコバルトブルーかライトブルーのものです。ひとによっては高校時代のものでグリー
ン系統のものを穿いているひともいました。上もだいたいブルー系統で、支給される練習着がブルー系統のもので
す。

 他の部も似たような色なので、ブルマ以外はさほど目立ちません。
 ところが、私の場合、白の体操服だとそれだけで目立ってしまいます。しかもみんなプレゼントされた学販ブルマ
は濃紺と赤、エンジの三種類でいかにも学販ブルマという感じです。
 昔の小学生のような黒のブルマと赤のハチマキをプレゼントされたのも、このちょっと後です。高等部からの新一
年生を迎えた二月頃のことでした。補欠でさえ、ジャージ姿かせいぜい長めのスパッツ姿で練習することが認められ
ているのに、もちろん新一年生もそういう姿なのに、私だけ小学生のような格好で晒し者にされました。
 春休みの合宿の頃には、その新一年生たちからも完全に見下されました。きっと、しごかれたり、恥ずかしい格好
をさせられたりが大好きなマゾ女と思われたのでしょうね。

 最低補欠という立場を誰の目から見てもはっきりさせるために、他の人とは違うブルマ姿にさせられたのですね。
周りの部員達も、ここまで屈辱的な仕打ちをうけてまで、部に残ろうとする貴女の気持ちを理解出来る人は居なかったことでしょうね。


怜子さん(33)より 3/18

 
しばらくして三年生の幹部と面談しました。三年生とだけです。四年生は立ち会いませんでした。
 正直、予想していた以上に厳しい扱いを提案されました。
「はっきり言って、万年補欠のダメな上級生として、見せしめみたいな扱いをさせてもらいますけど、それでもいい
ですか?」
「晒し者にされる屈辱に耐えられますか?」
などと開口一番厳しい言葉が出ました。

 私は、
「覚悟はできている。すでに四年生の方々を通じて聞いていると思うが、万年補欠なのだから、一年生の補欠扱いさ
れても仕方がない、と思っている」
と答えました。
 そしたら、三年生たちは、
「少し考え方が甘いと思います。『万年補欠なのだから、仕方がない』のではなく、『当然だ!』でしょう?」
といきなり私を問い詰めました。

 一瞬、その場に緊張が走り、言葉に詰まったのですが、
「ごめんなさい。私の言い方が悪かったと思います」
と言って謝罪しました。
 これでその場の空気が何となく三年生たちのペースになりました。
「もうひとつ考え方が甘いと思うのは、一年生の補欠扱いをする、というだけで十分だと思っているのですか?」
と畳み掛けるように言われました。

 要するに、私の身分は「一年生以下」ということになりました。もちろんその時点の一年生(一学年下のひと)で
はなく、来年入学する新一年生よりも下ということです。
 理由は、本来レギュラーとして後輩指導にあたらなればならない立場なのに、逆に補欠で後輩から指導してもらわ
なければいけないのは、マイナス一年生みたいなものだという趣旨です。一年生が補欠なのは仕方がない。二年生も
途中までは仕方がない。それはマイナスではない。だから一年生の補欠よりも下ということです。
 単に、これまでの上下関係のままだと、下級生や年下の先輩たちが、上級生、年上の人間である私を指導するの
は、やりにくいというだけではないということです。みんなの足を引っ張っているのだから当然の扱いということです。

 けじめをつけるために、一年生以下の身分なので、新二年生はもちろん、新一年生に対しても「先輩」と呼ばされ
ました。レギュラーと補欠を問わずです。もちろん他の補欠のひとには適用がありません。私だけです。
 私はただの補欠から、補欠以下の補欠、最低の補欠に転落したのです。文字通り「万年補欠のダメな上級生」のレ
ッテルを貼られたのです。
 このサイトの他のかたの書き込みを見ていますと、三軍とか、四軍とか、補欠とか、すべて懲罰的な要素がかなり
あるようです。でも、それまでの私へのしごきは懲罰の要素はなかったのです。
 この時からはっきりと「懲罰」の色が濃くなりました。

 三年生の立場からすると、言っていることはごもっともという感じですね。
それでも、続けたい元上級生の覚悟を確かめるとともに、貴女が居る以上、
懲罰を科すことでしか、他の部員の志気を高めることが出来ないという思いもあったのかもしれませんね。


怜子さん(33)より 3/18

  正直、きついご指摘ですね。胸のあたりにズキーンと堪えました。
 でも、そっくりその言葉をみんなから言われました。
 やはり、高校卒業してからの二年間のブランクは大きかったと思います。高校と大学とでは練習量が違うので。
 ある程度自主的に体力づくりをしていたので、練習量にはすぐついていけるようになりましたが、やはり時間が経
つとタイムが落ちるのです。コンスタントに記録を出すのにしばらくかかりました。それと体のバネとか瞬発力とか
しなやかさみたいなものはブランクを取り戻せなかったみたいです。
 私自身のタイムは向上しているのですが、部全体のレベルというか、女子陸上界全般のレベルというか、それが向
上しているのでレギュラーのレベルは高くなっているのです。
 逆に言うと、三年ぐらいまでなら十分レギュラーになれたひとが補欠に甘んじた挙句、あきらめて退部するという
ことになります。そこに私はちょっと反発もあったのです。

 だんだん書くのが恥ずかしくなってきたのですが、とうとう来るべき時が来ました。二年生の秋に四年生が引退す
ると、先輩、同級生、後輩を問わず、年下の部員ばかりになってしまうのです。私は引退する四年生の部員(高等部
時代の同輩)から呼び出され、暗に引退をほのめかされました。

 私は万年補欠でも四年間陸上をやり抜きたいと答えました。それに対して、四年生たちは私の気持ちはわかるが、
それではみんながやりにくいだろう、と反対しました。特に、年下の先輩である三年生が幹部としてやりにくい、補
欠を指導する一年生のレギュラーがやりにくいだろうと言うのです。
 正式に幹部が交代するまでの間にこういう話し合いを何度か持ちました。四年生たちは三年生たちの幹部からの意
向を受けているらしいことはわかっていたので、何回目かの時には、私のほうから、「万年補欠なのだから、一年生
の補欠並みの扱いされても仕方がない、と思っている」という意向を伝えました。

 四年生たちも私の気持ち、考え方はよくわかっているので、一応私の部活継続そのものは認められるよう計らって
くれました。ただし、私の身分的な扱い方については、覚悟をしてくれ、惨めだからよせというような忠告をしてく
れたものの、三年生との話し合いの場を持ってくれました。

 失礼いたしました。2年程のブランクなら何とか取り戻せるのかなとも思いましたが、この年代の2年は凄く差が大きかったのですね。
話し合いの場まで作ってくれたとは、周りの人達は心配はしてくれていたようですね。
そして、何があろうと4年間続けたいとこれだけ強い意志を持った人は、これまで居なかったのでしょうね。


