散歩に行ってくる…。

 そう書き置きしてウチを出で暗い夜道をひたすら歩いて…、でもそれはべつに目的があってしてるワケじゃない。なんとなく夜になったら散歩に行きたくなるんだって、前に久保ちゃんに言ったら、
 『そーいえば、猫って夜行性だったよねぇ』
 って、いつもの調子で言われてコドモみたいに頭を撫でられた…。
 当たり前に俺が猫なワケねぇけど、朝起きるのが苦手で夜に外をウロウロしてるトコは合ってんのかもしれない。いつもスニーカー履いて夜中に出て…、明け方になる少し前にウチに戻ってベッドにもぐり込んで…、
 そーすることにイミとかワケとかないなら、ずっとウチにいてゲームしててもいいのかもしんねぇけど、なんとなく星も見えない夜空とか消えない街の明かりとかそういうのを眺めてると、昼よりも夜歩く方が自然で当たり前な気がした。

 「そーいや、今ごろはたぶんウチに帰ってる頃かも…」

 ポケットからケータイ出して時間見て…、それから画面に久保ちゃんの番号しか入ってないアドレス出してみたけど…、
 それから、なんとなく通話ボタンを押さずにポケットに仕舞い込んむ。それはケータイかけたって、特に話す用事なんかないことに気づいたせいだった。
 ちゃんと書き置きは残して来てるし、用事があったら久保ちゃんの方からケータイにかけてくるだろうし、だから通話ボタンを押す必要なんてない…。
 けど、一人で歩く夜の街はどことなく物足りなくて…、どことなくいつもより暗く見えた…。
 
 「夜は明るい方が、当たり前に不自然だもんな」

 そんなコト言いながら一人で散歩して、ちょっとだけいつもと違う場所まで足を伸ばしてみる。でも、いつもと違っても見覚えのある店とかビルとかあって、たぶん来たことあるカンジの場所だった。
 久保ちゃんと一緒に暮らすようになって…、夜に散歩するようになって…、
 その頃は見覚えのない場所ばっかだったのに、いつの間にか見たことある場所の方が多くなってる。たぶん、それはこの街で暮らしてんだからいいことで…、だからって困ることなんてあるはずねぇけど…、
 ポケットの中に入ってるケータイ握りしめてたら、なんとなく夜に散歩し始めたワケがホントはあったことに気づいた…。

 「そっか…、散歩すんのって見たコトある場所探してたんだっけ…」

 見覚えのある道とか建物とか…、そしてヒトとか…、
 久保ちゃんには散歩に行くって言って、そんなモンを探しながら歩いてた。でも、それがなんでただの散歩になっちまったのが、それがいつ頃からだったのかは曖昧で想い出せない…。
 けど、なんとなく久保ちゃんが夜の散歩に着いてくるようになった頃からだったような気がした。
 二人で散歩して部屋ん中にいる時みたいに話しながら歩いて…、
 たまに腹減ってファミレス行ったり…、ただ川とか眺めに行ったり…、
 そーいうのが楽しくて周りを見るよか、久保ちゃんのカオを見てる方が多くなったから…、探すための散歩がただの散歩になった…。

 けど…、でも…。
 
 そんなコトを想い出しても、今からいくら知ってる何かを探すために歩いても…、たぶんなんにも見つからない…。それはあきらめたとかそんなのじゃなくて、散歩してる内に見たことある場所ばっかになったから…、
 もうそれが記憶をなくす前に見たから、見たことがあんのか…、
 それとも、記憶をなくした後に見たから、見たことあんのか区別がつかなくなってたせいだった。
 
 「俺の記憶なんて、やっぱ当てになんねぇよな…」

 こんな風に思い出せなくなって、消えちまう記憶なんて当てならない。でも、いくら右手だけを見つめてても、それで答えが出るかどうかなんてのもわからない。
 それになぜなのかどうしてなのか…、知りたいコトは山ほどあっても…、
 それを知っても右手が治んねぇことだけは、なんとなくかわってる…。
 でもだから知りたいのかもって…、そんな風に思って明かりの届かない暗い場所に視線を向けたら…、
 そこにはどこか見覚えのある裏路地があった…。

