やはり次の日も、時任は生活指導室に呼び出されていた。
 放送で呼び出しをかけられては行かないわけにはいかないので、一緒に行くという久保田を置いて時任は一人で指導室のドアを開ける。
 そこには生活指導の教師と、例の数学教師平井がいた。
 やはり、今回の件は平井が絡んでいたらしい。
 「そういうことかよ」
 そう言って時任が平井を睨むと、平井は平然とした顔で時任を見返した。
 「勘違いしないでもらいたいな。私情で言っている訳じゃない」
 「じゃあなんだってんだっ。誰の目から見たってカンペキ俺のこと目のカタキにしてんじゃんっ!」
 「お前が言われるようなことばかりしているからだろう? 人のせいにするな」
 「てめぇっ!!」
 時任が平井に拳を振り上げると、そこにいた教師が止めるために間に割って入る。
 さすがに関係ない者を殴るわけにもいかず、時任はいったん拳を収めた。
 「服装のことが職員会議で問題になったのは事実なんだ、時任。だから、平井先生だけじゃ…」
 「けど、言い出したのはコイツだろ?」
 「こら、時任。先生にコイツはないだろう」
 生活指導の教師は、困ったような顔をして時任を見ている。
 昨日も思ったことだが、この教師に服装の件についてあまり熱心に取り締まろうとかそういった様子はなかった。熱心なのは、冷たい目つきで時任を見ている平井だけなのかもしれない。
 大体、荒磯は執行部を作っていることからもわかるように、ここに在籍している生徒達自身で校内の治安を守っている。それ故、こういったことで教師が口出ししてくることはほとんどないのが普通だった。
 埒があかないし、話にならないと思った時任は、
 「一応、ココに来たんだからOKだよなっ」
と、言いながら生徒指導室を出ようとする。
 だが、時任とドアの間に平井が立ちふさがった。
 「パーカーを着てくるなと言ったのに着てきたということは、それなりに覚悟はできてるな?」
 「覚悟ってなんだよっ」
 「パーカーを没収する」
 「はぁ?」
 「ここで脱げ、時任」
 「何バカなこと言ってやがんだっ!」
 「違反者にはそれなりの罰則がいるだろう? お前達がいつもしているように」
 「てめぇと一緒にすんなっ!」
 時任はパーカーの下に何も着ていないので、パーカーを脱ぐと素肌に学ランということになる。
 だが、そんなこととは関係なく、時任はパーカーを脱ぐ気などサラサラなかった。
 「ちょっ、ちょっと…、時任、平井先生」
 睨みあっている二人を前に、生活指導の教師がオロオロしている。
 そんな教師を気にすることなく、平井は腕を伸ばして時任の襟首をつかんだ。
 「脱がないなら、脱がせてやろうか?」
 「コイツっ!!」
 冷笑を浮かべて顔を覗き込んでくる平井に、時任が殴りかかろうとする。
 だが、そうする前に襟首を掴んでいた平井の手が、何者かによってはずされる。
 自分を助けてくれた人物の見上げて、時任はホッとしたように笑った。
 「校則がどうとかそういう以前に、こーいうのは問題だと思いません? センセイ」
 「く、久保田…」
 「セクハラで訴えられますよ?」
 平井が驚いている隙に久保田は手を離し、時任をかばうようにその前に立つ。
 時任は久保田の腕に軽く自分の手を置いて、背後から平井の様子を眺めた。
 突然現れた久保田に驚いているのはわかるが、平井は久保田の顔を見つめたまま固まっている。
 どうも様子がおかしい。
 「久保ちゃん…」
 時任が腕を引っ張ると、久保田は安心させるようにその手に自分の手を乗せた。
 「ココの学校は他とちょっと違うんで、今までの方針変えるってコトなら、まず生徒会に話通さないとダメなんですよねぇ。確か」
 そう言いながら久保田が生活指導の教師を見ると、教師は首を上下に振って同意した。
 久保田の迫力に押されたというのもあるが、教師はそれだけで同意したのではなく、これは紛れもない事実なのである。
 基本的にこの学校を運営しているのは生徒会なので、これまでの方針を変えるとなれば、まず生徒会との話し合いが必要になるため、教師達の独断だけで校則が変わったりすることはなかった。
 久保田と時任はお互いの顔を見合わせて、ニッと笑みを浮かべると、
 「今回の件も該当すると思いますので、どーぞヨロシク」
 「そんじゃま、そーいうことなんで」
と、平井の横を擦り抜ける。
 平井はやっと我に返ったらしく、そんな二人を呼び止めた。
 「これで済むと思うなよ…」
 そう言った平井の目には明らかに悪意に似たなんらかの感情が浮かんでいる。
 その感情は時任一人に向けられていた。
 もともと好戦的な時任は、平井の視線を受けて眉をしかめた。
 「それはこっちのセリフだっ」
 「そうしていられるのも今の内だぞ」
 「この野郎っ!」
 時任が平井に殴りかかろうすると、久保田が軽く時任の肩を叩く。
 時任は舌打ちしてから拳を下に降ろした。
 「行くよ、時任」
 「…わぁったよ」
 久保田が時任を止めたのには理由がある。
 今回の件、実はパーカーのことは時任を怒らせるために、平井がしたことだったからだ。
 校則を持ち出して時任に嫌がらせをするためではなく、時任に自分を殴らせるために。
 生徒が教師を殴ったとなれば問題だし、程度によれば警察沙汰になるかもしれない。生徒同士なら執行部の特権が通用するが、教師相手には通用しないのだ。
 つまり、平井の狙いはそこにあったのである。
 「面倒臭いコトになってきたなぁ」
 「久保ちゃん?」
 生徒会室に向かいながら、久保田は何事か考えているようだった。
 時任はそんな久保田の横を歩きながら、そんな久保田の横顔をじっと見つめている。
 その視線に気づいた久保田は、微笑んで時任の肩を抱いた。
 「平気?」
 「何が?」
 「ん〜、色々ね」
 「平気に決まってんだろっ」
 「そーだね」
 「…久保ちゃんも一緒だし」
 「うん」
 時任がピンチになれば久保田が助けるし、久保田が危なくなったら時任が助ける。
 それが当たり前で普通だった。
 だから、二人がそろってさえいれば何も恐いものはない。
 時任はそれを理屈ではなく感覚で知っていた。

