すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「めぐりあう時間たち」 マイケル・カニンガム (アメリカ)  <集英社 単行本> 【Amazon】
ミセス・ウルフことヴァージニア・ウルフは、1923年、ロンドンの郊外にある家で、「ダロウェイ夫人」 を執筆していた。ミセス・ブラウンことローラ・ブラウンは、1949年のロサンジェルスで、「ダロウェイ夫人」の続きを読みたいと渇望しながら、 3才の息子と、愛する夫のためのバースデーケーキを作りはじめている。ミセス・ダロウェイことクラリッサ・ヴォーンは、 20世紀末のニューヨークで、かつての恋人であり、彼女にミセス・ダロウェイという綽名をつけた詩人リチャードのために、 カラザーズ賞受賞パーティーを開こうとしていた。  ピュリッツア賞、ペン/フォークナー賞受賞作品。
にえ 表紙を見ると、この本のタイトルは「THE HOURS めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」となってます。
すみ 「THE HOURS」っていうのは、ヴァージニア・ウルフが「ダロウェイ夫人」を 出版する前につけていた仮題だそうで、まさにこれはもうひとつの「ダロウェイ夫人」とでも呼びたくなるような小説だったね。
にえ 「ダロウェイ夫人」を読んでから、この小説を読んだほうがいいよね。 この小説だけでも充分おもしろいとは思うけど、「ダロウェイ夫人」にわざと類似させつつ、少しずつずらしているっていう書き方を たっぷりとしてあるから、やっぱり読者も意識しながら読むべきでしょ。
すみ 逆じゃダメだよね。まず「ダロウェイ夫人」を読んでから、この本って順番がいいと思う。 あと、ずっと前に読んだって方は読み返してからのほうが良いかも。
にえ でも、「ダロウェイ夫人」にめいっぱいインスピレーションを感じて書いた小説ではあるのだけど、 ヴァージニア・ウルフに酷似した小説ってわけじゃないのよね。あくまでも、これはアメリカ人、マイケル・カニンガムの小説だった。
すみ マイケル・カニンガムの小説は、とにかく同性愛っていうのが大事なテーマになってるみたいで、 この小説でも、同性愛者もたくさん出てくるし、異性愛者が同性愛を感じる瞬間ってのも描写されてた。
にえ でも、どれもベタベタした描写ではないから、ご安心を。なまなましさはなくて、むしろ生の 悲哀を増す感じだった。
すみ ミセス・ウルフ、ミセス・ブラウン、ミセス・ダロウェイの三人のそれぞれを書いた章に分かれてて、それが 入れ替わりで現れるんだけど、一番文章をたっぷり長く書いてあったのが、ミセス・ダロウェイだったよね。
にえ ミセス・ダロウェイは、クラリッサ・ヴォーンという52才の女性の綽名。かつてはかなりの魅力あふ れる美人で、今でもヒッピー的な風貌や品のいい身のこなしにその形跡が残っているの。
すみ 18才の時に、才能溢れる19才の若き詩人リチャードと恋に墜ちてるのよね。でも、リチャードは結局、 男性の恋人ルイスとともに、彼女のもとを去ってしまった。
にえ ミセス・ダロウェイはいまだにそのことを引きずってて、ニューヨークに戻ってきたリチャードの世話を焼いてるんだけど、 リチャードはエイズの末期で、容貌は変わり、記憶の混濁まで始まっているの。
すみ ミセス・ダロウェイ自身も、今はサリーという女性と同棲してるのよね。
にえ 未婚の母でもあって、ジュリアという娘がいるの。ジュリアは母親ではなく、メアリ・クルルというずっと年上の 活動家の女性を信奉して、行動をともにしているのだけど。
すみ リチャードは詩人に贈られる、あまり知られていないけれど権威あるカラザーズ賞というのを 受賞することになって、ミセス・ダロウェイは受賞パーティを開いてあげることに。
にえ まず、花を買いに行くの。ここがポイント。パーティの日の朝、花を買いに行きながら、 ミセス・ダロウェイのなかでいろんな想いが交錯するのよ。
すみ それから、ミセス・ブラウン。とびきりハンサムな戦争の英雄である 青年と結婚してみんなに羨ましがられ、母親が大好きな3才の息子がいて、お腹のなかにもう一人子供がいて、 とても幸せな状態。でも、ミセス・ブラウンは小説が読みたいの。
にえ どんなに充実した家庭生活でも、読書を渇望して苦しむミセス・ブラウンの気持ちが私たちには痛いほどだったねえ。
すみ ミセス・ダロウェイが「ダロウェイ夫人」のクラリッサ・ダロウェイと符合しまくっているように、 ミセス・ブラウンはヴァージニア・ウルフとかなりの符合を見せているの。だからこそ、彼女が最後に選ぶものがなんなのか、読んでいて先が怖かった。
にえ そして、ミセス・ウルフはもちろん、ヴァージニア・ウルフなんだけど、 彼女は精神を病んで、ロンドン郊外の家に住んでいるところ。
すみ 優しい夫はヴァージニアを心配するあまり、たえず彼女の行動に目を光らせているし、 メイドのネリーはどこか高圧的で、それをうまく扱えないヴァージニアの苦しみのもととなり・・・。
にえ とくに、ヴァージニアの姉ヴァネッサが子供を連れて訪ねてくるシーンが秀逸だったよね。 ヴァネッサの三人の子供は死んだ小鳥を拾って、摘んだ薔薇の花のうえに安置するんだけど。
すみ そこにも黄色い薔薇、そしてサリーがミセス・ダロウェイのために買ってくるのも黄色い薔薇、 とにかくいろんなところで符合に驚かされる小説だったよね。
にえ そう、そして私は発見の驚きに気を取られすぎて、最後の方で肝心なことを見落としていたことに気づき、 ショックを味わうことに(笑) いつもなら、気づいていたはずなんだけど〜。
すみ ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」が生のすぐそばに死があったように、この小説も、 静かな流れのなかのあちこちに、死がすぐそこにあって、独特の緊張感をうみだしてました。やっぱり高く評価されるだけのことはある小説でした。唸らされました〜。