変わらない風景、変わらない日常。
 変わらない日々、変わらない時間が過ぎていく。
 そんな毎日が続くとか続かないとか、そんなことを俺は考えたことない。
 明日が今日になってもならなくても、あまり気にとめる必要がなかったからだ。
 そう、そんなものを気にしなくてもやがて終わりはやってくる。
 それはあまりに当たり前のコト。
 だから俺は、それを十分にわかってるつもりでいた。
 わかっているというよりも、どうでも良かったのかもしれない。
 …だから俺は…。

 少しでも多く明日が今日になればいいと、願う日が来ようとは思ってもいなかった。




 その日は朝から雨が降っていて、窓を閉めているのに、校内はどこもジメジメとした感触がしていた。窓から外を見ると、雨に煙るグラウンドに人影はない。
 さすがにこの雨で部活をするクラブはないだろう。
 俺は誰もいないグラウンドを見ながら、ポケットからセッタを取り出して火をつけて、煙を肺の奥まで深く吸い込んだ。セッタは少し湿気ていていつもよりちょっとニガイ、空気もなんだか生ぬるくてわずかに不快を感じる。
 こんな日はだるくて何もする気が起きないけど、こういう日に限って俺と時任は校内巡回に行かなくてはならなかった。
 「行くぜ、久保ちゃん!」
 「はいよ」
 雨が降ってても、時任は相変わらず元気いっぱいだった。
 始めはなんであんなに元気なのかって思ってたけど、それはたぶん、時任がなんにでも一生懸命だからなんだって、今ならわかる。
 面白いくらいに感情が顔に出るのも、一生懸命な証拠なのかもしれない。
 泣いて、笑って、怒ってさ。
 ホント、ころころ変わって面白いんだよね。
 そんな風に激しく変化する顔を眺めていると、自然と自分の口元が緩んでいるのに気づく。
 らしくないなぁとか思いつつ、俺はいつも苦笑する。
 こんなにも、時任の一挙一動に動かされてる自分ことが可笑しくて。
 けれど、それは少しも不快なことじゃない。
 「あ〜あ、何やってんのかなぁ? もしかしてカツアゲとかしようとしてない?」
 「そーだねぇ。愛の告白してるようには見えないなぁ」
 「見えるわきゃねぇだろっ。行くぞっ!」
 「はいはい」
 裏庭で下級生から金取ろうとしてる輩を発見。
 時任はニッと笑ってそいつらに近づく。
 イキイキした顔しちゃって、ホント楽しそう。
 「こぉんな目立つトコでやるなんて、いい度胸じゃねぇか」
 「せめてもうちょっと、目立たない場所でしないとねぇ」
 「ゲッ、し、執行部っ!!」
 「ま、マジかよっ!!」
 う〜ん、時任と俺がコンビ組んでから、たいがいのヤツらが俺らの顔見ただけで逃げ腰なんだよねぇ。まぁ、あんな顔の時任見ちゃったらムリないかも…。
 「毎度おなじみ生徒会執行部、ビューティー時任と」
 「ラブリー久保田でぇす」
 「くっそぉっ!」
 逃げちゃいそうな気がしたけど、なんだか一人だけヤケクソになっちゃったみたいだねぇ。
 腰引けちゃってるから、攻撃にも威力なし。
 俺の出番はナシだなぁ。
 俺はそう思いながら、ふかしてたセッタの灰を携帯用灰皿にポンッと落とす。
 けれど次の瞬間、俺の手から灰じゃなくて、セッタと灰皿が地面にすべり落ちた。
 「・・・・・!」
 視界にうつっている光景はなぜかスローモーションで、それがなぜなのかということも、俺は考えたり思ったりはしなかった。
 ただ、殴りかかってきた相手の拳が到達する前であるにも関わらず、後ろへと倒れていく時任の身体を支えることだけしか頭になかった。
 いや、実は頭の中にも何もなかったのかもしれない。
 俺はなんとか時任の身体を抱きとめると、殴りかかってきたヤツの腹に思い切り蹴りを入れた。
 そいつがカツアゲしようと、なにしようとそんなのはどうでもいい。
 俺らに関係ないならね。
 「ぐっ…!!!」
 なんか苦しんでるみたいだけど、それもやっぱどうでもいい。
 俺は時任の身体を抱き上げると、急いで保健室に向かった。
 ・・・・・・・かなり顔色が悪い。
 さっきまで元気だっただけに、なんだか信じられない気持ち。
 けど、俺の腕の中で時任がぐったりしちゃってるのは、紛れもない現実だった。
 俺が時任抱えて保健室に行くと、入ってきた俺達の姿を見た瞬間、そこにいた五十嵐先生の顔が驚いたような表情に変わった。
 「ど、どうしたの!?」
 「いきなり倒れたんです。すぐ抱きとめたから、外傷はありません」
 「とにかく、ベッドに寝かせて!」
 俺が時任をベッドに寝かせると、五十嵐先生は時任の顔色を見て額に手を置いた。それから、時任の腕を取って脈を計り、目を手で開かせて眼球を覗き込む。
 「…どうなんです?」
 俺はそう聞いたけど、それは五十嵐先生には聞こえなかったみたいで、先生は自分の机に駆け寄るとそこに置かれている電話の受話器を取った。
 そして押された番号は、119番。
 …救急車。
 五十嵐先生?
 俺はなんだかぼーっとして、焦ったような顔で時任の顔を眺める五十嵐先生を見ていた。
 「…体温が低すぎるし、脈も遅いの。私にも理由はわからないんだけど、早く医者に見せた方がいいわ」
 俺に言ったのか、それとも独り事なのかわからないような口調で五十嵐先生がそう言う。
 俺はベットで寝ている時任の額に髪が乱れかかっていたので、それを指で払った。
 その指から伝わってくる時任の体温は、確かにいつもより低い感じがする。
 「時任…」
 目を開けてほしくて名前を呼んだんだけど、時任は目を開かなかった。
 もしかして、聞こえてないの?
 俺の声…。
 頭を撫でながら、もう一度時任の名前を呼ぼうとしたが、その声はやってきた救急車のサイレンに消されてしまった。
 そのサイレンはちっとも止んでくれなくて、俺の声は時任に届かない。
 どうしようかと俺が思っていると救急隊員がやってきて、時任を白い担架に乗せる。
 時任を病院に連れて行かなくちゃならないのはわかってるけど、あの担架に時任が乗せられて連れて行かれるのが俺はなんとなくイヤだった。 
 「一緒に救急車で病院に行きましょう」
 五十嵐先生の戸惑ったような声が聞こえる。
 思わず担架に手をかけて、運ばれるのを阻んだ俺の手が握りすぎて白くなってた。
 五十嵐先生の声でそのことに気づいた俺がゆっくりと担架から手を離すと、時任を乗せた担架が保健室から運び出されていく。
 俺はその後をあわてて追った…。





