すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「わたしの名は紅(あか)」 オルハン・パムク (トルコ)  <藤原書店 単行本> 【Amazon】
西暦1591年、36歳のカラはエニシテ(義理の叔父の意)に呼び戻され、12年ぶりにイスタンブルに戻ってきた。エニシテは名人オスマンの工房で働く4人の細密画師、”優美”さん、”オリーブ”さん、”コウノトリ”さん、”蝶”さんに、 イスラム歴千年めを記念したスルタンの祝賀本を彩る細密画を描かせていたのだが、そのうちの”優美”さんが何者かにより殺されてしまった。殺人を犯したのは、残る3人の細密画師の中の1人に違いなかった。 エニシテはカラに、その犯人を捜してほしいと依頼した。エニシテを父のように慕うカラはすぐに依頼に応じたが、軍人に嫁いだはずのエニシテの美貌の娘シェキュレが、二人の子供を連れ、エニシテの元に戻ってきているのが気になってしかたなかった。 12年前、シェキュレを愛するカラは結婚を申し込んだが、手酷く断られ、追い出されて、消えない恋情を胸に諸国をまわることになったのだ。シェキュレの軍人の夫は、生死もわからないまま戦場から戻ってきていないらしい。今度こそ、愛は報われるのか。
すみ 多くの国で翻訳出版され、数々の文学賞を受賞し、ニューヨーク・タイムズの書評などでも、新刊を出すたびに絶賛され、英国BBC放送では21世紀を代表する世界の作家21人の1人に挙げたという、トルコの作家オルハン・パムクの初邦訳本です。
にえ まさに、大物登場!って感じだよね。オルハン・パムクは日本文学もよく読んでいて、とくに谷崎潤一郎が好きだってことで、自分の著作がすでに二十数カ国に翻訳されているのに、日本で翻訳出版されていないことをとても残念に思っていたんだって。こちらにしても、待ってました!だよね。
すみ でもさあ、読んだらイメージはかなり変わった。数々の文学賞に加えて、ノーベル文学賞をとる日も近いんじゃないかと噂されている作家ということで、かなり身構えて読みはじめたんだけど、文学賞うんぬん以前に、おもしろかった。
にえ そうそう、純文学というより、エンタメ系に近いようなおもしろさだよね。でも、濃厚で、とっても深みがあって。とにかく読みだしたら止まらないおもしろさだった。
すみ この本の紹介で「薔薇の名前」が挙げられているみたいだけど、普通は「薔薇の名前」のようなとか言われていても、「薔薇の名前」とはそんなに似てないじゃない? これは本当に似ているから驚いた(笑)
にえ 殺人犯を捜すミステリなんだよね。でも、単に犯人捜しを楽しもうと思って読むと、余計なものが多すぎて疲れちゃう、と思うかもしれない。むしろ、他の部分で酔いしれるというか。
すみ 「薔薇の名前」ではキリスト教の知識が詰めこまれ、それに暗号の知識、人里から遙か離れた山の頂にある僧院での男性ばかりのグロテスクなまでの人間関係が描かれていたけど。
にえ この本でキリスト教に相当するのはイスラム教だよね。ただし、イスラム教についてクドクドと語られてはいないのでご安心あれ。
すみ 「薔薇の名前」ほど読みづらくないというか、読んでてそれほど難しい、ここは2、3回読み返さないと理解できないってところはなかったよね。サクサクッと読めるとまではいかなくても、多少、いつもよりゆっくり丁寧に読むって感じで進んでいけば、止まるところはないんじゃないかな。
にえ 重点的に書かれているのは細密画で、イスラム教はあくまでもその背景にあるって感じだったよね。これについてはまったく知らない世界だったから、そういう世界だったのかと読みながら学んでいくよう、というか、ちょっと入り口を見せていただいたというか。
すみ 絵を描くから、西洋的な発想で言えば芸術家ということになるんだろうけど、この本に書かれているトルコの細密画家は、芸術家よりも職人といったほうが近いよね。
にえ そうそう、自分なりのオリジナリティを出すってことがタブーで、実際に物を見てデッサンすることさえもがタブー。先人の細密画家たちが描いたものをひたすら模倣し、個性を出さず、サインもせず、それが細密画の世界。