怜子さん(33)より 3/11

 夏休みは時間がたっぷりとあるので、その分しごきを受ける時間もたっぷりとあることになります。
 他の部員よりも一二時間早くから私の練習は始まります。補欠でも私だけです。その代わり、他の補欠と違って、
練習前の準備作業は免除されています。特別扱いで練習できるわけですから、建前上はしごきではなく特訓です。
 補欠の指導は基本的に二年生の仕事なので、私への早朝特訓も同級生(といっても二つ年下)の二年生から受ける
ことになります。

 最初の日、同情と侮蔑とが混じった態度で、
「よくしごきをうける気になったねえ」
「二年生になっても補欠で頑張れるなんて根性あるよねえ」
「ダサイブルマ穿かされてしごかれて精神力強いよね」
「二年生のこの時期になっても年下の同級生にしごかれて悔しくないの? 昼からは一年生からもしごかれるんだ
よ」
などと口々に言われました。

 実際は、早朝特訓には一年生のレギュラーも立ち会います。自分たちのウォーミングアップの意味もあるからで
す。 一年生の前でネチネチと言葉で責められるのは屈辱的です。夏休みは時間があるというのは、こういう精神的
な責めを受ける時間もたっぷりあるということなのです。
「一年生の前でよく恥を晒せるねえ」
と言われるのが一番堪えます。
 そして、早朝特訓に立ち会ってくれる一年生のレギュラーにお礼の挨拶をさせられ、練習が始まります。

 もっとも翌年の春休みに新入生を迎えた時には、新二年生(一年生のレギュラー)から、新入生の前で同じような
ことを言われて、早朝特訓をさせられましたが。

 これが、次の日になると
「今日もしごきを受けたいんだ」
「今日も補欠で頑張るんだ。根性あるねえ」
「今日もダサイブルマ穿いてしごかれたいんだ」
「今日も年下の同級生にしごかれたいんだ。一年生からもしごかれたいんだ」
などと言われることになります。

 今でも、部屋でひとりになって当時のようなブルマ姿になり、部活の始め、終わり、ミーティングなどで言葉責め
される自分を再現して楽しんでいますが、その頃はもちろんただ屈辱だけでした。

 それと昼から一年生のレギュラーが私の練習に加わります。午前中は自分達の練習があるからです。
 補欠でも昼からはある程度自由に練習しますが、私にはその適用はありません。
 他の補欠の子は自分の足りないところを好きな先輩から指導を受けるという感じですが、私はメニューが決められ
ています。一年生から四年生までのレギュラーが代わる代わる、あるいは日替わりで来て、私の稽古をつけます。主
に実戦形式に近い練習ですが、インターバルが短いので、しごきに近いですね。

 みんなは試合用にせよ練習用にせよハイレグの格好よい陸上用ブルマなのに、私はダサイ普通のブルマです。しか
もみんな同い年か年下で、同じ高等部で部活をした仲間がかなりいるのです。その頃は私もレギュラーだったのに。
一年生の秋からわかっていたことですが、やはり屈辱的でした。夏になって、そこに私とはすれ違いでお互いに知ら
ない三年下の子たちが私のしごきにくわわることになったわけです。

 午後の練習でさんざんしごかれた後、私に足りない点の指摘を受け、それに基づいて指導員の二年生が居残り特訓
の内容を決めます。それを実行するのは一年生のレギュラーです。
他の補欠部員たちも見守る中、私ひとり一年生からしごきを受けました。もちろん、「特訓お願いします」と自分か
ら頭を下げて、しごきをお願いするのです。

 屈辱に耐えることで、精神面が鍛えられる上に、これだけしごかれると
練習の効果も少しずつ出てきて早くなってきそうな感じもしますが、
年齢差のハンディーは大きかったのでしょうか。


怜子さん(33)より 2/27

 これも、ちょっと違いますね。
 ずばり征服感だと思います。
 自分より年上の人間よりも競技で優れたうえ、従わせることができるからです。
 特に、私が二年生の時だと、一年生と三年生は特別な感情があったでしょう。
 一年生は文字通り年上の上級生をしごけるわけですから。
 三年生は年上の下級生に対する複雑な思いがあったと思います。
 同じ高等部出身の子は先輩と後輩、レギュラーと補欠の立場が逆転したひともいますし。
 それと一年上というのは、もしかすると後で抜かれることもありうるので、立場が再逆転する可能性もあります。
 そういう意味では、二年生の夏は、同じ二年生はもちろん一年生にも抜かれて私の補欠の立場が安泰(笑)とな
り、同時に三年生のレギュラーの地位も確立したので、そういう意味でも心置きなくしごけたと思います。
 また、二年生の秋になって四年生が引退し、三年生が幹部になった時、つまり年下の上級生が幹部になって、私よ
り年下の部員ばかりになった時、私を待ち構えていたものはご想像できると思います。

 その前に、ブルマのことで前の続きを書きますね。
「補欠でも試合形式の練習の時は、陸上用ブルマも穿いておかないとレギュラーになった時に困るもんね」
という口実で、休日特訓の時は自分の住んでいるマンションからその姿です。
 せめて上だけでもウインドブレーカーか何かを羽織りたいのですが、それは許されません。レギュラーのひとの試
合の応援に行く時も私だけ行きも帰りもこの姿です。さすがに行き帰りの交通機関の中では上は何か羽織ることを許
されますが、車内の乗客、特に男性のかたはしげしげと私の脚線美(?)を眺めています。帰りにカラオケボックス
とか居酒屋とかに立ち寄る時は上も全開です。外食店だと他のお客さんにも見られるので、うーん。

 ただ、やはり練習の時が一番恥ずかしいですね。試合の応援とか、行き帰りとか、外食店の場合、補欠だというこ
とはわかりませんから。露出度の高い格好良い姿を見せたがっているねえちゃんということになるのでしょうから。
 それと、合宿で近くのコンビニなどに買い物に行かされる時です。合宿では、練習の時は学販ブルマを穿かせて胸
の所に名前を書かせたりする一方で、フリーの時間は陸上用ブルマを穿くよう命ぜられます。女同士でも合宿所の中
でみんなが私服なのに私だけ陸上用ブルマというのは十分恥ずかしいものです。

「怜子、こういう時でないと穿く機会ないものね」
と言われ、買い物を命ぜられます。
 コンビニの店員はだいたい同世代が多いから、私が虐めの一環としてこういう格好をさせられているということは
わかると思います。当然私が補欠だということも推測がつくと思われるので、腹の中を見透かされているようで、恥
ずかしかったです。
 早朝特訓や休日特訓でも、同世代のひとであれば、ひとり陸上用ブルマで走っていれば不自然さに気がつくと思う
ので、レギュラーの部員がそんなことをしているはずはないので、私の正体に気がついているのだろうなあと、そう
いう目線で見られているだろうなあと思うと、自分に跳ね返ってくる恥ずかしさがありました。

