「・・・・・違うっ、そうじゃない俺は!」


 そう叫んだ瞬間、俺は目を覚ました。
 けど、目は覚めたってのに、なんかまだ見てた夢が覚めきらないカンジで…、
 息とか苦しいし、今も心臓がバクバクいってる。
 それに起きたばっかだからなのか、寝てる間に見た夢を覚えてた。
 しかも、曇りなんか一つもないくらいハッキリと。
 いつもはうなされて目ぇ覚ましても、なんも覚えてねぇのに…、
 なんだってんだってウルサイ心臓の音聞きながら、両目を自分の左腕で覆った。
 さっきまで見てたのは夢…、アレはただの夢。
 でも、覚えてる夢が目蓋の裏に焼き付いたみたいに離れなくて、俺はそれを振り払うみたいに勢いよく起き上がるとバスルームに向かう。そして、脱衣場にある洗面台でカオをばしゃばしゃと乱暴に洗った。

 「だから…、夢だっつーの」

 わかりきったコト呟いて、でも、それでも夢が覚めきらない、そんなカンジ。
 顔を洗いながらカンジた右手の痛みも、いつものってんじゃなくて、夢の中でガムシャラに叩いた時の痛みみたいで…。夢なのに夢じゃないってあり得ないバカみたいな考えを一瞬でも起こさせるような、そんなヘンな痛み方だった。
 ちくしょう…、痛ぇ…。
 そう思わず小さく唸るように呟いて、その場にしゃがみ込む。それから、ハッとしてドアの方を見たけど、久保ちゃんが入ってくる様子はなくてホッと息を吐いた。
 しゃがんでっから鏡は見えねぇけど、今、たぶんひでぇカオしてる。
 だから、ちょっとだけ待ってくれ…。
 もうちょっとだけ…、このまま…。
 痛みに耐えて右手押さえてうずくまると、なぜか見た夢が頭ん中をグルグルとまわってくカンジがして視界がグラッと揺れた。


 『そんなに叩いてもムダだぜ。そっから先は…、ニンゲンしか入れねぇからな』


 そう言われたのは、眠ってた間に見た夢の中。
 気づいたら洞窟みたいな場所に居たってだけの、そんな夢なんだけど。
 前に進もうとしたら透明な何かが…、ガラスみたいな硬いモンがあって進めなかった。
 マジであり得ねぇカンジだったから、すぐに夢だって思ったけど…、なんかすっげぇリアルなカンジでさ。ガラス叩いてる時に声かけてきたヤツもいきなり湧いて出たってカンジだったのに、どうせ夢だとかって無視したり出来なかった。
 存在も…、言われたコトバも…。
 黒いコートっていうかフードっていうか、そんなの頭からかぶって着てたからカオは見えなかったけど、ソイツのことをなぜか俺は知ってる気がした。

 『ニンゲンしか入れないって…、どういう意味だよ?』

 黒い革手袋のはまった右手の拳に力を込めながら、そう言ってカオの見えない黒いヤツを睨みつける。そしたら、ソイツは俺が叩いてたガラスみたいなモンに近づいて、俺と似た黒い皮手袋をはめた両手でソレに触れた。
 『どういう意味って、言ったまんまだろ。お前の右手…、ソレがある限り、あっちには行けねぇんだよ』
 『な、なんで知って!…って、あ、夢の中だからか…』
 『・・・・・・・』
 『なら、ガラスがあっても無くても、こっから先に行けなくても問題ねぇじゃん』
 黒いヤツに言いながら、当たり前のコトを思い出したように呟く。
 ガラスの先に行けなくても、起きれば夢は覚めるんだ。
 だから、ベツに叩いたりしなくても、じっとしてればいいだけじゃんかって…、なぁんだってガラスを叩いてた右手から力を抜く。そして、そんな俺の横で黒いヤツは両手でガラスに触れたまま、黙ってガラスの向こう見てた。
 カオが見えねぇから目も見えねぇけど、何かをじっと見つめてる、そんなカンジで…。
 だから、おっかしいな…、さっきから見てても何もねぇけどって、首をかしげつつ横から黒いヤツを眺めた後で、またガラスの向こうに視線を向ける。
 そしたら・・・・・、そこには久保ちゃんがいた。
 さっきまでいなかったはずなのに、信じられなくてガラスに張り付くようにして見る。
 コレは夢、夢だ…、夢だろっ。
 そう胸ん中で繰り返し言ってても久保ちゃんを見てると、自然に降ろしたはずの右手も左手もガラスに伸びる。そして、気づいたら握りしめた拳でガラスを叩きながら、久保ちゃんを呼んでいた。

