わたくしは、あなたと初めて出逢った日のことを、想い出していました。 オカピを直してくださった、あなたの白い手。とても器用に動いていました。 「機械いじりは好きな方なので・・・」そう言って含羞んだあなたに、わたくしは好意を抱いたのです。 あなたとわたくしの出逢いは二年前。 親同士が決めた、などという形はどうでもよかった。 ただただ、あなたに逢える日が、とても楽しく嬉しくて。 小さな子供のように、はしゃいでいました。 そして―――。 偶然の巡り合わせというのでしょうか。 わたくしは、あなたのお友達を知ることとなったのです。 血のバレンタイン。 プラントの農業用コロニー「ユニウス7」が、地球軍の核攻撃により、一瞬でその姿を消してもうすぐ一年。 ユニウス7の犠牲者への祈りを捧げる追悼慰霊のため、ラクス・クラインは事前調査船に同乗していた。 慰霊団代表を務めることもあり、彼女自身、ユニウス7の今の形を己の眼に焼き付けておきたかった。 24万もの奪われた命たち。 彼らが核の攻撃の対象にならなければならない理由など、何一つなかったというのに。 ユニウス7には、彼女の大好きな人の母親も居た。 濃い藍色の髪を短くカットした、知的で優しい女性。 ラクスの大好きな人――アスラン・ザラ――は母親似だ。 彼は、母親の話しをする時、いつも誇らしげに胸を張る。 ――農業研究者ですよ。キャベツのことを語らせたら、母さんの右に出る人はいません。 そうきっぱりと言った彼から感じた、母親への愛の深さ。 仕事で忙しいから共有する時間は少ないけど、一緒に居る時は凄く甘やかしてくれてるなぁって思うんです、と。 照れたように笑った彼に、ラクスはとても好感を覚えた。 決しておしゃべりではない少年が、母親や機械類のこととなると、意外なほど饒舌になる。逢うたびに始めて知る彼の顔に、ラクスは自然と惹かれていった。 親の決めた婚約者という肩書きより、友達としての始まりは。 少しずつ少しずつ、未来を意識した深い想いへと。 幼いながらも、確かな愛おしさが胸を暖かくしていた。 戦争の影を感じていなかったわけではなけれど、それを忘れてしまうほどの、穏やかさに満ちていた。 なのに―――。 嘗て、ユニウス7だった巨大なコロニーは。 今や宇宙のゴミと化している。 暗く深く広し海を、静かに漂う塊の群れ。 人間とは。 同じ人間に対して、どこまでも非道になれる生き物だ。 話し合いで解決出来るだろうことでさえも、武器を持ち相手を威嚇する。どちらがより力のある者か、という欲を示す。 地球もプラントも。 争いの道を選んでしまった。 そして。 ラクスの大好きな少年も。 ザフトの一員となってしまった。 ―――軍に入ります、と。 少年の、何かの決意が込められた科白は、ラクスを哀しくさせた。 あなたが武器を持って、この戦争が終わるのですか。 そう問いかけようとして、結局、声に出すことはなかった。 母を失った子供。 ラクスがアスランの涙を見たのは、ユニウス7の合同慰霊が終わってからだ。 ユニウス7を襲った光と共に、宇宙へ散った愛すべき人たちの御霊が、安らげるように祈る静かな丘。 失われた数だけの墓石が、無言で並んでいる。 その人が生きていた時間だけが刻まれた小さな石の前で。 彼は。 両手をきつく握り締めて、泣いていた。 何かを悔やむように、何かを諦めるように、何かを憎むように。 嗚咽を漏らすことなく。 溢れる涙を、静かに流していた。 ラクスは、彼の小さく震える背中を、見つめることしか出来なかった。 あまりにも、突然すぎる死の現実。 戦争という名の、殺し合い。 細い糸の上に成り立っていた、不安定な平和は。 やはり不安定でしかなかった。 ラクスたちの知らない所で、未来は変わってしまった。 真っ黒い大きな波に、呑み込まれてしまった。 甘く願っていた、小さな幸せの崩壊。 彼女に出来ることは。 目の前の震える背中を、抱き締めることだけ。 そっと腕を回して、少年の体を包み込む。 慰めの言葉よりも、互いの温もりを。 言葉はいらない。その分、力強く抱き締める。 (声を殺して泣かないで。あなたの哀しみを受け止める女になりたいの) あなたは独りではない。