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純子のノート

 誰にもこれまで話して来なかった、ブルマ への思い。
告白をするごとに、その頃の思い出が甦ってくる。
 懐かしいブルマへの思いが詰まった純子さんのノートです。
  


純子さん(33)より

1/10

ある夏の休みの日のことです。休日なのでいつもどおり午前中遅くまで寝ていたら、近所に住む
親友A子が遊びに来ました。A子は母に通されて家に上がってきて、そして私の部屋にコッソリ
様子を見に勝手に入って来ました。私は気付かずに寝ていましたら、

「純子、おはよ〜」と言いながら布団をバサッと剥ぎ取られました。

私は、ビックリして飛び起きましたが、そこにいるA子も驚いている様子でした。それもそのはず、
私はいつもの如く、体操服とブルマー姿で寝ていたのです。A子は一瞬固まっていましたが、やが
てニヤニヤしてきて、

「ふうん、やっぱりそうだったんだ・・・前から態度がおかしいとは思っていたけど、やっぱり
純子は体操服が大好きだったんだね」と言いました。

私は恥ずかしさで顔が真っ赤になるのが分かりましたが、どうすることもできず、苦し紛れに、
「いや、パジャマを洗濯に出しててたまたま無かったので・・・」と言うと、

「じゃあ、お母さんに確認して来ていいかな?」と返されましたので、体操服姿で寝ていることを
母に知られては困ると、必死に引き止めました。
その後、ネチネチとA子の意地悪な質問責めが始まりました。

「去年の手紙では最初はすごいブルマーが嫌だと書いてたけど、いつからこうなっちゃったの?」
「窮屈で恥ずかしいブルマーのどういうところが好きなの?」
「そのうち手紙でブルマーの不満言わなくなって来たのはこういう訳だったのね?」
「純子はイヤラシイ恥ずかしい姿になるのが好きなのかな〜?」
「家でも着て寝てるなんて、しかも休みの日に。相当好きなんだね。」・・・・

私はしどろもどろになってしまって、ただうろたえるばかりでしたが、恥ずかしい体操服姿でいる
ところに侮蔑や呆れに近い眼差しが突き刺さり、辱めの言葉を投げかけられているのにどうすること
もできない状況が段々気持ちよくなってきてしまいました。

その日はしばらく一緒に過ごしましたが、後ろめたさからA子の顔を直視することができませんでした。

そんな出来事でさえもその日の晩には自慰行為の妄想の材料になってしまったのですから、私は
完全にM女に目覚めていました。

 
とうとう、友達にブルマ好きな場面を抑えられたのだね。
その時はまずいと思ったかもしれないけれど、その後は気分が楽になって
ブルマをもっと楽しめたのではないかな。


12/11

 春休みが終わり、中学3年の新学期が始まりました。転校してきたA子とは、幸運にも同じクラ
スになりましたので、2人で喜び合って、そして毎日一緒に登下校するようになりました。

 そしてすぐ初めての体育の授業の日がやってきました。A子も昔の私同様にブルマーがとても嫌
いで、ぶつぶつ文句をいいながら着替えていました。前の学校ではA子のジャージ姿しか見たこと
はありませんでしたが、ついにA子もピカピカの真っ白な体操服と紺のブルマーに身を包み、その
太腿がむっちりと露出させられている姿を初めて見て、何故だかとても興奮してしまいました。
ブルマーが嫌だった一年前の私の心と、その後の心の移り変わりを思い出したからでしょうか。

 そして予想通り、A子は体操服の裾を出してブルマーを隠そうとしていました。
私は、「裾をちゃんとブルマーの中に仕舞わないといけないよ。先生に注意されるよ。ほら、みんなも
ちゃんと着てるじゃん?」」と教えました。体操服をブルマーの中に仕舞うルールは徹底され、定着し
ていましたので、教室を見渡しても皆普通にその通りにしています。A子は、周りを見て「えぇ〜?」と
言いながら渋々従って裾を仕舞っていましたので、その姿を見てますます興奮してしまいました。

「ああ、A子もついに同じ格好になって仲間になったんだな」
と妙な連帯感が生まれました。校庭に移動する間も周りの目が恥ずかしいのか、A子は私の陰に
隠れるようにコソコソとしていました。

 体育の授業が終わって教室に戻ると、A子は速攻で嫌いな体操服とブルマーを脱いでいました。
私は、自分もそうだったなあ、と1年前を思い出して微笑ましくなりながら制服を重ね着していたら、A子は、

「体育の授業が終わったのに体操服を脱がないの?そのまま下に着たままなわけ?純子は本当に
ブルマーが嫌いなの??なんかそういう風に見えない」
と言ったので、「あ、もちろん脱ぐよ、間違えちゃった」
と慌てて着替え直しなおしました。しかし、(前回投稿した)数日前の不審な態度のこともあり、
強い疑念を抱いたようでした。その日の帰り道も、

「本当は体操服好きなんじゃないの?」
とか色々言われましたが、変態だと思われたくない一心で必死で否定し続けました。

 
昔を知っている仲良い友達には、その後ブルマ好きになった事を言えなかったのですね。
いずれ彼女もこの学校のルールに慣れていくうちに、心境が変化するかもしれませんね。
お互い本当の気持ちを話せる日は、いつかやってくるのかな。


11/10

私が中2の初めに父の転勤で北海道から関東へ転校してきてから丁度1年後の、春のことです。
北海道で同じ社宅に住んでいた親友A子のお父さん(うちの父の同僚)も、関東にある同じ
支社に異動になって、またこっちでも一緒に過ごせることになりました。1年前の私の転校の
時には、遠く離れた関東の地に引っ越してしまうということで親友であるA子とは悲しい別れ
をしましたので、また同じ中学に通えるということでとても嬉しいニュースでした。

待ち焦がれた春休みが来て、A子一家がご近所に引っ越してきました。感動の再会を果たして、
A子の引越しの荷物の片付け等を手伝いました。数日後、再びA子の家に遊びに行くと、転校
先の(私と同じ)中学校への通学のために色々準備をしている所で、購入してきた制服等の荷物
一式がありました。

私も手伝って2人で荷物を開けて中身を取り出したり、学用品に名前を書いたりしていると、
新品の体操服とブルマーが出てきました。A子はそれを手に取って眺めながら、「おぉ、これが
噂のブルマーか・・・」みたいなことポツリと言い(A子もずっと北海道にいたためブルマーは初体験
です)、「確かにこれは嫌だよねえ」というような表情をして、同意を求めるように私を見ました。
しかし私はそれら体操服を手に取って、思わず新品の匂いを吸い込んで、

「わあ、いいなあ、新品のピカピカの体操服で」
と羨ましそうに言ってしまいました。するとA子は怪訝そうな顔をして、
「あれ?純子、体操服嫌ってなかったっけ?」

と言いました。私は、はっと気付いて、慌てました。実は1年前の転校後も、お互い文通を続け
ていて、日々の生活の事や、嬉しかった事、嫌な事等を書き綴っていて、転校当初の手紙で、
こちらの学校にはブルマーという恥ずかしい体操服があって、それで体育の授業を受けなければ
ならないことへの不満をぶちまけていたのでした。当時は、体育がある度に愚痴を書いていました。
それでA子は転校前からこちらの中学校ではブルマーが指定体操服であることを知っていたの
でした。また、私が手紙で不満を述べてからは、徐々に体操服に慣れていき、その後すっかり
体操服の虜になってしまったことは恥ずかしくて打ち明けずにいましたので、A子は私が今でも
ブルマーを嫌っていると思っているはずでした。私はそのことに思い至り、

