ミルキーウェイ.1
注意※このお話は、橘松です。
カラ…、カラカラカラ・・・・・・・・。
部屋に帰ると、テーブルの上に一枚の白い細長い紙が置かれていた。
だから、もしや…と思い、ベランダへ続く窓を開ける。
すると、やはりベランダに飾りを付けられた、小さな笹が飾られていて…、
俺はそうか今日は七月七日だったなと、飾られた笹を眺めて微笑んだ。
そして、緩やかに吹いてきた風に吹かれながら、一年前の事を思い出し小さく息を吐く。まだ、あれから一年…、学ランを脱いでから半年と少し過ぎただけだが、それは随分と昔の事のように思えた。
「・・・・・・・なんだ、コレは?」
それは、まだ俺が荒磯高校で、生徒会長をしていた頃の事…。
ふいに生徒会室にある机の上に差し出された二枚の紙に、俺はそう思わず呟いた。それは一枚は校内行事やイベント等の許可申請書だが、もう一枚は長細くて小さい上に、何も書かれていなかったからに他ならない。
しかも、細長い紙の色は青く…、画用紙のようだ。
そんな紙を前にした俺は、いつものように机に肘を突き、組んだ両手を前に置いた姿勢で首を傾げる。だが、紙を差し出した人物…、副会長であり俺の恋人でもある橘遥は意地悪く、クスクスと笑うばかりで、中々、答えてくれない。
まったく、一体何だというんだ。
もしかして、今朝…拒んだの事を根に持ってるのか?
それとも、も、もっと別の何かか…?
・・・・・・何を企んでるっ、このケダモノ!
などと、口には出さず心の中でブツブツ呟きながら、画用紙ではなく申請書の方を見てみると、なるほど・・・・、そういう訳かと納得する。今日が七月七日だという事は当然知っていたが、七夕だという所までは思い至らなかった。
長細い紙は・・・、短冊。
そんな簡単な事にも気づけなかったのは、ここの所、生徒会本部での仕事が忙しすぎたせいだろう。最近、色々と校内で問題も多く、後処理に追われているし…、
それだけ、精神的に余裕がなかったという事…なのかもしれんな。
そのせいで、橘にあらぬ疑いまでかけてしまった…。
そして、そんな俺の思考は口に出してはいなくても筒抜けだったらしく、橘は浮かべていた微笑みを深くする。慌てた俺は誤魔化すように軽く咳払いをしてから、申請書に目を通し、申請者の欄に書かれた名前を見て、深々とため息をついた。
「・・・・・・・・また、アイツらか」
「えぇ、また彼らですよ」
「まったく…、アイツらは、いつもいつも俺の仕事を増やす事しかしない」
「ふふふ…、そんな風におっしゃりながらも、嫌な顔はなさらないんですね」
「そんな事は無い」
「そうでしょうか?」
橘の口調が微妙に、どこか突っかかった感じになっているのは、書かれている名前が桂木で…、つまり、この申請書が執行部から出ているからだろう。どこが気に入らないのか、橘は誠人が絡んでくると、いつもこんな調子だった。
違う意味でも、少しため息を付きたくなった俺は、何となく、置かれた短冊を手に取る。すると、橘が申請書が出される事になった経緯を、俺に報告した。
執行部が許可を求めているのは、中庭の使用と笹の設置。
なぜ、そんな申請を、しかも七夕の当日になってしたのかは…、今日の朝、時任がぎっくり腰で動けなくなった人物を助けた事が原因らしい。助けられた人物は、せめてものお礼にとトラックに積み込もうとしていた大きな笹を一本、時任にくれたのだという。
そこからは報告を聞かなくとも、七夕に笹を見たお祭好きの執行部の面々が何を考え、申請書に至ったかは手に取るようにわかった。
「どうせ、許可など待たずに、校内でこの短冊を配っているんだろう? ここで不可を出して、書いた短冊が無駄になれば全校生徒に恨まれるな」
「おそらく、これは意図的なもので、発案者は桂木さんか久保田君…」
「・・・・そうだろうな。そして、申請書の名前が時任ではなく、桂木なのも意図的だ」
「いかがなさいますか? 申請されている使用時間が、夜間にまで及んでいますが?」
そう聞く橘の口調はさっきとは違い事務的で、恋人ではなく副会長の顔をしている。さっきまでの誠人に対するこだわりを、今は微塵も感じさせない。
橘のそういう所は、生徒会長として好ましいと思っている。
しかし、感情を露にする時より、こういう時の方が橘の胸の奥で、何かが深く強く渦巻いている気がしてならなかった。
