サクサクサク・・・・・・・。 柔らかな砂を踏む足音と、押し寄せてくる波音。 吹いてくる風からは潮の匂いがして、遠く彼方に視線を向けると水平線が見える。それを見て繰り返し…、あぁ、マジで海に来ちまったんだな…と心の中で呟き思いながら、俺は立ち止まらないで柔らかな砂を踏み続けて…、 俺の足跡を踏むように歩いてくる久保ちゃんと一緒に、全然、遠くない…、一番近い場所にある季節外れの海水浴場の砂浜で空と海を見ていた。 『・・・・・・・海へ行こう、久保ちゃん』 俺がそう言ったのは、久保ちゃんの言葉を聞いたからだけど…、 理由はそれだけじゃなくて、実は二人で海とか行ったコトなかったなって思ったのもある。物騒な事件とか危険な出来事とか、そんなのとは関係なく…、例えば今みたいに久保ちゃんと砂浜を歩いたコトないなぁって…、 そう思ったら、海に行きたくてたまらなくなった。 だから…、今、俺は海にいる。 俺らが出会って暮らしてる、横浜の海に…。 寄せては返していく波の音に耳をすませると、なぜか、ザザァーンと音を立てて過去が脳裏に蘇り押し寄せてきて…、俺は今よりも更に遠くを見つめるように目を細める。そしたら、初めてマンションの部屋で目覚めた日のコトや、初めて久保ちゃんの顔を見た日のコトとか、色々なコトが脳裏に胸に寄せては返し、寄せては返して…、久保ちゃんの言った誤解の海は、そのドコから生まれたんだろうと横浜の海を眺めながら考えた。 誤解は意味を取り違えたり、思い違いをしたり…、 間違った解釈をしたり、理解をしたり…、 そういう意味だっていうのは、それくらいのコトは俺にもわかってる。 けど、今までのコトを絶え間なく押し寄せる波の数みたいに、たくさん…、たくさん思い出してみても、誤解の生まれた場所はわからなかった。もしかしたら、生まれてるのかもしれなくても…、俺にはわからない…。 「なぁ、横浜の海って何色?」 波音に混じる後ろからの足音に耳をすませながら、俺はふいに立ち止まり、そう聞いてみる。すると、それに合わせるかのように後ろからの足音も止まり、聞きなれた声がぼんやりと答えた。 「たぶん、青だと思うけど?」 「だよな」 「でも…」 「俺の見てる青と同じとは限らない…、だろ?」 「うん」 ・・・・・・・言うだろうと思ってた。 久保ちゃんのうん…の次に続けたかった言葉は、声に出しては言わなかったけど、伝わってる気がする。そう思いつつ俺が押し寄せてくる波をじっと眺めてると、久保ちゃんがポケットからセッタを取りし出して口にくわえ、器用に手で風を避けながらライターで火をつけた。 潮の匂いのする空気じゃなく、有害な煙を吸うために…。 せっかく海に来たのに煙なんか…と、そう言いかけてやめた俺は、文句を言うかわりに深呼吸する。深呼吸して、久保ちゃんの分まで海の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。 感じる色が違っても、見つめて感じるモノが違ってても…、俺が眺めてるのも久保ちゃんが眺めてるのも同じ海。 いつもそこにある…、変わらない海…。 けど、砂浜に立ち止まり並ぶ俺らの距離は、いつもよりもほんのちょっとだけ遠い。そう…、ホントにちょっとだけ…。 それはたぶん、俺と久保ちゃんだけにわかる距離感だった。 「・・・・・・・誰もいねぇな」 俺がポツリとそう言うと、久保ちゃんがもう秋だからね…とポツリと答える。そんな風に何気ないポツリポツリと会話を続けて、取り止めもなく話し続けて…、 やがて、俺は砂の上に膝を突き、久保ちゃんは砂の上に灰を落とす。 なぜだろう、目の前にある海みたいに…、 俺らだって、さっきまでいつもと同じだったばすなのに…、 ほんの小さなきっかけで、耳に残る言葉が頭から離れないせいで…、 こんなにも空も海も青いのに、こんなにも晴れてて綺麗なのに…、 なんか・・・・、すごく寂しい・・・・。 何もかもがとても寂しくて…、海と空の青が…、 世界が寂しさに塗りつぶされて…、じわじわと色あせていく…。 