「そうだよ、恥ずかしくて嫌いだよ。こんなの穿いて人前に出たくないよね〜」

と慌てて打ち消して、A子に同調しました。A子は腑に落ちない顔をしていました。私は、この
不審な態度を追求されたらどうしようとドキドキしてきて、さらに、今この時も私服の下に体操
服を着込んでいることがもしバレたらどう言い訳しようと、さらにドキドキしてきました。スカ
ートでもめくられたら、どうして嫌いなはずのブルマーを学校が休みなのにも関わらず穿いて
いるのかと追求されたら答えようがありません。しかしこの時は特にそれ以上は何もなく過ごす
ことができました。

その日の晩は、自慰をしながら、

「親友にも打ち明けられないこんな恥ずかしい秘密を持ってしまい、自分はなんて悪い人間なん
だ、しかも表向きにはA子に同調して体操服が嫌いなフリをしなければならないなんて・・・」
と罪悪感が生じて、また、「こんな体操服さえなければ親友に変な疑いを掛けられずに済んだ
のに」と体操服が憎らしい気持ちと、それでも抜け出せずに心から求めてしまう愛憎半ばする
複雑な気持ちで、とても興奮してしまいました。

 
一度離れた親友とまた一緒になって、凄く嬉しかった事でしょうね。
しかし、ブルマの事をその時は打ち明けられなかったのですね。
親友に反対の事をつい言ってしまって、興奮につながったとは何故なんでしょうね。


10/30
私はマスゲームのダンスの練習では一人で夢中になってクタクタになっていましたので、周り
の子がどうだったかまでは注意が向きませんでした。ですが、今考えてみると、その時間が来
ると不平不満をブツブツ言っていた子と、そうではなくて一心不乱にやっていた子もいました
ので、もしかしたら後者のような子は、私と同じように感じていたかもしれないですね。

運動会が終わると、運動会の練習で体育の授業が増えた反動で、体育の授業が減り、他の教科
に充てられましたので、私としては少々寂しい時期でした。その時期を過ぎると思い出される
のは、冬期のマラソン大会です。

マラソン大会までは、体育の授業で学校の外周を走ることが多くなりました。いつもは校内で
守られての授業ですが、このときは、外に出て走るので、通行人にジロジロ見られたりして、
とても恥ずかしかったです。特に、男の人とすれ違うのは、下半身がむき出しになっているの
で、嫌でした。

マラソン大会本番は、近くの市立の運動公園の周回コースを利用して行われました。うちの家
族から応援に行こうかと言われましたが、ブルマー姿を披露することが恥ずかしいので、それ
は必死に止めました。でも、家族は来なくても、運動公園は人がたくさんいますので、その中
でブルマー姿になって、見世物にされているようで、とても恥ずかしかったです。

私は、他人にブルマー姿を見られるのが快感なほどにはMではないようです。授業を受けてい
る時や、家でベッドの中で、密かに妄想してブルマーを楽しむのが性に合っているようです。

それほど印象的な思い出ではないので今回はこれだけです。印象の強弱で思い出にかなり差が
あるようです。

 
ブルマ姿を密かに楽しむのが好きな事と、ブルマ姿を見られる喜びとは、人それぞれですね。
身に付ける感触が好きなだけの人も居ますし、みんなブルマにはいろんな思いが秘められているのでしょうね。


10/28

前回もコメントありがとうございます。水着は覆う面積が大きいのできつそうに見えますが、
生地が薄く柔らかく、そして伸びるので、締め付けはそれほどでもないんです。ブルマーも伸
びますけど生地が厚くしっかりしていて、ゴムも強力なので、面積は小さいですけれどもお尻
・ウエスト・太腿に集中してギュッと締め付けてくるんです。そしてお尻がキュッとヒップア
ップに矯正された状態になるんです。ただ、たまたま私の選んだサイズがそうだったのか、そ
れとも学校ごとのブルマー・水着の種類によるのかもしれません。

さて、9月に入ってちょっとすると、私が中学校生活の中で一番好きだった時期に入りました。
それは、秋の運動会の準備期間です。9月最初に水泳授業のシーズンが終わると、校庭で行う
通常の体育の授業に戻りますが、すぐに、運動会に向けた準備が始まりました。

運動会では、男女別・学年別に別れて、マスゲームでタンスをすることになっていました。踊
りのテーマ・選曲は自分達では決められずに体育の先生から一方的に知らされるものですが、
それで、体育の授業では、その振り付けを1から教わって、みっちりとひたすらそれを繰り返
して練習します。この授業での練習は、炎天下、号令や笛に合わせて黙々と、何度も踊り続け
るため、疲労も大変なもので、クラスメイトたちからは大変は不評でしたが、私にとっては密
かな楽しみでした。

体操服とブルマーを着せられて、先生の笛や号令に合わせて動作させられるというのは、Mな
私にとっては調教されているみたいでドキドキすることでしたが、さらにいつもの簡単な体操
とは違って、運動会用の踊りでは、地面に伏したり飛んだり跳ねたり複数人数で組んで何かの
形を表現したりと色んな動作がありますので、汗と埃まみれでフラフラにドロドロになりなが
ら、それでもなお先生の怒声を浴びながら逆らうことも許されずにしごかれていると、自分自
身の疲労から来るのはもちろんのこと、周りの子の惨めな姿も目の当たりにしますので、段々
と恍惚としてくるのです。

そんなふうにして体操服が汗や埃まみれになっているので、授業の後に制服の下に着ていると、
自分の胸元からそんな汗や砂埃の臭いが漂ってきますが、またそれも厳しい練習を思い出させ
るもので、何だかいやらしい気持ちになっていました。運動会の練習があった日の夜は、洗い
替えの体操服とブルマーに着替えて、日中のしごきを思い出しながら自慰にふける日々でした。

何回かの各クラスごとの通常の授業で、入退場の行進の順序や踊りの振り付けをみっちり叩き
込まれた後、運動会本番が近づいてくると、毎日のように体育の授業が組み込まれるようにな
り、一学年複数クラス〜全クラスでの合同練習が始まったり、朝礼の時間や放課後の練習、あ
るいは他の授業を潰しての全学年合同での練習が行われることが増えていきました。

そのような合同練習の際には、運動会のプログラム進行順に、入場行進、整列、踊り、退場行
進、というように通しで練習しました。合同練習の整列では、いつもの1クラスの通常授業よ
り圧倒的に多い人数が、全員ハチマキ、体操服、靴下、運動靴と、頭からつま先まで完全にお
揃いで統一され、そして通し番号の入ったゼッケンを付けた姿でズラッと並ぶので、光景は圧
巻です。しかもブルマーや短パンに体操服の裾を入れることを徹底されているので、皆、隠す
ことも許されずにお尻の形がくっきりと並べられています。前の学校では、比較的自由な校風
で、Tシャツもバラバラ、ジャージの着崩しも様々だったので、このような光景は、見たこと
がありませんでした。

