ミルキーウェイ.2


注意※このお話は、橘松です

 空は暗闇に染まらず、未だ明るい。
 雲は所々浮かんではいるが、星を見るのに問題は無いだろう。だが、曇りで星が見えなくとも、お祭好きの執行部は行事を決行するに違いなかった。
 ようするにアイツらは騒ぐ口実さえあれば、それで良いのだから、星が無ければ無いなりに七夕を楽しむだろうしな。たとえ雨が降ろうと中止など、あり得ない。
 まったく…、執行部ではなく、お祭部だなアレは…、
 ・・・・などと、考えても仕方ない、今更のような事をブツブツと心の中で呟きながら、さっきから俺はカバンを片手に家路を歩いている。しかし、いつもなら橘も一緒なのだが、今日は珍しく一人きり。
 そして、それは橘に急な用事が出来たからではない。
 俺の私情で、橘は学校に居残りとなったのだ。

 「はぁ…・・」

 学校に居残った橘の事を考えると憂鬱になり、ため息ばかりが出る。
 そればかりではなく、後ろ髪を引かれているせいか、足取りも遅く重い。
 だが、俺は振り返ったり、踵を返したりはしなかった。
 今、ここで引き返してしまったら、また愚図ついた天気を橘にぶつけてしまう事になる。しかし、橘に居残りを命じた理由は、もっと別な所にあるような気がしてならなかった。
 あの…、中庭の光景を見た時の感覚…。
 ただ、遠く感じた景色に寂しさを感じただけだと始めは思ったが、本部に帰ってきた橘を前にした時、違う何かが俺の胸をかすめた。

 「一体、何だというんだ…、本当に…」
 
 またしても出たため息と共に、そんな呟きが口から漏れる。
 だが、それはあくまで独り言…という以前に一人で帰宅しているのだから、当然、、返事などあるはずはない。返事など、あってはならないはずなのだが…、なぜか俺の真横から声がした。

 「何だって言われてもねぇ…。ただ、買出しに来てるだけだし?」


 うわぁあぁぁぁ…っ、でたぁぁぁっ!!!!


 思わぬ人物からの良くわからない返事に、本気で叫びそうになった。
 実際っ、わ…くらいは叫んでいたかもしれない。
 だが、飛び出しそうになった心臓と叫び声を、俺は会長としての…なのかどうなのかはわからないが、意地と根性で押さえ込んだ。
 たとえ眼鏡が不吉に光っていようとも、黒猫に目の前を横切られようとも…っっ、
 この程度で動揺していては、荒磯の会長など務まらないっ。
 そう思い努めて冷静に平静を保って、今、橘の次に会いたくなかったかもしれない人物に問いかけた…、が…、

 「な、なぜ…、お前がココに…」

 ・・・・・す、少しどもってしまった。
 その事に多少ショックを受けていると腹立たしいほど、のほほんとした声が俺を呼ぶ。そして、仕方なく近づいた俺に、食いかけのアイスを差し出した。
 「近くのコンビニは、時任&桂木ちゃん御所望のこのアイス売り切れ…てワケで、こんなトコまで来てるんだけど…、食う?」
 「・・・わけないだろう。お前と間接キスする趣味はない」
 「ふーん、意外。松本って、そーいうの気にするんだ? もしかして、それって受けっぽいけど、攻めな副会長サンの影響?」
 「・・・・・っ!」
 たかがアイス…、されどアイス…。
 俺の視線の先にあるのは、アイスに付いた誠人の歯型っ。
 それを見つめながら、無意識にしてしまった自分の発言に動揺し、橘との関係を言われ更に鼓動が大きく跳ねた。
 もしも、差し出した相手が橘だったら躊躇せずに食べる…というより、躊躇する方がおかしいだろう。間接どころか、その…、い、色々としている訳だしなっ。
 だが、他の相手だと何となく、間接でも気になるというか何と言うか…、
 何となく悪い事をしているような気がしてならない。
 相手が女子ならまだしも、どこからどう見ても自分と同じ男と…、
 アイスを食べるくらいで間接とかおかしいと言えば、おかしいような気もするし…、
 いや・・・・、良く考えれば歯形を避れば良いだけじゃないのか?
 だが、それはそれで妙な気もする。
 しかし、わざわざ歯型を噛むのもどうかと思うんだが…。
 くそっっ、考えれば考えるほど、わからなくなってきたじゃないかっっ!
 何をどうすれば、どうなれば普通なんだっ!!