 まだ雨が止まない空は、雲に厚く覆われて灰色だった。
 長い廊下、薬臭い部屋。
 ピッ、ピッ、という心電図の電子音とそれに呼応するかのように、ポタポタと点滴の雫がプラスチックの容器の中で波紋をつくっていた。
 診察が終わったけど、まだ時任は目を覚まさない。
 俺は時任の心臓の辺りに手を置いた。
 トクン、トクンとわずかな振動が手のひらから伝わってくる。
 医者は今の所は大丈夫だと言っていた。
 今のところは・・・・。
 その言葉の意味するところがなんなのか、俺は知ってる。
 聞きたくなかったけど、聞かなきゃならなかった。
 時任の家族らしいのって俺しかいないから…。
 『心機能の低下が倒れた主な理由ですが、それだけではなく、身体中のすべての機能の低下が見られます。検査結果から原因を解析中なのですが…、こんなケースは初めてで』
 真面目な顔をした白い白衣を着た医者が、俺に向かってはっきりした口調でそう言った。
 どうしてだか知らないけど、時任は珍しい病気らしい。
 『病名はなんですか?』
 そう俺が尋ねると、医者は額から汗をぬぐった。
 『今の所は病名はつけられません。投薬を続けて様子を見て、それから治療法を考えます』
 『つまり、原因不明ってことですね?』
 『…今の所はそうです』
 ようするに、わからないと言うことなのだろう。
 医者の最後の返事は歯切れが悪かった。
 『で、このままだと時任はどうなるんです?』
 『この病気に進行性があるものかどうかはまだわかりませんが、進行する病気だとすると、著しく機能が低下した場合、血液が循環しなくなって身体に酸素が行き渡らなくなります』
 『つまり、死ぬんですか?』
 『…希望を捨てないでください。まだ進行すると決まったわけじゃないんですから』
 そこから先はあまり耳に入ってこなかった。
 ・・・・・・・・俺にはなんとなく現実味のない話だったから。
 『大丈夫ですか?』
 『・・・平気です』
 『そういえば、あの子の親御さんは?』
 『そういうのはいません、俺も時任も』
 『…そうですか』
 『ハイ』
 『悲観的にならずに、あの子のこと励ましてやってください。生きようと頑張ることが一番必要なんですから』
 『ハイ』
 俺は悲観的になってるんだろうか?
 自分がどういう顔をしてるのかさえもわからない。
 ただ早く時任のところに行かなきゃって、そればかり考えてた。
 一刻も早く時任の顔を見たかったから…。

