喉の渇きに、ディアッカが自販機の備わっている多目的ルームへと向かったのは、夜も十一時を過ぎてからだ。 宿舎の二階にあるそこは、兵士たちのミーティングの場になることもあれば、雑談の場と化すこともある。 が、圧倒的に後者使用が多い。ディアッカは、静かな夜の中を、少しだけゆっくりとした足取りで進む。 廊下で擦れ違う仲間は数人。早い者は、既にまどろみの中だ。 二階の南側の突き当り。 自動で開く、多目的ルームの扉の向こうに。 先客がいた。 腕を枕にして、机に突っ伏している少年が一人。 顔が見えなくても、すぐに判るその人は、ディアッカが部屋に入ってもピクリとも動かない。 眠っているのであろうか。ディアッカは机を挟んで、彼の前に回った。 「おーい、アスラン。寝てんの?」 椅子に座り、目線を同じにして、彼の名前を呼んでみる。すると、彼がゆっくりと顔を上げた。 「・・・あ・・・ディアッカ」 アスランの、とろんとした瞳と、ディアッカのそれがぶつかる。ディアッカは少し大げさに溜息を吐き、机から上体を離した。 「あ、じゃないよ。お前さ、こーんな所で寝るなよなぁ」 「・・・ごめん。いつの間に寝たんだろ」 眠いのであろう、アスランは机に肘をつき、眼を擦った。そんな彼の様子を、ディアッカは瞳に映す。 濃い藍色の髪が、しっとりと濡れている。 赤い制服に身を包んだ時とは全く違う顔をした少年が、ディアッカの前にいた。 「・・・疲れてる?」 そう訊いたのは、なんとなく。 連合のモビルスーツ奪取では、現場の重要な指揮官となる彼。 二つのグループに分かれての作戦。一つはアスラン、もう一つはイザークを中心に行動を起こす。 一つの隊を任される重み。 イザークは相変わらず涼しげな表情で、何ら変わったところを見せはしない。 が、アスランは―――。 パソコンと睨み合いを続ける姿を、よく見かける。任務のシュミレーションを、繰り返し行っているようだ。 眉間に寄せる皺が、増えたなと思う。 でも、掛けるべき言葉などなく、見つかりもしない。 だからディアッカは、何も言わない。言わない分、気にはしているけれど。 「そう見えるかな?」 アスランから逆に問われ、ディアッカは小さく口の端を上げた。 「見えるよね。自覚ある?」 「自覚って言われてもなぁ。眠いくらいで・・・」 「眠いんなら、それで充分じゃん。実際の任務まで、まだ時間あるし、今から疲れてどうすんの」 呆れた口調のディアッカに、アスランが頬を膨らませる。子供っぽい拗ね方が、妙に幼い。 (アスラン・ザラねぇ) ディアッカは偶然にも、彼と二人だけの空間であることを、改めて思う。 正直なところ、アスランとの接点はあまりない。まだまだ短い付き合いではあるが、ピンと背筋を伸ばした色を、気に入ってはいるけれど。 ニコルやミゲルとは、気が合うのか仲がいい。しかし、ディアッカやイザークとはそれほど親しくはない。 そういう認識はある。 否、あったと言うべきか。 あの休日―――。 あの日から、眼には見えない何かが、少しずつ変わってきたようにディアッカは感じている。 自分や他の仲間ではなく。 アスランとイザークが。 変わったように思う。 何かが、あったのだ。彼らの間に。 ただ、その何かや、どこがどう変わったのか、ディアッカにはよく判らない。 例えば、あれから時折ではあるが、彼ら二人が一緒に肩を並べる姿が多くなったとか。 イザークの彼を見る瞳が、厳しさだけではない色を含めるようになったとか。 変化といえるほどのものではないが、そういう小さなことは確かにある。 お互い同じ場所で生活しているのだ。第一印象は、あくまで瞬間的なもの。 その瞬間的な印象を、いつまでも引き摺っているわけではないが。 ディアッカはイザークと違う。性急に彼を知る必要はない。 ゆっくりと確実に、今よりももっと感情移入してしまうほどの距離になればいい。 そう思うのは、きっと。 さきほどの、膨らんだ頬のように。 制服に包まれて、普段は隠されている、本当になにげない表情などと出逢ったとき。 凛とした姿も、気に入っている。 