 とはいえ、陸上用ブルマは選手にとっては制服みたいなものですから、露出度高くても練習ではそんなに恥ずかし
いとは思いませんが、学販ブルマは、学校の授業でブルマがほとんどなくなりはじめていた世代なので、やはり恥ず
かしかったですね。男子部員にも見られて特訓で学販ブルマ姿を晒すのも恥ずかしいし、学校や合宿所の周辺で他の
ひとに見られるのも屈辱的でした。どう考えても、レギュラー選手が学販ブルマ穿くはずはないですよね。100%
補欠だと宣伝しているようなもので。

 一番屈辱的だったのは、どこで見つけてきたのか、昔の小学生が穿くような黒の学販ブルマをプレゼントされて身
につけるよう言われたことです。それに、紅白のハチマキ(片側が赤でもう一方が白のものです)をセットにして、
黒のブルマと赤のハチマキのコントラストが如何にも小学生向きという感じです。どう考えても大学生の私を貶める
ための姿でした。
 この格好で男子部員も見る前でしごきを受けた屈辱は今でも忘れられない思い出ですが、旦那は一番みっともなか
った代わりに一番可愛くもあったと言ってくれていますが。今でも旦那の前でブルマ姿になる時、陸上用ブルマは抵
抗がありませんが、黒の学販ブルマはちょっと……、うーん。
 さすがに赤いハチマキはインパクトがあるのか、合宿でコンビニに買い物に行かされた時は同い年ぐらいの女性店
員に噴出されました。
 練習の後、この姿で居酒屋とか外食店でコンパに連れて行かれたこともありました。ハイレグの陸上ブルマのほう
がまだましだと思いました。両脇に男子部員が座って、それはくじ引きのようでした。もちろん、上級生の命令でお
触り放題にされました。ただし、汗臭いので、洗い立てのものに着替えはしましたが。

 私にとってブルマを穿いた思い出は、屈辱と晒し者の思い出でもありますね。
「自分で選んだんじゃないか、屈辱と晒し者になるのを」
と旦那は笑いますが、今でもその時の格好を時々させられています。

 今では旦那さんとの間では、いい思い出ということでしょうか。
その時の経験のお陰で、ご夫婦の仲もうまくいってるのでしょうね。
今でも周りから浮いた格好している選手がいたら、似たような事が続いているのかもしれませんね。


ユウカさん(27)より 2/27

そうですね。3軍は高校生以下の扱いで2軍からは大学生として見てくれるのでかなり差があります。AさんもBさん
も2軍に上がれば先輩なのでいわれたことは絶対です。私は二人が3軍の時ひどい事をしていたので同じことをやら
されましたし・・・

3軍が私一人になってからは、今までは3人で分担して行っていた先輩達のお部屋の掃除や練習着とお洋服の洗濯、
買い出し、マッサージ、お風呂の掃除もすべて一人でやらなければならず本当の地獄の始まりでした。特に3軍が
先輩達のストレス解消の為に行う余興の命令も一人ですべてやることになるので本当につらかったです。

朝練も夕練も立てなくなるまで練習を行い、その後、指導員からの罰のお尻叩きや説教や躾、先輩達からの躾、余興
などがあります。講義がない時のお昼は洗濯や買い出し、掃除をしなければならず休む暇もなく疲れと寝不足で精神
的にも肉体的にも追い込まれ、寮で3軍がしなければいけないことをやらなかったり忘れたりして先輩達に毎日のよう
に怒られるようになりました。

ある日、一人になってから寮での私の3軍としての自覚のなさに先輩達の我慢が限界にきて指導員と先輩達から呼び
出され全員の前に立たされ指導員が「お前どうして呼ばれて立たされているかわかる?」

私  「・・・」
指導員「黙ってないでブルマ答えろ」
私  「3軍の仕事をしてないからですか?」
指導員「わかってるのに何でしないの?理由は?」
私  「申し訳ございません。」
指導員「理由は?日本語わからない?」
私  「・・・」
先輩 「ブルマちゃんやる気がないならやめたら?」
私  「やる気あります。だから続けさせてください。お願いします。」

こんなやり取りが1時間ぐらい続き、すべて私が悪いので部員全員からお尻叩きの罰を受けました。その後、指導員
から正座と反省文、そして2週間、練習用の体操服とブルマ、パンツを洗うことを禁止されパンツは2週間同じもの
を穿き続けることになりました。他にはノーブラで過ごすことと言われました。

正座は反省してる事を示すため、自分から指導員に言って着ている服を全部脱がして頂き、寮の外にある外灯の下で
許しが出るまで正座をしました。私は先輩達に怒られた事を心から反省しつらくても2軍に上がるためにしっかり頑張
ろうと心に決めました。


 一人で全ての事をきっちりするには、よほど注意して忘れないよう心がけていないと厳しかったことでしょう。
最初のうちは全てを会得しておらず、つい何かをやり忘れてしまう事も多かったのでしょう。
怒られ指導を受けることで精神力や耐える心が鍛えられていくのでしょうね。


ユウカさん(27)より 2/19

3月のある日、部活が終わり部員全員体育館に集まるようにと言われ3軍の私たち3人も体育館に行って一番後ろで正座
をして待っていると部長やキャプテン達が体育館に戻ってきて部長がお話を始めました。「3軍前に出てこい。」私た
ちは前に出て気を付けしました。内心私は何が始まるのかとビクビクしていました。部長が「今日から3軍のAとBが2
軍に昇格するといわれました。ユウカは4月以降も3軍のままといわれました。」部長からAさんとBさんには部のジャ
ージが手渡され列に戻りました。残った私は部長から「お前は、今まで以上に練習と躾を行うから、あと4月から入学
してくる新入部員の1軍に指導員してもらうから、年下に練習や躾をされた方がやる気がでるよ。」と言われました。

私が列に戻り解散になりましたが、私はショックと不安でしばらく動けませんでした。一番不安だったのは、高校の
時の後輩3人が入学してくることでした。3人の内の誰かが私の指導員になったらどうしようと思っていました。その
不安は的中してしまいましたが・・・。

動けなかった私に指導員がきて、「3軍いつまで座ってるの?お前はまだ練習があるだろ早くグランドにでろ」と言わ
れ私はすぐにグランドの出て残りの練習を始めました。

練習が終って罰のお尻叩きが終わると指導員から「今日から惨めな3軍一人でがんばってね。お前にはお似合いよ。私
が指導員やめても可愛がってあげるから」と言われ私は屈辱で泣きながらこれからも厳しくご指導お願いしますと言
いました。あと新入部員の歓迎会ではお前には身分をわからすために色々してもらうから覚悟しとけよといわれまし
た。私は怖かったですが「わかりました」といいました。

