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裕子&絵梨子のノート

 実家で心地良いブルマ姿の日常生活を楽しまれていた裕子さん。

しかし、いろいろな出来事があり、その生活 や人生は激変してしまいました。

 ブルマにまつわる学生の時の思い出や、現在の思いを綴られる裕子さんのノートで したが、2024年1月に天国へと旅立たれました 。

 投稿されていた裕子さんからこのノートは妹の絵理子さんに引き継がれました。


絵梨子さん(42)より 7/12

このノートは私の下の姉である裕子が20代のときに投稿を始めたようで、私にとって年が近く、実家マンション
で生活していた頃から同じ部屋で人生で一番長い時間をともにしたため家族の中でも特別な存在でした。ですが
このページを読んでいると姉はダメな人間だった、改善できるチャンスは何度もあったのに私に依存していたと
思ってしまう方が多いかもしれません。管理人様のコメントもそうしたものが多くあります。たしかに姉にいろ
いろ問題があったことは事実ですし、大量のお酒とたばこを消費する食べ放題、飲み放題、吸い放題の生活をし
ていなければ今も生きてくれていたかもしれないのにと思うことはあります。しかし姉の境遇を考えるとそうし
たことがあってもなぜこんな人生を送ることになってしまったのかとも思えます。私もブスですが、姉は私に比
べてもさらに容姿に恵まれず無駄に身長は高く、食べ放題の生活で体重もあり、そうなると男性からは全く性的
魅力がなくそのためにブルマ姿での生活をしていても男性と交際することはできず、視力を失った晩年に一度だ
け処女のまま人生を終えたくないという姉の気持ちを理解してくれた男性を抱くことができたようです。

姉は小学生までは体操着とブルマ以外の衣服はなく学校では裸足教育、中学に入ってセーラー服の制服を身に着
けられるようになりましたが制服は1着だけで体操着が基本の生活には変わりなく、3年になるころは制服がきつ
くなっていつも体操着に戻っていました。そして高校では厳しい校則のため、後半の高校生活は学校の中では裸
足でショーツ姿とにされるという今ではあり得ないような格好の女子高生をして、19歳で高校を卒業してからも
僅かな私服で下はブルマが基本、30代のときに実家の火事を起こして私服を燃やしてからは足を切断するまでの
10年間ビリビリに破れたブルマだけで生活し、状態の良いブルマを私に使わせてくれました。

もちろんその間には強盗事件を起こすという大きな過ちも姉をしてしまいました。しかしそうであっても男性に
触れることができず、30代になってからはだんだんボロになっていくブルマしか身に着けず、安い家賃の家を転
々とする生活をしていて、家の中では子供の頃から下半身に管をつながれて身体から出るものを処理しなければ
ならくなるまでは、ほぼショーツ姿、高校生の頃は学校の中で同級生や先生にもその姿をさらしていたというこ
とを考えますと姉はそこまで過酷な人生を与えられなれなければいけなかったのかと思えます。次も絶対に私に
姉に生まれてほしいですが一方でもっと幸せな人生であったほしいとも思えます。

本人でないと何が幸せな人生なのかはわかりませんよね。
周りからみると過酷な人生と思えても本人は精神的に幸せだったと思われていることもあるでしょう。
お姉さんも問題を意識し変わるチャンスは何度もあり、きっかけとなればとコメントしていましたが、
自らが選ばれた人生なのでしょうね。

※心のノートも永遠に続くことはありませんので、大切なお姉さんの投稿はデータをコピーするなど保管しておいてくださいね。


絵梨子さん(42)より  6/21

2人の姉は大人になってもマンションの敷地はもちろんの近くまではブルマで行く生活で、
私は小5で3LDKのマンションに引っ越してからは、ベランダに出るときさえブルマを嫌がっていて
運動会の日などブルマで登校するのも好きではなかったのですが、姉たちはそれを当たり前のこととして
受け入れていましたし、高校生になっても午後に体育があると体操着とブルマのまま帰ってくることも多かったです。

2人の姉はマンションでも〇〇家の陽子と裕子のブルマ姉妹として結構有名だったようです。
そしてそのマンションを失い姉妹3人でパチンコ店の寮からボロアパート、古い団地などを転々とする生活に
なってからはほぼブルマだけの生活で、そうなると私もブルマで外に出るのは嫌とは言えなくなりましたが、
パチンコ店の寮の中では姉たちはTシャツとショーツだけの恰好だったのですが、私はブルマを身に着けて
ほしいと言って自分のブルマを私のために回してくれ、姉たちは2着のブルマをホールに出るときなどに
ローテーションしていました。

上の姉のきつく食い込んできてハイレグ状に小型のブルマ、下の姉のゆったりと身体にフィットして短パンの
ようなシルエットにできる大型のブルマ、正直下の姉のブルマの方が好きでしたが、上の姉も私への愛情から
ブルマをくれたのですからもっと大切にすればよかった、ハイレグの食い込んでくるブルマでの生活で
(下の姉も自分の体型ではそうなりました)が姉たちの強さをつくっていったのかなと思います。

天国いる姉たちは今の私がブルマで生活していた方がいいのか、それとももっと女子らしい装いもしてほしいか
聞くことはできませんが、今の私は昔の姉たちのようにブルマで平気で街を歩くことができるようになりました。

家庭環境を考えお姉さん達は節約のためにもブルマ姿を続けるよう自分に言い聞かせていたのかもしれませんね。
本当は普通の女子としておしゃれもしたかったかもしれませんが、それは叶わぬことと思い
せめて貴女だけでもと考えていたかもしれませんね。


絵梨子さん(42)より  6/18

このノートは私の下の姉である裕子が20代のときに投稿を始めたようで、私にとって年が近く、実家マンションで
生活していた頃から同じ部屋で人生で一番長い時間をともにしたため家族の中でも特別な存在でした。
それに比べると上の姉である陽子のこともやはり大切な家族であることには変わりないので書いてみたいと思います。

私が生まれたとき姉は既に小学校の高学年になっていて記憶がある姉は中学3年になった頃の姿からです。
私や下の姉と違い中学校でもクラスの真ん中より少し下くらいの成績だったようで、高校も偏差値45くらいのところで
短大まで進学しましたが、下の姉も書いているように短大までずっとブルマの生活をしていて、中学の登校も普段は
体操着に素足で白い靴を履いていっていて、卒業式は制服のセーラー服でしたが普段は体操着での登校で着るのは
終業式などの行事の日と修学旅行のときくらいだったためか子どもの目にも新しさがあり、制服というのはそんなに
丈夫なのかと思いました。

その制服は妹である私たちのために親はとっておいたのですが体型の違いがありすぎ、結局下の姉も私も新しい制服を
買うことになりました。高校生になっても姉はやはり制服は1着だけで基本は半そでシャツとブルマの体操着で小学生に
なった私も同じスタイルでした。高校の体操着はシャツの名札部分がとても大きく、3年1組〇〇陽子と大きく名前が
書かれていたので、毎日通った銭湯などでもすぐに名前が覚えられ、住んでいたアパートはお風呂がなく物干し場なども
共用だったので私たち姉妹は体操着ブルマ姉妹としてよく知られていて、大人たちからは可愛がってもらえました。

上の姉の世代は女子高生ブームの前の時期でまだスカートはミニではなく膝上くらいの長さ、靴下は上の姉の高校では
履く生徒と履かない生徒が混じっていて、上の姉はいつも靴下を履かず素足での登校で、さすがに冬は体操着のまま
登校することはなかったですが、夏の間は家から半そでシャツとブルマの恰好で出ていくこともあり、私や下の姉の
同じ格好、小学校は裸足教育だったので当然靴を素足履きでそれが当たり前の生活でした。高校卒業後は就職するつもり
だったようですが、中卒の両親が長子である上の姉だけは進学してほしいということで、短大に行きました。

短大は当然制服はないのですが、生活指導は結構厳しく体育は指定の体操着ブルマで結構ハイレグでした。
上の姉は短大に入っても私服は1〜2着で毎日同じスカートで通学していましたが、高校生までの感覚で体育の後も体操着で
授業を受けていると同級生からは驚かれたようです。そのとき使用していた姉のブルマは私にとっては超ハイレグのミニサ
イズですが今の私の家にある唯一上の姉が遺してくれたものなので、下の姉の遺品である大型ブルマ同様大切にしていきたいです。

上のお姉さんも家計の事を考えてか質素な生活をされていたようですね。
それでも短大に行かせてもらえただけご両親に感謝されていたことでしょう。


絵梨子さん(42)より  5/22

私たち三姉妹は間違いなくブスと言われる顔で特に下の姉である裕子はなぜこんなに左右の目が
離れてるのかという能面のような顔で175pで120s以上ある巨体でした。

両親は男性に頼って生きることが絶対にできないと思っていたのか、下の姉裕子には非常に厳しく、
ブルマ姿が基本の生活をさせていたのは、体型から伸縮性のあるブルマが一番姉に適していたことと、
自立して生きていける強さを身に着けさせるためだったように思えます。

それに比べると末っ子の私は大切にしてもらえましたし、2人の姉がブルマでの生活が基本だったのに
私は何着も私服を買ってもらえ学校以外でのブルマは恥ずかしいと言っても理解してもらえました。
中学校卒業後はフリーターの生活でブルマは部屋着で中学校のものを身に着ける程度になり、家族5人で
住んでいた実家マンションで、私は下の姉と玄関の脇にある通路に面した部屋を共用していました。

窓を開けると通路から部屋の中が丸見えになり、私は部屋着として使っていた体操着のシャツと
ブルマの姿を見られるのが恥ずかしかったのに姉は家の中ではいつもTシャツとショーツの恰好で
部屋の窓を開けていても平気な様子でした。

姉は中学生の頃から「私は結婚は無理だけど絵梨子は素敵なお婿さんをみつけて」と言っていて、
姉は制服が1着だけで体操着が基本の生活をしていて、私が制服を夏用と冬用2着ずつ用意してもらえ
私服も数着あったのにそれを当たり前のものとして受け入れていました。

とはいえ私もブスであることには変わりなく、姉のような強さもなかったので、30代になり経済的な
理由で私もブルマ姿が基本の生活をするようになってからは、自分が男性から魅力を感じてもらえる点は
ブルマしかないのかなと思えます。

私は姉のような巨体でない(それでも160cm75kgなので小さくはありませんが)のですがやはり
パートナーを見つけるのは難しく、姉がいた間は絶対に姉のことも守ってくれる方をと思っていました。

姉が天国に行ってしまった今は姉の入院費などを少しずつ返しながら狭いアパートで生活し毎日カップめんを
買いたまの贅沢でコンビニのお弁当やストロングゼロも買え、着る物はブルマが伸縮性もあって動きやすく
下はこれが基本というのも10年以上続けてすっかり慣れてしまいましたので、生活面だけならばどうしても
結婚しなければいけないということはないのですが、家族がいない私のことを精神的に支えてくれる方ならよいな、
もちろん魅力を感じる理由がブルマでも精神面で守ってくれる方ならと思えます。

この世の中色々な夫婦が居ますよね。人はどんな所に魅かれるかわかりませんからね。
ブルマなどの外見だけでなくその人の持つ優しさや内面から滲み出す心地良さなど
癒される雰囲気に魅力を感じる人や、料理が上手な人を好きになる人もいます。
また精神面だけでなく身体の相性で惹かれ合う方もいますね。
本当にこの人ならと思える男性との出会いをみつけてくださいね。


絵梨子さん(42)より  4/17

私は美人かブスかと言われれば間違いなくブスですし2人の姉もそうでしたが、三姉妹の中では私が一番マシに
見えるのは事実でだからこそ両親も姉たちは結婚は無理だと思っていたので体操着が基本の生活をさせた一方で、
私は結婚や出産ができる可能性があると思ったから私服もそこそこ持っていて、制服で登下校し体操着のブルマは
体育の授業や掃除のとき、家の中にいるときだけという生活をさせてもらえたと思います。

なので身だしなみに気を遣った方が男子との出会いもという言葉はわかるのですが、やはり経済的に余裕がなく
アパートの家賃に加えて電気やガスも高くなっているので給料の半分は姉の最期の時期のためにした借金の返済なので、
それらを引くと手元に残るお金は3万円くらいなので食費だけであとは下着を買い替えるのが精いっぱいです。

また姉たちはブルマが基本の生活をしていて大人になってからもブルマを穿いての外出をしていたのに私は
実家マンションに住んでいた頃はベランダにブルマで出るのも恥ずかしい(隣の家とは柵で区切られただけの
ベランダでした)と言っていて、両親や姉たちもそのことを理解してくれていました。

旅立った家族は4人とも最後まで絵梨子は結婚を諦めないで、絵梨子のことを選んでくれる男子はきっといるからと
言ってくれとても大切にしてもらえました。一方で今の私にはその頃にはなかったのが姉のようなブルマを普通に
身に着けられる強さかもしれません。

このページにはブルマが好きな男子がパートナーという方でブルマで生活できる強さの方に魅力を感じてもらった
方がいいのか、あるいは昔のように姉たちが持っていなかった水色のブラウスにピンクの膝上スカートといった
女子らしいスタイルで勝負した方がいいのか、天国の姉たちは結婚できないまま旅立ちましたが私が結婚できたら
喜んでくれると思います。

上の姉陽子は長子ということで実家マンションでは自分の1人部屋がありましたし短大まで行かせてもらえただから、
両親が亡くなり三姉妹での余裕のない生活では私が妹たちを守ると言っていました、下の姉である裕子には両親は
厳しくそのためにとても大変な人生を歩いて一番姉妹の中で損な立場だったのに私のことを最後までかわいがってくれました。
私も結婚したい気持ちはありますが姉たちは天国では男性に触れることができる生活をしているのかな、今もブルマを
身に着けてそのことに魅力を感じてくれる男性がいるのかなと考えてしまいます。

貴女が結婚する家族の望みが叶うと良いですね。
まずは男性とのお付き合いがスタートしないと一歩前に進めませんよね。
待っているのではなく自ら積極的に出会いを求め色々な男性とお付き合いをし
この人ならと思える方と一緒になってくださいね。


絵梨子さん(41)より  4/5

今の私は清掃の仕事をしています。危険物などの資格はなく時給の高いところはできませんが、
あまり体力のない私でもやれるトイレやごみ捨て場の掃除を主にしています。
制服はピンクとグレーのパーカーだけでその中は私服という会社なので、上は長袖のTシャツ、下はブルマで
その上にパーカーをはおっています。派遣先は商業施設や工場が多いですが、学校のときもあります。

今の高校生は本物のブルマを見たことがないのか「あの掃除のおばさん紺色のショーツだけど
何であんな恰好してるの」という会話を聞いたこともあります。
生徒の体操着は膝上まであるハーフパンツで今はこれが当たり前なのか、ブルマと違い生徒たちは全く抵抗ない
様子で上はジャージ、下はハーフパンツで登校し帰宅までそのままで制服を着ない生徒もいるようです。

ブルマの私は生徒たちから「紺パンおばさん」と言われているようで、その通りだと思いますが、
小学生の大半と中学生の半分くらいの期間は学校の中では常にブルマ姿でしたが小5くらいになるとブルマは
恥ずかしいという気持ちが強くなってきて、罰として校内で体育や掃除のとき以外も常時ブルマでの生活をさせられ、
周りから「ブルブス」と言われいじめの標的になっていた中2の後半から中3までの経験が屈辱的だったために、
学校という空間にこれ以上いたくないと思いました。

その後の環境の変化などもあり経済的なこともあって私がブルマが基本のスタイルでの生活をするようになって
10年以上経ちますが、今は私服のブラウスとスカートを1着ずつで特別な日はこれを身に着け普段はブルマとなり
両親が生きていて実家マンションで生活していた頃の姉たちと同じスタイルです。

姉たちはその後ブルマだけの生活をし、下の姉裕子は晩年は足を切断され下半身裸で管をつなげて生きていましたが、
話ができるうちは私が自分のブルマを身に着けてそれを喜んでくれることが嬉しい、でも絵梨子にはブルマで
ないものも身に着けてほしいと言っていました。

ですので今後男子と交際できることがあれば、デートのときはブラウスとスカートかな、でもブルマに魅力を
感じてくれるかなと妄想してしまいます。でもやはり中学生のときブルブスだった私がと思いますが、、
ブルマを知らない世代の男子なら違う感じ方をしてくれるかもしれない、下の姉が処女を失って人生を
終えられたことを知り、私も処女のまま人生を終えたくないという気持ちがあります。

普段人目に付くところではブルマでなくジャージを履いて働くとか、
私生活でのブルマスタイルとは変化をつけるのが良いかもしれませんね。
可能であれば女性としての身だしなみに気をつけた方が男性との出会いのチャンスも増えるかもしれませんね。


絵梨子さん(41)より 3/14

私がブルマが基本のスタイルで生活するようになったのは両親が亡くなり実家マンションを失ってからで、
それまではブルマ姿でマンションの家の前の廊下に出ることも抵抗がありました。
2人の姉は平気でブルマで外出していましたが、私がブルマが恥ずかしいということを理解してくれ私だけが
私服を何着も持っていることにも不満を言うことはありませんでした。

マンションの玄関は狭かったので姉たちの履物はそれぞれ1足だけというルールで、下の姉はサンダルしか
なかったので冬でもサンダルを素足で履いていました。その時期の私は3〜4足の履物があり、一時は
ブーツも持っていて、冬場に下の姉と近所のコンビニに行く際、私は長袖ブラウスの上にジャケットで、
下はレザーのショーパンにブーツで、下の姉はトレーナーとブルマで素足にサンダルということもありました。
姉は私はブルマしか入る服がないから、私はブルマしか穿けない人間だからと言って旅立つまでずっとブルマ姿でした。

今の私は当時の姉のようにほぼブルマだけの生活ですが、体にフィットし動きやすいブルマは寒さに慣れれば
冬でも悪くないかな、私の私服もショーパンとミニスカが多く生足を出してましたからブルマも同じかなと
前向きに考えています。こうしたことが姉の強さだったのかなと思います。

このページに投稿されている方はブルマを「パートナーに喜んでもらえる」か「穿くのを強制されてはずかしかった」が
多いようで、私も学校でのブルマ生活は後者でしたが、今はブルマがこの世に登場した際の原点である
「強い女性の象徴」が姉のブルマだったのかなと思いますし、そうした姉の妹に生まれることができて、
姉妹の苦労や不幸をほとんど引き受けてくれた姉に感謝しています。

周りの環境などの変化でブルマへの思いも変わってくるものですね。
ブルマを通じて感謝の気持ちが芽生えることもあるのですね。


絵梨子さん(41)より 3/5

今の私はブルマで生活していますが姉たちに頼ることができた間はブルマが嫌いな女子でした。
小学校では体操着が制服のようなもので、普段は男女とも体操着に素足で靴を履いて登校し、
学校の中では裸足に体操着という決まりでした。姉たちは私服がなかったので学校以外に行くときも
体操着で、家の中ではブルマを脱いだ体操着のシャツとショーツの恰好で、ショーツも無地の安い物
しか身に着けませんでしたし、ブラジャーも小学生のうちは着けず胸の上に体操着のシャツを1枚で着ていました。

下の姉は6年生になると胸が膨らんできていましたが、特に気にする様子もなく走り回っていました。
中学生になって初めて下の姉が買ってもらったのも安物のスポーツブラでしたが、同時に5年生になった私にも
親はブラジャーを買ってくれ、ショップで好きなデザインのものを選んでいいと言われ、明らかに姉のより
高そうな触り心地のよいブラジャーを着けることができました。

私が6年生になったとききから6年の女子は体育のない日は体操着でなく私服での登校も可になり、
上は夏は2枚、冬は3枚まで下は膝上より短い丈のスカートやキュロット、短パンただしスカートのとき
中にブルマを穿くのは使用するのは禁止、またショーツやブラジャーは無地のものだけという決まりでした。

裸足教育も見直されこれも6年の女子だけは10p以内の長さの靴下を履いてもよいとなりましたが、
当時はハイソゾームで女児向けのミニソックスはあまりなかったのですが、下の姉は中学生になって2足買って
貰えた中学校指定の白のミニソックスを私に使わせてくれました。
下の姉も買ってもらえたミニソックスは2枚だけで、小学校に上履きはないので校舎の床をミニソックスで
直接踏んで歩くので、1日で黒くなってしまいますが、姉は絵梨子には靴下を履いてほしいからと言っていました。

私は5年生になってから急激に背が伸び体重も増えたので、それまで使用していた衣服は入らなくなり、
小学校の学販の体操着は最大サイズでもきつかったのですが、親が特注の体操着を3着買ってくれると言ったので
、体操着は2着でいいからと私服をねだって、私服のブラウスとセーター、ミニスカートを1着ずつ買ってもらいました。

とはいえスカートは1着だけですので、私服登校可の日にいつも着ることはできないのですが、そうした日でも
体操着ブルマでの登校をせず丈の長いTシャツをミニワンピのようにしてその上にセーターやトレーナーを着た
格好で学校に行っていました。

ただTシャツですからスカートとしてつくられた服と違いヒラヒラして風ですぐめくれますし、靴下を履いた
足元は裸足より滑りやすく廊下を走って転ぶと中のショーツが見えてしまいます。
小学校ではショーツは男子は白無地のブリーフ、女子は白か薄い色の無地のショーツで、男子はよく体操着の
短パンを没収されブリーフ姿になされる児童がいて6年生になるとそうした男子の姿にドキドキすることもありました。

私は学校に行くときは無地のショーツでしたが、それと別に好きなキャラクターのプリントショーツも持っていて、
休みの日に穿いていましたが、月曜日に寝坊してときは穿きかえるを忘れてプリントショーツのままTシャツを被
って学校に行ってしまうことがありました。転んでショーツが露わになっても1回目は説教だけで済みましたが、
2回目はその場でショーツを没収されてしまい、下校時に返してもえらえるまで、ミニワンピにしているTシャツの
中はノーパンだったことがあり、それを周りに気づかれないようにして1日過ごすのは大変で、
特に体育座りをするときは怖かったです。

その後も私服はミニスカートが多かった私は座るときにしっかり足を閉じる癖がつき、ブルマでの生活だった姉が
座るときに足を大きく開くのとは対照的でした。ですので今でもブルマのときも私は足をしっかり閉じようとします。

優しかったお姉さんの思い出が沢山あるようですね。
こうして昔の思い出を書いて投稿されることで少しずつ
気持ちの整理が出来るでしょうか。


絵梨子さん(41)より 2/28

いつもブルマで生活しているのは経済的な余裕がないということもありますが姉たちが使用していたブルマを
身に着けることで姉とつながっていたいという気持ち、また間違いなくブスと言われるような顔の私でもブル
マの足に興味をもってくれる男子がもしかしたらいるかもしれない、経済的なこともそうですが精神的にも中
卒で財産が全然ない41歳ブスの女子が1人で生きていくのは辛いというのがあります。

顔は無理でもブルマの生足に魅力を感じるキラキラ男子がいたら、私も女子に生まれた以上処女のまま人生を
終えたくないという気持ちがあります。姉たちは結婚しないで天国に行きましたからいただいたコメントを読
んで姉たちも私にパートナーができたらきっと喜んでくれるかなという思えるようになりました。

私は末っ子ということで親からも大切にしてもらえ両親がいて家族5人で実家マンションに住んでいた頃、姉た
ちは体操着が基本で制服が1着だけ、私服はなしだったのに、私は制服も夏冬2着ずつ買ってもらえ私服を買う
お金も親からもらえて休みの日の外出はほとんどが私服でした。姉たちは体操着での外出も多かったのに、
私はベランダにブルマで出るのも恥ずかしいと言っても家族はそのことを分かってくれていました。

経済的に厳しかった時期でも姉たちは絵梨子はブルマばかりはかないでと言ってくれ、下の姉裕子は自分のブ
ルマのうち一番状態のよいものを私にくれて、自分はビリビリに破れたブルマで半分以上お尻を出して外を歩
いていました。

ですのでパートナーもブルマ以外の服もとというのはあまりにわがまますぎないか、自分が男子にアピールで
きることもブルマ姿しかないのかなと思いますがそれ以外に男子が魅力を感じる私の良さが何かあるのか、少
なくとも姉のようなずっと裸足やショーツ姿での学校生活や大人になってから破れたブルマからお尻を出して
いても平気というな強さはないのにと思えます。ただ私服を持っていた頃でも膝より高いスカートやショート
パンツばかり穿いてストッキングで足を覆うことはほぼありませんでしたので寒い日の生足ならば抵抗ありま
せんが、寒い日に生足を出しているかわいい女子はたくさんいますからそれだけで男子に選んでもらうのは
やはり無理なのかなと思います。

第一印象として外見で判断されるということもあるでしょうが、
長く一緒にいて心が落ち着くような内面の魅力を人が好きになることもあります。
出会いを待つだけでなくも自ら出会いの場を求めて行動することも必要かもしれませんね。


絵梨子さん(41)より 2/22

今の生活は経済的に余裕がないですがやはり姉がいないということの方が辛いです。ただこのページのことを姉が
教えてくれたときはあと6か月と言われていたのに姉はそこから2年以上生きてくれその前半は私と話をすることが
できたのでその間に姉がいない生活を受け入れることができたところもあります。姉が視力を失って施設に入って
から私も正社員になれて姉もそのことを喜んでくれました。私は中学校を卒業してからずっとフリーターをしてい
ましたので確実にお金が入ってくる生活はそれだけでありがたく姉の最期までの入院などの費用も正社員になって
いたからカードローンなどで用意できました。今は給料の半分がそのローンの返済ですが、それでも手元に8万円く
らい残るので衣服を買う余裕はありませんがアパートの家賃と食費、光熱水費は払えます。

両親や上の姉の遺骨は他の方と粉状にして混ぜて樹木葬の墓地に入っていますが下の姉である裕子は家族の中でも
特別な存在で骨壺はまだ私のアパートにあり毎日その壺に話しかけていますがここに姉の写真も貼ろうと思います。
ただ実家マンションを失ってから住むところを転々としていたので昔の写真はいつの間にか多くをなくしてしまい、
安いスマホでも高画質が撮れるようになってからの姉の写真はたくさんありますが、どの写真も姉の服装が上は汚
れたスウェットかトレーナー、下はビリビリに破れたブルマが多くそうした中でも笑顔でポーズをとる姉の強さは
すごいですが、写真として見ているとどうしても私が姉にやれることはもっとあったのではないかと涙が止まらな
くなるので、姉の写真を印刷して壺に貼ろうと思いましたがやめにしました。

今の私は下の姉が使用していた大型ブルマと上の姉が使用していた小型ブルマの2枚で生活していますが、やはり
大型ブルマの方がお尻がはみ出しさないのでこちらをメインに使用し小型ブルマは休みの日に家のベランダに出る
ときに使っています。自分はビリビリに破れたブルマで生活して状態の良いブルマを私にくれた下の姉はやはり私
にとって特別な存在であり、ブルマ姿に性的な魅力はない私たち姉妹ですが姉の強さに魅力を感じてくれてパート
ナーに選びたいと思う男子がなんでいなかったのだろうと思うときはあります。

これまで心の支えだったお姉さんがいなくなったのは精神的に辛いですね。
お姉さんが長く元気で居られたのは貴女が心の整理をするには必要な期間でしたね。
正社員になり毎月の収入がきちんとあることは大切ですね。
安売り店やリサイクルショップもあるので厳しいかとは思いますが
たまには服なども買って身だしなみを整え気分転換もしてみてくださいね。


絵梨子さん(41)より 2/13

年明けに天国に行った下の姉には遺品がほとんどなく自分のものは最小限での生活をしていまたが、
その数少ない遺品が私が使用しているブルマです。
姉の体重が最も重かった時期はこのブルマでも半分以上ハミ尻の状態で生活に余裕がない中でも
巨大なお尻が見える状態で清掃のアルバイトをしていました。

姉は私にとってはこれが子供の頃から当たり前の恰好だったからと言って私の前では強がっていましたが
姉も女性として生まれたことには変わりなくこのページに投稿を始めたと思われる20代の頃はブルマ姿に
対する恥ずかしさもあったのが、実家マンションの火災、両親、そして上の姉の他界といった出来事があり、
私のことを守るために破れたブルマやサイズが合わなくなってハミ尻するブルマで生活していたのだと思います。

晩年に姉は私に一番状態のよいブルマを譲ってくれ、その上で絵梨子はブルマだけの生活はしないでと
言ってくれました。姉の長期間の入院費を多くの消費者金融やカードローンからの借り入れをしていましたので、
今の私は経済的に余裕がなく清掃の正社員とし働いていますが、給料の半分は借金の返済のために差し押さえられるので、
アパートの家賃と光熱水費を払うと食費がやっとの生活で、少しでもお金になりそうな私服も売りましたので、
今は上は換金できなかった穴の開いたスウェットや破れたセーターなどがありますが、下はスカートも売れたので、
姉が使用していたブルマだけで生活しています。
私の体型では姉のサイズのブルマは、ブルマといっても1分丈の短パンに近くふとももを全開にしないので、
姉の人生を考えればこれくらいで不満は言えないのかもしれません。

清掃の仕事では週に1度私立の女子高校にも行きますが、先日は素足で上履きを履いた生徒が3人歩いていて、
学校指定でない靴下を没収されたらしくその不満をずっと口にしていました。
そのときは私も作業用の布製シューズを素足で履き、上は清掃会社の灰色の制服、下はブルマだったのですが、
姉は下はショーツ1枚に裸足という恰好でこういった校舎の中を歩いていたのか、もしこの生徒たちがそうした罰を
言い渡されたらどうなるのかなと思い、姉がとても強い人間だったと改めて感じました。

お姉さんのためだったとはいえ経済的な負担は大変ですね。
なかなか気持ちにゆとりが出ないでしょうし、体調を崩さないよう仕事に励んでくださいね。
なんとかこの苦境を乗り越えられることを願っています。


絵梨子さん(41)より 2024/1/4

このページの投稿をしていた私の下の姉裕子は、新年を迎えた朝に天国に旅立ちました。
言葉を発することができた最後の時期はありがとうしか言わず最後まで私への感謝の気持ちで溢れ
この2年間は姉の身体が温かいことだけで日々の暮らしを頑張れました。

ただ3年以上前にあと半年の命と言われた姉は本当に頑張ったと思いますし、この期間があったから
姉のいない生活を受け入れていくことができたと思います。
もちろん姉に対してこういうことがしたかったという思いはたくさんあります。

人生のほとんどの期間ブルマで生活した姉は寝たきりになってからはずっと下半身裸で管をつながれて
生理や排せつをしていましたがそうなる前に一度くらいかわいい服を着てほしかったという思いもあります。
姉の写真はたくさんありその1枚1枚が私にとって大切なものですが、五体満足だったころの姉が全部ブルマ姿で
よかったのか、もちろんそれが姉の強さだったと思いますが姉も女子としてこの世に生まれた以上
かわいい恰好をしたいと思ったこともあったと思います。

私がこのページを知ったのは姉が視力を失い、両足を切断してブルマを穿くことがなくなり下半身裸で
その次に手の指を切断する少し前でした。姉は恥ずかしかったと思いますがもっと早くこのページを知って
いたらという後悔はあります。

ただ一番うれしかったのは私への感謝以上に、姉が一度とはいえ視力を失った後で男子の温かさを感じる
ことができたことです。上の姉は処女のまま旅立ちましたし、私もまだ処女です。
もちろん結婚や出産といったことを経験できた方がよいのは当たり前ですが現実的には難しいと思えた姉が
男子を抱くことができた、投稿を読むと姉の境遇に同情して姉の申し出を受けたのかもしれませんが
私は顔も名前も知らないその男性にも大変感謝します。

次に生まれるときは姉にはもっと幸せな人生を歩いてほしい、ブルマしか穿けない生活をしてほしくない
という思いもありますが、一番の願いは次に生まれてきても私の姉であってほしいということです。

このページで姉がしていた投稿だけ読むと姉はどうしようもない人間だと思えてしまう方もいるかもしれません。
もちろん姉が人生の中で何度も失敗してしまったのは事実ですが、小学生のときは裸足教育で1年中体操着の
シャツ1枚にブルマで裸足、高校生活の後半は校則違反や万引きの罰で裸足でショーツ姿、20代のときに万引きで
逮捕され半年間暖房のない拘置所で裸足にブルマの生活、30代になってたばこの不始末で火事を起こしそれ以降は
ずっとブルマしかない生活をし37歳で視力を失い、40歳で右足、41歳で左足、42歳で右手の指を失い身体が切り刻まれていく、
姉がなぜこんな目に遭う人生を与えられてしまったのか、私が守ることができなかったのかという後悔があります。

ですので姉の名誉のためにも私は今後もこのページの投稿を続けていきたいと思います。
3年間の姉の終末医療や施設の費用のために私も大きな借金を作ってしまいましたので衣服にかけられる
お金はほんの僅かですが、姉の遺品になったブルマは動きやすく丈夫で今の倉庫作業員のアルバイトを
する際にも適しています。
姉の服を密に着られることで姉が守ってくれているように思え、姉も両親や上の姉と4人で天国で今は
のんびりしているのか、夜空を見てあれが姉の星なのかなと思います。


裕子さんは安らかに天国に旅立たれたのですね。ご冥福をお祈り申し上げます。
姉妹思いの裕子さんが貴女に感謝されていたのは分かるような気がします。
裕子さんの投稿がこれからの暮らしを頑張る貴女の力の一つになると良いですね。


絵梨子さん(41)より 11/29

姉と私の人生で一番生活が厳しい状況にあったのは両親が亡くなりそれまでの3LDKのマンションを売却しなくては
いけなくなり、アルバイトをしていたパチンコ店の寮の4畳半を姉妹3人で使用していた時期です。
その前年に姉のたばこが原因での小火があり、僅かな私服を灰にしてしまった姉はそれ以降ブルマだけの生活でした。
そのときに私の服も多くが燃えてしまい、残ったスカートは1枚だけだったので私もそれまではベランダでもブルマは
恥ずかしいと感じていたのが、マンションの敷地の中くらいはブルマで出かけるようになりました。

姉はそのことが気になっていて、それ以降10年以上ずっと「私はブルマしか穿けない人間だから」と言ってブルマ以外に
ものを身につけていません。「ブルマしか穿けない」は、姉の体型ではサイズの合う服が非常に少なく、伸縮性の高い
ブルマが都合がよいこと、私の服を燃やしてしまった以上、自分はブルマで我慢するのが当然という両方の意味が
あったのかもしれません。もともと両親は姉には厳しく、姉は小学生のときは常に学校の体操着でしたし、中学や高校でも
制服は1着だけで体操着の方が基本でした。それに比べて私は親から大切にしてもらえ、両親が旅立った後も姉たちは
私のことを優先してくれました。

実家マンションを失い、ローンを返しきるために私の私服も数千円程度で全部換金し、姉妹3人とも数枚のTシャツとブルマ、
下着類が全財産という状態で、パチンコ店の寮に入れ住むことろがあるのが有り難い状態でしたが、店の制服は上だけで
巨体の下の姉はその制服も入らず、巨体で店の通路に引っかかってしまうためホールに入れずバックヤードの運搬やゴミ
処理、清掃をしていましたがその際も寒い時期でも半そでのTシャツとブルマだけで、寮に戻るとブルマが傷まないようにと
すぐに脱いで下着姿で生活していました。

私は小柄な上の姉とともに下がブルマの制服姿でホールに入っていましたが、上の姉はブルマが平気だったのに対し、
私はそれが恥ずかしく積極的に仕事ができなかったので、上の姉が店にお願いしてバックヤードに変えてもらい下の姉と
いっしょにゴミを運んだりトイレの掃除をしていました。そのときも姉たちは絵梨子にブルマしかない生活をさせて申し訳な
いと言っていました。
ですのでこれまでのコメントで姉が私に依存していると書かれているものがありますが、私の方が姉に依存していたと思います。

裕子さんは責任をとても感じて居られたのですね。
厳しい生活環境の中姉妹で支えあって過ごされていましたね。
その時々の事情を色々お聞きするからこそ、そうだったのかと理解出来ることもありますね。


絵梨子さん(41)より 11/2

今の私は下の姉の使用していたブルマを主に使っていますが1枚だけなのでずっと使用し続けることはできず、
月に3回くらい洗うときは上の姉が使用していた小型のブルマを使用しています。安い私服は多少持っていますが、
下の姉が生きているうちはできるだけブルマで生活したい、下の姉は子供の頃から人生の大半をブルマしか穿か
ない生活をしてきて、12年前に住んでいたマンションの火災以降は火事の原因が下の姉のたばこだったことから
「私はブルマしか穿けない人間だから」と言い続けて31歳以降は寝たきりになり下半身裸で管をつながれた状態に
なるまでの10年間、ずっとブルマだけで生活し続け、そのブルマも長年の使用で、ビリビリに破れていき、体型の
変化のためお尻が半分以上はみ出ている姿でも私の服の方を優先してくれました。今の私が使用しているのは、
その時期に1枚だけ姉が大切にしていたブルマです。

そうしたことは私が子供の頃から変わらず、小中学生の頃の私は姉が体操着ブルマが基本という生活で、私は私
服を複数持っているのが当たり前と思っていました。親も末っ子の私を大切にしてくれ、姉たちがブルマで私だけ
スカートという写真が何点もありその写真を見ると家族への感謝の気持ちでいっぱいになります。

一方で両親は下の姉は結婚は無理だろうから男性に頼らず生きられる強さを身に着けてほしいと思い、高校での
ショーツ姿や真冬でも裸足といった罰も受け入れさせたのだと思います。下の姉も私を選んでくれる男子はいない
から、私はブルマで生きていくからと言っていました。妹の私から見ると、ブルマからはみ出したお尻や子供の
頃から全部むき出しだった太い足ではなく、そうした姉の強さに惹かれる男子がいなかったのかなと思います
(目が見えなくなった姉を抱いてくれた男性がいたようで、下の姉が処女のまま人生を終えずに済んだことは妹の
私もその男性にとても感謝しています)

私も決してかわいい顔ではなく一生結婚せず処女のままの人生になると思いますが、両親や姉たちは私には結婚、
出産という経験をしてほしかったとも思え、もし私のブルマ姿に魅力を感じてくれる男子がいたらいいなという
気持ちも少しありますが、もし結婚できたら自分だけが姉たちよりずっと恵まれた人生を与えられることに申し
訳ない気持ちもあります。

お姉さんたちに申し訳ないと思わなくても大丈夫かと思います。
逆にもっと幸せになってくれることをご健在であればご両親やお姉さんたちは喜ばれると思います。
人が好きになるのは外見だけでないので、お姉さんへの優しい思いのように異性にも接していけば良いかと。
貴女の人生なのですからこれからの出会いの機会を大切にしてくださいね。


絵梨子さん(41)&裕子さん(43)より  8/23

今回も姉の書きかけの投稿、私を思う気持ちが溢れている投稿が残っていました。意識はなく会話ができなくて
も私にとってただ1人になった家族ですからずっと大切にしていきたいです。

(ここから姉の書いた文章)

裕子です。私の通っていた高校の校則は厳しく、高校生活の後半は学校の中ではショーツ姿で裸足の生活で自分が
したことに対す罰だったとはいえ、なぜ自分がこういうかっこをしてるのかと思ったことは何度もあります。妹が
中学卒業が近づいた時期に、私が卒業まで裸足とショーツ姿にされることが決まり、そのことがあって妹は私の高
校に進学したくなくなったのかなと思います。姉妹の生徒も何人かいましたが姉の校則違反で妹も連帯責任を取ら
されることもあり、妹にそうした思いをさせたくないという気持ちがあり、進学を勧めませんでした。私が受けた
校内で裸足にショーツ姿というのは最も重い罰であり、妹が入学すれば入学当初から裸足にされるかもしれない、
妹は中学校で真冬に1か月間裸足+ブルマ姿にされる罰を受けたことがあるようですが、高校生になっていた私は
妹を守ることができなかったのがつらかったです。ただ妹は私が当時はまだショーツ姿の罰を受ける前でしたが、
タバコで1週間停学になり停学中も毎日登校して授業を受けず、裸足に下はブルマになってで廊下でほうきを膝に挟
んでの正座をしていましたので、妹も裸足にブルマ姿が辛いとは言いにくかったかもしれません。

親も巨体で絶対に美人と言われない私はパートナーの男性を見つけてという生き方が難しいからショーツ姿を他の
生徒にさらすくらいの強さがなければいけないと思ったのかもしれませんが、末っ子で普通の結婚や出産といった
生活ができそうな妹は同じような思いをしてほしくないようでした。高校を卒業した後も私はブルマを穿くことが
多く、30代になってからはいつもブルマで外を歩く生活をしてきましたが、両親が亡くなり実家マンションを失って
からは妹も以前のような私服をいくつも持っていて何を身に着けるがを選べる生活からブルマが基本の生活になり、
姉の私がいくら絵梨子(妹の名前です)はかわいい服を身に着けてほしい、パートナーになってくれる男性を見つ
けてほしいと言っても、私が一番大事だからと言ってアパートの周りに洗濯干しやゴミ出しで私が裸足で行くと
「お姉ちゃんが裸足なのに私だけ履物は履けない」と言って裸足でついてくるので妹も随分強くなったという嬉し
さと同時に、女性としての幸せを求めるのを諦めてほしくないという気持ちもあります。

(姉の書いた文章ここまで)

これを読むと姉は私に結婚、出産という人生を歩いてほしかったのか、ただ私も決して美人ではないですし、
姉は違いを強調していますが姉妹なので大きな差はなくブルマで男性のアピールできるわけでもないので姉の
ような強さがない分さらに厳しいのかもしれません。

お姉さんの未投稿のデータが残っていたのですか。なんだか当時の元気だった裕子さんが戻って来たような錯覚になりました。
お姉さんの貴女への思いが文章に書かれていると良く伝わってきますね。


絵梨子さん(41)&裕子さん(43)より 6/27

今日、43歳の誕生日を迎えた下の姉裕子ですが私が投稿するようになって2年近く、話はできませんがまだ体は
温かく姉は本当に強い女性だったと実感し、そうであればその良さを理解してパートナーに選んでくれる男性が
いたら姉にはもっと幸せな人生があったのかなと思うことがあります。姉が書きかけでPCに残していた投稿はい
くつかあり、私も姉のことを考えると書くべきかどうか迷ったのですが、姉がしてしまったことを隠さずに伝え
ることで、姉が天国に行けるのあれば、私もそうですが非モテのブルマが男性を惹きつける魅力にならない女子
の気持ちを理解してほしいと思います。

(以下姉の書いた文章です)

裕子です。私はこれまで2度逮捕されたことがありそのうち1度はブルマで拘置所で生活して裁判を受けたことは
書いてきたとおりですが、それ以外にも過ちを犯してしまったことがあります。そのときからは長い時間が経ち
、目が見えなくなった私が同じことをすることはできませんので被害に遭ってしまった男子へのお詫びの気持ち
をこめて告白します。