俺は砂の上に膝をついたままで、そんな世界を眺めながら…、 確かに、俺と久保ちゃんの見てる青は違うのかもしれないと思った。 俺の感じてる寂しい青は、きっと、久保ちゃんには見えない。でも、それでも世界が色あせていくのを止める方法を、俺は一つしか知らなかった。 たった一つしか…、なかった…。 だから、それを実行するために、伸ばした右手で久保ちゃんの着てるジャケットの裾を掴む。掴んで自分の立っている場所を、俺らの間にどんなに誤解の海が生まれても…、俺の世界に久保ちゃんが居る事を確認して小さく息を吐いた。 「・・・・・・・・・良かった」 俺がそう呟くと、久保ちゃんが海に向けてた視線を俺に向ける。 そして、言葉じゃなく視線だけで、何が?と問いかけてきた。 でも、俺は何も答えずに、裾を掴む手にちょっとだけ力を込める。すると、久保ちゃんは問いかけるのをやめて…、俺に向かって右手を伸ばしてきた。 だから、今度は俺が言葉じゃなく視線だけで、何?と問いかける。そしたら、久保ちゃんは何も言わずに伸ばした手を、軽く叩くようにポンッと俺の頭の上に乗せた。 ポンッと置いて、また、そのまま海を眺める。 すると、今度は触れた部分から伝わってくる温かさが、切なく胸をしめつけてきて…、寂しく色あせようとしていた世界に切なさの青が滲んだ。 そして、ゆっくりと滲んだ青が、寂しさを覆い尽くして…、 滲んだ青を含んだ温かさが、ぬくもりが空と海と世界の青を…、 伸びてきた久保ちゃんの手と同じ速度で、ゆっくりとゆっくりと…、 ・・・・・・・優しく変えていくのを感じた。 まだ、少し胸は苦しくて切ないけど、寂しさはわずかに残ってるけど…、 空も海もさっきの何倍も綺麗に、聞こえてくる波の音は穏やかになる。 今、この瞬間だって誤解の海が生まれてるかもしれないのに、その誤解を完全に解くコトなんて、どんなに頑張ったって無理かもしれないのに…、 俺は誤解の生まれる場所がドコなのか、考えるのをやめていた。 でも、それは無駄だからじゃない…。 絶え間なく生まれてくる誤解の波に、あきらめを感じたからでもない。 そう、たぶん…、ただ、いくら誤解が生まれたって変わらないコトがあるのを触れたぬくもりの中に見つけたから考えるのをやめた。 寂しくても切なくても…、苦しくても…、 そして、今みたいに温かくて穏やかでも、俺にとって青は青。 だから、考えるのをやめて二人きりでいる砂浜の上で、まるで二人きりの世界で…、俺は裾を掴んた手を離し、ジーパンに付いた砂を払い立ち上がる。すると、俺が立ち上がると同時に久保ちゃんの手も頭の上から離れた。 「なぁ、久保ちゃん」 「ん〜?」 「今から…、さ」 「うん」 「二人でケンカしねぇ?」 「・・・・・・・は?」 突然、海に行こうって言った時はちっとも驚かなかったのに、俺がケンカしようって言ったら、久保ちゃんの指から吸ってたセッタがポトリと砂浜に落ちる。顔はのほほんとしていつもと変わんねぇのに、指から落ちたセッタとマヌケな声が妙におかしくて、俺はプッと吹き出して笑った。 そしたら、久保ちゃんが…、これからケンカするのに笑ってどーすんのって言って落としたタバコを拾う。でも、俺は笑ってても冗談で言ったつもりはなかったから、落としたタバコを携帯用灰皿に入れた久保ちゃんに、新しいのは吸うなよと言って握りしめた拳に力を込めた。 すると、久保ちゃんはポケットから新しいセッタは出さなかったけど、やる気なさそうに軽く肩をすくめる。だから、俺は握りしめた拳を叩き込んでやろうとしたんだけど、簡単にヒョイっと避けられてしまった。 「ノーコン」 「うっせぇ、今のは軽い肩慣らしに決まってんだろ」 「ふーん、肩慣らしね。まぁ、それはいいけど…、なんでケンカ?」 「なんでって、そりゃあ仲直りしたいからじゃねぇの?」 「・・・・・・・って、言われても意味わかんないですけど?」 「だーかーらっ、仲直りってのはケンカしなきゃできねぇだろ。