 「お前、死ぬの?」
 眠り続ける時任にそう言ったけど、自分の声が自分の声じゃないみたいに遠くに聞こえる。
 耳がおかしくなったのかなぁ?
 ちょっと自分の耳を押さえてみていると、小さなうめき声がした。
 「う…うん…」
 聞きなれた時任の声。
 俺は時任の頬に両手を伸ばしてそれを包み込んだ。
 「時任」
 名前を呼んで見ると、ゆっくりと時任の目蓋が開く。
 時任は俺がいることに気づくと、ふわっと微笑んだ。
 「久保ちゃん、俺のコト呼んでただろ?」
 「呼んでたよ」
 「あんまうるせぇから目ぇ覚めた」
 「そう?」
 「うん、そおなの」
 何がおかしいのか、そう言いながら時任が声を立てて笑う
 さっきより顔色も良くなってきていた。
 「ココ病院だろ?」
 「そお、病院」
 「ふーん、そっかぁ…。で、あいつらどうなった?」
 「さあ、一人は蹴り入れたけど」
 「まぁ、たいしたことねぇヤツらだったし、俺じゃなくても余裕ってヤツだな」
 「倒れたヒトが何言ってんだろうねぇ」
 「ちょっち目眩しただけだろっ。もう平気だっつーのっ!」
 楽しそうに笑っている時任を見て、俺はココロの中でホッと胸を撫でおろした。
 時任につられて笑いながら、俺は医者の言葉を思い出す。
 どっちが現実なんだろう?
 今、俺の目の前で笑ってる時任はいつもと同じ時任で、心機能がどうとかそんなことは一切感じられない。時任は元気そうに見える。
 「早く家に帰ろうぜ、久保ちゃん」
 「…うん」
 二、三日入院するようにと言われていたが、時任がどうしても帰りたいと言うので、激しい運動を絶対しないと医者と約束して俺と時任は病院を出た。
 俺の手には薬の入った白い袋。
 ポケットには診察券と次の検査の予約券が入ってる。
 いつの間にか雨は上がっていたが、未だどこまでも雲が空を覆いつくていたから、辺りはやはり薄暗いまま…。
 時任は雨が上がったと喜んでいたけど、俺は湿気を含んだ風が頬を撫でていくのが気持ち悪くて仕方なかった。
 
                                             2002.4.18


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