私はこれまで男性経験がないのですが、一度だけ正しくない方法で男性に触れたことがあります。4年前の清掃
のアルバイトをしていた頃(絵梨子注、今から10年くらい前になると思います)普段は歩きで行ける現場か、電
車でも朝早い時間なのですがその日はたまたま遅めの時間に行くことになり朝のラッシュの時間に上はTシャツ1
枚、下はブルマの恰好で乗りました。まだ秋のはじめで長袖が半分いかない時期でしたが私の目の前に立った身
長165pくらいの線の細い優しそうな顔の美少年は私のブルマと大差ないような1分丈のショートパンツを穿いて
いました。私は思わずこの男子に今触れられるなと思ってしまい、カレのショートパンツの上からお尻をなでは
じめ、そのまま大切な部分まで手を伸ばしてしまいました。触っている間は私はとても快感でしたが10分足らず
のその時間が終わるときカレの瞳には涙が浮かんでいました。男子が女子にこのようなことをされても誰にも相
談することはできませんし、もしかしたら大きな心の傷を負わせてしまったかもしれません。一方で私はいつも
ブルマしか穿くものがなく体重が増えていた当時は高校生のときに特注で作ってもらった伸縮性の高いブルマで
もハミ尻状態でしたから女子のそういう姿は男子だって見たいんでしょ、触ってもらえれば嬉しいんでしょとい
う気持ちでしてしまったことを正当化していました。
(姉の文章ここまで)

妹の私からも被害に遭ってしまった男子には深くお詫び申し上げます。ですので姉のことを恨まないでほしいと
思うのは勝手なことでしょうか。姉のしたことは許されないと思いますが私もそうですがブルマ姿に男性が魅力
を感じてくれる女性になっていればと思います。

裕子さん元気に過ごされているようですね(^^) お誕生日おめでとうございます!
当時人としての自然な性の欲求を抑えられなかったのですね。
ここに懺悔の気持ちを告白することで少しでも気持ちが軽くなるといいですね。


絵梨子さん(41)より 6/7

上の姉は私と年が離れていて、上の姉が短大を卒業した時私が小学5年になったので、私から見ると親に近い存在でした。記憶があるのは上の姉が中学生の頃からですが、中学、高校の頃の姉は私服を持っておらず、靴下も履いていませんでした。上の姉が中学3年のとき私が小学1年でしたが小学校に通う私や下の姉と一緒に家を出ることが多く、小学校は体操着が事実上の制服だったので私は体操着のシャツとブルマで通学し、裸足教育の学校だったので白い靴を素足で履いて学校に行き、学校の中では裸足でした。上の姉が中学生だったころは中学校の裸足教育の延長のような感じで、靴下を履く生徒はおらず上履きも履く生徒と履かない生徒がいて、上の姉は上履きを買ってほしいと親に頼むこともなかったので、中学校でも裸足生活だったようです。下の姉のときは上履きは当たり前に履くようになりましたが、靴下は履かない生徒が多く、私の代から上履きや靴下を身に着けるのが当たり前になりました。また上の姉が持っていた制服は1着だけだったので、体操着で登校することも結構ありそうしたときは姉妹3人ともブルマでアパートから小学校と中学校の分かれ道まで10分くらいですが、いっしょに歩いていき、今からみればすごい光景だったと思いますがそれが姉妹にとっては当たり前のことでした。

その後上の姉は高校生になるとさすがに校内で裸足ではなく、高校の入学式の前日に真新しい上履きを嬉しそうに見ていたのを覚えていますが、高校でも靴下はなく、中学のときと同じような白い靴で登校し、校内では素足で上履きを履いていました。上の姉の高校の運動会には3度行きましたが(下の姉の高校は、偏差値の割に平和が売りの高校でしたから、行事は全部非公開でした)、小学生だった私は行くたびに周りの生徒にかわいがってもらえました。高校は裸足教育ではなかったのですが、運動会のときは1日中に裸足になるのは中学校と同じで、上の姉は体操着で登校し、競技や係の役割で1日中体操着のブルマで動き回り、椅子をグラウンドに出さず競技のとき以外は土のグラウンドに体育座りする高校でしたから、帰るときは姉の体操着は土まみれになっていて、私は見ているだけですから、ブルマのお尻以外は土がついてない体操着でした。

当時住んでいたアパートにお風呂がなく、運動会の帰りはそのまま銭湯に直行しましたが、土にまみれた体操着の上の姉は店員さんから注意を受けることもあり、そのときは私がはたきで姉の体操着の土を落としました。

当時はお風呂が無くて銭湯に行くのが普通の生活の一部だったのでしょうね。
今から思うとある意味楽しかった大切な思い出の一つかもしれませんね。


絵梨子さん(41)より 5/24

私には2人の姉がいてこのページへの投稿をしてきた下の姉とは歳が近くいろいろな思い出がありますが、
上の姉は10歳離れているので姉という感じと親という感じ両方があります。

今回はその上の姉のことを話したいと思います。私の記憶にある上の姉は中学校卒業が近い頃で、私や
下の姉より成績は少し良く、下の姉が行った生活指導の非常に厳しい女子校より1ランク上のところに行きました。

上の姉は中学生や高校生のとき制服は1着だけで、普段は数着持っていた体操着での生活でした。
高校の制服はブレザーで、上の姉は体操着の上に制服の丸襟ブラウスとブレザー、スカートを身につけ、ブラウ
スも1着だけなので洗濯するとき体操着のシャツの上に直接ブレザーを着ていました。

もちろん体操着はブルマでしたが角度はあまりきつくなく、自転車通学だったのですが高校から体操着で
帰ってくることが結構ありました。当時小学生だった私や下の姉は私服はなくいつも半そでシャツとブルマの
体操着でしたから上の姉も同じ格好なのは当たり前と思っているようでした。

この頃はお風呂のない2Kのアパートに住んでいて姉妹3人は同じ部屋で寝ていて(上の姉は自分専用の布団、
私と下の姉は同じ布団に2人で寝ていました)毎日銭湯に通っていました。そのときは上の姉も私に合わせて
体操着姿で、姉の高校のブルマは、小学校のと同様にお尻に名札があるタイプでしたから同じ苗字が書かれていて
姉妹と分かり、それを銭湯の脱衣場のカゴに入れていました。

上の姉も高校生のときまでは私服は持っておらず外出は学校の制服が基本でしたが、家の近所などは体操着ブルマの
ことが多かったです。ジャージは上だけあるという珍しい高校で冬場は、上はジャージ、下はブルマでの出かける
ことが多かったです。

上の姉は高校卒業後、短大に進学しましたが短大でも体育の制服は半そでシャツとブルマで、ブルマはお尻の
名札はない代わりにハイレグ度は中学のもの並みでしたが、上の姉は進学させてもらったから、それ以上わがままは
言えないと、やはり近所までの外出や銭湯にいくときは体操着を着ていました。

姉の短大卒業のときに3LDKのマンションに引っ越して銭湯通いは終わり上の姉は1人部屋になって布団を並べて
寝ることがなくなりそれ以降は下の姉に比べて少し遠い感じになりました。その21年後にマンションを失ってから、
ブルマしか穿くものがない環境で生きている間は私と下の姉を守ってくれた上の姉にとても感謝しています。

3姉妹と両親の生活では経済的なゆとりは無かったのでしょうね。
それでも家族5人で住んでいた頃が楽しく懐かしい思い出かもしれませんね。
子供の頃に苦労も経験していたからこそ、今の厳しさも何とか乗り越えていけるのかもしれませんね。


絵梨子さん(41)より 4/18

私の上履きを切った生徒は名前は大体わかっていますが証拠もなく、私も同じことをしたからということで先生
もまじめに相手にしてくれませんでした。そうした環境のために中学を卒業したら学校から解放されたいという
気持ちがありました。上履きを切られたのは雨の日で、午前中で短い白の靴下はドロドロになり、歩くたびに校
舎の床を汚すような状態になったので、先生から午後は靴下を脱いで裸足になるよう言われました。とはいえ姉
はいつも裸足で高校の校舎の中を歩いていて、姉が帰ってくると私がお湯を洗面器に用意していたのですが、私
も裸足だったときはいつも絵梨子が先に温まってと言ってくれました。

中学校で姉はハイレグのブルマでお尻が半分出ていて、それに比べれば私のブルマはきちんとお尻を覆ってくれ
ましたし、朝の体操、昼の体育の授業、放課後の清掃とブルマになることは多い学校だったので、校内で常時ブ
ルマ姿はそこまで厳しいものではなかったのかもしれません。姉は罰を受けてないときでも、中3になると制服
がきつくなって登下校のときも体操着のことが多く、私は罰を受けても登下校は制服を着れました。そうした
環境でも姉は絵梨子はちゃんとした格好をしてと言い、両親も私には私服も買ってくれるなど家族には大切にし
てもらったと感じています。姉が旅立つときをまだ十分に受け入れられませんが、これからの私は姉のブルマを
穿いて一人で生きていけるのかなと思います。

同じことをしても片方は罰を受け他方はおとがめなしとは理不尽ですが、
当時の教師はこのような事に目を背けていたのでしょうね。
いつかは気持ちを整理し自分の事を考えた人生を歩む日が訪れるのでしょうね。


絵梨子さん(41)より 4/17

中学生のときに私はクラス中でおそらく一番ブスだったのにクラスのヒーローだった男子にアタックして当然断
られそのことを逆恨みしてその男子の上履きを切ってしまい、それがバレた罰で冬場に1か月間裸足+卒業まで
校内では上はセーラー服で下はブルマの恰好(裸足期間の後は上履き・靴下可)にされました。

姉が高校で受けた罰が卒業までの1年半、校内では上はセーラー服で下はショーツ(卒業まで裸足)だったのに
比べればずっとマシだったのですが、姉は罰を受けている私のことをいつも心配してくれました。上履きを返し
てもらえた後しばらくして、私の上履きも切られてしまいました。その日は靴下だけで校舎の中を歩き、雨の日
だったので帰るときには白の短いソックスはほとんどの部分が黒くなっていました。その後すぐに親から新しい
上履きを買ってもらえました(両親は私には優しかったです)が、いじめグループの周囲の女子生徒からは「ブ
ルブスの絵梨子が新しいシューズなんて」と言われ(3年生になると使い続けて汚い上履きの生徒が多くなって
いました)何度も足を踏まれましたが、裸足や靴下だけの足に比べると踏まれてもずっとマシでした。

ただ何度も上履きを買いなおせないので新しい上履きは毎日家に持ち帰るようにしていましたので、持っていく
のを忘れてしまうときもあり、そうした日は学校指定の白の短い靴下で校舎の中を歩くことになります。もちろ
ん裸足に比べれば靴下があるだけよいのですがやはりトイレに入るのは抵抗があり、できる限り家でトイレを使
って水分もとらないようにしていました。裸足の罰を受けていた姉は平気で床が汚れたトイレを使っていたよう
で、そうした強さは本当に羨ましかったです。罰を受けていることの目印のためか白いスカーフを半分に切ると
いう決まりがあり、そのためか1年の女子でも私の足を踏む生徒がいて、今度新しい校則違反をしたら、スカー
トを焼却炉に入れ登下校時もブルマと言い渡されたのでやり返さず我慢するしかありませんでした。

またブルマも私の学年のものはローレグでしたが、姉の学年のはハイレグで少し動けばお尻がはみ出すもので、
「お姉ちゃんみたいにしたら」と言われブルマの裾をめくられてお尻を半分出すような格好にされることもあり
ました。ただブルマはいつも身に着けていて、体操着のシャツも下着としてセーラー服の中にいつも着ていたの
で切られることはありませんでした。

そうしたブルマ姿での中3の生活でしたが卒業式のときだけは、式のときもスカートを身に着けることができま
した。その後教室に戻るとスカートをブルマにはきかえ、自分がブルマを身に着けるのはこれが人生で最後にな
るのかな、でもこれで学校から解放されて、4月からはフリーターをやるんだなと思うと気分は良かったです。

その後さまざまな出来事があり、41歳になった私はブルマで生活しているのは不思議な感じもしますが、姉と違
い五体満足の身体でブルマ姿で歩くことができ、寝たきりの姉を守ることができるのに感謝しています。

貴女の上履きを切った子も、貴女と同じ罰を受けたのでしょうか。
陰湿ないじめを貴女も受けていたのですね。
子供の頃に貴女を守ってくれていたお姉さんに今は恩返しですね。


絵梨子さん(41)より 4/8

姉の高校の校則はとても厳しかったと思いますがそのために同じような偏差値の高校の中では圧倒的に平和と言
われていて、それで進学していった同級生はいました。私は姉がいる高校がいいかなと思うことはありましたが、
姉のほか、家族に生徒や卒業生がいる同級生の話を聞くと姉妹ということで連帯責任にされることもあるとい
うことで、既に校内では裸足での生活になっている姉がいれば自分も入学後すぐに裸足での生活をさせられるか
もしれないと思いました。

また中2の冬から、私は罰として校内では上はセーラー服で下はブルマの恰好でした。
もともとかわいくない顔で成績も最下位に近い私はスクールカーストの一番下の方で中1の頃は姉が守ってく
れましたが、当然中3のときは姉はいないですし、自分1人で自分のことを守るのは大変でした。

いつもブルマ姿だったので、1年生を含めて私のことを「ブル子」「ブルブス」と呼んでいて、中3の春の修学旅
行はその間ずっとブルマでないといけない(修学旅行中もずっと制服という校則の中学でした)その姿を観光地
で多くの人に見られたくないと思い欠席しました。

ですので当時の私は早くブルマから解放されたいと思っていて、姉の高校は登校するとまず体操着に着替えて
ラジオ体操があり体育の授業が週に3日あり放課後の掃除も体操着でブルマを穿くことが多い高校でしたので、
そのことも私が進学しないと決めた理由です。

今も高卒の学歴があった方がいいのかなと思うことはありますが、今している清掃の仕事は中卒の人も多くそこ
までのコンプレックスはありません。また清掃のときはブルマは動きやすいのでかえっていいかなと思えるよう
になったのは不思議ですが、姉の生きざまを見てきてそれに比べればこの歳で五体満足の身体の自分はずっと恵
まれていると思え、そこまで周りに見られることを気にしなくなったのが大きいと思います。

どこまで進学するかは人それぞれの考えや家庭の事情もあるようですね。
自分1人だけ屈辱的な扱いになり、当時思われていた事がわかるような気がします。
お姉さんを支え生活していくことで生き甲斐を感じておられるのでしょうね。


絵梨子さん(41)より 4/4

中学3年のとき私は校内では常にブルマで生活する罰を受けたので卒業アルバムの写真の多くは私は上はセーラ
ー服で下はブルマの恰好をしています。とはいえ同じ時期の姉は、高校で校内ではショーツ姿で裸足という罰を
受けていました。ただ高校でもさすがにショーツ姿の生徒が写った写真はアルバムに載せられないからか、卒業
アルバムには姉の写真が全くなく、高校だと別にお金を払って買うためか、姉は高校の卒業アルバムを買ってい
ません。

同じ時期に中学生だった私の方は裸足は最初の1か月だけでその後は上履きも靴下も使用できたのですが、やは
り登校してから下校するまでブルマで生活しなければならないことには抵抗がありました。一方の姉は高校で校
則破りを繰り返して高2のときから学校の中では裸足での生活が多くなり、その後さらに重い罰として、学校の
中ではショーツ姿にされていました。私は姉と違い冬の裸足だけでも我慢できず、上履きを返してもらえてから
中3の1年間は校内でブルマも恥ずかしいという気持ちがありました。姉の高校は少しの校則破り、それこそ靴
下を折ってなかったという理由で没収されて一定期間は素足上履き、その期間が重なって卒業の時期をオーバー
するとその分の期間は上履きも没収されて裸足で校舎の中を歩くで、姉は高2の春くらいから3年を2度やって、3
年間裸足で生活したようですが、私には絶対できないことです。

高校生活の2度目の3年生をやったときの姉はブルマを使用せず、その頃は私も中学を卒業してブルマは家の中で
身に着けるだけになっていました。私は中学卒業後は自分の成績で入れそうなところは姉の高校だけで、上のよ
うな理由で行きたくなかったので、フリーターをしてて私服も多少持っていたのですが、姉は私服がなく外出の
ときは高校の制服で、当時の流行にあわせてスカートを超ミニに切っていましたが、当時はそれでもブルマより
スカートの方がよかったのか、使用してない綺麗なブルマで外出することもありませんでした。その後の姉はそ
のブルマでの生活を続け、四半世紀経った今、そのときの姉のブルマは傷みが目立ちますが私が身につけていま
す。姉が穿くと完全にハミ尻していたブルマが私の体型だと短パンに近いものになるので今の私には恥ずかしい
という感覚はなく、少しだけですが姉のブルマだけでなく強さを身に着けられたというに思えます。

なかなか厳しく細かい校則ですね。校則違反をしない生徒もいるでしょうから、
その分違反すると風当たりも強かったのでしょうね。
お姉さんが着用していたブルマを身をまとうことで精神的に強くなれるようですね。


絵梨子(40)より 3/20

今は姉のブルマで生活している私ですが、小学6年のときから親に頼んで私服を買ってもらうようになり昔は10
着以上の私服があり外出するときは何を着ようか迷うこともありました。一方の姉は小学校を卒業するまでは学
校の体操着だけでブラジャーを着けず冬でもシャツ1枚、中学生になってからも制服は1着だけでやはり体操着
のブルマの方が多い生活で、校則の厳しい高校では入学して早々に裸足での生活になり、後半はブルマを身に着
けられずショーツ姿での学校生活、大人になっても私服は1着だけの時期やない時期も多く、そのことで私に不
満を言うこともありませんでした。

実家マンションの火事で私や姉の服が灰になり、それ以降12年間姉はずっとブルマだけで30代、40代を生活し
てきました。火災の後、両親が亡くなり、実家マンションを手放すことになりましたが姉は自分のタバコが原因
の火災でそのために安い値段でしか売れなかったことを悔いていて、その後の経済的に厳しい生活をしている間、
私はブルマしかはけない人間だからと言い続けていました。姉のブルマは長年の使用で破れ、ショーツを見せる
状態で外を歩くことが多かったのですが、私にはきちんとした服を着てほしいとずっと言ってくれ、視力を失っ
てからも私のことをずっと優先してくれたと思います。私たち姉妹は年金を払って来なかったので姉は障害年金
がなく私への負担をずっと心配して、視力を失ってから整体の仕事をしようと努力して、やっと少しそれでお金
が得られるようになったのに、その後足や手の指も失ってしまいました。

このページをずっと読んだ方は姉が飲み放題吸い放題の生活を長年続けたからこうなったと思う方もいるかもし
れませんが、そうであっても姉はこのような人生を与えられなければならなかったのか、私がもっと頑張れば
姉にももっと幸せな人生があったのかなと思えます。そうした中でわずかな期間整体の仕事をした間に、姉が勇
気をもってお客様の男性にお願いし男性の体の温かさを感じることができたのはとても嬉しいことです。せめて
姉が処女のまま人生を終えることはしてほしくないと思っていましたから。姉はずっと横になって私が話しかけ
ても声を出せませんが、あと数か月と言われてから2年以上、これだけ長く生きてくれたのはやはり体操着1枚
、裸足、ブルマ姿という生活をずっと続けてきた姉の強さだと思いますし、だから姉の人生であっても1度は男
性を与えられたのかなと思います。結果として姉は施設から追い出されましたが私はその男性に対してもとても
感謝しています。

そんなこともありましたね。
男性とのことはお姉さんにとっては大切な経験になったようですね。
今から思えば施設を出ることになっても必要な事だったのでしょうね。


絵梨子さん(40)より 1/28

私がしたことを考えれば罰を受けたのは当たり前と思いますが、真冬の裸足は(私が上履きを切られた男子も
同じ思いをしましたが)とても辛くなんでこんな目という思いがありました。
また髪形もそれまでの一つに束ねた(長い場合は束ねる決まりでした)セミロングを短いおかっぱにすることを言い渡されました。
処分が決まったときに

1:髪型はセミロングのまま、卒業まで裸足、校内では下ブルマ
2:卒業まで髪型は短いおかっぱ、1か月間裸足+下ブルマ、それ以降卒業までは裸足でスカート可
3:卒業まで髪型は短いおかっぱ、1か月間裸足+下ブルマ、それ以降卒業までは校内では下ブルマ、上履き・靴下使用可

から選べと言われ、髪形にはそこまでこだわりはなかったので、1は選ばず、2と3は1か月経つまでにどちらかを選べと言われました。

そして真冬の裸足はこれ以上耐えられなかったので迷わず私は3を選びました。
裸足にされたことや、女子の間のヒーローの男子に手を出したことで、私はスクールカーストの一番下になり、
裸足の間何度も足を踏まれました。1年のときと違って守ってくれる姉は学校にいませんが、家に帰れば同じ部屋を
使う姉は守ってあげられなくてごめんと言うばかりでした。

1か月後裸足から解放されたかったので迷わず、スカートよりも履物を選び、それ以降ずっと学校の中では
ブルマで生活することになりました。掃除と体育のときはみんなブルマになり、午後に体育があるとそのままブルマの生徒が
私の学年では多く(姉の代はブルマがハイレグだったので姉以外にはあまりいませんでした)裸足を選ぶよりずっと良かったと思います。

逆に私が裸足から解放される頃から姉はずっと高校で裸足生活だったようで、姉から見ればたった1か月かもしれませんが、
高校の厳しさを思うと私は進学しなくてもいいかなと思うようになりました。ただ中学校は共学なので女子には優しいところがあり、
先生からもこれが男女逆なら男子は丸刈りにされてずっと下着姿での生活だと言われましたし、姉も高校生活の後半は裸足に
加えて下はショーツ姿でしたから、やはり女子校は嫌だなという気持ちになりました。

昔は体罰が当たり前のように行われていて、貴女に厳しい体罰を与えないと反省しないと思われていたのかもしれませんね。
その時の状況から選択された処分も自然な流れですね。


絵梨子さん(40)より 1/23 

このページでは姉が反省の意味をこめて自分の恥ずかしい経歴の話をずっと書いてきていますが
たとえ間違ってしまってもそのことを反省できるのは姉のすばらしさだと思います。
姉は私のマイナスな部分は決して書いてなく姉が私に依存するだけのダメな人間に見えてしまう方も
いるかと思います。しかし私にも姉のような経験はあり、その結果として罰を受けたこともあります。

私も姉と同じように決して男子ウケしない非モテですし、顔も100%ブスと言われるでしょうが
男子と仲良くしたい、男子の体に触れてみたいという気持ちは美人の方と全く同じです。
中2の冬にクラスで一番のイケメンモテ男子に対してアプローチしたことがあるのですが、
当然断られてしまいそのことを逆恨みした私はカレの給食にホッチキスの針を入れる、上履きのゴムを
切るといったことをしてしまいました。

上履きを失ったカレは真冬の校舎を靴下で歩いていてとても寒そうでしたが、体操着の股下5pの短パン
(ジャージの下がない中学なので掃除のときはいつもこの格好です)で、靴下が濡れると嫌だからと靴下を
脱ぎ裸足になってとても冷たそうに拭き掃除をするカレの姿にドキッとしてしまいました。

その後当然学級会になりはじめはやっていないとウソを言ってしまったのですが、結局同級生が見てた
ことでバレてしまい、その罰として上履き・靴下を焼却炉で処分し新しいものは1か月使用禁止でその間は
校内で裸足生活、卒業まで校内ではスカート禁止でブルマ姿を言い渡されました。

小5までは裸足教育で、小6のときも靴下だけだったのですが、中学校の床は日当たりが悪いためか
タイルが違うのか小学校よりずっと冷たく、真冬に毎日裸足での生活は地獄でした。
もちろん悪いのは私ですが、カレが先生に対して私が裸足で歩いているのを見るのが辛い許してあげて
ほしいと言ってるのを見ました。それに対して先生が「そう思えるのは素晴らしいことだけど絵梨子は
したことの罰は受けないといけない優しいだけだとこれから生きづらいよ」と答えていました。

両親も私に対しては優しく裸足の期間が終わったらよく頑張ったねと言って新しい上履きを買ってもらえたの
ですが(姉には厳しかったです)裸足の生活で姉のような巨体でない私はスクールカーストの最下位になり、
中学を卒業するまで厳しい環境での学校生活になりました。
こうした思いをしたくない、自分の成績で行ける公立校が姉のとこだけで、そこでは靴下の長さが2p長すぎる
という理由で裸足にされるということから、私は高校に進学しない選択をしました。
一方カレの方は成績もよかったので私立の進学校に行きました、

中3になっても校内ではブルマだったので、ブルマを穿くことがずっと多くなったのですが、姉の代と違い
ローレグだったので、午後に体育があると掃除の時間までずっとブルマの生徒も多く、運動会の練習期間は
男女とも校内では体操着なので次第に抵抗はなくなりました。

私自身の体も大きくなってきて(160cm、75kgの今と同じ体型になりました)、ブルマがきつく
なってきていたので、親に新しいブルマを3枚買ってもらいました。1年間しか使用しなかったブルマなので、
3枚とも状態はよく部屋着として長く使い続けることができました。こうして考えると私はカレや両親、
姉など多くの方の優しさを受けてずっと生きてきたんだなと感じます。

逆恨みしてもやって良い事と悪い事の分別が当時は出来なかったようですね。
みんな気付いていなくても誰かの優しさを受けているものかもしれませんね。
そんな気持ちを他の人にも向けられるようになれましたか。

 


絵梨子さん(40)より 2023/1/11

一昨年の秋に投稿できない体になった姉からこのページを受け継ぎましたがそのとき
あと数か月と言われた姉は今年もまだ生きてくれています。
声が出せなくなるまで私に負担をかけていないということを心配していましたが、
今の私は姉が生きていてくれることに感謝しています。

正直姉の入院費とアパートの家賃を引くと手元に残るお金はわずかですが食費は
何とかなりますし(入院費はかかりますが、姉の食費がありませんので)、、
着るものは、姉が使用していたブルマがあるのでこれだけで十分と思えるようになりました。

姉がこれまで書いてきたように、姉にとってのブルマはこのページで他の女性が体験で書いてるような、
男性に対して自分の体を魅力的にみせるものではなく巨体の体型でも伸縮してお尻や大切な部分を覆ってくれ、
つくりもとても丈夫なので姉にとっては下はブルマがベストなのかと今は思えます。

私の方が親から大切にしてもらえ、姉は小学生のときは半そでシャツとブルマの体操服だけの生活、
中学・高校も基本は体操服で制服は1着だけ、大人になってからはわずかな私服はありましたが、
普段着はブルマが中心で、12年前に火事で服を燃やしてしまってからはずっとブルマの生活をしてきました。

そうした環境でも、私がブルマで外に出るのが恥ずかしいということを理解してくれた姉には感謝の
気持ちしかありません。
姉が足を切断するし下半身に管をつながれた生活になる少し前に、私が姉に新しい服をと思ったときも
私にとってはブルマが一番いいからと言った姉に、アダルトグッズの通販で見つけたブルマをプレゼント
できたのですが、これも今は私が使用しています。
私も経済的に余裕がないので、姉のようにブルマがあれば十分と思えるようになれ、姉の人生を支えて
きたブルマを身につけられる方が高いブランドの服を身に着けるより幸せと感じられます。

幸せの感じ方は人それぞれですが、他人から見て些細な事でも幸せと感じられるのは良いことですね。
お姉さんにはもっともっと元気に過ごしていただき、いつまでも貴女の心の支えとなっていただきたいですね。


絵梨子さん(40)より 12/6

姉の通っていた高校は生活指導が非常に厳しく姉が書いているように私が入学する学年がピークだったようです。
そうしたこともあって、私も高校に進学してまた何をやっているのかわからない3年間退屈な授業を聞く
ためにだけに学校に行くのはという気持ちがありました。またこれまで姉は書いていなかった
(私のことを思ってです)ことで、私は生まれつき顔に大きなアザがあり、そのために左目がほとんど見えません。

そのため親からは姉たちよりずっと大切にしてもらえましたが、学校ではいじめに遭いやすく、姉が守って
くれることが多かったのですが、高校では既にショーツ姿で裸足という非常に厳しい罰を受けている姉が
私を守るために何かやれば、それで全裸にされるなどさらに厳しい罰を受けるのではないか、また姉妹の
生徒だと連帯責任にされることがあり、姉の話では、姉妹そろって裸足にされた生徒がいたそうです。

高校の中では巨体でショーツ姿で校内を歩き、授業の時以外は廊下で正座させられてた姉はどの生徒で
も知られていたようで、その妹であれば生徒指導でも特に厳しい可能性がありましたし、そうでなくても
靴下が1p長いという理由で没収され、それが何回もやれば上履きも取られて裸足での校内生活というのは
私にはできる自信がありませんでした。もしかしたら入学直後から姉の連帯責任で裸足にされるかと思えました。

中学に入ってからは上履きと靴下がある生活が当たり前で、一度中学でも暴力行為(いじめに対して姉と
いっしょにやり返したときです)で姉妹で1週間、上セーラー服下ブルマでの登下校、上履き・靴下禁止で
裸足で校内生活という罰を受けたことがあるのですが、姉は平気な様子でしたが、私は冬の廊下を裸足で
歩くのは我慢できず、高校でまた同じ思いをしたくありませんでした。

また私が15歳のころから家計は赤字だったようで、マンションのローン返済も遅れている様子があり私
が目的なく進学してさらに親に負担をかけたくない、普通に就職は無理でもフリーターをやってお小遣い
くらいは自分で稼いだ方がいいという思いもありました。そのため中学のクラスでは私1人だけ進学しな
いことに決めました。

家庭の事情だけでなく、他にもいろいろ考えられて進学の道を止められたのですね。
人それぞれの考えや生き方があり、自分を決めた道を進むのは大切なことですね。

 


絵梨子さん(40)より 10/22 

中学生の間はハミ尻してしまうハイレグブルマでの生活だった姉ですが、高校生になると学校指定の
ブルマはローレグのものになりました。
中学に入るとき同様、基本は体操着での生活ということで、体操着を多めに用意し、制服は上が夏服と
冬服1着ずつ、下のスカートは夏用のものだけ1着買っていました。

もちろん、特注の制服は高く、体操着はそれより安いからというのはあったからだと思いますが。
姉の高校は、ベストやセーターなどはもともとなく、ダサいデザインのセーラー服で偏差値が一番低い
ところでしたので、受験では人気がなかったのですが、制服には普通の体型であればあまりお金の
かからないと言われていました。

当時は女子高生ブームの頃で姉もそうした気持ちがあったようで、入学式の前に、私に制服スカートを
短く切ってほしいと頼まれました。姉は裁縫や料理といったことは全くできないので私がやってきたの
ですが(ただ姉が一方的に私に依存していたのではなく、それ以上のものを姉から貰えたと思っています)、
当時の雑誌の記事を頼りにハサミを使って短くしていったのですが、私もさほど裁縫は上手ではないので、
何度かやり直すうちに、完全に切りすぎというレベルになり、姉の体型だと股下3cmくらいになりました。

姉はこのくらいの方がいけてる感じがするかと文句を言わず、夏用の薄い生地の超ミニスカで高校生活を
することになりましたが、生活指導が厳しい高校で行事のときは下はブルマにさせられていたようで、
そのブルセラスタイルのまま帰ってくることもありました。

姉の成績で公立で入れるのはここだけということで選んだ高校でしたが、姉が書いてきたように生活指導が
非常に厳しく(そのために同じ偏差値の高校よりずっと平和と言われていましたが)、女子校なので、校内で
ショーツ姿にさせられる罰もあり、姉は高校生活の後半、ずっとショーツ姿での生活でしたが、姉はこのスカートなら
ショーツだけでもあんまり変わらないからと言っていて、私にはとてもできないなと思いました。

またショーツ姿にされる前、2年生になってからは靴下と上履きの使用が禁止され、校舎の中では裸足での生活で
したが、裸足は小学校で慣れてるから気にしないという感じで、そうした姿でもスクールカーストの下に落ちな
かったのは姉の強さですが、私は無理と思い、3年の成績で姉の高校以外は合格の可能性がないと知ったときに
高校進学をしないことを決めました。

今では考えられない事でしょうが当時は色々厳しい罰があったようですね。
人それぞれの事情がありますよね。
貴女が高校進学をしないと決めた事をご家族はどう受け止めていたのでしょうね。


絵梨子さん(40)より 10/19 

前回の姉が書いた文を読みますと姉は自分が巨体で特注の制服が必要だったから私の方が衣服に関して
恵まれているのが当たり前と思っていたようで、そうした気持ちだった姉には本当に感謝しています。
中学生のとき、姉の使用していたブルマはハイレグでお尻に名札があるタイプだったのですが、
私の代からはローレグで名札もついていないものになりました。
そうしたことから1年生のときは先輩たちのハミケツしない方が珍しいハイレグブルマやばいよね、
私達は普通のブルマ穿けてよかったとクラスメイトと話していて、生徒会でも2,3年からは1年が
穿くようなローレグのにしてほしいという意見が出てました。

そうした中で姉は中学に入ってから身長が大きく伸び体重も増えたので制服がきつくなってしまい、
ただでさえハイレグのブルマはTバックのような状態になってました。親は制服は高いからという理由で、
体操着だけ体型に合わせた特注を姉に用意したので、姉は体操着で登下校することが多くなりました。

体型に合ったといっても私が穿いていたようなローレグのブルマではなく、ハイレグ型で名札付きの
タイプでやはりハミケツはありましたが、姉はそれを気にする様子もなく、同じ部屋で登校の準備を
するときも私がセーラー服を着て靴下をはいてるのに、姉は下着の上に体操着のシャツとブルマを
身に着けただけで素足で靴をはきいっしょにマンションの部屋を出て学校に行っていました。

私たちの代はブルマがローレグになったので体育のあった日など、体操着ブルマ姿のまま下校する生徒が
何人かいたのですが、私はやはり学校の外でブルマには抵抗があり校外マラソンも少し恥ずかしいと感じました。
2,3年の女子はブルマがハイレグなのでブルマで登下校する生徒は姉だけで、同級生からは絵梨子の
お姉ちゃん凄くない?と言われることがありました。

姉は私服もなく、中3のときは休日の外出もほぼ体操着でしたが、私に対しては絵梨子にはきちんと
した格好をしてほしい、ブルマは体育と掃除のときだけでいいと言ってくれました。
そうした意味では私の方が姉に甘えていたのかもしれません。

姉が中学のときのブルマを高校進学のときに処分したのはやはりハイレグすぎるのは、姉の精神力でも
恥ずかしいと思うとこがあったからでしょうか。高校に入ってからはローレグの新しいブルマが姉の普段着になって、
20年以上姉はそれを使用し、今はそのうちの1着を私が日常的に身に着けています。
私の体型では姉のブルマはブルマというより1分丈のスパッツのようになりますの今は全く抵抗なく身に着けることができます。

こうして妹さんの立場からお姉さんのお話を聞くと、本当にお姉さんは家族思いだったことが良く伝わってきますね。
本当はおしゃれとかしたかったかもしれませんが、家庭の経済的なことをよくわかっておられて我慢されたのでしょうね。


絵梨子さん(40)より  10/9

先日姉から(私と話ができる状態です)、このページに目が見えたころに一部だけ書いて、
投稿せずに書き溜めていたものがあると聞き、そのパスワードを教えてもらえましたので、
完成していない文章ですがそちらも投稿してみたいと思います。
私にとっても姉の気持ちを読むことができるのはとても生きる励みになりますので

(ここから姉の書いた文章です)
裕子です。今回は中学生の頃の生徒手帳が見つかりそのメモに書いてあったことを参考に書いてみます。

私が中学生になり、新しい制服や体操服を買うことになりましたが、私の体型では当然特注品になるので
どうしても値段が高く家計に負担をかけてしまいます。
ですのでセーターやジャージ(もともと上だけで下は年中ブルマで体育をする学校でした)ブラウスなどは
買ってもらえませんでした。

ただ値段を考えれば、私の場合、セーラー服上(夏用冬用各3万)、スカート(3万)だけで9万円、それに
体操着のシャツが3千円、ブルマが4千円でそれぞれ4着ずつなので2万8千円、靴下2足で2千円で合計で
12万円もかかったことになります。

妹は特注にしなくてもよかったのでセーラー服(夏用冬用各1万5千×2=6万円、体操着はシャツとブルマが
各2千円で2着ずつなので8千円、ブラウスは1着3千円で長袖・半袖を2着ずつで1万2千円、セーターとジャージの
上は1着ずつで両方とも6千円、それに靴下5足で3千円ですから合計で9万5千円ですから私の方が衣服にはお金を
かけてもらっていたことになります。

もちろん私が特注が必要な巨体なのが理由で、これまで書いた通り中学生の間にさらに横に大きくなったために
3年になる頃は制服がきつく、体操着で登校することが多くなりましたがもともとハイレグのブルマで、普通の体型の
生徒でもハミ尻を気にするくらいだったので、入学した時から20s以上体重が増えていた私が穿くと完全にお尻が
出てしまう状態でさすがに恥ずかしかったですが、中学を卒業するまでと思い我慢していました。
(姉が書いたのはここまで)

姉が中3のとき私は中1で、一緒に登下校していましたが、私は制服で中にブラウスを着ていたのに姉は制服が
1着だけで中は体操服でしたが、5月くらいからは体操服のまま登下校することが多かったです。
体操服のブルマ自体、姉の代のものはハイレグでしたが、私の代からはローレグになっていて、1年だけ羨ましいと
いう上級生が多かったです。

それなのに、私はブルマで外を歩くのは恥ずかしいと言っていました。姉は自分はお尻を出しているブルマなのに、
絵梨子にはちゃんとした格好をしてほしいからと、そうした私の気持ちを理解してくれましたし姉といっしょにいれば、
姉の巨体や目つきの悪さで不良女子は絶対近寄らないので私も安心できました。
この頃は姉に守ってもっていましたが、当時から私にもローレグの姉からすれば羨ましいブルマで外を普通に歩ける
くらいの精神力があったらよかったのにと思います。

書きかけでも代わりに投稿され、お姉さんの文章が懐かしい感じもしますね。
当時のお姉さんの考えていた事や思っていたことが文章から伝わってきますね。

 


絵梨子さん(40)より  6/14

中学生のときの私は学校の体育の授業や掃除のときしかブルマを身に着けることがない生活で、
部活動や校外マラソンでブルマで学校の外に出るのが恥ずかしいと思っていました。
中学校ではジャージは上しかなったので、体育や掃除のときは冬でも下はブルマになる学校で、
ジャージの下がある他の中学がうらやましいと思ったこともありました。
特に月に1回の大掃除の日と運動会の前は2週間は上はジャージ、下はブルマでの登下校で多くの
女子は不満があったようです。
小学校は体操着が制服のようなもので、一年中半そでシャツとブルマでの登下校でしたが、私の学年から、
6年生は体育のない日は私服可になっていたので、中学生になってもという気持ちがあったかもしれません。

私は末っ子ということで親に大切にしてもらえ、中学校に入るときに制服のセーラー服は夏用と冬用2着ずつ、
スクールセーターとベストに、白のショートソックス4足、長袖ジャージと体操着2組を買ってもらえ、
さらに私服も3〜4着程度あったので、姉たちに比べるとずっと服に関しては恵まれていました。

私が1年のとき3年生だった姉は3年になっていましたが、姉は中学に入るとき制服は夏用と冬用のセーラーを
上は1着ずつ、下は夏用のスカートを1着だけで、それを冬もはいていました。またセーターやベスト、
ジャージなどは買ってもらえず、あとは体操着だけでした。
中学に入るとき最大のサイズのものを買ってもらえましたが、それでも中1の途中できつくなり、
お尻がはみ出す状態で、2年のときに特注で2着作ってもらい、それ以降はきつくなったセーラー服より
体操着を着ることが多くなりました。3年になって一緒に中学に行くようになると、私はセーラー服でも
姉は体操着ということが多かったのですが、姉はそのことに全く不満がない様子で、絵梨子はきちんとした
服装をしてほしいからと言ってくれました。

姉は学校指定のショートソックスもあまり持っておらず(足のサイズが大きいので私のものではかかとが
きれいに入りません)素足で靴をはくことが結構ありました。運動会は裸足でやる学校で運動会前2週間は、
全生徒靴下と上履きの使用禁止になり、校舎の中を裸足で歩きましたが姉にとっては他の生徒との差が
小さくなるので嬉しい時期だったのかもしれません。

お姉さん達より末っ子の貴女には少しでも不自由を感じさせたくないご両親のご苦労がうかがえますね。
経済的に厳しいなか制服の予備なども買ってもらえて良かったですね。


絵梨子さん(40)より 5/20

 姉は想像以上の生命力を見せてくれ私と話をすることもできますし、スプーンをにぎっての食事もできる状態で、
姉の好きな和菓子をこっそり差し入れて食べてもらうこともあります。

その姉が使用し続けたブルマを今は私が穿いていますが、昔のような恥ずかしさを感じないのは私が姉の強さを
受け継ぐことができたからなのかなと思います。ただブルマは20年前までは10代女子の当たり前の衣服でしたが、
姉が高校生活の後半で受けた、学校の中ではスカートもブルマも着ることができず、上はセーラー服を着ていましたが、
下はショーツ1枚でというのは、姉がいくら万引きや喫煙、その他校則違反を繰り返し、女子校だったといっても
やはり厳しすぎるように思えます。

姉はこの罰を受けることになるまでは、ショーツの状態をあまり気にすることもなく、破れがあるものや生理の
シミがついたものを普通に身に着けていましたが、人の目に触れるようになる以上、できるだけ姉にはきれいな
ショーツをはいてもらいたいと思い、姉は家事ができないので私がショーツの漂白やシミ抜きをやっていました。
20年以上前のことでも、姉はきちんと覚えていて話をするとこういったことへの感謝を口にしてくれるのが嬉しいです。

 私が高校に行かなかったのは、入れそうな公立校が姉の出身校だけで、あまりにも厳しい校則に我慢してまでと
思ったのが理由ですが、そこでショーツ姿にされても学校生活を楽しんで、ショーツにはされなくても裸足に
された多くの生徒のリーダーになっていた姉の強さはすごいと思います。

  
絵梨子さんが居たからこそお姉さんが強くなれた部分もあるかもしれませんね。
お姉さんは身体が不自由でも精神面はしっかりされているようですね。
大切な姉妹の時間を少しでも多く過ごしてくださいね。


絵梨子さん(40)より 4/16

昨年の秋にあと数か月しか生きられないと言われた姉ですが、姉の体はまだ温かくまだ私と話をすること
ができます。37歳で視力を失い、40歳で足を切断し、手の指も半分は壊死して切り落としました。今は残
った膝から上の下半身は管をつながれている状態ですが、姉が生きていることがとても嬉しいです。上の
姉は40歳で天国に旅立ったので、下の姉は自分が大量のお酒とたばこを消費する生活をその年齢を超えて
生きられたことが申し訳ないと言いますが、そうであれば、2人の姉に頼る生活をしてきたのに、五体満足
で40歳を迎えた私は、姉たちの分までこれから努力をしないといけないと思います。