 「・・・・・橘っ」
 
 慣れない事態に直面した俺は、思わず助けを求めるように、無意識に横よりも少し斜め後ろに視線を向ける。しかし、そこには当たり前だが、橘の姿はなかった。
 ・・・・・・俺が一人で居残るように命じたのだから、居るはずが無い。
 なのに、呼びかけてしまった俺は、頭痛を感じて眉間に皺を寄せた。
 まったく…、本当に今日はどうかしている。
 生徒会本部で橘が消そうとしてくれた眉間の皺は、こんなのはらしくないと自分で気づきながらも、なぜか深まる一方だった。

 「・・・・・・やはり、一口くれないか?」

 眉間の皺のように深々とため息をつくと、こんな事で迷うのもバカバカしくなり、俺はそう言うと差し出されたアイスの歯型のついた部分を迷う事なく齧る。すると、冷たいミントの味が口の中に広がって…、少し身体だけではなく頭も冷えてきた。
 「うーん、コレで俺と松本は間接チューした仲?」
 「気色悪い事を言うな。それにそんな事を気にするガラか? お前が」
 「だぁね」
 「俺も気にするガラじゃないが…、恋人の居る身だからな」
 「アレ、やけに素直になっちゃって、それこそガラじゃなくない? 狸サンのクセに」
 「・・・・・確かにな」
 「デショ?」
 そんな会話を交わしながら、俺は誠人の横に移動し座り込む。
 すると、誠人も同じように座り込んだ。
 コンビニの入り口よりも少し離れた場所、そのコンクリートの上に…。
 偶然、通りかかった同じ高校の生徒が、並んで座り込んでいる俺達を見て驚いた顔をしていたが、俺自身も驚きだ。中学時代に相方をしている時ならまだしも、今になって、こんな風に並んで座る日が来ようとは思わなかった。
 二人でコンビを組んでいたのは確かだが、公務以外で一緒に居る事はなかったし、お互い自分の事を語る事もない。しかし、その当時の俺には、そんな誠人との付かず離れずの関係が、とても楽で居心地が良かった。
 だから、こんな風に並ぶ事はなかったし、食べかけのアイスを差し出される事も無い。友人にも相方にも成り切れない、お互いの距離を気にした事もなかった。

 「・・・・・・変わったな、誠人」

 前の会話と何の関係もなく、唐突にそう呟き、俺は目の前の見慣れた街並みを眺める。すると、誠人は短く「そう?」と答え、シャクシャクと冷たいアイスを齧った。
 その音を聞いていると次第に心臓の鼓動も静かになり、俺はため息ではない息をふーっと口から吐き出す。だが、今は冬ではないため、その息は白くなく、吐き出され立ち昇っていく様を自分の目で見る事は出来なかった。
 「そう言えば、時任はどうした? 一人で買出しという訳ではないだろう?」
 「時任なら、コンビニで只今買出し中。なんで、一人でアイス齧ってるかは、中を見ればわかると思うけど?」
 「・・・・あぁ、藤原も来てるのか。それなら、納得だ。お前があの二人と一緒に行けば、買出しどころではなくなるだろうからな」
 「コンビニに着くなり、時任に食ってろってアイス渡されたんだよねぇ。そんでもって、俺はココに置き去りで、藤原だけ引っ張ってった」
 「時任にしては、懸命な選択だ。いつも暴れているだけかと思っていたが、案外わかってるじゃないか」
 「ちゃんと付いてるみたいよ、学習機能」
 「だからって、妙な事は教えるなよ。お前の言う事なら、何でも信じて鵜呑みにしそうだからな」
 俺がそう言うと、誠人は何も答えずに口元に笑みを浮かべる。
 否定も肯定もせずに…だが、何かに想いを馳せるかのように見つめる視線の先には、俺が見ているのと同じ街並みがあった。
 誠人と時任が、そして俺が暮らす街。
 それを眺めて抱く感情は三人三様で同じではないが、何となく時任の事を考えているだろう事だけはわかる。そうでなければ、誠人の口元にいつもとは少し違う、柔らかな笑みが浮かんだりはしない。
 おとなしくコンビニの前でアイスを食べている誠人は、まるで主人の帰りを待つ犬の様だと…。そう思うとおかしくて笑いたくなり、さっきまでの憂鬱な気分が少し晴れた気がした。
 「何、笑ってんの?」
 「いや、やはり変わったな…と思ってな」
 「そう言ってても、別な理由で笑ってるようにしか見えないんだけど?」
 「見間違いだろう?」
 「ま、そういうコトにしてあげてもいいけど…、ね。さっきから言われてる件についてだけ、一言だけ言わせてくれる?」
 「言いたい事があるなら、さっさと言えば良いだろう。だが、三日前に時任が公務中に、また校内の備品を壊した件についてなら、聞くまでもなく却下だ」
 ふいに執行部から追加予算の申請が出ていたのを思い出し、俺がそう言うと誠人は「言いたいコトはソレじゃないけど、残念」…と軽く肩をすくめる。そして、年より臭くよっこらしょっと言いながら立ち上がると、食べ終えたアイスの棒を手に近くに設置されているゴミ箱に向かって歩き出した。

