「・・・・・・・・コレって、夢だよね」


 そう呟く久保田の視界に映る景色は、すぐにそうだとわかるくらい突拍子が無い。
 さっきまで自分の部屋のベッドで寝ていたはずなのに、今は薄暗い穴の中。
 穴は久保田の位置から見て、前と後ろに続いている。
 けれど、そのどちらにも光は見えず、出口らしいものも見当たらなかった。
 穴の中を照らしている弱々しい光の源は外からの光ではなく、岩肌を覆っている苔。
 この中に陽の光はないが、水はあるらしい。
 でも、そんなことを考えてみたところで、これは夢なのだから意味はなかった。
 たとえ出口などなくても、出たいと思うなら目を覚ませば良いだけ。
 この場に立ち止まったままでいても進んでも、夢はいずれ覚めて消える。
 久保田は周囲の状況を確認すると、さて…、どうするかなと小さくあくびをしつつ、右手で軽く後ろ頭を掻いた。

 「なんとなく、起きても眠った気がしないとか、そんなカンジだったり? けど、立ち止まってるのもタイクツだし…、ねぇ?」

 夢の中で退屈ってのも妙かも…と、とりあえず今向いている方向へと迷うことなく歩き出す。でも、それはそちらの方が良いような気がしたとか、そんな理由ではなく、ただ踵を返すのが面倒だっただけだった。
 夢が覚めるまでの間の暇つぶしに、迷う必要はない。けれど、すぐに覚めると思った夢は冷めず、気付けば思ったよりもずいぶんと歩いてしまった。
 薄暗いの穴の中で景色も似たり寄ったり、正確にはわからないが少し疲れを感じる。
 夢を見ていて深くはないものの不眠症の自分にしては良く眠ってる…と、久保田は目覚めない自分に対して、よほど疲れてるらしいと他人ごとのように思った。

 「今、襲われたら、ヒトタマリもなさそうだけど…」

 疲れたなら立ち止まれば良いのに、なぜか歩みを止めずに思い浮かべるのは夢ではなく現実…。同じベッドで眠っているはずの同居人のこと。
 ある日、裏路地で拾った獣のような右手を持つ少年。
 記憶も帰る場所も無かった少年に、時任…という名をつけたのは久保田。
 そして、その時任はどう見ても考えても訳ありである上に、自ら過去を知るために危険に関わろうとしていて…。でも、平穏で平和で何事もなくて、そんな日々が続いていても心のどこかに引っかかって取れないモノは、その危険への心配や不安ではなかった。

 「・・・・・だったら、何が?」

 目覚めないまま、ひたすらに歩みを進めながら、同じベッドに眠る時任を脳裏に思い浮かべて、そう無意識に呟く。すると、疲れても止まらなかった久保田の歩みが、そんな自分の呟きを聞いた瞬間、ピタリと止まった。
 少し驚いたように、わずかに目を見開いて…。
 けれど、そんな久保田の表情は、次の瞬間には崩れ消えてなくなり…、
 歪められた唇に浮かべられた自嘲にとって変わった。

 「今更、何言ってんだか…」

 獣の右手…、ヤクザも警察も追っている薬の存在。
 そして、その陰に見え隠れする結末と、右手を抑える時任の姿。
 それらを前にして、傍に居ながら何も考えるな何も想像するないう方が無理だ。
 でも、だからといって決められる覚悟なんて、少しも持ち合わせてはいない。
 一緒に暮らすようになって一年以上経っても…、それは同じだ。
 それどころか逆に覚悟どころか、今にも爆発してしまいそうな何かが自分の内側でふくらみ続けているのを感じる。ふくらみ続けて止まらなくて、日を追うごとに苦しさや痛みまで増してくるのだから、認めたくなくても目を逸らしても…、
 その存在を完全に無視することは不可能だった。