背の高い私は後ろの方からその圧倒的な風景を見ていると、自分がその集団の一人として埋没
していることが意識され、また、普段は私語や問題行動が多い不良っぽい子も同じ姿でビシッ
と整列しているので、自分そして皆は逆らうことも許されずに支配されているんだなあという
気持ちになります。指導する数人の先生に対して私達は数十人〜数百人の中学生ですから、そ
の気になれば不良の子達が先導してボイコットしたり暴動を起こすことも可能なはずですが、
逆らうことができない、目に見えない統制された空気があります。そうすると、その支配の象
徴である体操服とブルマーに縛られている自分が意識されて、諦めにも似た気持ちでますます
ドキドキしてしまいました。

校庭で先生は壇上に登って、笛を鳴らしたり、スピーカーで怒鳴ります。動作の練習では、隊
列を組んでの入場、ダンス、退場までミス無く通してできるまでは帰さないという厳しいもの
で、誰か一人でも間違って動作が揃わないとまた全員で最初からやり直しをさせられ、息の詰
まるようなそしてとても疲れる厳しい練習が長時間続けられましたが、その理不尽さを押し付
けられていることに、私は一人で恍惚となっていました。皆とても真剣でしたが、それは、早
く終わらせて帰るために真剣だったのだと思います。普通ならそうだと思います。でも私は、
壇上から命令されて何度も行進したり、汗まみれ埃まみれになりながら、いつもより大人数で
皆と一緒に飛んだり跳ねたりして体を操られることがとても快感でした。

また、合同練習では本番に近い完成度を求められましたので、動作の完全な一致が要求されま
す。それで、余計な動作は一切禁止されます。一旦入場行進が始まって、整列して、ダンスが
終了して退場し終わるまでは、よそ見をしたり、痒いところをかいたりする動作は勿論のこと、
ブルマーのお尻に付いた砂埃をはたいたり、ブルマーからお尻がはみ出た時にブルマーのゴム
を下げて直す動作もダメでした。壇上以外にも、横や後ろの方、そして並んだり踊ったりして
いる生徒達の間にも先生が巡回していて、監視されています。なので、うっかり無意識にでも
ブルマーを直した所を発見されると、「1234番、ブルマーを触らない!!」とゼッケン番
号(1年2組出席番号34番という意味です)で怒鳴られます。

ブルマーは強く縮むので、あらかじめ浅く穿いていたとしても、激しく動くとウエストゴムが
段々お腹の方にずり上がってきて、ハイレグになり、お尻のお肉がはみ出てきます。でも、そ
れを直すことも許されないのです。ブルマーは自分で着ている衣服なのに、触ることも禁止さ
れて、お尻がはみ出した恥ずかしい姿のままで踊り続けなければなりません。男子は短パンな
のでそういうこともなく、羨ましく思いながら耐えていると、もうブルマーは運動のための衣
服というよりは、躾けのための装置と思えてきて、「女子だけはこんな恥ずかしい姿に耐えて
厳しく躾けられなければいけないんだわ・・・」と自虐的に感じてきてしまいました。

厳しい練習の疲労の極限の中、汗まみれ埃まみれになりながら、逆らうことも許されずに先生
の命令通り操られ繰り返し踊り続ける自分を感じ、そして同じ境遇の周りのクラスメイト達を
見ていると、自分達の体が自分達のものではない錯覚を覚えるようになりました。汗で上半身
にべったり貼り付く体操服や、お尻をはみ出させるようにゴムでピッチリ締め付けてくるブル
マーや、額に巻いているハチマキが、自分達を縛っているかのような感覚がより一層強くなっ
てきて、全身をくまなく先生と学校に支配されているような感覚になり、そして胸に縫い付け
られた校章がより一層意識されて、自分達が学校の所有物であるような感覚になってしまいま
した。

さすがに合同練習があった後は体操服の汚れもすごいので、その後は脱いで制服に着替えてい
ましたが、放課後に合同練習があった場合は終了後すぐ帰れますので、そのまま上にジャージ
を着るか制服を着て帰っていました。帰宅後も厳しい練習の余韻が冷めやらず、洗い替えの体
操服とブルマーに着替えて、悶々として過ごしていました。このような調教ともいうべき厳し
い練習を通じて、私にとって体操服とブルマーが、単なる運動の衣服という意味を超えてます
ます特別な意味を帯びていったのです。

 
マスゲームの練習を強いられる事が、貴女のM性を刺激していたのですね。
きついほど嬉しく、快楽にもなったようですね。
貴女以外にも同じタイプの子は居ましたか。きっと、貴女が見ればわかったでしょうね。


10/14

 初めて参加する水泳の授業の日は、やはり制服の下にスクール水着を着て、登校しました。
というよりも、前の日に水着を購入して試着したまま寝ましたので、前の晩からずっと着た
ままということです。朝起きてから水着姿の上にパジャマを着て、朝食を取りました。家族
が食卓に集まって食事をしている間、パジャマの下で密かに体に密着している水着が意識され、
何かいけない秘密を持っているみたいで、恥ずかしい気持ちでした。

 登校から午前の授業の間も、水着の着用感が気になって仕方がありませんでした。体操服や
ブルマーと違って下着を介さず直接にしかも広い面積でピッタリと貼り付いていますので、
少しでも動くと肌と水着が擦れて、嫌でも着ていることを意識させられ、また、水着の上から
制服に触れていることも水着の薄い生地を通して伝わってきますので、そんな第2の皮膚感覚
のような感じも意識されて、とても気持ちが良いと思いました。さらに、たとえじっとして
授業を受けていても、呼吸で胸が広がったり狭まったりする度に、胸・脇腹・背中をぐるっと
取り囲む水着の生地がフワッと緩まったりギュッと締まったりしながらあくまでも貼りついて
くるので、どんなに気をそらそうとしてもその快感から逃げることはできないのでした。

 待ちに待った水泳の時間となりました。スクール水着姿となって皆で整列する初めての体験に、
胸がドキドキしました。水に入ると、生地が水を含んでより優しいフィット感となり、いつ
までもこの時間が続けばいいなあ、と思っていました。

 それからは、自慰に使うのは専らスクール水着となりました。水泳の授業のあった日は洗濯に
出してしまいますが、それ以外の日は毎晩着て、そして翌日に水泳があればそのまま登校して
いました。午前に水泳がある日は他の子もそうしている子がいましたが、さすがに午後に水泳
がある日は、朝からずっと着ている子はいませんでしたので、夏服から透けて見える水着を
見て、友達に驚かれました。

 夏休み中は、プールの開放日が何日かあって、水泳の補習を受けることができました。参加は
任意でしたが、出席すればそれだけ体育の成績に加味されるとのことでした。私は、別に体育
の成績を上げようという意図ではありませんでしたが、退屈な夏休み中も登校してスクール
水着姿になれるので、喜んで全て出席しました。

 9月になり、水泳の授業も終わりました。そして、スクール水着はタンスにしまって、翌日の
体育の準備のため、久しぶりに体操服とブルマーを取り出しました。久しぶりに手にしたこと
もあって、またムラムラとしてきました。そして体操服に袖を通し、ブルマーを穿いて、久し
ぶりに包まれる安心感といやらしさが混じった気持ちになって布団に入りました。そして寝
ようとしていると、なにか物足りない感じを受けました。それは、スクール水着は肌に直接
着ていたのが、体操服とブルマーになると下着の上から着ていたからでした。それで、物足り
なくて、体操服とブルマーを裸に直接着てみようかと思いつきました。

