プロフィール

メンバー

年譜・主な公演

天野流と天鼓会

楽曲紹介

打奏者心得

 故須藤会長と天野先生との出会い

 前会長は、お祭り愛好会長・聖天山お開扉実行委員長・(昭和53年から)付け祭り実行委員長・めぬま祭り実行部会長を努め、初代工業会長・消防15年・PTA会長も歴任した。当時は町のお祭り男であった。

その前会長が昭和59年、太鼓創りが暗中模索の時、ラジオで聞いた天野先生を訪ね、山梨県甲府市の音楽事務所に向かった。この時、事務所は新築中で階段のコンクリートが固まっておらず、前会長が誤って踏み外した時しっかりと足跡を残してしまった。

そのうえ、「お金はあんまり無いんだけど、15分位の曲をパパーと創って貰えないですかね・・・・・」などと無礼千万であった。しかし、是が非でも太鼓を創りたい信念と情熱、それに太った風体に似合わぬ優しい目の、温厚で純粋で気さくな人柄に、天野先生はOKしてしまった。今だに語り草の恐ろしい出会いであった。

天野先生の教え

天野会は全国に一万数千人の門弟がおり、近年欧州を中心とした海外公演活動で絶賛の喝采を浴び、海外にも大勢のファンが増えている。

天野会のチームで、関東では地元山梨県と妻沼町、長野県池田町だけである。関東以北は、古くから数々の伝統太鼓があるため、それを尊重しこの領域に足を踏み入れないとの事である。関西には、広島の上野学園チームをはじめとして、素晴らしいチームがたくさんある。

その中で我々天鼓会も、先生の教訓を基本としている。その一つとして、礼儀礼節を重んじ、挨拶と他人に対しての気遣い、気配りを励行すること。大きな声で自分から先に挨拶し、人に優しく、決して威張らず仲間に対しても常に気配りを怠らない。

 また、太鼓は自分自身の鏡であり、いい太鼓を打つなら自分自身を磨く。決していやらしい太鼓打ちにならない。少し太鼓が打てるだけで、すぐに天狗になったり傲漫な態度をとったりしない。そして、常に稽古で自分をいじめ、追い込む事を心掛け自分を磨くこと。
(なかなか難しいが・・・)

                   妻沼太鼓天鼓会会長       
                     天野会公認チームリーダー  飛田 高男