そんなやり取りがありながら寮に帰るとAさんとBさんが私服を返してもらい私服を着ていました。すごく羨ましかっ
たです。すると二人が私のところに来て「ブルマと体操服、下着をお前にあげる」と言われ私が「ありがとうござい
ます」というと二人が「それだけ?他に言うことは?」私が悩んでいると「膝と頭を地面につけてブルマを脱いでパ
ンツは頭にかぶれ」といわれ私は急いで言われたとうりにしました。

私は正直二人に指示されるのはイヤでしたが今日から身分が上なのでしょうがないと思い指示にしたがいました。

 2軍に昇格すれば、いきなりの態度の変化なのですね。
これが3軍との大きな差でもあるのでしょうね。
貴女にはこれから多くの試練が待っているようですね。


怜子さん(33)より 2/19

>素直に受け入れる気持ちに変化してきたことで、元上級生としてのプライドも捨てる事が出来て、屈辱にも耐えら
れたのかな。


 それは絶対にないと思います。
 一年生のレギュラーからの言葉にもあったように、慣れてしまったら人間としても部員としても終わりですね。
 ただ、練習でしごかれている間、補欠でしごかれているという屈辱、それも一年生にしごかれている屈辱に動揺し
て、競技に集中できないということはだんだんなくなりました。
 でも、それは大分かかりました。万年補欠ながら、記録的にも一年生のレギュラーにもしごかれるようになった二
年生の夏は少し成績が下がりました。余計にしごきがきつくなり、夏合宿はさんざんでした。

 それと、しごく側は記録を伸ばすための合理的な練習とはいえ、もともと屈辱を与える、プライドをズタズタにす
るためにやっているわけですから、慣れるはずはないですよね。
 ひとつの辱めに慣れてきたら、新たな手を考えればいいわけで、そこは女性同士ですから心理のつぼは心得ていま
す。

 例えば、ふだんはふつうのブルマで練習させられていると書きましたが、ロードワークなどの時は、わざと試合用
のハイレグの陸上ブルマを穿かされるのです。大学のキャンパスの周囲だと他の学生や近所のひとの前で晒し者とい
う感じになります。
 合宿なんかで校外で練習する時なんか、他の大学の学生とすれ違ったりする時、とても恥ずかしいです。武道関係
の男子部員なんか、みんな立ち止まってしげしげと見たりしていますし、だいたいいつも同じ時間帯を走ることがわ
かっているので、待ち構えているようでした。
 それ以上に辛いのは同性の目ですね。男性の注目を集めるのが目的でやっているいけすかない女というような侮蔑
の目で見ているのがわかります。

 やはり陸上用のブルマだと、トップがビキニのようで完全にお腹が露出していますし、ブルマは大事なところを最
低限隠しているだけという感じなので、トラックの中以外は恥ずかしいですね。それは他ならぬレギュラーのひとた
ち自身も言っていました。
 私の場合、これを徹底的にやられました。
 練習は気が散るので外部の人間が見学するのは控えてもらっているのですが、早朝特訓や居残り特訓は例外なの
で、ふだんの練習でも男子部員などは集まってきます。私の場合、休日特訓もあるので、その時は完全に晒し者で
す。

 私事ですが、実は私の旦那はその時の男子部員のひとりです。しごかれている私は魅力的だと口説かれたのが、交
際のきっかけです。でも、私としてはみっともない姿を見られて恥ずかしいという気持ちしかありませんでした。
 逆に、みっともない私の姿も知り尽くした上で交際を申し込んでくれた旦那に安心して付き合えたということもあ
りますけど。
 だから、今でもしょっちゅうどちらからともなく誘って、旦那にしごいてもらっています。

 なるほど、そんな出会いもあったわけですね。
貴女のことはかなり目立ってもいたようですね。
夫婦でその頃の会話も楽しめ、今もしごいてもらえるなんて夢のようですね。


怜子さん(33)より 2/11

 このサイトに書き込みされている他のひとたちの中には、三軍とか四軍とか最低のランクに落とされて人格的にも
貶められた扱いを受けたというお話がありますよね。つまり、三軍とか四軍とかはひとつのうえのランクとは根本的
に扱いが違うということですよね。
 私の場合、二年生の夏休みの練習からそういう扱いを受けたといっていいと思います。前回も書いたように、本来
ならレギュラーになって下級生を指導しなければならない立場の上級生が、補欠のままで逆に指導を受けているの
は、部全体の足を引っ張っているわけですから、人格的なものを否定されても仕方がない面があります。
 レギュラー・補欠の組替が発表された後、事前に打ち合わせで決められていたのですが、みんなの前でこれからも
補欠のままなのに部活を続けるか、と四年生の幹部たちから尋ねられました。

「是非、続けさせてください」と私は答え、
「二年生の夏にもなってまだ補欠でみなさんの足を引っ張っていると思いますが、これからもよろしくご指導くださ
い」と挨拶させられました。
「ペナルティとして、怜子の指導は一年生のレギュラーにも立ち会ってもらうわよ」
と言い渡され、もちろん事前に納得させられていたのですが、
「○○さん、ご指導よろしくお願いします」
と一年生のレギュラーひとりひとりに挨拶させられました。
「上級生とは思わず、思いっきりしごいてください」
「練習の後でブルマを洗濯させてください」
と屈辱的なお願いもさせられもしましたし、練習中は敬語を使うこと、一年生でも「○○さん」とさんづけと呼ぶこ
とも誓わされました。

 何だか、「補欠になったから部活動を辞めざるを得ないという風潮に抵抗がある」私に対して、逆の反発が感じら
れましたね。
「万年補欠を問わず四年間陸上競技をすることが大切だというなら、万年補欠の屈辱をたっぷり味あわせてやろう」
という意図がありありと感じられましたね。
 それをわざわざ飛んで火にいる夏の虫のようにしごかれにゆく私はMなのでしょうか。自分ではそうは思わないの
ですが。勉強でもスポーツでも思いっきりくたくたになるまでやった時の充実感がというものがありますし、それが
たとえ屈辱的なシゴキであっても終わった後の開放感がありますし。

 とはいえ、練習中のシゴキよりもミーティングなどで精神的に責められるのがすごく堪えました。
 特に、一年生のレギュラーから、わざと先輩たちが言わせるのですが、あれこれ質問されるのは屈辱的でした。
 最初の日には、
「はじめて私たちのような一年生にしごかれて悔しくなかったですか? 正直に感想を言ってください」
と聞かれました。
「正直、とても屈辱的でした」
と私は正直に答えるしかありません。
「じゃあ、明日も私たちからのシゴキを受けますか?」とか、
「明日もこの屈辱に耐えられますか?」とか、
答えようのない質問をされて、どぎまぎする私を先輩たちはニヤニヤして見ています。