 『久保ちゃんっ!!おいっっ、久保ちゃんってばっ!!そんなヤツと話してないで、早くこっち見ろよっ、気付けよっっ!!』

 コレは間違いなく…、夢。
 でも、俺の隣にいるヤツみたいな、黒いのと久保ちゃんが話してる内容を聞いてるウチに黙ってられなくなった。気づいた時には、力いっぱいガラスを叩きながら叫んでた。
 けど、いくら叩いても叫んでも久保ちゃんは気づかねぇし、向こうには行けねぇしっ。
 コレは俺の夢だろっっ、だったら壊れろよって怒鳴ってもムリだった。
 ちくしょうっ、なんだってんだっ!
 久保ちゃんは自分の炎を消して、俺の炎を長いロウソクにつけようとかバカなコトしようとしてるし、ソレをやめさせたくてもあっちの声は聞こえてんのに、こっちのは聞こえてねぇみたいだしっ、俺はギリリと歯を食いしばる。そして、右手の拳にめいいっぱい力を込めた。
 力を込めてガラスに向かって、自分の命を消そうとしてる久保ちゃんに向かって、それを勢い良く叩きつけたっ。だけど、そんな俺の拳は砕けるんじゃないかって痛みを伝えてきただけで、ガラスの向こう側に突き抜けることはなかった。
 『・・・・・・・・っっ!!』
 伝わってきた声も出ないくらいの痛み。
 ソレは右手の拳だけじゃなくて、なぜか胸にまで伝わってくる。
 でも、俺はそんな痛みにうずくまることなく、手も声も届かない場所にいる久保ちゃんに向かってあきらめずに叫んだ。
 やめろっっ、そんなマネしたら絶対に許さねぇっ!!そう叫び続けた。
 すると奇跡でも起こったのか、久保ちゃんはロウソクに伸ばした手を止める。
 けど、ソレは俺の声が聞こえたからじゃない。
 俺に気づいたからじゃない。
 俺の叫ぶ声に混じって鋭く響いた声に驚いて横を向くと、黒いヤツがするりと通れないはずのガラスを抜けてくのが見えた。そして、その時、ぱさりと頭からかぶってたフードが脱げて…、俺は始めて見たソイツのカオに息を飲んだ。
 
 『ずっと一緒にいたいなら、方法は一つだけしかねぇだろ』

 ・・・・・・俺と同じカオ。
 そう言えば、それを知って聞けば声も似てる。
 けど、いくらカオや声が似てても、俺はそんなコト望んでない。他に方法がなかったとしても、俺は久保ちゃんのロウソクを半分に折らせるなんて、久保ちゃんの命を半分にしようなんて、たとえ夢でも思わないっ。
 だから、獣化した右手を思い切りガラスみたいなもんに叩きつけた。

 『バカヤロウっ!!!本気でっ、本当に俺がそんなコト望んでるって思うのかっ!!? そんなヤツに簡単にだまされてんじゃねぇよっ!! 久保ちゃんならソレが俺じゃないってコトくらいわかれってんだよっっ!!!』

 俺じゃないヤツに何かを囁いて、それから、ソイツの肩に額を押し付けるようにする久保ちゃんを見てると胸が焼け付くように痛んだ。
 久保ちゃんのクセに、なんでわかんねぇんだって…、
 どうして、わかってくんねぇんだって…、
 叩きつけた拳に力を込めて、ギリリと歯を食いしばる。
 けど…、だけど…、こっからは肩に額を押し付けた久保ちゃんのカオは見えない…けど、少し猫背気味の屈められた背中がなぜか泣いてるように見えて…。そんな背中を見つめてると違うっ、そうじゃないって思ってるのに、叫ぶ声も握りしめた拳も震えてきて…、
 それ以上、俺は何も目の前のガラスに叩きつけることはできなかった。
 ただ、焼け付くような胸と熱くなり始めた目の奥の感触に耐えるように、ギリリと歯を食いしばってるコトだけしかできなかった。
 すると、そんな俺の鼓膜に、頭の中に直接響くような声がして…、
 ハッとして無意識に俯きかけてた視線をあげると、そこにはもう久保ちゃんはいなくなってて…。その代わりに久保ちゃんと話してたヤツと、俺に似たヤツが向かい合い見つめ合ってた。

