机上の上に置かれた数枚の書類。
その白い紙の中に、これからの未来が凝縮されているようで、ラウ・ル・クルーゼは小さな苦笑を浮かべた。
ナチュラルとコーディネータ。
地球連合とザフトという図式の中に。
中立国オーブが加わろうとしている。
否、それは既に判っていたと言うべきか。
白い紙に記載されている事実は、この戦争において極めて重要な意味を持つもの。
クルーゼは書類から眼を離すと、座り心地の良い椅子に、深く身を沈めた。
机を挟んで、アデスが直立不動の姿で、彼を直視している。仮面を付けた男は、淡々と話し始めた。
「何を敵とするのか、何に対して戦争をするのか。所詮人間は、隣人と仲良く出来ない生き物なのかもしれない。人と人とが憎しみ合った先に、一体何があるというのか。平和を 望むなら、武器を持たねばいいこと。それが出来ないのは、人間の愚かさだ」
クルーゼの独り言のような言葉の羅列だが、彼なりの感情が押し込まれていることを、アデスは知っている。姿勢を崩すことなく、彼は目の前の青年を瞳に捉えていた。
「その愚かさに気付いていても、いろいろな理屈を並べて見てみぬフリをしている。オーブも同じだ。中立を掲げ、あらゆる争いに関与しないというのは、表面上は平和主義に見えるが、 物事が綺麗過ぎて気持ち悪いと思わないか。まあ、奴らの考えに同調することがこれから先にあるのかは判らないが、少なくとも今は我々の味方ではない。ヘリオポリスが、それを物語っている。違うか?」
応えを期待しているのではないのだろうが、クルーゼはそこで一旦口を閉ざす。人工の柔らかな光が入り込んでくる部屋は、その穏やかさとは裏腹に、緊張の空気に包まれていた。
ヘリオポリス。
中立国オーブの宇宙コロニー。
戦い、という文字から一歩も二歩も、離れている国。
そこで暮らす人々は、今も繰り広げられている戦争を、ブラウン管を通して見ている。
緊迫度なんてありはしない遠い現実を、彼らはどういう気持ちで瞳に映しているのだろう。
アデスが考えたところで、判らないことだ。
しかし。
平和を司る国の一部が、もうすぐ戦場となろうとしている。
戦争に関与しない国が造る、モビルスーツ。
巨大なバスターライフルの矛先は、確実にプラントだ。
知りえた事実を、無視するわけにはいかない。二度と血のバレンタインを、繰り返すわけにはいかないのだ。
アデスは、短く簡単に胸の内を語った。
「オーブの強かさは、今に始まったことではありません」
オーブがこの戦争の表舞台に立つかは、まだ微妙だとアデスは思っている。中立が、そう簡単に派手に動くことはない。
だが―――。
現実に造られているモビルスーツがある。
中立という傘の下で造る兵器は、一体どんな意味を持つものなのか。
平和を願い造りました、なんて言いはしないのだろうが。
なんともいえぬ不快さが、アデスの中であたまをもたげ始めた。
「強か、か。そうなのだろうな」
仮面の下で、クルーゼは小さく笑う。それは、不敵といえるもので。
アデスは息を呑んだ。
「ヘリオポリスへ攻撃をかける。任務は新型兵器の奪取だ。いいな」
まるで連絡事項を伝えるかのように、けれどきっぱりと言い放つ。鼓動の速まりを、アデスは感じた。
「し・・・しかし。評議会からの返答はまだ・・・」
「議会は戦場と遠いところにあるのだよ。事後報告で構わんさ」
評議会を軽視しているのではなく、彼は議論より実践派なのだ。決定を待ったところで結果が同じなら、それを実行するのが早いか遅いかの違いである。
評議会はペリオポリスのことを把握している。攻撃するには、それで充分だ。
躊躇いがちな表情のアデスに、クルーゼは言う。
「アスラン・ザラを隊長とする部隊を結成する。彼らは完璧に、任務を遂行してくれるはずだ」
アスラン・ザラの名前を言われ、アデスは小さく唇を噛んだ。
彼を隊長とする。
即ち、少年兵だけの部隊になる、ということ。
彼がザフト軍のエースパイロットであることは、誰もが知っていること。もちろん彼以外にも、同じ年頃の優秀なパイロットがいる。
その少年たちを総動員しての、奇襲攻撃となるのであろう。
アデスは仮面の男から、少しだけ視線を逸らす。
まだ幼さを残す少年たち。自らの意思で、軍へ入隊したとはいえ、まだ十代の子供だ。
たとえ、既に戦場へ出ているとしても。
たとえ、プラントでは十五歳を成人とみなすとしてもだ。
アデスは、彼らが実に優秀な、エースの名に恥じぬパイロットだということを知っている。
彼らなりの冷静さを抱いていることも。
けれど。
一抹の不安は、いつも付き纏う。
戦場は、死と隣り合わせだ。そんな判りきっていることさえ、怖いと思う。
甘い、と言われようが、自分の気持ちが変わることはない。
人間として、当然の感情だと。
そんなアデスの心の内など判りきっているのか、仮面の青年は短く反論を許さない響きで言った。
「迷うなよ、アデス」
青年の、凛とした声音が、アデスの体に染み込む。
「・・・はい」
戦火の中へ赴くのは、少年たちだ。
アデスは、彼らの背中を見つめることしか出来ない。
―――迷うな。
実に様々な意味が込められた言葉だ。
戦うこと、戦わねばならぬこと。
少年たちへ背負わせるもの、自分が背負うもの。
少なくとも己の迷いはない、とアデスは思っている。
だから、せめて。
彼らのために、祈る。
みんな無事に、帰還して欲しい。
声に出来ない想いを。
いつもいつも。
願っている。


