グリーンレクイエム 11






 ・・・・・・幽霊屋敷。


 そう呼ばれるにふさわしい壊れ、朽ちた屋敷への道のりは思っていたよりも少し遠く、そして、店の男の簡単な地図でたどり着けるほど、簡単な場所にあった。
 男が言ったように周辺に民家はなく、他に建物らしきものは見当たらない。わずかに山の端に残る赤い残照が照らし出す屋敷に、人が住んでいた頃の華やかさは微塵も残っていなかった。
 屋根は三分の二を残して落ち、壊れた窓から中を覗けば暗闇が広がっている。持っていた懐中電灯で照らしてみると床も聞いていた通りで、とても歩ける状態ではなかった。
 それに財産を使い込んだ上、多額の借金をして離散したとしたら、屋敷内にあまりものは残っていなかっただろう。その証拠に周囲を散策しながら、窓や壊れた壁の隙間などからのぞいた部屋のどこにも、床があるばかりで畳がなかった。

 「鵠さんが一度、調べてるらしいし…。中に入るのは、やめといた方が無難かな」

 そう言った久保田の息は、今は特に乱れはなく落ち着いている。
 しかし、ここに到着した時は、らしくなく肩で息をしていた。それは少しでも明るい内に、ここにたどり着くために、結局、走ったからである。
 そして、こうして走る段階になって初めて、今日ではなく明日でも良かったのに…と当たり前の事に気づいた。けれど、後悔はしなかった。
 それほどまでに、なぜか気が急いていた。
 蔵を調べる前に、一度、屋敷の全容を見て置きたかった。それでわかった事は、文字通り幽霊屋敷だという事だけだったが、用があるのは蔵だけだと改めて認識した。
 確かに屋敷は大きいが、時任の着ている着物や痩せ細った身体を思い出すとそう感じる。名前の無かった時任と、この屋敷…、そして蔵の関係は未だわからないが、この話を聞いた誰の脳裏にも、あまり良い想像は浮かばないはずだ。
 それは久保田も同じで、屋敷の裏側の奥に建てられた蔵を懐中電灯で照らし出した瞬間、眉間に無意識に皺が寄る。蔵の正面には店の男が言っていた黒い鉄の扉があり、そこには大きな錠前がかけられていた。
 
 「・・・・何も無い、ね」

 久保田の手には、蔵の鍵。
 それを渡した鵠は屋敷同様、蔵の中にも何もなかったと言っていた。
 しかし、久保田は懐中電灯で照らし周囲を確認した後、裏で日が当たらないせいか苔が生え、少し抜かるんだ地面を踏み蔵に近づく。だが、壁土が所々剥がれ落ちてはいるものの、蔵は朽ちかけた屋敷と違って扉を開けなければ中を見る事は出来なかった。
 剥がれ落ちたのは外面だけで、今も竹の骨組みがしっかりと壁を支えている。
 それを確認した久保田は正面に立つ前に側面に回り、壁に明かりを当てた。
 すると、上の方に一つだけ小さな窓があるのが見える。それを見つけた久保田は特に驚いた様子もなく、今度は視線を上の窓から下へと向けた。
 
 「ハシゴ…、あるような気がしたけど、ホントにあった」

 出入り出来そうな場所は、二つだけ。
 しかも、一方には鍵が、もう一方にはハシゴが必要だ。
 久保田は手の中の鍵を握りしめながら、ハシゴの状態を確認したが、長く風雨にされされ放置されていたせいか使い物にならない。いつ、誰が何の目的で、この場所にハシゴを置いたのかわからないが、長さだけを見ると窓の位置にピッタリとくる長さだった。
 鍵とハシゴと…、蔵。
 その三つをパズルのように頭の中で組み合わせると、暗闇しか出来ない。
 パンドラの中の暗闇の底には、一体、何が眠っているのか…、
 何も無い空間か、深い絶望の暗闇か、それとも光差す希望か…、
 それを確かめるために、久保田は改めて蔵の正面に回り黒い鉄の扉の前に立つ。そして、右手で鍵を持ち、左手で錠前を抑え鍵を入れやすく固定した。
 
 ・・・・・・ガチ。

 ゆっくりと鍵を差し込み、力を入れて回すと錆びているせいか一度では回らない。しかし、もう一度、力を込めて回すと上手くいき、今度は無事に音を立てて鍵が外れた。
 それは扉の方も同じで片手では開かないが、両手を使い力を込めれば扉が動き開く。だが、中に入って閉めるのはやめた方か良いだろう。
 そう判断した久保田は扉を開けたまま、中に一歩だけ足を踏み入れた。
 