 『ホントは自分でわかってんだろ…、この先の、結末なんて』

 俺と似てる…、けど、右手だけじゃなくて両手に手袋をはめたヤツの声。
 ソレを聞いてるのは俺だけなのか、向かい合ってるヤツも聞いてんのか…、
 わかんねぇけど、そんなコトよりも俺は向かい合ってるヤツのカオを…、その見覚えのありすぎるカオを見た瞬間に何も考えられなくなった。

 ・・・・・・・くぼちゃん。
 
 夢だからなのかどうかはわかんねぇけど、そんなに近くないのにカオがはっきり見える。今の久保ちゃんがもう少し年食ったら、そうなるってカンジのカオ。
 でも、それは俺が俺じゃないように、久保ちゃんじゃない…、違う…。
 なのに、俺は完全に否定することも、目をそらすこともできなかった。
 そして、そんな俺の目の前で、久保ちゃんに似たヤツは俺に似たヤツに向かってゆっくりと、何かを恐れるように怖がるようにゆっくりと手を伸ばして…、
 でも、その手も腕も触れるはずの、抱きしめるはずのモノには届かなかった。
 それは届く直前で着てた黒いコートみたいなのを残して…、消えて…、
 まるで、ホントに夢みたいに消えてなくなって、一人になった久保ちゃんに似たヤツは残された黒いコートをだけを抱きしめる。さっきの久保ちゃんに似た泣いてるみたいな背中で、そっと優しく抱きしめて、それを見ていた俺は首を横に振った。

 『ホントは自分でわかってんだろ…、この先の、結末なんて』

 俺に似たヤツの言葉、両手の手袋。
 俺には通れない場所を通って、それから消えてしまったのは…、
 なぜなのか、どうしてなのか…。
 考えたくなくて何度も頭を振った視界の中で、泣いてる背中も揺れて…、
 違うっ、そうじゃないと叫んだところで目が覚めた。
 目が覚めて夢だったんだって、忘れてた事実を思い出した。

 「しっかりしろよ…、俺…」
 
 いつの間にか閉じてた目を開けると、洗面台の前の床が見える。
 右手の痛みにうずくまったまま、ちょっとだけ気ぃ失ってたみたいだった。
 でも、久保ちゃんには・・・、気づかれてない。
 またドアの方に視線を向けて、ほっと息をつく。
 それから痛みが治まってきたのにも、ほっと息をついて立ち上がった。
 でも、見た夢が頭ん中をグルグルまわるのは治らなくて、俺はもう一回カオを洗ってからリビングに向かう。そして、とりあえずなんか飲もうと思ってキッチンに行って冷蔵庫を開けて、昨日買ってた缶コーヒーを取り出した。
 ソレ飲んだら、ちょっとはスッキリするかなーって…。
 けど、そう思って缶を開けようとした瞬間、ベランダへ続く窓のカーテンが揺れてるのに気づく。カーテンが揺れてんのは、確認するまでもなく窓が開いてるからだし、窓が開いてるってコトはソコに久保ちゃんがいるからだ。
 ふと時計を見ると俺が起きるにはすんげぇあり得ねぇくらい早すぎる時間で、窓に近づくとリビングに入り込んでくる風も冷たくはないけど朝らしく涼しい。そんな風に誘われるようにベランダに出ると、こっちに背を向けて見慣れた風景を眺めてる久保ちゃんの背中が見えて…、また右手がズキリと痛むのをカンジた。

 「お前がこんな時間に起きてくるなんて、めずらしいじゃない。もしかして、何かコワイ夢でも見た?」

 俺が来たのを気配でカンジたのか、背を向けたままで久保ちゃんがそう言う。
 だから、俺は…んなモン見てねぇよってアクビしながら、いつもの調子で言い返して久保ちゃんの横に並ぶように立った。
 「あー…、マジ眠ぃ」
 「そう思うなら、二度寝でもしたら? まだ、お前的には真夜中っしょ?」
 「なんか目ぇ冴えちまってムリ」
 「コーヒーなんて飲んだら、ますます冴えると思うけど?」
 「良いんだよ、ベツに寝る気ねぇし」
 眠い…けど、今は眠りたくない。
 開けた缶コーヒー飲みながら、朝の涼しい風に吹かれながら見慣れた風景を眺める。すると、久保ちゃんも俺とおなじく持ってた缶コーヒーを飲んだ。

