すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
トルーマン・カポーティ 
1924年9月30日、アメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズで誕生。父親は詐欺師のセールスマン、 母親は16歳で結婚、17歳で出産。カポーティが4歳の時に両親は離婚。 その後はルイジアナ・ミシシッピー・アラバマなどの親戚の家をたらいまわしにされた。 17歳で学校教育を終え、ニューヨーカー誌に会計係助手として就職するが、引き算もできないことがばれ、 美術部にまわされ、メッセンジャーボーイとして働く。その頃から創作活動が始まり、『ミリアム』でO. ヘンリー賞を受賞した。数々の奇行、同性愛者との愛憎のもつれによる騒動、著名人のゴシップでっちあげ での訴訟、と注目を浴びつづけたが、1984年8月25日、心臓発作で死亡。知能指数は215、自称 「ヤク中でアル中でホモで天才」
にえ 『叶えられた祈り』を読んでからわからなく なって、前に読んだ本を再読したカポーティですが、通して読むと色々見えてきた部分があったね。
すみ うん、たとえば、背が低いってことがカポーティにとって、 ものすごいコンプレックスだったんだなあってあらためて気づいた。
にえ そうね、とにかく主人公が男性の場合、 ほとんどにおいてハンサムだけど、背が低い。ときには、チビとか、男になりきれてないとか、罵倒さ れてる。続けて読むとなかなか凄まじいものがあるよね。
すみ あと、『冷血』の前までの作品って、 大きく二つに分類されるでしょ、<昼の文体>と<夜の文体>とも言われてるけど。
にえ 『遠い声 遠い部屋』や『ミリアム』な んかは<夜>よね。登場人物も、ストーリーもゆがんでいて、湿り気を帯びた文体よね。
すみ 読後感を説明するなら、美しくも気味の 悪い夢から目がさめて、ぼんやりとしていたら窓の外は雨だった、そんな感じかな(笑)
にえ 『草の竪琴』や『夜の樹』の後半の作品は <昼>だよね。<昼>の中でも、叙情的な描写の美しいものと、すんなりと素直で、寓話的に書かれている ものとがあるけど。
すみ その二つがあまりにも違うでしょ、なんでか なあと考えながら読んでいたら、<夜>は親に捨てられ、孤児同然で育った生い立ちからきた精神のゆがみ、 <昼>はミス・スックとの思い出が源かな、と思えてきた。
にえ ミス・スックは、カポーティが親戚の家を たらいまわしにされているときに出会った、従姉の老女で、親戚の家で二人して肩身の狭い思いをしながら も、子供のカポーティと二人だけの精神世界を築き上げた人なのよね。
すみ 『感謝祭のお客』や『クリスマスの思い出』 では、そのままミス・スックとの生活が描かれているし、『草の竪琴』の老嬢ドリーもあきらかにミス・スックがモデル。
にえ これほど何度もカポーティの作品に登場す る人はいないよね。それだけでも、カポーティがミス・スックをどんなに大事に思っているかがわかるね。
すみ ミス・スックがカポーティの良心であり、心の美しい部分のすべてじゃないかなあ。
にえ ミス・スックは、人見知りが激しくて傷つ きやすくて、でもとても優しい人だったみたいよね。
すみ カポーティの作品には、模造品の宝飾品が 美しくも儚く、せつないものの象徴としてよく出てくるでしょ。
にえ 『ダイヤのギター』なんて、モロそうよね。
すみ ミス・スックは、模造品だとわかってい ながら、父親の形見のカメオを本物のように大切に扱ってたでしょ、カポーティにとっては、模造品の宝飾 って、ミス・スックの心と同じ、傷つきやすくて儚く美しいものの象徴だったんじゃないかなあ。
にえ いくら大事にしていても、いつかはなくして しまうもの、そういうものの象徴でもあるのかもね。
すみ だからね、私は思ったのよ。人の悪口言いふ らしてても、湿った文体が乾ききっても、ミス・スックっていう花が心にぽつんと一輪でも咲いているなら、 カポーティの美しさは、やっぱり本物だ〜っ(笑)
  