 「変わったのは俺だけじゃなくて、お互いサマ…でしょ?」

 そんな誠人のセリフを聞いた俺は、どう答えて良いかわからず黙り込む。
 すると、そのタイミングを待っていたかのように、コンビニのドアが勢い良く開かれ、騒がしい二人組がやっと買い物を終えて出てきた。
 「な、何で僕が全部荷物持たなきゃなんないんですかっ!?」
 「俺と久保ちゃんだけで十分だっつってんのに、荷物でも何でも持つとかって無理やり着いて来たのはお前だろっ」
 「確かに荷物でも何でも持つとは言いましたけど、全部とは言ってません!」
 「つか、別に何も言わなくても、補欠だから全部持つのは当然だよな」
 「いちいち、いちいち補欠補欠ってうるさいですよっ!僕が補欠だろうがなんだろうが、持つのは久保田先輩の荷物だけっ。単細胞で野蛮人で、おまけに横暴などこかの誰かさんの荷物なら、速攻でドブに捨てて帰りますよ」
 「ふーん、あっそう。なら、別にソレ捨ててもいいけど…、マジで桂木に殺されっぞ」
 「うわあぁぁんっ!久保田せんぱーいっ!! 横暴な野蛮人が僕の事をいじめるんですぅぅぅっ!!!」
 「…ってっ、どさくさに紛れて久保ちゃんに抱きついてんじゃねぇよっ!! このブサイクっ!!!」
 
 ・・・少しは学習してるのかと思ったが、やはり変わらんな。

 白いハリセンを持った桂木が、この場に居ない事を残念に思いながら、俺は学校の中庭と良く似た光景を近くで眺める。そうして気づいたのは、誠人の腕に抱きつく藤原に怒鳴りながらも、時任が本気で藤原を排除しようとしていない事だった。
 確かに誠人の腕を取られて嫉妬して、殴ったり蹴ったりはしている。だが、それは強くはないが弱くもない程度に、上手く手加減されていた。
 そんな時任の何事も大雑把に見えて、案外、器用な一面に少し驚いたが…、
 誠人はやはり俺が言うまでもなく、気づいているのだろう。
 俺が視線を向けると「ほらね…」と、学習機能付だと飼い猫を自慢するのかように、伸ばした手で時任の頭をわしゃわしゃと撫でた。
 
 「どっちが飼い主なんだか…」

 頭を撫でられて、何すんだよと言いながらも気持ち良さそうに目を細める時任に思わず、そんな言葉が口から漏れる。すると、今、初めて俺の存在に気づいたかのように、時任がこちらを見て、驚いたように目を見開いた。
 「なっ! なんで松本がこんなトコにいんだよっ!!」
 「そう言われても、自宅に帰るにはこの前の道を通るのが一番早いからな。わざわざ、遠回りする気にはならない。たとえ、買おうとしていたアイスが売り切れていても…だ」
 「…って、なんで松本がそんなコトまで知ってんだっ?!」
 「あー…、それはね。俺が話したから」
 時任が俺にした質問を、代わって誠人が答える。すると、時任は未だコンクリートの上に座っている俺と、持っていたアイスの棒をゴミ箱に入れた誠人を交互に見た。
 一度目は不思議そうに、二度目はムッとしたような表情で…。
 学校では同じ執行部で相方、しかも同居までしている二人が実際はどこまでの関係なのかを、友人でも何でもない俺が知るはずも無いが…。そんな俺でもわかるほどに時任も誠人も、お互いに対する独占欲が強い。
 そのせいか、時々、公務で誠人を呼び出す俺を、時任は快く思っていない…どころか嫌われているのだろう。犬猿とまでは行かないが、俺を見る時任の視線は藤原に向けられたものとは違っていた。
 「・・・まさか、また久保ちゃんに何か危ねぇコトとか、頼んだりさせたりしてねぇだろうな?」
 「会長としての仕事は、校門を出た時点で一応終了している。それに、こんな場所でわざわざ物騒な話はしなくてもいいだろう。何か用事があるなら、校内に居る内に呼び出す」
 「だーかーらっ、校内だろうと校外だろうと、そういう用事を久保ちゃんに頼むなっ、呼び出すなっ! 久保ちゃんを呼び出していいのも扱き使って良いのも、相方である俺様だけだっつってんだろっ!」
 俺に向かって、そう宣言した時任はフンっと胸を張り、「なっ、久保ちゃん」と誠人に同意を求める。すると、誠人はのほほんとした調子で「ん〜、まぁ、そうかもね」と答えたが、時任の言った内容を思い返してみると、相方ではなくパシリっぽい気がするのは気のせい…だろうか?
 だが、時任のパシリをしている誠人を想像すると・・・・、
 これはこれで、なかなか幸せそう…な気がしなくもない。
 