姉たちは両親が亡くなってから経済的に厳しい状況でずっとブルマで生活していたのに、私にはきちんと
した服を着てほしいと言ってくれましたし、大人になるまでは姉たちは体操着が基本で、あとは制服1着で
の生活だったのに、私は私服を10着近く持っているという生活で、実家マンションのベランダに体操着ブ
ルマ姿で出るのが恥ずかしいと言うことが許される環境でした。

今は下の姉が使用してきたブルマのうち、私にくれた状態の良い方をおもに穿いていますが、昨日は姉が
最後まで使用した状態の悪い、ビリビリに破れた方を思い切って身に着けて、外に出てみました。サイズ
は私の体型だと1分丈スパッツのようになるのは、状態が良い方と同じですが破れているので、どうしても
ショーツは見えてしまいます。元気だったころの姉は自分はこういう恰好しか許されない人間だからと言
っていました。姉が高校生活の後半は学校の中でショーツ姿だったことも、それを受け入れて学校生活を
楽しんだことはこのページに書かれていますが、こうしたことを受け入れられる姉の強さが私はとても羨
ましいです。

絵梨子さんお誕生日おめでとう。
裕子さんはお元気なんだね。
足や指、視力は失ったかもしれないけれど、お話は出来るほどしっかりされているようですね(^^)
コロナで面会出来ないかもしれませんが、沢山お話ししてくださいね。
そしてお姉さん達の強さを引き継いでくださいね。


絵梨子さん(39)より 3/27


このページの姉以外の投稿を拝見しますとブルマは男性にとって女性の体を魅力的に見せるもの、その魅力で
パートナーに恵まれている方が多く、顔がかわいくなく、これまで男性とお付き合いした経験がない私や
(顔はよく似ていて切れ長の鋭い離れた目で色黒の肌なので、中途半端に体が大きい私はいじめに遭うことも多く、
超巨体の姉が私を守ってくれました)姉からするととても羨ましいのですが、動きやすい、脱ぎ着しやすいのも
ブルマのメリットだと感じます。

もちろん姉のように大幅に体重が増えても伸縮性があるのでハミ尻はしても着られなくなることはないのも
経済的に余裕がない環境では大切でしたし、改めて姉の投稿を読み返しますとそれを強く感じます。
私の視点では、お尻がはみ出した姿で外を歩く姉の姿はみすぼらしく、そうした環境でも絵梨子にはきちんと
した服を着てほしい、ブルマ姿なら私の特大のなら短パンに近い感じになるからと言って自分が破れたブルマを
はいて、私に状態の良いブルマを使わせてくれました。

姉がこのページに投稿をはじめたのは13年前のようで、私と姉は実家マンションの同じ部屋でフリーター生活をしていました。
当時からベランダ(夜はブルマをはかずショーツ姿で出ていました)やマンションの敷地、近くのコンビニやスーパーなどにも
姉はブルマで行っていましたが、私の方はブルマは家の中だけで、ベランダに出るのもブルマは少し恥ずかしいなと感じていました。

その頃から姉は絵梨子にはきちんとした服を着てほしいからと言って、当時の部屋はマンションの通路に面していて窓を開けると
通路から丸見えだったのですが、換気などで窓を開けるときは、窓開けるけど絵梨子はブルマで大丈夫と声をかけ、私が恥ずかしい
からお姉ちゃんのとこに隠れるね(二段ベッドは窓に沿うようにおいていたので上段が私のスペースで、その部分に窓があり姉が
使用していた下段は窓より下なので見えません)と返していました。

その後で上から見ると姉がブルマをサッと穿くとブルマの巨大なお尻を突き出すようにして窓を開けていました。

13年前でしたか・・・この間貴女達を取り巻く環境はいろいろ変わりましたね。
変わらなかったのは姉妹愛というのか妹思いのお姉さんの気持ちかもしれませんね。
裕子さんとは違う視点での絵梨子さんの投稿でそれが良くわかりますね。


絵梨子さん(39)より 3/19

私の持っているブルマは3枚で、上の姉が短大で使用していたもの、下の姉があまり穿かずに状態の良いもの、
下の姉が長年普段着として使用してボロボロになったものです。上の姉は160pくらいの身長でどちらかといえば
細い体型だったので、166p85sの私が着ると完全にお尻がはみ出してしまい、体に食いこんでくる感じですので
あまり穿くことはありません。一方下の姉は175pで高校生のときは105kgくらいでしたので、特注の大型ブルマで、
ハイレグ度も低いので私が穿くとブルマと短パンの中間のような感じになります。

そのため今は下の姉が使用していたブルマを身に着けています。もちろんどちらの姉も大切な家族ですが、両親
合わせて5人で実家マンションで生活していた時期も、下の姉と同じ部屋を使っていて年も近いので昔から私と下の
姉は特に仲がよかったです。

ブルマはこのページでも恥ずかしいものと思っている方が多く、私も昔は恥ずかしい、いつもブルマだった小学生の
頃は初めてスカートを身に着けたときが嬉しかったですし、中学校を卒業してから実家マンションを失うまではブル
マで家の外に出ることもほぼありませんでした。家の中では中学生のときのブルマを穿きましたが、姉たちと違って
私服も10着以上持っていたので傷んできたブルマは捨てていったので、30歳くらいで自分のブルマはありませんでした。

しかし姉の投稿を見返して考えてみると、ブルマは動きやすさという点ではとても優れていますし、目が見えなくても
自分で脱ぎ喜しやすい、伸縮性があるので体型の変化にも対応しやすいという点で十分メリットがあると感じます。

学校で売られるものは結構丈夫で10年くらいは普通に使えますし、下の姉が使っていたボロボロになった方も、20年
以上下の姉の巨大なお尻を覆って、体重が高校時代より30s以上増えてもハミ尻はしても服として機能しましたし、
上の姉の服もブルマでなければ私が身に着けることはできません。ですのでこれからは姉たちの3枚のブルマを大切に
使えばその分衣服にかかるお金は節約でき、多くない私のバイト代で姉の入所費を払うこともできそうです。

節約生活を続ける中でそんなに長持ちするブルマは部屋着として助かる存在ですね。
お姉さんを支えながらで経済的にも厳しいかもしれませんが体調崩さないよう過ごしてくださいね。


絵梨子さん(39)より 3/8

小学生のころは子どもが真冬に裸足なのは当たり前と思っていて姉は小学校を卒業するまで
ブラジャーを着けず(はじめてブラジャーは姉と私は同じときでした)体操着のシャツ1枚でしたから、
それに比べるとブラの上に冬は3枚まで着れるのはずいぶん恵まれていたと思います。

6年生になってはじめのうちは、丈の長いTシャツをワンピースのように着て、その上にトレーナーなどを
着ていましたがその後スカートやショートパンツも親に買ってもらえました。

中学生になるときも、姉は買ってもらえたのがセーラー服と体操着だけで、
セーラー服も夏用と冬用1着ずつでスカートは夏冬兼用だったので1枚だけで
外出用の私服もなかったので、学校以外では体操着で出かけることが多かったです。

中学生の間に姉は結構背が伸びて体重も増えたのですが、特注のセーラー服は高いからか
買い替えてもらえず、体操着なら特注でシャツとブルマを2枚ずつ買っても7千円くらい
(セーラー服は特注だと上下で3万近くするそうです)だったので、そちらだけ買い替えて
もらい、学校の中でも体操着のことが多かったです。

それに比べると私は、中学生になったときはセーラー服を夏用と冬用2着ずつ用意してもらえ
汚しても体操着で登校しなくてよかったですし、希望する生徒だけが買うセーターや
ピーコート、長袖ジャージ(ジャージは上だけで下は1年中ブルマの中学でした)なども親は買ってくれました。

姉と違い特注を買わなくてもよい体型でお金がかからないからと言われましたが
やはり末っ子の私は親に大切にしてもらえましたし、姉はそれを当たり前と受け止めて
両親が健在で実家マンションで生活していた頃、自分がブルマでも私がブルマで外を
歩きたくないという気持ちをわかってくれましたしその後経済的に厳しい状況になって、
姉がいつも破れたブルマでお尻がはみ出た格好でも、絵梨子はお尻を出さない恰好をしてほしいと
状態のよいブルマを私に使わせてくれました。
ですので、以前の投稿にあるように姉が私に依存するだけという生活では決してありませんでした。

お姉さんたちよりは衣服にあまり苦労が無かったようで、末っ子の方が大切にされていたのですね。
自分達より妹へと妹思いのお姉さんですね。


絵梨子さん(39)より 2/11

私の通っていた小学校は児童は体操着と裸足のスタイルで2人の姉は
小学校を卒業するまで私服を持たずどこに行くときも
体操着のシャツとブルマでしたが、私が6年生になるときから
女子は体育のない日は体操着でなく私服も可になりました。

私服の場合上はブラを別にして、4月から11月は2枚、12月から3月は3枚まで
下は膝上より短い丈のスカートやキュロット、ショーパンなどという決まりでした。
ただし下着としてブルマを使用するのは禁止でした。

また靴下も女子は10p以内の長さのものは使用できるようになりました。
ただしもともと裸足教育の学校だったので上履きはありません。
はじめのうちはそれでも体操着に裸足の女子が多かったのですが
だんだんと私服組が増えていき、秋には体操着で登下校する女子はクラスに3人だけに
なっていました。

私は体操着から解放されたのが嬉しくて、はじめは姉が部屋着で使用していたTシャツ
(姉の体型に合ったものなので私が着るとミニのワンピースになりました)や
トレーナー、それに姉の中学指定の白のミニソックスをはいて小学校に行きました。

それまでの体操着とブルマで、裸足から姉のものを借りたとはいえ初めての私服登校は
大人に近づいた気分で、白の体操着シャツ1枚に短パンの男子は女子がうらやましかったかもしれません。
ただ、校舎の床は靴下だと裸足より滑りやすく、下はTシャツ素材のワンピースなので、
初日は何度か転んでしまい、そのたびにショーツ丸見えになってしまい、男子にからかわれました。

ブルマならそうしたことを気にせずに足を大きく開けるので、その点はブルマの方がよかったのかも
しれませんが中のブルマ禁止は、そこまでOKにすると男子と不公平すぎるからだったようです。
男子は結構罰として短パンを没収されて、下を白ブリーフ姿にされることがあったのに対し
女子はショーツ姿にされることはありませんでした(姉の行った高校は女子校だったので女子でも
ショーツ姿にされる罰があったようですが)

足教育は冬には結構厳しいものですね。
裸足だけでなく着るものも制限があるとは寒くて辛くなかったのでしょうか。


絵梨子さん(39)より 1/25

私達姉妹が両親が亡くなってそれまで住んでいた実家マンションを失い、
上の姉がアルバイトをしていたパチンコ店の寮に住んでいた時期、
姉が私がハミパン状態のピチピチブルマで生活していたのがかわいそうと書いています。

そのときは私のスカートやキュロットも1枚500円程度で古着屋に売って生活費に足しにして
ブルマしかない生活をすることになり、パチンコ店で仕事をするときも、中学校の体操着の上に
店のパーカーを着ていて、みじめな思いをしました。

しかしそのときでも、2人の姉は寮の中では裸足にショーツ姿で
ブルマを共用していた上の姉は、少しでもブルマが傷まないように
寮から出るときだけはくけれど、私にはきちんと身につけてほしいと言ってくれました。

下の姉は、ここに書いてあるとおり高校生活の後半はショーツ姿で
学校の中を歩いていたので、寮の床は学校と違って冷たくないから平気と言っていて
共有スペースのソファに座るときなども、大きく足を開いていましたが
上の姉はショーツ姿には抵抗があるのか、シャツを引っ張って足を閉じていました。

寮の入っている女の子の半分くらいは共有スペースでもショーツ姿でしたが
やはり下の姉のように堂々としているのは少数派で、
白いショーツで覆われた巨大なお尻がとてもたのもしく見えました。
またスリッパは希望する寮の入居者だけが買うのですが、
2人の姉は私たちは裸足でいいと、1足だけ買って私が使っていました。

そうした姉たちの姿を見ていると私もブルマ姿がみじめだなんて言ってられないなと
思えるようになっていきました。

今の姉は裸足の生活を支えた足を切り落とされ、残った下半身は管をつながれて
排泄物や生理を処理しているので、今後ショーツを身に着けることはないと思いますが
上半身はきちんと動き、私と会話もできるので、少しでも長く生きてほしいと思います。

その時の境遇を乗り越えて行くことで人は強くなれるのかもしれませんね、
裕子さんの身体は不自由になられたかもしれませんが、意思疎通が普通に出来るのは良いですね。


絵梨子さん(39)より 1/11

上の姉は姉妹の中で一番体が小さく、私が中学生になる頃から
姉妹3人でいると末っ子に間違われることが多かったのですが
中身はとてもしっかりしていました。

裁判では被告の家族は1人証言ができるのですが、上の姉が
前の日の夜にブルマ姿で証言をすることを決めました。
裕子がブルマで暖房なしの拘置所で生活をしているのだから
私はその気持ちを共有したいと、雪が舞う寒い日でしたが
半そでのブラウスのすそをブルマの中に入れ、素足にサンダル履きで
証言をしていました。その中で、妹(私にとっては姉)に対する思い
いかに素晴らしい人間かを話し、自分も姉と同じ思いをしなくてはいけない
だから今日はブルマで来た、私も妹と同じように
罰を受けなくてはいけないと思っていると話していて
その間下の姉はずっと泣いていました。
上の姉が使用していた短大のブルマはサイズが小さめで、
上の姉の体型でもお尻が少しはみ出していましたが、その後ろ姿はとても力強いものでした。

その頃の私は、その場にブルマで行く勇気はなく
短パンに、靴下をはいたスタイルでしたが、
上の姉は裕子が自由になるまではブルマしかはかないと決めて
その後も1か月以上ブルマで外出する生活をしていました

一番上のお姉さんは特に家族への思いが深い方だったようですね。
そんなお姉さんの言葉や態度を見れば、下のお姉さんも自然と反省しやり直す気持ちを固められたことでしょうね。


絵梨子さん(39)より 2022/1/5

姉はあとわずかの余命と言われていますが新しい年を迎えることができました。

このノートにあるとおり姉は24歳のときに万引きをして傷害事件を起こし
半年間、拘置所に閉じこめられることになり、姉が施設に入るまでの間で
唯一私が姉と生活できなかった時間です。
その間は姉と共用していた実家マンションの部屋がとてもさびしく広く感じられ、
連絡も手紙のやりとりと週に1回、30分の面会だけでした。
もちろん姉のしたことは、きちんと責任を取らなければいけないこととわかっていましたが、
1枚しか持っていないスカートを証拠品として押収されてしまい、ずっとブルマをはいての生活、
さらに捕まるときに激しく抵抗をしたこと、姉の体のサイズが大きいことから危険犯扱いを
受けて、真冬の暖房のない拘置所で靴下や履物の使用を許されない生活をしているのことに
私はなぜ姉がこんな目に遭っているのかと思いました。
もちろんその間は姉の好きなお酒やたばこも許されず、食事も姉にとっては少なすぎで、
面会に行くたびに痩せていくのがわかりました。姉はそのことを前向きにとらえていましたが
厳しい環境に耐えることができたのはやはり姉の強さだと思います。

裁判のときだけは履物のサンダルを与えてもらえましたが、雪の降る日に素足でサンダルを履いて、
高校のときのブルマを身に着け、上は汚いトレーナーの姉はみすぼらしかったです。
上の姉は証人として出たのですが、その際上の姉は、あえて短大の体育で使用して
部屋着にしていたブルマを身に着け、上も半袖のブラウスをブルマのすそに入れて
裁判に行きました。そのことを質問されると、妹の気持ちを共有し、私も同じように反省したいから
この格好で来たと答えました。その意味で上の姉もとても強い女子だったといえ、
どうしてもブルマで行くことができず、ショートパンツとフリースで裁判に行った私は
2人の姉のようにはなれなかったのかもしれません。

新年明けましておめでとう。
お姉さんには新しい年も少しでも長く元気で居て欲しいですね。
そんなお姉さんとの思い出も尽きないですね。


絵梨子さん(39)より 12/21

このページを読まれた方の中には姉はどうしようもない人間だと思ってしまう方が
いらっしゃる方がいるかもしれません。もちろん、大量のお酒やたばこのために
自分のアルバイトの給料の多くを使い切ってしまう生活を改めてほしいと思うことはありましたが
やはり大切な姉であることには変わりありませんし、姉の長身や精神力はあこがれでした。
175pの長身と鋭い目つきは姉にとっては嬉しくなかったのでしょうが
そのおかげで子どものころから、私をいじめから守ってくれました。

高校で校則違反を繰り返した罰として退学を免れる代わりに
校内ではショーツ姿に裸足で生活させられていた姉ですが
1年間そうした生活に耐えられる女子は多くないと思います。
姉にはこのことが恥ずかしい経験ではなく、寒さや冷たさに耐えることが
できた精神力の強さとして誇りに思ってほしいです。

そうした精神力があるから、両親が亡くなり余裕のない生活をしてきた中でも
ずっと姉はブルマで頑張ってこられたと思いますし、このページの初めの頃
私がブルマを恥ずかしがると書いていますが、姉が旅立つまでに
私も姉のような強い女子になりたいと思います。

ですので、今はブルマが恥ずかしいという思いよりは
姉を長年守ってきたブルマを身に着けられることに嬉しさを感じます。

ご家族ならではの思いが溢れた投稿ですね。
お姉さんには少しでも元気になっていただき、1日でもより長く姉妹の時間を過ごせるといいですね。


絵梨子さん(39)より 12/18

私は姉と違い、人生のほとんどの期間をブルマで生活していたのではありません。
小学校は体操着が制服のようになっていて、2人の姉は6年間私服を持たず、
学校に行くときだけでなく、外に出るときは半そでシャツとブルマでしたが、
私が6年生になるときからは、高学年の女子だけは体育がない日は体操着以外も可になりました。
やはり共学だと女子に優しい部分があって、一部丈スパッツのように白の短パンの男子が少しかわいそうでした。
まだスカートは持っていなかったので、初めての私服登校は、丈の長いTシャツを
ワンピースのようにして、その上にトレーナーを着て、下はTシャツの中は当然ショーツだけでしたが
風が強い日で、Tシャツのすそがヒラヒラめくれてしまい、学校の中でもブルマなら平気で座れ
(毎日の朝礼は体育館で体育座りします)たのがパンチラしないか気になってしまい落ち着きませんでした。

体操着は家に置いたままで、ブルマがあったらとそのときは思いましたが、一方で
ブルマ以外のものを身に着けたいという気持ちもあり、しばらくは私服登校できる日は
Tシャツをワンピース代わりにしていました。このくらいの年齢の女子なら
多くの方がかわいい服を着たいと思うのかもしれませんが、結果として
ずっとブルマ生活だった姉より親に負担をかけていたと思いますが
やはり末っ子なので、2人の姉より親も私には甘かったのかもしれません。

その後誕生日に親にスカートを買ってもらえたので
それ以降は小学校卒業までスカートをはくことが多くなりました。
卒業式のときは女子のほとんどは既にできている中学校の制服スカートをはいていたと思います。
私の中学生のときのブルマの思い出は次回お話ししたいと思います。

お姉さんたちと違い私服を着て登校されていたようですね。
ご両親も末っ子の貴女にはお下がりの服などではなく新しい服を着せたかったのかもしれませんね。


絵梨子さん(39)より 12/10 

姉がこれまでのページで何度か話していますが私は中卒です。
私くらいの年齢で高校に通った経験がないのは珍しく(中学校で
進学しなかったのはクラスで私だけでした)少し恥ずかしいのですが、
もともと成績が悪く(特に数学・理科・社会はいつも学年最下位に近い成績でした)
これ以上学校に行ってよくわからない授業を受けたくなかったこと、
また私の成績で入れそうな高校は姉が通っていた女子校か、
あとは少し遠い私立校でこちらですと学費と定期代がかかり家計の負担が大きいので
できれば避けたかったです。

その女子校は姉が書いているとおり非常に生活指導が厳しく、
そのために偏差値の割に奇跡的に平和な学校といわれることがあったそうですが
当時、姉は学校の中でショーツ姿に裸足になる罰を受けていて、
そこまでではなくても、毎日のように靴下没収になる生徒がいるというような高校に
入ってまで高卒になることにこだわるのはと思いました。
姉はとても強い人間なので、毎日素足で靴を履いてマンションの玄関を出ていき
学校に着くと靴とスカートを脱いで、正座や掃除をして、夕方に冷え切った足で
帰ってきても平気な様子でしたが、私は姉のためにいつもお湯を用意して
帰ってきたらすぐに足を温められるようにしていました。

それぞれの家庭事情もありますからね。
自分の人生ですから学校へ行かない選択肢もあるのでしょうね。
お湯を用意してあげるなど本当にお姉さん想いですね。


裕子さんの妹 絵梨子さん(39)より 11/18

はじめまして、絵梨子といいます。
このページに書き込みをしてきた裕子の妹です。
姉は長くてあと数か月の命と言われており、先日、終末期の病院に入りました。
自力で立ち上がることが困難になり、家にいれば私がいつも介助しなければならない、
一方で施設に入るにもお金がかかることに姉はとても悩んでいた様子で、私が、お金の
ことは心配しないで決めてほしいと伝え、姉はホスピスで残りの人生を送ることを決めました。

そして私と話ができるうちにということで、このページのことを教えてくれました。
私に直接は言いにくかったであろう私や先に旅立った家族に対する感謝の気持ちが
溢れていることにとても感激しました。
姉は自分がダメな人間だったと繰り返し書いていますが私にとっては自慢の姉であり、
姉の家族に生まれることができて本当によかったと思います。

私も働いていたパチンコ店が閉店になり、今はubereatsの配達をしていますが、
姉のホスピスの費用のために、私の衣服のうち数百円でもお金になりそうな衣服は
メルカリなどで売ったので、姉が使用してたブルマをいつもはいています。

私は姉に比べて体が小さいので、昔の姉がお尻をはみ出してはいていたブルマも、
私が身に着けると短パンに近いスタイルです。
ですのでいつも、お尻がはみ出すブルマしかない生活をしていた姉に比べれば、
一分丈のスパッツに近いスタイルで同じブルマをはける私は我慢しなければいけない
ですし、姉の汗や涙がしみこんだブルマを身に着けることで姉とつながっている気分になります。

姉の人生の誇りがしみこんだブルマを大切にはいていこうと思います。


裕子さんはこれまで心のノートへの投稿を妹さんには話してなかったのですね。
改めてお姉さんの投稿を読まれて本当のお姉さんの気持ちが伝わったようですね。
1日でも長く大切な姉妹の時を過ごしてくださいね。
裕子さんが投稿を直接出来なくても、投稿されたいことがあれば代筆してあげてくださいね。
今日からこのノートは裕子&絵梨子のノートとさせていただきますね(^^)


裕子さん(41)より 9/7

裕子です。
左足の感覚がほとんどなく、右足を切断しているので
腕の力だけで何とか少しの距離を移動して、トイレだけは何とか自力でできるように
していますが、それ以外のことはほぼ全部妹に世話をしてもらっている状態です。

今の家は、6畳くらいのワンルームで、トイレはお風呂や洗面台といっしょになっていますので
今の状態では自力で便器に座ることはできないことが多いのですが、そのまま床に出してしまっても
シャワーで洗い流せます。

そうした状態ですので、ここ最近はショーツを身に着けず下半身裸で生活していたのですが
妹がショーツは身に着けてほしい、裕子お姉ちゃんは女の子だからお尻を出しての生活はしないで
ほしいと言われ、妹がいるときはショーツを身に着けてトイレがしたくなったときは脱がせてもらっています。

左足がただの重りのような状態ですがこちらも切断すれば楽になるかなと思う一方で、手術費で
さらに妹に負担をかけたくない、自分の体を失いたくないのであと数か月の人生は腐った足をひきずっていくことになると思います。

パラリンピックの中継をラジオで聞いていると私の同じように目がみえなくなった選手
足を失った選手などが活躍していて本当にすごいと思いますし、私も残っている腕の筋力と
聴力があるので生きていますが、妹にとっては私を守る負担は小さくなく、
あと少しで私が天国に旅立つ、どうしようもない人生でしたが、天国に行きたい。

そこで先に天国に行った両親や姉と暮らしたいという気持ちですが、一方でこれから1人でこの世で
生きる妹に姉としてできることがないのが辛いです。

妹に残せる唯一の遺品が高校生のときから、自力で歩くことができた時期まで20年以上使用したブルマで、
妹がそれまで使っていた姉が生前に使用したブルマと手触りを比べてみても、私のブルマの方がずっと
品質がよいことがわかり、昔の私の巨体にあわせて作られているので、妹の体型であれば短パンに近いものになり妹もこれが一番動きやすくてはき心地もよいので、これを身に着けてれば裕子お姉ちゃんと
つながってそうと言ってくれますのでそのことが私の心の支えになっています。
このページに今まで投稿してきたことは恥ずかしい話が多いですが、私が書き込みができるうちに妹に話してみたいと思います。


妹さんに何もできないつもりでも、妹さんにとっては貴女が心の支えになっているかもしれません。
パラリンピックの選手たちに勇気をもらった方も多いはず。
希望は捨てずいつまでも元気で過ごせるようにしてくださいね。


7/24

裕子です。
義足のために妹にまた負担をかけてしまうのが申し訳ないと思っていたのですが、
想像以上に糖尿病が進行してしまい、左足の感覚が失われてきており、やはり自力で
歩くことは諦めなければいけないようです。
また膵臓にがんが見つかり、あと5年生きられる確率は低いと伝えられました。

このようなことになってしまったのは、長年にわたる私の
不摂生な生活がすべてであり、今から後悔してもどうしようもありませんが、
6畳のアパートのトイレの前に布団を置いていて、上半身の力だけで何とか
自力でトイレだけはできるようにしていますが、いずれは病院の終末期に入ることになります。
妹にはまだがんのことは伝えられていませんが、今後の私のためにお金を貯めてくれていて
そのために、今も妹はブラウスとスカート1着ずつで、普段は私が使っていたブルマで生活しています。

右足の太ももから下を切り落とした私は家からでることができないので、
今はショーツしか身に着けていません。子どものころからずっと
家の中ではショーツでしたし、学校の中でショーツ姿で裸足にされた時期もありますが、
今はあのときの裸足で冬の校舎の廊下を歩いた冷たさを感じることができません。

このページに今までのことを書いてきて、それを音声読み上げソフトで聞くと
様々な思い出がよみがえってきます。今後ブルマを身につけることはないと思いますが、
残された人生の時間を少しでも大切にし、まだ手は動き、耳が聞こえますから
このページへの投稿ができる限りは続けていきたいと思います。

あまりいい状況ではないようで辛いことでしょうね。
過去を悔やんでも悔やみきれず、やり直せるものならやり直したいと思われていることでしょう。
何と声をかけていいものか迷いますが、可能な治療は受けられ少しでも希望を持てるよう日々を過ごしてくださいね。


5/20

裕子です。
先週、壊死してしまった右足を切断する手術をしました。
壊死していたので、すでに感覚はなかったのですが、足を切り落としてから右足が
強く痛むような状態が続き、やっと体を起こすことができました。
足を切断した場合歩行器を使うか義足をつけるかですが、
視力を失っている私の場合歩行器の扱いが難しく、義足は高価で
妹にまた大きな負担をかけてしまうのが申し訳ないです。
ただ一日中横になっている生活はしない方がよいと指導されていて
せめてトイレくらいは片足歩きで行けるようになってオムツをつけない生活がしたいです。

妹も少し前はまではそこそこの収入があり、家族5人で生活していた頃のように
女の子としてのファッションを楽しむ余裕が出ていて、私も妹が身に着けたスカートに触れて
ようやくこういう生活ができるようにと喜んでいたのですが
コロナのために妹がしていた清掃の仕事が減り、少しでもお金になりそうな服は
メルカリなどで売って、今は私の義足のために貯金をしています。

そのため、妹が下に身に着けるものは、以前のように私のお下がりと亡くなった姉の
お下がりの2枚のブルマだけになっているようです。
妹は私が肌着とオムツで生活しているのだからブルマがあれば十分と言ってくれますが、
10年前はブルマでマンションの部屋の前の廊下に出ることさえ恥ずかしがっていた妹のことを思うと、
私がいるためにという気持ちになってしまいます。
2枚のブルマは姉と私の体型の違いから、姉が使用していたものは、妹が穿くと半分お尻が出てしまい
私が使用していたものは、短パン風になるので、主に私のブルマの方を穿いていて
それで私とつながっていると感じるようで、この絆は大切にしていきたいです。

大変なことになり精神的にも辛かったことでしょう。
今の体を大切に毎日を過ごしてくださいね。
妹さんも貴女を支えることを心の拠り所とされているのかもしれませんね。


3/28

裕子です。
ここ数か月、外に出ることがなく6畳のアパートの中で生活が完結していますが
残念なことに確実に糖尿病が進行してしまいまもなく右足を切り落とすことになりそうです。
左足も今の時期に裸足でベランダに出てみて冷たさを感じません。
いずれ、私の一番重いときで140s近くあった体重をブルマで支えてくれた足は
私自身より少し早く灰になってしまうと思います。

小学生のときは学校の裸足教育で真冬でも学校の中では裸足で生活し
高校生活の後半は、学校内では罰として裸足で下はショーツ姿での生活をしていましたが
あの頃は、足元の冷たさ、冬の本当に寒い日は冷たいというより痛いという感覚でした。

また高校の制服は暗い色のセーラー服、ブルマは濃い紺色
(掃除のときなど下だけブルマになることが多い高校でした)という生徒ばかりの中で
学校標準のショーツは白でしたから、白い色はとても目立ちました。
私以外にも短い期間でしたが、ショーツ姿にされた生徒が何人かおり、
暗い色の生徒たちの中で白が一番重い罰を受けていることの象徴でしたが、
今の私はそうした色がわかりません。

妹は点字も私が覚えられたので、義足での生活にも自信をもってほしいと言ってくれますが、
最新の高性能の義足のためにまた妹に負担をかけてしまうのが申し訳ないです。

そうですか。大変な状況になられたようですね。
身体は不自由になっても元気で居る貴女の存在が妹さんの生き甲斐にもなっているのかもしれませんね。
気持ちをなんとか切り替えて生活していってください。


2/1

せっかく妹が新しいブルマを用意してくれたのですが、
今はコロナの影響で、重い糖尿病の私は感染すると命の危険があるからということで
妹から外出を禁止されており、まだ新しいブルマで街を歩くことはほとんどしていません。

ただ少しでも家のことを手伝えればと思い、目が見えなくても何とかできる
拭き掃除と洗濯(家の中に洗濯機を置くところがあるアパートを妹は借りています)は
できるだけやるようにしています。洗濯機のボタンは点字つきなので
目が見えない私でも問題なく操作ができます。

部屋にはベランダもきちんとついていて、そこに干すのですが、
妹によると目の前は道路で、鉄の柵の仕切りがあるだけでベランダに立つと道路から全身が
見えるようで妹からは、部屋の中のようにショーツ姿でベランダに出ないように言われており、
このときだけはブルマを穿いています。
洗濯物の形は触って確認しているのですが、外からよく見えるので、ショーツや妹のブラジャー
(私は目が見えなくなってからブラジャーを着けていません)はできるだけ内側にして、タオ
ルなどを外側にするようにしています。

姉がまだ生きていて、姉妹3人でボロアパートで生活していた頃は、共用の物干し場で
防犯のために、私の特大の6L、7L(ウエスト135pだとこのくらいになります)
ショーツを外側にして、姉と妹のショーツをガードしていたのですが今の私はXLくらいの
ショーツで、妹と同じような体型なので、妹と共用しています。
ですので、私用、妹用という区別はありません(区別していても触るだけでどちらのかわかりませんが)
性的魅力が全くない自分のショーツを守るというのも不思議な感じです。

恥ずかしい話ですがボロアパートで生活して時代、共用の物干し場で、そのアパートに住んでいた
かわいい男の子のブリーフを取ってしまい、それを無理やり穿いて(当然無理に穿き、すでに穿き
古しでもともとの白が黄ばんだ感じだったのでビリビリとなりました)で自己処理をしたことがあり、
破れたブリーフはこっそり捨てましたが、やはり男の子に怖い思いさせてしまったのは
申し訳なかったと思っていますが、命があるうちに言いましたから、どうか許してほしい、
天国に行かせてほしいと思います。

目の不自由な生活にも慣れてこられたようですね。
昔したことへの懺悔の気持ちも芽生えてきたのですね。


2021/1/30

裕子です。
妹は清掃の仕事をしており、昨年の終わりに正社員になることができたそうです。
施設を追い出された私を受け入れるために、同じアパートの2階の部屋から
1階の部屋に移ってくれ、正社員になれたためにもらうことができた
5万円のボーナスで私の布団や下着類、それにアダルトグッズの通販サイトで
新しいブルマを買ってくれました。
以前はウエストが135pあったのですが、今は90pくらいになっているので
XLなら少しキツいもののきちんと入ります。

少し前まではわずかに光を感じることができましたが、今は完全に暗闇の世界を
生きている私はそれらを見ることはできませんが妹の愛情はそうした物から感じられます。
まさか新品のブルマを穿けるとは思いませんでしたが、これまで使用していた
高校生のときから使用してきたボロボロになったブルマに比べると、少しハイレグになっていますが
妹は以前の無駄な贅肉がハミ尻しまくりだったときより、ずっとすっきりした見た目になったと言ってくれます。

足の切断は免れたものの糖尿病のさまざまな合併症は進行しており、
命の灯がいつまであるかわかりませんが、妹との時間を大切にしていきたいと思います。
一方で、私のことを守ってくれる男性でなければ結婚は考えないと言い切る妹のことを思うと
私の命の灯が消えた方がよいのかわかりませんが、まだ体は動きますので
妹にできるだけ迷惑をかけない形で人生を終えたい、正直こんな生き方をしてしまった
ダメ女子ですが、天国に行って両親や姉に会いたい、次に生まれてくるときは
できれば美人女子かイケメン男子というのは贅沢すぎますが、同じ境遇で生まれても
真面目に生きたいです。

そのときは間違いなくブルマのない時代ですが、私はどんな服を身に着けているかなと思います。

優しい妹さんに助けられて良かったですね。
目の不自由な方でも、支えられながらでも自活が出来ている方も多いと思います。
少しでも妹さんの負担を少なくするよう、自分でできることも増やしてくださいね。


10/27

裕子です。この春に施設での規則違反でお仕置き部屋に閉じ込められましたが、施設がコロナの
影響で入所者を大きく減らすことになり40歳になって見習生(規則違反で降格しました)の
私は施設から追い出されてしまいました。

マッサージの仕事に行った先で、お客様の男の子に抱いてもらったことは施設では重大な規則違反ですが
やはり私も性的な魅力がゼロの顔と体であったも女の子である以上、一度はそうした体験をしてみたかった
処女のまま人生を終えたくなかったので後悔はしておりませんが入所者の中には性犯罪の被害に遭ったことが
ある女の子もおりそうした方のことはどうしても理解することができませんでした。

施設から追い出された以上、妹に頼るしかなく、妹が住んでいるワンルーム6畳のアパートで生活しています。
ただ施設での生活のおかげで身の回りのことはそれなりに自分でできるようになっており、このことは妹もとても喜んでくれています。

本当であればお金の面でもせっかくとったマッサージの資格を活かして自分の食べ物の分くらいはと思うのですが、
コロナの影響でお客様が少なく、目が見えない私はなかなか依頼がありません。

妹は私のためにとお酒やたばこも買ってくれ、施設では禁止でしたから、それ自体は嬉しいのですが
以前のように飲み放題、吸い放題ではなく、お酒は1日ストロングゼロ1本、たばこも5本までにして、
妹に迷惑をかけないようにしています。

妹は深夜の倉庫作業員をしていて、時給は結構よいようなので3万円のアパートの家賃と2人の生活費くらいなら
余裕だから言ってくれますが私のためにお金を貯めたいからと、新しい服を買わず、仕事にいくときは1枚しか
ないスカートを穿いていきますが倉庫での作業中は、姉の残したブルマを穿いてハミ尻をしているようです。

私と一緒に出掛けるときも、私がブルマだからいっしょにブルマで私の手を引いてくれますが85kgまで体重が
減った私の体型だと高校のときのブルマは少しダボっとした短パン風になっているのに、妹はスレンダーだっ
た姉の使用していたブルマですからどうしてもハミ尻してしまうのはとても申し訳ない気持ちです。

せめて高校の時の2枚ブルマが残っていれば妹と共用でき、妹が私のブルマを穿けば短パンにしか見えなく
なるのですが、妹は私がショーツ姿で外出することを許してくれません。
施設では下半身裸で生活していましたが、ショーツがあるだけでも嬉しいのですが、結局妹に頼る生活に
なって、またブルマを身に着けられるようになりました。

毎日のお酒もたばこも妹さんの負担になり控えるべきでしょうが、それをなんとかやりくりして許してくれる妹さんは優しい方ですね。
そんな優しい妹さんに再び依存されている感じがしますので、少しでも負担をかけないよう、少しでも心身共に自立できるよう努めてくださいね。


4/4

裕子です。
リーダーになったことで、ブルマを穿くことができ、スリッパを履けるようになったのですが、先月に
重大な施設の規則違反をしたことがバレてしまい1か月間お仕置き部屋に閉じ込められ、昨日から
外から鍵のかからない部屋に移ることができ、ようやくこのページに投稿することができます。

お仕置き部屋は中には便器を含めて何もなく、部屋の真ん中に小さい丸い穴があって体から出した
ものはそこに流すのですが、一般的な便器でも目が見えなくなってしばらくはうまくできず、施設に入
る前は妹にずいぶん迷惑をかけた私にとって穴にうまくするのは大変で、どうしても部屋の中は非常
に臭かったです。また布団や枕がなく床がタイルなので寝るときも姿勢が大変でした。

それに比べると、一般入所者用の8人部屋は天国みたいな環境です。ただまだ罰の期間なので、
今はここに入所したときと同じ上は薄い肌着1枚、下は何も身に着けられず、お尻丸出しで生理も
垂れ流している状態です。もう少しするとショーツを穿くことが許されると思いますが、今後リーダーに
なることはできませんし、残りの限られた人生をこの施設で生活する以上、これからブルマを穿ける
ことはなく、この施設の標準服である半そでシャツとショーツでの生活をすることになります。

これまで何度も書きましたように今までの人生で2回このような罰を受けました。1回目は高校生活の
後半、校内で下はショーツ1枚だけの恰好で裸足での生活を1年半、2回目は拘置所に閉じ込められ、
真冬に暖房のない部屋でブルマ姿で裸足の生活を半年しました、1回目は家に帰れば暖かいお湯が
使える環境で学校の外ではセーラー服上下の女子高生を楽しむことができ、24時間冷たい空間に
閉じ込められた2回目の方が厳しいと感じ、目が見えない状態の今回は1か月とはいえさらに大変な
面がありましたが、一方でその原因になった失敗については後悔していません。

整体の仕事をはじめ、施設周辺のホテルなどで施術をしておりましたが、20代のとても言葉遣いが
丁寧で優しそうな男の子のお客様に、今までの私の身上をお話しし、私からお願いして抱かせていた
だきました。人生ではじめて触れる男の子の体は私にとって夢のような時間で、巨体で何も取り柄が
なく、視力を失ってしまった私は処女のまま人生を終えるのは仕方ないと思っていたので、一度でも
こうした体験ができたことはそれだけでとても幸せでした。やはり気持ちよさも1人でするのとは全然
愛液の出方も違いました。

お仕置き部屋に入れられている間は常に両手を後ろで縛られていて、食事も固いパンやおにぎりを
手を使わずに口だけで食べる状態でしたから、1人ですることもできなかったのですが(恥ずかしい話
ですが小学生の頃から1日2回していました)そのときの体験を思いだしながら足を動かすだけでも、
結構愛液が出てしまいました。

異性との付き合い?の厳しい制約があるのですね。
いくら規則を破ったとはいえ、なんだか囚人なみの扱いをされるのはどうなのでしょうね。
厳しい罰があっても1人の女性として経験出来て幸せな気持ちの方が大きいのでしょうね。


2020/1/15

裕子です。リーダーになるとお盆やお正月の一時帰宅が認められるようになり
この年始は妹が暮らす家に一時帰宅していました。
大みそかに妹が施設に迎えに来てくれ、長袖のトレーナとブルマを身につけて
視覚障がい者用の白い杖をもって妹が暮らすマンションに向かいました。
妹は私が施設に入ったために生活に少し余裕ができ、お風呂のついている
ワンルームマンションに引っ越し、着るものも私と同居していた頃は
ブルマしか持っていなかったのですが、今は3枚のミニのスカートをローテーションしているそうです。

ただ私を迎えに来たときは妹は私が施設に入る前の同居していたときに使っていた
姉が残したブルマを穿いてきました。妹の体型は160cm、70sくらいで以前と変わっておらず
やせ型だった亡き姉が短大時代に使用したハイレグ度の高いブルマではハミ尻してしまいます。
このページに私が投稿するようになった11年前は、当時住んでいたマンションの外廊下さえ
ブルマ姿を恥ずかしがった妹(しかも当時は妹も自分の体型に合った中学時代のブルマを持っていて
家の中では、このブルマを穿いていました)ですが、私がブルマなのに、自分だけスカートを身に着けて
いっしょに歩けないからと、ブルマ姿で迎えに来てくれました。

施設に入っている女の子の多くは家族がいない、いても見捨てられている人が多く、
私はとても羨ましがられています。ですので今の環境や境遇で自分は全然不幸ではないと思えますが
私が施設に入ることを決めたのは、妹に自分の人生を大切にしてほしいという気持ちが大きく
私の存在が妹の結婚の障害になってしまうのではないかという思いからでした。
しかし妹は今でも私のことも守ってくれる男性と結婚したいと言ってくれます。

目が見えない巨体女子の私が今後結婚できる可能性はありませんが、妹はまだ可能性があると思うのですが。
それでもこのお正月は、素敵な男の子がこの家にやってきて3人での生活をする夢を妹とずいぶん話しました。
このページに投稿されている方には、ブルマ好きのパートナーがいる方もいらっしゃるのでそうした男性で
あればもしかしたらと思うのはやはり甘い考えでしょうか。

久々に妹さんと過ごす時間は楽しかったようですね。
唯一の大切な家族がいるだけで心強いですね。
少しでも妹さんの負担にならないように、出来るかぎり自活出来るようになる事も目標ですね。


12/18

ここ数日で急に寒くなってきて施設の中にも暖房が入るようになりました。
私は3年ぶりにブルマを穿いて生活する冬を迎えています。施設の入所者の女の子は
私だけがブルマ(他のリーダーはワンピース)にスリッパを履いていて、それ以外は
肌着とショーツだけで裸足、入所して間もない(目が見えなくなって間もない)
新しい入所者は肌着だけを身に着け、下は裸でしたが、今月から下半身裸はあまりにも
かわいそうということで、トイレが自力できない入所者もオムツを着けるようになりました。

