すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「若かった日々」 レベッカ・ブラウン (アメリカ)  <マガジンハウス 単行本> 【Amazon】
別れるしかなかった父と母、他の娘とは少しだけ違う自分、肉親との死別・・・レベッカ・ブラウンの私的短編集。
天国/見ることを学ぶ/暗闇が怖い/魚/ナンシー・ブース、あなたがどこにいるにせよ/A Vision/煙草を喫う人たち/自分の領分/息/母の体/私はそれを言葉にしようとする/受け継いだもの/そこに
にえ 私たちにとっては、4冊めのレベッカ・ブラウンです。
すみ これは「体の贈り物」や「家庭の医学」のほうの路線の、実体験に基づいたものなんだよね。短編小説ともエッセーとも言えるような。
にえ うん。ただ、「体の贈り物」や「家庭の医学」もそうだったけど、経験したものをそのまま書いてあるっていうんじゃなくて、きちんと小説として完成されているんだよね。
すみ だからってめいっぱい脚色をきかせてるっていうのでもないよね。むしろ淡々と、でも、さまざまな実体験の中から抽出した、なにげないけど特別な時を紡いで、しっかりとまとまりのある小説に仕上げてあるような。
にえ この短編集で書かれていたのは、家族のこと、それから、自分のこと。家族のことは、両親が離婚したことがかなりクローズアップされていたかな。
すみ 母親の辛い時期を見てきたことと、なかなか父親を赦せずにいたことが繰り返し語られてたよね。とくに、ようやく人としての父親を理解できる歳になったんだという実感がヒシヒシと伝わってきたな。
にえ 同性愛であることを自覚し、そこから歩んでいった自分についても書かれていたよね。二人の年上の女生徒の出会いは印象的だった。
すみ 混乱しそうになっている時期に、差し伸べられた他人の手ってありがたいことがあるよね。こういうのは逆に家族では難しいって気がするし。
にえ いろんな時期があったけど、でも、振り返るとまっすぐに進んできたんだな、歩いている最中にはそういうふうに感じなくて、迷ったり、曲がりくねっていたような気がしたのに。そういう思いが伝わってくるようだった。やっぱり文章にして綴るということに卓越している方だよね〜。
すみ 今回、ちょっとおもしろいなと思ったところがあったんだけど。淡々とした語り口の中、何か所か、普通ならあいだに1つか2つは「、」が入っていそうな文章がひとつながりになっているところがあったの。そこでちょっとリズムを乱されちゃうんだけど、言いたいことを全部しゃべるまでは息継ぎをしないぞって一気にまくしたてている少女の口調のようで、なんだか気持ちが伝わってくるような、ちょっと微笑ましいような感じがした。
にえ 余韻深い短編ぞろいだったね。ただ、個人的には凝った創作ものを好む傾向があるせいか、同じ家族のことを繰り返し語られていくのに、後半はちょっと飽きてしまったというか、気持ちが乗らなくなってきたりもしたんだけど。「息」以下の5編はかなりへたばり気味で読んじゃったかな。
すみ 「息」と「母の体」が「家庭の医学」と重なる母の死をテーマにしていて、そのあと3編がわりと抽象的だったからじゃない? どれも静かな余韻がしっかりあったんだけどね。
<天国>
天国について考えると、思い浮かべるのは、菜園にいる女性と、鴨狩りをしている男性。
にえ これは1ページ半ほどの短いもの。これから始まる短篇群に入る前の序章って感じかな。
<見ることを学ぶ>
生まれたとき、右目が斜視だった私は、手術をするよりトレーニングで矯正した方がいいと医師に言われた。良い方の目にパッチをつけ、母と一緒に毎日、練習をした。
すみ 斜視をなおす毎日の練習、少しずつ軽いものに取り替えられていくパッチ、そういうことが細やかに書いてあって、じんわりと世界が変わっていく様を体験する幼い少女の情感や、母親にたいする愛情が伝わってきた。
<暗闇が怖い>
小さかった頃、暗闇が怖かった私は、ベッドに入ったあと、母が去るのが怖かった。でも、呼び止めることはなかった。暗闇のなかに呼び戻し、母が闇に潜むなにかに襲われるのが、もっと怖かったから。
にえ 暗闇が怖かった幼い頃、祖父が亡くなったとき、母になんの言葉もかけてあげられなかったこと、年老いた母が悪夢にうなされるのを起こしてやる立場になったこと・・・時の流れとともに移り変わっていく母親との関係が、暗闇が怖いというテーマのあいだから鮮やかに浮き上がっていくお話。
<魚>
