「銀たこ喰って、すぐ走ると腹痛くナルヨーって聞こえてないか…」

 
 散歩がてら一緒に出掛けたはずなんだけど、銀たこの前でいきなり逃げられた。何がなんだかわからないけど、それはもう脱兎…、この場合は脱ネコ?なごとくの物凄い勢いで。
 その行方は通り、マンションの401号室、つまりはココ。
 玄関にお気に入りのスニーカーあるし、それは間違いない。けど、リビングにもキッチンにも姿が見当たらなくて、どこかな…って思ってるとトイレに鍵がかかってた。
 しかも、俺が帰る前から入ってるらしいのに、ドアが開く様子は無い。

 もしかして、小じゃなくて大?

 なーんて、時任が聞いてたら、違うって力いっぱい否定しそうなコトを思いつつ、キッチンで牛乳を小鍋に入れて沸かす。それは、ご機嫌伺いに時任の分のコーヒーでも入れようかって行動だったんだけど…、マグカップに二人分コーヒー注ぎ終わってもトイレから出て来ない。
 自分の分を一口飲んでも、まだ出て来ない。

 もしかして、便秘?

 なーんて、また時任が聞いてたら、違うって力いっぱい否定しそうなコトを思いつつ、二つのマグカップを手にリビングに戻る。そして、飯を食う時に使うテーブルの上に、時任のマグカップを置いた…が、それでも出て来ない。
 トイレへと続く廊下の方へ視線を向けたが、まだまだ出て来ない。

 もしかして…、銀たこの喰いすぎで腹痛?

 なーんて、またまた時任が聞いてたら、違うっって力いっぱい否定しそうなコトを思いつつ、なんとなく後ろ頭を掻いてみる。そんでもって、マグカップの横に置いてある読みかけの朝刊に手を伸ばしかけた…が、まだまだまだ出て来ない、とことん出て来ない。
 だから、俺はマグカップじゃない別のモノを持ってトイレの前に立った。

 「正露丸いる?」
 「…って、なんっでいきなりトイレのドア越しに、正露丸勧めてんだよ! てめぇは正露丸の回しモンかっ!」
 「いや、だってトイレから出て来ないし、大か便秘か腹痛なら正露丸かと思って」
 「トイレから出て来ないだけで、勝手にあらぬ妄想の翼を広げんなっ」
 「ふーん、じゃあ聞くけど、さっきからトイレにこもって…、ナニ…してんの?」
 「べ、べつに何もしてねぇっつーかっ、妙なトコで切って、妙な言い方すんなよ!」
 「手伝ってあげよっか?」
 「だ・か・ら、何を手伝う気だっ、何をっ!!」
 
 あらぬ妄想の翼を広げた俺に向かって、エロい妄想の翼を広げた時任がドア越しに怒鳴る。うん、コレくらい元気に淀みなく叫べるなら、腹痛ってコトはなさそうだけど、先に帰った理由は未だ不明。でも、心当たりがまったく無いってワケじゃない。
 たぶん、原因はあの銀たこの前で話してたカレシさん。
 何もされてないのは見てたからわかるけど、俺のトコから話までは聞こえない。
 だから、いきなり脱ネコしたくなる何かを言われた可能性がある。
 カレシさんって呼び名は、俺に話しかけてたカノジョのカレシっていうか、元カレさんだから。それはもちろんカノジョの方から聞いたというか、銀たこ買ってる時任を待ってた時に聞かされたっていうか、ま、そんなカンジだったりなんだけど…、ね。
 それでいきなり一緒に居て話してくれるだけで良いから協力してとか拝まれて、ヒト待ってるだけだから、その間だけなら話しかけたければ、どうぞご勝手にって成り行きで言っただけ。だから、元カレをチラチラみながら話すカノジョの話に、俺は相槌だけテキトーに打ってた。
 そしたら、なんか時任とカレシさんがそんな俺とカノジョを眺めつつ話し始めた上に、初対面なのに何気に仲良さそーだし、一緒に銀たこ喰ったりしちゃってるし。
 あ、俺の分…とか思った時は、すでに時任の腹の中。
 カレシさんが立ち去り、カノジョも立ち去り、時任には逃げられ現在に至る。だけど、脱ネコはウチっていうかトイレに無事帰還で、大でも便秘でも腹痛でもない様子だし…、
 うん、一人になりたいとかそういう理由かもね…と推測した俺は、トイレのドアの前から離れる事にした。一人きりになりたいのにウチにダッシュで帰って、トイレに駆け込み鍵をかける時任を想像すると、なんとなく・・・・・・、笑いそうだし。