そのこと自体は悪いと思いませんでしたが、下半身裸を卒業してショーツを身に着けら
れるようになったばかりの女の子からは、オムツを着けられると、早く自力でトイレが
できるようにならないのではという意見があります。

たしかに私も下半身裸はつらかったですし、久々にショーツで大切な部分を覆うことが
できたときはうれしかったです。私も目が見えなくなってから、この施設に来るまでは
同居して妹にオムツのつけ外しをしてもらっていましたが、ここでは入所者は自分のことは
自分でやるというルールなので、オムツの交換も自分自身でやらないといけません。
交換の回数自体も1週間に1回だけなので、やはり早くオムツを卒業したいとみんな思いそうです。

このような服装の差があるので、入所者の中でもブルマ(私)>ショーツ>オムツという
カーストのようなものがありますが、ここではみんな目がみえないので、高校で経験した
ような厳しい差にはなっていません。

高校生のときで、スカートを穿き、上履き・靴下を身に着けられる>スカートを穿き、
上履きを身に着けられる(素足組)>スカートを穿き、足元は裸足(裸足組)>ショーツ姿で
裸足(私1人)という関係があり、私は目つきの悪い巨体だったのでいじめの対象に
なりませんでしたが、多くの場合ショーツ姿の最下位カーストになると、寒さや冷たさ
だけでない非常に厳しい学校生活をおくらなればなりませんでした。

それに比べるここでは、施設の中に暖房があるので裸足でもそこまで床は冷たくない
ですし、同じような恰好でもずっと恵まれているのかもしれません。

どこにでも大なり小なり序列が生まれるようですね。
それがいじめにつながる要因になっているのでしょうね。
今の生活が恵まれていると思えるように、心にゆとりも出てきたのかな。


11/10

裕子です。今月から私もリーダーになり、整体の資格も取ることができました。
リーダーになると、下着も他の入所者の女の子との共用ではなく、
自分専用のものが2枚与えられるので、どちらかが洗濯中でも下着を身に着けられます。

先月までリーダーの制服は上が夏はTシャツ、冬がトレーナーで下はブルマだったのですが
そのブルマが既に入手が困難で、施設で昔用意したものはボロボロになっていたという理由で
今月からブルマが廃止されてリーダー専用のロングTシャツに切り替わりました。

ただ私の場合身長が175pあるのでMサイズのロングTシャツがひざ上40pくらいの超ミニという
よりはショーツが半分見える状態になってしまいます。リーダー以外は共用の肌着と
ショーツを身に着けますが大中小とあってサイズごとにグループがあります(私はもちろん大グループでした)

リーダーは入所者の中で5人だけしかいないのでいろいろなサイズを用意できないのは仕方ないですが
私には入所するまで使用していたブルマがあるので、特別にブルマを使用することを認めてもらいました。
先生によると施設にあったブルマよりもずっと生地の品質がよく、つくりもしっかりしているそうで
高校生のときから20年以上使用してきたブルマだと言ったらやはり高級品は違うと驚いていました。

特注のサイズで1枚5000円以上したために、注文数を間違えてしまい買った当時は両親に怒られましたが
4枚あったものは1枚だけになりましたけれど、おかげで今もきちんと穿くことができますし、
体重が増えすぎてハミケツが当たり前になり、一度はビリビリに破れていたものを
直してくれた妹にもとても感謝しています。

今は体重も高校生の頃と同じ95sくらいに減りましたので、中のショーツが見える心配もあまりない
ローレグのブルマとして私の下半身を守ってくれています。
8年前に自分のタバコの不始末で実家マンションの火事をおこしてしまい、それ以降ブルマ以外
穿かない生活をしてきましたが、痩せたことでハミケツの心配もありませんし
このページに投稿をはじめた頃の「心地よいブルマ生活」がもう一度楽しめるようになったと思います。

両親や姉は天国に行ってしまいましたし、実家マンションも人手にわたってしまい
目も見えなくなりましたが、失ったものは大きくてもブルマの心地よさという幸せが戻ってきました。

その当時のブルマって良い製品だったのですね。
そのブルマを着用できることを幸せに感じることが出来る心が芽生えたり
現在の境遇にも慣れてこられ、落ち着いてきたようですね。


8/25

裕子です。どうしても今の話は辛い内容も多いので
今回は、私の人生の中では一番普通の女性に近い形でブルマと関わっていた
16歳(高1)の頃のお話をしたいと思います。

中学生のときに急激に背が伸びて体重も増えた私は制服がきつくなり、
伸縮性のある体操着の方が楽なので、中3になると制服は登下校のときだけで
朝体操のために、体操着に着替えると校内ではずっと半そでシャツとブルマの体操着で
下校時に制服に着替えていましたが、放課後の清掃も体操着でする校則で
スカートが特にきつかったので、体操着の上にセーラー服を着ただけで、下はブルマのまま帰ることも
結構ありました。当時住んでいたマンションが中学校から歩いて5分かからなかったのでそれくらいなら
ブルマでもいいかと思っていました。

高校に入ったのは女子高生ブームの頃で、私の体型では高校のセーラー服や体操着、ブルマも特注になったのですが
制服のスカートは超ミニ丈にして、高校デビューをしました。
それまでと違い体型にフィットするセーラー服になりましたが、
体育の授業のほか、放課後の清掃も体操着でするのは中学時代と同じでしたが
それ以外のときは制服のセーラー服を着て、ルーズソックスを履いて女子高生を楽しんでいました。

入学したばかりの頃は中学生のときの感覚で、午前中の体育の授業のあと、ずっと
体操着とブルマので授業を受けていたら、同級生から「恥ずかしくないの?」と言われ
男子の目がある中学校でもいつも校内でこの格好だったから、女子校なら別にと
答えたら驚かれましたが、これが普通の感覚だったのかもしれません。

ただその同級生も私も、超ミニスカートで、スカートのときに中にブルマを穿くのは禁止だったので
中がショーツだけの超ミニよりはショーツの上にブルマの方が清掃のときは合理的だったと思います。
その後、校内ではショーツ姿で裸足にならなければならなかったことは
これまで書いてきた通りですが、高校1年の私はブルマと普通に付き合って
女子高生を楽しんでいました。

過去には戻れないけれど、昔の良かったことを思い出すことは出来ますね。
貴女にとって大切な時期の思い出ですよね。


7/21

裕子です。

最近は整体の資格を取るための勉強をしていて、そのために先生に点字の参考書を用意してもらいました。
参考書だけではなく、音声読み上げソフトを使えば、目が見える人と同じような学習用のページも使えるので
そうした意味では私のような目が見えない人でも生活しやすくなっています。
試験を受けるということ自体高校のテスト以来で、高校生のときもテスト勉強など全くせず
ほとんどの教科で赤点だった私にとって
勉強をするということ自体大変なことですが、整体の仕事で施設の外でお金を稼げるようになれば
そのお金でお酒やお菓子も決められた量までは買えるので、その楽しみがあります。

この施設の入所者でもすでに整体の仕事しているリーダーの女の子がいて、
みんなのヒロインのような存在です。私もそういうふうになれればいいなと思いますし、
リーダーになると、施設の中でも先生たちと同じようにスリッパを履くことができ、
服も自分専用の肌着とショーツを使用でき、さらにトレーナーやブルマも使用できます。
私がこの施設に入った時にもっていたブルマは今も施設の倉庫に預けていますが、
私もリーダーになったらそれを使用してもよいと言われています。

お菓子やお酒、それにブルマやスリッパといったご褒美があるので頑張れますし
次の冬は、肌着とショーツ1枚ずつに裸足の生活をしなくていいのも励みになります。

思いだせば施設に入ったときはショーツも使用できず、お尻を出しての生活でしたが
ショーツの使用を許可され、痩せたことで他の入所者と共用の肌着やショーツを使うようになってからは
定期的に交換もできるようになり、洗濯時も裸で生活しなくてよくなりました。
次の目標が外でお金を稼ぐようになり、入所者のリーダーになることです。

ひとつひとつ喜びを見つけるために、自分自身が努力してここまで来られましたし
次の投稿ではまたうれしい報告ができるように頑張りたいと思います。

目標を見つけたことで本気で勉強に取り組む大切さもわかり、毎日のやる気も出てきたようですね。
資格と共に仕事もみつかれば、これからの生活も安定し、家族に全てを頼らず自立することも可能になりそうでね。


3/21

裕子です。
今年の冬は去年に比べると足の感覚がずっと改善して
目が見えなくなる前に近い感じになりました。
それだけに裸足での生活は去年の冬より大変な面もありましたが
施設の中の床は学校よりずっと温かいので、
小学生や高校生のときの冷たい廊下を歩いていた裸足生活よりはずっとよいです。

そして体重がついに101kgまで減ったので、
LLの服の共用(入所者の服は共用で、体型にあわせて大中小までの3グループに分かれています)が
できるようになりました。
大の組は8人で、その中でも私は一番大きい体ではありますが、
少し動くとおなかが出てしまうTシャツとお尻に食い込むショーツでも
着替えがあって、毎日交換できるのはとてもうれしいです。

今までは私専用の特大のものでしたが1着ずつしかなく、洗濯を週1回で我慢しても
洗濯中は裸で生活しないといけませんでしたから、いつも服を身につけられるようになり
痩せるとこんなにいいことがあるんだと思います。
もっと痩せれば、今着ている共用のTシャツやショーツが体に食い込まなくなるので
もっと快適になるかと思います。

ちょっとした事でも、喜びに変わるようになられたようですね。
失った物も大きいでしょうが、新たに得られることも出てくるようで良かったですね。


2/20

裕子です。今回は久しぶりに昔のお話をしたいと思います。
高校生活の後半、私は万引きや校内暴力、喫煙などの行為や校則違反の服装を繰り返した罰として
退学処分を免れた代わりに、3年生の途中から停学になり、翌年にもう一度3年生をやって卒業しました。

2度目の3年生のときはブルマ、上履き、靴下、ジャージやスクールセータ類などの使用、校内での
スカートを禁止され登下校のときはセーラー服上下を身につけて、素足で靴を履き学校の中では、
スカートを脱いだショーツ姿で裸足でした。

もともと175cmの身長に、今よりは軽いですが95kgの体重で女子校ですから、生徒の中で一番体が
大きく目立つ私がショーツ姿なので、新入生にとって白いショーツ姿の先輩(しかも本来であれば
卒業している年齢)がいるのは大きな衝撃だったそうで見ただけで泣き出す生徒もいたそうです。

2度目の3年生をやった年から、校則もグンと厳しくなり、私のような超ミニスカの生徒はおらず
靴下も、ルーズソックスはもともと禁止でしたが、こっそり履く生徒もいなくなっていました。
その靴下もきちんと履いていても長さが校則の範囲から少し違えばその場で没収されるだけでなく
1回目は1週間、2回目は1か月、3回目は6カ月、4回目以降は1年間、靴下禁止で禁止の期間が卒業を
超えてしまう場合は、不足する期間分は上履きも使用禁止でした。

そうしたこともあって、クラスに4〜6人くらいは裸足の生徒がいました。
今の施設の入所者の女の子たちに「高校で校則違反で裸足にされた」といっても
靴下を取り上げられただけで上履きを素足で履いていただと思われることが多く、
本当の意味での裸足にするのはやはり非常に厳しかったようです。

私の高校では、上履きを履いている生徒は「素足」、上履きも禁止されている生徒は「裸足」と言い
そこには大きな差がありました。私もそうですが、裸足組の生徒はトイレや歩く場所なども工夫しな
いといけませんでした。

ただ運動会のときは、生徒は全員裸足になって競技をしたので、そのときは靴下を履いている生徒、
素足組の生徒、裸足組の生徒の差はなく、運動会の1カ月前からは体育の授業のときは、全員裸足でやる決まりでした。
そうなりますと、他の生徒は体操着の半そでシャツとブルマで、私だけが半そでシャツにショーツで
見た目も紺色と白ですので、私だけが目立ってしまいした。

女子校にしては珍しく、運動会の競技もダンスがなくて、格闘技のような独自の競技(柔道と相撲のルールを
合わせたようなもの)がありこれは体型だけで私は圧倒的に有利ですが、運動会の本番ではショーツ姿で
競技をするのが恥ずかしく1回戦でわざと負けてしまいました。
来賓が多いような学校でもなかったですがそれでもこのときは校外の人もいるところでショーツ姿を見られたくない、
ブルマを穿きたいと強く思いました。

見た目で差をつけ、恥ずかしい姿をさらさせる懲罰で、反省を促すやり方だったのでしょうね。
体格の良い一つ年上の留年生は、最初はさぞかし怖い存在だったことでしょうね。


2019/1/7

裕子です。施設で迎える二度目の新年になりますが
今年は施設の入所者で行く近所の神社への初詣に参加できました。去年はまだ身の回りのことが自力でできず
お尻を出しての生活だったので、外に行くような行事には参加できませんでした。
普段は白いTシャツとショーツで生活している私ですが
お正月ということで外に出ることもありそのままの格好ではいけないのですが
私の巨体では入所者共用の服は入りません。

上はTシャツ1枚でも何とかなりますが、下がショーツ1枚ではさすがに恥ずかしいなと思っていましたら
特別に入所時に預かられている、高校時代から使用してきたブルマを穿くことを認めてもらえました。
目が見えなくなる前も妹に使ってもらっていた時期もあるので、
2年ぶりに穿いたブルマでしたが、大切な部分を2枚で守ることができるのは1枚に比べて安心感がありました。

履物はもともと使用できる入所者はリーダーと外に働きに出ている子だけ
(そういった子は普段使用しているサンダルを履いていきます)なので、
全員となると数が足りないのですが、年末に先生方が家などで使用した古くなったスリッパを持ってくるので
初詣のときは履物のない子はそれを履いていきます。
ただ私は足が大きく、今年は小さいスリッパしかったそうで、かかとがはみ出てしまいました。

施設から神社までは500mくらいですが、目が見えない私たちはゆっくりゆっくり片道30分くらいかけて
外の道を歩きました。体重が重く、糖尿病のために足の指先を切った私は杖をつきながら、
かかとの出てしまうスリッパで歩くので非常に遅かったのですが、他の入所者もその歩き方に合わせてくれました。

先生が大きな絵馬を買い、そこにみんなで願い事を書きましたが(入所者は目が見えないので先生が書きます)
「目が見えるようになりたい、両親や姉に天国から帰ってきてほしい」と言ったら、前向きなお願いをするようにと
怒られてしまいました。

そうしたこともありましたが、2年ぶりに穿いたブルマを私にとっての晴れ着でしたが、
先生方との約束である、マッサージの仕事ができるようになり外に働きに出るようになったら
ブルマを外出用に使用できるので、ブルマがいつも穿けるようになるというのが前向きな願いごとだったなと思います。

 
近い所であっても出掛けるのは、慣れず大変ですね。
だけど、いつもいる施設から一歩外に出るだけでも、気持ちは晴れたことでしょう。
そうやって少しづつ、一人で生活出来ることが増えていくように訓練もされるのでしょうね。


12/16

裕子です。前回の続きで私が成人してから、今までのブルマとの関わりについてお話します。

1999年(19歳)二度目の高3も残り3カ月少しになった年末に暴力事件を起こしてしまい、
今度こそ退学処分を覚悟したのですが、セーラー服を処分して
体操着上下で登校し、校内では体操着の半そでシャツとショーツで生活していました。
ですので1年2カ月ぶりにブルマを穿くようになりました。

2000年(20歳)3月に高校を卒業しました。このとき私が持っていた服は、よれよれになった
半そでの体操着シャツ(最後の3カ月はシャツを雑巾の代わりにしての清掃をしました)
と新品同様の4枚のブルマでした。高校卒業後しばらくは服がないからという理由で、ほとんど
外出しない生活をしていたのですが、親がトレーナーとひざ上スカートを1着づつ買ってきてくれ、
アルバイトをするよう促されました。その後、すぐに工場で割り箸の袋詰めをする仕事を始め、
これ以降、しばらくは気ままなフリーター生活をします。

2001年(21歳)ブルマはマンションの敷地内までの外出のときに穿く、気楽なフリーター生活で、
すこしお金が足りないなと思うと万引きなどもしていました。
初めてやったのは中学生のときでしたが、この頃になると意外なほど成功することに気づき、
自分で使うものだけでなく、当時登場したばかりの〇〇オクで売って小遣い稼ぎをすることもありました。

2003年(23歳)今まで何度もお話したとおり、万引きが見つかった際に店員の女の子を殴ってしまって
逮捕され、6ヶ月間留置場と拘置所に閉じ込められました。
スカートは押収されてしまい、トレーナーとブルマで暖房のない部屋で生活しました。
強盗傷害のため危険犯として扱われ、拘置所の中でも裸足でしたが、裁判のときだけは茶色の
ゴムサンダルを履きました。刑務所に行くことを覚悟していましたが判決は懲役3年執行猶予5年、
スカート没収でした。
拘置所にいる間はお酒は全く飲めず、お菓子も週に1度きめられた量だけだったので
(自分のお金で買うことはできましたが、当然お金の差し入れはありませんでした)
体重も少し減りました。

2004年(24歳)スカートは返してもらえなかったので、ブルマ姿でフリーターとしておとなしく、
気ままに生活していました。

2004年(25歳)姉がミニスカートを買ってくれ、外に出てアルバイトをする生活に戻りました。
私は全く気付かなかったのですが、この頃でも
マンションのローンの返済は大変で、父が定年になったこの年以降家計は赤字だったようです。

2008年(28歳)このページに出会い、ブルマに関わりのある方がたくさんいることを知り、
近所への外出のときだけとはいえ
成人してもブルマを使用しているのは珍しいかなと思い投稿をはじめました。

2010年(30歳)この頃に体重が120kg近くまで増え、ショーツはそれに合わせてサイズアップしましたが、
ブルマはそのままだったのでハミパン、ハミ尻が気になるようなってきました。

2011年(31歳)私のタバコの不始末が原因で実家マンションで火災がありました。
幸い大きな火事にはならなかったのですが、私の私服は全部灰になり妹の私服もほとんど全滅、
リビングの壁は黒く焼けただれました。当たり前のことですが、親から残った部屋着の汚いトレーナーと
ブルマだけで生活するよう言われ、これ以降私はブルマしか穿くもののない生活をしています。
ブルマしかないので、使用頻度も高くなり体型もあって傷みが目立ってきたため1枚は処分しましたが
今にして思えばこれも捨てなければよかったと思います。

2013年(33歳)春に両親が相次いで亡くなり、親の年金がないとマンションのローンを払うことが
全くできないことが分かり、19年間住んでいたマンションを売りました。
火災で壁が焼けていたことや、新築の高いときに買っていたこともあり、売ったお金だけではローンが
返せず、姉や妹のわずかな私服や家財道具なども売って、何とか
ローンを返し切りました。住むところは当時姉がアルバイトをしていたパチンコ店の寮に入れることになり、
4畳半の部屋を姉妹3人で使う生活でしたが、
姉妹いっしょに住むことができました。姉と妹は仕事のときは制服でホールに入っていましたが、
私はホールの採用ではできないと言われたもの姉が一所懸命頼んで、清掃やゴミ処理の仕事をしていました。
このあと亡くなるまで姉が、家族の先頭に立って私と妹を守ってくれました。
この年の年末には少しお金が貯まったので寮を出て2DKのアパートでの生活をはじめました。

2014年(34歳)ブルマが普段着になって使用頻度が高くなり、体重が130kg以上になったので、
サイズが体型に合わなくなったこともあり、傷みが目立ってきました。またブルマを穿いても
ハミパン・ハミ尻状態が当たり前になってしまいました。

2015年(35歳)体重が重くなったせいで(この頃は135kgくらいになっていました)、足腰の調子が悪く
(冷たくなることも多かったので、この頃糖尿病が進行していたと思います)
同時期に家が団地の5階に引っ越して、人生で初めて(拘置所のとき以外では)1人部屋ができたことも
あってあまり動かない生活になってしまいましたが、清掃のパートの仕事も週に2回だけしました。
その最中に大型掃除機に、ブルマを巻き込んでウエストの部分まで一気に破れて、ブルマは粉々になって
しまい、残りのブルマは2枚になりました。

2016年(36歳)両親が亡くなってから、私と妹を守ってくれた姉が亡くなり、私と妹の収入では団地の
家賃を払えないので、住まいはお風呂のない1Kのアパートに引っ越しました。
糖尿病のせいか体重も少しずつ減り、目も見えにくくなってきましたが、このときはまさか糖尿病に
なっていてこのままでは視力を失うとは思いませんでした。

2017年(37歳)夏ころから急激に視力が低下して秋には目が見えなくなり、身の回りのことはすべて
妹にしてもらわければならなくなりました。妹の人生のことも考え、お金がなくても入れる今の施設に入り、
施設の規則で最初の冬はお尻丸出しで生活しました。施設に入ってからは一度もブルマを穿いていません。

2018年(38歳)施設の量が少ない食事のために体重が減って体も軽くなってきましたが、まだ
他の入所者と着るものを共用できる体型ではないので、自分用のTシャツとショーツ1枚ずつで生活しています。
こうしてまとめますと、20代の頃は「実家で心地よいブルマ生活」をしていましたのだなと思います。

   何度も現状を変えるチャンスはあったようですが、周りの人に依存してこられた結果、
今の状況になるべくしてなられた印象ですね。
過去のことをこうして整理され、この機会にこれからの人生をもっと自立して生きていければいいですね。


12/9

裕子です。入所している施設では、週に2回入所者の女の子同士で話し合いをする時間があり、
月に1度、特に長時間の話し合いがあり、昨日は自分たちの今までの人生の話でした。
私のこのページの投稿もずいぶん多くなってきて、いろいろな時期のお話をしてきましたので
最近このページを見た方にはわかりにくいかと思いますので、
今回は生まれてから今までの私の人生をブルマとの関わりを中心にまとめてみたいと思います。

1980年(0歳) 下町の古い団地で、両親(当時ともに39歳)の次女として生まれました。
姉とは7歳(学年は8つ)違いで年が離れていたこともあって姉にも可愛がられました。

1982年(2歳) 妹が生まれ、家族が5人になりました。団地の家は4畳半の部屋が2つの2Kで、
居間と寝室で部屋を使い分けていて家族全員が同じ部屋で寝ていましたが、布団は4枚までしか
敷けないので、小学校を卒業するまで妹と布団を共用して寝ていました。

1984年(4歳) 幼稚園に入りました。この頃になると少し記憶がありますが、真冬でも
半そでシャツ1枚にブルマのようなものを身に着けていたと思います。
アパートにお風呂がなかったので、姉に手を引かれて銭湯に通っていました。

1987年(7歳)小学校に入りました。小学校では裸足教育が行われていて、学校の中では裸足で生活し、
登校から下校まで体操服の半そでシャツとブルマの服装でした。
私は私服も持たず、どこに行くときも体操着で生活していました。この頃からクラスの中で男子も含めて
一番体が大きかったですが、小3のときで145p50kgくらいなので、体は軽かったです。

1989年(9歳)妹が小学校に入学し、私のお下がりの体操着を着るようになり、新しい体操着を着られました。
この後小学生の間は私が新しい体操着を着て、妹は私のお下がりしか着られませんでした。

1992年(12歳)この頃になると、身長が160pを超え、体重も70sくらいになって、学校で売られる一番
大きいサイズの体操着でもきつくなってきましたが、もうすぐ卒業なので我慢してきました。
また、算数や理科の授業は何をしているのか分からなくなったので
教室をこっそり抜け出して音楽室などで遊んでいることが多かったです。同じようなことをする友人から
貰ったのがきっかけで喫煙を始めたのもこの頃です。
先生に見つかると正座や掃除をさせられましたが、男子に対するお仕置きと違い
(男子はそうした場合はブリーフ姿になれていました)、服装は体操着のままで、
やはり共学の学校は女子に甘かったです。
それまではずっと短いおかっぱの髪型でしたが、この頃髪を伸ばすようになりました。
ただヘアアレンジは面倒なだけにしか感じず髪が長くなってもひっつめにしていました。

1993年(13歳)中学校に入学しました。親が、それまで住んでいたアパートの近くにできた3LDKの
マンションを買い、その後18年間このマンションで生活します。
それまで家族5人同じ部屋で寝ていましたが、新しいマンションでは妹と2段ベッドで寝るようになり、
家族の中で妹と特に仲良くなったのはそのためです。
小学校のときと違い、学校に行くときはセーラー服の制服を身に着けるようになり、休みの日の外出も
セーラー服が多くなったため、体操着は学校の体育の授業や掃除の時間以外で身につけることは少なくなりました。

体操着は中学の一番大きいサイズを買い、体型に合ってましたが、ブルマは小学校のものよりハイレグ度が高く、
生地が薄めでサイドに1本のラインが入った紺色大人になったなと感じるデザインでしたが、ハイレグ度が
高くなったため小学生のときと同じような面積の大きいショーツを穿いていた私にとってはハミパンに
注意する必要がありました。ジャージの下は一番大きなサイズを買ったのに、すぐ入らなくなってしまい、
下は年中ブルマでしたが、小学生のときと同じであまり気になりませんでした。
学校指定の上履きや短い白のスクールソックスを履くようになり、学校の中で裸足になるのは運動会と
その練習のときくらいになりましたが、休みの日の外出は素足で靴(学校指定の白の布製)を履いていました。

1995年(15歳)体の大きい女の子は中学に入るとあまり成長しないといわれていたので、入学のとき制服は
ちょうどよいサイズで採寸したのですが、身長も体重もさらに増え、170cm85kgくらいになって、セーラー服が
きつくなってきました。ブルマは伸縮性が高いタイプでさほど締め付けされなかったのでセーラー服より楽でした。

シャツも男子用のLLを買ってもらい、中にブラウスを着るのは窮屈なので、体操着のシャツの上にセーラー服を着て、
体育のある日は登校するとすぐにセーラー服とスカートを脱いで体操着になっていました。
放課後の掃除が終わると着替えるのを忘れてそのまま下校することもありました。特にスカートの締め付けがきつく、
ブルマ姿の方が楽でした。
休みの日の外出も、近くであれば体操着でもいいやと思い、寒くなってきても上はジャージがあったので楽でしたが、
やはり小学生のときと違いブルマで人の多い所を歩くのは恥ずかしいという気持ちもありました。

秋になると高校入試のことも考えなくてはいけなかったのですが、受験勉強をしたくなかったので
私の成績(英語と国語が3で、数学、理科、社会は1でした)では微妙でしたが、家から歩いて通え
公立の普通科ならここ以外は可能性がないとという理由で女子校を選びました。もしダメだったら専修学校に行くつもり
でしたが、専門が身につけられたので、その後の人生を考えるとよかったのかもしれません。
中学を卒業したときに、制服や体操着を処分してしまいましたが、今にして思えば残しておけば、
妹に使ってもらえたのにと思います。


1996年(16歳)高校生になりました。やはり制服はセーラー服で、体操着はブルマでした。
セーラー服は中学のときよりも子供っぽいデザインでしたが体操着はシャツの袖にエンジ色の縁取りもあり、
ブルマもハイレグ度が低くて生地が厚いのに、穿き心地のよいタイプだったのはうれしかったです。
当時は女子高生が流行の先端という時代で、自分もその一因になれたのが嬉しく、すぐにスカートの丈を
また下5cmくらいの超ミニに切って、足元をルーズソックスでかためて、高校デビューを果たしました。

入試がギリギリの成績で、特に努力もしなかったので成績はやはり一番下の方になりました。
中学と同じく体育のときと掃除のときが体操着になる決まりでしたが、上はジャージやセーラー服でもよく、
下だけブルマになることも多かったです。
高校生になった頃は175cm90kgくらいの体型になっていて、体操着も規格品では入らないのが確実だったので、
特注品になりましたが高くつくので親からはずいぶん文句を言われました。
セーラー服も体型に合ったものになったので、休みの日もいつもセーラー服で外出するようになり
ブルマは学校の体育や掃除か部活(学校一の長身だったのでバスケ部から勧誘を受け、当時は今より体が
動いたので入部してしまいました)、マンションの敷地内の外出くらいしか身につけなくなりました。

1997年(17歳)高2になってから生徒指導が厳しくなり、ルーズソックス禁止も徹底されたのですが、
私は守らないことも多く、何度も靴下没収されました。
ただ没収されても、小学生までは靴下を履くことがなかったため、登下校のときのローファは蒸れるなと思いましたが、
上履きはあまり抵抗がありませんでした。
超ミニのスカートも服装検査のときは必ずチェックされましたが、その日いっぱいは取り上げられて、
ブルマに穿き替えても、帰るときには返してもらえたので靴下の違反に比べればずいぶん甘かったです。
夏休み前に喫煙が見つかったときも1週間停学、秋にもう一度所持品検査でタバコを見つけられたのですが2カ月の停学
になり、それ以降は所持品の検査も厳しくなり、タバコを隠す場所が大変でした。
この頃にはお酒も大量に飲みようになっていて、お小遣いでその費用をまかなうのは結構大変でした。

1998年(18歳)部活動を引退した頃には体操着が相当傷んでいて、卒業まで半年くらいでも買い換えたいと親にせがみ、
新品の体操着を手に入れました。その際、注文の数量を間違えて4枚のブルマを買ってしまいました。
その直後に3回目の喫煙が見つかって無期停学になったのに、その直後に万引きをしてしまい退学処分を覚悟したのですが、
3月まで停学、4月にもう一度3年生をはじめて復学すること。髪型をベリーショートにすること。
靴下と上履き、ジャージ上下の使用を禁止するほか、校内ではスカートの着用も禁止という条件で退学を免れ、
停学期間中は授業は受けず、家を出るときは素足でローファーを履いて超ミニスカートのセーラー服、学校に着いたら
下駄箱にローファーを入れて裸足で生徒指導室に行き、スカートを脱いで預け、上はセーラー服、下はショーツ姿で
私は指導室前の廊下で正座、午後からはセーラー服を脱いで、上は体操着のシャツ、下はショーツで清掃をしていました。
このためブルマを穿くことがほとんどありませんでした。

1999年(19歳)校内ではショーツ姿の生活で、1つ下の学年ともう一度3年生をすることになりました。
この時期のことは結構書いていると思います。

ここまででずいぶん長くなってしまったので、20歳以降のお話は次回にまとめたいと思います。

これまでの自分史をまとめられているようですね。
まとめていくことで、過去の自分を反省しこれからを前向きに生きていくために
気持ちの整理もされているのでしょうか。


11/6

裕子です。
裸足で生活している私は足元から秋が来たなと感じることができます。
今年の夏は特に暑く、屋外のところを裸足で歩くのは熱かったです。
すぐに寒くなると思いますが、今の時期は裸足での生活だと一番気持ちよいですね。
目は見えないですが、それ以外の感覚は失わずに済んだこのように季節を感じることが
できることに感謝しこれからはそれを生かしていきたいです。

前回投稿しました通り、足が壊死する可能性はなく、切らなくて大丈夫と言ってもらえたとき
人生で初めて、嬉し涙を流しました。目が見えなくても涙が出るのですね。
体重も104kgまで減りあと少しで一番大きいサイズのTシャツやショーツを共用できるように
なりそうでそうなれば、毎日着替えをして、いつもショーツを穿く生活(今は自分用のショーツが
1枚なので、洗濯している間はお尻を出しての生活になります)ができるようになります。

ほかの入所者はそろそろ長袖ジャージが出てくる季節ですが、来年は私もそれに袖を通すことが
できるかなと思うと楽しみですし。Tシャツとショーツだけの冬は今年を最後にしたいです。

点字の勉強もひらがなとカタカナを覚えて、今は漢字も少しずつ読めるようになってきましたし
点字の教科書が読めるようになったら、マッサージ師の資格を取ることも考えています。

この施設でも目が見えなくなってから資格をとった女の子もいて、外で実際にマッサージ師の
仕事をしているそうですし、私ももう一度自分でお金を稼げるようになれれば、妹のために何か
できると思いますので。
そうした目標があると、毎日も前向きに生きていけます。

失った物は大きかったけれど、そのことで逆に見えてきたことがあるようですね。
目標に向かってしっかり進んでくださいね。


7/2

裕子です。
5月のはじめに冬服の長そでジャージを回収するというお知らせがあったのですが、
私はTシャツとショーツしか身に着けていないので、今までと変わりありません。
これから10月までの夏服の期間は、ほかの入所者も上はTシャツ1枚のようです。

履物は、リーダーや外に出てアルバイトなどをしている入所者は上履きがありますが
それ以外の入所者は裸足なので、夏の間は私も多くの入所者とは
ブルマを穿いているかどうかの差(ショーツを洗濯するとき以外)だけになります。

私を含めてごく一部だけが、ショーツ姿という環境は、高校生活の後半でも経験していて、
あのときは、私は巨体に鋭い目つきのためにいじめに遭わずに済みましたが、多くのショーツ姿にされた
女の子は、すぐにいじめの標的にされていました。

ところがここでは、入所者は目の見えない女の子ばかりなので
見た目を理由にしたいじめは全くありません。
私はこれからの人生の後半をこの施設で生きていくことになりますし
厳しさもありますが、みんな目がみえず、男の子がいない環境だからこそ、美人が得をすることもなく
私のような巨体で怖い顔でも損をしないので、前を向いて生きていきたいです。

外見による差別もなく、そんな事で気を使う必要などないようですね。
それだけに本当の心が見えて来そうですね。


4/14
裕子です。この施設に入ってから、糖尿病を治すためにまずは痩せることを目標としていきましたが、
そのおかげで、この間の診断で、足を切断しないで済みそうだといううれしいお知らせがありました。
ここ最近ずいぶん暖かくなり、Tシャツとショーツだけの格好で裸足で生活するのも楽になってきました。

以前に比べて足の感覚が戻ったと感じていて、それがうれしいと同時に裸足の冷たさも増してきていたので
今が春でよかったです。また、これまで書いてきたように裸足での学校生活をした期間も長かったので
周りの入所者(先生方はみんな上履きをはいているようですが、入所者はリーダー以外は裸足です)に比べれば
裸足での生活は平気ですが、それでも施設の中のタイルたコンクリートのところははきものがほしいなと思います。

また、ショーツは1枚しかなく、週に1度自分で手洗いするのですが、冬の間より水が冷たくないのもうれしいです。
洗わなければ汚れたショーツを身につけることになりますが、洗ってから乾くまでは、Tシャツだけになってしまいます。
Tシャツの丈は長めとはいえ、以前はお尻が半分出ていたのですが、わずかな量の食事しか与えられない
生活のために、私もずいぶん痩せてきて、今は裾を少し引っ張ればお尻を完全に隠すことができるようになりました。

もう少し痩せれば、ワンピース代わりのTシャツとショーツという、世の中の女の子が家の中で普通にしている
格好になりますし、ほかの入所者と服を共用できるようになれば、ショーツも常に身につけられるようになります。
痩せることでこんなにいいことがあるのであれば、もっと早く、視力を失う前からダイエットに励んでおけば
今も目が見えていたかなと思うときもありますが、少しずつ前を向いて生きられるようになってきたと感じます。

一つ大きな心配事がなくなり、良かったですね。
これまで些細なことと気にしてなかったことも、嬉しく感じるように心の変化もあったのですね。


3/21

裕子です。
私のただ一人の家族である妹は週に2回、1時間かけて私の入っている施設に来てくれます。
ここに入っている女の子の大半は身寄りがなく、会いに来てくれる家族がいる私はとてもうらやましがられています。
そういったこともあって家族と会うのは面会室に限られていて、自分の部屋に入れることはできません。
でも、妹がトイレと薄い布団しかない3畳くらいの広さの部屋を見たらショックを受けそうなのでその方がいいかもしれません。

妹がここでは口にすることのできないお菓子やお酒を持ってくてくれるのですが、禁止されているものですから
面会室で食べることしかできません。妹は「本当はダメだってわかっているんだけど、これ裕子お姉ちゃん好きだったよね」と言って
おまんじゅうやようかんをこっそり差し出してくれます。歯がぼろぼろになってからはこうしたものばかり食べていましたが
以前のように大量ではなく、1個だけだよと言ってくれるのは、妹もこうした施設に入ることを決めた私のことを理解してくれているからです。

丈の長いTシャツとショーツの服装なので、ポケットはありませんし部屋にも収納はないので、隠すことはできまんせから
本当に面会室だけでの楽しみです。ただ、タバコは施設の中が完全禁煙なので、あきらめるしかありません。
妹の顔を見ることはできないので、その分妹と強く抱き合って愛情をたしかめています。妹は私がいなくなった
1Kのアパ−トで生活していますが今でも布団を2つ敷いて、私の使っていた物(ほんのわずかですが)もそのままにしているそうで
そんなに私のことを思ってくれるのに、私は妹に何もしてあげられないのがくやしいです。私と同居したままという条件でなければ
妹は結婚も無理ではないと思いますし、いずれはお婿さんをと思いますが、その日が来ても私は妹の花嫁姿を見ることができません。

その妹に私ができたただ1つのことが、高校時代に使っていたブルマのうち破れていない1枚をあげたことで、
妹の体型であれば短パン風になるので、それを妹はいつも穿いていたのですが、今は使っていないそうです。
もちろん私が大量に消費してたお酒やタバコ、お菓子のお金が必要なくなり、アルバイトの収入は妹のためだけに使えるので
安い店で服を買えるようになり、今は外出のときはスカートを穿いているようです。

ただ面会室で抱き合うときは、私だけスカートを穿けないし、お姉ちゃんとふれあうのに邪魔だからからといってスカートと、スリッパ、靴下を脱いで、
私と同じ裸足にショーツ姿になってくれたました。
妹が私があげたブルマを持ってきてくれ、「これをお姉ちゃんに穿いてほしい」と言いました。
施設に入ったころ130kgだった体重が110kg以下になり、高校生のころの95kgよりはまだ重いのですが、
ブルマを穿いても、きつさを感じず、生地の伸縮でカバーできるくらいになっているようです。
妹は「もうハミ尻しないね、お姉ちゃんブルマを穿くといい顔になるね」と言ってくれました。

この施設ではあくまで施設の規則があるので、このブルマを自由に穿いていいということではなく、
当分は施設で預かるそうですが、いずれ外出が許可されるようになったらこのブルマを穿きたいと思います。
施設の先生によると、施設で支給されるブルマよりもずっと品質がよいそうで、
両親が私に残してくれた宝物でもあり、妹との絆でもありますからこのブルマを穿けるようになりたいと思います。

逢いに来てくれる肉親が居ることは、とても心強いですね。
施設を出て行く時のことを考えると、他の方と違い自分が落ち着ける家があるのもいいですね。
妹さんの差仕入れてくれる気持ちに甘えず施設のルールを守り、これまで出来なかった自分に厳しくなることが
自然に出来るようになってくださいね。


3/11

裕子です。
ショーツを身に着けられるようになってからは、それまで禁止されていた椅子に座ることも認められ、
このパソコンのコーナーでも今までのように膝をついた体勢で書かなくてもよくなりずいぶん楽になりました。

食事も今までは自分の部屋で1人で食べてたのですが、椅子に座ることが許可されたので
ほかの入所者といっしょに食堂で食べるようになりました。みんな目が見えないので、
ここではかわいい、かわいくないというような女子のグループで必ず意識してしまうこともありません。

目で相手の存在が確認できないため、入所者の女の子同士でのスキンシップは結構あり、
他の女の子が何を着ているのかもわかってきました。
私はTシャツとショーツの恰好ですが、触られたときに、寒いのに上も下も1枚しか着てないのと驚かれました。

他の女の子は、上は肌着(たぶんTシャツ)の上にジャージで、下はショーツの上にブルマのようなものを
穿いているようです。世の中でブルマで生活しているのは、妹くらいしかいないのかと思ったのですが、
この施設ではそれが入所者の服みたいです。
生地の触り心地、ショーツのラインの外側に並行になるラインを考えるとやはり、みんなブルマを穿いているみたいです。

体型によって、大中小のグループに分けられて、そのグループ10人くらいで、服は共用しているようで
洗濯も入所者がします。私はグループ分けにも入れない巨体なので、専用のTシャツとショーツの生活ですが、
このままショーツを汚さず、もっと痩せて大のグループで服が共用できると認められれば、
他の入所者と同じように、長袖のジャージやブルマも使用できるそうなので、それが私の次の目標になります。

食事は相変わらず3分の1人前ですが、入れ歯ができてからはおかゆではなく通常のメニューになり
固いきんひらごぼう(1日1回は出ます)もゆっくりと噛んで、ごはんも小さいお茶碗に1杯ですので
これも大切に噛みしめています。

この施設では目が見えなくても、食器をいくつも使う食事が出るので、最初は食べやすい1皿のカレーとかにしてくれれば
と思ったのですが、こうした食事の方がカロリーが低くても満足できます。
もっと食べたい、お菓子やお酒が欲しいという気持ちは今もありますが、一方で共用のブルマが入るようになれば、
もう一度ブルマを身に着けることができる、そうなれば着替える服もある生活ができると思うと、励みになります。

日々、少しずつ状況が改善していくことで、励みになるような事が見つかるものですね。
入所された頃を振り返ると、良い方へと大きな変化ですよね。


3/4

裕子です。今日は2つとてもうれしいことが重なりました。こういう日は自分の人生の中でいつぶりなんだろうと思います。
1つは入れ歯を入れてもらったことです。歯がほとんど虫歯になってしまってから4年以上になりその間
やわらかいものしか食べない生活をしていました。
今日は特別だからと食事と別にクッキーとポテトチップスの小さな袋を出してもらいました。
歯があったころは大きな袋を1日に2つ3つ開けていましたからそれに比べればわずかですが
硬いものも食べられるようになったことがうれしいです。

もうひとつはショーツの使用ができるようになったことです。
ここ1か月はトイレもきちんとできていたので、もうショーツを汚す心配がないからということで
これからはショーツを身につけてよいといわれました。
ただ、糖尿病の影響や少ない食事もあって、入所した頃は130kgくらいあった体重が110kgくらいに減っていて
そのことはうれしいのですが、以前使っていた、ゴムの伸びたはき古しショーツはすぐにずり落ちてしまいますので
もう二度とそんなショーツをはくことがないようにということで、処分されてしまいました。

処分することきは、自分の手で引き裂くようにと言われその通りにしたのですが、
施設に入るまでは私の大切な部分を守ってくれたショーツを破るときは、涙が出てきます。これも今までの
自分とけつべつするためにということだそうです。

代わりに与えられたショーツはフルバックのやや厚い生地のものです。色やデザインはわかりませんが
スタッフの方(ここでは入所者は「先生」と呼びます)によると、色は白でデザインは無地だそうです。
これからの裕子が今までの人生をリセットして、新しい出発をできるように、白の無地にしたそうで
そういったスタッフの心づかいにはとても感謝しています。

