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 「犬は勘定に入れません」 コニー・ウィリス (アメリカ)  <早川書房 単行本> 【Amazon】
2057年、オックスフォード大学は、空襲で焼失したコヴェントリー大聖堂の復元計画のために大わらわだった。計画の責任者兼スポンサーのレイディ・シュラプネルは人使いが荒く、とにかく強引で、 こき使われる学生も職員も疲労困憊、そのなかでも失われた「主教の鳥株」の行方を探せと命じられた史学部の大学院生ネッド・ヘンリーは、ネットで20世紀・21世紀間の時間旅行を繰り返させられ、とうとう重症のタイムラグに陥ってしまった。 2週間の絶対安静を言い渡されたが、そのくらいでレイディ・シュラプネルが解放してくれるとも思えない。ネッドの身を案じたダンワージー教授は、ちょっとした任務を与えて、ネッドを19世紀のヴィクトリア朝へ逃がすことにした。ところが、タイムラグで聴力も思考回路も麻痺したネッドは、 そのちょっとした任務すら把握できていなかった。ヒューゴー賞、ローカス賞、クルト・ラスヴィッツ賞ほか受賞作品。
すみ 早くから出ることが予告されていたので、長く楽しみに待っていた、「ドゥームズデイ・ブック」の姉妹編であり、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」にオマージュを捧げた作品でもあるという、「犬は勘定に入れません」をようやく読みました。
にえ なにしろ「ボートの三人男」の副題「犬は勘定に入れません」をそのままタイトルにしてあるから、いったいそれがどう反映されているのだろうとかなり気になってたのよね。
すみ そうそう、いろいろと想像したから、読んで、あ、そういうふうに関わってくるわけ、とわかったときには、なんだそんなことかと笑ってしまった。
にえ 「ボートの三人男」に限らず、シェイクスピアに始まり、古典的な作家、詩人からアガサ・クリスティやドロシー・L・セイヤーズといったミステリにいたるまでの、古き良きイギリス文学にたいするオマージュと言ってもいいかもね。いっぱい出てきた。
すみ 「ドゥームズデイ・ブック」については姉妹編とはいえ、前作を読んでいないとわからないっていうような続編的なものではないのよね。
にえ ただ、私は個人的には、コニー・ウィリスを読むんだったら、この本を読む前に、「ドゥームズデイ・ブック」と「航路」を先に読むことを、「絶対」つきでオススメするけどね。
すみ う〜ん、同じ小説でもどのへんを楽しむかってのは人それぞれだから、一概には言えないかもしれないけど、私ももし助言を求められたら、先に「ドゥームズデイ・ブック」と「航路」を読みなって強く勧めちゃうかな。
にえ 前作を読んでないとわからないってわけでもないし、これじたいがおもしろくないっていうんじゃないんだけど、コニー・ウィリスがどんな作家かもわからずに読むと、これはかなり長さを感じる小説だと思うんだよね。 同じ大長編でも、「ドゥームズデイ・ブック」や「航路」ではなぜ長さが気にならなかったかというと、どんどん予想もしない、意外なところへ持って行かれる展開に、この先はどうなるのって、ページをめくるのももどかしいってぐらいの勢いで読んじゃうからでしょ、 これにはそれがないから。
すみ そうねえ、長編の小説を読み慣れた人ならまだ淡々と読み進めちゃうだろうけど、ふだん、あんまり長いものは読まないって人が手に取ると、かなりキツイかも。伏線がわかりやすくて、はっきり先が読めちゃうし、そもそも愕然とするような急展開ってものがないものね。
にえ 「ドゥームズデイ・ブック」「航路」を読んでて、コニー・ウィリス節に慣れもし、気に入りもしていればいいけど、それなくしてこれを読むと、長い小説を読む疲労感がつきまとって、まあまあ良かったなと思っても、すぐにコニー・ウィリスの他の作品も続けて読もう!って気にはならないと思うんだ。それはもったいないっ。
すみ まあ、正直なところ私も、「ドゥームズデイ・ブック」ではキッチリはしょってくれていた、時軸だ齟齬だっていうタイムトラベル理論みたいなものが、これに関してはしつこいぐらいに書かれていて、いっぱい書かれていたわりには納得できないせいもあるのかもしれないけど、そういうところでは、ちょっと読むのがしんどかったかな。