 もう一度全てを脱いで、裸の上から体操服とブルマーを着直しました。そうすると、大好きな
ブルマーの肌触りと締め付けが、より新鮮に強烈に感じられました。体を動かすと、ブルマー
と素肌がじかに擦れて気持ち良くて、指で生地の上からあそこに触れるととても気持ちよく
なってきました。また、太腿の付け根や腰に、ゴムの食い込みがギュッと直接感じられます。
ブルマーを直接肌に着ると水着と近い感覚ですが、ブルマーは水着より生地が頑丈で締め付け
が強いので、お尻がスッポリ包まれてさらにギュッと締め付けられている感じがいつもよりも
ずっと意識されて、ますますブルマーが好きになってしまいました。それ以降は夜寝る時や、
そして登校時にもブルマーを素肌に直接穿いていくことが多くなり、ますます変態的は性癖に
堕ちていくようでした。

 
ブルマーは水着より締め付けが強いんですね。逆かなって思ってました。
その締付け感が気持ち良さを増してくれるのでしょうね。
ブルマーは普段着化されるだけでなく、貴女にとって性癖に影響していくのですね。


9/21

こんにちは。今日は再び中学校生活の思い出を告白したいと思います。ブルマーとは
直接関係ないのですけれど、体育つながりということでよろしいでしょうか。

私は中学2年生の1学期に、北海道から関東へ転校してきました。学校生活にも慣れ、
体操服とブルマーの姿でいる気持ち良さに目覚めて、毎日その虜になって日々を過ご
していたある日の体育の授業で着替えて整列していると、先生から、

「来月から水泳の授業が始まるから、用意をしておくように」

と告げられました。北海道では、定期的な水泳の授業はありませんでした。課外授業
や臨海学校として地域の温水プールに出掛けたり海水浴で泳ぐ機会が僅かにはありま
したが、学校にはプールはなくて、夏の期間中自分の学校でずっと水泳の授業となる
ことが、新鮮に思えました。さすが暖かい本州は違うなあと感心して、水泳は嫌いでは
なかったので、ワクワクしていました。友達が、

「もう水着と水泳帽は買ったの?」

と聞いてきました。前の学校では定期的な授業がないこともあり、課外授業や臨海学校
では水着は自由だったので、それを使うつもりで、

「前の学校で使ってたのがあるから」

と答えました。

初めての水泳の授業の日、皆で更衣室に移動して、またもやカルチャーショックを受け
ました。着替え始めた皆の水着は、全員お揃いの紺色で、胸にゼッケンが付けられて
いるものでした。その地味で無機的な水着に全員が着替えているのに圧倒されて、

「・・・え、え、まさか、水着も決まっているの?普通のじゃ駄目なの?」

と、持ってきていたプライベートで使うピンク色のワンピースの水着を友達に見せると、

「駄目だよ、ちゃんとスクール水着じゃないと。・・・じゃあ、仕方ないから今日は
見学ということにしたら?」

と言いました。友達が口にした、「スクール水着」という言葉に、ドキッとしました。

「ああ、水着までも学校指定のものが用意されてて、皆お揃いの水着で授業を受ける
のね・・・」

と思うとドキドキが止まりませんでした。その頃の私は、最初は反発していた体操服と
ブルマーを受け入れ、皆とお揃いの格好で体育の授業を受けることが大好きになってい
ましたので、水泳の授業でもまた同じような時間を過ごせることに期待は高まりました。

「あ、見学者も体操服に着替えないと駄目だよ」

という友達の言葉がとどめの一発となりました。授業に参加するにしてもスクール水着
で、病気で見学でも体操服という、徹底的に校則で縛られている感がして、諦めにも
似た、でも進んでその規則にひれ伏したい喜びに駆られました。

プールサイドに集合すると、通常の体育の授業の時と同じように整列して、出欠を取ら
れます。私の周りは皆スクール水着一色で、

「ああ、私も早くこれを着たい」

と、体操服やブルマーとの出会いの時とは違って、もう初めから渇望する素地は充分に
出来ていました。

それから次の水泳の授業があるまでの数日の間に用意するために、放課後に購買部へ
買いに行きました。スクール水着と水泳帽子を受け取ると、袋の外から、紺色の水着と
黄色の水泳帽が見え、胸の鼓動が高まります。一刻も早く家に帰って着てみたいと思い
ました。

帰宅後、自分の部屋に直行して、鞄からスクール水着と水泳帽の袋を取り出し、机の上
に並べました。

「着たい、今すぐに着たい!・・・でも、家族が入ってきたらどうしよう?・・・
じゃあ、今は見るだけ。着るのは夜にしよう・・・」

と葛藤した末に、スクール水着を袋から取り出して広げました。第一印象は、生地が
滑らかで気持ちいいというものでした。ブルマーと同じ紺色でしたが、生地は薄く柔ら
かく、手触りもサラサラとして心地良かったです。肩ひもの部分を両手で持って広げて
みると、心臓がドキンッとしました。胸元に白い糸で校章が刺繍してあって、その下に、
体操服よりは一回り小さいゼッケンが付けられているのです。

「水着にもこんなに厳しく管理されちゃうんだ・・・、これがスクール水着・・・」

以前の自分でしたら、絶対に嫌悪感を持った水着のはずですが、その時にはもう、積極
的に受け入れられる自分に変わっていましたので、すごく魅力的に見えました。徹底的
に生徒の身を管理・束縛しようという意図がその水着からひしひしと感じられてきて、
早く着たい・・・と、胸がとろんとしてきましたが、かろうじて我慢して、夜まで過ご
しました。

夕食・入浴も済ませ、ついに夜になって、その時がきました。いつもよりは早い時間
でしたが体調が悪いことにして、部屋にこもりました。そして、下着姿になりました。
ドキドキしながらスクール水着を広げ、背面や裏面を眺めたあと、水着に脚を通すと、
ヒンヤリとしてかつ滑らかな生地がソワソワと脚を伝って登ってきます。太腿の辺りで
つっかえたので、

「ちょっと小さかったかも・・・」

と思いましたがそのまま思い切って上に引っ張り上げます。「スポッ」と腰が包まれ
ました。ブルマーに似た感じですがそれよりも優しいフィット感でした。続いてお腹を
覆い、胸を覆って、肩ひもに腕を片方ずつ通しました。

「ついに着てしまったわ・・・」

優しく上半身と骨盤を包み込んで、全方向から吸い付くようにフィットしてくる感覚が
気持ちよかったです。おそらく、水着単体の感覚としては今までのプライベート水着と
大差はなかったのだと思いますが、初めてのスクール水着で、しかも体操服に目覚めて
からの着用なので、また一つ屈服させられた気持ちで、気持ち良く感じていたのだと
思います。

鏡の中の私が着ている水着は、鈍い光沢を放っているとともに体の線があらわになって
います。そして胸元には大好きな校章とゼッケン。うっとりとそれを眺めていると、
「そうだ、ゼッケンを書こう」と思い、すぐに脱ぎ、クラスと出席番号を記入しました。

