ミルキーウェイ.3
注意※このお話は、橘松です。
真崎は俺ともう少し話をしたいと言った。
そして、俺は誘われるままに、成り行きで真崎の家に行く事になり…、
現在、本部と玄関を出て、校門の前に立っている。
そう…、本当なら通り過ぎているはずだが、予想もしていなかった人物がその場所に立っていたため、俺は立ち止まらざるを得なかった。
「・・・今、お帰りですか?」
校門の前で、そう言って優雅に微笑むのは写真部の女子ではなく、橘。
さっきまで中庭に居たはずだが…、なぜか今ここに居る。
のんびりと話ながら歩いて来たせいで少し遅くはなりはしたが、それでも本部前から階段を降り、玄関から出るまで、十分とかかっていないに違いない。見た感じ受付の手伝いに来た様子だが…、予想していなかった事態に驚いた俺は、立ち止まり思わず目を見開いた。
・・・・・・・・・・まずい。
微笑む橘を見て、瞬間的にそう思ったのは間違いない。だが、真崎とは話をするだけなのだから、別に言い訳する必要も、そんな事を思う必要もなかった。
それに橘もさっきまで執行部の連中と話をしていたし、お互いにそういう事があっても良いだろう。時任と誠人は同居しているし、学校でも四六時中一緒に居るらしいが、あの二人はあの二人…、俺達は俺達だ。
こんな…、一緒に居るだけで傷つけてしまいそうな…、
そんな気分の日まで、一緒に居る必要はない。
これ以上、橘に依存しないためにも、離れている時間も時には必要だ。
だが、本部でちゃんとわかっていると言ってくれていた時と違い、今の橘の微笑みはどこか冷たい。もしかしたら、真崎の事を誤解しているのだろうかと思いもしたが、橘は誠人の時のように、真崎に突っかかったりはしなかった。
「貴方は確か…、真崎君ですよね?」
「あー、うん、俺は真崎だけど。何ていうかさ、麗しの副会長様が名前を覚えてくれてるなんて驚きっていうか…、光栄だな」
「同じクラスになった事はありませんが、同じ学年なんですから、別に覚えていても不思議ではないでしょう?」
「じゃあ、覚えたきっかけは?」
「さぁ、どうでしたか…。思い出せない所をみると、どうも忘れてしまったようですが」
「残念っ、ソレ聞きたかったなぁ〜」
・・・・・・・・。
校門で立ち話をする橘と真崎は…、とても楽しそうだ。
そんな二人を眺めながら思い出すのは中庭の光景で、俺は無意識に拳を握りしめる。そうしながら、また自分の胸の奥から、子供じみた感情が湧き出てくるのを感じて、この場から逃げ出したくてたまらなくなった。
本当に今日は一体、どうしたというのだろう…。
今の橘が浮かべているのは、明らかに作り物だとわかる微笑みだというのに、なぜか感情を乱される。誠人は時任と一緒に居るようになって穏やかになったと思うが、俺は橘と一緒に居るようになって…、穏やかさを失ってしまったのかもしれない。
誠人も俺も執行部でコンビを組んでいた頃より、お互いに変わってしまったのかもしれないが、変わり方は正反対だ。
楽しそうに話す二人の傍で、完全に蚊帳の外状態になってしまった俺は、カバンに収めていた短冊を取り出し…、少しだけ迷ったが…、
橘と話す真崎の手に、半ば強引に押し付けた。
「・・・・・せっかくの七夕だ。俺は帰るが、真崎は参加したらどうだ? この短冊にはミスで番号はついていないが、執行部に言えば適当につけてくれるだろう」
「えっ、けど、これから一緒に俺んちに…」
「それは、またの機会でもいいだろう? 話はいつでも出来るが、七夕は一年の内で一日だけだからな」
俺がそう言うと、真崎の手がゆっくりと押し付けられた短冊を掴む。
それを確認した俺は、こちらを見ている真崎と橘の横を通り過ぎ…、
そして、校門を一歩出ると立ち止まったが、振り返る事はしなかった。
「では、またな…、真崎」
「橘は、後を頼む」
じゃあ、また明日と、はい…と背中を追いかけてくる二人の返事を聞きながら、俺は止めた足を前に踏み出す。そして、今度こそ、寄り道せず真っ直ぐ自宅に帰るために、一人で歩き出した。
すると、ようやく暮れ始めた空が目に入り、傾いた太陽の日差しに目を細める。
もうじき、七夕らしく月が、星が空を飾るだろう。
だが、俺はのんびりと、それを眺める気分にはなれなかった。
「・・・空を眺めるには、最悪すぎる」
思わず漏れた呟きに、俺は小さく息を吐き苦笑する。
橘の顔すら、まともに見れない今の状況は、確かに最悪に違いない。
しかし、それがわかっていながら、未だ気分は愚図ついたままだ。
いや、もしかしたら…、前よりも酷くなったのかもしれない。
俺が居て、橘が居て、執行部や他の連中が居て…、
昨日も今日も変わった事など、何一つ無いというのに…。
「明日になったら、橘にあやまらなくてはならないな…。まったく、こんな情けない男の何がいいのか…、それが今の一番疑問だ」
今日はもう何も考えずにぐっすり眠って、そうすれば気分も変わる。
だから、考え事は明日になってから…と、ぼんやりと歩いている内にたどり着いた自宅の門の前、いつの間にかすっかり暗くなった空の下で俺は考えた。
空には七夕らしく、月と星。
しかし、それを見上げることもせず、うっすらと照らし出された自分の足元の影だけを見る。すると、門の中から出てきた人の足が、見つめてた俺の影を踏んだ。
「お前・・・、こんな所で何してるんだ?」
ぼんやりと門の前に立っている俺に、そう言ったのは医者をしている親父だ。
門の前まで出てきたのは、これから病院に行くためらしい。自宅から病院まで少し距離があるが、最近は健康のために歩いて出勤していた…が、そんなの別にどうでもいい事だ。
それよりも、この場を早く通り過ぎなくては、親父に捕まってしまう。ただでさえ最悪な気分なのに、どうかしたのかと聞かれ、しつこくされてはたまらないっ。
じーっと見つめてくる、うっとおしい視線に眉をしかめながら、俺は学校の時と同じように親父の横を通り過ぎた…が、すれ違った瞬間にぼそりと言われた一言に頭痛がして、思わず人差し指で眉間を押さえてしまった。
「今日は七夕なのに、遥君は一緒じゃないのか…」
余計なお世話だっ!!!!!!!!
