朝が来ると一日が始まる。 それが待ち遠しいとか、待ち遠しくないとか、それはたぶん人それぞれなんだと思うけど、静かに寝息立てて寝ている暖かなぬくもりを感じられなくなる日が、それが当たり前でなくなる日がくるかもしれないことを知ってから、俺はその境界を意識するようになった。 もし、一人で境界を越えてしまったら、きっともう腕を伸ばしても届かない。 いつも一緒に眠っていたワケじゃなかったけど、それを知った日から、俺は時任を毎日抱きしめて眠るようになった。 まるでその存在を身体中で確かめるみたいに。 けど本当は医者が言った言葉も、時任が病気だっていう認識も曖昧で、足元が地に着かないみたいな変な感じにひたすら捕らわれ続けていた。 いつもと変わらない時任を見るたびに、俺の中にある何かが軋んでいく。 普通なら、そういう姿見たら安心するもんなのにね…。 「…俺、まだ眠くねぇのに」 「まあまあ、いいじゃないの。あきらめて一緒に寝よ」 「なにがいんだよ、ゲーム途中だったんだぞっ」 時任は今、新しく出たゲームに夢中になってる。 ホント好きだよね、ゲーム。 まぁ、俺も好きなのは好きなんだけど、時任の好きとはちょっと違ってる気がする。 夢中になって、それ以外のことが目に入らなくなるコト。 それがたぶん時任の好き。 俺は時任の基準でいくと、ゲームなんか少しも好きじゃないのかもしれない。 もし、今ゲーム機が壊れたとしても、俺はあぁ壊れちゃった、くらいにしか思わないだろうし。 でも、そんな俺と違って時任はすごくガッカリするか、めちゃくちゃ怒るかするだろうけどね。 「やっぱ続きやりてぇよ」 「明日したらいいデショ?」 「そーいう問題じゃねぇの」 「俺と寝るのイヤ?」 「・・・・・・そんなんじゃねぇけど」 時任は不服そうな顔してた。 けど、俺は強引にゲームを中断させてベッドへと連れて行く。 二人で布団に入ると、シングルペッドがキシッと音を立てた。 「おやすみ、時任」 俺がそう言って目を閉じようとすると、時任が上半身を起こして俺の胸の上に頭を乗せる。 なんとなく甘えているような仕草だった。 「なぁ、久保ちゃん」 「ん〜?」 「…やっぱ、なんでもない」 「うん」 時任が何を言いたいのかわかってたけど何も言わなかった。 やっぱ気づいて当たり前だよね。 あの日から、俺は一回も時任を抱いてないんだから…。 身体に負担かけさせたくないってのはあったけど、それだけじゃない。 けど、時任を抱かないのは飽きたとかそんなのじゃなくて…そんなのじゃないけど理由はなぜか全然わからなかった。 「おやすみ、久保ちゃん」 時任はそう言うと、俺の胸から頭をよけて布団の上で丸くなった。 ホント、中身だけじゃなくて仕草も猫っぽいよね。 時任が目を閉じてから、俺も同じように目を閉じて寝たフリをする。 それが最近の習慣…。 なんだかんだ言っても眠ってしまう時任が静かな寝息を立て始めると、俺は時任の手首を取ってそこを指で持つ。そして、トクントクンと振動する脈を計った。 イチ…、ニイ…、サン…、シ…。 昨日より、わずかに脈が遅い気がする。 時計の音と時任の心臓の音が、奇妙にずれた間隔で時を刻んでいた。 時計の針を見ると、すでに十二時は越えている。 けれどやっぱり今日も、俺はまだ眠れない。 こんなに近くに時任がいても…。 俺はあの日から、眠る時間が少なくなってきていた。 時計の針と時任の心音を聞いているせいかもしれないと思ってはいたけど、どうしてもそれをやめることができない。 「時任」 小さな声で名前を呼んで小さく額にキスすると、時任がうるさそうにちよっと眉をしかめた。 一回寝たらなかなか起きないよなぁ、ホント。 地震とか来たら、そのまま下敷きになっちゃうかもよ? 思考が浮かんでは消え、浮かんでは消えするのを繰り返している内に、外からスズメの声が聞こえてきた。どうやら夜が明けたらしい。 腕の中で眠ってる時任の口元に軽く手をかざすと、そこに当たる生暖かい息がちょっとくすぐったかった…。 激しい運動はあれだけダメだってゆってるのに、時任は全然いうこと聞いてくれない。 執行部も当分は休みにしろって言っても、 「ぜってぇヤダっ!!」 て、怒鳴ってばっか。 俺は時任じゃないから、時任が今どんくらい苦しいのかわからないけど、やっぱ平気ってワケじゃないのは見ていてわかる。その証拠に時々荒くなる息を収めようとして、胸を押さえていることがあった。 今までどんくらいガマンしてたの? 時任。 俺にすら気づかせないで…。 気づいていなかった事実が、重く痛く俺にのしかかっていた。 「行くぞ、久保ちゃん」 そんな俺の気持ちも知らずに、いつもみたいに時任が俺を呼ぶ。 巡回に行くために…。 なんで時任は、こんなに苦しい思いしてまで執行部に固執してるんだろう? ただの正義感とか義務感なんて、そんなのは時任に似合わない。 楽しいからって、それだけじゃあないでしょ? だったら、その理由は何? 何が時任をそうさせてんのか、いくら考えても俺にはわからなかった。 「あっ、なんか発見!」 何もないことを密かに祈ってたりしてたのに、時任がそう声を上げる。 