 不可能だからこそ…、こんな夢を見る…。

 改めて進んでいく方向と、歩いてきた方向をゆるりと眺めた久保田は、次に疲れてきた自分の足に目を向ける。これは夢…、だから疲れたのなら立ち止まれば良いだけ。
 けれど、久保田は苦笑と共に薄暗闇に、再び足を踏み出した。
 前に進んでいるのか、それとも後戻りを続けているのか、それすらもわからない夢の中で…。でも何かを考えて、何かを思って踏み出した足ではない。
 何も考えたくないからこそ、何も思いたくないからこそ踏み出した足だった。
 だからこそ、歩いても歩いても薄い暗闇だけが続いていくのかもれしない。
 いつまでもどこまでも、出口も明りも何も見えてくることは無い。
 離れていれば、傍にさえいなければ、増していく苦しみや痛みを少しは止められるかもしれないのに、それがわかっていながら一緒に暮らして…、
 こんな薄暗がりを歩くように…、月日を日々を時を重ねて…、
 あぁ…と息を吐くように漏れた自分の声を聞いた久保田の身体の奥から、くくくっと内側からふくらみ続けているものを震わせるように笑い声が漏れた。

 「夢を見るなら、もっと良い夢を見ればいいのに…」

 夢は人の深層心理を反映しているという。だから、きっと目覚めるまでに出口も光も見つからないだろうと、そう思い確信する。
 夢ではなく、今、目の前にある現実そのままに…。
 けれど、その確信と予想に反して、やがて久保田は狭い穴から広い場所に出た。
 広い…とは言っても、そこにはやはり陽の光や出口はない。
 でも、何も無い訳じゃない。
 広い場所へと…、まるで広場のような空間へと足を踏み入れた久保田は、前より遥かに高くなった天井を見上げ、それから広場を照らし出す明りを見つめた。
 すると、その明りに照らし出された久保田の影が、ゆらゆらと揺れる。そう…、広場を照らす明りは苔ではなく、数えるのも面倒になるほどの無数の白いロウソクだった。

 「ロウソクもコレだけあると壮観かも?」

 これだけのロウソクが燃えているのなら、酸素は…と考えかけ、そう言えば夢の中だったっけと軽く肩をすくめる。どこまでも真っ直ぐに続いていくだけだろうと思っていた穴が、思いも寄らず洞窟の空洞のような場所に繋がっていたのは良いが、それが自分の中の何を反映して現れたものなのかはわからなかった。
 一応、ぐるりと壁に沿って周囲を歩いてみたが、入って来た場所以外の道は見つからない。つまり調べてみてわかったのは、行き止まりにたどり着いてしまったらしいという事だけだった。
 もしも、これが現実ならロウソクを点けた人間がいるはずだとか、燃えるのに必要な酸素はどこから入ってきているのかとか色々と考えることもあるだろうし、そこから希望を見出すこともあるだろう。しかし、あのまま道が続いていようと行き止まりにたどり付こうとも、あくまでこれは夢にしか過ぎないので考えるだけ無駄だった。
 これはたぶん…、自分の中にある何かが見せている。
 自分の中にある何かが、この夢を形作っている。
 けれど、その何かの正体を正確な形として、言葉として知りたいとは思わない。だから、久保田はただぼんやりと目の前の幻想的な風景を眺めているだけだった。
 来た道を戻ることもせず、無数の小さな炎を見つめる。
 そうしながら、この夢から覚めるのを待つつもりでいた。
 なのに、あまりにも炎を見つめすぎていたせいか、記憶の中にあった…、この風景に似た状況を思い出し、ハッとわずかに息を詰める。そして、そんなことを思いだしてしまった自分自身に、深く長いため息をついた。

 「コレが夢だってわかってて、なんで思い出しちゃうかなぁ…、ホント。マヌケにもほどがあるよねぇって…、お前もそう思わない?」

 苦笑混じりに呼びかけたのは、今は見えないベッドに眠る自分の隣。
 でも、この声は夢の中に響くだけで、どこにも届きはしない。
 そして、無数のロウソクを前に思い出してしまった記憶…、いつだったかは忘れたが見たり聞いたりした知識が目の前の風景に意味を与えた。
 正確には覚えていなかったが、確か童話だったか何だったか…、
 人の寿命をあらわすという、そんなロウソクの話を…。
 風も無いのにゆらゆらと揺れる炎は、それこそ本当に無数にある。なのに、これが久保田自身の夢であるせいか、ロウソクの話を意識した途端、その中の一本に自分の意識と視線が集中するのを感じた。
 すると、久保田の足は何かに吸い寄せられるかのように、一歩、また一歩とゆっくりとそのロウソクに近づく。そうして、それが自分の意思であるのか、それとも違うのかすらもわからずに短いロウソクの上に点る…、無数のロウソクの中でもひときわ明るく美しく燃える炎の前に立った。
 すると、それを待っていたかのように、いつの間にか久保田の横に立っていた男が見つめる先にある短いロウソクを指差す。もしも、目の前にあるのが思い出してしまった記憶の通りなら、ロウソクを指差す男は死神か何か…、そんなモノだ。
 だから、自分の横に立つ男が何というのか、ある程度予想はできた。そして、その予想通りに喋る男の声を聞きながら、久保田はゆらめく美しい炎を見つめ続けた。