幼い頃、私は釣り堀に連れて行ってもらうのが好きだった。そして、父は釣りの名人だった。父が母と離婚してしばらく後、14歳になった私は、新しい妻のいる父のもとを訪ねた。
すみ これは、幼かった頃の釣りの楽しい思い出から、感情的に擦れ違った父と娘が、久しぶりに一緒に釣りに行く場面までが書かれているんだけど、14歳になってからの釣りの話はかなり切なかった。年齢的にも一番、父親に愛情を示せない時期なんだよね。父親もまた、娘と離れて暮らしている負い目もあって、なかなか遠慮から抜け出せないし。
<ナンシー・ブース、あなたがどこにいるにせよ>
私はガールスカウトのサマーキャンプが好きで、もう他の子のほとんどがガールスカウトを辞める年齢になっても、サマーキャンプに行きたくて、ガールスカウトを辞めなかった。
にえ サマーキャンプで、スタッフの一人ナンシー・ブースと知り合ったおかげで、女性を好きになってしまうという自分の特殊さを苦しまず、うまく乗り越えることができたというお話。偶然知り合ったというだけなのに、きちんと線を引いたうえで、つねに年上の女性として先へ導いてくれる女性との素敵な出会いは、まさに一期一会の大切な縁。ジンときたな。
<A Vision>
一家でスペインからアメリカに戻ってきた私は、テキサスの中学校に入った。女性教師たちは美しく着飾り、フットボールとチアリーダーの盛んな学校で、黒髪を短く切って、そっけないほどシンプルな服装をしたミス・ホプキンズだけは違っていた。
すみ 華やかな学校で、一人だけ地味な服装をした女性教師と、一人だけチアリーダーのテストを受けなかった女生徒。特別に親しくなるような出来事はなくても、惹かれ合うのは当然の成り行きなのかな。こういうのを読んでいると、男女間の恋愛と、同性間の恋愛って全然違うものなんだな〜と驚いてしまう。なんだか、神秘的。
<煙草を喫う人たち>
父も、母も、兄も姉も私も、家族全員がかつては煙草を喫っていた。煙草は両親の健康をむしばんだのかもしれないが、行き詰まった結婚生活のちょっとした逃げ場として、大切なものでもあった。
にえ 家族それぞれの喫っていた煙草の銘柄の変遷、好んだ灰皿、母親と一緒に煙草を喫ったときの思い出、父親に初めて煙草をもらったときの思い出・・・煙草に関する細かい記憶が積み重ねられていくとともに、人生のどうしようもない不幸をどうにか乗り切って、自分なりの幸せを見つけていった家族が描き出されてた。
<自分の領分>
海軍軍人だった父は家族と一緒にいる時間さえ、釣りを趣味とし、ボートを買って水のうえで過ごした。ボートには、妻も子供たちも乗せようとしなかったが、ある夏の家族旅行で、どうしても兄と私をボートに乗せなくてはならなくなった。
すみ 水の上でなければ生きられないと言わんばかりの父と、水を怖がり、内陸に暮らすことになれている母。しょせんはうまく行かなかった夫婦が、ある夏の家族旅行で、はっきりとした破綻を子供たちに見せつけてしまったのね。そして、娘は父を赦すのに時間を要してしまった・・・。
<息>
末期癌で水を飲むことすらできなくなっていた母は、息を確認することだけでまだ生きていることがわかった。
にえ これは母の最期の時を書いた2ページちょっとの短いお話。ふだんは意識もしない息だけが、母を生きていると認められる証となってしまったなんて、ホントに切ない。
<母の体>
母が亡くなったとき、私たちは薔薇の花びらやハーブでいい香りのするお湯で、母の体を洗った。
すみ 肉親との悲しい別れ、でも、葬儀ってどこか淡々としているのよね。そうい淡々とした行為をすることで、悲しみを向き合うことを先延ばしにできるのかもしれない。そのわずかな時間ってとても大切。
<私はそれを言葉にしようとする>
私はまたそれを言葉にしようとしている。それを完全に忘れることはできない。それはいつも、そこにあるから。
にえ これは観念的というのかな、ストーリー性のあるお話とはまた違う、大学ノートに書いた詩みたいに、自分に言い聞かせるような、心の底の吐露のような。
<受け継いだもの>
父から受け継いだもの、母から受け継いだもの、私の体にはその両方がそれぞれある。それは大切なものであるが、取り除きたくなるときもある。
すみ 別れた夫婦の子供だと、時には父親に似ているところがあるというだけで、母親を傷つけ、自分もまた傷ついたりする瞬間があるのね。そういうのって意外と、あとになっても忘れられないんだよね。
<そこに>
もはやそこにないもの。かつてあったけれどもういまはないもの・・・。
にえ これは2ページ弱の短い、詩的な内容。