ミルキーウェイ.6


注意※このお話は、橘松です


 ・・・・・あれは浮気じゃない、浮気である訳がない。


 そんなことは誰に言われるまでもなく、わかっている。
 こんなわかりきったことに、言い訳も説明も必要ない。
 人目を忍んでいようと何だろうと、ただ、二人で話をしているだけだ。
 それ以上でも以下でもない。そうだろう?と心の中で問いかけたのは、自分自身に向かってだったのか、それともここには居ない橘に向かってだったのか…、
 とにかく、橘がどこに居るかも何をしているのかも、誰と一緒にいるのかもわかった今、残る問題は短冊と藤原の行方のみだ。
 そして、その手ががりは、たった今、目の前を横切ったばかり。
 おそらく、向かった先はここから上の階…、屋上。
 わざわざ行き止まりに向かった影は、急いでいた様子だったが、ここに俺と時任が居ることには気づいていないのだろう。あちらは走っていたので足音がしていたが、俺達は歩いていたので、それほど足音を立ててはいなかった。
 「行先は屋上…、こそこそと何をしているのかは知らないが、用心するに越したことは無い。出来る限り静かに、気づかれないように行くぞ」
 「…って、それも気になるけど、橘はどうすんだよ?」
 「あれなら、別に問題はない。橘と話している男は、私も知っている」
 「なら、なんで橘は…」
 「早く来い。行先はわかってるが、藤原の件もある。急いだ方が良いだろう」
 時任が言いかけた言葉を意識的にさえぎり、俺は屋上に向かい歩き出す。
 すると、時任は何かを考えるように窓の外を見つめたが、すぐに俺を追ってきた。
 しかし、本当に後ろ髪を引かれていたのは、窓の外を見つめた時任ではない。それが自分でわかるだけに、気分は最悪だった。

 最悪…? そんなのは最初からだろう?

 楽しそうな中庭の光景の中で、同じく楽しそうにしている橘を見た時から、俺の気分は最悪のまま治らない。中庭の光景も、七夕の光景も俺の目には遠く映っていた。
 たとえ、その中に橘が居たとしても…、どこか遠い…。
 その遠い光景は俺の中にあったものを、自らの孤独を橘への依存を浮き彫りにして、自分の足で立っていると思っていた大地を揺るがせた。
 好きだと大切だと思うのに、支えるどころか支えられるばかりで…、
 依存して寄りかかって、その果てにあんな優しいばかりの微笑みを浮かべさせるようになってしまった。わかっています…と微笑む橘は学校ではなく、俺の自宅の中庭に立てた笹のことすら言えず…、言わないまま黙ったままで…、
 たとえ恋人でも、そんな関係を楽しいと思えるはずがない。
 心から、笑えるはずがない。
 橘は・・・、俺のために無理をしている。
 
 「だから、最初に言っただろう…。俺と居ても楽しくないぞ…、と…」
 
 屋上への階段を登りながら、あの日、あの図書室で隣は空いているかと言った橘への返事をぽつりと呟く。すると、自分の唇に自嘲的な笑みが浮かぶのを感じた。
 楽しくないとは、恋人としてという意味で言ったのではないが、恋人だろうと友達だろうと変わりない。本当は会長になって近寄り難くなったのではなく、そうなる前から、そんな傾向はあった。
 だから、誠人との付かず離れずの関係が、とても楽で居心地が良かった。
 ・・・・・付かず離れず。
 もしも、橘の関係も誠人の時と同じだったら、その位置に頑なに拒んで留めていたら、あんな微笑みを浮かべさせる事もなかったのではないかと…、
 けれど、そう思いかけて俺は、駄目だと首を横に振った。
 そんな関係になるくらいなら、他人で居た方が何倍もマシだった。
 中途半端で曖昧な関係は、想像するだけで…、酷く胸が苦しかった。
 誠人の時は居心地が良かったのに、それはとても苦しくて…、
 この苦しさを言葉で表現するなら、一体、どんな言葉になるのだろうか…。
 会長としてならば、常にどんな時でもつらつらと言葉が口をついて出てくるというのに、俺個人となると途端に言葉は不自由なものに変わった。
 
