ヘリオポリスが崩壊するなど、俺たちの予定外のことだった。 俺たちは、地球軍の新型のモビルスーツが奪えれば、それで良かった。 五機の新型。 奪えたのは四機。 何かが狂い始めたのは、ヘリオポリスから。 奪えなった残り一機のモビルスーツ対、俺たちの戦い。 知らなかった事実は、知らないままだったから。 余計に、苛立っていたのかもしれない。 ヘリオポリスで、仲間が死んだ。 その事実を、イザークはどこか遠い現実として、受け止めていた。 大切な仲間なのに。 どうして激しい哀しみが、己を襲わないのか、不思議だった。 自分なりに、考えてみた結論は。 涙よりも、憎む対象が勝ったということで。 哀しみよりも憎しみが強かった。 強すぎて、泣けなかった。 奪ったモビルスーツで、出撃した戦場。 使えるものは使うのが道理だ、という考えに多少の反感を覚えたものの、地球軍によって造られたモビルスーツで振り下ろす力を、 奪われた側はどう感じたのだろう。 悔しいと思うなら、お笑いだ。 最初から、こんなモノを造らなければいい。 もし、こんなモノがなかったら。 「・・・そうさ、死んだりしてない・・・」 唇を噛み、イザークは自室から出ると、食堂へ向かった。 ヘリオポリスから飛び立った、足つき。 宇宙戦艦は、その名の通り宇宙を飛ぶものだが。 そこに浮いていた中立国は、崩壊してしまった。 戦争は激化する一方だ。止まることを知らない時のように、憎しみ合いは続いている。 そして、その中心に、イザークたちはいる。 奪い奪われる命たち。 自分の命なんて安いものさ、と呟く人間なんて居やしない。 互いを護るための争いで、散ったそれらは、どこへ向かうのだろう。 安息の地へ、辿り着けているのだろうか。 食堂へと続く通路の途中で、イザークは足を止める。 丸い小窓から見える闇を視界に入れて、見えるはずのない光を探す。 クルーゼと共に、プラントへ戻っている少年のことを考える。ヘリオポリスからこっち、彼の行動は奇怪だ。 奪取することが出来なかった、ストライクというモビルスーツ。 地球軍の誰かが操縦しているであろうその機体を、彼は必要以上に意識している―――ように見える。 地球軍とて必死だ。唯一残ったストライクを、戦場に出してくるのは当然のこと。 ナチュラルにしては上出来すぎるほどの、戦闘能力の高さを持つパイロットは、簡単に堕ちてはくれなくて。 苛立ちは―――あったのだ。 プラントにとって脅威となるものは、排除しなくてはならないというのに。 彼は。 破壊命令の出ているストライクを、捕獲しようとした。 何故、そんなことをする必要があるのか。 理由を問い詰めてみても、彼は何も言わない。 悔しげに、けれど切なそうに、イザークから視線を逸らした。 何かを。 どんな小さなことでもいい。 何かを、話してくれないと―――。 判らないではないか。 判らないことだらけではないか。 命令違反には、それなりの理由があるはずだ。 なのに。 何も語らない、閉ざされた唇。 話さない、ということは、話せないということなのか。 考えたところで、イザークには判らない。 誰にも判らない、彼の心だ。 彼と面と向かう機会が少なくなったなとイザークは思う。さほど休む間もなく、戦場を駆けているとしてもだ。 それだけではない、互いの距離が生じている。 同じ目的を持つ仲間という関係よりも、もっと近い存在になっているわけではない。 それなりにの程度なのだが。 人工の夜空を見上げた、あの屋上で。 胸の奥の小さな誓い。 イザークだけが知っている、イザークだけの勝手な誓いは。 ほんの少し、彼を苦しめるように疼く。 判らないから擦れ違う。擦れ違いは歪を生む。歪は小さくても、元に戻るのには時間が必要。 どうしようもない足踏みは、これ以上したくない。 だから。 イザークは彼の閉ざされた唇が、何かを語ってくれるまで、待つことにした。 ―――鍵はヘリオポリスだ。 そこで何かがあった。 それだけは判る。でも、それだけだ。 「まぁ、今はそれで充分だ」 イザークはかぶりを振ると、静かな通路を再び歩き始めた。 ガモフの食堂には、数人の兵士と良く知る顔があった。