 「俺の場合は…、良い夢だったんだけどね」
 
 ・・・・・・・・良い夢。
 そう言った久保ちゃんの声に、俺は思わず横を見る。そしたら空を見上げながら、何かを思い出すように目を細めて微笑む久保ちゃんの横顔が見えた。
 思い切りじゃなくて、うっすらと浮かべられた微笑みは優しいカンジで…、
 だけどどこか…、なんか寂しそうにも見えて…、
 俺はまた忘れずに脳裏に残り続ける夢を、繰り返すように思い出す。
 半分になったロウソクと、俺と久保ちゃんに似たヤツと…、
 久保ちゃんが俺と同じ夢を見るとかあり得ねぇのに、良い夢だったっていう久保ちゃんの横顔と、夢ん中で俺に似たヤツの肩に額押し付けてた久保ちゃんがダブって見えて…。ふと気付けば、あんなのが良い夢なもんかって呟いてた。
 「あんな夢…って、やっぱお前も何か夢見たの? ソレってどんな?」
 「・・・・・っ」
 呟いたセリフに、そうツッコまれて聞かれて黙り込む。
 どうせ夢だ、ただの夢だ。
 そう思うのに見た夢を、久保ちゃんには話したくなかった。ロウソクを命を半分に折らせちまったなんて、そんな夢を久保ちゃんに話しちまったら、なんかソレが現実になっちまいそうな気がして…、言えなかった…。
 だから、そう言う久保ちゃんこそ、どんな夢みたんだよって質問に質問で返す。
 すると、久保ちゃんは答えるつもりだったのか、それとも答えないつもりだったのか、微笑む久保ちゃんが口を開きかけた…けど、そのタイミングを待ってたみたいに電話が鳴った。
 その音に、電話に向かう久保ちゃんにほっと小さく息を吐いた俺は、らしくねぇ…と空を見上げる。それから、ちびりと思い出したように持ってた缶コーヒーを飲んだ。
 
 「夢とか気にするとか、ガラじゃねぇっての」

 ベランダでそう呟いた俺の背中に向かって、呼び出しあったからバイトに行くって言う久保ちゃんの声が響く。その声にわぁったとヒラヒラと手を振りながら、俺はまるで先行きを示すように晴れ渡ってた空がだんだんと曇ってくのを眺めてた。



 プルルルル…、プルルルルルル・・・・・。



 そんな音がリビングに響いたのは、正午を過ぎた頃。
 ヤブ医者からの電話で久保ちゃんがバイトに出かけてから、俺はゲームとかする気分にはなんかならなくてソファーでゴロゴロしてた。早起きしすぎて眠ぃのは確かなのに目を閉じても眠れねぇし、あーっ、もうっって自分で自分の髪をぐちゃぐちゃにしてみたりして…、
 とにかく、今は完全に曇っちまってる空模様みたいな、そんな有様だった。
 いつまでも、あんな夢のコトをうじうじ考えてる自分に自分でイラっとするっ。
 けど、それでも考えることをやめらんなくて、そんな時に鳴った電話にイラッとした気分のまま出ると、なんか荒れてるなと聞き覚えのある声がした。
 「だーれが荒れてるって!…っていうか、もしかしなくても葛西のオッサン?」
 『おう、久しぶりだな』
 「久保ちゃんなら、バイトに行ってて留守だぞ?」
 『あ、いや…、今日は誠人じゃなくてお前にちっと話があってな』
 「久保ちゃんじゃなくて、俺?」
 『今から、近くのファミレスまで出て来れるか?』
 「ファミレスってぇっと、昼メシとか奢ってくれんの?」
 『あぁ、来たら好きなモン食わせてやる』
 「やったーっ、ラッキー!」
 ファミレスって聞いて、急に思い出したように朝メシ抜き、昼メシがまだの腹が鳴る。我ながら現金すぎとか思うけど、いくらかイラっとしたのが治まった。
 やっぱ腹がへってはなんとやらってヤツで、イラっとしてたのも腹へってたのが影響してんのかも…とか思いながらウチを出る。机にちょっと出かけてくるって書き置きを残して。
 バイト行ってるし、たぶん俺が戻るまでに帰ってきたりはしねぇと思うけど、さ。
 念のために出かける時は、必ず書き置きを残すコトにしてる。さすがに目の前のコンビニに行く時は残したりはしねぇけど、なんつーか…、行く場所を知らせるっていうよか、帰るからって意思表示っていうかそういうヤツだった。
 いつも俺が帰ってくるのを待ってない、そんなカンジのする…、

