すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「血族の物語」 下  ピーター・ディッキンソン (イギリス)  <ポプラ社 単行本> 【Amazon】
よきところを求め、旅を続ける<血族>たちの前に、底なしの湿原が広がった。湿原を進む以外に、先へ進む道はなさそうだが、 とてもではないが、越えられるものではなかった。夢見がちな少年に育ったコーは、湿原のなかに道を見つけ、皆を導いて進んで いく自分の姿を想像した。なんとか夢を現実にしようとがんばるコーの前に、自分たちとはまったく違う様子をした、言葉を持たない 湿原人たちが現れた。  上巻のご紹介はこちら
にえ ようやく下巻も読んで、私たちのなかでぶじに「血族の物語」が完結しました。
すみ 良かったよね〜。最初から最後まで、そして隅々まで本当に良かった。今まで読んだディッキンソンの 翻訳本のなかでも、傑作中の傑作といえるよね。
にえ 小学校高学年生、中学生が読んでも困らずに楽しめるし、大人が読んでも大人向けの小説と比べてまったく遜色なく 楽しめるんじゃないかな。
すみ 上巻では、ほとんどストーリーの紹介というものをしてなかったんだけど、これについてはまず、血族について 話さないとね。
にえ 舞台は二十万年前のアフリカ、そこには8つの血族といわれる部族が、それぞれ集団で暮らしているの。
すみ 血族は、月のタカ族、アリの母族、小さなコウモリ族、太ったブタ族、ハタオリドリ族などなどといるんだけど、これは それぞれの先祖というか、守り神というか、それに由来しているの。
にえ その神話というのが、<黒レイヨウ>がリーダー格の神たちの物語なんだよね。サルもその仲間だったんだけど、 いろいろあって、とりあえず人間界では<サル>は別扱いになってます。
すみ で、どの血族はどの血族の者とは結婚してもいいが、あの血族の者とは結婚しちゃいけないとか、 そういう決まり事があるのよね。
にえ それぞれ生活形態の特徴も違うの。そうやって違っていながらも、たがいに礼節を保って、きちんと暮らしているのよ。
すみ で、この「血族の物語」は大まかに言えば4つの章に分かれてて、それぞれの章に一人ずつ主人公が いるんだけど、その4人がいるのが月のタカ族。月のタカ族は旅をする部族なのよね。
にえ 旅をしながらも、他の部族たちに贈り物をおくったり、婚姻関係を持ったりしながら、ちゃんと暮らしていたんだけど、 あるとき、まったく知らない奴らが襲ってきて、仲間の多くが殺され、いろいろあって数人の子供たちだけが別行動を強いられることになったりするの。
すみ 旅には変わりないけれど、これまでの秩序正しい旅とはまったく違う旅になるのよね。
にえ その旅で、さまざまな苦難に逢い、これまで知らなかった違う種類の人間たちに出会い、子供たちは 成長していくという物語なんだけど。
すみ そこはピーター・ディッキンソンだからね、子供たちは逞しく成長しました、よかった、よかった、 なんて単純なものじゃないよ。
にえ 異人種、異文化との出会いも、まさに未知との遭遇。衝撃的だった。それがあらためて、人間ってなんだろうと 考えるきっかけとなっていくんだけど。
すみ <月のタカ>のお告げという、ファンタジー要素も加わるしね。<月のタカ>は一族のために 未来を予言したり、答えを出すヒントを与えてくれたり、さまざまな力になってくれるの。
にえ 本筋とは別に挿入された神話がまた良かったよね。よくまあ、こんな何代にも渡って語り継がれ、 ようやく出来上がったようなお話を、一人の人が作り上げられたものだと感心しちゃう。
すみ 私はこれを読んでてあらためて思ったんだけど、ディッキンソンの書く女の子は、ホントにみんな かっこいいよね。
にえ そうそう、ハリウッド映画みたいに男に張り合って殴ったり蹴ったりするとか、たんに知力で上回るとか、 そういう小競り合い的な低いレベルの話ではなく、もっと高いレベルでかっこいい。
すみ そうなの。人としてどう生きるべきかを苦悩し、迷いながらキッチリと逃げずに進んでいくから、 本当の意味で男からも女からも尊敬される人になっていくの。人が人として貴いのは、決して他の人より優れているとか、そういうことではないし、 そういうことを目指してちゃいけないんだなと考えさせられちゃう。
にえ 食べるものも違うし、生活もなにもかもが違うのに、なぜかディッキンソンの描く、二十万年前のアフリカは遠くなかったよね。
すみ うん、そうだね。私も一緒に旅をして、いろいろ学んだよ。感動さめやらず〜。少しでも興味を持った方は、ぜひぜひっ。