学校に行く途中の風景。
 教室から見たグラウンド。
 いつもダベってる生徒会室。
 帰りにいつもよるコンビニ。
 外から見た夕日の当たるマンション。
 遠くまで景色が良く見えるベランダ。
 セッタの匂いのする部屋。
 俺の記憶の中の風景にはいつも久保ちゃんがいて、そして今もちゃんと目の前に久保ちゃんがいる。
 それがどんなにスゴイことかってことを、俺は改めて感じてた。
 毎日毎日、一緒に寝て起きて、なんでもない会話して。
 笑いあって、時にはケンカして。
 何度も抱きしめ合って、キスとかしたりして…。
 久保ちゃんが優しく微笑んで、俺のコト好きだって言ってくれる。
 これはたぶん…、俺にとって唯一の…、たった一つの奇跡なんじゃないかと思う。
 けど、これは神サマなんてヤツが起こした奇跡じゃなくて、俺と久保ちゃんの起こした奇跡なんだぜ、きっと。
 それってすげぇことだって思わねぇ?
 でもさ、俺はその奇跡ってヤツに感謝したりはしねぇの。
 感謝するヒマあったら、ちゃんと前向いて久保ちゃんの隣に並んで歩いてたいから。
 自然な速度でずっと、ずっと・・・・・。
 だから隣にいるコト、やめさせたりとかしないでくれっとうれしい。
 
 俺のココロ、ちゃんと届いてる?
 …久保ちゃん。



 
 「お医者さんが激しい運動しちゃダメだってゆってたでしょ? 当分、公務はお休みしなさいね?」
 放課後になると、教室の俺の机の前まで来た久保ちゃんがそう言った。
 予想はしてたけど、やっぱそれはどしてもイヤ。
 だってさ。俺は全然へーきだし、なんともないから。
 「イヤだ、絶対行くっ」
 「時任」
 「ぜっってぇ、ヤダっ!」
 これだけは絶対譲れない。
 それを久保ちゃんに伝えたくて、俺はじっと久保ちゃんの目を見る。
 すると久保ちゃんは、大きくため息をついた。
 「おとなしくしてなさいよ?」
 「へーきだっつーのっ!」
 平気だって言うのが、口癖みたいになってきてた。
 まるで自分に言い聞かせるみたいに、そればっか…。
 けど、それを言うたびに久保ちゃんの視線が俺からそらされる。
 いつもとあんま変わんないカンジだけど…つらそうに見えんのは俺の気のせい?
 久保ちゃんに俺のコトでそんな顔なんか、絶対させたくねぇのに…。
 「行くぞ、久保ちゃん」
 俺がそう言うと久保ちゃんが立ち上がる。
 俺はあれからもずっと、久保ちゃんのいうこと全然聞かずに公務に出てた。
 あの日からしばらくは俺らの巡回じゃない時に当たってたけど、今週はまた俺らの当番が回ってきてた。
 「・・・・・はぁ…」
 時々、胸が苦しくなって呼吸がしにくくなる。
 けど、絶対倒れたりなんかしねぇ。
 ただの強がりかもしれねぇけど、それでも俺は自分の足で久保ちゃんに並びたい。
 俺は…、いつも通りの変わらない日々ってヤツをやめたくなかった。

