「・・・ひさ、隆久」 「・・・・・・・」 「まだ眠いのはわかりますが、起きてください」 「ん・・・・、今、何時だ?」 「七時半です。さっき内線でお母様が、ご飯を食べにいらっしゃいと…」 「あぁ…、親父が帰って来たのか…。そう言えば、昨日は急患で夜遅くに出てったみたいだからな…」 「えぇ、先ほど病院から戻られたようですよ」 そんな感じで始まった日曜日…。 俺は自室のベッドの中でアクビをしながら、すでにシャワーを浴びた上に着替えまで終えている橘を見る。学校の制服を着ている時とは違って、私服の橘は少しシャープな印象だ。 浮かべる微笑みまで少し違って見えるのは、昨夜の余韻なのか、それとも惚れた欲目というヤツなのか…。それはわからないが、普段とは違い俺を会長ではなく隆久と呼ぶ、橘遥という名のこの男は間違いなく俺の恋人だった。 「もしかして、起きるのがつらいんですか?」 そう言って顔をのぞき込みながら、橘は昨夜の事を思い出させるような手つきで俺の頬を撫でる。すると、不覚にも体温が二、三度上がってしまい、俺は妖艶に微笑む橘を軽く睨んだ。 「・・・わかってるなら、聞くな」 「ふふ、それは逆です。僕はわかってるから聞きたいんですよ、貴方ではなく貴方の身体に…」 「そんな事をされてたまるかっ。立てなくなって朝食時に顔を出せなかったら、親父やお袋が不審に思うだろう」 「カゼで具合が悪い…という事にしておきます」 「勝手に決めるな。それに今の俺は色気より、食い気だ」 「それは・・・・、僕も同じですよ」 橘は頬を撫でる手を払い除けようとした俺の手を掴むと、そのまま動けないようにベッドに押し付ける。俺の力は決して弱くはないのだが、有名な武道家の父親に小さな頃から鍛えられている橘の力には敵わなかった。 こうなってしまうと暴れても何をしても、橘から逃げ出すのは困難を極める。腹が減った状態で無駄な体力をこれ以上使いたくなかった俺は、首筋にキスした唇が下の方へと滑っていくのを、軽く唇を噛みしめながら見ている事しかできなかった。 昨日、好き勝手したクセに…、朝まで…。 後で覚えていろ、橘…。 「最後までは…、禁止だ」 「愛してますよ」 「そのセリフを言えば…、何でも許されると思っているだろう?」 「いいえ、別に許されたいとは思ってません。これはただの本音ですから」 「・・・・・・相変わらず嫌な男だ、お前はっ」 こんな真似をされても、結局いつも許してしまう俺は…、やはり重症だ。 橘には絶対に言ってやるつもりはないが、つまりそういう事なんだろう。離れにある自室から、少し遅れてリビングに到着した俺は、小さくため息をつきながら自分の席に着席した。 橘は父親が有名な武術家、母親が同じく有名な華道家であるために、自宅は家というより屋敷で、中には常に弟子や使用人が大勢いるが、俺の方は父親が総合病院の院長をしてはいるものの、ごく普通の一般家庭だ。まぁ、多少家は普通よりは大きいかもしれないが、驚くほどのものでもない。 そんな俺の家の何が気に入ったのか、いつの間にか橘は特に用事がある時以外は、必ず土曜の夜、俺の家に泊まるようになっていた。 『ご馳走様でした』 そんな感じで朝食前にベッドの上で、俺の股間の辺りでそう言った橘は…、 今、俺の横に座り、俺の母親の作った朝食を食べている。 その様子を横目で見ると、目の前にあるやけに赤い唇が…、 さっきまで俺の…をくわえていた唇が妙に気になって、居たたまれなくなって視線を反らせる。すると、最悪な事になぜか俺をじーっと見ていた親父の視線とぶつかってしまった。 「お前・・・・」 「え?」 「最近、色っぽくなったなぁ」 「ぐ…っ!!!」 「ん? どうした? 喉に何か詰まったのか?」 「そうじゃなくて…っ、親父が妙な事を言うからだろうっ。男にしかも実の息子に色っぽいとは何事…っ」 俺はそう言いかけたが、親父の視線はすでに俺ではなく橘の方を見ている。一瞬、何か気づかれたのかと思ってヒヤっとしたが、親父はにこやかに意見の同意を橘に求めた。 「なぁ、遥君もそう思うだろう? 好きな相手でもできたかな?」 「そうですね、最近、隆久君はとても色っぽくなりましたから…」 「そうだろう、そうだろう」 本人の前で本人を無視して何を楽しそうに話してるんだ…、クソ親父。 そう思ったが、ここで感情的になるのはいらぬ疑いを招くし危険だ。 