 「たぶん…、久保ちゃんと仕事とかそーいうので通ったことあんのかも…」

 そう言いながら近づいた裏路地はゴミが散らばってて狭くて…、どこよりも暗いカンジがする。一瞬、どこからか銃声が聞こえたような気がして振り返ってみたけど、気のせいだったみたいで、何事もなくヒトが歩いてんのが見えた。
 でも、ちょっとだけ心臓かドキドキしてて、なんでもないってわかってて治らない…。そしたら右手まで痛くなってきて、裏路地の入り口でしゃがみ込んだ…。

 「く、くそっ…、マジですっげぇ痛ぇ…」

 時々、右手がこんなに痛くなんのは、なくしちまった記憶がそこに詰まってるからかもしれない。
 俺はニンゲンのはずなのに、俺の右手はニンゲンのじゃなかった…。
 俺ん中に残ってる唯一の過去は右手は…、なにも覚えてなんかないのにいつだって切り離したくなっちまうくらい痛くなる。だからたぶん…、右手の中に詰まってる過去ってヤツも…、
 切り離したくなるくらい痛いのかもしれなかった…。

 「なぁ、アンタ一人? だったら、俺らとカラオケにでもいかない?」
 「あれっ、コイツ良く見たら男だせ?」
 「まぁ、カオは悪くねぇし、たまにはそーいうのもいいんじゃねぇ?」
 「げっ、マジかよ?」
 
 右手が痛いのが収まるまでしゃがみ込んでじっとしてたら、ガラの悪そうな二人組が声をかけてくる。だから、うっとおしいからどっか別んトコに移動しようとしたけど、右手がすっげぇ痛すぎて立ち上がれなくて…、
 座ったまんまでいたら、二人のウチの一人が俺のカオをのぞき込んできた。

 「さっきから様子がヘンだけど、コイツなんかすっげぇ顔色悪いじゃんっ」
 「なんか、クスリでもやってんのか?」
 「ふーん…、だったら好都合ってヤツだろ?」
 「兄さん達がいートコに連れてってやるから、おとなしく一緒に来いよ」
 「そーそ、一緒に楽しく遊ぼうぜ?」
 
 追い払うのが面倒でムシってたのに、勝手に俺がクスリやってるとか勘違いして強引に腕を引っ張ってくる。すぐに掴んでくる手を振り払ったけど、そいつらは楽しそうに笑っただけでまた腕を引っ張ってきた。

 「離せっ!!俺にさわんなっ!」
 「へぇ、気分が悪いのかと思ったら結構元気いいじゃん」
 「うっせぇっ!とっととどっか行きやがれっ!!」
 「嫌だね」
 「てめぇっ、ブン殴るぞっ!」
 「ははは…っ、フラフラしてるヤツに殴られるほど、俺は間抜けじゃねぇよっ。だから、それはこっちのセリフだろ?」

 振り下ろした俺の手が、そう言ったヤツの頬に傷を作る。けど、そいつは顔色を変えずに拳を振り上げて俺を殴りつけた。
 腕でガードして殴られんのを防ごうとしたのに、もう一人のヤツに羽交い絞めにされて身動きが取れなくて…、派手に殴られた俺はぎゅっと右手の拳を握りしめて、今から俺を殴ろうとしてるヤツをにらみつけた。

 「睨むより、許しくれって土下座した方が利口だぜ?」
 「誰がそんなマネするかよっ!!」
 「なら、カオを傷つけられた借りは、五倍返しで返させてもらう」
 「そしたら俺は、てめぇに百倍返ししてやるぜっ」

 「ふん…っ、胸クソ悪くなるくらいいい度胸だっ」
  
 目を閉じないで睨みつけてると、振り上げられた拳が俺に向かっ振り下ろされるのが見える。でもたぶん何回殴られたって、さっきからズキズキしてる右手よか痛くねぇんだろうなって…、そう思った…。
 けど、俺に向かって振り下ろされたはずの拳がなぜか途中で止まる。だから、なんでなのかわからなくて止まってる拳を見たら、見覚えのある時計をはめた手が拳を止めてた。