すみ 細密画はあくまでもアラーの視点で描かれなければならないんだよね。自分なりに描いたり、実物を見て描いたりすることは、アラーの視点から外れることになる。
にえ 師匠のもとで長く修行をして、その忠実で緻密な絵を描けるようになって、そうして名人となると、スルタンに捧げる美しい本に絵を描けるようになるけれど、その本は献上されると、スルタンの宝物庫にしまわれ、世間の人に見てもらえることもないの。
すみ それに意義を感じるということが信仰心とも密接に関わってくるのよね。
にえ そういうことに意義を感じることができるような名人は、盲目になることを希望しさえもするのよね。盲目になることが細密画師としての道を極めたとされていて。
すみ 盲目になるということは、他から邪魔されず、アラーの視点だけに忠実になれるし、細密画師の道を極めていれば、目が見えなくても体が覚えているから、絵は描けるってことになるんだよね。この本の時代にあってすでに、それをすべての細密画師が信じているとはとても言えない状態にはなっているけど。
にえ 名人オスマンがそういうことをスンナリと受け入れ、疑わずに進める最後の世代なのかもしれないね。
すみ そうそう、オスマンと、その次の世代の”優美”さん、”オリーブ”さん、”コウノトリ”さん、”蝶”さんという新しい時代の名人たちには、あきらかにそういった思想の隔たりがあるの。あ、この4人の名前は、師匠のオスマンがつけた愛称なんだけど。
にえ その4人がまったくの新時代の人かっていうと、そこがまた微妙だよね。ちょうど狭間の、模索する世代ってところで。西洋文化が迫り、襲いかかってきて飲みこまれる日が近いのをみんな肌で感じてもいて。細密画にとっては、まさに変化の時代、変遷の端境期ってところだよね。そういう時代が舞台になっているから、なにも知らない私たち的にはわかりやすいんだろうな。
すみ 名人オスマンのもとで細密画師として精進していたその4人を引っぱりこんで、新しい細密画を描かせていたのが、エニシテなんだよね。
にえ エニシテはヴェネチアで見た肖像画の技法に魅了され、ヨーロッパの貴族たちが肖像画を描かせるように、スルタンの肖像画を献上本に描かせようとしていたんだよね。影をつけるとか、遠近法とか、細密画の世界ではタブーとされている手法まで使って。
すみ そして、その4人のうちの1人、”優美”さんが殺されたところから、この物語は始まる、と。
にえ 章がユニークなんだよね。それぞれ「わたしは○○だ」とかってタイトルがついていて、その○○がその章の語り手なの。カラが語ったり、エニシテが語ったり、時には死人が語ったり!
すみ 語りといえば、コーヒーハウスの噺し家がところどころに登場して、これがまたユニークだよね。コーヒーハウスにいる噺し家は客に向かって、犬や木や金貨などなどの絵を見せながら、その犬や木や金貨などなどになりきって、毒の強いジョークなどを織り交ぜつつ、それぞれの心情を言葉にしていくの。
にえ もうひとつの注目はカラとシェキュレだよね。男女間の話だから、ロマンスと言いたくなるけれど、甘さはなくて、けっこうシビア。初恋を貫きたいカラと、美貌の人妻、とはいえ、軍人である夫はもう帰ってこないっぽい、自分と二人の子供をなんとか幸せに導きたいシェキュレ、この二人がどうなっていくのか。
すみ 私たちから見ると、狂信的っぽくて異常な世界とも思える細密画師たちの世界には、その異常さゆえに惹かれまくるし、犯人が気になりつつも、カラとシェキュレの行方も気になるし、う〜、人によってはクドいとか、衒学的だとか、その他いろいろの理由でダメかもしれないけど、私としては、わ〜、すっごい本に出会えて嬉し〜っ! 他の人にもススメた〜い!!って気持ちなのだけど。
にえ 私は個人的には、「薔薇の名前」+「白檀の刑」って感触だったんだけど、どうかな。あ、もちろん、それに加えてまったく知らなかった細密画の世界。興味あり、もしくは好きそうだったらオススメですっ。ダメならダメでいいじゃない、トルコの偉大な作家の小説が、日本語で読めるんだよっっ。