橘との本当の関係を話した事は無いが、それでも何か…わかっているのか、それともわかっていないのか…。
まったくもって謎だが、時々、こんな風に微妙な発言をする。
だが、わかっていようといまいとクソ親父なのには変わりない。俺は絶対にニヤニヤしているだろう親父の背中を睨むと、ため息を一つだけついてから門を通り抜け、自宅の玄関へと足を踏み入れた。
すると、そのタイミングを待っていたかのように、目の前にある廊下の奥。
リビングから、電話の鳴る音が聞こえる。だが、中に居た母親が取ったらしく、すぐにその音は途切れ、話し声が聞こえてきた。
どうせ、母の友人か何かからだろう。
そう思った俺は、離れにある自室に行く前に帰った事を知らせるため、顔だけを見せるつもりでリビングに向かう。だが・・・・、ドアを開けた瞬間、耳に飛び込んできた会話に、わずかに眉をしかめた。
「あ・・・、丁度良かったわ。今、帰って来たから、あの子と代わるわね」
母ではなく、俺宛ての電話。
しかも、この時間でこのタイミング…、嫌な感じだ。
そう思っていたら、案の定、電話は学校からかかってきているらしい。
母から受話器を受け取り耳に当てると、のほほんとした声が聞こえてきた。
『ふーん…、ちゃんと帰宅してるってコトは、やっぱイタズラか。ま、たぶんそうだろうとは思ってたけど…』
「おい、誠人?」
『そういうワケで確認終了なんで…、それじゃ…』
「…って、ちょっと待て!」
いきなり電話をかけてきて、いきなり切ろうとする誠人に俺は思わず叫ぶ。
こんなに気になる言い方をされて、このまま切られてはたまらない。それが故意なのか、そうでないのか、誠人の口調と声の調子からは判断が難しいが、学校で何かあったのは間違いなかった。
しかも・・・、電話の目的が俺が帰宅しているかとうかの確認。
もたらされた情報がそれだけでも、そこから色々と想像するのは難しくない。
それに、電話をかけてきたのが橘ではなく、誠人だという事も気になった。
「切るならせめて、何かあったのか話してからにしろ」
『ん〜、けど口止めされてるし』
「だが、口止めされていながら、そこまで喋るという事は故意なんだろう? 何か意図があって、わざわざ、お前が俺に電話してきた…、違うか?」
俺がそう言うと、一瞬の間を置いて「あれ、バレバレ?」などという白々しいセリフが返って来る。電話だが人を食ったような笑みを口元に浮かべて、肩をすくめている姿が見えるようだ。
これだけ余裕なら何かあったにせよ…、学校の方は大丈夫だと思うが…、
誠人が電話してきた理由は気になる。
だが、こういう時の誠人は一筋縄ではいかない。おそらく、何も喋らない訳ではないが、これ以上は喋る気はない…といった所だろう。
まったく、親切なんだか不親切なんだか、相変わらずわからない奴だ。
「何事も半端は良くないぞ」
俺が素直な感想を述べると、誠人が小さく笑う。
そして、それじゃ半端ついでに、もう少しだけと今の状況を話してくれた。
『今日は七夕だから、笹に短冊をつけるのは当たり前なんだけど、その中に、いつの間にか松本を拉致るって予告が混じってたんだよねぇ。ま、ソレがイタズラだったってのは、言わなくてもわかるだろうけど…』
「・・・・だが、何か引っかかるな」
『そう?』
「お前も何か引っかかったから、電話してきたんだろう?」
誠人が電話して来たのは、短冊の予告に何か引っかかる点があったからだろうと俺は思った。だから、誠人にそう言った。
だが、俺の予想は外れてしまい、誠人はまた小さく笑う。
そして、「余裕だなぁ」と、訳の分からない事を言った。
『確かにね、この分だと何事もなく行事も七夕も終るんだろうけど…、それで良いワケ? このまま終っても?』
「それは、どういう意味だ?」
『さぁ?』
「誠人?」
聞き出そうとしたはずが、ますます謎が深まり、俺は首を傾げる。
すると、まるでそんな俺の様子を見ているのかように、誠人は仕方なく…と言った感じで、わからない俺に一言だけ言葉を残す。そうして、背後から聞こえてきた時任の声に答えながら、通話を切った。
『短冊は渡す時に必ず番号を確認してるから、ミスはないよ。俺が言いたかったのは…、ソレだけ』
・・・・・誠人がなぜ、番号の無い短冊の事を?
