「なに、止まってんだよっ。マジで早く行かねぇと…っ」

 立ち止まった俺の耳に、時任の声が響いてくる。
 だが、俺はその声に答える事ができない。
 いや…、答える事ができないのではなく、何と答えていいのかわからなかった。それは立ち止まっている明確な理由を、俺自身がわからないせいだ…。
 なのに、思考が停止したまま動かない。
 さっきから頭の中に浮かぶのは、戸惑いの言葉ばかりで…、
 ふと無意識に視線を横に向けると、橘ではなく時任が立っていた。
 それは当たり前の事なのだが…、なぜか少し驚く。
 すると、眉間にシワを寄せた時任が顔をのぞき込んできた。
 「やっぱ…、俺だとわかってるコトあっても言いたくねぇのか?」
 「ち、違う…、そうじゃない」
 「なら、なんで何も言わねぇんだ。止まってる理由とか後悔するかもってワケとか、ちゃんと言わなきゃわかんねぇだろ?」
 「それはわかってる…が、どう言えばいいのかわからない」
 「わかんねぇって…」
 「なぁ、時任…。 俺はなぜ立ち止まってるんだ?」
 俺が自分でもわからない疑問を口にすると、時任は俺の額に手を当てる。そして、熱はないみたいだなと呟いて、ゆっくりとその手を離すと、俺を置いて橘と誠人を追って歩き出した。

 「いくら立ち止まったって、俺は後悔するとか言ってるヤツの手なんか引いてやんねぇぞ。歩きたきゃ自分で歩け、止まりたきゃ自分の意思で止まってろっ」

 歩き出した時任の言い残した言葉が、立ち止まった俺の耳を打つ。その言葉にハッとして顔を上げた俺は、その時まで自分がうつむいてしまっていた事すら気づいていなかった。
 足が思考が止まったばかりではなく、本当になんていう有様だ。
 情け無いにもほどがある…っ。
 そう自分を叱咤しても、思考も気分も良くならない。
 さっきまで時任と話して楽しい気分だったのが、ウソのようだ。
 
 「何をやっているんだ…、俺は…」

 そんな風に呟いてみた所で、何も解決しない。
 だが、時任の言葉のおかげで、頭の中に浮かんでいた戸惑いの言葉が消えていくのを感じた。なるほど…、あの誠人が惚れただけの事はある…。
 時任は俺の手を引いて映画館を出たが、それは俺がそれを望んでいたからだ。しかし、今は戸惑い迷い、後悔し始めたから手を引かない。
 見捨てたり置き去りにしたのではなく、俺の意思を尊重している。だから、もしも俺が自分で考え、自分の意思で望むなら、また手を伸ばしてくれるだろう。
 まったく…、あの真っ直ぐな瞳のままに真っ直ぐで強いな。こんなに真っ直ぐで強い瞳に見つめられ続け、それに耐えられるのはお前くらいだ、誠人。
 俺にはお前達のような強さはない…、だが…、

 このまま立ち止まって、俯いているのは性に合わない。
 
 だから、そうだ…、俺は考えなければならない。
 自分の意思で考えて行動しなければ、ここまで来た意味がない。
 わからないなどと言って、立ち止まるのは泣き言だ。
 後悔するなどと言って、俯くのは逃避だ。
 
 ・・・・・・・・・そうだろう?橘。

 ここには居ない橘に、そう俺は語りかける。
 すると、回らなかった思考が正常に回り始めた。
 今、橘はここには居ないが、俺は確かに橘の存在を近くに感じている。俺の問いかけに、何も答えずに目を細めて微笑む橘が目ではなく脳裏に映る。
 そうだ…、お前が傍にいないのが悪い。しかも、傍にいないばかりか、俺と行ったホテルに他の男と足を踏み入れてみろ…、
 たとえ、どんな理由があろうとも後悔させてやるっ。
 
 ・・・・・こんなに俺を惚れさせた事を、必ず後悔させてやる…っ!

