綿毛の雪 7




 『絶対に、この中から出てくるな。俺が良いと言うまで、中でおとなしくしていろよ』

 念を押すようにそう言われて、俺は松本と一緒に行くために風呂敷の中に入る。
 そして、一緒に入っていたガラス瓶をぎゅっと抱きしめながら、松本と一緒に大きな建物の中に入ったはずなんだけど…。今、俺は風呂敷から抜け出して、中にいる奴らに見つからないように気をつけながら、スタタと建物の廊下を走ってる。
 松本がココに来たのは、俺をマコトのトコに行かせるためだった。
 だから、俺は風呂敷の中でおとなしくしてなきゃダメだってのはわかってる。
 そうしないと誰かに見つかったりして、松本に迷惑がかかるって知ってる。
 自分でお金集めて行くから、がんばるからって言う俺の頭を撫でて、松本は自分のためにやるだけだから、黙って好きにやらせてくれって言ったけど…、
 それでも、俺は風呂敷の中でじっとしてられなかった。

 松本の胸から聞こえる音を聞いたら、じっとしてなんかいられなかった。

 松本に連れられて建物に入った時は、ヒステリックな声や叔父とかっていうムカつくヤツの声にムッとしたりして、すごく心配になったりして…、
 けど、始めは何かうまくいってるカンジがしてホッとした。
 心配で一緒に来たけど、悪いコトはなんにも起こらない気がしてた。
 けど、どこかに向かって歩き始めて、すぐに松本の震えた声が聞こえてきて…、
 その声と一緒に、松本の腕にぎゅっと強く抱きしめられて…、
 その拍子に押し付けられた耳に、松本の胸の中の音が聞こえてきた瞬間、松本の声みたいに俺の耳まで震えた。

 ・・・・・・・・・たちばな。

 そんな声が聞こえた気がしたのは、俺の気のせいかもしれない。
 けど、聞こえてくる胸の音は、気のせいじゃなくてホントで…、
 トクトクトクって早く鳴る音は、なんか聞いてると苦しくなってくる。
 聞いてると苦しくて…、悲しくなってくる…。
 なんで、松本の胸から、そんな音がするのかわからなくて、俺は風呂敷の隙間から、そっと外をのぞいてみた。そしたら、見たコトのあるヤツが知らないヒトと一緒に立ってて、こっちを…、震える松本を見てた。
 微笑みながら、松本を見てた。
 けど、初めて会った時みたいな、優しいカンジじゃなくて…、
 トクトクトクと早く鳴り続ける松本の胸の音が、一番かなしく鳴ったのは…、

 『美和さんの婚約者の橘です…』

 …って、そう言った声が聞こえた瞬間、だったような気がする。
 その瞬間に鳴った音は一番苦しくて…、一番悲しかった…。
 俺の位置からは見えなかったけど、たぶん松本は橘を見てて…、
 そして、橘も松本を見てた。
 でも、橘は微笑んでたけど、松本は・・・・、

 ・・・・・・一体、どんなカオしてたんだろう。

 こんなに苦しくかなしく胸が鳴ってるのに、こちらこそよろしく…なんてヘーキなフリして返事して、また胸の音を早くして苦しくて…、
 その音を聞いてられなくなった俺は、風呂敷を抱きしめてた腕の力がゆるんだ隙をついて、風呂敷から転がるように飛び出した。

 「アイツを、アイツを探さなきゃ…っ」

 松本の胸から、あんな悲しい音がするのは橘のせいだ。
 だから、なんで松本の胸をあんなにするんだって…、
 なんで、あんな悲しい音をさせるんだって…、橘に言いたくて俺は走った。
 理由なんて、ワケなんてわかんねぇけど、そうしなゃならない気がしたから…、
 松本に笑って欲しかったから、俺は見つからないように隠れたりしながら、色んな場所を橘を探して走って走り抜けた。
 すると、橘は建物の中じゃなくて外にいて、一人で噴水を見てた。
 キョロキョロとまわりを見回してみたけど、一緒にいたヒトは近くに見当たらないし、今は誰もいない。チャンスだと思った俺は、周りに注意しながら近づいて名前を呼ぶ。
 すると、橘はあの夜と同じように驚かないで、俺に向かって優しく微笑みかけてきた。
 「確か君は…、あの時の…」
 「・・・・・・・」
 「こんな所で、どうしたんです? こんな昼日中から出歩いてると、今度は犬ではなく人間に捕まってしまいますよ?」
 「・・・・そんなコトは、言われなくてもわかってっけど、今はそれどころじゃねぇんだっ」
 「それどころじゃないって…、もしかして何かあったんですか?」
 「何かって…っ、そんなの決まって!」
 「え?」
 「松本がっ!!」
 「・・・・・・・その人がどうかしたんですか?」
 今はそれどころじゃないって、俺はそう言ったのに橘は何も気づいてない。
 俺がココにいて、松本もココにいるのを知ってるなら…、
 胸が悲しくなった時の、俺が見れなかった松本の顔を見てるなら、すぐにわかってくれるって思ってたのに、橘は不思議そうなカオして俺に聞いてくる。まるで、外から松本の部屋を眺めてたのが夢か何かだったみたいに…、さっきのコトなんて少しも気にしていないカンジだった…。
 俺には今だって優しくしてくれるのに、松本にはまるで会ったコトないみたいにして…。でも、絶対にそんなハズないって思って、俺は何かを見つけようとするみたいに橘の瞳をじっと見つめた。
 「アンタに会ってから、松本がすごくかなしそうなんだ。胸の音が早くなって、その音が苦しいって、かなしいって言ってて…っ」
 「・・・・・・・・・」
 「橘は松本のコト知ってんだろ? だから、夜に窓を見てたり…っ」
 「もし、そうだとしても僕とは関係ありませんよ。きっと、僕と婚約した彼女の事が好きで、あの子は…、いえ、彼は・・・」
 「違うっ、松本は絶対にアンタを見て!」
 「貴方の勘違いですよ」
 「橘!!」
 何を言っても橘は松本とは関係ないって、そればっかで…、
 夜に会ったコトは気のせいなんて言わなかったけど、松本のコトだけは首を横に振ってばっかで…。優しく微笑んでばっかで、何も教えてくれない。
 でも、松本と俺がココに来たワケを話した時だけは、少し違ってて…、
 お金を払えなくて下宿を出てきたコトや俺をマコトのトコに行かせてやるって言ってくれた コト、それから松本の持ってる風呂敷の中には、俺の瓶とちょっとの服と…、一冊の本だけしか入ってないコトを話すと、橘はなぜか何かに耐えるみたいに目を閉じた。