 そうしないと帰って来ないって、そう思っちまいそうな久保ちゃんに…。

 マンションから歩きなれた道を歩いて、いつも久保ちゃんと行くファミレスに行くと、すでに葛西のオッサンが来てて俺を待ってた。
 タバコくわえて、口をへの字にした上に眉間に皺寄せて。
 昼メシにつられて来ちまったけど、そんなオッサンの顔見てちょっとだけ後悔する。わざわざファミレスに呼び出して久保ちゃん抜きで俺と話したいってコトは、久保ちゃんに聞かれたくない話なのかもって気づいたのは、オッサンの前の席に座って好きなのを頼めって差し出されたメニューを眺めてからだった。

 「・・・・・で、俺に話って何だよ?」

 注文してジューっと焼けるステーキが来ても、考え込むように腕組みしたまま何も言わねぇオッサンにそう聞いてみる。すると、オッサンは難しいカオしたまま、組んでた腕をやっと解いて人差し指でこめかみを掻いた。
 「最近…、調子はどうだ?」
 「調子? べっつにフツーだし、ドコも悪くねぇけど?」
 オッサンの聞いた調子っていうのは、たぶん右手のコト。
 けど、俺は今朝のことなんか忘れたみたいにそう言って、ウマそうなステーキをナイフで切ってパクっと食べる。そしたら、オッサンはなら良いんだがと、くわえてたタバコを指で摘まんで灰皿に長くなってた灰をポンッと落としながら…、
 ぜんぜん予想もしてなかったセリフも同時に俺の上に落とした。

 「・・・・・なぁ、時坊。誠人の所を出て、俺んトコに来ねぇか?」

 そんなオッサンのセリフに、俺は思わずステーキを食べてた手を止める。
 けど、考えるまでもなく、答えはノーだ。
 久保ちゃんトコ出てくとかそんなの考えたコトねぇし、あり得ねぇしっ。
 なんで、突然そんなコト言い出すのか、マジでワケわかんねぇし!
 だから、そのまま、思ったままを葛西のオッサンに言おうとして…、ふと脳裏を過った可能性に開きかけてた口を閉じる。ココまで呼び出されたから久保ちゃんに聞かれたくない話とか思ってたけど、もしも呼び出したのもオッサンのトコに行くって話も久保ちゃんに頼まれてたんだとしたら、なんて…、そんなのあり得ねぇだろっと首を横に振って…、
 なのに、それでも振りきれない何かがあって…、すぐには答えられなかった。
 すると、そんな俺をココロを見透かしたように、オッサンが久保ちゃんに知らないと言った。
 「誠人のヤツには何も聞いてねぇし、言ってもねぇよ」
 「だったら、なんでいきなりそんなコトっ」
 「そろそろ限界だろうと思ってな」
 「限界?」
 「その右手もWAも、端から個人レベルでどうにかできるようなもんじゃねぇ。しかも、それにヤクザやら何やらヤバイ連中が、本格的に絡んできたとなるとなおさらだ。それは考えるまでもなく、わかってるだろ? だから、俺のトコに来れば、警察に連れてってお前さんを保護させる」
 「・・・・・なっ!」
 「身体を色々と調べられたりはするかもしれねぇが、今の状況よりはマシなのは確かだ。WAの情報が入れば教えてやるし、出来る限り自由でいられるように俺が上に掛け合ってやる。だから、もうあの部屋を出て誠人とは関わるな」
 そう言ったオッサンは本気だった…、俺を真っすぐに見据えた目が本気でそう言ってた。
 けど、だからって納得してうなづけるような話じゃないっ。確かにオッサンの言う通りかもしれなくても、俺の過去は俺の手で過去を探すって決めたんだ。
 自分の手で探さなきゃダメだって、何も見つからないってそんな気がするんだっ。
 それに久保ちゃんと離れるなんて、そんなのぜったいに嫌だと右手を出しかけてハッとした俺は、逆の手で、左手で勢い良く机を叩いた。
 「なん…、でだよっ!! 久保ちゃんが何も言ってねぇのにっ、なんで部屋を出てけとか久保ちゃんと関わるなとかってオッサンに言われなきゃ…っ!」
 「誠人のためにもそう言ってる」
 「くぼちゃんの…、ため?」
 「昔っから色々あってな。誠人のヤツはWAの件がなくても、端っからお上に目ぇつけられてる。その上、これ以上何か問題を起こせば、目ぇつけられるどころの騒ぎじゃなくなる…、いや、違うな。そういう問題じゃなく…、これ以上、アイツの指が引き金を弾けば、確実にアイツはアイツ自身の寿命を縮めるハメになるって話だ」
 「・・・・・・・・・」