 「忠犬なのか番犬なのか、それとも狂犬なのか…。或いは、それら全てなのか…。どちらにしろ、やっかいな事には変わりないな」

 そう呟いた俺の声は復活した藤原と時任の言い争う声に阻まれて、誰の耳にも届かなかったらしい。目の前で再び始まったリクリエーション的な争いに、俺はやれやれと軽く肩をすくめて立ち上がった。
 特に用事がある訳じゃないし、急いでいる訳でもないが、ここで三人のじゃれ合いを無意味に眺めているほど、暇ではない。それに誠人と二人だけだった時と違い、時任と藤原が加わった今は何となく居心地が悪いというのも実はある。
 時任の方は誠人絡みで言うに及ばず…、藤原は不祥事を起こす前…、
 まだ本部に居た頃、橘には良く話しかけていたようだが、どうやら俺の事は苦手だったらしく、あまり話した記憶がなかった。

 「今日は七夕だが夜空ではなく、君達に不祥事を起こさないよう祈りたい気分だな。せっかくの七夕を楽しむのは良いが、はしゃぎすぎて自分達の立場を忘れないように注意してくれたまえ」

 私は「これで失礼する…」と、挨拶をするついでに時任と藤原に釘を刺す。
 すると、時任が俺の方に鋭い視線を向けてきた。
 それは予想外ではなく、予想通りで俺は口元に笑みを浮かべる。
 別に心配などしていないが、俺がこう言えば浮かれ気分に抑制がかかり、公務に気合いも入るだろう。そんな俺の思惑をわかっている誠人は、「てめぇなんかに言われなくても…」と食ってかかってくる時任を眺め、やれやれといった調子で軽く肩をすくめた。
 藤原は補欠だが、一応執行部員であるにも関わらず他人事と思っている様子で、皮肉を加えて俺の言った言葉を時任に向かって繰り返し言っている。何とも騒がしい状況ではあるが、それはいつも通りで変わりの無い光景でもあった。
 しかし、それでも居心地が悪い事には変わりなく…、
 俺は自分の役割を終えて、退場するだけの通行人のようなものなのかもしれない。
 中庭で見た時に感じた距離感は、ただの物理的な距離ではなかった。
 だから、あの時も今も感じている距離感に変わりは無い。
 俺はそんな事を考えている、らしくない自分自身を自嘲するかのように口元に笑みを浮かべると、自宅に帰るために誠人達に背を向ける。しかし、再び俺を呼び止める声が後ろからして、前に出しかけた足を止めた。
 「あー…、そういえばさ。もしかして、松本も短冊って持ってる?」
 「短冊?」
 「そ、俺らが校内で配ってた短冊」
 誠人にそう聞かれた俺は、すぐに橘から渡された短冊の事を思い出した。
 だが、七夕に参加しないので、本部に置いてきてしまっている。なぜ、そんな事を誠人が聞くのかわからず、どう答えたものかと迷った俺は、正確ではないが嘘でない、無難な回答を取った。
 「お前達が配っていた短冊なら、橘が持っていたが…。それが、どうかしたのか?」
 「実はさ、今回の場合は短冊は願いごとを書くだけじゃなくて、別の役割もあるんだよねぇ。だから、持ってるなら学校に引き返して欲しいなぁ、なんて?」
 「別の役割? くじ引きのようにアタリとかハズレでもあるのか?」
 「ま、当たらずも遠からずってトコかな。短冊は七夕の入場券代わり、持ってなければ即刻退去。そんでもって配る時に説明はしてるんだけど、短冊には全部番号ついてて、その順番に笹に付けてくついでに笹も支えてネ…みたいな?」
 「・・・・・・なるほど、まさかとは思っていたが、笹を立てずに室田が支えていたのは、そういう訳か?」
 「願うのは夜空にだとしても、届くように支えるなら自分の手でっていう、桂木ちゃんの提案。支えるっていっても10分か15分か、その程度だろうけどね」
 「つまり、簡単に言うと自分の手で支えたくないような輩は来なくていい…、という訳だな」
 「ご名答」
 どの程度の人数が集まるのかと、多少、気になってはいたが…、
 桂木の提案によって、場を乱すような連中の参加はある程度防げるだろう。
 執行部の主催という点で、すでに牽制にはなっているが、普段の恨みを晴らすべく潰してやろうという輩が出てこないとも限らない。そんな状況の中で、七夕の雰囲気を損なう事無く打てる手は、事前に打てるだけ打っておこうという桂木の行動はさすがと言えた。
 まったく…、変わり者も良い人材も多いだけに困りものだな。
 会長である俺や本部の思い通りには動かないが、桂木や誠人を始め彼らは有能だ。まぁ、一人例外は存在するが、それもまた愛嬌…だろう。
 俺は止めた足を前に踏み出すと、後ろにいる誠人に向かって軽く手を上げてみせた。
 「そういう事なら、私が学校に戻る必要はないだろう。念のために橘が居残っているから短冊の件はそちらへ連絡してくれ、本部にある」
 「ほーい」
 「念のためとか、そんなのいらねぇっつーのっ」
 二人の返事を聞きながら、俺は一人で家路を歩み始める。
 何か予想外の事態が起こったとしても、執行部と橘が居るのなら対処可能だ。
 俺は終了後に報告を待つだけで、何も心配することはない。
 だが…、なぜか本部に置いてきた短冊が気にかかり、俺はコンビニと自宅との距離の中間地点で再び足を止めた。
 あの短冊は元は執行部が配っていたものだとしても、橘から手渡されたものに違い無い。誠人や時任にはああ言ったが、やはり…、あの短冊だけは置いて来るべきではなかった。
 橘が渡してくれた短冊に何も書かないまま、七夕が終ってしまうのは…、
 中庭を見た時以上に…、なぜか寂しい…。
 そんな気がした俺は、踵を返すとせっかく歩いてきた道を逆に進み始めた。

