「久保ちゃんっ!」
 時任は藤原と一緒に窓から外を眺めていたが、久保田が犯人を取り押さえているのを見て窓から外へと飛び出した。
 「湯冷めするから中に入ってなさい」
 「イヤだっ」
 「風邪引いても知らないよ?」
 「久保ちゃんだって、そーじゃん」
 「俺は平気だから」
 「平気じゃねぇってのっ」
 取り押さえられている男は、久保田に腕をひねり上げられて動けない状態になっている。
 初めはじたばたしていたようだが、今は静かになっていた。
 「不法侵入しちゃってるんだから、観念しなね?」
 久保田が侵入者にそう言うと、男はううっと唸った。
 「お、俺はそんなつもりじゃ…」
 言い訳がましいことを言っている。
 そんな男の頭を、時任がバシッと叩いた。
 「ったくっ、男だろ? しゃきっとしろよっ、しゃきっと!!」
 時任がそう言うと、男はハッとしたように時任の顔を見た。
 けれど、時任はその男の顔に見覚えはない。
 「なんだよ?」
 ケンカでも売られるかと思って、時任が男を睨みつける。
 けれど、その睨みも男には効いていないようだった。
 「藤原。ホントにこいつに見覚えないの?」
 久保田が男を指差してそう言ったが、藤原は無言で首を横に振った。
 「知りません。初対面です」
 藤原は室内の明かりに照らされた男の顔をしっかりと見ているので、見覚えがないというならそうなのだろう。本当に全然知らないようである。
 男の年齢は二十五くらい。
 それなりにがっちりとした体格だが、簡単に久保田に取り押さえられたところをみると、特にスポーツをしているわけではないらしい。見かけ倒しというやつである。
 藤原も時任も、そして久保田もこの男のことを知らない。
 そうすると、この見ず知らずの男をどうするかという問題になってくるのだった。
 「警察にでも連れてく?」
 久保田がそう提案すると、時任はうんうんとうなづいた。
 「それがいいかもな。コワーイ警察のおっちゃんの話し聞けば、二度とこんなことやらねぇだろうし」
 「そうそう、警察のオジサンの話はためになるしねぇ」
 少しもためになると思っていない口調で久保田がそう言う。
 マジメに話しているように聞こえるが、実は時任の口元も、久保田の口元も笑っていた。
 つまり二人して、男のことをからかっていたのである。
 しかし男は、その話を真に受けて顔色が悪くなった。
 「まっ、ま、待ってくれっ! 警察だけは許してくれっ!!」
 警察に行けば前科がつく。
 男が慌てるのも無理のないことだった。
 「行きたくないならさ。まず名前名乗ろうよ?」
 「偽名なんか言いやがったら、ぶっ殺すっ!」
 二人の視線を受けて、男はしぶしぶと、
 「名前は、寺田…。」
と、自分の名前を名乗った。
 けれど、名前もやはり聞き覚えがない。
 見かけはストーカーには見えないのだが、やはり外見だけでは判断はできなかった。
 「藤原の後をずっとつけてたのはアンタだよね?」
 「さっさと吐けよっ! くしゅんっ!」
 「ほら、くしゃみしてんだから中に入りなさいって」
 「う〜…」
 くしゃみまでしているのだが、やはり時任は室内に入ろうとしない。
 久保田は小さくため息をつきつつ、男への尋問を続けた。
 「まず、住所と職業聞かせてもらおうかなぁ?」
 「・・・・・・」
 「うーん、そうねぇ。職業はガッコの先生なんてのはどう? そんで、ここら辺の近所に住んでるってカンジで」
 「ど、どうしてそれを…」
 「あれ、当たっちゃった?」
 久保田の引っかけに引っかかって、寺田の顔が引きつる。そんな寺田の顔を見ている久保田は薄く笑みを浮かべていた。
 「なんでこんなことしたのか知らないケド、素直に認めた方がいいんじゃないかなぁ。そうしないと罪が重くなるよ、寺田サン」
 遠まわしに言っているが、つまり、警察に突き出すのは簡単だし、自分達の証言によってどうにでもなるということを暗に言っているのだった。このセリフを聞いてそれを悟ったのか、寺田の目が怯えたような色になる。
 がっくりと身体から力を抜いた寺田を、久保田は開放した。
 もう逃げないと判断したからだった。
 「藤原をストーカーするなんて物好きなコト、なんでやったんだよ?」