 しばらく久保ちゃんと巡回してると、タバコ吸ってるヤツらを発見した。
 ったく、ガッコで吸うなっての。
 ほんっと、キリねぇよなぁ。
 「前々から納得いかねぇんだよな、それ。久保田は良くてなんで俺らはダメなんだよっ!」
 「うっせぇっ! 久保ちゃんはいんだよっ!!」
 「んだとぉー!!」
 久保ちゃんのことを出すたぁ、いい度胸だぜ。
 なんかムカツクから、ちょっと挑発してやる。
 こういうヤツは凝りねぇから、多少は痛い目みさせてやんねぇとなっ。
 俺様ってほんっっと、親切だよなぁ。
 「なめたこと言いやがってっ!!」
 あ、すっげー単純。
 俺はかかってきたヤツを軽くのしてやろうと思って構えたけど、その前にドンッと身体を何かに弾かれた。
 「…あれ?」
 俺の前にある背中。
 それは久保ちゃんの背中だった。
 「久保ちゃん」
 呼んでも返事がなかったから、久保ちゃんの横に回る。
 そしたら、久保ちゃんがスゴイ力でそいつの手を捻り上げてんのが見えた。
 …なんかハンパじゃねぇよ。
 捻ってる腕がかなりヤバイ感じ。
 このままだと・・・・・。
 「手ぇ放せっ。それ以上やったら、そいつの腕が折れる」
 「腕?」
 そんなの見りゃわかるのに、久保ちゃんはきょとんとしてそう言った。
 奇妙な違和感。
 久保ちゃんだけど、久保ちゃんじゃないみたいなカンジ。
 どうしたんだよ、久保ちゃん?
 そう思ってんのに、なぜか恐くて聞けない。
 俺はやっとの思いで久保ちゃんにそいつから手を放させると、保健室に向かって走り出した。
 骨が折れてるかもってのは思ってたけど、走り出したのはそれが理由じゃなくて…。
 俺を見る久保ちゃんの目がとても冷たかったから…、それから逃げ出したかったのかもしれなかった。
 「時任!!」
 後ろから久保ちゃんが呼んでる。
 けど、俺の足は止まらない。
 胸が苦しくてたまらない・・・・・・。
 その苦しさが病気だからなのか、久保ちゃんのせいなのかわからなかった。
 「時任!」
 けど、久保ちゃんは俺のこと追ってきて、俺の腕をつかんで捕まえた。
 そしてなぜか乱暴に俺の身体を壁に押し付ける。
 なんでそんなことすんのか、全然わかんねぇ。
 背中がガツッと当たって痛かった。
 いつもなら大丈夫?って聞いてくれんのに、何も言ってくれない。
 それどころか、まるで責めるみたいな目で俺のことを見てた。
 「あれほど走るなって言ったのに、なんで走るの?」
 有無を言わせないカンジで久保ちゃんがそう言う。
 俺が走った言い訳を言うと、久保ちゃんの俺を見る目がさらに冷たくなった。
 「けど、何? そんなに俺の言うこと聞きたくない?」
 「く、久保ちゃん、なんか怖い…」
 ・・・・・久保ちゃんがコワイ。
 そう言った瞬間、久保ちゃんが俺の首に両手を伸ばしてきて。
 それから一体何が起こったのか、一瞬わからなかった。
 締め上げられていく首を掴んでいる手は、間違いなく久保ちゃんの手。
 それがわかった時、俺は締め上げられている首よりも、胸の奥の方が何かで刺されたみたいに痛んだ。
 ・・・・・・なんで?
 「く…、くぼちゃん…」
 信じられない気持ちで名前を呼ぶと、久保ちゃんがハッとした顔で俺のコトを見た。
 哀しい色を浮かべた瞳。
 それを俺が見た瞬間、久保ちゃんは俺から手を放して走り出す。
 呼び止めようとしたけど、息が苦しくて小さな声しか出なかった。
 追いかけなきゃ…。
 「どうかしたのっ!?」
 「・・・・・ゴホ…ゴホ…」
 苦しくて、走りたいのに走り出せなくて…、少しだけその場にうずくまってると、そこに偶然五十嵐が通りかかった。
 「大丈夫?」
 「大丈夫に決まってんだろっ」
 俺は五十嵐が伸ばしてきた腕を押しやると、身体に力を入れて背筋を伸ばす。
 すると五十嵐は俺の首を見て眉をひそめた。
 「…一体、何があったの? とりあえず保健室にいらっしゃい。手当てしなきゃいけないし、それに…少し休んだ方がいいわ」
 「行かなきゃなんねぇコトあるから遠慮しとくぜ。患者ならそこの先にいるはずだから、行ってやれよ。俺は平気だからさ」
 俺がそう言うと、五十嵐は少し考えるような顔をした後、
 「まだ久保田君から詳しいこと聞いてないと思うけど、やっぱりアタシは知っておいた方がいいと思うの。自分のこと…」
と、言った。
 たぶん病院から連絡きてたりとかしてんだろうな、俺のコト。
 けど、それを五十嵐の口からは聞きたくない。
 俺がそれを聞きたい相手は、この世に一人しかいねぇから。
 「とにかく、保健室に…」
 「遠慮しとく」
 「やせ我慢なんかせずに、とっとと一緒に来なさい!」
 「うっせぇっ! マジで行かなきゃなんねぇんだから、邪魔すんなっ!」
 「ほんっとにカワイくないわね! 人が心配して言ってやってんだから、おとなしく言うこと聞きなさいよ!」
 「俺は久保ちゃんのトコ行かなきゃなんねぇの!」
 「久保田君?」
 「…俺、久保ちゃんにあやまんなきゃなんねぇんだ」
 久保ちゃんにコワイって言った。
 信じられない自分の言葉。
 なんであんなコト言っちゃったんだろ…。
 冷たくてもなんでも久保ちゃんは久保ちゃんなんだから、恐がる必要も逃げる必要もどこにもあるばすねぇじゃん。
 それに久保ちゃんがそうしたいって思ってんなら、あのまま殺されちゃっても後悔なんてしない…、だから逃げたり、恐がったりしなくていい。
 「んじゃあ、俺行くわ」
 「待ちなさい!」
 五十嵐が呼び止めたけど、立ち止まるわけにはいかねぇの。
 外は雨降ってっから、きっと久保ちゃんは濡れちゃってる。
 だから迎えに行かなきゃ。

 ココロが凍えてしまう前に・・・・・。
 
 

 
 