「夜の樹」       <新潮社 文庫本>

『ミリアム』から『無頭の鷹』までが<夜>カポーティ、『誕生日の子どもたち』から『感謝祭のお客』 までが<昼>カポーティ。一遍一遍の出来から、全体の構成まで、非常に質の高い短編集に仕上がっています。
ミリアム
ミセス・ミラーは映画館の前でミリアムという名の少女と出会う。 その日から、ミセス・ミラーはミリアムにつきまとわれた。
夜の樹
叔父の葬式の帰り、ケイは汽車で二人の大道芸人と同席した。 一人はコビトのように小柄な中年女、もう一人は死人のような男。
夢を売る少女
金欲しさで、ミスター・レヴァーコームに夢を売りつづけるシルヴ ィアは、年輩でもと道化師のアル中男オライリーと愛し合おうとしていた。
最後の扉を閉めて
倦んだ生活をするウォルターは、アンナを愛しているのに、アンナの悪口を周囲に言いふらす。 そんなウォルターに知らない男から電話がかかる。「僕だよ、わかっているだろう」。
カポーティの実生活をかなり反映させた内容。『叶えられた祈り』で仲の良かった友人たちの ゴシップを挙げまくった答えも、案外この作品にあるのかもしれませんね。
無頭の鷹
画廊で働くヴィンセントは、絵を売りにきたD・Jという女性に惹かれるが、精神を病んだD・Jにと っては、出会う人のすべてがデストロネッリという男の化身だった。
誕生日の子どもたち
車に轢かれたミス・ボビットという少女の思い出。ミス・ボビットは毅然とした態度と大人顔負けの 理路整然とした口調、その個性でまわりの人々を圧倒していた。
再読したら、ジョン・アーヴィングの『オウエンのために祈りを』をやたらと連想してしまいました。 アーヴィングがこの作品にインスピレーションを得たという可能性もありでしょうかね。
銀の壜
町の雑貨屋が大きな酒瓶にコインを入れ、いくら入っているか当てるクイズをはじめた。その頃町にやっ てきたアップルシードとミディの兄妹。アップルシードは瓶の中のコインが数えられると言いはったが。
ぼくにだって言いぶんがある
16歳でマージと結婚した僕は、マージの恐るべきふたりのおば、ユーニスとオリヴィア=アンと暮らす ことになった。
感謝祭のお客
乱暴者のオット・ヘンダーソンに虐められつづける僕(バディ=愛称)は、親友(ミス・スック)の 提案で、オットを感謝祭に招くことになってしまった。
「遠い声 遠い部屋」      <新潮社 文庫本>

12年前に失踪した父親を捜して、13歳のジョエルは、アメリカ南部の小さな町ヌーン・シティを 訪れる。父のいるランディングという屋敷に辿りついたジョエルだが、そこにいたのは、 2つの目だけなってしまった父親ミスター・サンソム、後妻のエイミイ、その従兄弟のランドルフ、ニグロ の召使ズー。どこか奇形で歪んで見える人々だった。
カポーティはのちにこの作品を、父親が自分を捨てたという心の傷を断ち切るための、「悪魔払いのた めの作品だった」と語っています。この作品でカポーティの描く父の姿はあまりにもグロテスクで衝撃的。
もとの本では、カポーティがソファーに寝そべっている写真がついていて、その妖しげな美少年ぶり がかなり話題になったそうです。その写真を見たアンディー・ウォーホルは、カポーティのストーカーの ようになってしまい、以後、カポーティにとってウォーホールは、熱烈な支持者でもあり、煩わしい存在 でもあったようです。
「草の竪琴」      <新潮社 文庫本>

母が亡くなり、父が去り、親戚の家に預けられたコリン。その家には、少しだけ知能の遅れたところのある、 心やさしく内気な老嬢ドリー・タルボーと、その妹ヴェレーナ、それに黒人の料理番がいた。 気が強い実業家のヴェレーナを避け、コリンとドリーはむくろじの木の上の家で暮らすことをこころみた。 そこには、いろんな人が訪れて。
「ティファニーで朝食を」      <新潮社 文庫本>

ティファニーで朝食を
ニューヨークで暮らす私は、バーで写真を見せられた。アフリカの青年が持つ木の彫刻には、 懐かしい人の面影があった。ホリー・ゴライトリー。彼女は今、どこにいるのだろう。なにものにも縛られず、 自由に生きていたあの女性は。
カポーティのイメージしたホリーは、友人でもあり、あこがれの人でもあったマリリン・モンローだった とか。それだけに、映画はカポーティにとって失望だったようです。たしかに、育ちもよく、健善で陰の ないオードリー・ヘップバーンは、カポーティの世界の人ではありませんね。ティファニーショップの前で ヘップバーンがパンを食べるという短絡的解釈の映画の冒頭シーンで、観ていたカポーティが椅子からずり 落ちてしまったのは有名な逸話。
わが家は花ざかり
山奥から出てきて、港町の売春宿で美人と謳われたオティリーが、 山育ちの青年と恋に落ちた。感情描写をなくし、寓話のような仕上がりになっている作品です。
ダイヤのギター
刑務所の農場で暮らすシェファーは、老人となっても懲役を終える日は来ない。 それでも人形を作り、他の囚人の手紙を読んでやるシェファーだったが、ある日、模造ダイヤを散りばめたギターを 持った青年が現れて。
クリスマスの思い出
六十すぎのおばちゃんと、七つのぼくはクリスマスが近づくと、 31個のフルーツケーキを焼く。
子供向けの本として、単独での発行もされている作品です。再読でも、読んだあとには涙が止まりませんでした。
「カポーティ短篇集」      <ちくま書房 文庫本>