 「守るつもりで引いたとしても、引いた引き金の数だけ生まれるのは恨みと憎しみと…、死だけだ」

 引いた引き金の数だけ、縮む寿命…。
 そんなオッサンの言葉を聞くと、なぜか夢で見たロウソクが脳裏に浮かぶ。
 夢の中で久保ちゃんは俺のために、自分の寿命を半分にした。
 けれど、その前は…、自分の炎を消そうとまでしていた。
 良く考えてから返事をくれと言ってオッサンが帰った後、俺は思い出したようにフォークに突き刺したままになっていたステーキを口に含む。すると、すでに冷えていたせいか、少しもおいしいとはカンジられなかった。

 「・・・・・・・この先の結末なんて、俺は」

 知らない…と続く呟きは、途中で途切れて胸の奥に詰まったまま出て来ない。食べかけのままのステーキを残してファミレスを出ると、相変わらずの曇り空で…、そんな空の下を歩き出した俺の足はなぜかとても重くて…、
 気づけば、久保ちゃんが俺を拾ったっていう場所に来てた。
 そこは細い裏路地で曇りのせいか、今は昼間なのにやけに暗く見える。
 俺はその暗がりに、久保ちゃんが見つけてくれなければ、そのままのたれ死んでたかもしれない場所にマンションに向かうはずの足で踏み入れて…。それから、ゆっくりと倒れ込むように、その場に座り込んだ。