 「まったく…、今日は本当にどうかしている」

 そう呟いた言葉の通り、今日は何もかもが俺らしくない。
 俺らしくなく酷く感情的で感傷的で、口からはため息ばかりが出る。
 もしかしたら、やはり疲れているせいで一度眠って起きれば元に戻っているのかもしれないが…、誠人の言うように、俺もいつの間にか変わっていたのかもしれない。
 自分の思わぬ方向に、橘への依存という形で…。
 誠人は時任に依存している自分を知りながらも、それを気にしてはいない様子だが、俺は自分一人で…、自分の足で立っていない現実に不安を感じ始めていた。

 「俺は、どうすればいいんだ…、橘…」

 必要以上に依存している事実に抵抗を感じながらも、またしても口ずさんでしまった名に唇を噛む。橘の事は好きで大切で…、それはこれからも変わらない。そして、その事実から目を背けるつもりもなかった。
 しかし、今の状態は決して無視できるものではない。
 このままでは、俺は橘が居なければ何も出来なくなってしまう。
 そんな情けない事態に陥る事だけは避けたいが、どうすれば良いのか皆目検討もつかなかった。
 どうすれば依存せずに、橘と共にいられるのか…、
 その問題に対する答えを出せないまま、俺はようやく学校の校門にたどり着く。しかし、すでに中に入るには短冊が必要らしく、執行部の手伝いをしている写真部がチェックをしていた。
 「あ、すいませーん。校内へは短冊がないと入れない決まりになってるので、申し訳ありませんけど、本部の用事とかでなければ松本会長も…」
 「参加ではなく、忘れ物を取りに来ただけなんだが」
 「うーん、そうですか…、なら仕方ないですよね」
 「忘れ物を取ったら、すぐに戻って来る」
 「わかりました。じゃ、特別って事で…」
 「仕事の邪魔をして、すまないな」
 「い、いえっ、そんな…、すまないなんてとんでもないですっ」
 あたふたと慌てて首を横に振る写真部の生徒に、次が来たと軽く視線で指し示してから校舎に向かう。すると、その途中で思ったよりも多く、七夕に参加するらしい短冊を手に持った生徒達と擦れ違った。
 浴衣を着ている者が居る所を見ると、一度、自宅に戻ってから来たものもいるらしい。服装については何も指示を出していないが、せっかくの七夕だ…、校内でもこれくらいの自由はあってもいいだろう。
 浴衣を着て微笑み合うカップルを見て、それを微笑ましく思いながら、俺は短冊を取りに本部に向かった。向かいながら、行事に参加はしなくてもせっかくの七夕だ…、短冊に願いごとを書くくらいしても良いだろうと思ってた…。
 だが、本部のドアを開け中に入り、次に机の引き出しを開けた俺は、入ってた短冊を見て…、その気を失う。ミスなのか、それとも故意なのか、俺の渡された短冊には誠人の言っていた番号は書かれていなかった。
 