ディアッカである。 カウンターで食べ物が既に盛り付けてあるトレイを受け取り、イザークはディアッカと向かい合う場所へ、手に持っていたそれを置いた。 「・・・なんだ、お前一人か?」 モグモグと口を動かしながら、ディアッカが顔を上げる。コップの水を一口飲んでから、イザークに頷き返した。 「あぁ、ちょっと前まで、ニコルがいたけどな。てか、そういうお前も一人だろ」 口の端を上げるディアッカを嫌そうに見て、イザークは椅子へ座る。さして変わり映えのしない食事を摂るようになって、どのくらいの日数が過ぎたのか。 どうも宇宙へ出ると、時間の感覚がなくなる。 短いとは感じていない。 アークエンジェル――ザフトでは足つきと呼んでいる――を追う現状がここにある、ということだけだ。 パンを千切って口へ放り込む。食堂ではあっても、会話を弾ませている者は一人もいない。 イザークもディアッカも、会話らしい会話はなく。黙りを決め込んでいるわけではないが、なんとなく続けて話すような内容がなかった。 否、そうではない。 話題は意識せずとも、足つきとストライクへ向かう。 そして今は、プラントへ戻っている彼の少年のことも含み、机上の論議は激しい。 が、机上は机上だ。 言い合ったところで、何かが変わることはない。 足つきは、未だ落とせてはいない。 彼のことは―――。 判らないことが、多くなった。 力不足なのだろうか。足つきを堕とせないのも、彼との距離感を抱くのも。 イザークは小さく息を吐いた。 ゆっくりと食事を口へ運ぶイザークを、ディアッカはちらりと盗み見る。 ぼんやりと緩慢な動作の少年は、いつもの覇気が欠けている。戦闘空域ではないし、少なくとも今は体を休めることが出来る状態だが。 (どうしたんだよって訊かなくても、判るわな) それは、ディアッカもニコルも、思い感じていることだ。 足つきの追撃に、それ以上の進展はない。シュミレーションでは、呆気なく堕とせる敵も、本物は頭の中で描く理想の形とは、ほど遠い。 何より。 イザーク自身を悩ませているのは、きっと。 アスラン・ザラだ。 ディアッカとて、彼の独断での行動に、怒りを覚えていないわけではない。 彼の身勝手さがなけれがば、ストライクは今頃宇宙の塵となっていたかもしれないのだ。 もう、過ぎてしまったことを、とやかく言いたくはないが。 ただ。 彼らしくない、冷静さを欠く行動の裏を知りたいと思う。 焦りのようでもあり、何かを否定しているようでもある、表情の裏側を。 知りたいと思う。 話してくれと言ったところで、話してくれるような相手ではないけれど。 その彼も、今はプラントだ。 評議会から、ヘリオポリス崩壊に至るまでの経緯の説明を求められたクルーゼと共に、戦場を離れている。 (何なのかねぇ、一体) 足つきには逃げられてばかりで、アスランが何を考えているのかも理解出来なくて。 ディアッカは口の中で、厄日って重なるんだよなと呟く。 どりあえず、アスランのことは後だ。今は足つきを、追っているのだから。 「なぁ、イザーク。足つき・・・堕ちないよな」 ぽつりと言った科白に、イザークの眉根がピクンと動く。 「なんだ、それは。まるで俺たちが弱いみたいじゃないか」 「いや、そうじゃなくってさ。足つきを堕とす前に、ストライクをどうにかしないと、駄目な気がするってこと」 口を開けば、どうしても足つきのこととなる。何度となく話の中心になるそれを、二人は再び違った視点で、己の感情を吐き出した。 「・・・ストライクを?」 「そうじゃないの?あれを動かしてるパイロットが、どんな奴なのか知らないけど、ヘリオポリスの時より戦闘慣れを感じるんだよね。最初はぎこちなかったけど、やっぱ実戦続けりゃあ誰だって慣れるだろ」 「確かにな・・・」 イザークは食事の手を休め、持っていたフォークを皿の上に置いた。 ディアッカの言うことは判る。当初は不慣れさも見えたが、今日まで堕とせていないのだ。 「でもさ、あのOSだろ。まぁ、俺たちが奪った時のまんまってことはないだろうけど、俺らと互角に戦ってんだぜ。本当にナチュラルだと思うか?」 