ただ、今までの人生で穿いていたショーツは多くが白の無地でしたので、私としては今まで
一度も穿いたことがない黒や茶色のショーツの方がそうした気分になれるように思えますが、どちらにしても
私は見ることができません。
生理も今まではお尻丸だしなので、垂れ流していたのですが、これからは与えられたタンポンで自分できちんと
処理しなければなりませんし、しなければ新しいショーツを汚してしまうことになります。
当分の間ショーツは1枚ということで、汚してしまった場合は自分で洗いその間はお尻丸出しでの生活ということですので
これからは自分の体から出たものはきちんとしなければいけません。

良かったですね。これまで当たり前と思ってたことが嬉しく感じるようになられたのですね。
厳しいようでも貴女が今後、人に頼らず自活出来るようになるためでしょうから、本気でリセットするつもりで色んな事に取り組んでくださいね。


2/21

裕子です。音声読み上げソフトはとてもよくできていて、聞き間違いそうな言葉についてはアシストしてくれる機能があり、
文章を修正してくれる機能もあります。
点字については最近ようやくかなとアルファベットは覚えましたが、漢字(「これも読み上げでは文字のかんじ」というふ
うに言ってくれます)はまだまだです。
キーボードが点字つきなので、入力はできるので、今の私はパソコンでつながっています。
もちろん図書室にある点字の本もいずれは読めるようになりたいと思っていますが、19才(数字も半角だと「じゅうきゅうさい」
全角だと「いちきゅうさい」と読まれるようです)で高校を卒業してから勉強など全然していないので覚えるのは大変ですが、
手の指は残せると聞いてから点字を勉強する気持も強くなっています。

今日は歯科医師の先生が施設に来てくれ、前からの予定通り残っていた歯をぜんぶ抜いてもらいました。
あさってには入れ歯を入れてもらう予定です。
そうなれば長く食べられなかったものも口にできますし、そのとき食事に特別に出してもらえる予定のビスケットが今から楽しみです。

着るものも、最近は便器の中にきちんと出すことができるようになってきて、この状態が続けばショーツの着用ももうすぐできると告げられました。
同じように、Tシャツ1枚での生活をしている沙織はまだもうすこしかかるそうです。ただ肥満型の私のTシャツはまた下より少し上くらいまでで
しゃがむとお尻丸だしになるのですが、沙織はやせ形で、また下20センチくらいあるので、私のはワンピースと同じだけど
裕子は下半身裸と同じでかわいそうといってくれます。早く沙織もショーツがはけるようになってほしいと思います。

次の目標は足の壊死をふせぐことになります。施設の中では入所者の女の子は裸足で生活しますが、歩いていて冷たいと感じるので
このまま感覚を失わなければいいなと思います。もし感覚がなければ、いずれ足を切ることになるそうです。
罰として履物が許されなかった高校生活の後半や拘置所に入っていたときは足の感覚がなければいいのにと思ったこともありますが、
やはり冷たいゆかは冷たいと思えるのは大切なことです。

 
失ってみて初めて、当たり前だったことがそうではないことに気が付き、ありがたくも感じるのでしょうね。
健康が当たり前だと思えている間は、そんな事さえみんな気が付きませんよね。
機材も良くなり、不自由さを少しでもカバー出来るようになっているのですね。


2/12

裕子です。施設に入ってから半人前以下の量の食事しか与えられてないので、体重が減ってきて
少し体が軽くなったのですが、昨日の診察で手の先については切らずに済みそうだといううれしい知らせがありました。
指を失ってしまうとこのページへの投稿も難しくなってしまいますが、この施設には点字のキーボードと
音声読み上げ機能付きのPCがありますので、これで今後もこのページに投稿できます。

私が入っている施設には18歳から50歳までの目の見えない女子が30人くらいいます。
目が見えない理由はさまざまですが、私のように見えなくなってからの日が浅い女子はトイレが
きちんとできるまでショーツの使用が許されません。
今、ショーツが許されず大切な部分を覆わないで生活しているのは私と、沙織という私より3歳年下の
女の子の2人です。ですので、沙織とはすぐに仲良くなることができました。

沙織は私よりもずっと大変な人生を歩いてきて、今は身寄りもなく、会いに来てくれる家族もいません。
非常に貧しい家庭で生まれ、子供の頃はお母さんやお兄さん、お姉さんと1部屋しかないアパートで生活し
小学校5年の頃から学校に行くことはなく、覚せい剤などの薬物や盗みで何度も逮捕され、
刑務所にも2回入ったそうですが、シンナーはやめられず長年使い続けたことで視神経が死んでしまい
ある日突然真っ暗な世界になってしまったそうです。

歯も15歳の頃には溶けてしまい、20年近く噛むことができないそうです。私も虫歯だらけで
もうすぐすべての歯を抜いて総入れ歯にしてもらう予定ですが、沙織はシンナーのために骨まで溶けていて
入れ歯もできないそうです。
沙織からこの話を聞かされたとき私は大泣きしてしまったのですが、やはりそれに比べれば、自分はずっと恵まれている
わずかですが明るさはわかりますし、入れ歯もできる。何より妹が施設に会いに来てくれるのです。
ただそれでも、沙織がうらやましいと思うのは、異性経験で、今まで20人以上の男性に抱いてもらえたそうです。

沙織にとってはいまわしい思い出(レイプされての中絶も2回しているそうです)であることは分かるのですが、
やはり一度も男性を抱いておらず処女のまま人生を終えることになりそうな私からしますと、どんな形であれ男性に抱いてもらいたいです。
お互いに目が見えるときに会っていないので、美人かブスかもわからないのですが、おそらく目が見える人が私と沙織を見たら
間違いなく沙織の方がかわいいと思うのかなとおもいます。

 
目がご不自由ですと名前の漢字変換もどれが書きたい漢字なのかわかるのでしょうか。
投稿一つをとっても大変でしょうが、自分に出来ることをみつけていってくださいね。


2018/1/9

裕子です。今まで書いてきたとおり、私は25歳のときに強盗という罪を犯してしまい
半年間、自由を奪われて拘置所に閉じ込められたのですが、
今にして思えばあのとき重い実刑判決を受けて長い間刑務所に入っていた方がよかったのかなとも思います。

拘置所でも食事の量は少なく、お酒やたばこを許されなかったため、半年で体重が10kg以上減りました。
食事も内容も、今の施設と同じようなものだったと思いますが、今と違って目が見えていたので
こぼすこともなく、歯もあって、固いものも噛むことができたので食べやすかったです。

当時1枚だけ持っていたスカートは押収されていたために、裁判に臨むときを含めてブルマを穿いての生活でしたが
今にして思えばショーツ+ブルマの2枚で下半身を覆うことができるのはとても贅沢に思えます。

部屋も中にトイレがある点も同じですし、そのトイレもあのときは普通にできたので、
今のようにうまく中に出せず、自分の出したもののせいで部屋の環境を悪くすることはありませんでした。もちろん
トオレが中にあるのでそれでも臭かったですが…

拘置所で刑を受けている受刑者の女の子は短パンでしたから、もし実刑判決を受けて受刑者になっても
今よりはよく、しかも長い期間刑務所に入っていれば体重を大幅に減らし、健康な体になれた。そうすれば
これから一生不自由な身体で生きるよりもよかったのかもしれません。

とはいえ後悔してもしかたないので、早くきちんとトイレの中に出せるようになって
ショーツを身につけることが許されるようになりたいです。

 
今自分が置かれている状況が厳しいため、刑務所の方が良かったとさえ思えてしまうのでしょうね。
過去を思いその時何かをすれば良かったと、「たら、れば」をいくら言っても何も変わらないことを受け入れられないのでしょうね。
今から何をするかが貴女にとって一番大切な事なのに、これまで家族に依存し、本気で自らの生活態度を改めなかったのでしょう。
過去にとらわれず、未来に向けて行動していきましょう。


12/

今の私は施設の中で、丈の長いTシャツ1枚だけで生活しています。それ以外に身に着けているものはありません。
Tシャツの中にはショーツもブラジャーも身に着けていません。丈が長いといっても、立った状態で裾を引っ張って
やっとお尻が隠れるくらいで、椅子に座るときはお尻がそのまま椅子についてしまいます。

自分の部屋から1階の居間にある音声読み上げ機能つきのパソコンがあるところまで、感覚が麻痺しかかった手足を
頼りに歩くのは大変ですが、それでもここに来て顔も名前も知らないブルマ女子たちとつながれるのは楽しみです。

冷たい廊下を裸足で歩くのは、小学校での裸足教育、高校の後半、そして拘置所での生活と何度も経験していますが、
足の神経も失われはじめているせいか、昔のような冷たさを感じません。このまま冷たさを感じなければ、いずれ足を
切り落とすことになると言われていて、それだけは避けたい。せめて失うのは目だけにしたいと思います。

一方で、以前は大量に口にしていたお酒や甘いものも欲しいという思いがあります。昨日の食事は3粒の金時豆が出た
のですが、お箸では当然つまめず、指でつまんで食べましたが、久しぶりの甘味は強烈でした。
手の指の方はまだ深刻な状態ではなく、ここのキーボードは五十音順のわかりやすい並べ方になっていて私もこうして
投稿できますが、少しずつでも点字の勉強もしなければと思います。施設に入っている女の子の多くは点字で目が見え
る人と同じような文書も書けるようになっているそうですし、私もまずは紙に書かれた字を取り戻したいです。

 
普段、普通に生活していると、健康な身体の有難さに気付きにくく、不自由になって初めて気付くことも多いのでしょうね。
少しでも失うものが少なくなることを願っております。出来ることから一生懸命取り組んでみてください。


12/29

裕子です。私がこのページへの告白をはじめてからもう9年になりますが、自分の投稿でも字を見るのとちがい、
耳で聞くととても恥ずかしいものですね。
今の私はこの画面の字を読むことができません。しかし音声読み上げソフトのおかげでこのページにこうして投稿することができます。
1年ほど前から目がかすむことが多かったのですが、3か月前から急速に視力が低下し、今は光をわずかに感じるものの、
何も見ることができなくなりました。

私たち姉妹はとっくに保険証をとりあげられてて、病院に行くことができず、そのために姉もがんの早期治療ができず今は天国にいますが、
私も目が見えなくなって、妹がお金の心配はいいからとうながしてやっと病院に行き、そこで重度の糖尿病になっていることがわかり、
そのために視力を失ったことがわかりました。

姉と違い、長年不摂生な生活を続け、高校生のころ90kgだった体重が130kgまで増えて大量のお酒、たばこ、お菓子を消費して
姉や妹に迷惑をかけた
私が悪いことはわかっており、もう妹に迷惑をかけられないという思いから厳しい生活指導のある障害者自立支援施設に入ることにしました。
ここではお酒もたばこも全くなく、食事も3分の1人前くらいの量しか与えられません。

それも固いものが多くてほとんどの歯が虫歯で、かみ合わせが難しい私には食べにくいものが多かったのですが、
今度歯をすべて抜いてもらう治療をして、入れ歯をいれてもらえることになり、そうすれば長いことが食べられなかったものも
食べられるのが楽しみです。
体重を目標通りに減らせれば昔はよく食べていたクッキーやビスケットも与えてもらえるそうです。

糖尿病のせいでのどのかわきもきついのですが、大好きなコーラやファンタはもちろんなく、水とお茶しか飲めません。
部屋は3畳くらいの広さのようで中に低い机と布団と小さい和式トイレがあります。
今言い渡されている最初の目標は体重を減らすことと、トイレを汚さずに使うことです。目がみえず、
糖尿病のために手足の指の一部が腐りかかっているためにお尻を拭くことも以前のようにはいきません。

ですので早く体重を減らし、できる限り指を失わないようにしなくてはなりません。親から授かった体を37年でこんなふうにしてしまい、
本当になさけないです。
着るものは長い丈、といってもお尻が立った状態で何とか隠れる程度のTシャツだけで、ブルマはもちろん、ショーツもありません。
もちろんしゃがめばすぐに、トイレができるためですが、まだうなくできず、出した糞尿が便器の外になってしまうことも多いです。
そうしたときも自分で掃除をしなければなりません。しなければ狭い部屋が汚く臭い環境になる、
それが嫌であれば、早くきちんとトイレができるようにならなければならないというのがこの施設の厳しいところです。

ただ、1回の共有スペースには音声読み上げ機能つきのPCがあり、ヘッドホンもあるのでこのページを読むことや投稿することは
これからもできます。

家では妹に迷惑をかけていましたが、ここでは自分でしなければいけません。出すことは拭くこと、脱ぐことがきちんとのできるようになれば
ショーツの使用も許可されるので、今は体重を減らして、これ以上自分の体を腐らせないこと、そしてショーツを穿けるようになることを
目指しています。
そしてまだ先のことになるのですが、妹にあげた私の破れてない方のブルマは、妹が穿くのをやめて施設に預けています。
私がいつかこのブルマを穿けるようになってほしいからということです。

私がいなくなったボロアパートで1人生活している妹はものすごくさびしい思いをしていますが、毎週この施設に会いに来てくれます。
施設のルールで部屋に入れることは禁止で(妹に掃除をさせては施設に入った意味がないからだそうです)、1階の広間で会いますが、
妹の顔を見ることができない分しっかりと妹を抱きしめています。妹も私がいない分、自分の服にもお金を使えるようになって、
今日会った時はタイトミにのスカートを穿いてました。

私は妹が若い女性としての普通の服装ができるようになったことがうれしかったのですが、妹は私がスカートを触ると涙を流してあやまってました。
私が下半身裸に近いかっこなのに、自分がスカートが申し訳ないと思う、それくらい姉思いの妹は今の私の唯一の自慢かもしれません。

 これまでの自堕落な生活から自らの意志で抜け出すことが出来す、とうとう大変な状況になられたようですね。
公的支援を受けられることを有難く思われ、今回を最後のチャンスと受け止め、妹さんに頼らなくても何とか自活出来るようになれることを願っております。


10/9

裕子です。どうしても今の話をすると湿っぽくなってしまうので今回はずっと昔のお話です。

小学生の頃からもう30年以上ブルマとのお付き合いをしている私ですが、ブルマの形は少しずつ変わっています。
色はずっと紺でしたので、今でも赤や緑のブルマは何かしっくりきません。
小学校のときは、一般的な形のブルマでしたが、お尻に名札を縫い付けるタイプで
名札がなく、黒色で自分のよりもハイレグな、姉の短大のブルマが大人っぽくて羨ましかったです。

姉はもちろん短大に行くときはブルマではなかったですが、銭湯に行く時など近所の外出は
ブルマを穿いていましたし、私や妹は私服を持たず、いつも体操服ブルマの格好でした。
中学校に入るとブルマは、少しハイレグ度の高いものに変わりました。

お尻に縫い付ける名札はなくなり、代わりに名字の刺繍が入り、また小学校のときのブルマには
なかった、サイドに3本のラインが入っていて、色も少し深みのある紺で
大人になったような気分で嬉しかったです。

登下校や学校の中ではセーラー服を着るようになり、学校以外の外出もセーラー服が多くなり、
家もお風呂のない2Kのアパートから、3LDKのマンションに引っ越して銭湯通いもしなく
なったため、ブルマで外出することが少なくなり、それと同時に小学5年生になった、妹も
ブルマでの外出を恥ずかしいと感じるようになったのか、親に服をねだるようになりました。

そうしたこともあって、私が中学生になると、姉妹そろってブルマ姿で街を歩くことは
減りましたが、姉と私は相変わらずマンションの敷地内くらいであればブルマで行っていました。
一方で妹は、次第にそれさえも恥ずかしいと感じるようになったのか、小学校のブルマも
家の中と学校の中(小学校は校内では全員体操服ブルマ姿で裸足でした)でしか身につけなくなり
体操服の上にブラウスとスカートを着て学校に行くようになりました。

姉や私は、妹のものよりハイレグなブルマを穿いていましたから、
妹がそのくらい足を出すのも恥ずかしがるのかなと思いましたが、思春期の女子としては
妹の方が普通だったのかもしれません。

   周りの友達がブルマを普段着にしていなかったら、自分も友達と同じような恰好で出歩きたいと思うのは自然な事でしょうね。
自宅の中ならばブルマは快適でしょうが、スポーツのためでなく外出着としては目立ったことでしょうね。


9/27

なかなか今の方がよいと思うことは多くないのですが、
それでも何かないかと考えてみますと、生活に余裕がないながらも
今は自由があること、服装に関しては昔よりも強さを身に付けたことかもしれません。

ショーツ姿で高校生活をしていたときは、登校時と下校時に生徒指導室で
所持品検査がありましたし、長時間の正座も毎日する必要がありました。
2度目の3年生として授業を受けるようになっても、昼休みと放課後、夕方6時までは
生徒指導室前で正座をさせられました。もちろんタバコは家で親にも隠れて吸い、
タバコ自体も姉がこっそり分けてくれたものを大切に吸うしかありませんでした。

今は一日中家で横になり、タバコも、妹に煙を吸わせるのは申し訳ないのですが
好きなだけ吸うことができます。

服装も、高校を卒業してからしばらくは服がないからという理由で、働くことも拒否していたのですが
今はハミパンでもハミ尻でもアパートの外に出ることができます。
ただ今のままではダメな点が多いですし、唯一の家族になった妹のために、
何かできればいいなと思いますし、それができて、体重も昔のように105kgくらいまで減らせたら
妹にスカートを買ってあげて、破れてないブルマを返してもらおうと思っています。

 
思うだけでなく、思ったことをすぐに実行することで、妹さんの助けになるのでしょうね。
また、頼る人が居ない場合は、自身が今何をすべきか考えて実行することでしょうね。


9/25
裕子です。6年前に当時住んでいたマンションで、私のたばこの火が原因で火事を起こしてしまい、
服の多くを灰にしてしまってからずっと、家から出るときはブルマしか穿くものを持たない生活をしていますが、
家の中では子供の頃から、下はショーツだけしか身につけていません。
それが30年以上当たり前になっていますが、家の外ではやはりブルマが大切な部分を守ってくれるという安心感があります。

今でこそ、ビリビリに破れたブルマ1枚しか持っておらず、体重が大幅に増えたせいもあって、
ハミ尻しまくりなのであまりに気にならなくなりましたが、昔を思い起こすと、ブルマを穿いている安心感があったなと思います。

このページに出会って投稿を始めたのは28 歳のときでしたが、当時もショーツとブルマの2枚を重ねて穿けば恥ずかしい気持ちは
あっても近所のコンビニまでは平気で行けました。

しかし、今までお話ししてきた通り、高校生のときに1年半、学校の中でもショーツ1枚で過ごさなければいけなくなったとき、
最初は強い抵抗があり、中退することも考えました
(両親から中退するなら家から追い出すと言われ、ショーツ姿での学校生活をすることになりました)

今もそうですが、持っているショーツはフルバックのものばかりですが、それでもブルマに比べると
生地の厚さは半分くらいで、ブルマ+ショーツの場合に比べると3分の1くらいの厚さになってしまいます。

1度目の3年生の秋は停学中だったので、登校してもずっと廊下で正座をしているだけだったのですが、
やはりショーツで覆われただけの大切な部分(私の大切な部分なんて全く価値がありませんが)を手で隠そうとしていました。

ショーツ姿での学校生活も長くなってくるにつれて、だんだん恥ずかしさはなくなり、
停学の期間が終わり、2度目の3年生をするようになってからは、裸足にされている生徒の間でリーダーのような役割もしました。
ただそのときも、体育や掃除の時間、ブルマを穿いている生徒が羨ましい、ブルマが穿ければいいなと思っていました。
体育の授業のない日に、裕子と気持ちを共有したいからという理由で、1日中ブルマ姿(生徒によってはショーツと同じと思っていたようです)
になってくれたのは嬉しかったですが、やはりショーツ姿とブルマを穿けるのは違うのにと思っていました。

運動会とその練習の時期は、体育の授業を含めて生徒はグラウンドでは裸足になるのですが、このときは裸足組の生徒も
上履きや靴下と許されている、指導を受けていない生徒と格差がなくなるのですが、逆に他の生徒がブルマで私だけが
ショーツ姿というのは恥ずかしかったです。
もちろん、登下校や通常の外出の際はセーラー服上下でしたし、今よりはずっと恵まれた境遇だったのですが。

 
今の生活が厳しいほどに、過去のことが良く思えてくるのでしょうね。
過去に較べて、些細な事でも今の方が良いなと思えることはないのでしょうか。


7/29

前回のお話の続きです。

今回は非常に恥ずかしい話ですが、自分への戒めとして書いてみます。
私の罪名は強盗傷害で、人を殺すことを別にすれば一番重いくらいの罪でした(店員の女の子を入院させています)
そのことや、刑務官の女の子よりずっと巨体(当時175cm・105kg)ということもあって、
拘置所の中でも危険な人物としての扱いを受けていました。
拘置所では部屋から出る際は必ず手錠をかけられ、腰に縄を巻かれます(縄は手錠とつながっています)

手錠をかけられるときは、立膝になって食器を出し入れするところから両手を出し、手錠をかけてもらってから部屋の鍵が開けられました。
部屋に戻るときはその逆で、肥満型で足腰も強くない私が手錠をかけられた不自由な状態で立ち上がるのは大変でした。
また部屋から出るとき、他の拘置所にいられている女の子はゴムサンダルを履くのですが、私は部屋から出るときも裸足で
コンクリートの床を歩いてお風呂や面会室、運動場に行くときはとても冷たかったです。、裁判に行くときだけ
バスに乗る前に履くことができました。

縄は他の女の子は腰に巻かれるだけですが、私は股にも通されました。裁判の際は、裁判所に行く女の子が、
それぞれの巻かれた縄をさらに1列につながれるのですが、私は常に一番後ろで、他の女の子は1本の縄でしたが、私は2本でした。
股に縄が通されていると女性としての大切な部分が刺激されてしまうこともあり、それまで自分でいじることで快楽を得る行為は
毎日してきたのですが、そうでない形での刺激、しかしそこに愛という気持ちは全くないというとても言葉で言い表せない気持ちでした。

拘置所に入るときも、凶悪犯として全身を徹底的に調べられ(もちろん裸にされました)大切な部分にも太い棒のようなものを入れられて
その際に膜が破れてたくさんの血が出ました。ですので私は処女なのですが、膜がありません。
部屋の中では少しでも凶器になる可能性のある物や、自殺に使えそうなものは置くことができず、
靴下もくるぶしまでのミニソックスだけで、破れているものはダメで、1足だけあったミニソックスが破れてからは
素足での生活でした。置いておける服の数も決まりがあり、トレーナーは2枚、ブルマは3枚、肌着とショーツは4枚までした。

化粧品や医薬品は一切持てませんし、生理用品も妙に小さいもの、歯ブラシも柄を半分に切ったものが与えられ
巨体に見合い経血の量も多いので、生理中はショーツにべったり血がついていました。
下着は部屋の中の小さな洗面台で洗えましたが、もちろんお湯は出ず、洗剤も使えないので
ショーツは2枚を汚してもいいサニタリー用、残り2枚を通常用としていました。
寝るときも、ペラペラの敷き布団と毛布1枚(どちらも汚かったです)で、あとはトレーナーとブルマに自分の体温が頼りで
暖房がきいていて、ベッドの上段に妹がいる実家マンションに戻りたいと思っていましたが、このような環境でも風邪を引くことはありませんでした。

このようにとても過酷な環境で、涙が乾くことがなかったのですが、ブルマ姿での裁判が進むたびに
さらに環境が悪いであろう刑務所に何年も行かなければいけないという恐怖もあり、半人前の食事も食べきれなくなってしまうときもありました。
人生で成功体験といえるものは全然ない私ですが、この判決の裁判で、執行猶予という言葉を聞いたときは涙が出ないうれしさでした。
このような過酷な拘置所暮らしも、高校のときに罰と受けたショーツ姿に裸足での生活があったから耐えられたと思えますし、
今の生活環境も良くないのですが、、高校で受けた罰と拘置所で大人として受けた罰という2つの体験があるのでそれに比べればという思いもあります。

貴女自身の戒めを読まれて、やってはいけないことの分別と、一歩踏みとどまることの大切さを学んでくれる方が居るといいですね。
今になっては、取り戻すことは出来ない過去の時間ですが、自分のこれからを考え、いつまでも甘えた気持ちを持たず、前に向かって進んでいただきたいと思います。


7/23

裕子です。暑い日が続いていますが、
今回は寒い季節の思い出です。
前に書きました通り、私は20代のとき、万引きをして見つかった際に暴力をふるったために

強盗の罪で逮捕され、冬場の半年間、自由を奪われて、牢に閉じ込められていました。
当時は今と違い、少ないながらブルマ以外の服もあったのですが、それぞれ1着しかもっていなかった
カットソーとスカートは事件を起こしたときに身につけていて被害者の方の返り血がついたため、押収されてしまい、
無職だった私が当然新しい服を買えることはなくまた裁判中の場合、受刑服を着せられることはなく、私服なのですが、
持ち込める服にはさまざまな制限があり(校章がワンポイントで入っていてもダメですし、キャラクターものショーツも使えません)
数にも決まりがあって、私が使用していた服は、トレーナー・ブルマ・肌着・ショーツが3枚ずつで
(ブラジャーは禁止ですし、ひものあるものなど自殺に使えそうなものは全て×)
拘置所にいる間は、いつもトレーナーとブルマの服装でした。

また、靴下もくるぶしまでのものしか認められず(これも自殺防止が理由だそうです)、もともと靴下を履かないことが多い私は
拘置所に持ち込める靴下も1足しかありませんでした。その1足も擦り切れかけていて、すぐに穴が開いたのですが、
穴のあるものはダメということで取り上げられ、それ以降は素足での生活でした。
そうした環境で暖房のない部屋で24時間過ごすのですから、高校生のときに校内でショーツ姿に裸足になったときよりも大変でした。

高校でこうした罰を受けたのも万引きが原因で、大人になっても同じことを繰り返したのですから、悪いのは自分なのですが。
食事も巨体の私にとっては半人前の量で、大量に飲んでいたお酒や1日40本吸うタバコも拘置所にはなく、そうした面での辛さもありました。
ただ、そのために105kgくらいだった体重が、春には高校生の頃と同じ、95kgまで減り
判決のときは、ブルマのハミ尻を全くに気にしないくらいになっていました。

判決は執行猶予でしたが、そのために実家に戻ると、元のような酒・ダバコ・お菓子を大量に消費する生活になってしまい
体重は105kgに戻るどころかさらに増えてしまったのですが…

自分のことを見直しやり直せる最初のチャンスだと受け止めて、生活態度を正すことが出来なかったのですね。


5/8

私の通っていた高校には体育館履きはなく、
生徒は体育館での体育の授業は靴下を脱いで裸足(ソックスも脱ぐ)、
それ以外(集会など)で体育館に入るときは、上履きを脱いでソックスで、体育館の中を歩いていました。
これまで書いてきた通り生活指導がとても厳しい学校で、靴下は学校指定以外のものを
履いていた場合はもちろん、長さの違反(きちんと伸ばしていないなど)でも没収の対象となり、
靴下を没収された場合は、1回目は1週間、2回目は1か月、3回目は6カ月、4回目
以降は1年間、靴下を禁止されるルールがあり、3回目や4回目の場合で、卒業までの禁止期間を
超える場合は、超えてしまう分の期間、上履きも使用禁止でした。

ですので、靴下を禁止されている「素足組」の生徒と、靴下に加えて上履きも禁止されている「裸足組」の生徒がいて
その格差(特に素足組と裸足組)がいじめにつながることもありました。
しかし体育館の中では、素足組と裸足組の格差はなく、特に体育の授業であれば
裸足組も、処分を受けていない生徒も対等です。そのためか、どうしてもうつむきがちになる
裸足組も体育館での体育の授業のときは活き活きしていました。

ただその中で、私だけがブルマを穿いてないショーツ姿で、体育館での
体育の授業は集団行動が多く、ショーツ姿で、巨体のため動きも鈍い(当時は95kgくらいでしたのでまだそれなりに動けましたが)
私は少しみじめでした。

   見た目ではっきりと、どんなことで禁止されているのか明確にわからせることで、自覚を促す指導だったのでしょうね。
団体行動が出来ないことで、周りからも浮いた存在になってしまうこともあったのでしょうね。


3/13

裕子です。
今の話をしようとしますと、なかなか前向きな話が書けないのですが、今回は19歳のときのお話です。
これまで書いた通り、19歳のときは2度目の高3をブルマを穿けない状態
(校内では上:セーラー服、下:ショーツで裸足。体育や掃除のときは体操服の半袖シャツ+ショーツ、
登下校時は上下セーラー服で素足にローファ履き)になっていました。
つまり校内ではショーツ姿になっていたわけで、他の生徒は着替えのときだけである
ショーツが常に人目にさらされることになります。

また2度目の高3の学年からは、ショーツも学校指定の白無地のフルバックのものを使用することになり
他の生徒は、必ずしも指定のものではなく、フルバックで無地のものであれば可であったようですが
私は校内で常にショーツが見えるため、白いショーツを穿いていました。
このショーツも安くない(1枚で1200円くらいしました)のですが、その分
作りはしっかりしていて、生地が厚めなのも、ありがたかったです。

親にはその白ショーツを4枚も買ってもらえ、生理やオリモノの汚れがあるときは
母が洗濯機ではなく、手洗いで漂白剤を使って丁寧に汚れを落としてくれました。
ですので、このときは毎日きれいな状態のショーツを身につけることができました。
また、一日中校舎の中を裸足で歩いて、冷えて汚れた足を洗う、家に帰ると姉がすぐに
お湯を張った洗面器を用意してくれました。

その母や姉はもういませんが、天国から
破れたブルマから汚いショーツを半分はみ出している私を見守ってくれているのだと思います。

 
以前はそんな感じで周りの人に助けられ、そのことに頼り甘えて生活されてきたのでしょうが、今はそれも昔の思い出ですね。
お母さんやお姉さんは遠く天国へと旅立たれ、貴女の自立をきっと願っておられると感じます。


2017/1/15

1度目の高3の9月、注文書を書き間違えて新品のブルマを4枚買ってしまい、
その直後に半年停学の処分を受け、以降復学した際も、校内でブルマを
穿くことができなくなり、ほとんど日の目を見ることがなかったのですが
30代になると、常にブルマを穿く生活になり、そうなると丈夫なつくりの
ブルマも、このページに投稿をはじめた頃(そのときで高校卒業から9年経っていたと思います)は
「新品に近い状態」だったものが、1枚は状態が悪くなって廃棄、1枚はアルバイトでの作業中に機械に巻き込まれて粉砕し、
さらに1枚は妹にあげて、私は残りの1枚、それも最初に廃棄したものよりも悪い状態のボロブルマで生活しています。

私のノートのタイトル「実家で心地よい生活をしていた、しかしいろいろな出来事がありその生活は変わってしまった」
というのを見て、改めて自分の投稿を読み直してみると、今までの自分はなぜこんな生き方をしてしまったのだろうかと思います。

自分がダメな人間であることはわかっていますが、何から始めたらいいのかもよくわからない状態ですが、
まずは体重を20代前半の頃の105kg程度まで減らしてはと妹に勧められました。
そして妹が下手な裁縫(全くできない私が下手と言うのも恥ずかしいですが)で私のボロブルマを縫い合わせ
「これを普通に穿けるようになったらお姉ちゃんも自分に自信がもてるかも」と言ってくれました。

たしかに今、このブルマを穿けば、妹が縫った部分がすぐに破れます。そうならないためには痩せないといけません。
ですので、痩せるまでは高校生活の後半以来2度目の「ブルマを穿かない期間」にしようと思います。
外出の際は、以前買った男性用の6LのTシャツをワンピース代わり、といっても
これも今の体型ではパンチラというよりパンモロで全然ワンピースにならないのですが、
痩せれば結果として、ショーツを隠せるようになります。

前回18歳から19歳にかけてのブルマ無しのショーツ姿生活は、学校から命じられてのもので
学校の中がその範囲(登下校時など学校でも家でもない場所ではセーラー服姿)でしたが、今度は全ての場所でショーツ姿に近い格好です。
といってもここ2年、ブルマというよりハミパン、特大ショーツを買う(そのショーツも傷んでいますが)まではハミ尻でしたから
自分の意志で痩せることで、以前のようなブルマ生活ができるようになりたいと思います。

 
自分をダメな人間と決めつけず、過去の失敗を教訓に新年は心機一転してみてください。
これまで自分にいろいろ理由をつけては、自分は何も出来ないと決めつけ周りに頼っていたことを、考え方を逆にしてはどうでしょう。
出来るようになるかもしれないと、簡単な事からまずはチャレンジし、そのことを途中で投げ出さず続けてみる。
そんな気持ちを強くお持ちになり、日々を過ごしていけば自然と変わっていけるかと思います。


11/7

裕子です。
たしかに私の今までの人生はずっと周囲に迷惑をかけ
自分を粗末にしてきたと思います。
その結果として、36歳になって、正規雇用で働いたことも、男性経験もなく
強盗という罪での前科がある私は、唯一の家族になった妹に依存した生活をしています。
姉妹の仲はとても良く、妹も結婚するときは、私と同居してもOKという男性とでなければ結婚しないと言ってくれていますが現実には、そのような男性はいないでしょうし、仮にいても、それほど優しくて経済力のある男性と妹が結婚するのも難しいと思います。
もちろん私は何の取り柄もなく、酒とタバコをムダに消費するだけの125kgの巨体ですから、結婚も男性を抱くことも不可能です。今からでも禁煙やダイエットをすればと思うのですが、意志の弱さもあってうまくいきません。
結局これからも妹に頼って生きていくしかないのですが、妹の人生を考えれば私も自立した女性にならなければいけないのかなと思います。

今までで2回、罪を犯したために自由を奪われた生活をした時期(安易にこういったことをしてしまうのも私の弱さですが)があり、その時期はお酒もタバコもお菓子も許されなかったので、もしかしたら刑務所で長い期間服役していれば、あるいはもっと前、高校生のとき、退学処分になって当然ということをしたのに、校内でショーツ姿になるという条件で、退学を免れたこと、こうした周りの優しさがかえってマイナスだったのでしょうか。ただ、そうした優しさに甘えるだけだった自分がダメな人間だったのが一番悪いのですし、せめて妹や周りの人に迷惑をかけないように、ブルマを穿いてひっそりと人生を送ろうと思っていますが、
一方で姉のように処女のままで人生を終えたくないという思いもあります。

36歳の女性として、せめて自分のお酒やタバコのお金(それでも月に5〜6万円くらいはかかります)くらいは妹に依存したくないと思いもあり、来週から割り箸を箸袋に詰める仕事を始めることにしました。これまで私がしてきたような仕事に比べると体力も要りませんし、月に13日で、1日につき7千円貰えるそうで、自分のお酒とタバコに、アパートの家賃の半分くらいになりそうですが、できれば月に500円程度でのお金を残して貯めていければいいなと思っています。

 
周りに頼れる人が居る環境なので、依存してしまうのでしょうね。
これが、本当に一人だけならば、生きていくためには収入を得るよう必死で働くしかないかと思います。
 誰もが基本的には同じでしょうが、そこがこれまでの貴女の甘えなのかもしれませんね。


9/27

裕子です。
たしかに私の今までの人生はずっと周囲に迷惑をかけ自分を粗末にしてきたと思います。
その結果として、36歳になって、正規雇用で働いたことも、男性経験もなく
強盗という罪での前科がある私は、唯一の家族になった妹に依存した生活をしています。
姉妹の仲はとても良く、妹も結婚するときは、私と同居してもOKという男性とでなければ結婚しないと言ってくれていますが現実には、そのような男性はいないでしょうし、仮にいても、それほど優しくて経済力のある男性と妹が結婚するのも難しいと思います。

もちろん私は何の取り柄もなく、酒とタバコをムダに消費するだけの125kgの巨体ですから、結婚も男性を抱くことも不可能です。今からでも禁煙やダイエットをすればと思うのですが、意志の弱さもあってうまくいきません。
結局これからも妹に頼って生きていくしかないのですが、妹の人生を考えれば私も自立した女性にならなければいけないのかなと思います。

今までで2回、罪を犯したために自由を奪われた生活をした時期(安易にこういったことをしてしまうのも私の弱さですが)があり、その時期はお酒もタバコもお菓子も許されなかったので、もしかしたら刑務所で長い期間服役していれば、あるいはもっと前、高校生のとき、退学処分になって当然ということをしたのに、校内で裸足にショーツ姿になるという条件で(初めはとても厳しい条件だと感じましたが)、退学を免れたこと、こうした周りの優しさがかえってマイナスだったのでしょうか。ただ、そうした優しさに甘えるだけだった自分がダメな人間だったのが一番悪いのですし、せめて妹や周りの人に迷惑をかけないように、ブルマを穿いてひっそりと人生の後半を過ごしていこうと思っています。

過去を反省され、これからに生かすことが出来るかどうかですね。
過去をいくら嘆いても何もならないでしょうし、今からの人生を後悔しないよう生きることが大切かと思います。


9/23

裕子です。
妹と2人だけの生活になり、3DKの団地は広すぎ
また姉の収入がないと家賃を払うこともできないため
住まいは以前のようなお風呂のない1Kのアパートになりました。
銭湯に通う必要があるため、今までのように1日中家にいることがなく
姉が遺してくれた、姉のブルマを私の175cm、125kgの体型に合った特大に作り替えたブルマを
毎日穿いて銭湯通いをしています。私にとっては2年ぶりにハミパンや
ハミ尻をしない服を手に入れ(不摂生な生活で体重が増えてそれまでのブルマでハミ尻するようになったのですが)
108円の新品のサンダルを履いて外出しています。

妹も、以前はハミ尻になる姉の小ぶりのブルマを穿いていたのですが、
今は以前私が使っていたブルマを穿いています。妹の160cm、75kgの体型ですと
お尻にフィットせず、短パン風になって、妹もこれなら普通の服だと思えると言っています。
妹は家族5人で3LDKのマンションで生活していた頃は、家の中ブルマを穿いていたものの、
決してブルマで外に出なかった妹も、両親とマンションを失ってからは、お姉ちゃん達がいつもブルマなのに
私だけわがまま言えないと、ずっとブルマ、それも妹のオリジナルのブルマが破れて以降は
姉と共用のハミ尻をするものを穿き続けてきました。
妹にとっても私が1人だけの家族ですし、私もこれからは妹を大切にして、妹のために生きたいと思います。

   唯一の家族として妹さんを大切にされる気持ちはわかりますが、
ご自身の人生ですので、もっと自分のことも大切にされたらどうでしょうか。


8/23

裕子です。
今月のはじめ姉が天国へと旅立ち、私の家族は妹だけになりました。
このページに投稿を始めたころは5人家族で私も気ままなブルマ生活(それもブルマは
昔は喧嘩ばかりだった姉も、余命を宣告されて以降の最後の時間ではありがとうしか言わなかったです。
そして立ちあがることも難しい中で、もう私に服はいらないからと自分の使っていた
姉の細身の体型に合ったブルマを、力が入らない手で(私と妹は裁縫が全くできません)
私の体型でも入る特大サイズにウエストに作りかえてくれました。継ぎ足した部分に布は
元の地の紺とは明らかに違う色のですが、姉が最後に私に残してくれたものであり、
生前の姉が使っていたブルマは大切にしていきたいです。

状態のよい方のブルマを妹にあげて以降、ハミパンというよりパンモロになる
ビリビリに破れたブルマ1枚しかなかった私にとって、1年ぶりにショーツが見えない
服を手に入れ、姉の世話もすることはないので、私ももう一度働きに出なくては思っています。
ただもともと通販で買った安物を姉が何とか作りかえてくれたブルマですので
元が学販の特注品だった、私のビリビリのブルマと違い、すぐに傷んでしまいそうに思え
今も団地の敷地内までであれば、ビリビリブルマを使うようにしています。

両親が他界した5年前に実家マンションを失うことになり、それ以降姉妹3人で支えあって
生きてきましたので、これからも唯一の肉親になった妹を大切にしていかなければならないと
思いますし、妹も短パンのように穿ける、私の状態のよい方だったブルマを身につけるようになって
から清掃の仕事で一生懸命働いて、姉と私を支えてくれました。
一方で姉は生前、裕子や〇〇子(妹の名前です)には処女のまま亡くなってほしくないと言っていました。
私は無理と分かっていますが、妹には結婚かそれが叶わなくても一度くらいは男性経験をと思いますし
その際にはやはりきちんとした服がないとと思います。

 
お姉さまのご冥福をお祈りいたします。心の支えをまた一つ失われて、とても辛い日々かと思います。
すぐには気持ちを切り替えることは出来ないでしょうが、少しでも前に向かって進んでいけるよう願っています。


5/9

裕子です。
今年に入ってから姉の体調が悪く自力で歩くことも
難しい状態になったため、私は仕事を辞め姉の介護をしていましたが、
ここ最近さらに状況が悪化し、なけなしのお金でもう一度大きな病院で
診察を受けてもらったところ、乳がんが進行していて、姉はあと数か月しか生きられないと宣告されました。

あまりのショックで私は何をする気力もない状態が続いていましたが、姉との残る時間を大切にしようと思い
姉の最期まで姉のために生きようと決意しました。
もちろん私と姉の生活のために清掃の仕事をしてくれている妹はこれまで書いてきたとおり姉と共用の
ピチピチのブルマ4枚を使い回して穿いていましたが、もともと通信販売で買った安物なので、どれも傷みが出てきています。
一方私の2枚ブルマは1枚はビリビリに破れていますが、もう1枚は比較的状態が良いです。やはり学販のものは作りがしっかりしてます。

働いておらず、外出することもほとんどない私や姉は下着があれば十分なので、私の状態の良い方のブルマを妹に使ってもらうことにしました。
私がこのブルマを特注した高校生のときの体型は175cm・95kgで妹の体型は160cm、70kgですから、妹がこのブルマを穿くと
お尻にフィットせず、短パンを穿いたような感じになります。本来ブルマ姿としてはみっともないのですが、妹にとってはショーツやお尻が
はみ出さない服を久々に身に付けられるようになりました。

状態の良い方のブルマも125kgの体重がある今の私にとってはハミ尻しまくりで、それならば破れたブルマでもショーツ姿でも同じに思えますし、
妹は短パン風のものを穿けるようになったため、買い物なども繁華街で少しでも安いものを探すようになり、清掃に加えて以前のように
パチンコ店のアルバイトもかけもちするようになりました。

そのため余裕はなくても姉のための最低限の医薬品は買えますし、団地の家賃も払えます。
姉妹3人で生活できる時間は残り少ないですが、父や母が逝ったときはできなかったことも姉にはしてあげたいと思います。

辛い宣告ですが悔いが残らないように、姉妹3人での大切な時間を過ごしてくださいね。
妹さんも仕事を無理して体調を崩されないことを願ってます。


2/20

裕子です。
安いアパートを探すために街の不動産やさんを回っていますが、
入店した瞬間にハミパンしているブルマの足に店員の視線を感じ、予算1万5千円で言うときに向けられる眼もやはり辛いです。
こうした店に行くときは、状態のよい方のブルマを穿きますが、今の体型ではハミパンが避けられません。
中に穿くショーツは、以前書いたとおり体形に合ったものがあり、
家の中のように、ブルマを穿かずショーツだけなら楽なのですが、さすがにショーツ姿で入店したら追い出されそうです。

