久保ちゃんが書き込んだ、俺ら二人の休学届。

 俺はそれを出すってことを迷ってたけど、久保ちゃんは少しもそんなことなくそれを提出した。
 けどそれは、学校なんかどうでもいいとかそんなんじゃなくて…。
 ただ俺と一緒にいてくれようとしたんだと思う。
 久保ちゃんに迷惑かけてるっていう事実と、一緒にいられるっていう、うれしい気持ち。
 そんな複雑な思いで、俺が久保ちゃんまで休むことないって言ったら、久保ちゃんは優しく微笑んで軽くポンッと俺の頭を叩いた。
 「退学じゃなくて休学だから」
 「…うん」
 このことについて、久保ちゃんはそれ以上何も言わなかったし、俺も何も言わなかった。
 久保ちゃんはヘタななぐさめの言葉なんか絶対に言わない。
 治れば学校に来れるよなんて気休めみたいなセリフは聞きたくなったから、そんな風に言われなくて正直ホッとした。
 …だってさ、気休めで言ってる時点であきらめ入ってっだろ?
 だからそういう言葉は聞きたくねぇの。
 身体が重く重くなって呼吸が苦しくなっても、まだあきらめるわけにはいかない。
 …まだダメ。
 久保ちゃんがそばにいる限り、あきらめるわけにはいかねぇ。
 もし、俺があきらめて死んだりしたら、久保ちゃんは絶対怒る。
 怒って俺のコト嫌いになるかもしんない。
 俺は死んでも久保ちゃんに嫌われたくねぇの。
 ぜってぇ、それだけはイヤ。
 そんなんで生きようなんてバカみてぇだって思われるかもだけど、久保ちゃんの隣にいる自分が好きだから、そういう今を生きてたい。
 強がりでもなんでもいいから、俺はそれにしがみついてたかった。
 
 
 
 
 最近夜更かしとかしなくなったから、眠る時間がすごく増えた。
 前はソファーで一人で寝たりとか久保ちゃんがソファーで一人で寝てたりとか、そういうこともあったんだけど、今は毎日二人で寝てる。
 ほんっとに俺んちのベッドって一個っきりだし狭いし結構キツイんだけど、ダブル買ってとかってのは絶対言わない。
 だってさ、あんま広くなると…、抱きつけなくなる。
 抱きつけなくなると、久保ちゃんの体温とか感じられなくなるから言わねぇの。

 「おやすみ、久保ちゃん」
 「おやすみ」

 おやすみって言って、おやすみって返事が返ってきて、それから俺は目を閉じる。
 目を閉じると久保ちゃんは見えなくなるけど、そのかわりに体温とか呼吸とか、心音とかがすごくリアルな感じ。見えなくったって、こうしてればちゃんと久保ちゃんだってわかる。
 きつく香るセッタの匂いが、好きじゃないけど好き。
 タバコは嫌いだけど、久保ちゃんの匂いが好きだから。
 たぶん、俺にもセッタの匂い染みついちゃってるんだろうなぁって思うと、ちょっとハズカシイ気がした。やっぱ、そーいうのってなんかくすぐったい。
 俺の全部が久保ちゃんに染まっちゃってるみたいなカンジするから。
 いつの間にこんなになっちまったのかわかんねぇけど、そんな自分は嫌じゃなかった。
 俺が自分で久保ちゃんに染まったんだから、全然後悔なんかしねぇし、誰のせいにしたりもしない。そんなのは当たり前。
 でも、久保ちゃんでココロがいっぱいになりすぎると、ちょっと苦しくなったりする。