 ミシリ・・・、ミシ、ミシ・・・。

 ホコリの溜まった白い床を踏むと軋み、その音は蔵の中でやけに大きく響く。上の方にある窓からの光も夜は届かないらしく、蔵の中は思っていた以上に暗かった。
 懐中電灯で照らすと、空気中を舞うホコリが目につく。蔵の中はホコリとカビのせいなのか独特の匂いがして、内を満たす冷たく湿り気を帯びた空気に、久保田はわずかに肩を震わせた。
 どうせなら、マスクも欲しかったなと思ったが、今更、夜道を歩いて店まで引き返す気にはならない。それに焦る気持ちと一緒に心のどこかで、ここを訪れるのは夜でなければならない気がしていた。
 パンドラの箱を開けるなら、暗闇の中で…。
 それは希望と絶望と、どちらを予測しての行動なのかは、無意識に思考を切り止めている久保田にもわかっていない。
 白く舞うホコリの中、久保田は懐中電灯で大きな梁のある天井を照らし出し、ゆっくりと時間をかけて周囲を見回す。すると、箪笥や本棚が置かれているのが目に入った。
 しかし、その他には何も無く、中はホコリが舞うばかりで閑散としている。
 それをしばらく眺めた後、久保田は懐中電灯を床へと向けた。
 すると、そこには形も大きさも違う白い物が、散らばっているのが見えた。
 けれど、それを見ても久保田の表情は動かない。
 同じように懐中電灯を握りしめた手も、白い物を捕えたまま動かない。
 まるで時を止めたように、しばらくの間、久保田は動かないままでいたが…、
 もしかしたら動かないのではなく…、動けなかったのかもしれない。
 どれくらい時がたったのか、懐中電灯の光の輪の中にある物を見ながら、久保田の唇は確かに時任の名を刻んだ。

 ・・・・・・・ときとう。

 けれど、確かに呼んだはずなのに、その名は声にはならなかった。
 手から滑り落ちた袋が、カツンと大きな音を立て…、
 たが、しかし…、その拍子に懐中電灯の光の輪が動き、端に入ったものを視界に捕えると、久保田は瞬きを数回した後、細く長く息を吐いた。

 「・・・見間違えるなんて、どうかしてる」

 床に散らばる物…、それは確かに骨だった。
 けれど、光の輪の端に入った頭蓋と思わせる骨は大きさも形も、どう見ても人間のものではない。それに良く見れば散らばっている骨も小さく犬か猫か何か、そんな類のもののように思えた。
 壁は頑丈に出来ているが、床は所々落ちている様子だから、下の通気部分からでも潜り込んだまま出られなくなるかどうかしたのだろう。久保田は散らばる骨を踏まないよう注意しながら、蔵の中央へと足を進めた。
 それから、背後にある和箪笥へと近づき、引き出しを順番に開けて中を調べ、次に近くにある本棚を確認する。しかし、やはり箪笥も本棚も空で、鵠が言っていた通り何も見つからなかった。
 ・・・・・・・無駄足。
 これ以上、蔵を探した所で何も見つかるとは思えない。
 屋敷も同じとなれば、夜も更けてくるし、駅へと引き返した方がいいだろう。
 たが、久保田は箪笥のある位置を確認すると、その前から何かを測るようにゆっくりと数歩だけ歩き、目の前にある何も無い空間を、壁を見た。
 それから、次に見ていた壁に突き当たるまで歩くと、じっと足元を見てから、今度は振り返り箪笥を見る。すると、見つめる先にある光景が、いつも見ている鏡の中の光景とピッタリと重なった。
 違うのは窓から入る日差しがないことと、箪笥が古び、床が朽ちて落ちいてること。そして、いつも久保田の名を呼び微笑む少年の…、時任の姿がないこと…。
 それは鏡に映るものを見る事ができない鵠には、わからない事だった。

 「ココが鏡に映ってるワケじゃなさそうだけど…、きっと…」

 目の前の光景を見つめながら、久保田はそう小さく呟く。
 そして、壁まで歩いた時と同じように、じっと自分の足元を見つめた。
 今、久保田が立っている場所は、光景が同じことからもわかるように、おそらく鏡のある場所…。その場所に立った瞬間、足元の床に違和感を感じた。
 見た目はホコリが積もり、古く、他と変わらないように見えるが…、床を踏みしめた時の音が違う。ミシリと鳴った音の反響が、他よりも浅い…。
 床の底へと響かず、浅い位置から反響したように聞こえた。
 久保田は立ち位置を変え、反響の浅かった床の前に屈み込む。
 そして、懐中電灯で照らしながら、拳で浅い床とそうでない床を軽く叩いた。
 