「・・・ナチュラルとて学習するだろ。実際、俺たちは手を焼いているんだ」 「まぁな。やっぱアルテミスは好機だったよなぁ。逃げられたけど」 苦々しい顔で、ディアッカは言う。イザークも記憶に新しい戦闘を、脳裏に浮かべた。 ―――アルテミス。 地球軍に属している、ユーラシア連邦の宇宙軍事要塞。 そこへ逃げ込んだ足つきに、イザークたちは攻撃を仕掛けた。アルテミスはレーザーやビームを通さない、光波防御体を備えている。 アルテミスに属している彼らには、完璧な防御性能だという過信があったのだろう。確かに外からの攻撃に対する防御には有効だが、内側からのそれには無意味のものだ。 敵を察知し防御体、通称アルテミスの傘を開く。ならば、アルテミス側に察知されなければいいわけだ。 ニコルが地球軍から奪ったモビルスーツ、プリッツにはミラージュコロイド、所謂ステルスシステムの機能があった。 地球軍が造った要塞を、奪ったとはいえ地球軍のモビルスーツが破壊する。 滑稽だとイザークは思う。 滑稽だが、結局足つきもストライクも堕ちてはいない。 溜息を吐くイザークに、ディアッカハ少しげんなりした口調で言った。 「クルーゼ隊長に、どう報告したらいいのか悩むよな」 「馬鹿かお前は。報告の心配より、足つきのことを考えろよ」 「だーかーらぁー。考えてるだろ。やっぱストライクでしょ。アレは問題だよね」 「そりゃあ問題だが、そっちばかり相手に出来ないだろうが」 「じゃあ、どうする?」 「・・・・・俺に聞くな!」 短く吐き捨てられた科白に、ディアッカは肩を窄める。 論議は所詮論議だ。机上で解決する問題ではないにしても、地球軍を追う身は、やはり屈辱的な部分がある。 だからといって、気持ちばかりが先走りすぎて感情的になったら、結果は同じだ。 自然と―――溜息も増える。 足つきのこと、アスランのこと。そして、ヘリオポリスで散った仲間のこと。 気分が沈むとは、正にこのことだ。 足踏みをする時間は、ないというのに。 重い気分のまま、二人の会話は途切れた。 ガモフのモビルスーツ格納庫。そこには、デュエル、バスター、ブリッツのガンダムが並んでいる。 補修のための機械音が流れる中、ディアッカはブリッツの開かれたハッチへ、ふわりと飛び乗った。 「なーんだ、まだいたの」 コックピットに座り、膝の上にキーボードを置いたニコルが、上目遣いにディアッカを見る。 「どうしたんですか?食事は済みました?」 「食ったから、ここに来たんだよ。あれからイザークも食堂に来たからさ、少し話しをしてたんだ」 ニコルに背を向けるように、ディアッカはハッチの上に座った。整備士たちが彼に会釈をするのを、片手を上げて応える。 「みんな、忙しそうだなぁ」 「戦闘・・・続きましたからね。よし、これで終わり!」 少年にしては、高めの声がコックピットの中で響き、彼の小柄な体が機械類に囲まれた箱から出て来た。 ディアッカの横に腰を下ろすと、両足をハッチから宙に投げ出し、前後に動かす。まるで、お気に入りの公演でお気に入りのブランコを楽しんでいる、小さな子供のようだ。 幼さを残すその横顔は、やはり戦場には不釣合いだが、彼も軍人であることに変わりない。 「・・・イザーク、機嫌悪そうですね」 少し困ったように笑い、ニコルが言う。ディアッカは、大げさに溜息を吐いた。 「あれは機嫌が悪いっていうより、苛立ってるってヤツじゃねぇの?」 「アスラン―――のことでしょうか?」 動かしていた足をピタリと止め、ニコルが硬い声音を発した。視線を落とす彼もまた、プラントへ戻っている仲間を気にしている。 「・・・だろうな。ていうか、俺らもそうだろ。まぁ、あいつのことだけじゃないけどさ」 「足つきとストライクですね。アルテミスがチャンスだったのに・・・。僕は甘かったのでしょうか」 肩を落とすニコルは、アルテミスの攻撃に対し、重要な役目を担っていた。ブリッツの機体の特徴でもあるミラージュコロイドだからこそ、可能な作戦であっただけに、彼は自責の念があるのかもしれない。 ディアッカは、自然と背中が丸くなってしまった少年の肩を、軽くポンポンと叩く。 