ぐぐっと叫んで否定したくなる気持ちを抑えると、俺はご飯と伊達巻タマゴを口の中に押し込む。だが、そんな努力の甲斐なく、話はお袋まで加わって妙な方向へと進み続け…、俺は握りしめた箸を折りそうになった。 「ちなみに遥君は、前よりも男っぽくなってきたようだ。身長もずいぶん伸びたんじゃないかな?」 「そうですね、確かに少し伸びたようです」 「隆久のベッドで二人で寝るのは、さすがに狭くなってきただろう。この際だ、離れの物置部屋を遥君専用の部屋にして、新しくベッドを入れるというのはどうかな? なぁ、母さん」 「あら、それはダメよ。 隆久と遥君は仲良しだから一緒のベッドの方が楽しくていいのよ。ねぇ、遥君?」 「えぇ、一緒の方が修学旅行みたいで楽しいですから」 「まさか、マクラ投げなどしていないだろうな?」 「本当に楽しそうでいいわねぇ」 「ふふふ…」 「はははは…っ」 「ほほほほ…」 ・・・・・・・・・・ちょっと待て。 本当にマクラ投げの話をしているんだろうな? まさか…、何か気づかれて…っっ。 いやいや、そんな事は絶対にあり得ない…。 俺の部屋は離れにあるし、バレるようなミスは犯してないはずだ。 ・・・・・・・し、しかし、この三人の怪しげな笑みはっ。 だが、事実を確認しようにも…、方法が…。 しかし…、そんな事を確認してどうするつもりだ…。 それに、もしもバレていたら、この程度では済まないはずだ。 やはり多少気にはなるが…、何も言わずに黙っておこう…。 と思ったが・・・・・・、次の瞬間、気が変わった。 「マクラ投げは楽しそうだが、一応二人とも受験生ではあるし、夜の運動はほどほどにな」 このっ、クソ親父ーーーっ!!!!!!! まさか、わざと言ってるんじゃないだろうなっ!!?? わかっているのか、わかっていないのか微妙な発言をした親父を睨みつけながら俺が何か言おうとすると、イスの下で軽く橘の足が俺の足を蹴る。そして、にっこりと微笑みながら、親父の忠告に可愛らしく子供らしい返事をした。 「はい、お父さん」 「うむ、良い返事だ。遥君はいい子だな」 「・・・・・・・」 「ん? 隆久の返事はどうした?」 「・・・・・・・・・了解した」 「はぁ〜…」 「ちゃんと返事をしたのに、なぜ、そこでため息をつく?」 「昔はお帰りなさいのチューをしてくれたり、一緒にお風呂に入ってくれたり…、あんなに可愛かったのになぁ…」 「黙れっ!!ヘンタイ親父っ!! さっさとメシ食って寝…っっ!!」 親父に向かってそう叫びかけた俺だが、横からの冷たい空気に気づいて言いかけた言葉を止める。横から冷たく漂ってくる空気の正体は見るまでもない…、が…、なぜなのか理由はわからなかった…。 「・・・・・本当に昔から可愛かったんですねぇ、隆久君」 う…っ!!た、橘っ!!!なぜ足を蹴るっ!?? そ、それから、微笑みながら怖い目で俺を見るのはよせっ!! やめろ…っ、親父が不審に思うだろうっ。 微笑みながら妖気に似た何かを漂わせ始めた橘を親父から引き離すべく、急いで味噌汁を飲み干すと、俺は座っていたイスから立ち上がる。そして、まだ食べる途中だった橘の腕を強引に引っ張ってダイニングから出た。 「今日はこれから参考書を買いに二人で出かけるから、昼食は外で済ませる」 「あの、僕はまだ食事の途中で…」 「いいから、一緒に来い」 「ですが…」 「返事は?」 「はい、会長」 「・・・・・・いい子だ」 俺がそう言うと、橘がクスリと笑う。 そんな俺達を見る親父の視線が気になったが、いちいち構っていられるか…っ。そう開き直った俺は自室で少し仮眠を取った後、参考書を買うために橘と一緒に街に出る事にした。 俺と橘は高校三年で、受験生だ。 志望する大学は同じで、志望する学部も医学部と一緒なのだが…、 両親の家業を考えると、橘が医者になるとは思えない。 だが、橘は俺と一緒に居たいから、同じ大学に行くと言う…。 本人が決めた事だから反対はしないが、理由が理由だけに本当にこれでいいのかと…、悩む事もある。しかし、そんな俺の悩みをよそに書店に行く途中で立ち止まった橘は微笑みながら、映画館の看板を指差した。 「ついでに映画、見て行きませんか?」 「今日は、参考書を買いに来ただけだ」 「たまには息抜きも必要ですよ?」 「・・・・・・・息抜きなら、昨夜も今朝もしただろう」 「あれは息抜きではなく、愛情確認です。