ザフトの制服に、腕を通した遠い日は。
プラントと地球の平和を、祈っていた。
あの時の胸の熱さを。
―――忘れてはいない。





事実に流されるのか。
それとも、自分で事実を作るのか。
たとえばそれが戦争ならば。
誰もが後者を、望むであろう。


少年たちは。
事実の当事者になるべく。
熱い意志を貫く。









軍施設内にある格納庫。
ザフトの主力兵器であるモビルスーツ「ジン」の間を、整備士たちが忙しなく動いている。
ニコルはその様子を、彼らの邪魔にならないよう、静かに見上げていた。
戦争の状況を伝えるニュースの中に、この機体が映し出されない日はない。破壊された街に立つ巨大な機体は、それだけで戦火の広がりを教えていた。
ニコルは、小さく息を吐く。
時折、どうしょうもないほど、父や母の顔が見たくなる。
ニコル、と名前を呼んで欲しくなる。
それは、きっと。
壊された街並みを、プラントと重ねているからだ。
―――いつかプラントも。
そう、考えてしまう。
血のバレンタインの時と同じように、ほんの一瞬で宇宙の暗闇に消えてしまうのではないか、と。
怖いと思う反面、とても矛盾していることをニコルは判っている。
ナチュラルの街を壊しているのは、ザフトであり自分なのだから。
報復と言う言葉は、好きではない。
好きではないが。
それの繰り返しが戦争なのだと、ニコルはニコルなりに思っていた。
「・・・終わりが見えないって言うけど、本当にそうなんだろうな」
口にしてしまうと、現実はやはり重い。だからといって、逃げ出したいとは思わない。
独りではない力強さ。同じ想いを抱く仲間の存在が、今のニコルを動かしていた。
「あれ?ニコルじゃん。こんな所で何してるんだ?」
突然、耳に声が届いてニコルは視線を移す。
「・・・ミゲル」
白い歯を覗かせ、ミゲルがニコルへ近づいた。少し首を傾げ、ニコルを見る。
「お前一人なの?つーか、何してるワケ?」
不思議そうに尋ねられ、ニコルはほんの少しだけマイナス方向へ傾き始めた頭の中を、元へ戻す。
「別に何でもないんですけどね。そういうミゲルは、どうしたんですか?」
「俺は単にフラフラしてただけ。特にやることないからさ」
そう言いながら、ミゲルは壁に背を預け、腕を組む。彼の眼は、ジンを捉えていた。
ニコルも再び巨大な機体を見る。整備士たちは、相変わらずこまごまと動いている。
「・・・地球軍の新型、どう思う?」
ふいに漏れた科白に、ニコルはちらりと隣の少年を視界に入れる。
(あぁ、やっぱりね)
午前中のミーティングでクルーゼから報告されたそれ。地球連合軍が中立国であるオーブで、新型のモビルスーツと戦艦を製造していると。
その事実は、ある種の衝撃と脅威を、ニコルたちに齎した。
「中立を利用してモビルスーツを造る連合のやり方は最低だと思いますけど、それ以上にモルゲンレーテの技術力は恐いですね」
少年兵に課せられた新型モビルスーツの奪取。自分たちはその任務をこなせるだけの力があると、ニコルたちは思っている。
けれど重要なのは、任務へ赴く前に感情面の処理を、どうにかしたい少年もいるわけで。
それが今のミゲルであり、ニコルもである。
「だよな。連合とモルゲンレーテとオーブ。なーんか嫌な感じだ」
「・・・そうですね。でも、少なくともオーブに住む人たちは知らない事実でしょうし、彼らには迷惑な話ですよ」
「迷惑ねぇ。中立に住んでいる奴らに、ナチュラルもコーディネータもないんだろうけど、戦争の現実と無縁な分、きっと俺たちのことは他人事みたいなところ、あるだろうな」
ミゲルはもちろん、ニコルもプラント生まれのプラント育ちだ。周囲にナチュラルが少ないとはいえ、彼らを無意味に嫌ってはいないし、そういうつもりもない。
それと同じで、中立に住む人たちの間に、互いの差別意識が皆無に等しいことをミゲルたちは知っている。
だから中立なのだ、と。
しかし、である。
オーブから一歩出てしまえば、地球もプラントも戦争状態だ。