そして、ふと「今度は裸に直接着てみようかな・・・」

と思いつきました。本来水着はそうやって着るものですが、夜に自室で一体自分は何を
やっているんだろうという自制心も心のどこかにありましたので、そんなことをしても
いいものかまた葛藤しました。

「よし、着てみよう・・・、悪いことじゃないし・・・」

先刻、スクール水着の着用感を知ってしまったばかりで、その誘惑に打ち克つことは
無理なことでした。下着を取って、再び水着に脚を通します。スポッと水着に腰を包ま
れた瞬間、直接にあそことお尻を包み込む水着の感触に、

「あっ」

と声が出そうになりました。あとは無我夢中で腕を通して、着終わりました。下半身に
加えて、胸と背中への感触で全身がとろけるようで、足がガクガク震えてきました。

「気持ちいい・・・!ずっと着ていたい!」

触ってもいないのに、腰が熱くなってあそこが濡れてくるのを感じました。

「ああ、買ったばかりの水着が汚れてしまう、早く脱がなきゃ・・・」

と心の片隅に僅かに残った理性でそう思いました。でも、どうすることもできません
でした。結局その晩は、スクール水着の上から体操服とブルマーを重ね着して、悶え
ながら寝てしまいました。

こうして思い出してみると、我ながら本当に変態的で恥ずかしいです。こんなことを
赤裸々に告白できる機会を下さってありがとうございます。

 
ブルマへの思いを綴る、貴女のノートを作ってみました。
これからの告白お待ちしています。


2/12

こんにちは。北海道から関東の中学校に転校してきて、まず一番驚いたのがブルマーという
恥ずかしい服の存在だったことは前に書きましたが、また学校生活の別の思い出を告白したいと
思います。

転入した学校は、管理教育というのでしょうか、校則がとても厳しくて、持ち物検査や服装
検査がたまにありました。北海道にいた頃はそういうことはありませんでしたので、余りの
厳しさに驚いたものです。持ち物検査は、帰り間際にカバンの中に不用品(マンガ、お菓子、
化粧等)がないかチェックされるものでした。そして、服装検査は、朝礼や学年集会等で集ま
って解散する時に、日によって抜き打ちで、場合により男女どちらかがその場に残されて、
先生からチェックを受けるというものです。

女子がチェックされる項目は、以下の3項目です。

1.髪の毛(長い場合はゴムで括っているか、ゴムは派手なものは禁止で、黒、紺、茶等)
2.スカートの長さ(今の若い子達は短くしたがるようですが当時は長いのが流行でした)、
3.下着の色(派手なものは禁止で、白の無地のみ、ブルマーでもOK)

今の時代だと人権侵害で騒がれそうな内容ですが、当時はわりとあちこちでおこなわれていた
ようです。

整列したまま、前の生徒から順番に髪の毛をチェックされ、物差しでスカートの長さを測られ、
そしてなんとスカートを自分で捲り上げて先生に下着を見せるのです。転入当初、これには大変
驚きました。唯一の救いは、女子の検査をするのは女性の先生のみでしたので配慮があったの
でしょう。

私は背の順で後ろの方でしたが、前の方から次々と皆が順に、スカートの長さを測られ、そして
捲くって見せる姿は、屈辱的でした。もちろん、服装検査自体も屈辱的でしたが、私は、別の
所により一層屈辱を感じていました。それは、多くの生徒がブルマーを下に穿いていたことです。

小学校時代から馴染んできた人にとってはわりと普通の事のようですが、大半の生徒がブルマー
を下に穿いていて、白無地の下着を見せているのは少数でした。私は、転入初期にはブルマー
を拒絶しており、体育の時間に嫌々穿いているだけで、普段穿くこと等は到底考えられません
でした。服装検査の時に前から順々に捲くられていくスカートの中のほとんどにブルマーが見
え、それに先生がOKを出すので、まるで、ちゃんとブルマーを穿いているかどうかをチェック
されているようで、体育の時間だけでなく普段も穿けということか、と、そこが屈辱に感じた
のです(実際は下着でもいいので勝手な思い込みですね)。

また、不良っぽい子も、派手な下着が隠せていい、とブルマーを穿いて臨んでいましたので、
そんな素行の悪い子までもが従順にブルマーに屈服しているみたいで、より校則への閉塞感が
感じられてイヤでした。

自分の順番が回って来ます。下着を見せるのは恥ずかしいですが決まりなので仕方が無く見せ、
毎回無事に終了します。毎回そのようにしてやり過ごす様子を見た友達に、

「ブルマーを穿けば恥ずかしくなくていいのに」

とすすめられたこともありますが、下着を見せる恥ずかしさよりブルマーの存在の方がイヤ
でしたので、毎回、下着を見せる恥ずかしさに耐えていました。検査の度に、自分だけは負けて
なるものか、と変な意地を持っていました。

時が過ぎて、学校生活、特に体育の授業を何度か経ることによって、徐々にブルマーへの抵抗
感がなくなってきたこと、そして体育の時間以外でも制服の下に着るように変わっていった
ことは、すでに投稿したとおりです。

私がブルマーを下に穿いて初めて服装検査があった時、その頃は、ブルマーを普段穿くことは
ほぼ心地良くなっていましたが、こんな自分は変というか恥ずかしいという戸惑いに似た違和
感が心の中にまだ少し残っていたと思います。いつもと同じように前の方から順番が回ってきて、
自分の番になってスカートを捲り上げた時、体育の授業とは違うシチュエーションで、ブルマー
を穿いていることを見せるということにドキドキしました。しかも相手は体育の先生ではない
先生です。私のブルマーを確認して、

「ブルマー、よし」

と言いながら名簿にOKサインを書き込む先生を見て、それまでずっと下着で頑張ってきた心
が折れた反動もあって、

「ああ、ついに皆と同じようにブルマーのチェックを受けてしまった、私も本来この姿でいる
べきなんだわ・・・」

と、より一層ブルマーに対する違和感が消えていくのを感じました。

しばらく後に体操服とブルマーを身に付けて自慰をすることを覚えてからは、服装検査のあった
夜は、「ブルマーを常時穿くことを強制されてそれを服装検査でチェックされる自分」を想像
しながらするのが定番になってしまいました。


何かのきっかけで、こだわりとかが無くなった瞬間に、なぜそれだけこだわっていたのだろうと
思う事ってありますよね。ブルマーに早く解けこめば良かったと思いましたか?