愛情不足になると、勉強に集中できませんから…」 「・・・・・・」 「どうかしましたか?」 「なぜ…、いつもお前は・・・・・・」 俺がそう言いかけたが、妙なモノが目に入って思わず言葉を止める。それは映画館の近くのゲームセンターから、バカップルが出てきたせいだった。 俺と同じ高校に通うバカップル…、 しかも、同じ三年の男子生徒二名は顔を近づけてヒソヒソ話をしている。 ヒソヒソ話自体は誰でもするかもしれないが…、い、いくらなんでも顔が近すぎやしないか?角度によっては、まるでキスでもしているように見えなくもない。 い、いや…、もしかして実はしてるのか? 実は前々から思ってたんだが、見てるだけで恥ずかしいヤツらだっっ。 「そんなに顔を赤くして、何を見てるんですか?」 そんな橘の声でハッと我に返ると、バカップルがこちらに気づき近づいてくる。すると一緒に周囲の好奇に満ちた視線もついてきて、バカップルのせいで注目を浴びてしまった俺は頭を抱えた。 「なぜ、こちらに来るんだ…、誠人」 「なんか見てたし用事でもあるのかと思って、せっかく来てやったのに、それはねぇだろっ」 誠人に話しかけると、誠人ではなく時任から返事が返ってくる。 どうやら、こちらに来たのは誠人の意思ではなく、時任の意思らしい。そんな時任の意志に逆らえず、くっついてきた誠人はどことなく不機嫌だった。 惚れた弱みなのか、誠人は限りなく時任に甘い。 そして・・・・・、時任に関しては限りなく心が狭い。 それを知っている俺は、同じくそれを知っているのに時任を映画に誘おうとしている橘を軽く睨む。しかし、橘は俺の視線を受けて妖しく微笑むと、次に時任に向かって優しく微笑みかけた。 「せっかく会ったんですから、僕と一緒に映画でも見ませんか?」 「いーやーだっ」 「一緒に見てくれるなら、チケット代はおごりますよ? あの海賊映画…、実は観たいんじゃありませんか?」 「う…っっ」 「アクション映画とか、ああいうの好きでしょう?」 「な、なんで、てめぇがそんなコト知ってるんだよっ!」 「ふふふ…、さぁ、なぜでしょう?」 観たい映画をおごると橘に言われて、時任が迷っている。 だが、その横から・・・・・、冷たい空気が・・・・。 うっ、頼むから、その冷気の矛先を俺に向けるなよ、誠人っ。 時任を誘っているのは橘で、俺じゃないんだからなっっ。 俺がそんな事を心の中で思っていると、映画を観たい時任が無言でじーっと誠人の方を見る。すると、時任の視線に負けた事を宣言するように、誠人は小さく息を吐いて軽く肩をすくめた。 「・・・・・おごりならね?」 「やったーっ!」 ・・・・・・完全に尻にしかれているな、誠人。 喜ぶ時任と、それを微笑みながら見つめる誠人に軽く目眩を覚えた俺は、二人を有害だと言っていた桂木の言葉を思い出す…。 無邪気に喜ぶ時任は可愛いと思うだけで済むが、それを見て微笑む誠人の顔には、なぜかモザイクをかけたくなる。あんな愛しくてたまらないという顔で微笑まれたら…、誰だってきっとそうに違いないっ。 ・・・・・・た、確かに有害だっっ。 微笑むだけで18禁指定の男は、きっと誠人ぐらいだろう。 しかし、自分の横に立つ人物の事を思い出した俺は、別な意味でモザイクをかけたくなった。 「すいませんが、久保田君のチケット代、千八百円ください」 「お前が、二人の分をおごるんじゃなかったのか?」 「貴方と時任君の分は僕がおごりますが、久保田君は貴方のお友達ですから、貴方がおごってあげてくれませんか?」 「だが、それでは二人の分はお前が払って、俺の分は自分で払うのと同じ事だろう?」 「いいえ、全然違います」 「何が違うんだ?」 「僕は可愛い子しか、おごらない事にしてるんです」 このっ、タラシめっっ!!! そう心の中で叫びながらも、俺は仕方なく橘の手に千八百円を乗せる。 すると、橘は微笑んで…、素早く俺の耳に唇を寄せた。 「…というのはウソです。僕はただ、嫉妬した貴方の可愛い顔が見たかっただけですよ」 ・・・・・・こ、こ、このっ、18禁男めっ!!! そんなこんなで、ここには参考書を買いに来たはずだが、どうやら俺は橘と、誠人と時任と一緒に映画を観る事になってしまったらしい。映画を観るのは実は好きだが、このメンバーで観るのは何かイヤな予感がしてならなかった…。 |
2007.7.23 *荒磯部屋へ* 次 へ |