すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「エリアーデ幻想小説全集」 第1巻 ミルチャ・エリアーデ (ルーマニア)  <作品社 単行本> 【Amazon】
世界的に著名な宗教学者にして、ルーマニア語による偉大な幻想小説作家でもあったミルチャ・エリアーデ(1907〜1985)の 幻想小説全集全3冊のうちの第1巻。1936〜1955年に書かれた作品が収録されている。
令嬢クリスティナ(1936)/蛇(1937)/ホーニヒベルガー博士の秘密(1940)/セランポーレの夜(1940)/
大物(1945)/弟思い(1949)/一万二千頭の牛(1952)/大尉の娘(1955)
にえ そろそろ第2巻が出るかな〜と読んでみました、「エリアーデ幻想小説全集」の第1巻です。
すみ この全集は、作品が年代順にキレイに並べられてるのね。読んでいけばそのまま、エリアーデの幻想小説作家としての足跡が追えるというわけか。
にえ この第1巻収録の1936年から1955年までの作品については、私たちは作品社の単行本『令嬢クリスティナ』と、 「ホーニヒベルガー博士の秘密」と「セランポーレの夜」が収録された福武文庫の『ホーニヒベルガー博士の秘密』を読んでいるから、目新しいところは5作品。
すみ バラバラに読んでいたときには気づかなかったけど、エリアーデ作品をこうしてまとめて読んでみると、 浮世離れしたような幻想小説だけど、エリアーデ自身の姿が見え隠れするというか、ずいぶんとご自分が反映されているんだなと気づき、驚いたな。
にえ 私は後半の4作品「大物」「弟思い」「一万二千頭の牛」「大尉の娘」を読んで、この方はもしかすると、 幻想小説に関しては、ごく短いもののほうがピリッと引き締まって良いのかも、なんて思ったんだけど。
すみ うん、その4作品はたしかにどれも上々の味わいだったよね。でも、年代からいうと、この本のなかではあとで書かれたものにあたるから、 エリアーデの作家としての成長ともとれるし、第2巻、第3巻と読んでみないと、まだ短いのがいいとか長いのがいいとか、あっさり決めつけることはできないと思うな。
にえ そりゃまあ、そうなんだけどね。なんとなくエリアーデってロマンティストってイメージがあったから、 短いのだとこういう辛口のもありなんだな〜とか思ったのよっ(笑)
すみ それにしても、単品で読むより、こうして何作品かまとめて読むほうが、楽しさが倍増するって気がしたね。第2巻、第3巻と読みたかった作品が たくさん収録されてるみたいだし、ホントに楽しみ。
<令嬢クリスティナ>
ルーマニアのとある村、貴族屋敷に滞在することになった若き画家エゴールと考古学教授のナザリエ氏。その屋敷には、モスク未亡人と その娘二人サンダとシミナが住んでいた。それに、亡霊となった美しき令嬢クリスティナ。クリスティナは三十年前に亡くなった未亡人の姉で、 その美貌と悪行が伝説となっている女性だった。
→以前に読んだ時の紹介はこちら。
<蛇>
ソロモン夫妻は娘ドリナとマヌイラ大尉の婚約を望み、数人の友人たちを引き連れ、湖と森に続く修道院にピクニックに訪れた。 途中、いかにも身分があって育ちの良さそうな青年が、一行の車を止めた。青年の名はセルジュ・アンドロニク、飛行機乗りだという。 アンドロニクは森で友人とはぐれ、置いて行かれてしまったので、車に同乗させてほしいと言う。快く誘ってはみたものの、如才ない会話術と 男らしい健康さでアンドロニクが女性たちを虜にしてしまったのは、男性陣にとって嬉しいことではなかった。
にえ これはエリアーデらしいな〜と思ってしまうような、ロマンティックで、邪教的な恐ろしさと歪んだ美のある幻想小説だった。
すみ 最初のうちこそ楽しい道連れだったアンドロニクだけど、なんとも怪しげな本性をしだいに見せはじめるのよね。
にえ そういう言い方をすると、アンドロニクが悪党みたいに誤解されちゃうじゃない。たしかに怪しげな奴ではあるけど、魅力的で、 善とも悪ともとれない人物だよ。
すみ そんなことより、私は最初のうち、登場人物が多いうえに関係がつかめないから、いらついて、 放り出しちゃおうかと思ったよ(笑)
にえ あら、得意の「流され読み」はどうしたのよ(笑) 流されるままに読んでいけば、後半は細かい人間関係はわからないながらも、 だいたいのことはつかめるし、他を切り捨てても、本筋部分でぐぐっと楽しめるよね。