 「・・・・・久保ちゃん」
 「ん?」
 「今、笑っただろ」
 「いんや、笑ってないけど、なんで?」
 「・・・・・今、久保ちゃんが笑った気配がしたっ」
 「ふーん、やっぱネコは気配に敏感?」
 「だーれーがネコだよっ! つか、笑ったのは認めんだなっ」
 「声は出してないよ」
 「声出さないで笑ってたっコトだろっ、このヤロウっ!」
 
 声は元気、調子もいつも通り。
 だから、立ち去り際、コーヒー入れてるから、気が向いたらと声をかけようとする。けど、そんな俺の足を止めるように、トイレのドアの向こうから、さっきまでとは違う少し戸惑ったような声で時任が俺を呼んだ。
 
 「・・・なぁ、久保ちゃん」
 「ん?」
 「あのさ…、えっと…」
 「うん、何?」
 「フツーはさ、友達とか、こ、恋人とか…、ずっと一緒にいるとそれだけ仲良くなるような気ぃするじゃん。好きだったら、もっと好きになるみたいな。けど、もしそうじゃなかったら…、そうじゃないコトがあるとしたらさ」
 「ソレって、カレシカノジョのオハナシ?」
 「え…? カレシカノジョ?」
 「銀たこの前でお前と話してたのが元カレ、俺と話してたのが元カノ…で、カレシカノジョのオハナシ、でしょ?」

 時任の言葉を聞いて、すぐに二人の話しだろうと思った。
 だから、そう言ってみるとトイレのドアに向こうに落ちた、つかの間の沈黙がそれを肯定する。やっぱり、俺が別れたてのカノジョから聞いたように、時任はカレシから色々と聞いたらしい。
 時任がどんな話を聞いたのかはわからないけど、俺がカノジョから聞いたのは、自分からした別れ話はホンキじゃなかったってコトと、それを聞いたカレシはどうしてとも聞かず、あっさりとわかったとうなづいたってコト。
 だからこその、あの展開。
 カレシに別れたくないとか好きだとか言って欲しかっただけのカノジョは、あっさりした別れに嘘だと言い出せなくなり、俺を使ってヤキモチを焼かせようなんて作戦に出たけど、更に墓穴なのは見たまんま。妙に爽やかに立ち去った元カレの隣に、新しいカノジョが並ぶ日はそう遠くなさそうだった。

 「一生で打つ、ヒトの心臓の鼓動の数は決まってるらしいし。きっと、好きだとしてもいつまでも、ずっとドキドキはしてられないって、そういうコトかもね」
 「そ、そういうコトって…、でもさっ」
 「吊り橋か、ストックホルム」
 「え?」
 「危険な場所とか、そういう状況で二人きりでいれば、その気が無くてもドキドキして錯覚に陥る…。だから、少なくとも吊り橋の上に居続ければ、別れる可能性は低くなるかもって、そういうハナシ」
 「・・・錯覚」
 「そう、例えば…、危ない情報やブツ抱えて、ヤクザ屋さんに年中追い回される…とかね?」
 「・・・・・・・っ」

 「・・・リビングに、コーヒー入れといたから」

 右手に爆弾、乗りかかった船の行く先は不明。
 そんな場所のトイレのドアの前、今度こそ、そう言い置いてリビングに戻る。
 そして、テーブルに置いてたコーヒーと新聞を手にソファーに座った。
 けど、なんとなく、すぐに新聞を開く気になれなくて小さく息を吐く。
 なんだかねぇ…と、意味不明の呟きを胸の奥で漏らしつつ、かけてた眼鏡を取って、眉間を右手の人差し指と親指で揉んだ。

 「らしくない…、か」

 自分で言って、自分で溜め息ついてちゃ世話ないし。
 だからって、俺らはカレシカノジョの事情なんてのじゃないし…、ね。
 だけど、一人きりになりたい時任が、無意識に外じゃなくてウチのトイレなんかにこもっちゃうワケを考えると、俺らが立ってる場所を考えたりするのは当然なのかどうなのか…、
 銀たこの前で、時任が俺以外の人間と並んで話してるのを見た時、実はホントの爆弾抱えてるのは時任じゃないような気がしたのは…、気のせいなのかどうなのか…、
 そんなコトを考えつつ、眼鏡をかけないまま、ぼんやりとした視界の中で青い…、窓のある方向へと視線を向けた。
 ・・・・・はずが、べしっというマヌケな音とともに俺の頭に衝撃が襲った。