仕事に行くときも、ほとんどショーツ姿ですが(上半分がトレーナーで隠れるくらいです)家から人目につかない道で往復するだけです。
もちろん歩くのも大変な状態で、団地の階段を登れない姉の苦労に比べれば、全然大したことはないと解っていますが。
私を支えるために一生懸命働いて、43歳で一度も男性経験がないまま子宮を失ってしまった姉のために私が頑張らなければと思います。

また、女子校の中という環境だったとはいえ、高校生活最後の1年半、セーラー服にショーツ、裸足での女子高生生活をしましたから
そのときに比べれば、ボロサンダルとはいえ履物もあり、ブルマも穿ける今の方がいいんだと思うようにしています。

物事をプラスにとらえるようにするだけで、気持ちは楽になるのでしょうね。
今が最低なら、これからは上昇していくだけですよね。


2016/2/7

裕子です。昨年の終わりころから姉の体調が悪く、団地の階段を5階の家まで
歩くのも難しい状態になってしまいました。
私たち姉妹は保険証はとっくに取り上げられており、医療機関に行くこともなかったのですが
さすがに自力で歩けないとなると、行かざるをえません。

その結果姉の子宮に悪性の腫瘍があることがわかり、姉は子宮を摘出する手術を受けました。
一方でこの手術などのために100万円以上の医療費を払わなくてはなりませんでした。
今まで少しずつ姉妹で貯めてきたお金もありましたが、それだけでは十分でなく、
妹が友人などから借りてようやく払うことができました。
姉の手術後の経過も思わしくなく、43歳になった姉は髪もめっきり白くなり、
肌のハリも失われています。以前のようにパチンコ店や飲食店での仕事は難しい状態になり、
今は仕事をせず、家で1日中横になっています。

姉と妹がブルマを共用しているのは以前書きましたが、
姉は「私は働いてないからブルマもはけない」と言って、今は1日中ショーツで生活しており、
2枚の姉と妹の共用ブルマは妹専用になっています。

当然一家の収入も大幅に減ってしまったこと、姉が団地の階段を上るのが大変なこともあって
近いうちに安いアパートに引っ越す予定です。
今の団地は家賃が4万円ですが、2万円くらいのアパートが見つかればいいなと思い、物件を探しています。

私もまだ当分は服を買うこともできず、また仕事中に破れたブルマは穿けないので、
今はあまりブルマを使用せず、下着の上に特大の灰色のトレーナーを着て外出しています。
私の体型ではトレーナーを着てもショーツが半分見えてしまいますが、以前ほどそのことが気にならなくなりました。
妹も本来は姉に合ったサイズのブルマで、ハミパンやハミ尻になることが多いですが、
「お姉ちゃんたちはもっと恥ずかしい思いをしてきたから」と言っています。
両親がいて、3LDKのマンションで生活していた頃の妹はブルマで家から出られなかったですし、
私もショーツが見えるくらいなら、姉に比べればという気持ちになります。
大変なことも多いですが、姉妹の絆はこれからも変わることはないですし、私が頑張らなければという気持になります。
もちろん、もっと痩せて、破れていない方のブルマがハミパンせずに穿けるようになれればいいなと思いますし、
ショーツを見せずに済むようになりたいということを前向きにとらえていこうと思います。

お姉さん大変なのですね。
経済的には厳しくなっても、健康には替えられないですからね。
健康な時には元気な事が当たり前で考えもしないことでしょうが、こんな時には健康のありがたさを感じますね。


12/20

ようやく就くことができた清掃の仕事ですが、私でも採用されるようにところですから
工場の機械室など環境が悪く危険なところが中心で、駅や商業施設の場合はほとんどがトイレです。
それでも給料は週ごとにきちんと払ってもらえますので、働けることに感謝しています。

ただそうした環境で、破れたブルマでの作業をしていたため、先日大型掃除機に、
ブルマを巻き込んでしまいました。ウエストの部分まで一気に破れて、ブルマは粉々になってしまい、
ただ、幸いにも他人の目に触れるような場所ではなかったので、その日はショーツ姿のまま仕事をしました。

何度も書きましたように、高校生活の後半は校内ではショーツ姿で、1日2時間以上の奉仕清掃をしていましたので
その頃を思い出して少し懐かしい気分になりました。
しかし、当時は清掃に使う道具は雑巾1枚で、足元は裸足でしたが、今は大型の掃除機を使い
足元もサンダル履きですから、環境としては恵まれています。そう思うとショーツ姿でも大丈夫でしたが、
一緒にいた妹に家に帰ってから、高校時代のことを詳しく話すと「お姉ちゃんそんな大変な思いしてたんだ」と
妹は大泣きしました。

これで、私の持っているブルマは破れたブルマ1枚と、状態の良いブルマ1枚の2枚になりました。
今後はこうした事故にならないために状態のよいブルマを身につけようと思いますが、
今の体型のままではこれも急激にボロになってしまいそうですので、そうなる前に高校時代の
95kgまで体重を減らしたいと思います。

 貴女にとって大切なブルマが破れたかもしれませんが、大きな事故や怪我にならなくてよかったですね。
収入もきちんと得られるようになられたようですから、ブルマも新調されたらいかがでしょうか。
少しずつでも減量していければ、身体の動きも軽くなるでしょうし、身につけるもののサイズの選択肢も広がりますね。
 いきなり無理な減量方法は良くないですが、一度決めたら今日から具体的な行動を継続してみてくださいね。


12/20

裕子です。最近久々の仕事をみつけ、ようやく団地の部屋でゴロゴロしているだけの生活を終えることができました。
仕事は清掃作業員で、これといった知識も資格も求められず、他人とのコミュニュケーションもあまり必要ない
私向きの仕事なのですが、私の体型ですと合う制服がないという理由で何度応募してもなかなか難しかったのですが、
制服は上に羽織る社名入りパーカーのようなものだけという会社があり、私でも採用してもらえました。
175cmで125kgという体形で、破れたブルマからショーツが思いっきりのぞき、濃紺と白のまだら模様のように見える姿はみすぼらしいですが、
それでも人目を忍んでやらなければならなかったピンクチラシ配りよりも良いなと思います。

妹も同時に応募して採用され、相変わらずハミパン気味のピチピチのブルマを穿いて私と一緒に仕事をしています。
私は妹がかわいそうだなと思うのですが、妹は「お姉ちゃんがビリビリに破れたブルマなのに、私は破れてないブルマでごめん」と言ってくれます。
もちろんブルマ姿は私たちだけで、他のアルバイトの人は自分のショートパンツが多いのですが、
妹はもちろん、破れたブルマの私にも普通に接してくれるのがうれしいです。

 収入を得て安定した生活をするために必要な仕事に就かれたようで、おめでとうございます。
やっとみつけた職場を大切され、仕事を継続してくださいね。


9/15

裕子です。
前回お話しました通り、少しでも痩せようと思い
Tシャツにショーツの格好で人目のない時間帯に団地の階段を上り下りしています。

ピンクチラシ配りで捕まって以降仕事をしていない状態が続いていますが、
今のまま姉と妹に依存した生活ではいけないと思っていますが、やはり体型がネックになってしまいます。
比較的採用されやすいのは駐車場や工事現場の車両誘導、清掃などですが制服が問題になってしまいます。
以前働いていた飲食店のようにエプロンだけ支給されてそれ以外は私服で可というところはなかなかありません。

ですのでせめてブルマが楽に穿けるようになるまで痩せることを目標にして、ゴミを出しに行く際などは、ゴミ捨て場の前で
スクワットをするなどしています。古い団地の床は薄いので、家の中でやっていたら下の階に住んでいる人から苦情が気ますので。

部屋の壁にブルマを飾って、これがハミ尻しないで穿けるようなれれば、今の状況も変わると思い、いつも自分のブルマを目にすることで減量の励みにしています。

高校生活の後半、校内ではショーツ姿だった頃ブルマの生徒を羨ましいと思うこともありましたが、あの時は卒業までショーツ姿であることは決まりだったのに対し、今は自分の努力でショーツ姿から解放されブルマを穿けるようになるのですからその意味では恵まれているのかもしれません。

 
何もしないと何も変わらず、一歩自ら踏み出して行動してみることが大切なのでしょうね。
一歩踏み出してみたら、今度は継続していくよう心がけてみてくださいね。
今のままの貴女を雇用してくれるところを見つけられるといいですね。


8/27

久しぶりの投稿になります。

最近、引っ越しをして生活環境がまた変わりました。
今までのボロアパートから、古い団地になり
洗濯物も共用の物干し場ではなくベランダに干し、非常に小さいながらお風呂もついているので
銭湯通いもしなくて良くなりました。つまり、以前のマンション住まいだった頃に近い生活です。

広さも40uの3Kですから、3人で生活するには十分で、
以前、5人で住んでいたマンションの60u3LDKと比べても1人当たりでは同じくらいの面積があります。
しかも部屋数が4つもあり、姉妹3人の個室を確保しても、4畳の台所を誰の部屋でもない共有スペースにできます。

もちろん無職の私は何も貢献しておらず、姉と妹の努力のおかげなのですが。

それなのに部屋割を決める際に、姉は裕子はこの部屋と、南側の6畳の和室が私の部屋になってしまいました。
北側の4畳半の洋室が姉の部屋、3畳の和室は妹の部屋です。

何で自分が一番いい条件の部屋を使っているのだろうかという思いもあり、仕事をしていない分家のことは私ができるだけやろうと思っています。

ただ、問題は団地の家がエレベータのない5階で、外に行くには階段を使うのですが、120kgも体重があって長年不摂生な生活をしてきた私にとっては、階段を上るのも一苦労です。
その割にアパートに住んでいたときと違い、家事も全て家の中で済んでしまうため、外に出ない日が多くなりそうです、
今も、家の中では下着だけで生活し、下着は体型に合う特大の白いものを身につけており、上はトレーナーとTシャツ1枚ずつ5Lのものがあるのですが、下は今の体型では小さすぎるブルマだけです。
ブルマも3枚のうち2枚はすでに傷んで、破れもありますし、どちらにしてもハミパン(というよりパンモロに近いです)は避けられません。
さすがに今のままではいけない、少し痩せなければと思い、最近、白ショーツのうち1枚墨汁で黒く染めて、ショーツでごみ捨て場や団地の近くにあるコンビニまで行っています。その際に団地の階段を何度か往復することもあります。

もちろん黒いとはいえ面積はフルバックのショーツなので、ブルマより小さいのですが、高校生活の後半にショーツ姿での学校生活をしたのであれば、それと同じですし、今の自分に許される服はこれなんだと言い聞かせています(高校生のときもそうでした)。6畳の部屋はあまりにも広いですが、せっかくの広さを活かして部屋の中でもストレッチなどをしています。

また、ブルマを快適に穿けるような体型を取り戻して、以前のような「心地よいブルマでの生活」ができるようになりたいなと思います。

 
自堕落な生活をしないよう心掛けて毎日を過ごすことは最低限必要かもしれませんね。
長めのウォーキングをしてみるなど意識して、身体を動かすようにすると、体型も少しづつ昔に近づくかもしれませんね。
姉妹に経済的負担を少しでもかけたくない気持ちがおありならば、収入が少なくても貴女になら出来る仕事もあると思いますがどうでしょうか。
生活環境の方は変わったようで良かったですね。


5/17

今回の逮捕はピンクチラシ配りが迷惑防止条例違反ということで、
私にとってはまさか捕まるとは思ってもいませんでした。
取り調べの中でなぜそれが悪いのかを、私より年下の女性警察官から
説明されましたが、やはり納得できない面もあります。
アダルトビデオに出演している女の子は自分の意思ですし、
もちろん性的な魅力がゼロでチラシを配ることしかできない自分より
ずっと稼ぐこともできるのにと思います。

ただ、今の自分がこれでいいのかということも今回のことで強く感じました。
留置場で支給された、薄いグレーのワンピースは10年前のときは
ぱっつんぱっつんでも一応ワンピースとして着れたのに、
今回はショーツが半分以上見える状態、捕まったときの服装も
豪快にハミパンしたブルマ姿です。
今の体型ではショーツを隠すこともできません。

それだけに取り調べの中で言われたもっと自分を大切にしてという言葉が胸に突き刺さりました。
もうピンクチラシ配りのバイトをするつもりはありませんが、
やはり体重を減らし、以前のようにブルマを快適に穿けるようにならなければいけないと思います。

 
理不尽さを感じることもあるのでしょうが、知らなかったでは済まされないこともありますね。
今回のことで、自分を大切にすることの意味も、身に染みたようですね。


5/10

久しぶりの投稿になります。
正直この告白をするのに迷いがありましたが、姉や妹にも話すことができない
今の思いを書くことができる唯一の場がこのページですので告白したいと思います。
ここ1年深夜や早朝のピンクチラシ配りが私の仕事でしたが、
1か月ほど前、いつものようにチラシをマンションに投函していたところ
その現場をパトロール中の警察官に見つかり、条例違反という理由で逮捕されてしまいました。
その場で手錠をかけられ、家族に連絡を取ることも許されず警察署に連行され、
人生で2度目の留置場を経験することになりました。

逮捕されたときは、Tシャツとブルマでしたが、ブルマは今の体型に合わないサイズで
結構大きな面積のハミパンになっていて、留置場に入れられる際に下着が見える服装を認められないといわれ
ブルマは取り上げられて(Tシャツとショーツはそのまま身につけることができました)
留置場のマークが入った、灰色の薄くて汚いワンピースに着替えなければなければなりませんでした。
このワンピース自体は前回、万引きで逮捕された際にも1晩着ましたが、あのときは
逮捕時はカットソーにミニスカートで、証拠品という理由でミニスカートを押収されて
ワンピースに着替えさせられ、次の日からは自分のTシャツとブルマになり、そのことが惨めと感じたのですが、
今の私はそれが普段の服装であり、前回の逮捕時より30kgも体重が増えているため
ブルマが思いっきりハミパンになっているという理由で、留置場の中で普段の服装が許されませんでした。

とはいえ汚いワンピースも私の体型に合うものではなく(175cm120kgの女性はそうそういないので当然ですが)
ピチピチどころか、白いショーツが半分以上見える状態であり、自分のブルマの方がずっとマシなので
返してほしいと訴えましたが認められませんでした。

逮捕されてから、3日目の朝には釈放され、警察署まで姉と妹が迎えに来てくれ、こんな私をまだ見捨てないことに本当に感謝しました。
もちろん、姉と妹に、もうピンクチラシ配りはしないと約束させられ、今は何の仕事もしていない状態になっています。

 
過去には過ちを償い、やってはいけないこと、良いことを分別することは身に染みていたはずですが、どうされたのでしょうか。
今は家族に感謝し、次は思慮深く行動することと、反省されていることでしょう。


2/28

今回は小学生のときのお話をしたいと思います。
小学生時代は、今の生活と同じくらいブルマが身近でした。
通っていた小学校では、体操着が制服の代わりで、半袖シャツとブルマが原則でした。
まだ裸足教育が行われていて、校内では常に裸足であり、校庭や体育館での体育のときも裸足でした。
ですので、学校に行く時は、半袖シャツとブルマに身を包み、布製の白い靴を素足で履いて学校へ行き
靴を脱ぐと裸足で下校まででした。
ただし女子は12月から3月まで上にトレーナーやセーターを着ることが許可されており、ほとんどの女子がその期間は着ていましたが
当時の私はそうした服も持たず、真冬でも半袖シャツとブルマで学校に行っていました。

こうしてみると、私のブルマとのかかわりを振り返ってみると
◎ 小学生の頃 私服は持たず、常に半袖シャツ+ブルマでした。
△ 中学生の頃 制服になり、学校以外での外出も制服を着るようになり、ブルマは体育の授業や清掃の時間が中心になりました。
△ 高校1年〜3年の停学処分まで 制服が基本 やはり体育の授業や清掃の際はブルマでした
× 2度目の高校3年 校内ではショーツ姿になり、ブルマを穿く機会がありませんでした。
▼ 19歳〜28歳くらい 私服のスカートが外出時の基本で、ブルマはごく近所の外出まででした。
○ 29〜30歳くらい  このページで投稿してきたとおり、少しずつブルマを穿いていく範囲が広がっていきました。
◎ 31歳〜現在  小火で私服スカートを灰にしてしまい、家から出る際は常にブルマになりました。
となり、30代になってから小学生のときと同様「家から出るときはブルマ」に戻ったといえます。
ただ前回のお話の通り、そのブルマが最近はきつく体型も昔くらいに戻していきたいと思っています。

同じブルマでもその時々の思い出に関係してくるようですね。
今は節約のためにも必要なのでしょうが、ゆとりが出てブルマを楽しめるようになるといいですね。


1/27

裕子です。今まで私の体型について、175cm95kgと書いてきましたが
20歳くらいまではこの体重でしたが、30代になってからは、100〜105kgで、
ここ1年の不摂生な生活(週に2日のピンクチラシ配りのアルバイト以外は、布団で横になって
お菓子を食べながらテレビを見ています)のせいで、先日銭湯で体重計に乗ったところ
120kgまで体重が増えていました。

穿いているブルマは伸縮性の高い素材ですが、最近はハミ尻になることが多くなってきましたし
肌着やショーツもきついと感じます。
以前ここに書いたとおり、持っている男物の大型トレーナーは、私でも大きすぎるくらいなのですが
これが今はちょうどよいサイズになっています。

せめて下着くらいはサイズの合うものを買いたいと思っていたのですが
住んでいるアパートの近くで、安い値段で特大サイズの女性用の下着を売る店がなく
ここ数カ月きついのを我慢して身に着けていたのですが、ここまで太くなってしまうと
ショーツは穿くたびにびりびりに破れてしまい、新しいものがどうしても必要になりました。

そこで、電車に乗って少し遠くのドンキまで買いに行くことにしました。
ドンキはほぼ24時間やっているので、人の多くない時間帯に行けるのがありがたいです。
あまり人の乗っていない時間帯の電車に、上は汚いトレーナー、下はハミ尻している紺色のブルマで、素足でボロボロの靴を履いた姿で
冷たい雨の降る日に歩いている人はいませんから、やはり視線が私の方に集まります。

もちろんそんなことを気にしていたら、今まで生きてこれなかったのですから、
座席に座ると鞄で顔を覆うようにしてうつむき、降りる駅に着くのを待ちました。
無事、5Lの白い肌着と白無地のウエスト120cmのショーツを3枚ずつ、それに安物の灰色のフリースもかごに入れ
レジで精算すると予算が数百円余ったので、レジの横にあった大きな菓子パン(しかも98円)を何個か買えるかなと思いましたが、
男性用と思われるスニーカーが680円で売っていて、私のサイズである26cmのももちろんありましたので、買ってみました。

ボロボロのスニーカーを捨てて新しいスニーカーをその場で履くと、帰りの電車では行くときほどのみじめさは感じず
顔を上げて座っていました。

これからはサイズの合う新しいトレーナーと下着、スニーカーを身につけて生活できるのが少し楽しみです。
ただブルマはそのままなので、パミパンの心配はありますが、ハミ尻よりはいいかなと思います。

ささやかな幸せかもしれませんが、新しい衣服を手に入れられて良かったですね。
このまま体重増えると心配ですね。気持ちを切り替えて少しでも体重戻せるといいですね。


1/21

超ミニスカートは、当時の女子高生の一般的なスタイルで、
私のもともと学年(一度目の三年生のとき)は何人かいました。
私のスカートはまた下5cmくらいで、そうした生徒の中でも 
一番短い丈だったと思います。また裾を折り込んで短くするのが普通ですが
私は、スカート自体を短く切っていました。

1つ下、つまり二度目の三年生をした学年は、生活指導が非常に厳しく
スカート丈も、校則通りの膝上5cmくらいの生徒ばかりでした。
それより下の学年も同様か、さらに厳しかった(一年生で1cmの短いという理由でスカート丈違反にされた生徒がいました)
それだけに、校内での裸足にショーツという姿にされるのに比べて、
登下校時に制服のスカートをそのまま使用することが認められたのは意外でした。

もちろん、私の体型ではスカートも特注であり、作り直せば1万円以上かかってしまうという事情もあったので
学校も親にそれだけの負担をさせられないと考えた面があると思います。

結果として、2度目の三年生を始めると通学路では、私だけがふとももを全開にした
超ミニスカートで歩いているという状態で、他の生徒からは羨ましがられることもありました。
学校に着けば、スカートを脱いでショーツ姿になるので、他の生徒とは逆転するのですが、
ただ校内では、罰としてショーツ姿にされることもある高校でも、
登下校時にブルマ姿にするのは、電車やバスで通学する生徒も多かったためかさすがに
避けていたようです。実を言うと、スカートも当然処分され、買いなおしが許されず
ブルマ姿での登下校くらいはしなければいけないと思っていました。

上の方で書いたスカート丈違反の見つかった生徒も、処分は校内でスカートを穿けず
ブルマ姿で過ごすというもので、もともと朝のラジオ体操や掃除のときなどはブルマになる高校ですから
靴下の違反で、回数によっては上履きも禁止され裸足で歩かなければいけなかったのに比べれば、
意外に緩やかな処分だったように思えます。

ただし校内でのスカート禁止の期間は、1回目が1週間、2回目が3カ月、3回目以降は1年と長く
一度服装検査でスカート丈の違反を取られた生徒は、定規などを使ってスカートの長さを測っていました。

背の高い貴女が、そんなミニスカート姿で通学していたら、かなり目立ったかもしれませんね。
ブルマ姿とかより、逆に目立つことが嬉しかったのかな。
色々と校則に縛られて、息苦しかったことも多かったのでしょうね。


2015/1/13

裕子です。ブルマしか穿くものがない新年も今年で3回目になりました。
以前は晴れ着の女の子を見ると、紺色ブルマの自分がみじめに思えることもありましたが
最近は違う世界で生きる人たちと思えるのかあまりに気にならなくなりました。

今回も高校生のときのお話になります。
3年前に、私のタバコの不始末で実家マンションで小火が起き、
スカートやブラウスを灰にしてしまって以来、ショーツの上に身につけるものは
ブルマしか持っていないので、30代になってからが人生で一番ブルマを穿いていると思います。(小学生の頃もいつもブルマでした)

一方で、18歳から19歳の頃は、私が今までの人生で一番ブルマを穿かなかった時期です。
何度も書きました通り、校則違反で退学を免れる代わりに、ブルマの使用を許されず、
校内ではショーツ姿になって、2度目の高3をした時期です。
当時の私の服装生活を振り返ると、
朝起きると、ブラジャーのホックを閉めて、学校指定の白い肌着をかぶり
その上に紺色のセーラー服と超ミニスカートに身を包んで、素足でローファを履いて
実家マンションを出発しました。学校までは40分歩いていきます(私は自転車に乗れないので歩いて通いました

学校に着くと、昇降口でローファを脱いで靴箱に入れ、裸足で生徒指導室に行き、そこで超ミニスカートを脱いで先生に預け
セーラー服と白いショーツの格好で、放課後の正座や特別清掃をして夕方まで過ごします。
体育のある日はセーラー服を脱いで体操着のシャツを着ますが、下はショーツのままで、ブルマを身につけることはできません。

夕方に生徒指導室でスカートを返してもらい、再びローファを履いて下校ですが、スカートや靴を身につけるときの安心感はたまらないものです。
マンションに着くと、玄関の脇の妹と使っていた部屋に入るなりセーラー服を脱いで、下着のまま浴室に行って
冷え切った足をお湯に浸し、あとは寝るまで家の中ではブラジャーとショーツだけの格好で、
2段ベッドの下段で横になると、ブラジャーのホックを外して(つけたまま寝るのは気持ち悪いので)いました。

少し長くなりましたが、このようにブルマを穿く機会はなく、
休みの日の外出も当時は制服でしたから、部屋の隅のダンボール箱(収納がなかったので、服はこの箱に入れていました)で
学校でショーツ姿にされる直前の時期買った、真新しい紺色のブルマは厚い埃をかぶっていました。
あの頃は、このブルマが15年後に、毎日穿くとは思っていなかったです。

超ミニスカートは、当時はみんな履いていたのでしょうか。
それとも、その恰好も見せしめの一つだったのでしょうか。
その頃は今のような生活をしていることなど想像できなかったでしょうね。


12/11

裕子です。ここ最近私の近況で湿っぽい話が続いてしまいましたので
今回は昔を話をしたいと思います。
2度目の高校3年生の間、私は校内では裸足で、上はセーラー服を着ていましたが
下はショーツだけという格好だったことはこれまで何度も書いてきました。
私自身は退学処分を免れた以上これくらいはと思っていましたし、
女子校で、先生もほとんどが女の先生という環境だったこともあり(だからこそこのような処分がされたのかもしれませんが)

異性の目はあまりに気になりませんでした。

客観的に見れば非常にみすぼらしい姿でしたが、
それまで成績も下位で地味な女子高生(服装は当時の標準である超ミニスカートにルーズソックスでしたが)
だった私が、一転して裸足組の生徒(ショーツ姿は私だけでしたが、上履き・靴下の使用を禁止され
校内を裸足で歩く生徒はクラスに5~6人いました)のリーダー格のようになりました。

一方で、裸足組の生徒に対するいじめがあったのも事実です。私自身は遭うことはなかったですが
上履きを履いている靴で裸足を踏む、裸足組の生徒が使うことが多かった校舎1階の、
土足のエリアにあったトイレを必要もないの使うといったものでした
特に靴下の使用を禁止されていて、素足で上履きを履いている生徒
(「素足組」といわれていて裸足組より人数も多くクラスに10人以上いました)がすることが多かったです。

特に、彩夏というそれまで裸足組の仲間だったのに、上履きの使用禁止期間が終わり、素足組になった途端に
裸足組の生徒をいじめる側にまわったこともあり、私は彼女のことが許せず、私自身も彩夏に上履きで
足を踏まれたので(大柄な私に手を出したのは彩夏くらいでした)
平手打ちをしたあと、彩夏を張り倒し、上履きとスカートをはぎ取りました。

そのときの彩夏はミッフイーのショーツを穿いていました。
校則では、ショーツは白か淡い水色やピンク、黄色の無地に限るとされていていました
(私が穿いていた学販の白無地ショーツは「標準扱いで指定ではありませんでした)ので、キャラクターものは完全に違反です。

彩夏は裸足で歩いていたときは他の裸足組の生徒より辛そうにしていて、裸足組最後の日も
明日から上履きを履けると嬉しそうにしていたのですが。
ショーツ姿にされただけで彩夏は泣き崩れ、私が上履きを返してもらって以降の行為を叱っても
あとはごめんなさい、スカートを返してくださいを繰り返すばかりでした。
私はまこれで、裸足組の生徒に対する嫌がらせをやめるならと思い、スカートを軽くびりっと破いて彩夏に返しました。
身長150cm足らずの彩夏のスカートは、サイズも小さく私の体型だとふとももに丁度はまるような大きさでした。

幸いその場を見ている先生はおらず、彩夏もショーツの違反が発覚してはまずいと思ったのか、
このときは私も暴力を理由にした処分は受けませんでした。
またこの事件以降、彩夏が私のファンのようになり、いつも私についてくるようになりました。

長くなりましたので、次回にします

 立場が変わるだけで、自分が受けた仕打ちを、再び他人に行ってしまうのでしょうか。
人の心ってそんなに弱いものなのでしょうか。なんだか寂しいものですね。


11/28

裕子です。このページには、ブルマに様々な形でかかわられた方の投稿があります。
パートナーのいる方も多く、男性から相手にされない人生を送ってきた私は羨ましいなと思います。
一方で、パートナーがブルマが好きで、大人になってからブルマを穿きはじめた
という方もいらっしゃるようで、そういった方で常にブルマを穿く生活をしている
私を好きなってくれる人が現れてくれないかなと思います。

ブルマでの生活をしているのは、これまで書いてきたように
175cmで95kgという体型に合う服を安い値段で手に入れることが難しく
フリーターの三姉妹で、ボロアパートでの生活で経済的に余裕がないという事情です。

ただ、両親がいて実家マンションで気ままな生活をしていた頃(このページに投稿を始めたころです)も
ショーツと同じ形で動きやすくて丈夫で、穿き心地も良いブルマよりも身につけたいという服がないのも事実です。

そういえば美咲姫さんは、高校時代ハイレグ型のブルマだったとのことですが、
私は小中高で経験したブルマはショーツ型ではあるものの、切れ込みの角度は比較的浅く
中のショーツがはみ出すことは普通に気を付けていれば防げたので、ノーパンで穿くという
ことは思いつきませんでした。ノーパンなら、その分必要なショーツの枚数が減りますが
ブルマが傷んでしまうように思います。

 
なかなか精神的な余裕も無いのかもしれませんが、異性に関心を持たれるように、
出来る事から自分磨きを行うことも必要なのかもしれませんね。
貴女のことを理解し、受け止めてくれる方が見つかるといいですね。


11/24

裕子です。たしかに、マンションを失ったあとも
姉妹3人で仲良く生活していますし、もっと前を向いて生きなければいけないと思っています。
昨日までかかり、私が住んでいたマンションの5棟すべてに、チラシを投函し終えました。
マンションはどの階も同じような造りですが、住んでいた頃は他の階に行くことはほとんどなかったです。
どの棟も北側に廊下があり、昨日は北風が吹きつけて明け方の時間帯は、ブルマの足もずいぶん冷えました。
それでもアパートに戻ると、姉と妹がさっそく銭湯に行こうと誘ってくれました。

アパートにお風呂も湯沸かし器もないのですが、やはり家族の温かさはいいなと思います。
実家マンションに住んでいた頃、特に高校生活の後半は校内では裸足でしたので、
帰るとすぐにシャワーで足を温めていました。そうしたことも今はできないのですが、
それでも管理人様の言うとおり、少しずつ人生の楽しみを見つけていきたいと思います。

 
些細な事でもその方の受け止め方により、心が豊かになることもあるかと思います。
何か楽しみをみつければ、休みの日など有意義な時間が過ごせるかもしれませんね。


11/9

お久しぶりです。裕子です。
先月、腰を痛めてしまい。重いものをもつことが多いパチンコ店のアルバイトを辞めて、
チラシ投函のアルバイトを始めました。
これですと、人と接する必要はありませんし、アダルトビデオのチラシは
早朝や深夜の人気のない時間帯に投函することが多いので(しかも普通のチラシより時給も良いです)
ブルマ姿でも気楽にできます。

特に集合住宅への投函は効率もよく、始めたころは1回で600枚なんて無理と思いましたが、
思ったほど大変ではありません。途中の休憩も自由なのも大きいです。
ただ、先日は投函エリアに、以前私たち家族が住んでいたマンションがありました。
1つの敷地に5つの棟があって、全部で1200戸ですから、4時間で2日分のバイト代のおいしい現場
ですが、自分の家だった住戸に、別人の表札が掲げられ、通路に面した私と妹が2人で使っていた
5.5帖の部屋は、窓に多くのかわいいシールが貼られ、他の女の子が使っていることがはっきりわかるようになっていました。

こうしたものを見てしまうと、両親を亡くし、この実家マンションも失って。ボロアパートで生活している自分の境遇が
急に悲しくなってしまい、マンションの通路から、以前はいつもみていた隣の棟の景色を見たまま
廊下の外に向かって涙をこぼしていました。
幸い明け方の時間で、誰も通路を通りませんでしたが、同じ階には私を知っている人もいますし、
トレーナーにブルマの服装は澄んでいた時も同じでしたが、
ピンクチラシを手にした姿を見られたら、まずかったなと思います。

 
今の生活とのギャップを感じ、あの頃の方が幸せだったと悲しくなってしまうのかもしれませんね。
だけど、ご両親は居ないかもしれないけれど、姉妹で仲良く過ごせているのも幸せなことですよね。
過去にとらわれず、前を向いて日々を過ごしてくださいね。


9/15

前回のお話の続きです。

以前書いた通り、私は高校生活の最後の時期、セーラー服も処分され、
半袖の体操着にブルマでの登下校し、校内ではブルマを脱いでショーツだったと書きましたが、

当時1年生でも、長期間のスカート禁止=ブルマ登下校の罰を短縮するために、
ブルマでの登下校だけでなく、私と同じ条件で生活することで、その期間を大幅に短縮できる制度もありました。

もちろん、冬場にやるのは非常に厳しい条件でしたが、冬休み明けの服装検査で3度目のスカートの違反が見つかった1年生の生徒が、
3ヶ月間半袖シャツにブルマでの登下校、校内では裸足でショーツ姿になることを選んだ生徒がいました。

美菜子という背が高く地味なタイプの生徒で、私とタイプが似ていました。

4月から裸足にショーツで校内を歩いていた私(12月までは上はセーラー服でしたが)は、1年生の間でもよく知られていましたから
(入学式の次の日に、ショーツ姿の先輩を見てこの高校は本当に生活指導が厳しいと感じたそうです)
美菜子も私のことは知っていて、服装検査の次の日の朝、生徒指導室でブルマを脱いで預けて、早朝清掃を始めようとしていた、
私にショーツ姿の美菜子が突然握手を求めてきて「先輩と友達になりたいんです!」と言ってきました。

美菜子は服装は私と同じでも清掃や正座は必要なく、他の生徒と同じ時間に登下校するはずですが、
次の日から、私の実家マンションまで毎朝6時半に来るようになりました。
高校まではマンションから歩いて30分程度で、朝早い時間は人通りも少なく、夕方6時に正座を終える頃は
この季節ですと暗かったので、体操着ブルマ姿で歩くにはかえって好都合でした。

似た者同士だと、お互い気になり友達になりたいと自然に思うのでしょうか。
二人だとブルマ姿も心強かったのかもしれませんね。


8/24

裕子です。今回は高校生の頃のお話をしたいと思います。

私の通っていた高校は生活指導の厳しいことは今まで書いてきたとおりですが、
一時、あまりにも厳しい校則のために定員割れが続き、その後は緩和されていったそうです。
今は別の高校と統合されていますので、その頃を知る人も少ないと思いますが。
私が3年生をやり直し、編入された1つ下の学年は生活指導が非常に厳しかったのはこれまで書いたとおりですが、
それより下の学年は、さらに厳しく、そのときの1年生、つまり私より3つ下の学年がピークだったようです。

実際この学年では、靴下の没収も私の学年以上に多かったのはもちろん
スカートの丈の違反での没収、上履きをかかとを踏んで履いていたことを理由とする没収も多くありました。
スカートを没収された生徒は、使用禁止の期間ブルマで生活することになります。
その期間も私の再3年生の学年では1回目が1週間、2回目が2週間、3回目が3カ月だったのに対し、
その年の1年生は1回目で1か月、2回目で4か月、3回目で1年でした。
この処分を受けると登下校のときもスカートの着用は許されず、通学路でもセーラー服にブルマです。
ただし、1年生の学年はこれだと期間が長すぎるのか、その期間を4分の1(つまり1回目で1週間、2回目で1か月)にできる
ルールがありました。

その条件は登下校はブルマですが、校内では私と同じように、ブルマや履物を使用せず、下半身はショーツだけの姿になり、
清掃や正座をするという条件でした。そのショーツですが、私の学年では白無地(もちろんフルバック)のものが「推奨」
だったショーツが「指定」になっていてそれ以外のショーツは禁止されていましたので1年生は全員が白いショーツを穿いていたようです。

非常に厳しい条件でしたが、(その学年ではPKと言われていました。パンティーの刑という意味にようです)も選んだ生徒がいました。
次回はそのエピソードについて書きたいと思います。

行き過ぎた指導も良し悪しだったのでしょうか。
その当時は厳しく制限していけば規律がとれるという考え方だったのでしょうか。


8/11
ここ最近本当に暑い日が続き、エアコンのない私の住むボロアパートは大変な暑さになります。
ですので、アルバイトをしない日も私は図書館かファーストフード店で時間つぶしをするのですが、
そのときはどうしても、ブルマの私は好奇の視線を向けられます。
もちろん昔と違い気になることはないですし、この方が自分にとっては楽だからと思うのですが、
着飾った女の子が男の子を連れていたりするとうらやましいなと思うこともあります。

アパートの私の部屋の前は共同の物干し場になっていて、ここでの作業くらいですと最近は
ブルマを穿かず、下着だけですることが多いです。
昨日も白いブラジャーとショーツを身に付けただけでの格好で、洗濯物を干していたところ、
同じアパートに住んでいるらしい男の子がやってきて、自分の洗濯物を干し始めました。

もちろん共用なので譲り合って使うのですが、物干場のスペースは狭く、男の子は一人暮らしのようですが
私の方が姉妹3人分ですので、量が結構あります。いくら質素な生活とはいえ、今の季節は下着は毎日交換
しないと気持ち悪いです。ですので男の子も自分の洗濯物を干せるスペースがなく困った様子でしたので
私は、自分の洗濯物を詰めて、スペースを広げてあげました。

男の子も、青いTシャツに黒のトランクスという格好で、街中では見ない下着姿の異性を見た私は
ドキッとしてしまい、汗が止まらなくなって
このような対応をしたのですが、当然夜になって姉や妹からなんで乾いてないの?と言われることになりました。

   共同での場所はお互い譲り合いも必要ですよね。
その男の子は、女性の下着の近くに干すことは遠慮がちでもあったのかな。
普段、異性との付き合いがあまり無ければ、そのような格好にもドキッとしてしまうのでしょうね。


8/5

裕子です。今日は34歳の誕生日でした。私が2度目の3年生をショーツ姿でやって、
19歳で高校を卒業したのは、14年以上も前になります。
高校のときに使用していた3枚のブルマももう買ってから、15年以上経ち
傷みも目立ってきましたが、相変わらず外出のときはブルマを穿く生活をしています。

そういえばこのページを見つけ、初めて投稿したのはもう5年前になるのですね。
当時は実家マンションで気ままなフリーター生活をしていまして、ブルマで外出するのも
近くのコンビニやマンションのゴミ捨て場くらいで、通常の外出の際はスカートや短パンだったのですが、
その後実家の火災や、両親の他界などもあって、穿くものはブルマだけという生活になってから3年近くになります。

私のノートのトップの「実家で心地よい生活」という紹介を見ますと、昔はそうだったなと思い出し、
両親や売らなければいけなかった、実家マンションを想い出して涙が出ることもあります。
実家マンションを売るときは、私たち姉妹の持ち物も売って、残っていたローンはすべて返せたのですが、
私は貯金もなく、換金できるものも、1冊50円にしかならない大量の漫画本だけでした。

実は今使っているブルマも、ブルセラショップに売ればと思いましたが、
すでにショップはほとんどが閉店している時期で、ようやく見つけたところも、ウエストが100cmを超え、
タバコの臭いがしみついた私のブルマは見た瞬間にお断りでした。

 
降り返ってみれば、人それぞれいろんな事があるのでしょうね。
このところ、大変だったかもしれませんが、今度は少しづつ運も上向いてくると信じて頑張りましょう。


7/21
ここ最近すっかり暑くなってきて、私たち姉妹も
アパートの室内では下着だけで生活しています。
家賃がとても安いアパートなので、洗濯機置場はなく、
洗濯は大切な服はコインランドリーも使いますが、それ以外は手洗いをしています。
物干し場もアパートの外にある共用のもので、私の下着やブルマもここで干しています。
私の下着は全く飾り気のない無地のもので、サイズも一般的な男物以上ですから
こういった場所に干していても盗られる心配はありません。
ですので、姉や妹の下着は私の大きなTシャツやブルマ、ショーツで隠すようにして
外からは見えないようにしています。
またブルマも姉や妹のものは、一部のマニアに狙われるかもしてないので同様に隠しています。

今は姉や妹も、無地の下着しか身につけず、化粧もしない生活をしているので
こういった心配をする必要はあまりないと思うのですが、私にとっては数少ない
姉や妹のためにしてあげられることです。

 
大切な衣服の一つですから、盗まれてはいけないので、用心しておくのには越したことはないですね。
ついでに男性物も干しておけばもっと良いかもしれませんね。


6/21

裕子です。ここ最近はめっきり暑くなり、エアコンのないボロアパートで生活している
私たち姉妹は夜は窓を全開にして寝ています。
今は、姉妹3人とも家の中では下着だけですが、
姉の使っている3帖の部屋は、窓の目の前が隣のマンションでカーテンもつけられないようになっているため
部屋の中がマンションの方から丸見えになってしまいます。
それに比べると、私の使っている4帖半の部屋は日当たりも良いです。
両親と実家マンションを失ってから姉が私や妹を支えてきてくれ、その中で姉自身もずいぶん強くなったなと思います。
少なくとも実家マンションで生活していた頃の姉は、外から丸見えになるような部屋で下着姿になることはできませんでしたし
私のように人の多い場所にブルマで出かけることもありませんでした。
アパートにはトイレは専用のものがありますがお風呂はないので、毎日銭湯に通っています。
つまり、実家マンションに引っ越す前、私が小学生のときに家族で住んでいた時と同じ環境で
銭湯に行くときもあの頃と同じように姉妹3人ブルマで行きます。
家族の人数は5人から3人になりましたが、私たち姉妹の仲の良さや、ブルマを穿いて出かけることはあの頃と同じです。

女性の部屋が外から丸見えでは不用心ですね。
100均などでも目隠しになるものはあるので、何かをつける工夫されたらいいかもしれませんね。
3人での生活をするにあたり、仲の良い姉妹で良かったですね。


6/1

高校生の最後の1年半、私はショーツ姿での高校生活だったのですが、
一方でそれまで成績はいつも最下位に近く、テストも赤点続きの地味な女子高生だった私も
2度目の3年生のときは、裸足で校内を歩くグループのリーダーのような存在になりましたし
成績も同じことをもう一度勉強するので、当たり前ですが、真ん中くらいになりました。

この時期は、登下校はセーラー服で、校内ではスカートを脱いだショーツ姿になっていて
体育の授業なども、上は体操着のシャツですが、下はショーツでしたので、ブルマを穿くことはほとんどありませんでした。

もちろん周りの生徒はブルマを穿いているのですが、私はショーツ姿と引き換えに退学処分を免れていましたし、
ブルマより少し面積が小さいくらいだからと思っていました。ただ生理のときはナプキンですと、見た目にはっきり分かってしまうので
女子しかいないとはいえ、タンポンを使用するようになりましたが。

 
普通に地味だった貴女が、ちょっとした事から大変な人生を送るようになっていったのですね。
いくらその時の事を後悔しても、ゲームのように0からやり直すことも出来ない厳しさが、現実の世界なんですね。


5/25

裕子です。たしかに、1年半の校内でショーツ姿にならなければいけなかったのは重い罰だったと思いますが、
それでも、何十回もの校則違反や万引きなどをした自分でも、退学にならずに済んで卒業できたので
よかったと思っています。

ただ、退学を免れたために、卒業後も万引きを何度もして、20代になってから、万引きが見つかった際に
店員を殴るという行為をしてしまい、半年近く、24時間自由を完全に奪われた
留置場や拘置所で生活しなければならなかったのは以前書いたとおりです。
当時は今に比べて、まだ人前にブルマで出ることに抵抗があり、スカートを押収されてしまったために
ブルマ姿で裁判を受けることになりました。

