グリーンレクイエム 10






 カタン、カタン、コトンコトン・・・、カタン、カタタン・・・・・。


 流れる田園風景、一定のリズムを刻んで揺れる列車の窓から差し込む日差しは、すでに夕暮れ時のオレンジ色。それは今が出かけるよりも、帰るにふさわしい時間帯である事を示していた。
 けれど、久保田はこの列車に乗っている。
 もちろん、乗っている理由はバイトに行くためではない。
 クリーニング店のバイトは定休日で休みで、皿洗いは電話して休む事を伝えた。すると、彼女とデートかとひやかされたが、もしそうなら楽しいでしょうね…と当たり障りのない適当な返事をして切った。
 それは本当にただの適当な返事だったが、こうしてのどかな田園風景を眺めていると…、もしも時任と一緒だったらとあり得ない想像が脳裏を過る。
 あり得ないが、この風景を眺めて笑う時任の顔は簡単に想像できた。
 その笑顔は夕暮れ時のオレンジ色のように、とても綺麗で眩しい。もしも、そんなオレンジ色の笑顔だけを連れて、二人で列車に乗ってどこかへ行けたらと、あり得ないとわかっていながら思い…、脳裏に想い描いたオレンジ色に目を細めた。
 二人で列車に乗って、どこか遠くへ…。
 それはのどかな田園風景を眺めているせいか、まるでおとぎ話のように思えた。

 「二人で列車に乗ってどこまでもって、そういう話があったような気がしたけど…」

 思い出しかけた遠い記憶の中にある本…、それは童話だったか何だったか…。
 過去は忘れている訳でも、思い出せない訳でもなかったが、いつもどこかぼんやりとしていて不鮮明だった。
 そんな記憶の中から一冊の本を取り出すのを、早々にやめてしまった久保田は、着ている黒いコートのポケットから本ではなく手帳を出す。それにはこれから行く先の住所が書かれ、同じポケットには鍵も入っている。
 けれど、その鍵を使い蔵を開けても、そこから出てくるものが希望とは限らなかった。何も出て来ないかもしれないし、災いだけが出てきて、パンドラの箱のように底にもどこにも希望なんて残らないのかもしれない…。
 久保田は手帳を開いて住所を眺めた後、右手の人差し指で窓をコツリと軽く叩く。そうしながら、流れる景色を眺めていると、時任の笑顔ばかりが脳裏に浮かんだ。
 窓の向こうの景色と、鏡の向こうの笑顔…。
 それは異なるようで、とても似ている。
 伸ばした指先は、コツリコツリと境界を叩くばかりで届かない。
 その境界は物理的なもののはずなのに、まるで現実と夢の境界のようだった。
 現実と夢…、おとぎ話…。
 微笑みも笑顔も、自分を真っ直ぐ見つめる瞳も自分を呼ぶ声も、どこか現実味を欠いている。ちゃんと鏡に映るという目の前にある現実を認識しているはずなのに、初めて鏡に映る時任を見た時よりも、なぜか今の方がその認識が揺らいでいた。

 「・・・・・もしかしたら、ホントに夢」

 そう呟いた瞬間、ブレーキ音が響き列車の速度が徐々に落ちていく。
 この列車に乗ってから、今は何個目の駅なのか忘れてしまったが、車内のアナウンスが目的の駅に着いたことを知らせた。
 久保田は窓から触れていた指先を引くと、座っていた席から立ち上がる。そして、やがて完全に止まった列車から、小さな駅のホームへと降り立った。
 そんな久保田の背中や横顔に同じ駅で降りた二人の視線が突き刺さったが、それに視線を向けることも無く改札を出て歩き出す。すると、近くを通りかかった人々の視線が、また横顔や背中に突き刺さった。
 おそらく、明らかに地元の人間ではない上に、荷物も持たない久保田が珍しく見えるのだろう。誰だろう、どこに行くのだろうと道行く人々とすれ違うたびに、そんな視線を向けられたが、久保田は気にした様子もなく、手帳の住所の場所へ行く道を尋ねる目的で、駅の近くで見つけた小さな商店へ足を踏み入れた。
 「あの、すいません」
 「はい、いらっしゃい」
 「レジお願いします。それと…、この手帳に書いてある住所に行きたいんですけど、どう行けばいいか教えてもらえませんか?」
 「手帳?」
 「コレ…、なんですけど」
 店内に置かれていた菓子パンと缶ジュースを適当に選び、レジに置きながら、久保田がそう尋ねる。すると、40代半ばくらいの男が右手で髭の伸びた顎を撫でながら、差し出した手帳を覗き込むように見た。
 しかし、ここは…と小さく呟いたきり首をかしげる。
 だが、しばらくすると思い出したように、あぁっと声を上げた。
 「幽霊屋敷!」
 「ゆうれい、やしき?」
 「ここの住所らヘンにあるのは、それくらいしかないんですよ。もしかして、この住所間違ってませんかね? あるのは幽霊屋敷みたいな、お屋敷の廃墟くらいですよ」
 「・・・その廃墟に蔵ってあります?」
 「昔、子供のころに良く探検した時に…、確かあったね。鉄の扉で大きな錠前かかってて、中には入ったことはないんだが」
 「そんな昔から、廃墟だったんですか?」
 「いつ頃からかハッキリは知らないけど、ウチの婆さんの子供の頃は、まだ人が住んでたって話だ。それがここらヘンじゃ古くから名の知れた大地主で、そこの何代目かが愛人に貢ぐわ豪遊するわで、あっという間に身代喰い潰して一家は離散、屋敷は廃墟って具合らしいね」
 「・・・・・・・・」
 「たまにいるんだが、もしかして、アンタも幽霊とか廃墟に興味あって見てみたいとか、写真撮るとか? それで、こんな時間に?」
 「いんや、そうじゃないんですけど・・・・、わかるなら地図書いてもらえます?」
 
 ・・・・・・幽霊屋敷。

 手帳に書かれた場所にある屋敷は、ここら辺りではそう呼ばれているらしい。けれど、子供の頃に探検…という話から、屋敷に入っても鏡のように死ぬとか呪われるとか、そんな出来事はない様子だった。
 怪談話の類はあるだろうが、実際に死人が出ていなければ、探検好きの子供達の恰好の遊び場になる事もあるだろう。それに、そんな話があれば、こんなに簡単に地図を書いてくれたりしないに違いない。
 住所の書いてあるページの前のページに書いてもらった地図は、本当に着けるのかどうかと思われるほど簡潔だったが、店の男は迷う場所も無いし、これを見れば行けると胸を張り、次に店に置かれていた懐中電灯をレジ台の上に置いた。
 「けど、ホントに廃墟があるだけで何も無いよ」
 「それでも行きたいんで…って、この懐中電灯は?」
 「幽霊屋敷探検には必要だし、オジサンは商売上手だ」
 「なるほど、確かに商売上手」
 「はははっ、まいどあり。あぁ、床とか腐って落ちてるだろうから、気を付けてな」
 「・・・・ありがとうございます。この地図見て行ってみます」
 菓子パンと缶ジュースと勧められた懐中電灯の代金を払い、礼を言って店を出る。
 すると、店に入る前よりも、足元の影が長く長く伸びていた。今、居る場所のように山に囲まれた地域だと、日は山の端に向かって傾き始めると、暮れ始めると早い。
 久保田は買った品物が入った小さな白いビニール袋だけを手に、貰った地図を頼りに少し急ぐように足を速めながら歩き出した。
 
                                                                           2011.3.14 
                                                                        
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