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 「エイラ―地上の旅人 第1部 ケープ・ベアの一族」 上・下  ジーン・アウル (アメリカ)
                                 <集英社 単行本> 【Amazon】 (上) (下)

原始の時代、ネアンデルタール人の一族と暮らすことになった5歳の少女エイラ。だが、白に近いような金色の髪に、額が突起してもいなければ、後頭部がつきだしてもいないのっぺりした顔の少女は、ネアンデルタール人にとって、あまりにも醜く感じられた。こんな少女を育てても、将来、だれも結婚しようとは思わないだろう。 周囲の心配をよそに、モグールのクレブと薬師のイーザは、エイラを深く愛し、きっとこの一族の一員として暮らせるように育ててみせると心に誓うのだった。しかし、少女はあまりにも自分たちと違っていた・・・。公式HP
すみ この本は私たちにとって、いちおう再読ということになるのかな? 私たちがいつ読んだのかは忘れちゃいましたが、1983年「大地の子エイラ」という小説が邦訳出版され、 その後、「恋をするエイラ」「狩りをするエイラ」「大陸をかけるエイラ」と続刊が出て、先史時代を舞台にしたサーガものというものに初めて出会い、こういうジャンルの小説があるのかと大変驚いたものでした。
にえ ちなみに、衝撃を受けたのは私たちだけじゃなく、世界中が、だね。で、この「ケープ・ベアの一族」は「大地の子エイラ」にあたるものなんだよね。だた、そのシリーズは邦訳されたときに大人向けではなく、もう少し下の世代を視野に入れたものだったから、 じつは完訳ではなく、低年齢層の読者にはそぐわない部分を削った抄訳だったのだとか。そして、20年以上経ったこの2004年、ついに完訳版が出版されることになったそうです、それがこれ。
すみ 著者は大人向けに書いていたんだよね。ちなみに、正式名称は知らないけど、私たちはこういう先史時代を舞台にした小説を「始祖もの」と呼んでいるんですが、このあとも、スー・ハリソンの<アリューシャン黙示録>のシリーズ、 ピータ−・ディッキンソンの「血族の物語」上巻下巻といった、魅力あふれる始祖ものが邦訳出版され、私たち的には、ちょっとエイラのシリーズは忘れかけていたような状態だったんだけどね。
にえ あらためて完訳で読んでみて、この小説の凄さがわかった気がするよね。あとから出たものとゴッチャになっていたけど、<アリューシャン黙示録>や「血族の物語」より、このエイラのシリーズの前に書かれた、H・G・ウェルズの「気味のわるい奴ら」やウィリアム・ゴールディングの「後継者たち」のほうが、 発想としては近いのかもしれない。
すみ 私たちの祖先である人類が生まれる前、ネアンデルタール人という、同じホモ・サピエンスでありながら、別種の動物がいて、私たち新人類が繁栄していく過程で、ネアンデルタール人は滅びていった。この2つの種類の人類は一時期、地球上で共存しているのよね。で、「気味のわるい奴ら」も「後継者たち」も視点は真逆だけど、新人類とネアンデルタール人を対立的な存在として描いたもの、このエイラのシリーズは、そういう発想のその発展形とでもいえばいいのかな?