もっと大声を出して叫んでいいの、と。 二十四万の悲劇と、大好きな少年の涙で。 ラクスの胸は、押し潰されそうだった。 アスランの背に顔を埋めて、けれどラクスは泣かない。 ほのかな恋心は、女を強くする。 腕の中の少年が、泣ける場所になりたい。 同情ではなく、大好きな人だからこそ、自分から与えられる最大の優しさで、包みたかった。 それが出来ると信じていた。 自惚れかもしれない。もしかしたら、一方的で押し付けがましいことかもしれない。 けれど、それだけ好きなのだ。 はっきりと伝えたことはないが。 どこかで伝わっていると、信じている。 それほどの時間、彼を抱き締めていたのだろう。 ぽつりと小さな声が、ラクスに届いた。 「・・・すみません。少し落ち着きました」 「アスラン・・・」 腕を緩めれば、アスランがラクスにその顔を向け、赤く腫らした眼を細める。 「一緒に母の所へ来てくれて、ありがとうございます。父はここに足が向かないようで・・・。でも一人だとずっと泣いていたかもしれません」 虚ろげに薄く笑う彼は、ちゃんと掴まえていないと今にも消えてしまいそうなほどの、脆さがあった。 ラクスはアスランの涙の後を、そっと手で拭う。 「ユニウス7に居た人たちの分の哀しみがあるのです。涙を流さない人などいませんわ」 「・・・僕・・・俺は・・・その哀しみを乗り越えられるでしょうか・・・」 眼を伏せ力なく呟いたアスランに、ラクスは応える言葉を持たなかった。 慰めは一時的なことであり、表面を素通りしてしまうもの。 内面を助けるものにはならない。 無駄な言の葉は、いらない。 傍に居る。誰かの温もりを必要とするなら、すぐに逢いに行く。 だから、もう―――。 「もう、泣かないで。わたくしが居ます。あなたの傍に居ます」 アスランの頬へ伸ばしていた手を、藍色の髪へ移す。さらさらとした髪を梳くと、彼は甘えるようにラクスの肩口へ顔を埋めた。 「・・・ありがとう。ラクスが居てくれて良かった」 小さいけれど、ラクスの体を熱くさせる響きに、彼女の中の女がはっきりと目覚めた。 この人と、ずっと一緒に居よう。この人が安心出来る女になろう。 墓石の並ぶ丘の誓い。 小さな胸に、大きな光が染み込む。 自分が勝手に決めたことではあるが。 丘の上で感じた体の熱さを、忘れてはいない。 これからもずっとずっと想う熱さだ。 そして、今。 ラクスは両手を膝の上で組む。ユニウス7追悼慰霊の調査船。 ほんの数時間前、その船に乗り込んで来た地球軍。 民間船に、検査だ、という名目で入ってくる彼らを止める術もなく。 ラクス一人が、脱出ポットに入れられた。 ユニウス7がどんな形となってしまったのか、それを確認することさえ、地球軍は気に入らないのだろうか。 調査船に乗っていた人たちの安否も、ラクスには判らない。 「アスラン・・・。あなたは今、何をしていますか。わたくしは、地球軍の艦の中です」 狭い部屋に少女の声が木魂する。彼女が乗った脱出ポットを救ってくれたのは、意外にも地球軍の戦艦だった。 追われるのも助けられるのも地球軍では、何だか滑稽のように思える。 が、この戦艦の人たちは、軍人であっても目線をラクスに合わせている。 威圧的ではない。ぎこちなさは拭えないが。 だけど、やはり。 敵同士という意識を向けられると哀しい。 ナチュラルとコーディネータ。 そこに生じる差は、一体何か。 疎まれる力と、自然の摂理と。 人の数だけ考えがある。 統一の枠にすることはない。が、相手を認めることは大切だ。 でも今は、戦うことに眼を奪われ、相手をきちんと見ていない。 彼もまた―――その一人だ。 軍に入った、ということは、軍の指示で動くということ。 ザフトの全てが悪いとは言わないけれど。 上官からの命令が、正しいとは限らない。 自分の意志で、この戦争を見つめて欲しい。 何のための戦いなのか。誰のための戦いなのか。 もう一度、考えて欲しい。 「・・・ゆっくりお話しが出来るといいのに。ピンクちゃんも、そう思いませんか?」 ラクスは部屋の中を、ピョンピョンと跳ねる球体のロボットを視線で追う。