「何を考えている?」
ふいに俺がそう聞くと橘は微笑みながら、いいえ、何も…と答える。
だが、何の事を言っているのかと、そんな質問も無しに答えるという事は何も考えていない訳ではないと認めているようなものだが…、俺はそれ以上は言及せずに持っていた短冊を机に置くと、判を押した申請書を橘に渡した。
「小賢しいが致し方ない。夜も校門を解放しておくのは構わないが、閉門は時間厳守。一分でも過ぎた時は、やむを得ない特別な理由がある場合を除き、主催である執行部の責任とする。飲食物の持ち込みは許可するが、ゴミは各自持ち帰るように…。校内で飲酒及び、不純行為に及んだ者は執行部が取り締まり、後日、本部が厳重に処罰する」
「季節がら、花火などの持ち込みも予想されますが?」
「もちろん禁止だ。集まる人数がわからない上に、そんな物まで持ち込まれては火事や怪我人が出る恐れがあるし、近隣住民の迷惑にもなる」
「承知しました。禁止事項は執行部に口頭で伝えた後、早急に文書にして配布します」
「頼む」
そう橘に言い、俺は何も起こらなければ良いがと思いながら、あらゆる非常事態を頭の中に思い描く。すると、自然に眉間に皺が寄っていまい、それを橘の細くて長い綺麗な指が優しく…、コンコンと突いた。
「心配は要りません。申請したのが彼らなら、上手くやりますよ」
「・・・・・・・」
額に橘の指の感触を感じながら、聞いた言葉に違和感を覚えて…、俺は眉間の皺を解くどころか更に深くする。そんな俺を見た橘はパチパチと二回目をしばたいた後、少し前の俺のように首をかしげた。
「どうか、しましたか?」
「俺は時々、お前がわからなくなる」
「わからない…とは何が?」
「・・・・・・いや、何でもない。さっき言った事は気にせず、早く行ってやってくれ。強引に推し進めている事とはいえ、許可を待ってはいるだろうからな」
「はい」
どうせ聞いた所で、橘は微笑んで誤魔化して、何も答えまい。そう思った俺は、橘を執行部へ向かわせると椅子に座ったまま、腕を軽く上に伸ばして伸びをした。
そうしながら、目の前に置いた短冊を少し眺めた俺は、椅子から立ち上がると生徒会室を出る。すると、廊下の窓の向こうに、時任が貰ったという笹が見えた。
笹は思っていた以上に大きく、どうやって立てたのか気になり、窓に近づいてみると執行部の室田が支えている。
ま、まさか…、ずっと支えているつもりじゃないだろうな?
…と、あり得ない事だが、それをやってしまいそうな執行部なだけに、どうするつもりなのかと中庭の様子を伺う。すると、少し離れた場所で他の執行部の面々が、生徒達に短冊を配っているのが見えた。
その中で一番騒がしいのが、言い争っている時任と藤原。
あぁ…、その上、向こうから五十嵐先生が誠人の方へ向かってるから、ますます騒がしくなりそうだ。桂木もそれに気づいているらしく、どこに隠し持っていたのか、トレードマークの白いハリセンを取り出している。
そんな光景はいつも通り賑やかで騒がしいが…、それと同時に和やかでもあった。
「・・・・楽しそうだな」
片付けなくてはならない書類の事も忘れて、俺はそう呟き、中庭の光景を眺める。すると、そこに橘が現われ手にした申請書を、藤原とバトンタッチしたのか、今度は五十嵐と言い争っている時任を眺めている誠人に渡した。
申請者である桂木ではなく、誠人に渡したのは故意なのか…、
それとも、ただ近くに居たせいなのかはわからない。
申請書を渡した後も、橘と誠人は立ち話をしていた。
話している内容は夜間使用の禁止事項や、いつものように突っかかってみたりと色々だろう。だが、こうして離れた場所から、そんな光景を眺めていて思うのは、橘がこの和やかな空気に、自然に馴染んでいるという事実だった。
執行部の連中が騒いでいて、それを眺めている生徒達が居て、そこに橘が居ても何の違和感も無い。皆と同じように橘も楽しそうで・・・・、その景色はなぜか、すぐ目の前にあるというのに、俺にはとても遠いもののように思えた。
「バカバカしい…」
いつもと変わらない光景に、何をらしくなく感傷的になっているのか…、
自分で自分がわからなくなり、そんな言葉ですべてを一蹴する。
そして、楽しそうな光景に背を向け、仕事をするために生徒会本部へと戻った。