にえ そうなんだよね、驚いたことに、ネアンデルタール人は滅び、私たち人類は残った、と思っていたら、じつは私たち人類のなかに、ネアンデルタール人は遺伝子を残していた可能性が高い、つまり、新人類とネアンデルタール人のハーフが生まれ、そのハーフが新人類と結婚してクォーターになり・・・と、そういうかたちで、いまだ人類のなかにネアンデルタール人の血は受け継がれているかもしれないっていうのよ。
すみ そのへんがもとになって、このエイラのシリーズという小説が生まれているのよね。それにしても、舞台は紀元前3万年から3万5千年前頃、それをまあ、よくここまでありありと書ききったよね。
にえ 気候や自然現象などの風土はもちろん、植物、動物、ネアンデルタール人の風習、宗教、衣食住の生活などなど、それに新人類とネアンデルタール人との関係など、もちろん想像で補ったところも多いのだろうけど、それにしても、よほど大量の資料を調べて、自分のなかで消化できていなくては、こういうものは書けなかっただろうね。
すみ ホントに今回読んでみて、そういうところの凄さに圧倒されたというか、驚いたよ。こんなに凄い小説だったのか〜って。
にえ あとさあ、「大地の子エイラ」で読んだときには、ちょっと内容がグロすぎるような気がしたんだけど、この完訳版で読んだら、そんなことなかった。想像もつかないような大昔のネアンデルタール人の思考や生活がスンナリと入ってきて、なるほど、こういうものだったのかと。
すみ そうだね、スルッと自然に受け入れられたよね。正直なところ、読んだのが前すぎて「大地の子エイラ」とどう違うのかはよくわからないから、自分が変わったのか、完訳版だからなのかはわからないけど。
にえ さてさて、ストーリーなんですが、私たちの祖先である人類の方のエイラは、まだ5歳の少女で、家族と幸せに暮らしていたんだけど、ちょっと住んでいた小屋から近場に遊びに出たのね、そこに突然の大地震。家族の暮らす小屋は潰れ、エイラは独りぼっちに。
すみ 食べるものもなく、ふらふらとさまよい歩いているところを、ケーブ・ライオンに襲われ、大怪我までしちゃうんだよね。
にえ そこに通りかかったのが、ネアンデルタール人の一族。この一族もまた、大地震で住んでいた洞窟が潰れて、幾人かを失い、新しい住処を求めて移動していたところなの。
すみ 26人が20人になっちゃったのよね。もともとネアンデルタール人はそう大人数で集落を作るものでもなく、このくらいの人数で暮らしているみたい。
にえ でもさあ、横のつながりがあるんだよね。こういう一族がたくさん集まってやる部族会議があったり、部族間での結婚があったり。
すみ 個人それぞれがトーテムを持っているんだけど、一族のトーテムっていうのもあって、この一族のトーテムはケープ・ベアなの。
にえ トーテムは動物で、その人を守ってくれるだけでなく、その人の性格にもつながるし、強さにも繋がっていくのよね。ネアンデルタール人は男尊女卑がハッキリとしているから、女は男より弱いトーテムを持っていないと、幸せにはなれないみたい。
すみ エイラを見つけて、自分の子供のように育ててくれるのが、この一族の薬師であるイーザなんだよね。ちなみに、私たちがネアンデルタール人というと、どうしても人間からはほど遠い、サル系の動物に近いものを想像してしまうけど、じつはもっと感情的なものとかが人間に近かったらしいのね。
にえ イーザは夫を亡くしたばかりで妊娠中、この一族の族長ブルンと、宗教的なものを司るモグールであるクレブは、どっちもイーザの兄なの。
すみ とりあえず、助けられたはいいけど、あまりにも見かけが違うから醜いと言われ、やることなすこと、というより、脳そのものが似ているようでまったく違う人類のなかで育てられることになるエイラ、さてどうなるでしょう。ということで、 次々にいろんなことが起きて、ハラハラドキドキの繰り返しなんだけど、エイラとネアンデルタール人が小さなところ、大きなところですれ違いを起こすことによって、この2つの人類の違いがくっきりとしてくるよね。
にえ 滅びいく種と、これから繁栄していく種、でも、滅びゆく人類たち大勢の中で、たった一人のエイラ・・・う〜、なんて上手い設定なんでしょ。これでおもしろくないわけないでしょ〜。ということで、初めての方も、そうでない方も、オススメですっ。あ、ちなみにジーン・アウルは書き始めから六部作ものにすると決めていたそうで、 今回、ようやく全6作を読めそうです。前は4作までで終わっていたからね。とりあえず1話ごと完結で、ためしにこれだけ読んでみるってのもぜんぜんOK。