すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「土曜日」 イアン・マキューアン (イギリス)  <新潮社 クレストブックス> 【Amazon】
仕事は休みだが、老人施設に入っている母親に会いに行かなくてはならないし、友人とのスカッシュの約束もあるし、義父の我が家への訪問も予定されているし、娘も久しぶりに帰ってくる。そんな土曜日の朝、4時半という時刻に目が醒めてしまった脳神経外科医ヘンリー・ペロウンは、寝室の窓から外を見ていた。そこで炎を上げながらヒースロー空港へ向かう飛行機を目撃し、胸騒ぎを覚えたが、ぐっすりと眠っている妻を起こしたくはなかった。
にえ なにげに久しぶり、イアン・マキューアンです。
すみ そうだよね、そんなに経ったと思ってなかったんだけど、「贖罪」が出たのが2003年4月だから、5年弱ぶり?
にえ でもさあ、読んでみて驚かなかった? 違う小説ではあるのだけれど、あのブッカー賞を惜しくものがした「愛の続き」とかなり構成が似ているの。
すみ うんうん、読みはじめてすぐ、主人公がエンジンから火を噴きながら空港に向かう飛行機を目撃したところで、おや、穏やかな日常を切り裂くような事件が起きる、しかも、主人公が当事者ではないって、このパターンは! と思った。
にえ でしょ。で、読み進めると、まったく不意打ちのように出会う異常な男、その男に執着されることになるかもって予感で、ますます「愛の続き」と同じ〜っと思ってしまった。
すみ その異常な男が怖ろしいんだけど、どこか憎めなくて、どこか哀れで同情心を呼び起こされてしまうってところも似てたよね。
にえ 「愛の続き」の主人公と同様に、この小説の主人公も愛し合う美しい女性の存在があって、愛情あふれる穏やかな暮らしをしているしね。
すみ まあ、こちらの主人公は愛する女性がすでに奥さんだけどね。娘と息子もいるし。
にえ 内容的に同じとは言わないんだけど、ここまで共通点があると、もしかしてマキューアンはいまだに「愛の続き」でブッカー賞獲れなかったことを根に持っていて、同じ形で違う小説を書いて、これでブッカー賞を獲ってスッキリしようともくろんだのか、なんて穿った読みまでしてしまうんだけど(笑)
すみ で、またブッカー賞候補止まりで返り討ちってか?(笑) まさか、それはないでしょう。でも、書いた本人があの小説を気に入っていて、もう一度同じスタイルで、さらに進化させたいって考えたのかもね。
にえ まあ、無意識のうちに同じような小説を何度も書いちゃうような人ではないよね。それに、似てる、似てると叫んでしまったけれど、テーマも内容も方向性もまた全然違う小説だし。
すみ そうそう。私は読む前、マキューアンが9.11をテーマに書いたっていうようなことを目にしていて、ちょっとそれで拒否反応を起こしそうになってたんだけど、読んだら予想したものとはかなり違ってて、良かった。
にえ 9.11以降、過敏にならざるを得なくなったロンドンが舞台なのよね。直接、9.11が語られるんじゃなくて。
すみ 米英連合軍のイラク侵攻については、登場人物たちの会話やらなにやらでかなり語られているけどね。でも、主人公が憤りを感じて声高に戦争反対を叫んだりとか、そんなことはないの。
にえ 主人公は脳神経外科医なのよね。脳神経外科の専門知識やら手術の描写やら脳神経外科医の心情やらがタップリ書かれているんだけど、これはリアルというか、医者じゃなくちゃここまで書けないんじゃないのってぐらいのレベルだよね。
すみ 前から思っていたんだけど、マキューアンってカメレオンみたいだよね。女性目線で書く時は女性になっちゃうし、医者目線なら医者になっちゃうし、完全に騙されるというか、逆に、なんで女性じゃないの? なんで医者じゃないの?と思っちゃうぐらいで。
にえ 主人公は有能な脳神経外科医で、奥さんは有能な弁護士で、しかも美しく愛情深く、二人は結婚してずいぶんと経つけど、いまだに知り合ったばかりの恋人どうしみたいに愛し合っているの。
すみ ほぼ大人になりつつある子供が二人もいるのに、凄いよね。なんか、ホントかなあと思ってしまったりもするんだけど(笑) 
にえ 奥さんの父親は有名な詩人で、娘はその詩人の手ほどきで才能を花開かせて新進気鋭の詩人としてデビュー、息子は音楽の道へ進んでこれまた良い感じ、家はロンドンにある広い屋敷で、妻の側には母親が残した城もある。それでもって、家族は互いに心から愛し合ってて、とっても仲が良いの。
すみ そういえば巻末解説に、読者がこの主人公の幸せぶりに激怒したって話をマキューアンが語ってるところが挿入されているんだけど、あれは笑ってしまったなあ。たしかにまあ、イラッとする人もいるかもってぐらい、幸せすぎなんだもん。
にえ それだけに、主人公と対峙することになるバクスターという男性の何もなさが際立つよね。この不公平さ。まるで主人公のような人物は、神の見えざる手で、バクスターのような何も持てない多くの人々の犠牲の上に成り立っているようにさえ感じられてしまう。
すみ そのあいだにも、イランやイラクや他のいくつもの国々では、殺されていく人たちがいるのよね。べつにそういうことを細々と書いているわけじゃないんだけど、つい、そういうふうに考えてしまうなあ。
にえ そろそろまとめに入ると、この小説は、その幸福な主人公のある土曜日の一日に限定したお話なんだけど、その一日にはいろんなことが起きるし、その背景となる過去などもタップリと語られていて、まあ、なんとも読み深い小説でした。最初から最後まで、読んでいて緊張感が途切れないし。
すみ とてもとても繊細で、でも骨太な小説だよね。なんだか初めてマキューアンの姿も透けて見える小説だったなって気がする。ついでに言えば、やっぱりこの人、根は優しい人なんだと変なところで感心してしまったり(笑) もちろん上質、こういうスタイルの小説がお好きな方にはオススメですってことで。
 2008.1.25