すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「抱擁」 T・U   A・S・バイアット  (イギリス)     <新潮社 文庫本> 【Amazon】 〈1〉 〈2〉
19世紀なかばに多くのすぐれた作品を残した、偉大な詩人ランドルフ・アッシュに憧れるローラン ド青年は、大学では優秀な成績をおさめながらも、未来は明るく開けていなかった。同棲相手のヴァルに 生活を支えられ、『アッシュ全集』の編纂にたずさわるブラックアダー教授のもと、パートタイムの研究 助手を務め続けていた。ある日、ロンドン図書館で出してもらったアッシュの古い本から、偶然、手紙 を見つけた。それは、アッシュが誰か、妻以外の女性へあてた恋文のような内容だった。だが、 アッシュは浮気などせず、十五年という長い求愛の末に結婚した妻と、仲睦まじく暮らしつづけたはずだっ た。驚愕するローランドは、どうしても自分でその謎を調べたくなり、手紙をそっと持ち帰った。
にえ この本は、読みはじめのときは歴史ミステリーなのかなと思ったよね。
すみ そうそう、ちょっとゴダードあたりを思い出すような、ロマンティック歴史ミステリーって始まりだった。
にえ 妻一筋という定説の詩人アッシュと、レズビアンでフ ェミニストという定説の詩人クリスタベル・ラモットが、実は深い仲だったらしい。ここにはどんな謎がひ そんでいるのか?ってね。
すみ で、主人公ローランドを助ける、クリスタベルを研究している 美貌の女教授モード、解けた謎のすべてを奪い取りたいアメリカの学者クロッパー教授。その他いかにも なキャラクターが勢揃いだし。
にえ しかも、少しずつわかっていく19世紀のラブロマンスと、 少しずつ進んでいく現代のラブロマンスの二層構造でしょ。いかにもって感じだよね。
すみ ところが、読み進んでいくと、予想をはるかに超えてたのよね。 そんな単純に片づけられる本じゃないよ。
にえ むしろ、歴史ミステリーと思って読むと裏切られるかも。
すみ そうそう、大きな謎は結局、アッシュとクリスタベルの関係と、 あとから出てくるもう一つの合わせて二つがあるんだけど、これはもう予想したとおりの結末が待ってただ けで、驚きはなかったからね。
にえ あと、19世紀のほうはともかく、現代のほうは展開もかなり 安易にすませちゃってたし。
すみ でも、読んでてそんなものは些細なことで、むしろ他の楽しみ を削がないための簡略化なのかなと思えたよね。
にえ うん、素晴らしかったのは、ミステリー以外の要素なの。小説と いうか、文学作品としての厚みがすごいの、厚みが。
すみ 章によって、違う文学が楽しめるってほど、バリエーションに富んでたよね。
にえ そう、まず地の部分の小説でしょ、それから、詩人二人の美し い比喩が散りばめられた往復書簡でしょ、これまた素晴らしい多くの詩でしょ、民話調の怪奇で悲しい奇譚 話、もとのある神話をさらに練りなおして仕上げた話、アーサー王伝説の登場人物たちの話、多感な少女の 日記、などなど、盛りだくさんなんてものじゃないの。
すみ 詩がまた物語になってて良かったりするのよね。クリスタベル の書いた『妖女メリュジーヌ』なんて、怪奇的でしかも幻想的で、素敵だった。あと、魔術師マーリンとヴ ィヴィアンの話なんて興味深かったな。
にえ 挙げだしたらきりがないよね。そこにさらに19世紀に流行っ た降霊術の怪しげな話とか、昆虫の話とか、歴史的背景の話も加わるんだけど、そのすべてがとにかく、 ビックリするぐらいレベルが高くて素敵なの。
すみ 壮麗な描写も、それぞれの話じたいの魅力も、甘さを抑えて、 冷たく鋭くさえ感じる考察的に仕上げた文章も、すべてが素晴らしかったよね。
にえ ぜんぶ夢中になって読めた。ひとつ、ひとつが独立した小説 だったとしても、すべて絶賛に値するよね。
すみ その作品の数々が、ギュッと1冊の本に押し込まれてるんだか ら、読む喜びが常に最大限の状態だった。
にえ よく一人で、こんな本が書けるよね。こんな物凄い才能の人は、 国内ではちょっと思いつかないから、やっぱり翻訳本で読めるからこその喜びだな。
すみ 訳者あとがきで納得。妹さんはあのマーガレット・ドラブルな のね。血は争えないというか、家庭環境のなせる技というか、やはり凡人が書ける小説ではないものね。
にえ あとがきといえば、作者本人のあとがきもついてたよね。 私はこれを読んで完全納得。ロマンティック歴史ミステリーかと思えたのは、作者のパロディーだったのね。
すみ ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』のような、書いて楽しい、 読んで楽しい作品にしたかった、ともあったよね。
にえ そう、楽しいといっても、浅い笑いを要求するような、ちゃち な小説じゃなくて、もっと知的、文学的な脳の部分を刺激しまくって、深く深く喜ばせてくれるような、 そういう楽しみに満ち満ちてた。
すみ 今度から、イギリス文学の代表的な作品は?って訊かれたら、 この本をあげるかも。
にえ これはもうイギリス文学好きな人なら、絶対にオススメ。