にえ まあ、それでもコニー・ウィリスは楽しませてくれるって安心感があるから、がんばって読んじゃうんだけどね。安心しきってダラダラ読めば、楽しい小説だったし。
すみ そうそう。2057年については、かなり変だったけどね(笑) 今から50年ちょい先のイギリスの学生が、ポアロって言われて、だれ?ってわからなかったり、 万年筆の存在じたいを知らないのか、ペン拭きの使い道が想像すらつかなかったり、猫は絶滅して、犬は小型に改良された犬しかいなくなって、ブルドッグの大きさにビックリしたり、 50年ちょいでそこまで変わるかな〜と首を傾げながら読んでしまった。
にえ それだったら私が一番驚いたのは、イギリス文学についていろいろ触れられてるって言ったけど、そのなかで、ウイルキー・コリンズの「月長石」の真犯人がバラされてしまっていたこと。「月長石」は前から読もう、読もうって言ってて、なかなか読めなくて、 いいかげん今年の夏あたりには読もうと話してたんだよね、これでもうその予定は消えてしまった(笑)
すみ なんか巻末の解説によると、真犯人がわかってても充分楽しめるみたいだけどね。でもまあ、真犯人がわかってる推理小説を、あえて読もうって気にはならないかな。それでなくても分厚い本だし。さようなら〜。
にえ お話は要するに、レイディ・シュラプネルから逃げるために、19世紀のヴィクトリア朝時代に飛んだネッド・ヘンリーという青年が、その時代のいろんな人と関わり合い、自分が現われたために、歴史の流れに歪みが生じたんじゃないかと心配して必死に修正しようと努力しつつ、 レイディ・シュラプネルに命じられていた、なくなった「主教の鳥株」なるものを探すと、そういうお話なんだけど。
すみ 「主教の鳥株」の「鳥株」ってのがなんなのか、読んでてかなり悩まされたよね。「鳥株」で辞書を引いたらなくて、「バード・スタンプ」ってカタカナ表記があって、今度こそってネット検索しまくったりしたけどやっぱりわからなくて、先に原書を読んだ人は「台座」のようなものって言ってるけど、なんだかそれも違うみたいで。 要するに副題の「あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎」の花瓶ってことなのよね。
にえ 副題を見てから読みはじめて、それとネッドが探しているものを考えあわせれば、べつに悩まずに花瓶だってわかると思うんだけど・・・。
すみ すみませんね〜、花瓶はいつ失くなるんだろうって、ずっと待ってましたよ(笑)
にえ で、ネッドは人間だけじゃなくて、ブルドッグのシリルと、猫のプリンセス・アージュマンドという、知り合いというか、連れ合いもできるんだけど、これがまあ、どっちも可愛かった。
すみ ブルドッグってなんか哀愁があるよね。見てると、かわいそうとかわいいが一緒になったような、微妙な気持ちになるんだけど、シリルはまさにその微妙なところをくすぐる存在だった。
にえ プリンセス・アージュマンドは猫らしく我儘で、身勝手、でも放っておけないって可愛らしさよね。
すみ あとは、いかにも学者然とした奇行癖のあるっぽい大学教授とか、ノホホンと育ちのよさそうな青年とか出てきて、みんな楽しいけど、なかでも存在感で抜きんでてるのは、 トシーお嬢様かな。
にえ すごいよね、トシーは。猫には赤ちゃん言葉で話しかけるし、バカっぽいし、自己中心の極みみたいな性格で、イヤな女の条件がすべて揃ってるって感じなんだけど、ここまでイっちゃってると笑えてしまう。
すみ でも、ブリっ子するのが常識のような時代だから、モテモテなんだよね。そんなトシーをめぐってのラブ・ロマンスもありっ。他にもネッドにしてみれば、ヴィクトリア朝時代は戸惑うことばかり。私も一緒に戸惑って、楽しかった〜。朝食のメニューとかも驚いたよね。
にえ ピーター卿の執事バンターそのもののような人物も出てくるし、もちろんそうなると、ハリエット的存在も登場して、まさに古き良きイギリス・ミステリのオマージュそのもののような趣。楽しめたね。「ドゥームズデイ・ブック」「航路」のあとには、ぜひどうぞ。あ、そうそう、 これが出る前に「ボートの三人男」を先に読んでおいたほうがいいかって話がかなりあったんですが、まあ、楽しむためには読んでおくに越したことはないけど、絶対ってほどではないですよ。なんだったら、あとからでもいいかも。