テレビのバラエティ番組を笑いながら見てる、時任。
 その横で新聞広げている久保田。

 結局、あれから時任に何も言うことができなかった藤原は、一人で黙々と後片付けをしていた。それというのも、片付けは誰がするかをめぐって三人でしたジャンケンに、藤原が負けたからである。
 「俺って一体…」
 確かにストーカーのことがあったのは本当だが、やはり久保田と二人きりになりたいという気持ちがあったから、この話を持ちかけたのだ。けれどその結果は、久保田と二人きりになれないばかりか、まるで二人の家政婦のようである。
 ちょっと情けない気分にかれらていると、リビングから声がした。
 「藤原〜、片付け終わったんならこっち来いよ。一緒にテレビ見ようぜ」
 一人で見ているのがつまらなかったのか、時任が藤原を呼んでいる。
 藤原はちょっと複雑な気分になりながら返事をした。
 「あっ、はい、今行きますっ」
 「ついでにお茶も入れてこいよー」
 話相手がほしかったのか、それともお茶がほしかったのか、それとも両方だったのかはわからないが、時任がお茶を要求する。藤原はムッとして、もっていた布きんをかける場所に乱暴に投げた。
 「遠慮ってもんを知らないんですかっ!」
 「お客様はおもてなしするのが当然ってヤツだろ?」
 「アンタのことは呼んでません」
 「久保ちゃん呼ぶと、俺も込みなんだからなっ。今度からよーく覚えとけっ!」
 「そうですかっ、わかりましたよ。時任先輩は久保田先輩の金魚のフンってコトですねっ。よーくわかりましたっ!」
 「俺様を金魚のフン呼ばわりするとはいい度胸だなぁ、藤原っ!」
 「だって、ホントのことじゃないかっ!」
 藤原の言葉が敬語からタメ口に変わる。
 こうなると、とことん言い合いになる可能性が大だった。
 完全に藤原が完全に戦闘態勢に入った瞬間、藤原の耳にのほほんとした声が聞こえてきた。
 「藤原〜、悪いけどお茶くれる? ついでに時任のもお願いね」
 「はぁい、今入れま〜すっ」
 「…てめぇなぁっ」
 久保田の言うことなら、なんでも素直に聞きたくなる。
 けれど最近、それがなんとなく苦しくなって来たような気がしている。
 いや、苦しくなってきたというより、疑問に思えてきたと言った方が正しいのかもしれない。久保田を思う気持ちに変わりはないとそう思うが、何かが足りないような気がしていた。
 藤原は三人分のお茶を入れると、久保田と時任のいるリビングに行く。
 時任の左に久保田、右に藤原。
 つまり、久保田の正面に藤原は座った。
 ここからなら久保田の顔が良く見えるからである。
 「なぁ、こいつってバカだと思わねぇ?」
 さっきのことをもう忘れたのか、時任がテレビを見つつ話しかけてくる。
 確かに時任の言う通りの映像が映っていたが、あまりに凄まじいのでちょっと同情してしまう感じだった。けれど、バカで面白いに違いなかったが。
 「ああ、あれですかっ。俺も思いますよ。ちょっとマヌケすぎですよねぇ」
 「良くやるよっ、んなアホな企画っ」
 「ケド、面白いからいいと思いますけどね」
 「それは俺も同感っ」
 時任と一緒になって、藤原はげらげら笑いながらテレビを見た。
 久保田はその番組に興味がないらしく、黙々と新聞を読んでいる。時任もそれを気にしている様子はまるでなかった。
 しばらくそうしてテレビを見た後、その番組が終わった頃に、藤原は新聞を読み終わったらしい久保田に、
 「風呂沸いてますから、好きな時に入ってください」
と、言った。
 すると、久保田はゆっくりと立ち上がって小さく伸びをした。
 「そんじゃ、お先に入らせてもらうわ」
 「遠慮なくどうぞ。タオルは置いてあるのを使ってくれたかまいませんから」
 「そうさせてもらうよ」
 ここに来る前に、久保田が自宅から着替えを持ってきていたので、用意するのはタオルくらいだった。確かに久保田くらい長身だと、着替えを貸すのも難しいかもしれない。
 時任だと藤原の服を着れそうだったが…。
 番組はバラエティから、毎週やってる連ドラに変わった。
 内容は、オフィスラブ系の女の子が好きそうな話である。