そう思ったが、考えるまでも無く答えはすぐに出た。
俺が渡した短冊を、おそらく真崎が執行部に見せたのだろう。
参加しないはずだった七夕に、参加するために…。
そして、その時、俺から渡された事も話したのに違いない。しかし、なぜ、そんな事をわざわざ誠人が、俺に伝えたのかがわからなかった。
「本当に、今日はおかしな日だ…」
心配そうにこちらを見ていた母に、何でもないと伝えて自室に向かう。
だが…、本当に何でもないという訳ではなかった。
しかし、気になってるのは誠人の言葉ではなく、自分自身。
橘に依存しているばかりか、傷つけてしまいかねない自分のこと。
なのに、リビングを出て暗い廊下を歩きながら、脳裏に思い浮かぶのは執行部の連中と楽しそうに話している橘の顔。そして、真崎と話していた橘の姿。
それが、繰り返し繰り返し脳裏に浮かび、俺は右手で自分の髪を強く掴んだ。
俺の感情を乱す、おかしくするモノを全て振り払うように掴んで…、
いつものように廊下を抜けた先で、中庭に降り、自分の足で地を踏む。
そうして、自分の足を眺め、軽く頭を左右に振った。
・・・・・・寂しい訳じゃない。
いや…、寂しいけれど、橘の笑顔は好きだ。
たとえ、それが俺以外の誰かによってもたらされたものであったとしても、その笑顔を好きだと心から好きだと思えるような…、言えるような自分でいたい。自分の足で立ち、いつも橘が俺の事を優しく支え見守ってくれているように、俺も橘を支えられるようになりたい。
支えられるのではなく、支えたいと…そう思っている。
俺は・・・・、少しだけ後ろに立つ橘の気配を感じながら…、
いつも、いつも助けられるたびに、浮かべられた柔らかな微笑みを見るたびにそう思っていた。一緒に居たい気持ちは変わらないが、依存したい訳じゃない。
なのに、やっと自分の足を見つめていた視線を前に、上に向けた俺は、そんな想いも思考も何もかもが消し飛んでいくのを感じて…、髪を掴んでいた手で顔を半分覆い隠す。リビングで母は何も言っていなかったが、これはきっと…、そうだ。
学校の中庭ではなく、自宅の中庭で揺れる笹。
そして、そこに飾られた飾りと、願いごとの書かれていない短冊。
当然、その短冊には願いごとだけではなく、番号も書かれていない。
親父が呟いた一言を、誠人が言った言葉の意味をようやく理解した俺は、強く硬く拳を握りしめる。すると、そんな俺に追い討ちをかけるように、中庭にやってきた母が困ったような顔をしながら笹の事を話した。
「その笹ね。昨日、遥君が貴方にナイショで置いて行ったものなのよ。けど、夕方になって電話があって自分が笹を持ってきた事は、貴方には言わないで欲しいって頼まれたの。用事で来られないからとは聞いたけど…、なぜかしらね?」
「・・・・・・・」
「遥君とケンカでもしたの?」
・・・・・・・ケンカ。
母はそう言ったが、橘とケンカした事はない。
橘はいつも何も言わないし、いつも微笑んで許してくれる。
誠人に突っかかることはあるが、それも…公務に支障が出るほどではない。
そして、最近ではそれは一種のコミュニケーションのようでもあって…、
気づけば、橘は俺ではなく…、執行部の連中の傍で笑っていた。
橘の気持ちを疑った事はない…、けれど、それはとても寂しい光景で…、
とても・・・・、遠い光景だった。
いつから、俺に向けられる橘の微笑みは、あんなに優しくなってしまったのだろう。
俺に願いごとを書く短冊を渡しながら、自分は何一つ願っていないような…、
そんな微笑みを浮かべて、わかっている…と言うようになってしまったのだろう。
その事にようやく気づいた俺は七夕の笹の前で呆然と立ち尽くし、母に一人にさせて欲しいと頼んだ。すると、母は俺の様子から何かを察したのか、何も聞かずにリビングに戻っていく。
その足音を聞きながら、俺は風に揺れる笹を視線を向けた…が…、
戻ったはずの足音が再びこちらに響いてきて…、今度は誠人ではなく、桂木から電話がかかってきた事を知る。それは短冊に書かれた予告を聞いた時よりも、俺に嫌な予感を感じさせた。
2009.9.13
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