宇宙に浮いている巨大な砂時計の形をしたプラント。地球とは違い全てが人工、所謂機械で制御されている。 朝の眩しいと感じる光も、夜の闇も、季節でさえも。だから、当然のように時間が遅くなれば、気温が下がるのだ。 宿舎の屋上。ひんやりとした空気に、イザークは微かに顔を顰める。 軍の敷地内にある灯りだけでは、心許ない足元だが、障害物は無いのだ。周りの暗さに眼が慣れるのを待って、イザークはまっすぐに歩き出す。 捜していた彼は。 ―――居た。 暗闇と一体化でもするつもりなのか、コンクリートの上に寝そべっていた。 「・・・こんなところで寝っころっがて、背中が痛くないのか」 細い体を大の字に伸ばし、アスランは決して星たちの輝きが映らない夜空を見つめている。 「・・・何か用?」 つまらなそうに訊いてくる彼を見下ろしたまま、イザークは冷静な口調で言った。 「家に帰らないんだな」 すぐ傍に居るのに、お互いの顔がはっきりとしない。けれど、イザークにはアスランが泣いていた事が判った。黙ったままのアスランに構うことなく、彼は口を開く。 「お前の父親を見た。てっきり迎えに来たんだと思っていたがな。・・・・・夕飯、食ってないだろ」 アスランから返ってくるものは何もなく。仕方ないとばかりに、イザークも彼の横に座った。 「意外と甘ったれだな。せっかくの休暇を父親と過ごせなくて、拗ねるような年でもないだろうが」 「五月蝿いな。お前こそ何だよ。用がないなら、どっか行け」 イザークの言ったことは、どうやら図星だったようだ。機嫌の悪さを隠そうともしないアスランは、妙に子供っぽい。 あの笑顔と今と、そして誰もが知っている淡々とした彼と。 同じ少年なのに、違う少年ではないかと思うのは、初めて出逢う表情があるからだ。 イザークの知らない彼。笑ったり怒ったり。些細なことならもちろんあったが、どれも小さな変化で。 無表情ではない。ポーカーフェイスを気取っているわけでもない。 イザークがアスランに抱いていた、取っ付き難さや苦手意識は、単にアスラン・ザラという一人の少年を良く見ていなかっただけらしい。 ただ、変に背伸びをした少年。それが彼だということが、なんとなく理解出来た。 だから、意地の悪いことを訊いてみた。 「お前らしくないな。ポーカーフェイスが台無しだ」 「らしくないって何だよ。俺はポーカーフェイスじゃない」 「・・・そのようだな。俺は今まで知らなかったアスラン・ザラに今日逢った」 「勝手に言ってろ・・・」 ゴロンとアスランはイザークに背を向ける。起き上がる気配はなく、一人にさせろと、その背中が語っていた。 しかしイザークもこんなところで引き下がるわけにはいかない。寒くはないが、薄手のワイシャツ一枚のアスランが、いつまでも居ていい場所ではないのだ。 当人が一番良く理解しているだろうに、ここから動かない理由は。 父親と一緒に過ごせなくなったことを、受け止められずにいるのか。 拗ねた気持ちが治まらないのか。 イザークには判断がつかない。 だが同時に、これほどまでアスランを依怙地にさせるのが何なのか。 それを知らなければならないと、イザークは思った。 アスランにとってはつまらないことではなく、重要な意味を持つもの。 原因を知る必要があると。 「一体何があった?」 「・・・・・」 訊いたところで素直に話す彼ではない。イザークは言葉を選びながら、ゆっくりと言う。 「話す話さないはお前の自由だ。でも、ここでうだうだしてても仕方ないし、それに腹が減っているとロクな事を考えない」 アスランのほっそりとした背中は、イザークを拒絶しているようにも見える。無理に訊き出そうとしたところで、相手は沈黙を破ろうとはしない。 しかし、だ。 気になる、気になる、気になる。 アスラン・ザラが気になるのだからしょうがない。 彼自身を知るためには、家に帰らない原因を突き止めるのが近道だ。 イザークは。 気になる人物には、しつこく諦めが悪いのだ。 