 「・・・・・・その本の題名は何と言うんです?」

 目を閉じてる橘は、俺にそう聞いてくる。けど、俺は本の題名なんて知らなかったし、もし、見たとしても文字なんて読めなかった。
 だから、わからないと首を横に振ると、橘は細く長く息を吐く。
 そして、何ていう題名なのかって俺に聞いたのに、その答えを自分で言った。
 「その本の題名は・・・・・、たぶん初恋です」
 「ハツコイ?」
 「初恋は自分の家の隣に引っ越してきた少女を、初めて好きになった少年の話で…。人を初めて好きになる事を、初恋と言うんですよ」
 俺にハツコイの説明をした後、橘はなぜか片手を当てて顔を隠す。すると、松本のカオが見えなかった時みたいに、橘がどんなカオしてるのかわからなくなった。
 どうしたんだろうと俺が首をかしげると、橘がクスリと声を立てて笑う。
 でも、その笑い方はちっともうれしそうでも、楽しそうでもなかった。

 「12歳も年が離れてるというのに…、初恋も何もあったものじゃありませんね。そんなものは、良くて笑い種になるだけでしょうから…」

 初めて会った時も、そして今もだけど、また橘が俺にわからないコトを言う。
 わからないコトを言って、時々、かなしそうにする。でも、それはいっつも松本のコトを話してんだろうって、なんとなくだけど、わからないのにそう感じる時だった。
 「なぁ…、なんでハツコイで笑いグサってのになるんだ?」
 俺がそう聞いてみると、橘はまた何も答えない。けど、それから少ししてカオを隠してた手を離すと、その手で俺の頭を優しく撫でた。
 「貴方の初恋は、きっと同じクマの…、マコト君ですね」
 「俺のハツコイがマコト? じゃ、俺も笑いグサ?」
 「いいえ、貴方の初恋は、本当にとても素敵なことですよ」
 「ホントに?」

 「えぇ、本当に…。ですから、叶うように祈ってますよ…。貴方がマコト君に会えるように、心から祈ってますから…」

 そう言った橘のカオは、どこか俺をマコトのいるトコへ行かせてやるって言った時の松本のカオと似てて…、俺は思わず橘に向かって手を伸ばす。けど、その瞬間に橘を呼ぶ声がして、慌てて近くの木の陰に隠れたから、結局、伸ばしたはずの手は届かなかった。

 「遥さん、これから出かけるから、一緒に来てくださらないかしら?」
 「もちろん、御供させて頂きますよ。貴方の行く所へなら、どこへでも…」
 「あら、私だって貴方の行く所へなら、どこへでも行くわよ?」
 「それは、どうもありがとうございます」
 「もう、結婚するんだから、敬語はやめてって言ってるのに…」
 「すいません、これはクセみたいなものですから…」
 「・・・・・・・ねぇ、私のこと好き?」
 「えぇ、好きですよ」

 そんな話をしてるのは、橘と美和というニンゲン。
 橘は美和をスキって言ったけど、俺の目には美和が橘のハツコイには見えなかった。なのに、美和をスキって言うなんて、橘のハツコイってヤツは一体どこに行っちまったんだろうって…、俺は思う…。
 俺はずっとずっと…、マコトがスキ…。
 マコトを想うと胸が苦しくて、でもあったかいカンジもしてキューッとする。
 だから、それがハツコイだっていうなら、橘だってスキだったらキューッとするはずなのに、美和と話す橘はちっともそんなカオしてなかった。
 そして、きっとたぶん…、美和を見た松本もそんなカオはしてなかったと思う。
 けど、橘の言葉を聞いてるとわからなくなって、あの胸の音がなぜあんな風に鳴ってたのかわからなくなってきて、俺は庭木の陰にしゃがみ込んだ。

 「ぜったい橘だと思ったのに…、なんでだよ…。スキでもないのに、あんな風に夜に立ってたりすんなよ…、バカ…」

 せっかく、風呂敷から抜け出して来たのに、俺は松本を助けられないまま…、
 胸の苦しい音を止められないまま、しょんぼりと足元を見る。
 すると、そこにはどこから落ちてきたのか、ふわふわの白い羽があって…、
 それを両手でよいしょと一生懸命拾って、そのふわふわ羽を見てると…、
 松本の胸の中に、この羽みたいなハツコイを降らせたい気分になった。


 ふわふわであったかい…、そんな音を胸いっぱいに…。






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                                            2009.9.26