・・・・・・もしも。
もしも、あの日、雨が降らなかったら…と考えたコトは何度もある。
何度も何度も雨が降るたびに、あの道を通るたびに考え、想像しようとして…、
けれど、なぜか…、いつも失敗するんだ。
その可能性はあったはずなのに、いくら考えても脳裏に浮かばない。
あの日、雨が降らなかった光景と、それに繋がり続く明日が想像できない。
なのに、突然、踏みしめていたはずの地面が、見ていたはずの世界が消えてしまったような喪失感が襲ってきて…、
俺はあの雨の日に連なる今に、君にすがりつく。
そして、この世界で唯一、鮮明で確かな君に哀願するんだ。
他には何も望まないから、たった一つだけ…、
どうか…、お願いと…。
俺が君を見つけたのは、暑い夏の日。
何もかもを焼き尽くそうとするかのように照り付けていた日差しが、突如として黒い雲に覆われた午後のコト。
焼けたアスファルトに点々と、大粒の雨が模様を描くのを見た俺は、持っていた白いスーパーのビニール袋を見た後、すぐ近くにあった店に向かって歩き出す。ただ雨宿りをするために…、それだけのために店に向かった…。
ザァアァァァ・・・・・・・・・・。
キィ…と軋む古びたドアを開け、店内に入ると同時に大きな雨音が耳を叩く。
その音に反射的に振り返り、ガラス張りのドア越しに外を見ると、激しい滝のような雨が降り出していた。
雨の中を歩くのは嫌いではないが、さすがにこんな雨の中を歩きたいとは思わない。店内に入る間際、少しだけ頭や肩を濡らした雨粒を軽く右手で払うと、久保田は思わぬ足止めに小さく息を吐いた。
今はバイトの帰り道で特に急ぐ理由もないが、着ている白いシャツも黒いズボンも雨のせいで湿気を帯びてしまったし、未だ昼食を食べていないため腹が空いている。
この辺りにはファミレスも喫茶店もコンビニもないし、入った店にも食べられるようなものは何もなく、骨董品の類が並べられているだけだった。
「・・・・・・東湖畔、か」
店の前の道は、いつもバイトに向かう時に通る道。
だが、骨董品に興味がないため、今まで店の名前までは知らなかった。
入り口のドアのガラスに書かれた東湖畔という店の名は、決して下手という訳ではないが、手書きなのか右上がりで歪んで見える。それを軽く右手の人差し指で撫でると、久保田は雨が止むまでの時間を潰すために店内を見回した。
しかし、店内には客どころか店員すら見当たらず、雨宿りしたい身としては好都合だが、あまりにも無用心である。防犯カメラでも設置されているのかと思ったが、天井、目立たない骨董の影と…、見回してみた限りではそんな様子もなかった。
久保田は近くにあったあんぐりと大きく口を開けたカエルの灰皿に向かって、雨、止まないねと声をかける。そして、止むどころか酷くなっている気さえする雨音を聞きながら、ゆっくりとした歩調で店内を歩き始めた。
買うつもりはないが、他に雨宿りできる場所は無いし、暇つぶしにはなるだろう。
そう思い改めて眺めた店内には国内だけではなく、海外のものも多く並べられていたが、その並べ方には種類によって分けるなどの規則性が無い。さっきまで見ていたカエルの灰皿は何個もあったが、まとめられずにあちこちに点在していた。
しかし、それでも雑然として見えないのは、ここの店主のセンスの良さなのか、それとも久保田の感覚がおかしいだけなのか…。そのいずれにせよ、買う気の無い客とっては、どうでも良い事だった。
「食べられるなら、話はベツだけどね」
カサカサと鳴る白いビニール袋の中には、役立たずなカップ麺。
せめて、パンでも買って置けば良かったと思っても、後の祭り。
ちょん…と指先で小突いたのは黒い猫だが、置物なので鳴きはしない。
雨音だけが響く薄暗い店内は、とても静かだった。
雨が激しすぎるせいか道を通る車もほとんどなく…、怖いくらい静かだった。
でも、この静けさは久保田の住むアパートの部屋と似ていた。
二階の一番端の角部屋で、隣は空き部屋…。
窓を閉めてしまえば、かすかに届く音はあるが、基本、自分の立てる音くらいしか聞こえない。けれど、自分以外の人間の居る家で暮らしていた時の習慣で、その音さえも常に最小限でひそやかだった。
ドアと同じように軋むはずの古い床も、最小限の音を立てる。
だが、最小限だったはずの音が、視界にあるものを捕らえた瞬間、ギシリと大きく店内に響いた。
そして、それと同時にかけられた黒縁眼鏡の奥の細い目が大きく見開かれ…、自分を見つめる釣り目がちの黒い瞳を見つめ返す。すると、見つめ返した瞳も、何かに驚いたかのように大きく見開かれた。
「・・・・・・まさか、ね」
そう小さく呟き、久保田が手を伸ばすと相手も手を伸ばしてくる。
ゆっくりと…、ゆっくりと何を確かめるように…。
けれど、その手はお互いに触れることなく、冷たく硬い感触によって阻まれた。
窓でもドアでもなく・・・・、鏡が二人の間にある。古びた木枠に入った全身が映る大きさの四角い鏡が、触れかけた指先を拒んだ。
何の冗談かと鏡の後ろを見れば、そこには仕掛けも何もなく…、
鏡は薄く平たく、人が入れる厚さも大きさもない。
なのに、彼はそこに居た…。
・・・・・・鏡の中に。
店内ではなく、どこかの部屋を映した鏡の中…、
彼は自分を見つめる久保田をじっと見つめ…、そして笑った。
泣き笑いのような笑顔でうれしそうに…、哀しそうに…、
鏡の中にいる彼を見つけた久保田を…、たった一人だけを…、
・・・・・・見つめていた。
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