「父親にはいつだって逢えるだろ。拗ねる必要が・・・」 イザークが皆を言い終わる前に、アスランが突然上体を起こし、彼に振り返った。 「何だよ!今日に限って五月蝿すぎだ。イザークには関係のないことだろ」 怒っているのとは少し違う。声を荒げたのは、行き場のない感情が、内側から外へ出てしまったからのようだ。 自分の殻に閉じこもってしまっている目の前の少年が、ザフトのエースパイロットだと言っても、誰も信じないだろう。それほどイザークにはアスランが幼く映った。 (ギャップがありすぎるんだ) 何故だかとても可笑しい。笑ったらアスランが怒ることは簡単に予想されたが、どうにも可笑しかった。 「ふっ・・・あははは」 「わ・・・笑うところか!馬鹿にするなよ」 「すまん。馬鹿にしているんじゃない。ただ、ギャップに慣れないだけだ」 「・・・・・」 訝しげに眼を細めるアスランに、今度は真剣な眼差しを送り、イザークはここへ来た目的を告げた。 「・・・気になった、それだけだ。お前のことが不思議なほど気になった。だからお前を捜した。確かに俺には関係のないことだがな。別に言いたくなければ、それでいい」 イザークのまっすぐな視線は、アスランが眼を背けたくなるもので。 アスランは寝っころがっていた所から立ち上がると、屋上を囲むフェンスへ体を預けた。 二人の距離は五メートルほど。大声を出す必要のない、微妙な隔たり。 ふんわりと、風が流れる。 お互いの髪が音もなく揺れた。 先に口を開いたのは、アスランだ。 「俺のことが気になるなんて、可笑しいね。イザークらしくない」 「そうだな。らしくない」 「なんで、俺のことが気になった?」 「・・・言ったところで、笑われるようなことだ」 「ふーん。イザークらしい答えといえば、そうかな」 ぼんやりとした輪郭。相手の声だけに、神経を集中させる。 「・・・どんな形であれ、イザークが俺を気にしてくれたのは嬉しいよ。俺たち、仲良くはないからさ」 「確かに仲は良くないのだろうな。だからといって、不都合はないだろう」 「それはそうだけど、同じ部隊に居るんだから、仲が悪くても嫌じゃないか」 「お前、もしかして、俺と所謂友達になりたいのか?」 「それは、イザークの方だろう」 「なんで、そうなる!」 叫んでからイザークは、なんだか会話が違う方向へ進み始めているのに気付いた。 「ちょっと待て。俺はこんな話がしたい訳じゃない」 「じゃあ何?」 「そ・・・それは・・・」 上手い言葉が見つからないイザークに対して、アスランはどことなく余裕のある雰囲気を纏っている。ほんの数分前の拗ねた子供は、話のペースを自分のものへと変えていた。 「イザーク、いい事を教えてあげるよ。誰かを気にする、気にし始めるっていうのは、その人と今以上の関係を築きたいと思っているからなんだ」 「ち・・・違う。俺はお前の事は気になったが、友達と呼べる関係なんて・・・」 望んでは―――いない。 否、今までの事実関係より、一歩踏み込んだそれにしたいと思っている? イザークは、焦り、混乱した。 何故か速くなってしまった胸の鼓動を無視して、イザークはアスランを睨みつける。が、余裕そうだった彼は、またも一瞬で既に淋しげな微粒子に包まれていた。 「アスラン・・・?」 「ごめん、変なこと言ったね。俺と君は今の関係のまま進むんだ。それ以上はないよ、きっと・・・」 そう言うと、アスランはその場へズルズルと腰を下ろす。膝を抱えて丸くなった。 「俺と父さんも同じ。父さんの仕事が大事な事だって、頭では判っているんだ。俺に仕事を休んで、なんて言う権利はない。でも今回は大丈夫だって言ったんだ。俺に合わせて休みを取るって。一緒に母さんの所へ行く約束だったのに・・・」 走り出した感情を抑える為か、アスランは抱え込んだ膝に顔を埋める。 ―――血のバレンタイン。 地球軍の核攻撃により、プラントの一つであるユニウス7が崩壊した。 一瞬にも満たない時間の中で、二十四万もの人々の命を奪った光。 