 時任がそう寺田に尋ねたが、寺田は時任の顔を一度見た後、顔をゆがめて俯いた。
 なぜかはわからないが、少し様子が変である。
 けれど時任は、寺田のことより藤原のことが気にかかっていた。いつもなら、さっきの発言に食ってかかってくるはずなのだが、藤原は黙ったままこの様子を見ていた。
 そういえば、さっきから異様に無口である。
 「具合でも悪いのかよ?」
 そう時任が藤原に尋ねたが、
 「いえ…」
と、短く答えただけで、藤原は再び沈黙してしまう。
 時任は首をかしげてから、視線を寺田へと戻した。
 寺田は俯いている顔を少し上げ、藤原の顔を見ている。
 それから再び視線を地面に落し、ゆっくりと首を横に振りつつ、
 「俺はストーカーなんかしてない」
と、はっきりと言い切った。
 この期に及んでウソをつくのかと、寺田に殴りかかろうとした時任を久保田が片手で止める。時任はムッとした顔になった。
 「久保ちゃんっ」
 「いいから、待ちなさいって」
 久保田がそう言っているのに、強引に行くことはできない。
 時任は納得いかない表情で拳を引いた。
 「してないなら、弁解してみたらどう? このままじゃ、誤解したままになるんだけど?」
 「・・・・・俺は」
 「俺は?」
 「…図書館で借りた本に大切なモノ挟んだまま、本を返却しちまったんだ。すぐに取りにいったんだが、それはすでに借りられてて」
 「つまり、それを借りたのが藤原ってワケね」
 「そうなんだっ。それで早くそれを取り返そうと思ったんだが、話しかけるタイミングがなかなかつかめなくてな、それで…」
 ようするに、寺田は藤原をストーカーしてたんじゃなくて、本に挟んでいるモノを返してほしくて周囲をウロウロしていたらしい。近所だから藤原のことがわかったのかどうかは知らないが、ストーカーに間違われるくらいウロウロするとは迷惑な男である。
 「なので、その…、ちょっと思いあやまってしまって、つい庭に…」
 もごもごそう言う寺田に、時任はあきれたような視線を向けた。
 「んなもんっ、返してくれって一言いえば済むことじゃんっ。バッカみてぇ!」
 「…面目ない」
 時任にそう言われて、寺田は真っ赤になった。
 これで一件落着という感じになり、寺田が借りたという本を藤原が自分の部屋に取りに行く。するとなぜか、久保田もそれについて行った。
 寺田と二人になった時任は、湯冷めしてしまったらしく盛大なくしゃみをした。
 「俺のせいですまない。だ、大丈夫か?」
 「大丈夫じゃねぇってのっ。まったく、迷惑かけやがってっ」
 「…すまない」
 寺田は本当にすまなそうな顔をして時任にあやまっている。
 あんまりあやまるので、時任は大きなため息を一つついた。
 「挟んであんのはなんだよ?」
 時任がそう尋ねると、寺田は複雑そうな顔をしてうなづいた。
 「…写真なんだ」
 「それって、ずっげー大事なもんなのか?」
 「ああ、大事だ」
 真剣な瞳が嘘をついてないことを告げていた。時任は軽く頭を掻くと、
 「ふーん…。ならさ、今日のことは忘れてやるよ」
と、言う。
 寺田はすごく驚いた顔をしてまじまじと時任の顔を見ていた。
 「二度とすんじゃねぇぞっ」
 「…ありがとう」
 時任に礼を言った寺田は、目に涙まで浮かべていた。
 藤原が本を取ってくると、寺田はそれを受け取ってパラパラとページをめくる。
 そして、ある一ページをめくった瞬間、とてもうれしそうな顔になった。
 寺田はそこに挟んであった写真を手に取ると、時任と藤原に向かって深々と頭を下げる。 その様はさっきまでと違い潔い感じだった。
 「迷惑をかけて本当に申し訳なかった。二度とこんなことはしない」
 「ああ、絶対やんなよっ!」
 「二度としないでくださいねっ!」
 時任と藤原がそう念を押すと、寺田は自分の家へと帰っていった。
 その背中を見送ると、時任は大きく伸びをする。そんな時任を見ながら、藤原が大きく息を吐いた。
 「なんなんだよ?」
 「なんでもありません」
 さっきから、藤原の様子がおかしいことに時任は気づいていた。
 良くわからないが、なぜか時任と視線を合わせようとしないのである。