 だからって、想うことをやめたりなんてできねぇケド…。
 

 その日、俺は眠ってるベッドと久保ちゃんの暖かさに安心しながら眠ってた。
すぐに眠っちまっていつもは目ぇ覚めないんだけど、その夜、俺はなぜか眠ってる途中で目を覚ました。まだ夜だってのは暗い部屋とか見たらなんとなくわかるけど、時間まではちょっとわからない。一回眠ると目を覚まさないたちだから、こういうのは珍しかった。
 俺は薄く目を開けたまま、顔を動かさずに視線だけを泳がせる。
 そうすると、ブラインドからわずかに光りが入っているのが見えた。
 けど、それは日光じゃなくてたぶん月光。
 光が強いのは、たぶん満月かそれに近いくらいだからかもしれない。
 このまま、また寝ようかどうしようかってちょっと迷ってたけど、牛乳でも飲んで来ようかって思って、俺は自分の身体を起こそうとする。
 けど、俺の手首をつかんでる手に気づいてとっさにそうすることをやめた。
 ゆるく俺の手首をつかんでるのは、久保ちゃんの手。
 久保ちゃんの長い指が俺の手首に回ってる。
 それは手を繋いでるってカンジじゃなくて、もっと何か違う感じだった。
 俺の親指から真っ直ぐ手首に下りた辺り、その辺りに久保ちゃんの親指が当たってる。
 この指の感じは見たことがあった。
 これは確か、病院の看護婦とか医者とかが良くやってたことと同じだ。
 …久保ちゃんが俺の脈はかってる。
 俺がそれに気づいた瞬間、小さな吐息とも呟きともとれる声が聞こえてきた。
 数字を数える小さな小さな声。
 じっと耳を澄ましていないと聞き取れないような声は、俺の脈を数えてた。
 俺の鼓動に合わせてずっと…。
 ちゃんと眠ってるって思ってたけど、久保ちゃんは全然眠ってなんかなかった。
 一体、いつからこうしてたんだろ?

 もしかして、俺が始めて倒れたときからずっと?
 
 久保ちゃんの脈を数える声は、明け方になっても朝になっても止まない。
 俺は寝たふりを続けながら、じっとその声を聞いてた。
 規則的に事務的に数えてるみたいで、その声は小さく静かで淡々としてたけど、その声を聞いてるとなぜか涙が出そうになる。その涙をグッと堪えながら、俺はココロの中で何度も何度も久保ちゃんのコト呼んで、ココロの中だけで叫んだ。
 久保ちゃんの声を聞いてんのが、つらくてたまらない。
 なんでだよ、久保ちゃん。
 なんで心臓の鼓動なんか数えるより、俺のこと抱きしめててくれねぇの?
 俺はもっともっと久保ちゃんの体温感じてたいのに、久保ちゃんは俺の鼓動だけ聞いてる。
 頼むから、俺の刻んでる時間を数えないでよ、久保ちゃん。

 そんな哀しいココロで・・・・・。
 
 結局久保ちゃんは、ベッドを抜け出す瞬間まで数えるコトをやめなかった。
 こんなことがいつから続いてたのかわかんねぇけど、たぶん、久保ちゃんはずっと寝てない。
 いつも平気な顔してっけど、全然平気なんかじゃないってわかった。
 久保ちゃんがこんなことになってんのは、俺のせい。
 久保ちゃんは、寝てる間に俺の心臓が止まるのを恐れてた。
 俺が久保ちゃんの眠りを邪魔してる。
 ずっと久保ちゃんのそばにいたい、近くにいたいのに、そうしてることが久保ちゃんのこと苦しめてた。苦しめたいなんて、そんなこと全然思ってないのに、どうして痛みだけが苦しみだけが広がってくんだろう?
 もしかしたら、今に抱きしめる腕もその暖かさも、優しいキスも、みんな痛みに変わっちまうのかな…。
 好きなのに、大好きなのに…、苦しみだけが残っちまうなんてそんなのは嫌なのに。

 ・・・・・なんでだろう。

 俺は久保ちゃんのぬくもりの残ったベッドで、どうして、なんでって…そう繰り返してた。
 昨日から眠ってない久保ちゃんが、平気な顔していつもみたく俺を起こしにくるまで…。