それ以上に、内面的な部分を気に入りたい。 嫌い、ではない。好き、というほどのことでもない。 ただ、気に入っている部分はあるから、悪い方向へは転ばないのではないか。 頼りない表現かもしれないが、人と人との交わりなんて、きっとそんなものだろうとディアッカは思っている。 夜の静かさに包まれた空間。 どこかの部屋から、微かな声が漏れてくる。 テーブルを挟んで、眠たげに体を椅子へ深く預けている少年に、一つ溜息を吐いて。 「・・・お前、部屋に戻んないの?」 「もう少し、ここに居る。ディアッカは何しに来たんだ?」 「俺は喉が渇いたから、なんだけど・・・。まぁいいや」 そう言うと、ディアッカは椅子から立ち上がり、窓へと移動する。室内灯の反射で、窓にアスランの姿が映っている。 何か言いたそうに、ディアッカの背中を見ている碧の双眸。一人で何かを考えたい時もあるだろう。 自分たちに与えられた任務。その任部が、持つであろう意味の大きさ。 多かれ少なかれ、今回のことは、誰もが己の胸で出せる考えを漏らしている。 戦場と化した場所へ行くのではない。自分たちが火種となって、ヘリオポリスへ行くのだ。 彼に、この事実は重いのだろうか。 「なーんか、言いたげな顔したるぜ」 ディアッカは、窓に映る少年に言った。 「別に・・俺は・・・」 俯いてしまったアスランを振り返り、ディアッカは肩を窄める。 「言いたいこと、ちゃんと言わないと、禿げるぞ」 この場の雰囲気を柔らかくするための冗談は、意外にもアスランにウケたようだ。 頬を緩めた横顔は、疲れはあっても前向きさを失っているものではない。 「ほら、言っちゃえよ。俺、付き合うぜ」 「ふふ・・・。お前が俺に付き合ってくれるなんて、なんだか変な気分だ」 「かぁ――!それどういう意味だよ。独りでウダウダ悩むより、二人の方が解決する糸口を見つけられるだろ。俺のありがたい慈悲だ」 胸を張って言うものでもないが、笑えるだけの余裕があるなら、それがいいに決まっている。だから、少しだけ大げさな表現になるのは、ディアッカなりの気遣いだ。 アスランもそのことを気付いているようで。 ふんわりとした、優しい笑みを浮かべた。 「う〜ん、いい顔するね。お前の、そういう顔、好きだぜ」 「へっ・・・?」 きょとんとするアスランに、ディアッカはにんまりと笑う。 「あんまり難しい顔、すんなよ。みんなベスト以上の形で、任務を終わらせようとしてるんだからさ」 「・・・それは判ってる。でも、不安だって言ったら、怒るか?」 アスランの少し硬い声音。彼の心の内側に触れた気がして、ディアッカは息を呑む。 ―――怪我も何事もなく、無事に同じ場所へ戻れるか。 戦いの場へ出る身に、それは無理な話だ。 ディアッカは窓に背を預け、胸の前で腕を組んだ。 兵士に年齢は関係ない。子供だからと、相手が躊躇うこともない。 不安も恐怖心も。 万が一のことを考えると、どうしても拭いきれないもので。 けれど、仮定よりも―――。 人工灯の光りを仰ぎ見て、ディアッカは笑みを秘めた眼差しで、アスランを捉えた。 「不安っていう気持ち、俺も判らないわけじゃないぜ。撃って撃たれての世界だもんな。でも、みんな必死だろ。その必死さを、信じるのもいいんじゃないの?怪我の 心配もいいけど、結果を出す前から悩む必要はないと思うよ」 「・・・ディアッカ」 「みんな、お前が考えてるより大人ってこと。やるべきことは判ってるし、てか、俺たち強いじゃん。連合の新型は、あと数日で俺たちの手の中ってね」 片目を瞑り、ディアッカはおどけた口調を披露する。 考えて悩んで、悩んで考えて―――。 見出す結論は、頭の中でなく己の手で掴むもの。 今回の任務も、やってみないと何が待ち受けているのかなんて、判らない。 考えることも大切。 でも。 きっと上手くいく、みんな同じ場所へ戻って来れる、と信じる気持ちも大切。 (俺って、こんなに甘いヤツだった?) 自問したところで、答えは出ないが―――きっと。 仲間意識の現われなのだと。 「こーんなところに独りで居るより、誰かに気持ちをぶつけた方が体にいいぜ。