 日が経つにつれ、一年生のレギュラーたちは、私を尋問するのが上手になり、先輩たちに言われるがままではな
く、自分たちの言葉で話すようになり、
「一週間経ちましたけど、今でも私たちにしごかれるのは屈辱的ですか?」と聞かれ、
「やはり屈辱的です。何日経っても慣れることはないと思います。でも練習は頑張ります」と答える私に、
「そうですよね。こんな屈辱に慣れるはずないですよね。慣れてしまったら終わりですものね」
「恥ずかしさをバネに頑張らなければいけないですよね」
と好き勝手なコメントをしたりしました。

 最後は、
「明日もこの屈辱に耐えて頑張りますので、思いっきりしごいてください」
と挨拶させられて終わります。

 下級生が上級生を指導するには、相手を上級生と意識しなくなることが必要なのかもしれませんね。
いつまでも遠慮があったのでは、指導もおろそかになるだろうし、必然的に厳しくなっていくのもわかるような気がしてきましたね。


ユウカさん(2?)より 2/11

お久しぶりです。ユウカです。

指導員からアヒル歩きで15周と言われ私はアヒル歩きをしていましたが、時間内に出来るわけがなく指導員に途中
で呼び出され部員全員からのお尻叩きの罰と言われました。私は部室の前ですぐにお尻を突き出しお尻叩きのポーズ
をとりましたが、指導員からユウカは全く反省出来てないから今日からお尻叩きの罰をうける時は、ブラジャー以外
は全て脱ぐ事と言われました。私は脱ぐのをためらっていると指導員から怒鳴られ3軍の分際で先輩(3軍は1軍と2
軍の人を年下でも先輩と言わないといけません。)を待たせるなと言われビンタをされました。

部員全員の前で朝グランドでブラジャー以外を脱ぐ屈辱とツルツルのま○こを晒し続けないといけない屈辱感で泣き
そうになりました。先輩がま○こ丸見えといった時は恥ずかしすぎました。その後、1軍の先輩から5回ずつお尻叩
きをしていただきました。先輩にお尻を叩いていただく時は、「1年3軍ユウカです。時間内に練習が終わりませんで
した。罰として○○先輩お尻叩きお願いいたします。」といわないといけませんでした。

20人ぐらいに叩かれ最後の方は、あまりの痛さで泣いてしまいました。ようやく罰が終わり先輩方が解散をしたんで
すが私はすぐ指導員に呼び出され「ユウカまだ罰終わってないからお尻叩きのポーズをとれと言われ、同じ3軍の二
人に指導員の許可が出るまで叩かれ続けました。」この頃には他の部の方も朝練が終わり私は他の部の方の前でも恥
ずかしい姿を晒し続け女子からは大声で指さされ笑われたり、ま○こ丸見えと聞こえる声で言われました。罰が終わ
ってから同じ3軍の方から男子の中には写真を撮ってるひとがいたと聞いた時はショックでした。

何回も泣きながら指導員に許しを乞いようやくお尻叩きから解放されましたが、まだ罰は終わらずブラジャーのまま
気をつけをして反省の言葉を大声で何回も言わされました。そしてようやく罰が終わり体操服を着ることを許され解
放されましたが、お尻のあまりの痛さでまともに歩くことができませんでした。

朝練も夕方の練習も私は容赦なくしごかれ続けました。同性や異性の前で生まれた姿に近い格好にされるのは何回や
っても屈辱でした。また、それと同時にしっかり反省をしなければいけないと思うようなっていましたし最初は恥ず
かしいと思っていたブルマも3軍の私なんかにはもったいないと思い穿かせてもらるだけありがたいと思うようにな
りました。

2年生になると1年の時以上に躾と練習が厳しくなりました。2年の話は次回します。

 普通ならば人目にさらすことは無い裸姿は辛かったことでしょう。
その屈辱に耐えて精神力を鍛えていくのかもしれませんね。
しかし、性器までさらすことになるとは、今ではありえないことでしょうね。


ゆきなさん(32)より 2/11

ゆきなです。
4年ぶりぐらいにメールします。
小2で転校して、初めてブルマを穿いた私は、ブルマをインナーのようなものと勘違いし、上にジャージを着て、1人
体育に出て、先生にすごく怒られました。そして、それから先生に目をつけられ、怒られ続けましたが、ブルマで頑
張る姉の姿や自分自身悔しい気持ちが強くて、先生を見返したくて、体操服を泥だらけにして、体育を頑張り、ある
日ようやく先生に認められました。その日の泥だらけのブルマ姿が誇らしくて、それ以来嫌いだったブルマも好きに
なりました。
ここまでは、以前お話ししました。今日は、その先をお話しします。

その後もしばらくは体育でブルマに着替えるとドキドキして、気合いを入れて泥だらけで頑張りました。しかし、先
生は私を誉めたその日以来、私を普通の生徒と同じ扱いをして、私のことをあまり見なくなってきました。
そんな感じだったのでしばらくすると私も頑張らなくても怒られないんだという甘えの気持ちが出て、体育も目立た
ない程度にダラダラと適当にするようになりました。そうすると体育の前にブルマを穿いた時の緊張感もなくなり、
ブルマは好きでも嫌いでもない特別なものではなくなっていきました。

そんな私の気持ちを変えたのは、またしても姉でした。転校した年の秋の運動会、わたしはダラダラと午前の種目に
参加してました。
昼休み、家族でお昼を食べる時、姉の姿を見て、私は驚きました。姉の体操服は誰よりも泥んこでした。しかも小学
生によく見られる私みたいにダボダボの着方をしたブルマではなく、ピッチリ大人っぽい穿き方をしてました。もと
もと姉に憧れてて姉の真似ばかりしてる子だった私は姉のようになりたいと強く思いました。
私の学校の運動会は、赤と白の2組に分かれ行われ、各学年で赤白別に男女1人ずつ運動神経抜群の生徒がリーダーと
して選ばれます。姉は運動神経は良いほうでしたが、抜群とまではいかなかったのですが、かなり頑張ったのか、5年
生の白組のリーダーだったのです。お昼ご飯を急いで食べると姉は急いで白組のリーダーの昼特訓に行きました。私
も興味があって姉を追いかけそっと見に行きました。特訓は第2グラウンドという校舎裏の小さなグラウンドで行わ
れていました。