だから、ケンカしようぜって言ってんだ!」 そう言いながら、久保ちゃんに向って鋭い蹴りを放つと、久保ちゃんはまたヒョイと避けて少し後方に下がる。防戦一方で反撃してくる気配はない。 二度も簡単に避けられたコトにムッとした俺は、強くなった海からの風に久保ちゃんが髪を乱した瞬間、勢い良く足元の砂を蹴って走り出す。そして、拳を繰り出すフリをしながら、素早く久保ちゃんの足を自分の右足で払った。 「・・・・・・っ!」 「ざまぁみろ。天才な俺様をなめたりすっから、そーいう目に遭うんだぜ?」 俺に足を払われてバランスを崩した久保ちゃんは、無様に転ぶ事は避けたものの、左足の膝を砂の上に突いている。そして、そんな久保ちゃんの首元には、俺の手刀が打ち込む寸前の状態で止まっていた。 本気を出した俺様のスピードは、半端じゃない。 久保ちゃんも半端じゃねぇけど、本気を出した俺様に勝てると思うなよ…っと目で言ってやると、久保ちゃんの目の色が少しだけ変わる。のほほんとしたいつもの空気もどこかへ消えて、ゆらりと立ち上がった久保ちゃんから俺のケンカを受けて立つ意志を…、さっきまではなかったやる気を感じた。 「ちょっとは、やる気出たか?」 「うん、まぁ…、ちょっとだけなら出たかな? でも、お前とケンカしたいとは思わないし、仲直りしたいからケンカしたいって理由も、かなり矛盾してると思ってるけどね」 「矛盾してても、やりたいものはやりたい」 「そーいうの、お前らしいやね」 「そっか?」 「うん」 「じゃ、第一ラウンドケンカ開始!」 「・・・・・・・って、何ラウンドやるつもり?」 そんな感じで始まった、俺と久保ちゃんの始めてのケンカ。 言い合いは得意じゃないから、そういう理由で馬鹿みたいな殴り合い。 砂を蹴り走り、繰り出される蹴りを飛んで避けて…、 着地した瞬間に、頬にヒットしかけた拳をかわす。 そして、拳をかわしながら懐へ飛び込んだ俺は隙アリ…っと、腹に拳を叩き込んでやろうとしたけど、その前に久保ちゃんの早い蹴りが俺の身体を捕らえた。 「・・・・っ!! こんっの野郎っ!!」 「天才なら、これくらい余裕でかわしてみなよ」 「言われなくても、次は余裕でかわしてやるよ…つーか、てめぇのその余裕さ加減が、すっげムカつくんだよ! いつも平気なカオして、さっきだって誤解がどうとかって…っ!」 「アレ…、もしかして、やっとケンカらしくなってきた?」 「ざけんなよっ!!」 「そういうセリフは、俺に蹴りか拳の一つでも当ててから言いなね」 「だったらっ、十倍返しで当ててやる!」 俺はそう言うと右手じゃなくて、左手の拳に力と怒りの感情を込める。そして、言いたかったのに胸の奥に飲み込んだ言葉を、拳と一緒に吐き出すように叫んだ。 打ち寄せて来る波の音さえ掻き消すように、届け届けと…、 ケンカしてるつもりで、そのはずなのに、そればかりを想って叫んだ。 俺は誤解があるなら解きたいって思って悩んで…っ、 なのに、まるで誤解があっても関係ないみたいに平気にしてるのが、そういうトコがすっげムカツクっ! いつも必死なのは俺ばっかでムカツクっ!! 殴りかかっても言い合っても、いつも俺ばっか必死みたいでムカツク!! 何があっても、俺は関係ないってカオして…、人の気も知らねぇでっ!! 黙ってないで何か言えっ!!!何とか言えっつってんだろっっ!! 久保ちゃんのバカ野郎ーーーーっ!!! 叫んで殴って殴られて…、蹴って蹴られて…、 でも、そこに無意識な手加減が存在するのは、バカ野郎とか大嫌いだとか叫んだ後に、なぜか好きだと叫んでしまいそうになるからかもしれない。 嫌いで大嫌いで、でも好きで大好きで…、 バカで大バカで…、それでも俺が一緒に居たいのは久保ちゃんだけ。 だから…、だから俺は久保ちゃんとケンカしてみたいと思った。だって、いくらケンカしたって…、久保ちゃんとなら仲直りできるって思ったから…。 