綿毛の雪 4




 「ただいま…」
 
 夜明け前に、やっかいになっている部屋に戻った俺は、そーっと襖を開けて中に入り、まだねむってる松本に小さいな声でアイサツする。寝てるからアイサツしても意味ねぇのかもしんねぇけど、寝てる松本にただいまって言うといつも胸の中がほんわりとした。
 帰る場所があって、誰かにただいまって言えるって…、
 なんかすっげぇ…、良いよな。
 しかも今日はヘンだけど、良いヤツに会えたし、紙のお金ももらえた。
 すごくすごく、ラッキーな日だった。
 だから、そのコトを松本に話したいけど、眠ってるから今はできない。
 しかも、松本はいつも疲れてるカンジで、カオをしかめながら眠って、起きても顔をしかめてる。眉間にシワがよってるコトが多くて、俺は松本が笑ったトコロを一度も見たコトがなかった…。

 「どうやったら、笑うのかな…、松本」
 
 いっつもそう思うけど、何をしても松本のカオに浮かぶのは良くて苦笑いくらい。
 うっすらと笑みが浮かぶコトがたまにあっても、すぐに消えてしまう…。
 松本はいつも苦しそうでつらそうで、そして哀しそうだった。
 けど、笑わないのとオンナジように…、それでも絶対に泣かない…。
 俺と違ってニンゲンだから涙が出るはずなのに、松本の目から涙は出ない。
 でも…、それでも俺の目には、松本がいつも泣いてるように見えた。
 俺はそっとそっと眠っている松本に近づくと、起こさないように気をつけながら、ゆっくりと手を伸ばして頭を軽く撫でる。すると、ほんの少しだけど、苦しそうに寄ってた眉間の皺が消えた気がして…、ほっとした。
 
 「松本にも、マコトみたいなヤツがいたらいいのに…」

 俺がそう思うのは、会えなくてさみしくて胸がズキズキすっけど…、
 それとオンナジくらい、きっと、また会えるって思うだけで胸があったかくなるから。
 だから、松本はマコトみたいなヤツが居ないのかって、聞いてみたコトがあった。
 松本には会いたいヤツとか、そういうのはいないのかって…。
 そしたら、松本は眉間に寄せた皺を、もっと深くした。
 
 『・・・・・そんなヤツはいない』

 低い声でそう言った松本の頬には、殴られた跡…。
 俺を見る松本の瞳は、すごく冷たかった。
 お前に俺の何がわかる…って、そんな風に言ってる目だった。
 だから、その時、俺は何も言えなかった。
 俺は松本のコトを何も知らない…。
 けど、それでも松本の眉間から、皺がなくなったらいいのにって思う。
 いつも怖いカオしてっけど、松本は優しいヤツだから笑ってて欲しかった。
 なのに、小さな俺の手は、松本の頭を撫でるコトくらいしかできない。
 じっと自分の手を見つめると、良く使う右手は布がすれて薄くなってきてて…、ほつれた部分から少し綿がはみ出してた。

 「せっかく動けるようになったのに、何もできねぇのかな…。縫いぐるみだから、やっぱダメなのかな…」

 ポツリポツリとそう呟いて、トボトボと押入れの中に戻る。
 そして、今日分のお金をビンの中に入れた。
 キレイな水色のビンは、お金を探してる時に見つけたヤツで、キレイだったから持って帰って入れ物にしてる。その中に少しずつお金が溜まってくのを見ると、いつもは胸の中がキラキラでいっぱいになってくのに…、今日はなんか違ってた。
 うれしいコトがいっぱいあったはずなのに、松本の眉間の皺を思い出すとしょんぼりする。松本は俺のコトを助けてくれたのに、俺は松本を助けられない…。
 それが…、とてもかなしくて…、
 心の中にいるマコトに話しかけた俺は、少し綿のはみ出した手で涙の出ない目をゴシゴシこすった。

 やっぱ俺…、お前が居ないと…。

 そう話しかけても、心の中でもマコトは答えてくれない。
 でも、それは当たり前だ。
 俺の知ってるマコトは、話なんてできないからだ。
 でも、俺だってマコトが居なくならなかったら、動けるようになんてならなかった。
 喋れるようになんて、ならなかった。
 なのに、動けるようになって喋れるようになっても、できるコトはほんのちょっとで少なすぎて…、擦り切れた手を見ると切なくなる。けど、俺はこの手でしなくちゃならないコトがあって、だから…、いつも見てたガラスに映ったマコトの姿を思い出して…、
 マコトの代わりに、押入れの中にある毛布をぎゅっと抱きしめた。
 俺はマコトに会いたい…。
 そして…、松本を助けたい…。
 俺の手はすごく小さいけど、できるコトあるよな?
 
 ・・・・・・・・マコト。

 そう呟いて松本が作ってくれた寝床で、俺はいつものように眠りにつく。
 明日は松本が笑ってくれますように…、
 明日は、もっとマコトに近づけますようにって…、
 強く念じて始めに動いた右手を見つめながら眠って…、また夜を待つ。すると、夜を待つ俺と入れ違うように、朝を待つ松本が眉間に皺を寄せたまま目を開くんだ。
 けど、その日だけはいつもと違っていて、俺はまだ夜じゃないのに意識を取り戻し目覚める。俺がいる押入れの襖の向こう側から聞こえてくるのは、俺の眠りを覚ましたのは…、ヒステリックな女の声と、淡々として落ち着いてるけど、力の無い何かをあきらめたみたいな松本の声だった。
 



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                                            2008.8.17