 なんとなくその態度にむかついた時任は、藤原の襟をギュッとつかんで睨みつけた。
 「なにムシってんだよっ、てめぇ。なんか俺に後ろめたいことでもあんのかよっ!」
 「…そんなのないです」
 「ウソ言うんじゃねぇ!」
 「ウソじゃありませんよっ!」
 「このっ!!」
 「やめてくださいっ!!」
 言い合いながら揉み合っていたが、時任の足がソファーに当たったために、二人は床へと倒れこんだ。
 「イテッ!」
 「わっ!」
 凄い音がリビングに響き渡る。
 時任の上に乗りかかるような感じで、藤原が倒れててきた。
 時任は藤原の体重に押しつぶされて、ぐっと息をつめる。
 けれど、藤原の体重はそんなに重くないので、時任に怪我はなかった。
 「…重い。どけっ!」
 そんなに重くないとは言うものの、やはり乗っかかられていると重い。
 時任は早くどくように言うのだが、なぜか藤原はピクリとも動かなかった。
 「なにやってんだよっ!!」
 再び時任が怒鳴ると、藤原はそのままの姿勢で時任の顔を覗き込んだ。
 「時任先輩」
 「なんだよっ!」
 「久保田先輩のこと好きですか?」
 「はぁ??」
 突然、予想もしていなかったことを聞かれて、時任は思いっきり不審そうな顔をする。けれど、そんな時任の様子にムッとすることもなく、なぜからしくなく藤原は時任に向かって微笑んでいた。
 「答えてくれなくてもいいです…俺、知ってますから。けどいつか、いつになるかわかりませんけど、時任先輩に聞いてもらいたいことがあるんです」
 「久保ちゃんじゃなくてか?」
 「はい」
 いつもと違う藤原の様子に、どうしてよいかわからず時任はとまどった顔をしていた。
 けれど、藤原が真剣に話しているということはわかる。
 時任は少し考えた後、
 「とにかくどけっ!」
と、強引に藤原の身体を押しのけた。
 藤原は落ち込んだような顔をして、おとなしく時任から離れる。
 らしくない藤原を前にして、時任は前髪を乱暴に掻きあげた。
 「んな顔しなくても、言いたいことあんならいつでも聞いてやるよっ! てめぇは、同じ執行部員だしなっ!」
 執行部員だなんて認めないと普段あれだけ言っているのに、思わずそんなことを言ってしまっていた。時任はそんな自分自身に舌打ちをする。
 けれど、藤原がすごくうれしそうに笑ったので、まぁいっかと心の中で思ったのだった。
 「絶対、聞いてくださいねっ」
 「ひつけぇぞっ!」
 「物忘れ激しそうですからね、時任先輩は」
 「…殺すぞ、てめぇっ!」
 こうして二人はいつもの調子に戻ったのだが、時任はふと何かに気づき、藤原に殴りかかろうとしていた手を止めた。
 「あれっ、久保ちゃんは?」
 そう、藤原と部屋に行ってから、久保田の姿が見えないのである。
 時任が捜しに行こうとすると、藤原がそれを止めた。
 「ビールとかつまみ買ってくるって言ってましたよ。すぐ戻るからって」
 「ったく、しょうがねぇなぁっ」
 そう言う時任を見ながら藤原が少し悲しそうな笑みを浮かべたのだが、時任はそれには気づいていなかった。




 外は時間帯が時間帯なだけに、人通りもほとんどない。
 久保田は立ち並ぶ住宅街の一角にある壁によりかかって、タバコを吹かしていた。
 「満月か…」
 空には丸く白い月が出ている。
 久保田はポケットに手を突っ込んでそれを眺めながら、口元を歪めた。
 そう、今から自分のしようとしていることは、必要のないことなのかもしれないとそう思うからだった。けれど、久保田はそうせざるを得ない。
 「なんだかねぇ」
 そう呟いて小さく息を吐くと、久保田の方へ足音が近づいてきた。
 辺りが静かなので、足音がよく響く。
 久保田は目を閉じて、その足音だけを耳で追った。
 カツカツカツ・・・・・。
 どうやら真っ直ぐこちらに来るようなので、動く必要はない。
 しばらくして久保田が目を開けると、そこにはさっきの寺田という男が立っていた。
 「先ほどはどーも」
 「あっ、いや…」
 寺田が驚いた顔をしているが、それはムリもない。
 まさか、待ち伏せされてるとは思っていなかっただろう。
 久保田は壁によりかかったまま、じっと寺田の顔を眺めた。
