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 「ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻」
           N・ホーソーン(アメリカ)/E・ベルティ(アルゼンチン)  <新潮社 単行本> 【Amazon】


「ウェイクフィールド」 ナサニエル・ホーソーン
なにかの古い雑誌か新聞に載っていた、ある男の物語はこうだ。かりにその男の名前をウェイクフィールドとすれば、ウェイクフィールドは妻のある身だったが、旅行に出ると偽って、自宅の隣の通りに間借りし、20年以上の年月をそこで過ごした。そして、まるで一日出掛けていただけというような風情で自宅に戻ってきたのだ。
「ウェイクフィールドの妻」 エドゥアルド・ベルティ
ある火曜日、ウェイクフィールド夫人は夫から唐突に、今晩から仕事で旅行に出る、金曜日まで帰れないかもしれない、と告げられた。 ウェイクフィールド夫人はこれまで、夫に仕事のことを訊ねるようなはしたないまねをしたこともなかったし、結婚生活の10年間というもの、あまりにも貞淑で寛容な妻でありつづけたために、このときも、急な旅行について夫を問いただすことはできなかった。
すみ これは百年以上の時を隔てた、2人の作家の2つの作品が1冊の本になっているという、なかなか画期的で、素敵なご本です。
にえ ナイス! だよね。まず「ウェイクフィールド」は、ナサニエル・ホーソーン(1804〜1864年)が1835年に発表した小説なの。この邦訳本でいうと、15ページ程度のかなり短めの短編。
すみ ホーソーンというと、やっぱり一番に思い出すのは1850年に発表された「緋文字」だよね。私たちもずっと前に読んだけど、古さが逆に新鮮で、時代を考えさせられたりもする、素晴らしい小説だった。
にえ この「ウェイクフィールド」は存在すら知らなかったけど、ボルヘスが「およそ文学における最高傑作の一つと言っても過言ではない」と激賞し、カフカやオースターにも影響を与えた名作なんだって。
すみ 時代を先取りしたようなかたちで、都市における人間の無名性を扱っているってところが大きいみたいね。で、内容なんだけど、古い雑誌か新聞の記事で見かけた男の話ってことになってるのよね。それが本当かどうかわからないけど。
にえ 記事には男の名前はなかったけど、ホーソーンはこの男に、ウェイクフィールドって名前をつけているんだよね。
すみ ウェイクフィールドは妻のある身だというのに、ある日、旅行に出ると偽って、自宅の隣の通りに間借りし、20年以上の年月をそこで過ごし、そして、なにごともなかったように自宅に戻ってきた男。
にえ そんなことをする理由がまったくわからないんだよね、ホーソーンもまた、その謎解きをするということもなく。
すみ でも、なぜだかそういうことをする人の気持ちってわかるような気がするのよね。自分はそんなことはたぶん、いや、決してやらないだろうと思っていても。
にえ とにかくまあ、この小説は、そんなウェイクフィールドという男の足跡を追った物語。物語っていうのは変か? まあ、いいや(笑)
すみ 「ウェイクフィールドの妻」のほうは、アルゼンチンの作家エドゥアルド・ベルティ(1964年〜)が1999年に発表した作品。
にえ タイトルでわかっちゃうと思うけど、ホーソーンの「ウェイクフィールド」を妻の側に立って書いた小説なんだよね。
すみ 「ウェイクフィールド」が夫の足跡を追ったものなら、「ウェイクフィールドの妻」はその妻の足跡を追ったもの。同じひとつの出来事を、別の視線から、別の側面を見るような。
にえ 「ウェイクフィールド」が古い記事を題材にしたものなら、この「ウェイクフィールドの妻」は「ウェイクフィールド」を題材にしたものだから、焼き直しの焼き直し、だよね。
すみ この2つを1冊の本に収録してくれるなんて、ホントに有り難いよねっ。そうと知ったときにまず思ったのは、ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」とマイケル・カニンガムの「めぐりあう時間たち」もカップリングで1冊の本にしてくれれば良かったのに〜ってことなんだけど、あれは無理か(笑)
にえ そんなこと言ったら、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」とコニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません」も1冊の本にって言いたくなるじゃない(笑) 
すみ まあ、たしかに、長さとか、前に読んでる人が多いだろうとか、その他いろいろな外的問題は別にしても、やっぱり他じゃなく、この本が2つの作品を1冊にまとめたもんだっていうのはわかる気がするよね。同じ出来事、出ていったきり帰ってこない夫の側から見た小説と、妻の側から見た小説、それを一緒に読む重要性。
にえ それだけじゃなく、色調というか、そういうところでも、これは1冊でホントによかったと思うよ。「めぐりあう時間たち」や「犬は勘定に入れません」は元ネタあり! とはいっても、やっぱり現代作家の書いた小説って感じ。でも、この「ウェイクフィールドの妻」はそういう書かれた時代の雰囲気までも、「ウェイクフィールド」に合わせてあるみたいに、続けて読んでも違和感がないの。
すみ うん、言い意味での古めかしさがあったよね。しかも、「ウェイクフィールド」はホントに短い作品だから良いのだけれど、「ウェイクフィールドの妻」はそれなりに長さのある小説ってことで、かなり膨らませていることを、これはもう、やるなっ!ってところ。
にえ まず、時代背景がくっきりと描かれているけど、これはかなり緻密な感じがしたね。丹念に、丁寧に書かれている印象。時代は産業革命の影響で、手工業の時代から機械設備による大工場の時代へと移る、その変遷期。工場から追われる労働者たち、機械導入がむりで、潰れるしかない小工場、見通しが閉ざされた家内工業。そういう暗澹とした庶民たちの暮らしが、小説のストーリーそのものにも反映されていて。
すみ この小説でチャールズ・ウェイクフィールドと名付けられた夫、エリザベス・ウェイクフィールドと名付けられた妻のほかにも、ウェイクフィールド家の二人の使用人アメリアとフランクリン、それからエリザベスの姉とその家族、などなど、足された登場人物たちについてもそれぞれの物語があったりして、味わいはぐっと深まっていたよね。
にえ うんうん、それでいて、ホーソーンの短編の、男が突然になくなり、そして戻ってきたという不可解さは浸食せずに、うまく残しているよね。とにかくホントに巧いとしか言いようがない。やられました(笑) ウェイクフィールドという名前からの連想が書かれているところなんて、鳥肌立っちゃったな。ということで、落ち着いた純文学あたりが好きな方にはオススメです。