 「わりぃ、遅くなった」
 「右に同じく」

 短く会話を交わしながら二人が生徒会室に到着すると、すでに全員がそこに集まっていた。
 興味津々といった感じの目で時任と久保田を見ているところをみると、全員が呼び出しの放送を聞いていたらしい。執行部はそろいもそろって好奇心が強かった。
 「…で、平井の件はどうなったのよ」
 「ったくっ、どうもこうもねぇよっ!!」
 平井を殴ることができなかったために鬱憤を晴らすことができなかった時任は、執行部メンバー相手にさっきあったことを力一杯語り始める。
 そして時任の話を聞いた誰もが、平井のやりように眉をひそめたのだった。
 やり方が汚すぎる。
 「結構、エスカレートしてきたわね」
 一通り話が終わった頃、桂木がそう久保田に話しかけたが、久保田はぼーっと頬杖をついて空を眺めたままだった。桂木が不審に思って久保田が見ている方向を見たが、やはりそこには青空が広がっているのみである。
 どうやら、本当に空を眺めているらしかった。
 「何見てんの?」
 「空」
 「なんで?」
 「う〜ん、虹が出ないかなぁって」
 「…こんな天気のいい日に出るわけないじゃない」
 「それはそうなんだけどね」
 今日もやはりとても暑くて、雨の降る気配はない。
 虹が出るには霧雨が振らなければならないが、そういう気配もまったくなかった。
 「虹なんてそうそう出ないわよ」
 「それはわかってるんだけどさ」
 「なんで、虹が見たいの?」
 「時任が見たことないから」
 「えっ、本当に?」
 「うん。そう言ってた」
 虹の話が出た後の帰り道、時任が久保田に向かってぽつりとそう言ったのである。
 誰しも一度くらいは見たことありそうだが、時任はまったくないらしかった。
 そう言った時任がちょっと寂しそうに見えたので、久保田はそれを気にしていたのである。
 「虹が出るまでそうして眺めてるつもり?」
 「もし、出てくれるならね」

 「…やっぱり、今日も暑いはずだわ」




 それからもやはり虹が出ることはなく、日々は単調に過ぎていった。
 平井の嫌がらせはその後も続いていたが、授業中くらいでそんなに被害はない。
 だが、やはり平井はあきらめていなかったらしく、再び呼び出しの放送が校内に響いた。

 『三年六組の時任と久保田。三年六組の時任、久保田。生活指導室まで来るように』

 今度の呼び出しは時任だけではなく、久保田も一緒だった。
 一つの机を二人で囲んで昼食を食べていた二人は、放送を聞いてお互いの顔を見合わせる。
 ターゲットは時任だけではなく、久保田にまで飛び火したのかもしれなかった。
 「行きますか?」
 「面倒くせぇけど、しょうがねぇだろ?」
 「まあね」
 こうして二人は同時に席を立つと、生活指導室に向かったのである。

                          『虹の向こうに 中編』 2002.6.3 キリリク7716

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