 学校は休んでるけど、バイトまでは休むわけにはいかなくて、久保ちゃんは週に何度か一人で出かける。
 実は俺は、久保ちゃんがどれくらい金持ってんのか知らない。
 知らないけど、金持ちってワケでもないことは知ってる。だから、俺の医療費とか色々かかってっから、やっぱバイトには行かないといけないみたいだった。
 そん時は、桂木と五十嵐が来ることなってる。
 俺は一人で平気なんだけど、久保ちゃんが遊び相手にちょうどいいだろうって冗談っぽく言って二人を呼んだ。
 そんなんいらねぇのにさ…。
 「なーにぶすくれた面してんのよっ。うっとおしいわね!」
 俺が座ってテレビ見てたら桂木がそう言った。
 ったく、学校でもココでもうるっせぇってのっ。
 「なに? なんか文句あんの? アタシはあんたのために、昼ごはんなんて作ってあげてんだから少し感謝なさいよ」
 「誰も頼んでねぇっ!」
 「そんなこと言うと今作ってんのに、面白いモン混ぜるわよ」
 「面白いもんって何だよっ、面白いもんってのは!」
 「食べてからのお楽しみに決まってんでしょ」
 「げっ」
 冗談じゃねぇってのっ。
 そんなワケわかんねぇもん入ってるの食えるかっ!
 「そーねぇ、コレなんかいいんじゃないかしらぁ?」
 「あっ、いいわね」
 「ふふふふ、入れちゃいましょうか?」
 桂木と五十嵐が顔を見合わせて、アヤシイ微笑浮かべてやがるっ。
 くそぉっ、俺の昼飯がっっ!
 「妙なもん入れんなっ! このっ、ヘンタイオカマ校医っ!」
 「あ〜ら、そんな口きいていいのかしら〜」
 「この厚化粧っ!」
 「入れちゃいましょうよ、先生」
 「そーしましょっ」
 「ぎゃぁぁっ!」
 なんて感じで製作されたのは、ただのチャーハンだった。
 別にヘンなもんは入ってない。
 あ〜、なんか冷汗かいたぜ。
 「そんなにじっと見なくても、フツーのチャーハンよ」
 「うっせぇ、ババァ」
 「ほんっと口悪いわよね、時任は」
 「生まれつきなんじゃないの?」
 二対一じゃ分が悪すぎる。
 俺は黙ってチャーハンを食うことにした。
 ・・・・・・・うまい。
 そう思ったけど、口に出しては言わない。
 まるで学校にいるみたいに喋りまくってる二人を見ながら、俺はなんで久保ちゃんがこの二人を呼んだのかわかった気がした。
 久保ちゃんは、この二人なら病気だからって俺に余計な気は使わないって知ってたら呼んだんだ。気を使われたら、俺が嫌がるの知ってっから…。
 ほんっと、嫌になるくらい変わらねぇよな…、この二人。
 「なぁに、おとなしくなっちゃって」
 「おとなしい時任って不気味」
 「誰が不気味だっ」
 いつもみたいにケンカして怒鳴り合うのが、なんかうれしいし楽しい。
 …ホント、変わんないでくれてサンキューな。

 プルルル…、プルルル…。

 俺が声に出さずに礼言ってると電話が鳴った。
 それが久保ちゃんからだってわかってたから、俺はあわてて受話器を取る。
 すると受話器の向こうから、
 「昼ごはんちゃんと食べた?」
と言う、久保ちゃんの声がした。
 いつも聞くのと受話器から聞くのとはちょっとカンジが違う。
 なんかすごく優しいカンジ…。
 俺はじーっと耳をすませた。
 「桂木と五十嵐がチャーハン作ったらソレ食べてる」
 「そっか」
 「うん」
 「も少ししたら帰るから」
 「うん」
 「じゃあね」
 「く、久保ちゃん」
 「ん?」
 「…なんでもない」
 「うん」
 電話かかってきてもあんまり話さねぇんだけど、バイトに行くと久保ちゃんは必ず電話をかけてくる。だから俺は、それがかかってくるのをいつもじっと待ってんの。
 受話器から聞こえる久保ちゃんの声が好きだから。
 通話が終わった後も受話器を握ってると、
 「幸せそうな顔しちゃってさぁ。なんか焼けるわよねぇ」
 「にやけてるわよ。時任」
って、また桂木と五十嵐が余計なこと言ってきた。
 いちいち人のコト見んなってのっ!
 「顔、赤くなってるし」
 「べ、別に普通じゃんっ」
 く、くっそぉ〜、言われたら逆に顔が熱くなってきたじゃんかっ。
 そんなカンジで俺があわててると、五十嵐が真顔で俺の方をじっと見つめてきた。
 「大切にしなさいよ。久保田君のキモチ」
 「…言われなくってもわぁってるよ。」
 「ならいいけどね」
 「それに、俺だってゆずれねぇよ久保ちゃんのコトは。…誰にも」
 俺がそう言うと五十嵐は微笑んで、ちょっと変わったわねって、俺に向かって言う。
 どこがどう変わったのか自分ではわかんなかったけど、そん時だけ桂木も五十嵐もなんとなく寂しそうに微笑んでたのがすごく印象的だった。

