バーバラ・ヴァイン名義
基本的には一人称で語られる、レンデル名義よりも女性らしい(やわらかな、あるいは美しい、 あるいは女性特有のじっとりとした)文体とストーリーが特徴。時にはミステリの範疇から はみだしている、というかミステリの枠にこだわらずに、レンデルが実力を遺憾なく、 のびのびと発揮している、やや純文学寄りともとれる作品群。ただし、どういう傾向の作品かは、 最後まで読んでみないと判断できない、というのが実状です。
一般的に日本では、レンデル名義より人気があるので、最初に手にした本でそれぞれの読者が 期待するものが違ってしまい、期待が大きいだけにすれ違いも激しくなり、「よかった」「裏切られた」 と悲喜こもごもの様々な書評が出回り、読者を混乱させる傾向がレンデル名義の作品以上に強いようです。

 

死との抱擁
五十代のなかばになったフェイスは、ノンフィクションライターの依頼で、父親の双子の妹、ヴァラの 人生をふり返る。ヴァラは殺人罪で絞首刑に処せられた。理想的な結婚相手、彼女を敬愛する双子の兄、 自慢の妹、美しい息子たち、一見すると幸せに見えた生活のなにが彼女を狂気に走らせたのか。
 
<にえメモ>
物語は長い年月を経て、最初は一面しか見えなかった人物像や人間関係が、次々と違う側面を 見せていき、くっきりとした陰影をおびて鮮やかに浮かび上がっていきます。 何層にも絡んだ謎解きと、複雑怪奇な登場人物たちの心の深淵をのぞきこんでいける喜びを感じる、 まさにヴァイン名一作目にふさわしい、読み応え充分の濃厚な作品です。MWA賞最優秀長編賞を受賞し ています。

 

運命の倒置法
底意地の悪い伯父の遺言で、ウィーヴィスホールという豪華な屋敷を 手に入れたアダムは、そこにコミューンを築こうとする。それが惨劇の発端だった。十年後、 殺人という罪を隠すアダム、ルーファス、シヴァの三人の男は、死体の発見に怖れ、おののく。
 
<にえメモ>
レンデル版「罪と罰」とでも言いたくなるような、罪悪感を克明に描写した作品です。それとともに、 七十年代のインテリ学生たちのヒッピー文化も堪能でき、コミューンに集まる若すぎる男女の苦悩、 大人になりきれないために出来上がっていく人間関係、と描写はどれもみごと、読み応えのある作品です。

 

階段の家
エリザベスは刑務所にいる はずのベルを見かけた。蘇る記憶。1960年代、エリザベスはいつ発病するかわからない遺伝性の 難病におびえながらも、ロンドンに住む、いとこコゼットの<階段の家>に足繁く通っていた。 そこには恋愛やドラッグに翻弄される若者が集まるサロン。その中で、ベルは強烈な異彩を放っていた。 ベルはなぜ、刑務所に行くことになったのか、そこにはどんな悲劇があったのか。
 
<にえメモ>
館には1960年代の倦怠ムードが漂い、エリザベスの怯える心と溶けあって、 酔ってしまうほど独特の雰囲気が醸しだされた傑作です。 現実離れしすぎた設定だという批評もありますが、作品のなかの世界観は完成されています。

 

哀しきギャロウグラス
少年時代、鬱病のためずっと 入院していたジョーは人並みな学識もなく、まるで子供のままのような青年。自殺しようとして いたジョーは謎の多い2歳年上のインテリ青年シャンドーに助けられ、その時から彼の盲目的な 服従者(ギャロウグラス)となる。シャンドーは、どうやらジョーを利用して、富豪夫人の誘拐 をたくらんでいる様子。二人にはどんな運命が待ち受けているのか。
 
<にえメモ>
全編がジョーの子供のような語り口で綴られているので、童話のような印象を受けるが、 筋書きはやはりレンデル、痛烈な皮肉と悲劇が待ち受けています。 かわいらしい喋りで狂気と悲劇を語らせる、まさにヴァイン名にふさわしい意欲的な作品です。

 

ソロモン王の絨毯
地下鉄マニアのジャーヴィスは、世界中の地下鉄を見て歩き、地下鉄の本を書くことが夢だった。 そこでジャーヴィスは、祖父が残した学校の建物をいく人かの住人に貸すことにした。まず、いとこの ティナ。ティナは性に奔放な女性で、ジャスパーとビエンヴィダという二人の子供がいる。それから、 地下鉄でガーディアンエンジェルのようなボランティアをしていた鷹を飼っているジェド、地下鉄構内で 楽器演奏をしていた青年トムに声をかけ、住まわせることにした。トムは夫と子供を捨てヴァイオリニスト をめざすアリスを誘い、アリスも学校に住むこととなった。住人はこれで充分。安心して、最新式の地下鉄 を見学しようとロシアに発ったジャーヴィスだったが、彼のいなくなった学校に、アクセルという謎の男 が現れた。
 