アスランからプレゼントされた、小さなロボットに眼を細めて。 彼が好きだと言ってくれた唄を、歌った。 激しい爆撃音。絶え間なく続く砲弾の嵐。 暗い宇宙に走る光は、互いの憎しみを表している。 戦場の数だけ、失われる命がある。無意味に繰り返される悲劇は、止まらない。 目の前で、炎に焼きつくされる戦艦。 堕ちる、堕ちる、堕ちる。 上がる悲鳴。狂いそうなほどの叫び。 彼女は。 戦いを止める、盾にされた。 戦争に卑怯という行為は、存在しない。それは、手段の一つだ。 「パパの艦を撃ったら、この子を殺すって言って・・・!」 「・・・ラクス・クライン嬢に対する責任放棄と判断し・・・」 ブリッジの緊張は、ザフトと地球軍の双方へ伝わったのだろう。一時的な戦闘の中止。 とても静かな戦艦内を、球体のロボットと共に、ラクスは歩いていた。 赤い髪を振り乱し、目の前で起きた現実を否定するかのような色を湛えた瞳の少女。 正当化出来る戦争など、ありはしない。 増えるのは、沢山の哀しみだけ。互いの溝は、深まるばかり。 赤い髪の少女は、どうしたのだろう。眼鏡の少年に支えられ、ブリッジを後にしたが。 ザフトからの攻撃で、少女の父親が乗っていた艦が堕ちた。 ザフトイコールプラント、プラントイコールコーディネータへの憎悪という図式は、彼女の中で確定的なものとなるのかもしれない。 でもそれは、きっと彼女だけではないことだ。 アスランがあの戦闘の中にいたのかは、ラクスには判らないが。 失う痛みを知っているあなたがどうして軍へ、と漏れ出しそうになる気持ちを、押さえ込む。 彼が呑み込まれてしまった渦は、あの少女には関係のないこと。 彼女の驚愕に見開かれてた眼が、頭から離れない。 本来なら、この艦の中を自由に歩き回って良いはずはないのだが、前を跳ねる球体のロボットは、外側から掛けられている部屋の鍵を、なんなく開けてしまう特技を持っている。 ラクスは丸いロボットに誘い出されるように、居なくてはならないはずの部屋から、外へ踏み出していた。 これから自分が、どう扱われるのか気にならないわけではなかったが、それよりもあの少女と彼のことが、ラクスには大事だった。 部屋に居ると、気持ちが落ち着かない。 少女の様子を尋ねるにしても、誰に話せば良いのか、あてもなく歩いていると、ふいに静かな通路に走る声が聞こえた。 泣き声のようだ。 ラクスは飛び跳ねるロボットを手中に収めようとしたが、球体は泣いている人が判るのか、そのまま通路を進んでしまう。 彼女が慌ててロボットの後を追うと、それはある場所で止まった。同じ所でピョンピョンと跳ねている。 彼女はロボットが止まった先を見る。 そこへ入るための扉はない。 通路からそのまま続く、広い空間と大きな窓。 展望デッキのようだ。 そこには。 大きな窓に手を着き、一人の少年が泣いていた。 栗色の髪の少年。 後ろ姿で顔を見ることは出来ないが、彼女にはその少年が誰であるかが判った。 ―――キラ・ヤマト。 この艦に助けられてから、何かと気を遣ってくれている少年。 話しをすることは、あまりなかったが、彼は自分もコーディネータだと言っていた。 少年の心の内を知る術はないけれど、アスランと同じで何かに耐えている雰囲気を纏っている。 戦場に立つ意味を、探している。 そう感じたのは、確かだ。 ほんの少し、話しをしただけでも伝わってくるものがある。 ―――話しをしてみたい。 ラクスは少年へと近づいた。 「・・・どうなさいましたの?」 突然声を掛けられて驚いたのか、彼は勢い良く振り返る。年齢はアスランと同じくらい。 だから余計に、少年がアスランと重なる。 愛しい人を想い出させる目の前の面に、ラクスはふんわりと笑った。 偶然は、一つの物語を生むもの。 わたくしは、キラというあなたのお友達を知りました。 あなたは、親友と呼べる大切な人と、戦っていたのですね。 戦わねば、ならなくなっていたのですね。 あたなが進むレールの上には、どうしてこれほどにも、背を向けたくなることが待っているのでしょう。 わたくしは、あなたが心配なのです。 あなたの心が、心配なのです。 あなたに。 あなたに―――。 逢いたい。 |