 「炎を消したり、ロウソクを半分にしたり…、そんな方法しかないっていうなら…。ホントにそうだってんなら、俺は一人で…」

 ケーサツには、葛西のオッサンのトコには行かない。
 それは決めてるし、ぜったいに迷わない。
 けど、あの部屋から出て久保ちゃんと別れて…、一人でって…、
 そう思うと途端に胸が苦しくなって、ダイジョウブだって立ち上がれなかった。久保ちゃんのロウソクを短くなんかしたくないのに、一人じゃ歩けなかった。
 どこもどこへも行けない…、行きたくない…。
 今まで平気で歩いてた道も、街も何もかもが久保ちゃんがいないだけで怖くなる。一人きりだと思うだけで、噛みしめた唇が震えた。
 獣みたいになってる右手を…、はじめて哀しいと思った。
 痛いでも苦しいでも、辛いでもなく、哀しくて目の奥が熱くなって…、
 それでも、泣くもんかって一人だってヘーキだって、自分に言い聞かせるみたいに何度も何度もココロん中で繰り返して震える唇を噛みしめる。すると、そんな俺の頭に何かが上から降り立つようにフワリと乗って、それに驚いた俺がいつの間にか俯いてた視線をあげると、そこにはココにいるはずの無いヤツが立っていた。
 「こんなトコでどした? 気分か具合でも悪くなった?」
 「くぼ…、ちゃん…、なんで? バイトは?」
 「思ったより早く片付いたから、昼メシはウチで食おうと思って」
 そう言ってホラっと差し出された久保ちゃんの手には、弁当が入ったビニール袋がある。しかも、まるでそれが当然みたいに…、弁当は二つあって…、
 それを見た俺はさっきまでの哀しいのとは違う何かが、目の奥を熱くするのをカンジた。
 目の奥が熱くて何も言えなくて、カオを隠すようにまたうつむく。そしたら、久保ちゃんが座り込む俺の前にしゃがみ込んで背中を差し出した。
 「ほら、帰るから早く乗りなよ」
 「…って、ベツに具合悪くねぇし、一人で歩けるしっ」
 「良いから早く乗りなよ。じゃないと強制的に担ぐけど? 荷物っぽく」
 「ちょっ、待てって! つか、誰が荷物だよ!」
 「よいしょっと…」
 「ぎゃーっ、やーめーろぉぉっ。コレって荷物じゃなくて、お姫サマ抱っこってヤツじゃんかよっ!!」
 あやうく強制的にお姫サマ抱っこで、ウチまで連行されそうになった俺は仕方なく背中で妥協する。一人で歩けるっつってんのに、まあまあとか良いじゃないとか言って、いつもの調子で押し切られちまった。
 ったく、何なんだよっと思いながらも、背負われてカオを見られなくて済んでほっと小さく息を吐く。それから、久保ちゃんの背中から、いつもよりも高い視線で見慣れた…、けれどいつもより少し違うカンジのする風景を眺めた。
 結局、葛西のオッサンの話も何も言えないままで、久保ちゃんが歩くたびに揺れる視界と同じように、俺のココロもゆらゆらして…。ウチに帰るのをためらうキモチが、このままでいいのかってキモチが消えない。
 葛西のオッサンの言葉を違うって言うには、そんなコトにならないって否定するには、もう久保ちゃんの指は引き金を弾きすぎてる。こんな風にフツーに朝起きてメシ食って、そんな日が今も続いてんのが不思議なくらいに…、
 俺の目の前で、俺の知らない場所で…、
 久保ちゃんが俺のために引いた引き金は、もういくつくらいになっちまったんだろう。
 「なぁ、久保ちゃん…」
 「ん?」
 「重いだろ?」
 そう久保ちゃんに聞いたのは背負った俺の重さのコトなのか、ベツのモノのコトなのか自分でも良くわからない。すると、ソレを聞いた久保ちゃんはすぐに重いよ…と答えた。
 「初めて背負った時より、重くなった」
 「・・・ソレって太ったって言いたいのかよ」
 「うーん、すでに太ったってレベルじゃないかも」
 「はぁ? このスレンダーな俺様がそんなに重いワケっ」
 いつもの調子で久保ちゃんと話してもカラダじゃなくて、胸ん中に鉛みたいなモンでも入ってるみたいに気分もココロも重い。そんな重さをカンジてるみたいに、俺を背負って重いっていう久保ちゃんに胸がズキリと痛んだ。
 だから、重いならさっさと降ろせと、自分で歩くと言おうとした。
 一人で歩くって、一人で大丈夫だって久保ちゃんの背中から降りるつもりでいた。
 けれど、久保ちゃんは小さく笑うと立ち止まり、降ろすどころか少し下にずれていた俺の身体をよいしょっと声と反動をつけて背負い直す。そして、お前より重いモノなんて、どこかにあったっけと歌うように言った。
 「うん、おすもうサンとかプロレスラーより重いし、カバとかゾウよりも重いし」
 「ゾウよりってあり得ねぇしっ、ソレって何基準だよっっ」
 「何基準って言われると、たぶん俺基準?」
 「おいっ」
 「なーんてね。お前が何キロでも降ろす気ないけど…、寒いし」
 「寒いって、そういう季節じゃねぇだろ、今」
 「うん、けど俺にとってはそんなカンジ? 北極で布団背負って歩いてて、その布団は重いけど、ソレを背負わないと凍え死ぬ…みたいな?」
 歌うように俺が重いって言って、笑みを含んだ声で背負わないと死ぬって言う。
 そんな声を背中で聞きながら、俺はまた目の奥が熱くなってきて…。哀しくなんかないのに目の前が滲んでくのを止めたくて、まるで夢ん中の久保ちゃんみたいにすぐ目の前の肩に額を押し付けた。
 「ココは横浜で、北極じゃねぇんだぞ」
 「うん、知ってる」
 「だから、布団なんて目立つモン背負ってたら、ココに撃ってくれ…みたいなカンジで標的になるだけだぞ」
 「うん…、それでも今は痛いより、寒い方がキライになっちゃったみたいだし…」
 「・・・・・・・・」