 「ここにあるロウソクに点る炎は人の命…、その魂。そして、それを点すロウソクの長さは、言うまでもなく寿命…、人の生きる時の長さ。だから、このままでは今見つめている炎は、もうじき消えてしまうよ」

 そう説明した男の指差すロウソクには、名前など書かれていない。けれど、久保田にはそのロウソクに点る炎が誰の命で魂なのかを知っている…、見つめながら感じている。
 たとえ姿形がゆらめく炎だったとしても、決して見間違えるはずがない。
 これが自分の夢だからというだけではなく、そんな確信が炎を見つけた瞬間から久保田の中にはあった。
 「…で、ソレを俺に教えて、ナニさせたいの?」
 何も聞いてもいないのに、ロウソクについて説明する男に久保田がそう言う。
 すると、男は小さく笑って、べつに?と言った。
 「聞きたそうだったから、教えてあげただけ。他に知りたいコトがあるなら、聞けば答えてあげるよ」
 「ソレって何でも?」
 「答えられるコトならね」
 「・・・・・・・・」
 男の声は、聞き覚えのある声だった。
 けれど、その声が誰であるのか思い出せない。だから、誰なのか確認したくなり横を見たが、男は黒いフード付きの長いローブを纏っていて顔を見ることは出来なかった。
 死神といえば思い出す長く大きな鎌は持ってはいないが、それらしい恰好といえばそうなのかもしれない。自分の中の様々なものが夢に正確には反映していないだろうとは思うが、死神に対するイメージはこんなものなのかもしれなかった。
 「たとえ何を聞いたとしても、コレって夢だし? ソレなら聞いて答えがわかったとしても、暇つぶしくらいにしかならないしね」
 「そう思うなら、そうすればいいけど…、もしもコレが夢じゃなかったら?」
 「・・・・・・・・・」

 「もしも夢じゃなかったら、どうする?」

 これは夢…、いずれ覚めてしまう夢。
 そう思っていてもわかっていても、死神の言葉に心臓の鼓動が跳ねた。
 そして、一度跳ねた鼓動は早くなり戻らず、わずかに手が震える。
 自分が明らかに動揺しているのを、久保田は震える指を握り込みながら感じた。
 しかし、いつものように表面上は何事もなかったかのように、軽く肩をすくめ平静を装う。夢の中なのになぁと思っても、無意識にそうしてしまう習慣がついていた。
 「・・・そんなお約束みたいなセリフより、俺の夢ならもう少し気の利いたコト言って欲しいんだけど?」
 「あくまでコレが自分の夢だというなら、自分の意志で何とかしてみせれば?」
 「・・・・・・・」
 「そう、例えば目の前のロウソクを長くしてみせるとか、ね。自分の夢なら、あるいは念じたら何とかなるかもしれない…」
 
 あるいは念じれば…、思えば…。

 そう言われた久保田は、視線をロウソクを向ける。
 けれど、ロウソクは短いまま、少しも長くなる気配は無い。
 本当に自分の夢なら、夢だからこそ、これくらいは現実のままではなく、夢を見させてくれても良いのに…と思いはしても何も変わらない。炎が美しく燃えるのに合わせて、久保田の目の前で徐々にロウソクは短くなっていった。
 じりじりと…、じりじりと時任の命を燃やし続け…、
 そのたびに久保田の内側にあるものも、大きく大きくなっていく…。
 そして、大きくふくらんでいくものが久保田の瞳にまで暗い影を落とし、握り込んだ指先の震えが全身を駆け抜け…、
 声も無く唇に刻んだ名さえ、その震えをわずかに含んでいた。