 『・・・・・・愛していますよ』

 俺の中に染み込んで、染みついた橘の声と言葉。
 好きです、愛しています…、そう何度も何度も飽きもせずに橘は言う。
 そんな言葉と一緒に飽きもせずに、俺を抱いて抱きしめて…、
 本当に俺の何がそんなに良かったのか、今も良くわからない…、理解不能だ。
 あの図書室で初めて話した日から、初めて口づけた日から、橘のことだけは明確な答えが出た試しが無い。見えてきた屋上へと続くドアの向こう側に、もしかしたら、藤原がいなくなった理由と短冊の答えはあるかもしれないが…、橘に関する答えだけは無かった。

 「・・・・・少しだけ、ドア開けて様子みるぞ」
 「あぁ、あまり音を立てるなよ」

 そんなドアの前に到着し、屈み込んだ俺と時任は、そう言ってうなづき合う。そして、ごくりと息を飲み、張り詰めた緊張の中、時任がゆっくりゆっくりとドアを少しだけ開けた。
 さて、鬼が出るか蛇が出るか・・・。
 脳裏に浮かんだ橘と真崎の姿を打ち消すように、俺はドアの向こう側に神経を集中する。すると、キィっと…、わずかにドアが音を立て、時任の肩がビクリと震えた。
 俺がしーっと人差し指を唇の前に立てると、時任は小声でわかってるって…と返事しながら、同じように人差し指を立てる。すると、ドアの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 「なんで、僕がこんな目に遭わなきゃならないんですか…っていうか、さっさとコレほどいてくださいよっ。執行部は執行部でも、僕は補欠だし無関係だしっ、拉致って煮たり焼いたりするなら時任先輩にしてください。それに…、時任先輩拉致る気なら協力してもいいですよ」

 ・・・・・・・にやり。
 セリフの語尾に、そんな表現が付きそうな声の持ち主は言わずと知れた補欠の藤原。いなくなった橘の捜索中に、どこでどうなったのか拉致られて縄でグルグル巻きにされたらしいが…、この場合、助けた方が良いのか悪いのか…。
 どちらが良いかと尋ねようと、俺は視線をドアの向こうから時任へと移す。すると、時任は握りしめた拳をブルブル震わせながらドアの向こうを睨み、シャーっと毛を逆立てる猫のような形相で凄まじい殺気を放っていた。

 あんの万年補欠野郎ぉぉぉぉぉっ!!コロスっ、ぜってぇっ、ぶっコロスっっ!!
 
 実際にそう叫んだ訳ではないが、そんな叫び声が聞いた気がする。
 ま、不味い・・・、たぶん誠人のメガネが光った時並みに不味い。
 警察沙汰になるような事態に陥った場合を想定して、俺が呼ばれた訳だが、殺気を放つ猫については管轄外。実際、昔、殺気までは放ってはいないが、のほほんとしているクセに目だけが笑っていない犬の凄まじい蹴りを止められた試しがない。
 しかも、更に最悪なことに藤原を拉致した犯人は・・・・、バカだった。

 「よぉっしっ、準備はおっけー!」
 「あのさぁ、さっきトイレ行った時、なんか下の方とか電気ついてて妙なカンジだったけどさー。もしかして、執行部に気づかれたとかじゃねぇの?」
 「ないない、それはねぇって。アイツら中庭だし、たぶん、どっかの馬鹿が遊んでんだろ?」
 「らっきーっ、なら、執行部がそっちに気を取られてる隙に、ヤっちまえばいいじゃん」
 「そんなのは当然っ! この隙にこんな執行部の馬鹿イベントなんか、この俺がぶっ壊して、ぶっ潰してやるぜ!このロケット花火でなっ!! 笹原、石橋っ、早く中庭に向けてセッティングしろっ!」
 
 ふはははははっ、執行部めっっ、日ごろの恨みを思い知れぇぇぇっ!!!