たとえば、どんな青でも…、青が青でしかないみたいに…、 どんなにケンカしたって、誤解の海が広がったって…、 何が起こったって、それでも変わらずに…、 ただ、俺は久保ちゃんの傍に居たいって、そう思うから…。 叫びながらケンカしながら、そんな想いに胸を焼かれて…、 殴られたダメージでも、蹴られたダメージでもなく、俺と久保ちゃんは体力の限界を迎えて二人きりの砂浜に、寄せては返していく波と、自分の荒い呼吸と早く鳴る心臓の鼓動を聞きながら砂の上に倒れる。すると、殴られて蹴られて腹筋が壊れちまったのか、俺と久保ちゃんは同時に大声出して笑った。 「バ…ッカ、ケンカしてんのに笑うなよ…っ」 「そういう…、お前こそ笑ってるクセに…」 「ああっ、もう…っ、なんか俺らってバカじゃねぇ!?」 「うん、そうね…、バカかもね」 「あっさり肯定すんなっつーの」 「でも、バカだし?」 「バカバカ言うなっ、バカっ!」 「先に言ったの、お前デショ?」 二人で砂浜に寝転がってバカバカ言いながら、バカ笑いする。それから、少しだけ寝転がったままで青い空を見上げて…、俺と久保ちゃんは軽く砂を払って波打ち際に、濡れないギリギリの位置に並んで座った。 すると、今まで俺が叫ぶだけで、何も言い返して来なかった久保ちゃんが口を開く。そして、なぜか伸ばした手で指で…、俺のつむじを軽く押した。 「…っ、何すんだよ。さっきの仕返しのつもりか?」 「いんや、そうじゃなくて…。俺の世界の中心はココだから、ケンカしても誤解しても関係ないってさ…、そういうハナシ」 「は? 何だよ、ソレ。ワケわかんねぇっ」 「だろうね、言ってて俺もわからないから…」 「・・・・・って、お前」 「うん…、けど、わかるコトが一つだけあるとしたら、ケンカしても誤解しても何があっても、こうやって二人で居られるなら良いんだろうって…」 「・・・・・・・・」 「ただ…、それだけのコト」 だから、別に何もかも平気ってワケじゃないとポツリと付け加えて言うと、久保ちゃんは、またパタンと後ろに倒れて砂の上に寝転ぶ。 それはたぶん…、あまり聞くコトのない久保ちゃんのホンネ。 そう感じた俺は、自分の手を伸ばして久保ちゃんの押したつむじを触る。 だけど、俺の世界の中心はソコじゃなかったから、つむじを触った手をちょうど久保ちゃんと俺の間の砂の上に押し付け、それから強引に久保ちゃんの手を取って同じ場所に押し付けた。 すると、俺と久保ちゃんの間に重なってて、一見、一つに見えるけど、二人分の手形が出来る。大きさや指の長さが違うから、完全には重ならない…、二人の手の跡…。 でも、それがどんなに歪な形をとっても、手を伸ばして重ね合おうとするなら…、たぶんソコに海が生まれる。久保ちゃんが言ってた誤解とか、それだけじゃない他にも何かたくさんの…、打ち寄せる波の数だけの想いと…、 だから、世界の中心はどこかと聞かれたら、俺はたぶん二人分の手の重なる位置を指差す。俺の世界の中心が俺のつむじだったら、重なり合わない世界は一人きりと変わらないから…、俺は砂の上にできた手形の上に文字を書いた。 ・・・・・・・・世界。 俺と久保ちゃんの伸ばした手が、重なり合う場所。 そこが俺の…、世界の中心のある場所…。 ずっと…、ずっと離れず居たい一人きりじゃない二人きりの世界。 寝転びながら俺の指差す先を、世界の中心を見た久保ちゃんは少し驚いたように目を見開いた後、今まで見たコトがないくらい優しく柔らかく微笑みながら…、 そんな久保ちゃんの微笑みに、うかつにも見惚れちまってる俺の手を伸ばした手でゆっくりと握りしめる。すると、握りしめられてる手のひらから、握りしめてる手の中から…、優しく温かな何かが生まれてくるのを感じた。 それは言葉にはならなかったけど、潮が満ち始めた海のように俺の胸に満ちてきて、いつの間にか起き上がった久保ちゃんの引寄せられ、まるで世界のように身体を重ね抱きしめ合いながら…、 俺は初めてケンカをした日に、初めて久保ちゃんとキスをした。 |
2008.10.13 次 へ 前 へ |