時任はタバコとかケンカとか、そういう現場見つけんのうまいんだよね。 …何もこんな時まで見つけることないのに。 「もたもたすんなよ、久保ちゃん」 「…はいはい」 見つけたのは、タバコ吸ってる不良の皆サマだった。 ホント、時任に見つかるような場所で吸うなんてね。 かなり迷惑なんですケド。 「てめぇらっ、俺の見てる前で吸うとはいい度胸だっ!」 「ゲッ、時任!」 「マジかっ!!」 そうそう、アンタらがかなう相手じゃないんだから、とっとと逃げちゃってよ。 それがお互いのためってもんだよね。 「くっそぉ〜、いつもチョロチョロ出てきやがって!!」 「学校なんかで吸ってんのがわりぃんだよっ!」 「前々から納得いかねぇんだよな、それ。久保田は良くて、なんで俺らはダメなんだよっ!」 「うっせぇっ! 久保ちゃんはいんだよっ!!」 「んだとぉー!!」 俺のコト出すなんてかわいくないね。 もしかして、時任に殴りかかる気だったりする? 「来るなら来いよ。てめぇらなんかが、俺様に勝てるわけねぇからなぁ」 「なめたこと言いやがってっ!!」 時任があおったりしたから、タバコ吸ってた一人が時任に殴りかかってきた。 激しい運動はダメだって言ったのに、時任は応戦の構えを取ってる。 ・・・・・ホント、無茶ぱっかするよね。 「ぐおっっ!! がぁっ!!」 俺は強引に時任を押しのけると、向かってきたヤツの腕をねじり上げた。 なんか唸っちゃってるなぁ。 痛いよねぇ、やっぱ。 「く、久保ちゃんっ…」 なんだろう? 時任が焦ったみたいなカンジで俺の腕つかんでる。 別に具合が悪いとか、そおいうのじゃなさそうだけど? 「手ぇ放せっ。それ以上やったら、そいつの腕が折れる」 「腕?」 時任に言われて俺はねじりあげてる腕を見た。 …確かにかなりやっちゃってるかな。 「久保ちゃんっ!」 「自業自得でしょ?」 「やりすぎだっつってんだろっ!」 「そう?」 やりすぎって言われても、なんだかピンと来なかった。 別にいいじゃない、腕なんか折れちゃっても。 そんな風に思ってること自体、何かおかしいのかもしれなかったけど、その時の俺はそれがわからなかった。 ただ、殴りかかってきたからそれを防いだだけという認識しかない。 「放せっ!」 あんまり時任が必死に言うから、俺はそいつから手を離した。 するとそいつは、腕を押さえて床に転がる。 「うぅ…」 手を放しても、相変わらずうめいていた。 「…俺、五十嵐呼んでくる」 時任はなぜか少し青い顔をしてそう言うと、保健室に向かって走り出した。 あんなに走るなって言ったのになんで走るんだろう…。 走る時任の姿を見た瞬間、良く分からないドス黒い感情が俺の中でジワジワと染み出してくるのを感じた。 痛みと息苦しさ。 その二つに突き動かされるように、俺は時任を追って走り出した。 「時任!!」 大声で叫んでも時任は立ち止まらない。 俺は全力疾走して、やっと時任の腕を捕まえた。 「・・・・・っ」 息が苦しいらしく、時任は屈み込むようにして肩を揺らせている。 俺は肩をつかむと、時任をすぐ横の壁に乱暴に押さえつけた。 「いたっ」 壁に背中をぶつけて、時任が小さく声を上げる。 けど俺はそれにかまわず、じっと正面から時任を見つめた。 「あれほど走るなってゆったのに、なんで走るの?」 「…なんか骨折れてそうな気ぃしたから」 「ふーん。そんなに心配なんだ?」 「そうじゃねぇけど…」 「けど、何? そんなに俺の言うこと聞きたくない?」 「く、久保ちゃん、なんか怖い…」 時任が俺を見て怯えてる。 それがなんとなくカンに触って仕方がなかった。 ・・・・・この時、俺は時任を本気で憎いと思ったのかもしれない。 俺はいつの間にか時任の首をしめていた。 細い首だから、俺の手で十分に指が届く。 「く…、くぼちゃん…」 その声にハッと我に返って手を離すと、時任の首には俺の指の跡がくっきりとついていた。 自分のしたことが信じられなかったけど、赤くなった時任の首を見た瞬間、これが夢ではないことを知る。 俺が時任を殺そうとした痕跡。 「ゴホ…ゴホ…」 苦しそうに咳き込む時任を置いて、俺は走り出した。 頭の中が真っ白でなにもかも良くわからない。 「…久保ちゃん!」 俺を呼ぶ時任の声が聞こえたけど、振り返ったりはしなかった。 時任の顔を見るのが恐かったから…。 ザァァァという音が校舎の外から響いてくる。 外に出ると、ちょうどあの日みたいに雨が降っていた。 冷たい雨が髪を肩を濡らしていたけど、そんなことはどうでもいい。 どうでもいいから、これが夢であってほしかった。 けれど、俺を見て怯えている時任の顔が脳裏に浮かぶ。 手も身体もなぜかガタガタと震え出していた。 愛しすぎて、恋しすぎて…、俺を置いて逝くことが許せない。 俺は、俺の目の前で平気で命を縮めていく時任のことが、どうしても許せなかった。 だから、どうせならいっそのこと…、自分の手で殺したかったのかもしれない…。 空を仰ぐと、雨が顔を濡らしていく。 冷たい冷たい雨。 俺は空から視線を戻すと、降りしきる雨の中をあてもなく歩き始めた。 |
2002.4.26 前 へ 次 へ |