 「・・・ココで夢が覚めたら、きっと笑い話になるんだろうけど。それでも、それがわかってても炎が消えるのを見たくないなんて、どういうコトなんだろうね?」
 
 炎を見つめまま、久保田の口から漏れた言葉。
 それは呟きのようでもあり、問いかけのようでもある。
 黒いローブを纏った男は、どちらか判断しかねたのか何も言わなかった。
 しかし、久保田は気にした様子もなく、ただひたすらに美しい炎を見つめ続ける。
 すると、目の前にあるのは炎なのに、時任の姿が笑顔が脳裏に浮かんで…、
 久保ちゃん…と自分を呼ぶ声まで聞こえてきて、そっと右手で胸を抑えた。
 胸の中でふくらみ続けているものの勢いが、急激に増した気がして…、
 これは夢でしかあり得ないのに、なぜか苦しくて…、とても苦しくて…、
 炎が消えてしまったら、脳裏に浮かぶ笑顔が消えてしまう気がして…、
 そんな苦しさを抱えた胸を押さえ久保田の口から出た言葉は、今度はハッキリとした問いかけ。言葉と一緒に向けた瞳の奥に宿る暗がりを滲ませた声は、空の見えない限られた空間でやけに大きく響いた。

 「この炎を消さないための方法を、何か知ってるなら答えて欲しい…。少しでもわずかでも、可能性があるなら…」
 
 黒いローブの男は知りたいことがあるなら答えてくれる…、答えられることなら。
 しかし、たとえ聞いたとしても必ず答えが返ってくるとは限らない。
 久保田はもしも男が答えない場合を考えて、知っていて答えられないのか、それとも知らないので答えられないのかを見定めるためにじっと見つめた。
 知っていて答えられないのなら、必ず何か尻尾を掴んで聞き出すつもりで…。
 けれど、それは杞憂だったようで、死神はすんなりと久保田の問いに答えた。
 「炎を消さない方法は、たった一つだけ。短いロウソクから、長いロウソクに魂である炎を移してやればいい。そうすれば長さの分だけ寿命は延びるよ」
 「ソレだけ?」
 「そう、方法は見たままで単純。だけど、難しい」
 「どうして?」
 「ロウソクの数は炎の数だけしかない。余分なロウソクも寿命も、ココにもどこにもないから」
 「・・・・・・・」
 男の答えを聞いた久保田は少し黙り込んだ後、それはそうだろうね…と言った。そして、そう言ってしまってから、夢だとわかっているはずなのに心のどこかで現実と混同し始めてる自分に気づいて苦笑する。
 でも、夢なのに馬鹿馬鹿しいと、あきらめることはしなかった。
 目の前の無数のロウソクと、無数の炎。
 男の答えを思い返しながら限られた空間のはずなのに見つめれば見つめるほど、空間は徐々に広がっていき、炎もロウソクの数も同じように増えていくような錯覚に陥る。けれど、どんなに広がり増えても…、あの美しい炎はたった一本だけ。
 ならばと周囲を見渡すまでもなく、とても短いロウソクの横に長いロウソクを見つけた。短いロウソクを見つけた時と同じように、それが探していたものだと見ただけで確信した。
 そして、その二つの長さの差に、そこにある年月を思い…、静かに息を吐き出す。何も思いたくない、何も考えたくはないけれど、目の前にある夢のような幻のような光景に開きかけた口を閉じた。
 二本のロウソクと炎と…。
 それは確かに夢だけれど、そこにある現実を感じる。
 夢だけれど夢ではなく、やがて来るかもしれない未来が目の前にあった。

 「ホントに誰を助けたいんだか…、ね」

 夢ではなく、やがて来るかもしれない未来を前にして、久保田はそう呟く。そして、その呟きには少し前に呟いた言葉と同様に、久保田の本心が見え隠れしていた。
 ・・・・・・炎が消えるのを見たくない。
 炎を消したくないと思っていても、口から出た言葉に想いは宿り、それを自覚した瞬間に指先の震えは止まる。そうして、久保田の浮かんだ唇の笑みは、自身の意思に反して自嘲的ではなく、胸の奥で大きくなり続けている想いが哀しく滲んでいた。
 「余分なロウソクも寿命も無いなら、作ればいい。そういう答えをくれたってコトは、この炎を消して、ベツの炎を移し替えるくらいの時間はあるんだよね?」
 ロウソクに向かって伸ばす手に、どんな願いと想いがこもっていようともやるべきことは一つだけ。だから、そう黒いローブの男に尋ねる。
 すると、男は答えるまでにわずかな間があったが、首を横には振らなかった。
 「あるよ、三秒だけ。失敗したら、言わずものがなだけど」
 「三秒で十分だし、失敗はないよ。そういう前提じゃなきゃ、やらないし」
 三秒…と声には出さず呟きつつ、久保田は頭の中で長いロウソクの炎を消し、短いロウソクの炎を移す作業をイメージする。
 いち・に・さんと数えてみたが、その作業は確かに不可能ではなかった。
 緊張して手が震えるようなことがあれば失敗するかもしれないが、そうでない限り失敗は無い。炎から視線を震えの止まった自分の手に落とし、自由に動くことを確認するように開いた手の指をゆっくりと一本ずつ折り曲げた。
 いち・に・さん・・・・。
 指を折り曲げながら数えるのは、指の数なのか自分の命の時間なのか…。
 それとも・・・、二つのロウソクの間にある年月なのか・・・。
 やがて、五本の指を曲げ終わると、まるで悪魔のように囁く男の声が耳に届いた。