俺ら、仲間デショ」 口の端を上げるディアッカを暫し見つめ、アスランも笑みを返した。 「そう・・・だな。ディアッカの言う通りだよ。みんなを信じてる。この任務、必ず成功するよな」 「当ったり前だろ。信じるのが何より大事じゃん」 任務という、与えられた軍人としての役目に、疑問を持ったことはない。自分たちは、戦争を起こす火種ではない。 ピリオドを打つそれだ、という自負がある。 ディアッカは窓から離れ、椅子に座るアスランの腕を取る。 「ほら、部屋に戻るぞ。明日も早いんだからさ、さっさと寝る!」 「ちょ・・・ディアッカ」 ディアッカに引っ張られるように、腰を浮かしたアスランは、腕を掴んだまま歩き出す彼に声を上げる。 「・・・何だよ。離せってば」 「いやぁ〜。二人仲良くお手繋いで部屋に戻るの図。なーんてね」 「・・・意味、判んないんだけど」 多目的ルームから出て、自室へ向かう二人分の足音が、廊下に低く流れる。 アスランは自分の腕を掴んでいるディアッカの手を見つめた。 少し痛いくらいに力を込めてくる彼は、まるでアスランの不安定な心の隙間を、繋ぎとめているようで。 ヘリオポリスへの攻撃という形になってしまう任務の、遣る瀬無い息苦しさと。 失敗の許されない重い責任を、誰も傷つくことなく行えるかという、シュミレーションだけでは判断しきれない現状を、怖がっていることと。 誰もが明確な解答を持ってはいないのに、独りで勝てに悩み続けていた自覚は、もちろんアスランにはある。 誰かに話した分、気は楽になるだろうが。 この任務の指揮官という位置を与えられた者として、不確定な不安を吐き出すことはしたくなかった。 けれど―――。 ディアッカが向けてくれた気遣いは、アスランにとってやはり救いの手であり。 彼の言うように、事が始まってもいないうちから、結果を考えるのはいいことではない。 自分一人が背負っている役目ではないのだ。 仲間が居る。共に戦場を駆ける仲間がいる。 ―――信じることが、何より大事。 アスランは背の高い少年の、なにげない優しさに嬉しくなる。 「ありがとう、ディアッカ」 「あん?何で、ありがとう、なんだ?」 ディアッカが首だけ動かして、アスランを見る。 「・・・まぁ、いろいろと」 「ふーん、いろいろねぇ。こんな俺でも、役に立てて何よりってことか」 「充分、役に立ってるよ」 「そりゃあ、どうも」 唇を三日月の形にするディアッカは、どこか満足げだ。 立ち止まることが許されるほどの余裕のない世界で、軍人という意識を身に覚えさせたのは、まだ遠くない過去。 悩むことより交わす言葉の大切さを実感しながら、アスランは少しだけ表情を引き締めた。 時は過ぎる。 未来への道を刻むそれは、止まることを知らない。 地球軍の新型モビルスーツの奪取。 平和の国、ヘリオポリスに響く銃声と、赤い炎。 撃って撃たれての世界が広がる中。 少年たちは、目的のモビルスーツへ走る。 自分たちのやるべきことが、正しさを持つものだと信じているから、走る。 銃弾の雨の中。 一人の少年が、倒れた。 「ラスティ!!」 少年の名を叫んでも、彼は立ち上がらない。 ―――みんな無事に、誰も傷つくことなく。 甘いと判っていても、祈らずにはいられない想いは。 届かない。 倒れた少年。 ここで足を止めたら、彼は「何やってんだよ」と怒るだろう。 任務は、続いているのだ。 眼の奥が、熱い。 動く体をそのままに、振り返ることはしない。 ごめん、ごめんね。 何を謝るのか判らないけれど、声が漏れた。 望む世界を現実のものとするための犠牲だなんて、そんな綺麗すぎる言葉はいらない。 一つしかない命の重さを胸に抱いて、目指すモビルスーツを視界に捉えた。 そして。 時は過ぎる。 一時も止まりはしない。 握り締めたナイフの先。 別れたのは、三年前。 「・・・アスラン・・・」 良く知る声に、体が動かなくなる。 「キラ・・・?」 戻らない時間。 思い出は、今も鮮やかに。 赤い炎に包まれて。 二人の少年の時が。 再び、交わった。 |