 正常に思考が回り始めると、認めたくない事実が目の前に突きつけられる。しかし、俺はすべてを受け入れ認めて、時任を追って歩き出した。
 あぁ、そうだ…、俺は橘に惚れている。いつも抱かれても文句ばかりしか言わないし、今まで好きだと両手の指で数えられるほどしか言った事がなくても惚れている…。
 高校を卒業して、同じ大学に入学したとしても…、その先にあるのは別れしかないと思っていながら、俺はこんなにも橘が好きだ。
 あぁ、好きだ…、とても好きなんだ。
 認めたくはないが、それが事実だ。
 そう想った瞬間、橘と誠人を追って先に行った時任が、なぜか俺の方に向かって走って戻って来た。
 「何かあったのか?」
 俺がそう尋ねると、時任は苦しそうに哀しそうに顔を歪める。そんな表情を見た俺は、時任が何か言う前に、二人がホテルに入った事を悟った。
 橘のヤツめ…、本気で俺を怒らせたいらしいな。
 だが、そう心の中で呟いていても、橘と誠人の間に何かあったとは思わないし、まったく疑ってはいない。しかし、二人の間に何もないと確信している俺と違って時任は信じられないし、信じたくないと思いながらも、橘とホテルに行った誠人を疑う気持ちを持っていた。
 「なんで、あんなトコに橘と行ってんだよ…っ」
 そう言って握りしめた時任の拳を見つめながら、俺は二人がまだキス止まりの関係なのかもしれないと…、そう感じている。相方としての誠人は信じられるが、未だに恋人未満である誠人の行動は信じられないのではないかと思い、俺は時任の拳に落としていた視線を上げる。
 すると、俺を見ていた時任の目と目が合った。
 「松本・・・・」
 「なんだ?」
 「松本は、マジで橘と付き合ってんだよな?」
 「あぁ、付き合っている」

 「じゃ…、聞くけど、今も橘の事を信じてるか?」

 時任にしようと思っていた質問を、逆に時任からされて驚く。
 しかし、そんな驚きも時任の目を見つめ返している内に、すぐに消えた。
 時任の瞳には、もうさっきのような動揺はない。
 俺は自分の口元に笑みが浮かぶのを感じながら、自信に満ちた声で時任の質問に答えた。
 「信じている。塵ほどの偽りも嘘もなく、心から…」
 「だったら、さっさと考えろっ」
 「考える?」
 「信じてるから、何かあると思ってっから、さっきからずっと考えてんだろ? なら、さっさと理由を考えて教えろよ。理由がわからなきゃ、行き場所がわかっても動けねぇだろ」
 時任の言葉は、俺以上に自信に…、
 いや、自信ではなく強い意志に満ちている。
 なんだ…、そういう事か…。
 俺はそう訳もなく納得すると、しようと思っていた質問ではなく、別の質問を時任にした。
 「これから先も、ずっと誠人と一緒にいるつもりか?」
 何の前置もなくした、唐突な質問。
 しかし、それに答えた時任の声は、揺ぎ無く落ち着いていた。

 「当たり前だ」

 返って来た返事は、たった一言。
 だが、それで十分だった…。
 時任は塵ほどの偽りも嘘もなく、誠人を信じている。
 しかし、それは相方としての誠人だけを信じている訳じゃない。
 相方や恋人や、そんな名のつく関係を超えて、だた誠人という人間を信じているのだと…、俺は時任の真っ直ぐな瞳を見て理解した。
 俺らしくもなく、理由も訳もなく理解し、納得した。
 だが、らしくないと思いながらも、今はとても清々しい気分だ。
 「本当に…、お前といると俯いているヒマがないな」
 俺がそう呟くと、時任が何言ってるんだ?という顔をする。
 だから、俺はただの独り言だと言って、時任の頭を撫でようとしたが…、
 その手は軽く叩き落とされ、子ども扱いするなと睨まれてしまった。
 あぁ…、本当にいつも時任の瞳は、うらやましいくらい真っ直ぐだ。
 そして、真っ直ぐな瞳をした時任の想いは、ただひたすら真っ直ぐに誠人に向けられている。揺ぎ無く…、真っ直ぐに…、
 こんな絆を見せつけられては、俺達も負けていられないじゃないか…、

 ・・・・・・・なぁ、橘。

 そう心の中で呟き、俺は今日起こった出来事を思い返し思考する。
 橘の行動、誠人の行動…、そしてその理由を…。
 すると、さっきまで動かなかったのが信じられないほど、頭の中がクリアになり、すぐに答えが導き出される。俺は自分の導き出した答えに満足し頷くと、時任に俺の出した答えを伝えた。
 だが、答えを出すまでに、予想外に時間がかかってしまった。
 もう、手遅れだろうか?
 いや、何も確認せずに答えを出すのは、まだ早い。

 俺が必ず捕まえてやる…、必ずだ。

 二人の行動の理由の答えを導き出した俺は、周囲に気を配りながら、時任と二人でホテルのある場所へと向かった。
 

                                             2007.10.15

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