 大塚とその仲間達による、中庭に向かっての多量のロケット花火発射。
 動機は執行部への恨みらしいが…、なんだろう、この脱力感。
 確かに発射されれば大変な事態に発展するが、このためにわざわざロケット花火を多量に準備したり、ここまで運んだりとウキウキしながら準備をする大塚を想像するとなぜか遠い目になる。あぁ…、とても楽しそうだな、すごく楽しそうだ。
 時任も同じ心境なのか、大塚達のセリフを聞くなり、生ぬるい笑みを浮かべた。
 「・・・いつも思うが、アイツらはヒマなのか? 他にする事とかないのか?」
 「さぁ…、俺も良くわかんねぇけど、ヒマなんじゃね?」
 「ならば、そんなヒマな彼らに、親切心で素晴らしい現実を教えてやるべきだろうか…」
 「素晴らしい現実?」
 「アイツら、このままだと出席日数も成績も足りず留年するぞ」
 「ぶ…っっ! ま、マジかよっって事は、このままだと俺らが卒業した後って、アイツらとか藤原とかが残るのか…、もしかしてっっ」
 そんな、とても素敵な未来に気づいた俺と時任は、ハッとして思わず顔を見合わせる。
 だが、時任はさっきの俺のような遠い目をして、俺の肩をぽんと無言で軽く叩き、俺はそれに答えるように同じ目をしてうなづいた。

 ・・・・・・・・・・・考えるのはやめよう。

 今は近い未来を憂いるよりも、目の前の現実をどうにかしなくてはならない。どんなにウキウキでも、どんなに楽しそうでも、目の前で行われようとしているのは悪事だ。
 会長として…というよりも、人として被害に遭うだろう生徒達を助けなければならない。
 だが、あまりにも楽しそうだったので、思わず呟いていた。
 やはり裏口から来て正解だったと…。
 大塚達は今から退治するが、今日は七夕、誰も彼もが楽しそうだ。ここから眺めているのも良いが、お目付け役は予定通り執行部に任せて、早々に退散しよう。
 そして、帰ったら一人、橘が飾ってくれた笹と星空でも眺めようか…。
 そう思った瞬間、さっき見た橘と真崎の姿が脳裏に浮かんだが、すぐに軽く頭を振って追い出した。せっかくの七夕なのだから、たまには俺から離れて息抜きをして、自然に笑顔を浮かべられる場所に…、無理をしないで居られる場所に居ればいい。
 俺の手に飾る短冊は無いが、願い事は橘を想う胸の内にあった。

 「・・・・それでは行こうか」

 屋上へと続くドアを少し開けて、一緒に様子をうかがっている時任にそう声をかける。
 相手は3人で多量の花火を所持、一応、人質らしきものも取られてはいるが、時任と二人でかかれば何とか防げるかもしれない。本当は先に生徒達を避難させたいが、うかつに知らせて騒ぎになれば混乱やパニックを起こすかもしれないし、それを見た大塚達が花火に火をつけてしまう可能性があった。
 とにかく、今は早く大塚達の手から、花火を取り上げる事が先決。
 しかし、大塚達が花火の設置に夢中になっている内にと、ドアから出ようとした俺の肩を時任の手が掴み止める。そして、顎をしゃくって屋上ではなく、階段の方を示した。
 「・・・・ココは俺が見張ってるし、何かあったら抑える。だから、松本は久保ちゃん呼んで来てくんねぇか? それから、花火の件を桂木にも知らせてくれ」
 「おい、何言ってる。そんな事をしていたら、間に合うものも間に合わなく…」
 「久保ちゃんなら絶対間に合う、間に合わせる。教室の電気は途中までだし、こっちの様子にも、なんか気づいてるはずだし…」
 「そんなものは全部、ただの予測に過ぎないだろう」
 「予測じゃない、予感だ」
 「…っ、似たようなものだ」
 橘と藤原の捜索の時と違い、この件に関しては時任の完全な判断ミス。
 この状況で誠人を待っても、状況を悪くするだけだ。
 けれど、そんな俺の思考を読んだかのように、時任はちらりと下の階へと続く階段を見た後、ニッと不敵に笑う。そして、前言撤回と言った。
 「今すぐ、桂木んトコに行ってくれ…、あとは必要ない」
 「必要ない?」
 「そんでもって、それが済んだら行けよ。こっから先は、執行部が仕切る! 本部の出番は、もう1ミリもねぇし」
 「行け? 帰れの間違いだろう? それに主催は執行部だから、仕切るのに異論はないが、この状況ではさっきも言ったように無理だ、私も加勢する」
 足手まといにはならない…と、あくまで俺をこの場から去らせようとする時任を真っ直ぐに見つめる。だが、時任は俺の視線にも言葉にも背を向けて、一人、ドアを開けて屋上に向かって飛び出した。