 「ココに無いのは、余分なロウソクだけ。それ以外なら、今見つめてる他にもたくさん…、それこそ数えきれないくらいある」

 それは甘い…、甘い誘惑の声。
 どちらかの炎を消すのではなく、どちらの炎も消さずに助けられるかもしれない可能性。でも、それを考えた時、久保田は小さく笑った。
 ロウソクに息を吹きかけるように、自分の指が引き金を弾いた数を…、
 流れる鮮やかな赤を思うと、何を今更と笑わずにはいられない。
 けれど、それでも久保田は他のロウソクを選ぼうとはしなかった。
 「こーいう時ってさ。甘い言葉に乗ると、ロクな目に遭わないって相場が決まってる」
 笑みを浮かべたまま、久保田がそう言う。
 すると、男は何かを納得したかのように、あぁそうかと言った。
 「コレが夢だから? だから、自分の炎を消すの?」
 夢だから、たとえ炎を消しても死にはしない。
 もしも死んだとしても、それは夢の中だけの話だ。久保田がそう考え夢だと確信しているからこそ、自分の炎を消そうとしているのかと男は一つうなづく。
 しかし、一人で納得したようなうなづく男に、久保田はゆっくりと首を横にふった。
 「確かにコレは夢だ…、間違いなくね」
 「だから?」
 「いや、確かに夢だけど、それでも夢でなければ良いと思っているよ…、ココロから」
 「・・・・・・・・」

 ・・・・・・・だから、自分の炎を消す。

 静かで揺るぎない久保田の声に言葉に、男はそれ以上は何も言わず沈黙する。そして、ただ黙って久保田を見守り、手を貸そうとしたりはしなかった。
 黒いローブの男は見た目は死神のようにも見えるが、実際は何なのか。夢の中なのだから実際も何もあったものではないが、自分の心の中にある何かがカタチになったものだとしたら、一体何から出来ているのか…。
 きっと、それは見たくもない、考えたくもないもので出来ているの違いない。
 目を逸らしたくなる、そんなものの想いのカタチ。
 久保田は胸の奥の苦しさを紛らわすように一度大きく息を吐くと、長い方ではなく短いロウソクの方を見つめた。
 短いロウソクは、ロウが溶け出していて触ると熱い。
 でも、長いロウソクを取れば、再び立てる手間がいる。
 さすがにそれを三秒でやれるとは思えないし、失敗が許されない状況で試してみる気には当然ながらなかった。

 「夢なら…、ここら辺りで覚めそうだけど…」

 そう、これは夢…。
 でも未だ目は覚めず、このまま長いロウソクを消しせば、久保田は三秒後に死ぬ。他のロウソクを選んで消せば、運が良ければ死なずに済むかもしれないが…、
 伸びた時任の炎の寿命が、自分より短かったら意味が無い。
 ・・・・・たとえ一分でも一秒でも。
 それにためらわず引き金を弾くことはできても、目の前で燃えゆらめく炎を吹き消すことは出来なかった。何を今更と笑っても…、そう、引き金を弾くことがなく助けられるなら、たとえ自分の炎を消すことになっても悪い選択ではないと思える。
 時任の笑顔を思い浮かべると、そう思い感じてしまうから不思議だった。
 いつからなのかはわからない…。
 けれど、何度も何度も…、何度も引き金を弾きながら…、
 同時にそんな血生臭さが夢と思えるような穏やかで温かな日々を二人で過ごしているうちに、心のどこかで思うようになっていた。