しかしその特訓の光景は衝撃的なものでした。
「遅くなりました!」
大声で挨拶をした姉に、小6のリーダーらしき女の人が、姉に近づいてくると姉の頬に思いっきり平手打ちをしまし
た。姉の頬は真っ赤になり、歯を食いしばって涙をこらえています。
「なんなのあの5年達の態度は!!あんたがリーダーとしてちゃんとまとめなさいよ。あんたが一所懸命がんばってな
いからそうなるのよ。みんなの前でごめんなさいと土下座して謝りなさい!!」
成績が良くない5年の白組への怒りを姉にぶつけた小6のリーダーは、大声で「ごめんなさい!!」と土下座する姉の
体操服の背中を土足で思いっきり蹴り上げ、たちまち一回転した姉に「特訓!」と怒鳴ると、バレーボールを次から
次に姉にぶつけていきました。姉はそのたびに地面にダイブし、ボールを打ち返しては、立ち上がり、また地面にダ
イブするといった激しい動きを繰り返しました。きっと午後からの騎馬戦や棒倒しといった激しい競技に備え、気合
いを入れ、怪我や失敗を恐れず飛び込む練習をしているのでしょう。時には、バレーボールが姉の頬に直撃しても、
まだ特訓は続きます。涙をこらえていた姉の顔からは、もう涙がポタポタと落ち続けていました。私は、冷静な姉が
めったに見せない涙を見て、この小6のリーダーに怒りがこみ上げてきました。ケンカして負けてもいいから、飛びか
かろうとしたその瞬間でした。

その小6のリーダーを見ると、右足に包帯を巻いていました。それでもそのリーダーも体操服を泥だらけにして、必死
に戦っているのです。よく見ると顔も涙目になっていました。彼女は彼女で必死なのです。まして、小学校最後の運
動会、リーダーとして絶対勝ちたいのでしょう。それに姉の表情をよく見ると、小6のリーダーに対する怒りや憎しみ
はなく、ただ自分自身に対する怒りや悔しさで泣いているように見えました。
「特訓交代!」小6のリーダーの声で姉の特訓は終わりその場に倒れこみました。そして今度は小6の男のリーダーら
しき人が、その小6のリーダーの女の人に、バレーボールをぶつけ、特訓を始めました。小6のリーダーの人はさすが
でした。姉のときより速く多く飛んでくるボールを全部打ち返し、怪我をしている右足からも思いっきり地面に飛び
込んでいきます。

横を見ると、私と同じ学年のリーダーの子も、また敵の赤組の子も、みんな体操服を泥だらけにして必死で似たよう
な特訓をしていました。
私の怒りは消え、私はやる気のなかった自分自身に腹が立ってきました。
午後の競技、私は心を入れ替え、姉に負けないよう一所懸命競技に取り組みました。しかし、ずっとダラダラ体育を
していた私は全く思うように動けず散々な結果でした。
それに比べ、姉やあの小6のリーダーの女の人も白組の中心となって大活躍していました。特に姉の気合いはすごく擦
り傷を作って救護室に行っても次の競技にはすぐ戻って参加や応援をしていました。
しかし結果は僅差で姉の白組が負けてしまいました。結果発表の瞬間、姉達リーダー全員はその場に泣き崩れまし
た。小6のリーダーと姉は、特に悔しかったらしく、閉会式が終わっても、その場で泣き崩れたままでした。でも小6
のリーダーが姉や他のリーダーを責めることもなく、むしろなぐさめあっていました。
私は、自分自身のふがいなさに腹が立って、転校してすぐ体育で先生に怒られた悔しさとは比べ物にならないほど
の、今でも思い出すぐらいの悔しさを感じた日でした。

 なんだか凄いですね。小学生ですでにその気合いの入りようは感心しました。
お姉さん達が目的のためにがむしゃらに頑張っている姿に、感銘さえ受けられたのですね。
負けて悔しかったでしょうが、次回は今以上に特訓を受けようという強い意志も生まれたことでしょうね。


怜子さん(33)より 2/11

この前の続きを書きます。

>陸上競技が好きで入ったクラブなのに、成績が良くないだけで辞めるように仕向けていく風潮に抵抗感が芽生える
のも自然なことですよね。


 そうですね。
 でも、この考え方にも限界があります。
 本来ならレギュラーになって下級生を指導しなければならない上級生が、補欠のままで指導を受けているのでは、
部全体の進行に足を引っ張っていることも事実です。
 私としては部全体の方針にまで逆らう気はないので、足を引っ張っているペナルティは受けるべきだと思っていま
した。
 そうすると、私だけ下級生のレギュラーから指導を受けるという屈辱を与えられることになり、下級生のレギュラ
ーの前で補欠用のブルマ姿を晒すことになってしまうのです。
 二年生の夏休みが始まる時に、レギュラー・補欠の組替があり、補欠のままであることが確定した時、上級生から
部を続けるかどうか聞かれました。補欠の指導に当たっている同級生からも、本気で一年生のレギュラーからシゴキ
を受けるつもりかと心配されました。

 正直なところ、一年生からしごかれるという屈辱を考える余裕は、その時の私にはありませんでした。シーズンの
途中だったからです。言われるがまま部活を続ける条件として受け入れたというのが実情です。
 そして、実際にやってみると想像以上に屈辱的でした。というより、想像以上の屈辱を味わうまで責められたとい
う感じでした。

 それと私自身まだまだ一年生からしごかれるということに抵抗がありました。これまでも年下の先輩や同級生から
しごかれる屈辱はありましたが、やはり大学の学年での下級生からしごかれるのはいっそう屈辱的でした。秋口にそ
うなるとことは覚悟していたものの、シーズンの途中で予想していなかったこともあります。

 SMプレーに例えると、この頃はまだ私はノーマルな心理状態でM女として無理やり調教を受けるという感じでし
た。秋口になって四年生が引退し、正式に一年生のレギュラーが私の教育係になった時は、屈辱的な反面、どこかで
素直に受け入れる気になっていました。M的な心理状態になったというわけではなく、大勢の人の前で話をする時
に、最初のうちは顔が真っ赤になって緊張するが、だんだん場慣れするというのに似ています。

 人は環境の変化に次第に慣れていくものなのですね。
日常的に続けられると、感覚も麻痺していくのかもしれませんね。
 素直に受け入れる気持ちに変化してきたことで、元上級生としてのプライドも捨てる事が出来て、屈辱にも耐えられたのかな。


怜子さん(33)より 1/23

>しかし、貴女は屈辱にも耐えきり、よく頑張られましたね。
>周りの対応も、厳しい中にも節度があり、こんな環境であれば辛くても耐えやすかったのでしょうね。
>やり始めたら、安易に投げ出さず、粘ってみる精神力が凄いですよね。


 正直言うと、二年生の夏休みに入る前にレギュラーと補欠の組替があり、また補欠のままとなった時、来るべき時
が来たなという感じでした。それまでは、おっしゃるように「屈辱に耐えて頑張る」という感覚でしたが、ミーティ
ングで一年生のレギュラーに「しごいてください」とお願いさせられた時、何だか張り詰めた力が抜けていくようで
した。
 覚悟を決めて練習に臨んでも、やはり一年生から指図され、試合形式の練習でも負け、さらに基礎錬を受けると、
精神的に勝てないなあという気がしてきて、全身の力が抜けるというか、今まで張り詰めていたものが緩んでいくと
いうか、そういう感じでした。
 夏合宿が始まった時は、一年生のレギュラーから指図されても、されるがままという感じでした。ただの補欠から
万年補欠の泥沼に足を踏み入れてゆくという感じでした。