「なーに言ってんの。お前が甘かったら俺たちどうなるんだよ。アルテミスと共倒れしてくれれば、一番良かったんだろうけど、欲張りすぎても駄目ってこと」 「そう・・・でしょうか?」 「まぁ・・・欲はあってもいいだろうけど。あんまり考え過ぎるなよ。お前一人で責任を感じることじゃないし、悔やむ暇があったら次はどうするか、考えろってね」 食堂から引き摺ったままの重い気持ちを、少しでも浮上させようと、ディアッカの口調は明るい。普段はそれほど親しく話しをすることはない、ニコルのところへ足を向けたのも、独りの時間を極力避けたかったからだ。 誰かと何かをしていないと、一度沈んでしまった気分から、なかなか抜け出せない。そんな気がしたのだ。 らしくないな、とディアッカは思う。 そのらしくなさは、彼にもイザークにも言えることで。 クルーゼ隊として、赤の制服を身に纏う者としての責務の大きさに、反比例するモノに振り回されたくはないのだけれど。 敵と、それ以外に漏れ出してしまった問題と。 さらりと受け流せるほど、単純なこのではないから頭が痛い。 ニコルもディアッカたちと同じだ。伏せ目がちな横顔は、十五歳の少年らしからぬ陰りを含んでいる。 「・・・アスランは大丈夫でしょうか?」 力なく背中を丸めたニコルが、ぽつりと言う。ディアッカはブリッツのハッチから見渡せる格納庫を、ぼんやりと眺めながら、俺が判るわけないだろう、と短く応えた。 「イザークもアスランのこと判ってないんですよね。もし・・・もしですよ。ミゲルやラスティが居たら、アスランのことも足つきのことも変わっていたと思いませんか?」 「止めろよ、そういうの。言うだけ無意味だろ。もう居ない奴らに救いを求めるな。解決するのは、俺らじゃん」 「・・・すみません」 項垂れてしまったニコルへ、ディアッカは馬鹿だなぁと大げさに前置きをして。 「アスランのことは、急ぐことじゃないさ。あいつが腹を割ってくれるのを待つだけっつーのも、気分的にモヤモヤしたまんまだけどな。イザークもさぁ、八つ当たりはして来るけど、肝心なことは意外と言わねぇし。あいつら二人そろって、言葉が足りねぇんだよ」 「外野は黙っていた方がいいってことですか?」 「俺らに出来ることは、特にアスランが自分の殻に閉じ困らないように、ベッタリくっついてること。責めるんじゃなくて、いろんなこと話すのもいいんじゃないの。きっと、ミゲルたちも同じことをすると思うぜ」 「・・・ディアッカ」 人懐っこい笑みを向けられ、ニコルの脳裏をほんの数日前の出来事が過ぎった。 地球軍の新型モビルスーツ奪取任務。 ミゲルと―――話しをしたあの日。 いつだって明るく、兄貴肌の少年が、ニコルは好きだった。 もう過去形でしか話せない、彼らのことを。 みんなが好きだった。 だから、彼らならこうするだろうことを、ニコルたちもやってみてもいいのではないか。 ニコルたちのやり方で。 「そうですね。僕たちはアスランのことを、もっと知らなくちゃいけないですよね」 「あいつが話さない分、俺らはしつこくさ」 束の間の休息。互いの胸にある、掴み所のない塊を吐き出すには、ちょうどいい時間。 アスラン・ザラという一人の少年の心が、少しでも自分たちと向き合うようにしたいと願うのは、我侭なことではないはず。 近々、プラントから戻るであろう彼が戸惑うほどに、沢山の話しをしよう。 ニコルもディアッカも、そうであればいいと思う。 自室のベッドに体を倒し、俺は温かみのない天井を睨む。 さほど広くはない部屋の静けさが、耳に痛い。 共にプラントから飛び立った仲間たち。 静かにしろと上官に怒られても、賑やかさを失いはしなかった仲間たち。 なのに、今は。 もう聴こえては来ない、声の主たちを想う。 同時に。 ―――お前の声が、聴きたいんだ。 俺は一人の少年へ、特別な感情を寄せる。 藍色の髪、碧の双眸、少女めいた綺麗な笑み。 ―――早くプラントから戻って来い。そうしたら・・・・・。 今度はちゃんと、お前の心を掴んでみせる。 俺は、遠いプラントの空の下に居るあいつに。 もう一つの誓いをした。 |