 「わかってます…、か…。確かに良くわかってるな、お前は…」
 
 番号の無い短冊を手に本部を出れば、夕闇に沈みかけた廊下の窓の向こうに昼間と似た光景がある。生徒達が居て、誠人達が橘が居て…、そんな光景はたとえ夕闇の中でも明るく光に満ちていた。
 その光の中に入るつもりはなかったが、そもそも俺の手にある切符では入りたくても入れない。まるで、ハズレのような番号の無い短冊を手に俺は…、遠い景色を眺めながら、そこに居る橘を見つめながら大きく息を吐き、口元に笑みを浮かべた。

 「お前が笑っているなら、それで良い。こうして離れていても、俺の愚図ついた天気に付き合わせるより、何倍もマシだ…。それに、誰にも息抜きは必要だからな」
 
 いつも俺の横に立ち、公私共に俺を支えてくれている橘は何があっても愚痴の一つも言わない。ただ、微笑んで大丈夫だと、俺を励ましてくれる…。
 でも、だからこそ好意に甘えて寄りかかってばかりいては、俺はいつか橘を…、
 そう考えると、この寂しさを感じた距離が、今は必要なのかもしれないとそんな気がしてきて、俺は明るい光景から目をそらすと暗闇に沈みかけた廊下を一人歩き出した。
 けれど、そんな俺の行く手を思わぬ人物が塞ぎ、予想外の事態に橘を置いて前に進み始めた足が止まる。まるで、暗闇に潜むように廊下に立つ人物は、俺が立ち止まると人差し指で中庭の方を指差した。
 「もしかして、松本も参加するのか?」
 「・・・・いや、私は…、俺はただ忘れ物を取りに来ただけだ」
 「いいのか? 校内行事で会長抜きで」
 「主催は執行部で本部じゃない。それに俺が居ては、外せるハメも外せないだろう? 度を越してハメを外されては困るが、多少は容認している」
 「寛容だな」
 「たまにはな」
 コンビニの前で誠人と話した時の余韻でも残っているのか、久しぶりだというのに、不思議と自然に話す事が出来る。俺と同じで七夕に参加せず、これから帰ると言う真崎は一年の時に同じクラスだった。
 真崎は苗字が同じ、まから始まり出席順番が近かった事もあり、気軽に話しかけてくれていた数少ない生徒の中の一人だったが…、
 やはり例外無く、他の生徒と同じように生徒会長への就任と共に疎遠になった。
 廊下で擦れ違えば挨拶くらいはするが、話したりする事は無い。
 だから、一体どうしたんだと聞きたい気がしたのが、何かあったのか中庭で歓声が上がり、俺がそれに気を取られてる隙に真崎が先に口を開いた。
 「あのさ、これから帰るなら、ついでに俺んちに寄ってかないか? こうやって松本と話すの久しぶりだし、まだ、もう少し話したい気もするしさ…」
 「・・・・そう言われても、な。別に俺と話しても楽しいとは思えないが」
 「それはお互いサマっていうか、松本の方こそ俺と話して楽しくないだろ?」
 「いや・・・、そんな事はない」
 「なら、決まりだな。俺んち、意外と学校から近いんだ。それに共働きで親も帰り遅いし、遠慮はいらないし」
 「あ、おい…、真崎っ」
 強引に真崎に腕を引かれ、俺はとっさに中庭の方へ視線を向ける。
 しかし、すでに俺の居る位置からは生徒達も執行部も…、橘も何一つ、あの明るい光景は見る事は出来ず…、
 ただ、室田か別の誰かかに支えられた、俺の持つ短冊を付けることの出来ない笹だけが視界の中で、風に吹かれ細い葉を揺らしていた。

                                              2009.8.9  


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