 「俺をこんなカラダにした責任、取ってくれないの?」

 出かけても待ってないクセに、こんな時ばっか責任なんて言って…。俺には関係無いなんてヘーキで言うクセに、いつも俺のために拳銃握って引き金弾いて、その手でロウソクを折っちまうようなマネして…、
 そんな久保ちゃんに背負われた俺は、自分の足で立って歩くコトを強く意識する。久保ちゃんが引き金を弾くたびに、その背中に俺が背負うはずのモノを背負うたびに強く思う。
 ムリでもムチャでも何でも自分の足で立てっ、歩けっ!足を踏ん張れっ!!
 ぜったいに凍え死なせやしないけど、布団になりたいワケじゃなかった。
 だけど、自分の中で自分の足で立ちたいって、歩きたいって…、
 この右手が何なのか知りたいって思う気持ちも、そのすべてが今カンジてるぬくもりから生まれてきてるような気がして…、いつの間にかそんな風になっちまってて…、
 それに気づいた俺は冷たくも寒くも無い横浜の風に吹かれながら、久保ちゃんの背中のぬくもりをカンジながら揺られながら、遠く遠く見えない明日を見つめるように目を細めた。

 「久保ちゃん…、もうヘーキだ。ちゃんと歩けるから降ろせ」

 俺がそう言うと、今度は久保ちゃんは何も言わずに俺を背中から降ろす。
 そして、俺らは背負いもせず、背負われもせずに同じ風に吹かれながら並び立った。
 いくら見つめても見えない明日を見つめるように見慣れた街並みと空を眺めながら、どちらからともなく手を伸ばして握りしめて…、握りしめあって…、
 何かを誓うように五本の指のすべてで指切りするように、握りしめた指を絡ませ合った。
 「・・・・・・・・誰が折らせるモンかよ」
 「時任?」
 「道が一つしかねぇなら、俺が作ってやる。一人で逃げ道作って凍え死ぬくらいなら、二人で前に道作った方がマシだ…」
 「責任取ってくれるんだ?」
 「違ぇよ、こういうのって責任じゃなくて共同作業って言うんだろ?」
 「ソレってプロポーズ?」
 「・・・・・っ、バカっ、そんなんじゃねぇよっ!」
 「それは残念」
 
 「けど・・・・・」

 言いかけて言葉を切って、久保ちゃんを真っすぐに見つめる。そして、夢ん中で見た久保ちゃんの姿と、俺と久保ちゃんに似たヤツの姿を思い出しながら、もう何度も引き金を弾くのを見た指を見た。
 葛西のオッサンの言ったコトに違うと…、首を横には振らない。
 オッサンの言ったコトは間違ってないって、ちゃんと知ってる。
 けど、それでも俺は離せば凍えちまう手を、握りしめた手を離さずに、引き金を弾く指に指をからめて離さずに前だけを見た。

 「ずっと一緒だ…」
 
 ソレが覚悟なのかワガママなのか、今の俺にはわからない。
 そして、そのどちらだって、とっくに後戻りなんか出来なくなってた。
 それでも…、だからこそ俺は自分の足で立って歩いて、道を探し続ける。二人だから探し続けて前へ前へ進み続けて、何があったって何が起こったって後悔なんかしない。
 何でもないフリしててもホントは手握りしめただけで照れ臭くって、心臓がドキドキしまくってて言えねぇけど、たぶんコレが恋なんだろうって思うから・・・・、
 握りしめた手もぬくもりも俺を呼ぶ声も好きだって、大好きだって思うから…、
 俺は久保ちゃんの手を離さなかった…。
 好きだというかわりに、ぜったいに離せない手を握りしめる手に力を込めた。

 「ずっと…、ずっと一緒だ…」

 それは誓いでも約束でもなかった。
 それは…、きっと告白だった…。
 夢が焼き付く胸でココロで、それでも俺は久保ちゃんの手を握りしめた。
 そんな告白をしながら見た俺の手を握り返す久保ちゃんの穏やかな微笑みは、まるで夢の中の夢のように…。あの夢で見た背中のように、泣いているように見えた。
 

『夢の中の夢』 2012.8.15更新

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