 降りしきる雨。
 まるで叩きつけるように落ちてくる雨粒が、カサの上で跳ねるたびに音を立ててる。
 俺は雨に煙った街並みを歩いて、俺と久保ちゃんが住んでるマンションに向かってた。
 どこに行ったかなんてわかんなかったけど、なぜかここにいるような予感だけはちゃんとしてる。
 それは、マンションの近くにある公園だった。
 あまり行くことないけど、たまに二人で散歩とかする場所で、普段は近所の子供とかが遊んでたりする。けど、今日は雨が降っているから誰もいなかった。
 「久保ちゃん」
 小さく名前を呼んで公園内を見回すと、ブランコの所に誰かが座ってんのが見える。
 その誰かは、身動きせずにじっと俯いてブランコに座ってた。
 見ていて痛くなるようなその姿を見つけた瞬間、俺はぎゅっとカサの柄を握り締める。
 それは間違いなく久保ちゃんだった。
 「久保ちゃん…」
 そばに行って名前呼んでも、久保ちゃんは表情の無い顔でじっと地面を見つめたまま俺の方を見ようともしない。
 全身がぐっしょり濡れてて、髪から雫がまるで涙のようにしたたってた。
 
 一体、どれくらいこうしてた?
 こんな雨の中、一人っきりで・・・・・。
 
 俺は久保ちゃんの前にしゃがみ込むと、久保ちゃんの頬に手を伸ばした。
 ・・・・・冷たい。
 久保ちゃんの顔は紙のように白かった。
 「一緒に帰ろ」
 俺がそう言って頬に触れると、久保ちゃんの肩がピクッと揺れる。
 それから今始めて気づいたみたいに、久保ちゃんの視線が俺のことを捕らえた。
 「…風邪引くから早く帰りなよ」
 そう言うと久保ちゃんは再び視線を地面へと戻す。
 まるで俺の顔なんて見たくないみたいに・・・・。
 俺はカサを脇に置くと、両手で久保ちゃんの頬を包んで顔を自分の方に向けさせた。
 「目ぇそらさないで俺を見ろよ、久保ちゃん」
 「・・・・」
 「なんで俺のコト見てくんないの? もしかして嫌いになった?」
 「そうじゃないよ、時任」
 「だったらなんで?」
 「見たら、また首をしめるかもしれない。そしたらたぷん、俺は今度こそお前のこと殺すだろうから…」
 そう言った久保ちゃんの手は小さく震えてた。
 それはたぷん、寒いから震えてんじゃない。
 俺はゆっくり顔を近づけると、久保ちゃんの冷たい唇に自分の唇を押し当てた。
 まるで涙みたいな雨にキスするみたいに…。
 そして少しの間そうした後に唇を離すと、俺は久保ちゃんの両手を持って、それを自分の首に押し当てた。
 「俺のこと殺していい」
 「・・・・・・」
 「けど、殺す前に俺のコト見て。目ぇそらさないで真っ直ぐ、俺のコトだけ…。そしたらさ、もういいから、もうなんにもいらないから…」
 「時任」
 久保ちゃんがゆっくりと顔を上げて俺を見る。
 じっと何かに耐えているみたいな久保ちゃんの瞳は、優しくて哀しかった。
 俺はじっと久保ちゃんの目を見つめて、
 「…こないだ検査行ったよな? その結果どうだった?」
と、聞く。
 たぶんこれが一番の原因。
 久保ちゃんの隣にいたいからって、何も知らないフリして久保ちゃん一人に背負わせてしまったモノ。
 それは、俺の身に起こってる現実だった。
 「久保ちゃん」
 じっと俺が顔を覗き込むと、久保ちゃんは片手で自分の顔を押さえた。
 「身体の中のほとんどの臓器が原因不明の病気で弱ってきてる。…今、飲んでる薬も注射も、ただの気休め程度で効果なんかない。病状が進行したら、まず最初に心臓が耐え切れなくなって止まる…」
 「原因不明?」
 「そう、不明。細胞の生成がうまくいってないって…」
 「直らないの?」
 「遺伝子レベルの問題らしいから」
 「そっか…」
 「うん」
 ある程度予想してたから、驚いたりしない。
 死ぬかもしれない現実より、目の前で雨にぬれちゃってる久保ちゃんの方が俺のココロを捕らえてる。
 俺のコトで苦しんでる久保ちゃんの姿が、俺のコトも苦しくさせた。
 俺は慟哭するみたいに降り注いでる雨の中、思いきり久保ちゃんを抱きしめる。
 すると久保ちゃんの腕が、同じように俺のコト抱きしめてくれた。
 「久保ちゃん…」
 胸の奥が焼きつくような想いと、泣き叫びたいような切なさが涙になって頬を伝ってく。
 色んな想いがいっぱい胸ん中につまってて、うまく喋れなかった。
 もう、何も見えないし何も聞こえない。
 久保ちゃんの暖かいぬくもりだけが、俺の現実だった。
 「時任…」
 冷たい唇が、俺の唇に降りてくる。
 まるで言葉にならない気持ちを伝えようとするみたいに、俺達は深く深くキスをした。

 ・・・・久保ちゃん。
 先のことなんてわかんないけど、俺はちゃんと今生きてんだよ?
 めいいっぱい今を生きてんの。
 だからさ、あきらめとかそんなんじゃないってわかってくれる?
 ただ生きるんじゃなくて、久保ちゃんと一緒に生きたいから…。
 最後まで隣を歩き続けてたい。

 ココロとか想いとか…ありったけの全部で好きだよ、久保ちゃん。

 
                                             2002.4.27


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