 「ねぇ、この腕折ったら何倍返し?」
 「な、なんだっ、てめぇはっ!」
 「なんだって言われても、ただの通りすがりの一般市民ですけど?」
 「だったら、痛い目みたくねぇならさっさと腕を離せっ!」
 「イヤ」
 「てめぇっっ!!」
 「うーん、腕一本で足りるかなぁ?」
 「な、なんの話だっ!」

 「ウチの子を殴った罪ってかなり重いんで、百万倍返しってことでヨロシク〜」

 冷たく笑ってそう言った久保ちゃんは、ホントに俺のコトを殴ったヤツの腕をゆっくりとねじり上げてく。そしたら、俺を羽交い絞めにしてたヤツは仲間を見捨てて逃げ出した。
 けど、久保ちゃんはかなりヤバイくらい腕をひねってもやめる様子がない。だから、俺は殴ろうとしてたヤツじゃなくて、久保ちゃんの腕に痛みで少し震えてる右手を置いて強く握った。

 「もういいからやめろっ、久保ちゃん」
 「けど、まだこれくらいだとニ倍返しにもなってないし?」
 「腕折ったらやりすぎだろっ!」
 「そう?」
 「返すんだったら俺が自分で返すっ、だから離せっ」
 「・・・・・・・」

 「久保ちゃんっ!!」
 
 俺がぐっと腕を握ってる右手に力を入れると、久保ちゃんはひねってた腕を離す。すると、俺を殴ったヤツは情けない声を出しながら逃げ出した。
 久保ちゃんには殴られた借りは自分で返すって行ったけど、右手が痛くて逃げてくソイツを追いかけられない。でも、今は追いかけられないからっていうのじゃなくて、右手で強く握りしめてる腕を離したくなかった。
 
 「なんで、久保ちゃんがココにいんだよ?」
 「たぶん、お前とオンナジ理由」
 「そっか…」
 「ねぇ、時任…」
 「なに?」
 「もしかして、お前…」
 「え?」

 「いんや…、なんでもない」

 何かを言いかけて言わなかった久保ちゃんは…、少しの間、俺の後ろにある裏路地の暗がりを見つめてた。だから何も言わなかったけど、この裏路地は久保ちゃんも知ってるのかもしれない。
 夜の街を俺が散歩して、久保ちゃんも同じように散歩してて…、
 それがホントに同じ理由かどうかなんて、俺にはわからないけど…、
 握りしめてた手を久保ちゃんに外されて抱きしめられながら空を見上げたら丸い月が出てて…、それを眺めてると同じでもそうじゃなくても同じでもどっちでもいい気がした…。

 「月が…、キレイだよな…」
 「うん…」

 抱きしめてくれてる久保ちゃんの腕の中には過去じゃなくて今の俺がいて…、なのに右手はまだズキズキしてそれが止まらない…。けど…、抱きしめてくれてる久保ちゃんにぎゅっと強く抱きついてたら…、
 真っ暗に見えてた裏路地が、完全に何も見えないくらい真っ暗じゃないって当たり前のコトに気づいた。

 「…久保ちゃん」
 「ん?」
 「夜ってすっげぇ真っ暗かと思ったけど、そうでもないんだよな」
 「そうねぇ…。暗闇でも目が慣れれば少しは見えるしね」
 「・・・・・・」
 「どしたの?」

 「なんでもない…。なんでもないから、もうちょっとだけこのまま・・・・・」

 久保ちゃんと俺の上にある白い月が…、夜と街を照らして…、
 その光が抱きしめてくれてる久保ちゃんの腕みたいに…、優しくて優しすぎるから…、

 ちょっとだけ…、白い月の光が目に染みてくカンジがした…。


                                             2004.6.28
 「夜」

「月」
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