 一体、どちらが夢なんだろうかと…。

 本当はどちらも現実でしかあり得ないのに、あまりの落差にそんな錯覚を起こす。
 でも、どちらが夢なのかではなく、どちらを夢にしたいのかと問われれば…、きっと脳裏に時任の笑顔が浮かぶ。硝煙と血の匂いのする世界ではなく、穏やかで温かで平凡でありきたりな世界に似合う笑顔が…。
 そして、今、久保田の脳裏に浮かんでいる時任の笑顔も、そんな笑顔だったから選んだ選択に迷いはなかった。たとえ夢だろうと現実だろうと、あの笑顔を守れる選択肢があるなら…、悪くない…。

 「でもきっと現実なら…、こんな選択肢なんて存在しないだろうけど…」

 そんな言葉とともに、久保田は短いロウソクに手を伸ばす。けれど、その瞬間、叫び声が無数のロウソクの炎が揺れる空間を切り裂くように辺りに、久保田の耳に響く。
 すると、それを聞いた久保田自身が何かを思うよりも考えるよりも早く、伸ばされていた手が声に反応して動いた。

 「ロウソクを半分に折れ…っ!!!」

 久保田の耳に聞こえてた言葉は、ただそれだけ。
 半分に折るのが、どちらなのかどのロウソクなのかさえ言っていない。けれど、久保田の手は迷わず自分の炎の点る長いロウソクを手に取り、半分に折った。
 上の炎を消すことなく、下の部分を…。
 そして、自分のロウソクを立て直し、折った下の部分のわずかにのぞく芯を短いロウソクの炎に近づける。すると、炎は短い方から消え、折られた方へと移った。
 
 「・・・・・・こんな方法があるなんてね」

 やってみれば単純、けれど思いつきもしなかった。
 時任の炎の点るロウソクを立てながら、久保田がそう呟く。
 すると、今度は叫んだ声ではなく、黒いローブの男の声がした。
 「確かに短いロウソクの炎は救われたけど、きっと長くは持たないよ。今度は移した炎だけじゃなくて、ロウソクを折られた炎の方も…、ね。」
 「・・・・・・・・・」
 半分に折られたのではなく、自分の手で折ったロウソク。
 そのロウソクを見つめる久保田の耳に男の声は届いていても、その言葉について考えることもなく…、何を思うこともなく…。ただ、本当にまるで初めからそうであったかのように、真半分に折られた同じ長さのロウソクの上に点る二つの炎の前で、呆然と立ち尽くしていた。
 信じられない…、まるで夢の中の夢のような光景を前にして…、
 自分でも知らなかった、わからなかった願いのような結末を前にして…、
 動くこともできず、声も言葉もなく…、
 すると、そんな久保田の隣に良く知る人の気配が歩み寄り、久保田と同じように二つの炎を見つめた。
 「悪ぃな…、久保ちゃんのロウソク半分にしちまって」
 左手の人差し指で軽く鼻を掻きながら、そう言ったのは…、そう…。
 夢ではなく、現実では同じベッドで眠ってるはずの短かったロウソクの炎の主。
 その主に…、時任に向かって久保田は、迷うことなく首を横に振った。
 「これで良い…、こうでなきゃね…」
 そう呟くように囁くように言った久保田は、少し身体の向きを変えて横に立つ時任の肩に自分の額を押し付ける。そして、穏やかに微笑みながら目を閉じた。
 目を閉じて…、夢の中で夢見るように神様ではなく、額に心に感じるぬくもりに願った。
 永遠じゃなくていい、永遠なんていらないから…、
 どうか俺よりも早く…、瞳を閉じないでいて欲しい…。
 たった一分でも一秒でも良いから…、お願いだから…、


 ねぇ・・・・、時任・・・・。


 ぬくもりを感じていると次第に意識が遠のいていき、あぁ、やっと目覚めるのかと感じて微笑みを深くする。どんなに願っても、これは夢。
 意識が途切れる瞬間、誰かに呼ばれた気がして閉じていた目を開くと、隠れていたはずの黒いローブの男の顔が見えて…。それが自分と双子のようにそっくりな…、けれど今の自分よりも皺の刻まれた顔なのに気づいた時に、またわずかに指に胸の奥に震えが走った気がしたけれど、今だけはと夢の中で眠るように再び目を閉じた。
 現実で眠る自分の頬を一粒だけ、瞳から零れ落ちたのが流れ落ちたのも知らずに…、

 まるですがり付くように、すぐ隣にあるぬくもりを強く抱きしめながら…。

『夢の中の夢・前編』 2012.6.24更新


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