けれど、椅子に座り机に置かれた短冊が目に入ると、吐き出す息が、なぜか大きなため息に変わる。
もしかしたら、情けない話だが…、本当に疲れているのかもしれない。
嫌な事やいらぬ事を考えたり思ったりするのは、大概、そんな時だ。
だが、自分の状態を冷静に分析してみた所で、さっき見た光景は脳裏から離れないし、重厚なドアの中にある部屋の静けさが、やけに身に染みる。
俺は自ら望んで生徒会長になったし、それを後悔した事はないが…、
一般生徒と会長である自分との間に、距離が出来てしまったのは事実だった。
『やっぱ、一般生徒の俺らと生徒会長様とじゃ、色々、なんつーか違うよな。確かに同級生だしクラスメイトだけど、近寄り難いっていうかさ』
一年の頃は気軽に話しかけてくれていた同級生も、会長になるとそんな風に言って遠ざかり…。それは公私混同をしないという点に置いては悩む事もなくなり、やりやすくなったのだが、複雑な心境だったのは確かだ。
会長としての存在は認められているが、クラスメイトとしての俺の存在は認められていない。そんな自分のポジションに変な感傷を抱いたり、ショックを受けた事はないが…、なぜか今だけは、ほんの少しだけ考え思っている自分がいる。
それもこれも…、ただ疲れているというだけではなく、橘が居ないからだという自覚も、実はあるだけに始末が悪かった。
「俺と居ても楽しい事など、何もないだろうに…な」
弱気な自分の発言に苦笑して、目の前の短冊を軽く指で弾く。
そして、今日は七夕だというのに、晴れた空とは裏腹に俺の心は愚図ついた天気模様で、俺は橘の居ない静寂を、書類をめくる音と走らせるペンの音で紛らわせようとした。
だが、そうしても愚図ついた天気は、一向に晴れる気配もなく…、
しばらくして、本部に戻って来た橘に思わず、その愚図ついた天気をぶつけてしまった。
「・・・・・橘」
「はい?」
「さっき、許可を出した学校使用の件だが、執行部だけでは不安が残る。すまないが、緊急事態に備えて、副会長として参加してくれないか?」
「それは…、一人でですか?」
「もちろんだ。見回りや取締りは執行部が行うのだから、一人で十分だろう」
「・・・・・・・・」
「何か用事があるのなら、俺が代わりに参加するが…」
「・・・・・いいえ、特に用事はありませんので」
「なら、後は任せる」
「はい」
本当は…、二人で参加しても構わなかった。
なのに、俺はわざと橘を一人で参加させて、自分から引き離した。
愚図ついた天気そのままに引き離して、橘の顔すら見ようとしなかった。
いや、見ようとしなかったのではなく…、見れなかっただけなのかもしれない。
もしも、今、この瞬間に橘がいつものように微笑んでいたら、俺は会長としてではなく、恋人として立ち直れなくなりそうだった。
しかし、随分と子供じみた感情を橘にぶつけてしまった事は、誰に言われるまでも無く、わかっている。だから、今度は連絡のために職員室に向かおうとする橘の背中に向かって、すまない…と詫びた。
しかし、橘はドアの方を向いたまま、首を横に振る。
そして、安心させるように優しい声で、俺に大丈夫だと言った。
「気になさらなくても、僕は大丈夫です。ちゃんとわかってますから、どうか、あやまらないでいてください」
「・・・・・橘」
橘はいつも俺に優しすぎるし、甘すぎる。そして、今はその優しさが自己嫌悪となって、らしくなく、気弱になった俺の心を襲ってきた。
いつから、俺は橘が居ないだけで寂しく思うほどに…、こんなに橘に依存していたのだろう。少なくとも出会った頃や付き合い始めた頃は、こんなに気弱になった事はなかった。
こんな孤独は、俺にとっては当たり前で苦ではなかったはずだ。
橘の手で閉ざされた部屋の中で、俺は一人…、思わぬ自分の心境の変化を知り呆然とする。副会長として、恋人として自然に橘を頼りにしてきたが、今はなぜか…、その依存が怖くて仕方が無かった。
中庭に飾られた笹が、願いごとの書かれた短冊を揺らし…、
天の川に隔てられて、夜空に住まう恋人達が一年に一度出会うという・・・、
・・・・・・・そんな日に限って。
2009.7.13
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