act,1
南原コネクションの勤務体制は、昼間、夜間、深夜 (早朝) の三交代制である。
各部署によって交代時間は異なるが、食事及び休憩の一時間を含む8時間30分を基準に組まれている。
この勤務体系に縛られていないのはバトルチームのメンバーくらいだった。
この日、シフト二部の夜間勤務を終えた上杉浩平は、独身所員の多くが寝起きする居住区へ向かうのに、リビングルームの前の通路を選んだ。
夜間襲撃に備えて、居住区内で発進塔に一番近い場所に部屋を与えられているバトルチームとは正反対に位置する、一番遠い端の方にある上杉の部屋へ戻るには、この通路が近道になるからだ。
常夜灯の薄明かりの中、リビングルームの脇にある小部屋の前で足を止めた。
コネクション内はほとんどの場所が禁煙になっており、ここは数少ない喫煙室の一つでもある。
ドアは上半分がガラス張りになっていて、右側に煙草の自販機、左側はカウンターと五つのスツールがある。 ドアの正面は全面窓でその上に換気扇がついている。 自販機とカウンターの間は一メートルくらいしかない代わりに奥行きは四メートルくらいある、細長い部屋だ。
換気扇の回る音がするし、煙草の消し忘れが燃えているように見えたのが気になって、中に入ろうと明かりを点けると人影が動いた。
「あ、すみません。 人がいるとは思わなくて …… 」
「悪いと思ったら明かりを消してくれ」
Tシャツ、ジーパンの上に長袖のカッターシャツを羽織った格好でカウンターの一番奥のスツールに腰掛け、片肘ついて窓の外を見つめている男の、思ったより若い声に上杉はハッとなった。
慌てて明かりを消し、元の薄闇に戻す。
勤務中は制服着用が義務付けられているコネクション内で、こんな場所を私服で歩ける者は数少ない。
振り向かなくても特徴的な髪型と後ろ姿だけで誰なのか解った。
「こんな時間にどうしたんですか」
「寝付かれなかっただけさ」
そう言うとため息をついた。
いや、ため息と思ったのは銜えていた煙草の煙をゆっくりと吐き出しただけだった。
「身体に良くないですよ。 煙草は …… 」
「小介みたいなこと言うなよ。 酒飲むよりマシだろ」
「確かに …… 」
酒に酔った状態で出撃するわけにいかないことを考えれば、彼の言う通りである。
そしてこの口調で、彼が葵 豹馬であることが確認できた。
バトルチーム最年少の北 小介のことを呼び捨てにするのは四ッ谷博士を除けば、大阪弁を話すチーム最年長の浪花 十三とチームリーダーしかいない。
「一本、頂けますか」
上杉がそう言って隣に座ると、ジーパンの後ろポケットに入っていた箱から一本降り出してよこした。
「ありがとうございます」
煙草の箱が引っ込むと同時に放られたマッチで火をつけ、一息吸ったところで声がかかった。
「どこの人?」
一瞬、回りを見回し周囲に誰もいないことを確認してから、それが自分に向けられた問いであることに気が付いた。
「所属は技術開発部整備課です」
質問の内容を理解するまでに一分近くかかったが、気分を損ねた様子もなく次の問いを出す。
「担当は?」
「いえ、バトルマシンの専属ではなく、着陸用ギアの点検が主なんです」
「そっか」
「何か、御用でもありましたか」
会話というには程遠い物言いだったが、文句も言わずに答えていく。
その間、豹馬の視線は換気用窓の外に向けられたままだった。
聞いた話によると豹馬は前所長の孫娘と同じ高校一年生で、二十一歳の上杉の方が年上のはずだ。
それなのにまるで部下に向けるような口調で、彼の辞書には 『敬語』 という単語は存在しないのではないかと疑いたくなるほど横柄だった。
「誰かバイクの解る奴、知らないか」
短くなった煙草を灰皿に放り込み、顔は自販機の一点に向けたまま問いかけた。
「バイク …… ですか」
豹馬とバイクの取り合わせ自体に不自然さはないが、彼の意図がわからない。
上杉は豹馬の横顔を見つめた。
自販機の明かりで陰影のできたその顔には、どことなく思い詰めた様子が見て取れた。
「俺、少しなら解りますけど …… 」
「経験は? どのくらい解るんだ」
新しい煙草にライターで火をつけながら問いを重ねる豹馬に、上杉は慌てて応じ返す。
「高校時代に鈴鹿の四耐に参加して完走させたことがあります」
真夏の炎天下、アスファルトの上を燃料補給とライダー交代の時間を含む四時間、走らせ続けたということだ。 しかし鈴鹿の四時間耐久レースで使用されるマシンはGP用と同じく舗装された道路を走るようにできているオンロードバイクだ。
対して、豹馬の愛車は …… 。
「モトクロッサーは?」
「オフロードバイクですよね」
モトクロスやエンデューロなど、舗装されていない悪路の走破を目的とするレースで使用されるバイクである。