 すると寺田は視線を泳がせて、
 「もうしないと誓うから…、見逃してくれ」
と、言う。
 すると久保田はクスッと小さく笑った。
 「何を見逃せばいいのかなぁ」
 「そ、それは…」
 「写真見て思い出したんだよね」
 「しゃ、写真を見たのか!?」
 「アンタは一年前くらいに荒磯に来てるよね? 研修生として二週間」
 「・・・・・・」
 「そんときに一目ぼれでもしちゃった?」
 「なんの話を…」
 「写真を取り戻そうとしたのはホントだろうけど、庭に侵入したのは別な理由でしょ? 風呂のぞこうなんて、まさかそんなコトまで思ってないよね? 寺田センセ」
 「く、久保田…」
 「写真は没収ってことで、ヨロシク」
 逃げようとする寺田の足を、素早く久保田が蹴る。
 ザザッと派手に転んだ寺田のポケットから、久保田は写真を二枚抜き取った。
 一枚目には研修生として授業をしている寺田と生徒達。
 二枚目には授業中にぼーっと黒板を眺めている時任の姿がうつっている。
 「や、やめろっ、よせっ!!」
 久保田は写真をポケットにしまうと、寺田に向かって冷たい笑みを浮かべた。




 しばらくして戻って来た久保田の手には、ビールの他に時任の好きそうな御菓子の入った袋が下げられている。時任はうれしそうな顔でそれを受け取ろうとしたが、久保田はそれを時任に渡さなかった。
 「久保ちゃん?」
 時任が首を傾げると、久保田は部屋の隅に置かれていた二人の荷物を手に持つ。
 そして、時任の頭を優しく撫でた。
 「これは帰ってからね?」
 「帰ってからって、なんで?」
 「うん、だからさ。帰ろう、時任」
 「えっ、けど…」
 「解決したんだからいいよね?」
 久保田がそう尋ねると、藤原はすぐにうなづいた。
 「はい、いいです。今日はどうもありがとうございました、久保田先輩」
 藤原があっさりと了解したので、久保田はさっさと玄関に向かう。
 時任はそれをあわてて追いかけた。
 「待てって、久保ちゃんっ!」
 このまま帰ってしまうかと思われたが、久保田はリビングの入り口で立ち止まると、振り返って藤原に礼を言った。
 「夕食ありがとね、藤原」
 「久保田先輩のカレーにはかないませんよ」
 藤原は苦笑していた。



 結局二人は藤原の家に泊ることなく、マンションへと戻ることになった。
 二人で暗い夜道を歩きつつ、時任はビールと御菓子の入った袋と荷物をじっと眺めていた。藤原だけじゃなく、久保田の様子も少しおかしかったからである。
 時任は荷物から目を離し満月を見上げると、ほうっと息を吐いた。
 「なぁ、久保ちゃん」
 「ん〜?」
 「なんかあったのか?」
 「別にないけど?」
 「…藤原の様子もおかしかったし」
 「そう?」
 何もないと言う久保田にムカッとした時任は、久保田の背中に飛び乗った。
 「重いよ、時任」
 袋と荷物を持って、時任を背負うはめになった久保田は、それでも時任を振り落としたりせずに歩き出す。それはたぶん、何も言わない久保田を無言で責めているのを知っているからなのだろう。
 久保田は何も言わない時は、絶対に喋らない。
 時任にもそれはわかっていた。
 けれど、話してもらえないと久保田に必要とされていないような気がしてくる。だから、そう思っている自分をわかってほしくてこんなことをするのだった。
 「帰ったら宴会しようぜっ」
 「はいはい」
 「走れっ! 久保ちゃん!!」
 「・・・・・・それはさすがにムリなんですケド」
 



 少しの間、藤原の様子がおかしかったが、心配する間もなく元に戻った。
 時任は約束を覚えてはいたが、それについて藤原と話すことはない。
 藤原もそのことに触れたりはしなかった。
 ただいつものように、、久保田を挟んでの言い争いが続いているだけである。
 けれど時々、藤原が切なそうな苦しそうな視線を時任に向けているのを、久保田だけが気づいていた。


 
                                             2002.4.1


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