日本再編集の短篇集。こういったものには二種類あって、その作家をよりよく理解するために同じテ ーマの作品を集めたものと、ある程度の売り上げが期待できる著名な作家の作品の中から、 単に未翻訳の作品を一つか二つ足し、あとは他の短篇集から何作品か入れてお茶を濁しているもの。これは あきらかに後者。こんな集め方ではカポーティが平凡な短編作家に思えてしまう、と感じたのは私たちだけ でしょうか。
楽園への小道
初邦訳作品。複雑な性格の妻サラから、死をもって解放されたベリ氏は、マンハッタンの共同墓地で、 不思議と愛想のいい女性に出会った。軽くユーモアをきかせた作品です。
ヨーロッパへ/イスキア/スペイン縦断の旅/ファンターナ・ヴェッキア
『犬は吠える』からの収録。旅で出会った不思議な人や出来事を書いた幻想エッセー風。
ローラ
グラッツィエラから翼を切った醜いカラスをクリスマスプレゼントにもらった私は、犬二匹とカラス のローラを連れ、車で放浪することになった。
ジョーンズ氏
文庫本でわずか4ページの作品。同じ下宿屋にいたジョーンズ氏という不思議な男の話。
もてなし
まだ南部では農家の主婦たちが、通りすがりの人々に、腹一杯の食事を気軽にもてなしていた頃の話。 メアリ・アイダ叔母は賢いやり方で、体よくやっかい払いを成し遂げた。
窓辺の灯
結婚式の帰り道、夫婦喧嘩の車から逃げ出したわたしは、ケリー夫人という不思議な女性の住む家に辿りついた。
くららキララ
『カメレオンのための音楽』からの収録です。 白人の洗濯女ファーガソン夫人は、願いを叶える魔女でもあった。8歳の僕には、どうしても叶えて欲しい願いがあった。
銀の酒瓶/無頭の鷹
『夜の樹』からの収録です。別翻訳。
「冷血」      <新潮社 文庫本>

カンザス州西部ホルカム村で、大農場主クラター家4人が、2人の男に惨殺された。殺されたのは、主クラター、 妻ボニー、息子ケニヨン、娘ナンシー。ロープで縛り上げられ、ガムテープで猿ぐつわをされ、至近距離から 猟銃で撃たれていた。実際にあった事件を、殺人犯ペリーとディックが絞首刑になるまで書ききったベスト セラー。
殺人犯の一人ペリーの視線を中心に書かれています。だれからも認められず、未来も見えない男が幸せな 家族を殺す構図が、カポーティの創作意欲に火をつけたのでしょう。ただ、この事件じたいが当時は衝撃的で あったものが、現代社会では目新しくも感じられず、より複雑な心理を背景とした事件が多発している昨今で は、単純に、この程度の事件をわざわざ小説にしなくても、と思ってしまうのもしかたないのでは?
この作品から、カポーティは変わってしまいました。破壊されつつあった精神状態からして、もう以前 のような美しい文体で文章を書くことはできないだろうと精神分析医が言ったとか。
「叶えられた祈り」      <新潮社 単行本>

孤児院出身の作家志望P.B.ジョーンズは、ニューヨークで、やや小柄ながらも恵まれた自分の容姿を 利用し、上流社会に寄生する存在となった。金に倦み、退廃した生活を送る彼らの生態を、冷めた目で見 つめるジョーンズの視線は、一見雑然としているようなこの物語が、なにかに向かって進んでいくことを 感じさせます。ただ、残念ながら、カポーティの死で未完に終ってしまった作品。多くの著名人を実名で あげ、ゴシップを列挙したために、カポーティを上流社会から追放する結果を導いた作品でもあります。 この本で、カポーティはプルースト的作品を目指していたそうで、プルーストの『失われた時を求めて』 を読了すれば、まわりまわってこの作品の行きつくはずだった先もわかるのかもしれないらしいです。 と、まわりくどく書いたのは、私たちが『失われた時を求めて』を途中挫折しているからです(笑)
解説に、書かれなかった章『脳に受けた重度の損傷』の話が出てきますが、これは風変わりな名前だと 思ったら、カポーティはふだんから、ロスアンジェルスのことを『脳に受けた重度の損傷』と呼んでいたそ うです。
 →読んだ時の紹介はこちら。
「カメレオンのための音楽」      <早川書房 epi文庫>

T カメレオンのための音楽
「カメレオンのための音楽」「ジョーンズ氏」「窓辺のランプ」「モハーベ砂漠」「もてなし」「くらくらして」
U 手彫りの柩
「手彫りの柩」
V 会話によるポートレート
「一日の仕事」「見知らぬ人へ、こんにちは」「秘密の花園」「命の綱渡り」「そしてすべてが廻りきたった」「うつくしい子供」「夜の曲がり角、あるいはいかにしてシャム双生児はセックスするか」
 →読んだ時の紹介はこちら。