>以前の貴女の事を知らない一年生には遠慮も無かったのですね。
>なぜこんな年上の人が補欠で部に居て、自分達が指導することになるのだろうって感じだったのかな。


 むしろ、高校時代のつき合いがないので最初は遠慮があったくらいです。
 でも、ミーティングの時に、部長から一年生に、「怜子が夏合宿を終わっても補欠のままだと、秋にはあなたたち
が教育係になるわけだから、練習の時のレギュラー・補欠の上下関係は今からはっきりしておかなければならない。
 その前に、怜子が補欠を脱出できるようにするのが先決だから、先輩だと思わず徹底的にしごくように」と注意が
ありました。

>早い子だけがクラブに残っていくようになっていたのですね。
>補欠でレギュラーになれない実力であっても、みんなのサポート役みたいな感じで、競技からは離れてもクラブに
居る事が出来る方法が他には無かったのでしょうか。


 マネージャーのような仕事をする考えは毛頭ありませんでした。
 私は、ただ四年間、レギュラー、補欠を問わず陸上競技をすることが大切だと思っていただけです。
 補欠になったから、部活動を辞めてしまう、辞めざるを得ないという風潮に抵抗がありました。
 競技が好きなら、四年間続ければよい、部はその気持ちを大事にするべきだと思いました。
 勝負は大事ですが、それにこだわりすぎて、部全体がどこか功利的になっているところがありました。
 逆に言うと、そういう私の考え方も部の幹部は気に入らなかったようで、シゴキ、特に精神的なシゴキはエスカレ
ートしたみたいです。

 屈辱的なことに、合宿になると時間が十分にあることです。練習が終わった後はもちろん、色んなタイミングで言
葉責めのように反省を述べさせられたり、誓いの言葉みたいなことを述べさせられたりすることです。
 例えば、夕食の後、補欠を代表して、見せしめのようにネチネチと言葉で責められるのです。みんなはフリーな格
好なのに、私だけブルマ姿で直立し、答え続けなくてはなりません。

  貴女が4年間頑張って来られた気持ちの元が何なのか、少しずつわかってきましたね。
陸上競技が好きで入ったクラブなのに、成績が良くないだけで辞めるように仕向けていく風潮に
抵抗感が芽生えるのも自然なことですよね。
 貴女と同じ気持ちを持ちながらも、辞めていった子も多かったのでしょうね。


怜子さん(33)より 1/15

 このサイトに書き込みされている他の方々と違うのは、私の場合、補欠といっても無意味なシゴキを受けているわ
けではありません。基礎錬ばっかりやらされたり、懲罰的な正座などをやたらとさせられたり、というわけではあり
ません。
 補欠になると基礎錬のウェイトが高くはなりますが、中短距離走というのは、試合形式の練習はいくらでもできま
すから。

 具体的に言うと、例えば一年生のレギュラーからしごきを受けるというのは、彼女たちに基礎錬を付き合ってもら
うというのもありますが、それ以上に多いのは試合形式でマッチレースをすることです。ひとりが終われば、また別
のひとりと、私はマッチレースを続けなければならないのです。
 もちろん、私の方から、積極的に「もう一本お願いします」と言い続けなくてはなりません。
 で、負けた原因は何かという反省をさせられて、必要な基礎錬を受けるというわけです。

 でも、二年生の夏合宿は、最後の「愛のムチ」の部分と半分以上「クラブ追放のムチ」という感じがしないでもあ
りません。24時間ブルマ着用でしたし、それは私だけでした。二年生で補欠の子は夏合宿前で退部しましたし、上
級生で補欠のひとはいませんでしたから。

 前にも書いたかと思いますが、私の方から一年生のレギュラーからしごきを受けたいと願い出る、レギュラーと補
欠の上下関係をはっきりさせるために、合宿中は24時間ブルマの着用を願い出る、宿舎の部屋は一年生のレギュラ
ーと同室にしてもらうよう願い出る、というものです。
 特に、フリータイムの時間までブルマ姿で一年生のレギュラーと同室なのは精神的に堪えました。「屈辱」などと
簡単に二文字で表現するのはあまりにも軽すぎる感じがしました。

 覚悟はしていましたが、夏合宿は春合宿の数倍屈辱的でした。春は同じ24時間ブルマ姿でも、同じ二年生の教育
係との区別をはっきりさせるためです。
 それに対して、夏合宿は一年生のレギュラーと上下関係をはっきりさせるための24時間ブルマ姿です。しかも、
一年生に対して敬語を使わなければなりませんし、「○○さん」とさんづけで呼ばなければなりません。さすがに一
年生の方では私のことを呼び捨てにはしませんでしたが。
 秋になって一年生のレギュラーが教育係になった時には、私は彼女たちを何と呼ばされるか、彼女たちに何と呼ば
れるか、想像しただけでもぞっとしました。

 早い子だけがクラブに残っていくようになっていたのですね。
補欠でレギュラーになれない実力であっても、みんなのサポート役みたいな感じで、
競技からは離れてもクラブに居る事が出来る方法が他には無かったのでしょうか。


怜子さん(33)より 01/08

>そんな状況まで追い込まれたら、普通なら止めざるを得ないのでしょうね。
>しかし、貴女は屈辱にも耐えきり、よく頑張られましたね。


 そうですね。
 ただ、一年生の秋の時点ではシーズンオフになるので、同級生(実際は二つ年下)からしごかれるのは屈辱的でし
たが、やはり最低でもシーズンに入って二年生までは続けようと思いました。
 だから、春合宿で一年生に抜かれるのは覚悟の上でした。前年も春合宿の時点で同級生の何人かに抜かれていまし
たので、想定はしていました。
 夏合宿の時も、一年生からもしごかれるは屈辱的でしたが、途中で投げ出すというか、逃げ出すというか、そうい
うのがいやだったのです。それに競技を好きだったということももちろんあります。

 それから、うちの部の場合、補欠とレギュラーの差は、レギュラーに勝つ負けるではありません。レギュラーに勝
っても一定のタイム以上をマークしないと昇格することができないのです。逆に言うと、レギュラーに欠員ができな
くとも、一定のタイム以上をマークすれば準レギュラー扱いになれるのです。
 つまり、レギュラーになれるかなれないかは自分自身との戦いなのです。