すみ 私もあらためて、エリアーデの幻想小説に細かい説明を求めちゃいけないと思ったわよ。わからないところが多分に残るのが、 逆におもしろさだたりするしね。幻想的で美しく、怪しげな雰囲気の中編小説でした。
<ホーニヒベルガー博士の秘密>
東洋文化を研究する私のもとに、ゼルレンディ夫人という女性から手紙が届く。訪ねてみると、夫が研究していた、ホーニヒベルガー博士の 秘密について、研究を引き継いでほしいと頼まれる。夫であるゼルレンディが亡くなったのか、失踪したのかもあかさずに。
→以前に読んだ時の紹介はこちら。
<セランボーレの夜>
インドのセランボーレで、私とボグダノフとファン・マネンは、そんな場所にいるはずのないスーレン・ボーズという同僚を見かけた。彼は、 オカルティズムを研究しているという噂がある。そしてその夜、私たち三人は薄暗い森で迷い、女の悲鳴に誘い出された。
→以前に読んだ時の紹介はこちら。
<大物>
高校時代の友人エウジェン・クコアネシュと5、6年ぶりに再会した私は、あまりの変わり様に驚いた。背が低いことを気にしていたはずの彼が、 すらりと背が高くなっていたのだ。さらに驚いたことに、彼はたった1週間、もしくは2、3日で6、7センチも背が伸びたというのだ。 さらに驚いたことに、3日後に訪ねてみると、さらに数センチ背が伸びていた。それからも、クコアネシュの背は伸びつづけ・・・。
にえ 冒頭でクコアネシュが1週間で背が伸びたと言っておきながら、すぐに今度は2、3日でと言うのは、 混乱しているからなのか、エリアーデ・マジックなのか、わからなかった(笑)
すみ それはともかく、エリアーデといえば、ひねりまくって幻想的というイメージがあったんだけど、 これについてはひたすら背が伸びる青年という単純さ、これが意外とおもしろい!
にえ でも、ロマンティックではあるのよね。背が伸びつづける青年と、ひたすら愛しつづけようとする美しき婚約者の悲恋でもあるから。
すみ どのくらい背が伸びるかは読んでのお楽しみ。ちなみに、出版予定の段階では邦題が「大きな人」と なっていたのに、出版されてみると「大物」になってました。意味的には変なのかもしれないけど、そこにひねりが利いてて、ぐっとセンスのいい邦題になってますよね〜。
<弟思い>
文学者で、教授でもあるトゥードルは、自由を求め、越境をめざしてトウモロコシ畑で息を潜めている。トゥードルは一人ではない。 知人に紹介されたヴァタマヌという、ずっと年上の男と行動をともにしている。国境警備の隙を待つあいだ、二人はなぜ越境したいかを語り合った。
にえ これはエリアーデの悲痛な叫びが込められた作品だよね。単純にルーマニアから脱出するのが自由なのか、 ルーマニアにいても芸術の火を失わないことが自由なのか。
すみ ヴァタマヌの越境の理由と、越境後の行動予定にトゥードルは驚きます。それは読んでのお楽しみ。
<一万二千頭の牛>
みずからを未来の大物だと名乗るヤンク・ゴーレは、パウネスクという男に会うためにブカレストを訪れた。パウネスクは大蔵省に勤めており、 ゴーレに6000頭の牛の輸出の許可を約束し、300万レイ受け取っていた。ところがパウネスクは、とうにブカレストから疎開先へ行ってしまったという。
にえ これは、やたらと大見得を切るゴーレという滑稽な人物と、ゴーレの迷い込む異様な超現実現象、それにブカレストの悲しいアメリカ空軍爆撃という 現実があいまって、なんとも味わい深い作品になってたね。
すみ うん、これはホントにきれいにまとまった、印象深い小品だった。
<大尉の娘>
大尉から金を受け取り、大尉の息子のボクシングの相手をさせられる少年ブルンドゥシュは、戦おうともせず、殴られるままになっていた。 ボクシングの帰り、ブルンドゥシュは大学から戻ってきた大尉の娘アグリピナに声をかけられた。
にえ これはなんとも後味が悪く、それが快感だった。短編ならではの逸品だね。
すみ ブルンドゥシュとアグリピナの会話は秀逸だったね。なる前から作家きどりの醜い娘アグリピナは、 なんでもかんでも決めつけまくり、ひたすらしゃべるし、ブルンドゥシュはどすっと黒いものがある少年で、会話にならない会話の先になにが 待っているのか、ドキドキさせられた。エリアーデ自身の投影も色濃く感じられる作品だったし。