 コンコンコン・・・、コン、コン、コン…。

 やはり…、反響の違いで少しずれがある。
 それを確認すると、久保田は床板と床板の継ぎ目を調べた。
 すると、心なしか浅い床の方のホコリの積もり方が薄い気がした。
 ホコリが薄く音の浅い床は、壁から二枚分だけ。
 しかも、その二枚は釘で打ち付けられてはいなかった。
 久保田はその細長い床板の継ぎ目の端まで移動すると、懐中電灯を逆に持ち変える。そして、釘で打ち付けられていない一番端の部分を、懐中電灯の柄で強く叩いた。
 すると、その反動で反対側の床板の端が浮き上がる。
 二枚目も同じようにして浮き上がらせると、今度は逆の端に移動した。

 パキパキ・・・・、ギシリ・・・・。

 懐中電灯を足元に置き、浮き上がった部分に手をかけ、二枚の床板をはがす。それから、置いた懐中電灯を拾い上げ、ゆっくりと床板をはがした部分を照らし出すと…、そこには一冊の本の様なものが見えた。
 本は床の下、その梁と梁の間に明るい色の新しい板を下から釘で打ち付け、その上に同じよう打ち付けられた木箱の中にある。誰が一体何のために、こんな事をしたのかはわからないが、木箱の位置が鏡と同じ位置である事に隠した人物の意思を感じた。
 鏡の中を見る事のある人間なら、一度は立つだろう…、その場所…。
 きっと隠した人物は鏡の中を…、時任を知っている…。
 同じ場所に立った久保田には、そんな確信があった。
 
 そして、自分を見てくれた人間を忘れないと言っていた時任も…、きっと…。

 久保田は木箱に近づき、その中にあるものを手に取ると服が汚れるのも気にせず、箪笥の前に座り込み手にしたものを見つめる。一見、本に見えるが白い表紙にも裏にも背表紙にも何も書かれていないそれは、薄汚れていて中の紙も端が茶色く変色していた。
 けれど、中身は虫に喰われることもなく、書かれている文字も読める。
 久保田は一度、空気を通すように初めから最後までのパラパラとめくった後、それを胡坐をかいた膝の上に置き、左手に持ちかえた懐中電灯で照らしながら、右手でゆっくりとページをめくり読み始めた。
 そして、暗闇の中で一人、ゆっくりとゆっくりとページをめくり…、
 書かれている文字を目で追い、終電を過ぎるのも忘れ…、
 泊まる場所が無いのも忘れ…、ただ一人だけを…、

 あの部屋で鏡の中で自分を持つ人だけを…、時任だけを想い読み続けた。

 それから、一体、どれだけ時が過ぎたのか…、
 やがて、最後のページまでたどりつくと、久保田はかけていた眼鏡を外して床に置き、右手で眉間を軽く揉む。そうしながら、視線は未だ膝の上にあるものに向けられていたが、瞳の焦点は違う何かを見つめるように合ってはいなかった。
 
 「もしも、あの日、雨が降らなかったら…」

 ぽつりと口から漏れた呟きは、まるで降り始めの雨のようで…。ぽつりぽつりと胸の奥からあふれ出しそうになる何かが、自分の胸の奥を満たしていくのを感じた。
 開いてしまった蔵、パンドラの箱…。
 その中に入っていたものが何なのか、最初から最後まで読みながらも、今の久保田にはわからない。けれど、それでも鏡の中に…、この蔵を映したような場所に居る時任との時間が永遠ではないことを改めて感じた。
 初めからわかっていたことなのに、今更のように感じて…、
 外から響き、耳を打ち始めた音に、あの日を思い出していた。
 何もかもを焼き尽くそうとするかのように照り付けていた日差しが、突如として黒い雲に覆われた午後。焼けたアスファルトに点々と、大粒の雨が模様を描くのを見て、すぐ近くにあった店に向かって歩き出した日のことを…。

 「俺は・・・・・・」

 そこから先に続く言葉は無く、急に降り始めた雨の音だけが響き渡る。
 その雨は一晩中降り続き、一人、蔵の中でパンドラの箱から出てきたものを見つめる久保田の耳を打ち続けた。

                                                                           2011.3.22 
                                                                        
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