アスランの母親も、犠牲となった一人だ。 この核攻撃が、ナチュラルとコーディネータとの溝を、決定的なものにしたと言っても過言ではない。 誰もその地に眠ってはおらず、墓石だけが静かに並んでいる場所を、アスランはどんな想いで花を手向けるのか。 一人で行くには淋しすぎる。父親と一緒に、という約束は消えてしまった。 小さな小さな子供。 背中を丸めて、泣くのを堪えている。 脆い、子供。 二人の間に広がる闇を、イザークは邪魔だと思った。 自分たちの関係など。 アスランの言うように、気にし始めたことは、一つのきっかけなのだ。 手を伸ばして掴まえる距離なんていらない。 手を伸ばさなくても、ちゃんと掴まえられる近さにしたい。 イザークはアスランの目の前に膝を折る。 息が掛かるほど、近くに。 距離など感じないほど、近くに。 「家には、帰らないんだな」 「・・・返っても独りだから。父さんは帰れないって・・・」 震えた声を紡ぐアスランへ、イザークはきっぱりと言い放つ。 「俺がお前に付き合ってやる。行きたいところがあるなら言え。一緒に行ってやる」 「えっ・・・!」 驚いて顔を上げたアスランは、信じられないものを見るように、瞳を大きく開いた。 「友達というのも、悪くない」 「・・・ウソ・・・」 小さな呟きに、口の端を上げる。 「嘘を言ってどうする。ほら、部屋に戻るぞ」 それだけ言うとイザークは立ち上がる。アスランは、どうしたらいいのか判らない、といった色でイザークを見上げているだけだ。 「ほら、何してるんだ。さっさと行くぞ」 再び急かされてアスランも慌てて彼に続いた。 視線と視線が交じり合う。 イザークより下にある瞳を見つめて。 与えたれたきっかけは、広げればいい。 母親を失い、父親と擦れ違ってしまった淋しい少年を。 イザークはこれから誰よりも近くで、見て行こうと決めた。 独りで膝を抱えなくて済むように。 屋上とサヨナラさせるために。 好き、という感情はない。 ただ、ザフトのエースパイロットではなく、アスラン・ザラを。 もっと知りたくなったのは、本当のこと。 だから、見て行こうと思う。 少なくとも、この戦争が終わるまでは。 胸の奥の、小さな誓いを握り締めて。 イザークは、戦いに挑むことにした。 「おいおい、アレなんだよぉぉ〜」 眠たい頭を引き摺って食堂に来たディアッカは、その実に異様な光景に出逢い、眼を丸くした。口をあんぐりと開け「まだ夢を見ているのか」と頬を抓る。 「い・・・痛いかも」 夢ではなく現実の光景だと頭で理解出来ても、心理的に受け付けないのかもしれない。 それほど、変だった。 イザークとアスランが、同じテーブルで朝食を食べている。 時折、アスランがイザークに何かを話しているが、楽しい表情にはほど遠い。 お伺いしている、といった感じだ。 イザークはイザークで、眉一つ動かすこともなく、頷くこともなく。 (会話になってんのか、あの二人?) そんな疑問が浮かぶが、直接訊く勇気はない。 「あっ・・・ちょうどいい所に居た」 肩を叩かれ振り向くと、ミゲルが困惑の表情でディアッカに問う。 「あの二人って、仲が良かったか?」 「良くないじゃん。だから変なんだって」 「ふーん。まぁ何があったか知らないが、一緒にメシを食べるくらいだ。心境の変化かもな」 「・・・マジ?」 心境の変化が齎す精神的影響の結果だとしたら、凄まじい変化だ。正に変すぎて、摩訶不思議だ。 でも。 まぁ、いいんじゃない、とも思う。慣れればこれが普通になる。 ディアッカたちの知らない所で、二人の少年の何かが変わった。 きっと、それだけのこと。 ならば、横から口を挟むこともない。 彼らだけが判っていればいい何かを、検索するほど野暮でもない。 日常の中の、小さな変化。 否、大きいのかもしれないが。 この先、もっと大きな何かに変わるようなことがあるのだろうか。 ふとディアッカの胸の中で、そんな想いが動いた。 |