 「ぬあぁぁにがっ、ストックホルムだっ、吊り橋だっ! ココはマンションの401号室だっつーのっ!!このスットコドッコーイっ!!!」


 ・・・危ない情報やブツ抱えて、ヤクザ屋さんに年中追い回される。
 そんな久保ちゃんのセリフで目が覚めた俺はバンッとトイレを飛び出し、ソファーに座ってる久保ちゃんの頭をベシリと叩くっ。そしたら、久保ちゃんはぽーかんとしたマヌケ面で、手に持ってた眼鏡を床に落としてパチパチと目をしばたいた。
 あー…、なんか見たコトあるぞ、このカオっっ。
 久保ちゃんがこーいうカオしてる時は、寝ぼけてやがる時だっ!
 けど、俺もさっきまで寝ぼけてるみたいなカンジだったかも…っていうか…、
 好きなのに別れるとか、好きだけど、ずっと一緒に居ると薄れてくるとか、そういうのを聞いて見てわかんなくなった。
 俺だったら違うとか、そうじゃないとか思うけど…、俺じゃないなら、さ。
 それに、ずっと一緒に居たいとかって、好きだから思うのに…、
 逆にずっと一緒に居たから、そんなに好きじゃなくなったって言われたら、なんつーか再起不能じゃん…。悪いトコとか何もなくて、ケンカしたワケでもなくってさ、なのに他に好きなヤツが出来たって言われて…、でも嫌いになったんじゃないって…、
 何をどうすりゃ、ドコをどうすりゃ良かったんだって、何もわかんねぇじゃんか…。
 そーいうの俺だったらって考えたら、一緒に居るのがちょっとだけ怖くなった。目ぇ覚めたらさ、バカバカしい話だけど・・・、なんかマジでトイレにこもるくらいには怖かったんだ。

 「吊り橋だろうとストックなんとかだろうと、ずっと居りゃ慣れる。そしたら、ドキドキなんかしなくなるに決まってんだろっ」

 ふんっ、参ったかなくらいの勢いで、久保ちゃんに向かってそう言う。
 そしたら、久保ちゃんは、そっか、そうだねとだけ言った。
 ちょっとだけガッカリしたように…。
 でも、久保ちゃんはガッカリだったみたいだけど、そのガッカリを聞いた俺は、ちょっとだけ胸がきゅっと締め付けられるなカンジがして…、でも自分の口元が笑ってるのがわかる。
 俺はトイレに篭って、久保ちゃんは吊り橋かストックなんとか…、
 気が合ってんのか合ってねぇのか、いまいち不明だけど…、さ…。
 締め付けられた胸は苦しいっていうより、なんとなく、くすぐったい。
 別れた二人はカレシとカノジョで、そんじゃ俺らは…? 
 なんて、そんなんわかんねぇけど、今もこれから先だって、俺がずっと一緒に居たいと思うのは久保ちゃんだけだった。

 「今、わかった…」

 俺がそう言うとわかったって何が?…と久保ちゃんが首をかしげる。だから、未だに寝ぼけてる久保ちゃんの首に、背後から腕を伸ばして回して軽く絞めてやった。
 さっき、ちょっとだけ胸がきゅっとした…、その強さで…。
 そしたら、久保ちゃんの手が首に回した俺の腕を、同じ強さできゅっと握りしめた。

 「そうなって当たり前のコトなんて、きっと、どこにも一つも無い。吊り橋の上に居たからって、誰もがそうなるってワケじゃねぇだろ。それにドキドキが錯覚なら…、きっと、ずっと居れば居るほど気づくに決まってる」
 「・・・ウソだったって?」
 「けど、逆にずっと居れば錯覚に気づくように、ホントのキモチにだって気づくだろ…。ずっと、一緒に居れば居るほど…、きっと・・・」
 「理想論」
 「かもしんねぇけど、俺は好きになる…、ずっと一緒に居れば居るほど…」
 「・・・・・・」

 「絶対だ」

 絶対…、絶対に・・・。
 そう囁くように呟くように言いながら、久保ちゃんの首を絞めてる自分の腕に額を押し付ける。すると、久保ちゃんの…、俺の腕を握ってる方とは反対側の手が伸びてきて、俺の頭をゆっくりと優しく撫でた。

 「・・・俺もそうかも」
 
 ・・・・たぶんね。
 そう囁くように呟くように言った久保ちゃんに、俺は絶対って言えと首を絞める腕にちょっとだけ力を込める。そしたら、久保ちゃんは、なんか気持ちいいなぁ…とか、ヘンタイみたいなコトを言いつつ笑った。
 だから、ヘンタイ野郎って言ってやったけど、胸を締め付けられて苦しくない俺も久保ちゃんのコト言えないかもしんない。
 久保ちゃんが胸を締め付けて、俺が首を絞め付けて…、
 そんな風に締め合いながら、俺らはきっとこれからも、ずっと一緒に居るんだろう。
 たぶんじゃなくて…、絶対。
 だって、危ない情報やブツ抱えてても、ヤクザのオッサンに追われてたとしても…、
 俺らの居る場所も帰る場所も、吊り橋やストックってヤツでもなくて…、



 俺が居て、久保ちゃんが居る場所…、ウチってヤツだから…。



                                   『吊り橋 後編』 2011.4.24更新

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