すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「エリザベス・コステロ」 J・M・クッツェー (南アフリカ)  <早川書房 単行本> 【Amazon】
オーストラリアの著名な作家エリザベス・コステロは、ストウ文学賞を受賞してアメリカで、講演者として招かれた蒸気船の船上で、アムステルダムで開かれる文学会議に招かれて、 作家としての講演を行った。それは時には失望として迎えられ、時にはさまざまな物議を醸し出すこととなった。
すみ 私たちにとっては「恥辱」以来2冊めの、そして久々のクッツェーです。
にえ これはノーベル文学賞受賞後に初めて発表した作品みたいね。ただ、受賞後第1作とはいえ、これは小説なのか小説じゃないのか、微妙なところだけど。
すみ とりあえず小説の体裁はとっていたよね。エリザベス・コステロという主人公がいて、その主人公が行動する。ただし、内容はといえば、講演に次ぐ講演ってことでほとんどスピーチ集って言っていいほどだったし、 あいまには多数が出ていても、一人の人の意見を際だたせるために一人で演じているような文学議論、そして最後にはより抽象的世界に主人公を置きながらの持論展開、と小説を読んでいるようでも、そうでないような。
にえ エリザベス・コステロの行動も章ごとに区切られていて、ストーリーが進んでいくわけでもなく、章ごとにそれぞれって感じでなにがどうなるわけじゃなく、やっぱりクッツェーの文学論を小説形式でわかりやすく読む、ぐらいの認識のほうがいいかも。
すみ たしかに多少なりとも小説の形式をとっていると読みやすいよね。それに、クッツェーがそのままクッツェーを語らず、一歩離れてエリザベス・コステロという女性が語っていること、アフリカのことについても、オーストラリアの作家が語っているという形式をとってることで客観的な姿勢になっているところなんかが取っつきやすさというか、わかりやすさに繋がっていたし。
にえ まあ、ちょこちょこっと出てくる登場人物たちはシモの締まりが悪かったりするけど、これはまあ、この人だとこんな感じだろうと予測はついたからそれほどゲゲッとならなかったかな(笑)
すみ 私が唯一ゲロッときたのは映画「女優フランシス」の話だけどね。でも、これはクッツェーさんが作ったわけじゃないから(笑) でもさあ、そのすぐ手前の章で小説には書いてはいけない悪があるみたいな話があって、この人の善悪の感覚って私たちと違うんだ〜とあらためて思ったりしたけどね。
にえ うん、小説に書いてはいけない悪を書いてしまっているというのが、私たちが「恥辱」に嫌悪を感じてしまった最大の要因だったんだから皮肉なものだよね。ま、そのへんは今日はいいか。
すみ そうだね、この本はそれほど嫌いじゃなかったんだから、ここではやめておこう。大部分を占める文学講義についてなんだけど、これは読んでそれぞれの人がそれぞれに感じとればいいとして、語られるうえで取り上げられていた文学作品、これがちょっと読書好きには気になるところだったよね。
にえ それはもう、エリザベス・コステロの出世作の話からでしょ〜。なんとなんとジョイスの「ユリシーズ」の登場人物マリオン・ブルーム(モリー)を主役にしたお話なんだって。
すみ マリオン・ブルームといえば、「ユリシーズ」の二人の主人公の一人ブルームの奥さんで、なんといっても印象的だったのは「ユリシーズ」の最終章「ペネロペイア」での一人語りだよね。
にえ これは「ユリシーズ」を読んでいると、エリザベス・コステロがモリーを主人公にした理由をこじつけられちゃったりするところとか、なるほどね〜なんてムフッとしながら読めるよね。
すみ あと、カフカも何度か出てきたよね。エリザベス・コステロはなぜだかカフカがあまり好きじゃないのに、すぐカフカを例に挙げてしまう癖があるみたいなんだけど。カフカの作品「ある学会報告」が講義中に比喩的に挙げられてた。
にえ A・S・バイアットドリス・レッシングをどう思いますか、とか訊かれていたよね。あと、スーザン・ケイ・メービウス「歴史を再生する 女と記憶」って本も出てきたけど、これはわからなかった。架空のものって感じでもなかったし、未邦訳なだけかな。
すみ 気になったのは、ナイジェリアの作家エマニュエル・エグドゥが出てきたところだな〜。この方は架空の人物だと思うんだけど。エマニュエル・エグドゥはナイジェリアの有名な作家チュツオーラの名を挙げられ、「やし酒飲み」を読んだんですねって聞き返すんだけど。
にえ 私たちが途中挫折した本だ〜(笑) でもさあ、あの本の成り立ちというか、英訳されるまでの経緯を知ることができて良かったよね。そういうことだったのかと最後まで読めなかった無念な気持ちがようやくおさまったというか。
すみ 不思議なのは、そのあとでナイジェリアの作家だったらベン・オクリも、と勧めていたことだよね。
にえ ベン・オクリだと、私たちは「満たされぬ道」を読んでるよね。あと「見えざる神々の島」という翻訳本があるけど、こっちは未読。読んだのが「満たされぬ道」だけだと、ちょっとまだエマニュエル・エグドゥが読むべきナイジェリアの作家として名前を挙げた理由がわかりづらいかな。
すみ 私が一番不思議に思ったのは、ナイジェリアの作家といえば、まずチュツオーラまではいいとしても、その前か次にはノーベル文学賞受賞作家ウォレ・ショインカをなんで出さないんだろうってこと。質問するほうの人が「ノーベル文学賞作家ウォレ・ショインカをどう思いますか」って訊きそうなものなのに、しかも、クッツェーさんはノーベル文学賞を受賞したばっかりだったわけでしょ。
にえ そうだねえ、ウォレ・ショインカは政治的なところがあるから文学者として名前を挙げたくなかったのか、ウォレ・ショインカがノーベル文学賞を受賞した1986年より前って設定なのか。
すみ 私は一瞬、ウォレ・ショインカがエマニュエル・エグドゥのモデルなのかな、と思っちゃったんだけど、それはないか(笑) 私たちはウォレ・ショインカを読んでないから、ここは謎のままだね。
にえ たしかにそれも気になるけど、やっぱり一番驚くのはポール・ウエストでしょ。この方は巻末の訳者あとがきでも触れられていたけど、邦訳されているのは多数作家のアンソロジー短編集のなかに収録されている短編「バンコーと黒いバナナ」のみ、日本では知られているとかいないとか以前に、どういう作家さんなのかイマイチとらえづらいところなんだけど、なんと本人登場!
すみ しかも、エリザベス・コステロにメタクソ貶されるような形になるんだよね。口論とかじゃなく、目の前で行われる文学講義のなかで。私は本を読んでいる最中にネットで調べて、ポール・ウエストっが「バンコーと黒いバナナ」という作品の作者だと知って、ああ、同姓同名の別人、小説の中のポール・ウエストは偶然、同じ名前を持つ実在の作家がいた架空の人物なのね、と思っていたんだけど。あとがき読んでビックリした(笑) ここはクッツェーさんの実話なのかな。
にえ どうなんだろうね〜。ということで、長くなってきましたのでこのへんで。まだまだたくさん作家名、作品名が挙げられていて、私たちはそれだけでも興味深く、なかなか楽しめましたってことで。あ、そうだ、最後の最後のところ、ホフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」を読んでいたら、もっと楽しめたのに〜!