<にえメモ>
「ソロモン王の絨毯」とは、ロンドンの地下を走りまわり、好きなところにサッと届けてくれる 地下鉄(チューブ)のことです。この地下鉄がもとで、さまざまな登場人物が不幸に見舞われていく シェークスピアばりの悲劇であり、引き寄せておいて、最後に派手な大団円を迎えるサスペンスでもあり ます。異常心理の追究とともに、レンデル(ヴァイン)がもっとも得意とするテーマですが、文章の構成や 地下鉄の効果的な使われ方など、目新しさも満載です。
 →読んだ時の紹介はこちら。

 

アスタの日記 (上下2巻 )
1905年、24歳からはじまるアスタの日記にはデンマークからイギリスに移住してきた アスタの数十年に渡る人生が記録されていた。アスタの娘は死後、それを刊行し、 本はベストセラーとなる。娘の死後、それを譲り受けた姪のアンは友人のテレビ プロデューサーから、アスタの日記には遠い過去の未解決殺人事件の鍵が記述されているのでは、 と言われる。真実を探るアンが行きつく先とは?
 
<にえメモ>
移民として過酷な人生を歩んだアスタと現代に生きるアンの 女としての人生を深く考えさせる純文学的な小説として、よく練られたミステリとして、 と二重に楽しめる深い作品。読者の評価も高いです。 ただ、単に推理ものとして捉えてしまった読者の中には、 下巻で一気に加速するが、緩慢な流れの上巻がやや辛いという意見もあります。

 

長い夜の果てに
イギリスの田舎町で地味な仕事をする青年ティムには人に言えぬ過去があった。 学生時代、古生物学者のイヴォーと知り合い、男同士の恋に落ちたことがあるのだ。 二人の愛の深さは、揺れ続ける天秤のように均等を保てず、 やがて二人で出掛けたクルーズ旅行で悲劇を生む。それを過去としていた ティムのもとに差出人不明の手紙が次々と届き……。
 
<にえメモ>
男同士の恋愛の機微と悪夢のようなストーリー展開にレンデルの耽美主義的手腕が光って います。倒錯美の極み、せめぎあう愛の描写は秀逸、醜くも美しい愛の物語です。 これほどまでに恋愛を美化せず、克明に描ききった小説は珍しいかも。今回、いろいろなサイトの書評を 見て、かなり評判が悪いので驚きましたが、究極のリアリズムは時として、人に嫌悪感をもよおさせる のかもしれませんね。覚悟して読みましょう。

 

ステラの遺産
高級老人ホームで、賢くエレガントな老女ステラが、迷信を信じ、代々受け継がれたまじないで 不倫を成就しようとしている看護士ジュネヴィーグに、自分の隠していた過去を語りはじめた。 過去の栄華にすがる忘れられた映画女優、代表作に1冊の絵本があるだけの画家、妻ではない 一人の女を愛し続ける夫、家族に言えない秘密の家、そしてステラの道ならぬ恋。 秘められた恋の終着点はどこに。
 
<にえメモ>
ミステリの範疇には入らないかもしれませんが、読み応えと深みのある非常に美しい作品です。 ステラの過去の不倫愛とジュネヴィーグの現在の不倫愛が対比され、くっきりと浮き彫りにされていき、 胸に迫ります。最後にわかるステラとジュネヴィーグのつながりには驚かされました。 読んだあとは余韻とため息、女性読者絶賛、珠玉の名作です。

 

煙突掃除の少年
1926年7月6日生まれのジェラルド・キャンドレスは、受賞こそ逃したがブッカー賞候補となったこともある純文学作家ではあるが、純文学作家としては珍しく、大衆に支持される作家でもあった。ジェラルドの家族は14歳年下の妻アーシュラ、ロンドン大学で女性学を教える長女のサラと、弁護士をしている次女のホープ。ジェラルドは大変な子煩悩で、二人の娘にとってジェラルドは、父親であるとともに母親でもあった。そんなジェラルドが、71歳で亡くなった。担当編集者は、サラにジェラルドの回想録を依頼した。その時になって初めて、サラは若い頃のジェラルドについて何も知らなかったことに気づいた。そして、調べはじめてみると、1926年7月6日に生まれたジェラルド・キャンドレスは、5歳の時に亡くなっていることがわかった。では、作家のジェラルドは何者なのか。
 
<にえメモ>
作家という、作品を書くためにみずからの経験を利用しなければならなかった男の過去を探るという、ヒントがたくさん散りばめられたミステリのようでありながら、やはりヴァイン作品らしく、女性の恋愛や生き方を細やかに描ききった、まさに円熟期の作品と言いたくなる完成度の高い、濃厚な味わいです。
 →読んだ時の紹介はこちら。