 とはいえ、二年生の夏合宿は、春合宿以上に屈辱的でした。しごく同級生の二年生たちも春合宿の時にはまだ私に
いくらかの可能性を見ていたようでした。だから、心を鬼にして、という感じでした。
 でも、夏合宿では、もういいかげんにあきらめたら、という空気がありました。秋以降に本格的に万年補欠扱いさ
れることになる私ですが、この夏合宿は私を諦めさせ辞めさせる合宿と言ってもよかったと思います。
 同級生たち(先輩たちも)の想定外だったことは、その後も私が退部を申し出ず、万年補欠扱いも受けいれて部活
を続けたことです。
 そういう空気は、私の特訓に協力した一年生のレギュラーの部員たちも伝わるのか、彼女たちは完全に私を見下し
ました。

 やり始めたら、安易に投げ出さず、粘ってみる精神力が凄いですよね。
次第に周りの貴女を見る目が変化していくのですね。
いよいよ本当に精神的に辛い時期を迎えることになるのですね。


怜子さん(33)より 01/08

逆に言うと、しごく側でも一年生の秋から二年生の夏までが一番肝心な時期だったと思います。手加減すると永久
に私がレギュラーになるチャンスがなくなるからです。春合宿直前のブルマのプレゼントも、精神的に屈辱を与えて
頑張らせようという配慮もあったと思います。一年生の秋から、私の教育係を同じ一年生(高等部時代の二年後輩)
にしたのも同じ理由でしょう。
 秋の時点から、新入生が入部した時に、私への教育をどうするかは色々と考えていたようで、春合宿から私には罰
ゲームが与えられました。合宿中は練習時間以外もブルマと体操服着用が義務づけられました。そのためのブルマの
プレゼントでもあったのです。もちろん私だけです。新入生や他の補欠にはその義務はありません。

 こういう罰ゲームは、形の上では私からの申し出ということになっているからです。年上の私をしごくのは、やは
りやりづらいことも多いだろうから、私の方から自主的に罰ゲームを申し出て、是非やってくださいというのです。
 他にも、練習開始の時、補欠を代表して大きな声で挨拶をさせられたり、補欠を代表してしごかれたりしました。
 春合宿の時は、「年上の怜子さんを見せしめみたいにするの、ひどいよね」と同情的だった一年生の子たち(レギ
ュラー補欠を問わず)も、夏合宿の直前になると、蔑むようになりました。私のようにはなりたくないと思うのは当
たり前でしょうね。

 自分でも限界が決定的だと思ったのは、二年生の夏休み前に一年生の部員が次々とレギュラーになるのに補欠のま
まだった時です。
 部長から、夏合宿も参加するかと聞かれて、私はもちろんこれからもたとえ補欠であっても頑張ると答えました。
「その代わり、夏合宿は一年生からもしごかれることを覚悟してね」
と言い渡されました。

 夏合宿では、一年生のレギュラーも私への指導を手伝うことになったのです。形の上では、合宿直前のミーティン
グの時に私の方から指導教育をお願いすることになりました。
さらに、実際の夏合宿の練習の時には、練習前と練習後に、
「○○さん、今日も一日後指導よろしくお願いします」
「○○さん、今日も一日後指導ありがとうございました」
といちいち指導してくれた一年生全員に「さん」付けで挨拶しなければなりませんでした。
 ただし、二年生の夏合宿の時点では、まだ先輩後輩の序列は残されていたので、一年生のレギュラーに対して、
「○○さん」と丁寧に呼んでも、「○○先輩」と呼ぶことはありませんでした。また、一年生のレギュラーが私を呼
び捨てることはありませんでした。

 当初のしごきは、貴女をレギュラーにさせたいためにも、愛のムチのような感じだったのですね。
周りの対応も、厳しい中にも節度があり、こんな環境であれば辛くても耐えやすかったのでしょうね。


ユウカさん(27)より 01/05

お久しぶりです。ユウカです。

3軍は朝5時に起きラジオ体操と柔軟と筋トレをしなければなりませんでした。指導員からユウカは下着で練習しろと
言われ、体操服とブルマは7時からの全体練習のランニングの時に指導員が持ってきてくれるとの事でした。私は持っ
てきてくれるのか不安だったので、最初から穿かせてくださいと指導員に言うと、「3軍の分際で意見するの?何さま
のつもり?」「なんなら裸でするか?」などと言われ私はすぐに謝罪しましたが、許されるわけもなく着ている服を
全部脱ぎ罰のお尻叩きと外で3時間正座させられた後、朝まで裸で過ごしました。

毎朝、私は下着姿でラジオ体操と柔軟と筋トレをしました。3軍の他の2人はなぜかジャージが許可されていて、私は
かなり恥ずかしかったですが、3軍なので仕方がないと諦めて恥ずかしさに耐えていました。6時ぐらいになると他の
部の1年生の方々も朝練を始める人がいて私はいつも女子から全部脱げ等と言われパンツをズラされたこともありまし
たがパンツを直すと他の2人にサボったと私の指導員に報告されて厳しい罰を受けることになってしまうので私はお尻
とマ○コを晒したまま練習していました。男子からもかなり見られていたと思います。それから私が2年生になると3
軍は私一人になり、1年生の時以上に地獄でした。2年生になってからの話はまたいつかします。

7時になると先輩方(1軍、2軍の方)が部活にやってきます。気をつけで全員に挨拶をした後、指導員の元に行き体操
服とブルマを渡してもらいパンツを直す事ができます。それから指導員にユウカは特別にアヒル歩きでグランド15
周と言われました。続きは次回書きます。すいません。

 他の軍の人と、見た目にもはっきりわかる差をつけられてたのですね。
しかし、性器まで晒すことまで強要されるなんて、大変でしたね。


怜子さん(33)より 01/05

 
今から思うと、一年生から二年生になる春合宿の直前から、二年生の秋に四年生が引退するまでの半年位が精神的
に一番きつかったですね。もちろん、上の学年になるほどより年下の子からしごかれるわけですから、屈辱感も増す
し、周りも見せしめにする、晒し者にするという要素はいっそうきつくなりました。

 しかし、春合宿の直前の段階で、まだ正式に大学に入ってもいない、高等部出身の新一年生に抜かれたのは屈辱的
でした。二月から三月の練習状況や記録を見て、早くも新入生の中から春合宿からレギュラー、準レギュラー扱いと
なる子も出ます。

 一年に抜かれるということは、秋に四年生が引退してもレギュラーへの確率はより下がってしまいます。それに一
年間大学で練習した差が何もないということですから、翌年の一年生にも抜かれる可能性も出てきます。

 春合宿は一年生からも抜かれ、元後輩の同級生や先輩にもしごかれる惨めな姿を一年生の前で晒さざるを得ず、屈
辱感は何重にもありました。合宿が始まる前にも、教育係や先輩たちから、「よく合宿に参加する気になったよね」
とか「根性あるね」とか言われました。

そんな状況まで追い込まれたら、普通なら止めざるを得ないのでしょうね。
しかし、貴女は屈辱にも耐えきり、よく頑張られましたね。