この意味を、彼らは本当に理解しているのであろうかと、ミゲルは思う。中立という甘い場所に住む彼らにとって、ニコルの言うように迷惑な話、というのが本音としてあるのだろう。
が、それもあと少しで終わる。
彼らの足元には、地球軍の新型モビルスーツ。
「迷惑な話でも、他人事でも、済まなくなるよな。俺たちがヘリオポリスに行けばどうなるか、お前にも判るだろ」
「・・・戦争が嫌で、オーブにいる人も多いでしょうし、僕たちの行為を許さないでしょうね。地球軍は秘密裏に動いているわけだから、秘密が漏れなければそれでいい。でも、僕たちは 秘密を暴きに行くのが任務です。きっと、悪者ですよ、僕たち」
小さく口の端を上げ、ニコルは言う。彼らにとっての任務は、中立国を赤い炎で染める。後ろめたさがない、と言えば嘘になる。
でもそれには、気付かないフリをしている。きっとこれからも、沢山感じるであろう、全てを納得出来ない小さな迷いだ。
「・・・悪者は嫌いか?」
心優しい戦友へ、ミゲルは訊く。
「好きではありませんよ。悪者意識はないですけどね」
「そうさ。俺たちは悪者でも正義の味方でもない。単なる兵士だ。プラントを護る兵士だよな」
どこか確認をするような声に、ニコルは頷き返した。
「僕たちは兵士です。プラントを護るために、ここにいる。だから・・・」
僕たちは間違っていない、と。
自分自身へ言い聞かせているのだろう。ミゲルは彼の意志の強さを、改めて感じた。
何の疑問も持たず、素直に戦いだけを考えることが出来たら、これほど楽なことはない。
でも、それはきっと難しい。
難しいから、時折、こんな風に誰かに話し相手を求めるのかもしれない。
そうだね、と言って欲しくて。
「・・・正しい戦争なんてありはしないだろうけど、後悔はしたくない。俺たちのしてること、信じてることは正しいよな」
「正しいですよ。ただ、少し色々なことを考えてしまうだけで・・・」
「でも、考えることは大事さ。それをしなくなったら、お仕舞いだ」
人間は考える知恵がある。戦争が、その知恵の集合体だとは思いたくはないが。
もし仮に。
己の信じた道が、間違っているとしたら。
―――そんなことが、あるのだろうか。
否、それはない。絶対にない。
護ることに、間違いはないはずだ。
「大丈夫だよな、俺たち。このまま進んでいいよな」
何も応えてはくれないモビルスーツを睨み、ミゲルは言う。
人が乗らなければ、このモビルスーツは大きすぎるお飾り人形だ。人が乗り、操縦桿を握って、初めて動き出す兵器。
その兵器を前にして、二人の少年は、これからの自分たち自身のビジョンの明確さを、今更であるかもしれないが、見出そうとしていた。
ミゲルの、大丈夫だよな、に込められた想いの意味。
互いに戦場へ立つ身だから、ニコルにはその意味の深さが伝わってくる。
大丈夫。
きっと大丈夫。
小さな迷いや不安は、誰もが感じること。
それでも、大丈夫だよという言葉は、強く胸に響く。
「・・・大丈夫ですよ。僕たちは独りじゃないでしょう。僕はそれで充分だと思うんです。任務だけじゃない想いがある。みんな、そうですよ」
ニコルは、ふんわりと笑った。ミゲルも微かに眼を細めて。
二人の少年は。
仲間の心強さを知った。
互いに顔を合わせて、クスッと笑う。
「なぁーんか、しんみりしてる?俺たち・・・」
「ふふ・・・。僕たちには似合わない、なんて言わないで下さいよ」
「そうじゃないけどさ。しんみりした分、気持ちが楽になったよ」
「僕もです」
ニコルは照れたように笑った。
「戻りましょうか。もうすぐ、夕食ですよね」
「あぁ、戻るか」
二人は格納庫のざわめきを後にする。
ヘリオポリスへの奇襲。
平和を望んだ人たちの、最後の砦は。
もうすぐ、崩れようとしている。
若き兵士たちが、追い求める希望の未来は。
未だ、遠い。



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