1/29

前回までの投稿で、転校をきっかけに体操服とブルマーに初めて出会って、着ることに抵抗を
感じていた初期から、やみつきになるまでの心の移り変わりを書きました。普段は書かない
長文を書いたので、燃え尽きてしまっていました。かなり久しぶりに投稿させて頂きます。

それからの私は、体操服に対して愛着が強くなり、体育の授業がない日も、制服の下の体操服と
ブルマーを着込んで、登校するようになりました。「こんな恥ずかくて忌まわしい服、周りの
みんなのように普段着として馴染みたくなんかない」と強く思ったかつての私は、自分がこうも
変わるとは到底予想できませんでした。

体操服が好きになり、普段も毎日着るようになると、長くて2日、汗をかけば1日で洗濯に
出さないといけなくなり、その間は着ることができません。そこで、クラブ活動などで洗い
替えが必要だと言って、親にせがんで、体操服とブルマーをもう一式買ってもらうことになり
ました。

翌日の昼休みに、代金を持って、ドキドキしながら購買部に向かいました。購買のおばさんは、
転校当初に買い物に着た私のことを覚えていてくれ、「どう?もう学校生活にも慣れた?」と
声を掛けてくれました。「体操服とブルマー、もう一式ください」と言うと、ダンボール箱の
中から取り出しながら、「ふふふ、やっぱり必要になるでしょ?」と微笑みかけられました。

何気ない会話でしょうが、自意識過剰な私は、体操服の虜になった心をおばさんに見透かされ
ているような気がして、恥ずかしくて居ても立ってもいられなくなりました。まるで、「あな
たもやっと体操服を受け入れたのね。さあ、これを与えるから、これからは毎日着て過ごすよ
うにしなさい」と宣告されているような気がして、恥ずかしさのあまり支払いを済ますと早々に
購買を出ました。

その日の午後の授業の間も、買ったばかりの体操服とブルマーがずっと気になっていたので、
その日の夜、試着することにして、袋からそれらを取り出しました。私は、すでに体操服の虜に
なっていましたので、その新しい体操服の白色も、ブルマーの紺色も、以前と同じもののはず
ですが、より一層輝いているように見えました。

むさぼるようにそれらを着ると、新品の糊が効いていて良い香りがして、生地もしっかりとして
いるのでより強くピッチリと身を包みます。新鮮な着用感に満足しながら鏡に姿を映すと、その
姿には何の違和感もなく、自分があるべき姿のように見えました。そして、さらにハチマキを
締め、その晩は、その姿のまま寝ることにしました。

ベッドの中では、ドキドキが収まらず、悶々として、中々寝付けません。夜に自室でこっそり
体操服を着込むのはこれが2度目でしたが、前回はまだ心に葛藤があり、さすがにベッドに入る
前には理性が抵抗して脱ぎましたが、今回はもう一片の抵抗心もなく心から屈服していたのだと
思います。私は、自分の体を体操服とブルマーの上から撫でてその手触りを楽しみました。
上半身の体操服では優しい感触を、そして下半身のブルマーでは強い密着感を実感しながら撫で
まわしていました。そのうちに味わったことの無い快感がジワジワと高まってきましたので、
恐くなって、触るのをやめて、その日はそのまま寝てしまいました。私は生まれて初めて自慰を
経験したのです。

このような夜を繰り返すうちに、私は体操服とブルマーを身に付けて行う自慰の快感に溺れて
しまい、もう体操服とブルマーに身も心も支配されてしまったのです。特に、夜は、ほとんど
毎晩のように、その格好でベッドの中で自慰にふけってそのまま寝るようになってしまいました。
初めての自慰そしてその後の自慰がこのような体験であったため、それ以降も自慰は体操服と
ブルマーを身に付けて行うもの、という歪んだ性欲になってしまいました。

それ以降、私は、登校時の制服の下にはもちろんのこと、帰宅後や休日の私服の下にも、そして
寝るときでさえも、ほぼ常に体操服とブルマーを着るようになりました。着ない時は、家族との
帰省や旅行ぐらいだったでしょう。その期間はとても肌寂しい数日だった記憶があります。

   誰にも教えられなくても、自然とおなにーを知ってしまうものなのですね。
一度経験した快感を求めたくて、再びブルマ姿で寝てしまうのですね。
欲求はどんどん深まり、積極的な愛撫へと変わっていくのでしょう。
今もその影響が性癖に残っておられるのでしょうか。


7/9

ある晴れた日曜日に、家で何気なく過ごしていると、洗濯物が干されているのが目に入って来
ました。そこに、家族の衣類やタオルにまぎれて、体操服とブルマーが干されているのを見つ
けました。家族が普段、誰にも強制されずに思い思いに使う色とりどりの洗濯物の中にあって、
私を管理する体操服とブルマーが一緒にくっきりと陽に照らされて風に揺らめいている対照的
な光景に、心臓がドキッとなりました。無機的な番号と校章が入った体操服に、下着のように
ゴムが縮れたブルマー。家族の誰も意に介しているはずはありませんが、「純子はこんな恥ず
かしい服を着させられてるのか・・・」と思われるのではないかと恥ずかしくなり、すぐにそ
れらを取り込んで自室に持っていきました。

ベッドの上に放り投げて、「なんでこんな恥ずかしい服を着なくちゃいけないんだろう・・・」
と思いながらしばらく見ていましたが、ドキドキが収まりません。そのうち、ふと「そういえ
ば家でも着ているって言ってたっけ、一体どんな気持ちなんだろう」と思いました。ただでさ
え嫌いな服を家でも着ることへの抵抗もありましたが、その思い付きに、何かいけないことを
企んでいるみたいですごく興味を惹かれました。でも、日中は家族と会うので、夜、皆が寝静
まってから着てみることに決めました。

一旦そう決めると、不思議な事に夜が待ち遠しくなりました。体操服とブルマーに対する嫌悪
感と渇望感が入り混じった複雑な思いで残り一日を過ごし、就寝時になりました。家族が来な
いことを確認して、電気を消し、パジャマを脱ぎ、下着姿になりました。恐る恐る体操服を手
に取り、袖を通します。普段着慣れているはずなのに、いけないことをしているようで胸がド
キドキして手が震えます。続いてブルマーに足を通します。体操服の裾をきちんとブルマーの
中にしまって鏡を見ると、自宅の寝室でこのような格好をしている一種の背徳感ことにドキド
キが止みません。しかも、半日ずっと気になりながら待ち望んだ末に着たからか、いつもの嫌
悪感はありません。元々、体操服の方は肌触りも良く、最初は好きでしたので、むしろうっと
りとしてしまいました。鏡の自分の姿を見ていると、「ああ、とうとう私は、体育の授業の時
間だけではなくて、私生活でも体操服を着させられて学校に管理されてしまうんだわ・・・」
と妄想が膨らんでしまいました。その時、私の心にある抵抗の壁が取り除かれ、体操服との一
体感に包まれてしまいました。今思い返してみると、この時、私は体操服とブルマーの虜にな
ったのだと思います。それまでは嫌々ながら身体のみを包んでいた体操服が、心までも包んた
瞬間でした。

しばらくうっとりとしてベッドに座っていましたが、私の中の理性が、そのような自分を許せ
ませんでした。「こんなことをしていてはおかしい」、と我に返り、パジャマに着替え、体操
服は畳んで片付けて、ベッドに入りました。しばらくドキドキが続きましたが、いつの間にか
寝てしまいました。

それから次の体育がある日の朝、朝の準備をしている時、体操服とブルマーを鞄に入れようと
手にすると、日曜日の夜のドキドキが蘇ってきました。「皆、制服の下に着て行ってるし、私
もそうしても変じゃないよね・・・」と思い、セーラー服の下に着て、初めて登校しました。
学校まで歩いている最中は、何だか変な感覚です。体操服のフィット感とブルマーのピッチリ
感は感じられるのに、外見はセーラー服。外からは見えないのに、その内側ではしっかりと体
が包まれている感覚に、不思議な一体感を感じました。