 「おいっ、ちょっと待…っ!」

 飛び出した時任を、叫んで止めようとした。
 だが、ドアを開けた向こう側、視界に飛び込んできた光景に驚き、息を詰める。
 ロケット花火の設置は、まだすべて終わっていなかったはずだが、やっている内に面倒になったのか、大塚が設置済みのロケット花火に火を点けようとしていた。
 時任はすでに走り出していたが…、間に合わないっ!
 そう感じた俺は身動き一つできず、無意味に前に向かって手を伸ばす。
 だが、その時、役立たずで無力な俺の横を、黒い影が風のようにすり抜けた。

 「・・・・・・・っ!」

 俺の目の前で間一髪、時任の蹴りが大塚の手からライターを弾き飛ばす。
 しかし、それに気づいた笹原と石橋が、同時に時任に向かって攻撃を仕掛ける…のではなく、大塚と同じようにロケット花火に火を点けようとしていた。
 これは時任にとって、たぶん予想外の展開で動きだった。
 状況は最悪で、絶体絶命っ。
 今から走り出しても間に合わない、もうどうにもならない!なるはずがないっ!
 だが、それをここには居ないはずの黒い影が…、下から駆け付けた番犬が素早い見事な蹴りで、のほほんと蹴散らした。

 「やっぱ、こうでなくっちゃな」
 「そうそう、こうでなくっちゃね」

 何がこうでそうなのか、まったく意味不明だが、目の前に居るのは正真正銘、一階で見張っているはずの番犬…、もとい誠人だ。時任と一緒に居たからわかるが、その間、二人は一度も接触していないし話していないし、特に合図や指示を送ってはいなかった。
 なのに、信じられないことに本当に間に合った、本当に間に合わせた。
 話の途中で前言撤回した時任は、おそらく、じきに誠人が来ることを確信していたに違いない。それは本当に予感だけなのか、足音でも聞いたか気配でも感じたか…。そのいずれににしろ、お互いを守るように背中合わせに立つ二人は戦闘力だけではなく、すべてにおいて、まさに荒磯最強のコンビだった。

 「…ってワケで、後のは任せたかんなっ! 松本っ!!」

 一階に居た誠人が、屋上に来た理由。
 それはおそらく、たった一つしかない。時任が言っていたように、誠人が俺達が明りをつけていくのを確認して見ていたからだ。順番に順調に点いていた明りが止まり、そこから、動く気配が無いので何かあったと察して来たのだろう。
 時任の任せたの声を聞いて一階を目指して走り出した俺は、一瞬人質にされている藤原の事を思い出したが…、あの二人が揃えば、大した問題ではないに違いない。ならば、俺は自分の役目を果たし、予定通り裏門から自宅へ帰るだけだ。

 「うわーんっ、くぼたせんぱあぁぁーーいっ! やっぱり愛の力で、悪者に捕われた哀れな可愛い僕を助けに来てくれたんですねっ!」
 「…って、どーこが哀れで可愛いんだ、この万年補欠の尻軽ブサイク野郎がっ!それ以上、うだうだ騒ぎやがったら、この場で煮て焼いて打ちあげんぞっ!」

 そんな声が上から響いてきたような気がしたが、俺は立ち止まらず振り返らない。
 振り返らず廊下を走りながら、こんな姿は誰にも見せられないなと苦笑する。
 本当にまったくもって、今日は会長らしくも…、俺らしくもない。
 何もかもがらしくなく、失敗ばかりだ。
 だが、それでも投げやりにだけはならないし、そんなのはもっての外だ。
 らしくないだけではなく、自分で自分が許せなくなる。役立たずなら役立たずなりに、自分の役割は果たす…、それが今の俺に出来る事だった。

                                              2011.7.21  



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