 藤原は主人公の女より、主人公の相手役の男に恋している報われない女の方をじっと見ていた。
 どんなに頑張っても、結局、主人公の女にはかなわないと決まってる恋をしてる女。
 苦い気持ちでそれを見ていると、ふと、さっきから時任が一言も喋らないことに気づいた。
 まさか、泣いてたりとか…などと思いつつ、藤原が時任の方を見る。
 すると時任は、安らかな寝息を立てて眠っていた。
 「ったくっ、なんなんですか。アンタは」
 何にがっくりしたのかわからないが、藤原は肩をがくっと落としてそう言った。
 起こしてやろうかと思わないでもなかったが、あまりに気持ち良さそうに眠っているので、さすがに起こすのはためらわれた。
 「まあ、寝てると静かでいいけど」
 感情の変化が激しいので、あまり穏やかだとか優しいとかそういう感じはしないが、こうして寝ている時任の顔はいつもの様子が嘘みたいに思える。
 「いつもこういう顔しててくれたら、俺だって…」
 意地を張ったりしないのに、と言葉を続けようとしたが、時任が身じろぎしたので途中で言葉が切れた。できることなら、このまま起こしたくない。
 なぜか藤原はドラマの続きを見ずに、じっと時任のコトを眺め始めた。
 「久保田先輩はアンタなんかのドコが…」
 柔らかそうな黒い髪、幸せそうにほんのりと微笑んでいる、無防備な顔。
 細い首と浮き出た鎖骨。長い手足。
 「ホント、細すぎるくらい細いよな」
 藤原はそう呟いてから、自分の手に巻かれたテープに目をやった。
 指を切ったからと、時任が巻いてくれたテープ。
 そういえば、前に不良グループに襲われてケガした時、大丈夫かと本当に心配そうな顔をして藤原の顔を覗き込んでいたのも時任だった。
 たぶんそれは、純粋に藤原のことを心配してくれていたから時任がそうしたのだろう。
 藤原にもそれは良くわかっていた。
 「…キライになんかなれないじゃないか」
 さっき、一緒にテレビを見た時も楽しかった。
 一緒に見ようって呼んでくれたのも、複雑な気分だったけど、ちょっとくすぐったい感じがして嬉しかった。
 時任はなんのかんの言いつつも、絶対に藤原のことを無視したりしない。
 久保田を挟んでのコトを含めて、時任は藤原の存在をちゃんと認めていてくれる。
 「アンタはバカな人だ」
 藤原は泣き笑いのような表情をしつつ、時任の髪に手を伸ばした。
 そして、その髪をゆっくりと撫でる。
 見た目以上にサラサラな髪を撫でていると時任がそれに気づいたのか、ピクッと肩を揺らした。
 「…久保ちゃん」
 肩を揺らしたと、同時に時任の口から甘い呼びかけが漏れる。
 いっそう幸せそうに微笑む顔が、藤原の目に入った。
 時任は藤原のことを久保田と間違えている。
 おそらく、久保田もこうして時任の髪を撫でてやっているのだろう。
 藤原は髪を撫でる手を止めて、時任の顔の横に手をついた。
 「キライになれたらよかったのに…」
 眠っている時任の唇に、自分の唇を寄せる。
 藤原はまるで夢遊病にでもかかったかのような様子だった。
 あと、10cm、5cm、と距離が縮まる。
 けれど、藤原のキスは時任まで届かなかった。
 「風呂、あがったんだけど?」
 タオルで頭を拭きつつ、いつの間にか風呂から上がってきた久保田が藤原に声をかけたからである。
 「く、久保田先輩!」
 慌てて時任から離れた藤原を、久保田はいつもと変わらない表情で見ていた。
 「時任起こしてくれる?」
 「あっ、えっ、起こすって!?」
 「あっ、やっぱ俺が起こすわ」
 気が動転している藤原を問い詰めることもせず、久保田はうたた寝している時任のわき腹を軽く蹴った。
 「起きなよ、時任」
 「うぅ〜…」
 「寝るなら、風呂に入ってからにしなさい」
 「…ん〜、久保ちゃん?」
 久保田の蹴りが効いたのか、時任が目を覚ました。
 目が開いた瞬間、印象がパッと変わる。
 その変化はとても鮮やかだった。
 「あれっ、寝ちまってたのか、俺」
 「寝るより先に風呂に入りなさいね」
 「わぁったよっ」
 藤原の家にいても、二人が一緒にいる限り二人の日常がある。
 藤原はただじっと風呂に行く時任の後ろ姿を見ていた。
 (俺は、一体何をしようと?)