 「ただいま〜」

 昼飯食い終わって三人でだらだらテレビみたり、俺が昼寝とかしてる内に久保ちゃんが帰ってきた。手には買い物袋さげてて、そこには今日の俺らの晩飯が入ってる。
 久保ちゃんがリビングに入ると、それとちょうど入れ替わるようにして、桂木と五十嵐は帰っていった。
 「ただいま、時任」
 「おかえり、久保ちゃん」
 二人が帰ると、久保ちゃんと俺は改めておかえり、ただいまのアイサツをする。
 最近は、言葉だけじゃなくてぎゅっと抱きしめ合うことが多かった。
 今日もそんな風に久保ちゃんの腕にしばらく抱きしめられてから離れると、すぐ近くにある久保ちゃんの顔が目に入る。
 眼鏡かけてるからわかりづらいけど、ずっとずっと眠ってないから目の下クマができてた。
 顔色もなんか悪いし、ちよっと痩せたカンジもする…。
 でも、それでも久保ちゃんはいつもと変わらないふりしてた。
 「久保ちゃん…」
 このままじゃ久保ちゃんが病気になると思った。
 だから俺は思い切って久保ちゃんと話してみようと思って久保ちゃんを呼んだんだけど、その呼びかけに返事が返ってこない。
 不審に思って俺が久保ちゃんを見ると、久保ちゃんが前にのめり込むようにして床に倒れた。
 疲れ果てた久保ちゃんの顔。
 それを見た瞬間、俺は頭ん中が真っ白になった。
 「久保ちゃんっ、久保ちゃん!!!」
 何度呼んでも久保ちゃんは目を覚まさない。
 俺はぐったりとしている久保ちゃんの頭を抱いて、気が狂ったみたいに叫び続けた。
 呼吸が苦しくなって、言葉にならなくても、久保ちゃんの名前だけをずっと…。
 「くぼ、ちゃんっ…目ぇ…、開けろよっ、くぼちゃんっ…!!」
 久保ちゃんをこんなにしたのは、…壊したのは俺。
 心配ばっかさせて、いっつも苦労ばっかかけて、最後には眠りまで奪った。
 俺は心配なんかかけたくなかったし、苦労もさせたくなかった、眠りを奪いたくなんかなかったのに、どうしてこんなことになっちまったんだろ?
 俺の全部が久保ちゃんでいっぱいになったのがいけなかった?
 それとも始めっから、そばにいちゃいけなかったのかな?
 俺は久保ちゃんと会えてうれしかったのに、すごくすごくうれしかったのに、その出会いすら後悔しなきゃなんないの?
 抱きしめたいのも、抱きしめられたいのも、キスしたいのも、キスされたいのも久保ちゃんだけなのに、全部全部久保ちゃんだけなのに…。
 激しくて強すぎる想いがココロを壊してく。
 好きだって、大好きだって、ただ抱きしめていたかっただけなのに、気がついたら自分の腕の中で一番大切なモノが壊れかけてた。…どうして、なんでって、そればかりを繰り返しながら途方にくれて、俺は久保ちゃんが壊れてくのを眺めてるしかねぇの?
 今みたいに、身体の奥から泣き叫びたいような好きじゃなくて、もっとずっと穏やかに優しく好きになれればよかったのかな?

 ごめん久保ちゃん…、俺ももう壊れちまったかもしんない。

 俺が呼んだのか誰が呼んだのかわかんないけど、窓の向こうから救急車の音が聞こえてくる。 俺は救急隊員が到着するまで、ずっとただひたすら久保ちゃんを抱きしめつづけていた。


 
                                             2002.5.4


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