登校してから授業中も、そのことが気になって集中できませんでした。体操服とブルマー、そ
してセーラー服に二重に包まれ、しっかりと守られている感覚になり、この学校の一員である
自分がいとおしい感覚になりました。そして「周りの子達も同じように包まれてるんだなあ・
・・」と想像すると、皆と仲間になったような気がして、幸せな気持ちでした。

その後、体育の着替えの時間となり、皆と同じように制服を脱いでブルマー姿になると、友達
が気付いて、「ついに着てきたんだね、もう慣れた?」と聞かれたので、その時に抱いている
気持ちが照れくさくて「うん・・・」とだけ返しました。

体育の授業が始まって、いつものように整列しました。でも、不思議といつものような抑圧さ
れているという嫌悪感は感じませんでした。皆とお揃いの体操服とブルマーにハチマキを締め
て整列させられている自分、ゼッケンで通し番号を付けられ校章を付けられて管理されている
自分が、いとおしいというか誇らしいような気持ちでドキドキしてきました。先生の笛と号令
に合わせて行う体操の時間も、このままヘトヘトになるまでずっと続いて欲しいという気持ち
でした。

今にして思うと、私は、そうとは気付かず、体育の授業にSMの調教の要素を見出していたの
だと思います。体操服やブルマーといった拘束具でカッチリと身を捕らわれ、先生の意のまま
に体を動かすことを強制される。しかも、自分一人だけが対象なのではなく、クラスメイト全
員が一律にそんな状況に置かれる。自分が辱められるとともに、同級生もが辱められている姿
を嫌でも見てしまうので、その効果も大きかったのではないでしょうか。もちろん、当時の私
はそんなことは全く思いつきませんでしたが、私の中のM性が、「調教」を通じて目覚め、辱
めを受けることが快感に変わっていってしまったのだと思います。


 気付かないうちに、M性が目覚めはじめてる事もありますよね。
それがブルマだったようだね。意識し始めると、よけいに変な気持ちになってしまうのだね。


5/31

嫌な顔せずに喜々として動き回っているクラスメイトを見ているうちに、私
は、体操服とブルマーが本当に嫌になりました。こんな恥ずかしい服、一体、
皆はどういう気持ちでいるのだろう?と疑問に思いました。体育の授業が終
わった後の着替えの時に友達に、「前の学校ではジャージしかなかったし、
ブルマーって初めてなんだけど恥ずかしくて嫌じゃない?」と尋ねてみまし
た。すると、「確かにちょっと恥ずかしいけど小学校の時から慣れてるし、
履いていると安心するよ。逆に履いてないと落ち着かない感じ」だと答えま
した。さらに言うには、体育のない日も制服の下に着込んでいるとのことで
す。また、別の友達では、私服の下にも着ていたり、部屋着代わり、パジャ
マ代わりに寝る時も(さすがにそれは少数派だったようですが)着ているの
だと言いました。ほとんどの子が、洗い替えとして複数着持っているようで
す。私にはとても信じられませんでした。

次の体育がある日がやってきました。もう言い逃れはできません。「これを
着なきゃいけないのか・・・」と体操服とブルマーを手に取って眺め、渋々
鞄に入れ、登校しました。体育の時間が来るのが憂鬱でしたが、ついにその
時間となり、皆で着替えます。私はとても制服の下に着込んでくる気にはな
れないので、鞄に入れて持って来ています。鞄から取り出して、まず体操服
から袖を通し、そしてブルマーを履きます。試着時に続いて2度目ですが、
体操服の柔らかい着用感に対して、相変わらずブルマーの下半身への締め付
けには違和感があります。友達は、「わあ、新品だ、いいな〜、似合ってる
じゃん」などと無邪気に言いますが、気持ちは全く晴れませんでした。

このような格好で廊下に出て、校庭に出るまで、他のクラスの生徒とすれ違
いましたが、まるで見世物になったかのようで、とても恥ずかしい思いをし
ました。私は、体操服の裾でブルマーを隠していたのですが、体育の先生に、
裾をブルマーの中にきちんと入れるように、と指導されました。このことは、
心のノートで他の方も告白されているように、最後の抵抗すら無残に打ち砕
かれる気持ちというのが非常に共感できます。

ついに、私も皆と同じ体操服とブルマーを着させられて、厳しく管理される
身となりました。私にも、皆と同じようにお腹と背中に通し番号が振られ、
個性のない規格品にされるような気がしました。それまでは気にも留めてい
なかった胸の校章の刺繍が、自分を抑圧する者のマークであるような感じが
こみ上げてきて、ドキッとしました。とても息苦しく、その場から逃げたい
気がしましたが、群集心理というのでしょうか、決められた以外の動作を取
ることは当然ながらできません。そのような、束縛から逃れたい気持ちで、
どんなに激しく動いても、また、それを着ていることを忘れようとしても、
意に反してあくまでも体操服は優しく上半身にフィットし、ブルマーはカッ
チリ下半身を捕らえています。早く脱ぎたくて、授業が終わって欲しいと願
っていました。

授業が終わると、私は、着替えのために教室に入り、即、体操服とブルマー
を脱ぎました。友達は、そのまま上から制服を重ね着していました。「こん
な忌まわしいものをよくずっと着てられるな・・・」と思いました。私が体
操服とブルマーを畳んでいるのを見て友達は、「着替えるの面倒だし、その
まま着てる子も多いよ」と教えてくれましたが、「ブルマーがきつくて苦し
いんだ」と答えました。「何回か使っているうちに馴染んで丁度良くなるよ」
と友達は言いましたが、ブルマーに馴染みたくなんかない、と思いました。

それからも嫌悪感は続いて、相変わらず体育の時間だけ限定で体操服とブル
マーに着替え、終わったらすぐに脱ぐことを繰り返していました。そのうち
に新しいセーラー服も届き、それを着て登校するようになりました。古い制
服では皆から浮いていたのですが、そのセーラー服を着て過ごすうちに、新
しい母校の一員となった自覚が知らず知らずのうちに芽生えたせいでしょう
か、日々を過ごすうちに、学校生活にも慣れ、最初ほどは体操服とブルマー
に強い抵抗を感じることは段々となくなっていきました。体育の授業も、ま
だ抵抗を感じるものの、気をそらして淡々として受けられるようになってい
きました。


   周りのみんなは、入学した時から全員ブルマ姿で、慣れてしまって平気なの
でしょうが、転校してきた貴女にとっては、違和感が続いたようですね。
だけど、毎日の繰り返しで少しずつ溶け込んでいけるようになったのかな。


5/28

私も、学生時代から体操服とブルマーが好きです。皆さん
の投稿を見ていて、私と同じような人がたくさんいるのを
知って、嬉しいような恥ずかしいような不思議な気持ちで
す。こんなことは恥ずかしくて長年誰にも話したことがあ
りませんでしたが、皆さんの投稿を読んでいて、この度、
告白したいと思うようになりました。覚えている範囲で、
私も書いてみました。ご一読頂ければ幸いです。もし掲載
するのに差し支えない文章でしたらとても嬉しいです。こ
んな秘密を、ネットで堂々と人様に読んで頂けるとすれば、
嬉しいです。