 自分で自分のしようとしたことが信じられなかった。
 藤原は久保田ではなく、時任とキスしようとしていたのである。
 あの瞬間、藤原は時任とキスしたかった。
 時任の口から久保田の名前が漏れた時、嫉妬に似た感情が込み上げてきたが…。  
 それは一体どちらに対してだっただろう?

 「…久保田先輩」
 藤原が無表情な顔でじっと一点を見つめながら久保田を呼ぶと、久保田はタバコに火を付けてから、
 「なに?」
と、返事をした。
 藤原がしようとしていたことを知っていても、いつもと変わらない返事。
 藤原はぎゅっと拳を握りしめた。
 「俺、久保田先輩が好きです」
 「ふーん、そう?」
 「好きなんです」
 まるで呪文のように好きだと繰り返す藤原は、苦しい気持ちでその言葉を吐き出していた。何が苦しいのかわからぬままに。
 藤原が久保田の顔を見ることもできずにいると、小さなため息が聞こえた。
 「俺のコトが好きだって、自分に思い込ませてどうすんの? そんなくだらないことやめたら?」
 「えっ?」
 久保田の言葉に、藤原が弾かれたように顔を上げる。
 藤原が久保田の顔を見ると、久保田の目は刺すような視線で藤原を見ていた。
 「藤原は、俺のドコが好きだってゆってたっけ?」
 「あっ、それはっ、カッコいいし、頭もいいし…、それに…」
 「じゃあさ。俺がカッコよくなくて、頭良くなかったりとかしたら? そおいうのなら、ほか当たってほしいんだけど」
 「ぼ、僕はっ」
 あらためて聞かれても、藤原はドコが好きと答えられるほど久保田のことを知らない。
 けれど、全部とも答えられなかった。
 そのことに藤原自身、ショックを受けていたのである。
 藤原が呆然としていると、久保田がその前に立ち顔を覗き込んできた。
 「前に言ったよね。俺の周囲に手を出すなって」
 「・・・・・・」
 「あれはちょっと訂正。俺の大事なモノに手を出したりしたら、その時は」
 「く、久保田先輩」
 「殺すよ」
 背中にぞくぞくっとしたものが走り抜ける。
 この言葉が決して冗談ではないことを、藤原は感じていた。
 たぶん、これは悲しむべき場面のはずなのに、涙が出てこない。
 それが恐怖のためなのか、それとももっと別な意味でなのかはわからなかった。
 意味はわからないけれど、苦しさだけが募る。
 本当は初めからわかっていた。
 久保田が時任しか見ていないことを。
 それを承知で好きだと言い続けて来たのだから、そんなの宣言されても今更だ。
 そんなことでくじけたりはしない、絶対に。
 けれどもし、自分が久保田のことを好きじゃなかったとしたら?
 恋じゃなくて、憧れにしかすぎないのだとしたら?
 考えてはいけないことを考えているような気がして、藤原は激しく首を振った。
 「好きです。ただそれだけなんです…」
 呟きが次第に小さくなって消える。
 その後には沈黙だけが残った。
 それからどれくらいそうしていたのだろう、突然、久保田がもの凄い勢いで動いた。
 久保田は走って窓まで行き、そこを開けて外へと飛び出す。
 あっという間の出来事だった。
 「久保田先輩!!」
 驚いた藤原が叫んだが、久保田はそのまま走る。
 「うわっ!!」
 久保田じゃない何者かの声が庭に響いた。
 「なにっ、なんかあったのかっっ!!」
 その叫び声に、風呂に入っていた時任も飛び出してくる。
 藤原と時任が窓から庭を覗くと、一人の若い男が久保田の手によって取り押さえられていた。
 「で、おたくはどちら様?」
 久保田は自分が取り押さえた男に向かって、そう尋ねたのだった。
                                             2002.3.28


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