「メンテナンス程度なら、やったことあります」
そう言いながら、バイクの面白さを教えてくれた高校時代の先輩の厳しくも優しい顔を思い出した。
「俺のバイク、チューンナップしたいんだ」
「豹馬さんのバイクを …… ですか」
意外な申し出に上杉は思わず聞き返していた。 銜えていた煙草を取り落としそうになるほど驚いたのだ。
豹馬がコネクションに来て数ヶ月。
技術開発部へバイク用パーツの調達を依頼したことはあっても整備に関しては一度もなかった。
それがなぜ …… 。
返事が返るまで、上杉は無言でじっと豹馬の様子を窺っていた。
「今日、グレイドンに追いつかれちまったんだ」
そんな上杉の視線に耐えられなくなったのか、指先で燃えている煙草の火が短くなったのを機に灰皿に放り込みながら、ポツリとそう告げた。
「今度は逃げ切れるようにしたいんだ。 となると俺の手には負えなくて」
他人を頼らざるを得ないのが情けない、というような表情の豹馬に、今度は上杉が青くなった。
「それはちょっと …… 」
性能アップはわかるが、飛行司令艦グレイドンの追撃をかわすとなると、ほとんど不可能だ。 小型ミサイルか対空レーザーでも搭載しろというのだろうか。
渋る上杉に、豹馬は意外そうな顔をした。 覚悟を決めたのか表情に迷いはない。
「武装強化してくれといっているわけじゃないぜ」
豹馬の上げた改造ポイントは三つ。
タイヤの耐久性の改善、機動性及び最高速度のアップ、そしてモトクロス特有の瞬発力。
「直前で道路が寸断された時にジャンプで越えられるだけのパワーが欲しいんだ。 それもニトロ並の瞬間的かつ爆発的なパワーが …… 」
「ニトロはエンジンの摩耗を早くしますよ」
「だから、ニトロに代わる別の方法で同じくらいのパワーが欲しいんだ」
「しかし対空時間が長くなれば、それだけ無防備な状態も長くなる、ということですよ」
「それも承知している。 だから飛び越えるだけでなく、崖を降る場合も考慮して欲しいんだ」
確かに無謀なものではない。 サーキットではなく公道を走ることを充分に考えている。 それでも簡単にできることとできないことがある。
「メーカーへ特注するとかレースメカニックのような専門家が手掛ければできると思います。 ですが僕の技術程度で、豹馬さんの要求をクリアできるかどうか …… 。 特にタイヤはコストと性能が正比例しますからね」
「コスト …… か」
上杉の言い分は豹馬にもよくわかる。
コネクションに勤務するメカニックは大勢いても、飛行機やロボットの専門家であってバイクに詳しいわけではない。 趣味程度の知識で改造して、もし事故でも起こせばどうなるか。
それのわからない豹馬でも上杉でもない。
一見、豹馬の 『仕事』 に関係がありそうに見えて、実は必要性など全くない。
あくまでも豹馬の個人的な要求であることを承知しているだけに強制力などない。
四ッ谷博士の承諾がとれ、研究許可や技術者の招聘、費用捻出が可能となれば話は別なのだが。
もともと豹馬の外出は渋々黙認されていただけで、できれば大作や小介のように敷地内でおとなしくしていて欲しいはず。
それも、つい数時間前にガルーダと決闘をやらかしたばかりとあっては尚更だ。
「おっちゃんの許可がとれたら、引き受けてもらえるかな」
「おっちゃんって …… 四ッ谷博士のことですよね」
目を丸くして確認した上杉に、至って真面目な顔付きで豹馬は頷いた。
しばらく考えて、上杉は悪戯っぽい笑顔を見せた。
「上司の指示となれば、たとえ趣味の延長でも仕事になりますからね。 喜んでやらせて頂きます」
上杉とて、やりたくないわけではない。
しかし、どんなにやりたくても “南原コネクションの整備士” である以上、勝手に引き受けることはできない。
『地球の命運を握っているのはバトルチームだ。そのバトルチームの生命を預かっているのは我々、整備士なのだ』 と、技師長・堀部源造から毎日、耳にタコができるほど言われているからだ。
もし、許可が出るようであれば自分で手がけたいと思う。
「でも、簡単には出ないでしょうね。 博士の許可は …… 」
表情を引き締めて言う。難しいことは百も承知だが、絶対に無理だとも思えない。
“仕事” に影響するようなことでなければ、バトルチームの出す要求は条件付きであっても、たいてい通る。
これまで豹馬の外出が黙認されて来たのも、そのひとつだ。
「ま、何とか頼んでみるさ。 俺からバイク取ったら何にも残らないからな」
煙草を灰皿に放り込んで、立ち上がった。
「ありがとう、おやすみ」
一言残して豹馬は部屋を出ていった。
「おやすみなさい」
豹馬を見送り、逆方向にある自分の部屋へと歩いていった。