ショーツ姿よりはマシといえばそうですが、執行猶予がついたとはいえ犯罪歴として残りますし
もうすぐ34歳になるのに、今まで正社員として働いた経験も男性とお付き合いした経験もないのは
こうしたことも原因なのかなと思っています。

   過去の罪をきちんと償い、二度と同じような過ちを繰り返さない固い決意で
真面目に仕事や生活をしていれば、わかってくれる人も出て来ると思うのですが。
現実は厳しいのでしょうか。


5/11

裕子です。今回は久しぶりに高校生のときの想い出をお話します。

これまでお話してきたとおり、3年生の秋に重大な校則違反をした私は退学処分を免れる代わりに、
校内では、上は制服ですが下はショーツだけで裸足という格好で、もう一度3年生をすることになったのはこれまで書いてきたとおりです。
2度目の3年生ということで、クラスのメンバーより1つ年上ということもあり、
またその学年からは生活指導もそれまで以上に厳しくなっており、「靴下使用禁止」「靴下・上履き使用禁止」の生徒も数多くいました。
特に私のクラスですと、学校指定のソックスを履いている生徒は半分以下ということもありました。

靴下使用禁止の生徒は「素足組」、「靴下・上履き使用禁止」の生徒は「裸足組」と言われていて、
私は背が高く年上ということもあって、裸足組のリーダー的な存在でした。

ただ裸足組の中でもショーツ姿は私だけで(またの機会にお話しますが、ショーツにされた他の生徒がいたこともありました)、
他の生徒は制服のセーラー服上下の姿です。ただし、毎朝のラジオ体操と放課後の清掃は体操着になるので
(ただし清掃は上はセーラー服でも可で、下だけブルマの生徒が多かったです)
体育の授業がある日は1日中ブルマ体操着で過ごす生徒もいました。

6月のある日、体育の授業がない日でも、裸足組の生徒が全員1日中ブルマになり、それが何日か続いたので
私が理由を聞くと「ショーツにされている裕子先輩の思いを共有したいから」との答えでした。
さすがにショーツになる勇気は裸足組の生徒になかったのですが、私のことをそんな風に思ってくれる裸足組の生徒がとても嬉しかったです。

ショーツ姿は見せしめ的な罰でもあるのに、同じ事をして思いを共有したいとは、泣かせる一言ですね。
こんな事を言われると、今自分がなぜこんな恰好をしているのかを考え、反省する気持ちも強くなったのではないでしょうか。


4/18

裕子です。ようやく暖かくなり、私もワンピース代わりのトレーナーではなく、再びブルマを身につけるようになりました。

私の中学校の卒業式はもう18年も前になるのですが、卒業式はキツキツになってしまったセーラー服を着ていきました。
式が終わって帰宅するとすぐにセーラー服を脱いで下着だけになりました。その日の夜に卒業式後の謝恩会があったのですが
夕方にブルマを穿いて家を出ようとすると、母に「制服で行きなさい」と止められました。
今にして思えば当然だったと思いますが、そのときはせっかくきつい制服から解放されたのにと思いました。

卒業式の翌日には高校の特注の大きな制服が届き、サイズが合っていて、中学の物より大人っぽさを感じるデザインの
セーラー服で外出しました。サイズの合ったセーラー服は気持ちよく、そのときに高校で履こうと決めていたルーズソックスを買い
中学時代に使っていた、短いスクールソックスのほか、セーラー服やブルマ・体操着を処分しました。

化粧も全くせず、いつもブルマで生活している33歳の私にとって、15歳の春は今までの私の人生で一番充実していた時期なのかなと思います。
もう叶いませんがあの頃から人生をやり直せたらいいなと最近思います。

貴女だけでなく、昔に戻れたらって思う方も多いかもしれませんね。
その頃の自分が居たから、今の自分が有るのでしょうが、違う人生送れていたかもと思いますよね。
これからの人生をより良いものにしていくように、心がけることが大切かもしれませんね。


2/27

裕子です。まだまだ寒い日が続き、外出の時は
いつも妹が買ってくれた男物のトレーナーを厚手のワンピース代わりに着ています。

去年の秋にアパートに引っ越し、私も生まれてはじめて自分だけの部屋になりましたが(実家マンションではずっと妹と同じ部屋でした)
姉や妹の部屋に比べて私の部屋はいつも散らかっていて、やはり性格の違いが出るなと思います。

部屋には収納はないので、私は脱いだ服は床に置きっぱなしにし、溜まってきたらコインランドリーに行っています(洗濯機はありません)

私のトレーナーは1枚しかないのでなかなか洗わなかったのですが、2週間経つと冬場でもさすがに臭いが出てくるので
洗濯しました。昨日はトレーナを洗濯中でしたので、、下はブルマを穿いて外に行きました。上は長袖のものがないので、やむを得ずTシャツだけにしましたがやはり寒かったです。

つい面倒になるのでしょうが、清潔にして小綺麗にすると、気分良く毎日過ごすことが出来るかもしれませんね。


2/9

裕子です。私服のボトムはブルマだけになってもう2年以上になりますが、トップスの方も冬場に着るものは
灰色のトレーナー1枚だけで、それも長年の使用でビリビリに破れています。
ブルマは高校で販売されたしっかりした作りなのでまだまだ使用できますが、市販の服はやはり耐久性が低いです。

先日、妹と商店街を歩いていると、服屋のワゴンで男物の6Lのトレーナーが980円で売られていました。
黄色と水色のダサデザインなのでこんな値段で売られているのでしょうが、妹が私の破れたトレーナーを見て、
「私が買ってあげるからこれを着て」と言いました。

175cm95kgの私でも十分どころか大きすぎるくらいであり、腕の長さが余ってしまいますが、袖口の締まった
タイプなのでさほど不便ではありません。そして何より丈の長さが股下15cm近くあり、ワンピースとして使えます。
以前丈の長いTシャツをワンピースとして着て失敗したお話をしましたが、トレーナーは生地が厚いのでかんたんにめくれることもありません。

このトレーナーですと中はブラとショーツだけでも普通に街を歩けます。
ですので暖かくなるまでは外出時にブルマを身につけることは少なくらりそうです。
久しぶりに新しいきちんとした服を着るようになって、ブルマだけの生活をしていた時期よりも少しずつ自信がもてるようになってきました。

身なりを整えることで、気持ちも引き締まりますよね。
服はすぐに買い替えることが多く、耐久性はあまり求められていないのかもしれませんね。


1/13

裕子です。ブルマだけで生活する冬も3度目になります。
以前、状態の良い1枚のブルマを正装用にして、残りの2枚を普段着用にしていると書きましたが
今の私にはその必要もないことに気づき、去年の終わりからは3枚のブルマを同じように穿き回すようになりました。
ただ最近は3枚とも傷みが目立ってきてしまい、これからどうしようかと考えています。

何度も書いてきたように、私の体型では通常の既製服ですとなかなか合うものがありません。
とはいえ、ブルマもボロになってしまいましたし、高校生のときから15年以上使ってきた3枚のブルマと別れる日が
もうすぐ来るのかなと思いますがショーツでアルバイトすることはさすがにできませんので、高校生活の最後の時期、
体操着で登下校し、校内ではショーツでしたがあの頃、夕方の正座を終えてブルマを返してもらい穿くときの安心感を
思い出して今後も大切にブルマを使っていきたいと思います。

 
丁度良いサイズが手に入りにくいのですね。生まれ持った体格はどうにもならないですからね。
大切に使うほどに愛着も深くなり、手放しがたくなってしまうことでしょうね。


2014/1/4

裕子です。今回は中学生のときのお話です。
中学校に入学したとき、私の身長は160cmくらいでしたが、中1の間に10cm以上も伸びて170cmを超え
体重もそれにあわせて増えました。そのため、2年生になるころにはセーラー服がサイズに合わなくなってしまい、、
スカートもウエストがいつも強く締め付けられ、ひざ丈で作ったものがいつの間にかミニスカ状態になりました。

体操着のシャツも一番大きい女子用のLLでも、お腹が出てしまう状態になり、特別に男子用のLLを着ることを許可してもらい
中2以降はそれを着ていました。男子用は女子用と違い袖口が締まっていないため、ワキ毛をきちんと剃らないと恥ずかしい思いをしました。

ただブルマは伸縮のよい素材のためか入学時に買ったものが使用でき、生地もソフトですので、スカートより楽でした。
そのため、中2の9月から11月くらいまでと、中3の4月から12月までは登校後に朝のラジオ体操のために、体操着に着替えると
体育のない日でもそのまま体操着のシャツとブルマでした。そのような格好が当たり前になってしまうと、帰りに制服に着替えることを
忘れてしまい、体操着で下校して家に帰ってから気づいたこともありました。さすがに次の日に半袖シャツとブルマで登校するのは少し恥ずかしかったです。

いつもブルマを穿いての生活をしている、今にして思えばその程度と思うのですが、思春期というのはそういうものなのかなと思います。

慣れてしまえばなんとも無くても、初めての頃っていろいろと恥ずかしいこともあるのでしょうね。
中学でそんなに身長が高いと、着るものにも苦労しますね。


12/8

 裕子です。ここ最近めっきり寒くなってきましたが、やはりブルマだけでの生活を続けています。
今年の3月に両親が他界し、長年住んできた実家マンションを失って以降、姉妹3人でパチンコ店の
寮で生活してきましたが、お金が貯まったこともあり今月から寮を出て、30uの2DKのアパートに住んでいます。
私はパチンコ店でも適当に仕事をしていただけですが、姉と妹は本当に頑張ったと思います。
貯金のために新しい服も買わず、3人ともブルマで生活し、特に妹はサイズの合わないブルマで、お尻がはみ出すことも
多かったのによく我慢したなと思います。以前は妹が姉妹の中で一番私服も多く持っていておしゃれにも気を遣い、
姉や私と違って、ブルマ姿では玄関から一歩も出られなかったのにです。

 今住んでいるアパートでは南側の4畳半の和室を私が、北側の3畳の和室を姉が、真ん中の4帖のDKを妹が使っています。
私としては一番条件のいい部屋を使うなんてという気持ちがあったのですが、姉や妹が裕子は今までずっとブルマで頑張ってきたからと
言ってこのような部屋割りになりました。正直、私は姉や妹に何もしてあげられなかったのにこれでいいのかなという思いもあります。

 今後は家賃だけでなく光熱費などの費用も寮にいたときよりかかりますが、私はこの冬も高校時代のブルマで生活し
お金はできるだけ私たち家族のために使おうと思います。

 
生活環境の方は一歩前に進んだようですね。
まだまだ、生活にゆとりは無いかもしれませんが、3人のプライベートな空間が確保できてよかったですね。


11/6

裕子です。今回は中学校のときの話の続きです。
中学校では毎日朝のラジオ体操があり、もちろんこのときは体操着になります。
ですので登校するとすぐに体操着に着替えるのが日課でした。ラジオ体操のあとは朝礼があり
そのあとは教室に戻ってセーラー服に着替えるのですが、午前中に体育がある日は春から秋はほとんどの生徒が体操着のままでした。
冬は上が長そでのシャツとはいえ、中がブラジャーだけでは寒いので制服に着替える生徒が半分くらいいましたが
私は冬でも体操着のままでした。
中学校ではスカートの丈はひざ丈と決められており、正直私には長すぎて邪魔な感じがし、かえってブルマの方がいいなと思いました。

また放課後の清掃は、上は制服のままでもよかったのですが、下はブルマになる校則でしたので
体育の授業が終わっても、体操着のシャツの上にセーラー服を着るだけで下はブルマのままでした。
ですので校内ではブルマ姿のことが多かったのですが、卒業アルバムの写真撮影のときだけは先生から制服を着るよう注意されました。

寒くても体操着やブルマで過ごせるのは、嗜好だけでなく健康なんですね。
さすがに後々残る写真では、先生も気になったのでしょうね。


10/14

裕子です。ここ最近の生活は変わらず、パチンコ店の寮で姉妹3人で生活し、
寮内ではショーツ、外出のときはブルマを穿いています。

今回は今までお話ししていない、中学生の頃の話をしたいと思います。

中学校の制服はセーラー服で、体操着は白の半そで・長そでシャツと紺色の3本線が入ったブルマでした。
ジャージはなく、4月から10月までは半そで、12月から2月までは長そでシャツの使用で、3月と11月は
気温に合わせてどちらかを使用できました。下はもちろん年中ブルマです。

私は高校デビューしてからは髪を茶色に染め、ルーズソックスや超ミニのスカートを身につけるようになり、
校則違反で何度も処分を受け、最後は長期停学の後に、2度目の3年生を、ペリーショートの髪に
ショーツ姿・裸足で送ったことは今まで書いた通りですが、
中学生のころは、喫煙こそしていたものの服装などはとても地味で、セーラー服のスカートはひざ丈で、ソックスも
学校指定の足首が隠れるくらいのミニソックスを履き、靴は学校指定の白い布製の運動靴でした。

これまで書いてきたように外出用の私服は持っていなかったので、休みの日でも家から出るときはセーラー服を着ていました。

ブルマは体育の授業で穿くのはもちろん、掃除(女子は上はセーラー服で、下はブルマという校則でした)のとき、
また毎朝15分間の朝体操というのがあり、このときも体操着になりました。放課後に掃除があるので
体育の授業がある日は、一日中体操着になる校則もあり、週に3日は校内では体操着での生活でした。

私が今でも高校のときのブルマを使用しているので、中学のときのものは思われる方もいらっしゃるかと思いますが
私は中学の間で身長が10cm以上伸びたため、3年生になるころには、制服も体操着もとてもきつくなっており、
卒業と同時に処分してしまいました。
今にして思えば比較的サイズの自由なブルマはとっておけばよかったかなと思っています。

中学校の頃の話は今後も書いていきたいと思います。

中学生編の思い出のスタートですね。
その時々のブルマへの思いはあるのでしょうね。


9/9
裕子です。以前にも書きました通り、私は身長175cmで体重95kという体型ですので
一般的な市販の服ではサイズの合うものはまずありませんので、店で服を買うということをめったにしません。

顔もかわいいとはいえないですし、今はひっつめ髪でパチンコ店に行っていますので、ブルマを穿いて太ももから
下の足を出していても男性からの視線はほとんど感じませんし、当然男性に相手にされることもありません。

もちろんかわいい女の子が羨ましいと思うこともありますが、両親が生きていて実家マンションで気楽にフリーターを
やっていたときは、わずかな私服とブルマでの生活で満足でした。ただ最近、このままブルマしか穿くものがなく年齢を
重ねていってもいいのかなと思うこともあります。

ブルマは伸縮性もあって穿き心地は良く作りも丈夫なので、見た目さえ気にしなければとても便利な服なのですが、
いつの間にか世間の方々と感覚がズレてしまったような気もしています。

ただあまり考え込むのは好きではないので、今も寮の中ではTシャツとショーツで生活し、寮から出るときはブルマ
というスタイルです。そもそも私が服を買うとなれば特注になってしまうので、お金もかかりますし。

家庭での普段着であればブルマ姿も良いのでしょうが、今はブルマ姿自体が珍しく外出着としては好奇の目で
見られてしまうのでしょうね。経済的に厳しければ、大きめサイズのお店で服を買うこともしにくいですよね。


8/25

裕子です。今回は近況のお話です。

ここ最近本当に暑くて気力がなく、仕事のない日はいつも寮の食堂に置いているPCに向かっています。
寮の中では以前に比べて下着姿の女の子が多くなったと思います。
やはり私たち3姉妹がいつも寮内では下着だけですのでその影響かもしれません。

4月に寮に入ったばかりの頃は、姉や妹は部屋から出るときは必ずブルマを穿いていましたが、今は平気なようです。
もちろん服の消耗を抑えるためにはよいことなのですが、私と違ってそれなりに女の子としてファッションを楽しんできた時期もあり、
まだ31歳で結婚できる可能性も十分ある妹の現状はかわいそうだなと思うときもあります。

ところで、私の働くパチンコ店は地域貢献の一環として、毎朝開店前に、店の周辺の清掃をしており、
私も週に1回程度しておりますが、今の季節ですと近所の部活に行く中学生が通る時間帯になります。
もちろん中学生たちは、短パンを穿いていてブルマの私たち姉妹を好奇の目で見ているとはっきり感じます。

私はもう2年近くブルマ以外に穿くもののない生活をしてきましたが、姉妹、特に妹は2年前はブルマでは
マンションの建物内でも恥ずかしそうだったことを考えると環境の変化はあったといえ妹も強くなったと感じます。

 
今年は特に暑く、エアコン無しでは過ごせない位なのに、毎日大変ですね。
3人でブルマ姿は、普段みかけないだけに、好奇の目で見られてしまうのでしょうね。


8/18

裕子です。前回のお話の補足になります。

24歳のときに、万引きで逮捕され半年近く、拘置所に閉じ込められていたわけですが、
その間の服装はほぼブルマでした。高校のときに罰として1年半近く、校内では「上はセーラー服、下はショーツ」(卒業間際の時期は、上が体操着のシャツ、下がショーツでしたが)でしたので、それよりはマシと思われる方もいるかもしれませんが、24時間狭い房に閉じ込められているのはつらかったです。実家マンションでは妹と共用の部屋でしたので、困ったことがあれば妹が助けてくれることも多かったので、1人だけの空間がかえってきつかったです。今はパチンコ店の寮で姉妹3人同じ部屋ですが、その方がかえっていいなと思うのは私だけでしょうか。

ところで拘置所には、すでに実刑判決を受けて、受刑者になっている女の子もいます。食事の配膳などは、こうした女の子たちの役割です。受刑者になると、私服は使用できず、拘置所が受刑者用の服を支給されていたようですが、それは水色の長そでジャージと紺色の短パンでした。また履物は私と同じ拘置所のサンダルですが、白の短ソックスを履いていました。

私はトレーナーにブルマで靴下が足りず素足でいることも多かったので、受刑者の女の子から同情されることも多かったです。
また髪型も受刑者の女の子はおかっぱでしたが、私は反省を示すためにベリーショートに切っていましたのでその点でみすぼらしく見えました。

判決前に弁護士の先生がそのことにも触れていただき、恥ずかしかったのですが
結果として強盗という重い罪(万引きでも警備員を殴ると強盗になってしまうことを捕まるまで知りませんでした)で執行猶予をいただけたと思っています。

 
後から思うと、なぜそんな事をしてしまったのだろうと思う事も多いのでしょうが、
後悔してもしつくせない事もあると思います。そこには、知らなかったでは済まされない事もあります。
初犯で執行猶予がつかなかったのが幸いでしたね。


8/14
裕子です。少し間隔が空きましたが、前回投稿した、20代前半の私が逮捕され裁判をうけたときのお話です。

当時1枚しか持っていなかったスカートは証拠品として押収されましたので、拘置所の中ではずっとブルマを穿き、裁判にもブルマで行きました。
検察官・弁護士とも30代の女性の方で、パンツスーツでしたので、トレーナーにブルマの私はみじめでした。

今はもう同じ格好で平気で街を歩けますが、この頃の私は実家マンションの敷地内がブルマで行ける限度でした。
裁判は4回行なわれ、1回目が逮捕2か月後の12月、そのあと1月に2回目、2月に3回目で判決を受けたのは3月の終わりでした。

つまりほぼ一冬ブルマで生活したわけでして、拘置所に入った12月以降は暖房もない部屋でとても寒く、
クリスマスやお正月は特にみじめな思いをしました。
拘置所の部屋は3畳くらいの広さで、中にトイレと洗面台がありましたが、トイレを使うときは、廊下を歩いている刑務官から丸見えでした。
もちろんトイレが中にあるので臭かったです。

高校のときの処分で、1年半近く、セーラー服+ショーツで裸足にされたといっても校内だけの話で、登下校時は素足で靴を履いているくらいの違いで、
家に帰れば暖房の効いた部屋で、当時は60uの広い実家マンションの中は当然自由に動けました。

それに比べて24時間、トイレもむき出しの環境で監視され、狭い部屋から自由に出られないのは辛かったです。

3月の判決で執行猶予が付き、拘置所から釈放されたときもまだ押収されたブラウスとスカートは返してもらっていなかったので
(判決確定後に返されました)、トレーナーとブルマで家に向かいました。
このときは、半年ぶりに自由に街を歩けることが嬉しくて自分のブルマ姿を完全に忘れていました。

執行猶予がついたのは救われましたが、拘置所では自分がおかれている状況から、自分の罪を感じ、
大いに反省されたことでしょうね。二度と同じ事はしないと。


7/7

裕子です。今回は今まであまりお話してこなった20代前半のエピソードです。

大変恥ずかしい話ですが、私は22歳のときに万引きで逮捕・拘留された経験があります。
万引き自体は中学生のころから何度かやっていて、一度も失敗することなく1度の取るものも1つか2つ程度でした。
取る感覚を楽しむというよりは、お小遣いの節約程度のつもりであり、やる店もある程度決まってしました。
そのためさほどの罪悪感もなく、高校を卒業してフリータになったあとも月に1,2度くらい万引きをしていましたが、
店からもマークされていたようで、いつものようにお菓子やCDを持って店を出たところで私服の警備員に取り押さえられました。
そのときに捕まりたくないと思って警備員を殴ってしまったため、私は逮捕されてしまいました。

逮捕時に身に着けていたカットソーとスカートは返り血がついていたために押収され、
ブラジャーも自殺防止のためという理由で取り上げられました。
逮捕された日の夜は留置場で借りた薄く汚いワンピースを着て寝ました。

このようなことをしても家族はきちんと服を差し入れてくれて、逮捕の次の日には私服に着替えました。
当時持っていたのは、スカートが逮捕時に穿いていた赤のマイクロミニのフレア1枚だけ、
トップスは逮捕時のカットソーのほかに、半そでと長そでのブラウス1枚ずつとトレーナーでした。
このほかブルマが4枚、Tシャツや下着が数枚でした。

まだ私も若かったので、冬場以外は家の中ではブラジャーとショーツで生活していましたが、
留置場では下着姿は禁止でしたので、逮捕の翌日からは差し入れのTシャツとブルマを身につけ、
昼間は自分と同年代の女性警察官の取り調べを受け、夜は汚い布団で寝る生活を2カ月続けて、
起訴を経て初公判の日は12月のはじめに決まりました。留置場は冷暖房があり、
逮捕の数日後に店舗で現場検証に行った以外は建物の外に出なかった間に季節が進んでいました。

ブラウスやトレーナーは差し入れてもらい、留置場の房に置いていましたが、靴下を差し入れてもらっていなかったので、
初公判のときは上が長そでのブラウス、下がブルマでゴムサンダル(靴は禁止でした)を素足で履いていましたが、やはりみじめでした。

長くなりましたのでこの話しの続きは次回にしたいと思います。

 
今から思えばいけない事をしていたのだなと、反省されたことでしょうね。
普通経験することのない経験は、その後の貴女を変えるきっかけになったのでしょうね。


5/27

裕子です。ここ最近はすっかり暑くなり、パチンコ店の制服も少し前倒しで
パーカーから、半そでのポロシャツになりました。制服は上だけで下は各スタッフの
自由で、私はボロブルマしか持っていませんからそれを穿いて働いています。

住んでいる寮と店は500mくらい離れていて、その間は商店街になっています。寮に住んでいる
店員は寮から制服を着ていけますので、上だけでもきちんとしたものを身につけてられる分だけ気は楽です。

私の持っている服はブルマ3枚(うち2枚はボロになっています)、よれよれになったTシャツ3枚とトレーナー1枚に下着類だけですが
寮の中では、これくらいの暑さになるとTシャツも身につけず、下着だけで生活しています。実家に住んでいたとき違い
部屋を出れば他のスタッフもいますが、下着で廊下を歩く人も多いです。

ただ今後ずっと寮で生活するのではなく、少しずつお金を貯めて、いずれは2DKくらいのマンションに姉妹で住みたいと思っていますので
今後も私はわずかな服だけで、ブルマで店に行く生活を続けようと思っています。

 寮で周りに似たような格好の人が居ると、無用な気遣いも少なく気楽に過ごせるようですね。
早く姉妹で暮らせるようになるといいですね。


5/12

裕子です。私は裁縫が全くできないので、自分で生地を買ってきて服を作ることなどとてもできません。
また私のような体型だと安売りの服ではサイズが合わないので、当面は今持っているブルマを大切に使う生活をしたいと思っています。

今回は姉と妹のお話を書きたいと思います。

私たち姉妹の使用している、寮の4畳半の部屋は収納が全くなく、各自の持ち物はベッドの空きスペースに置くしかありません。
そのため3人とも最小限の服しか持てないので、姉と妹はブルマを共用しています。

前回の投稿で通信販売のブルマのことを少し書きましたが、姉や妹はともに身長160cmくらいで、通常の女性服が着られる体型なので、
学校で使っていたブルマが傷んでしまったため、こちらは寮内用にして、通信販売のブルマを店に出るときは穿いています。
とはいえたくさんは買えないので、濃紺やピース紺、エンジ、水色の4枚を買いそれを姉と妹で共用しています。

姉は比較的細身で、妹は少し太り気味(私よりは全然痩せていますが)ですが、ブルマは姉の体型に合わせて小さめサイズにしました。
妹は両親の死後、長女として頑張ってくれている姉が仕事をしやすいようにということで、ホールの中でブルマがずり落ちないように
ということで、ピチピチのブルマを我慢して穿いています。

バイト中にたまにホールに行くことがあるのですが、以前は私たち3姉妹の中では一番おしゃれに気を遣い、
そこそこの数の服を持っていた妹が、ピチピチのブルマで、ショーツははみ出した姿でお客様の前に出なくて
はいかないのはとてもかわいそうです。妹は「ボロボロのブルマで店に行っている裕子お姉ちゃんよりはいいから」と
言ってくれるのですが、やはり姉として、妹の体型に合った服を誕生日あたりにプレゼントしたいと思っています。

 
経済的には厳しくても、姉としての思いは変わらないようですね。
なんとかプレゼントが出来て、喜んでもらえるといいですね。


5/9

裕子です。実家マンションを失って、パチンコ店の寮で生活するようになりましたが
アルバイトの私たちが寮に入る条件として、店が忙しい時はシフトでないときも出勤するという条件になっています。
そのため他のバイトをやりにくいこともあって、姉妹の収入には限りがあります。

そうした中で私のブルマも長年の使用や肉体労働(私の仕事はホール接客ではなく、重いパチンコ玉を運んだり
トイレを掃除したりする方です)のために3枚とも傷みが激しくなってきています。

最近はブルマも通信販売があり値段も2000円くらいのようですが、身長175cmで、体重が90kg以上もある私が
穿けるようなウエスト100cm以上のものはまず見つかりません。
高校の時に特注で作ってもらったボロになったブルマしかないのです。
みじめではありますが、1枚5000円近くもしたブルマは両親の形見だと思っています。

今は店に行く時以外は、寮から外出せず(食事は休みの日でも寮で用意してもらえます)、
寮内ではTシャツとショーツだけで生活しています。
以前書きました紺色のショーツは、寮の共有スペースに行くときにとても便利ですし、
他の店員の女の子でも寮の中ではショーツという人もいるので気は楽です。

 
このところ暖かくなってきたので、薄着でも我慢出来るかもしれませんね。
ブルマももともと大人が着用するものではなく大きなサイズは無いのでしょうね。
生地を買って手作りなんかは無理なんでしょうね。


5/6

3月に両親が相次いで他界し、姉や妹とともに関係の手続きをしていました。
両親の年金があったので、今までマンションのローンを問題なく払ってきたのですが、
わたしたちフリーターの三姉妹の収入を合わせても、ローンの支払いが難しくなりました。
かといって今マンションを売っても、ローンの残りを返しきれず、
100万円程度の支払いが必要なことがわかりました。

私にとっては中学校に入った時から20年間生活してきた家であり愛着もあったのですが、
貯金もなく、姉と妹のわずかな貯金だけでは100万は用意できません。
結局多少でもお金になりそうな家財道具はすべて換金し、
姉や妹のお金になる服も全て処分しました。ブルマしか持っていない私は当然全く貢献できません。

以前に書いた通り、姉妹3人とも同じパチンコ店でアルバイトをしており、幸い従業員寮の3人部屋
(3人部屋を希望する人はほとんどいないそうです)が空いていたため、店長に事情を話し正社員で
私たちも寮に入れてもらえることになりました。

部屋は4畳半程度の広さで2段ベッドと1段ベッドが向かい合っていて、小さなテレビだけがあります。
ベッドは大人用の大きさで、今まで子供用の2段ベッドで膝を曲げて寝ていたのに比べると環境は良いです。

姉も妹も最低限のわずかな服で生活するようになり、私と同じように、普段の生活はTシャツとブルマで、
仕事の時は店のパーカーをその上に羽織っています。室内では3人とも下着での生活ですが、
トイレや洗面所、シャワーなどは他の部屋の従業員と共用です。私は女性しかいない寮の中くらいであれば、
下着姿で部屋から出ますが、姉や妹は部屋から出るときは必ずブルマを身につけています。

辛いですね。
ご両親がお亡くなりになり、住み慣れた家を離れていかなくてはならないとは・・・。
姉妹で離れず生活がスタート出来たのが救いですね。


2/24

今回は前回のお話の続きです。
たしかに下着姿での清掃をさせた、高校の処分は重すぎるとも思いますが、当時は退学処分にならずに済んだし、
裸にされなかったので良かったと思っていました。卒業式も穴だらけの半そでシャツとブルマで出席するのは
恥ずかしいと思っていました。

さて高校を無事卒業したのですが、そのときの私の服は下着を別にすれば半そでシャツはさすがに捨てたので
4枚のブルマだけでした。当時は今より若かったせいもあって寒さに強かったので、真冬以外は家の中ではショ
ーツとブラジャーだけの格好でしたから、卒業後2は外出もせず下着だけでニートのような生活をしておりました。

家から出るための服がなく、そのためにダラダラと60uの実家マンションの中だけでたまに家事を手伝うほかは、
私のスペースである2段ベッドの下段で寝ているような生活を続けておりました。当時は女性向けの大きなサイズの
服を売る店も少なく、175cmの私が着られるようなものはなかなかなかったのですが、心配した家族が、ピンク
色のブラウスと黄色のミニスカートを1着ずつ買ってきてくれました。中学高校の間、どこに行くにも休みの日でも
紺色のセーラー服(最後は体操着でしたが)だったので、こうした女の子らしい色の服は多少抵抗もあったのですが、
9月に20歳になったのを機会に居酒屋でのアルバイトをはじめました。

その後はじめて貰ったアルバイトのお金で、外出用にも使えるTシャツを3枚ほど購入し、それ以降ブルマとの組み
合わせが実家マンションの敷地内までの服になりました。

 
家の人もさすがに、年ごろの女の子が外出用の服も無いのを心配されたようですね。
少しでも着るものが増えてよかったですね。


2/20

今回は再高3のときのお話です。3年生の秋になると就職や推薦入学が決まる生徒とそうでない生徒がクラスに混じりますので、
女子校特有の人間関係もあって妬みなどからくるいじめも発生しやすくなります。

クラスには上履きを素足で履いている生徒が多くおり、上履きも禁止されて裸足の生徒も数名いたために、裸足の生徒の足を
素足で上履きを履いている生徒が踏みつけるといういじめもありました。私はその対象になっていませんでしたが、いつの間に
か裸足組のリーダーのような存在になっていたため、そうした生徒を守ろうとして手が出てしまい、既に「いかなる校則違反でも
退学処分」を言い渡されていたために、再び退学の危機になってしまいました。しかし、暴力行為はいけないが正義感からの行
動ということで、今回も退学処分を免れる異例の決定がされました。

その条件として
・卒業までの4ヶ月間、3年生自宅学習期間以降も平日は、体操着の半そでシャツとブルマで登校すること
・校内ではブルマを脱いでショーツになること。ショーツは学校推奨の白の無地のもののみ使用すること。またブラジャーも白の
スポーツブラに限ること。
・履物はグラウンド用の学校指定の白い運動靴を登下校時のみ使用できること。
・上記で使用しない学校指定の衣類(セーラー服、ジャージ、ローファ、上履き)はすべて焼却炉で処分すること
・髪をベリーショートにすること

とされ、3年生の登校期間でない1月からは
・午前7時 登校
・午前7〜8時 廊下拭き掃除
・午前8時〜午後3時 職員室前の廊下で正座
・午後3時〜午後4時 階段・渡り廊下の拭き掃除
・午後4時〜午後5時 トイレ拭き掃除
をすることになりました。

また拭き掃除に雑巾の使用は認められず、自分の今着ている体育着のシャツを雑巾代わりに使うことになりました。
体育着の白い半そでシャツは3枚ありましたが、着替えを持参することは認められず、雑巾代わりに使用した濡れたシャツを
着て正座や下校しなければなりませんでした。3月に入ることには、3枚のシャツは黒に近い白という感じの色になってしまい、
裾もボロボロになったので、登下校時はブルマを思いっきり上に引っ張っていました。

卒業式の日も、出席することは認められず、式が終わった時も廊下で正座していましたが、仲のよい生徒は私のところに来て
励ましてくれ、ボロボロのシャツに造花をつけてくれました。セーラー服を身に付けた彼女たちも足元は裸足で式に出席してい
ましたが、私の姿を見てがんばれたとのことです。

私は3月31日の夕方、ブルマと卒業証書を生徒指導室で受け取りました。
私が高校時代のブルマを今でも使用しているのに、それ以外の高校で使用した衣類を持っていないのはこのような理由です。
その後シャツを処分し、1足しかなかった運動靴も4年間の使用で穴が空いていましたが、4枚のブルマはほとんど傷みのな
い状態で残り、13年経った今も使用しています。

 
何かあると処分がどんどん厳しくなっていくようですね。
周りへの見せしめ効果を狙っているようで、本人の心からの反省につながりにくい気もしますね。
学生にとって大切な卒業式出席まで奪われるとは、配慮のかけらも無かったのですね。


1/30

昨日、バイトの帰りにスーパーで買い物をしているときに下着売り場で、紺の無地のショーツを見かけました。
11/12の投稿でお話しした、高校生のときに買ったものとよく似たもので、面積も使用しているブルマに近く
値段も安かったので二枚ほど購入しました。

私が持っているショーツは、白の無地4 枚とピンク・クリーム色の無地がそれぞれ1枚ずつで通常の生活で
あれば十分な数ですが、このショーツはブルマに見た目も近いので、外出用には使えなくても、これであれば
ショーツでベランダに出たり、玄関で来訪者の対応をするくらいは抵抗なくできそうです。

 
お買い得なショーツを見つけられて良かったですね。
枚数増えれば、他のブルマの消耗も抑えられますね


1/20

今回も近況の報告です。以前書きましたように、十数年に渡って使用していますと、さすがに丈夫なブルマも
傷みが目立ってきたため、ブルマを「ベランダ・マンション敷地内用」の1枚、「通常外出用」の2枚、
「特別な日用」の1枚に使い分けていますが、ベランダ・マンション敷地内用はもう限界が近くなっていました。

先日、ベランダでボロフリースとブルマ姿で洗濯物を干す作業をしていて、バイトの時間を忘れており大慌てで
駆けつけたところ、着替えるのをすっかり忘れていて、しかも走っている途中で看板の針金に袖が引っ掛かってしまい、
店に着いた時にはブルマの右側の裾のゴムが切れて布が大きく破れ、中に穿いているクリーム色のショーツが丸見えのような状態でした。

これではさすがに直すことができず、その日は破れたブルマのままホールに出ましたがお客さんの視線が気になっていたたまれず、
体調が悪いと言って早退してしまいました。

これからは残り3枚のブルマを大切に使おうと思っています。

 
愛着もあり古くなったからとすぐに買い換えることにもならないのですよね。
破れたのは残念ですが、自分で繕えばより愛着が生まれるのかもしれませんね。


1/18

裕子です。今回は近況のお話で、ブルマに合わせる履物の話をしたいと思います。

私が住んでいる実家マンションの玄関は幅が1mしかなく、収納もないので、私の靴は1足と決められています。
ブルマしか穿かないので、靴もホームセンターで680円のスニーカー(といっても全く飾り気のないものですが)を使用しています。
アルバイト先のパチンコ店は自分の靴を使用することになっていますが、歩きやすいスニーカー限定ですので履きかえる手間もなく、
(ヒールで出勤して履きかえるバイト仲間も多くいます)好都合です。

今までお話したとおり、高校生のときに靴下を禁止されていた期間が長かったせいで、素足で靴を履く習慣が身についており、
今の季節でも素足で履くことが多いですが、20歳前後のフリータの女の子からはブルマとともに、驚かれて世代の違いを感じます。

 
このところの寒さでは、素足はかなり厳しくないですか。
みんな驚ろくことでしょうね。しもやけにならないように注意してくださいね。


2013/1/13

 今回は高校3年(4年)生のときのお話です。生活指導の非常に厳しかった学年ですので、
靴下を没収される生徒は非常に多かったです。抜き打ちの服装検査で5mmの長さの違いで
没収された生徒もいました。

 またその場で没収されるだけでなく、1回目は1週間、2回目は1か月、3回目は6カ月、4回目
以降は1年間、靴下を禁止されるため、私が入ったクラスでは4月の時点で、素足で上履きを
履いている生徒が10人以上いました。また、3年生は禁止期間が卒業日を過ぎてしまうことも
ありますが、この場合は卒業までの靴下禁止に加えて、不足する期間分は上履きも使用禁止
になり、裸足で校舎の中を歩くことになっていました。裸足で歩いている生徒は、私を含めて
クラスで3〜4人でしたが、2学期の始業式の日の検査で、4回目の違反だった生徒が6人いて、
卒業まで靴下禁止+1月末まで上履き禁止になりました。

 私は4月からずっと裸足にショーツで校内を歩きまわっていましたので、裸足の仲間が増えた
ことで少し気が楽になりました。掃除のときは冬服の期間でもジャージは上しか使用できない
校則だったので(私は使用を禁止されていたので、冬服期間になっても半そで体操着+ショーツ
で掃除をしていました)、11月くらいからは掃除のあと裸足組がストーブの前に集まって自然に
話をするようになり、そうした生徒とも仲良くなりました。

 私が、ショーツ姿でもクラスをリードする役割でしたので、裸足にされた女の子たちも卑屈に
ならずに済んだようで、そうした生徒へのいじめもほとんどありませんでした。

 
同じ境遇の者同士が自然と集まって仲良くなっていくのですね。裸足は見た目にも指導を
受けている最中であることが明らかですね。寒い時期の裸足は足が冷たくて辛かったことでしょうね。


12/16

今回は私の近況のお話です。ここ最近めっきり寒くなってきて、冬になったと感じます。
私にとってはブルマだけを穿いて生活する2度目の冬になりました。
私が家族と住んでいるマンションは北側に通路があり、冷たい風がまともに吹き込むので、
とても寒いのですが、私だけでなく姉や妹も最近はマンションの敷地の外まで紺色のブルマで出かけています。

急に寒くなったせいか、街でも生足を出す女性を見かけなくなり、太もも前回で歩いていると、
以前より視線を感じることが多くなっていますが、どこに行くにもブルマになってから1年に
経つとあまり気にならなくなります。

去年の小火以降、ボトムはブルマしか持っていませんが、トップスも灰色のフリースと、
黄色のトレーナーの1着ずつだけで、10年前に買ったフリースの方はもうボロボロなので部屋着として使い、
外出の際はいつもトレーナーを着ています。ブルマでですとお化粧もしないのが自然ですので、
ここ1年間化粧品も一切 買っていません。 

お金をあまり使わない生活で実家マンションに住んでいますので、週に3〜4日、5時間パチンコ店で
アルバイトをすれば、自分のお小遣いくらいには十分なっているので、
来年も今のような生活を続けていこうと思います。

 
質素な生活で支出を抑えることで、生活が成り立っているのですね。
普通ならばいろいろ欲しいものもあるでしょうが、買わないで済むことに慣れられたのでしょうか。


12/5

裕子です。今回もブルマが出てこなくて申し訳ないのですが、高校生のときのお話です。

   既に書いたように、再3年生の私は平日はセーラー服に素足でローファを履いて登校し、
学校のげた箱にローファを入れてから、裸足で生徒指導室に行って、スカートを脱ぎ、
下校まで校内では上はセーラー服、下はショーツでした。
  また当時は外出用の服を持っていなかったので休日でも家から出るときは制服を着ていました。

   平日は家と学校の間の往復だけの生活でしたので
(処分の内容に、通学時の寄り道禁止も含まれており、通学路にも生徒指導の先生が結構いたので、きちんと守っていました)

   休みの日は、通学路や駅などに生徒指導の先生がいることもないので、足元をルーズソックスで固めて、
超ミニのセーラー服という当時の女子高生スタイル(そういえばまだJKという言葉はありませんでした)で繁華街に出かけていました。
   ただ、すでに同級生は高校を卒業しており、中学のときの同級生に会うと「なんで制服なの?」と
聞かれることもあって、恥ずかしい思いをしました。

   そこで、ある日姉のワンピースを借りて出掛けたのですが、姉は私より15cmも背が低く、
ほっそりした体型ですので私が身につけると、もともとミニ丈のワンピースが股下ほぼ0になってしまい、
胸の部分がはち切れそうになってしまいました。落とした小銭を拾おうと前かがみになるとショーツが
丸見えになってしまったようで、それを小学生らしい男の子に指摘されたときはさすがに顔を覆いたくなりました。
  その上ワンピースも伸びてしまい、姉にも怒られました。1歳くらいの年齢の違いですしあれだったらセーラー服の方がはるかにましです。

 
せっかくお姉さんの服を借りたのに、エッチな雰囲気になってしまったようだね。
小学生に指摘される位だから、多くの男性にジロジロ見られたことでしょうね。


11/12
裕子です。今回は8月に投稿した高校生のときのお話の続きです。

再3年生をショーツ姿でスタートさせて1か月ほど経ったGWに姉と買い物に行った際、ランジェリーショップで、
濃紺のやや厚手の無地のショーツを見つけました。値段は結構高かったのですが、見た目がブルマに近くて
生地も厚いショーツは当時の自分にとってぜひ欲しいものであり、姉も私が高校でショーツになっていることを
知っていたので、2枚買ってくれました。

一方で、私の高校には全く飾り気のない白無地に校章だけが入った、「学校推奨ショーツ」というのがあったの
ですが、穿く生徒はごく少数であり、値段もスーパーの安売りショーツの倍近かったので、私も持っていませんでした。
しかし、私が編入された新3年生の学年は、生活指導が非常に厳しく、使用できる下着は白の無地のみと決められて
いたため、大半の生徒がこの推奨ショーツを穿いていました。

私はもともと1つ上の学年でしたし、校内では常にショーツでなければいけない立場だったこともあり、無地であれば、
色つきのショーツも許されており、以前書いたとおり水色のショーツを穿くこともあったのですが、濃紺のショーツを穿く
ようになってからは、周囲の視線が気になるようになってきました。5月の終わり頃になると、大半の生徒が体育の授
業があると、放課後の清掃時間まで下はブルマになっていました。また先に書いたような理由で上履きと靴下を禁止
されている生徒も4人いましたので、この4人は見た目は私もほとんど変わらなかったです。

