トレーニングルームで心地よい汗を流したディアッカが、宿舎に戻ったのは夜の七時を10分ほど過ぎた時だ。彼と一緒だったミゲルは一足先にトレーニングルームを後にしている。
ディアッカが自室に入ろうとした時。
二つ部屋を挟んだ向こう側の扉が開いた。
「・・・あれ?」
部屋から出てきた少年に、ディアッカは首を傾げる。
(確か、家に帰るとか言ってなかったっけ?)
自分の横を通り過ぎる少年に、ディアッカは不思議な面持ちで視線を送った。





空席の目立つ食堂だが、賑やかさはいつもとあまり変わらない。食事を載せたトレイを手に持ち、ディアッカがどこのテーブルに座るか周りを見渡していると、後ろから声を掛けられた。
「なんだ、お前。今から食事なのか?」
「イザーク・・・」
右手に濃い液体の入ったカップを持ったイザークが、ディアッカのトレイをしげしげと見ている。毎日のことを考えれば少し遅めの夕食となるが、特に気にするほどの時間でもない。
「イザークは、もうお済ってわけね」
「まぁな。お前こそ、今までトレーニングルームにいたんだろ。相変わらず運動バカだな」
「いっぱい動いていっぱいメシを食う。これって基本だろ」
さも当然だと言い切るディアッカに苦笑しながら、イザークは窓側のテーブルを指で示した。
「あそこ、空いてるな。いいか?」
「オッケー」
二人はぽっかりと空いていた窓際の椅子へと腰を下ろす。夜の帳に包まれたプラントは、繰り返される日常の一ページを閉じて新しい白紙のそれへと変わろうとしている。
静かな闇の広がる窓の外を見つめながらイザークはディアッカへ訊いた。
「ミゲルと一緒じゃなかったのか?」
「あぁ、あいつは俺より先にこっちへ戻ったんだ。ここで見なかったか?」
「いや、見てないな」
「ふーん、部屋でくたばってたりして」
口の端を上げるディアッカに、イザークは冗談はやめろと言おうとして止めた。お前らのような運動バカがくたばるはずがないだろう、と口の中で呟いて。
イザークは香ばしい液体を一口飲んだ。
「あっ、そうだ」
食事を頬張る手を止めて、ディアッカは少しだけ困惑した表情をイザークへ向ける。
「・・・なんだ?」
「そういえばさ、さっきアスラン見たんだけど、あいつ家に帰るとか言ってなかった?」
「はぁ?」
お互いが疑問マークを投げる。ディアッカは、だからぁ、と言葉を続けた。
「アスランだよ、アスラン。俺が部屋に入ろうとしたら、あいつが自分の部屋から出てきたんだよ。家に帰るって言ってたから、おかしいなぁとは思ったんだけどさ」
「・・・そうなのか?俺はあいつの父親を見たぞ」
「へぇ、来たんだ。それじゃあ、余計におかしいよねぇ」
アスランが家に帰らず宿舎に残ったままの事実をおかしいことだと思ったところで、二人に意味が解るはずもなく。ディアッカは再び食事へと手を伸ばした。
一方のイザークは、窓の外を瞳に映しテーブルに頬杖をつくと、ミーティングルームでのアスランを思い浮かべる。
父親が迎えに来ると言った時の、彼の笑顔。本当に嬉しそうに笑っていた。
それが何故、と疑問はイザークの中で大きくなる。
彼が特別気にするようなことではないのだ。
アスランが家に帰ろうがどうしようが、関係などない。
何らかの原因で家に帰ることを止めた、と考えるのが普通といえば普通なのだろうが。
それがどうしてか、イザークには気になった。
原因というよりアスランが、と言った方が正しいのかもしれない。
イザークはミーティングルームを出た後のアスランを見ていない。食堂でもそうだ。
人の多い食堂内なら気付かなくても仕方ないが今日は違う。休暇前で宿舎にいない人間もいるのだ。
いつもより確実に、人が少ない。
にもかかわらず、イザークの視界にアスランは入っていなかった。
(何やってるんだ、あいつ?)
気になる、気になる。
気になってしょうがない。
どうして、こんなにも彼のことが気になるのか。
それは、たぶん―――。
あの微笑のせいだ。イザークには向けられたことのない類の笑みのせいだ。
自分自身に、そう言い聞かせて。
イザークは勢い良く椅子から立ち上がる。
「な・・・なんだ?」
口をモグモグと動かしながらイザークを見上げるディアッカに、彼は短く言い放つ。
「用を思い出した」
「はい?」
それだけ言うと、イザークは踵を返し足早に食堂から消えた。あまりに突然のイザークの行動にディアッカは眼を丸くするだけである。
彼は残されたマグカップをちらりと見る。
意外と味が良いと人気のあるその液体は、飲んでくれる人がいなくなってしまい、どことなく淋しげだ。
「・・・コーヒーくらい飲んで行けばいいのにねぇ。あいつといい、アスランといい、何考えてるんだか」
ディアッカの独り言は、ざわめきの食堂内に小さく流れた。





擦れ違う仲間たちが、訝しげにイザークの背中を見る。居心地の悪さを充分感じながら、彼は一つの扉の前に立ち尽くしていた。
部屋の主は、アスラン・ザラ。
彼と逢ってどうするのか、何を言うのか。
イザークは、全く何も考えていなかった。頭が考える前に体が動いていた。
気になった、という理由だけでは駄目だろうか。
部屋の中から扉が開くことを期待しても無駄のように思えて、イザークは軽くそれを叩いた。
「・・・アスラン・・・居るか?」
躊躇いがちに部屋の主の名を呼んでみる。
が、応えは無い。
「アスラン・・・居ないのか?」
もう一度呼んでみても、部屋の中からは物音一つしない。イザークはドアノブに手を掛けた。
カチャリという音と共に、それはすんなりと回る。アスランは居ないのだろうか、そんな疑問を抱いてイザークは部屋へと入った。
「アスラン・・・」
必要最低限の生活必需品以外は、特に目立つものの無い整理された部屋に、主の姿はなかった。もう一人の主であるラスティも居ない。
壁に掛けられた制服が、彼の行き場所を知るはずもなく。
「どこに行ったんだ・・・」
アスランが行きそうな場所などイザークには見当もつかない。街へ出るには時間が遅い。食堂には居ない。
宿舎内のどこかだとしたら、と考えた時、イザークはふと天井を仰いだ。
いつだったか、見晴らしが良くて気に入っていると話していた。
確かに一人になるには、ちょうどいいだろう。
彼はきっと、そこに居る。
イザークは部屋から出ると、屋上へ続く階段へ向かった。



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