私がブルマーを初めて知ったのは、中学2年生の時でした。
私は、ずっと北海道に住んでいたのですが、私のいた地域
の小中学校では、ブルマーなんてものはありませんでした。
中学2年生の1学期に、親の転勤で、関東地方のある中学
校に転校して来たのです。そこで私はその後の性癖を決定
付けられるブルマーと出会いました。

引っ越してきた翌日は土曜日でした。午後に、母と一緒に
新しい中学校を訪れました。担任の先生に挨拶し、一通り
学校の説明を受けた後、新しい制服の注文やその他の必要
な物を買いに、先生に連れられて母と購買部へ移動しました。

購買部のおばさんは、在庫のダンボールから必要なものを
探し出し、「上履きに、ジャージに、体操服に、ブルマー
に、ハチマキに、ゼッケンに・・・」と言いながら、ガラ
スケースの上に一つずつ並べていきました。それらの品物
が並べられるのを見ながら、「あれ?」と気付きました。
北海道の中学では、体操服と言えばジャージのことを指し
ていました。「ジャージの他に体操服?そしてブルマー?」
と思いましたが、その時は特にそれ以上気にも留めません
でした。そしてゼッケンの書き方、付け方を教わりました。
ゼッケンはジャージの上衣の前後と、体操服の前後に付け
るとのことでしたが、体操服はアンダーウェアなのだと思
いました。全ての品物を袋に入れ、支払いをして、その日
は帰りました。

次の日曜日は、引っ越しの片付けでほぼ一日費やしました。
夕方、自分の部屋の片付けが一段落すると、学用品一式へ
の記名やゼッケンの準備をしなければ、と気付き、袋から
取り出しました。ゼッケンは、年・組・番号を4桁の数字
で記入します。数字の字体をくり抜いたガイド板のような
ものが付いていて、整った字体で記入できるようになって
いました。記入を終えると、次は体操服とブルマーを取り
出して試着してみました。

体操服を広げてみると、襟がチャックになっていて、胸に
は校章が刺繍された小さなポケットが付いていて、可愛ら
しいデザインだと思いました。続いてブルマーを取り出す
と、第一印象は、僅かに光沢を帯びた紺色で、腰と裾はゴ
ムでクシュクシュと縮んでいてまるで下着のように思いました。

体操服を被って袖を通すと、新品の糊のいい香りがします。
柔らかくて肌触りも良く、上半身を軽く動かしてみると、
優しく包み込まれるような感触で、着心地がとてもよいで
す。この体操服はすぐに好きになりました。続いて、ブル
マーに足を通しました。ブルマーも、生地の肌触りは良い
のですが、きついです。ブルマーを引き上げると、裾のゴ
ムの縮みが太腿の辺りで引っ掛かります。「えっ、こんな
に小さいの?」と驚きました。最初ショートパンツのよう
なものをイメージしていましたが、ショートパンツのよう
にはスムーズに履けず、段違いの収縮です。そのまま引き
上げて何とか履くことができました。履き終えると、腿の
付け根、お尻、腰がぴっちりと包まれている初めての感覚
に戸惑うとともに、「これはサイズを間違えたかな」と思
って、パッケージとサイズ表を見比べてみました。でも、
間違っていません。やはりこれはアンダーウェアなのだと
思いました。鏡に姿を映すと、体操服のデザインは可愛く
て好感が持てるのですが、ブルマーはお尻の形があらわに
なっていて、下着の線も浮き、とても恥ずかしく感じてド
キドキしました。すぐに脱いでしまい、そしてその夜のう
ちに、他の持ち物も準備を終えました。

翌月曜日は、初の登校です。周りの女子はセーラー服でし
たが私はまだ前の学校のブレザーを着て行きましたので一
人目立って恥ずかしかったです。担任の先生からクラスメ
イトに紹介され、その後皆で自己紹介をしました。休み時
間には近くの席の子達としゃべって、仲良く友達になるこ
とができました。その日は緊張していましたが、皆が親切
にしてくれ、無事一日の授業が終わりました。放課後には、
新しい友達が、前の学校との進度が違う科目を教えてくれ、
一緒に勉強しました。このまま学校生活にうまく溶け込め
そうな気がしました。

次の日は、体育の授業がありました。私は、ブルマーはア
ンダーウェアだと思っていましたので、必要と思わず、何
の疑問もなくジャージのみを持って行き、着替えるつもり
でいました。

体育の前の休み時間に、教室で男子と入れ替わって女子の
着替えが始まりました。私はジャージを鞄から取り出しま
したが、周りにはジャージらしきものを取り出す子がいな
いので不思議に思っていると、皆が次々にセーラー服を脱
ぎます。そうすると、皆、セーラー服の下に体操服を着込
んでいました。私はその光景にドキッとし、「まさか・・
・下は違うよね・・・」と不安に思って見ていると、次に
スカートを脱いだそこには、ブルマーを履き込んでいるの
です。皆、次々にスカートを脱ぎ、教室中の女子がブルマ
ー姿になりました。私は、その光景が今でも記憶に焼きつ
いています。

「まだ、これからジャージを上から履くのかもしれない・
・・」と淡い期待を抱きましたが、その期待も打ち砕かれ
ます。着替え終わった子から、そのままの姿で教室を出て
行くのです。私がボーっとして動きが止まっていることに
気付いた近くの子が、「どうしたの?まだ準備してないの
?」と聞いてきたので、我に返って、「まだジャージしか
買ってないんだ」と言い訳をしました。そしてそのまま皆
と一緒に外に出ました。

校庭では、皆が整列し始めています。やがて体育の先生が
来ましたので、私は、恐る恐る、まだ体操服を買い揃えて
いないと(嘘の)事情を話しに行きました。先生は快諾し
てくださって、「次回までにはちゃんと準備してくるよう
に」と言いました。ジャージは冬期の体育や掃除の時間や
特別な行事のみで、それ以外には使用しない、ということ
も説明されました。

出席を取って準備運動が始まります。私は背が高い方でし
たので、背の順で後ろの方に並ぶことになりました。以前
の学校では、ジャージでしたし、着こなしについても、腕
まくりをしたり、前を開けたりなど、比較的自由だったの
ですが、ここでは、後ろから前方を眺めると、他の子が皆
一糸乱れぬブルマー姿でハチマキを締め、ズラッと整列し
ている姿を嫌でも眺めてしまいます。全員、お尻の形がく
っきりと浮かんでいて、そんな恥ずかしい格好を好き好ん
でしているわけもなく、自由を奪われて厳しく管理されて
いるようで、とても重苦しく嫌な感じを受けました。しか
も皆、背中にはゼッケン番号が貼られているので、縛られ
ている感じが増します。先生の笛に合わせて準備運動をし
ている間も、皆が同じ動作をするので、その嫌悪感が続き
ます。

ただ、この時は、恥ずかしい格好を強制されている皆とは
対照的に、自分だけはゆったりとしたジャージに守られて
いるような安心感を持っていました。でも、同時に、次回
からは自分もこの子達と同じように厳しく扱われることを
思い、逃れる術を知らない私は、絶望感に似た気持ちでした。

   ブルマには、みなさんそれぞれの思いがあるようですね。
純子さんにも、もっといろいろ話してみたい事がおありなのでしょうね。
気軽に投稿してみてくださいね。