そのため他の生徒や一部の教師から私の処分の意味がないという声が聞かれる様になり、クラスでも孤立しそうに
なってきてしまったので、紺色のショーツを捨てて、推奨ショーツを穿くことを決め、当時の全財産だって2100円をはた
いて2枚買いました。6月の半ばに初めて推奨ショーツで登校した日に、紺と水色のショーツあわせて3枚を学校に持っ
ていき、焼却炉に放り込んで、クラスの数人を誘って見てもらいました。

せっかくの紺ショーツを1か月少々で灰にしまったのは姉に申し訳なかったですが、これ以降私もクラスに溶け込める
ようになりました。また値段が高いだけに推奨ショーツは丈夫で穿き心地も良く、多くの生徒が穿いている理由も分かりました。

 
思い切って履き替えると、すぐに慣れてしまうようですね。
しかし推奨ショーツなどが決められていたのですね。
その分安くなるような販売システムがあれば良かったのにね。


10/15

お久しぶりです。ようやく涼しくなってきて、窓を開けることもなくなったので
家の中でブルマを穿くこともなくなり、以前のようにブルマはベランダに出るところと玄関のフックにかけています。
以前書いたとおり去年の秋に小火で、スカートやショートパンツを燃やしてしまって以来、
ボトムは4枚のブルマだけの生活を続けており、夏の間は家の中でも活躍しましたので、
丈夫なブルマも最近は傷みが目立ってきています。

そのため、今までは4枚のブルマを同じように使用していましたが、今後は比較的状態のいい1枚を「正装用」として、
自分の部屋に置きこれは少しおめかしして出掛ける時用。
逆に股が擦り切れていてゴムが伸びてしまっている1枚は「ベランダ用」として、
リビングのベランダに出るところに置いておき、残る2枚を「普段着用」として、
玄関のフックにかけておくことにしました。

 
ブルマも傷み具合で役割を変えているのですね。
これだけ大切に履かれると、ブルマも喜んでいるかもしれませんね。


8/16

今回は現在のお話です。

私は相変わらずパチンコ店でのアルバイトを続けています。
今の季節のユニフォームはパーカーではなく、店名入りの赤いポロシャツで、下は各店員の私服です。
私と妹はもちろんブルマを身につけて働いています。

夏休みの時期になり、学生もフルタイムで入るようになったのですが、下は自由といっても動きにくい
ロングスカートは禁止ということを理解していないこも多くいます。

中には私服がロングスカートだけという娘もいます。
私はブルマを4枚持っていますので、明日は貸してあげようかと?行ってみましたがさすがに恥ずかしいからと断られました。

それにしても今の女子大生は「ブルマ」という言葉すら知らない人がいるのに驚きました。

 
ブルマを履く事が今はほとんど無いから、知らない人も居るのですね。
知らないだけに、一度履いてみれば、その良さに目覚める人も居ることでしょう。
また、何かの機会に良いものだって教えてあげれば、気が変わってブルマファンが増えるかもしれませんね。


8/9

4月になり私は新3年生として、1つ下の生徒たちといっしょにショーツで授業を受けるようになりました。
途中までは一度やった内容ですから、それまで最下位に近い成績だった私も真ん中くらいの成績になり
そのせいもあって、また女の子にしては非常に背が高かったこともあっていじめに遭わずに済みました。

 今もそうですが家の中では常にショーツ姿ですし、それまでも以前書いたように
校内でブルマ姿のことも多かったので、椅子に座ったときに生地が薄いなと感じること以外は
どちらかといえばショーツより裸足の方が堪えました。
 それでも少しずつ暖かくなってきたのでトイレ以外はそれほど気にならなくなりました。

 私の持っていたショーツはほとんどが白の無地で、1枚だけ水色のものがありました。
長身で地味なタイプの私は彼氏を作るなど夢のまた夢でしたし、勝負パンツなどという概念はまったくなかったのですが、、
毎日学校でショーツになるので、普段は白を穿き、テストや学校行事など特別な日は水色を穿くようになりました。

 
ショーツの色は人それぞれに意味を持つようですね。
一枚だけ違う色のショーツは、貴女にとって特別なものになり、大切に履いたのでしょうね。

 


8/7

裕子です。今回は高校生のときの話をお休みして近況報告です。
暑い日が続いてて最近はいつもぐったりしています。
私の住んでいるマンションでエアコンがあるのはリビングだけで、私と妹が使っている部屋にはありません。
部屋はマンションの通路に面していて、曇りガラスの窓を開けると部屋の中が丸見えになってしまいます。
(カーテンで隠せますが、外からでもカーテンは簡単にめくれます)

今の季節、家の中ではショーツとブラジャーだけの格好ですが、窓を開けるときはその上にTシャツと
ブルマを身につけます(つまり外出時と同じ格好です)。
窓を閉めて下着姿か窓を開けて外出用の服装のどちらが涼しいか妹と話し合いましたが、
結論としては南側のベランダの窓も開けて家全体で風が通るようにすれば、
Tシャツとブルマを着てもその方が涼しいということになりました。

縦が12mあって、横が5mの細長い造りの家で、あまり風通しがよくないと思っていましたが、
それでも涼しいのは意外で、今年の夏は室内でもブルマを穿くことが多くなっています。

 締め切って熱のこもる部屋よりも、風通しを良くした方が涼しいのですね。
今年の夏は暑いので、熱中症にならないように気をつけてくださいね。


7/16

小学生のとき以来、もう25年にわたってブルマと縁の深い生活を続けている私ですが
18歳から19歳のころの一時期ブルマを穿かなかった時期がありました。
穿かなかったといっても恥ずかしくなったからとかではなく、穿くことを禁止されていたからです。
以前に、校内でパンティ姿を強要された聡美先輩のお話を書きましたが、私自身も高3のときにブルマの使用を禁止され、
校内ではショーツ(私自身は今もそうですが「パンティ」といえるようなかわいいものは一切持っていないので「ショーツ」と書きます)
姿だった時期がありました。高3の2学期の始業式の日の帰り、ロッテリアで喫煙していたところを生徒指導の先生に見つかってしまい2年のときにも喫煙で1週間の停学になっていたので、無期停学を言い渡されました。

これだけでも通常なら自主退学しなければならないのですが、私は何も考えずに夏休みの延長を楽しんでいました。
それだけならまだ良かったのですが、その一週間後に友人の絵里といっしょにデパートで万引きをしてしまいました。
もちろん見つかった後は、警察だけでなく、高校にも通報されたため絵里とともに生徒指導室に呼び出されてしまいました。
当然私は退学処分も覚悟したのですが、本当は私の方から言い出したのに、絵美は私を守るために自分が
そそのかしたと申し出、結果として今まで校則違反歴がなかった絵美は3か月の停学、私は引き続き無期停学ということに
なりました。3か月停学になれば2学期の試験を受けられませんから絵美は卒業できなくなってしまいます。
私も相当悩みましたが、すでに就職も進学も諦めていましたし、専門学校への進学を目指している絵美のことを考え
9月の終わりに、髪を黒に戻して短いおかっぱに切って(以前お話した聡美先輩も処分を受ける前に自主的に
髪を切っていたのでもしかしたらという期待もありました)生徒指導室に自分から万引きをしようと言い出したことを
伝え、絵美を復学させてほしいと申し出ました。

その結果絵美も万引きをしたこと、嘘をついたことは事実なので処分せずとはできないが、復学は認められました。
その上で、聡美先輩が受けたのと同じ、「ジャージ上下・上履き・靴下・ブルマの使用を禁止」「校内でのスカート禁止」の処分を
卒業まで受けることになり、絵美も納得したようでした。
 私の方は退学を覚悟しましたが、3月まで停学とし、その期間も毎日登校して、授業時間中は清掃や廊下での正座をすること。
翌年4月からもう一度3年生をやって卒業すること。絵美同様、卒業までは校内ではショーツ姿になるという条件ならば
退学にしないと言われました。そうまでして卒業するくらいなら、中学を出てからずっとフリーターをしている
妹と同じでいいかとも思いましたが、両親からはものすごく怒られ(当たり前ですが)私を守ろうとした絵美が
ショーツ姿を受け入れるなら、当然お前も1年半ショーツになっても高校を卒業しろ。それならば授業料は払うが
そうでなければマンションから追い出すと言われてしまいました。
 以上のような経緯で1年半ブルマのない生活をすることになったわけです。

10月になり、絵美は復学、私も毎日登校し、清掃と正座をする生活がはじまりました。
家を出るときは素足でローファーを履いてセーラー服上下ですが、学校に着くと
下駄箱にローファーを入れて裸足で生徒指導室まで歩いていき、そこでスカートを脱いで
絵美は教室へ行って授業を受け、私は指導室前の廊下で正座をします。
授業終了の時間まで正座をすると、そのあとは校内の清掃で、廊下やトイレの拭き掃除をしました。

休み時間になると、絵美が正座をしている私のところにいつも来てくれました。絵美は体も小さく
地味なタイプでしたから、背の高い私と違い、ショーツにされたことでいじめの対象になっていたようです。
またクラス内では。毎日絵美が穿いてくるショーツを当てるゲームが行われていたようです。
この罰を受けてから気づいたのですが、絵美はかわいい柄のショーツをたくさん持っていました。
絵美にとっては許されたわずかなおしゃれのつもりだったのでしょうが。

一方の私は、持っているショーツは白か淡水色の無地のものだけですし、身長175cmのがっしりした体型ということもあったのか
ショーツで正座をし、放課後に一人で清掃をしていてもいじめに遭わずに済みました。

10月の終わりには体育祭があったのですが、外部の人、特にいつもは校内にいない他校の男子も来ますから
耐えられなかったのか絵美は欠席でした(私は停学中の扱いなので、その日は登校の必要はありませんでした)

11月になると校舎の廊下も冷たくなってきて裸足で歩くのは大変です。
絵美はセーラー服の裾を引っ張って、かわいいショーツを隠そうとし
私はセーラー服の丈が短かったので、無地の白いショーツを晒して廊下で正座をしていました。
トイレに行ける時間が2時間に1回ありましたが、そのときもタイルの床のトイレに裸足で入ります。
昼休みも正座したままでお弁当を食べていました。正座の時間が終わると、廊下やトイレの清掃です。
昼休みには絵美が私のところに来ていっしょにお弁当を食べてくれました。

 3学期になると3年生は自宅学習になり、目標通り専門学校への進学が決まった絵美も学校に来なくなったあとも
私は毎日登校して、正座をする生活をしていました。絵美は卒業式には来ませんでした。
やはりそういった場にショーツで出席することが耐えられなかったようです。
4月になると絵美は自由な服装で専門学校に通い、私はショーツ姿でもう一度3年生の高校生活をはじめました。

 
退学にならなかったのは良かったのでしょうが、周りの同級生とも別れて一人、
後輩達と再度3年生をするのは辛かったことでしょうね。
処分された時の決定事項が卒業まで続くのも辛かったことでしょうね。
 周りから一人浮いてしまい、孤立したのではないでしょうか。


5/20

お久しぶりです。パチンコ店が経費節減のために今月から制服のキュロットが廃止され、
店名の入ったパーカーだけになり、それ以外は私服ということになりましたので、
自分のTシャツの上にパーカーを羽織り、下はブルマでホールで働いています。
パチンコ店の仕事も結構きついでの、丈夫で動きやすいブルマは大いに役に立っています。

妹も同じ店でバイトしていますが、去年の秋に私のせいで、ブルマ以外のボトムを燃やしてしまって以来、
私と同じように外出するときもブルマを穿いています。
火事のあとすぐに妹に新しいスカートを買ってあげたのですが、私が雪の日でもブルマでバイトに行き接客を
しているのを見て、妹もそれほど恥ずかしいと思わなくなったようです。

 
やはり、お姉さんの姿をマネしてしまうのですね。
動きやすくて機能的でいいのですよね。
しかし、パーカーの下がブルマなんだって知ったら、ブルママニアの方にはたまらないでしょうね。


2/19

裕子です。寒い日が続いていますが、今も外出のときはブルマという生活を続けています。
ブルマしか持っていないと自然にお金を使うような場所に行かなくなるので
(さすがにデパートの中をブルマで歩き回る勇気はありません)、
このごろは住んでいるマンションとバイト先の往復だけの生活です。

そのアルバイトですが、妹といっしょに店の都合で先月一杯で飲食店が閉店してしまいました。
そのため、今月からはマンションから歩いて20分ほどのところにあるパチンコ店で働いています。

パチンコ店の女子店員の制服はキュロットパンツですので、去年の秋以来、久々にブルマ以外のものを穿くことになりました。
ショーツと同じ形のブルマにすっかり慣れて私にとっては、キュロットパンツはかえって動きにくいと感じました。

 
折角慣れてきたお店のお仕事も、閉店とは残念でしたね。
すぐに次の仕事がみつかって良かったですね。
キュロットパンツも、身軽な感じですが、ブルマには及ばないようですね。


2012/01/08

 昨日は近くの中学校(私の卒業校でもあります)で新学期がはじまったのか、
朝いつものようにトレーナーとブルマの格好で、マンションのゴミ捨て場にいくとき、
たくさんの中学生が歩いていました。

 私が中学生だったころと同様に、始業式の日は校内清掃をやるのか、どの生徒も制服ではなくジャージ姿でした。
この寒さでも、女子は半分以上が、上は水色のジャージ(私が通っていたころと同じデザイン)に
紺色のショートパンツで、ジャージの長ズボンを穿いている生徒はほとんどいませんでした。

 私の頃は、冬のジャージ登校の日にブルマで登下校する生徒は少なく、
私を含めてクラスに2〜3人くらい(夏は結構いましたが)で、
逆に夏のジャージ登校の日でも男子はほとんどがショートパンツでしたが、
女子は半数くらいが上下ジャージだったと記憶しています。

 やはりブルマに比べるとショートパンツの方が見せやすいのですかね?

 
ブルマもショートパンツもこの寒い時期に足を露出させているのは辛い子も多いと思いますが、
友達がショートパンツだと、自分だけ長ズボンだと恥ずかしかったりするのでしょうか。
 周りと違う格好になる方が、気になるのかもしれませんね。


12/

裕子です。めっきり寒くなってきましたが、相変わらず外出のときはいつもブルマを穿く生活です。
先日、両親から外出用の私服を買ってもよいといわれましたが、まだ買っていません。
家の中ではショーツで生活している私にとって、同じ感覚で穿けるブルマはとても動きやすく、
スカートと違いすそを気にする必要もないことに気付きました。

太ももが全部露出するといっても、ショートパンツやマイクロミニスカートと似たようなものです。
昔から真冬の雪がふる日でも、生足を出して外出していましたので、周りからは「寒くない?」と
聞かれることもありますが、実際はそれほどでもありません。

ですので来年もしばらくは、どこに行くにもブルマという生活を続けると思います。

 それだけ生足を出していると、このところの寒さは大変そうですが、元気なんですね。
人に見られることが気にならなければ、ブルマは日常生活で快適な服装のようですね。


12/18

裕子です。
前月に外出用の私服をすべて燃やしてしまって以来、親から外出用の私服をもつことを禁止されてしまたので、
外へ出る時にはいつもブルマを穿く生活をしていました。
とはいえ、バイトしている飲食店や近所のコンビニまではいいのですが、
街の中心にある繁華街までブルマで行くのはやはりためらいもあります。

普段私が家の中で着ているTシャツに、1枚だけ丈が股下5cmくらいまである長いものがあり、
これを着ているときはショーツが完全に隠れて、ミニのワンピースを着ているような感じになります。
そこで先週の日曜日、繁華街にいくときはブルマではなく、このTシャツの上にフリースを着た格好で出かけました。

しかし、ワンピースではなくTシャツですから、生地はとても軽く、風の強い日だったこともあり
常にすそが気になって全く落ち着きませんでした。
燃やしてしまった私服の中には超ミニのスカートも何枚かもっていたのですが、
やはりスカートとは全然違うものです。
せめて中にはショーツだけでなく、ブルマを穿いておけばよかったと後悔しました。

 
スカートと違いめこれやすいのですね。
その落ち着かない感じや、恥ずかしい気持ちを楽しむ
ちょっとした露出プレイぽい感じの外出になりましたね。


11/26

裕子です。先日、私の家でちょっとした「事件」がありました。
私と妹が使う四畳半の部屋には収納が全くないので、居間にある妹と共用の
小さなハンガーラックに外出用の私服を入れていますが
(部屋で着るトレーナーやジャージ、下着は部屋のカラーボックスに入れています)

私のタバコの火の不始末が原因で、小さな火事が起こりました。
幸い消防署に連絡するまでもなく、消火器ですぐに火は消えたのですが、
これで私の外出用の服はすべて灰になってしまいました。

服以外の被害は数冊の本くらいでしたが、妹の私服も2着のブラウスと
カットソーを残して燃えてしまい、本当に申し訳ないことをしました。

私は、家の中では今の季節、トレーナーにショーツの格好で、バイト先の
飲食店まではこの格好に、下はブルマを穿いた姿で行きますし、
近所のスーパーくらいまではこれで平気です
(以前はコンビニで恥ずかしい思いをしましたが)、
当面はアルバイトと近所の買い物以外の外出はしないので、
しばらくはブルマ以外の外出用の私服を持たない生活をしようと思います。
外出用の服を全く持たないのは高校生のとき以来です。

ただ、ブルマだけはごく近所への外出着として、すぐに穿けるよう玄関の
フックとベランダへの出入口に置いていたので燃えずに済んだのは幸いでした。
もしブルマを持たず、外出のときにいつもスカートを穿く生活だったら、
今頃私は家から出られなくなっていたわけですから。

 
大事に至らず大切なブルマが焼けなくて良かったですね。
当面の生活は苦労されるかもしれないけれど、
この事件のおかげでブルマ生活をより極められそうですね。


10/5

今回は妹の話です。姉は私と同じように家の中ではショーツで生活し、
ごく近所までの外出着としてブルマを使用しているのは前に書いたとおりですが、
妹は家の中で中学のときのブルマを穿いていますが、外出の時には使用していません。

妹は私より1歳下ですが、高校受験に失敗したために、中学校を卒業してからずっと
フリータをしていますので、フリーター歴は高校を卒業してから私より2年長くその分
良いアルバイトの見つけ方もうまいように思います。

その妹が今日から私と同じ飲食店でアルバイトをすることになったのですが、
妹も私もいつもより時間が早いことを忘れて、妹は部屋着の汚れたキャミにブルマ、
私も玄関のフックにあったブルマを穿いて、初日にやったようなTシャツトブルマの
姿で大慌てで家を出ました。店に着いたときに気が付きました。

妹はブルマで家の外に出るのは、中学卒業以来のことであり、今日一日ブルマ姿に
エプロンをつけた姿でお客さんの前に出たことは相当ショックだった様子ですが、
もともと私よりずっと気が強いこともあるのであまり心配していません。

私は開店の日以来のブルマでしたが、彩子や佳織も汚いショートパンツや
一分丈スパッツで太もも全開で接客しているので、私も前回ほどの抵抗はありませんでした。
前はエプロンで隠れますし、後ろ向きだけのブルマならとも思いました。
今日のことで、今までより一歩ブルマで行ける範囲が広がったように思えます。

 
少しずつ度胸もついていくのでしょうね。
もっと慣れてくると、人にさりげなく見られたくなったりするかもしれませんね。


10/1

今回は小学生のことのお話です。

私たちの家族は、私が12歳のときに今のマンションに引っ越しました。
それまではこのマンションの近くにあった団地に住んでいました。
今は建て替えられて、私が住んでいるところとあまり変わらないような外観ですが、
私が住んでいた頃はお風呂のない2Kで、広さも今住んでいるマンションの半分以下でした。

家にお風呂がないので、毎日銭湯に通っていましたが、銭湯にいくときは
私や妹が学校の体操着ブルマ、姉も短大の指定体操服であるブルマでした。

当時通っていた小学校は体操着で登下校する学校だったので、
私も妹もほとんど私服をもたず、町内の外出は体操着でした
(今でもごく近所までブルマで行くのはこのことが大きな理由です)。

私が小学校を卒業したときに姉も短大を卒業し、それと同時に今のマンションに
引っ越しましたので、ブルマで私たち姉妹の銭湯通いも終わりました。

 
昔はお風呂のない住宅に住んでいた方も多いのかもしれませんね。
普段着がいつもブルマ姿だったら、自然と好きにもなるのでしょうね。


9/23

今回は高校時代のお話です(何度も時系列が前後してごめんない)。
校内ではパンティ姿だった聡美先輩は私たちの努力もあってブルマを穿くことが許されました。
とはいえ、ブルマより下には何も身につけない姿で冬の冷たい廊下を歩くのは
かなりきつかったと思います。
12月に入ると午後に校内で聡美先輩を見かけると足は真っ赤になっていました。
もちろん聡美先輩はうつむくような様子もなく、背筋を伸ばして裸足で歩き、
トイレにもそのまま入っていました。

署名集めをして以降、校内には聡美先輩のファンクラブのようなものができていて、
署名を集めだした私がいつの間にか会長という扱いになっていたのですが、
ある日メンバーの1人が「1日だけでもブルマに裸足で過ごしてみよう」と言い出しました。

1年の女子を中心に、80人くらいが賛同している手前、私も断るわけにいかず、
3学期の始業式にやることになりました。この日ならば午前中で終わりですし、
始業式の日には必ず服装検査があります。
ですから上履きをわざと忘れ、禁止されていたルーズソックスを履いていけば、
校内では裸足で歩くことになります。

始業式の日、予定通り上履きを持っていかずに登校し、スカートをブルマに穿き替えて
朝清掃を行ったあと、セーラー服にブルマの姿でルーズで廊下を歩いて講堂に行き、
始業式のあとの検査で参加した生徒80人がしっかり靴下を没収されました。
そのあと放課後の清掃まで4時間あまりでしたが、聡美先輩の服装を経験することができました。
もちろん感想は最悪であり、自分はとても耐えられないなと思いました。

なお、靴下の違反が2回目以降だった生徒は、靴下の使用禁止はこの日だけでは済まず、
4回目だった私は3学期いっぱいローファーや上履きを素足で履くことになりました。
ただ同じような処分を受けた仲間の中にはその後もわざと上履きを忘れて裸足で廊下とか
歩く子もいました。自分はやる気になれなかったのですが、一方で同じ聡美先輩のファンと
しては半日でさえ耐えるのが難しかったことがくやしいという気持ちもありました。

 
大変そうなのに計画して、みんなでわざわざ裸足で過ごすようにしたのですね。
人によって、その後の反応は様々だったようですね。裸足の心地よさ?に目覚めた子も居たようですね。


9/18

裕子です。今回はつい最近の出来事のお話です。
私は8月から家のすぐ近くの飲食店でアルバイトをします。
バイト店員の服装は私服に店のエプロンです。
ブルマで行ってしまった話を以前に書きましたが、
店のバイト仲間の彩子はいつも高校のときの体操着で来ます。
聞くところによると高校を出てから、歌手を目指してボロアパートで1人暮らしをしながら、
フリーターをしているそうです。
もちろん平成生まれの彩子ですから、体操着は股下5cmくらいのショートパンツです。

とはいえよれよれになったショートパンツに名前を前後にマジックで大きく書いた
Tシャツの格好(前はエプロンで隠れますが)は、初日にやってしまった
私のブルマ姿よりも哀れな感じがします。
しかも彩子にはこの服しかないわけです。
彩子の友人の佳織(このバイトを紹介したのも佳織だそうです)。
佳織は彩子に気を遣ってか黒の一分丈のスパッツのような地味な格好が多いです。
2人に聞くと、エプロン隠れれば恥ずかしくないと言います。

もちろん私自身は高校の時の体操着ではなくショーパンかタイトミニで行くのですが、
飲食店のバイトは重いビールケースを持つような作業も多く、服の傷みが気になるのも事実です。
私のマンションから飲食店に行く途中に資源ごみの集積所があり
ここまではブルマで行くのですが、さすがにその先まで行く勇気はありません。
もし自分もショートパンツの体操着の世代だったら間違いなく今のバイトは体操着でやっていたと思います。

 
そのお店のアルバイトは、エプロンのおかげで質素な生活をして私服が少なくても大丈夫のようですね。
周りの目も気になるだろうけれど、将来の夢に向かって頑張っている姿が素敵な子ですね。


9/17

私が1年ときの夏休み明け間もない日だったと思いますが、その聡美先輩が服装検査で引っ掛かり、
過去に何度もブルマ以外も含めての校則違反をしていた(喫煙もしていたようです)ために
6ヶ月にわたって、「上履き・靴下・ジャージ上下・ブルマの使用禁止、校舎内での
制服スカート禁止」という処分を受けました。
聞くところによると停学処分とどちらか選べと言われたそうです。

それ以降、聡美先輩は登校のときは、セーラー服上下で素足でローファーを履いてくるわけですが、
下足箱でローファを脱ぐと履き替える上履きはないわけで、裸足で生徒指導室に行きそこで
スカートを脱いで、下校時にスカートを受け取るまで上はセーラー服で下はパンティ姿で過ごします。
そのような姿でも聡美先輩は背筋をしっかり伸ばして廊下とか歩き、セーラー服を引っ張って
少しでもパンティを隠そうとするしぐささえ見せませんでした。

私はその姿を見てますます聡美先輩が好きになったのですが、一方で見せしめのような私だったら
絶対に耐えられないような姿にされていることがたまらず、校内でせめてブルマだけは穿かせて
あげてほしいと思って署名集めを始めました。

1年生がこのような行動を起こすのはとても勇気のいることでしたが、聡美先輩のファンは1年を
中心にかなり多かったようで100人くらいはすぐに集まりました。
そうしたこともあって、学校側も処分の見直しを決め、10月の半ばからは聡美先輩はブルマを穿く
ことが許されることになりました。

10月の終わりに体育祭があったのですが、体操着シャツに紺色のブルマを穿いて裸足でグランドを
駆け回って、多くの競技に参加した聡美先輩はとても輝いて見えました。
なお、処分とは関係なく裸足で競技に参加する生徒は多く、私も体育祭の日は朝からずっと
裸足でしたので、それで聡美先輩が目立つということはありませんでした。

体育祭が終わり、私を含む運動部の部員は撤収作業をしたのですが作業が終わりバスケ部の
部室で休憩していたところ、2年の聡美先輩が私に用があるので、2F(聡美先輩のクラス)の
教室に来てほしいと言われました。

教室にいくと上だけ長そでのセーラー服に着替え、ブルマを穿いた裸足の聡美先輩が、
私のほうに駆けより「ありがとう」といって私をぎゅっと抱きしめてきました。
憧れの先輩にされて私の頭の中は真っ白でした。聡美先輩は私が署名の呼び掛けをしたことも
分かっていたようで、自分の校則違反で停学の代わりに受けた処分自体には不満はなかったようですが、
やはり他校生も来る体育祭にパンティ姿で参加しなければいけない
(当然普段は校内にいない男子生徒もきます)ことにはためらいもあったようです。

その後2月まで聡美先輩はきちんと処分内容を守り、雪の日もブルマに裸足で校内を歩いてました。
卒業後は1年の浪人を経て高校初の某難関私大合格者になりました。

 集団生活での規律を教えるためにも、決められた校則がある以上、それを何度も破れば処分受けるのも仕方ないことですが、
先輩は意思が強い人のようですね。そんな雰囲気が周りにファンを増やしたのでしょうね。
憧れの先輩のために、何かをする事が出来て良かったですね。


9/17

高校生の時のお話の続きです。私が入学した年度から、「制服スカートの中にブルマを穿いてはいけない」と
いう校則が新設されました。変な校則のように見えますが、中にブルマを穿いていると極端にスカートを短くする生徒が
増えること、1つ上の学年で女子同士(女子しかいませんが)のスカートめくり遊びが多かったことなどが理由だったようです。
実際私が入学する前は、股下2〜3cmのスカートの人が普通にいたそうですが、私が入学したときは股下5〜10cmくらいが多かったです。

このために体育の授業や掃除の着替えの時は、先にスカートを脱いでパンティになってからブルマを穿くと決められていました
(逆もブルマを脱いでからスカートを穿く)

また服装検査は1か月に1回くらいあって、私の学年はそれほどでもなかったのですが、1つ上の学年は非常に厳しかったようで、
検査のときは必ずスカートをめくられて(もちろん女性教員がやりましたが)中にブルマを穿いてないか調べられたようです。
また違反が見つかった場合も私の学年は2回目くらいまではその場で脱ぐだけ、4回目でも反省文+3時間程度の正座だったのですが、
1つ上の学年はずっと厳しく、1回目でも1ヶ月間校内でのスカートとジャージのズボン禁止でした。

その1つの上の学年に、多くの女子高生がそうであるように、私にも聡美という名前の「憧れの先輩」がいました。目鼻立ちが整った、
長身の美人の方で、いつも背筋をピンと伸ばして歩くりりしさがありましたが、決して冷たい性格ではなく、中学生の私が
受験前の学校見学日にとても親切にしてくれ、その高校の受験を決めたのもそれが理由でした。
そのときも聡美先輩は股下ほぼ0のスカートで、少し前かがみになるとブルマが丸見えのようなスタイルでした。


少し長くなりますので、聡美先輩のエピソードは次回の投稿で詳しくお話します。

 
ブルマでパンティを隠せる安心感があったでしょうに、校則で禁止になってしまったのですね。
周りの目が気になったりと、その方が緊張感は出るのでしょうね。


9/11 

 今回は昔の思い出編をお休みして、現在の話です。

マンションの私の部屋は妹と共用で部屋に収納スペースがなく、5.5畳の広さで柱の出っ張りもあるため、
部屋に2段ベッドと2人分の机、カラーボックスを置くと一杯になってしまいます。
なので下着以外の服は居間の小さなハンガーラックを使用していますが、服の量は妹とのあわせて
そのハンガーラックに入りきる分までと親に決められています。
妹が結構服を持っているので、私は若い女性にしてはかなり少ない服で生活しています。

私がブルマを今でも日常的に穿いているのはそうした事情もあります。

とはいえ姉妹間の仲はとてもよく、実家で家族と住んでいればアルバイトの収入の多くは自分で自由に使えるので、
今後も私はこのマンションでフリータをしながら暮らしていくと思います。
同じようにフリータをしている姉や妹も今の生活に不満はないようです。


 一人住まいで無ければ家賃や食費、光熱費の出費は助かるのでしょうね。
その分自分に好きな事に使えていいですね。


9/11

 高校生のときのブルマの話の続きです。私の高校は掃除のときは上は制服のセーラー服でよかったのですが、
下は季節にかかわらずブルマになる必要がありました。
もっとも上は体操着のシャツやジャージでも可だったので、午後に体育の授業があるとセーラー服にブルマの生徒は少数派でした。
普段の掃除でも拭き掃除があったので、そのときは後ろから見ると、ブルマ好きの方から見るとかなり見ごたえのある
スタイルだったのかな?と思います(女子高だったわけですが)

ただ、雑巾がけをするときジャージを穿いていればズボンの膝の部分が濡れてしまいますし、制服ミニスカートで
やれば(丁度超ミニ全盛の世代だったので、今ではあまり見られないセーラー服超ミニスカの生徒が大半でした)、
パンティーが丸見えですからその意味でブルマでやるのは理に適っていたのかもしれません。

 夏はブルマを履くと暑くて蒸れそうな感じですが、人にスカートの中を見られる恥ずかしさから解放してくれたのでしょうね。


9/11

 以前書きましたとおり私は高校ではバスケ部に入っていて、練習が結構ハードだったことに加え、
学校の体育の授業も週に4時間あったので、3年の夏休み前には入学のときに買ったブルマはかなり傷んでいました。
そこで、新しいブルマを買うことになったのですが、自分が入学した時に売られていたものに比べると生地の質も
良くなっていると同時に、2枚1組での販売になっていました。
それに気付かず、販売店に注文を出すとき数量を「2」にしてしまい、4枚のブルマを買ってしまいました。
結構高価なもの(1組で5000円近くしたと思います)であり、親には怒られましたがこのときに4枚注文し、
夏休みが終わったあとは部活動もありませんので、今のような状態のよいブルマをもっているわけです。
もしあのときにブルマを買い替えてなかったなら、今の私はブルマをはいていなかったと思います。


 怪我の功名って感じですかね。
今となれば、その時良い物を多く買っておいて良かったですね。


9/3

 
裕子です。今までは現在の私のブルマ生活について書いてきましたが
今回は高校生の時のことについて書きたいと思います。
 これまでに書いたとおり私が今使っている4枚のブルマは高校のときのものです。
 もう15年以上使用してもそれほど傷まないことからわかるように、結構いい素材を
使っているわけで、高校での販売価格も結構高かったように思います。

 私はバスケ部に入っていて、上は部のユニフォームはあったのですが
下は学校のブルマが対外試合のときの格好でした。
 普段の校内での練習はどの運動部も学校指定の体操着にブルマでやっていました。
(女子校であり、異性がいなかったこともあってこれで問題なったのだと思います)。

 また掃除の際も体操着に着替える学校で、放課後以外にグラウンドや学校周辺の
朝清掃もあったので、体育の授業がある日だと一日中ブルマのことが多かったです。

今後も昔のブルマの話は書いていくつもりですのでよろしくお願いします。


 裕子さんのブルマにまつわる思い出話しが始まるのですね。
次の投稿をお待ちshていますね。


9/3

 裕子です。相変わらず、60uの実家マンションで両親・姉・妹と5人で生活しながら、
それなりに自由に使えるお金のあるフリータをして、家の中では下着姿、ごく近所の外出着としてブルマを着用する生活をしています。

 先日、マンションから歩いて5分足らずのところに新しい飲食店がオープンすることになり時給もそこそこ良かったので、
ここでバイトをすることになりました。
 昨日がオープンの日で、いつも駅に行く時に通る道ということもあって、スタッフ集合時間の10分前に家を出たのですが、
あまりに近くということもあって、玄関のフックにかけてあるブルマをはいて店まで行ってしまい、店の前で気が付きました。
 引き返していたら初日から遅刻ですし、恥ずかしさを覚悟でそのまま店に入りましたが、
他のスタッフは「何でそんなかっこなの?」という眼で私を見ていました。

 しかも悪いことに、店のユニフォームがなく、貸与されるのは店名入りのエプロンだけですので、
前から見ればTシャツにミニスカかショーパンに見えますが、後ろからですと紺色のブルマが丸見えになってしまいます。

 最も後ろ向きでお客さんの顔を見えないのですが、バイト中は平静を装いながらも、顔から火が出るくらい恥ずかしい思いでした。
しかもスタッフ全員が大きな名札をつけるので、昨日来たお客さんがブルマの店員として私の名前を覚えてしまってたらと考えると・・・
昨日はオープンの日ということもあって、閉店までほぼ満席状態が続き、恥ずかしさもあって大変な疲労感でした。


 初日にブルマ姿で行ってそのまま仕事したんだね。
お店の人の間や、お客さんのちょっとした噂になったかもしれないね。
以外とブルマ姿が評判で、リピート客が増えたりするかな。


2011/3/31

以前にも書いたとおり、私は家の中ではショーツ姿なのですが
、来客の応対のときには玄関にかけてあるブルマをはいて応対
します。先日、いつものようにブルマをはいて、ブラジャーを
つけてないTシャツ1枚にブルマという姿で玄関のドアを空け
たところ、隣の部屋に家族で引っ越してきたという20歳くらい
の男の子が立っていました。一見すると女の子のような顔つき
で私より背が低く、自分としてはグッとくるタイプの男の子で
、私の心は結構ときめいていたのですが、短い会話を交わして
ドアを閉じたあと自分のブルマ姿に気づき顔が真っ赤になって
しまいました。初対面でこの格好だった女性はやはりいい印象
をもたれないでしょうか。

 かなりくつろいだ格好なんだなって思われたかもしれないね。
だけど、あまりブルマ姿って見かけないから、逆に興味をひかれたかも。


9/27

私たち家族の住んでいるマンションは12階建ての同じ形の建物が5つ並んでいて、
5つの建物全体で1200世帯が住んでいます。ですので、その中での平凡な1世帯に
すぎない私や姉が有名かはわかりません。
1つの階に20の家があるので、顔がわかるのは同じ階の人くらいです。

私は18年前に、このマンションができたときから住んでいて、当時は私と妹が小学生、
姉が短大生でした。このころから姉は短大のブルマを穿いてマンションの敷地内を歩いていました。
小学校は、マンションの敷地のすぐ近くにあり、姉の影響もあって私や妹は1時間目が体育ときや、
運動会の練習の期間は体操服とブルマで登校していました。
また、放課後の掃除も体操着に着替えてやったので、そのまま下校することが多かったです。

当時は、徒歩10分くらいのところにある中学校も、当然体操着はブルマで、マンションの敷地内では
ブルマの小中学生は普通に歩いていました。ですので、ブルマでの外出はそれほど珍しいことではなく、
今は小中学校とも体操着はショートパンツになりましたが、ハーフパンツではなく股下3cmくらいのかなり
短いもので、ふともも全開で歩いている小中学生の姿はよく見かけますし、高校生でも、近くの高校ですと
ショーパン体操着で帰ってくることは珍しくありません。
私の隣の家の女の子も、部活少女なのか、制服よりも短いショーパンを多く見かけます。

 ブルマ姿って見かける事は無くなりましたので、目立つかなって思っていましたが、
そんな環境の中では、逆に普通の自然な光景にしか写らないのかもしれませんね。
 普段着として着心地も良く楽なので、いくつになっても手放せないのかな。


9/24

以前書いたとおり、私は高校のときのブルマを家の周辺までの外出着として使っていますが、
7歳年上の姉も私と同様に、家の中ではショーツ姿で、周辺までの外出用にブルマを使用しています。

姉は今まで、短大の体育用だったブルマ(今は短大で指定ブルマと言っても、なかなか信じてもらえませんが、
姉の世代までは珍しくなったそうです)を使用しておりました。私のものと比べると、短大のブルマは、サイドに
3本の白いラインが入った黒色で高級感がありうらやましかったのですが、先日そのブルマのきれが破れてし
まいました。私の高校のものと比べると生地はそれほど丈夫ではなかったようです。

姉の短大時代のブルマは1枚しかなく、あとは高校時代の緑色のブルマがありますが、こちらはデザインが良
くないので姉は気に入っていない様子です。ですので、姉は私のブルマを使いたいとお願いされました。私は4
枚持っていますから、1枚姉にあげることは可能ですが、姉は160cmで比較的スレンダーな体形、私は175cm
で骨が太いがっしりした体形ですので、ウエストはゴムを絞れば調節することは可能ですが、私のブルマですと、
お尻の部分に多くのしわができてダボっとした感じになってしまいます。

私は、これではかっこ悪いと思い、姉に高校時代の緑色のブルマを穿くように勧めました。たしかにデザインは
ダサいのですが、姉の体形にフィットした緑色のブルマはとても美しく感じました。そのことを話すと姉も分かって
くれたようで、今はこのブルマを使用しています。運動部でなかった姉は高校のブルマも1枚しかないので、これを
大切に使っています。

私たちが住んでいるマンションの家の玄関のフックには、家から出るときに穿く私の紺色のブルマと、姉の緑色の
ブルマが並んでかかっていますが、以前の黒色のブルマ同様に姉のものは輝いて見えます。

 マンションでは有名なブルマ姉妹なのかな。今時は貴重な格好ですね。
これだけ、堂々と着用して外出していたら、普通の光景になってしまっているのでしょうか。


8/27

 私は家の中ではショーツでいることがほとんどで、家の周りの範囲で人の目につく場所で
ショーツ姿では恥ずかしいのでブルマを穿いています。つまり、ブルマは部屋着と外出着の中間のようなものです。
ですから家の中ではブルマは穿きません。穿くのはベランダに出るときと、家のすぐ近くまで行くときです。
なので、ベランダに出る窓の横と玄関の傘掛けにはいつも私の紺色のブルマが掛けてあります。

 ブルマで行く範囲はマンションのゴミ捨て場までですが、先日マンションから100mくらいのところにコンビニが新しくできました。
今日たまたまタバコが切れたので、少し迷いましたがブルマを穿いてそのコンビニまで行きました。
ただ、夏休み中なのか店内には学校の短パン姿の中学生や高校生がたくさんいて、ブルマ姿の私に明らかに
視線が集まっていて恥ずかしかったです。

  やはり、近所のコンビニでも、昼間はきちんとした外出用の服を身につけておくべきだと思いました。


 見られる恥ずかしさを楽しむのでなければ、ちょっと目立ちすぎるかもしれないね。
なにせ、今時はなかなか見る事が無い貴重な?ブルマ姿だからね。


2010/8/13

 裕子といいます。28歳のフリーターです。ここのページに書かれている方々のように、
ブルマに性的な興奮を覚えるということはないですが、今でもブルマは普通に穿くことがあります。
子供のころから、家の中ではいつもショーツ姿で、夏場はブラジャーとショーツだけ、春と秋は
Tシャツにショーツ、冬場は上がトレーナーで下がショーツの格好です。
ですから、外出するときのスカートや外出用の短パンは持っていても、家の中で穿くジャージや短パンは1着も持っていません。

 私が両親、姉、妹と住んでいる家は3LDKのマンションで、南側に9帖の台所兼居間と両親の部屋である
4帖半の和室、中央に浴室とトイレ、北側に玄関を挟んで、マンションの通路に面した姉の部屋である4帖の洋室と、
私と妹が使っている5.5帖の洋室があります。
家族の中で喫煙するのは私と姉の2人で、たばこは自分の部屋かベランダで吸うことが家族の間での取り決めになっています。
私は妹と一緒の部屋なのでベランダでたばこを吸います。
隣の家との間には簡単な間仕切りがあるだけですので、少し身を乗り出すと、隣の家のベランダが丸見えになってしまいます。

 ですからショーツでベランダに出るのは恥ずかしく、そういったときに高校生のときに使っていた紺色のブルマを穿いています。
また、同じ階の家に回覧板を届けたるときや、マンションの前のゴミ捨て場にゴミを出しに行くときもブルマを穿いています。
こういうときに外出用の服に着替えるのは面倒でもありますから、ブルマのようなものがあると便利です。

また、家の前の通路を掃除するときや、洗濯などでベランダに出るときもブルマを穿きます。
こういうときに動きやすいのもブルマの優れたところだと思います。もう高校を出て10年になりますが、
とても丈夫に作ってあるのか、何度洗っても、色が淡くなったものの、ほとんど傷んでいません。
これからも高校のときに使っていた4着の紺色のブルマは私の生活に役立っていくと思います。

   普段着でジャージ姿で過ごすのと一緒で、ブルマはスッキリしてて機能的なのかもしれませんね。
自宅ならば他人の目を気にする必要もないですしね。

 見られる恥ずかしさを楽しむのでなければ、ちょっと目立ちすぎるかもしれないね。
なにせ、今時はなかなか見る事が無い貴重な?ブルマ姿だからね。